欧州政治

03/31/2015

ジャーマンウィング社飛行機墜落事故報道について

ルフトハンザ航空の傘下のジャーマンウィング社の航空機墜落事故を受け,副操縦士の自殺説が断定的に報道されている中,死人に口なしとばかりに性急かつ極めて意図的で,断定的な検察当局の発表に,私は強い違和感を感じている。

しかし,そのような違和感を感じていたのは私だけではないようである。ブルームバーグ電子版に掲載されているレオニド・バーシドスキー氏のコラムも,私が抱いた違和感と同様の違和感を指摘している。

そこで,今日は,そのコラムを紹介しつつ,私見も発信したい。

ジャーマンウィングスの副操縦士、アンドレアス・ルビッツ氏が意図的に9525便をフランスの山間部に墜落させたとして、世界中のニュースメディアが一斉に同氏を集中攻撃している。 「アンドレアス・ルビッツ27歳、正気を失ったパイロット」とドイツの大衆紙ビルトは一面に大見出しを掲げた。「操縦室の殺人犯」と表現したのはロンドンのデーリー・メール紙。英紙インディペンデントは「操縦室の大量殺人者」ともう一段階過激だ。このほかにもメディアには「狂人」や「失恋パイロット」、「そもそもなぜ免許を与えたのか」などの言葉が飛び交っている。

これらはすべて、仏マルセイユのロバン検察官の発表に基づいている。副操縦士が「航空機の破壊を望んだ」と検察が結論付けた根拠は、コックピット・ボイス・レコーダー(CVR)に残された音声データだ。しかしながら、ここから導き出すストーリーは解釈次第で変わる。明らかに分かっているのは機長が操縦室を離れ、副操縦士がひとり残されたということだ。そしてロバン検察官によると、副操縦士は機長の再入室を妨害し、機体を急降下させたことになっている。

機長は何度もドアを叩いたがドアは開かれなかった。ルビッツ氏から言葉は発せられず、ボイスレコーダーにはドアを叩く音と叫び声を背にしたルビッツ氏の呼吸の音が残された

まず,最も重要な前提として,客観的な事実から現時点で唯一明らかな事実は,ボイスレコーダーには副操縦士の声は一切録音されておらず,呼吸音のみが残されているという点である。

もっとも,報道されている憶測に基づき,この一事をもって,副操縦士が確定的な故意をもって,航空機を墜落させ自殺を図ったと安直に結論付けるには無理がある。

私が特に違和感を感じるのは,呼吸音のみが録音されていたという点である。

つまり,乗客を犠牲にして,自殺を図る人間が呼吸のみを発して航空機を墜落させることができるのかという疑問である。

如何に突発的な故意で当該行為を行ったとしても,何らかの声,例えば,独り言などが録音されているのが自然ではなかろうか。

とりわけ,機長がコックピットの外で叫びドアを破壊しようとしていたという状況の中,故意に航空機を墜落させようとしているのであれば,そのようなパニック状況の中で,自分を奮起させるために何らかの独り言を発して,当該犯行を決行するといった状況の方が自然な状況と思われる。

しかしながら,副操縦士から聞こえたのは呼吸音のみというのである。

ブラックボックスのボイスレコーダーの性能については私は詳しくはわからないが,呼吸音が記録されるような精度の高いものであれば,当然,わずかな独り言であっても,それを副操縦士が発していれば,記録されていてしかるべきであろう。

そのような記録がないのであれば,副操縦士は自らの行為が多数の関係ない命を巻き込む殺人行為であることを多少なりとも意識しつつ,当該犯行に及ぶのであるから,全く何ら声を発することなく実行行為を敢行したとするのは,あまりに不自然ではないかと思うのである。

ロバン検察官が下した結論を裏付けるには、この証拠では不十分だ。操縦室のドアの開閉を説明したエアバスの動画を基に、ボイスレコーダーの音声データを考えると別の解釈も成り立つ。

通常なら外の者が中にいる操縦士にインターフォンで連絡し、キーパッドを操作、そして中の者がその電子音を確認してドアを開ける手続きになっている。手続き通りにいかない場合、外の人が暗証コードを打ちこめばドアは30秒間開錠される。

暗証コードは入力されたのか

機長が操縦室を離れている間にルビッツ氏が意識を失い、機長や乗務員が正しい暗証コードを入力できなかった可能性は考えられないだろうか。

あるいは機長があらかじめ決められた手続きに従わず、ドアを叩いたとしたら。エアバスの動画によるとこの場合、中にいる人はドアをロックするためのボタンを押さなくてはならない。ルビッツ氏がハイジャックだと思い込んでパニックに陥り、同機を着陸させようとしたという可能性はないだろうか。

同氏のコラムは副操縦士がテロリストと考えパニックに陥って着陸させようとしたという可能性を指摘するが,この点については,私は賛同できない。

仮にハイジャックと思いパニックに陥ったのであれば,やはり何らかの声が記録されていてしかるべきではなかろうか。

つまり,呼吸音のみが記録されていたという現時点で唯一の客観的事実にもっと目を向ける必要があるのであって,なぜ呼吸音のみが記録に残っていたのかということをもっと検討されなければならないのではなかろうか。

呼吸音のみ録音されていたから意識があって,故意をもって,墜落させたなんて言う結論にはおよそなりえないのである。

様々な情報を慎重に検討せず,通院歴等々のセンセーショナルな事情を過大に評価し,客観的事実を軽視することは誤った判断に陥るのではないかという強い懸念を感じるのである。

同氏のコラムは次のとおり続ける。

もちろんこういう仮説はどれも本当らしく聞こえないが、ルビッツ氏が抑うつ状態にあった、あるいはガールフレンドとうまくいかずに悩んでいたからといって赤の他人150人を意図的に殺したとの説も同様に本当らしく聞こえない。

ロバン検察官の記者会見では、あるリポーターが副操縦士の宗教について尋ねる場面さえあった。これに対してロバン検察官は「テロリストには指定されていない。質問の意味がそういうことだったらだが」と即座に回答している。

フライト・データ・レコーダーの回収を急げ

現実にはフライト・データ・レコーダー(FDR)のテクニカルなデータを解析するまでは、信頼性の高いセオリーを打ち出すことはできない。FDRを回収し解析すれば、どのように高度が変化したかが分かるだろう。航空機墜落調査に関する報道で知られ、自らもパイロットであるバニティフェア誌の特派員、ウィリアム・ランゲビーシェ氏は現段階の調査では分からないことが多過ぎるのに、仏検察の結論はやや早計過ぎると批判する。

ドイツの操縦士労組も同様に、機長が操縦室に戻れなかった理由でさえ現時点では明確ではないとして、FDRを早急に回収し分析することが極めて重要だと主張する。労組の立場としては認めたくないという気持ちも当然あるだろう。

1999年に起きたエジプト航空990便がそうだったように、ルビッツ氏が本当に故意に墜落させた可能性もあるだろう。しかしそれがもっと高い確実性を伴って立証されるまでは、乱暴な非難の言葉は正当化されない。

遺族に心労

こうした状況は普通の若者としてルビッツ氏を知っていた家族だけでなく、墜落犠牲者の遺族にも心労をもたらす。怒りと悲しみはうまく調和しないものだ。またルビッツ氏がうつ病を患っていたと報じるタブロイド紙もあるが、こうした報道はうつ病の患者に汚名を着せる。

メルケル首相は調査が完了するまで行動を自粛するよう呼びかけたその翌日に、自ら「すべての犠牲者と遺族への犯罪だ」と発言するべきではなかった。航空機墜落の調査は結論を急ぐようなものではない。これだけ分からないことが多いなか、私が知りたいのは亡くなったアンドレアス・ルビッツ氏のプライベートではない。なぜ9525便がアルプスの上空で高度を失ったかを知ることの方が、はるかに重要だ。

これは翻訳された記事なので多少よく理解できない点もあるが,おおむね同氏が指摘するように,鬱だったとか,恋人とトラブルがあったとか,網膜剥離の診断書があったというあくまでも憶測としか言えない情報を過大に重視して,乗員乗客を巻き込む殺人自殺をしたとする結論づけるのはおよそまともな事実認定とはいえないだろう。

現在出ている情報だけでは,依然として,故意の殺人自殺と断定することはできない

考えられる合理的な疑いとして,副操縦士が気を失うなり,意識が朦朧とした状況に陥って声を発することができず,呼吸音のみが聞こえたという可能性が現時点では全く排除できないのではなかろうか。

警察や検察当局が流すリーク情報は何らかの事件の見立てに従って意図的に都合の良い情報のみが流されることを我々は忘れてはいけない。

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01/25/2015

キャメロン英国首相の日本人人質事件に関する声明

今朝,イスラム国により拘束されていた湯川さんが殺害されたとするニュースを受け,駐日イギリス大使のティム・ヒッチンズ(Tim Hitchens)氏がデイビット・キャメロン(David Cameron)総理の声明を紹介している。

英文でしか掲載されていないため,仮訳を付して紹介する。

キャメロン首相の声明は次のとおりである。

報道されている湯川遥菜さんの残忍な殺害とイスラム国による更なる脅威は,テロリストの残忍な蛮行を知らしめるものとなってしまいました。

(The reported brutal murder of Haruna Yukawa and the further threats made by ISIL are yet another reminder of the murderous barbarity of these terrorists.)

湯川さんのご家族のご心痛を心よりお察しいたします。
(My thoughts and prayers are with Mr Yukawa’s family.)

英国は,困難な状況にある日本国民と結束して立ち上がり,あらゆる可能な支援を引き続き日本政府に提供いたします。

(Britain stands in solidarity with the Japanese people at this difficult time and we will continue to offer the Japanese government all possible assistance.)

日本がテロに頭を下げて屈することを拒絶したことは正しい判断です。英国は,安倍晋三総理と同政府が示した毅然とした姿勢を強く支持するとともに,我々の市民のために,平和の進展とより安全かつ安定した将来を実現のため,日本及び世界の同盟国とともに引き続き協働していきます。
(Japan is right to refuse to bow to terrorism. Britain strongly supports the firm stance Prime Minister Abe and his government have taken and we will continue to work with Japan and other partners around the world to promote peace and to build a safer, more secure future for our citizens.)

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02/22/2013

想像を超えるオスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の刑事事件

「何かスッキリしない。」、「何かがおかしい。」

これは、私が、南アフリカ出身のパラリンピック金メダリストのオスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件が報道された時に直観的に感じた感情である。

今日、世界が注目するこの刑事事件につき、私が感じ取っていた違和感(詳しくは、「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題」参照)は、あながち間違いではなさそうである。

この事件に関連し、信じ難いニュースが流れ始めた(太字は筆者によるもの)。

恋人を射殺した罪に問われている南アフリカの義足ランナー、オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)被告の自宅から見つかった薬物について、同国の検察当局は20日夜、テストステロンであるかどうかはまだ分からないと述べた。

首都プレトリア(Pretoria)の裁判所で同日開かれた被告の保釈請求の審問では、検察側の証人として出廷した捜査官がピストリウス被告の自宅から「テストステロン2箱と複数の針と注射器」が見つかったと証言し、これに対して被告の弁護人は見つかった薬物は「合法な薬草」だと主張していた。  

しかしその数時間後、検察当局のスポークスマンはこの薬物について「何かは分からない」、「科学捜査の結果が出るまでは、(テストステロンであるという証言を)否定も肯定もできない」と述べ、検察側は法廷での主張から後退した形になった。  

国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee、IPC)によると、ピストリウス被告は2012年ロンドン(London)パラリンピックで薬物検査を2度受け、いずれも結果は陰性だった。【翻訳編集】 AFPBB News

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130221-00000013-jij_afp-int

そもそも、不確かな情報を断定的に法廷において証言すること自体、極めて非常識である。口が滑ったとかいうレベルの話ではない。捜査機関の憶測、見込み捜査といったことの表れといえるし、こんな捜査機関に対して、どうして裁判所が信頼を置けるだろうか。

これが単なるメディアへのリーク情報であれば、"疑惑"で済んだ話なのかもしれないが、公判廷において、事件の担当捜査官が、このようなデタラメな証言をしているということ一事をもってしても、この事件の捜査状況が異常であることは、明白である

しかし、これだけで済まないのが、犯罪大国、南アフリカの実情を物語っている。

【AFP=時事】(一部更新)南アフリカの義足ランナー、オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)被告が自宅で恋人を射殺した罪に問われている事件で、捜査を主導した刑事が7件の殺人未遂容疑で捜査対象となっていることが21日、明らかになった。  

南ア警察当局のネビル・マリラ(Neville Malila)報道官によると、ヒルトン・ボタ(Hilton Botha)刑事は2009年に走行中の乗り合いタクシーを止めようとこのタクシーに向かって発砲し、殺人未遂容疑で起訴された。その後、起訴は取り下げられたが、マリラ報道官によると20日になって、ボタ刑事に対する殺人未遂容疑の捜査が再開されていたことが判明したという。  

地元メディアは21日、南ア検察当局がボタ刑事をピストリウス被告の事件の担当から外したと報じたが、マリラ報道官はAFPの取材に対し、「警察当局としてはまだ何も決定していない。ボタ刑事は現在も事件を担当している」と報道を否定した。  

20日の審問では、ボタ刑事の提出した証拠に対し、ピストリウス被告の弁護団から信頼性に欠けるとの指摘があり、最終的にボタ刑事は捜査上で複数の過ちを犯していたことを認めている。その中には、ボタ刑事が現場に最初に到着した際に現場の保存を怠ったことや、現場の状況に関してピストリウス被告の主張に矛盾を見出せないなど、殺害は計画的だったとする検察側の主張を弱めるものも含まれている。【翻訳編集】 AFPBB News

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130221-00000032-jij_afp-int

ここまでくると、まるで、サーカス(見世物)である。

そもそも、南アフリカの刑事訴訟手続を詳しくは知らないので、その当・不当の議論は置くとしても、7件の殺人容疑が掛けられ起訴され、その後取り下げられ、さらに捜査が再開されたという事情を持つ人間が、殺人事件の捜査を未だに担当しているということそのものが、あり得ない話と断罪せざるを得ない

さらに、この主任刑事(lead detective)は、捜査の基本である現場保存を怠ったことを保釈審理の場で認めているというのである。

そうすると、そもそも、犯行現場の生の状況につき、かかる捜査官が提示する、いわゆる"客観的"であるはずの証拠につき、その信用性が揺らいでしまうことは、法律のプロでなくても、誰もが感じるのではないだろうか

すなわち、かかる杜撰な捜査官が主任刑事として、初動捜査に深く関わっていたという事実は、本件を検討する上で、警察ないし検察が証拠として示す証拠について、「本当にいじられていない証拠なのか」という不審を前提として構築し、裁判所は審理を行っていくことになるはずである(すくなくとも、南アフリカの司法機関が、司法機関としての常識を兼ね備えているとするならばだが。)。

私は、当初より、殺意の事実認定には、①凶器の種類、形状、用法、創傷の部位、程度といった犯行の態様、②犯行の背景、経過、動機、③犯行中または犯行後の被告人の言動(例えば、犯行中に殺してやるという発言があったか否かとか、犯行後に平然としていたかどうかなど)等の状況証拠を総合的に考慮して認定するということを説明してきたが、本件では、そもそも、②及び③につき、被疑者に有利である旨は、前回の記事「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題(2)」で説明したとおりであるので、参照してほしい。

そして、今回の報道内容は、検察官にとって、もっとも殺人罪で起訴するための根拠となるはずであった、①の立証につき、その証拠資料の信用性を大幅に揺るがす補助事実(要証事実の存在を立証する実質証拠の証明力に影響を及ぼす事実)が示されてしまったことになる。

また、この刑事が提示した目撃供述には300メートル離れていたところから"口論が見えたないし聞こえた"とする証言もある。300メートルといえば、徒歩4分くらいであるが、いかにアフリカの人の視力が良いとしたとしても、果たしてそのような距離において、正確な状況を知覚し、記憶し、叙述できるのであろうか。

このような状況で、果たして、検察官が、公判の維持がそもそもできるのかと私は思うのであるが、南アフリカの検察は、動機の立証ができず、客観的な犯行状況に関わる証拠にも大きな不安があるこの事件を単なる殺人罪ではなく、より重い計画殺人として起訴し、公判を維持するつもりであったというのだから、これも私の理解を超えている

ところで、注目される刑事事件が発生すると、法律に明るくない人が、法律家に対して、「犯人だと思いますか?」とか、「有罪の可能性は?」とか聞くことが結構あるだろう。

しかしながら、訴訟法を学んだことのある人間であれば、当然のこととして理解しているはずだが、法律家が、ある事実を認定するためには、証拠に基づき、その事実の存在が十中八九間違いないという確信を持たなければ、事実の認定に関わることを軽々しく語れない。

そうすると、特に、否認事件では、有罪だと思うとは到底答えられるものではないから、せいぜい、「可能性はあるか」という部分を利用して、可能性あると答えるに留め、言及から逃げるだろう。何故なら、あらゆる可能性は存在するからである。

事実認定というのは、世間一般が考えるほど簡単な作業ではない。

裁判員経験者が口を揃えて大変だったというのは、事実を認定することの難しさに直面し、何をもって、十中八九間違いないという確信とするかに思い悩み、苦悩して、結論を出さないといけないからだろう。

この点、高裁の所長まで勤めた事実認定の分野で有名なある裁判官は、事実認定には、直感的なものも重要であるという。もちろん、それは直感的に有罪の事実認定をするということではない。むしろ、その逆である。

ある事実を認定する上では、「なんかおかしい。」、「なんか違和感を感じる」といった直感的なものを切り捨てず、「違和感は何か。」、「それを合理的に考えて解消できたか。」を常に意識することが必要である。

もっとも、私はすべてを疑えとか、陰謀だとかいう立場には組しない。ただ、否認事件においては捜査機関からの情報を鵜呑みにせず、違和感を感じたら、その直感的なものはある程度大切にして、事件に関する報道に向き合う必要があると言いたいのである。

今回のピストリウス選手の事件は、いかにそうした直感的な違和感が重要かを再認識させてくれた点でも、重大な事件である。

この事件についてはまだまだ語りたいことがあるし、最近この事件について交わした、アメリカ連邦裁で働く友人との議論の内容も面白いので紹介したいが、今日はここまでとしたい。

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02/20/2013

オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題(2)

昨日の「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題」という記事はライブドアのBLOGOSというウェブサイトにおいて、「メディア」セクションの一面に取り上げられたことも相まってか、かなりの読者の方に、問題意識を持ってもらえたのではないかと思っている。

新たに弁護人による保釈請求に係る審理における主張内容や弁護団等の結成に関する情報が報道されたことを受けて、私は、現時点において、この事件は、冤罪の可能性がある程度見込まれる事件ではないかとの心証を持ちつつある

もっとも、かかる心証も、現段階で報道されている情報を前提として、警察がリークする情報内容の矛盾等や弁護人の主張内容を一見してのものであるから、今後の展開次第では、当然変わることが前提である。

ただ、この事件は、捜査機関の情報管理のあり方、捜査機関による一方的なリーク情報の検証のあり方、マスメディアの報道のあり方、事実認定のあり方等を考える上で非常に参考となる事件であるから、なぜ私がこの事件につい冤罪の可能性もある程度見込まれると現段階で思うようになっているのか補足的に説明したい

今まで具体的な犯行状況に関する情報はほとんど明確には報じられていなかったが、保釈審理における弁護人の主張と検察官の主張から、その概要が多少見えてきた。

その記事内容は次のとおりである。気になる部分は太字に筆者がしている。

14日の事件後、2回目の出廷となる保釈査問会にピストリウス被告は、黒のスーツ、ブルーのシャツ、グレーのネクタイといった服装で現れた。スティンカンプさんの名前が挙がるたびに泣き崩れ、前科はないかという質問に答える際には声が震え、裁判官に大きな声でと言われ、答え直す場面もあった。  

審理では、ピストリウス被告の恋人だったモデルのスティンカンプさんが殺された経緯について、検察側と弁護側の主張に強烈な食い違いがみられた。  

検察側は、プレトリアにある自邸で被告が銃をとり、義足を着用して7メートルほど歩き、鍵のかかったバスルームの扉の反対側からスティンカンプさんへ向けて4発発砲し、うち3発がおびえたスティンカンプさんに当たり、致死傷を負わせたと述べた。ゲリー・ネル(Gerrie Nel)検事は「彼女はどこへも行き場がなかった。何の武器も持たない無実の女性を被告は撃ち殺した」とし、バレンタインデーに起きた殺人は「計画的だった」と主張した。    

また被告がスティンカンプさんを侵入者と誤ったという弁護側の主張に反論するため、スティンカンプさんは13日の夜に宿泊するための荷物を持ってピストリウス邸に来ていたと述べた。  

一方、著名弁護士らが集まるピストリウス被告の弁護団は、殺害は計画的だったとする検察側の主張を否定した。

弁護団の1人、バリー・ルー(Barry Roux)氏は「この件は殺人でさえないと我々は申し立てた。一切の譲歩はない」と述べた。  ルー弁護士は、被告がバスルームにいた人物を侵入者だと思ったと述べ、計画された殺人とは言えないと主張した。さらに被告はスティンカンプさんを助けようとしてバスルームの扉を壊したとも語った。  

弁護団は、ピストリウス被告の保釈を求めるとみられているが、当局はこれを却下すると明言している。  

すでにピストリウス被告は3月から5月に行われるオーストラリア、ブラジル、英国、米国での競技会出場を取りやめている。  

同日、スティンカンプさんの故郷、ポートエリザベス(Port Elizabeth)では、身内だけでスティンカンプさんの葬儀が行われた。棺は白い花で覆われ、悲しむ参列者に見送られながら火葬場の礼拝堂に運び込まれた。  

スティンカンプさんの遺族は、ピストリウス被告に対する恨みはなく、ただ死の真相をはっきり知りたいと述べた。叔父のマイケル・スティンカンプ(Michael Steenkamp)さんはAFPの取材に対し「私たち家族に敵意とか憎しみのようなものはないが疑問があり、それは解決していくと思っている」と語った。  

競技以外の面では軽はずみな行動で時に私生活に問題もあったピストリウス被告を支援するチームは、有名弁護士らによる強力な弁護団の他に、医療専門家、広報専門家から構成されている。  

英大衆紙サン(The Sun)の元編集者で、顧客には英航空大手ブリティッシュ・エアウェイズ(British Airways、BA)やサッカークラブのチェルシーFC(Chelsea FC)、マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)といった錚々たる名前が並ぶPR専門家スチュアート・ヒギンズ(Stuart Higgins)氏が、ピストリウス被告の広報を引き継いでいる。  また弁護人の1人、ケニー・オールドウェージ(Kenny Oldwage)氏は2010年にネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領のひ孫が死亡した交通事故で運転者の弁護を請け負い、無罪を勝ち取った経歴がある。【翻訳編集】 AFPBB News

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130219-00000044-jij_afp-int

さて、このニュース報道から、いくつかの事実が分かり始めた。

1つ目は、被害者が浴室において、ドアの外側から発砲を受け、4発中3発が被弾し、それが死因となっている可能性が強いということである。

2つ目は、浴室のドアが壊れていたということである。

3つ目は、被害者遺族は現時点で、被告人であるピストリアス選手に対する強い処罰感情を示しておらず、むしろ、殺人だとした場合に、被害者が殺されなければならなかった理由について何らかの確信を持っていなさそうだということである。

この他の点については、弁護人と検察官との主張の間に争いがありそうで、確定的な情報がないので、現時点では、言及を避けておく。

そこで、これらの事実を前提として考えると、報道されていた血のついたバットの存在はどういう理解になるのであろうか

おそらく、ピストリウス選手及びその弁護人は、「血のついたバットが存在する理由について、浴室の物音に気付き強盗だと誤認して、発砲した後、被告人が、誤射の可能性に気がつき、被告人は浴室のドアを壊して、被害者救出するために、バットを使用した。救出の措置をするために無我夢中だったところ、バットは血の流れた床に落とし、そこで大量の血液が付着したという主張を展開していくのではなかろうか。

仮にかかる主張をした場合、この主張それ自体は、ある程度合理性がある主張のように思える

他方、捜査機関側は、バットについては、犯行に使われた可能性や被害者が防御に使用した可能性に言及するリークをしてきた。

しかしながら、前者については、審理においては3発の被弾が死因であるということを前提とした議論がなされていたようであるから、その立証は難しくなっているのではないだろうか。

また、後者についてみると、そもそも、銃口を向けられて被害者が防御にバットを使用するという主張には、とっさの行動だったとしても疑問を挟む余地があると感じる。

つまり、銃口を向けられてとっさにバットを被害者が持ったということはありえなくはないが、浴室にバットがあるのであるから、バットを持ちつつ、被害者が浴室に逃げ込むという行動をとったことになるが、果たして、被告人が被害者の姿を見えない状態で撃ち、強盗と間違えたとの言い逃れができる都合の良い状況を被害者自信がが作るように計画性をもって仕向けることを、被告人が実行しえたのかという強い疑問が生じるのである。

また、現時点の報道では、被告人にバットによる防御傷があったという話も出ていない

結局のところ、検察官が計画殺人という罪状で起訴している以上、検察官にとっての決め手となるものは、被告人が計画性があると言えるような強い動機の立証である。

しかしながら、この動機が現時点でも判然としていないということは重大な点であろう。

この点、驚いてしまうのは、一部報道が事実だとすれば、検察官は、動機につき、「動機については『(女性を)殺したい。それだけだ』と述べた。」というのである。

これが本当だとすると、検察官には、動機の立証手段を持ち合わせていないことになる

そして、捜査機関が開示しているのは、ピストリウス選手があたかも危険人物だったかのような情報ばかりで、何ら犯意を推認可能とする間接事実も報じられてないのである。

私は、ここに、本件における捜査機関側の筋の悪さがあると感じるし、この点は重大であるから、捜査機関側から報じられる情報に接する上では、見落としてはいけない点であると思うのである

ところで、検察官は、被害者であるスティンカンプさんが13日の夜に宿泊するための荷物を持ってピストリウス邸に来ていたと主張し、誤認のはずがないと主張しているようであるが、これも、決め手を欠く。

宿泊するために来ていたというだけでは、誤認の主張を覆すことにはならない。

立証責任を有する検察官としては、宿泊準備をして被害者が来ていたことを被告人が認識しており、被告人において、被害者を強盗と間違える余地がないことを立証しなければならないのであるから、今後の報道では、その立証ができるのかも注視していかなければならない。

さらに、被害者の遺族の反応も重要である。

被害者遺族が、被告人の犯行動機に何らかの察しがついていれば、処罰感情を示すのが自然であるが、被害者遺族が、現時点でも、そうした感情を示さないのは、やはり、犯行動機に察しが付いておらず、戸惑っていることの表れとみるのが自然であろう。

ところで、先日の記事で私は、殺意の認定における重要な客観的な要素として、3つ目に、「犯行中又は犯行後の被告人の言動」ということを紹介した。

この点も、本件では、ピストリウス選手に有利と思われる情報もちらほら見受けられる

例えば、一部報道では、被告人は、犯行直後友人に、電話をしており、その状況が報じられている。

英紙「サン」は、射殺後にピストリウス被告が友人に「俺のババ(ベイビー)を殺してしまった」と泣きながら電話してきたと報じた。  

親友のジャスティン・ディバリスさんに連絡があったとされるのは、救急サービスに連絡が来る前の14日午前3時55分ごろ。警察到着後も泣き続けており、「彼は『事故だった。僕はリーバを撃ってしまった』と話していた」と明かしている

これは極めて重要な犯行直後の被告人の言動である。

かかる言動は、被告人が被害者を強盗と誤信し、撃ってしまったという趣旨に捉えることができる言動であるから、殺意の認定においては消極的な事情、つまり、被告人に有利な事情となる可能性がある

そして、その後も、被告人は、警察に協力的な姿勢をしてしており、アルコールや薬物テストも受けているというのであり、さらには、公判廷で、被告人が終始、泣きじゃくっているという言動も、演技として切り捨てるだけの動機が認められない現時点においては、計画殺人犯が取りうる行動とはなかなか捉えにくいのである。

さらに、被害者との二股交際が噂され、被告人の動機に成りえるとして報じられた人物は、被告人が被害者を殺意を持って殺害したとすることに、否定的なコメントを次のようにしているようである。

また地元紙ではラグビー南ア代表SHフランソワ・ホーハート(24)と、スティンカンプさんが「親密だった」とも伝えている。

数年来、2人の共通の友人だったというホーハートは、過去にも有名スポーツ選手の前妻との熱愛でゴシップ誌をにぎわすなど、名うてのプレーボーイ。過去には2人の交際が報じられたこともあるが、こうした関係を否定したうえで「痛ましい。(スティンカンプさんの死は)彼のせいではない」とコメントしているという。

以上のような状況からすると、私は、現時点では、ピストリウス選手に対する計画殺人の起訴事実は、冤罪となる可能性がある程度あるのではないかという心証を抱きつつある

そして、無罪請負人といえるような優秀な弁護士や専門家が支援をしているのは、単に金銭的報酬を得る目的というよりは、彼らがある程度の強い無罪の勝算を見込んでいるからではないだろうか

今後も公判廷の状況を注視していきたい。

なお、本件を我が国の刑法に当てはめて考えると、誤想過剰防衛の論点も出てくるなかなか勉強には良い題材になるかもしれないが、果たして、南アフリカの刑法にもそういう綿密な議論があるのか気になるところでもある。

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02/19/2013

オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題

前回の記事「マスメディアのお門違いな権力批判と未熟な国民主権」は、少し、抽象論となったので、今日は、より具体的な問題を取り上げ、メディアと権力との不適切な関係について、論じてみたい。

皆さんは既に、義足のブレード・ランナー(Blade Runner)こと、南アフリカの義足の陸上間距離走選手、オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手が、恋人に対する殺人容疑で逮捕され、計画的殺人との罪状で起訴されたという報道に接しているだろう。

この事件、当初は、侵入者と間違った誤射として報道されたが、捜査機関の記者会見後は、計画的殺人だったかと思わせるような情報を各国メディアが報じており、現段階では、2つの情報が出ており、依然、詳細が分かっていない事件である。

しかしながら、この報道を通して、私は捜査機関というのは、どこの国も同じ問題を抱えていると感じた。

その問題というのは、否認事件における被疑者段階での意図的リークとマスメディアを利用した印象操作である。

日本のメディアや欧米の英字メディアが報じるところでは、南アフリカの警察は、当初、誤射の可能性があるとして報じられると、未だ事件から、1日、2日しか経っていないにもかかわらず、ピストリウス選手が攻撃的な人物であるかの如き、事件とは直接的な結びつきが薄い、いわゆる、"予断を生じさせる被疑者に不利な情報"を積極的に発表する一方、過失か故意かの判断に重要な犯行現場の状況や犯行動機などの情報は一切開示していないし、未だにその状況は謎である。

さらに、捜査機関が開示した予断を生じさせる被疑者に不利な情報には、被害者である恋人とのトラブルにより計画殺人に発展したとするには、直接的には関係のない情報が多々見受けられた

例えば、ピストリウス選手には、女性に対する暴行、いわゆるドメスティック・バイオレンスをした過去を示唆する情報 である。

英米のメディアはこれを「Domestic Incident」と報じていたが、示唆するのは、いわゆるDVといった暴行等である。

しかし、問題は、被害者との間での「Domestic Incident」なのか、別の女性に対するものなのかが判然しない形で報じられ、結局、これは、過去に付き合っていた、別の女性から通報があったが、嫌疑不十分で立件されなかったという話だということが判明しているが、そもそも、このような話は、今回の事件が故意による殺人なのか、過失による過失致死ないし重過失致死事案なのかという判断においては、関連性が極めて希薄であって、動機や犯行そのものを裏付けるような重要な証拠とはいえない事実である。

むしろ、この話は、別の女性に対する話であることに加え、嫌疑不十分で何ら起訴すらされなかったのであるから、この情報が事件直後に警察から流れること自体が、異常ではなかろうか

捜査機関である警察が、事件の核心部分である情報は証拠がないのかわからないが、そのような情報は一切発表せず、他方で、過去の不確かな嫌疑については、積極的にメディアに漏えいするという姿と目の当たりにすると、南アフリカの警察は、故意の立証が難しいがために、このような過去の不確かな嫌疑を開示し、被疑者であるピストリウス選手の性格が、凶暴であるという一定の方向に印象づけようとしているのではないかと思えて仕方ない

繰り返しになるが、この過去のDV疑惑は、警察自らが嫌疑不十分と判断していた以上、何ら根拠のないものなのであって、そのような根拠がないにもかかわらず、予断を生じさせる極めて危険かつ不適切な情報をあえて発表する理由何なのであろうか

この点には、南アフリカの捜査機関に対する強い違和感を感じざるを得ないのである。

しかし、これは、遠い南アフリカの警察の問題に限られる話ではない。

過去に前科があるという情報も、今回のピストリウス選手のDV疑惑と比べれば、一応、前科として確定した事実であるから、その事実そのものの真実性には、一応の根拠があるものの、前科はあくまで過去の事実なのであって、前科があるからといって、犯罪傾向があるから、当該犯行を行ったに違いないとする事実認定は、到底許されない。

わが国でも、最近世間を騒がしている遠隔操作ウィルス事件の真犯人逮捕のニュースにおいては、捜査機関が真犯人と目している被疑者、片山氏について、日本の警察は類似行動をし、マスメディアもそのリーク情報に乗っかって、逮捕前の映像を隠し撮りし、片山氏があたかもコンピューターオタクっぽいとの印象を与える報道をしている一方、警察が本来握るべき決定的な証拠については、逮捕当初ほとんど報じられなかった

さらには、弁護士の矢部先生が指摘しているとおり、逮捕報道が逮捕の着手をする1,2時間前に流れるなどの罪証隠滅の機会を自ら提供するがの如き事態は、警察の極めて重大な失態が露呈しているにもかかわらず、それを追及する声は、インターネット以外では何ら聞こえてこないのである。

刑事裁判は、英米法の影響を受けている国においては、とりわけ当事者主義の構造上、公判廷という公の場で、それぞれが証拠を開示し、被告人及び弁護人と検察が、対峙していくのが本来的な姿である

その前提となる証拠収集段階で、情報を警察が漏えいすること自体そもそもおかしな話なのではあるが、本件は、警察が自白偏重による冤罪を生んでしまったことと深く結び付いている事件なのであって、そのことへの反省を踏まえて慎重な捜査をしているのであれば、このような失態は生じないはずであろう。

こうしてみると、日本の警察も、南アフリカの警察も、証拠収集過程である捜査段階において、意図的なのか、被疑者に不利な情報(特に、決定的な証拠とはいえない部類の質の悪い情報)を漏えいし、あたかも、自分たちが逮捕した被疑者が、かかる犯行をしかねない人物だという印象を世間一般に与えてしまう情報漏洩を行っているのであって、このこと自体極めて恐ろしいことである。

私は南アフリカの刑事裁判制度につき明るくないが、陪審員制度や裁判員制度が採用されて、捜査段階の警察リーク情報に触れる可能性が極めて高い一般市民が裁判に参画するという制度を採用している国においては、尚更、予断排除に対する強い意識が捜査機関に強く要求されているのではなかろうか。

さて、話をピストリウス選手の事件に戻すが、警察のリークに基づく報道内容を見ていると、どうも不可解な点が多く、故意の立証、ましてや、計画殺人としての、計画性の立証をできるだけの証拠資料を警察が抑えているのか疑問に思えてくる。

まず、近時、新たに報道されている内容としては、①ステロイド剤が被疑者宅で発見されたということと、②血のついたクリケットのバットが発見されたということである。

まず、①についてみると、事件直後にピストリウス選手は、既にアルール等の量を調べる血液成分のテストを受けたと報道されていたところ、その結果は何ら発表されない一方で、ステロイド剤の所持のみが報道されている。

確かに、ステロイド剤には、興奮作用等があるため、南アフリカの警察は、これで凶暴になり抑えが利かなくなったという見立てなのかもしれないが、ステロイド剤の所持や服用の事実が、仮に立証されたとしても、それだけで、故意の立証があるとはいえない

仮に、ピストリウス選手が、犯行当時ステロイド剤を過剰に摂取していたとしても、過剰服用の事実は、何らかの動機が立証された後に初めて、その動機に基づいて犯行をするうえで、ステロイド剤の服用が自己自制作用を減退させ、犯行につながったという間接事実としての意味合いを持つ事実である。

そうすると、犯行動機について、二人の間にトラブルがあったのではないかという憶測の域を出ない情報しか報じられていない段階で、それ単独では意味を持たないステロイド剤の所持という情報がリークされることには違和感を感じるのである。

そして、ステロイド剤の所持という事実そのものは、陸上の選手というピストリウス選手のイメージを低下させることには、極めて有効な情報であることに鑑みれば、本来、捜査機関としては、被疑者が否認している以上、最大限の注意を持って、慎重に情報を扱うべきであるにもかかわらず、未だ重要な意味を持たない情報をこの段階でリークすることに、私は、南アフリカの警察は、動機の立証が困難であるか、それを立証する証拠が乏しいから、わざわざ、こうした印象操作ともとれるリークを次々にしているのではないかと考えてしまうのである。

次に、②の血のついたクリケットバットであるが、この血が誰のものであるか、また、被害者の死因が拳銃に撃たれたものなのか、バットで殴られたものなのか、全く判然としない中で、このような物が発見されたという報道が先行することにも、何か違和感を感じざるを得ない

さらに、仮にピストリウス選手が警察の見立て通り、粗暴な側面を有している人物であったとした場合、彼の交友関係からの情報が出てしかるべきであるが、マスメディアが報じているのは、酔っぱらっていた状態で川でスピードボートで衝突し、スピードボートを破壊したとか、過去に付き合っていた女性を巡ってお金持ちの男性と激しい口論をしたことがあるとかいう、粗暴な姿として報じられる情報のほとんどが、確たる証拠を伴っていなかったり、警察からのリークに基づいていたりすることも、この事件の報道を見ていて、何か釈然としないものを感じるのである。

ところで、殺意の認定は、一般的にどのように認定するかご存じであろうか。

一般的に、殺意の有無は、①凶器の種類、形状、用法、創傷の部位、程度といった犯行の態様、②犯行の背景、経過、動機、③犯行中または犯行後の被告人の言動(例えば、犯行中に殺してやるという発言があったか否かとか、犯行後に平然としていたかどうかなど)等の状況証拠を総合的に考慮して認定する。

もっとも、ピストリウス選手の事件においては、これらについても、多少考慮の仕方が変わってくるだろう。

争点は、ピストリウス選手が、被害者を被害者として認識した上で撃ったのか、被害者を強盗と誤認した余地があったのかという点となる。

つまり、仮に強盗と誤認していた場合、ピストリウス選手本人は、正当防衛が成立するという違法性阻却事由を基礎づける事実につき、誤認しているのであるから、事実の錯誤の問題として、責任故意が阻却される余地がある

例えば、よくネット上では、「4発も撃っていて誤認はないだろ」などという短絡的な意見があるが、これもどちらにも転がる事実なので、慎重な認定が必要となる。

まず、「4発撃って命中した」という事実だけ取り出せば当然、上記の①からしても、殺意の認定はできるだろうが、だからといって、この事実をもって、誤認はないという結論には直結しない

すなわち、特に、南アフリカの治安は極めて劣悪であり、拳銃等を護身用として持ち歩き、「やられる前にやる」ということが許容されているような社会においては、「4発撃って命中」したとしても、「相手が知らない強盗で、夜中ないし明け方に侵入してきたため、無我夢中で撃ち続けた。命中したのは日頃から護身用に備えて射撃場で訓練していた」と弁明されてしまえば、誤認という主張を覆すことは難しいのではなかろうか。

したがって、この誤認の主張を覆すためには、犯行状況や被害者の死因、また、ピストリウス選手が誤認していない場合にどういう経緯ないし動機をもって犯行に及んだと立証するのかが極めて重要なポイントになるが、これらを決定づける情報は未だ警察からは発表されず、これ以外の証拠価値の低い情報が積極的に警察から開示されるというのが、違和感の根源である。

そして、私個人の最大の疑問(おそらく多くの人も同じ疑問を持っていると思うが)は、仮にピストリウス選手が誤認をしていなかったとした場合、なぜ金メダルを獲得し、世界的な名声を既に手に入れ、これからも選手として将来のある人物であり、かつ、同じような境遇の子供たちに対し、義足を与えるための財団設立にも尽力していたと思われる人物が、バレンタインデーの前日にバレンタインデーで何かすることを楽しみにするツイートをしていた恋人を殺すに至らなければならなかったのかということである。

いずれにしても、本件は否認事件であり、世界的な注目を集めている事件だけに、リークによる印象操作と思われるようなことはせず、事実の解明が適切になされることを切に願う

なお、この事件につき、アメリカ連邦地方裁判所に勤務する留学時代の友人に見解を聞いたところ、南アフリカは、人種差別も根強く、白人の成功者に対する妬みや嫉妬というものも少なからずあり、現在では白人に対する逆差別ということもあるから、かかるリークにもそういったことが影響している可能性はあるし、そもそも南アフリカの警察機構は、アメリカや日本に比べ腐敗しているとの見解を示したいた。

このピストリウス選手の事件が、人種間の問題による過剰な反応により、第2のOJ.シンプソン事件のようになる余地もあるかもしれない。

上記アメリカ人の友人に、日本でも検察官による証拠改ざん事件があったことを説明したところ、大変驚いていたが、証拠の改ざん等は、全ての事実を見誤らせる点において、極めて恐ろしいものであると述べており、その怖さを再認識したところである。

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01/23/2011

BBCの二重被爆者嘲笑問題に対する反響について

先日、ブログで「イギリスBBCの二重被爆者嘲笑問題について」と取り上げ、それがライブドアニュースのサイトに転載されたこともあり、この問題に対して色々な反響があり、正直驚いている。

いろいろな見解があるのは良いのだが、中には賛同できないものもあるので、この問題を取り上げた以上、すでに、ツイッターでは、述べているが、このブログでも、反響に対する私の率直な意見についても、言及していこうと思う。

まず、私が賛同できない見解は2つある。

1つは、この問題が笑いに対する感覚の違いであるとし、文化の違いによるものという形で説明をつけてしまおうとするものである。

こうした見解は、一見合理的な理由を述べているようであるが、なにも述べていないに等しいと私は思う。異なる国同士の意見が違えば、文化の違いであるとして理解するアプローチは、問題の本質を矮小化しており、思考停止に陥っているのではないだろうか。

私がこの問題をやはり取り上げるべきで、もっとBBCは真摯に反省すべきだと感じた最大の理由は、この番組の二重被爆者である山口さんの取り上げ方が、笑いに対する感覚の違いがあるのは当然としても、製作者側の無知に起因し、ブラック・ジョークとしては成立しないほどに至っていると判断したからである。

つまり、笑いに対する感覚の違いがあるのは当然としても、この笑いの取り方は、ブラック・ジョークとして許される範疇を超えているということである。

私が思うところ、欧米のブラックジョークにも、それが成立するには、いくつかの暗黙の条件があり、この条件を逸脱してしまうと、いくら欧米社会でも、ブラック・ジョークとしては許されなくなる。

実際に、私が欧米に留学していた際、ブラックジョークやサーカシズム(sarcasm)な笑いの取り方が原因で、最初は一緒になって笑っていた欧米人のルームメイトやフロアーメイト同士が喧嘩するような光景を何度も目撃している。

しかしこれも、ブラックジョークが成立する暗黙の条件を逸脱したような場合であり、ブラックジョークだからなんでも許されると考えるのは、欧米の社会でも受け入れられないのである。

したがって、今回のBBCの番組を、笑いに対する文化の違いと説明してしまおうというのは、問題の本質を探究することを放棄しており、私は賛同できない。

さて、暗黙の条件といったが、これには以下のようなものがあると私は考えている。

①個別具体的な人物を笑いのネタの対象とする場合には、その人物が政治家等のPublic Figureであること。
②①に当たらないとしても、自虐的なものであること。
③そのネタをした場合に、相手方憤慨しない程度であることの暗黙の了解が取れていること。

①②は容易に想像がつくとして、③は非常に抽象的な話なので、少しエピソードを入れて解説しようと思う。

私のルームメートに、ユダヤ系アメリカ人の友人とドイツ系アメリカ人の友人がおり、ブラックジョークが好きで、アジア人の英語の発音について話しており、私が「アジア人の英語の発音は聞き取りにくい時がある」といった時に、「日本はナチスと同盟を結んでいて、日本人はレイシストだから、アジア人の発音を聞きたくないんだろう」と笑いながらジョークを飛ばしてきた。

それに対し、そこにいた別のドイツ系アメリカ人は笑いながら、私に向かって、「じゃあ、今度、俺と一緒にあいつをガス室に連れていこうぜ。」と応じ、3人で爆笑しあったことがある。

これは、普通では受け入れられないジョークである。

しかし、相手方との信頼関係に基づき、相手方が憤慨しないことの暗黙の了解が、ユダヤ系アメリカ人の友人、ドイツ系アメリカ人の友人、私との間で取れていたという特段の事情がある状況が存在したので、成立するブラックジョークなのである。

他方で、大したことのないブラックジョークが憤慨に至るケースもある。

私が寮の談話室みたいなところで、テレビを観ていたら、数人の女性が入ってきて、楽しそうの会話をしていた。
しかし、突然、その楽しそうな会話が一転した。

ショッピングで同じものを買ったという会話をしていた一人の中国系アメリカ人の女性に対し、黒人女性が、「やっぱり人の真似をするのは上手ね」と中国の海賊版文化をネタにジョークを飛ばしたところ、中国系アメリカ人の女性が、「どういう意味よ」と怒りだし、しまいには、アメリカで黒人とアジア人のどちらが差別されてきたかという議論にまで発展し、激しい口論にまでなっていた。

おそらく、この女性たちの友人関係は、相手の属性をネタにしてブラックジョークを飛ばすほどには成熟しておらず、相手方が憤慨しない程度のものであるとの暗黙の了解がなかったために、ジョークでは済まない口論に至ってしまったのであろう。

つまり、上記の①②に当たらないようなジョークは、かなり巧みに、その状況や聞いている者、タイミングを考えながら、やらないといけないのであり、それに失敗すると、ブラック・ジョークでは済まないことになるのは、欧米でも同じなのである。

今回のBBCの番組内容を観る限り、二重に被爆した不運と、にもかかわらず90歳を超えて長生きしたことに対するサーカシズムすら込められた笑いであり、被爆の後遺症等々にはまったく無知識で、軽薄にブラックジョークを飛ばしているように思える。

イギリスの鉄道事情をネタにしているという説明があるが、これは非常に後付け的な釈明であり、これにより、簡単に、被害者及び被害者遺族や在英邦人が納得できるとは到底言い難いであろう。

あの番組を見て被爆者がネタの対象になっていないと思う人は、英語力がないか、よっぽどのお人好しではないだろうか。私には、非常に「筋の悪い」釈明や擁護的意見に思えてならない

私はイギリスのコメディが好きだし、日本のやらせ的な馬鹿馬鹿しいお笑いなんかより面白いと思うが、どう好意的に見ても、あの番組の取り上げ方は、不適切であるといわざるを得ない。

たとえば、私が好きなイギリスのテレビ司会者のAnt and Decなんかも、英国流のジョークをかなり飛ばしているが、彼らのジョークは、まさに、政治家や有名人などのPublic Figureを対象にしていたり、自虐的なネタだったり、私人をネタにする場合でも相手方が憤慨しないことの暗黙の了解を取った上でネタにするので、今回のような問題を起こさないのである。

なお、私の知る限り、昨晩の時点で、日本人が関与していないニュースサイトとして、インドのニュースサイト、オーストラリアのニュースサイト、ロシアのニュースサイトでそれぞれ今回のBBCの問題は取り上げられているようである。

Japan-protests-BBC-jokes-about-atomic-bomb-survivor」- The Times of India

BBC sorry for jokes about atom bomb survivor | The Australian

BBC apologizes over gag - The Voice of Russia

前者2つではかなり詳細に説明しており、これを文化の違いとか、笑いに対する取り上げ方の違いというような矮小化した意見は載っていない。

さらに、スコットランドのメディアや、AFP通信も「BBCが謝罪した」として、この問題を取り上げており、BBCも今回の番組内容について、やっと報道を始めたようである。

やはり、ジョークとしては済まされない程度に至っていると見るのが私は妥当だと思う。

次に、2つ目の賛同できない見解についてであるが、それは、今回の問題をきわめて短絡的に理解し、白人社会によるアジア蔑視思想によるものだとか、国粋主義的な主張である。

こういう話題が出ると、思考が停止してしまい、「鬼畜米英」とかおよそ現代の民主主義国家で生きる合理的判断能力を有する通常人であれば、到底発想しないような陳腐な主張が平然と出てくることには、たとえインターネットという少数者が叫びやすい環境であるといっても、本当に驚くし、怖さすら感じる。

やはり、こういう問題が起こった時には、先のブログ記事でも指摘したが、なぜ日本の原爆に対する価値が伝わっていないのかという自問自答がまず先に来るべきではないだろうか。

この問題はそもそも原爆に対し、我々日本人が自己満足的な内弁慶の議論に終始し、国際社会の場で、積極的に原爆の負の側面を効果的に訴えて来なかったことに起因しているのであり、アジア人蔑視とか、国粋主義的、愛国主義な議論にすり替えてる意見を見ると、どうも「筋の悪さ」を通り越し、恐ろしさを感じてしまう

いずれにしても、日本人が黙っているのではなく、声を上げるようになったことは良いことだし、在英邦人が「冷静に」番組の問題点を指摘し、在英日本大使館がその在英邦人の声に耳を傾け、確固たる抗議をしたことは、非常に有益なことだったのではないだろうか。

きちんと声をあげて、二重被爆者や原爆の恐怖を世界に発信する機会を作ってくれたといっても過言ではないだろう。

ただ、一方で、声の上げ方を間違えている少数者の国粋的で頓珍漢な意見がネット上で氾濫してしまい、日本の民度が低くとらえられることがないことを祈りたい

最後に、これを機会に、私たち日本人も二重被爆者の経験に再度目を向けることも重要であろう。


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01/22/2011

イギリスBBCの二重被爆者嘲笑問題について

日本の報道を見ていると、やはり重要な問題がしっかりと伝えられないと感じます。

すでに多くの人がこのニュースを読んでいるのではないでしょうか。
イギリスのテレビ番組「QI(Quite Interesting)」の不適切な放送内容とそれに対する抗議です。

読売新聞 「二重被爆者笑いのタネに、長崎の関係者『許せない』」

 【ロンドン=大内佐紀】英BBC放送が昨年12月放映した人気お笑いクイズ番組で、日本の被爆者が笑いのタネにされ、在英日本大使館が抗議していたことが20日、わかった。

 金曜夜の人気番組「QI」で12月17日、「世界一運が悪い男」として、広島と長崎で二重に被爆し、昨年1月に93歳で亡くなった長崎市出身の山口彊(つとむ)さんを取り上げた。

 司会者が「出張先の広島で被爆し、列車に乗って戻った長崎でまた被爆した」と説明すると、ゲストらが「でも、93歳まで長生きしたなら、それほど不運じゃない」「原爆が落ちた次の日に列車が走っているなんて、英国じゃ考えられないな」などとコメント、会場から笑い声が上がった。

 この間、スタジオには山口さんの写真やきのこ雲が掲げられた。

 番組を見た在留邦人から連絡を受けた在英日本大使館は今月7日、「原爆投下の問題をコメディー番組で取り上げるのは極めて不適切で日本人の国民感情を無視している」と抗議の書簡をBBCと製作会社に送った。

 17日になって製作会社から「配慮に欠けていた」などとする返答があったが、BBCからは回答がないという。

 ◆「被爆者を愚弄」

 BBCの番組には、被爆地・長崎から憤りの声が上がった。

 山口さんの長女、山崎年子さん(62)は「核保有国に被爆を『運』と片付けられたくない。父だけでなく、被爆者のみなさんを愚弄している」と怒りをあらわにし、「おわびの代わりに、番組で二重被爆者の記録映画を放送してほしい」と求めた。日本原水爆被害者団体協議会の谷口稜曄
すみてる
代表委員(81)は「原爆の被害を笑いものにするとは許せない。日本政府は被爆の実相が知られていない現実を受け止め、被爆者とともに伝える努力をしなければ」と訴えた。

(2011年1月22日 読売新聞)

時事通信  「日本の二重被爆者を嘲笑=BBCテレビ、謝罪-英」

 【ロンドン時事】英BBCテレビのお笑いクイズ番組で、広島と長崎で被爆した「二重被爆者」の故山口彊さんを「世界一運が悪い男」などと笑いの種にしていたことが21日までに分かった。BBCは在英日本大使館の抗議を受け、謝罪した。  この番組は昨年12月に放映された。山口さんが出張先の広島で被爆し、長崎に戻るとまた原爆が投下されたと司会者が述べると、スタジオの芸能人や観客が爆笑したという。  番組を見た在英邦人が日本大使館に連絡し、大使館が抗議した。番組プロデューサーから、山口さんを笑いものにする意図はなかったなどと釈明、おわびする手紙が届いた。(2011/01/22-08:55)

朝日新聞 「英BBCお笑い番組、二重被爆者を『世界一運が悪い男』」
 

【ロンドン=伊東和貴】広島と長崎で二重被爆し、昨年93歳で亡くなった山口彊(つとむ)さんについて、英BBCが昨年12月に放映したテレビのお笑いクイズ番組で、「世界一運が悪い男」などと紹介していたことが20日、分かった。在英日本大使館はBBC側に書面で抗議し、番組プロデューサーは謝罪した。

 問題となったのは、昨年12月17日に放映された人気の番組「QI」。司会者が、長崎出身の山口さんが広島に出張して原爆で大やけどを負った後に鉄道で長崎に戻ったことに触れ、「英国なら電車は止まっている」と英鉄道の不備を自虐的にとらえる内容だった。だが、ゲストのコメディアンが「長崎で入院したのか」とつっこむと、スタジオから笑いが漏れる一幕があった。

 さらに、司会者が「山口さんが長崎に戻ると、また原爆が投下された」と述べると、観衆は爆笑。司会者は「二重被爆をして生き残ったのは、最も幸運か最も不運か」などと締めくくった。スタジオにはきのこ雲や山口さんの顔写真が掲げられた。

 在英邦人から指摘を受けた大使館は、今月7日、BBCと番組制作会社に「山口さんの経験をこういう形で取り上げるのは、不適切で無神経だ」と広報文化担当の公使名で書簡を送った。

 番組プロデューサーは今月17日、大使館への手紙で「(山口さんを)バカにする趣旨の番組ではなく、驚くべき経験を正確に伝えようとしたつもりだ。日本人の強さを真に称賛している」などと釈明しつつ、「(日本人)視聴者の気分を害してしまったことを非常に遺憾に思う」と謝罪の意を示した。抗議をした在英邦人にも非を認める内容のメールを送ったという。

まず、この記事を読むと、BBC及び番組の制作会社は反省しているように思えます。私も当初、「反省しているんなら、特に過大に取り上げる必要もないだろうな」という程度の認識でいたのですが、どういう内容の番組だったのか気になり、調べることにしました。

結果、私は、未だにBBC及び制作会社が事の重大さを理解しておらず、全く反省していないのではないかと思っています。

というのも、未だに番組の当該部分がBBCの公式ホームページで公開されており、そこにはなんの日本政府や在英邦人からの抗議に対する謝罪やコメントすら掲載されておらず、平然と問題が何もないかのように視聴できる状態が続いているのです。

BBC ONE 「The Unluckiest Man in the World」

まず、冒頭、司会者は「世界で一番ラッキーでかつアンラッキーな男は誰でしょう」と紹介しています。
司会者の意図は、不幸に2回も被爆したのに、幸運にも生き残ったということを言っていますが、そもそもこういう取り上げ方に問題がある以上、やはり不適切です。

その後、45秒から1分17秒あたりまで、「山口さんはどこの国の人か」という問いに、明らかに日本人の名前であるにもかかわらず、まじめな顔で「オランダ」と珍解答をしたゲストに対し、会場が爆笑しているので、その部分は大目にみたとしても、問題は、司会者が、山口さんの経緯を紹介している途中の1分18秒あたりから、「長崎の病院に入院したのか」と二重被爆をまさに笑いのネタにしていることと、その後の番組の進行です。

まず、司会者が二重被爆者であることを紹介した直後に会場から笑いが出ており、司会者も誰も笑うネタではないなどと特に注意するなどをしていません。

次に、その後も、被爆の事実を軽視し、笑いのネタとして終始、取り上げています。

上記日本メディアの報道を見ると、BBCや製作会社は、「二重被爆者である山口さんを馬鹿にするつもりはない」とか、「笑いにする意図はなかった」などの釈明があるようですが、これは全く受け入れられません。

そもそも、この番組に出演していた人々および、番組製作者は、原爆の資料をみたことがないのでしょう。
被爆の恐ろしさを全く知らない無知な人間が、まさに、無知なままに取り上げ、遺族や同様の被爆者はもちろん在英邦人、さらには原爆の資料に接してきた日本国民の感情を逆なでしています。

私が特に問題だと思うのは、釈明が詭弁であり、真摯に反省しているようには思えない点です。公式HPで未だに何の説明がなく視聴ができてしまっていることも看過しがたい重大な問題のように思えます。

ただ、われわれ日本人がひとつ肝に銘じておかなければならないのは、この問題をイギリスメディアがどれだけ取り上げているのかという点です。

日本の報道機関は、すぐに海外の抗議等に対し、敏感に報道しますが、私が知る限り、この問題をイギリスのメディアが取り上げているようには思えません。

今現在、私はイギリスに住んでいないので、正確なことはわかりませんが、あくまでインターネット上で、この日本政府の抗議やメディアの反応を伝えるような、イギリスの報道メディアはほとんど見当たりませんでした。

つまり、日本の怒りの声は、イギリスには我々が思っているほど伝わっておらず、公衆の知らないところで処理されているにすぎないのではないでしょうか。この事実を私は見逃してはいけないと思います。

ネット上では、この問題に対し、笑いや悲劇的な事件に対する文化の違いとの説明をし、擁護的意見もあるようですが、私自身、アメリカやイギリスに長期間住んでいたことがありますが、この説明は合理的であるとは思えません。

そもそも、9・11やそれに関連するテロやホロコーストなどイギリスにとって関わり合いの深い事件の被害者を同様な形で笑いのネタにするでしょうか。

私には、そのようなことは想像しがたいです。

今回の事件を通じ、日本がいくら友好国に便宜を図っていても、世界全体から軽視されてしまっているという事実を再認識させられたように思います。日本に対し、関心が低く、日本の声が全然伝わっていないのではないでしょうか。

ただ、同時に、この問題を通じ、私は、現代の日本人が内向きに声を上げる自己満足的で内弁慶な姿勢から変化しているようにも感じます。

この番組の放送に接し、抗議文を送ったり、日本大使館に対応を促した、在英邦人の確固たる姿勢と御尽力には、ある種の敬意を表したいと思います。

なぜなら、彼らの行動がなければ、必ずしも日本大使館がこの番組内容に気が付き、抗議文を送るチャンスがあったかは疑わしいからです。最近は、外務省もだいぶ変わってきており、日本の国益、在外邦人の声を意識しています。しかし、在外邦人が声をあげなければ、外務省や在外公館が問題を必ずしもすべて把握できるわけではありません。

こうしたニュースに接すると、「日本人は意見が言えない、主張がない」という評された時代からの脱却が進んでいるのではないでしょうか。

いずれにしても、言語の壁はありますが、ぜひ日本のメディアの報道を契機に、この問題を知った方には、番組の放送内容を観てもらい、実際に、どういう取り上げ方をしているのか、釈明が受け入れられるものかを自身で考えていただきたいです。

また、これを機会に、私たち日本人も二重被爆者の経験に再度目を向けることも重要でしょう。

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10/06/2009

イギリス司法の大転換

このブログの多くの人にとっては、あまり影響のないことだが、非常に歴史的なことなので、この話題を今日は取り上げてみたい。

イギリスで、最高裁判所が誕生したというのである。

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これはブレア政権時代から進められていた改革の一つで、私がイギリスにいた頃、まさに議論されていた話であったので、それだけに興味深い。

イギリスでは現在に至るまで、アメリカ合衆国憲法や日本国憲法のような成文化された憲法を作るべきではないかという議論がなされており、イギリス最高裁の誕生は、成文法憲法誕生に向けた第一歩となるのかもしれない。

初代長官はフィリップ卿(Lord Phillips)である。

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ただ、この写真は、貴族院が終審裁判所の機能を担っていた今年9月31日以前のフィリップ卿の裁判官としての正装姿であって、最高裁でもこうした伝統的な格好をするのかは不明であり、その点も注目したい。

日本の最高裁判事は15人だが、イギリスは11人により構成される。なお、アメリカは9人である。

BBCによれば、イギリス最高裁が扱う最初の事件は、民事事件で、テロリストを支援していた容疑で逮捕され、刑事事件で係争中の原告Xら5人は、英国財務相によりXらの資産が凍結されたことが、人権(日本でいう憲法29条の財産権)の侵害であると主張しているようである。

おもしろいのは、イギリスには日本のような憲法典が存在しないため、どの条文が争点になっているという説明ができず、漠然と人権侵害という主張になっているのである。

本件の争点は、政府に凍結権限があるのかどうかなのであるが、2006年に凍結権限をイギリス政府は行使しているが、その根拠づけをおこなう国内法は存在しておらず、国際連合の安保理決議がその根拠になっていると、被告である国側は争っているようである。

日本ではある意味、負け筋の国際法を持ち出した漠然とした国側の主張なのであるが、不文法ならではのイギリスにふさわしい(?)事件のようにも思える。

600年近い伝統のあるイギリスで、これだけ抜本的な改革ができるのであるから、日本でも本格的な司法改革が必要だろう。

もともと民主党は2001年頃に、開かれた司法や法曹の一元化などを提唱して、現在の法曹人口年間3000人という政府の政策よりも3倍以上の数を掲げていたのであるから、それを踏まえて、しっかり既得権益打破に努めてもらいたい。

ちなみに、イギリスとアメリカは異なり、訴訟社会というイメージは比較的少ないが、弁護士の数はかなり多い。実際、それほど訴訟社会ではないが、司法へのアクセスは容易であり、日本のように「先生」とお世辞でも崇められる存在ではない。

弁護士が増えれば訴訟社会になるというのは、思い込みにすぎない。

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英、1日に最高裁誕生=上院と分離「司法の新時代」に
 【ロンドン時事】英国で1日、最高裁判所が誕生する。同国では過去600年以上にわたり議会上院が最高裁の役割を果たしてきたが、立法と司法の機能を明確に区別すべきだとの声が高まり、6年前から新設が検討されてきた。審理の様子がテレビ中継されるなど、伝統を重んじてきた同国の司法の舞台は様変わりしそうだ。
 新しい最高裁は、ロンドン中心部の国会議事堂の向かいにある建物で活動を開始。旧最高裁判事を兼務していた上院議員ら12人が判事を務めるが、正式任命後は全員議員職を離れる。「開かれた司法」を目指し、メディアからの要請に応じて審理内容を公開するほか、訴訟手続きなどについて説明する専用ウェブサイトも特設された。(2009/09/30-20:12

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009093001020&rel=y&g=int

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07/26/2009

ベルルスコーニ首相の売春テープが出回る

海外メディアって情報が早いですね。

イタリアのベルルスコーニ首相と娼婦(コール・ガール)の性的関係の模様が写されたビデオが公開されたようです。

情報元は、イギリスのテレグラフ紙です。

イタリア国民も大変ですね・・・。公開したのは、コール・ガールのパトリツィア・ダダリオさん(42歳)だそうです。

この記事にベルルスコーニ首相とコールガールとのやり取りが英語で書かれているんですが、露骨です・・・。

それでも、イタリア国民の49%は首相を支持しているというのですから驚きです。

さすがに、ブログで訳せない内容なので、英語でそのまま表記しておくので、知りたい方は訳してみてください。SBがSilvio Berlusconiで、ベルルスコーニ首相を示しており、PDがパトリッァ・ダダリオさんを指しています。

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PD: A young man would have come in a second. I mean he would have come... Young men usually have a lot of pressure.

SB: But if you will you allow me... (muffled) I believe it is a family thing.

PD: What?

SB: Having an orgasm.

PD: You know how long it has been since I had sex like I had with you tonight. It's several months, since I broke with my boyfriend. Is this normal?

SB: May I? You should have sex with yourself. You should touch yourself often.

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05/28/2009

本当のクエッションタイムは・・・

連日、エンターテイメント系の話題が多いので、少し真面目な話題を取り上げたい。

党首討論(Question Time)についてである。日本人とディベートという大きなテーマにもつながる問題になるかもしれない。

このクエッション・タイム、イギリスのPrime Minister's Question Timeと言われる下院(House of Commons)が毎週水曜日に行うものを日本が1996年に真似して取り入れたものである。

どれだけの人がしっかり最初から最後まで見ているかはわからないが、よっぽど政治が好きな人か、暇な人でない限り、これを生で最初から最後まで見る人はいないだろう。

しかし、イギリスではかなりの視聴者がいるし、私もかつて、ブレア首相のクエッション・タイムを見るのに、並んだことがあるが平日であるにもかかわらず、かなりの列ができていたことを思い出す。

では、なぜ日本の党首討論が定着せず、面白みに欠けるのか。

答えは簡単である。日本の政治家はディベートの本質がわかっていないからである。彼らはヤジを飛ばすのは一人前だが、勝つか負けるかというディベートに全く慣れていないのである。

また、日本では党首討論と名付けられて、党対党のやり合いで、党利党略というイメージが強いが、イギリスの本来のクエッションタイムは、議長に発言を許されたあらゆる議員がその時間の間に、首相にランダムに質問をぶつけ、それに首相が臨機応変に答えていくという性格のものである。

もちろん、野党の第1党党首には、6つの質問が無条件に許され、最初に質問するという伝統が続いており、また、第2党党首も2つの質問が無条件に許されており、その意味において政党色は強く出ているが、イギリスのクエッション・タイムの本質は、首相があらゆる質問に答えるという政府の国民に対する説明責任の原理に基づいて行われるものである。

これに対し、日本の「党首討論」は、何のために行うかという本質が定まっておらず、また、内容も非常に希薄である。

そこで、いくつかイギリスの過去の有名な政治家のクエッションタイムの映像を紹介してみたい。

まず、マーガレット・サッチャー元首相の映像である。

サッチャー元首相は、ポンドからユーロへの参加をすべき、EU議会の創設に参加をという当時の野党労働党の質問に対し、気丈かつ強い口調で、「NO,NO,NO」と答え、いかにポンドを廃止することがイギリス経済に良くないかを力説している。

英語が苦手な人でも、彼女の発言の雰囲気をつかむことはできると思うのだが、ディベートはまさに戦いなのである。彼女の攻撃的な鋭い口調は、まさに「鉄の女」という感じであるが、ディベートにはこのような攻撃性が必要なのである。

次に、メイジャー元首相とやり合う若き日のトニーブレア前首相(当時影の内閣の首相)の映像を紹介する。

当時の野党労働党内で50人近い議員がブレア氏に反対の立場を示しており、党内がばらばらではないかというメイジャー元首相の攻撃に対し、ブレア前首相は、以下のように答え、メイジャー元首相をやりこめた。

「議長、まず(私とメイジャー首相との間には)大きな違いがあります。大きな違いです。私は私の政党をリード(導いています)しています。しかし、メイジャー首相は自分の政党に従っているだけです。」

「本当に驚きではありませんか?我々の国の首相は、自分の政党がどの立場を取っているのかすら応えられないのです。(彼のリーダーシップは)弱すぎです。弱いのです。弱すぎるのです」

ブレア前首相も強い攻撃の姿勢を全面に出し、かつ、メイジャー元首相のリーダーシップのなさをユーモアを交え、巧に賢くやり込めるあたりは、サッチャー元首相以上に高度のディベート能力を持っており、国民へのメッセージ性が強く現れている。

こういう力強くかつウィットに富んでいる野党のリーダーなら、国民も安心して任せようと思えるのではないだろうか。

次に、紹介するのは、野党保守党のキャメロン党首がブレア前首相に健康保険の問題について質問したものである。

「医療・健康保険のサービスの質が悪くなり、不安を抱いている国民がたくさんいる中、医療・保険担当の政府高官は、質の低下を認めているがこれは政府の見解か?」というキャメロン党首の質問に対し、ブレア首相は「正しい政府の医療健康問題に対する認識を説明させてもらう。」と言い、政府の実績を紹介した後、「ある人が現在の医療サービスの状況を(私が就任した当時の)1997年の水準と比べれば、向上したと言わざるを得ないと発言した。それは、あなたの党の影の厚生大臣のスポークスマンです。」とやり返している。

日本のように回答の原稿を官僚任せにするのではなく、このディベートに対する準備を主体的にかなりした上で臨んでいることが明らかだろう。

また、ブレア前首相のディベートが上手いのは、キャメロン野党党首の激しい攻撃に対し、自分の政府の実績と野党の政策を持ち出して、ひるまずに攻撃を続けるところであろう。さらに、キャメロン氏も自分の党の政策を時間を無駄にして説明しようとするのではなく、政府の政策実績を徹底的に攻撃し続けており、かなり有効な議論をしていると考える。

なお、途中で、議長が積極的に討論に介入し、議場の秩序維持とクエッションタイムの本質である政府の説明責任にかかわる質問のみを取り上げ、指揮権を発動しているのは、日本のお飾り的な議長の在り方とは全然違う。

最後に紹介するのは、BBCが制作したブレア氏の発言で振り返る彼の政治の歴史である。私はブレア前首相が、現代の政治家でもっとも優れたリーダーだと思っている。

その理由は、また別の機会に紹介できればと思うが、彼の発言の多くは、オバマ大統領のような作られたスピーチをただ読み上げているわけではない。

御存じの方もいるだろうが、オバマ大統領はほとんどの記者会見で、スクリプターを使っており、ほとんどすべてのスピーチが彼のスタッフによって事前に作られたものである。

これに対し、ブレア前首相は常に自分の言葉で、国民に訴えかける姿勢を持っていた。彼の晩年の政治実績については、意見が分かれるところだろうが、こうして彼の政治実績を5分間で振り返ると、イギリスには素晴らしい政治家が多く、恵まれた国だと思う。

私は、上記にもあるように、イギリスに住んでいたころ、イギリス政治にかかわる機会があったので、クエッションタイムはもちろん、ある政党の会議にも参加させてもらったことがある。その時のブレア首相の演説は忘れられないほどインパクトの強いものだった。

以下の記事を見ても明らかだと思うが、日本の党首討論は「政府に対する説明責任を履行させる場」という本来の目的が忘れさられている。

麻生首相は、とにかく野党を批判するだけで、説明責任を果たす試みすらしていない。記事にある北朝鮮の問題についても、なぜ、事前に得た情報を公開しなかったのかという理由を丁寧に国民に説明する場なのに、それをしているとは全くもって言えない。

さらに、自分の説明責任を果たすという使命を忘れ去り、野党の党内人事を問題にしているのである。こんなことを本場イギリスのクエッションタイムで行えば、ヤジだけではなく、議長から注意され、政府の仕事に関係のない質問はするなと言われてしまう。

現に、3つ目の動画では、保守党のキャメロン党首が「次期労働党の党首として、ブラウン氏を推薦するのか?」という質問をしたところ、下院議長に、「この制度趣旨は政府の仕事についての説明責任を果たす場であり、政党の次期リーダーが誰かを議論すべきところではない」と質問を変えるように指揮権が発動されている。そして、キャメロン党首も「では、次の首相は誰になると思うか?」と質問を変えている。

マスコミも、この党首討論がどういう目的で行われているのか全くもって説明不足である。

制度が導入され10年経つが政治家の誰一人、また、どのマスコミも、制度の目的を忘れ去ってしまって、上っ面だけの形だけのパフォーマンスになり下がっているのは残念でならない。

ヤフーの意識調査では、ヤジを禁止すべきという意見が現在多いようだが、全くもって的外れな見解としか言いようがない。

上記の動画を見れば明らかだが、イギリスでもヤジはとにかく多く飛んでいる。私もヤジは嫌いだが、有益な議論ができるかどうかとヤジは正直関係ない。

このクエッションタイムという制度を活かせるかどうかは、政治家の能力の問題、つまり、制度趣旨を理解していない者が行っているクエッションタイムだから、揚げ足取りのかみ合わない議論で終わってしまうわけである。

野次がどうのこうのという薄っぺらい事は問題の本質ではない。国民を含め制度を理解していない無知が問題の本質である。以下の読売新聞の記事にある批判も制度趣旨を理解した上での批判かは疑問である。

もう一度、この制度が何のためにあるのか、また、イギリスの制度のように説明責任の原理に基づくものであるのかどうかのかを、国民全体が検証し直すべきであろう。

そして、有意義なものにするためには、究極的なことを言えば、賢い政治家を有権者が選ぶ以外に方法はないし、有権者が賢くならなければ、それも無理であろう。

麻生首相と鳩山代表が初の党首討論、政権交代巡り応酬
5月27日15時32分配信 読売新聞

 麻生首相と鳩山民主党代表による初めての党首討論が27日、国会で行われた。

 麻生首相は「政権交代は手段であって目的ではない」と民主党の姿勢を批判したのに対し、鳩山氏は「当然政権交代が目的ではない。スタートラインだ」と反論した。

 また、北朝鮮の核実験に関し、鳩山氏が「米国から事前通告があったのか」と追及したのに対し、首相は「米国からかなり早めに伝わっていたのは事実だ」としながらも、「この種の話はしないことになっている」とかわした。

 首相は、違法献金事件を巡り代表を辞任した小沢一郎・前代表が代表代行に就任したことについて、「それが責任の取り方なのか。国民目線から理解し難い」と批判。民主党が企業・団体献金の3年後の全廃を打ち出していることについては、「(小沢氏の)秘書の違反が契機なのに、論理のすり替えだ」と指摘した。

 これに対し、鳩山氏は、「聞き捨てならない。これから裁判で決着がつく話だ。(政治とカネを巡る事件・疑惑は)そちらにもたくさんいた」と強く反論した。

 党首討論の開催は、首相と小沢氏が昨年11月に行って以来。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090527-00000652-yom-pol

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