那須弘平裁判官が関与した判例

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那須弘平裁判官は、最高裁第三小法廷に属している。那須裁判官は、長年、弁護士として、活動。日弁連での法曹教育に取り組み、2004年には東京大学法科大学院の客員教授となる。平成18年に、小泉内閣により最高裁判所判事の指名を受けた。

著書として、以下のものがあり、法曹人口の増加に伴う法曹教育への熱心さのあらわれのひとつであるといえる。



1.最判平成21年4月28日(第三小法廷)

<事例>

公立小学校の教員が、女子数人を蹴るなどの悪ふざけをした2年生の男子を追い掛けて捕まえ、胸元をつかんで壁に押し当て大声で叱った行為が、国家賠償法上違法となるかが争われた。

<判断>

全員一致。

国賠法上の違法には当たらない。

<理由の要旨>

本件行為は、児童の身体に対する有形力の行使ではあるが、他人を蹴るという男子児童の一連の悪ふざけについて、これからはそのような悪ふざけをしないように男子児童を指導するために行われたものであり、悪ふざけの罰として肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。

本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても、本件行為は、その目的、態様、継続時間等から判断して、教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。



2.
最判平成21年4月28日(第三小法廷)

<事例>

被害者を殺害した加害者が、被害者の相続人に対し、被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出したため、相続人がその事実を知ることができなかった場合において、上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権が民法724条後段の除斥期間により消滅するか否かが争われた事例

<判断>

全員一致。裁判長裁判官として関与。

(上記特段の事情がある場合には)民法160条の法意に照らし,不法行為に基づく損害賠償請求権は除斥期間により消滅しない。

<理由>

民法160条の趣旨は,相続人が確定しないことにより権利者が時効中断の機会を逸し,時効完成の不利益を受けることを防ぐことにあると解され,相続人が確定する前に時効期間が経過した場合にも,相続人が確定した時から6か月を経過するまでの間は,時効は完成しない。

そして,相続人が被相続人の死亡の事実を知らない場合は,同法915条1項所定のいわゆる熟慮期間が経過しないから,相続人は確定しない。

被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま除斥期間が経過した場合にも,相続人は一切の権利行使をすることが許されず,相続人が確定しないことの原因を作った加害者は損害賠償義務を免れるということは,著しく正義・公平の理念に反する。

このような場合に相続人を保護する必要があることは,前記の時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは,条理にもかなうというべきである。



3.最判平成21年4月21日(第三小法廷)

<事例>

和歌山カレー毒物混入殺人事件において、有罪・死刑判断をした原審判断の是非が争われた。

<判断>

全員一致。裁判長裁判官として関与。

有罪・死刑という原審の判断を是認。

<理由>

被告人がその犯人であることは,①カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜砒酸が,被告人の自宅等から発見されていること,②被告人の頭髪からも高濃度の砒素が検出されており,その付着状況から被告人が亜砒酸等を取り扱っていたと推認できること,③夏祭り当日,被告人のみがカレーの入った鍋に亜砒酸をひそかに混入する機会を有しており,その際,被告人が調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な挙動をしていたことも目撃されていることなどを総合することによって,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されていると認められる。

犯情等に照らせば,被告人の刑事責任は極めて重大であるというほかはないから,カレー毒物混入事件における殺意が未必的なものにとどまること,前科がないことなど,被告人のために酌むべき事情を最大限考慮しても,原判決が維持した第1審判決の死刑の科刑は,当裁判所もこれを是認せざるを得ない。



4.最判平成21年4月14日(第三小法廷)

<事例>

①満員電車内における強制わいせつ被告事件について,被害者とされた者の供述の信用性のみを全面的に肯定して、有罪とすることができるか。

②事実誤認の主張がある場合に、法律審である最高裁はどのような審査をすべきか。 

<判断>

3対2で、原審・第一審を破棄し、無罪とする多数意見に同調。

那須補足意見あり。

<理由(補足意見のみ記載)>

痴漢事件について冤罪が争われている場合に,他に(被害者)の供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要であると考える。その理由は以下のとおりである。

ア 普通の能力を有する者(例えば十代後半の女性等)がその気になれば,その内容が真実である場合と,虚偽,錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわらず,法廷において「具体的で詳細」な体裁を具えた供述をすることはさほど困難でもない。その反面,弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも,裁判官が「詳細かつ具体的」,「迫真的」あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から虚偽,錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けることも,けっして容易なことではない。

イ 検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定(刑事訴訟規則191条の3)に添った当然のものであって,何ら非難されるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば,公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い,そこに事実誤認の余地が生じることになる。

ウ 冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。

本件では,被害者の供述の信用性に積極的に疑いをいれるべき事実が複数存在する。その疑いは単なる直感による「疑わしさ」の表明(「なんとなく変だ」「おかしい」)の域にとどまらず,論理的に筋の通った明確な言葉によって表示され,事実によって裏づけられたものでもある。被害者の供述はその信用性において一定の疑いを生じる余地を残したものであり,被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものであるといわざるを得ないのである。

少なくとも有罪判決を破棄自判して無罪とする場合については,冤罪防止の理念を実効あらしめるという観点から,文献等に例示される典型的な論理則や経験則に限ることなく,我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方も「論理則,経験則等」に含まれると解するのが相当である。



5.最決平成20年11月10日(第三小法廷)

<事例>

迷惑防止条例の「卑わいな言動」の意義,および,ズボンを着用した女性の臀部を撮影した行為が,被害者を著しくしゅう恥させ,被害者に不安を覚えさせるような「卑わいな言動」に当たるかが争われた。

<判断>

4対1で、有罪(卑わいな言動に当たる)とする多数意見に同調。

<理由>

卑わいな言動とは、社会通念上,性的道義観念に反する下品でみだらな言語又は動作をいう。

本件撮影行為は,被害者がこれに気付いておらず,また,被害者の着用したズボンの上からされたものであったとしても,社会通念上,性的道義観念に反する下品でみだらな動作であることは明らかであり,これを知ったときに被害者を著しくしゅう恥させ,被害者に不安を覚えさせるものといえるから,「卑わいな言動」に当たる。



6.最判平成20年6月10日(第三小法廷)

<事例>

ヤミ金業者からお金を借りたことにより、損害を受けた不法行為の被害者が、損害賠償請求(民709条)をヤミ金業者に対してした場合に、ヤミ金業者は、貸付金と同額で損益相殺することはできるか(ヤミ金業者の主張は民法708条の不法原因給付に反しないか)が争われた。

<判断>

全員一致(田原裁判官の意見あり)。裁判長裁判官として関与。

ヤミ金業者の損益相殺の主張は民法708条に反し許されない。

<理由>

民法708条は,不法原因給付,すなわち,反倫理的行為に係る給付については不当利得返還請求を許さない旨を定め,これによって,反倫理的行為については,同条ただし書に定める場合を除き,法律上保護されないことを明らかにしたものである。

したがって,反倫理的行為に該当する不法行為の被害者が,これによって損害を被るとともに,当該反倫理的行為に係る給付を受けて利益を得た場合には,同利益については,加害者からの不当利得返還請求が許されないだけでなく,被害者からの不法行為に基づく損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として被害者の損害額から控除することも,民法708条の趣旨に反するものとして許されない。



7.最判平成20年6月4日(大法廷)

<事例>

以下の2点が争点となった事例である。

①国籍法3条1項は,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子につき,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した(準正のあった)場合に限り日本国籍の取得を認めているところ,このことが父母が法律上の婚姻をしているか否かで非嫡出子の日本国籍取得の可否に区別を生じさ,法の下の平等を定める憲法14条1項に違反するか

②「父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した場合」という要件以外のすべての要件を満たしている場合に、日本国籍を取得するか。

<判断>

10対5で、①につき憲法違反、②につき日本国籍を取得するとする多数意見に同調。

裁判官今井功の補足意見に同調。

<理由(同調した今井補足意見を記載)>

②について

裁判所に違憲立法審査権が与えられた趣旨は,違憲の法律を無効とすることによって,国民の権利利益を擁護すること,すなわち,違憲の法律によりその権利利益を侵害されている者の救済を図ることにある。

国民に権利利益を与える規定が,権利利益を与える要件として,A,Bの二つの要件を定め,この両要件を満たす者に限り,権利利益を与えると定めている場合において,権利利益を与える要件としてA要件の外にB要件を要求することが平等原則に反し,違憲であると判断されたときに,A要件のみを備える者にも当該権利利益を与えることができるのかが,ここでの問題である。

このような場合には,その法律全体の仕組み,当該規定が違憲とされた理由,結果の妥当性等を考慮して,B要件の定めのみが無効である(すなわちB要件の定めがないもの)とし,その結果,A要件のみを満たした者についても,その規定の定める権利利益を与えることになると解することも,法律の合憲的な解釈として十分可能であると考える。

国籍法の定める国籍取得の仕組みを見ると,同法は,法的な意味での日本国民の血統が認められる場合,すなわち法律上の父又は母が日本国民である場合には,国籍取得を認めることを大原則とし,2条はこの原則を無条件で貫き,3条においては,これに父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことという要件を付加しているということができる。

多数意見は,裁判所が違憲立法審査権を行使して国籍法3条1項を憲法に適合するように解釈した結果,非準正子についても準正子と同様に同項により国籍取得を認められるべきであるとするものであって,同法の定める要件を超えて新たな立法をしたとの非難は当たらない。



8.
最判平成19年12月13日(第三小法廷)

<事例>

第1審裁判所で犯罪の証明がないとして無罪判決を受けた場合,被告人を控訴裁判所が勾留する為には,勾留の要件を定める刑訴法60条1項にいう「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」の有無をどのように判断すべきが争点となった。

<判断>

全員一致。

刑訴法法60条1項にいう「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」の有無の判断は,無罪判決の存在を十分に踏まえて慎重になされなければならず,嫌疑の程度としては,第1審段階におけるものよりも強いものが要求される。

<理由>

刑訴法345条は,無罪等の一定の裁判の告知があったときには勾留状が失効する旨規定しており,特に,無罪判決があったときには,本来,無罪推定を受けるべき被告人に対し,未確定とはいえ,無罪の判断が示されたという事実を尊重し,それ以上の被告人の拘束を許さないこととしたものと解される。

(よって),被告人が無罪判決を受けた場合においては,同法60条1項にいう「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」の有無の判断は,無罪判決の存在を十分に踏まえて慎重になされなければならず,嫌疑の程度としては,第1審段階におけるものよりも強いものが要求されると解するのが相当である。



9.最判平成19年9月18日(第三小法廷)

<事例>

広島市暴走族追放条例に違反して起訴された被告人が、同条例の文言が広範であり、憲法21条1項、31条に違反すると主張したため、その当否が問題となった事例。

<判断>

3対2で、合憲限定解釈により、憲法21条1項、憲法31条には違反しないとする多数意見に同調。

那須補足意見あり。

<理由(補足意見のみ掲載)>

どのような場合に限定解釈をすることが許されるのかについては,最判昭和59年12月12日(札幌税関検査違憲訴訟事件)が示す以下の2つの要件を満たす必要がある。
 (1)その解釈により,規制の対象となるものとそうでないものとが明確に区別され,かつ,合憲的に規制しうるもののみが規制の対象となることが明らかにされる場合である。
 (2)一般国民の理解において,具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるものである。

 「暴走族」の意味については,「オートバイなどを集団で乗り回し,無謀な運転や騒音などで周囲に迷惑を与える若者たち」を指すものであると理解するのが一般的であり,この理解はほぼ国民の中に定着しているといってよい。したがって,本条例の「暴走族」につき,限定解釈ができれば,本条例の規制の対象となるものが本来的な意味における暴走族及びこれに類似する集団に限られその余の集団は対象とならないことも明確になるのであるから,第1の要件が充たされるのは明らかである。

問題は第2の要件であるが,...規定の文言自体から導き出せないような限定解釈は,客観性・論理性を欠き,恣意的な解釈に流れるもので,そもそも「解釈」と呼ぶに相応しくないという,当然の事理を指摘したものと考えられる。

本条例が本来的な暴走族及びこれに類似する集団のみを対象とするものであるとする限定解釈の内容は,一般国民の理解においても極めて理解しやすいものであり,本条例の「規定から読みとることができるもの」であると評価できる。

(また,)「規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるかどうか」の判断は,定義規定だけに着目するのではなく,広く本条例中に存在するその他の関連規定をも勘案して決すべきものであり,本条例における「暴走族」につき多数意見のように限定解釈をすることは...要件にも合致し,十分に合理性を持つと考える。

(確かに、合憲限定解釈により)一般的に表現の自由の保障に無関心な社会が到来するのではないかという懸念による心理的な「萎縮」の被害を受ける可能性が考えられないではないが,他方で暴走族の被害を予防できるというより現実的な利益を受けることを期待できる。これらのことを考慮すれば,利益考量の点からも,限定解釈をすることが適切妥当であると考える。



10.最判平成19年6月13日(大法廷)

<事例>

次の2点が憲法14条1項に違反するかが争われた。

①2005年の衆議院議員総選挙の小選挙区において、選挙区間の格差が最大2倍以上に達していることが憲法14条1項に違反するか。

②小選挙区に候補者届出をした政党が候補者本人とは別に選挙運動ができること、および、小選挙区の候補者ができない政見放送ができることは、憲法14条1項に違反するか。

<判断>

12対3で、①②ともに憲法14条1項には違反しないという多数意見に同調。

那須補足意見あり。

<理由(補足意見のみ記載)>

多数意見のうち,(争点①)につき,補足して意見を述べる。

国政選挙における投票価値が平等かどうかを検討するには...同一の選挙の機会に実施される小選挙区選挙と比例代表選挙を一体のものとして総合的に観察するべきである。

衆議院議員選挙における投票価値の平等性判断は...1人の選挙人が投票する価値の最大較差が「2以上」となっていないかどうかを第1の基準として判断すべきである。これは,小選挙区の区割りの下での投票価値については選挙区ごとにある程度の較差が生じ,これに比例代表による投票価値を併せて計算してもなお若干の較差が残ることは避け難いことから,これを立法裁量の問題として基本的に許容しつつ,比例代表選挙と併せた場合の較差が「1人2票」という事態に当たるなどの特別な場合には憲法違反の問題となるという考え方に基づくものである。

小選挙区選挙と比例代表選挙を併せて総合的に見ると,小選挙区選挙を単独で見た場合よりも相当程度較差が中和される結果になる。具体的に試算してみると,小選挙区における最大較差は...1.613倍となる。したがって,本件区割規定が憲法違反であるとまではいえないことが明らかである。

(確かに,)小選挙区の区割りだけに限定した場合にも,各選挙区における投票価値ができる限り平等であることは,憲法14条1項の趣旨からも望ましいことである。

(しかし,区画審設置)法は,国勢調査の結果に応じて10年に1度の間隔で改定が行われるまでの間,人口の自然な変動によって若干の較差の増加が生じることについてはこれを想定内のこととして容認しつつ,例外的にこれを超える「特別の事情」が生じた場合には,区画審が途中でも区割りの改定勧告をすることを認め,国会をして同勧告に基づく改定をさせるみちを設けたものと解される。

逆にいうと,このような特別な事情がない限り,小選挙区における最大較差が2を多少上回っても,なお同法違反ひいては立法裁量逸脱による憲法違反の問題は生じないことになる。

本件選挙の区割りについて見ると,平成12年国勢調査による人口を基準とすれば小選挙区における最大較差は2.064であり,この較差は本件選挙当時の人口を基準にしても大きく変動していないというのであるから,平成14年の小選挙区の区割り改定時に予想された範囲内にとどまり,いまだ「特別の事情」が生じたとまではいえない状況であったと解する。



11.最判平成19年5月29日(第三小法廷)

<事例>

飛行場において離着陸する航空機の発する騒音等により周辺住民らが被害を被っていることを理由として損害賠償請求をした場合,将来の損害についても,賠償請求も認めるという原審の判断は妥当か(将来の給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格を有するか)が争われた事例。

<判断>

5対2で、(判決言渡日までという限定をした)将来の損害賠償請求については、これを認めるべきとする反対意見。

<理由>

1.民訴法135条が将来の給付を求める訴えにつき「あらかじめその請求をする必要がある場合に限り,提起することができる」と定めた趣旨については,主として,既に権利発生の基礎をなす事実上及び法律上の関係が存在し,ただこれに基づく具体的な給付義務の成立が将来における一定の時期の到来や債権者において立証を必要としないか又は容易に立証し得る別の一定の事実の発生にかかっているにすぎず,将来具体的な給付義務が成立したときに改めて訴訟により右請求権成立の全ての要件の存在を立証することを要しないと考えられるようなものについて,例外として請求を可能ならしめたものと理解できる(昭和56年大法廷判決)。

2.(1)昭和56年大法廷判決の判断,殊に「損害賠償請求権の成否及びその額をあらかじめ一義的に明確に認定することができ」ることを将来の給付訴訟の適格要件として要求した点に反しないかどうかが問題となる。

 しかし,損害賠償請求権の成否にせよ,損害額にせよ,それが将来の事象に属するため,「一義的に明確に認定」するといっても,事柄の性質上一定の限界があることは当然であって,原判決が認定したところによれば請求権の成立及び損害額の確定のために欠けるところはないと考えられる。これを超えて厳密な一義性,明確性を要求することは,他の類型の将来給付訴訟との兼ね合いの点からも,またわざわざ条文を設けて将来の給付による救済のみちを拓いた法の趣旨からも,相当なものとは考え難い。

(2)原判決は,将来の給付に係る損害賠償請求権の成立要件の立証責任の点についても,損害発生の期間を限定することで,同期間中は「航空機騒音の程度に取り立てて変化が生じないことが推認される」との認定をしている。

 この結果として,本件では,(限定された)期間における損害発生に関する債権者の主観的な立証責任は一応果たされたことになるとともに,もし判決言渡日までの間に権利の成立に関する事情に変更が生じた場合には,債務者側が弁論の再開を申し立てて上記推認を覆すみちも確保されたことになる。

3.多数意見は,昭和56年大法廷判決が口頭弁論終結日の翌日以降についての損害賠償請求を認容した原判決を破棄したという外形面を重視し,本件のように判決言渡しの日まで比較的短期間に限定した将来の損害賠償請求の場合についても同大法廷判決の判断が当然に当てはまると解する立場をとる。

 しかし,私は,期限を切らない将来の損害賠償請求と判決言渡日までという明確で比較的短期間に限定したうえでの損害賠償請求との間には将来予測の可能性及び確実性の点で本質的な差異があるのであって,単純に「大は小を含む」というような関係のものとして処理できるものではないと考える。

 原判決が,将来の損害賠償請求一般の中から判決言渡日までという比較的短い期間で,予測可能性及び確実性が高い部分(しかも,判決言渡しの時点では現実となっている部分)を切り取って類型化し将来の損害賠償請求の適格を認めたことについては相当な理由があり,かつ,昭和56年大法廷判決の趣旨に照らしてもこれに抵触するとまではいえない。



12.
最判平成19年2月27日(第三小法廷)

<事例>

市立小学校の校長が音楽専科の教諭に対し,入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うよう命じた職務命令は,憲法19条に違反するかが争われた事例。

<判断>

4対1で、職務命令は憲法に違反しないとの多数意見に同調しつつも、補足意見を付与。

裁判長として関与。

<理由(補足意見のみ掲載)>

学校の儀式的行事において国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,一般的には原告の有する「君が代」に関する特定の歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものということはできず,国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする職務命令を発しても,その歴史観ないし世界観を否定することにはならないこと,客観的に見ても,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,その伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することが困難であることは,多数意見のとおりである。

しかし,本件の核心問題は,「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりであるとしても,原告の場合はこれが当てはまらないと原告自身が考える点にある。

原告の立場からすると,職務命令により入学式における「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,原告の歴史観や世界観を否定されることであり,さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなるものではないかと思われる。

この点,本件で問題とされているピアノ伴奏は,外形的な手足の作動だけでこれを行うことは困難であって,伴奏者が内面に有する音楽的な感覚・感情や知識・技能の働きを動員することによってはじめて演奏可能となり,意味のあるものになると考えられる。

原告のような信念を有する人々が学校の儀式的行事において信念に反して「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,演奏のために動員される上記のような音楽的な内心の働きと,そのような行動をすることに反発し演奏をしたくない,できればやめたいという心情との間に心理的な矛盾・葛藤を引き起こし,結果として伴奏者に精神的苦痛を与えることがあることも,容易に理解できることである。

本件職務命令は,原告に対し上述の意味で心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点で,同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ,ひいては思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。

したがって,本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては,原告が上記のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提として,これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷えんして述べる必要があると考える。

第1に,入学式におけるピアノ伴奏は,一方において演奏者の内心の自由たる「思想及び良心」の問題に深く関わる内面性を持つと同時に,他方で入学式の進行において参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する行為である。

このような両面性を持った行為が,「思想及び良心の自由」を理由にして,学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されたり,あるいは各教師の個人的な裁量にゆだねられたりするのでは,学校教育の均質性や組織としての学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こし,ひいては良質な教育活動の実現にも影響を与えかねない。

第2に,入学式における「君が代」の斉唱については,学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが,他方で斉唱することに積極的な意義を見いだす人々の立場をも十分に尊重する必要がある。

そのような多元的な価値の併存を可能とするような運営をすることが学校としては最も望ましいことであり,これが「全体の奉仕者」としての公務員の本質(憲法15条2項)にも合致し,また「公の性質」を有する学校における「全体の奉仕者」としての教員の在り方にも調和するものであることは明らかである。

(しかし,)多元性の尊重だけではこと足りず,学校としての統一的な意思決定と,その確実な遂行が必要な場合も少なくなく...行事の目的を達成するために必要な範囲内では,学校単位での統一性を重視し,校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。

学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めたからには,これを効果的に実施するために音楽専科の教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択であり,その反面として,これに代わる措置としてのテープ演奏では,伴奏の必要性を十分に満たすものとはいえないことから,指示を受けた教諭が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務としてこれを行わせる形を採ることも,必要な措置として憲法上許されると解する。

職務命令を受けた教諭の中には,上告人と同様な理由で伴奏することに消極的な信条・信念を持つ者がいることも想定されるところであるが,そうであるからといって思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することを許していては,職場の秩序が保持できないばかりか,子どもたちが入学式に参加し国歌を斉唱することを通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め,学習意欲を高めるための格好の機会を奪ったり損ねたりすることにもなり,結果的に集団活動を通じ子どもたちが修得すべき教育上の諸利益を害することとなる。

入学式において「君が代」の斉唱を行うことに対する上告人の消極的な意見は,これが内面の信念にとどまる限り思想・良心の自由の観点から十分に保障されるべきものではあるが,この意見を他に押しつけたり,学校が組織として決定した斉唱を困難にさせたり,あるいは学校が定めた入学式の円滑な実施に支障を生じさせたりすることまでが認められるものではない。

原告は,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま,「君が代」を歌わせることは,教師としての職業的「思想・良心」に反するとも主張する。

(確かに)原告の職業的な思想・良心も,それが内面における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが,学校教育の実践の場における問題としては,各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認められるにしても,すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく,それぞれの学校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い,総合的統一的に整然と実施されなければ,教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理である。

入学式における国歌斉唱を行うことが組織として決定された後は,思想・良心を有する原告もこれに協力する義務を負うに至ったというべきであり,本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した措置であって,これを違憲,違法とする理由は見いだし難い。



13.最判平成18年10月4日(大法廷)

<事例>

平成16年7月11日に施行された参議院(選挙区選出)議員選挙において、選挙区間の格差が最大5.13に達していたことが憲法14条1項に違反するかが争われた事例。

<判断>

10対5で、合憲とする多数意見に同調しつつも、補足意見を付与。

<理由>

ここで問題とされているのは,本件選挙において各選挙人が投じた票の価値に軽重があって,その較差が憲法上許される範囲を超えているのではないかという点であることを考えると,果たして選挙区間における投票価値の最大較差1対5.13という数字を見るだけで足りるのかという疑問が生じる。

参議院議員選挙において,それぞれの選挙人は,選挙区の候補者に1票を投じた同じ機会に比例代表の候補者又はその所属する政党にも1票を投じている。そのいずれも参議院を構成する議員を選ぶ投票であることには相違がない。換言すれば,選挙人は,選挙区選出議員を選ぶのに1票,比例代表選出議員を選ぶのに1票を投じ,この2つの投票行動が相まって各選挙人の政治的意思を表明するものとなっている。

制度的にみても,選挙区選挙と比例代表選挙は,決して無関係な2個の選挙がたまたま同時に行われたということではなく,被選挙人の定数,選出母体となる区域等についてそれなりの関係付けをし,一体のものとして設計され運用されているものである。したがって,私は,参議院議員選挙の1票の投票価値を論じるときは,選挙区だけではなく比例代表の部分をも取り込んで一体として検討する必要があると考える。

上記の視点から本件選挙における選挙区と比例代表の双方を一体のものとして投票価値を算定する場合,最大較差は2.89という数値(概数)が導かれる。

「このような視点から計算してもなお1対2.89の較差があるのであるから,やはり憲法の下での平等原則に反する」と見るか,それとも「1対2.89ならその較差は憲法上許容される範囲内に収まっている」と見るかの問題である。

私は,以下の理由で,本件定数配分については,違憲性の問題を完全に払拭できる状態とまではいえず,違憲性が問題となる領域に近接するが,なお憲法の許容する範囲内に踏みとどまっていると評価してよいと考える。

①参議院選挙区選出議員の選挙における投票価値の較差が,基本的に都道府県を単位とし,かつ憲法の定める半数改選制と密接な関係を持つ偶数配分制に由来することは明らかであるところ,都道府県を単位とする点については,地方の住民を代表する議員を中央に送り,その声を政治に反映させたいという住民の気持ちは自然の欲求であって,これを考慮した制度とすることに合理性を認めることができ,偶数配分制についても,奇数配分制を一部採用した場合の半数改選という憲法上の要請との折り合いをどうつけるかについて,制度設計上技術的な難しさが予想される状況の下では,一定の合理性があると認めるべきである。

②「参議院議員選挙の定数較差問題に関する協議会」を発足させる等,較差の是正に向けて具体的で真摯な対応を執ったことがうかがわれ,これが平成18年6月の4増4減の実現につながったものであること,そして,なおこの是正措置は「当面」のものとされ,更に道州制の採用とこれに基づく選挙区の見直し等,抜本的な制度改革も視野に入れた動きが見られないではないこと等を考慮すれば,本件選挙については,これを憲法の許容する立法の裁量権の範囲内に辛うじて踏みとどまったものと評価することができる。

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