竹内行夫裁判官に対する評価(私見)

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※ 評価に当たっては、関与した重要判例が少ないため、民・刑・公という分類はせずに、①具体的妥当性を図っているかどうか、②判断理由を丁寧に説明しているかどうか、③法規の実質的な趣旨解釈をしているかなどを中心に評価する。なお、竹内裁判官の評価に当たっては、既に関与した判例が少ないため、同裁判官の思想や考え方を判断するのに十分な資料がないようにも思われる。しかし、少ない判例の中でも、同裁判官の経歴など他の事情も考慮することで、十分に同裁判官の国民審査を行う上での評価が可能と判断し、判例以外の他の資料の参照は行わないものとする。

竹内行夫裁判官は、外務省出身の官僚である。

私はそもそも、最高裁裁判官の配置において、行政官出身枠が設けられていることに非常に批判的な視点を持っている。

これは、竹内氏をはじめとする行政官出身者が法曹資格を持っていないというような次元の話ではなく、最高裁裁判官のポジションに行政官を入れることの公平性、妥当性を問題にするものである。

そもそも、最高裁で扱う訴訟には、行政訴訟も多い。そうすると、行政庁(国、又は公共団体)が被告となる事件において、常に省益を追求してきた行政官出身の裁判官がその判断に参与することは、公平性の見地から、妥当性を欠くものと思うわけである。

とりわけ、竹内氏は外務省事務次官というトップを務めた人間であり、省益の代表者と言うべきポジションにいた人間であることを考慮すると、仮に外務省が被告(厳密には、被告は国になるのだが)となるような事件を、最終裁判所の裁判官として、担当しうる立場にあることには大きな疑問が生じるわけである。

行政官の最高裁判所裁判官への任官の趣旨は、行政の専門的な知識を反映させ、妥当な判決を確保するというものであると認識しているが、少なくとも、これだけの理由で行政官枠を作る必然性は認められない。司法試験を通過し、数多くの裁判実務をこなした法曹であれば、官僚よりも優秀であり、専門的知識を身につけることは、容易であろう。

また、どうしても行政にかかわる専門知識が必要であるならば、それぞれの判事に充てられている最高裁調査官を増やしたり、専門性を高めさせればよいのであって、判事の一人を必ず行政官とする必要性は一切感じられないのである。

さらに、行政の側の人間とは一線を画す、法律学者の裁判官枠をその分増員すれば足るといえるだろう。

竹内裁判官についていえば、国際法に関する専門知識が豊富と思われるが、国際法に関する著名な学者を最高裁判事に充てることで、専門法知識の問題は容易に解決できるといえる。

実際、外務省出身の裁判官はここ数年最高裁におらず、それにより問題が生じたという話は一切ない。

むしろ、一般民事や刑事事件、会社法関連訴訟などに携わった経験のない者が最高裁判所の裁判官の一人として、その法解釈と判断にかかわることの方が、誤った判断をする危険があると考えるわけである。

そして、現在までの竹内裁判官の判決理由を精査すると、補足意見、意見、反対意見のどれも述べておらず、多数意見に同調するのみであり、最高裁裁判官としての主体的な意見発信が全く期待できない

また、その多数意見も十分な論拠を示さずして、結論のみ示すものもあり、丁寧な判決により国民に対する判断基準を示すという最高裁の機能を果たしていないといえよう

以上の理由から、私は、竹内行夫裁判官は憲法の番人、最終裁判所の判事としての資質に疑問があり、罷免に相当すると考える。

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