日本の政治

12/31/2020

虚像が批判され本物が人気となった2020年

昨日久しぶりに更新したブログ記事「後手後手を先手先手という菅内閣の詭弁と国民の不信」は,現在の入国管理政策と水際対策の問題について分かりやすいとの声を頂いた。

BLOGOS上でも,Facebookの「いいね」が500件以上付いたようで,久しぶりの更新の割には,なかなか好評だったのではないだろうか。

そこで大晦日の今日も今年最後のブログ更新として,「虚像が批判され本物が人気となった2020年」と題し,2020年のポジティブな側面を論評してみたい。

1.半沢直樹と鬼滅の刃が人気となったのは本物だから

今年のポジティブな側面を振り駆る上で,この2つの作品の人気について触れないことはできない。コロナ禍により自宅で過ごすことが多かった大多数の人にとって,2020年はテレビやサブスクリプションの動画配信サービスなどを見る機会がいつも以上に多い年だったのではなかろうか。

腐るほどあるエンタメ作品の中でも,半沢直樹や鬼滅の刃が爆発的人気になったのは,これらの作品が「本物」によって作られた「本物」の作品だからであろう。

まず,半沢直樹は,前シリーズもそうであったが,役者が本物で固められた。全国的な知名度が低い役者も多く起用されており,これらの役者が半沢直樹の世界を本物に仕上げたと私は思っている。元々日本人は勧善懲悪が好きな国民性ではあるものの,半沢直樹が爆発的に人気のドラマになったのは,ストーリーが良いだけではなく,ちょっとした脇役を含め,すべてのキャストとスタッフが本物を作り上げるという意気込みが視聴者に伝わった作品だからこそだろう。

安易な人気俳優やアイドルなどを使うのではなく,本当に演技のできる俳優が参加し,濃い演技の歌舞伎俳優から,それを脇で支えるあっさりとした俳優たちが,それぞれの役割を存分に発揮したからこそ,このドラマは「本物」だと多くの視聴者を魅了したのだと思う。半沢直樹のキャストリストを改めてみると,誰一人無駄な役はいないし,それぞれの顔が直ぐに浮かんでくるあたりも,本物の演技をそれぞれの役者がし,それをスタッフがまとめ上げたといえる。

特に私は神谷機長を演じた木場勝己さんの起用とその演技は素晴らしいと思った。 コロナ禍であるにもかかわらず,クラスターなども発生させずに,一般視聴者が本当に喜ぶ本物の作品を作り上げたのは,本物のキャスティングが大きく寄与したと思う。

鬼滅の刃もアニメーションは昨年から人気にはなったものの,今年これ程の爆発的な人気となることを誰が予想したであろう。

私自身も鬼滅の刃にハマったのは,半沢直樹が終わった秋頃に,家族からAmazon Primeで見られるから見た方が良いと言われ,見始めたのが契機となった。名前は知っていたが,正直,見るまで,「あー,漫画ね。」,「どうせオタクに人気なんでしょ。」程度の感覚で馬鹿にしていた。そんな私も,今ではコミックスを大人買いし,一部の巻が見つけられず,本屋を探し回るようなことをしている。

この鬼滅の刃が本物の作品なのは,声優陣に「なんちゃって声優」の起用がいないことが一番の理由ではなかろうか。

私はあまり声優業界には詳しくないが,キャストに芸能人やタレントなどの「なんちゃって声優」がいないことが,本物の作品に仕上げていると感じる。炭治郎役の花江夏樹さんや善逸役の下野紘さんが作品を語る「鬼滅ラヂヲ」を聞いてわかったのだが,この作品でもサブのキャラクターのキャスティングが半沢直樹と同じで豪華であると言われている。

例えば,アニメーション2話のお堂の鬼は,スラムダンクの流川の声やドラゴンボールZで人造人間16号の声の緑川光さんだったり,一言二言しかない,かすがいがらすというカラスの声を独立した別の声優をキャスティングしているから驚きである。しかも,そのカラスの役は一匹一匹異なっており,声優の山崎たくみさん,檜山修之さん,高木渉さんという3人のベテラン声優を使っているという。

また,通称「パワハラ会議」として有名になったアニメーション第26話の最後の方に下弦の鬼たちが一瞬にして鬼舞辻無惨に殺されるシーンがあるが,その下弦の鬼たちも別の役をやった役者をそこで使うのではなく,新たに別の声優の方を投じている。例えば,下弦の参の病葉を演じたのは,アニメワンパンマンでイナズマックスを演じた保志総一朗さんである。

さらに,「チュン」というセリフしかないチュン太郎という雀の声も,他の役の声優が掛け持つのではなく,1人の専属の声優(石見舞菜香さん)が使われているというから驚きである。

こうした話を聞いて,私は鬼滅の刃は原作が素晴らしいことは格別,アニメーションの制作が本物志向で作られた本物の作品だからこそこれだけ今年人気を爆発させたのだと痛感した。

実際,視聴者は,チュン太郎の「チュン」という単純なセリフから様々な感情を視聴者は読み取れるのである。これは,本物の声優たちが声でしっかり演技しているからであろう。細かな所に一切の妥協をしない姿勢が,視聴者を本物の世界観に引き込んだのだと思う。

そう考えると,映画「鬼滅の刃無限列車編」が千と千尋の神隠しを抜いたのは必然的だったのかもしれない。もちろん,千と千尋の神隠しも良い作品ではあったが,良い大人が涙するような映画ではなかった。それに比べると,鬼滅の刃無限列車編は,子どもだけでなく,良い大人が涙するシーンが多い。

特に,炭治郎たちが映画の後半に,「これでもか!」というぐらいに熱い声の演技で次々に泣かせにかかってくる。これは,声優という声の役者のプロたちが,声のみで素晴らしい演技をし,アニメーションもその声の演技を最大限引き出す形でアニプレックスが細かいところに拘って美しい映像で届けてくれているからだろう。

このあたりの詳しい話は,鬼滅ラヂヲで炭治郎と善逸を演じた声優の花江夏樹さんと下野紘さんが色々語っているので,鬼滅の刃にハマった人間としては,こうした熱意を後から聞くと,なるほど,なぜこの作品は「本物」として化けたのかということが良く分かる。残念ながら鬼滅ラヂヲは数日前に公開された47回で一旦休止されるようであるものの,過去の放送はYouTubeで公式に公開してくれているのでぜひ鬼滅ファンには聴いてほしいと思う。

鬼滅の刃製作委員会に余計な団体が入っておらず,アニプレックス,集英社,ufotableの3社のみで構成し,余計な忖度が入らなかったのも良かったのかもしれない。下手にスペシャルゲストみたいな感じで有名芸能人や旬のイケメンやかわいい女優をアサインして話題性を狙うのではなく,作品の良さで,声のプロたちで勝負しているからこそ,幅広い多くの人々の心に響いているのである。

早くも実写化などという話も出ているが,ぜひ著作権者には,安易な実写化で,本物を偽物にしないようにしてもらいたいと願うのは,最近ハマった私だけではないだろう。

さらに,昨日は,レコード大賞にLisaさんの「炎」が選出された。

レコード大賞といえば,芸能界のドンとの癒着などが報じられ,多くの国民がここ最近は「白い目」でレコード大賞をとらえていたと思う。実際,放送前から嵐が特別賞を受賞することに批判の声などもあったようであるし,そもそもレコード大賞はオワコンとも報じられていた。

いずれにしても,レコード大賞にLisaさんの「炎」が選ばれたことに異議を唱える人はほとんどいないだろう。鬼滅の刃という本物の作品の一部を構成する彼女のこの歌を聞くだけで,映画の情景が思い浮かび,多くの人が感動を味わえる。

仮にLisaさん以外が受賞していたら,それこそ本物じゃない受賞として「炎上」していたのは火を見るよりも明らかである。そういう意味で,TBSがレコード大賞そのものを癒着の温床として利用できなかったのは,視聴者の本物志向に抗えなかったからではなかろうか。

なお,私のブログには鬼滅の刃についてアメリカ政治に絡めて論じた記事もあるので,興味があれば読んでほしい。

2.化けの皮が剥がれ虚像が批判されたもの

他方で,化けの皮が剥がれ,一瞬にして支持を失い批難を受けたものも多くあった。

例えば,「100日後に死ぬワニ」はその良い例かもしれない。電通案件として炎上した話は記憶に新しい。この女性自身の記事も「SNS上で自然発生的に生まれたムーブメントであることに魅力を感じでいた読者が多い中、企業によって仕組まれていたという事実に落胆を感じた人がいたのは事実 」と指摘しているが,このとおりで,欺くが如く仕掛けられたものに対して,多くの人が拒否反応を示したのが2020年だったように思う。

これはエンタメの世界だけでなく,政治においても同じだろう。

コロナ対策の持続化給付金の事務局の落札において電通関与の不透明な実態が批判された。ロイター通信の記事がこの事案について整理しているが,「ペーパーカンパニーじゃないか」,「無駄な税金の中間搾取だ」とサービスデザイン推進協議会が批判を受けたのも,やはり,国民がが癒着の実態に気が付き,公正なプロセスとされた選定手続きの化けの皮が剥がされたからである。

また,コロナ対策においても,メディアは当初,吉村大阪府知事を持ち上げたが,イソジン発言以降,彼に対する世間の評価が大きく変わった。そして,住民投票で否決されたのも,これを契機に市民が本質を見抜こうとし,彼や維新の本質的な軽さと思慮深さの無さが化けの皮が剥がされて露わになったからであろう。

さらに,検察官の定年延長問題や賭けマージャンの事案についても,政権,メディアと検察幹部の関係の化けの皮が剥がれ,黒川氏は辞職に追い込まれるとともに,一般市民で構成する検察審査会は強制起訴の第一歩となる「起訴相当」という決議を行った。強制起訴になった事案に無罪案件が多いのは事実だし,その点の批判もあるが,香港が共産主義国家に飲まれている姿を目の当たりにし,民主主義国家において市民感覚が反映される仕組みがあることは重要だと感じている。

2020年はネガティブな事柄も多かったし,志村けんさんや岡江久美子さんの新型コロナウイルス感染症による死去などショックで悲しい話題も多かった。私自身も帰省をすることもできず,海外にも一切行くことのできない異常な1年であった。

しかしながら,ポジティブな側面を考えると,2020年は,コロナ禍で私たちは何が本物なのかということをよく考えさせられた1年だったといえる。つまり,物事の本質を考えさせられる事が公私において多かったように感じている。私自身,仕事においても,これは無駄なのではないかということを自ら問う機会が多く,正直,今年1年は本当に仕事の質は高まったと思っている。

どうしても多くの人がネガティブに考える2020年だと思うが,私は,大晦日に2020年を振り返り,今年は「本質を見抜く力を多くの人が養うことができる1年だった」と少しでもポジティブに総括したい


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12/30/2020

後手後手を先手先手という菅内閣の詭弁と国民の不信

前回の「アメリカ社会の分断はトランプ政権が原因ではない」という記事の配信から約2か月が経過したが,今週,記事を書きたいという衝動に駆られたニュースがあったので,今日はそれについて記事を書くことにした。

12月28日月曜日,私はメディアの先手先手の対応指示 」というタイトルを見て,「ガースー」発言以来の衝撃を受けた。この人は官房長官時代と変わらない詭弁政治家であることを更に国民にさらけ出したのである。既に同じような感想をもった人が多いことも報じられている

そこで,今日のこの記事では,①今回の外国人の新規入国制限に関する措置がいかに「後手後手」であって「先手」とは微塵も言えないのかということとともに,②出入国管理行政を巡る行政文書の分かり難さ,ひいては,③はんこ文化を批判して行政改革をやった気になっている菅政権がいかにこの決定においても何ら行政改革による縦割り行政ができていないかについて,この措置を例に論じたいと思う。

1.今回の外国人入国制限が「先手」とは全く評価できない理由

今回の措置について,メディアも全世界からの外国人の新規入国を28日午前0時から2021年1月末まで停止すると発表などと極めて不正確な報道をしている。この報道に接した人は,「すべての外国人が新規入国できない強い措置を新たに採った」と理解するのではないだろうか。しかし,今回の措置は,公表された行政文書をきちんと読めば,今まで緩和していた措置を止めて,10月1日以前に元に戻しただけということが明らかである。

まず,内閣官房のHPに掲載されている「水際対策強化に係る新たな措置(4)」という行政文書を見ると,1として,「本年 10 月 1 日から、防疫措置を確約できる受入企業・団体がいることを条件として、原則として全ての国・地域からの新規入国を許可しているところであるが、本年 12 月 28 日から令和3年 1 月末までの間、この仕組みによる全ての国・地域(英国及び南アフリカ共和国を除く)からの新規入国を拒否する」との記載がある。

つまり,10月1日始めた緩和を止めましたというだけである。国内の新規感染者数が爆発的に増加している以上,こんなのは当たり前のことで,これを「先手」と評価する思考回路が全く理解できない。こんな頓珍漢な「先手」という言葉が,目がうつろな菅総理から出てきたのを見て,「この人大丈夫?」と思ってしまうのは私だけではないだろう。

また,この措置を止めたとしても,外国人が新規に入国する例外が2つあるということを多くのメディアはきちんと正確に報じていない(多くのメディアが1つの例外にしか触れていない)。

例外の1つ目は,一部メディア(主に中国・韓国について報じることが多いサンケイグループ)は,「中韓は“ザル入国” 政府の水際対策に親中派・親韓派の影響力か」という形で触れているが,これは「国際的な人の往来再開に向けた段階的措置」に基づき,入国を認めている事案である。

これは,二国間の取り決めに基づき,入国させているケースで,12月29日時点で,11カ国について認めて入国を認めている。11カ国の外国人については,短期滞在以外の全ての在留資格又は短期商用査証により本邦に入国する者を対象としており,かなり広範囲に認めている。つまり,全面停止の例外とはいえ,11カ国については観光客以外は一定条件満たせば原則受け入れるという措置と言っても過言ではない(この一定条件による水際対策の実効性にもそもそも疑問があるがここでは論じない)。

中国・韓国がやり玉にあがっているが,そういった思想・理念は別として,やはりこの措置を止めていないのに,「先手先手の新規外国人の入国全面停止!」と胸を張っているあたりに,菅義偉の器の小ささを感じられずにはいられない。こんな措置はさっさと停止すべきである。

例外の2つ目は,「特段の事情」による入国であり,これは,国籍や出発地を問わず認めている。

特段の事情とは,個別具体的な事情を考慮して判断するものであるが,法務省出入国管理庁が出している文書からも明らかなとおり,再入国する外国人は格別,在留資格が日本人・永住者・定住者の配偶者などの外国人(当該文書2(1)及び(2)ア~オに該当する者)も,在留資格認定証明書の交付と査証の発給を受けることで入国は可能である。

また,特段の事情による入国の場合は,イギリスや南アフリカに滞在していたとしても,特段の事情による入国が可能であるという点はあまり報道されていない。

政府の発表した文書をきちんと読めば理解できるが,イギリスと南アフリカからの入国について当面禁止しているのは,あくまで10月1日に緩和した措置に関してである。この点,出入国管理庁の文書も若干わかりずらいのは,2ページ目の冒頭の「なお書き」はあくまで,(2)のカの措置にかかっているのだが,読み方を間違えて,なお書きが(2)全体に適用されると誤解している人が多い。

したがって,特段の事情の(2)ア~オに該当する外国人については,どの国の国籍で,どの国に滞在していようと,特段の事情として入国を認める方針であることがわかる。

この例外の2つ目の部分についてどこまで認めるべきかという議論をして切り込んだのであれば,「先手」という評価もできるだろう。

私は,特段の事情の範囲が広くなりすぎていると私は思う。例えば,(1)の再入国外国人の往来を本当にこのまま認めるべきなのかは議論すべき点ではなかろうか。特段の事情による入国というのであれば,(2)イ~オに列挙される外国人に制限するのがあるべき姿だと私は思う。もちろん,イやウに列挙される日本人・永住者・定住者の配偶者や子についても一律に特段の事情による入国を認めるべきではないという意見もあるだろう。しかしながら,出入国管理庁の文書からもわかるが,家族が分散された状態に置くというのは,人道上望ましい措置ではない

そもそもの問題は,上陸の問題と隔離の問題を切り離して対応してこなかった点に起因している。

本来は,特段の事情による上陸を認め,特段の事情により上陸を認めた者についても,一定期間の隔離措置を空港施設に併設する場所で行うべきだったのではなかろうか。アジアの抑え込みに成功している国はそうした措置を取っていたのであったから,そうした措置を特措法などで盛り込んでおくべきだったと思う。

こういう検討を一切してこなかった自民党議員にも責任がある。「中国・韓国が!」とネット右翼みたいな批判をする前に,本当に国民目線で,人道上必要な人々について,上陸と隔離をいかに分離してしっかり行うかについて議論しておくべきだったのではなかろうか。その時間は沢山あったはずである。

2.今回の措置に関する行政文書の分かり難さとバラバラな関係省庁

さて,私が次に問題視したいのは,今回の措置の行政文書や国民への通知の分かり難さである。

まず,新型コロナウイルス対策本部がある内閣官房外務省法務省がそれぞれ別の文書で案内を出しているから,情報が一元化されておらず,国民に周知する姿勢が著しく欠如しているのが明らかである。

この中でも,一番,国民目線なのが,私は法務省の文書であると思うが,この法務省出入国管理庁の文書も,上述のとおり,なお書きの位置が2ページ目にズレたため,これがどの部分にかかってくるのか,一見読み違えてしまうおそれがある文書になっているのは厄介な点である。

本来であれば,3省庁,とりわけ,内閣官房がコーディネートしてが国民目線で分かりやすい文書に一本化し,一元的に情報が得られるようにすべきであるのに,3省庁それぞれが自分たちの所管の観点からの文書を作っているから,誤解と混乱を招きやすい文書となっている。

法務省出入国管理庁の文書が一番国民目線で分かりやすいのは,法令に従って書いているからである。あらゆる人(日本人及び外国人の両方)の出入国については,出入国管理及び難民認定法が規定しており,所管は法務省である。したがって,法務省は法律に基づいて行政文書で国民の案内を作成しているので,人の出入国に対する措置について,原則と例外がはっきりしており,他の省庁の文書よりはわかりやすくなっている。

外務省に至っては,「Mess(ひどい状態)」としか言いようがないくらい分かり難い。レジデンストラック・ビジネストラックなど法律にない概念を持ち込み何を言いたいのか全く理解できない。そもそも,これらのトラックが何を意味しているのかすらよくわからない。他のHPに行かないと,これらが何を意味しているのかわからない。さらに,カタカナ表現のスキームなどと説明し,法律上のどういう根拠に基づいて行っているのかが全く見えないのである。

昔から,外務省は,ふわふわとした仕事の仕方をするという印象があるが,本当にこのHPの説明は,外務省の好きな英語表現をすれば,「Total mess!(しっちゃかめっちゃか)」としか言いようがないのである。

私は外務省がこの意味不明な「トラック」という概念を持ち込んだ理由は,外務省があくまで国民目線ではなく,対相手国目線での説明をするために,持ち込んだ概念だからではないかと思えて仕方がない。

外務省は,「法律による行政の原理」という概念が欠如していると言っても過言ではないだろう。

さらに,極めて無責任なのが内閣官房である。

新型コロナウイルス感染症対策本部を設置し,決定を行う強い立場にあるのだから,ここがきちんと国民目線の文書をわかりやすく出す義務があるのではなかろうか。

にもかかわらず,例外措置が何かなどの詳細は,所管庁に丸投げして,一番分かり難い行政文書を発表している。単に「10月1日に緩和した措置を12月28日から1月末まで停止し,緩和を認めない」と言えばいいだけであるのに,あたかも新しい強い措置を取ったかのアピールをしたかったのか,「拒否する」などと紛らわしい文書になっている。

行政文書としても統一感がない。14日間の待機措置については,「緩和を認めない」としているのであるから,統一して「緩和を停止する」という端的な説明をすれば良いのではないだろうか。

こうした点からも,私はどうも行政文書の改ざんをさせた安倍政権を継承する菅内閣には,事実関係を捻じ曲げて国民への印象操作をしようという小手先感を感じずにはいられない

いずれにしても,3省庁がそれぞれ一元化されていない文書を出していることで,出入国管理行政として今政府が行っている措置が正確に把握しにくくなっているのは,こういう第三波は容易に想像できたはずなのに何も準備していないことの現れであって,本当に情けない限りだし,怒りすら湧いてくる。

3.今回の措置から透けて見える薄っぺらい行政改革

他の大臣に比して河野太郎大臣は人気があるようであるが,私は,今回の措置を巡る行政文書の分かり難さからも明らかなとおり,菅内閣には国民目線の本当の意味での行政改革は無理だと思う。河野大臣は,ハンコを目の敵にして行政改革をやったつもりでいるのかもしれないが,今回の人の出入国に関する措置を巡る行政文書の分かり難さと,3省庁バラバラの文書が,縦割りの行政が一切変わる兆しがないことを如実に示してくれているのではなかろうか。

ハンコを失くすより,こうした国の基本的方針を示す際に,わかりやすい国民目線の一元化された情報が統一的に示されるのが,何よりも行政改革の成果であるし,国民の生命・身体の安全と基本的人権に関わる出入国に関する決定の案内こそ,率先して,改善すべきものだったと思う。

行政改革による縦割り行政の改善とは,まず国民目線でどうやってわかりやすい行政文書を書くかということに注力すべきではなかろうか。国民も過去の民主党政権の時に学んだように,こうした人気取り大臣のパフォーマンスに騙されてはいけない。本質的な行政改革による縦割り行政の解消は,今回の措置の発表を見ても,何ら行われていないことは明らかなのである。

既存の与党の政治家たちは,与党という権力に胡坐をかいてきたから無理なのかもしれないが,国民からどう見られているかを真摯に意識して,国民目線に全集中してほしいと思うのは私だけではないだろう。

 

  

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02/21/2020

日本の危機管理能力がいかに乏しいかを世界に知らしめたクルーズ船隔離の失敗

世間の関心は,この話題に集中しているのではなかろうか。神戸大学の岩田健太郎教授による指摘から明らかになったクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」内での隔離と検疫政策の失敗である。

1.厚生労働省技術参与の高山義浩氏の反論の説得力

私は,あくまで法務,訟務,コンプライアンスを専門とするキャリアを積んできたので,感染症はおろか医学系については素人である。もっとも,あらゆる係争は裁判の場においては,裁判官は素人的感覚をもって,専門家の意見などの証拠資料を吟味し,社会通念上何が相当であるのかということを経験則に照らして判断していく。そこで,私も素人的観点から,高山氏の反論を読んでみた。しかし,結論として高山氏の反論を読んでも,何ら岩田健太郎氏が指摘した事実の不存在を裏付けるような反論にはなっていないというのが正直な素人的感想である。以下主要な点について評価したい。

というのも、現場は乗客の下船に向けたオペレーションの最中であって、限られた人員で頑張っているところだったからです。そうしたなか、いきなり指導を始めてしまうと、岩田先生が煙たがられてしまって、活動が続けられなくなることを危惧したのです。まあ、クルーズ船とは特殊な空間ですし、ちょっと見まわしたぐらいでアドバイスできるものではないとも思ってました。

 この部分は何ら反論にもなっていない。単に経緯を述べているに過ぎない。

 >DMATのチーフのドクターと話をして、そうすると「お前にDMATの仕事は何も期待していない、どうせ専門じゃないし、お前は感染の仕事だろう、感染の仕事やるべきだ」という風に助言をいただきました。

これ事実です。岩田先生は、これで自分は感染対策についての活動ができるようになったと理解されました。ただ、船には、DMATのみならず、厚労省も、自衛隊も、何より船長をはじめとした船会社など、多くの意思決定プロセスがあります。その複雑さを理解されず、私との約束を反故にされました。せめて、私に電話で相談いただければ良かったんですが、そのまま感染対策のアドバイスを各方面に初めてしまわれたようです。

この部分は,岩田教授に根回しをしてほしいと言っているに過ぎず,何ら,指摘した問題点に対する反論にもなっていない。

 もちろん、岩田先生の感染症医としてのアドバイスは、おおむね妥当だったろうと思います。ただ、正しいだけでは組織は動きません。とくに、危機管理の最中にあっては、信頼されることが何より大切です。

この部分もむしろ,厚労省のオペレーションがまずいことを認めた上で,組織論を振りかざしているに過ぎず,厚労省の対応が指摘通り問題だったことをむしろ自認しているといえる。

 しかしながら、実際はゾーニングはしっかり行われています。完全ではないにせよ・・・。

この部分は,我々は中を見ていないから何とも言えないわけではあるが,後述するとおり,厚生労働副大臣の自爆的ツイッターの投稿から明らかに素人目からして,隔離はできてないと判断できると思う。ゾーニングの定義がわからないが,密閉できるような状態ではないにしても,もっとビニールなどで覆うなどして,何らかの隔離というのはできないのかと素人の大多数の国民は思ったに違いない。

こんなことは初めての取り組みです。失敗がないわけがありません。それを隠蔽するようなことがあれば、それは協力してくださった乗客の皆さん、仕事を放棄しなかった乗員の方々、自衛隊の隊員さんたち、そして全国から参集してくれた医療従事者の方々を裏切ることになります。 

この部分も,現場で頑張っているという精神論的な論調であり,説得力がある事実は何も摘示されているとは思えない。むしろ,岩田教授が告発して初めて多くの国民に,命の危険にさらされている乗客,乗員,医療従事者の現状が明るみになったのであって,隠ぺいしていないとしても,情報を積極的に開示してこなかった厚生労働省の責任は極めて重いのではないだろうか。アメリカ政府(CDC)も日本の対応は不十分であり,帰国者を更に14日間隔離すると表明している。厚労省は,アメリカ政府が日本の施策が明白に失敗したという烙印を突き付けていることに気が付くべきであろう。

私の米国時代の友人は,米国政府の中枢におり,この問題に対して非常に強い関心を持っているが,岩田教授の告発ビデオと共に後述の橋本厚生労働副大臣が投稿して,慌てて削除した写真を共有したところ,閉口していた。

結局のところ,高山氏の反論投稿を読んでも,何ら厚労省の対応に対する危機感は変わらないと感じた人が大多数なのではなかろうか。この反論のあらゆるところに人格攻撃的な文言が散らばめられており,かつ,そこを大々的に政府の側も突いた反論をしていたが,この反論からは日本政府がおかしな政治主導を振りかざし,無責任に場当たり的な対応しかしていないのが問題であるということを追認すらしているものの,何ら岩田氏の指摘に対する反論にはなっていないといえるだろう。

さらに言えば,岩田教授は、現場の人を批判してるのではなく,そのようなオペレーションをさせてしまっている体制を批判してるのであって,「一致団結していかなければ 」などと精神論をしている場合ではない。真正面から批判を受け止め,どう改善すべきか指示を仰げば良いのではないか。なぜそれができないのであろうか。多くの国民や海外の人がそう思ったからこそ,岩田教授の告発に多くの国民と海外メディアが共感しているのだと思う。

2.橋本岳厚生労働副大臣の自爆

さらに,池田清彦先生もツイッター上で指摘されているが,厚労副大臣の姿勢と認識が国民の不信感を増幅させている。

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この写真を見たら,素人でも隔離なんか全くされていないと感じるのではなかろうか。

今我々は未知のウイルスが蔓延する危機に接しているのである。にもかかわらず,このような程度で,「ゾーニングができている。隔離ができている。」などと言われても,通常人の合理的判断からして,「それはないだろ!」というのがまともな感覚の持ち主の反応だろう。

そして,あり得ないのが,この投稿がまずいとなると,この副大臣は,投稿を削除して事実を隠蔽したというのだからもはや笑うしかない。さらにこの副大臣はなんとこんなん、泣いてまうやろ…。ありがとうございます。がんばります。 」と写真を投稿している。この写真を見た国民はどう思うだろうか。この投稿を見た国民の多くは,「え,船内にあったものだよね。そこにウイルスついてないの?それちゃんと除菌している?」って思うであろう。

しかしながら,この副大臣は,その点に対する説明は何もなく,これらが政府関係者,検疫,医療従事者,ボランティアに配布された事実を明かしている。

このような弱い認識で,ウイルスが拡散したのではないのかという危惧さえ植え付ける投稿を無責任にしているのである。すなわち,厚生労働副大臣の認識は,世間の危機感からは全くもってかけ離れており,リスク管理ができていないことを声高らかにアピールしているのだから,あきれてしまう。危機管理をしなければならないという緊迫感がなく,チャンカワイ的な軽い投稿をする厚労副大臣に不信感以外のどんな感情を国民に抱けというのであろうか。

今回の一件で私は初めてこの橋本岳という政治家を知ったが,なんと,橋本龍太郎の息子だったらしい。なんとも,小泉の息子と言い,あんぽんたんな世襲議員だったか・・・という感想しか持てないのである。岡山県の選挙区の人にはこのような馬鹿政治家を当選させてしまったことを本当に恥じてほしい。

3.広がる岩田教授への共感

ハフポスト日本版は,「声を上げられないスタッフを代弁してくれた」という船内の声を報じている。印象深いのは,この記事の中で,次のような声を紹介している点である。

乗船前、全てのスタッフは、船内の避難経路や非常時の汽笛の合図などについてのブリーフィングを受けるよう義務付けられていますが、危険区域と安全区域についての説明など感染管理に特化したブリーフィングはありませんでした。

でも、当時は、乗船業務に当たる上で必要な知識は事前に共有されているものだと思っていたので、色々疑問に思うことはあっても、自分は専門家ではないので、恐いと思ってはいませんでした。

つまり,日本政府はこの未知のウイルスに対峙しなければならない人たちの安全なんて一切考えていなかったということである。ここに,日本政府が,いかに危機管理(クライシスマネジメント)に弱いかということを示しているといっても過言ではないだろう。

よく,「欧米社会では謝らない。謝ったら負けを認めることになる」などと欧米を知らない人が良く言うが,実際のところ彼らは「Apology」という言葉を多用する。むしろ謝った上で,いかに正しい方向に修正するかという点に重点が置かれている。つまり,海外の組織は,間違いに気が付けば,責任問題などよりも,まずは修正して如何に改善するかに着目する。

他方で,日本社会は間違ってはいけないという点を重視するあまり,解答がないクライシスに対する対応が下手なのである。100%適切にやっていると強弁して指摘は受けないというのが日本の組織によく見られる。これは極度に責任問題を恐れるからである。

今回の一件はそれを如実に表しているのではないだろうか。

馬鹿げた体制論者の与党の政治家などが,「岩田教授の指摘は日本を貶める」などと寝ぼけたことを言っているが,むしろ,こういう声が出ないことの方が,日本を貶めているのであって,そういう馬鹿な人たちは,自らの発言が中国の共産党独裁国家と全く同じことを言っているとは一生気が付かないだろう。情けない限りである。

 

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03/20/2018

森友問題の文書改ざんについて思うこと

暫く記事を書いていなかったが,世間を騒がす森友問題を見て,やはりこの問題については,霞ヶ関の官僚として勤務していた経験がある以上,私見を発するのが義務ではないかと思うことから,久しぶりに現時点で報道されている内容をベースにブログ記事を書くことで私見を述べたいと思う。

結論から言って,文書改ざんの裏に政治的な圧力があったのは明らかであろう。これはいかに政府が詭弁を並べ立てようと決して否定できない事実である。

私は当初,文書改ざんの報道を聞いた時,本当に驚いた。というのは,文書改ざんの事実もさることながら,書き換え前の文書と書き換え後の文書を見れば,政治的圧力があったのは,十中八九,事実とであろうと,霞ヶ関を知るものの社会通念からすれば,明らかであるためである。

1.そもそも行政文書とは

そもそも行政文書は,既に福田康夫元総理が述べられていたが,民主主義の根幹をなすものとして,公開される可能性があることを前提に,公文書管理法により,各省庁の行政文書管理規程に従い,各省庁の局課室において原本管理されているものである。

各省庁において多少の違いはあるにしても,行政文書にはそれぞれの区分に応じ,保存期間が定められており,その保存期間前に,差し替えたり,書き換えることは決して許されないというのが,官僚の共通認識であると私は思っていた。

実際,省庁の部局及び課室には大量の文書があることから,行政文書が紛失したという事案は起こりえるのであるが,起こった場合は総括文書管理者に報告しなければならない。

この総括文書管理者とは,官房長となっていることがほとんどである。つまり,行政文書が1つでも紛失したような場合には,官房長に対し,報告を挙げるわけである。

官房長とは事務次官に次ぐ地位である。通常の決裁ルートであれば,係員,係長,補佐官,課長,局三役(総務課長,官房審議官,局長)を経て,秘書課長,そして,官房長という流れである。

このような決裁の流れからも明らかなとおり,紛失は一大事であって,行政文書の取扱いは極めて慎重に行われるものである(少なくとも私がいた当時の省庁ではそうであった)。

ところで,各決裁過程で当然修正が入る。

通常は局長決裁を経た時点で浄書し,部局を跨ぐ場合やさらに上の決裁が必要な場合は,その浄書版をもって上に上がるというのが,流れである。

秘書課長や官房長の決裁を受ければ,そこでさらに最終的な浄書版が作成され,それが行政文書として,公開される可能性があることを前提に,行政文書として保存されるわけである。

この決裁こそがまさに,国民の知る権利に資するために,民主主義の根幹のために,全体の奉仕者たる公務員一人一人がその務めとして,日々,霞ヶ関の官僚が行っていることなのである。

したがって,そのような決裁文化の下において,決裁後の行政文書を書き換えたり,改ざんしたりすることは,決してあり得ないことというのが官僚の共通認識である。

この官僚の共通認識,公務員としての当然の常識を破壊したのがまさにこの森友改ざん問題であるといっても過言ではないだろう。

2.政治家や安倍昭恵氏についてをあえて記載した改ざん前文書

そもそも,官僚が行政文書を作成する時,何度も繰り返しいうが,公開される可能性があることを認識して,行政文書を作成している。それは,情報公開法に基づく情報公開請求によりマスキングがされるとしても,原則として行政文書は開示されることが前提となっているためである。

これも,霞ヶ関官僚の当然の常識の1つである。

この常識を前提に,今回の改ざん前の文書に,政治家や安倍昭恵氏のことについて言及が詳しく記載されていたという事実について見てみると,政治の圧力があり,政治に忖度した特例処分であったと考えるのが自然なのである(なお,具体的にどこから圧力があったかまでは判然としないが,少なくとも佐川前局長が一存ですべてを行ったと考えるのは無理があるように思われる。少なくとも,取引が問題になった時点において秘書課長や官房長当たりのレベルの人間には話として入れているのではなかろうか)

感の良い人ならば既に気が付いただろう。

通常,公開を前提としているわけであるから,官僚が行政文書を作成する際には,極力余計な情報は記載しない

特に,政治家や首相夫人なんかの陳情案件であれば,むしろ,政治家の圧力があっておかしな例外的措置をしたと思われたくないという判断が働くはずなのである。

他方で,決裁文書は,組織の意思決定過程を証拠として残すためのものである。

すなわち,後任者などから,なぜこのような判断をしたのかと問題視された時のためにも,どういう判断をどういう基準に基づき行ったのかを示すため,いわば,自分を守るための証拠なのである。

にもかかわらず,今回は政治家や安倍昭恵氏の言動等が事細かに決裁文書の一部として記載されていたわけである。

つまり,私からすれば,当該決裁文書の作成時においては,財務官僚たちは,あえて,当該土地取引については,政治家の影響があり,判断が通常ではない例外的措置であることを残そうとしたと思えて仕方ないのである。

もし,この土地取引が通常のもので,政治的圧力とは無関係のものであったのであれば,政治家に関する記載は普通は決裁段階で記載しなかったはずである。

なぜならば,情報公開請求により,開示となった場合黒くマスキングされ,何が書かれていたのか当然問題になるし,不要な記載であれば,そもそも決裁段階で記載しなければ良いだけの話だからである。

しかしながら,決裁時には,それが記載されていたということは,余計な記載ではなかったということだろう

3.国会答弁と各省庁の決裁

すでにほとんどの国民がご存知であろうと思うが,政府答弁はすべて官僚が準備している。各省庁は,国会係を通じて,与野党の委員会で質問する政治家やその秘書から質問の要旨を聞き取り,政府答弁を用意する。

局長答弁であれば,局長のみまでの決裁であるが,大臣答弁の場合は,秘書課長や官房長までの決裁を取ることとなる。

その上で大臣に翌朝レクを行い,国会で答弁する。

総理大臣答弁の場合はより大変である。やっと官房長決裁を経た後,内閣官房の決裁を受けなければならないのである。

これが通常の流れである。

森友問題では,安倍政権は,当時の佐川局長答弁に合わせるために佐川氏が独自に指示して行政文書を改ざんしたという論法で乗りぬけようとしているが,こんなのは霞ヶ関にいたことがある者の常識からするとあり得ない。

安倍総理は昨年2月17日に「私や妻が関係しているということになれば総理大臣も国会議員も辞める」と答弁した。

佐川氏は,同日又は2月24日の段階で,「適正な価格で先方に売却した」などと答弁したわけである。

つまり,安倍首相の発言が先なのであって,それに合わせて佐川氏の答弁がある,又は安倍総理と佐川氏の答弁は同日に行われたというのが時系列的には正しいようである。

そうであれば,先に出た又は同日に行われた総理答弁との整合性を合わせるために,局長答弁がされていると考えるのが自然であろう。

そして,改ざんも総理答弁と局長答弁の両方との整合性を図ったと考えるのが自然なのではないだろうか。

安倍政権と自民党の社畜のような政治家が必死で事実を隠そうとしても,このような時系列的な関係からは,佐川答弁のみの整合性を図ろうとしたと考えるのは常識的に無理があるというべきである。

そもそも,霞ヶ関の常識からすれば,昨年2月17日の総理答弁の時点(もしくは第一報が報じられた2月9日の時点)で,財務省は,当然に問題の決裁文書について存在を確認しているはずである。

その上で,総理答弁を用意し,内閣官房に答弁書の決裁を投げているはずであって,その際に,当該決裁文書の存在は,局長レベルではなく,少なくとも,秘書課長や官房長のレベルまで入っていると考えるのが霞ヶ関の常識的なルートである。

少なくとも,佐川氏のみの判断で決裁書と整合しない総理答弁と局長答弁を作ったと考えるのはあまりにも,官僚の社会通念に照らしておかしいと言わざるを得ない。

私は,この時点で,政務三役や内閣官房には,決裁文書に記載があることなどは情報として入っていたのではないかと想像する(あくまで想像ではあるが,現実的な想像だと思っている)。

いずれにしても,常識的に考えて,改ざんが局長答弁のみの整合性のために行われたと考えるのは時系列的に符合しないのである。

4.自浄作用がない自民党

このとおり,霞が関の官僚組織にいたことがある者として言わせてもらえば,もはや森友問題は,完全に政治家への忖度又は政治家の圧力に屈して,行政が歪められたとみるのが極めて自然なのである。

このことは,先の総理大臣であった小泉元首相福田元総理もはっきりと批判しているところである。

しかしながら,昨日の自民党の和田議員の質問を聞いて本当に呆れてしまった。小泉元総理ではないが,こんなバカげた質問をしてしまう議員を質問に立たせる自民党の判断力がどうかしてしまっているのではないか。

はっきり言って,このようなバカみたいな質問をし,馬鹿げた荒唐無稽の濡れ衣を太田理財局長に押し付けて,安倍政権を擁護しようとするような政治家を質問に立たせている時点でまったく自民党には自浄作用があるとは全くもって看取できない

むしろ,常に矮小化しようとする自民党議員の質問では,国民の怒りに火を注ぐだけである。

ピンチはむしろチャンスなのであるから,自民党はきちんとした質問をして,政治家や総理夫人へのの忖度があったのではないかということを追及できる人材を配置しなければならないはずである。

にもかかわらず,それができず,元総理でなければ批判できない今の自民党は,いかに安倍政権忖度政党であるかを物語っているように感じる。

今,本当に民主主義の根幹が傷つけられている

残念ながら,頓珍漢な陰謀論を国会で唱える和田や渡辺美樹のような無神経な発言をする国会議員を質問者に選ぶ政党に自浄作用は期待できないだろう。

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10/10/2017

選挙における「言葉」の影響力

世間では,安倍総理による突然の大儀が不明瞭な解散,小池新党の誕生などで選挙一色である。そして,今日はいよいよ選挙の告示日である。

このような状況の中,ふと今回の選挙について思ったことを記事にしようかと思った時,残念ながら前回の記事から約1年以上ブログを更新していないことに気が付いた。

安倍政権による公私混同と思われる事象が多く報道され,大儀が不明瞭で,安倍総理の権力維持のためだけに行われたであろう今回の解散。

混迷の世の中において,はやり言論活動を通じて,一定の情報発信を続けなければならないと改めて思っている。

そこで,解散から今日までを振り返り,今回の選挙について私見を発したい。

私は,今回の選挙は,政治家の「言葉」の重さ・影響力を痛感する選挙戦になるのではないかと思っている。

1.安倍総理らに見る「まともに答えないではぐらかす」言葉

まず,最初に指摘すべきは,安倍総理や菅官房長官らの言動に見られる「質問や疑義にまともに答えようとせず,はぐらかす」姿勢である。

加計・森友疑惑の本質を勝手に「自分(安倍)が指示したかどうか」という点に絞り込もうと必死になり,この点について十分に説明したなどと主張しているが,このような言葉のトリックに,多くの国民は辟易としているのではなかろうか。

多くの国民が加計・森友疑惑において抱いている疑念は,安倍が直接指示を出したかどうかではない。国民の関心がある核心的争点は,「安倍総理又はその周辺のオトモダチが何らかの形で通常では通らないことを何か通したのではないか。」という点である。

だからこそ,安倍総理が説明する事実と異なる話や証拠が出てくるたびに国民の不信が深まり,支持率低下が続いていたと私は思う。それに対して,安倍総理や菅官房長官らは引き続き,「質問や疑義にまともに答えようとせず,はぐらかす」という言葉で説明と続けた時,この選挙において国民はどういう判断を下すのであろうか。

2.小池都知事の「排除」という言葉の力

もう一つ私が今回の選挙のターニングポイントと考えているのが,小池知事が発した「排除」という言葉だろう。この言葉が出てくるまでは,マスメディアは,希望の党が自民党を叩き潰すだろうといった勢いで,小池劇場化を手伝った。多くのメディアも有権者も,安倍自民に対抗する勢力誕生かと色めき立った。

しかし,「排除」という極めてキツイ言葉を小池都知事が発したことにより,①現実は路線の人は,希望の党の規模は二大政党制にはならないと考え,熱が醒め,②反安倍の原動力の中心であるリベラル派は,小池は危険だと移り,熱が醒めたと分析している。

その後,小池都知事自身が発言を少し抑制していることからも明らかなとおり,「排除」という言葉が持つ力は強すぎたというべきであろう。この言葉一つで,反安倍で一致した勢力の結集に失敗したと言わざるを得ない。

この失言により,都民ファースト内のごたごたも相まって,小池都知事は独裁的というイメージすらついてしまったのである。イメージ戦略の策士としては,大きな失言をしてしまったのではなかろうか。

3.言葉がSNSにより増強される時代

SNSによる言葉の発信という点では,先日報じられた「立憲民主、フォロワー11万人 ツイッター4日目で自民を追い越す」という記事も気になるところである。

偽アカウントでの水増しではないかというニュースまで出ているが,この記事が示す通り公式に同党は否定している。このようにFake Newsに対して否定をしなければいけない時代であるという点も新しい動きなのではなかろうか。

この記事にもある通り,立憲民政党が直ぐに偽アカウントでの水増しではないかという声に公式に否定するということは,今の政治家がいかにSNSによる言葉の拡散による影響力を意識しているかが良く分かる

4.「言葉の力」を検証するシンポジウムが投開票日に

安倍総理の不誠実な言動や小池都知事の「排除」という言葉がどのような影響を今回の選挙戦の結果に与えるのであろうか。

今回の選挙選では,候補者が発した言葉がいかにその結果に影響を与えるのかについて特に注目し,選挙結果が出た時に改めてこれを検証していきたい。

ところで,私がちょうどこの言葉の影響力について今回記事を書こうと思った時,慶應義塾大学で,言葉の影響力に関する大変面白いイベントが選挙の投開票日である10月22日(日)に開かれることがわかったので,ぜひ紹介したいと思う。

記事によれば,オックスフォード大学インターネット研究所でデジタル・メディアの政治への影響を研究するフィリップ・N・ハワード教授が来日し,講演するようである。同教授は東洋経済で「ソーシャルメディアと旧勢力の新たな冷戦」という記事にも登場していることからもわかるとおり,SNSと政治の関係についての第一人者的学者である。

また,同イベントでは,日本の憲法学者の中でも有名な慶應義塾大学で常任理事も務める駒村圭吾教授もトランプ大統領の例を踏まえ,権力と言葉の関係について発表があるようである。駒村教授は,ジャーナリストの池上彰氏とともに,2015年には「ジャーナリズムは甦るか」という本も出版しているなど幅広い活動をしている。

同教授は,法律時報において,同じような内容の記事を寄稿しており,非常に面白いものであった。

選挙当日なので,おそらく選挙そのものへの言及は避けるのであろうが,奇しくも衆議院議員選挙の投開票日に,「ことばの力」について,検証が行われるイベントが行われるというのは大変面白いと思う。

このイベントはオックスフォード大学出版局と慶應義塾大学が共催し,英国大使館のブリティッシュカウンシルが後援しているようである。

事前登録が必要なようなので,参加する場合は以下から登録する必要があるようである。

https://www.oupjapan.co.jp/ja/events/od2017/index.shtml

自分の投票行動が何らかの「ことばの力」に影響を受けているのかについてイベントに参加し検証してみるもの良いかもしれない。

今回の選挙戦,我々有権者はいかなる言葉に影響を受け,いかなる投票行動をすることになるのであろうか。言葉の力がどういうものなのか,この12日間考えていきたい

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07/30/2016

有権者の見る目が試される選挙

先日は6カ月ぶりにブログを更新し,「緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義」という記事で,社会情勢の変化で往年のエンターテイメントが有する意義が時代時代で変わってくるということについて意見を発信した。

今回は,毎日マスコミが騒いで取り上げる話題の1つ,明日の東京都知事選挙について私の意見を表明したい。

1.マスコミの罪

まず,マスコミが3候補に絞って報道をしていることから,この3候補以外に投票するのは死票になるのは明らかであろう。これはマスコミがいかに我が国の政治的意思決定において,有権者の判断する余地を狭めているかを示している。

マスコミからすれば,一応,最後に候補者全員を紹介しているんだから選ぶのは有権者の勝手であるし,"世論調査"での投票先は3候補がほとんどなのだから,俺たちはそれを単に伝えているだけだと反論するかもしれない。

しかし,公示前から既に有名な候補,いわば,今回の3候補に絞った報道がなされている時点で,マスコミの主張は失当である。

つまり,選挙告示前から無責任なマスコミが「注目」すべき候補か否かという恣意的な判断をし,その結果,実質的に死票とならない候補者の絞り込み(フィルタリング)が行われてしまっていると言わざるを得ない。

この点,有権者がマスコミの「注目」に踊らされており,有権者が未熟で,単に馬鹿なだけであるという見解もあるだろう。その見解は私はある意味正しいと思う。

しかし,マスコミが未熟で馬鹿な有権者を煽っているのは明らかであり,私はマスコミによる事前の絞り込み(フィルタリング)問題ということについては今後真剣に考えていかなければならないと思う。

なぜならば,マスコミがこの国の為政者の意向に沿ってのみ報道することになることは,いかに日本が形式的に民主主義の立憲主義国家であるとしても,実態は北朝鮮と同じということになりかえないためである。

マスメディアに自己の意思の決定を委ねないということが我が国の有権者として果たすべき責務であろう。

2.東京都知事選挙の投票

死票にならない3候補を比べた時,まともな人であれば,どの候補もパッとしないと思うだろう。

石原元都知事が色々と揶揄したオバサンは,明らかに権力欲の塊であり,自己の政治資金の疑念にきちんと回答したとはいえないのであって,この姿勢と資質から見ても,舛添と同じ結果になるのは明らかである。

他方,自民や公明に押されている増田というオッサンも何をしたいのか良くわかないし,改革なんか期待できない。

さらに,野党統一候補の高齢者についても,どうも東京都がどうあるべきと考えているのかが伝わってこない。

したがって,多くの有権者は「よりマシな候補」に投票しようとするのではなかろうか。

しかしながら,投票に際して考えてほしいのは,自分に候補者を見極める能力があるのか否かという点である。

私は今回の選挙でこの候補に入れるべきと推せる候補者は正直いない。

ただし,1つ言えることは,前々回の選挙で猪瀬に投票し,かつ,前回の選挙で舛添に投票した有権者は,明らかに見る目がないのは明らかなので,今回の選挙には投票に行くべきではないのではないかということである。

特に舛添については,彼の資質の問題であり,彼の都知事選挙前の言動を見ていれば,あのような問題を起こすような資質があるのは明らかであった。なぜならば,彼の言動に傲慢で,かつ,選民意識が強く,自己顕示欲の塊のような人間であることがよく表れていたからである。

それは彼の当選直後に私が書いた,「ジャーナリスト池上彰の凄さ(池上無双と言われる理由)」や「ジャーナリスト池上彰から敵前逃亡をした新都知事の情けなさ」という記事における池上氏と舛添とのやり取りを見ても明らかであった。

私は,当時の記事で,「舛添新都知事の度量の小ささは、ジャーナリスト、池上彰によって、当選直後に白昼にさらされた言わざるを得ない。」と指摘し,「今後、池上無双から逃げた舛添という誹りを挽回できるチャンスはあるのだろうか。これ以上失望させられないことを祈るばかりである。」と述べたが,私の懸念は的中した

度量が小さいから,あのようなセコイ政治資金の使い方をして都民から総スカンを喰らったわけであるが,それをしそうな資質は当選直後に表れていた

つまり,当時,投票した有権者が本当に見る目がなかったのである。

投票に行くのも行かないのも主権者たる国民,有権者の自由である。

私は投票率が高いことが必ずしも良い選挙だとは思わない。投票に行かない自由というのも保障されるべきであるし,見る目のない有権者は投票にいかないというのも民主主義に資すると思っている。

過去2回の選挙で明らかに問題のある知事を積極的に支持して投票した有権者は,はっきり言ってみる目がないのであるから,そのことを自覚した上で自らの投票行動を決めるべきであろう。

多くのメディアは投票に行こうと呼びかけるが,見る目がない有権者が無責任に投票することこそ,民主主義の弱点であると私は考えている。

自信を持って投票できないのであれば,投票しないというのも選択肢の一つだろうし,投票する以上は,投票した候補者が猪瀬や舛添と同じような政治とカネの問題を起こした時には,自分は本当に見る目がないと真摯に反省すべきであろう。

3.候補者は池上無双の洗礼を投票日前に必ず受ける仕組みを作るべき

前回の参議院選挙でも,池上彰氏の池上無双ぶりは発揮されていた。民進党の岡田党首にも激しく切り込んでいたし,蓮舫議員もいらつくようなそぶりを見せ,彼女の底の浅さを見せつけていた。

さらに公明党にも恒例となった創価学会との関係について単刀直入で突っ込んでいたのは記憶に新しい。

しかし,本来あるべきは,このような池上氏の厳しい質問と候補者の応答を有権者が見極めたうえで,投票行動を決するようなメディアの仕組み作りではなかろうか。

例えば,NHKと民放が協力して,全候補者を集めたテレビディベート大会を2~3時間の枠で,池上彰氏のように単刀直入に候補者の嫌な質問であっても構わず行い,自分の意見などを言いすぎないジャーナリストを司会者にして行うべきである(ちなみに,現在,正直,池上氏以外にそれができるジャーナリストいないと思う。例えば,朝まで生テレビの司会を長く行っている田原総一朗氏は自分の意見を言いすぎるという点からディベートの司会者には向かないだろう)。

嫌な質問にどう候補者が答えるかで,その候補者の人間としての資質が見えると私は思う。

マスコミがそれぞれバラバラに下らない選挙特集をやるよりも,池上無双による候補者のスクリーニングをテレビディベートというような形で行う方が,よっぽど有益だし,候補者を見極める目を養うことに資するだろう。

いずれにしても,明日は投票日。

2度の恥ずかしい都知事を輩出した都民である我々に,有権者として見る目があるか否かが今再び試されている

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07/26/2016

緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義

暫くブログを休止していたが,書きたい話があるので約半年ぶりにブログ記事を更新しようと思う。

最近は,中東におけるテロやイスラム原理主義に傾倒したテロリストによる犯罪行為のニュースを聞かない日はないと言っても過言ではないだろう。

テロは中東からヨーロッパ,北米だけでなく,オリンピックが行われるリオでもその計画が明るみになり,もはや世界中で安全な地域はないとも思えるような暗いニュースが多い。

そのような情勢の中,我が国では,幸いにしてイスラム原理主義によるテロ犯罪は起こっていないが,我々の中東やイスラムに対するイメージは過去を見てもないほど日々悪化しているというのが実情であろう。

ところで,私は以前から何度か映画や演劇,オペラ,ミュージカルなどのエンターテイメントが社会や個人に与える力,その社会的意義,いわば,エンターテイメントの大儀について,様々な記事(例えば,「ディズニー(Disney)映画に見るセクシズムと限界」など)を書いてきた。

そこで,日本で公演されているある世界的なミュージカル作品についての私見を紹介し,今このタイミングで公演が行われた社会的意義について考えてみたいと思う。

1.30年以上前に作られたミュージカルの現代的意義

その作品は,邦題:「ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート」(原題:「Joseph and Amazing Techinicolor Dreamcoat」)(以下「Joseph」という。)である。

7月13日から渋谷ヒカリエの東急シアターオーブ(BUNKAMURA)で公演されて,7月24日(日曜日)で千秋楽を迎えたブロードウェイミュージカルである。

この作品については,スーザンボイル現象が起こった2009年頃に,「チャンス・ステグリッチ(Chance Steglich)君の歌唱力にも注目」という記事で,当時高校生であったチャンス君の高校生とは思えぬ高校での公演の動画を紹介したことがあったが,当時チャンス君が出演した作品がこのJosephなのである。

<参考:チャンス君の動画>

※以前紹介した記事の動画が見れなくなっているので今回新たに次の動画を掲載する。

ちなみに,当時高校生にして素晴らしい歌唱力を持っているチャンス君は,現在ユタ州のディクシー州立大学の劇場で俳優として活動しているようである。

さて,話を本題に戻すが,このJosephは,オペラ座の怪人,キャッツ,エビータなどを輩出した作曲家,アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)と美女と野獣,チェス,ライオンキングなどを輩出した作詞家,ティム・ライス(Tim Rice)が初めて1967年頃に生み出した作品で,トニー賞を1982年に受賞して以来,様々な演出が加えられエンターテイメントととして進化し続けており,アメリカやイギリスなどの欧米では知らない人はいないと言っても過言ではない。

アメリカの多くの人々が高校などで公演などをした際に参加したり,鑑賞したことがあるという経験を持っているだろう。

また,イギリスでは2007年にBBCが「Any Dream Will Do」という番組を放映した。

この番組では,Josephの主役を一般公募のオーディションをして勝ち上がったファイナリストから毎週番組で電話投票をして,最後に残った俳優が主役を演じることができるという番組を放映しているが,かなり好評だった。

いかにこの作品が英語圏で人気の作品か良く分かる。

そこで,今日の記事の本題である「この作品がなぜ今日本で公演されたことに意義があるのか」であるが,それはこの作品が扱うテーマである。

そもそも,この作品はキリスト教の旧約聖書,ユダヤ教の聖典,イスラム教の啓典の「創世記」をテーマにしたもので,まさに各宗教に共通の物語をミュージカル化したものであるが,宗教対立,宗教に名を借りたテロという殺戮,犯罪行為が横行する現代だからこそ,これらの宗教に共通して存在する物語をテーマにしたこの作品が今まさに時代に適っている

また,この作品の舞台は,カナン(古代パレスチナ)とエジプトである。

今まさに極めて情勢が不安定な地域を舞台に,それとは対極的な演出で,激しい歌と踊りで,楽しく,明るく,「ザ・エンターテイメント」といえる作品であることからも,社会に対する普遍的なメッセージを感じる作品である。

そして,作中で披露されるテーマ曲の1つも,混沌とした時代に忘れかけている大事なことを観客に喚起してくれる。

それが「Any Dream Will Do」である。

これはJosephのテーマ曲の1つでるが,この歌詞の中には次のような歌詞がある(和訳は私が仮訳としてリズムに合わせて付したものである)。

Far far away, (遠くで)

someone was weeping. (涙する人)

But the world was sleeping. (気にしない世界)

Any dream will do.(夢をみよう)

【中略】

And in the east, (東の空で)

the dawn was breaking (夜が明ける)

And the world was waking (世界が変わる)

Any dream will do(夢をみよう)

【中略】

The world and I, (世界と私)

we are still waiting (いつまでも待つ)

Still hesitating, (ためらい続ける)

any dream will do(夢をみよう)

我々日本人はバブル期に経済的な利益を追い求め,未だに物欲主義のバブル再興という夢を見ている人間もまた少なくない。

また,それを望んでいなくても,日々の仕事に忙殺され,精神的な安定と自己実現の価値についてなかなか向き合える環境ではないという現実も存在する。

そのような日本において,Josephは,夢をみること(夢を持つこと)の大切さという強いメッセージを送ってくれるのである。

私は,夢をみることというのは,思想の自由という精神的自由の根本的価値の1つの体現であり,私たちが人間として享受できる人権の最も根幹な部分と考えている。

つまり,個人がいかなる夢をもつことができるという自由なのであって,それは人間としての個々が存在し,自己実現をするためのもっとも重要な自由である。

この作品の冒頭で,ストーリーテラーのナレーターが歌う次の歌詞がある。

Now I don't say who is wrong, who is right (誰が正しいとか,間違っているとはいいません)

But if by chance you are here for the night (でも今夜,皆さんは偶然にもここに集まりました)

Then all I need is an hour or two (ほんの1,2時間を下さい)

To tell the tale of a dreamer like you(あなたのように夢を見る人の話をさせて下さい)

We all dream a lot -- some are lucky, some are not (私たちはたくさんの夢を見ます。幸運な人もいれば,不幸な人もいます)

But if you think it, want it, dream it, then it's real (でも,思い,欲し,夢を見れば,現実になるのです)

You are what you feel(感じていることそのものがあなた自身なのです)

非常に詩的な内容なので,仮訳も非常に難しいが,私はこの最後の部分にこそ,夢を見ることによる自己実現の重大さというメッセージを感じる

今の日本では,憲法が何たるかを全く理解していない為政者が,憲法を改正する力を手に入れてしまったという現実がある。

しかし,この自己実現という価値はまさに,憲法が保障する精神的自由の根幹部分であり,この価値が制限されるような世の中には我々は絶対してはいけない

また,世界では毎日テロという無意味な殺戮という犯罪行為による多くの市民が殺されている。フランスに続き,ドイツでも子どもをターゲットにしたテロが発生してしまった。こうした犯罪行為を絶対に許さないという強いメッセージを宗教リーダーは力強く発する必要があると感じるがイスラム教のリーダーからの強いメッセージはあまり聞こえてこない

この点,この作品では兄弟に殺されかけたJosephがその兄弟たちが危機に直面した時にどう対応するかというシーンがある。

この作品は他人に不寛容になり,宗教やその他の薄っぺらい形式のみの大儀の名の下で,他者を否定し排除するという世界の風潮に対し一石を投じており,30年以上前に作られた作品ではあるが,むしろ現在の社会情勢に鑑みて,改めて評価されるべきである。

ショーが終わった後,会場から出る際に,ある年配の観客の方が,「最近テロの話が多くて怖いけど,こういう物語のベースになるエジプトってやっぱりすごいわね。こういう作品が世界でもっと広がって,偏見や争い事が少しでも減るといいのにね。」と話していたのは大変印象的だった。

2.今回の作品の評価

前述でも触れたが今回の作品では,アレンジが加えられている。

1999年頃に映像化されたDonny Osmondが主演の作品はより子供を対象にした演出であったが,渋谷で公演した作品は,現代の大人に向けた演出が強かった

この点は,演出を担当したAndy Blankenbuehler氏が,冒頭のプロローグ部分で,汽車の音などを取り入れるなど1999年のDVD版とは異なるアレンジを加えた理由について,パンフレットの中で,「大人は進むべき道は(敷かれたれーつの上を走るように)ひとつしかないと思い込みがちだということも表したかった」と述べていることからも明らかである。

なお,Andy Blankenbuehler氏は今年のトニー賞を席巻したハミルトン米国大統領の生涯を描いたミュージカル「Hamilton」で振り付けを担当し,トニー賞を受賞している。

これは英語を母国語にしない日本人には当たりだったように思われる。

私は,最終日の前日の最後の夜のショーを見たのであるが,会場には子どももちらほらいたものの,観客の多くは大人であり,年配の観客もかなり多くいた。

そして,驚いたのは,この大人の観客達が一体となって始まりから最後まで続くアンドリューロイドウェバーの「繰り返しのリズム」にまんまと取り込まれ,所々で大きな歓声を上げながら,最後は全員総立ちでスタンディングオベージョンをするほど熱狂した状態であった

特に,高齢の男性客が高いテンションで楽しんでいた姿は,大変印象的であった。

日本にはJosephのように観客を一瞬にして別世界に引き込む夢のあるエンターテイメントが非常に少ないことも起因しているのかもしれない。

特に印象に残ったのは,主役のJosephを演じたJC McCannさんの歌唱力,代役(Understudy)ではあったものの作中で主演女優というべきナレーター役のShea Gomezさん,コミカルでプレスリーのようなファラオ役を演じたJoe Ventricellさん,そして,脇役ではあるものの,ジョゼフの兄弟の一人であるBenjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんの4名である。

主役のJC McCannさんは,アンドリューロイドウェバーがこの作品でよく使いたがるようなポップなアイドル的な俳優ではなく(そのようなキャスティングのせいでこの作品は子供向けと思われがちな傾向がある),どちらかというとクラシカルな「Oklahoma!」やLes MiserablesのEnjouras役などを演じてきた実力のあるミュージカル俳優というだけあり,きちんとした歌唱力に裏付けされており,Josephの役にはぴったりだっただろう。

主役級が印象に残るのは当然と言えば当然だが,Shea Gomezさんは代役であったものの凄く強い歌唱力であったし,おそらく多くの観客は彼女が代役とは気が付いていないかもしれない。

また,ファラオ役を演じたJoe Ventricellさんの演技も英語という障壁を多くの観客が抱えているにもかかわらず,プレスリーのような声で,絶妙な間合いとボディーランゲージによる演技で笑いを何度も取っていたのは素晴らしいと感じた。

そして,私が一番評価したいのは,あまり目立つキャラではあったものの,Josephの末の弟,Benjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんである。

彼はバク転宙返りなどアクロバティックな演技もしていたが,私はそこではなく,彼が「One More Angel in Heaven」という歌のシーン(ジョゼフがいなくなり悲しんだり喜んだりしているシーン)で行った細かい演技に感銘を受けた

Benjaminというキャラクターは,Jacobの12番目の息子で,Josephの同じ母親から生まれた弟であり,もっともJosephと仲が良い存在であったとされている。

そのBenjaminを演じたMatthewさんは,上記シーンで,他の兄弟とは一線を画し,悲しんだり,後悔したりした姿を演じていたのである。

これは1999年に映像化されたシーンでも描けていなかった。それを今回の渋谷の舞台で細かく演じていたのは作品に対する高度なプロの仕事を感じたのである。

歌と踊り一辺倒となってしまいがちなアンドリューロイドウェバーの作品において,脇役ながらキャラクターの細かな心情の違いを演じきっていたのには驚くと同時に大変感心した。ぜひ今後も様々なミュージカルで成功してほしい俳優である。

他方で,作品をある程度批判的に考察することも必要であるからあえて厳しい評論もしようと思う。

まず,個人的にあまりしっくりこなかったのは,Judahの役のKyle Freemanさんが歌った「Benjamin Calypso 」とSimeon役のPeter Suraceさんが歌った「Those Canaan Days」の部分である。

前者は,演出のライトニングが暗く,Calypsoというカリビアン的な雰囲気が十分に出ていなかった。

そういう意味ではどうしても1999年のこのシーンのイメージを打ち破るだけのパンチが少なかったということだろう。このシーンでは,直前の緊張感のあるシーンから一気に開放され,愉快で南国の雰囲気が出てこないといけないと思うが,それも少し中途半端な感じで,歌もどこかあか抜けない感じだったのが残念であった。

後者は,好みの問題なのかもしれないが,このシーンでは「Those Canaan days we used to know. Where have they gone, where did they go?」という歌詞があり,where didというところで,かなり長く伸ばすシーンがあるのであるが,ここが最も俳優たちの歌唱力の強さを感じることができるシーンなのであるが,渋谷のショーでは,この部分をコミカルに笑いをとるだけにしてしまっており,もっと歌唱力の強さを感じたかったように思う。

例えば,トニー賞を受賞した時は,以下の動画の1:18辺りのシーンのように息継ぎなく長ーく伸ばしながら歌唱力を見せつけるような演出が見たかった。

このように物足りないと感じる部分も全くなかったわけではないが,今回の渋谷ヒカリエで上演されたミュージカルは総じて素晴らしいものであった。

さらに,前記の動画のとおり,渋谷ヒカリエでの「Go go go Joseph」のシーンは白い衣装で統一されていたが,やはりこのシーンはもっとカラフルで近未来的な演出をもっと過激かつ会場全体を巻き込む形でやった方が日頃大人しい日本人にとっては絶大のインパクトを与えることができたように思う。

この点,今回はUS Tourのキャストによる公演だったが,イギリスの公演の演出は,より華やかな印象を受け,また違うようである。例えば,イギリスでは,X Factorで有名になったLloyd Danielsさんが主役になったりしている。

次回はイギリスのキャストによる公演があると比較できて面白いかもしれない。

いずれにしても,残念ながら,Josephは,7月24日(日)の12時30分が日本での最終公演になる。

私が見た7月23日(土)の夜の回では,リピーターチケットということで,最終日のチケットも販売していたが,座席はほとんど埋まっており,この公演を見て感激し,2日連続で見ようとしている人もかなりいたようで,列ができていた。

この作品を見逃した人もそう落胆することはない。なぜならば,この作品は映画化も検討されているといわれている。

またYoutube上でもJoseph事態は様々な高校などのレベルでも演じられており,それを見ることができる。また,1999年のDVDバージョンもお奨めである。

ぜひ興味がある人は,このJoseph and Amazing Techinicolor Dreamcoatという作品を見て,現代におけるこのミュージカルの社会的意義を再評価して,この作品を楽しんでもらいたい。

なお,最後に,次の動画を紹介して,約6カ月ぶりの記事を締めたいと思う。

これは上述で触れた今年のトニー賞を席巻したミュージカル「Hamilton」の歌を披露するJoseph and Amazing Techinicolor DreamcoatのUS National Tourのキャストの動画である。

このメンバーが渋谷のヒカリエで公演したのであるが,この動画も必見である。

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07/24/2016

【移動しました】緊迫する社会情勢とある往年のミュージカルの社会的意義

記事を更新したことに伴い,当該記事は次のリンク先に移動しました。

以下のリンク先で記事をご確認ください。

緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義

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01/26/2015

ツイッターによるコラ画像をめぐる海外の評価(その2)とISISアカウントの凍結

昨日の記事(「イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価」)は,非常に大きな反響があったようで,このブログへの直接のアクセス数が約4万PVもあった。

また,本ブログが転載されるLINE社が提供するBLOGOSにおける昨夜の転載記事も最も読まれ,最も支持されたようである。

今回このような反響が多かったのは,今まさに日本で起こっている現象について,肯定的に報じている海外メディアが存在することについての情報が少ないからであろう。

そこで,今日もこの現象を肯定的に報じる海外メディアの記事を紹介しようと思う。

1.ツイッターによるコラ画像をめぐる海外メディアの肯定的評価

まず,RYOT Newsは,「日本のツイッターにおけるイスラム国人質事件に対する反応は全く素晴らしい(Japan’s Response on Twitter to the ISIS Hostage Crisis Is Absolutely Brilliant)」と題した記事で,この現象を紹介した上で,次のとおり指摘する。

【略】

結局のところ,テロという重大で恐ろしい不正義に立ち向かう上で,正しい方法も,悪い方法もない。しかし,近時のテロリストに対して,嘆いたり,激怒することから,ユーモアをもってテロリストを馬鹿にすることへの転換は,過激派が狙っている効果や望んでいる結果への対抗手段として,実行性があることは否定できない

(At the end of the day, there’s no right or wrong way to cope with a horrific injustice of this magnitude. But it’s hard to deny the recent shift from weeping outrage to humorous belittling does far more to defy the desired outcome these misguided radicals hope to effect.)

さらに Breitbart Newsは,「日本がツイッターにおけるコラ画像のタグ付けコンテストでイスラム国の人質ビデオに対抗(JAPAN MOCKS ISIS HOSTAGE VIDEO WITH PHOTOSHOP HASHTAG CONTEST ON TWITTER)」という記事で次のとおり指摘している。

交渉期限とされる72時間が経過し,日本がテロ組織と協調して,人質解放のために身代金を支払うのか否かははっきりしない。

(The 72-hour deadline has since passed, and it is not clear whether Japan will collaborate with the terrorist organization and pay them for the release of their citizens.)

結局,次の1つの呟き(ツイート)が,「#ISISクソコラグランプリ」というハシュタグの裏に込められたテロリストに対するメッセージを要約している。テロリストは,「地獄に落ちろ」ということである

(In short, one tweeter summarized the message behind the hashtag directed at ISIS, namely telling them to “go to hell”:)

【同紙はPeter Payneさんというツイッター利用者のツイートを引用】 「#ISISクソコラグランプリ」のメッセージは,「お前たちは,我々の同朋を殺すことができるだろう。しかし,日本は,早いインターネットがある平和で幸せな国である。地獄に落ちろ。」

また,RadioFreeEurope/RadioLibertyは,「(日本のツイッター利用者がイスラム国を馬鹿にして嘲笑うことで,人質事件に反抗(Japanese Twitter Users Defy Hostage Crisis By Mocking Islamic State)」と題した記事で,ネットでイスラム国のテロリストをコラ画像で嘲笑われた現象は,今回が初めてではなく,匿名のロシア人インターネット利用者により行われたことがあると紹介している。

テロリストのジハード戦士を名乗る「ジョン」は,「日本の国民(少なくとも日本のソーシャルメディアの利用者)」が彼のテロの脅威に対し,コラ画像コンテストという形で,対抗するとは予期していなかったと考えるのが合理的であろう。

(It is reasonable to assume that “Jihadi John” was not expecting that the “Japanese public” (or at least Japanese social-media users) would react to his threats in quite the way they have -- with a Photoshop contest.)

「#ISISクソコラグランプリ」と題したツイッターのハッシュタグを使い,日本のツイッター画像は急速に広まり,数百もの画像が共有されている。1月20日時点で,ツイッター上では,4万回もこのハッシュタグが使われている

(Using a Twitter hashtag that translates roughly as “ISIS crappy photoshop grand prix,” the Japanese Twitter meme has gone viral, with hundreds of images being shared. On January 20, there were around 40,000 mentions of the hashtag on Twitter.)

【中略】

ユーモアによって,イスラム国武装グループのプロパガンダに対する反撃を行うということは今や最も大きく広まり,最も人気な現象となっているが,日本のコラ画像グランプリが初めてのものではない

(While it is the largest and most popular phenomenon to date of using humor as a counter to the Islamic State group’s propaganda, the Japanese “Photoshop grand prix” is not the first case of its type.)

ロシア人の匿名インターネット利用者のグループがイスラム国のグループ(ロシア語を話す武装集団)に対して,数か月にわたって反撃したことがある。

(A group of anonymous Russian Internet users have been mocking the Islamic State group -- and Russian-speaking militants in Syria and Russia in general -- for months via a parody group known as TV Jihad, which claims to be a “joint project of Kavkaz Center (the media wing of the North Caucasus militant group the Caucasus Emirate) and TV Rain (a liberal Russian TV channel).")

【中略】

このツイートでは,イスラム国の指揮官, Umar al-Shishaniを雪の中の入れた画像を掲載し,ウクライナのドネツク州ドンバスのロシア分離主義者「Arseny Pavlov」のニックネームである「モトローラーか?」というメッセージ載せている。

(This tweet shows an image of IS military commander Umar al-Shishani in the snow and asks, “Motorola?” -- a reference to Arseny Pavlov, a pro-Russian separatist in the Donbas:)

この記事の最後の部分であるが,私は,ロシア情勢に詳しくないので,どういう説明なのかいまいち理解できないが,おそらく,イスラム国の武装リーダーを雪の中に入れて,ロシア分離主義者のモトローラーなる民兵と見た目が似ていることを馬鹿にしているのではないだろうか。

インターネット上で調べたところ,このモトローラーなるロシア分離主義者はドネツク州で死亡したという話もあるので,その関係でも意味があるのかもしれないが,はっきりとはわからない。

2.イスラム国関係者のツイッターアカウントが凍結

ツイッターが欧州の若者をイスラム国に参加させるプロパガンダの手段となっていることはよく知られている。

これに関して,非常に興味深いニュースをイギリスのデイリーメール紙電子版が報じている。

同紙によれば,数百ものイスラム国関係者・支持者のツイッターアカウントと疑われるものが,反テロキャンペーンにより,凍結されたという。

特に,1月20日の一晩(イギリス時間と思われる)で,400ものアカウントが凍結されたというのである。

ISISクソコラグランプリの影響か否かは不明であるが,私も確認したが,ツイッター上の「ISISクソコラグランプリ」の現象に反応していたイスラム国のアカウントは軒並み凍結されている。

また,日本のインターネット上では,「#ISISクソコラグランプリ 小市民が40びょうで出来る社会貢献」と題する記事などもあり,日本のツイッター利用者も,ISISクソコラグランプリに参加しつつ,ツイッターにイスラム国関係者のアカウントを通報する動きをしているのではないだろうか。

実際,私自身も,一部のイスラム国のツイッターアカウントが残忍な写真を掲載していることから,ツイッターで迷惑行為として通報している。

この点,デイリーミラー紙に対し,ツイッターの広報担当者は,「我々は,他者に対する直接又は特定の暴力を禁止した利用規約に違反したという報告を受けたアカウントをすべて精査しています(“We review all ­reported accounts against our rules, which prohibit direct, specific, acts of ­violence against others.”)」と述べており,こうしたイスラム国関係者の疑いがあるアカウントを通報するということは,テロリストのプロパガンダ活動を邪魔する点において有効なのかもしれない

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01/25/2015

イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価

イスラム国により拘束された人質の殺害予告事件が行われ,連日メディアで報じられている中,一部のメディアでは取り上げられているが,まだあまり知られていないのが,日本人のツイッター利用者が,イスラム国の関係者と思われるツイッター利用者のアカウントに対して行った「ISISクソコラグランプリ」という『攻撃』である。

今日は,この現象について,海外,特に英字メディア等の評価を紹介する形で取り上げてみたい。

1.ツイッター上で行われている「ISISクソコラグランプリ」の概要

事の発端は,日本人拘束者の殺害予告動画をツイッター上で掲載していたイスラム国(ISIS)の関係者と思われるツイッター利用者のアカウントに対して,日本人のツイッター利用者が「#ISISクソコラグランプリ」と題したタグを付けて,殺害予告動画の一部の画像を加工して,送り付けたというものである。

この「クソコラ」というのは,糞みたいなコラージュ作品の略であり,クソというのは,「酷い」という意味で使われている。

具体的に言うと,日本人のツイッター利用者が,人質2人と「ジョン」というニックネームの黒づくめのテロリストの顔などを入れ替えたり,別の画像(例えば,アニメーションのキャラクターなど)と入れ替えたりするなどして加工し,イスラム国関係者の思われる利用者に送り付け,それが,「#ISISクソコラグランプリ」と題して,ツイッター上でイスラム国と思われるアカウントなどが炎上しているのである。

どのような画像であるかについては,以下のようなサイトに掲載されているし,ツイッター上で「#ISISクソコラグランプリ」というタグで検索をすれば,発見できるであろう。

本ブログでは著作権の侵害に当たるような画像であるため,かかる画像そのものは掲載しないが,次の2つのサイトから具体的な本件の流れは理解できるであろう。

○ ツイッターで #ISISクソコラグランプリ が流行 → イスラム国の人が洒落にならないほどキレてる

http://matome.naver.jp/odai/2142181104980381001

○ 【謎展開】イスラム国メンバーが #ISISクソコラグランプリ に参戦しだしたんだけど・・・

http://blog.esuteru.com/archives/8026850.html

私は,この行為を発見した当初,「酷い。テロリストに馬鹿が挑発攻撃できてしまう時代。とてつもないことがツイッターで行われてしまっている。」と極めて否定的に受け止めていた。

また,日本のメディアで本件を報じているものも,「不謹慎である」,「人質の命にかかわるのですぐに辞めるべきだ」などと全面的に否定的に報じる風潮である。

また,他のツイッター利用者の反応を見ても,「酷い」とか,「日本でテロが起きたらどうする」とか,「フランスでテロが起きた原因を理解していない」などと極めて厳しい評価が多く見られた。

しかしながら,この日本人ツイッター利用者達の『攻撃』を,意外にも海外メディアは全否定せずに報じている例えば,「テロにユーモアで対抗」とか「アメリカ政府すら成し得なかったことを日本のツイッター利用者が実現した」などとむしろ肯定的に報じているのである。

2.肯定的に報じる英字メディア

そこで,いくつかの英字メディア,ジャーナリストの反応を紹介する。

なお,和訳は私が簡易に仮訳を付したものであり,誤訳等があるかもしれないことを前提に読んでいただきたい。

日本のツイッター利用者がイスラム国にコラージュ画像で対抗(Japanese Twitter Users Stand Up to ISIS with...a Photoshop Meme)」と題した英字記事は,各コラージュ画像を紹介した上で,次のとおり指摘する。

いくつかのコラージュ画像をみると,ツイッター利用者が単にテロリストによる身代金要求という状況を軽視し,ふざけているだけなのかは判然としない。

他方で,日本人のツイッター利用者は,コラージュ画像で,イスラム国をからかっているように見える

人質の命を軽んじ,呑気過ぎるのではないかという懸念があるのは明白である。

しかし,日本のツイッター利用者は,恐怖を通じて人々をコントロールしようというテロリストの手法に対し,ユーモアで対抗しているのではかなろうか

(With some of the Photoshops, it's unclear if people are simply making light of the situation. In others, it does appear that they are poking fun at ISIS. The concern, obviously, is that people might seem too light-hearted about the lives of these men. Or perhaps, they're using humor to resist being controlled through fear?)

【中略】

はっきりしていることは,日本のツイッター利用者が日本政府に対し身代金を支払うように圧力をかけろというテロリストの要求に対して,それを拒否しているということである。

(What is clear, however, is that there are some Twitter users refusing to bow down to demands that they pressure the Japanese government to pay up. For now, that is.)

このように,全面否定することなく,客観的な視点から分析し,肯定的な面を指摘しているのである。

また,アメリカのNBC Newsの電子版も「日本のツイッター利用者がインターネット画像でイスラム国を嘲笑う(Japanese Twitter Users Mock ISIS With Internet Meme)」と題し,この現象を紹介した上で,次のとおり指摘する。

日本のツイッター利用者は,日本人人質事件において,全国的なコラージュ風刺画像を用いた戦いで,イスラム国を嘲笑うことで反抗している

(Japanese Twitter users are defying their country's hostage crisis by mocking ISIS with a nationwide Photoshop battle of satirical images.)

【中略】

ソーシャルメディア分析会社のTospy社によると,「ISISクソコラグランプリ」という日本語のフレーズは,この1日,2日で,6万回以上もツイッター上で言及されているという。これらのつぶやきでは,イスラム国の様々な人質映像の一部を切り取り,面白おかしく日本のゲーム文化の画像などとともに,多くが加工されている。

(The phrase, which loosely translates to "ISIS Crappy Photoshop Grand Prix," has been mentioned more than 60,000 times over the past few days, according to social analytics company Topsy. These tweets include screengrabs from various ISIS hostage videos photoshopped in comical ways, and many of the images reference Japanese gaming culture.)

このとおり,アメリカの大手メディアも必ずしも否定的には報じていない。

さらに別の英字メディアは,「日本の馬鹿げたイスラム国のプロパガンダに対する対応は,アメリカ政府でさえ成し遂げられなかったことをやってのけた(Japan's silly response to ISIS propaganda did what the U.S. government couldn't)」と題し,次のとおり指摘する。

今週,日本のインターネット利用者は,団結してイスラム国を嘲笑うためにコラージュ画像を用い,馬鹿馬鹿しく,軽蔑した画像をテロリストに送り付けるという戦いを展開した。

この努力は人質の救出には繋がらないであろうが,将来のテロを防止するという点において,少なくとも役立つものである。

(This week Japanese Internet users rallied together to mock the Islamic State (a.k.a. ISIS or IS) with a Photoshop battle that shows the terrorists in a series of  absurd and contemptuous images. This effort won’t save the hostages, but it could, in at least a small way, help prevent future terrorism.)

【中略】

アメリカ政府は,イスラム国のネット上でのプロパガンダに対し,反論のためのプロパガンダ技術を駆使してきたが,これまでのところ,アメリカ政府の試みは失敗に終わっている。

アメリカ政府の手法は,ジャーナリストに反イスラム国のメッセージを送ったり,粗末に作られたビデオを作成したりするというものであって,時代遅れであり,いずれもパッとしないものであった。

アメリカ国務省の前顧問であるShahed Amanullah氏もガーディアン紙に対し,アメリカの戦略はイスラム国のグループを強くしてしまったに過ぎないと認め,「イスラム国は彼らの支持者に対し,『見てみろ?我々はすべてにおいて力がある。アメリカがそれを証明している。』と言わせてしまっている」と述べている。

(The U.S. government has tried counter-propaganda techniques by engaging with IS online, but has failed thus far. Their methods, which include sending anti-IS quotes to journalists and creating poorly produced videos, are dated and lackluster. In a piece for the Guardian, former State Department advisor Shahed Amanullah says that America’s tactics have only made the group stronger: “They turn right around to their followers and say, ‘See? We’re every bit as powerful as we say we are, the US government is proof.’”)

では,なぜ今回の日本での出来事が貴重なのであろうか。それは,アメリカ政府が失敗してきた試みを効果的にやってのけたからである。

(So, why is Japan’s response so valuable? Because it was effective where America's attempts have failed.)

プロパガンダに対する反論を展開する上で重要なのは,相手の効果を減殺することにある。イスラム国についていえば,武装グループは,自らが正義であり,かつ,獰猛であると見せたいのである。

しかし,イスラム国のプロパガンダを間抜けなアニメのキャラクターと合成することで,日本のインターネットユーザーは,イスラム国自身が馬鹿げた存在であるように見せることに成功したのである。

テロリストグループに参加しようとする人々を,テロリストを世界の指導者が強く警戒しているということを知り,テロリストが自らの正義のために闘っているということが,参加を促すものとなってしまっている。

しかし,日本のツイッター利用者は,テロリストを取るに足らないものとして描写し,弱体化させることで,テロリストが発するメッセージの重さを破壊したのである。

(The point of counter-propaganda is to undercut the other side's efforts. In the case of IS, the militant group wants to look righteous and fierce. By combining IS propaganda with goofy anime characters, Japanese Internet users in turn made IS look silly. Those looking to join the terrorist group know that it is admonished by almost every world leader, which is part of the draw—standing up for what they see is right. But, emasculating these terrorists and depicting them as anything but serious subverts the gravity of their message.)

これは,小さな勝利かもしれない。しかし,テロリストが参加者を増やすことで力を増していることを考慮すれば,日本人がイスラム国に対する完璧な武器を用いて,世界に,そのメッセージを発したことが,新たな参加者を妨げる唯一の方法となるだろう。

(This may sound like a small victory, but considering that a terrorist group is only as powerful as its number of recruits, and it can only draw new fighters through the strength of its messaging, the Japanese may have just provided the world with the perfect weapon against IS.)

このとおり,全面的にこの現象を肯定的に捉えているものもあるのである。

実際、この現象が続く中で,いかなる理由かは不明であるが,いくつかのイスラム国関係者と思われるツイッターのアカウントが凍結されている。

確かに,この現象極めて不謹慎であるようにも思うが,英字メディアの指摘は必ずしも的外れの指摘とは切り捨てられない説得力があることは否定できない。

3.日本の自己責任論の検証

多数の日本人の世論は,イラクでの人質事件の時と同様に,今回の人質事件についても,自己責任論が徹底して浸透していると思われる。

この自己責任論を批判する動きもあるようであるが,なぜ自己責任論が日本では根強く徹底して浸透しているのかについて,以下,少々検討してみたい。

まず,自己責任論は結局のところ日本人の規範意識の高さにある意味起因しているのではないだろうか

つまり,我が国は,規範意識が諸外国に比べて高く,政府などが「危険などで行くべきではない」とか,「危険なので行うべきではない」という明確な忠告があり,その忠告を十分認知できる状況であったにもかかわらず,その忠告を破って,当該行動を行い,それに伴う危険が現実化したとしても,そのような人を助けることの必要性は極めて低いという思考につながっているのであろう。

これはコース外滑走の遭難者への非難という現象についても同じことがいえる。

これは,刑法における故意論にも似ていると思われる。

故意犯を強く批判する本質は,規範に直面して反対動機の形成が可能であったにもかかわらず,あえて当該犯行を行った点にあると説明される。

つまり,「反対動機形成可能であった」というのは,「犯行を踏みとどまることができたにもかかわらず」ということである。

これと似た思考が自己責任論の根底にあるのであろう。

この当否は別途議論されるべきであろうが,自己責任論そのものは,我が国の国民の規範意識の高さを示すものであり,人質に対して冷たいかもしれないが,テロリストには屈しないという姿勢を示すものとしては,否定されるべきものではないと考える。

また,上記の英字メディアの指摘を踏まえ,改めて考えてみると,テロの恐怖に屈し,畏怖した姿勢を示してしまうことがテロリストの目的であるプロパガンダ効果に利することになるのであって,我が国及び国民がいかなることがあっても,不当な犯罪者の要求を受け付けないという姿勢を示すことが,更なる被害を防ぐことになるだろう。なぜならば,日本人を拉致し,殺しても,一切響かないとテロリストに思わせることができるからである。

いずれにしても,テロリストも日本国民の多数が自己責任論を再び強く唱え,さらに,「ISISクソコラグランプリ」などという現象を展開し,テロリストの要求を呑むように働きかける動きがほとんど起きていなかったことは予想していなかったのではなかろうか

※ コラ画像をテロリストと思われるアカウントに送付する行為が刑法の外患に関する罪に当たるとかいうわけのわからない主張があったので,言及しておくが,単に送付する行為は外患に関する罪には当たりえない。当たると言っている人はいかに無知な主張をしているか刑法81条以下の各条文を読んでみることをお勧めする。他方で,コラ画像は著作権を侵害し違法なものもある。

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