橋下大阪府知事のメール問題から考察する民主主義の弱点
今日は、大阪府の橋下知事の反論メールに対する処分について。
これについては、今回、処分が法的にどうこうというより、政治的な視点から、民主主義の恐ろしさというテーマで、議論したいと思うわけです。
そもそも橋下知事は、就任当初、「異論、反論があるのであれば、率直にぶつけてほしい。」と職員に対して、訴えていました。
今回のメールが民間出身の副知事による、「非常識」という指摘ですが、メール内容が、意図的なのかそうでないのかは別として、断片的にしか公開されていない中で、「非常識なのかどうか」は判断できません。
したがって、これだけで、処分を正当化する理由の説明責任を果たしているとは言えませんし、上述した当初の方針を変更している点についての、府民に対する説明は欠如しているというべきです。
しかし、不思議なの(私は無知の知を知らない典型で恐ろしいとさえ思うのですが)は、これだけ断片的な情報でしかないのに、マスメディアや一般の方の反応に、無批判で橋下知事を支持してしまう声が結構あるということです。
仮に、メール内容が侮辱に当たるようなものではないとすれば、職員の意見を聞くと言っていた姿勢とは、180度異なる行為であり、風通しの良い組織を作るのとは逆に、萎縮効果を生じさせる重大な行為だと思います。
さらに、最大の問題は、副知事がその内容を閲覧できている点です。
知事本人以外の人間が閲覧でき、その者の意見に従って処分を決めているのは、風通しのよい組織にし、不祥事がある場合の職員の内部通報という意識の向上に逆行する萎縮効果すら生じさせると私は思います。
たとえば、雪印で、2000年頃から、偽装問題や食中毒事件が発生し、不祥事が多発した結果、会社の存亡にかかわる事態に至ったのは、記憶に新しいと思います。
この時の最大の問題が、不祥事が現場や本部長レベルで行われ、隠蔽し、取締役にまで十分な情報が上がっていなかったことです。そこで、この事件を境に、コンプライアンスという言葉が世間でも広まりを見せました。
その後、雪印乳業は生まれ変わって、消費者の信頼を再度獲得するために何を行ったか。その1つが内部通報制度の確立でした。つまり、コンプライアンス担当の取締役に直接不正に関する情報が入り、それも完全な秘匿扱いにして、内部通報者の保護と信頼の確保が可能な制度設計をしたのです。
大阪府内の内部通報制度がどうなっているのかは私にはわかりかねますが、少なくとも、どの組織においても、組織の長に直接情報を入れることができる状況は確保されているはずです。
にもかかわらず、組織の長が日頃、自分のところに来たメールを他に公開するだけでなく、それを他の重役と相談して、メール内容を理由に処分してしまえば、職員との信頼関係、内部通報を促進できるような関係は築けません。
なぜなら、内部通報者は任意に意を決して行うわけですから、自分の人生や生活を賭してしまうかもしれないという恐怖や不安が必ず生じます。
そのときに、「直接意見をすれば、処分されるかもしれない」、「知事以外の人間が自分の内部通報のメールを見るかもしれない」という不安感情が通報者に生じるのは明らかであって、これが萎縮効果となるわけです。
今回のメール処分事件を浅い視点で一見すると、「失礼なメールを職員が送ったのだから処分されてもよい」と考える人も多いかもしれません。
しかし、重要なのは、そうした単純な視点で思考停止してしまい、今回の処分行為を「リーダーシップの表れ」とか、「強い姿勢で良い」とかと勘違いしてはならないということです。
むしろ、この事件に接したときに、「あれ?本当にこういう処分の仕方で、大阪府、ひいては、大阪府民にとって、中長期的に利益があることなのだろうか」という懐疑的視点でニュースを見る必要があると私は思います。
日本は内部通報制度に対する意識が、民間組織はもちろん公官庁においても非常に低いです。
公益通報者保護法があることをほとんどの人間は知らないでしょうし、知っていても、いざ自分が内部通報者の立場に立った時に、このよくわからない法制度を利用して、内部通報をしようという勇気のある人がどれだけいるでしょうか。
そういう状況を考えると、大阪府という組織が不祥事を絶対に起こさないパーフェクトな組織であれば格別、そうでないのであれば、こういうメールのやり取りに関する問題で、処分するというのは、果たして、組織にとって利益になるのでしょうか。
知事の権力や権威を示すという意味では、効果があるでしょうが、それが何の意味を府民にもたらすのか、私にはわからないわけです。
失礼な内容であれば、直接呼び出して注意すればいいのであって、処分という権力的行為に走る姿勢が、橋下知事の浅はかさを露呈していると私は思いました。
なお、橋下知事の内部告発受付制度自体に対しては、2008年5月の時点で、公益通報者保護の活動やオンブズマン活動で活躍されている阪口徳雄弁護士が御自身のブログで批判的考察をされていらっしゃるので、興味のある方は読んでみると良いでしょう。
さて、今回このブログ記事で考えてほしいのは、それだけではありません。
最初にも書いたように、「民主主義の恐ろしい弱点は何か」について考える材料としても、橋下知事は格好の題材なのです(ええ、皮肉がたっぷりこもっています)。
そこで、皆さん、古代の政治思想論にもつながる話なのですが、民主主義という政治体制の恐ろしい弱点は何でしょうか?考えてみてください(考える時間の目安、1分)。
さて、どんな解答が思いつきましたか?
1つの解答例ですが、プラトン(Plato)の記述にあるソクラテス(Socrates)の考えによれば、民主主義という政治体制の一番の弱点は、独裁者を生み出すことだと指摘しています。
プラトンのいうソクラテスの考え方によれば、民主主義は独裁者を生み出す衆愚政治を招き、専制君主政治、暴君政治に移行するというのです。
この古代政治哲学者の指摘は、その後の人類の歴史を見れば、全くその通りと言わざるを得ません。
まず、20世紀は民主主義国家が増えましたが、同時に独裁国家も多数存在しました。その代表例が、ナチスドイツのヒットラーによる独裁体制の確立です。
ヒットラーは何ももともと独裁者だったわけではありません。極めて素晴らしい人権を謳っているワイマール憲法を有するドイツにおいて、その民主主義の下に、独裁者ヒットラーが着実に力をつけ、誕生したのです。
最近では、ジンバブエのムガベ大統領をはじめ、もともとは民主主義が確保された政治制度から、独裁者は生まれ、民主主義が形がい化し、独裁政治による弾圧と粛清が対白人に対する形で始まり、しまいには自らの政治の反対勢力に対する露骨な形で、生じるようになり、選挙での著しい不正が問題になっています(ムガベも当初は露骨な弾圧はせず、ジンバブエの奇跡と称されるほどの良い政治家でしたが、晩年は権力の維持に固執して違法な手段に出たため、180度変化してしまいました)。
つまり、民主主義というのは万能ではないので、有権者が為政者をフリーハンドで支持したりせず、監視できなければ、必ず独裁的リーダーが誕生してしまいます(なお、誤解のないように言っておきますが、独裁的リーダーはヒトラーのような違法な手段により権力を得た独裁者とは本質的に違います)。
独裁的リーダーは、短期的には強権を発することで、有権者の過熱的な支持を受けるのですが、晩年は反対派の弾圧に走ります。
現在の日本でこれに当たりうる政治スタイルを持っている人間は、小泉純一郎元首相や橋下大阪府現知事だと思います。
小泉元首相は、マスコミという衆愚に訴えるツールとして最も影響力を行使しやすいものを巧みに利用し、反対派をその理由のいかんを問わずに、抵抗勢力と位置付け、国民からの信託を背景に、戦う姿勢を示してきました。独裁的リーダーシップの典型といえます(小泉改革が悪かったかどうかは別として、リーダーシップのあり方を話しています)。
同様に、橋下大阪知事は、小泉元首相ほど計算され巧みさと緻密さを欠きますが、マスコミを利用し、反対派と戦う姿勢を示したり、過激な発言をすることで、思考停止した有権者を中心に、「何かやってくれるかもしれない」というような根拠のない期待感を有権者に植え付け、強いリーダーシップを演出しています。
これらの独裁的リーダーシップ(何度も言いますが、彼らの政治的実績はここでは問題にしていません)は、私は民主主義における最大の恐怖と弱点をついたもので、衆愚政治に向かう非常に危険なものだと考えています。
そして、独裁的リーダーは必ず衰退し、大きな負の遺産を残します。それは、監視を怠っった有権者へのツケといっても過言ではありません。
この負の遺産は、様々な形で表れるでしょう。例えば、典型例としては、不正な支出であったり、公用財産が不適切かつ不透明な方法により競売されたりという金に絡む問題から、人権の蹂躙(法的に保護された法益を不正に侵害する)に至るなど。
ここで、私が言いたいことは、独裁的リーダーシップを好む政治家を盲目的に信用したり、フリーハンドで支持することは、有権者が自ら思考を停止し、監視を怠ることになり、不正や不祥事を見逃す温床を作ってしまうという危惧なのです。
そして、独裁的リーダーの下での不正や不祥事の発覚は非常に難しくなります。なぜならば、有権者が盲目的に支持しているので、小さな不正や不祥事があまり重要視されず、後々に大きな問題として顕在化する場合が多いためです。
橋下知事の場合は大きな負の遺産に当たるような問題は顕在化していませんが、私は、彼の独裁的リーダシップを見ていると、非常に危うさを感じます。
例えば、ワッハ大阪移転に絡む吉本興業への圧力は、ある種の公権力による財産権侵害(契約上の正当な利益の侵害)に至る可能性もあると思います。
そして、今回の反論メールに対する処分も、当初の彼の「言いたいことは何でも言ってくれ」という主張と反し、権威づけ、見せしめ的処分ではないかと感じるわけです。
組織における不祥事というのは、組織の長が積極的に関与する場合だけでありません。見逃してしまうことも多いわけです。そして、見逃したとしてもその責任は組織の長にあります。
そうすると、前述したような萎縮効果をもたらす今回の処分問題は、本当に、大阪府という不正や不祥事、無駄の多い組織を浄化させるという橋下知事の公約を実現させるうえで、本当に適切だったのかはわかりません。
今回の問題を有権者が接したときに、「メール内容が失礼かどうか」なんていう問題の上っ面だけで、今回の処分行動を評価するのではなく、彼の政治的リーダーシップの在り方や不正の温床に切り込む内部通報者制度の運用への影響など多角的な視点で評価することが大切だと思います。
為政者に対する監視を怠ったツケは有権者に必ず返ってくることは、人類の歴史上明らかなのです。
以下お勧めの図書ですが、中でも、3つ目の「国家」の下巻が一番良いと思います。
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