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05/04/2012

テレビ局は公共性に対する自覚を持て - 塩谷報道に見るメディアの低俗性

ここ最近のテレビの情報番組では、この話題に相当の時間を費やしているのは皆さんご存じだろう。
私は、この報道により塩谷瞬さんという俳優を初めて知った。

知らない人のために簡単にいうと、塩谷瞬さんという俳優が富永愛さんというモデルと付き合っていた他にも、付き合っていた女性が複数いたとかいう類の下らない報道である。

何が下らないかというと、タブロイド新聞や低俗なゴシップ雑誌なら格別、公共性が全くないこの話を限られた公共の電波を割当たられているテレビ局が、連日、長時間を割いて報道しているからである

私は、芸能ニュースすべてが下らないという立場ではない。芸能ニュースでも公共性のある報道というのはあるだろう。そういう話であれば、ある程度テレビ局が報道する価値はあるだろう。

たとえば、つい最近まで話題となっていた「オセロ中島さんに対する占い師の洗脳報道」とか、一昔前でいえば、「暴力団との関係が指摘されて引退した島田紳助の報道」とかである。

前者は、昨今の霊感商法に通じるような一般人にも危険が及びかねない話であり、霊感とか、占いとか、いわゆる、オカルトに属するものが社会に与える影響ということに鑑みれば、公共性がない話ではない。特に、金銭が絡んでおり、詐欺行為の可能性すらある話であれば、それは犯罪の疑いがある話であって、公共性及び公益性は極めて強いだろう。

後者についても同様である。反社会的勢力である暴力団との関係があるという話であれば、それには公共性が当然生じる。特に、島田紳助自身が「暴力団とは全く関係がない。」と会見で断言した数日後には、たとえ過去のものであっても、暴力団員との写真が週刊誌に出てくるなど、その報道の公共性及び公益性は極めて強いものがあった。

しかし、今回の報道はどうであろうか。

結婚詐欺をして、金銭をだまし取ったという話であれば格別、今報道されているのは、独身の俳優が結婚を前提に複数の知名度のある独身女性と付き合っていたという程度の話である。

複数の人と付き合っていたとして、感情論や道徳論は別として、婚約すらしていないのであるから、何が悪いのか私にはさっぱりわからない

それをテレビでは連日、「二股俳優」とか名付けて、人格攻撃をするかのごとき報道はいかがなものであろうか。

私には、叩きやすい者は徹底的に叩くが責任は取らないというマスメディアの無責任な姿勢が如実に表れているように思えて仕方がない。

同時期に美女数名と付き合っていることが許せないのであろうか。
報道の仕方を見ているとモテない男の嫉妬にしか見えないし、そんなことを限られた公共の電波を使って長時間報道する話なのかと思われてならない。

「こんな俳優を見ていると、女性は気分が悪い」という話なのだろうか。

複数の独身女性と関係を持つ独身男の話を聞いて、感情が害されたとでもいうのだろうか。

そんな感情は保護に全く値しないと私は思う。

ハッキリ言って、当事者間でやればいい話なのであって、いつまでも、「二股俳優」と銘打って報道するメディアの姿勢は、叩きやすい者を徹底的に叩くという集団リンチ以外の何物でもない。

こんな下らない報道しか続けられないのであれば、放送権の付与という特許的立場を与えられたテレビ局は、今すぐ放送権を返すべきである。

我が国に山積している問題はたくさんある。
しかし、その本質をえぐるような報道はあるだろうか。

陸山会事件における検察官の虚偽の調書作成の問題に対する厳しい報道姿勢は、その事件のインパクトに比べ、はるかに弱く感じる。

それを報道する能力がないのであれば、少なくともメディアは、小沢無罪判決の判決内容の誤報を見直すくらいのことはすべきではなかろうか。

それすらテレビメディアには期待できないということが、塩谷瞬さんに対する下劣な報道姿勢に表れているのかもしれない。


さて、連日の紹介。


法律を勉強したいまでは思わなくとも、司法のあり方に興味がある人はぜひこの映画を。

裁判所の事実認定に興味がある人はこの本を。

 

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06/18/2010

責任を果たさないが批判はする

マスコミの記事というのは本当に主観的な価値判断先行の記事が多い。

にもかかわらず、公平報道や中立報道を自称しているあたりがなんとも悪質で根深い問題があると感じることが多い。

また、最近特に顕著なのが、「批判のための報道」という印象が強くなっていることである。

「とにかく、叩けば良い」といったメディアの風潮は、低俗なパパラッチメディアとでも言うべきだろうか。ネタに群がるハイエナ状態である。

この記事もその一例に感じた。

更生計画認可後に賞与=日航グループ会社、銀行反発も
6月17日3時0分配信 時事通信

 会社更生手続き中の日本航空で、2010年度のボーナスについて、一部のグループ会社が、今秋を見込む更生計画認可後に夏冬分の一括支給を検討していることが16日、明らかになった。日航本体は夏冬賞与をはじめ各種手当の支給見送りを決めており、ちぐはぐな対応が露呈した形。リストラ徹底を求める主力取引銀行の反発を招く可能性がある。
 賞与の夏冬一括支給を検討しているのはJALグランドサービス(本社東京)。新千歳、成田、羽田、伊丹、関西、福岡の各空港で手荷物や貨物の取り扱い、航空機の誘導を担っている。
 関係者によると11日の労使協議で、経営側が今夏の賞与支給を見送る見返りとして「更生計画が認可された場合、夏冬まとめて今年度末までに支給する」と説明。労組側が企業再生支援機構や銀行など利害関係者の理解が得られているか質問したところ、経営側は「直接確認していないが、努力している」と答えたという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100617-00000015-jij-bus_all

おそらく、「公的資金導入するのに、ボーナスとはなんていうことだ!」という価値観があることがハッキリ見えてとれる記事なのだが、私が引っ掛かるのは、上記赤字部分。

日本航空の親会社と子会社の対応が違うことを「ちぐはぐな対応が露呈」とさもグループ全体の問題のように扱って、イメージを低下させているように思えてならない。

この子会社のボーナス支給を問題にすることは、一つありうる批判で、それ自体に問題は無いし、良いと思う。

しかし、批判のあり方として、グループ全体でちぐはぐでおかしいというのは、会社の意思決定というものの性質上、どうも腑に落ちない批判に感じる。

親会社と子会社は、別会社なのであるから、その意思決定に違いがあるのは当然である。

会社法上、親会社の対応に直ちに子会社が従わなければならないという規定はない。

ただ、親会社の場合には、総株式の過半数を有しているので、会社の実質的所有者である株主として、親会社が影響力を行使して、意思統一が図られるに過ぎない。

つまり、親会社がAと決定したから、直にすべてのグループ会社がAと決定するという仕組みに会社法はなっていないということである。

にもかかわらず、賞与の支給という個別労働事案に対する対応が違うだけで、ここまで、「ちぐはぐだ!」と大げさに表現し、グループ全体を批判することの価値があるのだろうか。

「仮に公的資金を導入しているのに、賞与とはなんだ!」と言いたいのであれば、この子会社1つの対応を批判すれば足るのではないだろうか。

公的資金導入で話題となったからといって、「叩ける事情があればとにかく叩け」というマスコミの姿勢は、どうも醜悪に感じてならない。

自分たちの番記者が政治家に官房機密費等々で買収されていたのではないかという嫌疑には応えようとせず、自ら大好きな”説明責任”は果たす気配すらないのに、他は、重箱の隅をつつくように、とことん叩く。

本当に下らないし低俗である。これでジャーナリズムと標榜するのであるから、どうにも筋が通らない。

マスメディアには、国民の知る権利に奉仕するとして、報道の自由が憲法上保障されているのである。

だとすれば、メディアの社会的意義は大きい。自らの廉潔性は自らでしっかり確保してほしいものである。

これでは、自らのでたらめな政治に反省せずに、批判だけして、民主党への批判票の受け皿になれない不甲斐ない自民党の政治家と一緒である。

既存の大手メディアに、政治家や他の企業を批判する資格は本当にあるのだろうか。

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02/18/2010

国母選手批判が日本のイメージを悪化させている(国母選手頑張れ!)

※当該記事中に誤訳があるとの指摘を受けたため、翻訳・引用方法の適否は米国法に関わるとの判断から、友人で著作権問題等に詳しいアメリカ人の法曹に問い合わせ、意訳の適否につき判断を仰ぎました。

その結果、「引用元の記事自体は、日本のメディアを含めた世界中のメディアを対象にしている記事であり、原作者の意図としては、当然日本のメディアや日本でこの問題で騒いでいる人々への批評が含まれている。誤訳等の大した問題ではないが、主張を明確にし、引用として最善を尽くすために若干の編集上の更正を加えるのが望ましい。」との回答を受けました。

当該回答で示されていた具体的な編集上の更正方法に従い、記事の引用部分を一部更正しております(更正部分については赤字で示してあります)。

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先日、下らなすぎるから、この話題はもう話さないと決めたのだが、日本での国母選手への日本での批判が海外メディアで、日本の「異常さ」が取り上げられ始めたので、簡単に警鐘を鳴らす意味でこの問題に触れておく。

前にも言ったように、この問題について、河野太郎氏が公式HPでよく批評しているので、まだ見ていない方は読んでもらいたい。

結論から言えば、はっきり言って、国母選手への批判は、著しく下らない。

川端文科大臣など政治家ともあろうものが国会でこの問題につき、大衆迎合的に、批判意見を述べたようであるが、そうした立場にある者がかかる批判をすることが、国際社会における日本の異常性を際立たせ、日本の評判を落とすことに気がつかないのであろうか。

服装が悪い、メディアへの態度が悪いというが、服装は価値観の最たるものであり、表現の自由における自己実現の価値が認められるものである。河野太郎議員の言葉を借りれば、「価値観とルール」は違うわけである。

多様な価値観があるのが民主主義の前提であり、価値の押しつけは、民主主義国家では許されるべきではない。

以下にあるJ-CASTニュースの伝えるところによれば、アメリカのヤフー利用者の反応は、「これがニュースなの?」「服装とか髪型とか、一体誰が気にするんだ」というものらしい。

このようなアメリカ人の反応は、極めてまともなものであり、他方、国母選手へのメディア、ネット、抗議の電話をかけている人々の反応は、はっきり言って、馬鹿馬鹿しいし、日本の民度を失墜させ、日本の国際的評判を貶めていると言っても過言ではない。

国母選手の服装が日本代表としてふさわしくないというのであれば、下らない問題で騒ぎ立てる人々の方がよっぽど日本の価値を貶めており、日本が異常な国だという印象を世界に発信しているも同然であるということ自覚しているのかと問いたい。

私がこの問題を取り上げなければと思ったのは、英国のテレグラフ紙をはじめとして、日本の反応が異常だという共通認識の下で、この話題が紹介され始めたからである。

テレグラフ紙の記事に対する、海外の反応を見ていると、「どうにも日本人がなぜ問題視するのか理解できない」、「あの服装がスノーボードというスポーツ界の服装でしょ?」、「日本人は理解できない」、「これは馬鹿げている」など反応が多く、本当に日本人としてこうした話題が取り上げられてしまったことに恥かしさを感じる。

この問題をまさに正面から取り上げた、英語記事のBleacher Reportのダイアン・デリベリー(Dylan Derryberry)氏は、以下のように日本をはじめとするメディアの反応を批判する。

表現の自由を強く支持する者としてこのニュースは非常に興味がある。

五輪の試合が始まるまでメディアは報じるネタが欲しいのかもしれないが、選手がまさに今リンクやスロープへ立ち入ろうとしているときに服装がだらしないもなにもないだろう。

ねえ、(日本を含めた)ジャーナリストたち、服装のことは(流行ファッション雑誌の)ヴォーグ誌に任しておこうよ!

服装は確かに試合の重要な一部かもしれないけど、(日本人を含め)選手の服装のことばかり気にしている人々は少し落ち着ついて、実際のイベントを批評すべきである。

こうした話題がニュースから消え、皆が本当の"プロ"のジャーナリズムを皆が享受できることを望む。

的を得た批評とはまさにこのことではないだろうか。

欧米は概して、服装等については、非常に寛容である。特にアメリカの場合は、異質なものを受け入れる度量の広さこそが、フロンティア精神から受け継がれてきた良き伝統であり、それが国力の原動力でもある。

よく中国や韓国のネットで、有名人等が理不尽なバッシングを受けたというニュースを耳にするが、日本の今回の批判の動きは中国や韓国がバッシングする行為と何ら変わらない。

民度の低さを認めているかのようで非常に恥かしい。

問題は記者会見での対応だという人もいるだろう。

しかし、国母選手はあの服装に一種の誇りや自己実現の価値を持っていたからこそ、あのような服装の着こなしをしていたのであり、「悪いこと」とは思っていなかったはずである。

だとすれば、形式的な謝罪会見を行わせるべく、「謝れ」というJOC等のやり方の方がよっぽどおかしい。

犯罪を犯したわけでもなく、当の本人もプライドを持ってやっていることに対し、別の価値観を押しつけるのでは、まさに、日本は北朝鮮や表現の自由が保障されていない中国と何ら変わらないことになってしまう。

むしろ、「なんで価値観を押し付けられて、謝らないといけないんだ」と、反骨精神をもって精一杯の反論をした国母選手の方がよっぽど骨があり、素晴らしいと私は思う。

いずれにしても、一部の人々が下らない価値観の押しつけを行った結果、それが海外からは異常で異質なものであると受け取られ、日本の国際的評判を毀損してしまっていることは残念でならない。

上記のデリベリー記者がいうように、この問題で熱くなっているメディアとそれに乗せられている一部の日本人の方々はもう少し冷静に物事の本質を見極めてほしいものである。

そして、国母選手はこうした試合前の"下らない妨害"に負けずに、頑張ってほしい。

頑張れ国母!

なお、以下の本は洋書で英語ではありますが、比較的平易に書かれており、アメリカでベストセラーにもなりました。価値観の多様性から見えるアメリカの歴史、アメリカの強さを知る上では、非常に良い本です。学生が英語を学ぶ際の副読本の1つとして、アメリカについても学ぶためには非常に良くできている本です。

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先日も紹介しましたが、上村愛子選手のこれまでの軌跡を振り返る本が2月5日に販売されたようですね。まだ読んでいないのですが、非常に興味があります。小学校のときのイジメやスランプなどについて書かれているようです。

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02/17/2010

良いニュースが2つもトップ扱いだった日(でもそれを台無しにするキャスター)

やはり、疲れて帰ってきて、テレビを付けた時に、まずトップニュースが良いニュースのときは気分も良くなりますね。

昨日はそんなニュースが2つもトップ扱いでした。

まず、このニュース。

「体が勝手に動いた」=背後に警笛、迫る電車-線路転落女性救助の男性
2月16日19時11分配信 時事通信

 「助けなきゃと思ったら、体が勝手に動いていた」。東京都杉並区のJR高円寺駅で、ホームから転落した女性を救助した男性(24)が16日、報道陣の取材に応じ、当時の状況や心境を語った。
 男性は社会福祉法人職員佐藤弘樹さん。15日午後9時15分ごろ、同駅停車中の中央線電車内にいたところ、女性がホームから落ちるのに気付いた。線路に飛び降りて声を掛けたが、反応はなかった。背後に警笛が聞こえて振り向くと、電車が迫っていたため、女性をレールに寝かせ、自分はホーム真下の避難スペースに入った。
 電車は女性の上を通過して停車したが、女性は軽傷で済み、佐藤さんにもけがはなかった。
 佐藤さんは「『何で』と聞かれても困ってしまう。考えてやったことじゃない。体が勝手に動いちゃったとしか言いようがない」と話したが、避難直後に電車が目前を通過した時は「怖い」と我に返ったという。
 電車停車後、2人は「死んじゃったかもしれない」などと言葉を交わし、女性からは感謝の言葉を掛けられたという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100216-00000102-jij-soci

本当に佐藤さんの勇気は凄いし、女性も無事で助かって良かったという言葉に尽きる。

佐藤さんの的確な判断もさることながら、この女性も気絶した状態で、下手に気を取り戻して取り乱すことが無かったからこそ起こった奇跡である。ただ、その奇跡を起こしたのは、やはり、佐藤さんの的確な判断と類い稀な勇気に他ならない。

こういう話を聞くと、「自分なら行動てきたか」と自問自答するが、とっさに的確な判断と行動をすることの難しさを痛感させられる。

こういう勇気ある行動がニュースのトップを飾るのは本当に喜ばしい。

ただ、ホームが非常に込んでいるときは体調が悪くなくてもぶつかって転倒するのではないかと、ひやっとすることもある。

東京メトロやゆりかもめはホームへの転倒防止の柵や壁が作られており、地方の一部の鉄道や地下鉄でも導入されてきている。今後、こうした形で、そもそも転倒が起きにくい状況を作るように鉄道各社の努力にも期待したいところである。

それにしても、佐藤さんの勇気は本当に素晴らしく、敬意を表したい。

次に、良いニュースはやはりオリンピックのこのニュースである。

競い合う2人が救世主に=加藤と長島、屈辱から表彰台へ〔五輪・スピードスケート〕(時事通信) 2/16 18:48

 一つの表彰台に日本選手が2人。強かったころを思い出させる光景だった。15日のスピードスケート男子500メートルで長島圭一郎(27)が銀メダル、加藤条治(25)が銅メダル。ともに日本電産サンキョーに所属するライバル同士が、日本スピード陣に2大会ぶりのメダルをもたらした。
 長島は1回目6位と出遅れた。でも、あきらめない。「2回目はすっ転んでもいい。飛ばしていこうと」。2回目はトップの34秒87を出し、ゴール後にメダルを確信。コーチとハイタッチして勢い余って転倒した後も、氷上でガッツポーズを繰り返した。
 加藤は1回目、最初のカーブでバランスを崩しながらも3位の好位置に。最終組で滑った2回目は35秒07とやや伸びず、タイム表示を見て「ああ」と頭を抱えた。「てっぺんを取れなくて悔しい」。それでも胸を張れる銅メダルだ。
 遅咲きの長島、早熟の加藤と言われた対照的な2人にも共通点はある。それはトリノ五輪での屈辱。長島はまったく通用せずに泣き、加藤は優勝候補の重圧に負けた。
 バンクーバーで借りを返したい−。普段はそんなに多くの言葉を交わさない2人だが、お互いの胸の内はよく分かっていた。長島は「一緒に表彰台に立てて良かった」。加藤も「長島さんも金メダルを狙っていたと思う」と言った。
 残るは金メダル。日本選手団の橋本聖子団長は「2人ともこれで満足していないでしょう」と尻をたたく。不振に苦しんでいたスピードスケート界に次の夢が膨らんだ。(バンクーバー時事)

http://vancouver.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100216-00000096-jij_van-spo

先日の上村愛子選手のモーグル4位入賞に続き、長島選手と加藤条治選手のメダル獲得のニュースがトップニュースの1つとして伝えられたのは本当に喜ばしい。

私は1つのスポーツに人生の多くの時間を費やし、とことんやるという生活を経験したことが無いが、やはり、スポーツであれ、なんであれ、国際舞台で活躍できるほどになるには通常人が経験しないような苦労と苦痛、挫折を味わっているに違いない。

オリンピックや国際大会に出場できる人物であるということだけで、凄まじい苦労をしてきているのであろうから、その舞台で、決勝に残り、入賞、さらにはメダル獲得をするというのは、私からすると本当に凄い努力をされたのだと感心する。

長島選手も、加藤選手も、前回のトリノオリンピックでは、思ったような力が発揮できず、悔しい思いをしたと聞くだけに、今回の結果には、応援する一日本人として、本当におめでとうと言いたい。

特に、加藤選手はトリノの際に、メディアの過剰なメダルへの期待がされ、その後の筋肉バランスを崩したことによる引退の危機といった話を聞いただけに、本人は「悔しい」という発言をなさっていたが、一視聴者としては、「いやいや、良くやった!」という思いである。筋肉バランスを保つために、体幹を鍛え直したというのだから相当の努力をしたのであろう。

それは上村愛子選手にも言える話で、「メダル獲得ならず!」みたいな論調もあるが、私は上村愛子選手の努力やインタビューでの発言を聞いていると、「4位だって素晴らしいじゃない。上村選手が競技等を通じて、視聴者に伝えた『母親を思いやる気持ち』、そして『様々な苦難にもかかわらず努力して結果を出してきた姿』は真似できない功績だ」と言いたい

そもそも世界中の選手が集うオリンピックの舞台に、日本という国の代表として出ているだけで、一視聴者の立場からすれば、本当に凄いことだと素直に感じる。

ただ、残念なのが、良識がないというか、薄っぺらい視点でしか物事を見れない、テレビキャスターの馬鹿げたインタビューである。

そもそも、試合に全神経を集中して、全体力を使い果たして疲れきっている最中に、あっちこっちのテレビ局にひっぱりまわしては、ほとんど同じ質問を浴びせ、しまいには、長島選手に、「やっぱり金メダルを目指していたんですよね?」と失礼極まりない発言をしていた。

この発言をしたのは、フジテレビの安藤優子キャスターである。

Yahooニュースにあるフジテレビのスーパーニュースの動画で、その発言を確認したのだが、折角の素晴らしい良いニュースも、この人物の極めて見識のない、無礼な発言で、折角の気持の良いニュースが台無しである。

同じ女性キャスターでも、品位のあるっテレビ東京WBSの小谷真生子さんや、親しみやすさのある元TBSの三雲孝江さんとは大違いである。

オリンピックに出ており、ましてや、前回大会にも出場し、相当の結果を残してきているのであるから、当然、金メダルを目指して、一位になるべく努力していることは想像に難くない。

そんな中でもやはり、色々な理由から順位がつくのであり、皆が金メダルを取れるわけではない。

そんな小学生でもわかるような常識をわきまえず、散々どの局でも聞くような同じような質問を浴びせ、「金メダルでなくてすいませんという感じです」と心境を述べている選手に対し、「やっぱり、金メダルを目指してたんですよね」という質問は無いだろ!と感じたのは私だけではないはず。

当の長島選手も、聞き取れなかったのか、非礼な質問に気分を害したのかわからないが、顔をしかめ「はい?」と聞きなおしていた。おそらく私は後者でないかと思う(私が彼の立場なら後者のような心境に陥るだろう)。

こうした常識を欠くような質問を浴びせることを平然と行い、傷口に塩を塗るインタビューをするようなキャスターが、偉そうに何十年もフジテレビの顔というべき報道番組で、キャスターを続けていることは不思議でならない。

安藤優子氏の発言からは、メディアとしての奢りすら感じる。

もちろん、選手の方から、「悔しい」とか、「金を取りたかった」というのは問題ない。

しかし、私は、オリンピックを報道する側は、もう少し選手の気持ちに配慮して、メダル獲得への期待を過剰にあおったり、試合直後の疲れきっているときに、連れまわして同じような質問を繰り返し行い、さらには、「金メダル」にこだわった非礼な質問をぶつけるのはいかがなものだろうかと思う。

なお、国母選手に対する異常なメディア批判については、既にツイッターでつぶやいたように、良識のある方々は、同選手への批判が非常に稚拙で、どっかの将軍様の国のように、井の中の蛙的な発想に基づく、異常なものであることは解っていると思うので取り上げないことにしました。飲酒運転したわけでもないのにあのメディアの批判は異常だと思います。

この点、衆議院議員の河野太郎氏の公式サイトにある2月25日付の記事が私の言いたいことを代弁してくれていますので、紹介しておきます。

さて、上村愛子選手のこれまでの軌跡を振り返る本が2月5日に販売されたようですね。まだ読んでいないのですが、非常に興味があります。小学校のときのイジメやスランプなどについて書かれているようです。

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02/04/2010

朝青龍問題や小沢問題に対する白々しい価値観先行報道について

自分で思考することの重要性を熟知している人間であれば、一連の朝青龍問題や小沢問題に対するマスメディア、とりわけ、テレビ、新聞メディアの価値観先行報道の問題点に気が付いている人は多くいるのではないだろうか。

他方で、テレビや新聞の報じる内容が真実であると疑い無く信じ込んでいるお人好しの人々も我が国には多数いるわけで、そういった人々がこの国の行く末をメディアに乗せられ、場当たり的に判断しているとすれば、我が国も衆愚政治の真っただ中に陥っていると危惧せざるを得ない。

連日メディアに踊っているこれら2つの問題について、既存の報道とは違った観点から簡単に考察してみたい。

1.朝青龍の暴行、品格問題、引退報道について

暴行の事実に関しては私はその事実を知りうる立場にないので、それが事実として認定することはできないし、真実であるとの前提でこの問題を論じることはできない。

暴行罪は親告罪ではないので、仮にそのような事実があるとすれば、捜査機関が適正捜査をするであろう(少なくとも制度上はそう期待される)。

したがって、暴行問題については深入りせずに、この問題の取り扱われ方、朝青龍に対するこの問題以外の報道姿勢について、考察する。

結論から言えば、私がこの問題で言いたいのは、朝青龍に対し「品格がない」と批判することの不合理さである。

かつて、フランスのサルコジ大統領が大相撲を「頭にポマードの塊を乗っけたデブのぶつかり合いの何が面白いのか」と評したことがあったと記憶しているが、朝青龍に対し、「品格がない」という批判を聞くたびに、私は「頭にポマードの塊を乗せたデブ」たる力士に品格をそもそも要求すること自体が間違いではないかと思う。

大相撲の力士に、野球選手やサッカー選手、その他のスポーツ選手と同様のアスリートとしてのスポーツマンシップが要求されるというのであれば、それはその通りであろう。

しかし、横綱に別途、勝利後にガッツポーズをしてはいけないなどの「高度な品格」というものが要求されるとすれば、これはおかしな話である。なぜならば、それだけの高度な品位を要求するほどの教育や環境が大相撲には今現在存在しないためである。

学歴差別をするわけではないが、力士をはじめとしてスポーツ選手の中には中学卒業そこそこでプロのスポーツ界に入り、その世界に没頭して力を上げることが要求されることが多い。

そのような環境で、一定の社会的常識を身につけることはできても、一般人以上の「品格」なんてものを身につけられるような教育や環境が用意されているとは到底考えられない。

相撲協会は、公正な選挙すらできず、自分たちの思惑通りの投票結果にならなかっただけで、一門会議を開き、造反探しとも取られかねない行動をするOB(親方)が牛耳っている組織である。

そんな組織が、そもそも、アスリートたる力士に品位を身につけることができるような教育をしているとは私は思えない。

そのように考えれば、勝って嬉しい時にガッツポーズをしたことについて、「品格がない」と批判し続けてきたメディアは、私は必要以上に過大で無理な要求を朝青龍に求めてきたように思う。

今回の引退報道を見ていると、「驚いた」などと白々しく語っているメディアの司会者などを多数見かけるが、これだけ毎場所、視聴率のネタのために叩かれ、その度に執拗なメディア攻勢を受けていれば、辞めないで続ける方が困難ではないだろうか。

確かに、引退の決断に今回の暴行問題が大きく影響したであろう。しかし、私は今まで朝青龍がメディアの理不尽な批判にもかかわらず、引退せずに頑張ってきたという点については称賛したい。

もっとも、暴行問題については、先述のように別途考察が必要である。

力士はいわば、ボクサーと同じような格闘技の部類に入るアスリートであるから、場合によっては、素手でも凶器になる。そうしたアスリートが暴行行為をしたとすれば、これは刑事責任に発展する問題であるから、この点は捜査機関により適正に解明されることを望む。

しかし、私は、あくまでこの問題を朝青龍の横綱としての品格の問題の延長線上に位置づけるべきではないと思うわけである。

横綱としての品格がないから暴行事件をしたというのは、一見して筋の通った主張に見えるが、暴行事件は品格の問題ではない。仮に暴行が事実だとすれば、刑事事件を引き起こしたことを品格の問題に矮小化すべきではない。

また、「横綱としての品格なんてものがあるのか?」「そういうものを要求できる状況にあるのか?」ということを考えなければ、大相撲の腐敗した状況は今後も続くのではないだろうか。

2.小沢氏不起訴に対する報道

小沢氏に対する捜査への疑問報道機関の問題については、過去2回取り上げているので、まだ読んでいない方で、興味のある方は、そちらで私の見解を再度確認してほしい。

不起訴判断について色々な見方があるだろうが、今回の不起訴は嫌疑不十分という理由での不起訴である。

「犯罪を認め、反省しているから、起訴しなくても良いだろう」という検察官の判断に基づくものではない。

これについて、「起訴されなくても灰色だから潔白を証明しろ」という自民党議員やメディア等の馬鹿げた発言を聞いていると、果たしてこの国の立法者たちは憲法や刑事訴訟の基本的原則に対する理解をしているのかと恐ろしく感じてしまう。

「疑わしきは被告人の利益に」

これは刑事司法の大原則である。

「灰色は白」というのが刑事事件における根本的な原則なのである。

それを、「灰色だから、白だと立証せよ」というのでは、戦前の軍国主義や水戸黄門などの時代劇で、悪代官が善良な農民に在らぬ疑いをかけて、白だと立証せよと言っているようなものである。

こうしたおよそ馬鹿げた主張が、立法府の構成員である人間から出てくることが非常に驚きである。憲法の根本的価値である法の支配の概念が欠如していること甚だしい。

もし、小沢氏に「白だと立証せよ」と要求するのであれば、自民党もメディアも、刑事告発を受けている麻生太郎政権下での河村官房長官の機密費流用が横領罪に当たるという点についても、この問題以上に、「白だと立証せよ」と要求すべきであろう。

しかも、河村氏の事件は未だ不起訴判断は出ていないのであるから、自民党やメディアの論理からすれば、そっちの方が説明責任が求められるだろう。

検察にだって説明責任がある。

嫌疑不十分で、不起訴判断をする以上、「あらぬ疑い」をかけてしまったことを認めるわけである。いくら理由をこねくり回したって、裁判で立証できない嫌疑は、「あらぬ疑い」であることに変わりはない。

この問題に対する検察の捜査行動が、国政、予算審議への影響を与えている以上、「あらぬ疑い」をかけた点については真摯に反省して、国民に対し、十分な説明をしなければならないのではないだろうか。

仮に、あなたが、殺人事件であった場合に、自分が共犯だとの嫌疑をかけられ、不起訴になった後も、「グレーだから、お前が白だと立証しろ」という要求をメディア等に突きつけられたとしたら、あなたはどう考えるであろうか。

小沢氏に対する報道の在り方はまさにこれと同じことを言っているのである。

このような乱暴な議論がまかり通って、「小沢は怪しい」、「小沢は何かやっている」という価値判断が先行して、大手メディアで白々しく報道していることに、私は、非常に大きな危機感と恐怖を感じる。

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さて、今日紹介する本ですが、こうしたメディアの恐ろしさから、やはり、メディアと捜査機関によって、本当に「あらぬ嫌疑」をかけられた人々の生の声を知ることがあってもよいという思いで紹介します。

足利事件の菅家さんと松本サリン事件の河野さんの対談です。小沢氏に対する事件報道と捜査機関の捜査手法は未だに反省もなく、推定有罪といっても過言ではありません。

そうした冤罪を生む土壌から、真実を見つけ出さなければならないのは、裁判官であり、今は裁判員となりうる国民自身です。

いつ皆さんが裁判員となり、冤罪事件を扱うか解りません。そのためにも冤罪を生む土壌がどういうところにあるのか考える上で、冤罪被害者の生の声を知るのは重要でしょう。

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12/09/2009

日本社会が衰退する理由

法律の話の続きをしないといけないのですが、最近忙しく、法律以外のことを考えたいので、もう1回だけブレイクです。

公認会計士の就職難に関連し、大塚耕平金融担当副大臣が「今のペースで(会計士の)人数が増えていいのかも検討課題」と発言しました。

おかしな話です。

公認会計士の試験を通った人が就職難だから、合格者を減らす。これでは、完全に中世ヨーロッパ時代のギルドであり、それを国が主導しようというのですから、合法的なカルテルです。

日本がデフレだと騒がれていますが、結局、日本は、自由競争をすべきところができていないこと、および、切磋琢磨できる環境作りのための緩やかな競争原理の導入ができていなこと、が最大の問題なのではないでしょうか。

公認会計士など資格により職業選択の自由(憲法22条1項)を制約する以上、資格試験は絶対評価であるべきです。

つまり、その資格を与えるに足る知識を有する者は合格させ、知識がない者は落とす。これが本来の資格制度のはず。

にもかかわらず、合格者が増えて就職難だから、合格者数を制限しましょうというのは、本末転倒です。就職できるかどうか、就職先が安定的であるかどうかは、いくら資格保有者であっても、本人の努力次第ではないでしょうか。

もちろん、現行の公認会計士制度では、実務経験が必要になるわけですから、試験に合格しても公認会計士になれないというのは問題です。

必要な知識は試験で十分に問うてるはずですから、実務経験の要件を削除するとか、別途実務経験における知識を2年後に問う試験を設けるなどの措置は考えられます。

しかし、大塚副大臣の発言は、既存の資格保有者の既得権益保護という考えが根底にあるように思えてなりません。

法曹も、医者も、建築士もそうですが、資格試験を設ける以上、その運営は必要な知識の有無により判定されるべきです。既存の資格保有者を保護するために、新規参入を妨げるという発想の制度運営をすれば、日本の国力は衰えます

アメリカがリーマンショックなどを経験してもなお活力を取り戻しつつあり、少なくとも日本より元気な社会なのは、機会的平等の理念が徹底されているからです。

誰でも、努力すれば、成功できるという社会認識があり、それが担保される仕組みがあるからです

アメリカでは、あらゆる資格試験は絶対評価で人数制限なんて御法度、その後の就職の問題は自己責任。

これが当り前の姿なのですが、日本はどうしても、資格保有者に特権を与えたがりますし、既存の資格保有者も特権を欲しがります。

こうした社会が活力を取り戻せるでしょうか。経済大国第1位と第2位の日本とアメリカの差はそこにあります。

アメリカンドリームがあり、ジャパニーズドリームがないのは、実力のある者を評価する社会的共通認識がアメリカにある一方、日本は実力のない者でも、既得権益の名の下に評価される途があるためです。

日本がバブル崩壊以降、経済が沈んでいるのは、日本社会に実力を評価する社会認識が欠けているからです。

社内ポリティックス、稟議制度などにより、無駄な力が評価され、責任の所在を不明確にすることにばかり力を注ぎ、実力ある人間が育っても海外に流出してしまいます。現に私の友人で、私が有能だと思う人々はほとんど外資系の企業に採用(転職を含め)され、海外で生活を楽しみながら活躍している人が多いです。

弁護士においても就職難を理由として、人数制限を求める既得権益保護主義者がいます。

しかし、資格保有者であっても、その他の社員と同じ待遇であれば、採用してくれる企業は沢山あるはずです。企業に採用してもらえないのは、「俺は、資格保有者だ」というおごりがあるからです。

アメリカの法曹資格者であれば、「人数制限しろ」なんていう発想は持ちません。なぜなら、それはアメリカ社会の根本的価値である「Equality of Opportunity」の否定になるからです。

そして、アメリカの法曹資格者は、就職難で一流事務所に行けなければ、一般企業に就職しつつ、次のチャンスを狙います。非常にハングリー精神が旺盛で、フロンティア精神そのものではないでしょうか。マインドが違うわけです。

いつもはエンターテイメントの話題として紹介するスーザン・ボイル(Susan Boyle)さんの人気も、このアメリカ人のマインドに関連しています。

地元のイギリスだけでなく、番組の放送されていない、特にアメリカで異常な人気ぶりなのは、彼女に素晴らしい歌声という実力があるにもかかわらず、評価されずに48年間も普通の人して、日が当らない存在だったからこそ、衝撃的に受け止められ、彼女は評価に値すると支持する人が多いわけです。

アメリカのファンにとっては、彼女の実力ある歌声が正当に評価され有名になることは、アメリカンドリームそのもので、それが熱烈な支持につながっていると言えるでしょう。

弱者保護は大切です。民主党政権が生活者、消費者重視というスローガンには共感できました。

しかし、弱者保護のように見せかけた既得権益保護、ひいては、一旦、特権的な地位を得れば、努力をしなくても生きていける社会なんていうのは、切磋琢磨する土壌を奪います。百害あって一利ないのではないでしょうか。

競争原理はある程度必要です。しかし、過度な市場主義は逆にモチベーションを低下させます。

そこで、8月の選挙で、有権者は、民主党に対し、①既得権益への切り込みと、②弱者保護政策を両輪でやってもらいたいと期待したのではないでしょうか。

既得権益保護のための政策なんて、国民の総意は望んでいません。

民主党も、政権を取ったとたんに、自民党と同じ既得権益保護政党になるのでしたら、有権者は4年後、民主党や自民党に代わる政党に政権を託したいと望むかもしれません(問題はそうした政党があるかどうかですが・・・)。

さて、日本とアメリカの違いとして、マインドの違いと言いました、これは、フロンティア精神の有無です。以下の本は、先日W杯の予選が決まったということもあって、ちょうど良いサッカーというトピックを通じて、日本人選手と海外選手の精神論の違いを説明しています。

また別の機会に話しますが、新渡戸稲造の武士道は結構アメリカ人に好まれて読まれます。この武士道はフロンティア精神に近いと評したアメリカ人の友人もいました。もしかすると、日本の既得権益にしがみつく姿は、武士道精神の失われた姿なのかもしれません。

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11/19/2009

Facebookが日本人を孤立化から救う? ― Twitterの次はFacebookか

最近、「国会議員の数が多すぎる」とか、「外国人参政権の問題」とか、政治的、法的テーマが続いたので、軽ルチャーな話題を今日は取り上げようと思う。

皆さんはFacebookというウェブサイトを御存知だろうか。

おそらく、海外で生活していたり、海外の友人などが多い人は既に知っている人も多いだろう。

いわゆる、ミクシーやグリーの英語版・海外版といったものなのだが、ミクシ―やグリーのアカウントを持っていた私も既にこれらはほとんど利用せず、最近は、Facebookを時々利用する程度である。

そもそも、ソーシャルネットワーキングサイトは、私はどちらかというと苦手で連絡ごとはすべてメールにて行う。

なぜなら、ネットワーキング(Wallと呼ばれるメッセージボード)上に残した特定の者への情報が、友人仲間とはいえ、第三者に見られるのが好きではない。

しかし、そんな私でも、Facebookは、他のソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に比べ、比較的利用しやすい。

そこで、今回、なぜFacebookはミクシ―やグリーより利用しやすいと感じるのか考えてみたことを紹介しようと思う。

このFacebookが私にとって利用しやすいという理由は2点ある。

1点目は、実際に面識のある人物との情報共有に役立つという点である。

Facebookは、本名で登録することが義務付けられている(もちろん偽名を使う人もいるだろうが)。

元々、Facebookはアメリカで、大学生向けに友人同士の交流に利用された同サイトが、その後卒業生、さらには一般人と利用が拡大してきたものである。

このFacebookを使うと、大学時代の覚えているが、連絡先が解らなくなった友人など検索するのが容易であるし、最新の自分の情報を一定の友人にのみ公開することで、疎遠になっていた友人といつでも必要に応じて連絡が取れる。

メールでの連絡の取り合いは、しばらく連絡をしていないうちに、アドレスが変わっていたりして、自然と疎遠になってしまうことが多い。「そういえば、今あいつ今何してるんだろう?」とふと思ったときに、連絡が取れるというのは非常に便利である。

また、授業で何回か一緒だった程度でなんとなく話したことがある知り合い程度の人が実は友人の友人で、Facebook上で、改めて、当時の授業の際の面白い話に花を咲かせることもできる。

なお、私は積極的に利用しないが、多くの人は、上述したWallと呼ばれるところにコメントを書き込んで、掲示板感覚で交流し合うようである。

さらに、Facebookのおかげで一期一会の出会いから継続した友人になる場合もある。

昔、私は、ニューヨークのブロードウェイで、友人数名とミュージカルを見た際に、たまたまステージドアから出てきた主役級の俳優と話をしているうちに、意気投合し、その俳優がステージの裏のツアーを即席でやってくれたことがあった。

その後しばらくして、その俳優もFacebookを利用していることがわかり、連絡したところ、覚えていたことから、今でも連絡を取っている。最近も、ブロードウェイの有名ミュージカルの主役に抜擢され、活躍している。

本来、「一期一会」で終わってしまう出会いを、「長い付き合い」へと持続可能にしてくれる機会を提供してくれたのは、Facebookというテクノロジーとだったと言っても過言ではなかろう。

2点目の理由は、交流の幅が日本と言う枠にとらわれないという点である。日本人はもちろん、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、スウェーデンなど大学時代や何かの関係で知り合った人々と1つのサイトで、コミュニケーションが図れる。

ミクシ―やグリーはどうしても日本語が利用できる日本人のみが対象になってしまうが、Facebookだと、世界中の友人とコミュニケーションを図ることができ、彼らの関心ごとを知ることができる。

さて、今日このFacebookを取り上げたのは、Facebookが日本法人を設立して、日本での進出を本格化させるという下記のニュースを見たためである。

昨今、日本人の若者を中心に、内向き傾向が強まっていると言われている。インターネット等の発達により、海外に実際に行かずとも、海外の情報が手に入るので、それで満足だという人が増えていると言われている。

しかし、海外の人との交流をしてみなければ、現地の生の情報は得られないことも多い。

とはいっても、皆が皆、海外に行ける状況にはない。

そこで、Facebookのように1つのウェブサイトにより、世界中の人と交流が図れるツールが日本に本格進出すれば、そこでのコミュニケーションを契機にして、外に興味を持ち、国際感覚に優れる日本人の若者が今以上に増えるかもしれない。

何も国際的感覚が磨かれるべきことは若者に限ったことではない。

最近の政治やメディアの報道姿勢を見ていると、どうも日本特有の言動をすると思うことが多い。

例えば、政治家が選挙中に土下座までする姿は日本特有であり、異様な光景である(投票してくださいとそこまで遜るということは、実績や資質がそもそもないから必死にお願いするんだろうと私の英米の友人たちは言っていた。私も同感である。)。

欧米では、およそ相手にされないような恥かしい陰謀論を唱える人が平然と日本のテレビメディアで面白おかしく取り上げられたりする(9・11テロがアメリカの自作自演の陰謀だという話がゴールデンタイムのテレビ番組で取り上げられていたが、9・11テロを現地で経験した者としては、ねじ曲がった情報を真実のように扱っており、非常に荒唐無稽かつ不謹慎だと怒りすら感じた)。

さらに、日本のメディアには、「アメリカの政府筋」となんとも怪しいソースタイトルで、「アメリカ政府は日本に不信感を持っている」などと下らない煽り行為を行うメディアや自称"識者"で溢れかえっている。

しかし、こうした政治家の異様な行動やメディアや自称"識者"のいい加減な海外情報は、海外の友人ネットワークをしっかり持っていたり、自分で海外の情報を何らフィルターを通さずに入手できる手段があれば、すぐに「変なことやってるな。変なことを言っているな。」と気がつくことであろう。

つまり、外国を知ることは、日本を知ることにもつながる。

昨今の日本人が内向きになっているといわれている傾向に、一石を投じるコミュニケーションツールに、Facebookがなりえるのかにも注目してみたい。

既に、洋書ではあるが、Facebookを利用したマーケティング方法など、Facebookでの商売を考えた本も出ている。日本だけでなく海外にも広く利用されたFacebookはマーケットの市場としては大きいことに疑いはない。

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10/28/2009

メディア内の風土を変える必要性の一例か。それとも単なる邪推か。

以下の記事、本当なんでしょうか。

ネット上で、精神的な病気ではないかという憶測があったのは知っていましたが、いくらゴシップ記事といっても、記事になるほど噂になっているということなんでしょうね。

だとしても、あくまで信ぴょう性は疑わしいゴシップ記事ですから、信用できるかはわかりませんが、仮に、万が一この記事の内容が真実だとしたら、今の日本の一番の問題点はマスメディアの内部の人間が腐っていることなのかもしれませんね。

ふざけたバラエティーアナウンサーが多いフジテレビにしては、正直珍しくまじめで客観的にニュースを読んでおり、好感の持てるアナウンサーでしたから、仮にこの記事のような内容が真実であり、そういう有能な人がつぶされてしまう土壌があるとすれば、残念です。

いずれにしても、27歳のアナウンサーですから、早期回復が望まれます。

ただ、テレビメディアを中心とした不祥事、不適切な番組内容は依然改善の余地が見られません。TBSでの島田紳助氏の暴行疑惑はその後全く報じられませんし、NHKの国際問題にまで発展しかねない偏向放送問題もその後十分な説明がなされていません。

フジテレビも、「○○○○番長」という卑猥な発言や「外人」という常識に欠ける発言生放送をしたアナウンサーをそのまま何事もなかったかのように朝のテレビ番組に起用したままというのは何とかしてほしいものです。

民放もテレビ放送メディアを事業主体とする会社は、公共の電波という公共財を事業に使う特許が与えられているわけですから、いわば、特別の地位が付与された企業であって、純粋な私企業とは全く性格がことなります。

政治家など公権力を扱う者に準じ、メディア自身がしっかりと説明責任(社会的な責任という意味での)を果たし義務があると私は思います。

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10/21/2009

読売新聞の世論調査に愕然とした話

先日、危険な数字によるイメージ操作の典型例ともいえる衝撃的な記事を発見しました。

もしかすると、皆さんの目にも止まったかもしれません。読売新聞の14日の朝刊記事です。

なんと、その記事で、85%の人が新聞が信頼できると答え、91%が新聞は必要だと答えたというのです。

最初の私の感想は、「本当か?新聞取ってない人多いのでは?」というものでした。

ただ、よくよく記事を読んでみると、明らかにこのように新聞の存在意義を強調するための「作られた数字」(公認会計士の山田真哉先生の言葉を借ります)であることに気がついたのです。

この世論調査には、以下、3点のような問題があります。

まず、皆さんで考えてみてください。(考える時間の目安:1分)








さあ、3つ思い浮かびましたか?様々な解答が予想されますが、私の考える3つの問題点は以下の通りです。

一つ目は、調査方法です。

面接方式を採用しているわけです。これは、サンプルとなる人物を会社などに呼び出して、面接官を前にして、サンプルの回答を引き出す方法です。この方法は有効回答数(あいまいな回答や回答拒否などを除いた回答)を高くするには優れているのですが、面接官による影響が受けやすく、面接官による誘導に乗りがちです。

また、わざわざ新聞社(ないしその関連会社や委託会社)が呼び出して、それに応じて来た人をサンプルにしているわけですから、自然と新聞社に好意的な人が集まる傾向が高くなります。

時間帯によっては、面接に行ける人間は非常に限られてしまいますから、意図的に新聞を好意的に読む層をサンプルに組み込んで、実態とかけ離れた「作られた数字」が生まれる恐れが非常に高いわけです。

さらに、面接方式の場合、電話方式などと比べ、サンプル数には限界があります。

したがって、面接方式というだけで、以上のような信ぴょう性に疑問を生じさせる問題があるわけです。

2つ目は、新聞は必要か不要かという二者択一での回答を求めている点です。

私自身、新聞があったことにこしたことはありませんが、必要か否かと問われれば、必要と信念を持って答えません。つまり、「不要だ!」と信念を持って明確に答える以外の「どちらかといえば必要とか」、「あってもよいけど、不要とまではいえないな」というような中庸の回答がどこに含まれているかわからないのです。

しかし、そういう回答をどこに含めるか(そもそもそういう回答を認めるのか)により、調査結果は大きく変わります。それを「新聞は必要」に含めてしまうと、新聞に対する認識を正確に反映できているとは言えません。

また、上記の面接方式にも関係してくることですが、あいまいな回答があった場合に、面接官が、「じゃあ、不要というわけではないのですね?」と確認した場合、「そうですね」と回答してしまうことが容易に予想されます。

そのような場合、面接官の誘導と回答方法の二者択一ということが相まって、調査側の欲している「作られた数字」が生まれてしまうことになります。

3つ目は、利害関係を有する新聞社自体がこの調査を行っている点です。

これが最大の問題点です。全くの利害関係のない団体が行った調査と、利害関係を有する団体の調査では、前者の方が後者より信頼できると経験則上いえます。

これは裁判における証拠調べにおいても同じことが言えます。

証人尋問において、全くの利害関係がない目撃者の証言と、被害者又は加害者と利害関係がある目撃者の証言とでは、証拠価値(証拠としての信頼性)は前者が相対的に高いのに対し、後者は相対的に低くなります。

したがって、新聞社がこのような調査をすること自体、結果ありきの調査となるのは必然的な帰結であって、「作られた数字」であるという疑惑が生じさせる最大の理由がそこにあるのです。

さて、皆さんの回答と私の回答は一致しましたか?

他にも色々な問題があるでしょうが、とりあえず、私は以上3点が直ぐ思いつきました。

つまり、この調査は「新聞社の、新聞社による、新聞社のための調査」ということです。

ただ、私はこの記事を読んだときに、それを恥かしげもなく、「このような世論調査の結果が出ました!」と言い切れる、メディアの面の皮の厚さに驚いてしまいました。

読売新聞は私企業ですからどういう世論調査をしようと勝手ですが、下らない世論調査にお金と労力を使うくらいなら、もう少しまともな記事を日々書くように社員教育する方が、読者のためになるのではないかと私は思います。

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10/03/2009

品位のかけらのないフジテレビアナウンサー(下劣な発言を生放送で行う)

タイトルどおり、フジテレビのアナウンサー長谷川豊は品位の欠片もない発言を公共の電波を使って行っている。

仮にもフジの平日朝のとくダネで、コーナーを担当したり頻繁に政治ニュースを扱う人間が、「こいつ」とか、「○○○○番長」とかいう卑猥な言葉を生放送なのに連発しているだけで、不快感を感じる。

いくら先輩とはいえ、34歳程度の若輩者が偉そうに、「こいつ」というのはどうも聞き苦しいし、不快である。名前を知っているのだから名前を呼べばよいし、団塊の世代の小倉智明氏だって、「中野」とか、「京子ちゃん」とか、「笠井くん」というのに、「こいつ」という表現自体、不適切であろう。

しかも、子会社(共同テレビ)のアナウンサーだった滝川クリステルさんを見下しているのか、彼女は日本国籍を有する立派な日本人であるにもかかわらず、「外人」と吐き捨てるかのように評している。

馬脚を現すとはまさにこのことで、日頃偉そうに政治家に対しいろいろ注文をつけ、麻生太郎前首相の失言などを取り上げたりしている人間が、このような節操のない発言を生放送で、発言していること、それを許しているフジテレビに体質に大きな問題があるのではないだろうか。

私は、外人という表現が差別かどうかという話をするつもりはない。

むしろ、私が問題としているのは、明らかに日本人である滝川クリステルさんの風貌を捉えて、吐き捨てるかのように、「外人」という言葉を浴びせ、ニュースの読み方が下手とののしるかのような発言方法が、その言語の意味にかかわらず、差別的な印象を与えるし、キー局アナウンサーでない人間を見下しているかのような姿勢にとらえられることを問題としているのである。

アナウンサーという言葉の重みを一番認識すべき職業にある人間で、しかも全国放送にたびたび登場するキー局の中堅局アナがこのように下劣で、これを許している風潮は、まさに、マスメディアの低俗化を示す良い例であろう。

本人が謝罪コメントを発表する予定はないというが、言葉を職業としているものとしての自覚がなさ過ぎではないだろうか。自分の発した発言は、自分で責任を取るべきで会社に守ってもらっていることがおかしな話である。

自覚がないアナウンサーはテレビ画面に出てほしくない。とくダネを降板すべきだろう。

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滝クリを「外人」と差別発言 フジテレビアナに批判集中
10月1日20時5分配信 J-CASTニュース

 人気キャスター滝川クリステルさん(32)をフジテレビの長谷川豊アナウンサー(34)がテレビ番組で「外人」と呼んだことが、「差別発言だ」として問題になっている。フジテレビも不適切な発言だったことを認め、「すぐに訂正すべきでした」といっている。

■「この間までやってた外人よりずっと上手い」

 問題の番組は2009年9月26日に生放送されたフジのCS局のバラエティー「フジアナスタジオ まる生2009」。フジのアナウンサーが本音と脱線トークで盛り上げる番組で、フジのCS放送の看板になっている。この日は「ニュースJAPAN」のキャスター交代の話題を取り上げ、長谷川アナが新キャスターの秋元アナをこんなふうに紹介した。

  「こいつも、あのー、この間までやってた外人より、ずっと上手いですからね。あの、ちゃんと現場の事よくわかってますし。よく取材に行って、勉強してますから。こいつのニュースJAPAN、たぶん良いと思いますよ」

 「外人」というのは、キャスターを降板した滝川クリステルさんのこと。この長谷川さんの発言部分が動画投稿サイト「ユーチューブ」にアップされ、「2ちゃんねる」などの掲示板が問題視したことによって騒動に発展。09年10月1日には大騒ぎになった。もともと「ニュースJAPAN」の看板キャスターだった滝川さんの降板に異議を唱えるファンが多かっただけに、ネットでは、

  「降板する人に対して何で差別発言しているの」
  「おれのクリステルをけなすやつは許さない」

などと騒然となった。

■「すぐに訂正すべきでした」と番組運営部

 フジテレビワンツーネクスト運営部によれば、この番組は出演したアナウンサーに様々な出来事をフランクに話してもらうという構成。長谷川アナは滝川さんを攻撃するという思いはなく、いろんなフジの女子アナを紹介しているうちに出てしまった言葉だと説明した。フジテレビのアナウンサーはみんな仲が良く身内意識が強い。そうした中で行き過ぎた発言が出てしまった、とし、

  「外人は不適切な発言であり、この発言が出たときにすぐに訂正すべきでした。番組の制作サイドも反省しておりまして、番組の視聴者や不快になられた方に本当に申し訳ないと思っています」

と話している。ただ、長谷川アナの謝罪の予定はないという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091001-00000001-jct-ent

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