田原睦夫裁判官が関与した判例

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田原睦夫裁判官は、最高裁第三小法廷に属している。弁護士出身であり、司法制度改革などの活動や民事訴訟法、倒産法の分野を専門としている活動を日弁連や政府の委員として行ってきたことが経歴から明らかである。



1.
最判平成21年4月28日(第三小法廷)

<事例>

公立小学校の教員が、女子数人を蹴るなどの悪ふざけをした2年生の男子を追い掛けて捕まえ、胸元をつかんで壁に押し当て大声で叱った行為が、国家賠償法上違法となるかが争われた。

<判断>

全員一致。

国賠法上の違法には当たらない。

<理由の要旨>

本件行為は、児童の身体に対する有形力の行使ではあるが、他人を蹴るという男子児童の一連の悪ふざけについて、これからはそのような悪ふざけをしないように男子児童を指導するために行われたものであり、悪ふざけの罰として肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。

本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても、本件行為は、その目的、態様、継続時間等から判断して、教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。



2.
最判平成21年4月28日(第三小法廷)

<事例>

被害者を殺害した加害者が、被害者の相続人に対し、被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出したため、相続人がその事実を知ることができなかった場合において、上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権が民法724条後段の除斥期間により消滅するか否かが争われた事例

<判断>

全員一致。田原裁判官の意見あり。

(上記特段の事情がある場合には)民法160条の法意に照らし,不法行為に基づく損害賠償請求権は除斥期間により消滅しない。

<理由(田原裁判官の意見のみ記載)>

私は,民法724条後段の規定は,時効と解すべきであって,本件においては民法160条が直接適用される結果,被上告人らの請求は認容されるべきものと考える。以下敷衍する。

民法724条後段の規定の法的性質について,時効と解すべきか,除斥期間と解すべきかにつき,かつて学説,下級審裁判例でそれぞれ見解の対立が存したところ,最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁(以下「平成元年判決」という。)は,同規定は,除斥期間を定めたものと解すべきものとし,除斥期間の性質にかんがみ,その期間の経過により原告の主張する損害賠償請求権は消滅した旨の主張がなくても,裁判所は同期間の経過により,同請求権は消滅したものと判断すべきであり,除斥期間の経過を主張することが信義則違反又は権利濫用であるとの主張は,主張自体失当である,と判示した。

平成元年判決の説くところに従えば,本件訴えは,被害者が殺害されてから26年余を経て提起されたものであって,被上告人らの損害賠償請求権は,既に除斥期間の経過によって消滅しているところ,多数意見は,本件事案にかんがみ法的には既に消滅している請求権の行使を認めるものであって,論理的には極めて困難な解釈をしているものと言わざるを得ない。

なお,実務上は,上記の平成元年判決を受け,その後の下級審裁判例が,民法724条後段の規定を除斥期間と解する運用をなしているところから,ここで上記判例変更をなす場合には,一定の混乱が生じかねない可能性がある。しかし,上記の判例変更の結果を受けて真に救済せざるを得ない事案は,社会的には極く僅かに止まり,また,それは個別に対応することが可能であると推察されるのであって,判例変更が社会的に相当な混乱を引き起こすおそれはないと思われる。

おって,現在,法務省において債権法の改正作業が開始されているところ,時効制度の見直しに当たっては,かかる観点を踏まえた見直しがなされることを望むものである。



3.
最判平成21年4月21日(第三小法廷)

<事例>

和歌山カレー毒物混入殺人事件において、有罪・死刑判断をした原審判断の是非が争われた。

<判断>

全員一致。有罪・死刑という原審の判断を是認。

<理由>

被告人がその犯人であることは,①カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜砒酸が,被告人の自宅等から発見されていること,②被告人の頭髪からも高濃度の砒素が検出されており,その付着状況から被告人が亜砒酸等を取り扱っていたと推認できること,③夏祭り当日,被告人のみがカレーの入った鍋に亜砒酸をひそかに混入する機会を有しており,その際,被告人が調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な挙動をしていたことも目撃されていることなどを総合することによって,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されていると認められる。

犯情等に照らせば,被告人の刑事責任は極めて重大であるというほかはないから,カレー毒物混入事件における殺意が未必的なものにとどまること,前科がないことなど,被告人のために酌むべき事情を最大限考慮しても,原判決が維持した第1審判決の死刑の科刑は,当裁判所もこれを是認せざるを得ない。



4.
最判平成21年4月14日(第三小法廷)

<事例>

①満員電車内における強制わいせつ被告事件について,被害者とされた者の供述の信用性のみを全面的に肯定して、有罪とすることができるか。

②事実誤認の主張がある場合に、法律審である最高裁はどのような審査をすべきか。 

<判断>

3対2で、被告人を有罪とする反対意見。

原審・第一審を支持。

<理由(反対のみ記載)>

本件は,被告人が全面否認し,物証も存しないところから,原判決の事実認定が肯認できるか否かは,被害事実の有無に関する被害者Aの供述の信用性及びAの加害者誤認の可能性の有無により決するほかない。

そのうち加害者誤認の可能性の点は,一審判決が判示する犯人現認に関するAの供述の信用性が認められる限り,否定されるのであり,また弁護人からも加害者誤認の可能性を窺わせるに足る主張はない。

そうすると本件では,Aの被害事実に関する供述の信用性の有無のみが問題となることとなる。

そこで,上述の視点に立って本件記録を精査しても,Aの供述の信用性を肯認した原判決には,以下に述べるとおり,その論理法則,経験則の適用過程において重大な疑義が存するとは到底認められないのである。

 (1) Aは一審において証言しているが,その供述内容は首尾一貫しており,弁護人の反対尋問にも揺らいでいない。また,その供述内容は,一審において取り調べられたAの捜査段階における供述調書の内容とも基本的には矛盾していない。

 (2) 多数意見は,Aの述べる公訴事実に先立つ向ヶ丘遊園駅から成城学園前駅に着く直前までの痴漢被害は相当に執ようで強度なものであるにもかかわらず,車内で積極的な回避行動を執っておらず,成城学園前駅で一旦下車しながら,車両を替えることなく再び被告人の側に乗車している点も不自然であるなどとしているが,Aは,満員で積極的な回避行動を執ることができず,また痴漢と発言して周囲から注目されるのが嫌だった旨,及び成城学園前駅で一旦下車した際に被告人を見失い,再び乗車しようとした際に被告人に気付いたのが発車寸前であったため,後ろから押し込まれ,別の扉に移動することなくそのまま乗車した旨公判廷において供述しているのであって,その供述の信用性について,「いささか不自然な点があるといえるものの・・・不合理とまではいえない」とした原判決の認定に,著しい論理法則違背や経験則違背を見出すことはできないのである。

 (3) また,多数意見は,本件公訴事実の直前の成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性に疑問が存することをもって,本件公訴事実に関するAの供述の信用性には疑いをいれる余地があるとするが,上記のとおり成城学園前駅までの痴漢被害に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定が不合理であるとはいえず,他に本件公訴事実に関するAの供述の信用性を肯定した原判決の認定に論理法則違背や経験則違背が認められず,また,Aの供述内容と矛盾する重大な事実の存在も認められない

以上,当審としては,本件公訴事実にかかるAの供述の信用性について原判決と異なる認定をすることは許されないものといわざるを得ない。

なお,付言するに,本件記録中からは,Aの供述の信用性及び被告人の否認供述の信用性の検討に関連する以下のような諸問題が窺える。

 (1) Aの供述に関連して
 Aの痴漢被害の供述が信用できない,ということは,Aが虚偽の被害申告をしたということである。この点に関連して,弁護人は,Aは学校に遅刻しそうになったことから,かかる申告をした旨主張していたが,かかる主張に合理性が存しないことは明らかである。女性が電車内での虚偽の痴漢被害を申告する動機としては,一般的に,①示談金の喝取目的,②相手方から車内での言動を注意された等のトラブルの腹癒せ,③痴漢被害に遭う人物であるとの自己顕示,④加害者を作り出し,その困惑を喜ぶ愉快犯等が存し得るところ,Aにそれらの動機の存在を窺わせるような証拠は存しない。

 また,Aの供述の信用性を検討するに当たっては,Aの過去における痴漢被害の有無,痴漢被害に遭ったことがあるとすれば,その際のAの言動及びその後の行動,Aの友人等が電車内で痴漢被害に遭ったことの有無及びその被害に遭った者の対応等についてのAの認識状況等が問題となり得るところ,それらの諸点に関する証拠も全く存しない。

 (2) 被告人の供述に関連して
 本件では,被告人は一貫して否認しているところ,その供述の信用性を検討するに当たっては,被告人の人物像を顕出させると共に,本件当時の被告人が置かれていた社会的な状況が明らかにされる必要があり,また,被告人の捜査段階における主張内容,取調べに対する対応状況等が重要な意義を有する。

 ところが,被告人の捜査段階における供述調書や一審公判供述では,被告人の人物像はなかなか浮かび上っておらず,原審において取り調べられた被告人の供述書及び被告人の妻の供述書等によって,漸く被告人の人物像が浮かび上がるに至っている。また,その証拠によって,被告人は,平成18年4月に助教授から教授に昇任したばかりであり,本件公訴事実にかかる日の2日後には,就任後初の教授会が開かれ,その時に被告人は所信表明を行うことが予定されていたことなど,本件事件の犯人性と相反すると認められ得る事実も明らかになっている。

 また,近年,捜査段階の弁護活動で用いられるようになっている被疑者ノートは証拠として申請すらされておらず,被告人が逮捕,勾留された段階での被告人の供述内容,心理状況に関する証拠も僅かしか提出されていない。さらに,記録によれば,被告人の警察での取調べ段階でDNA鑑定が問題となっていたことが窺われるところ,その点は公判では殆ど問題とされていない。

 (3) 仮に上記(1),(2)の点に関連する証拠が提出されていれば,一審判決及び原判決は,より説得性のある事実認定をなし得たものと推認されるが,以上のような諸問題が存するとしても,当審として原判決を破棄することが許されないことはいうまでもない。


5.
最決平成20年11月10日(第三小法廷)

<事例>

迷惑防止条例の「卑わいな言動」の意義,および,ズボンを着用した女性の臀部を撮影した行為が,被害者を著しくしゅう恥させ,被害者に不安を覚えさせるような「卑わいな言動」に当たるかが争われた。

<判断>

4対1で、有罪(卑わいな言動に当たらない)とする反対意見。

<理由>

本件条例の規定内容から明らかなように,本条1項4号(以下「本号」という。)に定める「卑わいな言動」とは,同項1号から3号に定める行為に匹敵する内容の「卑わい」性が認められなければならないというべきである。

そして,その「卑わい」性は,行為者の主観の如何にかかわらず,客観的に「卑わい」性が認められなければならない。

かかる観点から本件における被告人の行為を評価した場合,以下に述べるとおり,「卑わい」な行為と評価すること自体に疑問が存するのみならず,被告人の行為が同条柱書きに定める「著しくしゅう恥させ,又は不安を覚えさせるような行為」には当たるとは認められない。

本件では,被告人が被害者とされる女性のズボンをはいている臀部をカメラで撮影した行為の本号の構成要件該当性の有無が問われているところから,まず,「臀部」を被写体としてカメラで撮影することの「卑わい」性の有無の検討に先立ち,その先行概念たる「臀部」を「視る」行為について検討する。

 (1) 本件では,被害者たる女性のズボンをはいた「臀部」は,同人が通行している周辺の何人もが「視る」ことができる状態にあり,その点で,本条1項2号が規制する「衣服等で覆われている部分をのぞき見」する行為とは全く質的に異なる性質の行為である。

 (2) また,「卑わい」という言葉は,国語辞典等によれば,「いやらしくてみだらなこと。下品でけがらわしいこと」(広辞苑(第6版))と定義され,性や排泄に関する露骨で品のない様をいうものと解されているところ,衣服をまとった状態を前提にすれば,「臀部」それ自体は,股間や女性の乳房に比すれば性的な意味合いははるかに低く,また,排泄に直接結びつくものでもない。

 (3) 次に,「視る」という行為の側面からみた場合,主観的には様々な動機があり得る。「臀部」を視る場合も専ら性的興味から視る場合もあれば,ラインの美しさを愛でて視る場合,あるいはスポーツ選手の逞しく鍛えられた筋肉たる臀部にみとれる場合等,主観的な動機は様々である。

 しかし,その主観的動機の如何が,外形的な徴憑から窺い得るものでない限り,その主観的動機は客観的には認定できないものである。
 もっとも,「臀部を視る」という行為であっても,臀部に顔を近接させて「視る」場合等には,「卑わい」性が認められ得るが,それは,「顔を近接させる」という点に「卑わい」性があるのであって,「視る」という行為の評価とは別の次元の行為である。

 (4) 「臀部を視る」という行為それ自体につき「卑わい」性が認められない場合,それが,時間的にある程度継続しても,そのことの故をもって「視る」行為の性質が変じて「卑わい」性を帯びると解することはできない。

 もっとも,「視る」対象者を追尾したような場合に,それが度を越して,軽犯罪法1条28号後段の「不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとった者」として問擬され得ることは,別の問題である。

原判決が認定するところによれば,被告人は被害者の背後を約5分間,約40m余り追尾して,その間カメラ機能付きの携帯電話のカメラを右手で所持して自己の腰部付近まで下げて,レンズの方向を感覚で被写体に向け,約3mの距離から約11回にわたって被害者の臀部等を撮影したというものである。

そこで,その被告人の行為について検討するに,その撮影行為は,カメラを構えて眼で照準を合わせて撮影するという,外見からして撮影していることが一見して明らかな行為とは異なり,外形的には撮影行為自体が直ちに認知できる状態ではなく,撮影行為の態様それ自体には,「卑わい」性が認められないというべきである。

また,その撮影行為は,用いたカメラ,撮影方法,被写体との距離からして,被写体たる被害者をして,不快の念を抱かしめることがあり得るとしても,それは客観的に「著しくしゅう恥させ,又は不安を覚えさせるような行為」とは評価し得ないものというべきである。

加えるに,臀部」を撮影する行為それ自体の「卑わい」性に疑義が存するところ,原判決に添付されている被告人が撮影した写真はいずれも被害者の臀部が撮影されてはいるが,腰の中央部から下半身,背部から臀部等を撮影しているものであって,「専ら」臀部のみを撮影したものとは認められず,その画像からは,一見して「卑わい」との印象を抱くことのできないものにすぎない。



6.
最判平成20年6月10日(第三小法廷)

<事例>

ヤミ金業者からお金を借りたことにより、損害を受けた不法行為の被害者が、損害賠償請求(民709条)をヤミ金業者に対してした場合に、ヤミ金業者は、貸付金と同額で損益相殺することはできるか(ヤミ金業者の主張は民法708条の不法原因給付に反しないか)が争われた。

<判断>

全員一致。田原裁判官の意見あり。

結論:ヤミ金業者の損益相殺の主張は民法708条に反し許されない。

<理由(田原意見のみ記載)>

多数意見のように「反倫理的行為に該当する不法行為の被害者が,これによって損害を被るとともに,当該反倫理的行為に係る給付を受けて利益を得た場合には,同利益については,加害者からの不当利得返還請求が許されないだけでなく,被害者からの不法行為に基づく損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として被害者の損害額から控除すること」も許されない,と一義的に言い切ることには,なお躊躇を覚える。

不法行為の被害者が加害者から受けた給付が,不法原因給付としてその返還を要しない場合であっても,被害の性質や内容,程度,被害者の対応,加害行為の態様等から,その給付をもって損益相殺的処理をなすことが衡平に適う場面があり得ると考えられるからである。



7.
最判平成20年6月4日(大法廷)

<事例>

以下の2点が争点となった事例である。

①国籍法3条1項は,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子につき,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した(準正のあった)場合に限り日本国籍の取得を認めているところ,このことが父母が法律上の婚姻をしているか否かで非嫡出子の日本国籍取得の可否に区別を生じさ,法の下の平等を定める憲法14条1項に違反するか

②「父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した場合」という要件以外のすべての要件を満たしている場合に、日本国籍を取得するか。

<判断>

10対5で、①につき憲法違反、②につき日本国籍を取得するとする多数意見と結論を同じとするが、田原意見を示している。

<理由(田原意見のみを記載)>

多数意見は,国籍法3条1項が生後認知子のうち準正子と非準正子を区別することが憲法14条1項に違反するものとし,国籍法3条1項のうち「父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した」という部分を除いた同項所定の要件が満たされるときは日本国籍を取得することが認められるとするが,その点については全く異論はない。

それとともに,私は,生後認知子における準正子と非準正子との区別の問題と並んで,生後認知子と胎児認知子間の区別の問題も,憲法14条1項との関係で同様に重要であると考える。

準正子となるか否かは,子の全く与り知らないところで定まるところ,その点においては,胎児認知子と生後認知子との関係についても同様である。しかし,準正の場合は,父母が婚姻するという法的な手続が経られている。ところが,胎児認知子と生後認知子との間では,父の認知時期が胎児時か出生後かという時期の違いがあるのみである。

そして,多数意見で指摘するとおり,胎児認知子と生後認知子との間においては,日本国民である父の家族生活を通じた我が国社会との結び付きの程度に一般的な差異が存するとは考え難く,日本国籍の取得に関して上記の区別を設けることの合理性を我が国社会との結び付きの程度という観点から説明することは困難である。かかる点からすれば,胎児認知子に当然に日本国籍の取得を認め,生後認知子には準正子となる以外に日本国籍の取得を認めない国籍法の定めは,憲法14条1項に違反するという結論が導かれ得る。

そうして,国籍法3条1項自体を無効と解した上で,生後認知子については,民法の定める認知の遡及効(民法784条)が国籍の取得の場合にも及ぶと解することができるならば,生後認知子は,国籍法2条1号により出生時にさかのぼって国籍を取得することとなり,胎児認知子と生後認知子との区別を解消することができることとなる。

しかし,このように認知の遡及効が国籍の取得にまで及ぶと解した場合には,認知前に既に我が国以外の国籍を取得していた生後認知子の意思と無関係に認知により当然に国籍を認めることの是非や二重国籍の問題が生じ,さらには遡及的に国籍を認めることに伴い様々な分野において法的問題等が生じるのであって,それらの諸点は,一義的な解決は困難であり,別途法律によって解決を図らざるを得ない事柄である。このように多くの法的な諸問題を生じるような解釈は,国籍法の解釈の枠を超えるものといわざるを得ないのであって,その点からしてかかる見解を採ることはできない。

そうすると,多数意見のとおり国籍法3条1項を限定的に解釈し,20歳未満の生後認知子は,法務大臣に届け出ることによって日本国籍を取得することができると解することが,同法の全体の体系とも整合し,また,上告人及び上告人と同様にその要件に該当する者の個別救済を図る上で,至当な解釈であると考える。



8.
最判平成19年12月13日(第三小法廷)

<事例>

第1審裁判所で犯罪の証明がないとして無罪判決を受けた場合,被告人を控訴裁判所が勾留する為には,勾留の要件を定める刑訴法60条1項にいう「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」の有無をどのように判断すべきが争点となった。

<判断>

全員一致。田原補足意見あり。

刑訴法法60条1項にいう「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」の有無の判断は,無罪判決の存在を十分に踏まえて慎重になされなければならず,嫌疑の程度としては,第1審段階におけるものよりも強いものが要求される。

<理由(田原補足意見のみ記載)>

第1審で刑訴法345条に定める判決が言い渡されて,検察官から控訴がなされたときに,被告人を勾留することができる場合の要件について,刑訴法60条以外に規定はないが,刑訴法345条の趣旨及び控訴審の構造を踏まえれば,次のように解すべきものと考える。

 (1)「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」について
 控訴裁判所は,被告人に罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由(以下「嫌疑」という。)が存するか否かについては,第1審判決を踏まえた上で,控訴裁判所として独自に判断すべきものであることは言うまでもない。したがって,第1審判決が刑の執行猶予あるいは罰金の判決の場合は,有罪の判決であるから,通常は嫌疑が存するものと言い得るが,控訴裁判所において,記録を検討した結果,その点につき疑問が存すれば,勾留すべきでないことは当然である。

 他方,第1審において事実調べをなした上で,無罪判決を言い渡した場合,その事実は尊重されるべきであるから,控訴裁判所が勾留するには,その無罪判決にもかかわらず,なおその判決を覆して有罪判決がなされ得るに足る嫌疑が存在する相当な理由が必要と言うべきである(最高裁平成12年(し)第94号同年6月27日第一小法廷決定・刑集54巻5号461頁における遠光男裁判官,井正雄裁判官の各反対意見参照)。言い換えれば,第1審無罪判決の場合の控訴裁判所での勾留の際の嫌疑は,第1審係属中における嫌疑よりはより高度な嫌疑が必要とされるものと言うべきである(比喩として必ずしも適切ではないが,第1審での勾留における犯罪の嫌疑は,「犯罪を犯したことが相当程度の可能性」をもって認められれば足りるのに対し,第1審無罪判決後における嫌疑は,「犯罪を犯したことが相当程度の蓋然性」をもって認められるに足りる必要があるとするものである。)。

 このように,第1審無罪判決の控訴審での勾留における嫌疑は,第1審係属中における嫌疑よりも高度なものでなければならないと解することなく,第1審係属中と同程度の嫌疑が存すれば足りると解することは,第1審無罪判決にもかかわらず控訴裁判所は,刑訴法60条に定める他の要件が存する限り被告人を勾留することができることとなり,無罪判決の言渡しによって勾留状が失効することを定めた刑訴法345条の意義を没却することとなる。

 (2)勾留の理由について
 控訴審で被告人を新たに勾留するには,刑訴法60条1項各号に定める事由が新たに生じたことが必要である(最高裁昭和29年(あ)第2248号同年10月26日第三小法廷判決・裁判集刑事99号507頁)。

 同条1項各号に定める事由のうち,1号及び3号の該当性については,次に述べる勾留の必要性の観点からの検討が不可欠であり,また,2号については,検察官は本来第1審で立証を尽くしているはずであり,加えて,控訴審は,事後審としての性質上,証拠の取調べは制限され,事実誤認に関しては,やむを得ない事由によって第1審の弁論終結前に取調べ請求することができなかった証拠であって,判決に影響を及ぼすべき事実の誤認を証明するために欠くことができない場合に限り,これを取り調べなければならない(刑訴法393条1項ただし書)とされているのであって,第1審の無罪判決後になお被告人に新たに罪証を隠滅するおそれが存することは,極めてまれであると言わねばならない。

 (3)勾留の必要性について
 被告人に刑訴法60条1項各号に該当する事由が認められても,なお被告人を勾留する必要性がなければ,被告人を勾留することはできない。被告人は,第1審公判では,公判期日への出頭義務が存する(刑訴法286条等)から,刑訴法60条1項1号,3号に該当する場合には,原則として勾留の必要性が認められる。

 しかし,控訴審では,被告人には出頭義務はなく(刑訴法390条本文),また,弁論能力も認められないのであるから(刑訴法388条),控訴審での審理のために被告人を勾留する必要があるのは,実体的真実発見のために被告人質問をする必要がある等,なお被告人の公判期日への出頭を確保する必要性があり,かつ,勾引によっては,その出頭を確保することが困難であると認められる場合に限られると言うべきである。

本件は,第1審で無罪判決が言い渡され,被告人が刑訴法345条により釈放された後に,検察官による職権発動の申立てを受けて控訴裁判所が勾留を決定したものであるから,その適法性の有無については,その判断に裁量権の濫用がある場合には,当該勾留は違法であって,取り消されるべきものである。

そこで記録を検討するに,原決定は,「本件記録を精査し,被告人に対し無罪の言渡しをした第1審判決の理由を踏まえて慎重に検討した上でも,なお被告人が本件公訴事実記載の犯罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由があることは明らかである」としているところ,第1審判決は,故意を否認する被告人の弁解には多くの疑問点が存することを認めながらも,「被告人には,未必的にせよ,覚せい剤取締法違反及び関税法違反の故意があったとするには合理的疑いが残る」と判示しているのである。かかる第1審判決の判示をも踏まえれば,被告人に犯罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとする原決定は是認することができる。また,被告人に刑訴法60条1項各号に該当する事由が存することを認めた上で,被告人を勾留しないときには出入国管理及び難民認定法による退去強制手続の対象となることをも含めて,勾留の必要性があるとした原決定には裁量権の濫用は認められない。したがって,勾留の裁判に対する異議申立てを棄却した原決定は是認することができるものと言うべきである。



9.
最判平成19年9月18日(第三小法廷)

<事例>

広島市暴走族追放条例に違反して起訴された被告人が、同条例の文言が広範であり、憲法21条1項、31条に違反すると主張したため、その当否が問題となった事例。

<判断>

3対2で、合憲限定解釈により、憲法21条1項、憲法31条には違反するとする反対意見。

<理由(田原反対意見のみ掲載)>

多数意見は,本条例を限定的に解釈することにより,違憲の問題は克服できるとし,また,堀籠裁判官は,その補足意見において,本条例につき合理的限定解釈ができる由縁を敷衍される。

最高裁判所は,これ迄に,堀籠裁判官の補足意見で引用される判例ほかにおいて,憲法違反の有無が問題となり得る法律や条例につき,限定解釈をなすことにより,当該事案との関係において違憲の問題が生じないとの判断を示してきた。

私も過去の最高裁判所が示してきたような限定解釈の可能性を否定するものではない。しかし,それらの判例において,常に反対意見や意見が表明されているように,如何なる場合に限定解釈により合憲として判断できるかについては,なお意見が岐れていたところである。

私は,形式的には法律(条例)が憲法21条,31条等の諸原則に抵触するにかかわらず,それを限定解釈によって合憲と判断できるのは,その法律(条例)の立法目的,対象とされる行為に対する規制の必要性,当該法律(条例)の規定それ自体から,通常人の判断能力をもって限定解釈をすることができる可能性,当該法律(条例)が限定解釈の枠を外れて適用される可能性及びその可能性が存することに伴い国民(市民)に対して生じ得る萎縮的効果の有無,程度等を総合的に考慮し,限定解釈をしてもその弊害が生じ得ないと認められる場合に限られるべきであると考える。

かかる視点から見たとき,本条例は,その規定の文言からして,通常の判断能力を有する一般人にとって,多数意見が述べるような限定解釈をすべきものと理解することは著しく困難であり,それに加えて,その保護法益ないし侵害行為と規制される自由との間に合理的均衡を著しく欠いているものと言わざるを得ないのであって,かかる点からしても本条例の合憲性を肯定することはできない。

多数意見のように限定解釈によって,本条例の合憲性を肯定した場合,仮にその限定解釈の枠を超えて本条例が適用されると,それに伴って,国民(市民)の行動の自由や表現,集会の自由等精神的自由が,一旦直接に規制されることとなり,それがその後裁判によって,その具体的適用が限定解釈の枠を超えるものとして違法とされても,既に侵害された国民(市民)の精神的自由自体は,回復されないのであり,また,一旦,それが限定解釈の枠を超えて適用されると,それが違憲,無効であるとの最終判断がなされるまでの間,多くの国民(市民)は,本条例が限定解釈の枠を超えて適用される可能性があり得ると判断して行動することとなり,国民(市民)の行動に対し,強い萎縮的効果をもたらしかねないのである。

なお,私は,暴走族が公共の場所において傍若無人の行動をなすことによって,公共の場所の一般的利用者の利用が妨げられるのを防止すべく,条例を以て規制すること自体は適法であると考える。

そして,本条例は,一応その目的の下に制定されたものであり,本件における被告人の行為は,本条例が目的とした主要な規制対象行為そのものに該当するといえる。しかし,以上検討したとおり,本条例自体が違憲無効である以上,被告人の行為を罪に問うことができないのは,やむを得ないといえよう。



10.
最判平成19年6月13日(大法廷)

<事例>

次の2点が憲法14条1項に違反するかが争われた。

①2005年の衆議院議員総選挙の小選挙区において、選挙区間の格差が最大2倍以上に達していることが憲法14条1項に違反するか。

②小選挙区に候補者届出をした政党が候補者本人とは別に選挙運動ができること、および、小選挙区の候補者ができない政見放送ができることは、憲法14条1項に違反するか。

<判断>

12対3で、①②ともに憲法14条1項には違反し、違憲状態であるが、事情判決とすべきという反対意見を表明。

<理由(田原反対意見のみ記載)>

代議制民主主義の基礎を成す普通選挙は,候補者が共通の土俵の上で,共通の手段・方法でもって,その信条,政見,政策,識見を選挙人に訴え,その投票を呼び掛けてその投票者の多数によって当選人を決定する制度であるから,各候補者が行い得る選挙運動の手段・方法は,「人種,信条,性別,社会的身分,門地,教育,財産又は収入によって差別してはならない」(憲法44条ただし書)ことはもちろんのこと,原則として平等でなければならない。候補者の観点から選挙運動を見た場合,同一の選挙における候補者の所属する政党のいかん,候補者の推薦母体の有無等により差異が存する選挙制度が設けられる場合には,当該選挙制度を採用するにつき,その差異が生ずるのがやむを得ないといえるだけの合理的な理由が必要とされ,かつ,その制度の下で,質又は量の側面において広い範囲で選挙運動を行うことが許容された候補者と選挙運動を制限された候補者との間の選挙運動の差異が,候補者の選挙結果に実質的に影響をもたらさない程度にとどまる場合に限られるべきである。

このような制度を採用するにつき,上記のごとき合理的理由もなく,あるいはその差異によって候補者の選挙結果に実質的影響をもたらす場合には,このような制度は,候補者の被選挙権の平等を害するものであって,憲法14条1項,44条ただし書,47条に違反し,無効といわざるを得ない。

次に,選挙人の立場から候補者の行い得る選挙運動を見た場合,選挙人が適正にその選挙権を行使するには,各候補者の信条,政見,政策,識見等に関する情報が,適正にして必要かつ十分に開示され,伝達される機会が保障されることが不可欠である。選挙人に候補者に関する情報が適正に伝達されることによって,公正な選挙権の行使が保障されるのであり,そのことは,選挙権の投票価値の平等と並んで,普通選挙制度の基礎を成すものといえる。

このように,選挙人の立場から見ても候補者の行うことができる選挙運動の平等は不可欠な制度であるが,他の立法目的の関係上その選挙運動の機会や内容に差異が生じる制度を設けても,その目的達成のために合理的な範囲にとどまり,かつ,選挙人の選挙権の行使に実質的に影響を及ぼさない場合には,憲法44条で認められた国会の立法裁量権の範囲内として許容されるといえる。

しかし,選挙制度において設けられた選挙運動の差異につき合理的理由が認められず,あるいはその差異が選挙権の行使に実質的に影響を及ぼす場合には,かかる制度は,選挙権の適正な行使を妨げるものとして憲法14条1項,15条3項,44条,47条に違反し,無効といわざるを得ない。

多数意見は,小選挙区選挙において,候補者と並んで候補者届出政党にも選挙運動を認めることが是認される以上,その政党に所属する候補者とそれに所属しない候補者が行い得る選挙運動との間に差異が生ずることは避け難いところであり,「自動車,拡声器,文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告,演説会等についてみられる選挙運動上の差異は,候補者届出政党にも選挙運動を認めたことに伴って不可避的に生ずるということができる程度のものであ」るとし,また,「政見放送を候補者届出政党にのみ認めることは,候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に単なる程度の違いを超える差異をもたらすものといわざるを得ない。」としながら,「小選挙区選挙における政見放送を候補者届出政党にのみ認めることとしたのは,候補者届出政党の選挙運動に関する他の規定と同様に,選挙制度を政策本位,政党本位のものとするという合理性を有する立法目的によるものであり,また,政見放送は選挙運動の一部を成すにすぎず,その余の選挙運動については候補者届出政党に所属しない候補者も十分に行うことができるのであって,その政見等を選挙人に訴えるのに不十分とはいえないこと,小選挙区選挙に立候補したすべての候補者に政見放送の機会を均等に与えることには実際上多くの困難を伴うことは否定し難いことなどにかんがみれば,小選挙区選挙における政見放送を候補者届出政党にのみ認めていることの一事をもって,選挙運動に関する規定における候補者間の差異が合理性を有するとは考えられない程度に達しているとまで断ずることはできず,これをもって国会の合理的裁量の限界を超えているものということはできない。」とする。

しかしながら,小選挙区選挙において候補者届出政党に選挙運動を認めることにより,その政党に所属する候補者が得ることができる選挙運動上の利益は,それに所属しない候補者が行い得る選挙運動と対比した場合,各選挙運動それぞれについて,単なる量的相違にとどまらず,質的な較差が生じていると評さざるを得ないのであり,それらの各選挙運動の総合結果は,各選挙運動の較差を加算したものにとどまらず,それらの較差を乗じたものとなるのである。

そのような較差は,政策本位,政党本位の選挙制度の故をもって合理性が認められる限度をはるかに超えているものと評さざるを得ない。

 しかも,候補者届出政党の要件が,前述のとおり現に国会議員5人以上を有するか,直近の衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙において有効投票の100分の2以上の得票を得た政党等でなければならないとされているところから,国会議員5人以上を擁する既存の政党や,上記の選挙で上記以上の得票を得た既存の政党等に加えて,既存の国会議員が5人以上集まって結成した新しい政党等のみが候補者届出政党としての上記の選挙運動を行うことができるのであり,国会議員が4人以下しか結集できない新党や,新たな理念の下に結成された政党等については,その新党等が仮に全小選挙区に候補者を擁立するだけの力を有していても,各小選挙区においては,各候補者個人が行うことができる選挙運動しか行うことができないのであって,この候補者届出政党の要件が,新規の政党等の参入障害となるという点において,政策本位,政党本位のための選挙運動であるとの理念とは相反する結果をもたらしているとさえ評し得るのである。



11.
最判平成19年5月29日(第三小法廷)

<事例>

飛行場において離着陸する航空機の発する騒音等により周辺住民らが被害を被っていることを理由として損害賠償請求をした場合,将来の損害についても,賠償請求も認めるという原審の判断は妥当か(将来の給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格を有するか)が争われた事例。

<判断>

5対2で、(判決言渡日までという限定をした)将来の損害賠償請求については、これを認めるべきとする反対意見。

なお、那須反対意見は判例変更を必要とせずと判断しているのに対し、田原反対意見は判例変更を必要としている。

<理由(田原反対意見のみ記載)>

本件は,飛行場を利用する航空機の騒音等による精神的,身体的被害の損害賠償を求めるものであって,大阪国際空港訴訟事件と同種の被害にかかる事案であるところからして,原判決の上記判示部分は,昭和56年大法廷判決の判旨に抵触するものであるが,昭和56年大法廷判決から既に25年を経た今日,その間に提起された同種事件の状況や学説の状況を踏まえれば,同判決が定立した継続的不法行為による将来の損害賠償請求権の行使が許容される場合の要件について,その見直しがなされるべきである。

昭和56年大法廷判決は,不動産の占有者の明渡義務の履行完了までの賃料相当損害金の場合には,債務者に有利な将来の変動要素は一義的に明確であるかのごとく解している。

しかし,同判決当時予想されていなかったこととはいえ,平成3年以降のバブル経済崩壊過程における地価の急激かつ著しい下落は顕著な事実であるが,そのような地価の大幅な下落は,事実審口頭弁論終結時の地価を重要な判断要素として算定された賃料相当損害金の相当性を大きく揺るがすものであり,債務者は地価の下落に伴う当該不動産価格の下落を理由として,債務名義に定められた明渡義務履行完了までの賃料相当損害金の額につき,その減額を求めて請求異議の訴えを提起することができるものというべきである。

その場合においては,事実審口頭弁論終結後の地価の下落という債務者(不動産の占有者)に有利な事情は同終結時に予測し得る一義的に明確な事由ではない。しかし,そうであっても,不動産価格の下落による賃料相当損害金の減額事由を請求異議事由として債務者に主張,立証の負担をさせることは,債務者が不法占有者であること,債務者は明渡義務を完了すれば賃料相当損害金の支払を免れ得ることから,それが妥当であると解されるからである。

このように,一般に承認されている賃料相当損害金のごとき継続的不法行為に基づく将来の損害賠償請求権の場合であっても,事実審口頭弁論終結時に明確に予測し得ない事由による請求異議が認められるべきなのであって,かかる事情を踏まえれば,そのような損害賠償請求権の行使が認められる場合として,上記大法廷判決の判示した基準の②のうち,「あらかじめ明確に予測し得ること」との点は見直さざるを得なくなっている。



12.
最判平成19年2月27日(第三小法廷)

<事例>

市立小学校の校長が音楽専科の教諭に対し,入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うよう命じた職務命令は,憲法19条に違反するかが争われた事例。

<判断>

4対1で、職務命令は憲法に違反しないとの多数意見に同調。

那須補足意見あり。

<理由(多数意見のみ掲載)>

(1)上告人は,「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており,これを公然と歌ったり,伴奏することはできない,また,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ,このような考えは,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。

 しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできず,上告人に対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が,直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべきである。

(2)他方において,本件職務命令当時,公立小学校における入学式や卒業式において,国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,特に,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといわざるを得ない。

 本件職務命令は,上記のように,公立小学校における儀式的行事において広く行われ,A小学校でも従前から入学式等において行われていた国歌斉唱に際し,音楽専科の教諭にそのピアノ伴奏を命ずるものであって,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。

(3)さらに,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。

 こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかんがみ,地方公務員法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し,同法32条は,上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定するところ,上告人は,A小学校の音楽専科の教諭であって,法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にあり,校長から同校の学校行事である入学式に関して本件職務命令を受けたものである。

 そして,学校教育法18条2号は,小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと。」を規定し,学校教育法20条,学校教育法施行規則25条に基づいて定められた小学校学習指導要領は,学校行事のうち儀式的行事について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めるところ,同章第3の3は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。

入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは,これらの規定の趣旨にかなうものであり,A小学校では従来から入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきたことに照らしても,本件職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできないというべきである。

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