スポーツ

08/21/2016

2020年に向けた企業イメージに潔い誠実な選手の活用を(ベルニャエフ選手やダンフィー選手の功績)

今朝の記事,「英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手」では,日本メディアがあまり報じないイギリスのスター選手と彼のペアを組む謙虚な銅メダリストについて紹介した。予選1位の高得点で通過したデイリー選手だったが,準決勝では失敗が続いてしまい決勝には進めなかった。

前回大会銅メダリストで今大会ペアのシンクロでも銅メダルに輝いたイギリスのイケメン飛込み王子のまさかの事態にイギリスはショックを受けているようである。本人も「傷心しきっている(Truly heartbroken)」と述べている。

オリンピックには魔物が住んでいると良く聞くが,まさにその魔物がイギリスの期待の選手を襲ったのかもしれない。ただ,既に2020年の東京に向けて頑張るとの発言をインタビューでもしているようである。

さて,2020年の東京五輪に向け,多くの企業は五輪サポーターなどになり,企業イメージの向上のため日本で人気のある日本人選手を起用したCMが今後も多く流れるかもしれない。

しかし,日本は開催国である。

単に日本人アスリートが活躍し多くのメダルを獲得してほしいというだけでなく,多くの海外選手や海外からの観客を迎え入れる国家として,その企業も国際的なイメージ戦略を考えたCM起用が企業の先進的なイメージ戦略には重要であるのではなかろうか。

そこで,今朝の記事の続きであるこの記事では,私が考えるこの大会で最も日本人に注目され,今一番日本人の好感度が高いであろう海外トップアスリートに関する情報を紹介するとともに,そこまで日本では有名でなかった彼らを活用した企業イメージ戦略について私見を述べたい。

1.スポーツマンシップの象徴となったオレグ・ベルニャエフ選手

既に多くの人がご存じのとおり,体操の個人総合で銀メダル,平行棒で金メダルを獲得したウクライナのオレグ・ベルニャエフ(Oleg Verniaiev)選手は,今や日本人にとってはもちろん,世界的にもスポーツマンシップを体現したイケメン選手として注目を浴びている。

以下はベルニャエフ選手のInstagramの投稿。

Как то так ✌

Олег Юричさん(@verniaiev.gym)が投稿した写真 -

2016  8月 11 5:39午前 PDT

日本ではスポーツについてあまり報道するイメージのない日経新聞までもが「敗れざる魂 体操男子・ベルニャエフ 採点「フェア」強く潔く 」と題した記事でベルニャエフ選手の精神を賞賛している。

ウクライナ政府と親ロシア派勢力による紛争で、中心地となった東部ドネツクの出身。疲弊した国から支援はほとんど受けられない。かつての代表仲間は好待遇の誘いを受けてロシアなどに国籍を変えたのに、自身は母国を背負う道を選んだ

1点近いリードを手に迎えた最後の鉄棒。勝利を確信したかのような雄たけびを上げたが、着地が1歩動いた分だけ点数が伸びなかった。場内はブーイングも起きた

試合後の記者会見。隣の内村に対して「あなたは審判から好意的に見られていると思うか」と質問が飛んだ。鉄棒の採点について聞いているのは明らかだった。

これに不快感を示したのはベルニャエフだ。「採点はフェアだと選手みんなが分かっている。無駄な質問だ」。潔い態度に拍手が起きた

悔しさのにじむ表情が笑顔に変わったのは、内村から「次はもう勝てない」と言われた時。「恥ずかしいくらいうれしい。でも彼は絶対にそんなこと思っていないはずだよ」。良き敗者がいてこその名勝負だった。

日本のメディアだけではない。例えば,The Indian Expressは,次のようなベルニャニフ選手のコメントを掲載し彼のフェアなスポークスマン精神を紹介している。

「金メダルを望んだし,それを意識しなかったとはいえないね。でも,上手くいかなかった。」

(“I hoped, and I can’t say I didn’t think about it,” he told reporters. “But it didn’t go that way.”)

22歳のウクライナ選手は,最終的には内村選手が金メダルを受ける価値のある演技をしたと述べた。

(Ultimately, Uchimura deserved the gold, the 22-year-old Ukranian said.)

「僕はこれまでどの選手もできなかった彼の得点に最も迫るということができた。彼は体操界のマイケル・フェルプスだからね。」

(“I have come as close as possible to him, as nobody has before,” he said. “He’s the Michael Phelps of gymnastics.”)

(略)

「金メダルを取れないんじゃないかと航平をとても不安にさせることができたことは結構嬉しいよ。次に向けて頑張ります。」

(“I’m quite happy that I managed to make Kohei very nervous,” he said. “We’ll be preparing for next time.”)

さらに米国のヤフースポーツのEric Adelson記者の英字記事は,試合後のベルニャエフ選手の態度や記者会見の様子を次のように具体的に紹介し,彼の敗者としての潔さを賞賛している。

ベルニャエフは採点に関する議論に対し火に油を注ぐようなコメントをすることもできた。金メダルを内村に奪われたという趣旨の主張だってできたし,そのようなコメントがなされることは十分想定できるような状況だった。しかし,彼はそのような主張をしなかった

(Now it was up to Verniaiev to respond. He could have raised hell. He could have made the case that he was robbed of the gold, and it could have been a credible case. He didn’t go there.)

彼は,「スコアは公平なものだったと皆がそう思っています。こうした質問はこの場には不適切な質問です。」と述べたのである

(“We all have feelings,” he said, “but we know the scores are fair. All the questions are superfluous here.”)

まさに敗者としての一流の言動であったこの姿勢は彼の真摯な姿勢から出たものであったように思われる。彼はスコアに対する疑義という問題から距離を取ることで一段と喝采を浴びたのである。

(It was a classy gesture by a defeated man, and it seemed a sincere one. He steered further away from the controversy and then added a layer of praise.)

ベルヤニフ選手は「体操界における航平は競泳界におけるフェルプス選手のようなものです。体操界にフェルプスがいるんですよ。」と述べた。

(“Kohei in gymnastics is like Phelps in swimming,” he said. “We have our own Phelps.”)

この瞬間,日本のメディアからは拍手が起こった。

(At that, the Japanese media applauded.)

これは少し不思議な状況だった。緊張感のある質問,拍手喝采,そして,ウクライナのレポーターの中には立ち上がり「ベルニャエフ選手は我々のチャンピオンだ」と発言する者もいた

(It was a bit of a strange scene: the pressing question, the applause and there was even a Ukrainian reporter who stood up to say Verniaiev was “our champion.”)

最終的に,ほとんどの人がこうした会見での疑義に関する議論は忘れ去り,内村が作った歴史のみが皆の記憶に残るかもしれない。

(In the end, though, few will remember what came after the athletes left the podium. Uchimura’s history is what everyone will remember.)

ベルニャエフ選手は,さらに「メダルの数ということでいれば,内村はこれまでも伝説だったし,今も伝説的な人物です。」と付け加えた。

(“When it comes to the quantity of medals,” Verniaiev said, “he is a legend, he was already a legend.”)

それだけでスコアに対する議論が無意味であることが良く分かる。

(That much is beyond argument.)

様々な競技があり,様々な境遇にある選手が必死で人生を掛けて4年に一度の夢の舞台での勝利を目指し,想像を絶するトレーニングや苦痛を乗り越えてオリンピックの舞台に立っていることは,スポーツとは縁遠い私でも容易に想像できる

それだけに,負けるというのは本当に悔しいことであろうし,直ぐに受け入れられない選手の心情も良く分かる。

しかし,私はベルニャエフ選手のような潔い敗者としての態度こそがオリンピック精神を体現する最もあるべき姿ではないかと思うし,これこそが全面的に賞賛されるべき姿であろう。そこには,ある種の武士道に通じる清々さがあるのであり,私は一観客として今回の五輪で彼から大変学ぶことができた

これは,レスリング男子で審判の採点に疑義がついたものの抗議が認められず,銀メダルとなった樋口選手が「自分に何かが足りなかった」と語ったと真摯に語った姿にも良く表れていた

また,競歩50kmで妨害行為について抗議が一時は認められたものの国際陸連の裁定により,4位に終わったカナダのエバン・ダンフィー(Evan Dunfee)選手の姿勢は日本ではそれほど報じられていないものの,素晴らしいものであり,本当に賞賛に値する

荒井選手によれば,彼は荒井選手に謝る必要がないにもかかわらず,荒井選手にあった際に,Sorryと謝罪しハグをしたという。このような謝罪があったのは,同じ選手として荒井選手の気持ちが良く分かったからであろう。

ダンフィー選手は次のような潔いコメントをカナダ国民に対して発表しており,本件は終局的解決となった。

日本メディアはあまり彼の誠実性に関する情報を報道していないことから,以下声明の一部を紹介する。彼のスポーツマンとしての誠実性の哲学が良く表れている文章である。

私にはスポーツ仲裁裁判所への上訴という手段を行うか否かという選択肢が残されていました。

しかし,選手村に戻り,今回の接触事件について見返した結果,私は更なる上訴を行わないことを決意しました。なぜならば,私はそれが正しい判断であると信じているからです。

(It was then left for me to decide whether to pursue this further with an appeal to the Court of Arbitration for Sport. Following my return to the village and my viewing of the incident I made the decision not to appeal, as I believe the right decision stood.)

約3時間半に及ぶ極限のレースにおける選手の痛みがいかなるものかというのは,あまり多くの人が理解できるものではないかもしれません。日本の選手と私自身との間で生じた接触により私の精神力が途切れてしまいました。そして,その集中力を失った時,私の足はもはやゼリー状のような状況だったのです。接触というのはこの競技の一部であり,明文か不文律であるかにかかわらず,それは良く生じることなのです。

また,私は今回の接触が悪意又は故意によりなされたものではないと信じています仮に私がスポーツ仲裁裁判所に更なる上訴をし,それが認められたとしても,私はこの銅メダルを確たる自信を持って受け取ることはできませんそのような形で銅メダルを受領したとしても,それは私が胸を張って受けられるメダルではないのです

(Not many people can understand the pain athletes are in three and a half hours into such a grueling race. I believe that both the Japanese athlete and myself got tangled up but what broke me was that I let it put me off mentally and once I lost that focus, my legs went to jello. Contact is part of our event, whether written or unwritten and is quite common, and I don’t believe that this was malicious or done with intent.  Even if an appeal to CAS were successful I would not have been able to receive that medal with a clear conscience and it isn’t something I would have been proud of.)

今夜はぐっすり眠れると思います。そして,今後の人生においても,今回下した自分の決断が正しいものであったと思えるでしょう。私は,表彰されることではなく人生において誠実な行動をとることが正しいと考えています

(I will sleep soundly tonight, and for the rest of my life, knowing I made the right decision. I will never allow myself to be defined by the accolades I receive, rather the integrity I carry through life.)

最後となりますが,皆さん私とチームメートのマチュ・ビロドウを応援してくれて有難うございました。競歩という競技について,これだけ広い層から反応してもらえたことは本当に素晴らしいことです。私のチームメートと競合選手はこの競歩という種目で,私を常に刺激してくれます。今日,私たちが彼らにも同じように刺激できるパフォーマンスを示すことができたのであれば幸いです。

(Finally, thank you to everyone who supported myself and my teammate Mathieu Bilodeau today. To see race walk receiving such a wide reception is absolutely amazing! My teammates and my competitors in this event never cease to inspire me and I hope that we have done the same to you today.)

彼の声明を見ても,選手としての潔さとともに競争相手であった荒井選手のことをおもんぱかる姿勢は,これも武士道精神に通じていると感じてならない。

抗議は正当な結果を担保するために行われるべきである。

しかし,結果が確定した後は潔い姿勢を示すということこそがスポーツマンシップであり,五輪精神そのものであろう。

実際,日本のネットでも,かなりベルニャエフ選手やダンフィー選手を賞賛するコメントが相次いでいる。

ダンフィー選手は誠実性こそが最も重要であるという考え方を体現したような選手だったようである。

今から約1年前の2015年8月22日付けカナダメディアの記事によれば,彼は反ドーピングとクリーンなスポーツの実現をSNSで明確に訴え続けてきたようで,ニューヨークタイムズは彼を「自警団の競歩選手(Vigilante Race Walker)」と呼んでいるという。

そんな彼がだからこそ,自分自身にとっても誠実性という観点から,例え抗議を続けてメダルがもらえるとしても,それは自分が満足するものではないとして,潔さを選んだのかもしれない。ちなみに,彼は今年の3月神戸に来ていたようである。

私はメダルの数や色よりも,ベルニャエフ選手やダンフィー選手,さらには日本の樋口選手のような潔い敗者の姿勢こそが賞賛されるべきであると思うし,後述のとおり,こうした選手への企業の投資こそが企業イメージの向上につながると考えている。

2.オリンピック精神を有しない外野が騒ぎ台無しにする ― 軽口で馬脚を現し大批判を浴びた小倉智昭氏

他方,外野であるメディアや我々"国民"や"観客"の姿勢はそこまで成熟してないと思わされる話が多い。

すなわち,外野がメダルの数とメダルの色にこだわり過ぎる結果,外野が五輪精神を台無しにしていると感じてならない

その一例が競技の難しさなどを十分理解できていないにもかかわらず,安易に興奮して2位のベルニャエフ選手をディスり,大批判を浴びている小倉智明氏の姿勢や男子レスリングにおいて繰り返し,「審判が相手の選手が腕をつかんでいることを注意しなかったのはおかしい」などと言い続けて報じるNHKのアナウンサーなどの姿勢であろう。

さらには,大切な決勝戦で自国の選手の勝利を望むためにブーイングをして相手のフランス人ルノー・ラビレニ(Renaud Lavillenie)選手を侮辱したブラジル国民の姿勢は,極めて民度が低く,歴史に残る醜態と言っても過言ではない。没収試合にしても良いレベルではないだろうか。

このような行為を許容するからオリンピック精神から乖離したドーピングの蔓延や理事の不正という前代未聞の自体が今回のリオオリンピックでは噴出してしまっているのであろう。

この点,J-CASTニュースは小倉氏の問題に関し,「『内村リスペクト』の美談ブチ壊し 小倉智昭が体操銀メダリスト酷評」と題した記事で次のとおり報じている。

そんなベルニャエフ選手の鉄棒について、小倉さんはこう力説した。

「ベルニャエフのほうは、はっきり言うと鉄棒のまわりをただ回ってただけ。守りに入っちゃってたから、勝てるわけないです。これで15点ついたらおかしいぞって思ったら、やっぱりそのジャッジというのは正確なものですね。14.8しかつきませんでした」

その上で「堂々の逆転優勝だったですね、もう嬉しくて嬉しくて!」と喜びいっぱいに内村選手の金メダル獲得を祝した。

だが、小倉さんの「ただ回ってただけ」という発言は視聴者に歓迎されなかったようだ。放送直後からネット上には、

「小倉さんの発言ないわ、、、」

「失礼すぎてほんま腹立った」

「ちょっと小倉さん!最高のライバルに対して失礼ではないか?」

「うれしいのはわかるけど正々堂々と戦った選手に対してリスペクトがないなら何も発言するな」

といった批判的なコメントが相次ぎ投稿されるようになった。

手放し技中心の内村選手とひねり技中心のベルニャエフ選手を比べると、一見すれば前者は派手で、後者は地味に感じられるかもしれない。小倉さんの目に「ぐるぐる回ってただけ」に映ったのもそのせいだろう。

しかし、ひねり技メーンの構成が「守り」かというとそうではなく、アテネ五輪で団体チームの主将を務めた米田功さんは「ベルニャエフの鉄棒は、ひねり技が多く減点されやすい構成」と日刊スポーツ内のコラムで語っている。地味に見えてもリスクの高い構成だったようだ

無知の知をしらない小倉氏の荒唐無稽ともいえるベルニャエフ選手への軽口ははっきり言って恥としか言いようがない。

彼が本件についてベルニャエフ選手に謝ったり,訂正するような発言は未だしていないが,このようなオリンピック精神が欠如したキャスターが偉そうに毎回知ったかぶりをして情報番組の司会を続けることには嫌悪感すら感じてしまう彼が行った軽口は先のブラジルの観客が行ったブーイング行為とはっきり言って同じレベルのものである。

かつては斜に構えたコメントなどで既存のメディア司会者とはちょっと違う視点を提供してきた彼だけに,老いのせいなのか,内村選手が好き過ぎる結果の軽口なのかはわからないが,このような発言をして批判をされても平然としていられるような人物にオリンピックを報じる資格はないのではないだろうか。

このあたりが民意や世論に敏感になれず,視聴者を満足させられず低視聴率に陥っているフジテレビ精神が表れていると言っても過言ではないだろう。

3.欧米ではスポーツ選手のセクシーアピール化が進んでいる

ところで,皆さんは欧米を中心にスポーツ選手のセクシーアピール化が進んでいることはご存知であろうか。

前回の記事「英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手」を読んだ読者の方は気が付いたかもしれない。

欧米では飛込みや競泳など露出度の高いオリンピック競技の視聴率が高いようで,ピーチバレーなどでも際どい姿でセクシーアピールが進んでいるという。

このセクシーアピール,従来は,男性の視聴者を意識したものが多かったようであるが,近年は,女性やゲイの人をターゲットにしているのだというのである。

アメリカ人の友人がいうには,Sex and the Cityというドラマの中である肉食系の女性キャラクターが「まずはゲイ,次に女性よ(First Gays. then Women)」とターゲットにすべき層を語っていたシーンがあるというのであるが,アメリカのショービジネスではまさにこの現象が進んでおり,その余波はスポーツビジネスにも及んでいるという。

その一例が,男子体操選手について上着なしで演技させるようにしてほしいという声があり,ウォールストリートジャーナルによれば,鍛えられた肉体美で新たなファンするため実際に米国の男子体操チームは上半身裸で演技することを提唱したというのである。

実際,ベルニャエフ選手が金メダルを獲得した男子平行棒のエキシビジョン(体操にエキシビジョンがあることを知らなかったが・・・)では,銀メダルを獲得したダネル・レイバ(Danell Leyva)選手が上半身裸となり,会場を沸かせたと報じられている

さらに,驚くことに,日本で賞賛されているベルニャエフ選手も金メダリストしてエキシビジョンに登場し,レイバ選手に呼応するかのように上半身裸になって観客に肉体美を披露した。

現に当該エキシビジョンの動画を見ると,シャツを脱いだ瞬間,歓声が上がっていたことから,この作戦は一定の効果があるのかもしれない。

ベルニャエフ選手もインスタグラムで犬と戯れる上半身裸の写真を投稿するなどしてファンへのセクシーアピールをしている。

Братан встретил как надо 👌🏼

Олег Юричさん(@verniaiev.gym)が投稿した写真 -

2015 12月 8 2:41午後 PST

特に,次の画像は前回ロンドン五輪の際にネット上に出回ったようで当時から可愛いと評判になっていたようである。

Oleg Verniaiev Shirtless image

こうしたファンや観客へのセクシーアピールも競技を続けていくための資金集めには必要なのかもしれない。

4.企業によるスポンサーシップと企業イメージの向上という一石二鳥

さて,話を本題に戻すが,オリンピック精神を支えているのは,ある意味,敗者の潔さとお互いの気持ちを思いやる選手同士のスポーツマン精神であることは明らかであろう。

いかに外野が騒いだところで,武士道にも通じるような潔い選手の姿勢に勝る賞賛は存在しないと思う。

そのうえで私が提唱したいのは,こうした潔い選手に日本企業は2020年に向けてスポンサー契約やCM契約などをし,海外選手を日本でも紹介していくことで企業のイメージアップ効果を狙ってはいかがかということである。

このポイントは,日本でも海外でも知れ渡っているボルト選手やフェルプス選手などのスター選手ではない,あまり知られていないが潔さとスポーツマンシップで名を挙げた選手を起用するという点にある。

特に,一般世間に知られていない中小企業などが,誠実な姿勢で仕事をしていることをアピールするという観点からも,こうしたCMなどが増えれば面白いのではないだろうか

特に,ベルニャエフ選手については,上記の日経新聞にもあったように,日本チームなどとは比べものにならないほど劣悪な環境で練習を続けているという。

演技の際,実況の方が,テーピング代金を稼ぐために大会の賞金を得るために多くの大会で出ているなどのエピソードを紹介していた。こういうエピソードこそ観客としては紹介してほしいし,知る権利に資するために存在するメディアとして果たすべき姿勢であろう。どこかの無価値な知ったかおじさん司会者とは全く違う

日本のインターネット上では,劣悪な環境下でも母国に残ってこれだけの活躍を続ける愛国心に溢れた若きベルニャエフ選手を支援するためにウクライナ大使館寄付したいという声も出ている。

今回のオリンピックが日本とウクライナの関係強化という外交上の効果にもつながるとなれば,オリンピックの意義がまさに体現された瞬間といえるだろう。

こうした動きを日本企業も活用し,現代社会に求められる企業の誠実性,コンプライアンス,倫理観ということをアピールする手段として,こうした選手を支援していくというのは,2020年に東京オリンピックが行われる今,選手のセクシーアピールの傾向とも相まって企業イメージを向上し,新たな顧客層を確保するという点で企業のイメージ戦略として有効なのではないだろうか

また,東京オリンピックはもはやコンパクトなオリンピックは実現できないのであるから誠実さというオリンピック精神を体現したオリンピックを実現するため,許容できないブーイング等が発生した場合の断固とした措置などについても組織員会は武士道の国家として提案してはどうであろうか

今回のオリンピックは,スポーツ界の様々な問題が良く見える大会であった。他方で,今回紹介したような選手個々人の質の高さも感じ取れる大会であった

新渡戸稲造が世界に紹介した日本の武士道の精神は,世界に誇るべき哲学である。

2020年東京五輪では,武士道発祥の国家として,選手の誠実性や潔さがより光るオリンピック精神の実現により近づける大会への改革が進むことを切望したい

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08/20/2016

英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手

4年に一度の平和とスポーツの祭典,オリンピックも終わりに近づいており,やっと寝不足から解消されるという人も多いのではないだろうか。

これまでリオオリンピック関連としては,以下3つの記事を紹介してきた。

  1. SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送
  2. 自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性
  3. リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)

そして,それぞれの記事の中で,以下のとおり私が注目する"光る"海外アスリートを紹介してきた。

  1. 水谷選手や丹羽選手を苦しめた新星ポーランドの卓球選手,JAKUB DYJAS(ヤクブ・ディヤス)選手
  2. 言わずとしてた水の怪物と称えられるマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手
  3. 英米圏やヨーロッパでアイドル的な人気があり,実力も高いトム・デイリー(Tom Daley)選手

特にフェルプス選手が自殺の葛藤からオリンピックで復活したという情報はアメリカメディアのみで報じられていたようで,その話を聞けてより感動したという声があったのはこのブログの趣旨に適うものであり嬉しい声である。

昨日の記事,「リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)」もなかなか好評だったようで,読者からトム・デイリー選手についてもっと知りたいというメッセージが届いた。

そこで,今日は,2つの記事を公開する予定である。

イギリス国民の多くが賞賛し愛するトム・デイリー選手へのに関する話を紹介する。日本ではそれほど知られていないがなぜ彼が英米圏では好かれるのであろうかを紹介したい。

2つ目の記事では,,私が考えるこの大会で最も日本人に注目され,今一番日本人の好感度が高いであろう海外トップアスリートに関する情報などを紹介しようと思う。

まずは前者について書いていこう。

1.男子10m高飛込みでもメダルの予感をさせるトム・デイリー選手

既に紹介したように今大会の男子10mシンクロ高飛込銅メダリストの彼は,10m高飛込みにもエントリーしており,日本時間の8月20日(土) 午前4時から行われた予選では,高得点を連発し,571.85ポイントで予選1位で通過し,2位の中国の選手と7.1ポイントもの差をマークしていた。

彼が人気なのは単にイケメンで,バイセクシャルだというプール以外の話題のためではない。2008年のヨーロッパチャンピオンシップでは最年少の13歳で優勝し金メダルを獲得するなど,小さい頃から注目されていた選手なのである。この年,高飛込みシンクロというペアの競技で年上のBlake Aldridge選手とペアを組むが8位で終わった(個人の高飛込み10目Mは7位入賞)。

この時,ペアを組んでいたAldridge選手が13歳のデイリー選手を批判したことから,彼に対する同情が広がった。

若いデイリー選手を支えていたのは,彼の父親のロバートさんであったが北京五輪での雪辱を果たすべく目指していたロンドン五輪の前の年の2011年,ロバートさんが脳腫瘍で40歳という若さで亡くなってしまう。当時デイリー選手はまだ17歳である。

そのような精神的支柱を失ったにもかかわらず,翌年の2012年のロンドン五輪では,個人の高飛込み10Mで銅メダルを獲得し,雪辱を果たした。この実力が彼の人気を押し上げたようである。

日本で言えば,小さい頃から多くの国民が知っている卓球の福原愛選手だったり,浅田真央選手のような感覚でイギリス国民は彼を応援しているのではないだろうか。

実際に彼の競技を見ると,素人である私が見ても素晴らしく美しい飛込み方をしているのが良く分かる。特に,水の中に吸い込まれるように綺麗に着水するのは他の選手とは大きく違うと今回の予選を見て感じた。

日本時間の今朝行われた予選では,一位通過という素晴らしい成績を残しており,決勝でもメダルが期待できるであろう。

日本人ではこの競技に出場する選手がいないためトム・デイリー(Tom Daley)選手が出場するこの試合の準決勝や決勝はテレビでは中継されないであろうが,日本時間の20日(土)23時と21日(日)午前4時にそれぞれ実施される。

もっとも,動画サイト,「Gorin.jp」では,生中継が見られるだろう。

http://www.gorin.jp/live/

2.人気者の陰でも良いと言える信頼感

さて,昨日の記事でも以下のイギリスの五輪委員会の公式アカウントのツイートを紹介したが,イギリスではデイリー選手とともに銅メダルを獲得したダニエル・グッドフェロー(Dan Goodfellow)選手への同情とメディアの取り上げ方に批判が広がっていた。

どこの国のメディアも人気のある選手ばかりに注目してしまうというのはあるようで,イギリスでは,シンクロというペアの競技であるにもかかわらず,デイリー選手ばかりが注目され,グッドフェロー選手が陰にかすんでしまっているのである。

例えば,多くの雑誌や新聞が銅メダルを一面で取り上げたが,写真はデイリー選手のみだったというのである。

それにはグッドフェロー選手の母親もメディアの取扱いが不公平だと不満をツイッターで述べた。

しかし,当の本人である19歳のグッドフェロー選手は,メディアに対し,「僕はデイリーの陰に隠れているとしてもそれで幸せだよ」と語り,母親にツイッターの使用を禁止したという。

グッドフェロー選手はさらに次のとおり述べており,まさにアスリートとしての器の大きさを感じるエピソードである。

メダルがとれたのは僕とトムの力だけじゃないです。スタッフからの多大なサポートがあったからです。私たちは素晴らしいネットワークでした。メダルにはすべての人が公平に貢献してくれました。

(It isn't even just me and Tom, it is a huge support staff as well. We had a great network. Everyone is equally responsible for the medal.)

お母さんにはもうソーシャルメディアを利用しないように注意したんです。

(I have told my mum to stay off social media from now on.)

海外にもこういう謙虚な選手がいることはもっと報じられてもいいだろう。

実際,グッドフェロー選手は,19歳と若いのであるが,10カ月前にデイリー選手とチームを組む前までは肩の怪我からの回復状況が良くなく引退すら考えたという。

しかし,ペアを組んで直前には4週間寝食を共にし,一緒に生活することでシンクロというペア競技の域を徹底するための努力をした結果,銅メダルを獲得したのである。

グッドフェロー選手は,次のようにも語っている

一緒に生活するっていうのはやり過ぎと思うかもしれないけど,オリンピックのゲームで良い結果を出すためにはベストな努力をしなければいけないんです。だから僕は犠牲を払ったし,僕たちは4週間強固に練習してきました。

(Moving in with each other might look extreme but if you want to do well in the Games you give it your best shot. I made a sacrifice and we trained solidly for four weeks.)

トムとの生活は実際とても良かったです。彼は毎朝朝食を作ってくれるし,家庭的でした。よく面倒を見てくれたし,掃除もしてくれました。結果的に全てにおいて良い結果となりました。

(Living with Tom was really good. He made me breakfast every morning. He is a bit of a domestic god and took good care of me. He is always cleaning. It paid off on all levels.)

このような努力を一人一人の選手が4年間行ってきていることを考えると,なかなか競技後に直ぐ,「4年後に向けてどうですか」と聞くメディアの薄っぺらさを改めて感じさせられるのである

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08/19/2016

リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)

連日2つの記事卓球のポーランドの選手について触れた「SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送」と「自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性」をアップしたところ,ライブドアニュース等に配信されなかなか好評のようであるので,今日もオリンピックの話題について取り上げようと思う。

日本ではあまり競技としては有名ではないものの,今回のリオではおならのような匂いがする緑色の沼として一躍有名になったのが飛び込みであろう。

緑色の原因は,過酸化水素を誤って投入したとのことであるという。

私は化学には詳しくないが薬品を誤って投入するということ自体やはりブラジルのような国家にオリンピックを開催するには荷が重かったのではなかろうか。

大会広報は健康上問題はないというものの,医師が監修したヘルスケア大学のHPによれば,当該薬品はオキシドールとして殺菌剤として利用されているようなものであり,劇物であって皮膚に触れると炎症があるなどとされている。

実際に目がヒリヒリするなどの訴えがある以上,リオ大会責任者はきちんと世界に対し状況をや水質情報を公開するなどしてきちんとした説明責任を果たすべきであろう。

あまり報道されていないが,誤って混入し緑色の金魚鉢のような沼に選手をぶち込ませていた大会は当該薬品の濃度を公開しているのであろうか。

当該HPによれば,

濃度の薄い3~5%程度なら、あまり危険もなく生活に役立つ過酸化水素水ですが、濃度が30%を超えてしまうと劇物化します。濃度の高い過酸化水素水が皮膚に付着すると激痛を感じ、皮膚の色が白くなってしまう白斑(はくはん)が生じます。

そのため濃度の高い過酸化水素水を薄める場合には、保護用の手袋などの防備をして直接触れないよう注意しましょう。万が一、皮膚に付着した場合はすぐに多量の水で洗い流しましょう。

とされており,大会側が健康上問題がないというからそうだろうという報道ではなく,もっと濃度等に切り込んでもらいたい。

いずれにしても,選手がプレーする上で最高の環境を整えるのがオリンピック開催国の責務であろう。この点,リオは開催前から様々な問題が指摘されていた。

そのような中,結果として緑色の沼の中に選手をぶち込ませたり,選手村のトイレの配管がおかしくて糞尿が漏れてくるなどといった話が出ている時点で,近年のオリンピックの中では最も大会環境レベルの低いオリンピックになったのではなかろうか。

実際,イギリスでアイドル的な人気のある飛び込み選手で,リオでは飛び込みのシンクロで銅メダルを取ったトム・デイリー(Tom Daley)選手は,ツイッターで次のようなコメントをし不安をもらいしている。

デイリー選手は,控え目に,「ここ数日間飛び込んでいたものが酷い過ぎるものでないことを祈るよ」といった程度のコメントしかしていないが,世界最高峰の競技をするために必死で4年間頑張ってきた選手に対し,かかる悪質な環境を提供し,極度のプレッシャーの中にいる選手にさらに不必要な不安を負わせるリオ大会は運営委員会としての資質を著しく欠いていたと総括されても文句は言えないだろう。

はっきり言って選手への冒とくである。

ちなみにトム・デイリー選手は,父親を40歳くらいのことに病気で亡すという辛い体験をししているが,ジュニア時代から多くの大会で優勝しており,イギリスのITVが放送した高視聴率番組,「スプラッシュ!(Splash!)」という有名人に飛び込み台から飛び込むというようなバラエティー番組に出ており,その見た目からもアイドル的な人気があることに加え,自らのいじめを受けた過去を公表していたり,自分のセクシャリティーがバイセクシャルであることも公表しているなど少数者の権利保護の観点からも人気がある。

実際,イギリスの五輪委員会の公式アカウントも以下のようなツイートをするなどし,銅メダルを獲得した際の姿を「emoji」でコミカルに応援するなどしており,高い人気を誇っている選手である。

デイリー選手は,10m高飛込みにもエントリーしており,日本時間の8月20日(土) 午前4時に試合が行われる。男子10mシンクロ高飛込銅メダリストの彼がどのような演技をするかも楽しみである。

最近,このダイビングというのは,観客へのセクシーアピールが進んでいるという声もあり,イケメン好きの女子ファンらを増やそうとしているのかもしれない。

さて,話を本題に戻すが,ロンドンオリンピックの印象は開会式のスペクタクルな演出から始まり最後まで印象が良かった。それは,イギリスがアスリートに最高レベルの競技環境を提供できたからではなかろうか。

それはオリンピック開催国としての責務なのであって,プールが沼化してそれをすぐに改善できなかったり(問題発覚当初,水の入れ替えを迅速に行わずそのまま薬品を投入しようとしたり),オリンピックパーク内のカメラが突然頭上から落ちけが人が発生するような事故が起きたり,様々な選手が遭遇したとされる強盗犯罪などの事件・事故が続いているオリンピックは,今世紀で最低のオリンピックであり,ブラジルが三流国家であることを示していると言っても過言ではないだろう。

フジテレビが「リオ五輪 運営めぐる深刻な事故から珍騒動をまとめました。」と題してこれまでの騒動をまとめているが,大会組織委員会のレベルが極めて低いことはこれをみることからも明らかである。

以下,当該記事にあるものを羅列する。

  • オリンピックの公式映像を配信するためのカメラの落下事故
  • ゴルフコースにおけるワニ乱入騒動
  • 女子マラソンでの乱入騒動
  • 緑色の沼プール薬品入れ間違い事件事件
  • 中国国旗デザイン過誤事件
  • ナイジェリア国家取違事件

これ以外にも,麻薬組織との銃撃戦の流れ弾が馬術会場で見つかるなどあり得ない事件が続いていることは,中国で行われた北京オリンピックに比しても酷いと言わざるを得ないのである。

選手に満足な環境を提供できないのであれば開催国として失格である。

この点,米国競泳チームで金メダルを獲得したライアン・ロクテ選手の強盗事件について,狂言疑惑が出ているが,この点も私は本当に狂言なのかは選手が自認しその動機等を述べることがない限り,ブラジル当局の発表を正しいとは判断できないと思っている。

というのも,現地のブラジル人の友人に確認したところ,ブラジルにはFederal,Military,Civilの3種類の警察機能を有する組織があり,Federalは信用できるものの,MilitaryやCivilについては腐敗度が高く,そこまで信用できるかは何とも言えないというのである。

そして,この事件を調べているのはもっとも信頼性が低い,Civilに当たる警察組織であるという。

そもそも,米国の競泳選手に狂言を言うべき動機が判然としない。

他方で,ブラジル人友人の話や米国メディアの報道では,リオ大会組織やブラジルの警察組織は,特に北南米で注目を浴びている本件事件についてその信頼を回復に必死であるようで,狂言として治安が悪いわけではないというアピールをしたいためにきちんと捜査をしていないという声もあるようである。

いずれにしても,この事件が本当であるか否かは別として,現に他の選手や観客の生命・身体に危機が及んだ自体に発展している事件が存在することは事実なのであって,リオ大会についてはリオ大会の運営委員会の責任およびリオを選んだIOCの責任は極めて重い

大会期間中にIOCの理事がダフ屋行為で逮捕されることは前代未聞の大失態であろう。

ロシア選手のドーピング問題が取りざたされているが,ロシア選手の疑義を追及し,避難できるだけの資質をIOCは有していないと言っても過言ではない

オリンピック予算の問題,エンブレム問題,さらには贈収賄問題などが取り正されている東京五輪ではあるが,老害のような爺様連中をしっかりと排除して4年後に臨まなければ,我が国の名声は著しく傷つくであろうこと明らかである。

私が特に頭にきたのは,次のニュースである。

棒高跳び銀のラビレニ、表彰式でもブーイングされ涙

ロンドン五輪の同種目で金メダルを獲得しているラビレニは、IAAFのコー会長をはじめ、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ(Thomas Bach)会長、男子棒高跳びのレジェンドでIAAFの副会長を務めるブブカ氏から激励された。

決勝で無名だったブラジルのチアゴ・ブラス・ダ・シウバ(Thiago Braz Da Silva)に敗れて五輪連覇を逃したラビレニは、表彰式の終了をもって悪夢のような24時間を終えた。

フランスのテレビ局の取材でコー会長、バッハ会長、ブブカ氏と言葉を交わしたことを明かしたラビレニは、「不快だ。フェアプレーの精神が欠落している。ブラジル人全員がそうではなかったということは強調したい。それでも、僕は前に進む」とコメントしている。

決勝で最後の試技に備えていたラビレニに対し、ブラジルの観客は耳障りなブーイングややじを浴びせた

これ程不快な話はないだろう。

はっきり言って民度の問題である。ブラジル国民の民度は三流としか言いようがない。

このような話はどこかの隣国でも起こりそうな話ではあるが,決して2020年の東京でこのような事態は起こってほしくない

オリンピック開催国としての能力がなかったとブラジルのような三流国家の誹りを受けないことはもちろん,やはり日本は最高の競技環境を提供してくれるというような選手本位の大会を開催することこそがオリンピック開催国となってしまった日本の責務であり,重い十字架を我が国は背負わされてしまった

やはり,「さすがは東京!」とロンドン五輪のように世界から賞賛されるためにも,最も支持率が低かった元総理大臣が長を務めるような旧態依然としたメンバーが牛耳っているような現在の組織員会のメンバーの総入れ替えをし,多くの日本人から信頼を受けるようなメンバーが今後リーダーシップを果たしていかなけれならないのではないだろうか

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08/15/2016

自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性

前回の記事「SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送」は好評だったようである。

今日もオリンピック放送,特に海外トップアスリートに関する日本メディアが報じない情報を紹介したい。

31歳になったマイケル・フェルプス選手は,2016年のリオオリンピックでも偉業をさらに更新し6競技で5つの金メダルと1つの銀メダルを獲得した。

現時点までで生涯通算23個のオリンピック金メダル(生涯通算28個のオリンピックメダル)を獲得している。

余談ではあるが,金メダルの数については,「競泳は出場種目が多いからズルい」などとロシア人の友人が言っていたので,私は嫌味も込めて,「ドーピングなどをすることなく,同じ日や近接した日時に予選と決勝に多数エントリーする中で,各種目の決勝にベストコンディションで金を取るんだからその事実だけで凄いのであって出場種目が多いからメダルが取れるというのは失当」と反論したところ,不服そうであったが,納得していた。

このようにアメリカ嫌いのロシア人も羨むマイケル・フェルプス選手の偉業であるが,日本がメダルを獲得できなかったこともあってか,男子400mメドレーリレー決勝に関してはそれほど報じられていない

また,前回のロンドンオリンピックの際にも「マイケル・フェルプス(Michael Phelps) 選手の偉業」との記事で海外メディアの報道を紹介したが,今回のオリンピックでも既存メディアの報道は,彼がいかに苦悩し,一時は自殺まで考えたものの,その失敗を再度乗り越え,この偉業を成し遂げたかにつき。あまり言及しておらず,深くないものばかりである。

そこで,海外メディアがどういう話を報道しているのか少し紹介しようと思う。

1.自殺まで考えたフェルプスの苦悩と復活

その前にフェルプス選手がいかに過酷なトレーニングをしてきたのかがわかるUnder Armourの動画を紹介したい。非常にレベルの高い美しい映像である。

この動画や彼の活躍だけを見ると,彼は完璧な人物のように見える。

しかし,私はフェルプス選手が怪物のような偉業を達成するような超人である一方で,人間らしさを持っている所が好きである。

トップアスリートとして君臨することのプレッシャーは私には想像を絶するが,そうした人間らしい弱さがあり,法違反なども犯してしまっているものの,その都度反省し乗り越え更なる偉業を更新してきたことはやはり賞賛に値すると思う。

以下の動画は,米国のスポーツニュースチャンネルESPNの「The evolution of Michael Phelps」というものであるが,個々でも触れられているとおり,彼は人生において,3度の大きな過ちを犯している。

1つ目は2004年に酒気帯び運転で逮捕されたことである。

2つ目は北京オリンピックの6か月後に報じられたマリファナ用水パイプを吸う写真の流出である(刑事としての立件も逮捕歴も本件についてはない点を言及しておく)。

そして3つ目が2014年9月に再び基準値の2倍(メリーランド州は0.08%が基準であるとところ,0.14%だった。ちなみに日本は呼気0.15mgで酒気帯びであり,血中濃度では0.04%程度で酒気帯びとなる)となる酒気帯び運転で逮捕されたことである。

上記3度の過ちは,彼の精神的な不安定さによるものだとされているが,これは9歳の際に両親が離婚し,その後,父親が自分の競泳イベントなどに約束したにもかかわらず表れなかったり,15歳の時に何の前触れもなく新しい奥さんを連れてくるなど自分のことを考えず,むしろ自分を捨てたと感じてきたという親子の感情に起因しているという。

このうち,特に注目すべきはロンドンオリンピックで偉業を達成した後の転落とそこからの反省とリオでの復活であろう。

ロンドン五輪の後,彼は彼自身が成し遂げた偉業の重みから一時的に競泳を離れ,パーティー三昧をし,30パウンドも体重が増え,プールの外での自分の存在価値を見いだせずに"自由"を謳歌し,現役選手としての生活からは遠ざかった結果,2014年9月30日の早朝酒気帯び運転で再び逮捕されるという過ちを犯してしまった。

しかし,彼がやはり凄いのはそこから反省し,自分の弱さを克服し金メダル4つと銀メダル1つを取る偉業により,再びリオ五輪の場で世界を熱狂させた点である。

この2度目の失敗の際,ボブ・ボーマン(Bob Bowman)コーチも,これがマイケル・フェルプスとしての最後であり,マイケル・フェルプスの偉業はここで終わったと感じたと述べている。

この最悪の状況から彼を救ったのは,元アメリカンフットボールのボルティモアのチーム「Ravens」のRay Lewis選手と彼がフェルプス選手に渡した1つの本であったという。

Lewis選手やフェルプス選手の親しい友人はアリゾナ州フェニックスの郊外にある「The Meadows」というリハビリ施設に入ることを強く勧め,45日間,セラピーを受け,その合間にオリンピック選手にしては,2回のストロークで対岸に届いてしまう狭いプールで練習をしながら,内に秘めた弱さに向き合うリハビリをした。

また,Lewis選手が渡した「The Purpose Driven Life」という本が彼を救ったと語っている。

非常に面白いと感じたのは,この本を読んでフェルプス選手がこの地球上に自分が存在する意義(生きる目的)を感じ取ったという点である。

オリンピックで数多くのメダルを取り,世界中から認識され賞賛された選手でも,9歳の時のトラウマや度重なる自分の過ちなどから自分の存在を無意味に感じ,この本で自分の存在意義を再認識したというのだから,その人間らしい弱さを持っている点に驚いた

当時,フェルプス選手は自殺すら考えていたともいわれており,この本が彼を救ったとされている。

ESPNのインタビューでフェルプス選手は次のように述べている。

自分がいない方が世界が良くなると思った。それが最善のことだと思ったんだ。自分の人生を終わらせることが。

("I thought the world would just be better off without me," Phelps admitted. "I figured that was the best thing to do — just end my life.")

我々はトップアスリートになればなるほど精神的に図太く強くなるのではないかと思いがちだが,本当は孤独感や競技以外の場での自分の存在価値などを見いだせなくなったり,自分を追い込んでしまって精神的に逆にもろくなるのかもしれない

この本が契機となり,フェルプス選手は父親のフレッド氏との関係を再構築するに至っている。

ファミリーウィークというものがあるそうで,当初フェルプス選手は,父親に拒絶されることを恐れ,父親を呼ぼうとは思っていなかったそうであるが,この本を読み自分の長年の感情と向き合うために,父親を呼び長年の想いをぶつけたという。

その結果,長年の精神的な弱さの原因となっていた父親との関係を少しずつではあるが再構築でき,子どもが生まれたこともあって精神的にも克服したようです。

生後4か月の息子のブーマー君も今回はリオで観戦していた。

バタフライ100mの結果の直後に見つけた写真であるが,銀メダルは不満なのだろうか。険しい顔をしているのが愛らしい。

引退を表明しているフェルプス選手であるが,4年後,物心がついたブーマー君にフェルプス選手はその雄姿を見せたいと思うことはないのであろうか

2.東京オリンピック出場の可能性

注目すべきは,ライアン・ロクテ選手や母親のデビーさんが以下のとおりNBCの取材に対して述べている

ロクテ選手はNBCの「Today」という番組でフェルプス選手は2020年の東京オリンピックのプールにいるだろうと述べた。彼は4年前にフェルプス選手が引退を示唆した際にも同じ予測をし,それが当たっている

(Lochte guaranteed on NBC's “Today” show that Phelps will be in the pool at the 2020 Games in Tokyo. He made the same prediction four years ago and was correct.)

さらに,フェルプス選手の母親であるデビーさんも東京でのオリンピックの舞台へのカムバックについて,「そうなれば素晴らしいわ」と述べている。

(Even Phelps' mom, Debbie, got in on the act, telling NBC a Tokyo comeback “would be wonderful.”)

人間らしい弱さを克服しながら31歳でこれだけの偉業を成し遂げるのであるから,私はフェルプス選手には人間の限界に挑戦し,35歳でも金メダルを取り続け,本当の「絶対王者」として東京でもその雄姿で日本を沸かせてほしいと思うのは私だけではないだろう。

日本のメディアも折角来年東京でオリンピックを行うのであるから同じようなインタビューなどを繰り返すだけでなく,日本人選手以外の世界のアスリートを紹介したり,日本人選手のフェルプス選手のような人間らしい弱さとそれをどう克服しているのかといった深い報道をしてほしい

なお,以下の動画は,アメリカ五輪競泳チームが公開した車中カラオケである。選手の人間味が伝わってきて面白い。

また,フェルプス選手は全ての試合後にフェイスブック上でLive Streamを行いファンの質問やコメントに答えている。ちなみにPokemon Goはやっていないが選手村ではかなりの数の人がやっており「クレイジー(Crazy)」と述べていた。

このあたりも日本のように管理されすぎない選手の自由さがあるからこそ,アメリカにはフェルプス選手のような水の怪物と称される偉大な選手が生まれるのかもしれない。

ちなみに,フェルプス選手の絵文字もあるようである。

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08/11/2012

オリンピック精神に欠ける低俗な言動が残念

連日のロンドンオリンピックを見て寝不足気味であるが、今回のオリンピックは、開会式から前回大会以上に面白い。

特にロンドン五輪は、時差がある関係上、夜中に眠い目をこすり、時差を感じながら世界中が注目するオリンピックの試合を楽しむということで、オリンピック観戦感が一際増す。

しかしながら、残念なのは、色々なところから、オリンピックの結果等に関して、オリンピック精神に欠ける低俗な言動が見受けられることである。

これは何も今回の五輪に限ったことではないが、毎回、こういった低俗な発言が出てくるたびに、残念な気持ちになる。

私が特に低俗だと感じた発言等は3つある。

1つは、東京都の石原都知事による柔道負け犬の遠吠え発言。

2つ目がブラジルサッカー女子監督の負け犬の遠吠え発言。

そして、3つ目が韓国メディアによるサッカー英国言いがかり発言である。

なお、これらは私が勝手に命名したので、一般的に認知されているものではない。

まず、石原柔道負け犬の遠吠え発言を伝える記事を紹介したい。

石原都知事「西洋人の柔道はけだもののけんか」

 東京都の石原慎太郎知事(79)は3日の定例会見で、ロンドン五輪で柔道勢の苦戦が続いていることについて「西洋人の柔道ってのは、けだもののけんかみたい。(国際化され)柔道の醍醐(だいご)味ってどっかに行っちゃったね」と話した。「ブラジルでは、のり巻きにチョコレート入れて食うってんだけど、これはすしとは言わない。柔道もそうなっちゃった」と述べた。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120803-OHT1T00324.htm

仮にも2020年東京オリンピック開催を目指して、多額の税金を湯水のごとく使っている首長が言うべき発言であろうか。

かかる発言は負け犬の遠吠え以外の何物でもない。

彼のいう柔道の醍醐味というのは、一本をきれいに決める柔道のことなのだろうが、そうすると、相手の反則で金メダルを獲得した松本香選手の試合は、「醍醐味はどっかに行っちゃった」から、評価できないということにでもなるのだろうか。

私は上記の石原発言のような思考方法が日本の柔道を衰退させている張本人であり、内弁慶な議論しかできない人間の典型であると思う。

かかる人物が首長として在職している都市で、誰がオリンピックを開催したいと思うのであろうか。

彼の発言は、フェアプレーを志向し、全力で戦って、敗者は勝者を讃えるというオリンピック精神に著しく反するものである

かかる発言は、我が国の品位を損ないかねない極めて許し難い発言であり、こういった首長がいつまでも首都東京の長であることは東京の民度そのものが下がっているといわれても仕方ない。

この極めて低俗な発言が2020年オリンピック開催を主張し、多額の税金を使っている首長から出てきた事実は看過できない重大なものであり、この失言の重大性を我々は強く認識しなければならない。


2つ目の発言は、ブラジルサッカー女子監督の負け犬の遠吠え発言である。

五輪サッカー女子 なでしこ称賛より落胆の声 ブラジル監督「悲劇だ…」 (2/2ページ) バルセロス・ブラジル監督の話

 「われわれはたくさんの好機をつくったが、得点できなかった。相手は守備的に戦って2点取った。悲劇だ。日本がきょうのような(守備的な)プレーを続けるなら、優勝候補と呼ばれるにはふさわしくない」(共同)

http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/120804/cpd1208041401003-n2.htm

なんとも非論理的な発言である。守備的に戦って2点も取るのであるからむしろ、このスタイルから学ぶべきだろう。守備をしないから2点も取られたのではなかろうか。守備をしたら優勝候補と呼ばれないというのはまさに論拠のない負け犬発言であろう。

負けた方は真摯に相手を讃える姿勢がオリンピック精神ではなかろうか。

3つ目は、韓国メディアによるサッカー英国言いがかり発言である。

準々決勝で、韓国がイギリスに勝利したことはご存じだろう。

「サッカー宗主国」を自負する英国が準々決勝を控え、サッカー韓国オリンピック(五輪)代表に妨害行為を続けている。
2012年08月04日12時28分
[ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版]


韓国チームは4日未明(以下、日本時間)、カーディフ大学のスポーツフィールドへ行って練習をした。宿舎であるカーディフのマリオットホテルを出発して練習場に到着するまで、40分近い時間を道路上で過ごした。停滞する時間帯ではなかったが、普段の2倍以上も時間がかかった。代表チームのバス運転手は「英国ではバスが大きな道路しか走れないので時間がかかる」と説明した。しかし練習を終えてからホテルに戻るには10余分ほどしかかからなかった。

前日、韓国チームがロンドンからカーディフに移動する過程でも釈然としないことがあった。選手を乗せたバスは5時間近く走ってカーディフに到着した。ロンドン市内の停滞区間を通過するのにかなり時間がかかった。バスに乗っている時間が長くなり、選手の疲労は加重した。しかし代表チームのバスを除いた他の車の移動時間は3時間以内だった。ロンドンからカーディフまで自動車で移動した韓国の取材陣は「ナビゲーション通りに走ったところ3時間でカーディフに到着した。特に停滞している区間もなかった」と証言した。

大韓サッカー協会のある関係者は「バスの運転手がわざと移動時間を長引かせたようだ。物証はないが心証では確実だ」と憤りを表した。また「公然と『韓国は眼中にもない』と叫ぶ英国がこんな方法を使うのにあきれる」と声を高めた
http://japanese.joins.com/article/914/156914.html?servcode=600§code=670

これほど言いがかりという報道を見たことがない。

心証の意味すら分かっていない。何ら証拠がないのに心証を形成できるのがそもそもおかしいのである。

これほど低俗な内容ををタブロイドではなく、中央日報という大手メディアが報じているのだから驚きである。

自らの品位を自ら傷つけ、自国チームの勝利を歪んだものにしていることにすら気がついていないのであろう

極めて低俗なメディア報道である。

この韓国メディアの報道も石原発言も根本は同じである。

オリンピック精神どころか、スポーツマン精神のかけらすらなく、自分が応援しているチームを勝たせたいという気持ちしかない

そんなレベルの低い人間は、そもそもオリンピックを見る資格がないだろう。

オリンピック観戦が面白いのは、4年に一度しかない大会において、そろぞれの選手が様々な境遇におかれながらも一生懸命訓練し、そして、我々が想像できないプレッシャーの中、自分のやってきたことを信じて、力を出し切りる姿を見ることができるからである

これがオリンピックの醍醐味ではなかろうか。

今回、アメリカ柔道に初めての金メダルをもたらしたカイラ・ハリソン選手は、幼い時期に柔道のコーチから性的虐待を受けながらも、それを乗り越え、柔道を続けた結果、アメリカ柔道に初の金メダルをもたらしたという。

アスリート個人が様々な境遇を乗り越え、努力を続けてきた結果、達成することができる瞬間を目撃できるからこそ、オリンピック観戦は他の国際大会とは違う醍醐味をもたらしてくれるのであろう

こうした視点すらなく、「西洋人の柔道はけだもののけんか」などと称する人間にオリンピック開催都市の首長という栄誉を受ける資格は到底ないだろう

日本のメディアは、金メダルが少ないとかいう話に終始するが、私はもっと予選敗退した選手でもいいので、彼らがどういう努力をして、オリンピックの場に立つにいたったのかを報道してほしい。

特に、レスリングで金メダルを取った小原選手のうつ病からの復活は色々な人を元気づけることができるエピソードになるのではなかろうか。

ただ、メダルに関わらず、オリンピックアスリートの努力についてもっと特集をするなどして報道することで、スポーツに限らず、我々はいかに日々の努力が大切であるかを再認識できるし、それこそ、今、いじめ問題を抱える小学生、中学生、高校生にとっては、素晴らしい教育教材になるのではないだろうか



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08/05/2012

マイケル・フェルプス(Michael Phelps) 選手の偉業

アメリカの競泳男子の金メダリスト、マイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手が、北京オリンピックの8種目金メダルに続き、ロンドンオリンピックでは、3種目3連覇、通算22個目のオリンピックメダル獲得という歴史的偉業を成し遂げたが、皆さんはその瞬間を目撃したであろうか。

NHKのウェブサイトでは動画が出ているのでぜひ見ることをお勧めしたい(男子400メートルメドレーリレー決勝表彰式)。

私は、残念ながら、女子バトミントン終了あたりで眠ってしまい、ライブでの瞬間を目撃することはできなかった。

フェルプス史上初 3種目3連覇「楽しかった」 ロンドン五輪競泳

男子100メートルバタフライはフェルプス(米国)が51秒21で3大会連続優勝し、すでに史上最多だった通算の金メダル数を17に伸ばした。フェルプスは200メートル個人メドレーと、米国のメンバーとして出場した800メートルリレーでも3大会続けて金メダルに輝いており、史上初の3種目3連覇となった。女子200メートル背泳ぎは17歳のフランクリン(米国)が2分4秒06の世界新記録で制し、100メートル背泳ぎとの2冠を達成。同800メートル自由形は15歳のレデッキー(米国)が8分14秒63で勝った。

 17度目の表彰台の真ん中で、怪物の目に光るものがあった。五輪後に引退するフェルプスは、個人種目では最後のレースを制し「最後に勝てたことが純粋にうれしい。楽しかった」と穏やかな笑みを浮かべた。

 前半は出遅れ、50メートルを8選手中7位で折り返した。そこから、両手を広げると2メートルを超すリーチを生かしたダイナミックなストロークで猛烈な追い上げを見せた。残り25メートルを切って頭一つ抜け出し、トップでゴールすると、万雷の拍手を気持ちよさそうに浴びた。

 8冠に輝いた北京五輪と違い、ロンドンでのテーマは「できる限りのことをする」。結果が4年前に及ばないことは目に見えていたが、バウマン・コーチは「どんな結果でも彼の伝説は汚れることはない」と挑戦を後押しした。いずれも3連覇が懸かっていた4つの個人種目を泳ぎ切り、2種目を制した。「いろいろな思いがこみ上げてきた」。完全燃焼だった。
http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/08/05/kiji/K20120805003838061.html

アメリカのニュースメディアは、この偉業について、「本当に最後の金メダル(One Last Gold)」と題して、大きく報じ、この動画のように彼の歴史的偉業を讃えている。

フェルプス選手は、実に18個のオリンピック金メダルを取り、22個のオリンピックメダルを獲得した。

ロンドンオリンピックでは初戦の400メートル個人メドレーで4位となり、不調と報じられたが、結果は、100メートルバタフライで金、200メートル個人メドレーで金、800メートル自由形リレーで金、400メートルメドレーリレーで金と、金メダルを4つ獲得し、200メートルバタフライと400メートル自由形リレーで銀メダルを獲得し、ロンドン大会だけで、金4つと銀2つの6つのメダリストに輝いている。

アメリカではフェルプス選手が27歳であることから、まだ2大会位はできるのではないかと引退を惜しむ声もあるようだが、当人は、「30歳になったら泳ぐのを絶対にやめるんだと自分に言い聞かせてきた。30歳の人を悪く言うわけではないけれど、それを自分にずっと言い聞かせてきた。あと3年後には30歳になる。だから、今後3年間を泳いでいきたいとは思わない。(I told myself I never want to swim when I’m 30.No offense to those people who are 30, but that was something I always said to myself, and that would be in three years. I just don’t want to swim for those three years.)」と述べている。

ガーディアン紙電子版は、「先に進む時(It's just time to move on)」というフェルプス選手の言葉を題名にして動画を配信している。



動画の最初に、フェルプス選手は、表彰台に上がった時の気分について、「表彰台に上がると直ぐに涙が溢れてくるのを感じた。チームメイトのネイサン(Nathan Adrian)に、『やばい。涙が出そうだ。』と言ったんだ。泣かないように我慢したけど、結局、なるようになると思って我慢するのをやめたよ。」と語っている。

私は昔、フェルプス選手の食事量に関する記事を読んで驚いたことがある。

彼は、1日に1万2000カロリーを摂取するという。これは20代男性の摂取カロリー量の目安が1800くらいであるから、実に10倍に近い。

朝食は、3つのフライドエッグ、フライドオニオン、レタスとトマト、さらにはチーズとマヨネーズたっぷり入ったサンドイッチを3つ食べ、さらに2杯のコーヒー、5つのオムレツ、あらびきトウモロコシをボール1つ、フレンチトースト3切れ、チョコレートのチップスを3袋を食べるというのであるから凄まじい。

さらに、昼には、トマトソースパスタを1皿、大きなハムとチーズ、マヨネーズが入った2つのサンドに、1000カロリーのエナジードリンクを飲む

そして、夕食は、同じくトマトソースパスタに、6~8切れのピザを食べ、エナジードリンクを飲むというのである。

あの強靭な肉体を作るには、これだけの食事を消費できるだけの運動量もの努力があるのだろうが、それにしても本当に驚きであった。

ガーディアン紙の記者が実際にその食事を食べてみるという企画の動画を見たが、実際の量を見ると愕然とする。

ただ、これはフェルプス選手だけではないという。アメリカのライアン・ロクテ選手も、朝の練習後の朝食では、パンケーキや、ベーグル、シリアル、ワァッフル、卵を食べるというから、かなりの高カロリーの朝食である。

イギリスのデイリーメール紙電子版は、栄養に関する専門家の話として、男子の水泳選手は1日6000カロリーが必要とされるが、フェルプス選手のレベルであるとそれ以上のカロリーを消費する練習量をこなしているから代謝により直ぐ消費してしまうというコメントを紹介している。

それにしても、フェルプス選手の偉業は素晴らしい。ガーディアン紙電子版も、「さようなら、マイケル・フェルプス。前人未到のオリンピック選手(Farewell Michael Phelps, the Olympian beyond comparison)」と題して、彼の偉業を讃えている。





フェルプス選手は過去に酒気帯び運転で罰金を受けたり、2009年頃には、水たばこの器具(たばこの他、マリファナにも使用される場合がある)を使っている写真が流れるなどして、多くの失敗も経験している。後者については、実際にマリファナを吸引したのか否かはハッキリしておらず、何ら罪に問われていないが、これにより主要スポンサーであるケロッグが契約を打ち切るなど強い批判にも晒された。

そうした失敗がありながらも、逆境を乗り越えて、前人未到の記録を打ち立てるのは本当に称賛に値する

面白いのは、上記ガーディアン紙の記事にあったフェルプス選手が水泳を始めた7歳の頃、彼が水に顔をつけるのを怖がり、背泳ぎしかしなかったという点である。その後、11歳の時に、長年のコーチとなるボブ・バウマン(Bob Bowman)氏と出会い人生が変わったという話である。

フェルプス選手が7歳の時に父親が家を出て行って、いわば母子家庭であったが、バウマンコーチが父親のようや存在になっていった

そして、最後のレース直前、ウォームアップのためのプールに入っていたフェルプス選手は、バウマンコーチに、「最高の水泳選手になることができたのは、ここまであなたと一緒にやってこれたからです。」と感謝の言葉を伝えたところ、コーチは涙を流しながら、「ずるいぞ。プールの中にいるなんて」と応え、フェルプス選手は、「はい。僕の涙はゴーグルに隠れて見えないけど、コーチは涙が流れてますよ。」というやり取りがあったとフェルプス選手はガーディアン紙に語ってる。

歴史的瞬間の直前にあったこういった選手の人間ドラマがオリンピックの素晴らしさではないだろうか。


アメリカメディアもこの話題を取り上げており、フェルプス選手はバウマンコーチについて、「彼がしてくれたことがなければ、今僕はこの場になっていないでしょう。この15年間、クズみたいな僕にずっと我慢して面倒を見てくれた彼に心の底から感謝しているし、愛しています。文字とおり、感謝してもし尽くせません。」と語っており、これほど偉大な選手も一人では成功できなかったことが良くわかる。

フェルプス選手は元々、注意欠乏多動性障害という発達障害を持っている。簡単に言うと、1つのことに集中できず、色々なものに注意がいってしまって落ち着きがないといわれる症状である。

そして、これを克服するために水泳を始めたと言われている。

また、幼くして父と別れ、母子家庭で成長し、成功だけでなく、失敗もしてきた。

しかし、逆境を乗り越えるその姿こそある種の人間味があり、魅力がある
若干27歳ではあるが、彼の競泳人生から、我々も学ぶ点が多くあると思う。

ぜひともNHKには、まさに歴史に新たな1ページを書き込んだフェルプス選手の偉業をNHKスペシャルかなんかで取り上げて、日本の学生に向けた教育教材にしてほしい

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07/31/2012

判定結果の妥当性と日本のナイーブさ

今日は、話題となっている柔道66キロ級の準々決勝戦について、柔道の素人として、柔道論やスポーツ論ではなく、法制度論(ルール論)・法解釈方法論(ルール解釈方法論)という視点からこの問題を取り上げてみたい。

最初に断っておくが、私の柔道経験は、学生時代の体育教育で嫌々やっていたという程度である。したがって、「柔道を知らない奴が何を言う!」という批判は織り込み済みである。

今回、審判委員(Jury)による介入が今まで以上の行われているという点に、様々な賛否が上がっているのはご存じだろう。

審判委員(Jury)が積極的に介入している理由は、結果の妥当性確保にあり、それが審判委員(Jury)による介入の正当化の最大の根拠である。

司法判決もスポーツの判定も、最も重要視される価値は結果の妥当性ではなかろうか。結果の妥当性に疑問が生じれば、どのような判断であっても、座りごこちが悪いものになってしまう。

この点、司法判決の場合は、論理的一貫性という点も重要視されるので、結果の妥当性が劣後する場合もあるが、スポーツの判定は、結果の妥当性が最大の価値ではないかと思われる。特に、オリンピックのような4年に1度しか開かれない国際大会においては、結果の妥当性が確保できない判定は、疑惑の判定として、次世代に語り継がれてしまう

それが、シドニーの篠原戦の判定であり、今回の審判委員(Jury)の介入の契機になった出来事でもあると認識している(これはあくまで素人的認識でしかないが…)。

したがって、審判委員(Jury)の役割が結果の妥当性の確保という点にあるとすれば、今回の大会における介入の当否については、審判委員(Jury)の介入により訂正された判定の結果が妥当であったかという点から論じられるべきであろう。

あくまで素人目でしかないが、平岡選手の決勝戦における一本への変更について、私は結果として妥当の判定であったと思うし、海老沼選手の判定が青3本から白3本に変わった点についても、結果として妥当であったと認識している。実際のところ、試合の流れが止まるという批判はあっても、訂正結果が著しく不当といったような批判はほとんど聞かない

日本のメディアでは、審判(Judge or Referee)の旗判定が審判委員(Jury)により覆されるという過去に例がないという点に終始して議論がなされているが、過去に例があるかないかという点は、特にスポーツの判定においてそれほど重要な点ではないのではなかろうか。

司法判断においてでさえ、過去の判例を参考とはするが、事件が異なる以上、過去の判例の金太郎あめ判断では、上級審でひっくり返されてしまう。

個々の事件の具体的事実に即した判断が重要なのであって、過去に例のない判断であるのは、その結果当然ありうることだろう。

以上のような視点から、今回の審判委員(Jury)の介入後の判定について、素人目で見たり、調べたところによると、判定の結果の妥当性そのものに投げかけられている疑問というのは少ないように思う。

むしろ、審判委員(Jury)による介入後の訂正結果はビデオ判定によるものであるため、公正さが担保されており、結果の妥当性の確保という点は成功しているのではなかろうか

日本のスポーツを見ていると、良く、「審判の判断は絶対」という言葉を耳にする。良くも悪くも日本人の気質を表している言葉だろう。

日本人が美徳とする潔さという反面、対外的に主張すべきことをせず泣き寝入りするという姿を表している言葉である。

しかし、柔道がもはや国際スポーツとして、取り行われている以上、審判の判断に疑問があるのであれば、それをしっかりと主張していく姿勢が重要であろう。

そして、国際連盟等において、国際的な合意形成がされたルールの中で、そのルールを最大限活用して、勝利を目指すという姿勢が、国際スポーツのあるべき姿ではなかろうか。

この点、日本の選手団が今回の旗判定に抗議を示し、それを会場が後押ししたのは、ある意味重要な変化だったのかもしれない。

元柔道選手の山口香さんは、今回の海老沼選手の準々決勝戦での出来事について、「審判を含む競技役員の間の微妙な上下関係が本来あるべき審判の姿をゆがめている、といったらいい過ぎだろうか。」と強く審判委員(Jury)の介入を批判するコラムを産経新聞に掲載していた。そして、あるテレビ番組では、「ジュリー(審判委員・Jury)の権限がどこまでなのか明確でない」と批判していた。

この点、私は柔道の素人なので、彼女の批判が柔道論に照らして妥当なのか否かは分からない。

しかし、法(ルール)解釈の一般原則からすれば、彼女の主張は失当である。

審判委員(Jury)の訂正アドバイス権限について、ルール規程上、明文による拘束がないとすれば、それは裁量権が広範に及ぶことを意味し、事実誤認や社会通念上の妥当性を著しく反するような権限の逸脱・濫用といえるようなことがない限り、広範な自由裁量が及ぶことを意味する。

したがって、審判委員(Jury)は、判定には口出しをしてはならないという明文がない以上、判定に影響を与えることであっても、アドバイスが可能であることを制度上認めていると解釈するのが相当である。

さらに、結果の妥当性を確保するために、審判委員(Jury)が導入されたという趣旨に鑑みれば、判定に影響を及ぼす指示を審判委員(Jury)のアドバイスを行うことはその職責に照らし当然なされなければならないことを意味する。

これは柔道に限らず、ウェイトリフティング等審判のほかに審判委員(Jury)を置く多くの競技において、結果の妥当性が追求された結果、制度としての「審判の判断は絶対」という格言が過去のものになったことを意味するのではなかろうか。

海外メディアの報道によれば、今回の判定の覆りについて、国際柔道連盟のジャン・リュック・ルージェ事務局長は、「審判団は判定を変更しろとは言われていない。彼らは単に、海老沼による攻撃(注:おそらく有効が取り消された攻撃のことであると思われる)について判定において考慮するように指摘されただけある。当初、その点について審判団は判定の考慮要素して漏れた状態で判定していたが、その点を再度考慮して判定を変更した。(原文:The referees weren't told to change their minds, they were merely reminded about an incident (an attack by Ebinuma that could have scored) that should have influenced their decision. It had escaped their minds but having reconsidered it they then gave their modified verdicts)」と述べている。

面白いのは、「今回の事件が国際柔道連盟にダメージになるか」という質問に対して、「連盟がダメージを受ける方が、(誤審が訂正されないことにより)柔道がダメージを受けるよりマシである。」と答えている点である。

このコメントは、国際柔道連盟が、いかに判定結果の妥当性を重視しているかを如実に表れているといえるだろう。

加えて、審判委員につき、「ジュリー(Jury)」という言葉が使われていることも、重要な点である。

「ジュリー(Jury)」とはオックスフォード辞典によれば、「a body of people (typically twelve in number) sworn to give a verdict in a legal case on the basis of evidence submitted to them in court:」と定義される。

つまり、陪審員を意味する。

司法制度からいえば、審判という言葉の「Judge」は訴訟指揮を行う者であり、陪審員(Jury)は、有罪・無罪、勝訴・敗訴という裁定を決定する者である。

この陪審員と同じ言葉が、審判委員に使われているという点からすれば、判定の責任者が審判(Judge)から審判委員(Jury)へと移り変わり、いわば、審判(Judge)は相撲で言う行司のように、試合の指揮をするだけの役割へと変貌するということが既に明確な流れになっていたのではないだろうか

こうした国際社会の動きに疎く、大会になって初めて、「審判が絶対だったはず」とか、「審判委員(Jury)が介入し過ぎる」とか、「ボイコットしろ」とか言っている姿を見ると、スポーツについては素人であっても、法解釈的見地からすれば、なんとも「井の中の蛙」というか、内弁慶というか、「何を今更?」と思ってしまう

さて、今回の記事において、私が日本がナイーブ(世間知らず)だと題した理由は、日本が、とりわけ、日本のメディアが、制度変更後、試合になって初めて内弁慶的な議論に終始する点である。

そもそも、国際大会が実施される前に、国際連盟等において、ルール改正等は徹底的に議論されているはずではなかろうか。そうであるならば、今回のように審判委員(Jury)の介入が増えることは当然もっと前に認識していなければおかしいだろう。

この点、日本がそのような議論の過程において、交渉力を発揮して、自国の選手や自国のスポーツ促進に有利になるような主張をしていくことができていないのは、柔道に始まったことではない

そして、ルール改正がされ、自国の選手の良さが発揮できない制度であることを試合を通じて初めて認識し、「おもしろくない」、「これは柔道でなく、JUDOだ」と内弁慶な主張をする。

これでは、一生懸命頑張っている選手にかわいそうだと思うのは私だけだろうか。

日本のスポーツ連盟は、国際的な交渉力が一切ないOBや無能な政治家等により構成されていることが多く、自国選手の良さを発揮できるための交渉力という点が著しく欠如している。

元選手というのは、その道に精通している反面、それだけしか知らないという場合も多いだろう。

国際的な交渉の舞台で活躍してる人材を積極的に連盟に取り入れ、日本の選手が彼らの持ち味を最大限発揮できる土壌を作って初めてスポーツ連盟の役割が果たされたと言えると私は思う

自国選手がその持ち味を最大限発揮できるルールと土壌を作るという根本的義務を果たしていない連盟役員はスポーツの振興においてお荷物以外の何物でもない

スポーツ連盟が元選手の天下り先になっているという実態が変わらなければ、今後、日本の良さを発揮できるスポーツがどんどん減り、結果としてスポーツ力が衰退するのではないかとの危惧を感じてならない。

今回の出来事は、日本人があらゆる場面において内弁慶な姿勢を改め、国際的な交渉力をいかに高めていかなければならないということを痛感させてくれる良い契機になったと思う。

なお、個人的には、66キロ級は、イギリスのオーツ選手を応援していたので、メダルに届かなかったのは残念であった。





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07/29/2012

イギリス文化の国際的発信力を知らしめた過去最高の開会式

日本時間の28日土曜日午前5時からロンドンオリンピックの開会式が日本でも放映されたが、どれくらいの人がこれを生放送で見たのだろうか。

以下の動画は、ガーディアン紙インターネット版より。






ノーカットを生で見たり、録画していた人はラッキーであったと思う。残念ながら、私自身はノーカットの生放送は途中からしか見ることができず、録画も忘れていたため、色々カットされてしまっていた再放送とネットの動画で補完しながらしか見ることができていないが、今回の開会式は本当に素晴らしかったと思う。

おそらく、4年後も印象に残っていると思われる開会式であった。

そんな感銘を受けたのは私だけかと思ったが、オリンピック観戦のプロの同様の感想を発見したため、やはり多くの人に感銘を与えた開会式であったのだろう。

五輪おじさん・山田氏「120点!過去最高の盛り上がりだ」

(デイリースポーツ)2012/7/29 7:48

「ロンドン五輪開会式」(28日、五輪スタジアム)

 団長の山田です。いやぁ最高の開会式でした。夏季五輪の開会式は1964年の東京から今回まで13大会連続で皆勤賞の私ですが、ロンドンは世界一盛り上がった。“開会式ウオッチャー”として祭典を採点させていただくと、今回は100点満点の120点ですよ!

 日本がボイコットした80年モスクワ五輪で、私はロシア語で「ミルユードルジバ(平和と友好)」と叫んで思い出が深いけど、ロンドンはさらに素晴らしかった。

 何より企画が素晴らしいよ。聖火を船で運んだり、女王陛下が007の音楽に乗ってパラシュートで飛び降りたり、モハメド・アリさんが登場したり。私、アリさんにはロサンゼルス五輪でサインをもらっていて、懐かしかった。大変な闘病生活だけど当時の面影があったよ。

 とにかく英国はやることが斬新だ。私は98年の長野五輪で大相撲の力士を開会式に参加させる企画を出した。英国も伝統と新しいアイデアの共存がある。20年招致を目指す東京も、そこを学ばなければいけないね。

 トリは70歳のポール・マッカートニーさん。私が五輪に目覚めた東京とメキシコの間の66年に、ビートルズの一員として来日されましたが、今回、初めて生で歌声を聴いた。なかなかどうして、たいしたもんだよ。

 会場の外ではフランス、米国、スロベニア、中国など世界中の人に囲まれて記念撮影。「ロンドン、バンザ~イ!1、2、3、ラッキー!」と叫んだ。「チーズ」じゃなく、「ラッキー」の方が最高の笑顔になるからね。86歳にしてこの場に来られて、ほんとに私は「ラッキー」ですよ。

http://london.yahoo.co.jp/news/detail/20120729-00000006-dal

オリンピック観戦のプロが現地で見て大絶賛をしているのだから、やはり過去最高と評されてしかるべきである。

ちなみに、山田さんについては、イギリスのテレグラフ紙のインターネット版でも取り上げられているので、紹介しておこう。

オリンピックおじさんこと、山田さんと異なり、テレビ観戦の実績しかない私であるが、私もロンドンオリンピックの開会式が過去最高と評されてしかるべきだと思う。

ロンドンオリンピックの開会式が過去の開会式と比べて何が素晴らしいかというと、イギリス大衆文化の国際発信力を前面に出し、オリンピックの開会式に、イギリス文化を「壮大さ (Spectacular)」という要素が満載のショーにより力強く発信した点である。

平たく言えば、今回のオリンピック開会式は、世界中の人が開会式を見ていて何が行われているのか一目で分かり、それをエンターテイメントとして十分に楽しむことができる内容だったということである。

テレビ観戦しかしていない私にとって、前回大会の北京オリンピックの開会式の印象は、「巨額の金をかけてたくさんの人と花火を使っていたな。」、「事前に世界中の大陸で聖火リレーを行い、反中デモ騒動(チベット政策への抗議活動)が起こっていた。」という印象しか残っていない。

特に、中国文化の国際的発信力を印象付けるものも記憶には残っていない。この記事を書くにあたり、前回の開会式の動画を見たが、やはり記憶に残っているシーンは、各国首脳が自国の選手団の入場シーンで立って応援していたにもかかわらず、当時の福田首相が座っていたという以外一つもなかった。

前回の北京オリンピックも、バンクーバーオリンピックも、日本で行われた長野オリンピックもそうであるが、自国民を対象とした企画が多く、海外に各国固有の文化を紹介する企画においても、海外から見ていると、あまりよくわからない企画が多いのがオリンピックの開会式の定番であったと思う。

しがたって、当然、開会式の記憶はあまり残っていない。

しかしながら、ロンドンオリンピックの開会式は、デイビッド・ベッカム氏がボートでテムズ川からタワーブリッジをくぐって、聖火を運んでくるシーンにも代表されるように世界的に有名な英国の人物を多数出演させると同時に、10代のこれからの選手が聖火台に点火するなどテーマである「Inspire a Generation」もハッキリわかる演出が巧みであった。そして、イギリス国歌「God Save the Queen」を聴覚障害がある子供たちの合唱団「Kaos」が素晴らしい音程と音域で歌い上げるというのも胸を熱くする演出である。

また、伝統的な田園風景から産業革命という環境破壊を伴った変革や、かつては「ゆりかごから墓場まで」と称された医療制度やイギリスの子供に対する取り組み、シェークスピアからJ.Kローリング氏に代表されるイギリス文学の豊かさといったイギリスの歴史を極めてストレートかつ壮大な演出で、まさに映画や舞台を見ているような世界中の視聴者を楽しませるエンターテイメント性が極めて高い開会式であった。

そして、イギリスの歴史・文化がひと目でわかると同時に、今回の開会式の企画は視聴者にイギリス文化がいかに国際社会に対して力強く発信され続けてきたかを再認識させるもので、「イギリスはこんな素晴らしい文化を世界に発信して、世界中の人に受け入れられている」ということを痛感させられた

さすが、ハリウッドでアカデミー賞を取るだけある映画監督である。ダニー・ボイル監督の力量は素晴らしい

何と言っても、驚いたのは、エリザベス女王がジェームスボンドとともにバッキンガム宮殿から移動し、途中、チャーチルの銅像が手を振り、ヘリコプターからダイブして、女王が会場に現れるという演出である。

この演出には、世界中が驚いただろう。この演出はヒューモアに溢れ、かつ、英国王室、とりわけ、エリザベス女王が英国大衆にとって身近な存在であろうといかに努力しているのかを象徴するものであったと思う。

女王が登場する前の田園風景から産業革命へという開会式の第一幕でも、ハリーポッターでロックハート教授役を演じ、「炎のランナー」にも出演していたシェークスピア俳優として有名な映画俳優のケネス・ブラナーが、グレート・ウェスタン鉄道の設計者であるI.K.ブルネルを演じ、シェークスピアのテンペストの一節が読まれ、イギリスの国土の風景が変貌する歴史を見事に描かれていた。

女王の登場後の第二幕では、イギリスの国民健康サービス(National Health Service)や子供の医療に対する英国の取り組みを題材に、テーマである「Inspire a Generation」を反映した子供のパフォーマンスが行われ、実際の医療従事者が踊るなど斬新な演出とともに、ハリーポッターの作者、J.Kローリングスが登場し、ピーターパンの一節を朗読すると、ピーターパンのフック船長、101匹わんちゃんのクルエラ、チキチキバンバンのチャイルド・キャッチャー、ハリーポッターのヴォルデモード卿など、英国児童文学に登場する悪者の巨大人形が登場し、子供たちを攻撃する演出が行われ、そこに、メリーポピンズが登場して、悪者のキャラクターを一掃するという、まるでミュージカルや映画を見ている感覚になる。

この演出だけ取り上げても、英国文化のもつ国際的発信力の高さをまざまざと感じさせられる。つまり、開会式を見ている世界中の誰もが知っているキャラクターの登場により、我々が英国文化に強く影響を受けていることをこのシーンだけでも痛感させられるのである。

そして、極めつけは、世界的指揮者、ベルリンフィルのサイモン・ラトルとロンドン交響楽団の演奏における演出である。

誰もが知っている「炎のランナー」のテーマ曲を演奏するというだけでも、英国文化の発信力痛感するが、さらに驚愕させるのは、誰もがまじめに行われると思っていた演奏において、イギリスコメディーを代表するローワン・アトキンソン演じるミスタービーンが奏者として登場し、一瞬にして、笑いを提供してくれるのである。

もちろん演奏も素晴らしいが、それとコメディーとがコラボレーションすることは誰が予想できたであろうか。まさに、エンターテイメントそのものである。

その後も、色々な演出があったが、最後は英国ポップミュージックを代表するビートルズのポール・マッカートニーがHey Judeで締めくくるなど、とにかく、開会式にとどまらないエンターテイメント性の高さには驚愕である。

これほど素晴らしい記憶に残る「開会式」というのは過去の国際大会に存在したであろうか

ロンドンオリンピックの開会式は、イギリスという国が持つ伝統と文化の力強さ、そして、それを世界に発信し、世界中の人々がその影響を受けていることを痛感させるという点において、世界中が注目するオリンピックの開会式をイギリスという国の宣伝に最大限利用しており、国家戦略としても、最も成功した近代オリンピック開会式だったと言えるだろう。

イギリスと同じく素晴らしい歴史や文化的・技術的財産を有しながら、その国際的発信力が著しく欠乏している我が国にとっては、この開会式から学ぶべき点が沢山あったと思う。

ただ、この開会式、早朝5時からということもあり、見逃した人も多かったのではないだろうか。

私もその一人であるため、その後に再放送したNHKがなぜか編集をして最もおもしろかった女王出演のパートをカットして放送していたのは極めて残念であった。

日本のメディア、とりわけ、NHKにおいては、もう一度ノーカットでこのエンターテイメント性の高い過去最高の開会式を放送してほしいと切に願う。






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03/02/2010

オリンピックが終わって

オリンピックが終わりましたね。

やはりフィギュアアスケートは面白かったです。

浅田選手が銀メダル、安藤選手、鈴木選手、さらには長洲選手が入賞を果たし、日本国籍を持つ女子の選手が4人も入賞したのは本当に凄いと思いました。

男子も、高橋選手の銅メダルを始め、日本人選手はみな入賞でした。

この結果は本当に素晴らしいと思います。

フィギュアスケートに詳しいわけではありませんが、意外な結果も多々あったように思います。

優勝候補の一人で4回転に対する思い入れの強いフランスのブライアン・ジュベール選手にミスがあり、18位で終わったのは、意外でした。オリンピックは独特のプレッシャーなどがあるんでしょうね。

ロシアのプルシェンコ選手の得点が4回転を成功させたにもかかわらず、得点が伸びなかったのも意外でした。

もっと意外だったのは、やはり、浅田選手のトリプルアクセスを2回も決めたにもかかわらず、得点が伸びずに、キムヨナ選手とあの得点差が出てしまったことです。

達成したことのない技、トリプルアクセルを2つもやったにも関わらず、技術点が低くく、仮に浅田選手のミスの部分が成功していたとしてもキムヨナ選手には追いつけなかったと言われています。

採点結果をみると、素人感覚的には不安定な部分があったロシェット選手の滑りの技術点より、浅田選手の技術点が低くなっている(浅田選手が8.55に対し、ロシェット選手は8.6です)のも良く解りません。

時事通信によれば、プルシェンコ選手が「3回転ジャンプは20〜25年前からあった。それから3回転半、4回転が始まったが、今の制度では評価されない。フィギュアスケートの進歩は止まってしまった」と批判したそうですが、素人の私も同感で、フィギュアスケートの評価というのは、いつ見ても「不可解」と感じます。

素人感覚からすると、「そこまで得点差が広がるのか?」という感想を良く抱くことがあります。

法律の話でいえば、あまり素人感覚とかけ離れた事実認定や法的評価などは好ましくありません。

同じルールの適用という観点からすると、疑義をさしはさまれる余地のある評価方式というのは、好ましくないように思います。

プルシェンコ選手が、演技などを重視しするのであれば、フィギュアスケートはアイスダンスと変わらなくなってしまうとの批判をしたという話も聞きましたが、この指摘ももっともな指摘です。

スポーツである以上、技の難易度は時代とともに難しくなり、それが当然に高い評価を受けるべきだと思います。

体操だってそうですが、森末氏が金メダルを取った時の技を今やってもメダルはおろか入賞も難しいという指摘を聞いたことがあります。特に、体操などの技を評価するスポーツは技術がどんどん難しくなる運命にあるのではないでしょうか。

そう考えると、フィギュアスケートも、従来は、演技力というよりは、技を競い合うスポーツとしての意味合いが強かったはずですから、その評価方式が変わり、演技力重視になるというのは、体操のような技重視からシンクロのような演技力重視へとかなりの変更を伴うわけですから、それに振り回される選手も大変ですね。

本当に演技力を重視の傾向で良いのかを含め次のソチまでの4年間に、選手にとっても解りやすい評価方式を再検討すべきでしょう。

私個人としては、やはり、フィギュアスケートでは、4回転などに果敢に挑戦していくアスリートの姿を見るのが1つの楽しみですから、演技力重視という傾向は個人的には残念です。

演技力を見たいならディズニーなどプロのアイスショーで十分で、プロではないアマチュアの選手が大技の技術を競うからこそフィギュアスケートという"スポーツ"を見るのが楽しいのだと私は思うからです。失敗しても、大技に向かっていく選手姿には共感できます。

大技が成功したときに正当に評価される土壌がなければ、そうした果敢な挑戦も少なくなり、競技としての発展は止まってしまうというプルシェンコ選手の指摘ももっともだと思うわけです。

この点、プルシェンコ選手の指摘に関連して、気になったのは、以下にもある時事通信の記事にあった情報です。

大会前に、ある米国ジャッジが他国のジャッジと役員に「(表現面を示す)演技構成点を正確に出すよう」促すメールを送ったという話が表面化

これに関しては、もっと公正さに対する問題として、議論されるべきだと思います。

選手は人生を賭けて、数分間の競技のために、4年間必死に努力してきます。そういう大会の直前に、採点への影響を与えるような動きはジャッジの公正に疑義を生じさせます。

自国の選手のための駆け引きをしたいのはわかりますが、これを"審判"という公正さが要求される立場の人間がやってしまったらお終いではないでしょうか。公正さも何もありません。

こんなことを裁判で、裁判官がやったら大変なことになりますよね。まるで、平賀書簡事件です。

ソルトレイクオリンピックでもフィギュアスケートの採点と審判への疑惑が問題視されました。

能力の高い選手が増え、接戦になればなるほど、こうした審判などによる不適切な行為が増えるようですが、それはスポーツの発展を阻害するものであって、許されるべき行為ではないでしょう。

その点、アメリカの映画の祭典、アカデミー賞のルールは厳しく、アカデミー会員に自分の映画への支持と他の映画への批判になるようなメールを送った監督に対し、処分が検討されているそうです。

選手が一瞬のために人生を賭けて、必死に努力してくるのですから、IOCやISUはもっと真剣に公正さをいかに担保するかということを考えるべきでしょう。

そう考えると、フィギュアスケートにおける「判定の匿名化」も私は問題だと思います。

匿名であれば、誰が不公正な判断をしたか責任の所在が解らなくなり、やりたい放題です。審判員への働きかけが逆に容易になってしまうのではないでしょうか。

ルールの適用というのは、スポーツに限らず、我々の私生活のあらゆる場面で問題になるわけですが、公正さが一番重要な要素です。

今回のオリンピックを見て、公正さを欠くルールの適用には、その判断の正当性それ自体への疑問を生じさせるわけですから、いかに審判員に責任を自覚させ、適切な判断をすべく教育し、廉潔性を確保するかを常に考え、それを向上させることが本当に重要であると再認識しました。

フィギアスケートの話題に関連し、以下の本を紹介します。4年後のソチでも彼ら、彼女らの素晴らしい努力の成果が見られるのを期待したいですね。

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10/13/2009

広島・長崎のオリンピック招致には疑問(日本の評価を下げる可能性が高い)

数日前にもツイッターでつぶやいたのですが、今日は広島と長崎が共同で検討しているといわれるオリンピック招致についてです。

私も当初は、東京よりもやる意味はあるのかなと一瞬思ったのですが、よくよく考えてみると、招致活動や開催方法を慎重にならなければ、非常に日本にとってマイナスになることが多く、もろ刃の剣といえそうだと考えるにいたったので、今日はその考えを紹介したいと思います。


1.広島・長崎で開催するメリット

まず、当初、東京での開催よりも、納得できると思った要素について検討してみます。

①地方都市の発展につながること

無駄な公共事業の削減という話が出ていますが、仮に広島や長崎で開催することになれば、それに向けた整備は必要となります。

その際に、中国・九州地方の発展、利便性の向上を踏まえた整備がなされることは、非常に有益でしょうし、一極集中した東京にさらにお金を投じて整備事業をやるよりは、地方都市での開催による整備事業への税金の投入の方が、目的・効果の面からそれなりの評価ができると考えました。

②世界的な知名度の高さ

「Hiroshima」、「Nagasaki」という言葉を知らない人は世界中でも少ないでしょう(場所を知っているかは別として)。日本の都市の中で、数少ない世界に認知されている都市名です。

ただ、被爆都市という暗く、後ろ向きなイメージが先行しているのも事実ですから、オリンピックの開催によるポジティブなイメージへの転換も期待でき、そこで開催することによる意義は一定程度あるのかもしれません。


2.疑問その1-発表のタイミング

しかし、よくよく考えてみると、やはり、この招致運動は浅はかさを感じますし、おそらく失敗します。そこで、以下、3つの疑問という観点から、なぜこの招致活動に問題があると考えるのか、私見を紹介します。

まず、元々広島と長崎が招致について十分計画してきたのなら格別、仮にオバマ大統領のノーベル平和賞賞が後押しになって、その話題性の乗じてやろうとしているのであれば、絶対にやるべきではありません。

そもそも、オバマ大統領のノーベル平和賞に対する疑問が世界中で強く示されており、アメリカ国内でも、共和党だけでなく民主党の一部の支持者からも、演説という言葉だけで受賞することへの疑問と、その受賞を受けることへの政治的浅はかさを指摘する声がかなりあります。ある種、アメリカでは国を二分して、評価が分かれてしまっています。

また、日本でも、先日このブログで紹介したように、8割近い人が今回の受賞に疑問を持っており、この市民レベルの反応は、ドイツやフランス、イギリスでも同じような状況にあるでしょう。

つまり、喜んでいるのは、アメリカの熱狂的なファンと世界中の一部の左翼的思考の強い人々といっても過言ではないでしょう。

そして、この話題は、絶対4年後までその話題性を維持できません。核軍縮に向けた動きも、おそらく成功しないでしょう。ロシアのメディアの反応を見てますと、今回の受賞には非常に皮肉たっぷりですし、かなり批判的な反応すらしています。

さらに、BBCの記事によれば、1976年に、北アイルランドの平和活動を行い、最年少の32歳でノーベル平和賞を受賞した、マイレッド・コリガン・マグワイア(Mairead Corrigan Maguire)さんは、今回のオバマ大統領の受賞のニュースに「とても悲しく思う(very sad)」とのコメントをしています。

マグワイヤさんは、「ノーベル賞選考委員会は、アルフレッド・ノーベルの遺志として示された条件を満たした選考をしていなません。なぜなら、アルフレッド・ノーベルは軍国主義や戦争を止めさせた人、軍備縮小を行った人に与えるように要求しているためでです。オバマ大統領は未だ中東問題やアフガニスタンの戦争に対して真剣に向き合う姿勢を示していません。」と厳しく批判しています。

広島市や長崎市、被爆者の方は、(私は不思議でたまらないのですが)、何もやっていないオバマ大統領の受賞を盲目的に評価して、喜んでいるとの話が伝えられてきます。

しかし、世界の世論はそこまで能天気ではありません。

オバマ大統領によって、核軍縮はまだ何も進んでいないこと、イラク、アフガンでの戦争が何1つも終わっていないこと、中東問題におけるアメリカのリーダシップが何一つ示されていないことという現実を直視すれば、盲目的に評価できない非常に疑問が残る受賞であることは明白でしょう。

このように、受賞そのものに対して、強い疑問が世界中で示されているにもかかわらず、その受賞に盲目的に賛同して、その話題性に乗じて、広島、長崎でのオリンピック開催を訴えたとしても、世界中のIOC委員の心に響くような十分な大義名分にはなりえないでしょう。

また、オバマ大統領そのものに対し、IOC委員は冷ややかだったという事実も忘れてはいけません。先日の投票では、鳴り物入りでシカゴの応援演説に駆け付けたオバマ大統領でしたが、(アピール力や交渉力で疑問のあった)東京にも第1回の投票で負け、IOC委員はオバマ大統領が来たからといって能天気にシカゴを支持するような人々ではないことが明らかになりました。

トニーブレア前イギリス首相は2012年のオリンピック招致に向け非常にしたたかな活動を長く行い、投票日直前も数日前に会場入りし、数日間のロビー活動を徹底的に行いました。このような形で、政治的リーダーが信頼関係をつかむのと、オバマ大統領のように演説だけで招致できると思っている浅はかなリーダーの行動とは、かなり大きく違うわけです。

そうした分析や東京敗北の総括もできていないのに、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞というチープな話題性に乗じようとこのタイミングで、招致委員会発足の発表をしたことは非常に浅はかですし、世界のすう勢を見据えていない著しく愚かな判断だったと私は思います。

話題性という薄っぺらい人気に沸くような形で先行し、スタートがこれほど愚かなのに、4年後に招致が成功するはずがありません。数百億円をドブに捨てる結果になるだけでしょう。



3.疑問その2-どうしても被爆都市としての主張に終始してしまうこと

広島市や長崎市は、必然的に核廃絶などを訴えることになると思うのですが、被爆都市がやることの意味を慎重に考える必要があります。

つまり、被害者の自己満足的な主張をすれば、世界から抵抗をもって受け止められてしまうということです。

ここには2つの問題があります。

1つ目は、高度に政治的な主張が組み込まれてしまうこと、2つ目は、過去の行為の批判に終始していると受け止められ、非建設的な主張であると受け止められる恐れが強いことです。

まず、第1の問題について、考察すると、そもそも、近年はオリンピックの政治的な利用に対する反省が強くなってきており、政治的な意図のために、利用すべきでないという批判が強くなっています。

北京オリンピックは、中国の人権問題を解決できることを1つの条件に支持されましたが、結果的に、チベット問題等々が顕在化し、聖火リレーをめぐって多くの対立も起きました。

過去の大会では稀に見る混乱ぶりだったといっても過言ではありません。

次のオリンピックはロンドンで行われるわけですが、ロンドンの招致活動は政治的メッセージが非常に少なく、むしろスポーツや文化振興を強調したり、オリンピックの開催が商業化ではなく、貧困地域の再開発支援や教育支援になることをアピールしたりしました。

政治的メッセージは希薄であり、いわゆる文化交流やスポーツを通じた青年の育成などの側面が全面に出たPRです。

確かにオリンピック理念には平和というのがありますが、これは政治性を排除してスポーツの下での交流を深めようという抽象的な平和理念であり、核兵器の恐怖を悲惨さを訴えるといった個別具体的な平和理念の主張を取り込むことは、政治性を排除したいというIOCの流れに反するものであり、共感の得られる大義名分にはなりえないと考えます。

次に、2つ目の問題についてですが、これは以前にもブログで指摘したことと同じです

中国や韓国の例を出すと解りやすいと思います。

例えば、南京大虐殺や韓国人に対する労働強制等の話題が出て、その悲惨さを訴えていることが、そのうち、日本バッシングになってくることはよく目にする光景です。つまり、被害者という立場で、悲惨さを訴えれば、かならず加害者批判という形で受け止められるわけです。

こうした場合、多くの日本人が、中国の南京大虐殺問題などの過激な発言を聞くたびに、過去への反省という気持ちだけでなく、むしろ、「いつまで批判され続けなければならないんだ」、「もっと建設的な視点はないのか」という感情を持つにいたるのではないでしょうか。

広島、長崎の原爆の場合はより状況が悪いです。アメリカでは、原爆投下自体は正当であるという理解が通説的理解です。そうした状況の中で、核兵器の悲惨さを訴えたりするオリンピックを行えば、アメリカをはじめとする欧米の多くの人が、「あの投下自体は正当だった」、「戦争を起こしたのは日本だろ」、「自分たちのことを棚に上げて、批判するな」、「建設的な主張ではない」という印象を持つにいたるでしょう。

立場が違うからこそ、この種の主張というのはかなり慎重にしなければならず、被害者の立場で、自分たちの理論を振りかざすだけでは、理解を得ることはできないのです。

しかしながら、過去の広島、長崎、および被爆者の主張を見ている限り、その観点が非常に欠落している場合が多いと言わざるを得ません。

政治活動として、原爆の悲惨さを訴えることは大いにやるべきですが、それとオリンピックという非政治的な姿が求められる場面での活動とは区別すべきです。

広島、長崎のオリンピック招致活動がこうした観点を欠いた活動になった場合、これは日本の国益にとっても非常にマイナスでしょう。

つまり、南京大虐殺問題での中国のジャパンバッシングに対して日本人が感じる違和感と同じような違和感を欧米諸国、とりわけ、アメリカに与えかねず、それが逆に欧米でのジャパンバッシングにつながると私は考えます。



4.疑問その3-地方財政の問題

地方経済が疲弊し、財政問題が顕在化しているのは、広島市や長崎市も例外ではありません。

これに対しては、オリンピック開催による経済効果は○○○億円だという主張だったり、その分カバーできるといういかにも思考が停止してしまったような議論がなされることが多くあります。

公認会計士の山田真哉先生が自身の著書、「食い逃げされてもバイトは雇うななんて大間違い(下)」という本のp45-46で、「経済効果のウソ」というタイトルで、根拠の乏しい弱い数字であるという話をされています。

経済効果として含まれる範囲が明確でなく、マイナス要素が十分に反映された数字になっているわけではないという指摘で、なるほど数字に強い方のもっともな御指摘であると思いました。

さらに、言えば、経済効果はオリンピック招致が成功した場合の数字なのであって、失敗した場合に得られるものは0です。

地方財政が安定していることや日本経済が安定している状況で、かつ、綿密に計画された上での招致活動であれば格別、そうでない以上、失敗とそれに伴う広島、長崎、ひいては国の財政的負担増は目に見えています。

一時のタイムリーな話題性で、浅はかな決断により、地方をさらに疲弊させるようなことは避けるべきではないでしょうか。



5.最後に

私自身は、日本でのオリンピック招致に必ずしも反対ではありません。

しかし、やるからには、まず、名古屋、大阪、東京が敗北した理由を徹底的に分析すべきであり、かつ、近時のIOCの傾向を専門家を交え国際的な視点から十分な議論をすべきでしょう。

にもかかわらず、ある種の内輪の論理的な視点(オバマ大統領のノーベル平和賞受賞というニュースで、平和活動に弾みがつくといった稚拙かつ世間知らずな視点)から、十分な計画なく、この手の議論が先行してしまっている感は否めません。

そして、このまま突っ走れば、広島市長、長崎市長は、石原都知事と同じ間違い起こすことになるのは、当然の帰結といえるのではないでしょうか。

独裁的リーダーも恐ろしいですが、世間知らずで浅はかなリーダーも非常に恐ろしいということかもしれません。

さて、上記記事でもちょっと触れたこの本、稀に見る良著でした。新しい発見があったというよりは、最近読んだ本の中で最も共感できる本というべきものでした。オリンピックの話題とは関係ないのですが紹介しておきます(なお、近日中にこの本になぜ共感できたか記事にしてみようと思います。たぶん、近日中・・・)。

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