日本の法律

12/23/2015

金融庁の怒りとそれに対する危機意識が組織的に欠如している新日本監査法人

先日は6か月ぶりのブログ記事で東芝の会計監査人であった新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)について,断固たる姿勢での厳しい処分が必要である旨主張したが,既に報道されているとおり,昨日の2015年12月22日付で金融庁は新日本に対し,①業務改善命令,②契約の新規の締結に関する業務の停止「3月」(以下「一部業務停止命令」という),③約21億円の課徴金納付命令に係る審判手続開始を決定という処分が発せられた

当初は上記の一部業務停止命令の期間が「6月」という報道があったのが,直前になって「3月」との報道に変わったことから,私は,結局のところ金融庁による処分は,一部業務停止命令もその対象を監査業務に限定するなどして,新日本の会計士の論理が優先され,甘い処分になることを危惧したが,今回の処分内容は,新日本の責任との対比において極めて妥当な線であり,金融庁の処分内容と処分理由の報道資料を読むと,金融庁の怒りが相当程度に達して本気で処分したことがよくわかる内容となっている。

他方で,この金融庁の処分を受けて,同日に新日本が発表した改革案責任の明確化という資料は,極めて陳腐な内容となっており,金融庁が相当な怒りを持って処分をしていることに対する自覚が残念ながら全く感じ取れないのである。

そこで,今日は①なぜ金融庁の怒りが報道資料から読み取れるのかということと②新日本の対応からいかに危機意識が組織的に欠如しているかということについて論じてみたい。

1.金融庁のによる怒りのメガトンパンチ

まず,金融庁の報道資料には,処分理由として,次の2つを挙げている。

ア 新日本有限責任監査法人(以下「当監査法人」という。)は、株式会社東芝(以下「東芝」という。)の平成22年3月期、平成24年3月期及び平成25年3月期における財務書類の監査において、下記7名の公認会計士が、相当の注意を怠り、重大な虚偽のある財務書類を重大な虚偽のないものとして証明した。

イ 当監査法人の運営が著しく不当と認められた。

金融庁は,相当の注意を怠っていたと認定していることから,つまりは,必要な注意義務を果たすことなく漫然とした節穴監査であったということを行政庁として認定していることを意味する。

そして,東芝の監査チームだけでなく,東芝の監査を担当した事業部だけでなく,新日本が組織全体としてその運営が著しく不当であると認定している。

処分をする上では当然の認定ではあるが,目を見張るものがあるのは事案の概要部分である。

(1)東芝の監査部分に関する指摘

  • 監査の担当者は、(中略)異常値を認識するとともに、その理由を東芝に確認し、「部品メーカーからの多額のキャッシュバック」があったためとの回答を受けていたが、監査調書に記載するのみで、それ以上にチーム内で情報共有をしていなかった。監査チーム内において不正の兆候を把握した場合の報告義務を課すなどの適切な指示、指導及び監督を十分に行っていなかった結果、必要な監査手続が実施されず、自己の意見を形成するに足る基礎を持たずに監査意見を表明していた。

まず,この指摘であるが,要はホウレンソウができていないとの指摘がされてしまっているわけである。

特に気になるのは,「監査調書に記載するのみ」という部分である。

「とりあえず責任問題にならないために,監査調書に残しておけば良い」という「ためにする監査」ともいうべき悪しき形式主義の風土がこの指摘部分に如実に表れているように思われて仕方ない。

  • 監査チームは、前工程における原価差額の減額が行われていたことを監査手続において認識しながら、後工程における原価差額の増額が行われているかを、十分かつ適切な監査証拠を入手し裏付けをもって確認する必要があるにもかかわらず、後工程における原価差額の増額は当然に行われていると勝手に思い込み、その確認を怠った

この部分の指摘もやはり専門職とは思えない稚拙なレベルでの指摘となっている。「勝手に思い込んだ」というのであるから,漫然とした監査であったと言われても仕方ないのではなかろうか。

仮に弁護士が依頼人の重要な主張部分に関わる事実を確認せずに勝手に思い込んで事実誤認の主張をしたという事案があれば,懲戒ものである。

  • 監査チームは、臨時的なTOV改訂が行われれば、当然に東芝から報告や相談があるものと思い込み、また、前後工程のTOVは整合しているという勝手な思い込みのもと、これらの確認を怠った

これはもはや任務懈怠レベルではなかろうか。職務放棄といっても過言ではない。当然に依頼人から話があるだろうから,確認しないといういうのは仕事をしていないのとまったく同じであろう。

そして,このことは会計監査人としての職務上の確認義務を依頼人に押し付けていたということを意味するのであるから,ボッタクリ監査も甚だしい

このような稚拙なレベルに金融庁が立腹するのは当然である。

  • 特別な検討を必要とするリスクとして識別したにもかかわらず、東芝の説明を鵜呑みにし、また、東芝から提出された発番票などの資料を確認するにとどまり、見積工事原価総額の内訳などについて、詳細な説明や資料の提出を受けておらず、経営者が使用した重要な仮定の合理性や見積りの不確実性の検討過程を評価していないなど、当然行うべき、特別な検討を必要とするリスクに対応した十分かつ適切な監査証拠の入手ができていなかった

この指摘にも金融庁の怒りが表れている。

つまり,「リスクとして識別した」というのであるから,新日本の東芝監査チームは,特別な検討が必要なリスクの高い問題があるという認識を有していたことを意味する。その上で「当然行うべき」必要な証拠の入手をしなかったと指摘されているのである。

すなわち,「これは問題がありそうだから検討しないといけないね」と思っていたのに,やるべきことをやらなかったというのであるから,ある意味,未必の故意に近いレベルでの過失を認定していると言っても過言ではないだろう。

(2)新日本の運営に関する部分の指摘

さらに金融庁のフラストレーションが見て取れるのが,法人の運営に関する指摘事項である。

品質管理本部及び各事業部等においては、原因分析を踏まえた改善策の周知徹底を図っていないことに加え、改善状況の適切性や実効性を検証する態勢を構築していない

(中略)

これまでの審査会検査等で繰り返し指摘されたリスク・アプローチに基づく監査計画の立案、会計上の見積りの監査、分析的実証手続等について、今回の審査会検査でも同一又は同様の不備が認められており、当監査法人の改善に向けた取組は有効に機能していないなど、地区事務所も含めた組織全体としての十分な改善ができていない

ここでの指摘からは,金融庁の「今まで散々指摘を受けたことをどう改善したのか自分たちで何も検証できていないじゃないか。その結果,改善そのものが組織全体としてできていない。いい加減にしろ」という怒りを感じてしまう

定期的な検証において、監査手続の不備として指摘すべき事項を監査調書上の形式的な不備として指摘している。そのため、監査チームは指摘の趣旨を理解しておらず、審査会検査等で繰り返し指摘されている分析的実証手続等の不備について、改善対応ができていない

(中略)

監査での品質改善業務を担っている各事業部等は、品質管理本部の方針を踏まえて監査チームに監査の品質を改善させるための取組を徹底させていない。また、一部の業務執行社員は、深度ある査閲を実施しておらず、監査調書の査閲を通じた監査補助者に対する監督及び指導を十分に行っていない

このように、当監査法人においては、実効性ある改善を確保するための態勢を構築できていないことから、監査手続の不備の改善が図られない状況が継続しており、当監査法人の品質管理態勢は著しく不十分である。

この部分の指摘もなかなか秀逸である。

まず,「監査手続の不備」を「監査調書の不備」にすり替えた指導の部分であるが,これは,監査手続においてやっていないことがあり,それが指摘されなければならないのに,監査調書と呼ばれる証拠化した文書の不備として指摘しているからまったく意味がないということである。

すなわち,指導する側の品質管理業務担当部署が適切な指導ができていないから,監査チームも指導を理解できておらず,何ら改善できていないという呆れにも近い怒りの指摘ではなかろうか。

悪しき形式主義を是正すべき品質管理業務担当部署こそが悪しき形式主義を容認しそれを実践してしまっていたということなのかもしれない

次に,一部の業務執行社員の査閲の問題であるが,これは,本来であれば全責任を負う業務執行社員が査閲,いわば,上司としての確認,を表面的に浅はかなレベルで終わらしているから,下の者への指導もできていないという意味である。専門職に求められる仕事の水準とは程遠いことへの金融庁の怒りが伝わってくる。

そして,監査法人,専門職としての仕事をする上での核心的部分ともいうべき「品質管理態勢は,著しく不十分」との指摘に至っているというのであるから,新日本の業務の質がいかに散々たるものであったのかがひしひしと感じ取れる金融庁の発表資料ではなかろうか。

審査担当社員が、監査チームから提出された審査資料に基づき審査を実施するのみで、監査チームが行った重要な判断を客観的に評価していない。また、監査チームが不正リスクを識別している工事進行基準に係る収益認識について、監査調書を確認せず、監査チームが経営者の偏向が存在する可能性を検討していないことを見落としているなど、今回の審査会検査で認められた監査実施上の問題点を発見・抑制できていない

このように、当監査法人の審査態勢は、監査チームが行った監査上の重要な判断を客観的に評価できておらず十分に機能していない

この指摘も驚かされる。

つまり,審査担当のパートナーが「審査」とは名ばかりで,監査チームが出してきたものだけ見て,監査チームと一体化したような形で形骸化した審査しかしていないのであるから,法人全体として今回の東芝で指摘された問題点が抑止できない体制になっていると言っているわけである。

こうなってくると,金融庁は,怒りもさることながら,法人の構造的に第2,第3の東芝事案が発生することを憂いていることが感じ取れてくるのである。

以上の考察のとおり,金融庁の指摘は相当深く入り込んで審査した結果が厳しく表現されており,厳格かつ厳正な審査がなされたことが良く伝わってくる内容というべきである。

2.業務改善命令において重い十字架を背負わすことで,バランスに配慮

私は当初,一部業務停止命令の内容が「3月」との報道が流れたことで,金融庁はなあなあな処分で済ませようとしているのではないかと懸念したが,今回の処分を見ると,金融庁は会計監査そのものに対する危機意識を持っていることが伝わってくる。

そして,金融庁は,新日本に対し業務改善命令において,最後通牒ともいえる抜本的な見直しを早急に行うように重い十字架を背負わしている

(1)今回、東芝に対する監査において虚偽証明が行われたことに加え、これまでの審査会の検査等での指摘事項に係る改善策が有効に機能してこなかったこと等を踏まえ経営に関与する責任者たる社員を含め、責任を明確化すること。

(2)その上で、外部の第三者の意見も踏まえ、改めて抜本的な業務改善計画を策定すること。また、改善策を実施するにあたり、その実効性につき、経営レベルの適切な指導力の発揮の下、組織的に検証する態勢を構築するとともに、不十分な対策が認められた場合には、必要に応じて追加的な改善策を策定・実行すること。

(3)品質管理本部に加え、監査の品質改善業務を担っている各事業部の責任者等は、監査チームに対し、業務改善策が浸透・定着するよう、より主体性と責任を持って取り組むこと。

(4)審査体制の機能を強化することに加え、監査実施者が、監査チーム内で十分な情報共有・連携を確保するとともに、求められる職業的懐疑心を保持し、深度ある分析・検討を行う態勢を構築する観点から、監査法人内の人事管理や研修態勢を含め、組織の態勢を見直すこと

(5)今回の事案の発生及び審査会から行政処分の勧告が行われるに至った背景として、監査法人の風土及びガバナンス体制等の面でいかなる問題があったのかを検証し、上記業務改善計画の中で改善に取り組むこと

(6)上記(1)から(5)に関する業務の改善計画を、平成28年1月31日までに提出し、直ちに実行すること。

(7)上記(6)の実行後、当該業務の改善計画の実施完了までの間、平成28年6月末日を第1回目とし、以後、6か月ごとに計画の進捗・実施及び改善状況を取りまとめ、翌月15日までに報告すること

特に,上記の赤字の部分に金融庁の危機感がよく表れている。

先日,新日本の英理事長が退任という話があったが,(1)は暗に現在の新日本の理事会等を含めた執行部やパートナーの退任を含めた「責任」を求めているのであり,相当程度踏み込んだ業務改善命令といえる。

そして,その「責任」は,これまで改善できなかったことに起因しているのであるから,今までの歴代理事長や理事等の過去の執行部やパートナーにおいても,その責任を追及されるべき立場にあるという考えがあるのではないだろうか。

また,会計士の論理では改善できないと判断したのか,外部の第三者による検証と「抜本的な」改善を強く求めている点も危機感の表れであろう。

なお,金融庁は監査法人の行う監査業務以外の業務(いわゆるアドバイザリー業務など)についても,一部業務停止の対象としている(監査業務に限定していないことからの反対解釈)。

監査業務ではないとはいえ,監査法人の名の下で行われている業務である以上,監査業務において生じた問題は,それ以外のサービス提供業務にも当然当てはまるという判断があると思われる。

現に今回の処分において,業務停止「1月」となった上村会計士は,不正対策のアドバイザリー業務を提供していたこともあったようであるが,そのような人物が業務執行社員として関与していたにもかかわらず東芝の問題は発生したわけである。この問題は新日本の監査業務に限定されず,あらゆるサービスに巣食う相当根深い問題と言わざるを得ない

3.危機感を感じられない新日本の対応

新日本は,同日付で,「金融庁による処分について」と題しHP上で対応について説明している。

この中で,新日本は,「弊法人の改革(案) 」と「弊法人の責任の明確化について」という文書を公表しているが,その内容を見ると,一見極めて明白に陳腐であって,このような内容を公表するくらいであったらしない方がマシなのではないかというレベルなのである。

まず,前者であるが,私が驚愕してしまったのはそこに並ぶ文言の極めて抽象的な表現である。

例えば,監査品質監督会議なる新組織を作るのは良いが,「モニタリングと改善指示を行います。」とあるものの,具体的にどのようにモニタリングをして,具体的にどのように改善指導を行うのかといった話が一切ない

審査会の立入調査等を通じて,これくらいの処分が出ることはわかっていたはずであるからもっともう少しマシな具体性のある改革案を示せなかったのであろうか。

こんな陳腐な抽象的な "改革案" を示すくらいであれば示さない方がマシである。

これでは,金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき処分に対し,馬の耳に念仏と言わんばかりの回答ではなかろうか。

同様に,「監査品質に関する問題が発見されたパートナーへの対応を厳格にします」などという宣言があるが,逆に今まで監査品質に問題があってもパートナーは何ら厳格な責任を問われない極めて温い環境にあったのかと思ってしまう。新日本が行っている各社の監査の信用性の低下を促進することにすらなってしまうだろう

このような上っ面の宣言をされると,逆に「今まで監査品質はおろそかにしていたの?」と不安が増大するのが通常人の合理的な思考であろう。

危機感のない頓珍漢な "改革案" はこれだけで終わらないから呆れてしまう。

例えば,人事制度改革においても,「パートナーの評価及びパートナーへの昇格において監査品質を最大限に重視することを明確にします。」とあるが,これにも開いた口が塞がらない

つまり,業務執行社員たるパートナーが意見表明を行う主体を構成するわけであるから,このようなことは当然に従来から行われいるべきレベルの話である。

にもかかわらず,今更この程度のことを "改革案" などと躊躇なく公表することが,新日本の問題の根深さを感じてやまない

この "改革案" で挙げている項目のすべてが万事このように突っ込みどころ満載なのであるが,最も驚愕するのは,次の点である。

改革の実を上げるための周知徹底(平成28年2月末まで)

(1)パートナーの決意書

全パートナーが一丸となってこの改革を着実に実行する決意を示すための決意書を全パートナーから取得します。

これには暫く開いた口が塞がらなかった。

時代錯誤も甚だしい。血判状のつもりなのか。こんなことをないと改革の実を上げられない組織とはどんな組織なのであろうか。

これが「改革の実を上げるための周知徹底」の3本柱の1つとして挙げられていることの一事をもって,いかに新日本が危機感を有していないか,いかに一般社会の社会通念と乖離した感覚の中で組織されているかが一見して明白なのである。

このようなことを平気で,恥ずかしげもなく,処分と同日に発表する監査法人の監査業務を受けたり,アドバイザリー業務の提供を受けるクライアントは,よっぽどお人よしと言わざるを得ないのではなかろうか。

中央青山監査法人の解散という前例があるにもかかわらず,新日本はその痛い前例を教訓にはできないようであり,極めて残念と言わざるを得ない。

4.辞退を申し出るおこがましさ

新日本には,東芝に騙されたという被害者意識があるのかもしれないが,金融庁に徹底的に監査体制等の杜撰さを指摘されたにもかかわらず,それでもあえて次のような公表を「弊法人の責任の明確化について」という文書で行う感覚が私には理解し難い。

株式会社東芝の次年度監査契約を辞退いたします。

この点,東芝の第三者委員会の報告書では,その職責の違い及び調査範囲の違いから,会計監査人の責任については,言及されていなかったことや東芝における粉飾行為の悪質性から,当初は,新日本に対する同情の声も少なくなかったと記憶している。

しかしながら,今回の金融庁の公表した処分に係る説明からすれば,新日本は決して「被害者」ではない

上記でも指摘してきたとおり,所管官庁である金融庁は,再三の審査会等による改善の指摘を受けてきたにもかかわらず,基本中の基本となる行為が行われておらず,法人全体として組織に問題があるという結論を突き付けたのである。

杜撰な監査を行ったとの厳しい批判の渦中にある監査法人が「辞退します」とわざわぜ宣言すること自体がおこがましいとの批判を受けると思うのは私だけではないだろう。

現に東芝が会計監査人の交代の検討をしているという報道が数週間前に報道が流れていることからすれば,このような無意味な「宣言」は,金融庁による断罪を受けた今,一般社会の社会通念からすれば,「契約を打ち切られる立場にあるのに何を上から目線で言っているんだ?」という無用な批判を招くのは目に見えている

ここにも,危機意識の欠如と危機管理対応に対する社会通念とのズレが表れていると言っても過言ではない。

5.結語

これまで見てきたとおり,金融庁は今回の処分に当たって極めて厳しい論調で新日本に対する指摘しており,その文面から金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき新日本への最後通牒的処分であることが読み取れる。

他方で,金融庁は無用な市場の混乱を避けるべく,一部業務停止の期間も「3月」とし,中央青山監査法人の時のような業務の全部停止を避けるため,日本経済や市場に与える影響に一定の配慮をしている。

しかしながら,当の新日本の対応を見てみると,金融庁の処分の趣旨が十分に理解できているのか既に疑問符すらついてしまう。

これでは,自らメガンテ(ドラゴンクエストシリーズに出てくる自爆の呪文)を唱えているようなものである。

依頼人たる企業が不信感により離れることの危機意識を強くしなければ,中央青山監査法人の二の舞は目前であろう。

平成28年1月31日までに提出が求められている業務の改善計画がどのように具体性と実効性を持ったものになるかが運命の分かれ道になる。

新日本のパートナーは今一度エンロン事件を描いたアメリカの映画でも見て危機意識を感じてはいかがでろうか。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,金融庁にやるべきことをやっていないと指摘された新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか。

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12/21/2015

新日本有限責任監査法人への処分の妥当性

久しぶりのブログ更新である。

ブログの読者だった方には本当に申し訳ないと思うが,ブログを5月に書いて以来,暫く多忙でブログ記事を書くことができなかった。

半年前に書いた東芝担当に監査法人に関する記事につき,その後がだいぶ追及が進んできたので,半年ぶりにブログを更新するにあたり,今回は新日本有限責任監査法人に対する金融庁の処分の妥当性についての記事を書いてみようと思う。

なお,既に弁護士の郷原先生がこの問題について所見を述べられており,私も郷原先生のご意見には概ね同意するものの,若干,記事の流れから,コンプライアンスの第一人者である自分を関与させれば良かった的な先生自身の売り込みに読めてしまう点に読者としては違和感を感じてしまったことから,違う視点で今回の問題を取り上げてみようと思う。

1.当初は甘い処分との報道が流れていた

金融庁をはじめとする規制当局は,当初,東芝や東芝の監査を担当していた新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)に対して責任を追及するつもりはあまりなかったように思われる。

しかしながら,内部告発等々により,東芝のあまりにも悪質な粉飾決算の実態が明らかになるにつれ,世論は東芝及びその監査を担当していた新日本に対して極めて厳しい眼差しを送ることになった。

そして,既に報じられているとおり,規制当局は現在東芝の旧経営陣等々に対する刑事事件での立件に向け検討に入っている。

監査法人については,一連の報道を見ていると,金融庁は当初は第三者委員会の報告書などから,会社が虚偽の情報を提供したのを見破るのは困難だったというような,いわば,士業の内輪の論理に立脚し,新日本に対してもさほど厳しくない「業務改善命令」が出る程度だろうという論調が多かったように思われる。

しかしながら,そのような甘い処分に留めることができなくなった背景にはいくつかの要因があると考えている。

まず,世論は当初から消極的な規制当局に対し批判的であったことが挙げられる。

ライブドア事件では50億の粉飾で刑事事件となり,堀江らは実刑に処せられた。多くの一般人は,東芝はそれをはるかに超える2248億円の粉飾であるにもかかわらず,刑事事件がやっと検討されるに過ぎない状況について,証券等監視委員会をはじめとする規制当局に対して強い不信感を持ち続けてきている。

当然,その犯行の悪質性というのも考慮されるべきであるが,東芝の旧経営陣らの行為は一連の報道を見ていると,市場を騙す意図で数々の粉飾行為を継続的に行ってきたことは明らかなのであって,これが刑事事件化されないことは,通常人の合理的な思考からは理解できないというべきであろう。

そして,通常人の合理的な思考からすれば,2000億を超える粉飾額を見抜けなかった士業たる監査法人に対しては,「専門家としてどんな仕事をしているんだ」,「こんなの見抜けなかったら会計士なんて不要」という意見が出てくるのは当然なのであって,新日本に対しては,その職務遂行のあり方に対して,当然根深い不信感と批判が向けられることになった。

この点,私も以前のブログ記事で指摘したが,東芝の監査では,業務執行社員として,新日本の品質管理部長が関与していたのある。

つまり,最も職業的懐疑心をもって他の監査チームを指導する立場にあった人物が関与していたにもかかわらず,2000億を超える粉飾を数年にわたって漫然と(故意なのか過失なのかは別として)見過ごしてきたと言ってもよいだろう。

こうした世間の厳しい視線は,金融庁も無視できなかったと思われる。

また,7月には金融庁は検査局担当の審議官,兼,公認会計士・監査審査会の事務局長に天谷知子氏を起用した。このことも,会計士の内輪の論理でナアナアな処分をできなかった要因であろう。

天谷氏については,監査法人に対して厳しい姿勢を持っているという噂は他の方も述べられているところである。

現に,今回の報道では,審査会のメンバーをある意味差し置いて,事務局長である天谷氏の発言が前面にでている。

例えば,次のような報道を見ると,天谷氏がいかに公認会計士という専門職に対し,その自覚をきちんと持つように規制当局の責任者として強い発信をしているかが顕れているといえるのではなかろうか。

新日本監査法人勧告 繰り返す甘い監査に「自浄能力欠如」 毎日新聞

東芝の不正会計問題で金融庁の公認会計士・監査審査会

 東芝の不正会計問題で、金融庁の公認会計士・監査審査会が新日本監査法人への行政処分を勧告したのは、同法人が甘い監査を繰り返し自浄能力が欠如していると判断したためだ。監査法人はこれまでも相次ぐ不正会計を見逃してきた経緯があり、監査への信頼が改めて問われている。

 審査会は今回、新日本の監査の不備に加えて、改善が徹底されない体質を問題視した。公認会計士3500人を擁する国内最大手の新日本は、隔年で審査会の定期検査を受けており、審査会はこれまで、新日本の批判的な視点の乏しさや、監査対象の企業の会計処理に疑念を抱いても徹底追及しない姿勢などについて再三、改善を求めてきたという。審査会の天谷知子事務局長は15日、「改善策の徹底が不十分で甘い」と新日本を強く批判した。

 東芝への一連の監査でも、東芝側から新日本への「不当な圧力は認められなかった」(天谷氏)といい、審査会は新日本の監査姿勢の甘さに問題があったと判断している。

 新日本に対しては業界でも「前例を踏襲し踏み込んだ監査を欠いたのでは」(公認会計士)との指摘がある。新日本は問題点の内部検証を行うなど再発防止に努める構えだが、信頼回復は簡単ではない。東芝も監査法人の交代を検討中だ。

 不正会計が相次ぐたび監査法人の責任が問われ、当局も対応を迫られてきた。米エンロンの巨額粉飾決算事件を受けて2004年に公認会計士・監査審査会を設置。カネボウの粉飾事件は08年の公認会計士法改正につながり、課徴金制度が導入された。新日本も処分されたオリンパスの損失隠し事件後の13年には、不正会計が疑われる場合の監査手続きの基準も策定し、監査機能の強化を促したはずだった。

 金融庁は10月、有識者会議を設置して監査制度の見直しを開始。監査法人への立ち入り検査の頻度を増やすなど監督強化も図る方針だが、不正根絶への道筋は描けていないのが現実だ。【和田憲二、片平知宏】

新日本監査法人への主な指摘事項

組織全体の問題点

・過去に金融庁側から指摘を受けた事項の改善策が組織全体で不徹底

東芝など個別企業に対する監査業務

・会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分

・会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底

・経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分

監査の質のチェック

・部下の行った監査内容に対する上司のチェックが不十分

・法人内の担当部門が個別監査の事後評価を十分行わず

2.金融庁が考えている処分は妥当なのか

もっとも,新日本への主な指摘事項を見ると,天谷氏が厳しい姿勢の持ち主か否かに関わらず,新日本の会計士は,根本的に士業としての資質を欠如しているというべきではなかろうか。

弁護士であれ,会計士であれ,士業は,専門職として,その高度な知識や経験という目に見えない価値を提供する職業である。

そのような士業にとって,上記指摘は,その資質がないという烙印を押されているに他ならない

特に会計士は,独立した立場での職務執行が強く求められている職業である。

にもかかわらず,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」,「会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底」,「経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分」などというのは,極めて稚拙なことで指摘されているというべきであろう。

このような流れの中で,現在,金融庁は,①業務改善命令,②課徴金20億円~30億円,③業務の一部停止命令を併せて行うことを検討しているという。

果たしてこの処分は,新日本の負うべき職責に比して,十分に重い処分といえるのであろうか

まず,課徴金については初適用ということで騒がれている。

確かに初適用ということで,インパクトはある。また,監査法人というのは,あまり利益を内部留保せず,利益はパートナーと呼ばれる人たちを中心に配分される傾向にあるから,20~30億円という課徴金は十分重たいという声も聞こえてくる。

しかしながら,果たして本当にそうなのであろうか。

というのも,士業は弁護士もそうであるが,保険に入っているのが通常である。

まして,大手監査法人で,アーンスト・アンド・ヤング(EY)というグローバルのアカウンティングファームに所属しているのであるから,当然に,このような事態に備えて損害賠償保険等に加入しているのが当然の義務となっていると考えられる

そうであるとすれば,20~30億円の課徴金は痛くも痒くもないのではなかろうか。

そうすると課徴金そのものはさほど重い処分とは言えない。

そこで,もっとも,重い処分といえるのが,業務停止命令であろう。

既に報道されているとおり,新日本は監査クライアントの規模で言えば,国内最大の監査法人であるから,いわゆる,業務停止命令を食らってしまえば,監査難民が出て,市場が混乱するというのはよく言われている話である。

実際にそのような混乱の懸念はあるため,金融庁も,そこまでは考えておらず,業務の一部停止命令を検討しているようである。

この「一部」というのは,いわゆる,新規受注の禁止というものである。

具体的な内容については,①監査業務に限るのか否か,②期間は3月とするのか6月とすべきなのかという検討がなされているようである。

この点,新日本の指摘事項からすれば,これはそもそも,士業として,専門職としての根本的な素養に問題点がついているのであって,過去の指摘事項が全く改善されていないというのであれば,法人全体の姿勢と仕組みの問題なのであるから,監査業務に限定せず,当法人のあらゆるサービス提供業務をこの機に見直すべきなのであって,監査業務に限定する理由はないというべきである。

また,期間についても,指摘事項が極めて根本的な点において不十分とされていることからすれば,6月程度の長期の処分が妥当ではなかろうか。

いやしくも,士業として,専門職として,高度の倫理観と職業意識をもって職務に当たらないといけない会計士等を抱える監査法人なのであるから,それに反した場合には,通常の企業よりも厳しい処分を持って対処するのが妥当である。

むしろ,そのような厳しい自己批判がなければ,専門職に対する社会的責任や社会の期待に応えているとは言えないのではなかろうか。

3.それでも危機意識のない一部の新日本の会計士達

このような事態を受けて,新日本の英理事長は辞任することになったという。もしかしたら,郷原先生の「トップの無為無策によって窮地に追い込まれた新日本監査法人」という批判がある種の一押しになったのかもしれない。

しかしながら,郷原先生の指摘とはこの点については違った見方としていおり,私は,必ずしも新日本の問題はトップの問題ではないと考えている。

むしろ,東芝の監査の問題は,現在の英理事長が就任する前から脈々と継続してきた問題だったのであって,トップが責任を取れば済むという安易な問題ではないと考えるのが論理的である。

私の知り合いなどには新日本の会計士も複数おり,東芝の問題が出て以降,彼らと話す機会があったが,その会話の中で私は多々驚くことがあった。

彼らは東芝の事件が今年の3月頃に報道され始めた頃から,「どうせあんなのは大したことないよ」といった発言があり,その額が巨大な粉飾額になることが次第に明らかになっても,「会計士では会社が嘘をついたらもう見抜けない」などとあからさまに職務放棄と言えるような発言を平然と言っていた。

更に唖然とするのは,なぜ会計士では見抜けないのかと聞くと,「会社が嘘をつくとは思っていない」とか,「会社の出された資料を見ているから見抜けるはずがない」とか,さらには「10億円程度の報酬だったら,そこまでやっている人員等のリソースがない」などというのである。

しまいには,「監査というのは,性善説に立って,これだけチェックしたからおかしなことはないという書類の作成業務だ」などという声もあった。

私は彼らのこうした発言を聞くたびに,「おいおい。会計士の仕事って何なんだよ。」と思ったものである。

これは職業的懐疑心という以前のレベルの問題だろう。

私の知り合いの会計士がすべてとは言わないが,少なくともこのような発言が複数名からあったのは誠に残念であった。

さらに,東芝の第三者委員会のレポートが公表された7月頃に,私がある会計士に,「新日本も相当の処分が下るだろうね。業務の一部停止は既定路線なんじゃないか。いくら見抜けなかったといっても,一般人の感覚からは到底受け入れられない話だろう」といったところ,「いやー,所詮あったとしても,業務改善命令程度だよ。監査チームはある意味騙されて被害者なんだから。」などと極めて呑気な発言をしていた。

このような発言をみるに,今回の東芝の問題は氷山の一角に過ぎないのであって,会計士の職業的倫理の根本的な姿勢に関わる問題というべきであり,その闇はより根深いものがある

おそらく,審査会も,こうした会計士の会計士による会計士のための論理を検査を通じて如実に感じ取ったのではなかろうか。

そして,金融庁も,そのような論理が昔は通用していても,透明化を求めるグローバルな現代の市場では一切受け入れられないという強い姿勢を示し,インパクトのある処分をある程度は課さないといけない

仮に金融庁がこのような論理を許すのであれば,第二の東芝事件はすぐに起こるといえよう。まさに今日本の金融市場を所管する金融庁の職責が問われているのである。

さて,今回もこのテーマに関連しぜひ次の映画を見てもらいたい。

それはエンロン事件を描いたアメリカの映画である。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,まさに,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」との指摘をされた新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか

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05/27/2015

監査法人制度の闇その2

前回の記事「東芝の粉飾決算疑惑に見る監査制度の闇BLOGOS版記事はこちら)」では,品質管理を担当している業務執行社員が東芝の事案に関与しているにもかかわらず,全事業にわたり粉飾疑惑が生じていることなどに触れ,東芝の会計監査人が本当に妥当な監査をしてきたのか,予定調和のシャンシャン監査ではなかったのかという疑問を呈した

我が国の会計監査に対する信頼を揺るがす可能性のある粉飾決算疑惑が大企業の東芝で生じている最中,監査法人のあり方そのものを問うニュースがもう一つ海外から発信されているので,今回はそれを紹介しようと思う。

ウォールストリートジャーナル紙電子版が報じるニュースである。(日本語版はこちら英語版はこちら。)

端的に説明すると,アメリカの監査法人であるErnst & Young(EY)がウォルマート社の監査人を長年務めているところ,メキシコ政府に対する贈賄(米国腐敗防止法違反)について,ウォルマート社が米当局に報告する以前から知っていたにもかかわらず,必要な手段である当局への通報を行わなかったとして,株主のグループが告発したという記事である。

先の記事でも紹介したが,我が国で問題となっている東芝の会計監査人は,新日本有限責任監査法人であり,この監査法人はErnst & Young(EY)のメンバーファームである。

メンバーファームといっても,いわゆる看板を借りているだけという監査法人も少なくなく,他国のメンバーファームとの連携が取れていないところも多いと聞くことから,米国EYの報道が必ずしも,新日本有限責任監査法人に直結するわけではないものの,今回のタイミングでこのような報道が海外で出ていることから,取り上げることとした。

このニュースの内容について,信ぴょう性は未だ何とも言えないが,仮にこれが事実だとすれば,やはり全世界的に,企業から報酬をもらって会計監査を行うという監査法人に対して,「市場の番人」としての機能は期待できないことを示唆しているのではないかと考える。

大手監査法人に勤務する会計士から聞いた話であるが,一部の大規模クライアントについては,監査の実態としては予定調和であり,会計士が問題を呈することが憚られる雰囲気があるという。つまり,監査報酬をもらっていることから,クライアントに対して従属的な関係になってしまっているというのである。

また,大手監査法人においては,傾向として,会計士がサラリーマン化しており,弁護士等の他士業に比べると,士業としての矜持が薄弱で,毎年,予定調和の作業を行っていると聞く。

さらに,監査法人をめぐる問題は根深いと思わせる話すら聞こえてくる。

例えば,海外では,会計監査において使用した証拠を整理した監査調書を電子データで保存し,一定の基準日以降は,その内容を改変することは物理的にできなくなっている仕組みが浸透している一方,我が国の会計監査においては,法的には改ざんは許されないことに変わりはないものの,監査調書を紙で保存する場合が主流で,紙の監査調書は,容易に閲覧が可能で,物理的に中身を差し替えることが難しいことではないというのである。

法律上はかかる改ざん行為は違法であり,懲戒事由に該当することは当然であるが,物理的に可能な状態にしている現状はあまりに性善説に過ぎるであろう。

ある会計士の話では,「監査調書はあえて紙で保存するようにしている」という。その理由は,言わなくても想像に難くない。

このような話を聞くと,やはり,監査法人そのものに対する強い不信が生じてくる。

やはり,士業に従事する者はあえて厳しい基準で自分たちを律しなければならない。

士業についての批判的記事を書くと必ず,各業界の利益代表みたいな意見が寄せられるが,こうした意見はあまりにも,一般的な社会通念から著しく乖離しており,国民の不信を招くことは言うまでもない

現に,会計士業界の悲願は監査報酬の増額であるが,J-SOXの導入などでバブル的な状況ができたものの,監査報酬の増額という悲願は達成できていないのであり,これは,企業側が会計監査がいかに杜撰で価値がないかを知っているからだという話は広く知られているところであろう。

いずれにしても,今回の東芝の事案やウォルマートの事案において,必ずしも上記のような状況があるのか否かは現時点では不明であるが,我が国においては,オリンパスの粉飾事案など大きな経済事件が既に起こっているのであって,そうした状況を踏まえると,会計監査人を務める監査法人制度に対して,業界の利益だけの改革ではなく,市場の公正・安定という見地から,金融庁は抜本的な改革をすべきではなかろうか

ところで,前回の記事の最後に掲載していたDVDを今回はぜひ紹介しようと思う。

それはエンロン事件を描いたアメリカの映画である。

ある知り合いの会計士は,この映画で描かれている会計士の姿は耳が痛い内容だという。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,我が国の一部の公認会計士にも当てはまるということはないだろうか

弁護士や会計士などの士業が増えている中で,市場原理から数を減らす必要はないと考える一方,「性悪説」に立った仕組み作りが急がれる

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05/25/2015

東芝の粉飾決算疑惑に見る監査制度の闇

東芝をめぐる不適切な会計処理,いわゆる粉飾決算の問題が拡大しており,全く収束の気配を感じない。

日経新聞電子版の「東芝、不適切会計 根深く ほぼ全事業に疑念拡大」という記事が伝えるところ,ほぼ全事業にわたって,粉飾決算の疑いがもたれている。

記事によれば,次のとおり,内部通報により発覚したようである。

 東芝は22日、不適切会計問題で第三者委員会が調査する範囲を発表した。すでに500億円の利益減額見込みを公表しているインフラ関連に加えて、テレビやパソコン、半導体という主力事業の大半が対象になる。仮に、利益の大半を稼ぐ屋台骨の半導体で問題が出てくれば、業績への影響は一気に膨らみかねない。全社的な管理体制のずさんさが浮き彫りになった形で、経営陣の責任問題に発展する可能性もある。

 証券取引等監視委員会に届いた内部通報がきっかけで発覚した不適切会計を発表したのは4月3日。約1カ月半たって外部の専門家による本格調査がようやく始まるが、期間は示さなかった。「範囲が広がり、場合によっては深刻な事態に発展するかもしれない」と金融庁幹部は身構える。

「不適切な会計処理」という表現は,あまり大事ではない印象を受けるが,一般的に,「粉飾」と「不適切な会計処理」の違いは,故意の有無により区別しているようで,紙一重である。

そもそも,「粉飾決算」というのは法律用語ではない。会計用語や経済用語として頻繁に使われているが,「粉飾決算」という言葉の定義はあいまいである。

もっとも,会社の財務諸表の申告につき,虚偽のものを作成することは,会社法等の特別背任罪など複数の故意犯に該当することから,単なるミスの場合と区別して,故意が認められるケースにつき,「粉飾決算」という表現をしているようである。

いずれにしても,東芝の事案は,まだ全容がわかっていないものの,特別背任罪等を構成しうる事件に発展する可能性が囁かれているとおり,我が国の経済活動に与える影響は極めて大きいものになりつつある

他方で,我が国の法規制及び執行状況は,経済犯,とりわけ,ホワイトカラークライムに対して,諸外国と比べると甘いと言わざるを得ない。

そこで,今回は,東芝の報道などを参考に,粉飾決算の問題点,つまり,会計監査制度のあり方について,私見を述べようと思う。

1.東芝の粉飾決算疑惑(不適切な会計処理)をめぐる状況

現在までに報じられている内容をみると,当初は,インフラ関連と呼ばれる,①原子力・火力発電などの「電力システム社」、②送配電システムなどの「社会インフラシステム社」、③ビル管理などの「コミュニティ・ソリューション社」の3つの事業の9件に不適切なものがあり,約500億円という説明であった。

上掲の記事によれば,「先行して調査したインフラ関連では、長期の工事で進捗度合いに応じて売上高や費用を見積もる『工事進行基準』と呼ぶ会計処理の運用がテーマだった。」とされているところ,この工事進行基準というのは,他の報道でも明らかなとおり,誤りやすい会計手法ということで,この基準の問題で終始するのであれば,当初の株価の暴落程度で済んでいたのかもしれない。

しかしながら,ここにきて,粉飾決算疑惑はさらに看過しがたいものとなっている。

先に報道によれば,第三者委員会は,調査対象を,ほぼ全事業としていることから,問題は,この工事進行基準という会計手法の解釈の問題ではなく,そもそも,同社の会計そのものに対する問題点があることを示唆している

2.監査法人,新日本有限責任監査法人に関する報道と同法人の責任

東芝の会計監査人は,監査では最大手といわれる,Big4の1つである新日本有限責任監査法人である。監査法人を知りたければ,監査報告書を見れば明らかである。

同法人は英国のアーンスト・アンド・ヤング(Ernst & Young)と提携する監査法人であるところ,東芝はこの新日本有限責任監査法人から,現在に至るまでずっと東芝の財務諸表について,適正意見(リンク先資料35ページ)と呼ばれる以下の評価を受けてきているのである。

当監査法人は,上記計算書類及びその附属明細が,我が国において一般的に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して,当該計算書類及びその附属明細書に係る期間の財産及び損益の状況をすべての重要な点において適正に表示しているものと認める。

すなわち,一連の粉飾決算疑惑が生じている不適切な会計処理について,会計監査の最大手である新日本有限責任監査法人は,適正いう判断をし,少なくとも,疑義がもたれるような実態があることを見抜けなかったというのである(現時点では,情報が少なく,原因関係が明らかではないところ,監査法人が見抜けなかったとして,法的責任を負うか否かの検討は時期尚早であること,及び,監査法人自体が粉飾に関与していた可能性も排除できないことは付言しておく)。

同監査法人をめぐっては,いくつか報道がなされているところ,平成24年7月6日に,同監査法人は,オリンパス社の粉飾決算問題を理由に,金融庁から業務改善命令を受け,「当該改善命令を厳粛かつ真摯に受けとめ、より一層の監査品質の向上に、全法人を挙げて取り組む所存です」などと述べている。

こうした経緯を考えると,私は,東芝の不適切な会計処理を見抜けかなった会計監査人たる新日本有限責任監査法人の少なくとも倫理的,社会的責任は極めて重いのではないかと考えている(もっとも,法的責任を負うか否かは別途検討を要する)。

この点,ある記事では,「新日本さんの名誉のために言っておくと、1年前には、米国サウステキサスプロジェクト(STP)の減損処理を巡り東芝側と相当に激しいやり取りを行っていたことなどが報じられたこともあるのです。つまり、そうした報道内容からする限り、新日本の公認会計士さんたちは真摯な態度で任務を全うしようとしていたことが窺われるのです。」という意見もあるようであるが,私はこの見解には全く賛同できない

おそらく,この記事のいう報道とは,週刊ダイヤモンドの電子版の記事について言及しているのであろう。

このダイヤモンドの記事の内容が正確であるとすれば,1年前に新日本有限責任監査法人は,東芝の関係処理について問題があるとの認識を持っていたというのであるから,そうであれば,適正意見など書くべきではなかったことは明らかである

また,仮に真摯な態度で任務を全うしようとしていたのであれば,問題のある会計基準に固執するクライアントに対して,会計監査人を辞任することを持って迫るなど早期発見につながるの余地はいくらでもあったのではなかろうか。

むしろ,この週刊ダイヤモンドの報道が1年前にあったにもかかわらず,現時点まで,何ら会計監査人としての責務を果たすことなく,本件が「証券取引等監視委員会に届いた内部通報がきっかけで発覚」したことは,新日本有限責任監査法人が,市場の番人としての責務を何ら果たしていなかったことすら示唆するのではないかと私は考える。

マスメディアは,同監査法人について言及はしているが,同監査法人に対する厳しい報道はまだ聞こえてこない。

しかし,東芝の不適切な会計処理がここまで大規模な疑惑になっている今,会計監査人として,同社の会計処理を見てきたはずである監査法人の責任は厳しく問われる必要があるのではなかろうか。

3.会計監査人の一人は品質管理の責任者

さらに,私は,この東芝の問題について,懸念していることがある。

それは会計監査人についてである。四半期レビュー報告書によれば,以下の4名が業務執行社員として名を連ねている。

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 濱尾宏

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 石川達仁

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 吉田靖

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 谷渕将人

このうち,一番上の濱尾氏は,新日本有限責任監査法人の品質管理本部長を務めていた又は現在も務めているようである。

同姓同名の人が2人いるということは考えられなくはないが,おそらくその可能性は低いと思われるところ,本部長というのであるから,おそらく,同監査法人の品質管理の最高責任者なのであろう。そのような人物が監査に関与しておきながら,このような不適切な会計処理として,少なくとも500億円の指摘がなされていることは,看過しがたい事実ではなかろうか

すなわち,品質管理を担当していた又はいるのであれば,当然,監査手法について問題がないか等を熟知していた立場であろうし,上記ダイヤモンドの記事が正しければ,そういった会計基準の問題についても,当然把握していたはずである。

かかる立場にある人間が,業務執行社員としてかかわっていたにもかかわらず,このような事態になっていることについては,通常人の合理的理解からは,何とも解せない不信感がわいてくると言っても過言ではない

この点,一部ネット上では,東芝の監査担当者がJALと同じ面々だったなどという話もあるが,これは明らかな誤報ではなかろうかと思っている。

というのも,会計監査人が誰かは,監査報告書等を見れば明らかであるところ,JALのHPで公開されている過去の監査報告書を見ると,同じ新日本有限責任監査法人が破たん前に担当していたことはわかるが,業務執行社員として名前が記載されている公認会計士は,東芝のそれとは違う

したがって,業務執行社員以外にJALの破たん前に監査を担当していた公認会計士が東芝の監査のチームの中にいる可能性は排除できないが,少なくとも,業務執行社員が同じだったということではないようである。

4.公認会計士,監査法人制度の問題点

既に,知られていることであるが,やはり企業から報酬を受けて,監査をするという制度自体が問題であると私も考えている。

というのも,ネットで調べた限りではあるのもの,東芝は,新日本有限責任監査法人にとって報酬額第6位のクライアントであり,同法人は約11億円の監査報酬をもらっているのである。

このようなビッククライアントであれば,監査報酬を失うことへの不安から,担当する業務執行社員(一般的にパートナーと言われる人々)が,及び腰になることは容易に想像できる

欧米では,2011年以降,監査法人の順番制(ローテーション制)というのは議論されてきたが,我が国ではこのような整備が未だ十分とは言い難い。ローテーション制は限定的である。特に,ホワイトカラークライムに甘い我が国のことであるから,世界に先駆けてより厳しい制度の導入をする気概は期待できないが,やはり,職業倫理任せで何ら監査法人制度にメスをいれないのは,健全な市場を確保し,公正な経済活動を担保する上で,あまりに無責任ではなかろうか

この東芝の事案を見る限り,私は,大会社等のみならずその範囲を拡大し、一定規模の会社について,より厳格な監査法人のローテーション制度や監査報酬の支払いに関する規制を見直し、監査法人が従属的なシャンシャン監査と決別できるような制度すぐにでも導入すべきであると考えている。

なぜならば,今回,問題をあぶりだした内部の特別調査委員会のメンバーには,別の監査法人のグループに属するデロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社の築島委員がおり,同業他社の会計士がこの問題のあぶり出しに一役買っているといえるのではないだろうかと考えるためである。

ちなみに,第三者委員会の委員を見ても,山田委員は有限責任監査法人トーマツの経営会議メンバーを務めた人であり,同じく同業他社の会計士が問題の追及に関与しているのである。そして,調査補助者は引き続き,デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社が担当している。

以上の状況からすると,私は,この第三者委員会がどこまで追求できるかが今後の監査法人制度のあり方を示してくれるのではないかと期待している。

すなわち,東芝の事案のように,同業他社のような第三者の専門家が入り,疑惑を発見して原因追究をすることこそが,クライアントと監査法人のズブズブの関係を断ち切る上で極めて重要であるところ,ローテーション制度の厳格化や監査報酬規制の改革などを行えば,少なくとも,会計士が業界を挙げて一致団結してごまかそうとしない限り,別の視点で,会計士が企業の財務状況,会計処理状況を精査する機会が作られ,一定の緊張感をもって,会計士が職務に当たり,また,不適切会計の早期発見にもつながると考える

粉飾決算というのは,投資家に対する詐欺である。さらに言えば,経済市場に対する背信であり,極めて重く処断される必要がある。

ホワイトカラークライムに対し,我が国はもっと問題意識を強くし,関係官庁は抜本的な改革をしなければ,日本企業に対する不信は増々増大し,我が国の経済にとって重大な危機をもたらすのではなかろうか

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06/02/2014

「ありのままで」は働けない労働法改正の動き

以前,「侵害排除ではなく機会を逃さずに侵害を活用する柔軟な発信力が重要 」という記事で紹介した映画「アナと雪の女王」は,日本でも爆発的なヒットとなっており,ついにはNHKが興行収入200億円突破のニュースを報じている。

Youtube上では,前回の記事でも紹介したとおり,様々なカバー動画などがいまだに次々登場しており,世界的なEpicと称すべきヒットはそれだけで元気を与えてくれるニュースである。

この映画が日本だけでなく,世界的なヒットとなった背景については色々なメディアが取り上げているところであるが,私は,多くの人間が何かしらのコンプレックスを抱えている中で,特に,劇中の「Let it go」(日本語翻訳版では,「ありのままで」)という歌の歌詞が人々に共感を与え,耳に残るキャッチーなメロディーが人々の心に入り込んだのであろうと考えている。

ところで,政府は,今,労働法改正を進めようとしており,その中で,時間に拘束されない働き方を可能にするとして,いわゆる,ホワイトカラーエグゼンプションの導入をまさに進めようとしている。

しかしながら,私は,国民はこの改正には断固として反対すべきであるし,このような改正を認めた労働契約法や労働基準法は,稀代の悪法になると危惧してやまない。

そこで,今日は,労働者が「ありのままで」働こうとすることを妨げるこの法改正について,取り上げてみたい

既に,弁護士ドットコムなどの記事においても,多くの弁護士がこの法改正の問題点を指摘しているとおり,この法改正は,雇用契約における労務の提供という労働者の義務の核心的な部分である労働者に対する時間的拘束という要素に対する安倍政権の無理解と経団連等の経営層の無責任な労務管理を追認する点において,私は問題があると考える。

端的にいえば,雇用契約の本質は,労働者を指揮命令下に置く拘束という点にあるところ,その本質を安倍政権及び当該法改正を推し進めようとしている人々はまったく理解していないのである。

そして,たちが悪いのは,この法改正の推進論者は,詭弁を用いて,「労働時間に拘束されない成果主義による労働者の自由なワークスタイルが実現できる」など聞こえはいいが,我が国の労働実態を全く理解していない主張をしていることである。

この法改正は,ブラック企業の追認のための法改正と言っても過言ではない単に,労働時間規制により,使用者が支払わなければならない時間外の割増賃金を圧縮するための法改正以外の何物でもないのである。

法改正推進論者は,専門的労働者は単純な労働者とは違うから,労働時間にとらわれない自由な労働ができるのであって,その方が労働者に利するなどと反論するだろう。

しかしながら,専門的な労働者であっても,労働実態として,使用者の指揮監督下に置かれているという実態があるから,雇用契約を締結しているのである。

雇用契約の本質は,労働者が使用者の指揮監督下において労務を提供し,使用者がその対価として賃金を支払う点にあること(労働契約法2条1項及び同条2項)は言うまでもない

指揮命令下に置かれている労働者にとって,自分で自由に労働時間を調整して勤務できるなどというのは,雇用契約の本質上,極めて困難であって,「No right, no wrong, no rules for me, I'm free!」とはいうわけには当然いかない。

政府は,専門的労働者は独立性が高いので,自由に調整できるなどと言っているが,そのような楽観的なステレオタイプ化は,労働者にサービス残業を強い,雇用契約の本質である労務の提供以上の過大な負担を負わせるのであって,到底容認することはできない

本当に専門的労働者が,独立性が高く労働時間を自らの意思で調整でき,使用者の指揮監督下になく自由に働けるというのであれば,それはもはや労働契約としての本質から逸れているのであって,その法的性質は,請負契約というべきであろう。

成果主義を実現したいのであれば,経営層は,雇用契約で労働者を抱えるのではなく,請負契約を締結し,注文者として,請負人に対し,報酬を支払えば良いのである

しかしながら,それができないのは,勤務実態として,労働者が指揮監督下に置かれており,自らの意思で自由に働くことができるという実態ではなく,労働法による規制を受けてしまうからである

つまり,勤務実態として,使用者により拘束されている立場に置かれていること他ならなず,自由な意思により労働時間の調整をできるような環境にはないことを意味している

私は,この法改正の最大の利点は,時間外労働の割増賃金の削減にあると指摘したとおり,安倍政権と財界の真の目的はここにあることは皆さんお分かりだろう。

ダラダラと無駄に残業をしている職場も多々あることは私は当然把握している。

しかしながら,そのような残業を削減してコストを下げる責務は個々の使用者において果たされるべきものである労働者の責任を転嫁するような法改正は断固としてなされるべきではない

無責任な使用者である経営層が自らの責任を放棄し,安易に人件費を削減するためだけに,「専門的労働者」などという詭弁で,なんちゃって,エリートと錯覚をさせ,サービス残業を強いるだけの法改正は,労働者が「ありのままの自分になる」どころか,百害あって一利ないことは明らかである。

本当に専門性があるのであれば,労働契約ではなく,請負契約や委任契約で独立した一事業者として,経済活動を実現すれば良いのではかなろうか。

そして,使用者である経営層が,各部署の労務時間をしっかりと把握し,無駄な残業はさせないなどの責務を果たせば,時間外労働に対する割増賃金の圧縮は容易に実現可能だろう。

しかし,使用者としてきちんとした労務管理すらすることができない無能な経営層が,中流階級が主流という我が国の実態を把握できない無能な安倍政権を後押しし,さらには,「専門性」などという詭弁で,自らがエリートと誤解して,この法改正に賛成している労働者を見ると,私は滑稽で仕方ないし,我が国が長年培ってきた労働法秩序を一瞬にして破壊されることを危惧してやまない

どうも安倍政権は,我が国の治安や労働保護法制という世界に誇れるものを破壊することに何の抵抗もないようである

もっとも,その姿勢は,ブラック企業として激しい批判を受けている創業者だった人物を自民党の公認候補にして,当選させた時から明らかだったのかもしれない

そもそも,我が国の労働環境は,「社畜」などと言われ,我が国に在留する欧米人も日本の労働環境は劣悪であると指摘することが多々ある。

野党が不在であるとはいえ,我々国民は,目先の経済的利益が優先され,後戻りのための黄金の架け橋を次々にぶち壊す安倍政権に対して,立ち上がらないといけない時期に来ているのではなかろうか

過酷なサービス残業や過労死に追い込まれ,労働者がますます「ありのままで」働くことができなくなることに気が付いた時,「I'm one with full of work but no payment」とか,「My perfect health is gone」という現実に直面し,「We cannot be going back. The past is in the past」ともう手遅れになってしまうだろう

この法改正,「Let it go」(諦める)では済まされない

仮に,このような雇用契約の本質を歪める法改正が行われてしまった場合には,最後の砦として,司法たる裁判所は,現在にもまして労働者保護の観点から実態としてを厳格に評価し,実態として労働時間規制の対象に当たらないかを極めて綿密に審理していかなければならないだろう

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02/08/2014

スカイマークの制服にみる日本企業のあり方

私は今から約3年前、「スカイマークの問題について」という記事を書き、スカイマークには二度と乗りたくないと宣言した。

それ以降、どんなに高くても、JALやANAを乗るか、AIRDOなどの地域密着型エアラインを利用するようにしている。つまり、この宣言のとおり二度と乗っていないのであるが、昨年末に、益々このスカイマーク社の見識を疑うニュースを読んだので、そのニュースについて今日は取り上げてみたい。。

この記事にある写真の制服を一見して明らかであるが、この制服は非常に低俗の一言に尽きる。

このような丈の短いミニスカートをはかせることで、男性客の性的好奇心を駆り立て、顧客取り込みを図ろうとしているのであろうが、仮にそうであれば、同社は女性客室乗務員をキャバクラ嬢か何かと勘違いしており、航空業界という人の命を運ぶ社会的責任のある運送会社の姿勢として、私はその資質に疑問を感じざるを得ない。

航空業界で働く友人によれば、この制服を着るのが嫌でスカイマークの客室乗務員をやめたという人もいるという。

賢明な判断だろう。客室乗務員は緊急時の保安要員である。少なくともこのような低俗な制服に保安要員としての資質があると思わせる印象はゼロとしか言いようがない。

同社は、過去に常識では考えられないような様々なトラブルを起こし、所管である国土交通省から注意処分等を受けている。

そうした過去の経緯やこの法令順守意識が企業の存続にとって不可欠な時代において、未だ時代錯誤的に女性を性的なアピールの象徴としかみていないような制服の導入することについては、企業としてのコンプライアンスの体をなしていないのではないかとの印象を与える。

スカイマーク社がどのような意図でこのような低俗な制服を採用したか私には理解しがたいが、仮に、キャバ嬢風の制服で女性客室乗務員を性的アピールの象徴として利用し、集客を図ろうとしているとすれば、そのようなもので同社のフライトを選ぶような低俗な客層と一緒のフライトには乗りたくないと思う人が多いのではないだろうか。

また、労働者である客室乗務員には、「働きやすい職場環境の中で働く利益」(福岡地判平成4年4月6日労判607・6)があり、使用者である企業には、職場環境調整義務が課されている。

男女を問わず働きやすい職場環境を構築することが企業の社会的責任の一つであり、企業には職場環境調整義務という法的責任がある中で、このような制服を着させること自体が、社会通念に照らし異常な企業体質という印象を強く生じさせるのではなかろうか。

少なくとも、私はこのニュースに接し、同社のフライトは利用したくないと改めて思った。

今日、ロシアで冬季オリンピックが開催し、テレビメディアはその話題で一色であるが、東京オリンピックの開催がある中で、多くの外国人旅行者が日本を訪れることが想像できるが、このような低俗な制服が、女性を性的アピールの道具としか思っていない日本の男性社会の象徴として世界の目に触れ、女性に対する職場環境配慮義務を怠るのが日本社会であるとの印象を与えることを危惧してやまない。

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05/03/2012

憲法記念日に改めて理解してほしい議論 - 憲法9条について

今日は、憲法記念日です。

憲法と言えば、どうしても、国民の関心事項は憲法9条で、改憲論者は9条問題を真っ先にこれを指摘してくるでしょう。

しかしながら、果たして、どれだけの国民が憲法9条の正確な議論を理解しているでしょうか

私は、2009年5月3日に、「憲法記念日なので」と題した記事を書いたことがあります。

そこで、憲法記念日である今日は、この記事を再度編集して、憲法9条議論の正確な理解を図るための記事を書いてみようと思います。

1.憲法9条1項は何を放棄しているのか。

まず、憲法9条1項ですが、解釈上重要な部分は、「『国際紛争を解決する手段としては』、永久にこれを放棄する」と定めている部分です。

まず、この部分で、何を放棄しているのかが問題となります。

1つの見解(憲法学上の通説)は、『国際紛争を解決する手段』という部分につき、国際法上の用例でいう、「国家の政策上の手段としての戦争」を意味しており、これは侵略戦争の放棄であると考えます。この見解に従うと、自衛権は放棄していないということになります。

もう1つの見解は、あらゆる戦争の放棄をしたと考えます。ただ、これは現実的ではありませんし、支持はあまり得られない見解ではないでしょうか。

2.憲法9条2項は自衛のための戦争も放棄したのか。

次に問題となるのが、9条2項です。2項は「前項の目的を達するため」と定めています。

まず、憲法が九条の通説的な見解は、前項の目的とは、1項のいう「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求すること」と捉え、この為にはあらゆる戦争を放棄したと考え、自衛の戦争も放棄したと考えます。

これに対し、政府見解をはじめとする現実的な見解は、前項の目的とは、侵略戦争の放棄のためと理解し、自衛の戦争は許されると考えます。

3.戦力とは何か。

さらに、解釈上の3つ目の問題点は、「戦力を保持しない」としている部分です。何が戦力なのかという議論があり、通説は警察力以上の力はすべて戦力と捉えます。

これに対し、政府見解は、自衛力を超える力が戦力であると説明します。

いずれにしても、これらの見解はあくまで、何の拘束力もありません。

我が国で唯一権力をもって判断できる機関は、違憲立法審査権を有する裁判所であり、その判断が判例としての法源性を有する最高裁の判例です。

最高裁が、9条をどのように判断しているかが重要であり、以上の議論は机上の空論でしかないといっても過言ではないかもしれません。

4.最高裁の判例はどう判示しているか。

そこで、最高裁の判断を見るわけですが、砂川事件(最判昭和34年12月16日)が最高裁判例の中でも一番、9条に踏み込んだ判断をしています。

まず、最高裁は、9条により、我が国が主権国としてもつ固有の自衛権は否定されたものではなく、憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないと判示しています。

これは、自衛権の放棄はしていないということを明確にしています

次に、憲法9条は我が国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることをなんら禁じるものではないと判示し、2項は、我が国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となり、指揮権・管理権を行使して、侵略戦争を引き起こすことが無いようにするための規定という考え方をしています。

そうすると、判例は、9条で禁止される戦争および行為は、①侵略戦争、②侵略戦争のために我が国が主体となって指揮権・管理権を行使し得る戦力と考えているであろうことがわかります。

他方で、最高裁は、③自衛のための戦力を禁じたかどうかについては判断せず、④一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所の司法審査権の範囲外にあるという統治行為論にも言及しています。

結局のところ、最高裁判決から明らかなのは、(1)侵略戦争は憲法上禁止されるということ、(2)自衛権は我が国に存在するということのみです。

また、本判例の事件は、日米安保を扱った事件の中で判断されており、特に、否定する文言が無いことから、最高裁は、自衛権の中の集団的自衛権についても、憲法が否定するものであるとは考えていないように思われます

5.私見

以上のことを前提に、私の私見を紹介します。

通常、政府見解や学説の多くは、現行法上、集団的自衛権は行使できないと説明しますが、少なくとも我が国で憲法の有権的解釈ができる最高裁がそれに言及したことはありません

したがって、勝手に言っているにすぎません。

政治家などが議論している9条改正議論ですが、改正しなくても、集団的自衛権の行使は可能でしょう。

問題なのは、政治家にそれをする器量がないだけです。であるならば、改憲してもそれらの政治家が適切な運用ができるかには疑問が生じます。

砂川事件で、最高裁は統治行為論を援用していますから、集団的自衛権の行使が侵略戦争に当たるような方法によりなされない限り、裁判所が一見極めて明白に違憲無効であると判断する可能性は低いと思います。

以上のような理解からすると、憲法改正をする必要性があるのかは疑問ですし、しなくても、海賊船対策やPKO等において、武器使用の規制を解除することは十分対応できるのではないかと思っています。

むしろ、私は、改正という名の下に、憲法の別の部分が国民の知らない間に改正され、権利利益を制限を認める余地ができる方が恐ろしいと感じます。

憲法改憲護憲の前に、最高裁の判断に対する検討や議論がなされ、国民に周知されるべきと私は思います。

今回は憲法学における正統な本を紹介しようと思う。

そもそも、憲法というのはどうしても価値判断が先行してしまうため、学者の色が出てしまう。

ただ、我が国の憲法が故・芦部信喜博士の通説的理解を中心に発達してきたのは紛れもない事実であろう。したがって、芦部憲法が未だに通説的理解の根底にあることはだれも否定できない。

もっとも、近年は最高裁判例が芦部憲法とは違う理解をしているという批判が多くなっているという。また、芦部博士が亡くなって久しく、取り扱っている判例も古くなっている。

そこで、 憲法判例の理解に当たっては、芦部憲法に加え、以下の本もお勧めである。

まず、この高橋先生は芦部博士の一番弟子といわれており、芦部憲法を前提に最近の議論が説明されていることは憲法学における通説的な理解をするのに良い本である。

最近の判例の理解を深めるという観点からは、戸松先生のこの本は訴訟的観点から判例を丁寧に分析しているので解りやすい。

なお、これらは法律家向けの専門的なものであることは否めない。

そこで、一般向けの本としては、渋谷先生の書かれた本がオーソドックスでよいのではないかと思う(渋谷先生は、基本的には独自説を通説がごとく記載する方ではないし、憲法学者としても実績がある方で、その方が一般向けに書いた文庫本であり、お勧めできる)。

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05/02/2012

小沢判決の解説・評価(最後)

数日にわたり、小沢無罪判決の解説・評価と題して記事を書いてきました。

○ 「小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア」 - ブロゴス転載版

○ 「小沢判決の解説・評価(補足)」 - ブロゴス転載版

○ 「小沢判決の解説・評価(それでも「小沢は黒」という人たちへ)」 - ブロゴス転載版 


このブログがライブドアが運営するブロゴスというサイトに記事が転載されることになっているのはご存じだと思います。

そのブロゴスのコメント欄を読むと、私の記事の趣旨を理解され、判決の正確な理解をしてくれている方々が多く、メディアに踊らされないしっかりした人が結構いることに嬉しく思います。

しかしながら、メディアや小沢嫌いの政治家、メディアに踊らされている人たちや陰謀論を主張して判決内容を批判する人たちは、判決を独解する日本語能力がないことをさらけ出しているという自覚がないままに、「小沢は無罪だったが黒だ。」とか、「判決は裁判所と検察を守るために仕組まれた」とか声高らかに主張しているのですから、滑稽なものです。

そこで、今日は、そういう主張がいかに荒唐無稽かをさらに分かってもらうために、取り上げてみようと思います。

ただ、あまり長々と判決を引用しても、横着な「真っ黒論者」や「陰謀論者」は読解できないでしょうから、なるべく端的に書くように努力しますが、正確な判決の理解をするうえで必要な限度での引用はご容赦ください。


1.小沢は無罪だが黒だと判決が言っているという根拠

まず、一般的に、「小沢は無罪だったが黒」という判決だといわれている根拠をいくつか挙げてみます。

(1)判決は、小沢が秘書から報告を受け了承をしたと認定した。

(2)判決は、小沢の供述は信用できないと指摘した。

(3)判決は、指定弁護士の共謀の主張に相応の根拠があると言っている。

大方、「小沢は無罪判決だが、判決は真っ黒と認定している」という荒唐無稽な主張をする人々はこのようなことを言っているのではないでしょうか。


2.判決要旨に基づく反論

そこで、判決要旨からこれらの理解が間違いであることを説明します。


<(1)の主張について>

4月29日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価(補足)」(ブロゴス版記事へ)でも説明していますので、そちらを参照してください。

判決が「報告・了承があった」認定しているとされているのは、2か所あります。

1つ目は、要旨80ページにあるとおり、

①本件土地の取得や取得費の支出を平成16年分の収支報告書には計上せず、平成17年分の収支報告書に計上することとし、

②そのために、本件売買契約の内容を変更する等の本件土地公表の先送りをする方針についても、報告を受けて了承したものと認められる。


という部分です。

しかしながら、これのみでは、何ら違法性を構成しません。

ここで判決が言っているのは、小沢氏が秘書から、①取引については平成17年分の収支報告書に計上するということと、②契約内容を変えて、公表を16年中ではなく17年中に先送りするという方針について、報告を受け、了承したという事実です。

つまり、この報告のとおり、契約内容が変更できていれば、秘書の行為すら虚偽記入には当たらなかったといえます。

判決は、この事実を重視して、要旨86ページにおいて、

以上のとおり、被告人は、本件土地公表の先送りのための交渉は不成功に終わり、所有権移転登記手続の時期のみを先送りする旨の本件合意書が作成され、本件土地の取得費が平成16年10月5日及び同月29日に支出され、同日、本件土地の所有権を陸山会が取得したこと等については、報告を受けず、これを認識していなかった可能性があり、かえって、本件売買契約の決済全体を先送りしようとしていた当初の方針どおり、本件土地の取得や取得費の支出が、実際にも平成17年に先送りされたと認識していた可能性がある

したがって、被告人は、本件土地取得及び取得費の支出を平成16年分の収支報告書に計上する必要があり、平成17年分の収支報告書には計上すべきでないことを、認識していなかった可能性がある。


と指摘し、この可能性が排除できていない以上、共謀なんて成立しえないと判断しています。

2つ目の「報告・了承」は、同じく要旨80ページにある

りそな4億円は、陸山会の被告人に対する借入金となること、本件4億円は本件預金担保貸し付けの担保として本件定期預金の原資にすることについて、認識し、了承した上で、本件預金担保貸付の目的が、本件4億円を収支報告書等で対外的には公表しない簿外処理にあることも承知していたものと認められる。

という部分です。

簿外処理という表現があるので、一見すると、それだけで違法との印象を持つ人がいると思いますが、それは間違いで、本件においては、簿外処理自体が違法性を構成するわけではありません

ここで、判決が重視しているのは、当初、本件4億円は、担保目的で、本件定期預金の原資とする認識と了承があったということです。

つまり、担保目的で定期預金の原資としたということであれば、いわば保証人となったようなものですから、陸山会に貸し付けたという行為ではありません。当然、これを記載しなくても、良いということになります。

そこで、判決は、要旨91ページで、

被告人には、本件4億円の簿外処理の方針を了承する動機があると認められるが、他方で、被告人は、本件4億円の公表を望まないにせよ、政治資金規正法に抵触する収支報告書の虚偽記入ないしは記載すべき事項の不記載をすることまでは想定しておらず、本件4億円の簿外処理を適法に実現することを前提として了承していたという可能性もある。

と指摘し、91ページないし92ページでは、

以上のとおり、被告人は、本件預金担保貸付についての石川の説明により、本件4億円の代わりに、りそな4億円が本件取りの購入資金等として借入金になり、本件4億円を原資として設定された本件定期預金は、本件4億円の返済原資として被告人のために確保されるものと認識した可能性があり、逆に、本件4億円が陸山会の一般財産に混入し、本件売買契約の決済等で費消されたことや、本件定期預金が実際には陸山会に帰属する資産であり、被告人のために確保されるとは限らず、いずれ解約されて陸山会の資金繰りに費消される可能性があることについては、石川から説明されず、これを認識しなかった可能性がある
と判示しています。

そして、判決は、要旨92ページで、

被告人において、本件4億円を借入金として収入計上する必要性を認識するためには、これらの事情の認識は、重要な契機となるはずのものであり、これらの事情の認識を欠いた結果、被告人は、平成16年分の収支報告書において、借入金収入として、りそな4億円が計上される代わりに、本件4億円は計上される必要がないと認識した可能性があり、したがって、本件4億円を借入金収入として計上する必要性を認識しなかった可能性がある。

と述べています。

以上から明らかなとおり、マスメディアのいう「報告・了承」は、何ら違法性を構成するような話の類ではないのであり、その「報告・了承」があったからといって、何が「黒」となるのか全く判然としませんから、メディアの批判は失当であること著しいといえるでしょう。


<(2)の主張について>

確かに、裁判所が小沢氏の供述につき、信用できないと判示した部分は存在しますが、重要なのは、どういう内容につき、どういう趣旨で、「信用できない」と評価したかです。

まず、裁判所が問題にした点ですが、要旨92ページで、判決は、

被告人は、本件売買契約の締結、本件売買の決済、本件土地の所有権移転登記手続といった取引や、本件土地公表の先送り、本件4億円の簿外処理といった方針について、秘書との間で、指示したことも、報告を受けたこともなく、虚偽の記入ないし記載すべき事項の不記載がされた平成16年分及び平成17年分の収支報告書の提出について、報告を受けたこともない旨公判で供述している。

としています。

つまり、小沢氏のいわば「すべては秘書任せにしていて自分は何も知らない」といった趣旨の供述について、検討しているわけです。

これにつき、裁判所は、要旨93ページにおいて、

このように、被告人の供述には、変遷や不自然な点が認められ、特に、本件が問題になった後も、「収支報告書は一度も見ていない」とする点などは、およそ措信できるものではない。

被告人が、石川や池田ら秘書から、本件各取引等や収支報告書の作成提出に際して報告を受けたことは一切ない旨の供述については、一般的に信用性が乏しいといわなければならない

と指摘した上で、続けて、

しかしながら、被告人は、公職や政党の役職を歴任した国会議員として、多忙であることに加え、平成16年10月当時から7年余りを経て被告人質問に及んでいることをも考慮すると、本件土地の取引に関する事柄や秘書からの報告内容についても、現段階において、具体的な記憶が薄れ、実際に確かな記憶がないこともあり得るといえる。
と判示しています。

つまり、裁判所は、小沢氏の供述は信用性が乏しいけれども、それは7年余りも経過している話だから、記憶が薄れて不正確になっていることもあり得るでしょうと述べているのであって、この後半部分の裁判所の評価を省略したマスメディアによる批判は失当です。


<(3)の主張について>

これについては、4月29日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価(補足)」(ブロゴス版記事へ)で説明したとおりです。

「小沢は黒と判決は言った」と主張する人は、意図的かそうでないかは不明ですが、裁判所は、指定弁護士の共謀の主張につき、「相応の根拠がある」と言ったと主張します。

しかしながら、これは不正確です。

正確には、裁判所は、「相応の根拠があると考えられなくはない。」と要旨81ページで述べています

裁判所が、「相当の根拠がある」と言ったのではなく、「考えられなくはない」という否定することを前提とする表現を用いていることに注意しなければなりません。

「考えられなくはない」という表現は、一応、その主張は検討するに値するが、採用はできないという場合によく使います。

したがって、マスメディアがこの表現のニュアンスを書き換えて報道することは極めて悪質です。

以上のとおり、メディアの「判決は小沢は黒だが無罪とせざるを得なかった」という類の報道は、誤報ともいうべきものであって、事実の歪曲です。このような報道は、事実に基づいていませんから、場合によっては名誉毀損すら成立するのではないかと思います。謝罪広告ものですね。


3.陰謀論

さて、マスメディアの報道の対局にある看過できないものとして、いわゆる陰謀論があります。

この判決は検察を守るために行われたとか、登石郁朗裁判長を守る判決だとか、最高裁が陰謀を仕組んだとかいう類のものです。ツイッターやコメントを見ているとどうしても目に入ってくるので、気になります。

陰謀論というのは、ハッキリ言って、思考停止を招くだけです。百害あって一利ありません。現に、これまで見てきたように、今回の判決は極めてまっとうなものであり、私は練りに練られた質の良い判決だと思います。

また、4月30日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価(それでも「小沢は黒」という人たちへ)」(ブロゴス版記事へ)で説明したとおり、今回の東京地裁刑事第11部の判決は、東京地裁刑事第17部(当時登石郁朗裁判長)が下した秘書の有罪判決において認定された本件4億円の原資の一部が水谷からの1億円の献金であるという部分には全く触れず、違法な原資を前提とした偽装工作の主張を排斥しているのであり、これだけ見ても、検察を守るとか、登石郁朗裁判長を守っているとの批判は失当ではないでしょうか。

いずれにしても、この判決は私は非常に優れた判決であったと思います。

以上、数日にわたった判決解説と評価はいかがでしたか。少しでも読者の方の理解の助けになっていれば嬉しい限りです。

連日紹介していますが、刑事訴訟法に興味があり勉強をしたいという人はこの本を読んでください。
一番オーソドックスな刑事訴訟法の基本書です。

法律を勉強したいまでは思わなくとも、司法のあり方に興味がある人はぜひこの映画を見てください。

また、裁判所の事実認定に興味がある人はこの本を読んでみてください。定番ですが、わりと薄いです。

 

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04/30/2012

小沢判決の解説・評価(それでも「小沢は黒」という人たちへ)

さて、連日この話題を取り上げてきたが、そろそろこれを最後にしたいところである。

無罪判決の意義と挙証責任の問題を混同して議論するなということは、「疑わしきは被告人の利益にという挙証責任の問題があることと、判決が出た段階における無罪判決の意義を、同一に論じられるべきではない」と述べたとおりであり、4月28日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア」の最後の方において、記載した。

通常人の通常の日本語能力をもって東京地裁判決を読めば、「真っ黒」とか、「限りなく黒」だが無罪なんていう理解にはならないと思うが、要職に就いている人やマスメディアの人々は、本当に判決を読んだのかどうかしらないが、本当に判決要旨を読んだとすれば、通常人の通常の日本語能力を持っていないのではないかとすら思ってしまう。

判決要旨が民主党の議員により公開されている現在においては、判決が小沢を黒と言っているというのであれば、少なくとも95ページの判決要旨を読んだ上でいうべきであろう。

さて、それでも「小沢は黒」という人たちのために、小沢の4億の原資について、東京地裁刑事第11部はどのように判断しているのか紹介したい。

判決要旨の29ページないし30ページは次のように判示する

((3)アの結論部分)したがって、石川が、本件4億円の簿外処理を意図した動機は、本件4億円を被告人からの借入金として公表することで、マスメディア等から追及的な取材や批判的な報道を招く等(原文ママ)して、被告人が政治的に不利益を被る可能性を避けるためであったと認められる。

更に進んで、指定弁護士は、石川が①平成17年3月頃から5月2日にかけて、被告人の指示を受けて、被告人の知人が運営する政治団体である改革国民会議の4億円の資金を分散して入金するなどして本件口座に集約したり、払い戻したりしたことなどから、本件4億円の原資の形成過程について、公にできないものであるとの危惧感を抱いたこと、②本件4億円は、無利息で返済の期限の定めのない借入金であることから、寄付金と解されるなどして、政治資金規正法上の制限に違反するとの疑惑を招くおそれがあると考えるに至ったこと等の事情がある旨主張している。

これらの指定弁護士の主張は、いずれも一定の合理性があると考えられなくはないが、この点について、石川は、公判においては、本件4億円の簿外処理の意図について否定しており、指定弁護士の主張に沿う直接証拠はない

また、①に関して指定弁護士が主張する事実は、石川において、本件4億円の原資が何らかの違法性のある資金であるとの具体的な認識を有していたことを推認できるほどの事情とはいえない

さらに、同人の供述からうかがわれる同人の政治資金規正法における寄付等に関する知識の程度等によれば、前記②の認定も困難である。

その他、指定弁護士の主張を裏付ける証拠はないから、前記アの限度で認定するのが相当である。

この判決から明らかなとおり、石川の簿外処理の動機について、判決は原資が違法なものであったためそれを隠すことを意図としたとは全くもって認定していないのである。

現に判決は、本件土地の公表先送りについても、要旨35ページないし36ページにおいて、

石川が、本件土地公表の先送りを意図した動機には、(省略)石川が供述するとおり、先輩秘書の示唆を受けるなどして、本件土地の取得が収支報告で公表され、マスメディアの追及的な取材、批判的な報道の対象とされるなどして、被告人が政治的に不利益を被る可能性を避けるためであったと認められる。

と改めて認定し、要旨37ページで、

指定弁護士は、本件土地公表の先送りは、収支報告書の記載を複雑化して、その内容を分かりにくくする隠ぺい、偽装工作としての意味もある旨主張しているが、そのような効果があるかには疑問があり、そこまではいえない

しており、原資の違法性を隠す偽装工作という指定弁護士の主張を排斥している。

そして、判決要旨38ページで判決は、

指定弁護士は、29日の送金は、分散入金や28日の送金と一連のものであり、本件土地購入代金等や本件定期預金の原資が、陸山会の資産からかき集められたものであるとの外観を作出し、本件4億円を分かりにくくするために行われたものである旨主張している。

しかし、28日の送金のそのものは、同じ陸山会が有する口座間の資金移動に過ぎず、収支報告書等での公表は予定されていないから、金をかき集めた外観を作出するための隠ぺい行為としての実効性には、疑問がある

また、29日の送金は、関連団体からの資金移動ではあるが、関係証拠によれば、これは、平成16年分の収支報告書において、関連団体から陸山会に対する寄付として記載されていないことが認められ、本件土地の取得費や本件定期預金の原資として対外的な説明に利用されていないから、収支報告書を意識した計画的な隠ぺい工作と認めるには、疑問がある

したがって、指定弁護士の前記主張は採用できず、28日の送金、29日の送金の目的は、前記2及び前記5(1)で認定した趣旨にとどまるものと認められる。

として、違法な原資を隠す隠ぺい工作というマスメディアの報道にも多くあった部分は、明確に否定しているのである。

以上みてきたとおり、マスメディアが騒いだ4億円の原資が違法な献金によるものだという"疑惑"部分については、裁判所は一切採用していないし、それを前提として隠ぺい工作があったとする指定弁護士の主張を採用できないとしているのである。

このように、判決が原資の違法性に何ら言及しておらず、原資が違法なものであることを前提とした指定弁護士の主張を明確に排斥しているにもかかわらず、未だに「小沢は黒」という人々はどう判決を読んでいるのであろうか。

ぜひともその通常人を超えた(?)理解の過程を教えてほしいものである。

なお、ここで面白いのは、秘書の有罪判決で、別の裁判体(当時の東京地裁刑事第17部)は水谷からの1億円を認定したわけであるが、東京地裁刑事第11部はこの認定には触れず、違法な原資を前提とした偽装工作の主張を排斥している点である。

ここは私の個人的な感想なので、異論があるかもしれないが、小沢一郎の判決を下した東京地裁刑事第11部は、秘書たちの有罪判決を下した東京地裁刑事第17部の事実認定方法(少なくとも原資についての水谷建設からの1億円の認定部分)に問題があると感じて、その認定を前提とせず、違法な原資を前提とした偽装工作の主張を排斥しているのではないかと思う。

この水谷からの1億円認定については、オーソドックスな裁判官であれば、問題があると感じていたであろう(この点については、阪口弁護士のブログ記事の説明が参考になる)。

以上のとおり、マスメディアが「小沢は黒だが無罪」とする論拠は判決要旨からは見出せない。

他方で、インターネットを見ていると、「この判決は当初は有罪だったが無罪に直前で変わった」とか、「東京地裁は検察のプライドを守るために報告と了承を認めた」とか、しまいには「最高裁の陰謀だ」とか、極めて陳腐な陰謀論が結構あることに驚いてしまう。

いずれも一見して失当な見解であることは明白であるが、歪曲報道や陰謀論を行うにしても、もう少し判決要旨を読んでほしい。

なお、私はこれで小沢氏が非の打ちどころのない立派な人物であるとは考えていない。
当然、秘書の虚偽記入に対する責任というのは別途、検証されるべきであろうが、小沢氏の秘書が控訴していることからすれば、今これを議論すべき時ではないし、これを理由とする証人喚問等を要求する政治パフォーマンスは、極めてくだらないの考えている。

本件で小沢氏に説明責任があると主張している政治家たちは、なぜ政治資金規正法を改正して、今後、秘書の虚偽記入でも、政治団体の代表にも連座制が適用されるような法制度に改正しなかったのであろうか。

今まで約3年間という長期間、それをしてこなかった政治家の無責任さを棚に上げて、「小沢氏は政治家としての責任を果たせ」というのは、滑稽としか言いようがない

さて、連日紹介しているが、刑事訴訟法に興味がある人にはこの本を読んでもらいたい。
一番オーソドックスなものである。

法律を勉強したいまでは思わないが、司法のあり方に興味がある人にはぜひこの映画を見てもらいたい。

 

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04/29/2012

小沢判決の解説・評価(補足)

民主党の議員がHP上で、小沢一郎氏に対する東京地裁判決を公表している。
公表した方が良いと前回の記事で述べたが、きちんと公表する姿勢は評価されるべきである。

http://shina.jp/a/wp-content/uploads/2012/04/ozawa.pdf

公表されているので、早速、目を通してみたので、前回の記事「小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア」の補足的なものを記載しておこうと思う。


1.共謀の部分について

95ページもある内容だが、共謀の認定にかかわる重要な部分は80ページあたりからなので、実際に読んでみると良いかもしれない。

まず、この判決の80ページで、判決は、

被告人は、陸山会において、本件土地を建設費を含めて4億円程度で取得することを了承し、本件売買契約が平成16年10月5日に締結され、その決済日が同月29日であることを認識していたと認められる。

その上で、本件土地の取得や取得費の支出を平成16年分の収支報告書には計上せず、平成17年分の収支報告書に計上することとし、そのために、本件売買契約の内容を変更する等の本件土地公表の先送りをする方針についても、報告を受けて了承したものと認められる。

と認定している。

この部分が裁判所が最も重視している点である。

つまり、判決は、平成17年の報告書に記載するために、契約自体を変更するなどの動きがあったという事実を重視し、これも小沢氏は知っていたはずであると認定したのである。

ここで重要なのは、小沢氏がこの契約の変更により、取引自体が平成17年に行われたとの認識をしている可能性があることである。

後に判決が無罪と判断する理由として指摘しているが、この認識通りに、土地取引が変更されていれば、虚偽の記入にはそもそも当たらないのである。

したがって、この認識の他に、指定弁護士は、小沢氏が、①契約変更が失敗し、取引が平成16年中に行われたままになっていることを認識していたこと、②平成16年中の取引であるから平成17年中の報告書に記載することは虚偽記入に当たることを認識・認容していたことを立証しなければならないのである。

次に、判決は、

りそな4億円は、陸山会の被告人に対する借入金となること、本件4億円は本件預金担保貸し付けの担保として本件定期預金の原資にすることについて、認識し、了承した上で、本件預金担保貸付の目的が、本件4億円を収支報告書等で対外的には公表しない簿外処理にあることも承知していたものと認められる。

としている。

つまり、小沢氏は、自分の4億の金が担保目的の定期預金にされることへの認識はあったと認定しているのである。

ここも判決が後に指摘するが、判決は、指定弁護士が、この認識の他に、③小沢氏の自分の4億円が一般財産に混入して消費されており、定期預金として残らず、陸山会の借入金になってしまっていることへの認識が小沢氏にあったこと、②だからこそ、平成16年中の取引であるから平成17年中の報告書に記載することは虚偽記入に当たることを認識・認容していたことを立証しなければならないと考えているのである。

この立証について、指定弁護士は、最高裁決定である平成15年5月1日(スワット事件)を用いて、当然知っていたはずだという主張をしたのであろうが、裁判所は、「相応の根拠があると考えられなくはない。」というこの考え方の否定を前提とした表現を用いて、排斥したのである。

ちなみに、「考えられなくはない」という表現は、法律関係者では良く使う表現である。一応、その主張は検討するに値するが、採用はできないという場合に使うことが多いように思われる。

したがって、裁判所が理解を示したというものではない。理解を示していれば、その主張を採用するはずである。

現に、判決も、

しかしながら、当裁判所は、被告人には、本件土地の取得及び取得費支出時期の認識並びに本件4億円の収入計上の必要性の認識について、これらを認めることができないことから、被告人の故意、共謀を肯定することができないと判断した

と判示しているように、指定弁護士の主張を明確に排斥している。

したがって、私見としては、今回の東京地裁の判決は、控訴が極めてしにくい形で、綿密な事実認定をしているから、これを控訴するのは難しいし、これを控訴しても、私は無理筋の主張以外の何物でもないと思う。

仮に、万が一、東京高裁が状況証拠による推認(私見はこの種の推認は、経験則に反した「憶測」になると思うが)により、東京地裁の指摘する可能性を排除して、逆転有罪を出したとしても、昨今の最高裁の綿密な事実認定を要求する姿勢に変わりはないから、最高裁で差し戻されるのがオチであろう。

なお、裁判所の判決における表現であるが、裁判所は、その主張に賛同するときはもっとストレートな表現をする。たとえば、「一理ある。」とか、「考えられるところである。」とかである。


2.弥永教授の意見書に対する裁判所の評価

会社法や企業会計法の大家である弥永先生の意見書に対する裁判所の評価も面白い。

さすがに、弥永先生レベルだと一学者の意見で取るに足らないとはいえず、裁判所も丁寧な検証が必要になるようである。

判決は、判決要旨45ページにおいて、

なお、弥永意見書には、本件土地について、平成17年1月1日以降に所有権が移転したと私法上評価されるのであれば、平成17年分の収支報告書に計上する必要があり、平成16年分の収支報告書に計上する必要はない旨や、司法書士に対する委任状の記載を根拠に、平成16年10月29日に本件土地の所有権を移転する旨の合意を認定することが不自然と思われる旨の記載があるが、弥永教授は、本件土地の取引に関する証拠書類や関係者の供述を踏まえて検討したものではない旨公判で供述している上、そもそも、本件土地の所有権の移転時期について法的判断を述べたものではなく、本件売買契約が売買予約契約に変更されたとの法的判断を前提とした会計上の処理方法について意見を示した趣旨である旨も公判で供述しているから、弥永意見書の前記記載は、前記結論を左右するものとはいえない

と指摘している。

つまり、ここは弁護人の反証不足であり、本件所有権の移転時期が平成17年1月1日以降に変更されたというところの反証がないから、弥永意見を前提にしても、虚偽記入に当たるとの結論を左右しないと判断しているのである。

結局のところ、裁判所は、石川が所有権の移転時期を平成17年1月1日以降に変更することに失敗し、移転時期は平成16年中であったという認定ができる以上、弥永意見が結論を左右しないとしたのであり、この裁判所の理解は当然の帰結だろう。


3.検察に対する部分

今回の判断でやはり注目すべきは、検察に対する苦言である。

判決は、要旨6ページにおいて、

このように、検察官が、公判において証人となる可能性の高い重要な人物に対し、任意性に疑いのある方法で取り調べて供述調書を作成し、その取調状況について事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、これらを検察審査会に送付するなどということは、あってはならないことである

と指摘している。

判決は、違法な証拠を検察審査会に送りつけたということを認めた上で、「あってはならないこと」と断じている。

先の同裁判所の2月17日付決定も「違法・不当」などとかなり踏み込んだ指摘をしているが、今回も裁判所がこうした強い指摘をしていることは、検察庁は重く見なければならないだろう。

なお、昨日のブログ記事でも指摘したが、裁判所は、証拠内容の瑕疵と手続の瑕疵を峻別し、手続的瑕疵がない以上、公訴提起の有効性に影響を与えないというオーソドックスな判断をしているのである。

これは、検察審査会員の職責の重さを改めて認識させるものであり、検察審査会のあり方は今後大幅に見直さなければならないだろう。

個人的には、裁判員裁判のように、審査会員の中に法曹の数を増やし、法曹の過半数がその判断に同意しなければならないとか、予審制度を参考にして審査会専門の判事などに会議を指揮させるとか、大幅な修正が必要だと感じている。

私も判決を読んで驚いたが、判決は要旨7ページにおいて、次のような指摘までしているのである。

検察官が、任意性に疑いのある方法で取調べを行って供述調書を作成し、また、事実に反する内容の捜査報告書を作成し、これらを送付して、検察審査会の判断を誤らせるようなことは、決して許されないことである。

本件の証拠調べによれば、本件の捜査において、特捜部で、事件の見立てを立て、取調べ担当検察官は、その見立てに沿う供述を獲得することに力を注いでいた状況をうかがうことができ、このような捜査状況がその背景になっているとも考えられるところである。

ここで注目すべきは、裁判所の表現である。

「考えられるところである。」というのであるから、これこそ、裁判所は、賛同しているのであって、「考えられなくはない。」という先の表現とは全く異なるのである。

さらに、判決は、次のように指摘する。

しかし、本件の審理経過等に照らせば、本件においては、事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分、調査等の上で、対応がなされることが相当であるというべきである。

ここまで、明確に裁判所が検察庁に注文を付けているのは本当に異例である。

個人的には、この判決が「十分」と念を押すような表現を入れていることが引っかかる。というのも、この部分からは、虚偽報告書等については、当裁判所ではこれ追求以上しないが、検察庁がその威信にかけて、担当検事ら関与した人物の起訴をも前提として、捜査を徹底的に行えという裁判所の黙示の意思が表れているようにすら感じるためである。

法務省、検察庁、及びその他の捜査機関は、この警鐘を真摯に受け止めなければ、裁判所の国に対する信頼は失われるだろう。

昨日も紹介したが、刑事訴訟法に興味がある人にはこの本を読んでもらいたい。
一番オーソドックスなものである。

法律を勉強したいまでは思わないが、司法のあり方に興味がある人にはぜひこの映画を見てもらいたい。

 

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