05/10/2021

東京オリンピック・パラリンピック中止運動に足りないもの(本当に中止に追い込むためには)

弁護士の宇都宮健児先生が行っている東京オリンピック大会中止を求める署名運動は,既に31万筆を超えている。

日本国民だけでなく,世界中のまともな人々が東京オリンピックの開催は強行されるべきではないと考え,特に欧米メディアは強い批判をしているが,日本のメディアは海外の報道を伝えるだけで,自ら批難するものはなく,批判のトーンは抑えられている。日本のメディアに主体性がなく無責任なのは今に始まったことではないが,これは本当に情けない限りである。

宇都宮先生の行動力は素晴らしいと思う反面,私は,今回の署名運動に徹底的に欠如している点があると思っている。それは日本の左翼活動家に多いと思う欠点でもあるのであるが,活動をしていることに酔いしれ,本当に達成すべき目的を見失ってしまう傾向が生み出す,ロビイング戦略の欠如である。

宇都宮先生の署名の宛先が,主催者であるIOC、IPC、国、東京都、組織委のみを対象にしている点からもわかると思うが,宇都宮先生をはじめ日本におけるこの種の活動家は,運動そのものに酔いしれ,付託された署名の使い方が稚拙なことが多い。そもそも,署名の名宛人とされているこの人たちは,人命を軽んじても,経済の名の下に一部の利権を受益できる人たちのために,オリンピック・パラリンピックを強行したい人たちなのであって,こんな宛先に署名を送ったところで,まともに取り上げられるわけがない。

私の友人で米国政権で高官を務めていた弁護士の友人も言っていたが,一番効果的なオリンピックの中止の方法は,この署名をもって,オリンピックスポンサー企業に対して,彼らがスポンサーするオリンピックの開催により,人命が損なわれる事態が日本で発生しても良いのかと強く問い,不買運動を展開することだと言っていた。特に,対象にすべきは,欧米の外資系企業である。私も外資系企業の法務・コンプライアンス部での勤務経験があるが,外資系企業は,レピュテーション(風評)リスクに本当に敏感である。企業イメージが損なわれることをしないことが,欧米の外資系企業に特に求められている

おそらく,オリンピックスポンサー企業は,大金を払っているので苦しい立場である反面,今まさに,中止運動の矛先が自分たちに向かないことを願っていると思う。戦略的なロビイングが行われるアメリカでは,このような場合,スポンサー企業に対して訴えるのが一番良いと考えて弁護士たちは活動するのである。

しかしながら,宇都宮先生の以下のツイートでも明らかであるが,先生の発想には,スポンサー企業に対して活動をするという意識はなさそうである。

私は,行動力は本当に素晴らしいと思うが,ここに日本の左翼的な思想の方々の活動がいつも話題性だけで終わってしまう弱さがあると考えている。

組織委員会のHPでは,中止を求める人々には有難いことに,オリンピックスポンサー企業の一覧,特に,外資系企業まできちんとわかりやすくワールドワイドオリンピックパートナーとして,示してくれている

こういう企業に対して,直接的に,オリンピックを強行することに対して,「あなたの会社は,日本の医療崩壊をさらに深刻化させ,日本に住む人の命を犠牲にしてまでオリンピックを強行するのか。」とか,「あなたの会社は日本人を殺すことを容認するのか」と強く責任をスポンサー企業に問うやり方をしなければ,オリンピック中止はできないだろう

アメリカ政府に期待する声もあるが,バイデン政権は,極めて官僚的な日本と同じような姿勢の弱い政権である。オリンピックに中国の参加を認めるのはおかしいという国内世論もあり,バイデン政権は,オリンピックにアメリカの選手団を送りたくはないが,その決断をできないで先延ばし,先延ばしをしている。バイデン政権も,オリンピックが行われなければ,中国と直面する必要がない(下手くそな平和を演出した祭典に中国とともに参加する必要がない)から,それを望んでいるが,それを決断できないバイデン大統領の弱さがある。

したがって,今,日本人が行うべきは,馬鹿みたく100人くらいが集まって,シュプレヒコールを上げて感染リスクを高めて抗議活動をするのではなく,こういった署名活動の矛先を戦略的に考え,外資系のスポンサー企業の”本社”に対して,国民の6割から7割が反対している事実を突きつけ,「企業として人命を犠牲にすることを強行するのか。」と強く迫るロビイング活動ではなかろうか。

内閣官房参与という立場の人間である人物が,このような軽口を叩いて人命を軽視している現状は極めて異常である。コロナで亡くなった人の家族たちを思えば,このような軽口はまともな人間は叩けないのではないだろうか。しかし,このようなことをする人間を今の自民党と公明党の政権は重用しているという事実を私たちは忘れてはいけない。

 

大阪は既に医療崩壊している。医療従事者からしたら,本当に苛立ちしかない日々ではなかろうか。

こうした医療従事者を救うためにも,そして私たちがこれ以上の医療崩壊拡大を防いで,自分たちの命を守るためにも,東京オリンピック・パラリンピック開催は行われるべきではない。

他方で,日本は外圧でしか大局的な判断ができない。日本企業もレピュテーションリスクに対する認識はまだまだ薄弱である。だとすれば,東京オリンピック・パラリンピック開催中止運動は,活動家特有の活動に酔いしれるだけではなく,その矛先を外資系企業の「本社」に向けて,戦略的に,正しく行うべきだと私は思う。

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12/31/2020

虚像が批判され本物が人気となった2020年

昨日久しぶりに更新したブログ記事「後手後手を先手先手という菅内閣の詭弁と国民の不信」は,現在の入国管理政策と水際対策の問題について分かりやすいとの声を頂いた。

BLOGOS上でも,Facebookの「いいね」が500件以上付いたようで,久しぶりの更新の割には,なかなか好評だったのではないだろうか。

そこで大晦日の今日も今年最後のブログ更新として,「虚像が批判され本物が人気となった2020年」と題し,2020年のポジティブな側面を論評してみたい。

1.半沢直樹と鬼滅の刃が人気となったのは本物だから

今年のポジティブな側面を振り駆る上で,この2つの作品の人気について触れないことはできない。コロナ禍により自宅で過ごすことが多かった大多数の人にとって,2020年はテレビやサブスクリプションの動画配信サービスなどを見る機会がいつも以上に多い年だったのではなかろうか。

腐るほどあるエンタメ作品の中でも,半沢直樹や鬼滅の刃が爆発的人気になったのは,これらの作品が「本物」によって作られた「本物」の作品だからであろう。

まず,半沢直樹は,前シリーズもそうであったが,役者が本物で固められた。全国的な知名度が低い役者も多く起用されており,これらの役者が半沢直樹の世界を本物に仕上げたと私は思っている。元々日本人は勧善懲悪が好きな国民性ではあるものの,半沢直樹が爆発的に人気のドラマになったのは,ストーリーが良いだけではなく,ちょっとした脇役を含め,すべてのキャストとスタッフが本物を作り上げるという意気込みが視聴者に伝わった作品だからこそだろう。

安易な人気俳優やアイドルなどを使うのではなく,本当に演技のできる俳優が参加し,濃い演技の歌舞伎俳優から,それを脇で支えるあっさりとした俳優たちが,それぞれの役割を存分に発揮したからこそ,このドラマは「本物」だと多くの視聴者を魅了したのだと思う。半沢直樹のキャストリストを改めてみると,誰一人無駄な役はいないし,それぞれの顔が直ぐに浮かんでくるあたりも,本物の演技をそれぞれの役者がし,それをスタッフがまとめ上げたといえる。

特に私は神谷機長を演じた木場勝己さんの起用とその演技は素晴らしいと思った。 コロナ禍であるにもかかわらず,クラスターなども発生させずに,一般視聴者が本当に喜ぶ本物の作品を作り上げたのは,本物のキャスティングが大きく寄与したと思う。

鬼滅の刃もアニメーションは昨年から人気にはなったものの,今年これ程の爆発的な人気となることを誰が予想したであろう。

私自身も鬼滅の刃にハマったのは,半沢直樹が終わった秋頃に,家族からAmazon Primeで見られるから見た方が良いと言われ,見始めたのが契機となった。名前は知っていたが,正直,見るまで,「あー,漫画ね。」,「どうせオタクに人気なんでしょ。」程度の感覚で馬鹿にしていた。そんな私も,今ではコミックスを大人買いし,一部の巻が見つけられず,本屋を探し回るようなことをしている。

この鬼滅の刃が本物の作品なのは,声優陣に「なんちゃって声優」の起用がいないことが一番の理由ではなかろうか。

私はあまり声優業界には詳しくないが,キャストに芸能人やタレントなどの「なんちゃって声優」がいないことが,本物の作品に仕上げていると感じる。炭治郎役の花江夏樹さんや善逸役の下野紘さんが作品を語る「鬼滅ラヂヲ」を聞いてわかったのだが,この作品でもサブのキャラクターのキャスティングが半沢直樹と同じで豪華であると言われている。

例えば,アニメーション2話のお堂の鬼は,スラムダンクの流川の声やドラゴンボールZで人造人間16号の声の緑川光さんだったり,一言二言しかない,かすがいがらすというカラスの声を独立した別の声優をキャスティングしているから驚きである。しかも,そのカラスの役は一匹一匹異なっており,声優の山崎たくみさん,檜山修之さん,高木渉さんという3人のベテラン声優を使っているという。

また,通称「パワハラ会議」として有名になったアニメーション第26話の最後の方に下弦の鬼たちが一瞬にして鬼舞辻無惨に殺されるシーンがあるが,その下弦の鬼たちも別の役をやった役者をそこで使うのではなく,新たに別の声優の方を投じている。例えば,下弦の参の病葉を演じたのは,アニメワンパンマンでイナズマックスを演じた保志総一朗さんである。

さらに,「チュン」というセリフしかないチュン太郎という雀の声も,他の役の声優が掛け持つのではなく,1人の専属の声優(石見舞菜香さん)が使われているというから驚きである。

こうした話を聞いて,私は鬼滅の刃は原作が素晴らしいことは格別,アニメーションの制作が本物志向で作られた本物の作品だからこそこれだけ今年人気を爆発させたのだと痛感した。

実際,視聴者は,チュン太郎の「チュン」という単純なセリフから様々な感情を視聴者は読み取れるのである。これは,本物の声優たちが声でしっかり演技しているからであろう。細かな所に一切の妥協をしない姿勢が,視聴者を本物の世界観に引き込んだのだと思う。

そう考えると,映画「鬼滅の刃無限列車編」が千と千尋の神隠しを抜いたのは必然的だったのかもしれない。もちろん,千と千尋の神隠しも良い作品ではあったが,良い大人が涙するような映画ではなかった。それに比べると,鬼滅の刃無限列車編は,子どもだけでなく,良い大人が涙するシーンが多い。

特に,炭治郎たちが映画の後半に,「これでもか!」というぐらいに熱い声の演技で次々に泣かせにかかってくる。これは,声優という声の役者のプロたちが,声のみで素晴らしい演技をし,アニメーションもその声の演技を最大限引き出す形でアニプレックスが細かいところに拘って美しい映像で届けてくれているからだろう。

このあたりの詳しい話は,鬼滅ラヂヲで炭治郎と善逸を演じた声優の花江夏樹さんと下野紘さんが色々語っているので,鬼滅の刃にハマった人間としては,こうした熱意を後から聞くと,なるほど,なぜこの作品は「本物」として化けたのかということが良く分かる。残念ながら鬼滅ラヂヲは数日前に公開された47回で一旦休止されるようであるものの,過去の放送はYouTubeで公式に公開してくれているのでぜひ鬼滅ファンには聴いてほしいと思う。

鬼滅の刃製作委員会に余計な団体が入っておらず,アニプレックス,集英社,ufotableの3社のみで構成し,余計な忖度が入らなかったのも良かったのかもしれない。下手にスペシャルゲストみたいな感じで有名芸能人や旬のイケメンやかわいい女優をアサインして話題性を狙うのではなく,作品の良さで,声のプロたちで勝負しているからこそ,幅広い多くの人々の心に響いているのである。

早くも実写化などという話も出ているが,ぜひ著作権者には,安易な実写化で,本物を偽物にしないようにしてもらいたいと願うのは,最近ハマった私だけではないだろう。

さらに,昨日は,レコード大賞にLisaさんの「炎」が選出された。

レコード大賞といえば,芸能界のドンとの癒着などが報じられ,多くの国民がここ最近は「白い目」でレコード大賞をとらえていたと思う。実際,放送前から嵐が特別賞を受賞することに批判の声などもあったようであるし,そもそもレコード大賞はオワコンとも報じられていた。

いずれにしても,レコード大賞にLisaさんの「炎」が選ばれたことに異議を唱える人はほとんどいないだろう。鬼滅の刃という本物の作品の一部を構成する彼女のこの歌を聞くだけで,映画の情景が思い浮かび,多くの人が感動を味わえる。

仮にLisaさん以外が受賞していたら,それこそ本物じゃない受賞として「炎上」していたのは火を見るよりも明らかである。そういう意味で,TBSがレコード大賞そのものを癒着の温床として利用できなかったのは,視聴者の本物志向に抗えなかったからではなかろうか。

なお,私のブログには鬼滅の刃についてアメリカ政治に絡めて論じた記事もあるので,興味があれば読んでほしい。

2.化けの皮が剥がれ虚像が批判されたもの

他方で,化けの皮が剥がれ,一瞬にして支持を失い批難を受けたものも多くあった。

例えば,「100日後に死ぬワニ」はその良い例かもしれない。電通案件として炎上した話は記憶に新しい。この女性自身の記事も「SNS上で自然発生的に生まれたムーブメントであることに魅力を感じでいた読者が多い中、企業によって仕組まれていたという事実に落胆を感じた人がいたのは事実 」と指摘しているが,このとおりで,欺くが如く仕掛けられたものに対して,多くの人が拒否反応を示したのが2020年だったように思う。

これはエンタメの世界だけでなく,政治においても同じだろう。

コロナ対策の持続化給付金の事務局の落札において電通関与の不透明な実態が批判された。ロイター通信の記事がこの事案について整理しているが,「ペーパーカンパニーじゃないか」,「無駄な税金の中間搾取だ」とサービスデザイン推進協議会が批判を受けたのも,やはり,国民がが癒着の実態に気が付き,公正なプロセスとされた選定手続きの化けの皮が剥がされたからである。

また,コロナ対策においても,メディアは当初,吉村大阪府知事を持ち上げたが,イソジン発言以降,彼に対する世間の評価が大きく変わった。そして,住民投票で否決されたのも,これを契機に市民が本質を見抜こうとし,彼や維新の本質的な軽さと思慮深さの無さが化けの皮が剥がされて露わになったからであろう。

さらに,検察官の定年延長問題や賭けマージャンの事案についても,政権,メディアと検察幹部の関係の化けの皮が剥がれ,黒川氏は辞職に追い込まれるとともに,一般市民で構成する検察審査会は強制起訴の第一歩となる「起訴相当」という決議を行った。強制起訴になった事案に無罪案件が多いのは事実だし,その点の批判もあるが,香港が共産主義国家に飲まれている姿を目の当たりにし,民主主義国家において市民感覚が反映される仕組みがあることは重要だと感じている。

2020年はネガティブな事柄も多かったし,志村けんさんや岡江久美子さんの新型コロナウイルス感染症による死去などショックで悲しい話題も多かった。私自身も帰省をすることもできず,海外にも一切行くことのできない異常な1年であった。

しかしながら,ポジティブな側面を考えると,2020年は,コロナ禍で私たちは何が本物なのかということをよく考えさせられた1年だったといえる。つまり,物事の本質を考えさせられる事が公私において多かったように感じている。私自身,仕事においても,これは無駄なのではないかということを自ら問う機会が多く,正直,今年1年は本当に仕事の質は高まったと思っている。

どうしても多くの人がネガティブに考える2020年だと思うが,私は,大晦日に2020年を振り返り,今年は「本質を見抜く力を多くの人が養うことができる1年だった」と少しでもポジティブに総括したい


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12/30/2020

後手後手を先手先手という菅内閣の詭弁と国民の不信

前回の「アメリカ社会の分断はトランプ政権が原因ではない」という記事の配信から約2か月が経過したが,今週,記事を書きたいという衝動に駆られたニュースがあったので,今日はそれについて記事を書くことにした。

12月28日月曜日,私はメディアの先手先手の対応指示 」というタイトルを見て,「ガースー」発言以来の衝撃を受けた。この人は官房長官時代と変わらない詭弁政治家であることを更に国民にさらけ出したのである。既に同じような感想をもった人が多いことも報じられている

そこで,今日のこの記事では,①今回の外国人の新規入国制限に関する措置がいかに「後手後手」であって「先手」とは微塵も言えないのかということとともに,②出入国管理行政を巡る行政文書の分かり難さ,ひいては,③はんこ文化を批判して行政改革をやった気になっている菅政権がいかにこの決定においても何ら行政改革による縦割り行政ができていないかについて,この措置を例に論じたいと思う。

1.今回の外国人入国制限が「先手」とは全く評価できない理由

今回の措置について,メディアも全世界からの外国人の新規入国を28日午前0時から2021年1月末まで停止すると発表などと極めて不正確な報道をしている。この報道に接した人は,「すべての外国人が新規入国できない強い措置を新たに採った」と理解するのではないだろうか。しかし,今回の措置は,公表された行政文書をきちんと読めば,今まで緩和していた措置を止めて,10月1日以前に元に戻しただけということが明らかである。

まず,内閣官房のHPに掲載されている「水際対策強化に係る新たな措置(4)」という行政文書を見ると,1として,「本年 10 月 1 日から、防疫措置を確約できる受入企業・団体がいることを条件として、原則として全ての国・地域からの新規入国を許可しているところであるが、本年 12 月 28 日から令和3年 1 月末までの間、この仕組みによる全ての国・地域(英国及び南アフリカ共和国を除く)からの新規入国を拒否する」との記載がある。

つまり,10月1日始めた緩和を止めましたというだけである。国内の新規感染者数が爆発的に増加している以上,こんなのは当たり前のことで,これを「先手」と評価する思考回路が全く理解できない。こんな頓珍漢な「先手」という言葉が,目がうつろな菅総理から出てきたのを見て,「この人大丈夫?」と思ってしまうのは私だけではないだろう。

また,この措置を止めたとしても,外国人が新規に入国する例外が2つあるということを多くのメディアはきちんと正確に報じていない(多くのメディアが1つの例外にしか触れていない)。

例外の1つ目は,一部メディア(主に中国・韓国について報じることが多いサンケイグループ)は,「中韓は“ザル入国” 政府の水際対策に親中派・親韓派の影響力か」という形で触れているが,これは「国際的な人の往来再開に向けた段階的措置」に基づき,入国を認めている事案である。

これは,二国間の取り決めに基づき,入国させているケースで,12月29日時点で,11カ国について認めて入国を認めている。11カ国の外国人については,短期滞在以外の全ての在留資格又は短期商用査証により本邦に入国する者を対象としており,かなり広範囲に認めている。つまり,全面停止の例外とはいえ,11カ国については観光客以外は一定条件満たせば原則受け入れるという措置と言っても過言ではない(この一定条件による水際対策の実効性にもそもそも疑問があるがここでは論じない)。

中国・韓国がやり玉にあがっているが,そういった思想・理念は別として,やはりこの措置を止めていないのに,「先手先手の新規外国人の入国全面停止!」と胸を張っているあたりに,菅義偉の器の小ささを感じられずにはいられない。こんな措置はさっさと停止すべきである。

例外の2つ目は,「特段の事情」による入国であり,これは,国籍や出発地を問わず認めている。

特段の事情とは,個別具体的な事情を考慮して判断するものであるが,法務省出入国管理庁が出している文書からも明らかなとおり,再入国する外国人は格別,在留資格が日本人・永住者・定住者の配偶者などの外国人(当該文書2(1)及び(2)ア~オに該当する者)も,在留資格認定証明書の交付と査証の発給を受けることで入国は可能である。

また,特段の事情による入国の場合は,イギリスや南アフリカに滞在していたとしても,特段の事情による入国が可能であるという点はあまり報道されていない。

政府の発表した文書をきちんと読めば理解できるが,イギリスと南アフリカからの入国について当面禁止しているのは,あくまで10月1日に緩和した措置に関してである。この点,出入国管理庁の文書も若干わかりずらいのは,2ページ目の冒頭の「なお書き」はあくまで,(2)のカの措置にかかっているのだが,読み方を間違えて,なお書きが(2)全体に適用されると誤解している人が多い。

したがって,特段の事情の(2)ア~オに該当する外国人については,どの国の国籍で,どの国に滞在していようと,特段の事情として入国を認める方針であることがわかる。

この例外の2つ目の部分についてどこまで認めるべきかという議論をして切り込んだのであれば,「先手」という評価もできるだろう。

私は,特段の事情の範囲が広くなりすぎていると私は思う。例えば,(1)の再入国外国人の往来を本当にこのまま認めるべきなのかは議論すべき点ではなかろうか。特段の事情による入国というのであれば,(2)イ~オに列挙される外国人に制限するのがあるべき姿だと私は思う。もちろん,イやウに列挙される日本人・永住者・定住者の配偶者や子についても一律に特段の事情による入国を認めるべきではないという意見もあるだろう。しかしながら,出入国管理庁の文書からもわかるが,家族が分散された状態に置くというのは,人道上望ましい措置ではない

そもそもの問題は,上陸の問題と隔離の問題を切り離して対応してこなかった点に起因している。

本来は,特段の事情による上陸を認め,特段の事情により上陸を認めた者についても,一定期間の隔離措置を空港施設に併設する場所で行うべきだったのではなかろうか。アジアの抑え込みに成功している国はそうした措置を取っていたのであったから,そうした措置を特措法などで盛り込んでおくべきだったと思う。

こういう検討を一切してこなかった自民党議員にも責任がある。「中国・韓国が!」とネット右翼みたいな批判をする前に,本当に国民目線で,人道上必要な人々について,上陸と隔離をいかに分離してしっかり行うかについて議論しておくべきだったのではなかろうか。その時間は沢山あったはずである。

2.今回の措置に関する行政文書の分かり難さとバラバラな関係省庁

さて,私が次に問題視したいのは,今回の措置の行政文書や国民への通知の分かり難さである。

まず,新型コロナウイルス対策本部がある内閣官房外務省法務省がそれぞれ別の文書で案内を出しているから,情報が一元化されておらず,国民に周知する姿勢が著しく欠如しているのが明らかである。

この中でも,一番,国民目線なのが,私は法務省の文書であると思うが,この法務省出入国管理庁の文書も,上述のとおり,なお書きの位置が2ページ目にズレたため,これがどの部分にかかってくるのか,一見読み違えてしまうおそれがある文書になっているのは厄介な点である。

本来であれば,3省庁,とりわけ,内閣官房がコーディネートしてが国民目線で分かりやすい文書に一本化し,一元的に情報が得られるようにすべきであるのに,3省庁それぞれが自分たちの所管の観点からの文書を作っているから,誤解と混乱を招きやすい文書となっている。

法務省出入国管理庁の文書が一番国民目線で分かりやすいのは,法令に従って書いているからである。あらゆる人(日本人及び外国人の両方)の出入国については,出入国管理及び難民認定法が規定しており,所管は法務省である。したがって,法務省は法律に基づいて行政文書で国民の案内を作成しているので,人の出入国に対する措置について,原則と例外がはっきりしており,他の省庁の文書よりはわかりやすくなっている。

外務省に至っては,「Mess(ひどい状態)」としか言いようがないくらい分かり難い。レジデンストラック・ビジネストラックなど法律にない概念を持ち込み何を言いたいのか全く理解できない。そもそも,これらのトラックが何を意味しているのかすらよくわからない。他のHPに行かないと,これらが何を意味しているのかわからない。さらに,カタカナ表現のスキームなどと説明し,法律上のどういう根拠に基づいて行っているのかが全く見えないのである。

昔から,外務省は,ふわふわとした仕事の仕方をするという印象があるが,本当にこのHPの説明は,外務省の好きな英語表現をすれば,「Total mess!(しっちゃかめっちゃか)」としか言いようがないのである。

私は外務省がこの意味不明な「トラック」という概念を持ち込んだ理由は,外務省があくまで国民目線ではなく,対相手国目線での説明をするために,持ち込んだ概念だからではないかと思えて仕方がない。

外務省は,「法律による行政の原理」という概念が欠如していると言っても過言ではないだろう。

さらに,極めて無責任なのが内閣官房である。

新型コロナウイルス感染症対策本部を設置し,決定を行う強い立場にあるのだから,ここがきちんと国民目線の文書をわかりやすく出す義務があるのではなかろうか。

にもかかわらず,例外措置が何かなどの詳細は,所管庁に丸投げして,一番分かり難い行政文書を発表している。単に「10月1日に緩和した措置を12月28日から1月末まで停止し,緩和を認めない」と言えばいいだけであるのに,あたかも新しい強い措置を取ったかのアピールをしたかったのか,「拒否する」などと紛らわしい文書になっている。

行政文書としても統一感がない。14日間の待機措置については,「緩和を認めない」としているのであるから,統一して「緩和を停止する」という端的な説明をすれば良いのではないだろうか。

こうした点からも,私はどうも行政文書の改ざんをさせた安倍政権を継承する菅内閣には,事実関係を捻じ曲げて国民への印象操作をしようという小手先感を感じずにはいられない

いずれにしても,3省庁がそれぞれ一元化されていない文書を出していることで,出入国管理行政として今政府が行っている措置が正確に把握しにくくなっているのは,こういう第三波は容易に想像できたはずなのに何も準備していないことの現れであって,本当に情けない限りだし,怒りすら湧いてくる。

3.今回の措置から透けて見える薄っぺらい行政改革

他の大臣に比して河野太郎大臣は人気があるようであるが,私は,今回の措置を巡る行政文書の分かり難さからも明らかなとおり,菅内閣には国民目線の本当の意味での行政改革は無理だと思う。河野大臣は,ハンコを目の敵にして行政改革をやったつもりでいるのかもしれないが,今回の人の出入国に関する措置を巡る行政文書の分かり難さと,3省庁バラバラの文書が,縦割りの行政が一切変わる兆しがないことを如実に示してくれているのではなかろうか。

ハンコを失くすより,こうした国の基本的方針を示す際に,わかりやすい国民目線の一元化された情報が統一的に示されるのが,何よりも行政改革の成果であるし,国民の生命・身体の安全と基本的人権に関わる出入国に関する決定の案内こそ,率先して,改善すべきものだったと思う。

行政改革による縦割り行政の改善とは,まず国民目線でどうやってわかりやすい行政文書を書くかということに注力すべきではなかろうか。国民も過去の民主党政権の時に学んだように,こうした人気取り大臣のパフォーマンスに騙されてはいけない。本質的な行政改革による縦割り行政の解消は,今回の措置の発表を見ても,何ら行われていないことは明らかなのである。

既存の与党の政治家たちは,与党という権力に胡坐をかいてきたから無理なのかもしれないが,国民からどう見られているかを真摯に意識して,国民目線に全集中してほしいと思うのは私だけではないだろう。

 

  

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11/16/2020

アメリカ社会の分断はトランプ政権が原因ではない

アメリカ大統領選挙についてメディアはバイデン前副大統領に当確を報じており,今のところ私の予想記事は当たらなかったが,アメリカ社会が更なる分断に進んでいることは間違いない。アメリカメディアも日本のメディアも,アメリカ社会や世界の分断がトランプ大統領にあるような薄っぺらい報道を行っているが果たしてそうだろうか。今回は,選挙を巡るアメリカの混迷について解説するとともに,この分断の原因が「リベラリズムの奢り」にあるという私見を発したい。

まず,現在のところ,アメリカ議会上院は,共和党50議席(1議席減),民主党(独立系議員2議席含む)48議席,そしてジョージア州2議席が決選投票の選挙となる見通しである。下院は,422議席が改選され,民主党が219議席,共和党が203議席となっている。ほとんどすべてのメディアが,民主党の大幅な勝利を報じていたにもかかわらず,共和党と民主党の勢力は拮抗している。

バイデン支持者は,報道機関による当確情報を得て,感染症対策の概念も虚しく,町で大はしゃぎに「勝利」を叫んでいたが,果たしてそう「短絡的」なのであろうか。トランプ支持者の間では,数多くの選挙不正の動画等が出回っており,結果の如何にかかわらず,共和党の大多数は選挙不正を明確にすることを望んでいるようである。

多くのメディアはトランプ大統領が「負け」を認めないことについて,「潔くない」などという妄言を発しているが,果たしてこれもそう「短絡的」な思考で良いのであろうか。選挙不正の情報を見ると,日本のまともなスタンダードからは考えられないアメリカの発展途上国さながら,いや,それ以下の選挙の実態が見えてくる。

例えば,この記事では,選挙後に投票用紙を回収するアメリカ郵政の姿が映されている。もちろん動画の真偽というのはわからないが,私が驚いたのは,この動画の争点が「選挙『後』」であることを問題視しているだけで,回収方法ではないのである。投票用紙を公道で黒いバッグに詰め込んで運ぶという感覚を私は全く理解できない。よもやよもやだ。とりわけ,これほど大規模に郵便投票を認めた時点で,選挙の公平性は最も重要な事項として担保されるべきであったにもかかわらず,このような回収をしているとすれば,トランプ大統領やその支持者が選挙不正を今も訴えている点には「なるほど」と思わざるを得ない。

にもかかわらず,アメリカの大手メディアは,共和党側の主張については,門前払いで荒唐無稽と決めつけ,一方的に不正はないという民主党側の主張を報じている。おそらく,これが日本のように,公務員全体のレベルが高いまともな国であれば,荒唐無稽と思うだろうが,この選挙はアメリカである。あの国の杜撰さや下級公務員のレベルの低さを知っていれば,こうしたあり得ない回収方法も,普通に行っていて何ら問題視されていなかったのではないかと思えて仕方ない。

もう一つ驚いた事実は,手作業での集計は原則として行われておらず,機械により集計し,僅差だったときにおいて手集計が求められた場合に限り,手作業の確認が行われるということである。日本では,機械や手作業で票を振り分け集計した上で,必ず人の目でそれが正しいか確認される。怪しい票は審議される。アメリカのように手作業が絡んでいないということはあり得ない。私はかなり前に自治体の選挙管理委員会に関与したことがあるが,その時は目視で票を振り分け,10枚の束にした上で,10個の束が集まった段階で機械でも確認するという方法で集計していた。これが当たり前だと思っていたがアメリカでは単に機械に載せるだけという州が多いらしい。にもかかわらず,結果が数日確定しないという一事を取っても我々はアメリカが中国やロシア,それ以下の後進国と同じレベルの公正さに欠ける社会制度が存在する極めて不安定な社会であると再認識しなければならないだろう。

ここまで,共和党側の主張にも一理あるという話をしてきた。ここからはなぜ分断がトランプのせいではないのかについて論じたい。そもそもトランプが当選した時点でアメリカは相当程度分断されていた。これはオバマ政権が口先だけで何の実績も作ることができず,さらにはアメリカ経済が安価な中国製品により製造部門を中心に疲弊していたからである。そんな中,オバマ政権は,社会主義的政策を推し進め,地方はどんどん疲弊したのである。いわば,オバマが分断を深めたといっても過言ではないだろう。アメリカ社会の根源は,FederalismとAnti-federalismの対立にある。共和党はAnti-federalismが伝統的な流れであり,大幅な減税政策を志向する。共和党支持者にとって,田舎の人間たちも,オバマケアのような負担が増えることは嫌がる傾向にある。つまり,保険は自分で考えて入るものであって政府に強制されるものではないという考えが根底にあるのである。オバマケアは日本では好意的に捉えられているが,前提とする社会観念が異なるため,アメリカでは更なる分断を招いたのである。

それだけではない。欧米では,いわゆる,リベラリズムを志向する層がそうでない者を徹底的に敵視し,攻撃的な言動に出るケースがオバマ政権以降顕著に出てきている。メディアの報道では,トランプ支持者が白人優越主義者と組んでいるとか,銃を購入しているとか,極めて一面的な報道しかしていない。しかし,現実にBlack Lives Matterを利用して暴動に興じていたのは反トランプのグループである。だからこそ,今回の選挙でも国民の約半分が以前としてトランプを支持してきたのである。

はっきり言って私はトランプは大嫌いである。人間性は最低であるし,言動が癇に障る。しかしながら,アメリカ国民の約半分がそれでもトランプを支持しているという事実を冷静に受け止めなければならないのである。

しかしながら,欧米のリベラリズムは,この事実を無視するか,あたかも,「国民の半数が支持するのは残念」などという極めて見下した言動をするのである。ここにアメリカの分断の根底があると私は思う。リベラリズム層が,それ以外の思考のものを見下し,受け入れない。これがまさに,アメリカ社会の分断の根本的原因であろう。この点,私は基本的にこの人の意見に同意することはほとんどないが,橋下徹氏が同様の指摘をしていたようである。この指摘は正しいと思う。

このリベラリズムの傲慢さが現れたのはアメリカだけではない。

去年のイギリスの総選挙で,労働党が大敗したのはJeremy Corbin氏率いる同党の旧態依然とした労組中心の社会主義国家への逆戻り主張に原因があり,この時の労働党幹部は,主張に間違いはなかったなどと強弁し,方向転換に失敗した。面白いのはこうした極左的な主張を支持しているのが,アメリカの反トランプのグループと同じ若者層だということである。大学教育を受け,エリート意識を志向し,異なる意見を切り捨てるといういわゆる典型的な共産党のようなリベラリズムが欧米社会で幅を利かしてきていることに私は危機感を感じざるを得ない。そして,必ずと言っていいほど,このグループは,本筋とは違うことを争点にして議論の本質から目を遠ざけようとする。オバマ大統領が口だけ何の実績もなかったのと同じように。

このようなリベラリズムの傲慢さにはまさに「黙れ。何も違わない。私は何も間違えない。全ての決定権は私に有り,私の言うことは絶対である。お前に拒否する権利はない。 私が正しいと言った事が正しいのだ。」という発言をした誰かを思い起こさせる。

さて,アメリカ政治の今後として,この選挙不正問題がどうなるか,上院の過半数がどうなるかは気になるところであるが,バイデンに変わっても,世界は混沌することに間違いはない。なぜなら,欧米社会で幅を利かしているリベラリズムこそが,偽善的な顔をした分断の原因であり,これがますます台頭すると考えているからである。

一方,日本では,映画「鬼滅の刃」が一大センセーションとなっていが,私はこれについても,日本人としてこのアニメがこれほど人気を博していることが日本人として誇らしいと思う。鬼滅の刃がヒットする理由はまさに主人公の炭治郎が敵である鬼に対して慈悲と敬意を常に示す懐の深さであろう。これは優しさとは違う。相容れない存在を一方的に否定しない慈悲深い心。利他の精神であろう。自分勝手な言動が幅を利かして分断されているアメリカとは真逆の精神である。

今まさにアメリカで,無責任に大声で騒いでいる輩こそ,鬼滅の刃からこうした他者を否定しない慈悲深さと利他の精神を学んでほしい。このアニメは非常にわかりやすいので,傲慢なリベラル層にはぜひ炭治郎から自信を顧みてもらいたいものである。

  

 

  

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11/04/2020

アメリカ大統領選挙の行方

今日は,4年に一度のアメリカ大統領選挙の投票日。

多くのメディアはトランプ苦戦を報じてきたが,私も木村太郎氏と同じように私はトランプ大統領が再選すると考えている。

日本のメディアに登場する自称専門家の米国政治専門の大学教授などは隠れバイデン支持者が多くいる一方,隠れトランプ支持者が今回は少ないなどとリベラル的視点で希望的観測を述べているのをよく見てきたが,私は今回も大方のメディアは予測を外すと思っている。

つまり,トランプが再選するだろう。

私の友人の中にはアメリカ政府高官もいることからその友人からの情報については今まであまり鵜呑みにしてこなかったが,今回一般市民レベルのアメリカ人の友人たち(20~40代)がいわゆる隠れトランプ化していることからも,メディアが報じるほどトランプの人気が落ちているようには思えないのである。そしてこれらの友人たちが共通して言うのは,彼らはトランプの政策により生活が4年前よりも良くなっているし,トランプの政策は良いというのである。

多くの日本人はトランプに対して良いイメージを持っていないだろう。これはアメリカ人にとっても同じだと思う。ただ,大統領を選ぶ際にアメリカ人の大多数は,その人物が相応しいかというよりも,政策がどうかで判断している。換言すれば,生活が豊かになったか否かである。この点,木村太郎氏が早々に指摘していたが,56%のアメリカ国民がトランプ政権下で暮らしが良くなったと世論調査で答えている。これは非常に大きな点で,私のアメリカ人の友人を見ても,「個人的にトランプに大統領の資質があるとは思わないが,経済が良くなり,彼は仕事をしているから投票する」という20代後半から30代後半までの若い層が結構いる印象である。

また,この人たちが共通して言うのは,「大手メディアはバイアスが酷く信用できない。テクノロジー関係の大手企業が言論統制をしようとしている」というのである。つまり,隠れトランプを世論調査会社が把握できない状況は改善していない。なぜならば,彼らは大手メディアや世論調査会社を信用しておらず,敵視しているので彼らはまともに世論調査やメディアに対してその声を回答をしないためである。

例えば,私のニューヨークに住む20代後半の友人は,元々民主党支持者であったが共和党員になった。彼が強く主張していたのは,この数年の間にニューヨーク市をはじめとする民主党が首長を務める市や州において劇的に治安が悪化しているということであった。ニューヨーク市については,デモとは名ばかりで暴動と犯罪が急増しており,民主党の首長たちはこれを容認しているという強い不信感を語っていた。

また,日本ではもてはやされているクオモ知事についても,「ニューヨークを破壊している」と極めて低い評価をしていた。こういった声は日本のメディアでは報じられることはない。

面白いことに,こうした民主党所属の首長に対する批判については,私のアメリカ政府で高官を務める友人が同様のことを数年前から私に話していた点である。当時,私は「まあ,共和党の米国政府の高官だからそういうのだろう」という程度にしかとらえていなかった。しかし,一般市民であるニューヨーク州に住むアメリカ人からも同様の見解を聞くと,私たち日本人がメディアや自称専門家の大学教授たちなどから見聞きしているアメリカの虚像からは,かけ離れた事実がそこにはあるように感じる。

このニューヨークの20代後半のアメリカ人の友人は,オバマ支持者であったが前回の選挙でヒラリーを支持できず,トランプに投票したという。彼がいうには,4年前にヒラリーが嫌でトランプに投票した人は,今回もトランプに投票するだろうし,トランプが好きで投票した人は今回もそういう投票行動になるだろうという。さらには,黒人層はバイデン支持などという単純化は難しく,今回はより多くの黒人票がトランプに流れると予測していた。これはバイデンが何か強い政策やリーダーシップを示すことのできる強い候補者ではなく,トランプに対する批判しかできない候補という認識が強いことや2週間ほど前に木村太郎氏も紹介していたバイデン氏に対する疑惑がさらに深まっている点にあるという。

また,日本では報じられないが,アメリカ人の友人たちによれば,黒人の芸能人や著名人がトランプ支持を公言するケースが増えており,黒人の裕福な層には,トランプ支持が確実に増えているというのである。特に中産階級や自宅保持者に対して行われたトランプ政権の減税政策がバイデンが勝てば廃止されるため,これを嫌う黒人層はトランプ支持だという。

ではなぜ日本のメディアはこうした違う「声」を報道しないのだろうか。それは,日本のメディアはアメリカメディアが報じることを真実として報道するだけで,自分たちの情報リソースをきちんと持っていないからである。日本の外国メディアのほとんどが薄っぺらい日本の表層的な情報しか報じないのと同様に,アメリカにおいて外国メディアである日本のメディアにはこうした違う「声」を拾う能力はないのである。

次の疑問は,なぜアメリカのメディアがこうした情報を取り扱わないのか。それは,アメリカメディアがもはや自分たちが聞きたい情報以外を報じたくないという姿勢に陥ってしまっているのである。逆を言えば,リベラル色が強いメディアが自分たちが聞きたい情報のみを報じ続けてきた結果,多くの国民がメディアにそっぽを向いてしまったと言ってよいだろう。もちろん,リベラル層はそれが心地良いからますます事実が真実か否かを問わず,心地の良い情報しか報じられないのである。

例えば,トランプに都合の悪いロシア疑惑は前回の選挙からこの4年間ずっと報じられてきたが真実性を決定づける証拠がイマイチ出てこなかった一方で,バイデンに関する上記疑惑は大手メディアが報道を避けているという根強い批判が隠れトランプ支持層には多い。また,トランプ政権の成果とも言える中東の和平合意についても米国内ではほとんど報じられていないというのである。

こうしたメディアに対する強い不満がある層は圧倒的にトランプ支持であるという。私の友人の中には,今回の選挙ではトランプが圧倒的支持で勝つだろうという人もいた。

多くのメディアは,トランプがアメリカを分断などと報じているが,私はこの見方こそアメリカメディアが意図的に事実を歪めて報道しているのを日本のメディアが垂れ流しいる証拠だと思っている。

私は,アメリカの分断は,オバマ政権の誕生から始まったと見ている。そもそも,私が留学していた頃,ナンシー・ペロシ(Nancy Pelosi)という政治家が下院院内総務などという重要なポジションにつくとはよもや思いもしなかった。それは彼女が当時は極左のような思想の持主でおよそ要職に付けるような人物ではなかったからである。しかしながら,オバマ政権を経て民主党はより左にシフトした。その結果,共産主義のような思想が幅を利かせることになり,穏健派や中庸を好む層は,民主党支持者から離れたという事実は無視できないが,メディアは何の実績もないオバマ政権について批判的検証を一切せず,トランプがアメリカを分断したと報じているのである。

現に,デモと称する暴動や犯罪を犯しているグループは,反トランプのグループのデモに起因しているし,Black Lives Matterの運動をしているグループの一部がそうした過激な行動に出ているのも皆わかっているが,なんとなくトランプが分断したというイメージのみが広がっているのも,メディアが問題の本質を報じていないからである。つまり,今のメディアには,あらゆる事象に対する偽善的リベラル主義がはびこっているのである。

ところで,ある日本の自称専門家の大学教授は今回の選挙が最高裁で揉めるなどと予想し,ロバーツ最高裁長官とLGBTに有利な判断をしたニール・ゴーサッチ判事がトランプを裏切りバイデンが・・・などという戯言を自称情報番組で語っていたが,こんな短絡的な話にはおよそならないと私は思う。

そもそも,アメリカ最高裁をリベラルと保守で分けるのが間違いである。アメリカ最高裁判事を分類するなら,憲法の趣旨を解釈してその範囲を広げる手法を取る判事か,制定当時の立法事実を重視して解釈を限定的に行う判事かという分類であって,保守かリベラルかというのはおよそ法律をわかっていない人間が短絡的思考で行うことである。

現に,米国連邦最高裁は,民主党に有利なノースカロライナ州での不在者投票の受付期限を6日間延長する措置を支持する判断を下しているが,評決は賛成5、反対3で、クラレンス・トーマス判事とニール・ゴーサッチ判事、サミュエル・アリート判事は延長に反対したとされているが,これもリベラルか,保守かの問題ではない。この3判事は極めて限定的に解釈する考え方の判事であるため結論が同じになっただけである。また,選挙前に判断すべきかどうかが争われており,これも判事の司法に対する考え方の違いが今回の結果にも表れており,終身の判事が短絡的に保守だからトランプ有利にとか,LGBTに有利な判断をしたからバイデンに有利になる可能性があるとか,そういう浅い,上っ面な解説は全くもって資質がないと言いたい。司法を保守かリベラルかで語る時点で司法の本質を分かっていない人なのであるが,そんな人が専門家として日本でいわゆるフェイクニュースを広めているかと思うと恐ろしい。

さて,私は,トランプが勝つのではないかと予想するが,マスメディアが今後のアメリカを報道していくのか注目していきたい。

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02/21/2020

日本の危機管理能力がいかに乏しいかを世界に知らしめたクルーズ船隔離の失敗

世間の関心は,この話題に集中しているのではなかろうか。神戸大学の岩田健太郎教授による指摘から明らかになったクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」内での隔離と検疫政策の失敗である。

1.厚生労働省技術参与の高山義浩氏の反論の説得力

私は,あくまで法務,訟務,コンプライアンスを専門とするキャリアを積んできたので,感染症はおろか医学系については素人である。もっとも,あらゆる係争は裁判の場においては,裁判官は素人的感覚をもって,専門家の意見などの証拠資料を吟味し,社会通念上何が相当であるのかということを経験則に照らして判断していく。そこで,私も素人的観点から,高山氏の反論を読んでみた。しかし,結論として高山氏の反論を読んでも,何ら岩田健太郎氏が指摘した事実の不存在を裏付けるような反論にはなっていないというのが正直な素人的感想である。以下主要な点について評価したい。

というのも、現場は乗客の下船に向けたオペレーションの最中であって、限られた人員で頑張っているところだったからです。そうしたなか、いきなり指導を始めてしまうと、岩田先生が煙たがられてしまって、活動が続けられなくなることを危惧したのです。まあ、クルーズ船とは特殊な空間ですし、ちょっと見まわしたぐらいでアドバイスできるものではないとも思ってました。

 この部分は何ら反論にもなっていない。単に経緯を述べているに過ぎない。

 >DMATのチーフのドクターと話をして、そうすると「お前にDMATの仕事は何も期待していない、どうせ専門じゃないし、お前は感染の仕事だろう、感染の仕事やるべきだ」という風に助言をいただきました。

これ事実です。岩田先生は、これで自分は感染対策についての活動ができるようになったと理解されました。ただ、船には、DMATのみならず、厚労省も、自衛隊も、何より船長をはじめとした船会社など、多くの意思決定プロセスがあります。その複雑さを理解されず、私との約束を反故にされました。せめて、私に電話で相談いただければ良かったんですが、そのまま感染対策のアドバイスを各方面に初めてしまわれたようです。

この部分は,岩田教授に根回しをしてほしいと言っているに過ぎず,何ら,指摘した問題点に対する反論にもなっていない。

 もちろん、岩田先生の感染症医としてのアドバイスは、おおむね妥当だったろうと思います。ただ、正しいだけでは組織は動きません。とくに、危機管理の最中にあっては、信頼されることが何より大切です。

この部分もむしろ,厚労省のオペレーションがまずいことを認めた上で,組織論を振りかざしているに過ぎず,厚労省の対応が指摘通り問題だったことをむしろ自認しているといえる。

 しかしながら、実際はゾーニングはしっかり行われています。完全ではないにせよ・・・。

この部分は,我々は中を見ていないから何とも言えないわけではあるが,後述するとおり,厚生労働副大臣の自爆的ツイッターの投稿から明らかに素人目からして,隔離はできてないと判断できると思う。ゾーニングの定義がわからないが,密閉できるような状態ではないにしても,もっとビニールなどで覆うなどして,何らかの隔離というのはできないのかと素人の大多数の国民は思ったに違いない。

こんなことは初めての取り組みです。失敗がないわけがありません。それを隠蔽するようなことがあれば、それは協力してくださった乗客の皆さん、仕事を放棄しなかった乗員の方々、自衛隊の隊員さんたち、そして全国から参集してくれた医療従事者の方々を裏切ることになります。 

この部分も,現場で頑張っているという精神論的な論調であり,説得力がある事実は何も摘示されているとは思えない。むしろ,岩田教授が告発して初めて多くの国民に,命の危険にさらされている乗客,乗員,医療従事者の現状が明るみになったのであって,隠ぺいしていないとしても,情報を積極的に開示してこなかった厚生労働省の責任は極めて重いのではないだろうか。アメリカ政府(CDC)も日本の対応は不十分であり,帰国者を更に14日間隔離すると表明している。厚労省は,アメリカ政府が日本の施策が明白に失敗したという烙印を突き付けていることに気が付くべきであろう。

私の米国時代の友人は,米国政府の中枢におり,この問題に対して非常に強い関心を持っているが,岩田教授の告発ビデオと共に後述の橋本厚生労働副大臣が投稿して,慌てて削除した写真を共有したところ,閉口していた。

結局のところ,高山氏の反論投稿を読んでも,何ら厚労省の対応に対する危機感は変わらないと感じた人が大多数なのではなかろうか。この反論のあらゆるところに人格攻撃的な文言が散らばめられており,かつ,そこを大々的に政府の側も突いた反論をしていたが,この反論からは日本政府がおかしな政治主導を振りかざし,無責任に場当たり的な対応しかしていないのが問題であるということを追認すらしているものの,何ら岩田氏の指摘に対する反論にはなっていないといえるだろう。

さらに言えば,岩田教授は、現場の人を批判してるのではなく,そのようなオペレーションをさせてしまっている体制を批判してるのであって,「一致団結していかなければ 」などと精神論をしている場合ではない。真正面から批判を受け止め,どう改善すべきか指示を仰げば良いのではないか。なぜそれができないのであろうか。多くの国民や海外の人がそう思ったからこそ,岩田教授の告発に多くの国民と海外メディアが共感しているのだと思う。

2.橋本岳厚生労働副大臣の自爆

さらに,池田清彦先生もツイッター上で指摘されているが,厚労副大臣の姿勢と認識が国民の不信感を増幅させている。

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この写真を見たら,素人でも隔離なんか全くされていないと感じるのではなかろうか。

今我々は未知のウイルスが蔓延する危機に接しているのである。にもかかわらず,このような程度で,「ゾーニングができている。隔離ができている。」などと言われても,通常人の合理的判断からして,「それはないだろ!」というのがまともな感覚の持ち主の反応だろう。

そして,あり得ないのが,この投稿がまずいとなると,この副大臣は,投稿を削除して事実を隠蔽したというのだからもはや笑うしかない。さらにこの副大臣はなんとこんなん、泣いてまうやろ…。ありがとうございます。がんばります。 」と写真を投稿している。この写真を見た国民はどう思うだろうか。この投稿を見た国民の多くは,「え,船内にあったものだよね。そこにウイルスついてないの?それちゃんと除菌している?」って思うであろう。

しかしながら,この副大臣は,その点に対する説明は何もなく,これらが政府関係者,検疫,医療従事者,ボランティアに配布された事実を明かしている。

このような弱い認識で,ウイルスが拡散したのではないのかという危惧さえ植え付ける投稿を無責任にしているのである。すなわち,厚生労働副大臣の認識は,世間の危機感からは全くもってかけ離れており,リスク管理ができていないことを声高らかにアピールしているのだから,あきれてしまう。危機管理をしなければならないという緊迫感がなく,チャンカワイ的な軽い投稿をする厚労副大臣に不信感以外のどんな感情を国民に抱けというのであろうか。

今回の一件で私は初めてこの橋本岳という政治家を知ったが,なんと,橋本龍太郎の息子だったらしい。なんとも,小泉の息子と言い,あんぽんたんな世襲議員だったか・・・という感想しか持てないのである。岡山県の選挙区の人にはこのような馬鹿政治家を当選させてしまったことを本当に恥じてほしい。

3.広がる岩田教授への共感

ハフポスト日本版は,「声を上げられないスタッフを代弁してくれた」という船内の声を報じている。印象深いのは,この記事の中で,次のような声を紹介している点である。

乗船前、全てのスタッフは、船内の避難経路や非常時の汽笛の合図などについてのブリーフィングを受けるよう義務付けられていますが、危険区域と安全区域についての説明など感染管理に特化したブリーフィングはありませんでした。

でも、当時は、乗船業務に当たる上で必要な知識は事前に共有されているものだと思っていたので、色々疑問に思うことはあっても、自分は専門家ではないので、恐いと思ってはいませんでした。

つまり,日本政府はこの未知のウイルスに対峙しなければならない人たちの安全なんて一切考えていなかったということである。ここに,日本政府が,いかに危機管理(クライシスマネジメント)に弱いかということを示しているといっても過言ではないだろう。

よく,「欧米社会では謝らない。謝ったら負けを認めることになる」などと欧米を知らない人が良く言うが,実際のところ彼らは「Apology」という言葉を多用する。むしろ謝った上で,いかに正しい方向に修正するかという点に重点が置かれている。つまり,海外の組織は,間違いに気が付けば,責任問題などよりも,まずは修正して如何に改善するかに着目する。

他方で,日本社会は間違ってはいけないという点を重視するあまり,解答がないクライシスに対する対応が下手なのである。100%適切にやっていると強弁して指摘は受けないというのが日本の組織によく見られる。これは極度に責任問題を恐れるからである。

今回の一件はそれを如実に表しているのではないだろうか。

馬鹿げた体制論者の与党の政治家などが,「岩田教授の指摘は日本を貶める」などと寝ぼけたことを言っているが,むしろ,こういう声が出ないことの方が,日本を貶めているのであって,そういう馬鹿な人たちは,自らの発言が中国の共産党独裁国家と全く同じことを言っているとは一生気が付かないだろう。情けない限りである。

 

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10/17/2019

ラグビーワールドカップにみる電通の闇

テレビ各局などでは,殊更大きく取り上げているラグビーワールドカップのウルグアイ代表選手2名の事情聴取のニュースを伝えている。しかしながら,私はこの報道姿勢に疑問を感じている。

そして,不可思議なことに同じタイミングで発生した警察が「逮捕」という強制処分(より重い判断)に及んだ悪質な電通担当局長の逮捕という事案については,多くのメディア,特に,テレビメディアはまったく報じようとしていない。

そこで今日は私が大会関係者などから聴取した情報も併せて,この摩訶不思議な現象について,久しぶりに私見を発しようと思う。

ご存知の人が多いとは思うが,13日にはラグビーワールドカップ関連で,2つの事案が発生した。1つは,メディアが殊更大きく報じているウルグアイ選手2名が事情聴取を受けたという熊本でのトラブル事案である。

NHKの報道は次のとおりである。

警察などによりますと、この試合のあと、代表選手2人を含むウルグアイのチーム関係者およそ10人が市内の飲食店を訪れ、このうち一部が酒を飲んで暴れて店に通報されたということです。

警察によりますと、店側は、従業員の男性が選手からタックルをされたほか、店内の備品が壊されたと話しているということです。

警察は、関係したとみられるウルグアイの選手2人から任意で事情を聴いていて、詳しいいきさつを調べています。

大会の組織委員会は15日、店側に謝罪したということで、「ウルグアイ代表チームは非常に反省している。ワールドカップの代表選手が非人道的な行為を行ったことについて遺憾に思っている。今後は店とチームの間に立ち、誠意を持って対応していきたい」とコメントしています。

また,他のニュースメディアも同様に報じている。

ここでのポイントは,警察が直ぐに駆けつけたにも関わらず,「逮捕」という強制処分をすることなく,事情聴取をしたのみという点である。つまり,刑事事件として身柄拘束する必要があるとは司法警察職員の警察官は判断しなかったということである。現に,ウルグアイチームは,翌14日には熊本から東京に移動しており,15日に帰国している。この点,大会関係者から聞いたところによれば,そもそも15日に帰国することは決まっていたので,この事件の有無にかかわらず,15日の帰国は想定通りであった。

であるとすれば,警察も,もし本件が刑事事件として立件すべき事案と考えていれば,逮捕するなりして身柄拘束を当然していたと言える。つまり,メディアがこぞってこのトラブルを報じているが,その悪質性という点は低い事案とみるのが相当であろう。

この点,私が更に大会関係者から聞いた情報によれば,この飲食店はいわゆるナイトクラブのようなところで,そもそものトラブルの原因は,DJの音楽機械に飲み物をこぼしてしまったことにより,その音楽機器が壊れたというトラブルから発生したというのである。

実際,私は現場を見ていないし,警察内部の捜査情報がわかる立場にはないので,この情報が正しいとは断言できないが,報道されている情報との間に温度差を感じるのである。報道を見ると,あたかも,負けたウルグアイチームの一部の選手がヤケ酒を飲んで泥酔し,飲食店で暴れたというような印象を与える記事となっているが,私が関係者から聞いた情報によれば,ウルグアイチームはむしろ,釜石で1勝したことが彼らにとって奇跡的かつ伝説的な勝利で,喜ばしい結果で,ヤケ酒を飲んで暴れるという印象は実体から乖離しているようである。

むしろ,ナイトクラブでDJ機器に飲み物をこぼしたことに起因してトラブルとなったという話や警察が15日に帰国することを前提にその現場において逮捕という身柄拘束の強制処分を取らなかったことからすると,必ずしも,大暴れしたという印象を与えるような報道は,事実関係を正確に報じていないのではないかとの疑念が出ているのである。

さらに,特筆すべきは,同日(正確には前日)に発生したラグビーワールドカップの広報を担当する電通の局長が行った暴行行為に関する報道が極めて矮小されて報じられており,テレビメディアにおいてはほとんど取り上げていないという点である。

テレビメディアは電通に忖度しなければいけない事情でもあるのであろうか。

例えば,朝日新聞のウェブ版では,この2つ目の事案について,次のとおり報じている。

 ラグビー・ワールドカップの試合を観戦後、警備員を殴ったとして、神奈川県警に暴行容疑で現行犯逮捕された大手広告会社「電通」の〇〇〇・新聞局長(51)=東京都港区=について、横浜地検は勾留請求せず、釈放した。15日付。

 県警港北署によると、逮捕容疑は13日夜、横浜国際総合競技場(横浜市港北区)で、警備のアルバイトをしていた大学生の男性(21)の顔を平手打ちしたというもの。日本対スコットランドの試合を観戦後、競技場のゲートの柵に体当たりし、男性に注意されていたという。 

ここで注目すべきは,こちらの事案では,現行犯逮捕されているという点である。つまり,ウルグアイ選手のトラブル事案とは異なり,「逮捕」という強制処分が行われているのである。これは,現場にいた警察官が,暴行の態様から悪質と判断し,逮捕していると考えられるわけである。にもかかわらず,報道内容は,極めてアッサリとしていて,問題の本質に切り込もうとする姿勢は一切見えない。むしろ勾留請求されなかったことが強調され,あたかも事件が軽いものであったかのような印象すら与えようとしている。

私が大会関係者に確認した情報によれば,電通は今回のラグビーワールドカップの広報活動を担当しており,日ごろから担当の電通職員の態度が極めて横柄であって,今回の事案の発生は彼らの日頃の言動からすると起こるべくした起こった事案ということであった。

というのも,ラグビーワールドカップの広報を担当する電通職員は総じて「自分たちがいるからワールドカップも東京オリンピックもできるんだ」という極めて横柄な態度で接してくるというのである。

こういう話からすると,私は,この2つのニュースの取り上げ方の違いに一抹の疑惑を感じてしまう。

それは,注目を受けやすく帰国して反論することが実質的にできない海外選手のトラブルを前面に持ってきて,同じタイミングで起こった電通の不祥事を矮小化又は目立たなくしようとしているのではないかという疑惑である。

悪質性からすれば逮捕された事案の方が明らかに悪い。にもかかわらず、逮捕すらされていない事案に「非人道的行為」などと大袈裟な大会の発表にも電通への忖度がなされているようにすら疑ってしまう。なぜラグビーワールドカップは電通局長の事案について真摯に非難しないのであろうか。

ハッキリ言って,私は電通という会社がこのような大会に関与すること自体おかしいと感じている。なぜならば電通は東京オリンピック招致に係る贈収賄事件において,同社の関係会社がフランスの捜査機関から捜査対象となっているためである。

この点についても日本のメディアはあまり報道しないが,今年8月には,次のような記事が出ている。

国際スポーツビジネスを巡る汚職疑惑を捜査しているフランス検察当局は、摘発したスポンサー料の横領事件で、日本の大手広告代理店、電通のパートナーであるアスレティックス・マネジメント・アンド・サービシズ(AMS、本社スイス)が横領に利用された取引で「中心的かつ不可欠な役割」を果たしていたと判断、スイス当局にAMS本社の捜索と証拠の押収を要請した。ロイターが閲覧した文書と、捜査状況を知る関係者の話で明らかになった。

すなわち,電通は贈収賄事件に関与していた可能性が極めて高いのであってこのような疑惑のある会社に広報活動の業務を依頼すること自体,論外というべきではなかろうか。

現在はフランスの捜査機関のみが捜査していると報じられているが,当然,外国公務員腐敗防止法(FCPA)を有するアメリカ合衆国の捜査機関もこの問題については捜査していると考えられる。なぜなら電通やその関連会社を摘発すれば,膨大な罰金を米国司法省は手に入れることができるからである。

いずれにしても,このような贈収賄疑惑があるような会社が世界的大会の広報活動に関与しているというのは,我が国の組織委員会などにおける倫理精神が著しく欠如しているのではないだろうか。疑惑の法相が任命されたどこかのおかしな国を笑っていられる場合ではないかもしれない。

既存メディアは,利害関係をもって忖度した形でニュースを報道するのではなく,刑事処分の有無といった外形的事情から客観的に報道をすべきではなかろうか。このような利害関係丸出しの報道姿勢であれば,マスゴミと言われても仕方ないだろう。ラグビーワールドカップ関係者の間では,電通職員の態度が極めて横柄であるという話は,有名な話のようである。

起こるべくして起こったより重大な事案については切り込まず,外国選手の逮捕もされていないトラブル事案を殊更大きく報道する既存メディアの姿勢には国民の知る権利に資するための活動を行う者としての矜持が一切看取できない。マスゴミと言われても仕方ないだろう。今回の報道にみるマスコミの偏向は,ラグビーワールドカップなどの国際大会に電通という闇が存在することを改めて実感させてくれるものであった。

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03/20/2018

森友問題の文書改ざんについて思うこと

暫く記事を書いていなかったが,世間を騒がす森友問題を見て,やはりこの問題については,霞ヶ関の官僚として勤務していた経験がある以上,私見を発するのが義務ではないかと思うことから,久しぶりに現時点で報道されている内容をベースにブログ記事を書くことで私見を述べたいと思う。

結論から言って,文書改ざんの裏に政治的な圧力があったのは明らかであろう。これはいかに政府が詭弁を並べ立てようと決して否定できない事実である。

私は当初,文書改ざんの報道を聞いた時,本当に驚いた。というのは,文書改ざんの事実もさることながら,書き換え前の文書と書き換え後の文書を見れば,政治的圧力があったのは,十中八九,事実とであろうと,霞ヶ関を知るものの社会通念からすれば,明らかであるためである。

1.そもそも行政文書とは

そもそも行政文書は,既に福田康夫元総理が述べられていたが,民主主義の根幹をなすものとして,公開される可能性があることを前提に,公文書管理法により,各省庁の行政文書管理規程に従い,各省庁の局課室において原本管理されているものである。

各省庁において多少の違いはあるにしても,行政文書にはそれぞれの区分に応じ,保存期間が定められており,その保存期間前に,差し替えたり,書き換えることは決して許されないというのが,官僚の共通認識であると私は思っていた。

実際,省庁の部局及び課室には大量の文書があることから,行政文書が紛失したという事案は起こりえるのであるが,起こった場合は総括文書管理者に報告しなければならない。

この総括文書管理者とは,官房長となっていることがほとんどである。つまり,行政文書が1つでも紛失したような場合には,官房長に対し,報告を挙げるわけである。

官房長とは事務次官に次ぐ地位である。通常の決裁ルートであれば,係員,係長,補佐官,課長,局三役(総務課長,官房審議官,局長)を経て,秘書課長,そして,官房長という流れである。

このような決裁の流れからも明らかなとおり,紛失は一大事であって,行政文書の取扱いは極めて慎重に行われるものである(少なくとも私がいた当時の省庁ではそうであった)。

ところで,各決裁過程で当然修正が入る。

通常は局長決裁を経た時点で浄書し,部局を跨ぐ場合やさらに上の決裁が必要な場合は,その浄書版をもって上に上がるというのが,流れである。

秘書課長や官房長の決裁を受ければ,そこでさらに最終的な浄書版が作成され,それが行政文書として,公開される可能性があることを前提に,行政文書として保存されるわけである。

この決裁こそがまさに,国民の知る権利に資するために,民主主義の根幹のために,全体の奉仕者たる公務員一人一人がその務めとして,日々,霞ヶ関の官僚が行っていることなのである。

したがって,そのような決裁文化の下において,決裁後の行政文書を書き換えたり,改ざんしたりすることは,決してあり得ないことというのが官僚の共通認識である。

この官僚の共通認識,公務員としての当然の常識を破壊したのがまさにこの森友改ざん問題であるといっても過言ではないだろう。

2.政治家や安倍昭恵氏についてをあえて記載した改ざん前文書

そもそも,官僚が行政文書を作成する時,何度も繰り返しいうが,公開される可能性があることを認識して,行政文書を作成している。それは,情報公開法に基づく情報公開請求によりマスキングがされるとしても,原則として行政文書は開示されることが前提となっているためである。

これも,霞ヶ関官僚の当然の常識の1つである。

この常識を前提に,今回の改ざん前の文書に,政治家や安倍昭恵氏のことについて言及が詳しく記載されていたという事実について見てみると,政治の圧力があり,政治に忖度した特例処分であったと考えるのが自然なのである(なお,具体的にどこから圧力があったかまでは判然としないが,少なくとも佐川前局長が一存ですべてを行ったと考えるのは無理があるように思われる。少なくとも,取引が問題になった時点において秘書課長や官房長当たりのレベルの人間には話として入れているのではなかろうか)

感の良い人ならば既に気が付いただろう。

通常,公開を前提としているわけであるから,官僚が行政文書を作成する際には,極力余計な情報は記載しない

特に,政治家や首相夫人なんかの陳情案件であれば,むしろ,政治家の圧力があっておかしな例外的措置をしたと思われたくないという判断が働くはずなのである。

他方で,決裁文書は,組織の意思決定過程を証拠として残すためのものである。

すなわち,後任者などから,なぜこのような判断をしたのかと問題視された時のためにも,どういう判断をどういう基準に基づき行ったのかを示すため,いわば,自分を守るための証拠なのである。

にもかかわらず,今回は政治家や安倍昭恵氏の言動等が事細かに決裁文書の一部として記載されていたわけである。

つまり,私からすれば,当該決裁文書の作成時においては,財務官僚たちは,あえて,当該土地取引については,政治家の影響があり,判断が通常ではない例外的措置であることを残そうとしたと思えて仕方ないのである。

もし,この土地取引が通常のもので,政治的圧力とは無関係のものであったのであれば,政治家に関する記載は普通は決裁段階で記載しなかったはずである。

なぜならば,情報公開請求により,開示となった場合黒くマスキングされ,何が書かれていたのか当然問題になるし,不要な記載であれば,そもそも決裁段階で記載しなければ良いだけの話だからである。

しかしながら,決裁時には,それが記載されていたということは,余計な記載ではなかったということだろう

3.国会答弁と各省庁の決裁

すでにほとんどの国民がご存知であろうと思うが,政府答弁はすべて官僚が準備している。各省庁は,国会係を通じて,与野党の委員会で質問する政治家やその秘書から質問の要旨を聞き取り,政府答弁を用意する。

局長答弁であれば,局長のみまでの決裁であるが,大臣答弁の場合は,秘書課長や官房長までの決裁を取ることとなる。

その上で大臣に翌朝レクを行い,国会で答弁する。

総理大臣答弁の場合はより大変である。やっと官房長決裁を経た後,内閣官房の決裁を受けなければならないのである。

これが通常の流れである。

森友問題では,安倍政権は,当時の佐川局長答弁に合わせるために佐川氏が独自に指示して行政文書を改ざんしたという論法で乗りぬけようとしているが,こんなのは霞ヶ関にいたことがある者の常識からするとあり得ない。

安倍総理は昨年2月17日に「私や妻が関係しているということになれば総理大臣も国会議員も辞める」と答弁した。

佐川氏は,同日又は2月24日の段階で,「適正な価格で先方に売却した」などと答弁したわけである。

つまり,安倍首相の発言が先なのであって,それに合わせて佐川氏の答弁がある,又は安倍総理と佐川氏の答弁は同日に行われたというのが時系列的には正しいようである。

そうであれば,先に出た又は同日に行われた総理答弁との整合性を合わせるために,局長答弁がされていると考えるのが自然であろう。

そして,改ざんも総理答弁と局長答弁の両方との整合性を図ったと考えるのが自然なのではないだろうか。

安倍政権と自民党の社畜のような政治家が必死で事実を隠そうとしても,このような時系列的な関係からは,佐川答弁のみの整合性を図ろうとしたと考えるのは常識的に無理があるというべきである。

そもそも,霞ヶ関の常識からすれば,昨年2月17日の総理答弁の時点(もしくは第一報が報じられた2月9日の時点)で,財務省は,当然に問題の決裁文書について存在を確認しているはずである。

その上で,総理答弁を用意し,内閣官房に答弁書の決裁を投げているはずであって,その際に,当該決裁文書の存在は,局長レベルではなく,少なくとも,秘書課長や官房長のレベルまで入っていると考えるのが霞ヶ関の常識的なルートである。

少なくとも,佐川氏のみの判断で決裁書と整合しない総理答弁と局長答弁を作ったと考えるのはあまりにも,官僚の社会通念に照らしておかしいと言わざるを得ない。

私は,この時点で,政務三役や内閣官房には,決裁文書に記載があることなどは情報として入っていたのではないかと想像する(あくまで想像ではあるが,現実的な想像だと思っている)。

いずれにしても,常識的に考えて,改ざんが局長答弁のみの整合性のために行われたと考えるのは時系列的に符合しないのである。

4.自浄作用がない自民党

このとおり,霞が関の官僚組織にいたことがある者として言わせてもらえば,もはや森友問題は,完全に政治家への忖度又は政治家の圧力に屈して,行政が歪められたとみるのが極めて自然なのである。

このことは,先の総理大臣であった小泉元首相福田元総理もはっきりと批判しているところである。

しかしながら,昨日の自民党の和田議員の質問を聞いて本当に呆れてしまった。小泉元総理ではないが,こんなバカげた質問をしてしまう議員を質問に立たせる自民党の判断力がどうかしてしまっているのではないか。

はっきり言って,このようなバカみたいな質問をし,馬鹿げた荒唐無稽の濡れ衣を太田理財局長に押し付けて,安倍政権を擁護しようとするような政治家を質問に立たせている時点でまったく自民党には自浄作用があるとは全くもって看取できない

むしろ,常に矮小化しようとする自民党議員の質問では,国民の怒りに火を注ぐだけである。

ピンチはむしろチャンスなのであるから,自民党はきちんとした質問をして,政治家や総理夫人へのの忖度があったのではないかということを追及できる人材を配置しなければならないはずである。

にもかかわらず,それができず,元総理でなければ批判できない今の自民党は,いかに安倍政権忖度政党であるかを物語っているように感じる。

今,本当に民主主義の根幹が傷つけられている

残念ながら,頓珍漢な陰謀論を国会で唱える和田や渡辺美樹のような無神経な発言をする国会議員を質問者に選ぶ政党に自浄作用は期待できないだろう。

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10/10/2017

選挙における「言葉」の影響力

世間では,安倍総理による突然の大儀が不明瞭な解散,小池新党の誕生などで選挙一色である。そして,今日はいよいよ選挙の告示日である。

このような状況の中,ふと今回の選挙について思ったことを記事にしようかと思った時,残念ながら前回の記事から約1年以上ブログを更新していないことに気が付いた。

安倍政権による公私混同と思われる事象が多く報道され,大儀が不明瞭で,安倍総理の権力維持のためだけに行われたであろう今回の解散。

混迷の世の中において,はやり言論活動を通じて,一定の情報発信を続けなければならないと改めて思っている。

そこで,解散から今日までを振り返り,今回の選挙について私見を発したい。

私は,今回の選挙は,政治家の「言葉」の重さ・影響力を痛感する選挙戦になるのではないかと思っている。

1.安倍総理らに見る「まともに答えないではぐらかす」言葉

まず,最初に指摘すべきは,安倍総理や菅官房長官らの言動に見られる「質問や疑義にまともに答えようとせず,はぐらかす」姿勢である。

加計・森友疑惑の本質を勝手に「自分(安倍)が指示したかどうか」という点に絞り込もうと必死になり,この点について十分に説明したなどと主張しているが,このような言葉のトリックに,多くの国民は辟易としているのではなかろうか。

多くの国民が加計・森友疑惑において抱いている疑念は,安倍が直接指示を出したかどうかではない。国民の関心がある核心的争点は,「安倍総理又はその周辺のオトモダチが何らかの形で通常では通らないことを何か通したのではないか。」という点である。

だからこそ,安倍総理が説明する事実と異なる話や証拠が出てくるたびに国民の不信が深まり,支持率低下が続いていたと私は思う。それに対して,安倍総理や菅官房長官らは引き続き,「質問や疑義にまともに答えようとせず,はぐらかす」という言葉で説明と続けた時,この選挙において国民はどういう判断を下すのであろうか。

2.小池都知事の「排除」という言葉の力

もう一つ私が今回の選挙のターニングポイントと考えているのが,小池知事が発した「排除」という言葉だろう。この言葉が出てくるまでは,マスメディアは,希望の党が自民党を叩き潰すだろうといった勢いで,小池劇場化を手伝った。多くのメディアも有権者も,安倍自民に対抗する勢力誕生かと色めき立った。

しかし,「排除」という極めてキツイ言葉を小池都知事が発したことにより,①現実は路線の人は,希望の党の規模は二大政党制にはならないと考え,熱が醒め,②反安倍の原動力の中心であるリベラル派は,小池は危険だと移り,熱が醒めたと分析している。

その後,小池都知事自身が発言を少し抑制していることからも明らかなとおり,「排除」という言葉が持つ力は強すぎたというべきであろう。この言葉一つで,反安倍で一致した勢力の結集に失敗したと言わざるを得ない。

この失言により,都民ファースト内のごたごたも相まって,小池都知事は独裁的というイメージすらついてしまったのである。イメージ戦略の策士としては,大きな失言をしてしまったのではなかろうか。

3.言葉がSNSにより増強される時代

SNSによる言葉の発信という点では,先日報じられた「立憲民主、フォロワー11万人 ツイッター4日目で自民を追い越す」という記事も気になるところである。

偽アカウントでの水増しではないかというニュースまで出ているが,この記事が示す通り公式に同党は否定している。このようにFake Newsに対して否定をしなければいけない時代であるという点も新しい動きなのではなかろうか。

この記事にもある通り,立憲民政党が直ぐに偽アカウントでの水増しではないかという声に公式に否定するということは,今の政治家がいかにSNSによる言葉の拡散による影響力を意識しているかが良く分かる

4.「言葉の力」を検証するシンポジウムが投開票日に

安倍総理の不誠実な言動や小池都知事の「排除」という言葉がどのような影響を今回の選挙戦の結果に与えるのであろうか。

今回の選挙選では,候補者が発した言葉がいかにその結果に影響を与えるのかについて特に注目し,選挙結果が出た時に改めてこれを検証していきたい。

ところで,私がちょうどこの言葉の影響力について今回記事を書こうと思った時,慶應義塾大学で,言葉の影響力に関する大変面白いイベントが選挙の投開票日である10月22日(日)に開かれることがわかったので,ぜひ紹介したいと思う。

記事によれば,オックスフォード大学インターネット研究所でデジタル・メディアの政治への影響を研究するフィリップ・N・ハワード教授が来日し,講演するようである。同教授は東洋経済で「ソーシャルメディアと旧勢力の新たな冷戦」という記事にも登場していることからもわかるとおり,SNSと政治の関係についての第一人者的学者である。

また,同イベントでは,日本の憲法学者の中でも有名な慶應義塾大学で常任理事も務める駒村圭吾教授もトランプ大統領の例を踏まえ,権力と言葉の関係について発表があるようである。駒村教授は,ジャーナリストの池上彰氏とともに,2015年には「ジャーナリズムは甦るか」という本も出版しているなど幅広い活動をしている。

同教授は,法律時報において,同じような内容の記事を寄稿しており,非常に面白いものであった。

選挙当日なので,おそらく選挙そのものへの言及は避けるのであろうが,奇しくも衆議院議員選挙の投開票日に,「ことばの力」について,検証が行われるイベントが行われるというのは大変面白いと思う。

このイベントはオックスフォード大学出版局と慶應義塾大学が共催し,英国大使館のブリティッシュカウンシルが後援しているようである。

事前登録が必要なようなので,参加する場合は以下から登録する必要があるようである。

https://www.oupjapan.co.jp/ja/events/od2017/index.shtml

自分の投票行動が何らかの「ことばの力」に影響を受けているのかについてイベントに参加し検証してみるもの良いかもしれない。

今回の選挙戦,我々有権者はいかなる言葉に影響を受け,いかなる投票行動をすることになるのであろうか。言葉の力がどういうものなのか,この12日間考えていきたい

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08/21/2016

2020年に向けた企業イメージに潔い誠実な選手の活用を(ベルニャエフ選手やダンフィー選手の功績)

今朝の記事,「英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手」では,日本メディアがあまり報じないイギリスのスター選手と彼のペアを組む謙虚な銅メダリストについて紹介した。予選1位の高得点で通過したデイリー選手だったが,準決勝では失敗が続いてしまい決勝には進めなかった。

前回大会銅メダリストで今大会ペアのシンクロでも銅メダルに輝いたイギリスのイケメン飛込み王子のまさかの事態にイギリスはショックを受けているようである。本人も「傷心しきっている(Truly heartbroken)」と述べている。

オリンピックには魔物が住んでいると良く聞くが,まさにその魔物がイギリスの期待の選手を襲ったのかもしれない。ただ,既に2020年の東京に向けて頑張るとの発言をインタビューでもしているようである。

さて,2020年の東京五輪に向け,多くの企業は五輪サポーターなどになり,企業イメージの向上のため日本で人気のある日本人選手を起用したCMが今後も多く流れるかもしれない。

しかし,日本は開催国である。

単に日本人アスリートが活躍し多くのメダルを獲得してほしいというだけでなく,多くの海外選手や海外からの観客を迎え入れる国家として,その企業も国際的なイメージ戦略を考えたCM起用が企業の先進的なイメージ戦略には重要であるのではなかろうか。

そこで,今朝の記事の続きであるこの記事では,私が考えるこの大会で最も日本人に注目され,今一番日本人の好感度が高いであろう海外トップアスリートに関する情報を紹介するとともに,そこまで日本では有名でなかった彼らを活用した企業イメージ戦略について私見を述べたい。

1.スポーツマンシップの象徴となったオレグ・ベルニャエフ選手

既に多くの人がご存じのとおり,体操の個人総合で銀メダル,平行棒で金メダルを獲得したウクライナのオレグ・ベルニャエフ(Oleg Verniaiev)選手は,今や日本人にとってはもちろん,世界的にもスポーツマンシップを体現したイケメン選手として注目を浴びている。

以下はベルニャエフ選手のInstagramの投稿。

Как то так ✌

Олег Юричさん(@verniaiev.gym)が投稿した写真 -

2016  8月 11 5:39午前 PDT

日本ではスポーツについてあまり報道するイメージのない日経新聞までもが「敗れざる魂 体操男子・ベルニャエフ 採点「フェア」強く潔く 」と題した記事でベルニャエフ選手の精神を賞賛している。

ウクライナ政府と親ロシア派勢力による紛争で、中心地となった東部ドネツクの出身。疲弊した国から支援はほとんど受けられない。かつての代表仲間は好待遇の誘いを受けてロシアなどに国籍を変えたのに、自身は母国を背負う道を選んだ

1点近いリードを手に迎えた最後の鉄棒。勝利を確信したかのような雄たけびを上げたが、着地が1歩動いた分だけ点数が伸びなかった。場内はブーイングも起きた

試合後の記者会見。隣の内村に対して「あなたは審判から好意的に見られていると思うか」と質問が飛んだ。鉄棒の採点について聞いているのは明らかだった。

これに不快感を示したのはベルニャエフだ。「採点はフェアだと選手みんなが分かっている。無駄な質問だ」。潔い態度に拍手が起きた

悔しさのにじむ表情が笑顔に変わったのは、内村から「次はもう勝てない」と言われた時。「恥ずかしいくらいうれしい。でも彼は絶対にそんなこと思っていないはずだよ」。良き敗者がいてこその名勝負だった。

日本のメディアだけではない。例えば,The Indian Expressは,次のようなベルニャニフ選手のコメントを掲載し彼のフェアなスポークスマン精神を紹介している。

「金メダルを望んだし,それを意識しなかったとはいえないね。でも,上手くいかなかった。」

(“I hoped, and I can’t say I didn’t think about it,” he told reporters. “But it didn’t go that way.”)

22歳のウクライナ選手は,最終的には内村選手が金メダルを受ける価値のある演技をしたと述べた。

(Ultimately, Uchimura deserved the gold, the 22-year-old Ukranian said.)

「僕はこれまでどの選手もできなかった彼の得点に最も迫るということができた。彼は体操界のマイケル・フェルプスだからね。」

(“I have come as close as possible to him, as nobody has before,” he said. “He’s the Michael Phelps of gymnastics.”)

(略)

「金メダルを取れないんじゃないかと航平をとても不安にさせることができたことは結構嬉しいよ。次に向けて頑張ります。」

(“I’m quite happy that I managed to make Kohei very nervous,” he said. “We’ll be preparing for next time.”)

さらに米国のヤフースポーツのEric Adelson記者の英字記事は,試合後のベルニャエフ選手の態度や記者会見の様子を次のように具体的に紹介し,彼の敗者としての潔さを賞賛している。

ベルニャエフは採点に関する議論に対し火に油を注ぐようなコメントをすることもできた。金メダルを内村に奪われたという趣旨の主張だってできたし,そのようなコメントがなされることは十分想定できるような状況だった。しかし,彼はそのような主張をしなかった

(Now it was up to Verniaiev to respond. He could have raised hell. He could have made the case that he was robbed of the gold, and it could have been a credible case. He didn’t go there.)

彼は,「スコアは公平なものだったと皆がそう思っています。こうした質問はこの場には不適切な質問です。」と述べたのである

(“We all have feelings,” he said, “but we know the scores are fair. All the questions are superfluous here.”)

まさに敗者としての一流の言動であったこの姿勢は彼の真摯な姿勢から出たものであったように思われる。彼はスコアに対する疑義という問題から距離を取ることで一段と喝采を浴びたのである。

(It was a classy gesture by a defeated man, and it seemed a sincere one. He steered further away from the controversy and then added a layer of praise.)

ベルヤニフ選手は「体操界における航平は競泳界におけるフェルプス選手のようなものです。体操界にフェルプスがいるんですよ。」と述べた。

(“Kohei in gymnastics is like Phelps in swimming,” he said. “We have our own Phelps.”)

この瞬間,日本のメディアからは拍手が起こった。

(At that, the Japanese media applauded.)

これは少し不思議な状況だった。緊張感のある質問,拍手喝采,そして,ウクライナのレポーターの中には立ち上がり「ベルニャエフ選手は我々のチャンピオンだ」と発言する者もいた

(It was a bit of a strange scene: the pressing question, the applause and there was even a Ukrainian reporter who stood up to say Verniaiev was “our champion.”)

最終的に,ほとんどの人がこうした会見での疑義に関する議論は忘れ去り,内村が作った歴史のみが皆の記憶に残るかもしれない。

(In the end, though, few will remember what came after the athletes left the podium. Uchimura’s history is what everyone will remember.)

ベルニャエフ選手は,さらに「メダルの数ということでいれば,内村はこれまでも伝説だったし,今も伝説的な人物です。」と付け加えた。

(“When it comes to the quantity of medals,” Verniaiev said, “he is a legend, he was already a legend.”)

それだけでスコアに対する議論が無意味であることが良く分かる。

(That much is beyond argument.)

様々な競技があり,様々な境遇にある選手が必死で人生を掛けて4年に一度の夢の舞台での勝利を目指し,想像を絶するトレーニングや苦痛を乗り越えてオリンピックの舞台に立っていることは,スポーツとは縁遠い私でも容易に想像できる

それだけに,負けるというのは本当に悔しいことであろうし,直ぐに受け入れられない選手の心情も良く分かる。

しかし,私はベルニャエフ選手のような潔い敗者としての態度こそがオリンピック精神を体現する最もあるべき姿ではないかと思うし,これこそが全面的に賞賛されるべき姿であろう。そこには,ある種の武士道に通じる清々さがあるのであり,私は一観客として今回の五輪で彼から大変学ぶことができた

これは,レスリング男子で審判の採点に疑義がついたものの抗議が認められず,銀メダルとなった樋口選手が「自分に何かが足りなかった」と語ったと真摯に語った姿にも良く表れていた

また,競歩50kmで妨害行為について抗議が一時は認められたものの国際陸連の裁定により,4位に終わったカナダのエバン・ダンフィー(Evan Dunfee)選手の姿勢は日本ではそれほど報じられていないものの,素晴らしいものであり,本当に賞賛に値する

荒井選手によれば,彼は荒井選手に謝る必要がないにもかかわらず,荒井選手にあった際に,Sorryと謝罪しハグをしたという。このような謝罪があったのは,同じ選手として荒井選手の気持ちが良く分かったからであろう。

ダンフィー選手は次のような潔いコメントをカナダ国民に対して発表しており,本件は終局的解決となった。

日本メディアはあまり彼の誠実性に関する情報を報道していないことから,以下声明の一部を紹介する。彼のスポーツマンとしての誠実性の哲学が良く表れている文章である。

私にはスポーツ仲裁裁判所への上訴という手段を行うか否かという選択肢が残されていました。

しかし,選手村に戻り,今回の接触事件について見返した結果,私は更なる上訴を行わないことを決意しました。なぜならば,私はそれが正しい判断であると信じているからです。

(It was then left for me to decide whether to pursue this further with an appeal to the Court of Arbitration for Sport. Following my return to the village and my viewing of the incident I made the decision not to appeal, as I believe the right decision stood.)

約3時間半に及ぶ極限のレースにおける選手の痛みがいかなるものかというのは,あまり多くの人が理解できるものではないかもしれません。日本の選手と私自身との間で生じた接触により私の精神力が途切れてしまいました。そして,その集中力を失った時,私の足はもはやゼリー状のような状況だったのです。接触というのはこの競技の一部であり,明文か不文律であるかにかかわらず,それは良く生じることなのです。

また,私は今回の接触が悪意又は故意によりなされたものではないと信じています仮に私がスポーツ仲裁裁判所に更なる上訴をし,それが認められたとしても,私はこの銅メダルを確たる自信を持って受け取ることはできませんそのような形で銅メダルを受領したとしても,それは私が胸を張って受けられるメダルではないのです

(Not many people can understand the pain athletes are in three and a half hours into such a grueling race. I believe that both the Japanese athlete and myself got tangled up but what broke me was that I let it put me off mentally and once I lost that focus, my legs went to jello. Contact is part of our event, whether written or unwritten and is quite common, and I don’t believe that this was malicious or done with intent.  Even if an appeal to CAS were successful I would not have been able to receive that medal with a clear conscience and it isn’t something I would have been proud of.)

今夜はぐっすり眠れると思います。そして,今後の人生においても,今回下した自分の決断が正しいものであったと思えるでしょう。私は,表彰されることではなく人生において誠実な行動をとることが正しいと考えています

(I will sleep soundly tonight, and for the rest of my life, knowing I made the right decision. I will never allow myself to be defined by the accolades I receive, rather the integrity I carry through life.)

最後となりますが,皆さん私とチームメートのマチュ・ビロドウを応援してくれて有難うございました。競歩という競技について,これだけ広い層から反応してもらえたことは本当に素晴らしいことです。私のチームメートと競合選手はこの競歩という種目で,私を常に刺激してくれます。今日,私たちが彼らにも同じように刺激できるパフォーマンスを示すことができたのであれば幸いです。

(Finally, thank you to everyone who supported myself and my teammate Mathieu Bilodeau today. To see race walk receiving such a wide reception is absolutely amazing! My teammates and my competitors in this event never cease to inspire me and I hope that we have done the same to you today.)

彼の声明を見ても,選手としての潔さとともに競争相手であった荒井選手のことをおもんぱかる姿勢は,これも武士道精神に通じていると感じてならない。

抗議は正当な結果を担保するために行われるべきである。

しかし,結果が確定した後は潔い姿勢を示すということこそがスポーツマンシップであり,五輪精神そのものであろう。

実際,日本のネットでも,かなりベルニャエフ選手やダンフィー選手を賞賛するコメントが相次いでいる。

ダンフィー選手は誠実性こそが最も重要であるという考え方を体現したような選手だったようである。

今から約1年前の2015年8月22日付けカナダメディアの記事によれば,彼は反ドーピングとクリーンなスポーツの実現をSNSで明確に訴え続けてきたようで,ニューヨークタイムズは彼を「自警団の競歩選手(Vigilante Race Walker)」と呼んでいるという。

そんな彼がだからこそ,自分自身にとっても誠実性という観点から,例え抗議を続けてメダルがもらえるとしても,それは自分が満足するものではないとして,潔さを選んだのかもしれない。ちなみに,彼は今年の3月神戸に来ていたようである。

私はメダルの数や色よりも,ベルニャエフ選手やダンフィー選手,さらには日本の樋口選手のような潔い敗者の姿勢こそが賞賛されるべきであると思うし,後述のとおり,こうした選手への企業の投資こそが企業イメージの向上につながると考えている。

2.オリンピック精神を有しない外野が騒ぎ台無しにする ― 軽口で馬脚を現し大批判を浴びた小倉智昭氏

他方,外野であるメディアや我々"国民"や"観客"の姿勢はそこまで成熟してないと思わされる話が多い。

すなわち,外野がメダルの数とメダルの色にこだわり過ぎる結果,外野が五輪精神を台無しにしていると感じてならない

その一例が競技の難しさなどを十分理解できていないにもかかわらず,安易に興奮して2位のベルニャエフ選手をディスり,大批判を浴びている小倉智明氏の姿勢や男子レスリングにおいて繰り返し,「審判が相手の選手が腕をつかんでいることを注意しなかったのはおかしい」などと言い続けて報じるNHKのアナウンサーなどの姿勢であろう。

さらには,大切な決勝戦で自国の選手の勝利を望むためにブーイングをして相手のフランス人ルノー・ラビレニ(Renaud Lavillenie)選手を侮辱したブラジル国民の姿勢は,極めて民度が低く,歴史に残る醜態と言っても過言ではない。没収試合にしても良いレベルではないだろうか。

このような行為を許容するからオリンピック精神から乖離したドーピングの蔓延や理事の不正という前代未聞の自体が今回のリオオリンピックでは噴出してしまっているのであろう。

この点,J-CASTニュースは小倉氏の問題に関し,「『内村リスペクト』の美談ブチ壊し 小倉智昭が体操銀メダリスト酷評」と題した記事で次のとおり報じている。

そんなベルニャエフ選手の鉄棒について、小倉さんはこう力説した。

「ベルニャエフのほうは、はっきり言うと鉄棒のまわりをただ回ってただけ。守りに入っちゃってたから、勝てるわけないです。これで15点ついたらおかしいぞって思ったら、やっぱりそのジャッジというのは正確なものですね。14.8しかつきませんでした」

その上で「堂々の逆転優勝だったですね、もう嬉しくて嬉しくて!」と喜びいっぱいに内村選手の金メダル獲得を祝した。

だが、小倉さんの「ただ回ってただけ」という発言は視聴者に歓迎されなかったようだ。放送直後からネット上には、

「小倉さんの発言ないわ、、、」

「失礼すぎてほんま腹立った」

「ちょっと小倉さん!最高のライバルに対して失礼ではないか?」

「うれしいのはわかるけど正々堂々と戦った選手に対してリスペクトがないなら何も発言するな」

といった批判的なコメントが相次ぎ投稿されるようになった。

手放し技中心の内村選手とひねり技中心のベルニャエフ選手を比べると、一見すれば前者は派手で、後者は地味に感じられるかもしれない。小倉さんの目に「ぐるぐる回ってただけ」に映ったのもそのせいだろう。

しかし、ひねり技メーンの構成が「守り」かというとそうではなく、アテネ五輪で団体チームの主将を務めた米田功さんは「ベルニャエフの鉄棒は、ひねり技が多く減点されやすい構成」と日刊スポーツ内のコラムで語っている。地味に見えてもリスクの高い構成だったようだ

無知の知をしらない小倉氏の荒唐無稽ともいえるベルニャエフ選手への軽口ははっきり言って恥としか言いようがない。

彼が本件についてベルニャエフ選手に謝ったり,訂正するような発言は未だしていないが,このようなオリンピック精神が欠如したキャスターが偉そうに毎回知ったかぶりをして情報番組の司会を続けることには嫌悪感すら感じてしまう彼が行った軽口は先のブラジルの観客が行ったブーイング行為とはっきり言って同じレベルのものである。

かつては斜に構えたコメントなどで既存のメディア司会者とはちょっと違う視点を提供してきた彼だけに,老いのせいなのか,内村選手が好き過ぎる結果の軽口なのかはわからないが,このような発言をして批判をされても平然としていられるような人物にオリンピックを報じる資格はないのではないだろうか。

このあたりが民意や世論に敏感になれず,視聴者を満足させられず低視聴率に陥っているフジテレビ精神が表れていると言っても過言ではないだろう。

3.欧米ではスポーツ選手のセクシーアピール化が進んでいる

ところで,皆さんは欧米を中心にスポーツ選手のセクシーアピール化が進んでいることはご存知であろうか。

前回の記事「英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手」を読んだ読者の方は気が付いたかもしれない。

欧米では飛込みや競泳など露出度の高いオリンピック競技の視聴率が高いようで,ピーチバレーなどでも際どい姿でセクシーアピールが進んでいるという。

このセクシーアピール,従来は,男性の視聴者を意識したものが多かったようであるが,近年は,女性やゲイの人をターゲットにしているのだというのである。

アメリカ人の友人がいうには,Sex and the Cityというドラマの中である肉食系の女性キャラクターが「まずはゲイ,次に女性よ(First Gays. then Women)」とターゲットにすべき層を語っていたシーンがあるというのであるが,アメリカのショービジネスではまさにこの現象が進んでおり,その余波はスポーツビジネスにも及んでいるという。

その一例が,男子体操選手について上着なしで演技させるようにしてほしいという声があり,ウォールストリートジャーナルによれば,鍛えられた肉体美で新たなファンするため実際に米国の男子体操チームは上半身裸で演技することを提唱したというのである。

実際,ベルニャエフ選手が金メダルを獲得した男子平行棒のエキシビジョン(体操にエキシビジョンがあることを知らなかったが・・・)では,銀メダルを獲得したダネル・レイバ(Danell Leyva)選手が上半身裸となり,会場を沸かせたと報じられている

さらに,驚くことに,日本で賞賛されているベルニャエフ選手も金メダリストしてエキシビジョンに登場し,レイバ選手に呼応するかのように上半身裸になって観客に肉体美を披露した。

現に当該エキシビジョンの動画を見ると,シャツを脱いだ瞬間,歓声が上がっていたことから,この作戦は一定の効果があるのかもしれない。

ベルニャエフ選手もインスタグラムで犬と戯れる上半身裸の写真を投稿するなどしてファンへのセクシーアピールをしている。

Братан встретил как надо 👌🏼

Олег Юричさん(@verniaiev.gym)が投稿した写真 -

2015 12月 8 2:41午後 PST

特に,次の画像は前回ロンドン五輪の際にネット上に出回ったようで当時から可愛いと評判になっていたようである。

Oleg Verniaiev Shirtless image

こうしたファンや観客へのセクシーアピールも競技を続けていくための資金集めには必要なのかもしれない。

4.企業によるスポンサーシップと企業イメージの向上という一石二鳥

さて,話を本題に戻すが,オリンピック精神を支えているのは,ある意味,敗者の潔さとお互いの気持ちを思いやる選手同士のスポーツマン精神であることは明らかであろう。

いかに外野が騒いだところで,武士道にも通じるような潔い選手の姿勢に勝る賞賛は存在しないと思う。

そのうえで私が提唱したいのは,こうした潔い選手に日本企業は2020年に向けてスポンサー契約やCM契約などをし,海外選手を日本でも紹介していくことで企業のイメージアップ効果を狙ってはいかがかということである。

このポイントは,日本でも海外でも知れ渡っているボルト選手やフェルプス選手などのスター選手ではない,あまり知られていないが潔さとスポーツマンシップで名を挙げた選手を起用するという点にある。

特に,一般世間に知られていない中小企業などが,誠実な姿勢で仕事をしていることをアピールするという観点からも,こうしたCMなどが増えれば面白いのではないだろうか

特に,ベルニャエフ選手については,上記の日経新聞にもあったように,日本チームなどとは比べものにならないほど劣悪な環境で練習を続けているという。

演技の際,実況の方が,テーピング代金を稼ぐために大会の賞金を得るために多くの大会で出ているなどのエピソードを紹介していた。こういうエピソードこそ観客としては紹介してほしいし,知る権利に資するために存在するメディアとして果たすべき姿勢であろう。どこかの無価値な知ったかおじさん司会者とは全く違う

日本のインターネット上では,劣悪な環境下でも母国に残ってこれだけの活躍を続ける愛国心に溢れた若きベルニャエフ選手を支援するためにウクライナ大使館寄付したいという声も出ている。

今回のオリンピックが日本とウクライナの関係強化という外交上の効果にもつながるとなれば,オリンピックの意義がまさに体現された瞬間といえるだろう。

こうした動きを日本企業も活用し,現代社会に求められる企業の誠実性,コンプライアンス,倫理観ということをアピールする手段として,こうした選手を支援していくというのは,2020年に東京オリンピックが行われる今,選手のセクシーアピールの傾向とも相まって企業イメージを向上し,新たな顧客層を確保するという点で企業のイメージ戦略として有効なのではないだろうか

また,東京オリンピックはもはやコンパクトなオリンピックは実現できないのであるから誠実さというオリンピック精神を体現したオリンピックを実現するため,許容できないブーイング等が発生した場合の断固とした措置などについても組織員会は武士道の国家として提案してはどうであろうか

今回のオリンピックは,スポーツ界の様々な問題が良く見える大会であった。他方で,今回紹介したような選手個々人の質の高さも感じ取れる大会であった

新渡戸稲造が世界に紹介した日本の武士道の精神は,世界に誇るべき哲学である。

2020年東京五輪では,武士道発祥の国家として,選手の誠実性や潔さがより光るオリンピック精神の実現により近づける大会への改革が進むことを切望したい

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08/20/2016

英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手

4年に一度の平和とスポーツの祭典,オリンピックも終わりに近づいており,やっと寝不足から解消されるという人も多いのではないだろうか。

これまでリオオリンピック関連としては,以下3つの記事を紹介してきた。

  1. SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送
  2. 自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性
  3. リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)

そして,それぞれの記事の中で,以下のとおり私が注目する"光る"海外アスリートを紹介してきた。

  1. 水谷選手や丹羽選手を苦しめた新星ポーランドの卓球選手,JAKUB DYJAS(ヤクブ・ディヤス)選手
  2. 言わずとしてた水の怪物と称えられるマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手
  3. 英米圏やヨーロッパでアイドル的な人気があり,実力も高いトム・デイリー(Tom Daley)選手

特にフェルプス選手が自殺の葛藤からオリンピックで復活したという情報はアメリカメディアのみで報じられていたようで,その話を聞けてより感動したという声があったのはこのブログの趣旨に適うものであり嬉しい声である。

昨日の記事,「リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)」もなかなか好評だったようで,読者からトム・デイリー選手についてもっと知りたいというメッセージが届いた。

そこで,今日は,2つの記事を公開する予定である。

イギリス国民の多くが賞賛し愛するトム・デイリー選手へのに関する話を紹介する。日本ではそれほど知られていないがなぜ彼が英米圏では好かれるのであろうかを紹介したい。

2つ目の記事では,,私が考えるこの大会で最も日本人に注目され,今一番日本人の好感度が高いであろう海外トップアスリートに関する情報などを紹介しようと思う。

まずは前者について書いていこう。

1.男子10m高飛込みでもメダルの予感をさせるトム・デイリー選手

既に紹介したように今大会の男子10mシンクロ高飛込銅メダリストの彼は,10m高飛込みにもエントリーしており,日本時間の8月20日(土) 午前4時から行われた予選では,高得点を連発し,571.85ポイントで予選1位で通過し,2位の中国の選手と7.1ポイントもの差をマークしていた。

彼が人気なのは単にイケメンで,バイセクシャルだというプール以外の話題のためではない。2008年のヨーロッパチャンピオンシップでは最年少の13歳で優勝し金メダルを獲得するなど,小さい頃から注目されていた選手なのである。この年,高飛込みシンクロというペアの競技で年上のBlake Aldridge選手とペアを組むが8位で終わった(個人の高飛込み10目Mは7位入賞)。

この時,ペアを組んでいたAldridge選手が13歳のデイリー選手を批判したことから,彼に対する同情が広がった。

若いデイリー選手を支えていたのは,彼の父親のロバートさんであったが北京五輪での雪辱を果たすべく目指していたロンドン五輪の前の年の2011年,ロバートさんが脳腫瘍で40歳という若さで亡くなってしまう。当時デイリー選手はまだ17歳である。

そのような精神的支柱を失ったにもかかわらず,翌年の2012年のロンドン五輪では,個人の高飛込み10Mで銅メダルを獲得し,雪辱を果たした。この実力が彼の人気を押し上げたようである。

日本で言えば,小さい頃から多くの国民が知っている卓球の福原愛選手だったり,浅田真央選手のような感覚でイギリス国民は彼を応援しているのではないだろうか。

実際に彼の競技を見ると,素人である私が見ても素晴らしく美しい飛込み方をしているのが良く分かる。特に,水の中に吸い込まれるように綺麗に着水するのは他の選手とは大きく違うと今回の予選を見て感じた。

日本時間の今朝行われた予選では,一位通過という素晴らしい成績を残しており,決勝でもメダルが期待できるであろう。

日本人ではこの競技に出場する選手がいないためトム・デイリー(Tom Daley)選手が出場するこの試合の準決勝や決勝はテレビでは中継されないであろうが,日本時間の20日(土)23時と21日(日)午前4時にそれぞれ実施される。

もっとも,動画サイト,「Gorin.jp」では,生中継が見られるだろう。

http://www.gorin.jp/live/

2.人気者の陰でも良いと言える信頼感

さて,昨日の記事でも以下のイギリスの五輪委員会の公式アカウントのツイートを紹介したが,イギリスではデイリー選手とともに銅メダルを獲得したダニエル・グッドフェロー(Dan Goodfellow)選手への同情とメディアの取り上げ方に批判が広がっていた。

どこの国のメディアも人気のある選手ばかりに注目してしまうというのはあるようで,イギリスでは,シンクロというペアの競技であるにもかかわらず,デイリー選手ばかりが注目され,グッドフェロー選手が陰にかすんでしまっているのである。

例えば,多くの雑誌や新聞が銅メダルを一面で取り上げたが,写真はデイリー選手のみだったというのである。

それにはグッドフェロー選手の母親もメディアの取扱いが不公平だと不満をツイッターで述べた。

しかし,当の本人である19歳のグッドフェロー選手は,メディアに対し,「僕はデイリーの陰に隠れているとしてもそれで幸せだよ」と語り,母親にツイッターの使用を禁止したという。

グッドフェロー選手はさらに次のとおり述べており,まさにアスリートとしての器の大きさを感じるエピソードである。

メダルがとれたのは僕とトムの力だけじゃないです。スタッフからの多大なサポートがあったからです。私たちは素晴らしいネットワークでした。メダルにはすべての人が公平に貢献してくれました。

(It isn't even just me and Tom, it is a huge support staff as well. We had a great network. Everyone is equally responsible for the medal.)

お母さんにはもうソーシャルメディアを利用しないように注意したんです。

(I have told my mum to stay off social media from now on.)

海外にもこういう謙虚な選手がいることはもっと報じられてもいいだろう。

実際,グッドフェロー選手は,19歳と若いのであるが,10カ月前にデイリー選手とチームを組む前までは肩の怪我からの回復状況が良くなく引退すら考えたという。

しかし,ペアを組んで直前には4週間寝食を共にし,一緒に生活することでシンクロというペア競技の域を徹底するための努力をした結果,銅メダルを獲得したのである。

グッドフェロー選手は,次のようにも語っている

一緒に生活するっていうのはやり過ぎと思うかもしれないけど,オリンピックのゲームで良い結果を出すためにはベストな努力をしなければいけないんです。だから僕は犠牲を払ったし,僕たちは4週間強固に練習してきました。

(Moving in with each other might look extreme but if you want to do well in the Games you give it your best shot. I made a sacrifice and we trained solidly for four weeks.)

トムとの生活は実際とても良かったです。彼は毎朝朝食を作ってくれるし,家庭的でした。よく面倒を見てくれたし,掃除もしてくれました。結果的に全てにおいて良い結果となりました。

(Living with Tom was really good. He made me breakfast every morning. He is a bit of a domestic god and took good care of me. He is always cleaning. It paid off on all levels.)

このような努力を一人一人の選手が4年間行ってきていることを考えると,なかなか競技後に直ぐ,「4年後に向けてどうですか」と聞くメディアの薄っぺらさを改めて感じさせられるのである

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08/19/2016

リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)

連日2つの記事卓球のポーランドの選手について触れた「SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送」と「自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性」をアップしたところ,ライブドアニュース等に配信されなかなか好評のようであるので,今日もオリンピックの話題について取り上げようと思う。

日本ではあまり競技としては有名ではないものの,今回のリオではおならのような匂いがする緑色の沼として一躍有名になったのが飛び込みであろう。

緑色の原因は,過酸化水素を誤って投入したとのことであるという。

私は化学には詳しくないが薬品を誤って投入するということ自体やはりブラジルのような国家にオリンピックを開催するには荷が重かったのではなかろうか。

大会広報は健康上問題はないというものの,医師が監修したヘルスケア大学のHPによれば,当該薬品はオキシドールとして殺菌剤として利用されているようなものであり,劇物であって皮膚に触れると炎症があるなどとされている。

実際に目がヒリヒリするなどの訴えがある以上,リオ大会責任者はきちんと世界に対し状況をや水質情報を公開するなどしてきちんとした説明責任を果たすべきであろう。

あまり報道されていないが,誤って混入し緑色の金魚鉢のような沼に選手をぶち込ませていた大会は当該薬品の濃度を公開しているのであろうか。

当該HPによれば,

濃度の薄い3~5%程度なら、あまり危険もなく生活に役立つ過酸化水素水ですが、濃度が30%を超えてしまうと劇物化します。濃度の高い過酸化水素水が皮膚に付着すると激痛を感じ、皮膚の色が白くなってしまう白斑(はくはん)が生じます。

そのため濃度の高い過酸化水素水を薄める場合には、保護用の手袋などの防備をして直接触れないよう注意しましょう。万が一、皮膚に付着した場合はすぐに多量の水で洗い流しましょう。

とされており,大会側が健康上問題がないというからそうだろうという報道ではなく,もっと濃度等に切り込んでもらいたい。

いずれにしても,選手がプレーする上で最高の環境を整えるのがオリンピック開催国の責務であろう。この点,リオは開催前から様々な問題が指摘されていた。

そのような中,結果として緑色の沼の中に選手をぶち込ませたり,選手村のトイレの配管がおかしくて糞尿が漏れてくるなどといった話が出ている時点で,近年のオリンピックの中では最も大会環境レベルの低いオリンピックになったのではなかろうか。

実際,イギリスでアイドル的な人気のある飛び込み選手で,リオでは飛び込みのシンクロで銅メダルを取ったトム・デイリー(Tom Daley)選手は,ツイッターで次のようなコメントをし不安をもらいしている。

デイリー選手は,控え目に,「ここ数日間飛び込んでいたものが酷い過ぎるものでないことを祈るよ」といった程度のコメントしかしていないが,世界最高峰の競技をするために必死で4年間頑張ってきた選手に対し,かかる悪質な環境を提供し,極度のプレッシャーの中にいる選手にさらに不必要な不安を負わせるリオ大会は運営委員会としての資質を著しく欠いていたと総括されても文句は言えないだろう。

はっきり言って選手への冒とくである。

ちなみにトム・デイリー選手は,父親を40歳くらいのことに病気で亡すという辛い体験をししているが,ジュニア時代から多くの大会で優勝しており,イギリスのITVが放送した高視聴率番組,「スプラッシュ!(Splash!)」という有名人に飛び込み台から飛び込むというようなバラエティー番組に出ており,その見た目からもアイドル的な人気があることに加え,自らのいじめを受けた過去を公表していたり,自分のセクシャリティーがバイセクシャルであることも公表しているなど少数者の権利保護の観点からも人気がある。

実際,イギリスの五輪委員会の公式アカウントも以下のようなツイートをするなどし,銅メダルを獲得した際の姿を「emoji」でコミカルに応援するなどしており,高い人気を誇っている選手である。

デイリー選手は,10m高飛込みにもエントリーしており,日本時間の8月20日(土) 午前4時に試合が行われる。男子10mシンクロ高飛込銅メダリストの彼がどのような演技をするかも楽しみである。

最近,このダイビングというのは,観客へのセクシーアピールが進んでいるという声もあり,イケメン好きの女子ファンらを増やそうとしているのかもしれない。

さて,話を本題に戻すが,ロンドンオリンピックの印象は開会式のスペクタクルな演出から始まり最後まで印象が良かった。それは,イギリスがアスリートに最高レベルの競技環境を提供できたからではなかろうか。

それはオリンピック開催国としての責務なのであって,プールが沼化してそれをすぐに改善できなかったり(問題発覚当初,水の入れ替えを迅速に行わずそのまま薬品を投入しようとしたり),オリンピックパーク内のカメラが突然頭上から落ちけが人が発生するような事故が起きたり,様々な選手が遭遇したとされる強盗犯罪などの事件・事故が続いているオリンピックは,今世紀で最低のオリンピックであり,ブラジルが三流国家であることを示していると言っても過言ではないだろう。

フジテレビが「リオ五輪 運営めぐる深刻な事故から珍騒動をまとめました。」と題してこれまでの騒動をまとめているが,大会組織委員会のレベルが極めて低いことはこれをみることからも明らかである。

以下,当該記事にあるものを羅列する。

  • オリンピックの公式映像を配信するためのカメラの落下事故
  • ゴルフコースにおけるワニ乱入騒動
  • 女子マラソンでの乱入騒動
  • 緑色の沼プール薬品入れ間違い事件事件
  • 中国国旗デザイン過誤事件
  • ナイジェリア国家取違事件

これ以外にも,麻薬組織との銃撃戦の流れ弾が馬術会場で見つかるなどあり得ない事件が続いていることは,中国で行われた北京オリンピックに比しても酷いと言わざるを得ないのである。

選手に満足な環境を提供できないのであれば開催国として失格である。

この点,米国競泳チームで金メダルを獲得したライアン・ロクテ選手の強盗事件について,狂言疑惑が出ているが,この点も私は本当に狂言なのかは選手が自認しその動機等を述べることがない限り,ブラジル当局の発表を正しいとは判断できないと思っている。

というのも,現地のブラジル人の友人に確認したところ,ブラジルにはFederal,Military,Civilの3種類の警察機能を有する組織があり,Federalは信用できるものの,MilitaryやCivilについては腐敗度が高く,そこまで信用できるかは何とも言えないというのである。

そして,この事件を調べているのはもっとも信頼性が低い,Civilに当たる警察組織であるという。

そもそも,米国の競泳選手に狂言を言うべき動機が判然としない。

他方で,ブラジル人友人の話や米国メディアの報道では,リオ大会組織やブラジルの警察組織は,特に北南米で注目を浴びている本件事件についてその信頼を回復に必死であるようで,狂言として治安が悪いわけではないというアピールをしたいためにきちんと捜査をしていないという声もあるようである。

いずれにしても,この事件が本当であるか否かは別として,現に他の選手や観客の生命・身体に危機が及んだ自体に発展している事件が存在することは事実なのであって,リオ大会についてはリオ大会の運営委員会の責任およびリオを選んだIOCの責任は極めて重い

大会期間中にIOCの理事がダフ屋行為で逮捕されることは前代未聞の大失態であろう。

ロシア選手のドーピング問題が取りざたされているが,ロシア選手の疑義を追及し,避難できるだけの資質をIOCは有していないと言っても過言ではない

オリンピック予算の問題,エンブレム問題,さらには贈収賄問題などが取り正されている東京五輪ではあるが,老害のような爺様連中をしっかりと排除して4年後に臨まなければ,我が国の名声は著しく傷つくであろうこと明らかである。

私が特に頭にきたのは,次のニュースである。

棒高跳び銀のラビレニ、表彰式でもブーイングされ涙

ロンドン五輪の同種目で金メダルを獲得しているラビレニは、IAAFのコー会長をはじめ、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ(Thomas Bach)会長、男子棒高跳びのレジェンドでIAAFの副会長を務めるブブカ氏から激励された。

決勝で無名だったブラジルのチアゴ・ブラス・ダ・シウバ(Thiago Braz Da Silva)に敗れて五輪連覇を逃したラビレニは、表彰式の終了をもって悪夢のような24時間を終えた。

フランスのテレビ局の取材でコー会長、バッハ会長、ブブカ氏と言葉を交わしたことを明かしたラビレニは、「不快だ。フェアプレーの精神が欠落している。ブラジル人全員がそうではなかったということは強調したい。それでも、僕は前に進む」とコメントしている。

決勝で最後の試技に備えていたラビレニに対し、ブラジルの観客は耳障りなブーイングややじを浴びせた

これ程不快な話はないだろう。

はっきり言って民度の問題である。ブラジル国民の民度は三流としか言いようがない。

このような話はどこかの隣国でも起こりそうな話ではあるが,決して2020年の東京でこのような事態は起こってほしくない

オリンピック開催国としての能力がなかったとブラジルのような三流国家の誹りを受けないことはもちろん,やはり日本は最高の競技環境を提供してくれるというような選手本位の大会を開催することこそがオリンピック開催国となってしまった日本の責務であり,重い十字架を我が国は背負わされてしまった

やはり,「さすがは東京!」とロンドン五輪のように世界から賞賛されるためにも,最も支持率が低かった元総理大臣が長を務めるような旧態依然としたメンバーが牛耳っているような現在の組織員会のメンバーの総入れ替えをし,多くの日本人から信頼を受けるようなメンバーが今後リーダーシップを果たしていかなけれならないのではないだろうか

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08/15/2016

自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性

前回の記事「SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送」は好評だったようである。

今日もオリンピック放送,特に海外トップアスリートに関する日本メディアが報じない情報を紹介したい。

31歳になったマイケル・フェルプス選手は,2016年のリオオリンピックでも偉業をさらに更新し6競技で5つの金メダルと1つの銀メダルを獲得した。

現時点までで生涯通算23個のオリンピック金メダル(生涯通算28個のオリンピックメダル)を獲得している。

余談ではあるが,金メダルの数については,「競泳は出場種目が多いからズルい」などとロシア人の友人が言っていたので,私は嫌味も込めて,「ドーピングなどをすることなく,同じ日や近接した日時に予選と決勝に多数エントリーする中で,各種目の決勝にベストコンディションで金を取るんだからその事実だけで凄いのであって出場種目が多いからメダルが取れるというのは失当」と反論したところ,不服そうであったが,納得していた。

このようにアメリカ嫌いのロシア人も羨むマイケル・フェルプス選手の偉業であるが,日本がメダルを獲得できなかったこともあってか,男子400mメドレーリレー決勝に関してはそれほど報じられていない

また,前回のロンドンオリンピックの際にも「マイケル・フェルプス(Michael Phelps) 選手の偉業」との記事で海外メディアの報道を紹介したが,今回のオリンピックでも既存メディアの報道は,彼がいかに苦悩し,一時は自殺まで考えたものの,その失敗を再度乗り越え,この偉業を成し遂げたかにつき。あまり言及しておらず,深くないものばかりである。

そこで,海外メディアがどういう話を報道しているのか少し紹介しようと思う。

1.自殺まで考えたフェルプスの苦悩と復活

その前にフェルプス選手がいかに過酷なトレーニングをしてきたのかがわかるUnder Armourの動画を紹介したい。非常にレベルの高い美しい映像である。

この動画や彼の活躍だけを見ると,彼は完璧な人物のように見える。

しかし,私はフェルプス選手が怪物のような偉業を達成するような超人である一方で,人間らしさを持っている所が好きである。

トップアスリートとして君臨することのプレッシャーは私には想像を絶するが,そうした人間らしい弱さがあり,法違反なども犯してしまっているものの,その都度反省し乗り越え更なる偉業を更新してきたことはやはり賞賛に値すると思う。

以下の動画は,米国のスポーツニュースチャンネルESPNの「The evolution of Michael Phelps」というものであるが,個々でも触れられているとおり,彼は人生において,3度の大きな過ちを犯している。

1つ目は2004年に酒気帯び運転で逮捕されたことである。

2つ目は北京オリンピックの6か月後に報じられたマリファナ用水パイプを吸う写真の流出である(刑事としての立件も逮捕歴も本件についてはない点を言及しておく)。

そして3つ目が2014年9月に再び基準値の2倍(メリーランド州は0.08%が基準であるとところ,0.14%だった。ちなみに日本は呼気0.15mgで酒気帯びであり,血中濃度では0.04%程度で酒気帯びとなる)となる酒気帯び運転で逮捕されたことである。

上記3度の過ちは,彼の精神的な不安定さによるものだとされているが,これは9歳の際に両親が離婚し,その後,父親が自分の競泳イベントなどに約束したにもかかわらず表れなかったり,15歳の時に何の前触れもなく新しい奥さんを連れてくるなど自分のことを考えず,むしろ自分を捨てたと感じてきたという親子の感情に起因しているという。

このうち,特に注目すべきはロンドンオリンピックで偉業を達成した後の転落とそこからの反省とリオでの復活であろう。

ロンドン五輪の後,彼は彼自身が成し遂げた偉業の重みから一時的に競泳を離れ,パーティー三昧をし,30パウンドも体重が増え,プールの外での自分の存在価値を見いだせずに"自由"を謳歌し,現役選手としての生活からは遠ざかった結果,2014年9月30日の早朝酒気帯び運転で再び逮捕されるという過ちを犯してしまった。

しかし,彼がやはり凄いのはそこから反省し,自分の弱さを克服し金メダル4つと銀メダル1つを取る偉業により,再びリオ五輪の場で世界を熱狂させた点である。

この2度目の失敗の際,ボブ・ボーマン(Bob Bowman)コーチも,これがマイケル・フェルプスとしての最後であり,マイケル・フェルプスの偉業はここで終わったと感じたと述べている。

この最悪の状況から彼を救ったのは,元アメリカンフットボールのボルティモアのチーム「Ravens」のRay Lewis選手と彼がフェルプス選手に渡した1つの本であったという。

Lewis選手やフェルプス選手の親しい友人はアリゾナ州フェニックスの郊外にある「The Meadows」というリハビリ施設に入ることを強く勧め,45日間,セラピーを受け,その合間にオリンピック選手にしては,2回のストロークで対岸に届いてしまう狭いプールで練習をしながら,内に秘めた弱さに向き合うリハビリをした。

また,Lewis選手が渡した「The Purpose Driven Life」という本が彼を救ったと語っている。

非常に面白いと感じたのは,この本を読んでフェルプス選手がこの地球上に自分が存在する意義(生きる目的)を感じ取ったという点である。

オリンピックで数多くのメダルを取り,世界中から認識され賞賛された選手でも,9歳の時のトラウマや度重なる自分の過ちなどから自分の存在を無意味に感じ,この本で自分の存在意義を再認識したというのだから,その人間らしい弱さを持っている点に驚いた

当時,フェルプス選手は自殺すら考えていたともいわれており,この本が彼を救ったとされている。

ESPNのインタビューでフェルプス選手は次のように述べている。

自分がいない方が世界が良くなると思った。それが最善のことだと思ったんだ。自分の人生を終わらせることが。

("I thought the world would just be better off without me," Phelps admitted. "I figured that was the best thing to do — just end my life.")

我々はトップアスリートになればなるほど精神的に図太く強くなるのではないかと思いがちだが,本当は孤独感や競技以外の場での自分の存在価値などを見いだせなくなったり,自分を追い込んでしまって精神的に逆にもろくなるのかもしれない

この本が契機となり,フェルプス選手は父親のフレッド氏との関係を再構築するに至っている。

ファミリーウィークというものがあるそうで,当初フェルプス選手は,父親に拒絶されることを恐れ,父親を呼ぼうとは思っていなかったそうであるが,この本を読み自分の長年の感情と向き合うために,父親を呼び長年の想いをぶつけたという。

その結果,長年の精神的な弱さの原因となっていた父親との関係を少しずつではあるが再構築でき,子どもが生まれたこともあって精神的にも克服したようです。

生後4か月の息子のブーマー君も今回はリオで観戦していた。

バタフライ100mの結果の直後に見つけた写真であるが,銀メダルは不満なのだろうか。険しい顔をしているのが愛らしい。

引退を表明しているフェルプス選手であるが,4年後,物心がついたブーマー君にフェルプス選手はその雄姿を見せたいと思うことはないのであろうか

2.東京オリンピック出場の可能性

注目すべきは,ライアン・ロクテ選手や母親のデビーさんが以下のとおりNBCの取材に対して述べている

ロクテ選手はNBCの「Today」という番組でフェルプス選手は2020年の東京オリンピックのプールにいるだろうと述べた。彼は4年前にフェルプス選手が引退を示唆した際にも同じ予測をし,それが当たっている

(Lochte guaranteed on NBC's “Today” show that Phelps will be in the pool at the 2020 Games in Tokyo. He made the same prediction four years ago and was correct.)

さらに,フェルプス選手の母親であるデビーさんも東京でのオリンピックの舞台へのカムバックについて,「そうなれば素晴らしいわ」と述べている。

(Even Phelps' mom, Debbie, got in on the act, telling NBC a Tokyo comeback “would be wonderful.”)

人間らしい弱さを克服しながら31歳でこれだけの偉業を成し遂げるのであるから,私はフェルプス選手には人間の限界に挑戦し,35歳でも金メダルを取り続け,本当の「絶対王者」として東京でもその雄姿で日本を沸かせてほしいと思うのは私だけではないだろう。

日本のメディアも折角来年東京でオリンピックを行うのであるから同じようなインタビューなどを繰り返すだけでなく,日本人選手以外の世界のアスリートを紹介したり,日本人選手のフェルプス選手のような人間らしい弱さとそれをどう克服しているのかといった深い報道をしてほしい

なお,以下の動画は,アメリカ五輪競泳チームが公開した車中カラオケである。選手の人間味が伝わってきて面白い。

また,フェルプス選手は全ての試合後にフェイスブック上でLive Streamを行いファンの質問やコメントに答えている。ちなみにPokemon Goはやっていないが選手村ではかなりの数の人がやっており「クレイジー(Crazy)」と述べていた。

このあたりも日本のように管理されすぎない選手の自由さがあるからこそ,アメリカにはフェルプス選手のような水の怪物と称される偉大な選手が生まれるのかもしれない。

ちなみに,フェルプス選手の絵文字もあるようである。

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08/14/2016

SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送

昨夜の11時頃にサイゾーウーマンが他のメディアを先行する形で報道されたSMAP解散報道であるが,私は当初あまり信じていなかったものの,この報道は大スクープだったようである。

(当時のツイート)

ただ,この報道のあり方を見ていて気持ち悪いのは,この報道が14日になるまで一切他のメディアでは報じられず,14日になって報道各社が打ち合わせをしたかのように一斉に報じる横並びカルテルという戦前のような旧態依然とした情報統制の闇が残っている点である。

欧米であれば,個人のパパラッチなり,情報を得たらそこを契機として追随報道がされるというパターンであろうが,日本は追随というのではなく,ある一定時刻になって情報統制がされていたかの如き報道が,所詮単なるエンターテイメントニュースであるにもかかわらず,横行しているのであるから,我が国は本当に自由主義国家であるのかといつも不安になってしまう

この報道のあり方を見ていると,主要メディアは何らかの事務所なり何かの意向に従っているのであり,そこに我が国のエンターテイメントの闇を感じてならない

私は,芸能情報に堪能ではないが,本件についての"感想"(私見というにも値しない程度の感想程度のもの)を言うならば,本件の本質は事務所の対応等を含め,各人において一度傷ついた信頼関係が修復できない程度にまで進んでいたということであろう。

前回の解散報道の際,意味も分からない謝罪を何のためにさせられたのかとは傍から思っていたが,あのように意に反する行為を強制していたのではないかと思われてしまう様な不自然な"謝罪"なる行為を行っていた時点において,信頼関係は修復できない程度に進んでいたと考えられる。

いずれにしても,傍観してみていれば,育ての親といわれた飯島氏という人を排除して,そのまま平然と当該事務所で活動を継続することの方が人間としての義理を欠くと感じるのが自然な流れなのであって,私は今回SMAPを解散したいと言ったメンバー数人は人間として他に比してより優れているのではないかと感じている。

仮に,今後の報道が,解散したいという"メンバー数人"を特定し,それらのメンバーを批難するような報道がなされれば,いよいよ我が国のテレビ業界が異常であって,これらのテレビ等の主要メディアに対し視聴者毅然とした態度で自己の知る権利の保全をしなければならないのではなかろうか。

そこまで我が国の主要メディアが腐っていないことを祈るばかりである。

もっとも,冷静に考えると,40歳を過ぎたオッサンがアイドルとされている日本の"芸能界"の方は異常なのであって解散すること自体は,減価償却がない棚卸資産とされる芸能人であっても,やはりSMAPとして継続していくのには限界があり,解散は年齢的にも時間の問題であったというべきはなかろうか。

Twitter上ではSMAP解散に関連するツイートが多数あり,落胆する声も多かったが,私は,卓球男子団体第一回戦で水谷選手を苦しめたポーランドのイケメンであるJAKUB DYJAS(ヤクブ・ディヤス)選手でも見てキャーキャー騒ぐ方が健全だと思う。

なかなか中国系の選手やアジア系の選手以外台頭していない卓球という競技の中で,解説者も評価していたが,手足の長さを利用して,銅メダリストの水谷選手を苦しめ,丹羽選手を圧倒的なパワーとギリギリまで粘って打ち込むプレーは見ていて爽快だったし,凄かった。まだ20歳の選手であり,今後台頭する選手ではなかろうか。

丹羽選手を下した時に,胸を叩いて喜んでいたが彼が繋ぐかどうかでこの試合が決まる(第5試合に行くかどうか)という中,相当のプレッシャーだったのだなと感じた。オリンピックは日本人選手が仮に負けていても,やはりトップアスリートの戦いなので見ていて本当に面白い。

なかなか海外の選手の活躍などはオリンピックの放送では,放映権の問題で各社なかなか報じない(放映料の関係で報じる価値がないということかもしれないが)が,オリンピックの醍醐味は,日本人選手と戦う他国の選手にどのような人物がいるのかなどを知るという点にもある。

NHKは小刻みにSMAP解散の報道を挟んできていたが,単なるアイドルグループの解散が速報を打ち,オリンピックの生中継を一時中断してまでNHKが報道する性質の話なのか再度他のメディアとの違い,公益性について検討してもらいたいものである。

他のメディアと横並びの報道であれば,視聴料を徴収してまで存在する意義はないのではなかろうか。

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07/30/2016

有権者の見る目が試される選挙

先日は6カ月ぶりにブログを更新し,「緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義」という記事で,社会情勢の変化で往年のエンターテイメントが有する意義が時代時代で変わってくるということについて意見を発信した。

今回は,毎日マスコミが騒いで取り上げる話題の1つ,明日の東京都知事選挙について私の意見を表明したい。

1.マスコミの罪

まず,マスコミが3候補に絞って報道をしていることから,この3候補以外に投票するのは死票になるのは明らかであろう。これはマスコミがいかに我が国の政治的意思決定において,有権者の判断する余地を狭めているかを示している。

マスコミからすれば,一応,最後に候補者全員を紹介しているんだから選ぶのは有権者の勝手であるし,"世論調査"での投票先は3候補がほとんどなのだから,俺たちはそれを単に伝えているだけだと反論するかもしれない。

しかし,公示前から既に有名な候補,いわば,今回の3候補に絞った報道がなされている時点で,マスコミの主張は失当である。

つまり,選挙告示前から無責任なマスコミが「注目」すべき候補か否かという恣意的な判断をし,その結果,実質的に死票とならない候補者の絞り込み(フィルタリング)が行われてしまっていると言わざるを得ない。

この点,有権者がマスコミの「注目」に踊らされており,有権者が未熟で,単に馬鹿なだけであるという見解もあるだろう。その見解は私はある意味正しいと思う。

しかし,マスコミが未熟で馬鹿な有権者を煽っているのは明らかであり,私はマスコミによる事前の絞り込み(フィルタリング)問題ということについては今後真剣に考えていかなければならないと思う。

なぜならば,マスコミがこの国の為政者の意向に沿ってのみ報道することになることは,いかに日本が形式的に民主主義の立憲主義国家であるとしても,実態は北朝鮮と同じということになりかえないためである。

マスメディアに自己の意思の決定を委ねないということが我が国の有権者として果たすべき責務であろう。

2.東京都知事選挙の投票

死票にならない3候補を比べた時,まともな人であれば,どの候補もパッとしないと思うだろう。

石原元都知事が色々と揶揄したオバサンは,明らかに権力欲の塊であり,自己の政治資金の疑念にきちんと回答したとはいえないのであって,この姿勢と資質から見ても,舛添と同じ結果になるのは明らかである。

他方,自民や公明に押されている増田というオッサンも何をしたいのか良くわかないし,改革なんか期待できない。

さらに,野党統一候補の高齢者についても,どうも東京都がどうあるべきと考えているのかが伝わってこない。

したがって,多くの有権者は「よりマシな候補」に投票しようとするのではなかろうか。

しかしながら,投票に際して考えてほしいのは,自分に候補者を見極める能力があるのか否かという点である。

私は今回の選挙でこの候補に入れるべきと推せる候補者は正直いない。

ただし,1つ言えることは,前々回の選挙で猪瀬に投票し,かつ,前回の選挙で舛添に投票した有権者は,明らかに見る目がないのは明らかなので,今回の選挙には投票に行くべきではないのではないかということである。

特に舛添については,彼の資質の問題であり,彼の都知事選挙前の言動を見ていれば,あのような問題を起こすような資質があるのは明らかであった。なぜならば,彼の言動に傲慢で,かつ,選民意識が強く,自己顕示欲の塊のような人間であることがよく表れていたからである。

それは彼の当選直後に私が書いた,「ジャーナリスト池上彰の凄さ(池上無双と言われる理由)」や「ジャーナリスト池上彰から敵前逃亡をした新都知事の情けなさ」という記事における池上氏と舛添とのやり取りを見ても明らかであった。

私は,当時の記事で,「舛添新都知事の度量の小ささは、ジャーナリスト、池上彰によって、当選直後に白昼にさらされた言わざるを得ない。」と指摘し,「今後、池上無双から逃げた舛添という誹りを挽回できるチャンスはあるのだろうか。これ以上失望させられないことを祈るばかりである。」と述べたが,私の懸念は的中した

度量が小さいから,あのようなセコイ政治資金の使い方をして都民から総スカンを喰らったわけであるが,それをしそうな資質は当選直後に表れていた

つまり,当時,投票した有権者が本当に見る目がなかったのである。

投票に行くのも行かないのも主権者たる国民,有権者の自由である。

私は投票率が高いことが必ずしも良い選挙だとは思わない。投票に行かない自由というのも保障されるべきであるし,見る目のない有権者は投票にいかないというのも民主主義に資すると思っている。

過去2回の選挙で明らかに問題のある知事を積極的に支持して投票した有権者は,はっきり言ってみる目がないのであるから,そのことを自覚した上で自らの投票行動を決めるべきであろう。

多くのメディアは投票に行こうと呼びかけるが,見る目がない有権者が無責任に投票することこそ,民主主義の弱点であると私は考えている。

自信を持って投票できないのであれば,投票しないというのも選択肢の一つだろうし,投票する以上は,投票した候補者が猪瀬や舛添と同じような政治とカネの問題を起こした時には,自分は本当に見る目がないと真摯に反省すべきであろう。

3.候補者は池上無双の洗礼を投票日前に必ず受ける仕組みを作るべき

前回の参議院選挙でも,池上彰氏の池上無双ぶりは発揮されていた。民進党の岡田党首にも激しく切り込んでいたし,蓮舫議員もいらつくようなそぶりを見せ,彼女の底の浅さを見せつけていた。

さらに公明党にも恒例となった創価学会との関係について単刀直入で突っ込んでいたのは記憶に新しい。

しかし,本来あるべきは,このような池上氏の厳しい質問と候補者の応答を有権者が見極めたうえで,投票行動を決するようなメディアの仕組み作りではなかろうか。

例えば,NHKと民放が協力して,全候補者を集めたテレビディベート大会を2~3時間の枠で,池上彰氏のように単刀直入に候補者の嫌な質問であっても構わず行い,自分の意見などを言いすぎないジャーナリストを司会者にして行うべきである(ちなみに,現在,正直,池上氏以外にそれができるジャーナリストいないと思う。例えば,朝まで生テレビの司会を長く行っている田原総一朗氏は自分の意見を言いすぎるという点からディベートの司会者には向かないだろう)。

嫌な質問にどう候補者が答えるかで,その候補者の人間としての資質が見えると私は思う。

マスコミがそれぞれバラバラに下らない選挙特集をやるよりも,池上無双による候補者のスクリーニングをテレビディベートというような形で行う方が,よっぽど有益だし,候補者を見極める目を養うことに資するだろう。

いずれにしても,明日は投票日。

2度の恥ずかしい都知事を輩出した都民である我々に,有権者として見る目があるか否かが今再び試されている

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07/26/2016

緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義

暫くブログを休止していたが,書きたい話があるので約半年ぶりにブログ記事を更新しようと思う。

最近は,中東におけるテロやイスラム原理主義に傾倒したテロリストによる犯罪行為のニュースを聞かない日はないと言っても過言ではないだろう。

テロは中東からヨーロッパ,北米だけでなく,オリンピックが行われるリオでもその計画が明るみになり,もはや世界中で安全な地域はないとも思えるような暗いニュースが多い。

そのような情勢の中,我が国では,幸いにしてイスラム原理主義によるテロ犯罪は起こっていないが,我々の中東やイスラムに対するイメージは過去を見てもないほど日々悪化しているというのが実情であろう。

ところで,私は以前から何度か映画や演劇,オペラ,ミュージカルなどのエンターテイメントが社会や個人に与える力,その社会的意義,いわば,エンターテイメントの大儀について,様々な記事(例えば,「ディズニー(Disney)映画に見るセクシズムと限界」など)を書いてきた。

そこで,日本で公演されているある世界的なミュージカル作品についての私見を紹介し,今このタイミングで公演が行われた社会的意義について考えてみたいと思う。

1.30年以上前に作られたミュージカルの現代的意義

その作品は,邦題:「ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート」(原題:「Joseph and Amazing Techinicolor Dreamcoat」)(以下「Joseph」という。)である。

7月13日から渋谷ヒカリエの東急シアターオーブ(BUNKAMURA)で公演されて,7月24日(日曜日)で千秋楽を迎えたブロードウェイミュージカルである。

この作品については,スーザンボイル現象が起こった2009年頃に,「チャンス・ステグリッチ(Chance Steglich)君の歌唱力にも注目」という記事で,当時高校生であったチャンス君の高校生とは思えぬ高校での公演の動画を紹介したことがあったが,当時チャンス君が出演した作品がこのJosephなのである。

<参考:チャンス君の動画>

※以前紹介した記事の動画が見れなくなっているので今回新たに次の動画を掲載する。

ちなみに,当時高校生にして素晴らしい歌唱力を持っているチャンス君は,現在ユタ州のディクシー州立大学の劇場で俳優として活動しているようである。

さて,話を本題に戻すが,このJosephは,オペラ座の怪人,キャッツ,エビータなどを輩出した作曲家,アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)と美女と野獣,チェス,ライオンキングなどを輩出した作詞家,ティム・ライス(Tim Rice)が初めて1967年頃に生み出した作品で,トニー賞を1982年に受賞して以来,様々な演出が加えられエンターテイメントととして進化し続けており,アメリカやイギリスなどの欧米では知らない人はいないと言っても過言ではない。

アメリカの多くの人々が高校などで公演などをした際に参加したり,鑑賞したことがあるという経験を持っているだろう。

また,イギリスでは2007年にBBCが「Any Dream Will Do」という番組を放映した。

この番組では,Josephの主役を一般公募のオーディションをして勝ち上がったファイナリストから毎週番組で電話投票をして,最後に残った俳優が主役を演じることができるという番組を放映しているが,かなり好評だった。

いかにこの作品が英語圏で人気の作品か良く分かる。

そこで,今日の記事の本題である「この作品がなぜ今日本で公演されたことに意義があるのか」であるが,それはこの作品が扱うテーマである。

そもそも,この作品はキリスト教の旧約聖書,ユダヤ教の聖典,イスラム教の啓典の「創世記」をテーマにしたもので,まさに各宗教に共通の物語をミュージカル化したものであるが,宗教対立,宗教に名を借りたテロという殺戮,犯罪行為が横行する現代だからこそ,これらの宗教に共通して存在する物語をテーマにしたこの作品が今まさに時代に適っている

また,この作品の舞台は,カナン(古代パレスチナ)とエジプトである。

今まさに極めて情勢が不安定な地域を舞台に,それとは対極的な演出で,激しい歌と踊りで,楽しく,明るく,「ザ・エンターテイメント」といえる作品であることからも,社会に対する普遍的なメッセージを感じる作品である。

そして,作中で披露されるテーマ曲の1つも,混沌とした時代に忘れかけている大事なことを観客に喚起してくれる。

それが「Any Dream Will Do」である。

これはJosephのテーマ曲の1つでるが,この歌詞の中には次のような歌詞がある(和訳は私が仮訳としてリズムに合わせて付したものである)。

Far far away, (遠くで)

someone was weeping. (涙する人)

But the world was sleeping. (気にしない世界)

Any dream will do.(夢をみよう)

【中略】

And in the east, (東の空で)

the dawn was breaking (夜が明ける)

And the world was waking (世界が変わる)

Any dream will do(夢をみよう)

【中略】

The world and I, (世界と私)

we are still waiting (いつまでも待つ)

Still hesitating, (ためらい続ける)

any dream will do(夢をみよう)

我々日本人はバブル期に経済的な利益を追い求め,未だに物欲主義のバブル再興という夢を見ている人間もまた少なくない。

また,それを望んでいなくても,日々の仕事に忙殺され,精神的な安定と自己実現の価値についてなかなか向き合える環境ではないという現実も存在する。

そのような日本において,Josephは,夢をみること(夢を持つこと)の大切さという強いメッセージを送ってくれるのである。

私は,夢をみることというのは,思想の自由という精神的自由の根本的価値の1つの体現であり,私たちが人間として享受できる人権の最も根幹な部分と考えている。

つまり,個人がいかなる夢をもつことができるという自由なのであって,それは人間としての個々が存在し,自己実現をするためのもっとも重要な自由である。

この作品の冒頭で,ストーリーテラーのナレーターが歌う次の歌詞がある。

Now I don't say who is wrong, who is right (誰が正しいとか,間違っているとはいいません)

But if by chance you are here for the night (でも今夜,皆さんは偶然にもここに集まりました)

Then all I need is an hour or two (ほんの1,2時間を下さい)

To tell the tale of a dreamer like you(あなたのように夢を見る人の話をさせて下さい)

We all dream a lot -- some are lucky, some are not (私たちはたくさんの夢を見ます。幸運な人もいれば,不幸な人もいます)

But if you think it, want it, dream it, then it's real (でも,思い,欲し,夢を見れば,現実になるのです)

You are what you feel(感じていることそのものがあなた自身なのです)

非常に詩的な内容なので,仮訳も非常に難しいが,私はこの最後の部分にこそ,夢を見ることによる自己実現の重大さというメッセージを感じる

今の日本では,憲法が何たるかを全く理解していない為政者が,憲法を改正する力を手に入れてしまったという現実がある。

しかし,この自己実現という価値はまさに,憲法が保障する精神的自由の根幹部分であり,この価値が制限されるような世の中には我々は絶対してはいけない

また,世界では毎日テロという無意味な殺戮という犯罪行為による多くの市民が殺されている。フランスに続き,ドイツでも子どもをターゲットにしたテロが発生してしまった。こうした犯罪行為を絶対に許さないという強いメッセージを宗教リーダーは力強く発する必要があると感じるがイスラム教のリーダーからの強いメッセージはあまり聞こえてこない

この点,この作品では兄弟に殺されかけたJosephがその兄弟たちが危機に直面した時にどう対応するかというシーンがある。

この作品は他人に不寛容になり,宗教やその他の薄っぺらい形式のみの大儀の名の下で,他者を否定し排除するという世界の風潮に対し一石を投じており,30年以上前に作られた作品ではあるが,むしろ現在の社会情勢に鑑みて,改めて評価されるべきである。

ショーが終わった後,会場から出る際に,ある年配の観客の方が,「最近テロの話が多くて怖いけど,こういう物語のベースになるエジプトってやっぱりすごいわね。こういう作品が世界でもっと広がって,偏見や争い事が少しでも減るといいのにね。」と話していたのは大変印象的だった。

2.今回の作品の評価

前述でも触れたが今回の作品では,アレンジが加えられている。

1999年頃に映像化されたDonny Osmondが主演の作品はより子供を対象にした演出であったが,渋谷で公演した作品は,現代の大人に向けた演出が強かった

この点は,演出を担当したAndy Blankenbuehler氏が,冒頭のプロローグ部分で,汽車の音などを取り入れるなど1999年のDVD版とは異なるアレンジを加えた理由について,パンフレットの中で,「大人は進むべき道は(敷かれたれーつの上を走るように)ひとつしかないと思い込みがちだということも表したかった」と述べていることからも明らかである。

なお,Andy Blankenbuehler氏は今年のトニー賞を席巻したハミルトン米国大統領の生涯を描いたミュージカル「Hamilton」で振り付けを担当し,トニー賞を受賞している。

これは英語を母国語にしない日本人には当たりだったように思われる。

私は,最終日の前日の最後の夜のショーを見たのであるが,会場には子どももちらほらいたものの,観客の多くは大人であり,年配の観客もかなり多くいた。

そして,驚いたのは,この大人の観客達が一体となって始まりから最後まで続くアンドリューロイドウェバーの「繰り返しのリズム」にまんまと取り込まれ,所々で大きな歓声を上げながら,最後は全員総立ちでスタンディングオベージョンをするほど熱狂した状態であった

特に,高齢の男性客が高いテンションで楽しんでいた姿は,大変印象的であった。

日本にはJosephのように観客を一瞬にして別世界に引き込む夢のあるエンターテイメントが非常に少ないことも起因しているのかもしれない。

特に印象に残ったのは,主役のJosephを演じたJC McCannさんの歌唱力,代役(Understudy)ではあったものの作中で主演女優というべきナレーター役のShea Gomezさん,コミカルでプレスリーのようなファラオ役を演じたJoe Ventricellさん,そして,脇役ではあるものの,ジョゼフの兄弟の一人であるBenjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんの4名である。

主役のJC McCannさんは,アンドリューロイドウェバーがこの作品でよく使いたがるようなポップなアイドル的な俳優ではなく(そのようなキャスティングのせいでこの作品は子供向けと思われがちな傾向がある),どちらかというとクラシカルな「Oklahoma!」やLes MiserablesのEnjouras役などを演じてきた実力のあるミュージカル俳優というだけあり,きちんとした歌唱力に裏付けされており,Josephの役にはぴったりだっただろう。

主役級が印象に残るのは当然と言えば当然だが,Shea Gomezさんは代役であったものの凄く強い歌唱力であったし,おそらく多くの観客は彼女が代役とは気が付いていないかもしれない。

また,ファラオ役を演じたJoe Ventricellさんの演技も英語という障壁を多くの観客が抱えているにもかかわらず,プレスリーのような声で,絶妙な間合いとボディーランゲージによる演技で笑いを何度も取っていたのは素晴らしいと感じた。

そして,私が一番評価したいのは,あまり目立つキャラではあったものの,Josephの末の弟,Benjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんである。

彼はバク転宙返りなどアクロバティックな演技もしていたが,私はそこではなく,彼が「One More Angel in Heaven」という歌のシーン(ジョゼフがいなくなり悲しんだり喜んだりしているシーン)で行った細かい演技に感銘を受けた

Benjaminというキャラクターは,Jacobの12番目の息子で,Josephの同じ母親から生まれた弟であり,もっともJosephと仲が良い存在であったとされている。

そのBenjaminを演じたMatthewさんは,上記シーンで,他の兄弟とは一線を画し,悲しんだり,後悔したりした姿を演じていたのである。

これは1999年に映像化されたシーンでも描けていなかった。それを今回の渋谷の舞台で細かく演じていたのは作品に対する高度なプロの仕事を感じたのである。

歌と踊り一辺倒となってしまいがちなアンドリューロイドウェバーの作品において,脇役ながらキャラクターの細かな心情の違いを演じきっていたのには驚くと同時に大変感心した。ぜひ今後も様々なミュージカルで成功してほしい俳優である。

他方で,作品をある程度批判的に考察することも必要であるからあえて厳しい評論もしようと思う。

まず,個人的にあまりしっくりこなかったのは,Judahの役のKyle Freemanさんが歌った「Benjamin Calypso 」とSimeon役のPeter Suraceさんが歌った「Those Canaan Days」の部分である。

前者は,演出のライトニングが暗く,Calypsoというカリビアン的な雰囲気が十分に出ていなかった。

そういう意味ではどうしても1999年のこのシーンのイメージを打ち破るだけのパンチが少なかったということだろう。このシーンでは,直前の緊張感のあるシーンから一気に開放され,愉快で南国の雰囲気が出てこないといけないと思うが,それも少し中途半端な感じで,歌もどこかあか抜けない感じだったのが残念であった。

後者は,好みの問題なのかもしれないが,このシーンでは「Those Canaan days we used to know. Where have they gone, where did they go?」という歌詞があり,where didというところで,かなり長く伸ばすシーンがあるのであるが,ここが最も俳優たちの歌唱力の強さを感じることができるシーンなのであるが,渋谷のショーでは,この部分をコミカルに笑いをとるだけにしてしまっており,もっと歌唱力の強さを感じたかったように思う。

例えば,トニー賞を受賞した時は,以下の動画の1:18辺りのシーンのように息継ぎなく長ーく伸ばしながら歌唱力を見せつけるような演出が見たかった。

このように物足りないと感じる部分も全くなかったわけではないが,今回の渋谷ヒカリエで上演されたミュージカルは総じて素晴らしいものであった。

さらに,前記の動画のとおり,渋谷ヒカリエでの「Go go go Joseph」のシーンは白い衣装で統一されていたが,やはりこのシーンはもっとカラフルで近未来的な演出をもっと過激かつ会場全体を巻き込む形でやった方が日頃大人しい日本人にとっては絶大のインパクトを与えることができたように思う。

この点,今回はUS Tourのキャストによる公演だったが,イギリスの公演の演出は,より華やかな印象を受け,また違うようである。例えば,イギリスでは,X Factorで有名になったLloyd Danielsさんが主役になったりしている。

次回はイギリスのキャストによる公演があると比較できて面白いかもしれない。

いずれにしても,残念ながら,Josephは,7月24日(日)の12時30分が日本での最終公演になる。

私が見た7月23日(土)の夜の回では,リピーターチケットということで,最終日のチケットも販売していたが,座席はほとんど埋まっており,この公演を見て感激し,2日連続で見ようとしている人もかなりいたようで,列ができていた。

この作品を見逃した人もそう落胆することはない。なぜならば,この作品は映画化も検討されているといわれている。

またYoutube上でもJoseph事態は様々な高校などのレベルでも演じられており,それを見ることができる。また,1999年のDVDバージョンもお奨めである。

ぜひ興味がある人は,このJoseph and Amazing Techinicolor Dreamcoatという作品を見て,現代におけるこのミュージカルの社会的意義を再評価して,この作品を楽しんでもらいたい。

なお,最後に,次の動画を紹介して,約6カ月ぶりの記事を締めたいと思う。

これは上述で触れた今年のトニー賞を席巻したミュージカル「Hamilton」の歌を披露するJoseph and Amazing Techinicolor DreamcoatのUS National Tourのキャストの動画である。

このメンバーが渋谷のヒカリエで公演したのであるが,この動画も必見である。

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07/24/2016

【移動しました】緊迫する社会情勢とある往年のミュージカルの社会的意義

記事を更新したことに伴い,当該記事は次のリンク先に移動しました。

以下のリンク先で記事をご確認ください。

緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義

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12/23/2015

金融庁の怒りとそれに対する危機意識が組織的に欠如している新日本監査法人

先日は6か月ぶりのブログ記事で東芝の会計監査人であった新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)について,断固たる姿勢での厳しい処分が必要である旨主張したが,既に報道されているとおり,昨日の2015年12月22日付で金融庁は新日本に対し,①業務改善命令,②契約の新規の締結に関する業務の停止「3月」(以下「一部業務停止命令」という),③約21億円の課徴金納付命令に係る審判手続開始を決定という処分が発せられた

当初は上記の一部業務停止命令の期間が「6月」という報道があったのが,直前になって「3月」との報道に変わったことから,私は,結局のところ金融庁による処分は,一部業務停止命令もその対象を監査業務に限定するなどして,新日本の会計士の論理が優先され,甘い処分になることを危惧したが,今回の処分内容は,新日本の責任との対比において極めて妥当な線であり,金融庁の処分内容と処分理由の報道資料を読むと,金融庁の怒りが相当程度に達して本気で処分したことがよくわかる内容となっている。

他方で,この金融庁の処分を受けて,同日に新日本が発表した改革案責任の明確化という資料は,極めて陳腐な内容となっており,金融庁が相当な怒りを持って処分をしていることに対する自覚が残念ながら全く感じ取れないのである。

そこで,今日は①なぜ金融庁の怒りが報道資料から読み取れるのかということと②新日本の対応からいかに危機意識が組織的に欠如しているかということについて論じてみたい。

1.金融庁のによる怒りのメガトンパンチ

まず,金融庁の報道資料には,処分理由として,次の2つを挙げている。

ア 新日本有限責任監査法人(以下「当監査法人」という。)は、株式会社東芝(以下「東芝」という。)の平成22年3月期、平成24年3月期及び平成25年3月期における財務書類の監査において、下記7名の公認会計士が、相当の注意を怠り、重大な虚偽のある財務書類を重大な虚偽のないものとして証明した。

イ 当監査法人の運営が著しく不当と認められた。

金融庁は,相当の注意を怠っていたと認定していることから,つまりは,必要な注意義務を果たすことなく漫然とした節穴監査であったということを行政庁として認定していることを意味する。

そして,東芝の監査チームだけでなく,東芝の監査を担当した事業部だけでなく,新日本が組織全体としてその運営が著しく不当であると認定している。

処分をする上では当然の認定ではあるが,目を見張るものがあるのは事案の概要部分である。

(1)東芝の監査部分に関する指摘

  • 監査の担当者は、(中略)異常値を認識するとともに、その理由を東芝に確認し、「部品メーカーからの多額のキャッシュバック」があったためとの回答を受けていたが、監査調書に記載するのみで、それ以上にチーム内で情報共有をしていなかった。監査チーム内において不正の兆候を把握した場合の報告義務を課すなどの適切な指示、指導及び監督を十分に行っていなかった結果、必要な監査手続が実施されず、自己の意見を形成するに足る基礎を持たずに監査意見を表明していた。

まず,この指摘であるが,要はホウレンソウができていないとの指摘がされてしまっているわけである。

特に気になるのは,「監査調書に記載するのみ」という部分である。

「とりあえず責任問題にならないために,監査調書に残しておけば良い」という「ためにする監査」ともいうべき悪しき形式主義の風土がこの指摘部分に如実に表れているように思われて仕方ない。

  • 監査チームは、前工程における原価差額の減額が行われていたことを監査手続において認識しながら、後工程における原価差額の増額が行われているかを、十分かつ適切な監査証拠を入手し裏付けをもって確認する必要があるにもかかわらず、後工程における原価差額の増額は当然に行われていると勝手に思い込み、その確認を怠った

この部分の指摘もやはり専門職とは思えない稚拙なレベルでの指摘となっている。「勝手に思い込んだ」というのであるから,漫然とした監査であったと言われても仕方ないのではなかろうか。

仮に弁護士が依頼人の重要な主張部分に関わる事実を確認せずに勝手に思い込んで事実誤認の主張をしたという事案があれば,懲戒ものである。

  • 監査チームは、臨時的なTOV改訂が行われれば、当然に東芝から報告や相談があるものと思い込み、また、前後工程のTOVは整合しているという勝手な思い込みのもと、これらの確認を怠った

これはもはや任務懈怠レベルではなかろうか。職務放棄といっても過言ではない。当然に依頼人から話があるだろうから,確認しないといういうのは仕事をしていないのとまったく同じであろう。

そして,このことは会計監査人としての職務上の確認義務を依頼人に押し付けていたということを意味するのであるから,ボッタクリ監査も甚だしい

このような稚拙なレベルに金融庁が立腹するのは当然である。

  • 特別な検討を必要とするリスクとして識別したにもかかわらず、東芝の説明を鵜呑みにし、また、東芝から提出された発番票などの資料を確認するにとどまり、見積工事原価総額の内訳などについて、詳細な説明や資料の提出を受けておらず、経営者が使用した重要な仮定の合理性や見積りの不確実性の検討過程を評価していないなど、当然行うべき、特別な検討を必要とするリスクに対応した十分かつ適切な監査証拠の入手ができていなかった

この指摘にも金融庁の怒りが表れている。

つまり,「リスクとして識別した」というのであるから,新日本の東芝監査チームは,特別な検討が必要なリスクの高い問題があるという認識を有していたことを意味する。その上で「当然行うべき」必要な証拠の入手をしなかったと指摘されているのである。

すなわち,「これは問題がありそうだから検討しないといけないね」と思っていたのに,やるべきことをやらなかったというのであるから,ある意味,未必の故意に近いレベルでの過失を認定していると言っても過言ではないだろう。

(2)新日本の運営に関する部分の指摘

さらに金融庁のフラストレーションが見て取れるのが,法人の運営に関する指摘事項である。

品質管理本部及び各事業部等においては、原因分析を踏まえた改善策の周知徹底を図っていないことに加え、改善状況の適切性や実効性を検証する態勢を構築していない

(中略)

これまでの審査会検査等で繰り返し指摘されたリスク・アプローチに基づく監査計画の立案、会計上の見積りの監査、分析的実証手続等について、今回の審査会検査でも同一又は同様の不備が認められており、当監査法人の改善に向けた取組は有効に機能していないなど、地区事務所も含めた組織全体としての十分な改善ができていない

ここでの指摘からは,金融庁の「今まで散々指摘を受けたことをどう改善したのか自分たちで何も検証できていないじゃないか。その結果,改善そのものが組織全体としてできていない。いい加減にしろ」という怒りを感じてしまう

定期的な検証において、監査手続の不備として指摘すべき事項を監査調書上の形式的な不備として指摘している。そのため、監査チームは指摘の趣旨を理解しておらず、審査会検査等で繰り返し指摘されている分析的実証手続等の不備について、改善対応ができていない

(中略)

監査での品質改善業務を担っている各事業部等は、品質管理本部の方針を踏まえて監査チームに監査の品質を改善させるための取組を徹底させていない。また、一部の業務執行社員は、深度ある査閲を実施しておらず、監査調書の査閲を通じた監査補助者に対する監督及び指導を十分に行っていない

このように、当監査法人においては、実効性ある改善を確保するための態勢を構築できていないことから、監査手続の不備の改善が図られない状況が継続しており、当監査法人の品質管理態勢は著しく不十分である。

この部分の指摘もなかなか秀逸である。

まず,「監査手続の不備」を「監査調書の不備」にすり替えた指導の部分であるが,これは,監査手続においてやっていないことがあり,それが指摘されなければならないのに,監査調書と呼ばれる証拠化した文書の不備として指摘しているからまったく意味がないということである。

すなわち,指導する側の品質管理業務担当部署が適切な指導ができていないから,監査チームも指導を理解できておらず,何ら改善できていないという呆れにも近い怒りの指摘ではなかろうか。

悪しき形式主義を是正すべき品質管理業務担当部署こそが悪しき形式主義を容認しそれを実践してしまっていたということなのかもしれない

次に,一部の業務執行社員の査閲の問題であるが,これは,本来であれば全責任を負う業務執行社員が査閲,いわば,上司としての確認,を表面的に浅はかなレベルで終わらしているから,下の者への指導もできていないという意味である。専門職に求められる仕事の水準とは程遠いことへの金融庁の怒りが伝わってくる。

そして,監査法人,専門職としての仕事をする上での核心的部分ともいうべき「品質管理態勢は,著しく不十分」との指摘に至っているというのであるから,新日本の業務の質がいかに散々たるものであったのかがひしひしと感じ取れる金融庁の発表資料ではなかろうか。

審査担当社員が、監査チームから提出された審査資料に基づき審査を実施するのみで、監査チームが行った重要な判断を客観的に評価していない。また、監査チームが不正リスクを識別している工事進行基準に係る収益認識について、監査調書を確認せず、監査チームが経営者の偏向が存在する可能性を検討していないことを見落としているなど、今回の審査会検査で認められた監査実施上の問題点を発見・抑制できていない

このように、当監査法人の審査態勢は、監査チームが行った監査上の重要な判断を客観的に評価できておらず十分に機能していない

この指摘も驚かされる。

つまり,審査担当のパートナーが「審査」とは名ばかりで,監査チームが出してきたものだけ見て,監査チームと一体化したような形で形骸化した審査しかしていないのであるから,法人全体として今回の東芝で指摘された問題点が抑止できない体制になっていると言っているわけである。

こうなってくると,金融庁は,怒りもさることながら,法人の構造的に第2,第3の東芝事案が発生することを憂いていることが感じ取れてくるのである。

以上の考察のとおり,金融庁の指摘は相当深く入り込んで審査した結果が厳しく表現されており,厳格かつ厳正な審査がなされたことが良く伝わってくる内容というべきである。

2.業務改善命令において重い十字架を背負わすことで,バランスに配慮

私は当初,一部業務停止命令の内容が「3月」との報道が流れたことで,金融庁はなあなあな処分で済ませようとしているのではないかと懸念したが,今回の処分を見ると,金融庁は会計監査そのものに対する危機意識を持っていることが伝わってくる。

そして,金融庁は,新日本に対し業務改善命令において,最後通牒ともいえる抜本的な見直しを早急に行うように重い十字架を背負わしている

(1)今回、東芝に対する監査において虚偽証明が行われたことに加え、これまでの審査会の検査等での指摘事項に係る改善策が有効に機能してこなかったこと等を踏まえ経営に関与する責任者たる社員を含め、責任を明確化すること。

(2)その上で、外部の第三者の意見も踏まえ、改めて抜本的な業務改善計画を策定すること。また、改善策を実施するにあたり、その実効性につき、経営レベルの適切な指導力の発揮の下、組織的に検証する態勢を構築するとともに、不十分な対策が認められた場合には、必要に応じて追加的な改善策を策定・実行すること。

(3)品質管理本部に加え、監査の品質改善業務を担っている各事業部の責任者等は、監査チームに対し、業務改善策が浸透・定着するよう、より主体性と責任を持って取り組むこと。

(4)審査体制の機能を強化することに加え、監査実施者が、監査チーム内で十分な情報共有・連携を確保するとともに、求められる職業的懐疑心を保持し、深度ある分析・検討を行う態勢を構築する観点から、監査法人内の人事管理や研修態勢を含め、組織の態勢を見直すこと

(5)今回の事案の発生及び審査会から行政処分の勧告が行われるに至った背景として、監査法人の風土及びガバナンス体制等の面でいかなる問題があったのかを検証し、上記業務改善計画の中で改善に取り組むこと

(6)上記(1)から(5)に関する業務の改善計画を、平成28年1月31日までに提出し、直ちに実行すること。

(7)上記(6)の実行後、当該業務の改善計画の実施完了までの間、平成28年6月末日を第1回目とし、以後、6か月ごとに計画の進捗・実施及び改善状況を取りまとめ、翌月15日までに報告すること

特に,上記の赤字の部分に金融庁の危機感がよく表れている。

先日,新日本の英理事長が退任という話があったが,(1)は暗に現在の新日本の理事会等を含めた執行部やパートナーの退任を含めた「責任」を求めているのであり,相当程度踏み込んだ業務改善命令といえる。

そして,その「責任」は,これまで改善できなかったことに起因しているのであるから,今までの歴代理事長や理事等の過去の執行部やパートナーにおいても,その責任を追及されるべき立場にあるという考えがあるのではないだろうか。

また,会計士の論理では改善できないと判断したのか,外部の第三者による検証と「抜本的な」改善を強く求めている点も危機感の表れであろう。

なお,金融庁は監査法人の行う監査業務以外の業務(いわゆるアドバイザリー業務など)についても,一部業務停止の対象としている(監査業務に限定していないことからの反対解釈)。

監査業務ではないとはいえ,監査法人の名の下で行われている業務である以上,監査業務において生じた問題は,それ以外のサービス提供業務にも当然当てはまるという判断があると思われる。

現に今回の処分において,業務停止「1月」となった上村会計士は,不正対策のアドバイザリー業務を提供していたこともあったようであるが,そのような人物が業務執行社員として関与していたにもかかわらず東芝の問題は発生したわけである。この問題は新日本の監査業務に限定されず,あらゆるサービスに巣食う相当根深い問題と言わざるを得ない

3.危機感を感じられない新日本の対応

新日本は,同日付で,「金融庁による処分について」と題しHP上で対応について説明している。

この中で,新日本は,「弊法人の改革(案) 」と「弊法人の責任の明確化について」という文書を公表しているが,その内容を見ると,一見極めて明白に陳腐であって,このような内容を公表するくらいであったらしない方がマシなのではないかというレベルなのである。

まず,前者であるが,私が驚愕してしまったのはそこに並ぶ文言の極めて抽象的な表現である。

例えば,監査品質監督会議なる新組織を作るのは良いが,「モニタリングと改善指示を行います。」とあるものの,具体的にどのようにモニタリングをして,具体的にどのように改善指導を行うのかといった話が一切ない

審査会の立入調査等を通じて,これくらいの処分が出ることはわかっていたはずであるからもっともう少しマシな具体性のある改革案を示せなかったのであろうか。

こんな陳腐な抽象的な "改革案" を示すくらいであれば示さない方がマシである。

これでは,金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき処分に対し,馬の耳に念仏と言わんばかりの回答ではなかろうか。

同様に,「監査品質に関する問題が発見されたパートナーへの対応を厳格にします」などという宣言があるが,逆に今まで監査品質に問題があってもパートナーは何ら厳格な責任を問われない極めて温い環境にあったのかと思ってしまう。新日本が行っている各社の監査の信用性の低下を促進することにすらなってしまうだろう

このような上っ面の宣言をされると,逆に「今まで監査品質はおろそかにしていたの?」と不安が増大するのが通常人の合理的な思考であろう。

危機感のない頓珍漢な "改革案" はこれだけで終わらないから呆れてしまう。

例えば,人事制度改革においても,「パートナーの評価及びパートナーへの昇格において監査品質を最大限に重視することを明確にします。」とあるが,これにも開いた口が塞がらない

つまり,業務執行社員たるパートナーが意見表明を行う主体を構成するわけであるから,このようなことは当然に従来から行われいるべきレベルの話である。

にもかかわらず,今更この程度のことを "改革案" などと躊躇なく公表することが,新日本の問題の根深さを感じてやまない

この "改革案" で挙げている項目のすべてが万事このように突っ込みどころ満載なのであるが,最も驚愕するのは,次の点である。

改革の実を上げるための周知徹底(平成28年2月末まで)

(1)パートナーの決意書

全パートナーが一丸となってこの改革を着実に実行する決意を示すための決意書を全パートナーから取得します。

これには暫く開いた口が塞がらなかった。

時代錯誤も甚だしい。血判状のつもりなのか。こんなことをないと改革の実を上げられない組織とはどんな組織なのであろうか。

これが「改革の実を上げるための周知徹底」の3本柱の1つとして挙げられていることの一事をもって,いかに新日本が危機感を有していないか,いかに一般社会の社会通念と乖離した感覚の中で組織されているかが一見して明白なのである。

このようなことを平気で,恥ずかしげもなく,処分と同日に発表する監査法人の監査業務を受けたり,アドバイザリー業務の提供を受けるクライアントは,よっぽどお人よしと言わざるを得ないのではなかろうか。

中央青山監査法人の解散という前例があるにもかかわらず,新日本はその痛い前例を教訓にはできないようであり,極めて残念と言わざるを得ない。

4.辞退を申し出るおこがましさ

新日本には,東芝に騙されたという被害者意識があるのかもしれないが,金融庁に徹底的に監査体制等の杜撰さを指摘されたにもかかわらず,それでもあえて次のような公表を「弊法人の責任の明確化について」という文書で行う感覚が私には理解し難い。

株式会社東芝の次年度監査契約を辞退いたします。

この点,東芝の第三者委員会の報告書では,その職責の違い及び調査範囲の違いから,会計監査人の責任については,言及されていなかったことや東芝における粉飾行為の悪質性から,当初は,新日本に対する同情の声も少なくなかったと記憶している。

しかしながら,今回の金融庁の公表した処分に係る説明からすれば,新日本は決して「被害者」ではない

上記でも指摘してきたとおり,所管官庁である金融庁は,再三の審査会等による改善の指摘を受けてきたにもかかわらず,基本中の基本となる行為が行われておらず,法人全体として組織に問題があるという結論を突き付けたのである。

杜撰な監査を行ったとの厳しい批判の渦中にある監査法人が「辞退します」とわざわぜ宣言すること自体がおこがましいとの批判を受けると思うのは私だけではないだろう。

現に東芝が会計監査人の交代の検討をしているという報道が数週間前に報道が流れていることからすれば,このような無意味な「宣言」は,金融庁による断罪を受けた今,一般社会の社会通念からすれば,「契約を打ち切られる立場にあるのに何を上から目線で言っているんだ?」という無用な批判を招くのは目に見えている

ここにも,危機意識の欠如と危機管理対応に対する社会通念とのズレが表れていると言っても過言ではない。

5.結語

これまで見てきたとおり,金融庁は今回の処分に当たって極めて厳しい論調で新日本に対する指摘しており,その文面から金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき新日本への最後通牒的処分であることが読み取れる。

他方で,金融庁は無用な市場の混乱を避けるべく,一部業務停止の期間も「3月」とし,中央青山監査法人の時のような業務の全部停止を避けるため,日本経済や市場に与える影響に一定の配慮をしている。

しかしながら,当の新日本の対応を見てみると,金融庁の処分の趣旨が十分に理解できているのか既に疑問符すらついてしまう。

これでは,自らメガンテ(ドラゴンクエストシリーズに出てくる自爆の呪文)を唱えているようなものである。

依頼人たる企業が不信感により離れることの危機意識を強くしなければ,中央青山監査法人の二の舞は目前であろう。

平成28年1月31日までに提出が求められている業務の改善計画がどのように具体性と実効性を持ったものになるかが運命の分かれ道になる。

新日本のパートナーは今一度エンロン事件を描いたアメリカの映画でも見て危機意識を感じてはいかがでろうか。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,金融庁にやるべきことをやっていないと指摘された新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか。

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12/21/2015

新日本有限責任監査法人への処分の妥当性

久しぶりのブログ更新である。

ブログの読者だった方には本当に申し訳ないと思うが,ブログを5月に書いて以来,暫く多忙でブログ記事を書くことができなかった。

半年前に書いた東芝担当に監査法人に関する記事につき,その後がだいぶ追及が進んできたので,半年ぶりにブログを更新するにあたり,今回は新日本有限責任監査法人に対する金融庁の処分の妥当性についての記事を書いてみようと思う。

なお,既に弁護士の郷原先生がこの問題について所見を述べられており,私も郷原先生のご意見には概ね同意するものの,若干,記事の流れから,コンプライアンスの第一人者である自分を関与させれば良かった的な先生自身の売り込みに読めてしまう点に読者としては違和感を感じてしまったことから,違う視点で今回の問題を取り上げてみようと思う。

1.当初は甘い処分との報道が流れていた

金融庁をはじめとする規制当局は,当初,東芝や東芝の監査を担当していた新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)に対して責任を追及するつもりはあまりなかったように思われる。

しかしながら,内部告発等々により,東芝のあまりにも悪質な粉飾決算の実態が明らかになるにつれ,世論は東芝及びその監査を担当していた新日本に対して極めて厳しい眼差しを送ることになった。

そして,既に報じられているとおり,規制当局は現在東芝の旧経営陣等々に対する刑事事件での立件に向け検討に入っている。

監査法人については,一連の報道を見ていると,金融庁は当初は第三者委員会の報告書などから,会社が虚偽の情報を提供したのを見破るのは困難だったというような,いわば,士業の内輪の論理に立脚し,新日本に対してもさほど厳しくない「業務改善命令」が出る程度だろうという論調が多かったように思われる。

しかしながら,そのような甘い処分に留めることができなくなった背景にはいくつかの要因があると考えている。

まず,世論は当初から消極的な規制当局に対し批判的であったことが挙げられる。

ライブドア事件では50億の粉飾で刑事事件となり,堀江らは実刑に処せられた。多くの一般人は,東芝はそれをはるかに超える2248億円の粉飾であるにもかかわらず,刑事事件がやっと検討されるに過ぎない状況について,証券等監視委員会をはじめとする規制当局に対して強い不信感を持ち続けてきている。

当然,その犯行の悪質性というのも考慮されるべきであるが,東芝の旧経営陣らの行為は一連の報道を見ていると,市場を騙す意図で数々の粉飾行為を継続的に行ってきたことは明らかなのであって,これが刑事事件化されないことは,通常人の合理的な思考からは理解できないというべきであろう。

そして,通常人の合理的な思考からすれば,2000億を超える粉飾額を見抜けなかった士業たる監査法人に対しては,「専門家としてどんな仕事をしているんだ」,「こんなの見抜けなかったら会計士なんて不要」という意見が出てくるのは当然なのであって,新日本に対しては,その職務遂行のあり方に対して,当然根深い不信感と批判が向けられることになった。

この点,私も以前のブログ記事で指摘したが,東芝の監査では,業務執行社員として,新日本の品質管理部長が関与していたのある。

つまり,最も職業的懐疑心をもって他の監査チームを指導する立場にあった人物が関与していたにもかかわらず,2000億を超える粉飾を数年にわたって漫然と(故意なのか過失なのかは別として)見過ごしてきたと言ってもよいだろう。

こうした世間の厳しい視線は,金融庁も無視できなかったと思われる。

また,7月には金融庁は検査局担当の審議官,兼,公認会計士・監査審査会の事務局長に天谷知子氏を起用した。このことも,会計士の内輪の論理でナアナアな処分をできなかった要因であろう。

天谷氏については,監査法人に対して厳しい姿勢を持っているという噂は他の方も述べられているところである。

現に,今回の報道では,審査会のメンバーをある意味差し置いて,事務局長である天谷氏の発言が前面にでている。

例えば,次のような報道を見ると,天谷氏がいかに公認会計士という専門職に対し,その自覚をきちんと持つように規制当局の責任者として強い発信をしているかが顕れているといえるのではなかろうか。

新日本監査法人勧告 繰り返す甘い監査に「自浄能力欠如」 毎日新聞

東芝の不正会計問題で金融庁の公認会計士・監査審査会

 東芝の不正会計問題で、金融庁の公認会計士・監査審査会が新日本監査法人への行政処分を勧告したのは、同法人が甘い監査を繰り返し自浄能力が欠如していると判断したためだ。監査法人はこれまでも相次ぐ不正会計を見逃してきた経緯があり、監査への信頼が改めて問われている。

 審査会は今回、新日本の監査の不備に加えて、改善が徹底されない体質を問題視した。公認会計士3500人を擁する国内最大手の新日本は、隔年で審査会の定期検査を受けており、審査会はこれまで、新日本の批判的な視点の乏しさや、監査対象の企業の会計処理に疑念を抱いても徹底追及しない姿勢などについて再三、改善を求めてきたという。審査会の天谷知子事務局長は15日、「改善策の徹底が不十分で甘い」と新日本を強く批判した。

 東芝への一連の監査でも、東芝側から新日本への「不当な圧力は認められなかった」(天谷氏)といい、審査会は新日本の監査姿勢の甘さに問題があったと判断している。

 新日本に対しては業界でも「前例を踏襲し踏み込んだ監査を欠いたのでは」(公認会計士)との指摘がある。新日本は問題点の内部検証を行うなど再発防止に努める構えだが、信頼回復は簡単ではない。東芝も監査法人の交代を検討中だ。

 不正会計が相次ぐたび監査法人の責任が問われ、当局も対応を迫られてきた。米エンロンの巨額粉飾決算事件を受けて2004年に公認会計士・監査審査会を設置。カネボウの粉飾事件は08年の公認会計士法改正につながり、課徴金制度が導入された。新日本も処分されたオリンパスの損失隠し事件後の13年には、不正会計が疑われる場合の監査手続きの基準も策定し、監査機能の強化を促したはずだった。

 金融庁は10月、有識者会議を設置して監査制度の見直しを開始。監査法人への立ち入り検査の頻度を増やすなど監督強化も図る方針だが、不正根絶への道筋は描けていないのが現実だ。【和田憲二、片平知宏】

新日本監査法人への主な指摘事項

組織全体の問題点

・過去に金融庁側から指摘を受けた事項の改善策が組織全体で不徹底

東芝など個別企業に対する監査業務

・会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分

・会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底

・経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分

監査の質のチェック

・部下の行った監査内容に対する上司のチェックが不十分

・法人内の担当部門が個別監査の事後評価を十分行わず

2.金融庁が考えている処分は妥当なのか

もっとも,新日本への主な指摘事項を見ると,天谷氏が厳しい姿勢の持ち主か否かに関わらず,新日本の会計士は,根本的に士業としての資質を欠如しているというべきではなかろうか。

弁護士であれ,会計士であれ,士業は,専門職として,その高度な知識や経験という目に見えない価値を提供する職業である。

そのような士業にとって,上記指摘は,その資質がないという烙印を押されているに他ならない

特に会計士は,独立した立場での職務執行が強く求められている職業である。

にもかかわらず,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」,「会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底」,「経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分」などというのは,極めて稚拙なことで指摘されているというべきであろう。

このような流れの中で,現在,金融庁は,①業務改善命令,②課徴金20億円~30億円,③業務の一部停止命令を併せて行うことを検討しているという。

果たしてこの処分は,新日本の負うべき職責に比して,十分に重い処分といえるのであろうか

まず,課徴金については初適用ということで騒がれている。

確かに初適用ということで,インパクトはある。また,監査法人というのは,あまり利益を内部留保せず,利益はパートナーと呼ばれる人たちを中心に配分される傾向にあるから,20~30億円という課徴金は十分重たいという声も聞こえてくる。

しかしながら,果たして本当にそうなのであろうか。

というのも,士業は弁護士もそうであるが,保険に入っているのが通常である。

まして,大手監査法人で,アーンスト・アンド・ヤング(EY)というグローバルのアカウンティングファームに所属しているのであるから,当然に,このような事態に備えて損害賠償保険等に加入しているのが当然の義務となっていると考えられる

そうであるとすれば,20~30億円の課徴金は痛くも痒くもないのではなかろうか。

そうすると課徴金そのものはさほど重い処分とは言えない。

そこで,もっとも,重い処分といえるのが,業務停止命令であろう。

既に報道されているとおり,新日本は監査クライアントの規模で言えば,国内最大の監査法人であるから,いわゆる,業務停止命令を食らってしまえば,監査難民が出て,市場が混乱するというのはよく言われている話である。

実際にそのような混乱の懸念はあるため,金融庁も,そこまでは考えておらず,業務の一部停止命令を検討しているようである。

この「一部」というのは,いわゆる,新規受注の禁止というものである。

具体的な内容については,①監査業務に限るのか否か,②期間は3月とするのか6月とすべきなのかという検討がなされているようである。

この点,新日本の指摘事項からすれば,これはそもそも,士業として,専門職としての根本的な素養に問題点がついているのであって,過去の指摘事項が全く改善されていないというのであれば,法人全体の姿勢と仕組みの問題なのであるから,監査業務に限定せず,当法人のあらゆるサービス提供業務をこの機に見直すべきなのであって,監査業務に限定する理由はないというべきである。

また,期間についても,指摘事項が極めて根本的な点において不十分とされていることからすれば,6月程度の長期の処分が妥当ではなかろうか。

いやしくも,士業として,専門職として,高度の倫理観と職業意識をもって職務に当たらないといけない会計士等を抱える監査法人なのであるから,それに反した場合には,通常の企業よりも厳しい処分を持って対処するのが妥当である。

むしろ,そのような厳しい自己批判がなければ,専門職に対する社会的責任や社会の期待に応えているとは言えないのではなかろうか。

3.それでも危機意識のない一部の新日本の会計士達

このような事態を受けて,新日本の英理事長は辞任することになったという。もしかしたら,郷原先生の「トップの無為無策によって窮地に追い込まれた新日本監査法人」という批判がある種の一押しになったのかもしれない。

しかしながら,郷原先生の指摘とはこの点については違った見方としていおり,私は,必ずしも新日本の問題はトップの問題ではないと考えている。

むしろ,東芝の監査の問題は,現在の英理事長が就任する前から脈々と継続してきた問題だったのであって,トップが責任を取れば済むという安易な問題ではないと考えるのが論理的である。

私の知り合いなどには新日本の会計士も複数おり,東芝の問題が出て以降,彼らと話す機会があったが,その会話の中で私は多々驚くことがあった。

彼らは東芝の事件が今年の3月頃に報道され始めた頃から,「どうせあんなのは大したことないよ」といった発言があり,その額が巨大な粉飾額になることが次第に明らかになっても,「会計士では会社が嘘をついたらもう見抜けない」などとあからさまに職務放棄と言えるような発言を平然と言っていた。

更に唖然とするのは,なぜ会計士では見抜けないのかと聞くと,「会社が嘘をつくとは思っていない」とか,「会社の出された資料を見ているから見抜けるはずがない」とか,さらには「10億円程度の報酬だったら,そこまでやっている人員等のリソースがない」などというのである。

しまいには,「監査というのは,性善説に立って,これだけチェックしたからおかしなことはないという書類の作成業務だ」などという声もあった。

私は彼らのこうした発言を聞くたびに,「おいおい。会計士の仕事って何なんだよ。」と思ったものである。

これは職業的懐疑心という以前のレベルの問題だろう。

私の知り合いの会計士がすべてとは言わないが,少なくともこのような発言が複数名からあったのは誠に残念であった。

さらに,東芝の第三者委員会のレポートが公表された7月頃に,私がある会計士に,「新日本も相当の処分が下るだろうね。業務の一部停止は既定路線なんじゃないか。いくら見抜けなかったといっても,一般人の感覚からは到底受け入れられない話だろう」といったところ,「いやー,所詮あったとしても,業務改善命令程度だよ。監査チームはある意味騙されて被害者なんだから。」などと極めて呑気な発言をしていた。

このような発言をみるに,今回の東芝の問題は氷山の一角に過ぎないのであって,会計士の職業的倫理の根本的な姿勢に関わる問題というべきであり,その闇はより根深いものがある

おそらく,審査会も,こうした会計士の会計士による会計士のための論理を検査を通じて如実に感じ取ったのではなかろうか。

そして,金融庁も,そのような論理が昔は通用していても,透明化を求めるグローバルな現代の市場では一切受け入れられないという強い姿勢を示し,インパクトのある処分をある程度は課さないといけない

仮に金融庁がこのような論理を許すのであれば,第二の東芝事件はすぐに起こるといえよう。まさに今日本の金融市場を所管する金融庁の職責が問われているのである。

さて,今回もこのテーマに関連しぜひ次の映画を見てもらいたい。

それはエンロン事件を描いたアメリカの映画である。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,まさに,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」との指摘をされた新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか

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05/27/2015

監査法人制度の闇その2

前回の記事「東芝の粉飾決算疑惑に見る監査制度の闇BLOGOS版記事はこちら)」では,品質管理を担当している業務執行社員が東芝の事案に関与しているにもかかわらず,全事業にわたり粉飾疑惑が生じていることなどに触れ,東芝の会計監査人が本当に妥当な監査をしてきたのか,予定調和のシャンシャン監査ではなかったのかという疑問を呈した

我が国の会計監査に対する信頼を揺るがす可能性のある粉飾決算疑惑が大企業の東芝で生じている最中,監査法人のあり方そのものを問うニュースがもう一つ海外から発信されているので,今回はそれを紹介しようと思う。

ウォールストリートジャーナル紙電子版が報じるニュースである。(日本語版はこちら英語版はこちら。)

端的に説明すると,アメリカの監査法人であるErnst & Young(EY)がウォルマート社の監査人を長年務めているところ,メキシコ政府に対する贈賄(米国腐敗防止法違反)について,ウォルマート社が米当局に報告する以前から知っていたにもかかわらず,必要な手段である当局への通報を行わなかったとして,株主のグループが告発したという記事である。

先の記事でも紹介したが,我が国で問題となっている東芝の会計監査人は,新日本有限責任監査法人であり,この監査法人はErnst & Young(EY)のメンバーファームである。

メンバーファームといっても,いわゆる看板を借りているだけという監査法人も少なくなく,他国のメンバーファームとの連携が取れていないところも多いと聞くことから,米国EYの報道が必ずしも,新日本有限責任監査法人に直結するわけではないものの,今回のタイミングでこのような報道が海外で出ていることから,取り上げることとした。

このニュースの内容について,信ぴょう性は未だ何とも言えないが,仮にこれが事実だとすれば,やはり全世界的に,企業から報酬をもらって会計監査を行うという監査法人に対して,「市場の番人」としての機能は期待できないことを示唆しているのではないかと考える。

大手監査法人に勤務する会計士から聞いた話であるが,一部の大規模クライアントについては,監査の実態としては予定調和であり,会計士が問題を呈することが憚られる雰囲気があるという。つまり,監査報酬をもらっていることから,クライアントに対して従属的な関係になってしまっているというのである。

また,大手監査法人においては,傾向として,会計士がサラリーマン化しており,弁護士等の他士業に比べると,士業としての矜持が薄弱で,毎年,予定調和の作業を行っていると聞く。

さらに,監査法人をめぐる問題は根深いと思わせる話すら聞こえてくる。

例えば,海外では,会計監査において使用した証拠を整理した監査調書を電子データで保存し,一定の基準日以降は,その内容を改変することは物理的にできなくなっている仕組みが浸透している一方,我が国の会計監査においては,法的には改ざんは許されないことに変わりはないものの,監査調書を紙で保存する場合が主流で,紙の監査調書は,容易に閲覧が可能で,物理的に中身を差し替えることが難しいことではないというのである。

法律上はかかる改ざん行為は違法であり,懲戒事由に該当することは当然であるが,物理的に可能な状態にしている現状はあまりに性善説に過ぎるであろう。

ある会計士の話では,「監査調書はあえて紙で保存するようにしている」という。その理由は,言わなくても想像に難くない。

このような話を聞くと,やはり,監査法人そのものに対する強い不信が生じてくる。

やはり,士業に従事する者はあえて厳しい基準で自分たちを律しなければならない。

士業についての批判的記事を書くと必ず,各業界の利益代表みたいな意見が寄せられるが,こうした意見はあまりにも,一般的な社会通念から著しく乖離しており,国民の不信を招くことは言うまでもない

現に,会計士業界の悲願は監査報酬の増額であるが,J-SOXの導入などでバブル的な状況ができたものの,監査報酬の増額という悲願は達成できていないのであり,これは,企業側が会計監査がいかに杜撰で価値がないかを知っているからだという話は広く知られているところであろう。

いずれにしても,今回の東芝の事案やウォルマートの事案において,必ずしも上記のような状況があるのか否かは現時点では不明であるが,我が国においては,オリンパスの粉飾事案など大きな経済事件が既に起こっているのであって,そうした状況を踏まえると,会計監査人を務める監査法人制度に対して,業界の利益だけの改革ではなく,市場の公正・安定という見地から,金融庁は抜本的な改革をすべきではなかろうか

ところで,前回の記事の最後に掲載していたDVDを今回はぜひ紹介しようと思う。

それはエンロン事件を描いたアメリカの映画である。

ある知り合いの会計士は,この映画で描かれている会計士の姿は耳が痛い内容だという。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,我が国の一部の公認会計士にも当てはまるということはないだろうか

弁護士や会計士などの士業が増えている中で,市場原理から数を減らす必要はないと考える一方,「性悪説」に立った仕組み作りが急がれる

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