08/21/2016

2020年に向けた企業イメージに潔い誠実な選手の活用を(ベルニャエフ選手やダンフィー選手の功績)

今朝の記事,「英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手」では,日本メディアがあまり報じないイギリスのスター選手と彼のペアを組む謙虚な銅メダリストについて紹介した。予選1位の高得点で通過したデイリー選手だったが,準決勝では失敗が続いてしまい決勝には進めなかった。

前回大会銅メダリストで今大会ペアのシンクロでも銅メダルに輝いたイギリスのイケメン飛込み王子のまさかの事態にイギリスはショックを受けているようである。本人も「傷心しきっている(Truly heartbroken)」と述べている。

オリンピックには魔物が住んでいると良く聞くが,まさにその魔物がイギリスの期待の選手を襲ったのかもしれない。ただ,既に2020年の東京に向けて頑張るとの発言をインタビューでもしているようである。

さて,2020年の東京五輪に向け,多くの企業は五輪サポーターなどになり,企業イメージの向上のため日本で人気のある日本人選手を起用したCMが今後も多く流れるかもしれない。

しかし,日本は開催国である。

単に日本人アスリートが活躍し多くのメダルを獲得してほしいというだけでなく,多くの海外選手や海外からの観客を迎え入れる国家として,その企業も国際的なイメージ戦略を考えたCM起用が企業の先進的なイメージ戦略には重要であるのではなかろうか。

そこで,今朝の記事の続きであるこの記事では,私が考えるこの大会で最も日本人に注目され,今一番日本人の好感度が高いであろう海外トップアスリートに関する情報を紹介するとともに,そこまで日本では有名でなかった彼らを活用した企業イメージ戦略について私見を述べたい。

1.スポーツマンシップの象徴となったオレグ・ベルニャエフ選手

既に多くの人がご存じのとおり,体操の個人総合で銀メダル,平行棒で金メダルを獲得したウクライナのオレグ・ベルニャエフ(Oleg Verniaiev)選手は,今や日本人にとってはもちろん,世界的にもスポーツマンシップを体現したイケメン選手として注目を浴びている。

以下はベルニャエフ選手のInstagramの投稿。

Как то так ✌

Олег Юричさん(@verniaiev.gym)が投稿した写真 -

2016  8月 11 5:39午前 PDT

日本ではスポーツについてあまり報道するイメージのない日経新聞までもが「敗れざる魂 体操男子・ベルニャエフ 採点「フェア」強く潔く 」と題した記事でベルニャエフ選手の精神を賞賛している。

ウクライナ政府と親ロシア派勢力による紛争で、中心地となった東部ドネツクの出身。疲弊した国から支援はほとんど受けられない。かつての代表仲間は好待遇の誘いを受けてロシアなどに国籍を変えたのに、自身は母国を背負う道を選んだ

1点近いリードを手に迎えた最後の鉄棒。勝利を確信したかのような雄たけびを上げたが、着地が1歩動いた分だけ点数が伸びなかった。場内はブーイングも起きた

試合後の記者会見。隣の内村に対して「あなたは審判から好意的に見られていると思うか」と質問が飛んだ。鉄棒の採点について聞いているのは明らかだった。

これに不快感を示したのはベルニャエフだ。「採点はフェアだと選手みんなが分かっている。無駄な質問だ」。潔い態度に拍手が起きた

悔しさのにじむ表情が笑顔に変わったのは、内村から「次はもう勝てない」と言われた時。「恥ずかしいくらいうれしい。でも彼は絶対にそんなこと思っていないはずだよ」。良き敗者がいてこその名勝負だった。

日本のメディアだけではない。例えば,The Indian Expressは,次のようなベルニャニフ選手のコメントを掲載し彼のフェアなスポークスマン精神を紹介している。

「金メダルを望んだし,それを意識しなかったとはいえないね。でも,上手くいかなかった。」

(“I hoped, and I can’t say I didn’t think about it,” he told reporters. “But it didn’t go that way.”)

22歳のウクライナ選手は,最終的には内村選手が金メダルを受ける価値のある演技をしたと述べた。

(Ultimately, Uchimura deserved the gold, the 22-year-old Ukranian said.)

「僕はこれまでどの選手もできなかった彼の得点に最も迫るということができた。彼は体操界のマイケル・フェルプスだからね。」

(“I have come as close as possible to him, as nobody has before,” he said. “He’s the Michael Phelps of gymnastics.”)

(略)

「金メダルを取れないんじゃないかと航平をとても不安にさせることができたことは結構嬉しいよ。次に向けて頑張ります。」

(“I’m quite happy that I managed to make Kohei very nervous,” he said. “We’ll be preparing for next time.”)

さらに米国のヤフースポーツのEric Adelson記者の英字記事は,試合後のベルニャエフ選手の態度や記者会見の様子を次のように具体的に紹介し,彼の敗者としての潔さを賞賛している。

ベルニャエフは採点に関する議論に対し火に油を注ぐようなコメントをすることもできた。金メダルを内村に奪われたという趣旨の主張だってできたし,そのようなコメントがなされることは十分想定できるような状況だった。しかし,彼はそのような主張をしなかった

(Now it was up to Verniaiev to respond. He could have raised hell. He could have made the case that he was robbed of the gold, and it could have been a credible case. He didn’t go there.)

彼は,「スコアは公平なものだったと皆がそう思っています。こうした質問はこの場には不適切な質問です。」と述べたのである

(“We all have feelings,” he said, “but we know the scores are fair. All the questions are superfluous here.”)

まさに敗者としての一流の言動であったこの姿勢は彼の真摯な姿勢から出たものであったように思われる。彼はスコアに対する疑義という問題から距離を取ることで一段と喝采を浴びたのである。

(It was a classy gesture by a defeated man, and it seemed a sincere one. He steered further away from the controversy and then added a layer of praise.)

ベルヤニフ選手は「体操界における航平は競泳界におけるフェルプス選手のようなものです。体操界にフェルプスがいるんですよ。」と述べた。

(“Kohei in gymnastics is like Phelps in swimming,” he said. “We have our own Phelps.”)

この瞬間,日本のメディアからは拍手が起こった。

(At that, the Japanese media applauded.)

これは少し不思議な状況だった。緊張感のある質問,拍手喝采,そして,ウクライナのレポーターの中には立ち上がり「ベルニャエフ選手は我々のチャンピオンだ」と発言する者もいた

(It was a bit of a strange scene: the pressing question, the applause and there was even a Ukrainian reporter who stood up to say Verniaiev was “our champion.”)

最終的に,ほとんどの人がこうした会見での疑義に関する議論は忘れ去り,内村が作った歴史のみが皆の記憶に残るかもしれない。

(In the end, though, few will remember what came after the athletes left the podium. Uchimura’s history is what everyone will remember.)

ベルニャエフ選手は,さらに「メダルの数ということでいれば,内村はこれまでも伝説だったし,今も伝説的な人物です。」と付け加えた。

(“When it comes to the quantity of medals,” Verniaiev said, “he is a legend, he was already a legend.”)

それだけでスコアに対する議論が無意味であることが良く分かる。

(That much is beyond argument.)

様々な競技があり,様々な境遇にある選手が必死で人生を掛けて4年に一度の夢の舞台での勝利を目指し,想像を絶するトレーニングや苦痛を乗り越えてオリンピックの舞台に立っていることは,スポーツとは縁遠い私でも容易に想像できる

それだけに,負けるというのは本当に悔しいことであろうし,直ぐに受け入れられない選手の心情も良く分かる。

しかし,私はベルニャエフ選手のような潔い敗者としての態度こそがオリンピック精神を体現する最もあるべき姿ではないかと思うし,これこそが全面的に賞賛されるべき姿であろう。そこには,ある種の武士道に通じる清々さがあるのであり,私は一観客として今回の五輪で彼から大変学ぶことができた

これは,レスリング男子で審判の採点に疑義がついたものの抗議が認められず,銀メダルとなった樋口選手が「自分に何かが足りなかった」と語ったと真摯に語った姿にも良く表れていた

また,競歩50kmで妨害行為について抗議が一時は認められたものの国際陸連の裁定により,4位に終わったカナダのエバン・ダンフィー(Evan Dunfee)選手の姿勢は日本ではそれほど報じられていないものの,素晴らしいものであり,本当に賞賛に値する

荒井選手によれば,彼は荒井選手に謝る必要がないにもかかわらず,荒井選手にあった際に,Sorryと謝罪しハグをしたという。このような謝罪があったのは,同じ選手として荒井選手の気持ちが良く分かったからであろう。

ダンフィー選手は次のような潔いコメントをカナダ国民に対して発表しており,本件は終局的解決となった。

日本メディアはあまり彼の誠実性に関する情報を報道していないことから,以下声明の一部を紹介する。彼のスポーツマンとしての誠実性の哲学が良く表れている文章である。

私にはスポーツ仲裁裁判所への上訴という手段を行うか否かという選択肢が残されていました。

しかし,選手村に戻り,今回の接触事件について見返した結果,私は更なる上訴を行わないことを決意しました。なぜならば,私はそれが正しい判断であると信じているからです。

(It was then left for me to decide whether to pursue this further with an appeal to the Court of Arbitration for Sport. Following my return to the village and my viewing of the incident I made the decision not to appeal, as I believe the right decision stood.)

約3時間半に及ぶ極限のレースにおける選手の痛みがいかなるものかというのは,あまり多くの人が理解できるものではないかもしれません。日本の選手と私自身との間で生じた接触により私の精神力が途切れてしまいました。そして,その集中力を失った時,私の足はもはやゼリー状のような状況だったのです。接触というのはこの競技の一部であり,明文か不文律であるかにかかわらず,それは良く生じることなのです。

また,私は今回の接触が悪意又は故意によりなされたものではないと信じています仮に私がスポーツ仲裁裁判所に更なる上訴をし,それが認められたとしても,私はこの銅メダルを確たる自信を持って受け取ることはできませんそのような形で銅メダルを受領したとしても,それは私が胸を張って受けられるメダルではないのです

(Not many people can understand the pain athletes are in three and a half hours into such a grueling race. I believe that both the Japanese athlete and myself got tangled up but what broke me was that I let it put me off mentally and once I lost that focus, my legs went to jello. Contact is part of our event, whether written or unwritten and is quite common, and I don’t believe that this was malicious or done with intent.  Even if an appeal to CAS were successful I would not have been able to receive that medal with a clear conscience and it isn’t something I would have been proud of.)

今夜はぐっすり眠れると思います。そして,今後の人生においても,今回下した自分の決断が正しいものであったと思えるでしょう。私は,表彰されることではなく人生において誠実な行動をとることが正しいと考えています

(I will sleep soundly tonight, and for the rest of my life, knowing I made the right decision. I will never allow myself to be defined by the accolades I receive, rather the integrity I carry through life.)

最後となりますが,皆さん私とチームメートのマチュ・ビロドウを応援してくれて有難うございました。競歩という競技について,これだけ広い層から反応してもらえたことは本当に素晴らしいことです。私のチームメートと競合選手はこの競歩という種目で,私を常に刺激してくれます。今日,私たちが彼らにも同じように刺激できるパフォーマンスを示すことができたのであれば幸いです。

(Finally, thank you to everyone who supported myself and my teammate Mathieu Bilodeau today. To see race walk receiving such a wide reception is absolutely amazing! My teammates and my competitors in this event never cease to inspire me and I hope that we have done the same to you today.)

彼の声明を見ても,選手としての潔さとともに競争相手であった荒井選手のことをおもんぱかる姿勢は,これも武士道精神に通じていると感じてならない。

抗議は正当な結果を担保するために行われるべきである。

しかし,結果が確定した後は潔い姿勢を示すということこそがスポーツマンシップであり,五輪精神そのものであろう。

実際,日本のネットでも,かなりベルニャエフ選手やダンフィー選手を賞賛するコメントが相次いでいる。

ダンフィー選手は誠実性こそが最も重要であるという考え方を体現したような選手だったようである。

今から約1年前の2015年8月22日付けカナダメディアの記事によれば,彼は反ドーピングとクリーンなスポーツの実現をSNSで明確に訴え続けてきたようで,ニューヨークタイムズは彼を「自警団の競歩選手(Vigilante Race Walker)」と呼んでいるという。

そんな彼がだからこそ,自分自身にとっても誠実性という観点から,例え抗議を続けてメダルがもらえるとしても,それは自分が満足するものではないとして,潔さを選んだのかもしれない。ちなみに,彼は今年の3月神戸に来ていたようである。

私はメダルの数や色よりも,ベルニャエフ選手やダンフィー選手,さらには日本の樋口選手のような潔い敗者の姿勢こそが賞賛されるべきであると思うし,後述のとおり,こうした選手への企業の投資こそが企業イメージの向上につながると考えている。

2.オリンピック精神を有しない外野が騒ぎ台無しにする ― 軽口で馬脚を現し大批判を浴びた小倉智昭氏

他方,外野であるメディアや我々"国民"や"観客"の姿勢はそこまで成熟してないと思わされる話が多い。

すなわち,外野がメダルの数とメダルの色にこだわり過ぎる結果,外野が五輪精神を台無しにしていると感じてならない

その一例が競技の難しさなどを十分理解できていないにもかかわらず,安易に興奮して2位のベルニャエフ選手をディスり,大批判を浴びている小倉智明氏の姿勢や男子レスリングにおいて繰り返し,「審判が相手の選手が腕をつかんでいることを注意しなかったのはおかしい」などと言い続けて報じるNHKのアナウンサーなどの姿勢であろう。

さらには,大切な決勝戦で自国の選手の勝利を望むためにブーイングをして相手のフランス人ルノー・ラビレニ(Renaud Lavillenie)選手を侮辱したブラジル国民の姿勢は,極めて民度が低く,歴史に残る醜態と言っても過言ではない。没収試合にしても良いレベルではないだろうか。

このような行為を許容するからオリンピック精神から乖離したドーピングの蔓延や理事の不正という前代未聞の自体が今回のリオオリンピックでは噴出してしまっているのであろう。

この点,J-CASTニュースは小倉氏の問題に関し,「『内村リスペクト』の美談ブチ壊し 小倉智昭が体操銀メダリスト酷評」と題した記事で次のとおり報じている。

そんなベルニャエフ選手の鉄棒について、小倉さんはこう力説した。

「ベルニャエフのほうは、はっきり言うと鉄棒のまわりをただ回ってただけ。守りに入っちゃってたから、勝てるわけないです。これで15点ついたらおかしいぞって思ったら、やっぱりそのジャッジというのは正確なものですね。14.8しかつきませんでした」

その上で「堂々の逆転優勝だったですね、もう嬉しくて嬉しくて!」と喜びいっぱいに内村選手の金メダル獲得を祝した。

だが、小倉さんの「ただ回ってただけ」という発言は視聴者に歓迎されなかったようだ。放送直後からネット上には、

「小倉さんの発言ないわ、、、」

「失礼すぎてほんま腹立った」

「ちょっと小倉さん!最高のライバルに対して失礼ではないか?」

「うれしいのはわかるけど正々堂々と戦った選手に対してリスペクトがないなら何も発言するな」

といった批判的なコメントが相次ぎ投稿されるようになった。

手放し技中心の内村選手とひねり技中心のベルニャエフ選手を比べると、一見すれば前者は派手で、後者は地味に感じられるかもしれない。小倉さんの目に「ぐるぐる回ってただけ」に映ったのもそのせいだろう。

しかし、ひねり技メーンの構成が「守り」かというとそうではなく、アテネ五輪で団体チームの主将を務めた米田功さんは「ベルニャエフの鉄棒は、ひねり技が多く減点されやすい構成」と日刊スポーツ内のコラムで語っている。地味に見えてもリスクの高い構成だったようだ

無知の知をしらない小倉氏の荒唐無稽ともいえるベルニャエフ選手への軽口ははっきり言って恥としか言いようがない。

彼が本件についてベルニャエフ選手に謝ったり,訂正するような発言は未だしていないが,このようなオリンピック精神が欠如したキャスターが偉そうに毎回知ったかぶりをして情報番組の司会を続けることには嫌悪感すら感じてしまう彼が行った軽口は先のブラジルの観客が行ったブーイング行為とはっきり言って同じレベルのものである。

かつては斜に構えたコメントなどで既存のメディア司会者とはちょっと違う視点を提供してきた彼だけに,老いのせいなのか,内村選手が好き過ぎる結果の軽口なのかはわからないが,このような発言をして批判をされても平然としていられるような人物にオリンピックを報じる資格はないのではないだろうか。

このあたりが民意や世論に敏感になれず,視聴者を満足させられず低視聴率に陥っているフジテレビ精神が表れていると言っても過言ではないだろう。

3.欧米ではスポーツ選手のセクシーアピール化が進んでいる

ところで,皆さんは欧米を中心にスポーツ選手のセクシーアピール化が進んでいることはご存知であろうか。

前回の記事「英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手」を読んだ読者の方は気が付いたかもしれない。

欧米では飛込みや競泳など露出度の高いオリンピック競技の視聴率が高いようで,ピーチバレーなどでも際どい姿でセクシーアピールが進んでいるという。

このセクシーアピール,従来は,男性の視聴者を意識したものが多かったようであるが,近年は,女性やゲイの人をターゲットにしているのだというのである。

アメリカ人の友人がいうには,Sex and the Cityというドラマの中である肉食系の女性キャラクターが「まずはゲイ,次に女性よ(First Gays. then Women)」とターゲットにすべき層を語っていたシーンがあるというのであるが,アメリカのショービジネスではまさにこの現象が進んでおり,その余波はスポーツビジネスにも及んでいるという。

その一例が,男子体操選手について上着なしで演技させるようにしてほしいという声があり,ウォールストリートジャーナルによれば,鍛えられた肉体美で新たなファンするため実際に米国の男子体操チームは上半身裸で演技することを提唱したというのである。

実際,ベルニャエフ選手が金メダルを獲得した男子平行棒のエキシビジョン(体操にエキシビジョンがあることを知らなかったが・・・)では,銀メダルを獲得したダネル・レイバ(Danell Leyva)選手が上半身裸となり,会場を沸かせたと報じられている

さらに,驚くことに,日本で賞賛されているベルニャエフ選手も金メダリストしてエキシビジョンに登場し,レイバ選手に呼応するかのように上半身裸になって観客に肉体美を披露した。

現に当該エキシビジョンの動画を見ると,シャツを脱いだ瞬間,歓声が上がっていたことから,この作戦は一定の効果があるのかもしれない。

ベルニャエフ選手もインスタグラムで犬と戯れる上半身裸の写真を投稿するなどしてファンへのセクシーアピールをしている。

Братан встретил как надо 👌🏼

Олег Юричさん(@verniaiev.gym)が投稿した写真 -

2015 12月 8 2:41午後 PST

特に,次の画像は前回ロンドン五輪の際にネット上に出回ったようで当時から可愛いと評判になっていたようである。

Oleg Verniaiev Shirtless image

こうしたファンや観客へのセクシーアピールも競技を続けていくための資金集めには必要なのかもしれない。

4.企業によるスポンサーシップと企業イメージの向上という一石二鳥

さて,話を本題に戻すが,オリンピック精神を支えているのは,ある意味,敗者の潔さとお互いの気持ちを思いやる選手同士のスポーツマン精神であることは明らかであろう。

いかに外野が騒いだところで,武士道にも通じるような潔い選手の姿勢に勝る賞賛は存在しないと思う。

そのうえで私が提唱したいのは,こうした潔い選手に日本企業は2020年に向けてスポンサー契約やCM契約などをし,海外選手を日本でも紹介していくことで企業のイメージアップ効果を狙ってはいかがかということである。

このポイントは,日本でも海外でも知れ渡っているボルト選手やフェルプス選手などのスター選手ではない,あまり知られていないが潔さとスポーツマンシップで名を挙げた選手を起用するという点にある。

特に,一般世間に知られていない中小企業などが,誠実な姿勢で仕事をしていることをアピールするという観点からも,こうしたCMなどが増えれば面白いのではないだろうか

特に,ベルニャエフ選手については,上記の日経新聞にもあったように,日本チームなどとは比べものにならないほど劣悪な環境で練習を続けているという。

演技の際,実況の方が,テーピング代金を稼ぐために大会の賞金を得るために多くの大会で出ているなどのエピソードを紹介していた。こういうエピソードこそ観客としては紹介してほしいし,知る権利に資するために存在するメディアとして果たすべき姿勢であろう。どこかの無価値な知ったかおじさん司会者とは全く違う

日本のインターネット上では,劣悪な環境下でも母国に残ってこれだけの活躍を続ける愛国心に溢れた若きベルニャエフ選手を支援するためにウクライナ大使館寄付したいという声も出ている。

今回のオリンピックが日本とウクライナの関係強化という外交上の効果にもつながるとなれば,オリンピックの意義がまさに体現された瞬間といえるだろう。

こうした動きを日本企業も活用し,現代社会に求められる企業の誠実性,コンプライアンス,倫理観ということをアピールする手段として,こうした選手を支援していくというのは,2020年に東京オリンピックが行われる今,選手のセクシーアピールの傾向とも相まって企業イメージを向上し,新たな顧客層を確保するという点で企業のイメージ戦略として有効なのではないだろうか

また,東京オリンピックはもはやコンパクトなオリンピックは実現できないのであるから誠実さというオリンピック精神を体現したオリンピックを実現するため,許容できないブーイング等が発生した場合の断固とした措置などについても組織員会は武士道の国家として提案してはどうであろうか

今回のオリンピックは,スポーツ界の様々な問題が良く見える大会であった。他方で,今回紹介したような選手個々人の質の高さも感じ取れる大会であった

新渡戸稲造が世界に紹介した日本の武士道の精神は,世界に誇るべき哲学である。

2020年東京五輪では,武士道発祥の国家として,選手の誠実性や潔さがより光るオリンピック精神の実現により近づける大会への改革が進むことを切望したい

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08/20/2016

英国が愛するトム・デイリー(Tom Daley)選手と影に隠れても良いというグッドフェロー(Goodfellow)選手

4年に一度の平和とスポーツの祭典,オリンピックも終わりに近づいており,やっと寝不足から解消されるという人も多いのではないだろうか。

これまでリオオリンピック関連としては,以下3つの記事を紹介してきた。

  1. SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送
  2. 自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性
  3. リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)

そして,それぞれの記事の中で,以下のとおり私が注目する"光る"海外アスリートを紹介してきた。

  1. 水谷選手や丹羽選手を苦しめた新星ポーランドの卓球選手,JAKUB DYJAS(ヤクブ・ディヤス)選手
  2. 言わずとしてた水の怪物と称えられるマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手
  3. 英米圏やヨーロッパでアイドル的な人気があり,実力も高いトム・デイリー(Tom Daley)選手

特にフェルプス選手が自殺の葛藤からオリンピックで復活したという情報はアメリカメディアのみで報じられていたようで,その話を聞けてより感動したという声があったのはこのブログの趣旨に適うものであり嬉しい声である。

昨日の記事,「リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)」もなかなか好評だったようで,読者からトム・デイリー選手についてもっと知りたいというメッセージが届いた。

そこで,今日は,2つの記事を公開する予定である。

イギリス国民の多くが賞賛し愛するトム・デイリー選手へのに関する話を紹介する。日本ではそれほど知られていないがなぜ彼が英米圏では好かれるのであろうかを紹介したい。

2つ目の記事では,,私が考えるこの大会で最も日本人に注目され,今一番日本人の好感度が高いであろう海外トップアスリートに関する情報などを紹介しようと思う。

まずは前者について書いていこう。

1.男子10m高飛込みでもメダルの予感をさせるトム・デイリー選手

既に紹介したように今大会の男子10mシンクロ高飛込銅メダリストの彼は,10m高飛込みにもエントリーしており,日本時間の8月20日(土) 午前4時から行われた予選では,高得点を連発し,571.85ポイントで予選1位で通過し,2位の中国の選手と7.1ポイントもの差をマークしていた。

彼が人気なのは単にイケメンで,バイセクシャルだというプール以外の話題のためではない。2008年のヨーロッパチャンピオンシップでは最年少の13歳で優勝し金メダルを獲得するなど,小さい頃から注目されていた選手なのである。この年,高飛込みシンクロというペアの競技で年上のBlake Aldridge選手とペアを組むが8位で終わった(個人の高飛込み10目Mは7位入賞)。

この時,ペアを組んでいたAldridge選手が13歳のデイリー選手を批判したことから,彼に対する同情が広がった。

若いデイリー選手を支えていたのは,彼の父親のロバートさんであったが北京五輪での雪辱を果たすべく目指していたロンドン五輪の前の年の2011年,ロバートさんが脳腫瘍で40歳という若さで亡くなってしまう。当時デイリー選手はまだ17歳である。

そのような精神的支柱を失ったにもかかわらず,翌年の2012年のロンドン五輪では,個人の高飛込み10Mで銅メダルを獲得し,雪辱を果たした。この実力が彼の人気を押し上げたようである。

日本で言えば,小さい頃から多くの国民が知っている卓球の福原愛選手だったり,浅田真央選手のような感覚でイギリス国民は彼を応援しているのではないだろうか。

実際に彼の競技を見ると,素人である私が見ても素晴らしく美しい飛込み方をしているのが良く分かる。特に,水の中に吸い込まれるように綺麗に着水するのは他の選手とは大きく違うと今回の予選を見て感じた。

日本時間の今朝行われた予選では,一位通過という素晴らしい成績を残しており,決勝でもメダルが期待できるであろう。

日本人ではこの競技に出場する選手がいないためトム・デイリー(Tom Daley)選手が出場するこの試合の準決勝や決勝はテレビでは中継されないであろうが,日本時間の20日(土)23時と21日(日)午前4時にそれぞれ実施される。

もっとも,動画サイト,「Gorin.jp」では,生中継が見られるだろう。

http://www.gorin.jp/live/

2.人気者の陰でも良いと言える信頼感

さて,昨日の記事でも以下のイギリスの五輪委員会の公式アカウントのツイートを紹介したが,イギリスではデイリー選手とともに銅メダルを獲得したダニエル・グッドフェロー(Dan Goodfellow)選手への同情とメディアの取り上げ方に批判が広がっていた。

どこの国のメディアも人気のある選手ばかりに注目してしまうというのはあるようで,イギリスでは,シンクロというペアの競技であるにもかかわらず,デイリー選手ばかりが注目され,グッドフェロー選手が陰にかすんでしまっているのである。

例えば,多くの雑誌や新聞が銅メダルを一面で取り上げたが,写真はデイリー選手のみだったというのである。

それにはグッドフェロー選手の母親もメディアの取扱いが不公平だと不満をツイッターで述べた。

しかし,当の本人である19歳のグッドフェロー選手は,メディアに対し,「僕はデイリーの陰に隠れているとしてもそれで幸せだよ」と語り,母親にツイッターの使用を禁止したという。

グッドフェロー選手はさらに次のとおり述べており,まさにアスリートとしての器の大きさを感じるエピソードである。

メダルがとれたのは僕とトムの力だけじゃないです。スタッフからの多大なサポートがあったからです。私たちは素晴らしいネットワークでした。メダルにはすべての人が公平に貢献してくれました。

(It isn't even just me and Tom, it is a huge support staff as well. We had a great network. Everyone is equally responsible for the medal.)

お母さんにはもうソーシャルメディアを利用しないように注意したんです。

(I have told my mum to stay off social media from now on.)

海外にもこういう謙虚な選手がいることはもっと報じられてもいいだろう。

実際,グッドフェロー選手は,19歳と若いのであるが,10カ月前にデイリー選手とチームを組む前までは肩の怪我からの回復状況が良くなく引退すら考えたという。

しかし,ペアを組んで直前には4週間寝食を共にし,一緒に生活することでシンクロというペア競技の域を徹底するための努力をした結果,銅メダルを獲得したのである。

グッドフェロー選手は,次のようにも語っている

一緒に生活するっていうのはやり過ぎと思うかもしれないけど,オリンピックのゲームで良い結果を出すためにはベストな努力をしなければいけないんです。だから僕は犠牲を払ったし,僕たちは4週間強固に練習してきました。

(Moving in with each other might look extreme but if you want to do well in the Games you give it your best shot. I made a sacrifice and we trained solidly for four weeks.)

トムとの生活は実際とても良かったです。彼は毎朝朝食を作ってくれるし,家庭的でした。よく面倒を見てくれたし,掃除もしてくれました。結果的に全てにおいて良い結果となりました。

(Living with Tom was really good. He made me breakfast every morning. He is a bit of a domestic god and took good care of me. He is always cleaning. It paid off on all levels.)

このような努力を一人一人の選手が4年間行ってきていることを考えると,なかなか競技後に直ぐ,「4年後に向けてどうですか」と聞くメディアの薄っぺらさを改めて感じさせられるのである

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08/19/2016

リオ五輪の失敗から活かせ(東京五輪は各国選手に最高の環境を)

連日2つの記事卓球のポーランドの選手について触れた「SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送」と「自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性」をアップしたところ,ライブドアニュース等に配信されなかなか好評のようであるので,今日もオリンピックの話題について取り上げようと思う。

日本ではあまり競技としては有名ではないものの,今回のリオではおならのような匂いがする緑色の沼として一躍有名になったのが飛び込みであろう。

緑色の原因は,過酸化水素を誤って投入したとのことであるという。

私は化学には詳しくないが薬品を誤って投入するということ自体やはりブラジルのような国家にオリンピックを開催するには荷が重かったのではなかろうか。

大会広報は健康上問題はないというものの,医師が監修したヘルスケア大学のHPによれば,当該薬品はオキシドールとして殺菌剤として利用されているようなものであり,劇物であって皮膚に触れると炎症があるなどとされている。

実際に目がヒリヒリするなどの訴えがある以上,リオ大会責任者はきちんと世界に対し状況をや水質情報を公開するなどしてきちんとした説明責任を果たすべきであろう。

あまり報道されていないが,誤って混入し緑色の金魚鉢のような沼に選手をぶち込ませていた大会は当該薬品の濃度を公開しているのであろうか。

当該HPによれば,

濃度の薄い3~5%程度なら、あまり危険もなく生活に役立つ過酸化水素水ですが、濃度が30%を超えてしまうと劇物化します。濃度の高い過酸化水素水が皮膚に付着すると激痛を感じ、皮膚の色が白くなってしまう白斑(はくはん)が生じます。

そのため濃度の高い過酸化水素水を薄める場合には、保護用の手袋などの防備をして直接触れないよう注意しましょう。万が一、皮膚に付着した場合はすぐに多量の水で洗い流しましょう。

とされており,大会側が健康上問題がないというからそうだろうという報道ではなく,もっと濃度等に切り込んでもらいたい。

いずれにしても,選手がプレーする上で最高の環境を整えるのがオリンピック開催国の責務であろう。この点,リオは開催前から様々な問題が指摘されていた。

そのような中,結果として緑色の沼の中に選手をぶち込ませたり,選手村のトイレの配管がおかしくて糞尿が漏れてくるなどといった話が出ている時点で,近年のオリンピックの中では最も大会環境レベルの低いオリンピックになったのではなかろうか。

実際,イギリスでアイドル的な人気のある飛び込み選手で,リオでは飛び込みのシンクロで銅メダルを取ったトム・デイリー(Tom Daley)選手は,ツイッターで次のようなコメントをし不安をもらいしている。

デイリー選手は,控え目に,「ここ数日間飛び込んでいたものが酷い過ぎるものでないことを祈るよ」といった程度のコメントしかしていないが,世界最高峰の競技をするために必死で4年間頑張ってきた選手に対し,かかる悪質な環境を提供し,極度のプレッシャーの中にいる選手にさらに不必要な不安を負わせるリオ大会は運営委員会としての資質を著しく欠いていたと総括されても文句は言えないだろう。

はっきり言って選手への冒とくである。

ちなみにトム・デイリー選手は,父親を40歳くらいのことに病気で亡すという辛い体験をししているが,ジュニア時代から多くの大会で優勝しており,イギリスのITVが放送した高視聴率番組,「スプラッシュ!(Splash!)」という有名人に飛び込み台から飛び込むというようなバラエティー番組に出ており,その見た目からもアイドル的な人気があることに加え,自らのいじめを受けた過去を公表していたり,自分のセクシャリティーがバイセクシャルであることも公表しているなど少数者の権利保護の観点からも人気がある。

実際,イギリスの五輪委員会の公式アカウントも以下のようなツイートをするなどし,銅メダルを獲得した際の姿を「emoji」でコミカルに応援するなどしており,高い人気を誇っている選手である。

デイリー選手は,10m高飛込みにもエントリーしており,日本時間の8月20日(土) 午前4時に試合が行われる。男子10mシンクロ高飛込銅メダリストの彼がどのような演技をするかも楽しみである。

最近,このダイビングというのは,観客へのセクシーアピールが進んでいるという声もあり,イケメン好きの女子ファンらを増やそうとしているのかもしれない。

さて,話を本題に戻すが,ロンドンオリンピックの印象は開会式のスペクタクルな演出から始まり最後まで印象が良かった。それは,イギリスがアスリートに最高レベルの競技環境を提供できたからではなかろうか。

それはオリンピック開催国としての責務なのであって,プールが沼化してそれをすぐに改善できなかったり(問題発覚当初,水の入れ替えを迅速に行わずそのまま薬品を投入しようとしたり),オリンピックパーク内のカメラが突然頭上から落ちけが人が発生するような事故が起きたり,様々な選手が遭遇したとされる強盗犯罪などの事件・事故が続いているオリンピックは,今世紀で最低のオリンピックであり,ブラジルが三流国家であることを示していると言っても過言ではないだろう。

フジテレビが「リオ五輪 運営めぐる深刻な事故から珍騒動をまとめました。」と題してこれまでの騒動をまとめているが,大会組織委員会のレベルが極めて低いことはこれをみることからも明らかである。

以下,当該記事にあるものを羅列する。

  • オリンピックの公式映像を配信するためのカメラの落下事故
  • ゴルフコースにおけるワニ乱入騒動
  • 女子マラソンでの乱入騒動
  • 緑色の沼プール薬品入れ間違い事件事件
  • 中国国旗デザイン過誤事件
  • ナイジェリア国家取違事件

これ以外にも,麻薬組織との銃撃戦の流れ弾が馬術会場で見つかるなどあり得ない事件が続いていることは,中国で行われた北京オリンピックに比しても酷いと言わざるを得ないのである。

選手に満足な環境を提供できないのであれば開催国として失格である。

この点,米国競泳チームで金メダルを獲得したライアン・ロクテ選手の強盗事件について,狂言疑惑が出ているが,この点も私は本当に狂言なのかは選手が自認しその動機等を述べることがない限り,ブラジル当局の発表を正しいとは判断できないと思っている。

というのも,現地のブラジル人の友人に確認したところ,ブラジルにはFederal,Military,Civilの3種類の警察機能を有する組織があり,Federalは信用できるものの,MilitaryやCivilについては腐敗度が高く,そこまで信用できるかは何とも言えないというのである。

そして,この事件を調べているのはもっとも信頼性が低い,Civilに当たる警察組織であるという。

そもそも,米国の競泳選手に狂言を言うべき動機が判然としない。

他方で,ブラジル人友人の話や米国メディアの報道では,リオ大会組織やブラジルの警察組織は,特に北南米で注目を浴びている本件事件についてその信頼を回復に必死であるようで,狂言として治安が悪いわけではないというアピールをしたいためにきちんと捜査をしていないという声もあるようである。

いずれにしても,この事件が本当であるか否かは別として,現に他の選手や観客の生命・身体に危機が及んだ自体に発展している事件が存在することは事実なのであって,リオ大会についてはリオ大会の運営委員会の責任およびリオを選んだIOCの責任は極めて重い

大会期間中にIOCの理事がダフ屋行為で逮捕されることは前代未聞の大失態であろう。

ロシア選手のドーピング問題が取りざたされているが,ロシア選手の疑義を追及し,避難できるだけの資質をIOCは有していないと言っても過言ではない

オリンピック予算の問題,エンブレム問題,さらには贈収賄問題などが取り正されている東京五輪ではあるが,老害のような爺様連中をしっかりと排除して4年後に臨まなければ,我が国の名声は著しく傷つくであろうこと明らかである。

私が特に頭にきたのは,次のニュースである。

棒高跳び銀のラビレニ、表彰式でもブーイングされ涙

ロンドン五輪の同種目で金メダルを獲得しているラビレニは、IAAFのコー会長をはじめ、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ(Thomas Bach)会長、男子棒高跳びのレジェンドでIAAFの副会長を務めるブブカ氏から激励された。

決勝で無名だったブラジルのチアゴ・ブラス・ダ・シウバ(Thiago Braz Da Silva)に敗れて五輪連覇を逃したラビレニは、表彰式の終了をもって悪夢のような24時間を終えた。

フランスのテレビ局の取材でコー会長、バッハ会長、ブブカ氏と言葉を交わしたことを明かしたラビレニは、「不快だ。フェアプレーの精神が欠落している。ブラジル人全員がそうではなかったということは強調したい。それでも、僕は前に進む」とコメントしている。

決勝で最後の試技に備えていたラビレニに対し、ブラジルの観客は耳障りなブーイングややじを浴びせた

これ程不快な話はないだろう。

はっきり言って民度の問題である。ブラジル国民の民度は三流としか言いようがない。

このような話はどこかの隣国でも起こりそうな話ではあるが,決して2020年の東京でこのような事態は起こってほしくない

オリンピック開催国としての能力がなかったとブラジルのような三流国家の誹りを受けないことはもちろん,やはり日本は最高の競技環境を提供してくれるというような選手本位の大会を開催することこそがオリンピック開催国となってしまった日本の責務であり,重い十字架を我が国は背負わされてしまった

やはり,「さすがは東京!」とロンドン五輪のように世界から賞賛されるためにも,最も支持率が低かった元総理大臣が長を務めるような旧態依然としたメンバーが牛耳っているような現在の組織員会のメンバーの総入れ替えをし,多くの日本人から信頼を受けるようなメンバーが今後リーダーシップを果たしていかなけれならないのではないだろうか

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08/15/2016

自殺を考えたマイケル・フェルプス(Michael Phelps)選手の葛藤と克服,そして東京オリンピックの可能性

前回の記事「SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送」は好評だったようである。

今日もオリンピック放送,特に海外トップアスリートに関する日本メディアが報じない情報を紹介したい。

31歳になったマイケル・フェルプス選手は,2016年のリオオリンピックでも偉業をさらに更新し6競技で5つの金メダルと1つの銀メダルを獲得した。

現時点までで生涯通算23個のオリンピック金メダル(生涯通算28個のオリンピックメダル)を獲得している。

余談ではあるが,金メダルの数については,「競泳は出場種目が多いからズルい」などとロシア人の友人が言っていたので,私は嫌味も込めて,「ドーピングなどをすることなく,同じ日や近接した日時に予選と決勝に多数エントリーする中で,各種目の決勝にベストコンディションで金を取るんだからその事実だけで凄いのであって出場種目が多いからメダルが取れるというのは失当」と反論したところ,不服そうであったが,納得していた。

このようにアメリカ嫌いのロシア人も羨むマイケル・フェルプス選手の偉業であるが,日本がメダルを獲得できなかったこともあってか,男子400mメドレーリレー決勝に関してはそれほど報じられていない

また,前回のロンドンオリンピックの際にも「マイケル・フェルプス(Michael Phelps) 選手の偉業」との記事で海外メディアの報道を紹介したが,今回のオリンピックでも既存メディアの報道は,彼がいかに苦悩し,一時は自殺まで考えたものの,その失敗を再度乗り越え,この偉業を成し遂げたかにつき。あまり言及しておらず,深くないものばかりである。

そこで,海外メディアがどういう話を報道しているのか少し紹介しようと思う。

1.自殺まで考えたフェルプスの苦悩と復活

その前にフェルプス選手がいかに過酷なトレーニングをしてきたのかがわかるUnder Armourの動画を紹介したい。非常にレベルの高い美しい映像である。

この動画や彼の活躍だけを見ると,彼は完璧な人物のように見える。

しかし,私はフェルプス選手が怪物のような偉業を達成するような超人である一方で,人間らしさを持っている所が好きである。

トップアスリートとして君臨することのプレッシャーは私には想像を絶するが,そうした人間らしい弱さがあり,法違反なども犯してしまっているものの,その都度反省し乗り越え更なる偉業を更新してきたことはやはり賞賛に値すると思う。

以下の動画は,米国のスポーツニュースチャンネルESPNの「The evolution of Michael Phelps」というものであるが,個々でも触れられているとおり,彼は人生において,3度の大きな過ちを犯している。

1つ目は2004年に酒気帯び運転で逮捕されたことである。

2つ目は北京オリンピックの6か月後に報じられたマリファナ用水パイプを吸う写真の流出である(刑事としての立件も逮捕歴も本件についてはない点を言及しておく)。

そして3つ目が2014年9月に再び基準値の2倍(メリーランド州は0.08%が基準であるとところ,0.14%だった。ちなみに日本は呼気0.15mgで酒気帯びであり,血中濃度では0.04%程度で酒気帯びとなる)となる酒気帯び運転で逮捕されたことである。

上記3度の過ちは,彼の精神的な不安定さによるものだとされているが,これは9歳の際に両親が離婚し,その後,父親が自分の競泳イベントなどに約束したにもかかわらず表れなかったり,15歳の時に何の前触れもなく新しい奥さんを連れてくるなど自分のことを考えず,むしろ自分を捨てたと感じてきたという親子の感情に起因しているという。

このうち,特に注目すべきはロンドンオリンピックで偉業を達成した後の転落とそこからの反省とリオでの復活であろう。

ロンドン五輪の後,彼は彼自身が成し遂げた偉業の重みから一時的に競泳を離れ,パーティー三昧をし,30パウンドも体重が増え,プールの外での自分の存在価値を見いだせずに"自由"を謳歌し,現役選手としての生活からは遠ざかった結果,2014年9月30日の早朝酒気帯び運転で再び逮捕されるという過ちを犯してしまった。

しかし,彼がやはり凄いのはそこから反省し,自分の弱さを克服し金メダル4つと銀メダル1つを取る偉業により,再びリオ五輪の場で世界を熱狂させた点である。

この2度目の失敗の際,ボブ・ボーマン(Bob Bowman)コーチも,これがマイケル・フェルプスとしての最後であり,マイケル・フェルプスの偉業はここで終わったと感じたと述べている。

この最悪の状況から彼を救ったのは,元アメリカンフットボールのボルティモアのチーム「Ravens」のRay Lewis選手と彼がフェルプス選手に渡した1つの本であったという。

Lewis選手やフェルプス選手の親しい友人はアリゾナ州フェニックスの郊外にある「The Meadows」というリハビリ施設に入ることを強く勧め,45日間,セラピーを受け,その合間にオリンピック選手にしては,2回のストロークで対岸に届いてしまう狭いプールで練習をしながら,内に秘めた弱さに向き合うリハビリをした。

また,Lewis選手が渡した「The Purpose Driven Life」という本が彼を救ったと語っている。

非常に面白いと感じたのは,この本を読んでフェルプス選手がこの地球上に自分が存在する意義(生きる目的)を感じ取ったという点である。

オリンピックで数多くのメダルを取り,世界中から認識され賞賛された選手でも,9歳の時のトラウマや度重なる自分の過ちなどから自分の存在を無意味に感じ,この本で自分の存在意義を再認識したというのだから,その人間らしい弱さを持っている点に驚いた

当時,フェルプス選手は自殺すら考えていたともいわれており,この本が彼を救ったとされている。

ESPNのインタビューでフェルプス選手は次のように述べている。

自分がいない方が世界が良くなると思った。それが最善のことだと思ったんだ。自分の人生を終わらせることが。

("I thought the world would just be better off without me," Phelps admitted. "I figured that was the best thing to do — just end my life.")

我々はトップアスリートになればなるほど精神的に図太く強くなるのではないかと思いがちだが,本当は孤独感や競技以外の場での自分の存在価値などを見いだせなくなったり,自分を追い込んでしまって精神的に逆にもろくなるのかもしれない

この本が契機となり,フェルプス選手は父親のフレッド氏との関係を再構築するに至っている。

ファミリーウィークというものがあるそうで,当初フェルプス選手は,父親に拒絶されることを恐れ,父親を呼ぼうとは思っていなかったそうであるが,この本を読み自分の長年の感情と向き合うために,父親を呼び長年の想いをぶつけたという。

その結果,長年の精神的な弱さの原因となっていた父親との関係を少しずつではあるが再構築でき,子どもが生まれたこともあって精神的にも克服したようです。

生後4か月の息子のブーマー君も今回はリオで観戦していた。

バタフライ100mの結果の直後に見つけた写真であるが,銀メダルは不満なのだろうか。険しい顔をしているのが愛らしい。

引退を表明しているフェルプス選手であるが,4年後,物心がついたブーマー君にフェルプス選手はその雄姿を見せたいと思うことはないのであろうか

2.東京オリンピック出場の可能性

注目すべきは,ライアン・ロクテ選手や母親のデビーさんが以下のとおりNBCの取材に対して述べている

ロクテ選手はNBCの「Today」という番組でフェルプス選手は2020年の東京オリンピックのプールにいるだろうと述べた。彼は4年前にフェルプス選手が引退を示唆した際にも同じ予測をし,それが当たっている

(Lochte guaranteed on NBC's “Today” show that Phelps will be in the pool at the 2020 Games in Tokyo. He made the same prediction four years ago and was correct.)

さらに,フェルプス選手の母親であるデビーさんも東京でのオリンピックの舞台へのカムバックについて,「そうなれば素晴らしいわ」と述べている。

(Even Phelps' mom, Debbie, got in on the act, telling NBC a Tokyo comeback “would be wonderful.”)

人間らしい弱さを克服しながら31歳でこれだけの偉業を成し遂げるのであるから,私はフェルプス選手には人間の限界に挑戦し,35歳でも金メダルを取り続け,本当の「絶対王者」として東京でもその雄姿で日本を沸かせてほしいと思うのは私だけではないだろう。

日本のメディアも折角来年東京でオリンピックを行うのであるから同じようなインタビューなどを繰り返すだけでなく,日本人選手以外の世界のアスリートを紹介したり,日本人選手のフェルプス選手のような人間らしい弱さとそれをどう克服しているのかといった深い報道をしてほしい

なお,以下の動画は,アメリカ五輪競泳チームが公開した車中カラオケである。選手の人間味が伝わってきて面白い。

また,フェルプス選手は全ての試合後にフェイスブック上でLive Streamを行いファンの質問やコメントに答えている。ちなみにPokemon Goはやっていないが選手村ではかなりの数の人がやっており「クレイジー(Crazy)」と述べていた。

このあたりも日本のように管理されすぎない選手の自由さがあるからこそ,アメリカにはフェルプス選手のような水の怪物と称される偉大な選手が生まれるのかもしれない。

ちなみに,フェルプス選手の絵文字もあるようである。

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08/14/2016

SMAP解散報道のあり方とオリンピックの放送

昨夜の11時頃にサイゾーウーマンが他のメディアを先行する形で報道されたSMAP解散報道であるが,私は当初あまり信じていなかったものの,この報道は大スクープだったようである。

(当時のツイート)

ただ,この報道のあり方を見ていて気持ち悪いのは,この報道が14日になるまで一切他のメディアでは報じられず,14日になって報道各社が打ち合わせをしたかのように一斉に報じる横並びカルテルという戦前のような旧態依然とした情報統制の闇が残っている点である。

欧米であれば,個人のパパラッチなり,情報を得たらそこを契機として追随報道がされるというパターンであろうが,日本は追随というのではなく,ある一定時刻になって情報統制がされていたかの如き報道が,所詮単なるエンターテイメントニュースであるにもかかわらず,横行しているのであるから,我が国は本当に自由主義国家であるのかといつも不安になってしまう

この報道のあり方を見ていると,主要メディアは何らかの事務所なり何かの意向に従っているのであり,そこに我が国のエンターテイメントの闇を感じてならない

私は,芸能情報に堪能ではないが,本件についての"感想"(私見というにも値しない程度の感想程度のもの)を言うならば,本件の本質は事務所の対応等を含め,各人において一度傷ついた信頼関係が修復できない程度にまで進んでいたということであろう。

前回の解散報道の際,意味も分からない謝罪を何のためにさせられたのかとは傍から思っていたが,あのように意に反する行為を強制していたのではないかと思われてしまう様な不自然な"謝罪"なる行為を行っていた時点において,信頼関係は修復できない程度に進んでいたと考えられる。

いずれにしても,傍観してみていれば,育ての親といわれた飯島氏という人を排除して,そのまま平然と当該事務所で活動を継続することの方が人間としての義理を欠くと感じるのが自然な流れなのであって,私は今回SMAPを解散したいと言ったメンバー数人は人間として他に比してより優れているのではないかと感じている。

仮に,今後の報道が,解散したいという"メンバー数人"を特定し,それらのメンバーを批難するような報道がなされれば,いよいよ我が国のテレビ業界が異常であって,これらのテレビ等の主要メディアに対し視聴者毅然とした態度で自己の知る権利の保全をしなければならないのではなかろうか。

そこまで我が国の主要メディアが腐っていないことを祈るばかりである。

もっとも,冷静に考えると,40歳を過ぎたオッサンがアイドルとされている日本の"芸能界"の方は異常なのであって解散すること自体は,減価償却がない棚卸資産とされる芸能人であっても,やはりSMAPとして継続していくのには限界があり,解散は年齢的にも時間の問題であったというべきはなかろうか。

Twitter上ではSMAP解散に関連するツイートが多数あり,落胆する声も多かったが,私は,卓球男子団体第一回戦で水谷選手を苦しめたポーランドのイケメンであるJAKUB DYJAS(ヤクブ・ディヤス)選手でも見てキャーキャー騒ぐ方が健全だと思う。

なかなか中国系の選手やアジア系の選手以外台頭していない卓球という競技の中で,解説者も評価していたが,手足の長さを利用して,銅メダリストの水谷選手を苦しめ,丹羽選手を圧倒的なパワーとギリギリまで粘って打ち込むプレーは見ていて爽快だったし,凄かった。まだ20歳の選手であり,今後台頭する選手ではなかろうか。

丹羽選手を下した時に,胸を叩いて喜んでいたが彼が繋ぐかどうかでこの試合が決まる(第5試合に行くかどうか)という中,相当のプレッシャーだったのだなと感じた。オリンピックは日本人選手が仮に負けていても,やはりトップアスリートの戦いなので見ていて本当に面白い。

なかなか海外の選手の活躍などはオリンピックの放送では,放映権の問題で各社なかなか報じない(放映料の関係で報じる価値がないということかもしれないが)が,オリンピックの醍醐味は,日本人選手と戦う他国の選手にどのような人物がいるのかなどを知るという点にもある。

NHKは小刻みにSMAP解散の報道を挟んできていたが,単なるアイドルグループの解散が速報を打ち,オリンピックの生中継を一時中断してまでNHKが報道する性質の話なのか再度他のメディアとの違い,公益性について検討してもらいたいものである。

他のメディアと横並びの報道であれば,視聴料を徴収してまで存在する意義はないのではなかろうか。

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07/30/2016

有権者の見る目が試される選挙

先日は6カ月ぶりにブログを更新し,「緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義」という記事で,社会情勢の変化で往年のエンターテイメントが有する意義が時代時代で変わってくるということについて意見を発信した。

今回は,毎日マスコミが騒いで取り上げる話題の1つ,明日の東京都知事選挙について私の意見を表明したい。

1.マスコミの罪

まず,マスコミが3候補に絞って報道をしていることから,この3候補以外に投票するのは死票になるのは明らかであろう。これはマスコミがいかに我が国の政治的意思決定において,有権者の判断する余地を狭めているかを示している。

マスコミからすれば,一応,最後に候補者全員を紹介しているんだから選ぶのは有権者の勝手であるし,"世論調査"での投票先は3候補がほとんどなのだから,俺たちはそれを単に伝えているだけだと反論するかもしれない。

しかし,公示前から既に有名な候補,いわば,今回の3候補に絞った報道がなされている時点で,マスコミの主張は失当である。

つまり,選挙告示前から無責任なマスコミが「注目」すべき候補か否かという恣意的な判断をし,その結果,実質的に死票とならない候補者の絞り込み(フィルタリング)が行われてしまっていると言わざるを得ない。

この点,有権者がマスコミの「注目」に踊らされており,有権者が未熟で,単に馬鹿なだけであるという見解もあるだろう。その見解は私はある意味正しいと思う。

しかし,マスコミが未熟で馬鹿な有権者を煽っているのは明らかであり,私はマスコミによる事前の絞り込み(フィルタリング)問題ということについては今後真剣に考えていかなければならないと思う。

なぜならば,マスコミがこの国の為政者の意向に沿ってのみ報道することになることは,いかに日本が形式的に民主主義の立憲主義国家であるとしても,実態は北朝鮮と同じということになりかえないためである。

マスメディアに自己の意思の決定を委ねないということが我が国の有権者として果たすべき責務であろう。

2.東京都知事選挙の投票

死票にならない3候補を比べた時,まともな人であれば,どの候補もパッとしないと思うだろう。

石原元都知事が色々と揶揄したオバサンは,明らかに権力欲の塊であり,自己の政治資金の疑念にきちんと回答したとはいえないのであって,この姿勢と資質から見ても,舛添と同じ結果になるのは明らかである。

他方,自民や公明に押されている増田というオッサンも何をしたいのか良くわかないし,改革なんか期待できない。

さらに,野党統一候補の高齢者についても,どうも東京都がどうあるべきと考えているのかが伝わってこない。

したがって,多くの有権者は「よりマシな候補」に投票しようとするのではなかろうか。

しかしながら,投票に際して考えてほしいのは,自分に候補者を見極める能力があるのか否かという点である。

私は今回の選挙でこの候補に入れるべきと推せる候補者は正直いない。

ただし,1つ言えることは,前々回の選挙で猪瀬に投票し,かつ,前回の選挙で舛添に投票した有権者は,明らかに見る目がないのは明らかなので,今回の選挙には投票に行くべきではないのではないかということである。

特に舛添については,彼の資質の問題であり,彼の都知事選挙前の言動を見ていれば,あのような問題を起こすような資質があるのは明らかであった。なぜならば,彼の言動に傲慢で,かつ,選民意識が強く,自己顕示欲の塊のような人間であることがよく表れていたからである。

それは彼の当選直後に私が書いた,「ジャーナリスト池上彰の凄さ(池上無双と言われる理由)」や「ジャーナリスト池上彰から敵前逃亡をした新都知事の情けなさ」という記事における池上氏と舛添とのやり取りを見ても明らかであった。

私は,当時の記事で,「舛添新都知事の度量の小ささは、ジャーナリスト、池上彰によって、当選直後に白昼にさらされた言わざるを得ない。」と指摘し,「今後、池上無双から逃げた舛添という誹りを挽回できるチャンスはあるのだろうか。これ以上失望させられないことを祈るばかりである。」と述べたが,私の懸念は的中した

度量が小さいから,あのようなセコイ政治資金の使い方をして都民から総スカンを喰らったわけであるが,それをしそうな資質は当選直後に表れていた

つまり,当時,投票した有権者が本当に見る目がなかったのである。

投票に行くのも行かないのも主権者たる国民,有権者の自由である。

私は投票率が高いことが必ずしも良い選挙だとは思わない。投票に行かない自由というのも保障されるべきであるし,見る目のない有権者は投票にいかないというのも民主主義に資すると思っている。

過去2回の選挙で明らかに問題のある知事を積極的に支持して投票した有権者は,はっきり言ってみる目がないのであるから,そのことを自覚した上で自らの投票行動を決めるべきであろう。

多くのメディアは投票に行こうと呼びかけるが,見る目がない有権者が無責任に投票することこそ,民主主義の弱点であると私は考えている。

自信を持って投票できないのであれば,投票しないというのも選択肢の一つだろうし,投票する以上は,投票した候補者が猪瀬や舛添と同じような政治とカネの問題を起こした時には,自分は本当に見る目がないと真摯に反省すべきであろう。

3.候補者は池上無双の洗礼を投票日前に必ず受ける仕組みを作るべき

前回の参議院選挙でも,池上彰氏の池上無双ぶりは発揮されていた。民進党の岡田党首にも激しく切り込んでいたし,蓮舫議員もいらつくようなそぶりを見せ,彼女の底の浅さを見せつけていた。

さらに公明党にも恒例となった創価学会との関係について単刀直入で突っ込んでいたのは記憶に新しい。

しかし,本来あるべきは,このような池上氏の厳しい質問と候補者の応答を有権者が見極めたうえで,投票行動を決するようなメディアの仕組み作りではなかろうか。

例えば,NHKと民放が協力して,全候補者を集めたテレビディベート大会を2~3時間の枠で,池上彰氏のように単刀直入に候補者の嫌な質問であっても構わず行い,自分の意見などを言いすぎないジャーナリストを司会者にして行うべきである(ちなみに,現在,正直,池上氏以外にそれができるジャーナリストいないと思う。例えば,朝まで生テレビの司会を長く行っている田原総一朗氏は自分の意見を言いすぎるという点からディベートの司会者には向かないだろう)。

嫌な質問にどう候補者が答えるかで,その候補者の人間としての資質が見えると私は思う。

マスコミがそれぞれバラバラに下らない選挙特集をやるよりも,池上無双による候補者のスクリーニングをテレビディベートというような形で行う方が,よっぽど有益だし,候補者を見極める目を養うことに資するだろう。

いずれにしても,明日は投票日。

2度の恥ずかしい都知事を輩出した都民である我々に,有権者として見る目があるか否かが今再び試されている

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07/26/2016

緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義

暫くブログを休止していたが,書きたい話があるので約半年ぶりにブログ記事を更新しようと思う。

最近は,中東におけるテロやイスラム原理主義に傾倒したテロリストによる犯罪行為のニュースを聞かない日はないと言っても過言ではないだろう。

テロは中東からヨーロッパ,北米だけでなく,オリンピックが行われるリオでもその計画が明るみになり,もはや世界中で安全な地域はないとも思えるような暗いニュースが多い。

そのような情勢の中,我が国では,幸いにしてイスラム原理主義によるテロ犯罪は起こっていないが,我々の中東やイスラムに対するイメージは過去を見てもないほど日々悪化しているというのが実情であろう。

ところで,私は以前から何度か映画や演劇,オペラ,ミュージカルなどのエンターテイメントが社会や個人に与える力,その社会的意義,いわば,エンターテイメントの大儀について,様々な記事(例えば,「ディズニー(Disney)映画に見るセクシズムと限界」など)を書いてきた。

そこで,日本で公演されているある世界的なミュージカル作品についての私見を紹介し,今このタイミングで公演が行われた社会的意義について考えてみたいと思う。

1.30年以上前に作られたミュージカルの現代的意義

その作品は,邦題:「ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート」(原題:「Joseph and Amazing Techinicolor Dreamcoat」)(以下「Joseph」という。)である。

7月13日から渋谷ヒカリエの東急シアターオーブ(BUNKAMURA)で公演されて,7月24日(日曜日)で千秋楽を迎えたブロードウェイミュージカルである。

この作品については,スーザンボイル現象が起こった2009年頃に,「チャンス・ステグリッチ(Chance Steglich)君の歌唱力にも注目」という記事で,当時高校生であったチャンス君の高校生とは思えぬ高校での公演の動画を紹介したことがあったが,当時チャンス君が出演した作品がこのJosephなのである。

<参考:チャンス君の動画>

※以前紹介した記事の動画が見れなくなっているので今回新たに次の動画を掲載する。

ちなみに,当時高校生にして素晴らしい歌唱力を持っているチャンス君は,現在ユタ州のディクシー州立大学の劇場で俳優として活動しているようである。

さて,話を本題に戻すが,このJosephは,オペラ座の怪人,キャッツ,エビータなどを輩出した作曲家,アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)と美女と野獣,チェス,ライオンキングなどを輩出した作詞家,ティム・ライス(Tim Rice)が初めて1967年頃に生み出した作品で,トニー賞を1982年に受賞して以来,様々な演出が加えられエンターテイメントととして進化し続けており,アメリカやイギリスなどの欧米では知らない人はいないと言っても過言ではない。

アメリカの多くの人々が高校などで公演などをした際に参加したり,鑑賞したことがあるという経験を持っているだろう。

また,イギリスでは2007年にBBCが「Any Dream Will Do」という番組を放映した。

この番組では,Josephの主役を一般公募のオーディションをして勝ち上がったファイナリストから毎週番組で電話投票をして,最後に残った俳優が主役を演じることができるという番組を放映しているが,かなり好評だった。

いかにこの作品が英語圏で人気の作品か良く分かる。

そこで,今日の記事の本題である「この作品がなぜ今日本で公演されたことに意義があるのか」であるが,それはこの作品が扱うテーマである。

そもそも,この作品はキリスト教の旧約聖書,ユダヤ教の聖典,イスラム教の啓典の「創世記」をテーマにしたもので,まさに各宗教に共通の物語をミュージカル化したものであるが,宗教対立,宗教に名を借りたテロという殺戮,犯罪行為が横行する現代だからこそ,これらの宗教に共通して存在する物語をテーマにしたこの作品が今まさに時代に適っている

また,この作品の舞台は,カナン(古代パレスチナ)とエジプトである。

今まさに極めて情勢が不安定な地域を舞台に,それとは対極的な演出で,激しい歌と踊りで,楽しく,明るく,「ザ・エンターテイメント」といえる作品であることからも,社会に対する普遍的なメッセージを感じる作品である。

そして,作中で披露されるテーマ曲の1つも,混沌とした時代に忘れかけている大事なことを観客に喚起してくれる。

それが「Any Dream Will Do」である。

これはJosephのテーマ曲の1つでるが,この歌詞の中には次のような歌詞がある(和訳は私が仮訳としてリズムに合わせて付したものである)。

Far far away, (遠くで)

someone was weeping. (涙する人)

But the world was sleeping. (気にしない世界)

Any dream will do.(夢をみよう)

【中略】

And in the east, (東の空で)

the dawn was breaking (夜が明ける)

And the world was waking (世界が変わる)

Any dream will do(夢をみよう)

【中略】

The world and I, (世界と私)

we are still waiting (いつまでも待つ)

Still hesitating, (ためらい続ける)

any dream will do(夢をみよう)

我々日本人はバブル期に経済的な利益を追い求め,未だに物欲主義のバブル再興という夢を見ている人間もまた少なくない。

また,それを望んでいなくても,日々の仕事に忙殺され,精神的な安定と自己実現の価値についてなかなか向き合える環境ではないという現実も存在する。

そのような日本において,Josephは,夢をみること(夢を持つこと)の大切さという強いメッセージを送ってくれるのである。

私は,夢をみることというのは,思想の自由という精神的自由の根本的価値の1つの体現であり,私たちが人間として享受できる人権の最も根幹な部分と考えている。

つまり,個人がいかなる夢をもつことができるという自由なのであって,それは人間としての個々が存在し,自己実現をするためのもっとも重要な自由である。

この作品の冒頭で,ストーリーテラーのナレーターが歌う次の歌詞がある。

Now I don't say who is wrong, who is right (誰が正しいとか,間違っているとはいいません)

But if by chance you are here for the night (でも今夜,皆さんは偶然にもここに集まりました)

Then all I need is an hour or two (ほんの1,2時間を下さい)

To tell the tale of a dreamer like you(あなたのように夢を見る人の話をさせて下さい)

We all dream a lot -- some are lucky, some are not (私たちはたくさんの夢を見ます。幸運な人もいれば,不幸な人もいます)

But if you think it, want it, dream it, then it's real (でも,思い,欲し,夢を見れば,現実になるのです)

You are what you feel(感じていることそのものがあなた自身なのです)

非常に詩的な内容なので,仮訳も非常に難しいが,私はこの最後の部分にこそ,夢を見ることによる自己実現の重大さというメッセージを感じる

今の日本では,憲法が何たるかを全く理解していない為政者が,憲法を改正する力を手に入れてしまったという現実がある。

しかし,この自己実現という価値はまさに,憲法が保障する精神的自由の根幹部分であり,この価値が制限されるような世の中には我々は絶対してはいけない

また,世界では毎日テロという無意味な殺戮という犯罪行為による多くの市民が殺されている。フランスに続き,ドイツでも子どもをターゲットにしたテロが発生してしまった。こうした犯罪行為を絶対に許さないという強いメッセージを宗教リーダーは力強く発する必要があると感じるがイスラム教のリーダーからの強いメッセージはあまり聞こえてこない

この点,この作品では兄弟に殺されかけたJosephがその兄弟たちが危機に直面した時にどう対応するかというシーンがある。

この作品は他人に不寛容になり,宗教やその他の薄っぺらい形式のみの大儀の名の下で,他者を否定し排除するという世界の風潮に対し一石を投じており,30年以上前に作られた作品ではあるが,むしろ現在の社会情勢に鑑みて,改めて評価されるべきである。

ショーが終わった後,会場から出る際に,ある年配の観客の方が,「最近テロの話が多くて怖いけど,こういう物語のベースになるエジプトってやっぱりすごいわね。こういう作品が世界でもっと広がって,偏見や争い事が少しでも減るといいのにね。」と話していたのは大変印象的だった。

2.今回の作品の評価

前述でも触れたが今回の作品では,アレンジが加えられている。

1999年頃に映像化されたDonny Osmondが主演の作品はより子供を対象にした演出であったが,渋谷で公演した作品は,現代の大人に向けた演出が強かった

この点は,演出を担当したAndy Blankenbuehler氏が,冒頭のプロローグ部分で,汽車の音などを取り入れるなど1999年のDVD版とは異なるアレンジを加えた理由について,パンフレットの中で,「大人は進むべき道は(敷かれたれーつの上を走るように)ひとつしかないと思い込みがちだということも表したかった」と述べていることからも明らかである。

なお,Andy Blankenbuehler氏は今年のトニー賞を席巻したハミルトン米国大統領の生涯を描いたミュージカル「Hamilton」で振り付けを担当し,トニー賞を受賞している。

これは英語を母国語にしない日本人には当たりだったように思われる。

私は,最終日の前日の最後の夜のショーを見たのであるが,会場には子どももちらほらいたものの,観客の多くは大人であり,年配の観客もかなり多くいた。

そして,驚いたのは,この大人の観客達が一体となって始まりから最後まで続くアンドリューロイドウェバーの「繰り返しのリズム」にまんまと取り込まれ,所々で大きな歓声を上げながら,最後は全員総立ちでスタンディングオベージョンをするほど熱狂した状態であった

特に,高齢の男性客が高いテンションで楽しんでいた姿は,大変印象的であった。

日本にはJosephのように観客を一瞬にして別世界に引き込む夢のあるエンターテイメントが非常に少ないことも起因しているのかもしれない。

特に印象に残ったのは,主役のJosephを演じたJC McCannさんの歌唱力,代役(Understudy)ではあったものの作中で主演女優というべきナレーター役のShea Gomezさん,コミカルでプレスリーのようなファラオ役を演じたJoe Ventricellさん,そして,脇役ではあるものの,ジョゼフの兄弟の一人であるBenjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんの4名である。

主役のJC McCannさんは,アンドリューロイドウェバーがこの作品でよく使いたがるようなポップなアイドル的な俳優ではなく(そのようなキャスティングのせいでこの作品は子供向けと思われがちな傾向がある),どちらかというとクラシカルな「Oklahoma!」やLes MiserablesのEnjouras役などを演じてきた実力のあるミュージカル俳優というだけあり,きちんとした歌唱力に裏付けされており,Josephの役にはぴったりだっただろう。

主役級が印象に残るのは当然と言えば当然だが,Shea Gomezさんは代役であったものの凄く強い歌唱力であったし,おそらく多くの観客は彼女が代役とは気が付いていないかもしれない。

また,ファラオ役を演じたJoe Ventricellさんの演技も英語という障壁を多くの観客が抱えているにもかかわらず,プレスリーのような声で,絶妙な間合いとボディーランゲージによる演技で笑いを何度も取っていたのは素晴らしいと感じた。

そして,私が一番評価したいのは,あまり目立つキャラではあったものの,Josephの末の弟,Benjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんである。

彼はバク転宙返りなどアクロバティックな演技もしていたが,私はそこではなく,彼が「One More Angel in Heaven」という歌のシーン(ジョゼフがいなくなり悲しんだり喜んだりしているシーン)で行った細かい演技に感銘を受けた

Benjaminというキャラクターは,Jacobの12番目の息子で,Josephの同じ母親から生まれた弟であり,もっともJosephと仲が良い存在であったとされている。

そのBenjaminを演じたMatthewさんは,上記シーンで,他の兄弟とは一線を画し,悲しんだり,後悔したりした姿を演じていたのである。

これは1999年に映像化されたシーンでも描けていなかった。それを今回の渋谷の舞台で細かく演じていたのは作品に対する高度なプロの仕事を感じたのである。

歌と踊り一辺倒となってしまいがちなアンドリューロイドウェバーの作品において,脇役ながらキャラクターの細かな心情の違いを演じきっていたのには驚くと同時に大変感心した。ぜひ今後も様々なミュージカルで成功してほしい俳優である。

他方で,作品をある程度批判的に考察することも必要であるからあえて厳しい評論もしようと思う。

まず,個人的にあまりしっくりこなかったのは,Judahの役のKyle Freemanさんが歌った「Benjamin Calypso 」とSimeon役のPeter Suraceさんが歌った「Those Canaan Days」の部分である。

前者は,演出のライトニングが暗く,Calypsoというカリビアン的な雰囲気が十分に出ていなかった。

そういう意味ではどうしても1999年のこのシーンのイメージを打ち破るだけのパンチが少なかったということだろう。このシーンでは,直前の緊張感のあるシーンから一気に開放され,愉快で南国の雰囲気が出てこないといけないと思うが,それも少し中途半端な感じで,歌もどこかあか抜けない感じだったのが残念であった。

後者は,好みの問題なのかもしれないが,このシーンでは「Those Canaan days we used to know. Where have they gone, where did they go?」という歌詞があり,where didというところで,かなり長く伸ばすシーンがあるのであるが,ここが最も俳優たちの歌唱力の強さを感じることができるシーンなのであるが,渋谷のショーでは,この部分をコミカルに笑いをとるだけにしてしまっており,もっと歌唱力の強さを感じたかったように思う。

例えば,トニー賞を受賞した時は,以下の動画の1:18辺りのシーンのように息継ぎなく長ーく伸ばしながら歌唱力を見せつけるような演出が見たかった。

このように物足りないと感じる部分も全くなかったわけではないが,今回の渋谷ヒカリエで上演されたミュージカルは総じて素晴らしいものであった。

さらに,前記の動画のとおり,渋谷ヒカリエでの「Go go go Joseph」のシーンは白い衣装で統一されていたが,やはりこのシーンはもっとカラフルで近未来的な演出をもっと過激かつ会場全体を巻き込む形でやった方が日頃大人しい日本人にとっては絶大のインパクトを与えることができたように思う。

この点,今回はUS Tourのキャストによる公演だったが,イギリスの公演の演出は,より華やかな印象を受け,また違うようである。例えば,イギリスでは,X Factorで有名になったLloyd Danielsさんが主役になったりしている。

次回はイギリスのキャストによる公演があると比較できて面白いかもしれない。

いずれにしても,残念ながら,Josephは,7月24日(日)の12時30分が日本での最終公演になる。

私が見た7月23日(土)の夜の回では,リピーターチケットということで,最終日のチケットも販売していたが,座席はほとんど埋まっており,この公演を見て感激し,2日連続で見ようとしている人もかなりいたようで,列ができていた。

この作品を見逃した人もそう落胆することはない。なぜならば,この作品は映画化も検討されているといわれている。

またYoutube上でもJoseph事態は様々な高校などのレベルでも演じられており,それを見ることができる。また,1999年のDVDバージョンもお奨めである。

ぜひ興味がある人は,このJoseph and Amazing Techinicolor Dreamcoatという作品を見て,現代におけるこのミュージカルの社会的意義を再評価して,この作品を楽しんでもらいたい。

なお,最後に,次の動画を紹介して,約6カ月ぶりの記事を締めたいと思う。

これは上述で触れた今年のトニー賞を席巻したミュージカル「Hamilton」の歌を披露するJoseph and Amazing Techinicolor DreamcoatのUS National Tourのキャストの動画である。

このメンバーが渋谷のヒカリエで公演したのであるが,この動画も必見である。

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07/24/2016

【移動しました】緊迫する社会情勢とある往年のミュージカルの社会的意義

記事を更新したことに伴い,当該記事は次のリンク先に移動しました。

以下のリンク先で記事をご確認ください。

緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義

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12/23/2015

金融庁の怒りとそれに対する危機意識が組織的に欠如している新日本監査法人

先日は6か月ぶりのブログ記事で東芝の会計監査人であった新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)について,断固たる姿勢での厳しい処分が必要である旨主張したが,既に報道されているとおり,昨日の2015年12月22日付で金融庁は新日本に対し,①業務改善命令,②契約の新規の締結に関する業務の停止「3月」(以下「一部業務停止命令」という),③約21億円の課徴金納付命令に係る審判手続開始を決定という処分が発せられた

当初は上記の一部業務停止命令の期間が「6月」という報道があったのが,直前になって「3月」との報道に変わったことから,私は,結局のところ金融庁による処分は,一部業務停止命令もその対象を監査業務に限定するなどして,新日本の会計士の論理が優先され,甘い処分になることを危惧したが,今回の処分内容は,新日本の責任との対比において極めて妥当な線であり,金融庁の処分内容と処分理由の報道資料を読むと,金融庁の怒りが相当程度に達して本気で処分したことがよくわかる内容となっている。

他方で,この金融庁の処分を受けて,同日に新日本が発表した改革案責任の明確化という資料は,極めて陳腐な内容となっており,金融庁が相当な怒りを持って処分をしていることに対する自覚が残念ながら全く感じ取れないのである。

そこで,今日は①なぜ金融庁の怒りが報道資料から読み取れるのかということと②新日本の対応からいかに危機意識が組織的に欠如しているかということについて論じてみたい。

1.金融庁のによる怒りのメガトンパンチ

まず,金融庁の報道資料には,処分理由として,次の2つを挙げている。

ア 新日本有限責任監査法人(以下「当監査法人」という。)は、株式会社東芝(以下「東芝」という。)の平成22年3月期、平成24年3月期及び平成25年3月期における財務書類の監査において、下記7名の公認会計士が、相当の注意を怠り、重大な虚偽のある財務書類を重大な虚偽のないものとして証明した。

イ 当監査法人の運営が著しく不当と認められた。

金融庁は,相当の注意を怠っていたと認定していることから,つまりは,必要な注意義務を果たすことなく漫然とした節穴監査であったということを行政庁として認定していることを意味する。

そして,東芝の監査チームだけでなく,東芝の監査を担当した事業部だけでなく,新日本が組織全体としてその運営が著しく不当であると認定している。

処分をする上では当然の認定ではあるが,目を見張るものがあるのは事案の概要部分である。

(1)東芝の監査部分に関する指摘

  • 監査の担当者は、(中略)異常値を認識するとともに、その理由を東芝に確認し、「部品メーカーからの多額のキャッシュバック」があったためとの回答を受けていたが、監査調書に記載するのみで、それ以上にチーム内で情報共有をしていなかった。監査チーム内において不正の兆候を把握した場合の報告義務を課すなどの適切な指示、指導及び監督を十分に行っていなかった結果、必要な監査手続が実施されず、自己の意見を形成するに足る基礎を持たずに監査意見を表明していた。

まず,この指摘であるが,要はホウレンソウができていないとの指摘がされてしまっているわけである。

特に気になるのは,「監査調書に記載するのみ」という部分である。

「とりあえず責任問題にならないために,監査調書に残しておけば良い」という「ためにする監査」ともいうべき悪しき形式主義の風土がこの指摘部分に如実に表れているように思われて仕方ない。

  • 監査チームは、前工程における原価差額の減額が行われていたことを監査手続において認識しながら、後工程における原価差額の増額が行われているかを、十分かつ適切な監査証拠を入手し裏付けをもって確認する必要があるにもかかわらず、後工程における原価差額の増額は当然に行われていると勝手に思い込み、その確認を怠った

この部分の指摘もやはり専門職とは思えない稚拙なレベルでの指摘となっている。「勝手に思い込んだ」というのであるから,漫然とした監査であったと言われても仕方ないのではなかろうか。

仮に弁護士が依頼人の重要な主張部分に関わる事実を確認せずに勝手に思い込んで事実誤認の主張をしたという事案があれば,懲戒ものである。

  • 監査チームは、臨時的なTOV改訂が行われれば、当然に東芝から報告や相談があるものと思い込み、また、前後工程のTOVは整合しているという勝手な思い込みのもと、これらの確認を怠った

これはもはや任務懈怠レベルではなかろうか。職務放棄といっても過言ではない。当然に依頼人から話があるだろうから,確認しないといういうのは仕事をしていないのとまったく同じであろう。

そして,このことは会計監査人としての職務上の確認義務を依頼人に押し付けていたということを意味するのであるから,ボッタクリ監査も甚だしい

このような稚拙なレベルに金融庁が立腹するのは当然である。

  • 特別な検討を必要とするリスクとして識別したにもかかわらず、東芝の説明を鵜呑みにし、また、東芝から提出された発番票などの資料を確認するにとどまり、見積工事原価総額の内訳などについて、詳細な説明や資料の提出を受けておらず、経営者が使用した重要な仮定の合理性や見積りの不確実性の検討過程を評価していないなど、当然行うべき、特別な検討を必要とするリスクに対応した十分かつ適切な監査証拠の入手ができていなかった

この指摘にも金融庁の怒りが表れている。

つまり,「リスクとして識別した」というのであるから,新日本の東芝監査チームは,特別な検討が必要なリスクの高い問題があるという認識を有していたことを意味する。その上で「当然行うべき」必要な証拠の入手をしなかったと指摘されているのである。

すなわち,「これは問題がありそうだから検討しないといけないね」と思っていたのに,やるべきことをやらなかったというのであるから,ある意味,未必の故意に近いレベルでの過失を認定していると言っても過言ではないだろう。

(2)新日本の運営に関する部分の指摘

さらに金融庁のフラストレーションが見て取れるのが,法人の運営に関する指摘事項である。

品質管理本部及び各事業部等においては、原因分析を踏まえた改善策の周知徹底を図っていないことに加え、改善状況の適切性や実効性を検証する態勢を構築していない

(中略)

これまでの審査会検査等で繰り返し指摘されたリスク・アプローチに基づく監査計画の立案、会計上の見積りの監査、分析的実証手続等について、今回の審査会検査でも同一又は同様の不備が認められており、当監査法人の改善に向けた取組は有効に機能していないなど、地区事務所も含めた組織全体としての十分な改善ができていない

ここでの指摘からは,金融庁の「今まで散々指摘を受けたことをどう改善したのか自分たちで何も検証できていないじゃないか。その結果,改善そのものが組織全体としてできていない。いい加減にしろ」という怒りを感じてしまう

定期的な検証において、監査手続の不備として指摘すべき事項を監査調書上の形式的な不備として指摘している。そのため、監査チームは指摘の趣旨を理解しておらず、審査会検査等で繰り返し指摘されている分析的実証手続等の不備について、改善対応ができていない

(中略)

監査での品質改善業務を担っている各事業部等は、品質管理本部の方針を踏まえて監査チームに監査の品質を改善させるための取組を徹底させていない。また、一部の業務執行社員は、深度ある査閲を実施しておらず、監査調書の査閲を通じた監査補助者に対する監督及び指導を十分に行っていない

このように、当監査法人においては、実効性ある改善を確保するための態勢を構築できていないことから、監査手続の不備の改善が図られない状況が継続しており、当監査法人の品質管理態勢は著しく不十分である。

この部分の指摘もなかなか秀逸である。

まず,「監査手続の不備」を「監査調書の不備」にすり替えた指導の部分であるが,これは,監査手続においてやっていないことがあり,それが指摘されなければならないのに,監査調書と呼ばれる証拠化した文書の不備として指摘しているからまったく意味がないということである。

すなわち,指導する側の品質管理業務担当部署が適切な指導ができていないから,監査チームも指導を理解できておらず,何ら改善できていないという呆れにも近い怒りの指摘ではなかろうか。

悪しき形式主義を是正すべき品質管理業務担当部署こそが悪しき形式主義を容認しそれを実践してしまっていたということなのかもしれない

次に,一部の業務執行社員の査閲の問題であるが,これは,本来であれば全責任を負う業務執行社員が査閲,いわば,上司としての確認,を表面的に浅はかなレベルで終わらしているから,下の者への指導もできていないという意味である。専門職に求められる仕事の水準とは程遠いことへの金融庁の怒りが伝わってくる。

そして,監査法人,専門職としての仕事をする上での核心的部分ともいうべき「品質管理態勢は,著しく不十分」との指摘に至っているというのであるから,新日本の業務の質がいかに散々たるものであったのかがひしひしと感じ取れる金融庁の発表資料ではなかろうか。

審査担当社員が、監査チームから提出された審査資料に基づき審査を実施するのみで、監査チームが行った重要な判断を客観的に評価していない。また、監査チームが不正リスクを識別している工事進行基準に係る収益認識について、監査調書を確認せず、監査チームが経営者の偏向が存在する可能性を検討していないことを見落としているなど、今回の審査会検査で認められた監査実施上の問題点を発見・抑制できていない

このように、当監査法人の審査態勢は、監査チームが行った監査上の重要な判断を客観的に評価できておらず十分に機能していない

この指摘も驚かされる。

つまり,審査担当のパートナーが「審査」とは名ばかりで,監査チームが出してきたものだけ見て,監査チームと一体化したような形で形骸化した審査しかしていないのであるから,法人全体として今回の東芝で指摘された問題点が抑止できない体制になっていると言っているわけである。

こうなってくると,金融庁は,怒りもさることながら,法人の構造的に第2,第3の東芝事案が発生することを憂いていることが感じ取れてくるのである。

以上の考察のとおり,金融庁の指摘は相当深く入り込んで審査した結果が厳しく表現されており,厳格かつ厳正な審査がなされたことが良く伝わってくる内容というべきである。

2.業務改善命令において重い十字架を背負わすことで,バランスに配慮

私は当初,一部業務停止命令の内容が「3月」との報道が流れたことで,金融庁はなあなあな処分で済ませようとしているのではないかと懸念したが,今回の処分を見ると,金融庁は会計監査そのものに対する危機意識を持っていることが伝わってくる。

そして,金融庁は,新日本に対し業務改善命令において,最後通牒ともいえる抜本的な見直しを早急に行うように重い十字架を背負わしている

(1)今回、東芝に対する監査において虚偽証明が行われたことに加え、これまでの審査会の検査等での指摘事項に係る改善策が有効に機能してこなかったこと等を踏まえ経営に関与する責任者たる社員を含め、責任を明確化すること。

(2)その上で、外部の第三者の意見も踏まえ、改めて抜本的な業務改善計画を策定すること。また、改善策を実施するにあたり、その実効性につき、経営レベルの適切な指導力の発揮の下、組織的に検証する態勢を構築するとともに、不十分な対策が認められた場合には、必要に応じて追加的な改善策を策定・実行すること。

(3)品質管理本部に加え、監査の品質改善業務を担っている各事業部の責任者等は、監査チームに対し、業務改善策が浸透・定着するよう、より主体性と責任を持って取り組むこと。

(4)審査体制の機能を強化することに加え、監査実施者が、監査チーム内で十分な情報共有・連携を確保するとともに、求められる職業的懐疑心を保持し、深度ある分析・検討を行う態勢を構築する観点から、監査法人内の人事管理や研修態勢を含め、組織の態勢を見直すこと

(5)今回の事案の発生及び審査会から行政処分の勧告が行われるに至った背景として、監査法人の風土及びガバナンス体制等の面でいかなる問題があったのかを検証し、上記業務改善計画の中で改善に取り組むこと

(6)上記(1)から(5)に関する業務の改善計画を、平成28年1月31日までに提出し、直ちに実行すること。

(7)上記(6)の実行後、当該業務の改善計画の実施完了までの間、平成28年6月末日を第1回目とし、以後、6か月ごとに計画の進捗・実施及び改善状況を取りまとめ、翌月15日までに報告すること

特に,上記の赤字の部分に金融庁の危機感がよく表れている。

先日,新日本の英理事長が退任という話があったが,(1)は暗に現在の新日本の理事会等を含めた執行部やパートナーの退任を含めた「責任」を求めているのであり,相当程度踏み込んだ業務改善命令といえる。

そして,その「責任」は,これまで改善できなかったことに起因しているのであるから,今までの歴代理事長や理事等の過去の執行部やパートナーにおいても,その責任を追及されるべき立場にあるという考えがあるのではないだろうか。

また,会計士の論理では改善できないと判断したのか,外部の第三者による検証と「抜本的な」改善を強く求めている点も危機感の表れであろう。

なお,金融庁は監査法人の行う監査業務以外の業務(いわゆるアドバイザリー業務など)についても,一部業務停止の対象としている(監査業務に限定していないことからの反対解釈)。

監査業務ではないとはいえ,監査法人の名の下で行われている業務である以上,監査業務において生じた問題は,それ以外のサービス提供業務にも当然当てはまるという判断があると思われる。

現に今回の処分において,業務停止「1月」となった上村会計士は,不正対策のアドバイザリー業務を提供していたこともあったようであるが,そのような人物が業務執行社員として関与していたにもかかわらず東芝の問題は発生したわけである。この問題は新日本の監査業務に限定されず,あらゆるサービスに巣食う相当根深い問題と言わざるを得ない

3.危機感を感じられない新日本の対応

新日本は,同日付で,「金融庁による処分について」と題しHP上で対応について説明している。

この中で,新日本は,「弊法人の改革(案) 」と「弊法人の責任の明確化について」という文書を公表しているが,その内容を見ると,一見極めて明白に陳腐であって,このような内容を公表するくらいであったらしない方がマシなのではないかというレベルなのである。

まず,前者であるが,私が驚愕してしまったのはそこに並ぶ文言の極めて抽象的な表現である。

例えば,監査品質監督会議なる新組織を作るのは良いが,「モニタリングと改善指示を行います。」とあるものの,具体的にどのようにモニタリングをして,具体的にどのように改善指導を行うのかといった話が一切ない

審査会の立入調査等を通じて,これくらいの処分が出ることはわかっていたはずであるからもっともう少しマシな具体性のある改革案を示せなかったのであろうか。

こんな陳腐な抽象的な "改革案" を示すくらいであれば示さない方がマシである。

これでは,金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき処分に対し,馬の耳に念仏と言わんばかりの回答ではなかろうか。

同様に,「監査品質に関する問題が発見されたパートナーへの対応を厳格にします」などという宣言があるが,逆に今まで監査品質に問題があってもパートナーは何ら厳格な責任を問われない極めて温い環境にあったのかと思ってしまう。新日本が行っている各社の監査の信用性の低下を促進することにすらなってしまうだろう

このような上っ面の宣言をされると,逆に「今まで監査品質はおろそかにしていたの?」と不安が増大するのが通常人の合理的な思考であろう。

危機感のない頓珍漢な "改革案" はこれだけで終わらないから呆れてしまう。

例えば,人事制度改革においても,「パートナーの評価及びパートナーへの昇格において監査品質を最大限に重視することを明確にします。」とあるが,これにも開いた口が塞がらない

つまり,業務執行社員たるパートナーが意見表明を行う主体を構成するわけであるから,このようなことは当然に従来から行われいるべきレベルの話である。

にもかかわらず,今更この程度のことを "改革案" などと躊躇なく公表することが,新日本の問題の根深さを感じてやまない

この "改革案" で挙げている項目のすべてが万事このように突っ込みどころ満載なのであるが,最も驚愕するのは,次の点である。

改革の実を上げるための周知徹底(平成28年2月末まで)

(1)パートナーの決意書

全パートナーが一丸となってこの改革を着実に実行する決意を示すための決意書を全パートナーから取得します。

これには暫く開いた口が塞がらなかった。

時代錯誤も甚だしい。血判状のつもりなのか。こんなことをないと改革の実を上げられない組織とはどんな組織なのであろうか。

これが「改革の実を上げるための周知徹底」の3本柱の1つとして挙げられていることの一事をもって,いかに新日本が危機感を有していないか,いかに一般社会の社会通念と乖離した感覚の中で組織されているかが一見して明白なのである。

このようなことを平気で,恥ずかしげもなく,処分と同日に発表する監査法人の監査業務を受けたり,アドバイザリー業務の提供を受けるクライアントは,よっぽどお人よしと言わざるを得ないのではなかろうか。

中央青山監査法人の解散という前例があるにもかかわらず,新日本はその痛い前例を教訓にはできないようであり,極めて残念と言わざるを得ない。

4.辞退を申し出るおこがましさ

新日本には,東芝に騙されたという被害者意識があるのかもしれないが,金融庁に徹底的に監査体制等の杜撰さを指摘されたにもかかわらず,それでもあえて次のような公表を「弊法人の責任の明確化について」という文書で行う感覚が私には理解し難い。

株式会社東芝の次年度監査契約を辞退いたします。

この点,東芝の第三者委員会の報告書では,その職責の違い及び調査範囲の違いから,会計監査人の責任については,言及されていなかったことや東芝における粉飾行為の悪質性から,当初は,新日本に対する同情の声も少なくなかったと記憶している。

しかしながら,今回の金融庁の公表した処分に係る説明からすれば,新日本は決して「被害者」ではない

上記でも指摘してきたとおり,所管官庁である金融庁は,再三の審査会等による改善の指摘を受けてきたにもかかわらず,基本中の基本となる行為が行われておらず,法人全体として組織に問題があるという結論を突き付けたのである。

杜撰な監査を行ったとの厳しい批判の渦中にある監査法人が「辞退します」とわざわぜ宣言すること自体がおこがましいとの批判を受けると思うのは私だけではないだろう。

現に東芝が会計監査人の交代の検討をしているという報道が数週間前に報道が流れていることからすれば,このような無意味な「宣言」は,金融庁による断罪を受けた今,一般社会の社会通念からすれば,「契約を打ち切られる立場にあるのに何を上から目線で言っているんだ?」という無用な批判を招くのは目に見えている

ここにも,危機意識の欠如と危機管理対応に対する社会通念とのズレが表れていると言っても過言ではない。

5.結語

これまで見てきたとおり,金融庁は今回の処分に当たって極めて厳しい論調で新日本に対する指摘しており,その文面から金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき新日本への最後通牒的処分であることが読み取れる。

他方で,金融庁は無用な市場の混乱を避けるべく,一部業務停止の期間も「3月」とし,中央青山監査法人の時のような業務の全部停止を避けるため,日本経済や市場に与える影響に一定の配慮をしている。

しかしながら,当の新日本の対応を見てみると,金融庁の処分の趣旨が十分に理解できているのか既に疑問符すらついてしまう。

これでは,自らメガンテ(ドラゴンクエストシリーズに出てくる自爆の呪文)を唱えているようなものである。

依頼人たる企業が不信感により離れることの危機意識を強くしなければ,中央青山監査法人の二の舞は目前であろう。

平成28年1月31日までに提出が求められている業務の改善計画がどのように具体性と実効性を持ったものになるかが運命の分かれ道になる。

新日本のパートナーは今一度エンロン事件を描いたアメリカの映画でも見て危機意識を感じてはいかがでろうか。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,金融庁にやるべきことをやっていないと指摘された新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか。

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12/21/2015

新日本有限責任監査法人への処分の妥当性

久しぶりのブログ更新である。

ブログの読者だった方には本当に申し訳ないと思うが,ブログを5月に書いて以来,暫く多忙でブログ記事を書くことができなかった。

半年前に書いた東芝担当に監査法人に関する記事につき,その後がだいぶ追及が進んできたので,半年ぶりにブログを更新するにあたり,今回は新日本有限責任監査法人に対する金融庁の処分の妥当性についての記事を書いてみようと思う。

なお,既に弁護士の郷原先生がこの問題について所見を述べられており,私も郷原先生のご意見には概ね同意するものの,若干,記事の流れから,コンプライアンスの第一人者である自分を関与させれば良かった的な先生自身の売り込みに読めてしまう点に読者としては違和感を感じてしまったことから,違う視点で今回の問題を取り上げてみようと思う。

1.当初は甘い処分との報道が流れていた

金融庁をはじめとする規制当局は,当初,東芝や東芝の監査を担当していた新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)に対して責任を追及するつもりはあまりなかったように思われる。

しかしながら,内部告発等々により,東芝のあまりにも悪質な粉飾決算の実態が明らかになるにつれ,世論は東芝及びその監査を担当していた新日本に対して極めて厳しい眼差しを送ることになった。

そして,既に報じられているとおり,規制当局は現在東芝の旧経営陣等々に対する刑事事件での立件に向け検討に入っている。

監査法人については,一連の報道を見ていると,金融庁は当初は第三者委員会の報告書などから,会社が虚偽の情報を提供したのを見破るのは困難だったというような,いわば,士業の内輪の論理に立脚し,新日本に対してもさほど厳しくない「業務改善命令」が出る程度だろうという論調が多かったように思われる。

しかしながら,そのような甘い処分に留めることができなくなった背景にはいくつかの要因があると考えている。

まず,世論は当初から消極的な規制当局に対し批判的であったことが挙げられる。

ライブドア事件では50億の粉飾で刑事事件となり,堀江らは実刑に処せられた。多くの一般人は,東芝はそれをはるかに超える2248億円の粉飾であるにもかかわらず,刑事事件がやっと検討されるに過ぎない状況について,証券等監視委員会をはじめとする規制当局に対して強い不信感を持ち続けてきている。

当然,その犯行の悪質性というのも考慮されるべきであるが,東芝の旧経営陣らの行為は一連の報道を見ていると,市場を騙す意図で数々の粉飾行為を継続的に行ってきたことは明らかなのであって,これが刑事事件化されないことは,通常人の合理的な思考からは理解できないというべきであろう。

そして,通常人の合理的な思考からすれば,2000億を超える粉飾額を見抜けなかった士業たる監査法人に対しては,「専門家としてどんな仕事をしているんだ」,「こんなの見抜けなかったら会計士なんて不要」という意見が出てくるのは当然なのであって,新日本に対しては,その職務遂行のあり方に対して,当然根深い不信感と批判が向けられることになった。

この点,私も以前のブログ記事で指摘したが,東芝の監査では,業務執行社員として,新日本の品質管理部長が関与していたのある。

つまり,最も職業的懐疑心をもって他の監査チームを指導する立場にあった人物が関与していたにもかかわらず,2000億を超える粉飾を数年にわたって漫然と(故意なのか過失なのかは別として)見過ごしてきたと言ってもよいだろう。

こうした世間の厳しい視線は,金融庁も無視できなかったと思われる。

また,7月には金融庁は検査局担当の審議官,兼,公認会計士・監査審査会の事務局長に天谷知子氏を起用した。このことも,会計士の内輪の論理でナアナアな処分をできなかった要因であろう。

天谷氏については,監査法人に対して厳しい姿勢を持っているという噂は他の方も述べられているところである。

現に,今回の報道では,審査会のメンバーをある意味差し置いて,事務局長である天谷氏の発言が前面にでている。

例えば,次のような報道を見ると,天谷氏がいかに公認会計士という専門職に対し,その自覚をきちんと持つように規制当局の責任者として強い発信をしているかが顕れているといえるのではなかろうか。

新日本監査法人勧告 繰り返す甘い監査に「自浄能力欠如」 毎日新聞

東芝の不正会計問題で金融庁の公認会計士・監査審査会

 東芝の不正会計問題で、金融庁の公認会計士・監査審査会が新日本監査法人への行政処分を勧告したのは、同法人が甘い監査を繰り返し自浄能力が欠如していると判断したためだ。監査法人はこれまでも相次ぐ不正会計を見逃してきた経緯があり、監査への信頼が改めて問われている。

 審査会は今回、新日本の監査の不備に加えて、改善が徹底されない体質を問題視した。公認会計士3500人を擁する国内最大手の新日本は、隔年で審査会の定期検査を受けており、審査会はこれまで、新日本の批判的な視点の乏しさや、監査対象の企業の会計処理に疑念を抱いても徹底追及しない姿勢などについて再三、改善を求めてきたという。審査会の天谷知子事務局長は15日、「改善策の徹底が不十分で甘い」と新日本を強く批判した。

 東芝への一連の監査でも、東芝側から新日本への「不当な圧力は認められなかった」(天谷氏)といい、審査会は新日本の監査姿勢の甘さに問題があったと判断している。

 新日本に対しては業界でも「前例を踏襲し踏み込んだ監査を欠いたのでは」(公認会計士)との指摘がある。新日本は問題点の内部検証を行うなど再発防止に努める構えだが、信頼回復は簡単ではない。東芝も監査法人の交代を検討中だ。

 不正会計が相次ぐたび監査法人の責任が問われ、当局も対応を迫られてきた。米エンロンの巨額粉飾決算事件を受けて2004年に公認会計士・監査審査会を設置。カネボウの粉飾事件は08年の公認会計士法改正につながり、課徴金制度が導入された。新日本も処分されたオリンパスの損失隠し事件後の13年には、不正会計が疑われる場合の監査手続きの基準も策定し、監査機能の強化を促したはずだった。

 金融庁は10月、有識者会議を設置して監査制度の見直しを開始。監査法人への立ち入り検査の頻度を増やすなど監督強化も図る方針だが、不正根絶への道筋は描けていないのが現実だ。【和田憲二、片平知宏】

新日本監査法人への主な指摘事項

組織全体の問題点

・過去に金融庁側から指摘を受けた事項の改善策が組織全体で不徹底

東芝など個別企業に対する監査業務

・会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分

・会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底

・経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分

監査の質のチェック

・部下の行った監査内容に対する上司のチェックが不十分

・法人内の担当部門が個別監査の事後評価を十分行わず

2.金融庁が考えている処分は妥当なのか

もっとも,新日本への主な指摘事項を見ると,天谷氏が厳しい姿勢の持ち主か否かに関わらず,新日本の会計士は,根本的に士業としての資質を欠如しているというべきではなかろうか。

弁護士であれ,会計士であれ,士業は,専門職として,その高度な知識や経験という目に見えない価値を提供する職業である。

そのような士業にとって,上記指摘は,その資質がないという烙印を押されているに他ならない

特に会計士は,独立した立場での職務執行が強く求められている職業である。

にもかかわらず,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」,「会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底」,「経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分」などというのは,極めて稚拙なことで指摘されているというべきであろう。

このような流れの中で,現在,金融庁は,①業務改善命令,②課徴金20億円~30億円,③業務の一部停止命令を併せて行うことを検討しているという。

果たしてこの処分は,新日本の負うべき職責に比して,十分に重い処分といえるのであろうか

まず,課徴金については初適用ということで騒がれている。

確かに初適用ということで,インパクトはある。また,監査法人というのは,あまり利益を内部留保せず,利益はパートナーと呼ばれる人たちを中心に配分される傾向にあるから,20~30億円という課徴金は十分重たいという声も聞こえてくる。

しかしながら,果たして本当にそうなのであろうか。

というのも,士業は弁護士もそうであるが,保険に入っているのが通常である。

まして,大手監査法人で,アーンスト・アンド・ヤング(EY)というグローバルのアカウンティングファームに所属しているのであるから,当然に,このような事態に備えて損害賠償保険等に加入しているのが当然の義務となっていると考えられる

そうであるとすれば,20~30億円の課徴金は痛くも痒くもないのではなかろうか。

そうすると課徴金そのものはさほど重い処分とは言えない。

そこで,もっとも,重い処分といえるのが,業務停止命令であろう。

既に報道されているとおり,新日本は監査クライアントの規模で言えば,国内最大の監査法人であるから,いわゆる,業務停止命令を食らってしまえば,監査難民が出て,市場が混乱するというのはよく言われている話である。

実際にそのような混乱の懸念はあるため,金融庁も,そこまでは考えておらず,業務の一部停止命令を検討しているようである。

この「一部」というのは,いわゆる,新規受注の禁止というものである。

具体的な内容については,①監査業務に限るのか否か,②期間は3月とするのか6月とすべきなのかという検討がなされているようである。

この点,新日本の指摘事項からすれば,これはそもそも,士業として,専門職としての根本的な素養に問題点がついているのであって,過去の指摘事項が全く改善されていないというのであれば,法人全体の姿勢と仕組みの問題なのであるから,監査業務に限定せず,当法人のあらゆるサービス提供業務をこの機に見直すべきなのであって,監査業務に限定する理由はないというべきである。

また,期間についても,指摘事項が極めて根本的な点において不十分とされていることからすれば,6月程度の長期の処分が妥当ではなかろうか。

いやしくも,士業として,専門職として,高度の倫理観と職業意識をもって職務に当たらないといけない会計士等を抱える監査法人なのであるから,それに反した場合には,通常の企業よりも厳しい処分を持って対処するのが妥当である。

むしろ,そのような厳しい自己批判がなければ,専門職に対する社会的責任や社会の期待に応えているとは言えないのではなかろうか。

3.それでも危機意識のない一部の新日本の会計士達

このような事態を受けて,新日本の英理事長は辞任することになったという。もしかしたら,郷原先生の「トップの無為無策によって窮地に追い込まれた新日本監査法人」という批判がある種の一押しになったのかもしれない。

しかしながら,郷原先生の指摘とはこの点については違った見方としていおり,私は,必ずしも新日本の問題はトップの問題ではないと考えている。

むしろ,東芝の監査の問題は,現在の英理事長が就任する前から脈々と継続してきた問題だったのであって,トップが責任を取れば済むという安易な問題ではないと考えるのが論理的である。

私の知り合いなどには新日本の会計士も複数おり,東芝の問題が出て以降,彼らと話す機会があったが,その会話の中で私は多々驚くことがあった。

彼らは東芝の事件が今年の3月頃に報道され始めた頃から,「どうせあんなのは大したことないよ」といった発言があり,その額が巨大な粉飾額になることが次第に明らかになっても,「会計士では会社が嘘をついたらもう見抜けない」などとあからさまに職務放棄と言えるような発言を平然と言っていた。

更に唖然とするのは,なぜ会計士では見抜けないのかと聞くと,「会社が嘘をつくとは思っていない」とか,「会社の出された資料を見ているから見抜けるはずがない」とか,さらには「10億円程度の報酬だったら,そこまでやっている人員等のリソースがない」などというのである。

しまいには,「監査というのは,性善説に立って,これだけチェックしたからおかしなことはないという書類の作成業務だ」などという声もあった。

私は彼らのこうした発言を聞くたびに,「おいおい。会計士の仕事って何なんだよ。」と思ったものである。

これは職業的懐疑心という以前のレベルの問題だろう。

私の知り合いの会計士がすべてとは言わないが,少なくともこのような発言が複数名からあったのは誠に残念であった。

さらに,東芝の第三者委員会のレポートが公表された7月頃に,私がある会計士に,「新日本も相当の処分が下るだろうね。業務の一部停止は既定路線なんじゃないか。いくら見抜けなかったといっても,一般人の感覚からは到底受け入れられない話だろう」といったところ,「いやー,所詮あったとしても,業務改善命令程度だよ。監査チームはある意味騙されて被害者なんだから。」などと極めて呑気な発言をしていた。

このような発言をみるに,今回の東芝の問題は氷山の一角に過ぎないのであって,会計士の職業的倫理の根本的な姿勢に関わる問題というべきであり,その闇はより根深いものがある

おそらく,審査会も,こうした会計士の会計士による会計士のための論理を検査を通じて如実に感じ取ったのではなかろうか。

そして,金融庁も,そのような論理が昔は通用していても,透明化を求めるグローバルな現代の市場では一切受け入れられないという強い姿勢を示し,インパクトのある処分をある程度は課さないといけない

仮に金融庁がこのような論理を許すのであれば,第二の東芝事件はすぐに起こるといえよう。まさに今日本の金融市場を所管する金融庁の職責が問われているのである。

さて,今回もこのテーマに関連しぜひ次の映画を見てもらいたい。

それはエンロン事件を描いたアメリカの映画である。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,まさに,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」との指摘をされた新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか

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05/27/2015

監査法人制度の闇その2

前回の記事「東芝の粉飾決算疑惑に見る監査制度の闇BLOGOS版記事はこちら)」では,品質管理を担当している業務執行社員が東芝の事案に関与しているにもかかわらず,全事業にわたり粉飾疑惑が生じていることなどに触れ,東芝の会計監査人が本当に妥当な監査をしてきたのか,予定調和のシャンシャン監査ではなかったのかという疑問を呈した

我が国の会計監査に対する信頼を揺るがす可能性のある粉飾決算疑惑が大企業の東芝で生じている最中,監査法人のあり方そのものを問うニュースがもう一つ海外から発信されているので,今回はそれを紹介しようと思う。

ウォールストリートジャーナル紙電子版が報じるニュースである。(日本語版はこちら英語版はこちら。)

端的に説明すると,アメリカの監査法人であるErnst & Young(EY)がウォルマート社の監査人を長年務めているところ,メキシコ政府に対する贈賄(米国腐敗防止法違反)について,ウォルマート社が米当局に報告する以前から知っていたにもかかわらず,必要な手段である当局への通報を行わなかったとして,株主のグループが告発したという記事である。

先の記事でも紹介したが,我が国で問題となっている東芝の会計監査人は,新日本有限責任監査法人であり,この監査法人はErnst & Young(EY)のメンバーファームである。

メンバーファームといっても,いわゆる看板を借りているだけという監査法人も少なくなく,他国のメンバーファームとの連携が取れていないところも多いと聞くことから,米国EYの報道が必ずしも,新日本有限責任監査法人に直結するわけではないものの,今回のタイミングでこのような報道が海外で出ていることから,取り上げることとした。

このニュースの内容について,信ぴょう性は未だ何とも言えないが,仮にこれが事実だとすれば,やはり全世界的に,企業から報酬をもらって会計監査を行うという監査法人に対して,「市場の番人」としての機能は期待できないことを示唆しているのではないかと考える。

大手監査法人に勤務する会計士から聞いた話であるが,一部の大規模クライアントについては,監査の実態としては予定調和であり,会計士が問題を呈することが憚られる雰囲気があるという。つまり,監査報酬をもらっていることから,クライアントに対して従属的な関係になってしまっているというのである。

また,大手監査法人においては,傾向として,会計士がサラリーマン化しており,弁護士等の他士業に比べると,士業としての矜持が薄弱で,毎年,予定調和の作業を行っていると聞く。

さらに,監査法人をめぐる問題は根深いと思わせる話すら聞こえてくる。

例えば,海外では,会計監査において使用した証拠を整理した監査調書を電子データで保存し,一定の基準日以降は,その内容を改変することは物理的にできなくなっている仕組みが浸透している一方,我が国の会計監査においては,法的には改ざんは許されないことに変わりはないものの,監査調書を紙で保存する場合が主流で,紙の監査調書は,容易に閲覧が可能で,物理的に中身を差し替えることが難しいことではないというのである。

法律上はかかる改ざん行為は違法であり,懲戒事由に該当することは当然であるが,物理的に可能な状態にしている現状はあまりに性善説に過ぎるであろう。

ある会計士の話では,「監査調書はあえて紙で保存するようにしている」という。その理由は,言わなくても想像に難くない。

このような話を聞くと,やはり,監査法人そのものに対する強い不信が生じてくる。

やはり,士業に従事する者はあえて厳しい基準で自分たちを律しなければならない。

士業についての批判的記事を書くと必ず,各業界の利益代表みたいな意見が寄せられるが,こうした意見はあまりにも,一般的な社会通念から著しく乖離しており,国民の不信を招くことは言うまでもない

現に,会計士業界の悲願は監査報酬の増額であるが,J-SOXの導入などでバブル的な状況ができたものの,監査報酬の増額という悲願は達成できていないのであり,これは,企業側が会計監査がいかに杜撰で価値がないかを知っているからだという話は広く知られているところであろう。

いずれにしても,今回の東芝の事案やウォルマートの事案において,必ずしも上記のような状況があるのか否かは現時点では不明であるが,我が国においては,オリンパスの粉飾事案など大きな経済事件が既に起こっているのであって,そうした状況を踏まえると,会計監査人を務める監査法人制度に対して,業界の利益だけの改革ではなく,市場の公正・安定という見地から,金融庁は抜本的な改革をすべきではなかろうか

ところで,前回の記事の最後に掲載していたDVDを今回はぜひ紹介しようと思う。

それはエンロン事件を描いたアメリカの映画である。

ある知り合いの会計士は,この映画で描かれている会計士の姿は耳が痛い内容だという。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,我が国の一部の公認会計士にも当てはまるということはないだろうか

弁護士や会計士などの士業が増えている中で,市場原理から数を減らす必要はないと考える一方,「性悪説」に立った仕組み作りが急がれる

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05/25/2015

東芝の粉飾決算疑惑に見る監査制度の闇

東芝をめぐる不適切な会計処理,いわゆる粉飾決算の問題が拡大しており,全く収束の気配を感じない。

日経新聞電子版の「東芝、不適切会計 根深く ほぼ全事業に疑念拡大」という記事が伝えるところ,ほぼ全事業にわたって,粉飾決算の疑いがもたれている。

記事によれば,次のとおり,内部通報により発覚したようである。

 東芝は22日、不適切会計問題で第三者委員会が調査する範囲を発表した。すでに500億円の利益減額見込みを公表しているインフラ関連に加えて、テレビやパソコン、半導体という主力事業の大半が対象になる。仮に、利益の大半を稼ぐ屋台骨の半導体で問題が出てくれば、業績への影響は一気に膨らみかねない。全社的な管理体制のずさんさが浮き彫りになった形で、経営陣の責任問題に発展する可能性もある。

 証券取引等監視委員会に届いた内部通報がきっかけで発覚した不適切会計を発表したのは4月3日。約1カ月半たって外部の専門家による本格調査がようやく始まるが、期間は示さなかった。「範囲が広がり、場合によっては深刻な事態に発展するかもしれない」と金融庁幹部は身構える。

「不適切な会計処理」という表現は,あまり大事ではない印象を受けるが,一般的に,「粉飾」と「不適切な会計処理」の違いは,故意の有無により区別しているようで,紙一重である。

そもそも,「粉飾決算」というのは法律用語ではない。会計用語や経済用語として頻繁に使われているが,「粉飾決算」という言葉の定義はあいまいである。

もっとも,会社の財務諸表の申告につき,虚偽のものを作成することは,会社法等の特別背任罪など複数の故意犯に該当することから,単なるミスの場合と区別して,故意が認められるケースにつき,「粉飾決算」という表現をしているようである。

いずれにしても,東芝の事案は,まだ全容がわかっていないものの,特別背任罪等を構成しうる事件に発展する可能性が囁かれているとおり,我が国の経済活動に与える影響は極めて大きいものになりつつある

他方で,我が国の法規制及び執行状況は,経済犯,とりわけ,ホワイトカラークライムに対して,諸外国と比べると甘いと言わざるを得ない。

そこで,今回は,東芝の報道などを参考に,粉飾決算の問題点,つまり,会計監査制度のあり方について,私見を述べようと思う。

1.東芝の粉飾決算疑惑(不適切な会計処理)をめぐる状況

現在までに報じられている内容をみると,当初は,インフラ関連と呼ばれる,①原子力・火力発電などの「電力システム社」、②送配電システムなどの「社会インフラシステム社」、③ビル管理などの「コミュニティ・ソリューション社」の3つの事業の9件に不適切なものがあり,約500億円という説明であった。

上掲の記事によれば,「先行して調査したインフラ関連では、長期の工事で進捗度合いに応じて売上高や費用を見積もる『工事進行基準』と呼ぶ会計処理の運用がテーマだった。」とされているところ,この工事進行基準というのは,他の報道でも明らかなとおり,誤りやすい会計手法ということで,この基準の問題で終始するのであれば,当初の株価の暴落程度で済んでいたのかもしれない。

しかしながら,ここにきて,粉飾決算疑惑はさらに看過しがたいものとなっている。

先に報道によれば,第三者委員会は,調査対象を,ほぼ全事業としていることから,問題は,この工事進行基準という会計手法の解釈の問題ではなく,そもそも,同社の会計そのものに対する問題点があることを示唆している

2.監査法人,新日本有限責任監査法人に関する報道と同法人の責任

東芝の会計監査人は,監査では最大手といわれる,Big4の1つである新日本有限責任監査法人である。監査法人を知りたければ,監査報告書を見れば明らかである。

同法人は英国のアーンスト・アンド・ヤング(Ernst & Young)と提携する監査法人であるところ,東芝はこの新日本有限責任監査法人から,現在に至るまでずっと東芝の財務諸表について,適正意見(リンク先資料35ページ)と呼ばれる以下の評価を受けてきているのである。

当監査法人は,上記計算書類及びその附属明細が,我が国において一般的に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して,当該計算書類及びその附属明細書に係る期間の財産及び損益の状況をすべての重要な点において適正に表示しているものと認める。

すなわち,一連の粉飾決算疑惑が生じている不適切な会計処理について,会計監査の最大手である新日本有限責任監査法人は,適正いう判断をし,少なくとも,疑義がもたれるような実態があることを見抜けなかったというのである(現時点では,情報が少なく,原因関係が明らかではないところ,監査法人が見抜けなかったとして,法的責任を負うか否かの検討は時期尚早であること,及び,監査法人自体が粉飾に関与していた可能性も排除できないことは付言しておく)。

同監査法人をめぐっては,いくつか報道がなされているところ,平成24年7月6日に,同監査法人は,オリンパス社の粉飾決算問題を理由に,金融庁から業務改善命令を受け,「当該改善命令を厳粛かつ真摯に受けとめ、より一層の監査品質の向上に、全法人を挙げて取り組む所存です」などと述べている。

こうした経緯を考えると,私は,東芝の不適切な会計処理を見抜けかなった会計監査人たる新日本有限責任監査法人の少なくとも倫理的,社会的責任は極めて重いのではないかと考えている(もっとも,法的責任を負うか否かは別途検討を要する)。

この点,ある記事では,「新日本さんの名誉のために言っておくと、1年前には、米国サウステキサスプロジェクト(STP)の減損処理を巡り東芝側と相当に激しいやり取りを行っていたことなどが報じられたこともあるのです。つまり、そうした報道内容からする限り、新日本の公認会計士さんたちは真摯な態度で任務を全うしようとしていたことが窺われるのです。」という意見もあるようであるが,私はこの見解には全く賛同できない

おそらく,この記事のいう報道とは,週刊ダイヤモンドの電子版の記事について言及しているのであろう。

このダイヤモンドの記事の内容が正確であるとすれば,1年前に新日本有限責任監査法人は,東芝の関係処理について問題があるとの認識を持っていたというのであるから,そうであれば,適正意見など書くべきではなかったことは明らかである

また,仮に真摯な態度で任務を全うしようとしていたのであれば,問題のある会計基準に固執するクライアントに対して,会計監査人を辞任することを持って迫るなど早期発見につながるの余地はいくらでもあったのではなかろうか。

むしろ,この週刊ダイヤモンドの報道が1年前にあったにもかかわらず,現時点まで,何ら会計監査人としての責務を果たすことなく,本件が「証券取引等監視委員会に届いた内部通報がきっかけで発覚」したことは,新日本有限責任監査法人が,市場の番人としての責務を何ら果たしていなかったことすら示唆するのではないかと私は考える。

マスメディアは,同監査法人について言及はしているが,同監査法人に対する厳しい報道はまだ聞こえてこない。

しかし,東芝の不適切な会計処理がここまで大規模な疑惑になっている今,会計監査人として,同社の会計処理を見てきたはずである監査法人の責任は厳しく問われる必要があるのではなかろうか。

3.会計監査人の一人は品質管理の責任者

さらに,私は,この東芝の問題について,懸念していることがある。

それは会計監査人についてである。四半期レビュー報告書によれば,以下の4名が業務執行社員として名を連ねている。

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 濱尾宏

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 石川達仁

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 吉田靖

指定有限責任社員 業務執行社員 公認会計士 谷渕将人

このうち,一番上の濱尾氏は,新日本有限責任監査法人の品質管理本部長を務めていた又は現在も務めているようである。

同姓同名の人が2人いるということは考えられなくはないが,おそらくその可能性は低いと思われるところ,本部長というのであるから,おそらく,同監査法人の品質管理の最高責任者なのであろう。そのような人物が監査に関与しておきながら,このような不適切な会計処理として,少なくとも500億円の指摘がなされていることは,看過しがたい事実ではなかろうか

すなわち,品質管理を担当していた又はいるのであれば,当然,監査手法について問題がないか等を熟知していた立場であろうし,上記ダイヤモンドの記事が正しければ,そういった会計基準の問題についても,当然把握していたはずである。

かかる立場にある人間が,業務執行社員としてかかわっていたにもかかわらず,このような事態になっていることについては,通常人の合理的理解からは,何とも解せない不信感がわいてくると言っても過言ではない

この点,一部ネット上では,東芝の監査担当者がJALと同じ面々だったなどという話もあるが,これは明らかな誤報ではなかろうかと思っている。

というのも,会計監査人が誰かは,監査報告書等を見れば明らかであるところ,JALのHPで公開されている過去の監査報告書を見ると,同じ新日本有限責任監査法人が破たん前に担当していたことはわかるが,業務執行社員として名前が記載されている公認会計士は,東芝のそれとは違う

したがって,業務執行社員以外にJALの破たん前に監査を担当していた公認会計士が東芝の監査のチームの中にいる可能性は排除できないが,少なくとも,業務執行社員が同じだったということではないようである。

4.公認会計士,監査法人制度の問題点

既に,知られていることであるが,やはり企業から報酬を受けて,監査をするという制度自体が問題であると私も考えている。

というのも,ネットで調べた限りではあるのもの,東芝は,新日本有限責任監査法人にとって報酬額第6位のクライアントであり,同法人は約11億円の監査報酬をもらっているのである。

このようなビッククライアントであれば,監査報酬を失うことへの不安から,担当する業務執行社員(一般的にパートナーと言われる人々)が,及び腰になることは容易に想像できる

欧米では,2011年以降,監査法人の順番制(ローテーション制)というのは議論されてきたが,我が国ではこのような整備が未だ十分とは言い難い。ローテーション制は限定的である。特に,ホワイトカラークライムに甘い我が国のことであるから,世界に先駆けてより厳しい制度の導入をする気概は期待できないが,やはり,職業倫理任せで何ら監査法人制度にメスをいれないのは,健全な市場を確保し,公正な経済活動を担保する上で,あまりに無責任ではなかろうか

この東芝の事案を見る限り,私は,大会社等のみならずその範囲を拡大し、一定規模の会社について,より厳格な監査法人のローテーション制度や監査報酬の支払いに関する規制を見直し、監査法人が従属的なシャンシャン監査と決別できるような制度すぐにでも導入すべきであると考えている。

なぜならば,今回,問題をあぶりだした内部の特別調査委員会のメンバーには,別の監査法人のグループに属するデロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社の築島委員がおり,同業他社の会計士がこの問題のあぶり出しに一役買っているといえるのではないだろうかと考えるためである。

ちなみに,第三者委員会の委員を見ても,山田委員は有限責任監査法人トーマツの経営会議メンバーを務めた人であり,同じく同業他社の会計士が問題の追及に関与しているのである。そして,調査補助者は引き続き,デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社が担当している。

以上の状況からすると,私は,この第三者委員会がどこまで追求できるかが今後の監査法人制度のあり方を示してくれるのではないかと期待している。

すなわち,東芝の事案のように,同業他社のような第三者の専門家が入り,疑惑を発見して原因追究をすることこそが,クライアントと監査法人のズブズブの関係を断ち切る上で極めて重要であるところ,ローテーション制度の厳格化や監査報酬規制の改革などを行えば,少なくとも,会計士が業界を挙げて一致団結してごまかそうとしない限り,別の視点で,会計士が企業の財務状況,会計処理状況を精査する機会が作られ,一定の緊張感をもって,会計士が職務に当たり,また,不適切会計の早期発見にもつながると考える

粉飾決算というのは,投資家に対する詐欺である。さらに言えば,経済市場に対する背信であり,極めて重く処断される必要がある。

ホワイトカラークライムに対し,我が国はもっと問題意識を強くし,関係官庁は抜本的な改革をしなければ,日本企業に対する不信は増々増大し,我が国の経済にとって重大な危機をもたらすのではなかろうか

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04/28/2015

ディズニー(Disney)映画に見るセクシズムと限界

4月25日(土)から公開されたDisneyの最新映画,「シンデレラ(Cinderella)」がいくつかのメディアで紹介されている。

Disney映画と言えば,近年,「アナと雪の女王(Frozen)」での成功が記憶にいたらしい。

この「アナと雪の女王」以降,ディズニー映画は,眠れる森の美女をベースに話を作り替えた「マレフィセント」などを公開し,アニメの実写化を進めており,映画「シンデレラ」も実写化の1つである。

ディズニー映画については,従来から,セクシズムを助長するなどといった指摘もされてきた。

私がアメリカに留学していた頃から,ディズニー映画とセクシズムというテーマをよく講義の場などでも取り上げられることが多かったが,近年のディズニー映画が描く主人公像は,従来の描かれ方とは多少変わってきているようにも思われる。

先日,私は,あるYouTube上の動画を見たのであるが,それはディズニー映画におけるセクシズムとは何なのかについて考える良い契機となった。

そこで,今日は,ゴールデンウィークに映画「シンデレラ」を見る人も多いと思われることから,ディズニー映画に見るセクシズムを検討してみようと思う。

1.従来のディズニー映画に対するフェミニズムの批判

まず,従来からフェミニズム的思考の人々は,ディズニー映画で描かれる主人公のプリンセスが,男性的目線のプリンセス像であるとして批判をしてきたことは皆さんも聞いたことがあるのではないだろうか。

フェミニズムからの批判は,実にシンプルなものである。

シンデレラ,白雪姫,眠れる森の美女などのプリンセスは実に,伝統的な女性らしく慎ましやかであり,かよわく,白馬の王子様に助けられるという設定が男性的な視点で,女性のあるべき姿をステレオタイプ化しているという主張である。

そして,私は,映画「マレフィセント」こそが,従来のフェミニズム的批判を顕著に反映したディズニー映画であったと考えている。

しかしながら,この試みはあまり成功したとは思えない。

現に,「マレフィセント」を見た人の中には,従来の眠れる森の美女の世界観とはかけ離れていたため,違和感を覚えた人も多かったのではないだろうか。

つまり,「マレフィセント」は,多くの人に愛された眠れる森の美女という愛らしい作品を根底から覆して,強い女性像を描くとともに,男性(ステファン王)の野心を悪として,フェミニズム的視点から,話を作り替えたのである。

実際にフェミニズム的視点で描かれていることをワシントンポストの記事なども指摘しているし,マレフィセントの中で描かれているフェミニズム(女性が力をもち男性から力を奪えというようなフェミニズム的視点)に対して批判的な記事も存在する。

このマレフィセントという作品は,歴史の修正主義だと批判される安倍首相もびっくりするような歴史の修正(従来の悪役の女性キャラクターを良いキャラクターのように描き,男性キャラクターを「悪」に仕立てるフェミニズム的修正)をディズニーが行った作品であったように思えて仕方がない。

もっとも,マレフィセントに関わらず,近時のディズニー映画は,女性主人公をより強く,独立心のあるキャラクターとして描くものが多い

すなわち,男性に守られるプリンセスといった描かれ方に批判的なフェミニズム的思考が影響し,男に頼らない強いプリンセスや,悪役の魔女を良いキャラクターとして描くある種の修正主義が近年の映画には見られるのである。

しかしながら,果たして,従来のディズニー映画で描かれた主人公のプリンセス像は,男性が求める女性像なのであろうか。本当に,シンデレラ,白雪姫,オーロラ姫,アリエルなどのキャラクタ―は,男性優位社会の中で描かれてきたプリンセス像なのであろうか。

2.YouTube動画から得た新たなディズニー映画に対する視点

私は,そもそも,上記のようなディズニーキャラクターに対するフェミニズム的視点は,根底から誤っていると考える。

その考え方をうまく表現してくれたのが,この動画である。

この動画では,もともとはブロードウェイミュージカルを映画化したディズニー映画のイントゥー・ザ・ウッズに登場する王子の兄弟(プリンス・チャーミングとラプンツェルの王子)に扮したPayson LewisさんとChris Villainさんが,同映画の歌「Agony」の替え歌で,ディズニー映画のプリンスの苦悩と不満を歌っているものである。

一見すると,単なる面白い又は上手いミュージカル的な動画なのであるが,このプリンスの苦悩がディズニー映画の本質的なスタンスをうまく描いているように思われる。

すなわち,ディズニー映画は,女性の客層を従来から中心的な客層に位置づけ,そうした女性客のために女性客が好むキャラクターをその時代時代で描いているのであって,男性優位社会が望む女性像として生まれたわけではないという点である。

ディズニー映画の中で描かれているプリンセスは,その時代,時代における女性が好む女性像に過ぎないのではないだろうか。

現に,この動画が歌の中で指摘しているとおり,ディズニー映画のプリンス像は,極めて抽象的なキャラクター設定が多い

例えば,シンデレラの王子の名前は,プリンス「チャーミング」というだけでまともな名前すら与えられていないし,白雪姫の王子は名前すら与えられていない

ディズニー映画のプリンスに名前が付きだしたのは,眠れる森の美女のプリンス・フィリップ以降ではないだろうか。

ディズニー映画は,むしろ,プリンスのキャラ設定において,名前や性格の設定などは,どうでもよいと考えており,むしろ男性に対して,あるべき姿として,イケメンかつ紳士的であることを押し付けているとは考えられないだろうか。

さらに言えば,プリンスは,女性の成功のお飾りという位置づけであると言っても過言ではない。

プリンセス像は,その時代時代の女性達が憧れる姿を反映していたのに過ぎないのであって,男性優位社会で描かれたプリンセス像というフェミニズム的批判は,全く持って失当というべきであろう。

このYouTube動画が歌の中で指摘するとおり,ディズニー映画は,むしろ,プリンスの姿を極めてどうでもよいサブキャラクター的存在として描いており,プリンスの姿に男性の視点はまるっきり欠如しているのである

ディズニーの描く,プリンセスにまつわる映画は,あくまで女性のための,女性が憧れるキャラクターを常に提供しようとしているのであって,男性優位社会から描かれているキャラクターでは全くない

3.ディズニー映画の限界

私は,男性の視点の欠如がディズニー映画の限界であり,ディズニーエンターテイメントの限界であると感じている。

男の子も小さい頃はディズニー映画を見て育っている。しかしながら,大人になると,男性が女性ほどディズニーのエンターテイメントに心酔しないのは,ディズニーが描くキャラクターには,男性を熱狂させるような男性目線が欠如している点に原因があるのではないかろうか。

つまり,ディズニーキャラクターの限界は,伝統的に男性層の取り込みができないという点にあるのである。

他方で,私は,ディズニーも自らの弱点をわかっているからこそ,テーマパーク内には,インディアナジョーンズやStar Warsといった元々はディズニー映画ではないキャラクターのテーマを取り込み,男性客を飽きさせないための工夫をしていると考える。

4.YouTube動画により拡大するディズニーの世界

YouTubeでは,良くも悪くもディズニーキャラクターはに関する色々なパロディーが存在する。

また,以前も紹介したが,「Let it go」のように映画では女性キャラクターが歌っていた歌を男性がうまく歌詞を変えて歌っている動画も多数存在する。

例えば,次の動画は,先程のChris Villainさんが歌うリトル・マーメイド(Little Mermaid)のPart of Your Worldである。

男性の人魚というのはなかなか斬新である。

確かに,アリエルの世界観においても,キング・トリトンがいるのだから,男性の人魚がいてもおかしくないだろう。

しかし,リトルマーメイドは,愛するプリンス・エリックにすべてを捧げてPart of Your Worldになろうとするアリエルの健気さが女性に受けているのではないだろうか。そのような世界観に,若い男性の人魚というキャラクターは存在する必要はないわけである。

他方で,より辛辣なDisneyのパロディーも存在する。

この動画は,Jon Cozartさんが作成した動画である。

現代の問題などを皮肉的に盛り込んだディズニーソングはなかなか面白い。

このように,ディズニー映画は,様々な形でパロディー化されている。

しかし,これはまさに,ディズニー映画が多くの人に影響を与える作品であるからこそ生じる現象なのであろう。

このように多くの人に影響を与えるディズニー映画であるが,最新の映画「シンデレラ」は,我々が長年慣れ親しんできたおとぎ話の世界をどのように実写化しているのであろうか

前評判などでは,アニメの世界観を大切にしつつ強い女性としてのシンデレラ像を描いているという話を聞く。

大人がこの映画を見る際には,セクシズムというものがこの映画の中ではどのように反映されているか考えながら見るのも面白いのではないだろうか

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03/31/2015

ジャーマンウィング社飛行機墜落事故報道について

ルフトハンザ航空の傘下のジャーマンウィング社の航空機墜落事故を受け,副操縦士の自殺説が断定的に報道されている中,死人に口なしとばかりに性急かつ極めて意図的で,断定的な検察当局の発表に,私は強い違和感を感じている。

しかし,そのような違和感を感じていたのは私だけではないようである。ブルームバーグ電子版に掲載されているレオニド・バーシドスキー氏のコラムも,私が抱いた違和感と同様の違和感を指摘している。

そこで,今日は,そのコラムを紹介しつつ,私見も発信したい。

ジャーマンウィングスの副操縦士、アンドレアス・ルビッツ氏が意図的に9525便をフランスの山間部に墜落させたとして、世界中のニュースメディアが一斉に同氏を集中攻撃している。 「アンドレアス・ルビッツ27歳、正気を失ったパイロット」とドイツの大衆紙ビルトは一面に大見出しを掲げた。「操縦室の殺人犯」と表現したのはロンドンのデーリー・メール紙。英紙インディペンデントは「操縦室の大量殺人者」ともう一段階過激だ。このほかにもメディアには「狂人」や「失恋パイロット」、「そもそもなぜ免許を与えたのか」などの言葉が飛び交っている。

これらはすべて、仏マルセイユのロバン検察官の発表に基づいている。副操縦士が「航空機の破壊を望んだ」と検察が結論付けた根拠は、コックピット・ボイス・レコーダー(CVR)に残された音声データだ。しかしながら、ここから導き出すストーリーは解釈次第で変わる。明らかに分かっているのは機長が操縦室を離れ、副操縦士がひとり残されたということだ。そしてロバン検察官によると、副操縦士は機長の再入室を妨害し、機体を急降下させたことになっている。

機長は何度もドアを叩いたがドアは開かれなかった。ルビッツ氏から言葉は発せられず、ボイスレコーダーにはドアを叩く音と叫び声を背にしたルビッツ氏の呼吸の音が残された

まず,最も重要な前提として,客観的な事実から現時点で唯一明らかな事実は,ボイスレコーダーには副操縦士の声は一切録音されておらず,呼吸音のみが残されているという点である。

もっとも,報道されている憶測に基づき,この一事をもって,副操縦士が確定的な故意をもって,航空機を墜落させ自殺を図ったと安直に結論付けるには無理がある。

私が特に違和感を感じるのは,呼吸音のみが録音されていたという点である。

つまり,乗客を犠牲にして,自殺を図る人間が呼吸のみを発して航空機を墜落させることができるのかという疑問である。

如何に突発的な故意で当該行為を行ったとしても,何らかの声,例えば,独り言などが録音されているのが自然ではなかろうか。

とりわけ,機長がコックピットの外で叫びドアを破壊しようとしていたという状況の中,故意に航空機を墜落させようとしているのであれば,そのようなパニック状況の中で,自分を奮起させるために何らかの独り言を発して,当該犯行を決行するといった状況の方が自然な状況と思われる。

しかしながら,副操縦士から聞こえたのは呼吸音のみというのである。

ブラックボックスのボイスレコーダーの性能については私は詳しくはわからないが,呼吸音が記録されるような精度の高いものであれば,当然,わずかな独り言であっても,それを副操縦士が発していれば,記録されていてしかるべきであろう。

そのような記録がないのであれば,副操縦士は自らの行為が多数の関係ない命を巻き込む殺人行為であることを多少なりとも意識しつつ,当該犯行に及ぶのであるから,全く何ら声を発することなく実行行為を敢行したとするのは,あまりに不自然ではないかと思うのである。

ロバン検察官が下した結論を裏付けるには、この証拠では不十分だ。操縦室のドアの開閉を説明したエアバスの動画を基に、ボイスレコーダーの音声データを考えると別の解釈も成り立つ。

通常なら外の者が中にいる操縦士にインターフォンで連絡し、キーパッドを操作、そして中の者がその電子音を確認してドアを開ける手続きになっている。手続き通りにいかない場合、外の人が暗証コードを打ちこめばドアは30秒間開錠される。

暗証コードは入力されたのか

機長が操縦室を離れている間にルビッツ氏が意識を失い、機長や乗務員が正しい暗証コードを入力できなかった可能性は考えられないだろうか。

あるいは機長があらかじめ決められた手続きに従わず、ドアを叩いたとしたら。エアバスの動画によるとこの場合、中にいる人はドアをロックするためのボタンを押さなくてはならない。ルビッツ氏がハイジャックだと思い込んでパニックに陥り、同機を着陸させようとしたという可能性はないだろうか。

同氏のコラムは副操縦士がテロリストと考えパニックに陥って着陸させようとしたという可能性を指摘するが,この点については,私は賛同できない。

仮にハイジャックと思いパニックに陥ったのであれば,やはり何らかの声が記録されていてしかるべきではなかろうか。

つまり,呼吸音のみが記録されていたという現時点で唯一の客観的事実にもっと目を向ける必要があるのであって,なぜ呼吸音のみが記録に残っていたのかということをもっと検討されなければならないのではなかろうか。

呼吸音のみ録音されていたから意識があって,故意をもって,墜落させたなんて言う結論にはおよそなりえないのである。

様々な情報を慎重に検討せず,通院歴等々のセンセーショナルな事情を過大に評価し,客観的事実を軽視することは誤った判断に陥るのではないかという強い懸念を感じるのである。

同氏のコラムは次のとおり続ける。

もちろんこういう仮説はどれも本当らしく聞こえないが、ルビッツ氏が抑うつ状態にあった、あるいはガールフレンドとうまくいかずに悩んでいたからといって赤の他人150人を意図的に殺したとの説も同様に本当らしく聞こえない。

ロバン検察官の記者会見では、あるリポーターが副操縦士の宗教について尋ねる場面さえあった。これに対してロバン検察官は「テロリストには指定されていない。質問の意味がそういうことだったらだが」と即座に回答している。

フライト・データ・レコーダーの回収を急げ

現実にはフライト・データ・レコーダー(FDR)のテクニカルなデータを解析するまでは、信頼性の高いセオリーを打ち出すことはできない。FDRを回収し解析すれば、どのように高度が変化したかが分かるだろう。航空機墜落調査に関する報道で知られ、自らもパイロットであるバニティフェア誌の特派員、ウィリアム・ランゲビーシェ氏は現段階の調査では分からないことが多過ぎるのに、仏検察の結論はやや早計過ぎると批判する。

ドイツの操縦士労組も同様に、機長が操縦室に戻れなかった理由でさえ現時点では明確ではないとして、FDRを早急に回収し分析することが極めて重要だと主張する。労組の立場としては認めたくないという気持ちも当然あるだろう。

1999年に起きたエジプト航空990便がそうだったように、ルビッツ氏が本当に故意に墜落させた可能性もあるだろう。しかしそれがもっと高い確実性を伴って立証されるまでは、乱暴な非難の言葉は正当化されない。

遺族に心労

こうした状況は普通の若者としてルビッツ氏を知っていた家族だけでなく、墜落犠牲者の遺族にも心労をもたらす。怒りと悲しみはうまく調和しないものだ。またルビッツ氏がうつ病を患っていたと報じるタブロイド紙もあるが、こうした報道はうつ病の患者に汚名を着せる。

メルケル首相は調査が完了するまで行動を自粛するよう呼びかけたその翌日に、自ら「すべての犠牲者と遺族への犯罪だ」と発言するべきではなかった。航空機墜落の調査は結論を急ぐようなものではない。これだけ分からないことが多いなか、私が知りたいのは亡くなったアンドレアス・ルビッツ氏のプライベートではない。なぜ9525便がアルプスの上空で高度を失ったかを知ることの方が、はるかに重要だ。

これは翻訳された記事なので多少よく理解できない点もあるが,おおむね同氏が指摘するように,鬱だったとか,恋人とトラブルがあったとか,網膜剥離の診断書があったというあくまでも憶測としか言えない情報を過大に重視して,乗員乗客を巻き込む殺人自殺をしたとする結論づけるのはおよそまともな事実認定とはいえないだろう。

現在出ている情報だけでは,依然として,故意の殺人自殺と断定することはできない

考えられる合理的な疑いとして,副操縦士が気を失うなり,意識が朦朧とした状況に陥って声を発することができず,呼吸音のみが聞こえたという可能性が現時点では全く排除できないのではなかろうか。

警察や検察当局が流すリーク情報は何らかの事件の見立てに従って意図的に都合の良い情報のみが流されることを我々は忘れてはいけない。

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01/26/2015

ツイッターによるコラ画像をめぐる海外の評価(その2)とISISアカウントの凍結

昨日の記事(「イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価」)は,非常に大きな反響があったようで,このブログへの直接のアクセス数が約4万PVもあった。

また,本ブログが転載されるLINE社が提供するBLOGOSにおける昨夜の転載記事も最も読まれ,最も支持されたようである。

今回このような反響が多かったのは,今まさに日本で起こっている現象について,肯定的に報じている海外メディアが存在することについての情報が少ないからであろう。

そこで,今日もこの現象を肯定的に報じる海外メディアの記事を紹介しようと思う。

1.ツイッターによるコラ画像をめぐる海外メディアの肯定的評価

まず,RYOT Newsは,「日本のツイッターにおけるイスラム国人質事件に対する反応は全く素晴らしい(Japan’s Response on Twitter to the ISIS Hostage Crisis Is Absolutely Brilliant)」と題した記事で,この現象を紹介した上で,次のとおり指摘する。

【略】

結局のところ,テロという重大で恐ろしい不正義に立ち向かう上で,正しい方法も,悪い方法もない。しかし,近時のテロリストに対して,嘆いたり,激怒することから,ユーモアをもってテロリストを馬鹿にすることへの転換は,過激派が狙っている効果や望んでいる結果への対抗手段として,実行性があることは否定できない

(At the end of the day, there’s no right or wrong way to cope with a horrific injustice of this magnitude. But it’s hard to deny the recent shift from weeping outrage to humorous belittling does far more to defy the desired outcome these misguided radicals hope to effect.)

さらに Breitbart Newsは,「日本がツイッターにおけるコラ画像のタグ付けコンテストでイスラム国の人質ビデオに対抗(JAPAN MOCKS ISIS HOSTAGE VIDEO WITH PHOTOSHOP HASHTAG CONTEST ON TWITTER)」という記事で次のとおり指摘している。

交渉期限とされる72時間が経過し,日本がテロ組織と協調して,人質解放のために身代金を支払うのか否かははっきりしない。

(The 72-hour deadline has since passed, and it is not clear whether Japan will collaborate with the terrorist organization and pay them for the release of their citizens.)

結局,次の1つの呟き(ツイート)が,「#ISISクソコラグランプリ」というハシュタグの裏に込められたテロリストに対するメッセージを要約している。テロリストは,「地獄に落ちろ」ということである

(In short, one tweeter summarized the message behind the hashtag directed at ISIS, namely telling them to “go to hell”:)

【同紙はPeter Payneさんというツイッター利用者のツイートを引用】 「#ISISクソコラグランプリ」のメッセージは,「お前たちは,我々の同朋を殺すことができるだろう。しかし,日本は,早いインターネットがある平和で幸せな国である。地獄に落ちろ。」

また,RadioFreeEurope/RadioLibertyは,「(日本のツイッター利用者がイスラム国を馬鹿にして嘲笑うことで,人質事件に反抗(Japanese Twitter Users Defy Hostage Crisis By Mocking Islamic State)」と題した記事で,ネットでイスラム国のテロリストをコラ画像で嘲笑われた現象は,今回が初めてではなく,匿名のロシア人インターネット利用者により行われたことがあると紹介している。

テロリストのジハード戦士を名乗る「ジョン」は,「日本の国民(少なくとも日本のソーシャルメディアの利用者)」が彼のテロの脅威に対し,コラ画像コンテストという形で,対抗するとは予期していなかったと考えるのが合理的であろう。

(It is reasonable to assume that “Jihadi John” was not expecting that the “Japanese public” (or at least Japanese social-media users) would react to his threats in quite the way they have -- with a Photoshop contest.)

「#ISISクソコラグランプリ」と題したツイッターのハッシュタグを使い,日本のツイッター画像は急速に広まり,数百もの画像が共有されている。1月20日時点で,ツイッター上では,4万回もこのハッシュタグが使われている

(Using a Twitter hashtag that translates roughly as “ISIS crappy photoshop grand prix,” the Japanese Twitter meme has gone viral, with hundreds of images being shared. On January 20, there were around 40,000 mentions of the hashtag on Twitter.)

【中略】

ユーモアによって,イスラム国武装グループのプロパガンダに対する反撃を行うということは今や最も大きく広まり,最も人気な現象となっているが,日本のコラ画像グランプリが初めてのものではない

(While it is the largest and most popular phenomenon to date of using humor as a counter to the Islamic State group’s propaganda, the Japanese “Photoshop grand prix” is not the first case of its type.)

ロシア人の匿名インターネット利用者のグループがイスラム国のグループ(ロシア語を話す武装集団)に対して,数か月にわたって反撃したことがある。

(A group of anonymous Russian Internet users have been mocking the Islamic State group -- and Russian-speaking militants in Syria and Russia in general -- for months via a parody group known as TV Jihad, which claims to be a “joint project of Kavkaz Center (the media wing of the North Caucasus militant group the Caucasus Emirate) and TV Rain (a liberal Russian TV channel).")

【中略】

このツイートでは,イスラム国の指揮官, Umar al-Shishaniを雪の中の入れた画像を掲載し,ウクライナのドネツク州ドンバスのロシア分離主義者「Arseny Pavlov」のニックネームである「モトローラーか?」というメッセージ載せている。

(This tweet shows an image of IS military commander Umar al-Shishani in the snow and asks, “Motorola?” -- a reference to Arseny Pavlov, a pro-Russian separatist in the Donbas:)

この記事の最後の部分であるが,私は,ロシア情勢に詳しくないので,どういう説明なのかいまいち理解できないが,おそらく,イスラム国の武装リーダーを雪の中に入れて,ロシア分離主義者のモトローラーなる民兵と見た目が似ていることを馬鹿にしているのではないだろうか。

インターネット上で調べたところ,このモトローラーなるロシア分離主義者はドネツク州で死亡したという話もあるので,その関係でも意味があるのかもしれないが,はっきりとはわからない。

2.イスラム国関係者のツイッターアカウントが凍結

ツイッターが欧州の若者をイスラム国に参加させるプロパガンダの手段となっていることはよく知られている。

これに関して,非常に興味深いニュースをイギリスのデイリーメール紙電子版が報じている。

同紙によれば,数百ものイスラム国関係者・支持者のツイッターアカウントと疑われるものが,反テロキャンペーンにより,凍結されたという。

特に,1月20日の一晩(イギリス時間と思われる)で,400ものアカウントが凍結されたというのである。

ISISクソコラグランプリの影響か否かは不明であるが,私も確認したが,ツイッター上の「ISISクソコラグランプリ」の現象に反応していたイスラム国のアカウントは軒並み凍結されている。

また,日本のインターネット上では,「#ISISクソコラグランプリ 小市民が40びょうで出来る社会貢献」と題する記事などもあり,日本のツイッター利用者も,ISISクソコラグランプリに参加しつつ,ツイッターにイスラム国関係者のアカウントを通報する動きをしているのではないだろうか。

実際,私自身も,一部のイスラム国のツイッターアカウントが残忍な写真を掲載していることから,ツイッターで迷惑行為として通報している。

この点,デイリーミラー紙に対し,ツイッターの広報担当者は,「我々は,他者に対する直接又は特定の暴力を禁止した利用規約に違反したという報告を受けたアカウントをすべて精査しています(“We review all ­reported accounts against our rules, which prohibit direct, specific, acts of ­violence against others.”)」と述べており,こうしたイスラム国関係者の疑いがあるアカウントを通報するということは,テロリストのプロパガンダ活動を邪魔する点において有効なのかもしれない

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01/25/2015

キャメロン英国首相の日本人人質事件に関する声明

今朝,イスラム国により拘束されていた湯川さんが殺害されたとするニュースを受け,駐日イギリス大使のティム・ヒッチンズ(Tim Hitchens)氏がデイビット・キャメロン(David Cameron)総理の声明を紹介している。

英文でしか掲載されていないため,仮訳を付して紹介する。

キャメロン首相の声明は次のとおりである。

報道されている湯川遥菜さんの残忍な殺害とイスラム国による更なる脅威は,テロリストの残忍な蛮行を知らしめるものとなってしまいました。

(The reported brutal murder of Haruna Yukawa and the further threats made by ISIL are yet another reminder of the murderous barbarity of these terrorists.)

湯川さんのご家族のご心痛を心よりお察しいたします。
(My thoughts and prayers are with Mr Yukawa’s family.)

英国は,困難な状況にある日本国民と結束して立ち上がり,あらゆる可能な支援を引き続き日本政府に提供いたします。

(Britain stands in solidarity with the Japanese people at this difficult time and we will continue to offer the Japanese government all possible assistance.)

日本がテロに頭を下げて屈することを拒絶したことは正しい判断です。英国は,安倍晋三総理と同政府が示した毅然とした姿勢を強く支持するとともに,我々の市民のために,平和の進展とより安全かつ安定した将来を実現のため,日本及び世界の同盟国とともに引き続き協働していきます。
(Japan is right to refuse to bow to terrorism. Britain strongly supports the firm stance Prime Minister Abe and his government have taken and we will continue to work with Japan and other partners around the world to promote peace and to build a safer, more secure future for our citizens.)

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イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価

イスラム国により拘束された人質の殺害予告事件が行われ,連日メディアで報じられている中,一部のメディアでは取り上げられているが,まだあまり知られていないのが,日本人のツイッター利用者が,イスラム国の関係者と思われるツイッター利用者のアカウントに対して行った「ISISクソコラグランプリ」という『攻撃』である。

今日は,この現象について,海外,特に英字メディア等の評価を紹介する形で取り上げてみたい。

1.ツイッター上で行われている「ISISクソコラグランプリ」の概要

事の発端は,日本人拘束者の殺害予告動画をツイッター上で掲載していたイスラム国(ISIS)の関係者と思われるツイッター利用者のアカウントに対して,日本人のツイッター利用者が「#ISISクソコラグランプリ」と題したタグを付けて,殺害予告動画の一部の画像を加工して,送り付けたというものである。

この「クソコラ」というのは,糞みたいなコラージュ作品の略であり,クソというのは,「酷い」という意味で使われている。

具体的に言うと,日本人のツイッター利用者が,人質2人と「ジョン」というニックネームの黒づくめのテロリストの顔などを入れ替えたり,別の画像(例えば,アニメーションのキャラクターなど)と入れ替えたりするなどして加工し,イスラム国関係者の思われる利用者に送り付け,それが,「#ISISクソコラグランプリ」と題して,ツイッター上でイスラム国と思われるアカウントなどが炎上しているのである。

どのような画像であるかについては,以下のようなサイトに掲載されているし,ツイッター上で「#ISISクソコラグランプリ」というタグで検索をすれば,発見できるであろう。

本ブログでは著作権の侵害に当たるような画像であるため,かかる画像そのものは掲載しないが,次の2つのサイトから具体的な本件の流れは理解できるであろう。

○ ツイッターで #ISISクソコラグランプリ が流行 → イスラム国の人が洒落にならないほどキレてる

http://matome.naver.jp/odai/2142181104980381001

○ 【謎展開】イスラム国メンバーが #ISISクソコラグランプリ に参戦しだしたんだけど・・・

http://blog.esuteru.com/archives/8026850.html

私は,この行為を発見した当初,「酷い。テロリストに馬鹿が挑発攻撃できてしまう時代。とてつもないことがツイッターで行われてしまっている。」と極めて否定的に受け止めていた。

また,日本のメディアで本件を報じているものも,「不謹慎である」,「人質の命にかかわるのですぐに辞めるべきだ」などと全面的に否定的に報じる風潮である。

また,他のツイッター利用者の反応を見ても,「酷い」とか,「日本でテロが起きたらどうする」とか,「フランスでテロが起きた原因を理解していない」などと極めて厳しい評価が多く見られた。

しかしながら,この日本人ツイッター利用者達の『攻撃』を,意外にも海外メディアは全否定せずに報じている例えば,「テロにユーモアで対抗」とか「アメリカ政府すら成し得なかったことを日本のツイッター利用者が実現した」などとむしろ肯定的に報じているのである。

2.肯定的に報じる英字メディア

そこで,いくつかの英字メディア,ジャーナリストの反応を紹介する。

なお,和訳は私が簡易に仮訳を付したものであり,誤訳等があるかもしれないことを前提に読んでいただきたい。

日本のツイッター利用者がイスラム国にコラージュ画像で対抗(Japanese Twitter Users Stand Up to ISIS with...a Photoshop Meme)」と題した英字記事は,各コラージュ画像を紹介した上で,次のとおり指摘する。

いくつかのコラージュ画像をみると,ツイッター利用者が単にテロリストによる身代金要求という状況を軽視し,ふざけているだけなのかは判然としない。

他方で,日本人のツイッター利用者は,コラージュ画像で,イスラム国をからかっているように見える

人質の命を軽んじ,呑気過ぎるのではないかという懸念があるのは明白である。

しかし,日本のツイッター利用者は,恐怖を通じて人々をコントロールしようというテロリストの手法に対し,ユーモアで対抗しているのではかなろうか

(With some of the Photoshops, it's unclear if people are simply making light of the situation. In others, it does appear that they are poking fun at ISIS. The concern, obviously, is that people might seem too light-hearted about the lives of these men. Or perhaps, they're using humor to resist being controlled through fear?)

【中略】

はっきりしていることは,日本のツイッター利用者が日本政府に対し身代金を支払うように圧力をかけろというテロリストの要求に対して,それを拒否しているということである。

(What is clear, however, is that there are some Twitter users refusing to bow down to demands that they pressure the Japanese government to pay up. For now, that is.)

このように,全面否定することなく,客観的な視点から分析し,肯定的な面を指摘しているのである。

また,アメリカのNBC Newsの電子版も「日本のツイッター利用者がインターネット画像でイスラム国を嘲笑う(Japanese Twitter Users Mock ISIS With Internet Meme)」と題し,この現象を紹介した上で,次のとおり指摘する。

日本のツイッター利用者は,日本人人質事件において,全国的なコラージュ風刺画像を用いた戦いで,イスラム国を嘲笑うことで反抗している

(Japanese Twitter users are defying their country's hostage crisis by mocking ISIS with a nationwide Photoshop battle of satirical images.)

【中略】

ソーシャルメディア分析会社のTospy社によると,「ISISクソコラグランプリ」という日本語のフレーズは,この1日,2日で,6万回以上もツイッター上で言及されているという。これらのつぶやきでは,イスラム国の様々な人質映像の一部を切り取り,面白おかしく日本のゲーム文化の画像などとともに,多くが加工されている。

(The phrase, which loosely translates to "ISIS Crappy Photoshop Grand Prix," has been mentioned more than 60,000 times over the past few days, according to social analytics company Topsy. These tweets include screengrabs from various ISIS hostage videos photoshopped in comical ways, and many of the images reference Japanese gaming culture.)

このとおり,アメリカの大手メディアも必ずしも否定的には報じていない。

さらに別の英字メディアは,「日本の馬鹿げたイスラム国のプロパガンダに対する対応は,アメリカ政府でさえ成し遂げられなかったことをやってのけた(Japan's silly response to ISIS propaganda did what the U.S. government couldn't)」と題し,次のとおり指摘する。

今週,日本のインターネット利用者は,団結してイスラム国を嘲笑うためにコラージュ画像を用い,馬鹿馬鹿しく,軽蔑した画像をテロリストに送り付けるという戦いを展開した。

この努力は人質の救出には繋がらないであろうが,将来のテロを防止するという点において,少なくとも役立つものである。

(This week Japanese Internet users rallied together to mock the Islamic State (a.k.a. ISIS or IS) with a Photoshop battle that shows the terrorists in a series of  absurd and contemptuous images. This effort won’t save the hostages, but it could, in at least a small way, help prevent future terrorism.)

【中略】

アメリカ政府は,イスラム国のネット上でのプロパガンダに対し,反論のためのプロパガンダ技術を駆使してきたが,これまでのところ,アメリカ政府の試みは失敗に終わっている。

アメリカ政府の手法は,ジャーナリストに反イスラム国のメッセージを送ったり,粗末に作られたビデオを作成したりするというものであって,時代遅れであり,いずれもパッとしないものであった。

アメリカ国務省の前顧問であるShahed Amanullah氏もガーディアン紙に対し,アメリカの戦略はイスラム国のグループを強くしてしまったに過ぎないと認め,「イスラム国は彼らの支持者に対し,『見てみろ?我々はすべてにおいて力がある。アメリカがそれを証明している。』と言わせてしまっている」と述べている。

(The U.S. government has tried counter-propaganda techniques by engaging with IS online, but has failed thus far. Their methods, which include sending anti-IS quotes to journalists and creating poorly produced videos, are dated and lackluster. In a piece for the Guardian, former State Department advisor Shahed Amanullah says that America’s tactics have only made the group stronger: “They turn right around to their followers and say, ‘See? We’re every bit as powerful as we say we are, the US government is proof.’”)

では,なぜ今回の日本での出来事が貴重なのであろうか。それは,アメリカ政府が失敗してきた試みを効果的にやってのけたからである。

(So, why is Japan’s response so valuable? Because it was effective where America's attempts have failed.)

プロパガンダに対する反論を展開する上で重要なのは,相手の効果を減殺することにある。イスラム国についていえば,武装グループは,自らが正義であり,かつ,獰猛であると見せたいのである。

しかし,イスラム国のプロパガンダを間抜けなアニメのキャラクターと合成することで,日本のインターネットユーザーは,イスラム国自身が馬鹿げた存在であるように見せることに成功したのである。

テロリストグループに参加しようとする人々を,テロリストを世界の指導者が強く警戒しているということを知り,テロリストが自らの正義のために闘っているということが,参加を促すものとなってしまっている。

しかし,日本のツイッター利用者は,テロリストを取るに足らないものとして描写し,弱体化させることで,テロリストが発するメッセージの重さを破壊したのである。

(The point of counter-propaganda is to undercut the other side's efforts. In the case of IS, the militant group wants to look righteous and fierce. By combining IS propaganda with goofy anime characters, Japanese Internet users in turn made IS look silly. Those looking to join the terrorist group know that it is admonished by almost every world leader, which is part of the draw—standing up for what they see is right. But, emasculating these terrorists and depicting them as anything but serious subverts the gravity of their message.)

これは,小さな勝利かもしれない。しかし,テロリストが参加者を増やすことで力を増していることを考慮すれば,日本人がイスラム国に対する完璧な武器を用いて,世界に,そのメッセージを発したことが,新たな参加者を妨げる唯一の方法となるだろう。

(This may sound like a small victory, but considering that a terrorist group is only as powerful as its number of recruits, and it can only draw new fighters through the strength of its messaging, the Japanese may have just provided the world with the perfect weapon against IS.)

このとおり,全面的にこの現象を肯定的に捉えているものもあるのである。

実際、この現象が続く中で,いかなる理由かは不明であるが,いくつかのイスラム国関係者と思われるツイッターのアカウントが凍結されている。

確かに,この現象極めて不謹慎であるようにも思うが,英字メディアの指摘は必ずしも的外れの指摘とは切り捨てられない説得力があることは否定できない。

3.日本の自己責任論の検証

多数の日本人の世論は,イラクでの人質事件の時と同様に,今回の人質事件についても,自己責任論が徹底して浸透していると思われる。

この自己責任論を批判する動きもあるようであるが,なぜ自己責任論が日本では根強く徹底して浸透しているのかについて,以下,少々検討してみたい。

まず,自己責任論は結局のところ日本人の規範意識の高さにある意味起因しているのではないだろうか

つまり,我が国は,規範意識が諸外国に比べて高く,政府などが「危険などで行くべきではない」とか,「危険なので行うべきではない」という明確な忠告があり,その忠告を十分認知できる状況であったにもかかわらず,その忠告を破って,当該行動を行い,それに伴う危険が現実化したとしても,そのような人を助けることの必要性は極めて低いという思考につながっているのであろう。

これはコース外滑走の遭難者への非難という現象についても同じことがいえる。

これは,刑法における故意論にも似ていると思われる。

故意犯を強く批判する本質は,規範に直面して反対動機の形成が可能であったにもかかわらず,あえて当該犯行を行った点にあると説明される。

つまり,「反対動機形成可能であった」というのは,「犯行を踏みとどまることができたにもかかわらず」ということである。

これと似た思考が自己責任論の根底にあるのであろう。

この当否は別途議論されるべきであろうが,自己責任論そのものは,我が国の国民の規範意識の高さを示すものであり,人質に対して冷たいかもしれないが,テロリストには屈しないという姿勢を示すものとしては,否定されるべきものではないと考える。

また,上記の英字メディアの指摘を踏まえ,改めて考えてみると,テロの恐怖に屈し,畏怖した姿勢を示してしまうことがテロリストの目的であるプロパガンダ効果に利することになるのであって,我が国及び国民がいかなることがあっても,不当な犯罪者の要求を受け付けないという姿勢を示すことが,更なる被害を防ぐことになるだろう。なぜならば,日本人を拉致し,殺しても,一切響かないとテロリストに思わせることができるからである。

いずれにしても,テロリストも日本国民の多数が自己責任論を再び強く唱え,さらに,「ISISクソコラグランプリ」などという現象を展開し,テロリストの要求を呑むように働きかける動きがほとんど起きていなかったことは予想していなかったのではなかろうか

※ コラ画像をテロリストと思われるアカウントに送付する行為が刑法の外患に関する罪に当たるとかいうわけのわからない主張があったので,言及しておくが,単に送付する行為は外患に関する罪には当たりえない。当たると言っている人はいかに無知な主張をしているか刑法81条以下の各条文を読んでみることをお勧めする。他方で,コラ画像は著作権を侵害し違法なものもある。

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09/16/2014

オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)判決について

1.ピストリウス氏に対する判決をめぐる報道について

既に,様々なメディアでも色々取り上げられ,特に情報番組では,センセーショナルに伝えているオスカー・ピストリウス選手に対して出された刑事判決だが,私は,この事件が起こった当初から,この事件での殺人罪での有罪は困難であって,報道は慎重になされるべきであるという指摘を3つの記事,

「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題(元記事BLOGOS記事)」,

「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題(2)(元記事BLOGOS記事」,

「想像を超えるオスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の刑事事件(元記事BLOGOS記事

で行ってきた

そして,当初の予測とおり,9月11日,オスカー・ピストリウス被告人に対し,(計画)殺人では無罪判決となり,過失致死罪での有罪判決が出たのである。

この刑事判決に対し,「判決に疑問」などという報道がでているが,私は,メディア等で知りえる範囲ではあるが,事実認定として,不合理な点は認められないと思っている。

むしろ,事件当初から,警察のずさんな初動捜査に対する問題点を全く失念しているのか,計画殺人罪での有罪を期待するようなセンセーションに報じているマスメディアの姿勢にこそ,外国の事件とはいえ重大な懸念を抱かざるを得ない

さらに,私が疑問を感じるのは,法律の知識や法的思考を行う能力を十分に有しているとは言い難く,法律の勉強をしているとは到底思えないような外国人コメンテーターが,あたかも,南アフリカの法制度や同国の治安や社会的背景という特殊事情をすべて知っているかのように語っており,それに対し,何らその他のコメンテーターや司会者が疑問を抱いたりしないで,一定の方向に導びいている情報番組の薄っぺらい放送内容であり,これには辟易とする。

事件当初は,ピストリウス被告人が薬物を使用していたとか真偽不明な報道が無責任に流されていたが,これらの点は,何ら判決では言及されていないようである。果たして,そもそも,裁判で取り上げられるに足る事実だったかも疑問と言わざるを得ず,ますます現場保存という基本すら怠った無能な南アフリカ警察による印象操作の卑劣さを感じずにはいられない。

マスメディア,特に,日本のメディアのこうした報道姿勢からは,まさに,松本サリン事件での反省や小沢一郎に対する無罪事件判決の反省は垣間見れないのである。

日本メディアの報道では,「海外の法曹が殺人罪での無罪判決に疑問を示している」などと報道しているので,私は,この事件について,海外の法曹が本当はどう考えているのか気になったことから,昨夜,アメリカの連邦裁判所で働いているアメリカ人の友人に,本件判決に対する,米国法曹としての意見も聞いてみたところ,大筋私の考えと同じであった。

そこで,今日は,米国法曹の友人の意見にも触れつつ,今回の判決やなぜ事件発生当初の報道から殺人罪での有罪が無理筋だと考えてきたのかについて,私見を紹介しようと思う

もっとも,私も米国人の友人も,南アフリカの法制度を熟知しているわけではないので,あくまでも,米国法や我が国の刑事法令を学んだ者としての意見であって,南アフリカ刑法の専門家などではないことは事前に言及しておきたい。

なお,この事件は,法律学的にいえば,いわば,誤想防衛の事案である。

責任の本質は,そもそも規範に直面して,反対動機形成可能であったにもかかわらず,あえて当該行為に出たことに対する批難である。

つまり,人を殺そうと思っていたのであれば,その行為はいけないことだと分かっているのにあえて殺人という行為を行ったことに対する批難ということである。

したがって,故意犯として,その故意責任を問えるには,行為者が人を殺すことを認識・認容して,そのような行為がいけないことだと思っていなければならないのである。

そうであるとすれば,行為者が違法性阻却事由を基礎づける事実を誤信していた場合(例えば,強盗がおり,襲ってくると誤信していた場合)には,反撃としての当該行為が行けない行為とは認識していないのであるから,規範に直面したとはいえず,故意責任は問えないこととなる。

すなわち,事実の錯誤として,故意責任が阻却され,故意犯は成立せず,過失犯が成立するのである。

本件はまさにこの誤想防衛による責任故意の阻却により,故意犯の不成立が認められた事案ということになるだろう。

2.判決の概要

まず,メディアは「世界中で判決について疑問の声」などと報じるが,判決の詳しい事実認定については,報じている日本のメディアは皆無である。

海外報道もセンセーショナルな記事が大半であり,詳しい事実認定に触れているものは極めて少なかった。

しかし,判決を批評するうえでは,どういう事実関係なのかを判事(判決を下す立場)の視点で考え,その正当性を検討する必要がある。

そこで,不十分であはあるが,私が見つけられた情報の中で,他に比してより詳細に判決内容を記載していたイギリスのテレグラフ紙の記事が報じる判決概要を前提に,本件無罪判決を検証をすることにする。

記事によれば,次の判決の概要が説明されている。

<採用されなかった証拠及び主張>

・ Whatsappと呼ばれるSNS上での被害者及び被告人のやり取り,特に,被害者が被告人のことを怖いという内容のメッセージ及びその他,メッセージ上の恋愛感情に関するやりとりは,事実認定の採用できない。なぜならば,恋人関係というのは,ダイナミックであり,かつ,予想不可能なものである。

・ 被害者の胃の中に何も残っていなかったという事実は,何も適示していない。たとえ,被害者が夜中に何かスナックを食べていたのとしても,それは何も示さない。

・ 隣人,Michelle Burgerと彼女の夫,Charl Johnsonの「女性の異常な叫び声を聞いた」とする証言は信用できない。実際,この証言を含めた多くの証言がメディアの報道や他人の発言内容から影響を受けており,誤りが混入している

・ 証人,Burger氏の「銃声が聞こえ女性の叫び声がした」という証言は信用できない。銃は極めて短い間隔で撃たれており,被害者が叫ぶことのできる時間はなかった

・ 隣人,Stipps夫妻の銃声及び叫び声についての証言は誤っている。この2人の証人は,2回の銃声しか聞いていない

・ 検察官,Gerrie Nelは,銃は午前3時16分に撃たれ,2回の銃声を隣人が聞いたと主張する。しかしながら,この主張は,検察官が主要な点として主張している「銃声の前に被害者は叫んだことから,被告人が誰を撃ったか知っていたはず」とする主張と矛盾する。

・ 弁護人が主張する警察による証拠の改ざんという主張については,本件事件の結論を左右しない。事件全体を勘案すると,改ざんの事実は,本件事件において重大さに欠ける

・ 被告人は,何も考えずに撃ってしまったと主張する。もし人を殺そうと思っていたならば,もっと上を狙っていたとする正当防衛の主張と両立しない

・ 被告人の当初撃つ意思はなかったとする主張も,安全装置を外していることから採用できない

<採用された証拠及び主張>

・ 弁護人から提出のあった電話記録は,本件事件の時系列を示しており,採用する。

・ 弁護人が主張する叫び声は,被告人の声だったという主張は採用する。この点,被告人の元ガールフレンドであるSamantha Taylor氏が「被告人は決して高い声で叫ばない」とする証言は,何も立証しない。なぜならば,証人は,被告人が生命の危機を感じて叫んだ局面での叫び声を聴いたことはないのであり,そのことは証人自身が認めている

・ 弁護人,Barry Rouxが適示したとおり,現場近くの警備員,Pieter Baba氏は,事件の前のパトロールにおいて,叫び声や争うような物音を聞いていない。このことは,現場から離れた所に住んでいるEstelle van der Merwe氏が「口論を聞いた」とする証言と矛盾しており,現場近くにいた警備員の証言の方がより信用できる

以上が,判決の基礎になった事実認定の一部である。

これらは上記のテレグラフ紙の記載を参考に,より分かりやすくするため,記事の厳密な和訳ではない。

他の記事等を参考に,テレグラフ紙の記事の英文において,不明瞭な部分を補足をしていることは言及しておく。なお,重要と思われる部分を赤字にしている。

3.判決に対する検討

判決そのものが入手できないことから,あくまで報道ベースにはなってしまうが,本件判決の事実認定について,いくつか取り上げ,その認定内容が論理則・経験則に違反し,不自然か否かを検討することとしたい。

Whatsappと呼ばれるSNS上での被害者及び被告人のやり取り,特に,被害者が被告人のことを怖いという内容のメッセージ及びその他,メッセージ上の恋愛感情に関するやりとりは,事実認定の採用できない。なぜならば,恋人関係というのは,ダイナミックであり,かつ,予想不可能なものである。

この情報は,既に日本のメディアでも色々と取り上げられているだろうが,具体的にいつのどういうメッセージだったのかはあまり説明されていない。

これは,2013年1月27日に,被害者の被告人に宛てたSNS上のメッセージである。

具体的には,「I'm scared of you sometimes and how you snap at me and of how you will react to me.」という一文で,レストランで被害者が別の男性の親しげにしているところを,被告人が叱責し,それに対し,被害者が,「時々,あなたが叱責したりする私に対する反応に怖さを感じる」という内容である。

本件事件が2013年2月14日に発生しているところ,かかるメッセージは,2~3週間前に被害者が被告人に宛てて送付したものであるが,トコジール・マシパ判事が指摘するように,これだけで殺意や犯行の計画性を基礎づける証拠にはなりえない

確かに,この一文のみを取り除いて見れば,被害者が被告人の言動に恐怖を感じていたというように思えるかもしれないが,そもそも,このメッセージが発せられた経緯は,被告人の被害者に対する恋愛感情,嫉妬心に基づく叱責に対する返答というものである。

そうすると,2~3週間前に,被告人が嫉妬心でカッとなったことが推認できるという事実は立証できるが,SNS上のやり取り全体を見れば,直後に,被告人が謝罪するメッセージを送信しているのであって,このやり取りが二人の恋人関係に何か大きな遺恨を残したとする事実は認められない。また,その後も二人の関係に大きな変化があったことを示すような事実が顕れていない。

以上からすれば,SNS上のメッセージのごく一部のみを取り出し,この一事のみをもって,殺意の動機と認定することは極めて困難である。

したがって,マシパ裁判官がかかるメッセージのやり取りが動機の認定の証拠にはなりえないとする判断は合理的かつ妥当である。

隣人,Michelle Burgerと彼女の夫,Charl Johnsonの「女性の異常な叫び声を聞いた」とする証言は信用できない。実際,この証言を含めた多くの証言がメディアの報道や他人の発言内容から影響を受けており,誤りが混入している。

隣人といっても,日本とは違い,数百メートルと離れている所に住んでいる人物の証言であることから,そもそも,そのような犯行現場からある程度距離のある場所にいた証人の証言内容の信ぴょう性は当然問題となりえるところ,裁判所があえてメディアの影響による記憶の減退・すり替わりを指摘していることは非常に重要なポイントである。

記憶というのは時間と共に不正確になることは一般的に明らかであるが,本件事件は,発生当時から,メディア報道が過熱し,警察等の捜査情報がリークされたり,様々な人々が自分たちの思惑の下に,メディアで注目を浴びようと様々な証言をしていたという特殊性がある。

このように加熱する報道がなされた本件において,証人の証言が不正確になり,かつ,記憶そのものがすり替わってしまう危険性は,当然あり得るのであって,裁判所としては,安易に不正確だったり,メディアにより刷り込まれてしまった証言を採用してしまうことは,大きな判断ミスにつながることから,極めて慎重にならざるを得ない

マシパ裁判官の指摘は,結論ありきの判断をするのではなく,客観的な事情から,殺意(故意)という主観的要件を認定しようとしているのであって,これは裁判の基本である。

マシパ裁判官が,安易に不正確な証言を採用しないという姿勢を示したのは,当然のことであろう。

証人,Burger氏の「銃声が聞こえ女性の叫び声がした」という証言は信用できない。銃は極めて短い間隔で撃たれており,被害者が叫ぶことのできる時間はなかった。

隣人,Stipps夫妻の銃声及び叫び声についての証言は誤っている。この2人の証人は,2回の銃声しか聞いていない。

裁判所としては,被告人が連続して4発一気に発砲したと考えているようである。

そもそも,4発撃っているのに,銃声が2回しか聞こえなかったとする証言は,客観的な事実と矛盾しているのであるから,そのような証人が女性の叫び声を聞いたなどと主張しても,その信用性は低いと言わざるを得ない

さらに,別に記事によれば,弁護人請求の証人は,男性の叫び声を聞いたという証言をしていたこともわかる。

また,裁判所は他の証拠から,4発短い間隔で撃たれていると認定しているようであるから,それと合わない証言を採用しないとなるのは当然であろう。

おそらく,裁判所としては,被告人が4発連続して発砲し,その直後に被害者を撃ってしまったことを知り,悲鳴を上げた,又は,被告人が4発撃つ最中又はその直前に強盗と思った人物に向け,声を挙げて撃ったと認定したのであろう。

前者の場合は,犯行直後の被告人の言動として,パニックに陥り,現場に到着した救急隊員等に被害者の命乞い等をする姿勢は,まさに殺人を意図していなかった(殺意がなかった)とする主張と整合的であって,そのような思考過程を辿ることは,合理的である。

後者の認定の場合でも,誤想した真夜中の侵入者に対する恐怖心から悲鳴に近い声を挙げながら,発砲をするということは不自然とは言えない

したがって,この部分にも,特段不自然な事実認定は認められない。

検察官,Gerrie Nelは,銃は午前3時16分に撃たれ,2つの銃声を隣人が聞いたと主張する。しかしながら,この主張は,検察官が主要な点として主張している「銃声の前に被害者は叫んだことから,被告人が誰を撃ったか知っていたはず」とする主張と矛盾する。

南アフリカの検察は,被害者が銃で撃たれる前に叫び声をあげ,被告人はそれを聞いて,被害者の存在を認識したうえで撃ったという主張をしているようであるが,それが検察側証人の上記Burger氏やStipps夫妻の証言内容とされるものとも矛盾していることは明らかである。

したがって,かかる検察官の主張を採用できないとした裁判所の判断は,不自然とはいえない

弁護人が主張する警察による証拠の改ざんという主張については,本件事件の結論を左右しない。事件全体を勘案すると,改ざんの事実は,本件事件において重大さに欠ける。

いわゆる,違法収集証拠排除の問題に関連する。

海外のメディアが伝える判決報道からすると,裁判官は,初動捜査を行った警察官が現場保存を怠ったこと前提として,それでも,事件の結論は左右しないという考えをしているようである。

つまり,警察が現場保存を怠り,証拠保全をせずに,現場に残されていたものを弄ってしまったことを前提にしているようである。

違法収集証拠という主張を弁護人は行っているようであるが,裁判所は,その主張を採用はしていないものの,警察による証拠保全に問題があったことを前提にしているのであるから,裁判官としては,判断に影響しないと言いつつも,現場に関する警察の取得した証拠の信用性が低いという前提で,判断せざるを得ないのであり,その限りにおいて,事実認定では,被告人に有利に作用しているであろう。

警察の証拠保全に疑義があるというのは,極めて重大な問題なのである。

弁護人が主張する叫び声は,被告人の声だったという主張は採用する。この点,被告人の元ガールフレンドであるSamantha Taylor氏が「被告人は決して高い声で叫ばない」とする証言は,何も立証しない。なぜならば,証人は,被告人が生命の危機を感じて叫んだ局面での叫び声を聴いたことはないのであり,そのことは証人自身が認めている。

メディアでは,元交際相手が被告人は攻撃的な性格であったなどと証言していることを重ねて取り上げ,彼女の証言内容があたかも真実であるかのように報じているが,少なくとも,マシパ裁判官は,この元ガールフレンドの証言については,信用できないとみているようである。

つまり,Taylor氏は,「被告人が高い声で叫び声をあげることはない」などと主張したようであるが,これを裁判官は,平たく言えば,「そんなこと,あなたが確知し得ないのに,なぜ分かるのか」というスタンスで,一蹴している。 

この部分から私が感じるのは,裁判所が,当該証人の証言を全体的に信用できないと考えていること,及び,目立ちたいからなのかわからないが,当該証人が,自分には知りえない事実であるにもかかわらず,積極的に,被告人が不利になるように証言していると裁判官に映ったのではないかということである。

この証言について,裁判所が判決であえて言及していること,及び,裁判所が判決で,メディアの証人への影響を指摘していることを考え合わせると,この証言が検察の主張の重要な基礎であった一方,裁判所としては,信用性に欠けるということをあえて判決の中で指摘したかったのではなかろうか

弁護人,Barry Rouxが適示したとおり,現場近くの警備員,Pieter Baba氏は,事件の前のパトロールにおいて,叫び声や争うような物音を聞いていない。このことは,現場から離れた所に住んでいるEstelle van der Merwe氏が「口論を聞いた」とする証言と矛盾しており,現場近くにいた警備員の証言の方がより信用できる。

この認定部分も自然である。

証言というのは,知覚→記憶→叙述という過程を経ることから,意図的か否かは別として,これらそれぞれの過程で虚偽が入り込む余地がある

そうすると,相反する証言がある場合にどちらに信用性を置くかということは,かかる証人がその証言をするに至ったこれらの過程を検証することで判断することになる。

つまり,相反供述がある場合,まず,どういう状況で各証人が事象を知覚したのかという点が検証されなければならない

この点,マシパ裁判官が知覚した証人の状況として,犯行現場からの距離を重点に置いて,判断していることは,通常の判断過程として相であろう。

以上,検討してきたとおり,判決が南アフリカの社会事情を前提に検討すれば,特に不自然なものであるとは私には思えない

また,日本よりは治安の悪いアメリカで,連邦裁判所に勤務する私の友人の法曹も,今回の判決は,まともな判決であって,むしろ,腐敗した南アフリカ社会を念頭にすれば,まともな判決を南アフリカの裁判所が出すことができたことに驚くと言っているくらいであった

4.殺意の認定

以前から繰り返しになるが,一般的に、殺意の有無は、①凶器の種類、形状、用法、創傷の部位、程度といった犯行の態様、②犯行の背景、経過、動機、③犯行中または犯行後の被告人の言動(例えば、犯行中に殺してやるという発言があったか否かとか、犯行後に平然としていたかどうかなど)等の状況証拠を総合的に考慮して認定する。

まず,①犯行の態様について検討すると,凶器の種類,形状を考えるうえで,南アフリカの治安は極めて劣悪であり、拳銃等を護身用として持ち歩き、「やられる前にやる」ということが許容されているような社会であるという特殊事情を考慮しておかなければならない。

また,裁判官は,4発を連続して撃ったと認定しているわけであるから,この場合,「相手が知らない強盗で、夜中ないし明け方に侵入してきたため、無我夢中で撃ち続けた」というような被告人の主張を認めることは,これ自体不自然とは言えないだろう。

そして,事件発生当初から私が指摘しているように,②犯行の背景,経過,動機という要素について,本件は立証に失敗したのである。

つまり,検察官は,なぜ金メダルを獲得し、世界的な名声を既に手に入れ、これからも選手として将来のある人物であり、かつ、同じような境遇の子供たちに対し、義足を与えるための財団設立にも尽力していたと思われる人物が、バレンタインデーの前日にバレンタインデーで何かすることを楽しみにするツイートをしていた恋人である被害者を殺害するに至らなければならなかったのかということが何ら本件では立証できなかったことが責任故意が阻却され,過失犯となった最大の理由であろう。

これに対しては,「一時的にカッとなって殺したということも考えられるのではないか」という反論もあろうだろうが,一時的にカッとなって殺したのであれば,少なくとも,なぜ被害者に対して4発もの銃声を浴びせる程にカッとなったかということが立証されなければならない

しかしながら,検察官はこの点について,立証ができておらず,裁判官の判決でも,殺意について,合理的な疑いを差し挟む余地がない程度の立証ができていないとの指摘は,この点につき,特に当てはまるだろう

最後に,③犯行中または犯行後の被告人の言動であるが,被告人は終始誤って恋人を打ち殺してしまった人物の取る行動としては極自然な言動をしており,その主張と言動との間に矛盾点は認められない

犯行後パニックに陥り,犯行直後の友人との会話状況や救急隊員等に被害者の命乞いをしたなどの行為をはじめとする犯行中及び犯行直後の被告人の言動は,被告人が殺意をもって行為に及んだこととは,一致しないのである。

これについては,計画的に演じていたということも考えられなくはないが,そうすると,被告人が以前から殺意を抱くことの合理的な動機等が立証されなければ,整合がつかない

他方,カッとなって撃ち殺した場合,その直後に,パニックに陥ったりすることを演じたとすれば,不自然な点が出るが,本件では,被告人が殺意なく,被害者を死に至らせたという事実と背反するような被告人の言動が一つも立証されているとは聞かないことから,やはり,殺意の認定はできない事案であり,裁判所がそのような判断に至ったのは,極自然というべきである

この点,アメリカ人の友人も,本件の決め手はまさに殺意を認定するに足る要素のうち,上記②及び③の部分が検察官の立証において欠けていたこと(不十分だったこと)が判決の決め手になったと言っており,私も同感である。

もっとも,被告人に過失があったのは明らかであろう。

被告人は強盗だと思い,寝ている被害者に,「警察に連絡してそこにいるんだ」と言ったが,被害者からの返答はなかったと供述しているところ,そのような状況で,被害者の所在を確認せず,一気に4発撃ったことは,被告人が果たすべき注意義務を著しく怠っていることは明白である。

しかし,過失と故意は別物である。注意義務違反が深刻であっても,それはあくまで過失犯なのであって,故意犯とは区別されなければならない

現在の注目は量刑であるが,我が国の刑法では,過失致死は罰金刑であり,重過失であっても,5年以下の懲役である。

南アフリカでは,過失致死罪が最大15年とされているらしいが,量刑相場というのは,その社会の社会通念に強く依存しており,南アフリカの刑事司法事情を知らない私には何とも想像しがたいものである。

もっとも,裁判所も,過失と認定した以上,被告人が失ったもの,つまり,被告人が既に受けた社会的制裁を十分考慮することになるだろう。

また,過失を前提に,自らの過失によって恋人の命を奪ってしまったこと及び過失行為に対する被告人の改心の情というものも,ある程度勘案せざるを得ない

そうすると,南アフリカの法制度で,執行猶予等の制度があるのであれば,それを付すこともありえるのではないだろうか

5.判決に加熱する醜悪な各国メディア

さて,長くなったが,私は,この事件を扱う日本をはじめとした各国のメディアの姿勢に強い疑問と,デマゴーゴスともいうべき,扇動的なものや有名人の凋落を楽しむような醜悪な姿勢を感じてならないことを最後に指摘したい。

その一例は,ピストリウス被告人が収監された場合の刑務所について,色々な憶測で,どの刑務所にはいるとか,そこでは囚人間で,暴行やレイプが横行しているとかいう報道が先行している点である。

量刑が示されていない段階で,このような情報を報道している姿勢を見ると,いかにも,イケメンで美人の恋人がいた被告人の成功から転落を喜び,さらには被告人が,刑務所で,強姦されるような目に合うことを期待しているかのような報道で,極めて気持ちが悪い

さらには,判決を批判する声もあるようだが,これらの批判のほとんど全てが判決のどの部分がおかしいのかは全く適示していない論難に過ぎないものであって,殺人罪での有罪とならなかった結論だけを単に批判し,具体的な判決の事実認定に対する反論はほとんど示されていない

結論ありきで,判決の具体的な中身を検討せずに,法廷に現れた事実と関係者が法廷外で好き勝手発言している事実とを混同し,「判決に違和感」などと薄っぺらいコメントを述べているコメンテーターなどを見ると,法的素養の欠片も感じないし,そういう恥ずかしい見解を日本中に振りまいているマスメディアは,百害あって一利ない

遠い外国の事件ではあるが,こうしたセンセーショナルな事件に接した時は,結論ではなく,結論に至る論理を検証しようという姿勢が私は重要であると考える。

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06/25/2014

ヤジ問題拡大の最大の責任は誰か - 裁判長の法廷秩序維持権等からの考察

連日取り上げられている東京都議会におけるヤジ問題であるが,与党自民党は,鈴木章浩都議の謝罪で幕引きをしようとし,自民党の国会議員もこの都議に対する批判と”自民党の謝罪”という陳腐な行為で終わらせようとしているようである。

しかしながら,「謝って済むのであれば,警察は要らない」といわれるように,政治家の謝罪ほど陳腐なものはないし,過去に我々,日本国民は何度,同じような政治家の不適切発言を目の当たりにし,単なる陳腐かつ形式的な謝罪で騙されれば気が済むのであろうか。

最近は,どこの企業も不祥事があった場合には,謝罪と共に具体的な再発防止策を発表することが定着している。

東京都議会の全議員が今回の問題を真摯に受け止め,再発防止策を示すくらいのことは最低限してもらいたいものである。

そして,我々,有権者である日本国民は,我々が選んでしまった薄っぺらい政治家の不適切な行為に対して,しっかりと,「落選」という報復的な懲罰を与えるべきであろう。

もっとも,今回のセクハラヤジ問題がここまで拡大した最大の責任は誰にあるだろうか

この点について,十分な検討が必要であると考えることから,ヤジ問題拡大の最大の原因がどこにあり,誰がその責めを負うべきであるのかについて検討してみようと思う。

結論からいえば,当該極めて下劣かつ低俗なヤジを発した人間が一番責めに問われるべき立場にあることは格別,私は,この極めて下劣であり,低俗なヤジ問題が世界中に発信され,日本の品位を著しく傷つけた原因は,当該ヤジを許容してしまった議長にあると考える

東京都のHPによれば,そもそも,議長の職務とは,議場の秩序を保持し、議事を整理し、議会の事務を統理するなど議会活動を主宰するとともに、外部に対して都議会の意志を表明することにあると説明されている。

つまり,議場の秩序保持と議事の整理が議長の職務なのであるから,議場において,本件のような極めて下劣かつ低俗な発言がなされれば,議長の職務内容として,議場の秩序を保持しなければならなかったのである。

別の言葉で言えば,議場の秩序を破壊するような下劣かつ低俗な発言に対して,議長の権限及び義務として,その場において発言者を特定し,注意し,制止しなければならなかったといえる。

その根拠は,東京都議会会議規則からも明らかである。

(議事進行の発言) 第五十一条 議事進行の発言が、その趣旨に反すると認めるときは、議長は直ちにこれを制止しなければならない。

(議事妨害禁止) 第百八条 何人も会議中は、みだりに発言し、騒ぎその他議事の妨害となる言動をしてはならない

(議長の秩序保持権) 第百十一条 法又はこの規則に定めるもののほか、紀律に関する問題は議長が決める。ただし、議長が必要があると認めるときは、討論を用いないで会議に諮つて決めることができる。

かかる規程にもあるとおり,そもそも,ヤジは,その性質上,登壇して発言している議員の質問等を邪魔する行為であって,その程度及び内容によっては,議事妨害に当たることは明らかである。

また,本件のような極めて下劣かつ低俗なヤジは,議場の秩序を害していることは明らかであって,紀律を著しく害する問題であることから,議長の秩序保持権を発動して,発言者を特定し,注意し,発言の制止をする必要があったはずであろう。

しかしながら,現在の議長である三鷹市選出の吉野利明議員は一切このような議長の職務を怠ったのであって,この一事からして,その職務遂行能力には著しい疑問があると断じざるを得ない

これを司法における裁判長の法廷秩序維持権との対比でみれば,尚更,職務を執行する能力も意思もないお飾りでしかない地方議会及び国会における議長の存在がいかに無駄な存在であるかより見えてくると思う。

裁判所法71条は1項で「法廷における秩序の維持は、裁判長又は開廷をした一人の裁判官がこれを行う」とし,2項で,「裁判長又は開廷をした一人の裁判官は、法廷における裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対し、退廷を命じ、その他法廷における秩序を維持するのに必要な事項を命じ、又は処置を執ることができる」と規定する。

実際,裁判長の性格にもよるが,訴訟当事者であれ,傍聴人であれ,期日中に,不規則発言や秩序を乱す行為をする者に対して,裁判長等は毅然たる処置をとる場合が多い

例えば,傍聴席で居眠りをする者,傍聴席で足を前の座席に乗せるなど見苦しい態度に出ている者,傍聴席で不規則発言をする者に対しては,即座に裁判長は注意するし,当該注意に従わない場合は,躊躇することなく退廷を命じる

これは訴訟当事者の場合も同じである。

裁判長の矜持として,法廷秩序を害する人物に対しては毅然とした態度でそれを排除し,適切な訴訟指揮を行うことこそが自らの職務であって,義務であるという自覚があると考える。

また,論難により訴訟の遅滞を招くような当事者に対しても,瞬時に裁定を下し,必要な根拠を示して反駁する訴訟指揮権の発動が期待されているのであり,それを行うことがその職務そのものといえる。

一方,立法機能の地方議会や国会の議長の言動及び議事進行の態度を見た時,私は,大多数の議長が自らの権能に対して,極めて薄弱な意識でその職務遂行をしているとしか思えないのである。

欧米の議会における議長権限は絶大である。

ヤジの多いイギリス議会においても,議長の権限は絶大であり,議長が積極的に介入し,秩序を維持する。

例えば,John Bercow(ジョン・バーコウ)議長の次の動画は議長が議場の秩序を担っていることに対する矜持が表れている。

バーコウ議長は,子どものように,「ブー」「ブー」とブーイングを続ける議員に対して,繰り返し,「静粛に(Order!)」,「静かにしなさい(Order!)」と述べた後,その後もブーイングを続ける議場に対し,「大人として振る舞いなさい。そうできないのであれば,直ちに議場から退出しなさい。」と述べている。

そして,さらに騒がしい議場において,指名された発言者が発言できない状況に介入し,「これは公の場において,許容し得ない態度です。(笑っている議員に対し)いいえ。まったく可笑しい話ではありません。可笑しいと思っているのはあなただけです。ローングトン議員。みっともない。(This is intolerable behaviour as far as the public. No, it is not funny. Only in your mind, Mr Loughton, is it funny. It is not funny at all; it is disgraceful.)」と積極的に秩序維持権を行使していることがわかる。

この議事進行については,イギリスでも賞賛する声が多い。

このような議事をする議長は彼だけではない。2010年6月8日から2013年9月10日の間下院副議長をしていたナイジェル・エバンス(Nigel Evans)議員も次の動画のように,「静粛に(Order!)」,「静かにしなさい(Order!)」などと注意をした後,それでも止めない議員に対して,「これは大切な討論です。議場で叫ぶような発言は不要です。」などと窘め,それでもヤジを続ける議員に指を指して,「静かにしなさい。理解しましたか。分かったのかと聞いているんです。黙りなさい。」などと極めて強い口調で秩序維持権を発動し,適切な議事をしようとしている

さらに,エバンス副議長の後任である女性副議長のエレノア・レイン議員の「静粛に!(Order!)」という姿も迫力があり,秩序維持権を行使できるか否かがまさに議長たる者の気迫にかかっているかがよくわかる

イギリス議会も極めてヤジが多いが,我が国のそれとの大きな違いは,議長の秩序維持権の行使方法に尽きるのではなかろうか。

つまり,議長が適切に秩序維持権を発動することこそが,下劣かつ低俗なヤジを防ぎ,適切な議論の場を生むのであって,それができない議長は,一見して明らかに職務怠慢というほかない

以上の考察から,今回のヤジ問題拡大の最大の責任者は,私は議長であったと考えるのである。

私は,冒頭,都議会は再発防止策を考えろといったがおそらくまともな案は出てこないだろう。

私は,積極的に議長としての職責を果たせる人物が議長としての矜持を持ち,積極的な秩序維持権を発動することこそが,レベルの低い議員達を適正な民主主義の展開へと導ける唯一の方法ではなかろうか

ぜひ,地方議会の議長や国会の議長は,裁判所でも傍聴して,裁判長の訴訟指揮権や法廷秩序維持権から,議会における秩序維持権のあり方を学んでもらいたい

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06/02/2014

「ありのままで」は働けない労働法改正の動き

以前,「侵害排除ではなく機会を逃さずに侵害を活用する柔軟な発信力が重要 」という記事で紹介した映画「アナと雪の女王」は,日本でも爆発的なヒットとなっており,ついにはNHKが興行収入200億円突破のニュースを報じている。

Youtube上では,前回の記事でも紹介したとおり,様々なカバー動画などがいまだに次々登場しており,世界的なEpicと称すべきヒットはそれだけで元気を与えてくれるニュースである。

この映画が日本だけでなく,世界的なヒットとなった背景については色々なメディアが取り上げているところであるが,私は,多くの人間が何かしらのコンプレックスを抱えている中で,特に,劇中の「Let it go」(日本語翻訳版では,「ありのままで」)という歌の歌詞が人々に共感を与え,耳に残るキャッチーなメロディーが人々の心に入り込んだのであろうと考えている。

ところで,政府は,今,労働法改正を進めようとしており,その中で,時間に拘束されない働き方を可能にするとして,いわゆる,ホワイトカラーエグゼンプションの導入をまさに進めようとしている。

しかしながら,私は,国民はこの改正には断固として反対すべきであるし,このような改正を認めた労働契約法や労働基準法は,稀代の悪法になると危惧してやまない。

そこで,今日は,労働者が「ありのままで」働こうとすることを妨げるこの法改正について,取り上げてみたい

既に,弁護士ドットコムなどの記事においても,多くの弁護士がこの法改正の問題点を指摘しているとおり,この法改正は,雇用契約における労務の提供という労働者の義務の核心的な部分である労働者に対する時間的拘束という要素に対する安倍政権の無理解と経団連等の経営層の無責任な労務管理を追認する点において,私は問題があると考える。

端的にいえば,雇用契約の本質は,労働者を指揮命令下に置く拘束という点にあるところ,その本質を安倍政権及び当該法改正を推し進めようとしている人々はまったく理解していないのである。

そして,たちが悪いのは,この法改正の推進論者は,詭弁を用いて,「労働時間に拘束されない成果主義による労働者の自由なワークスタイルが実現できる」など聞こえはいいが,我が国の労働実態を全く理解していない主張をしていることである。

この法改正は,ブラック企業の追認のための法改正と言っても過言ではない単に,労働時間規制により,使用者が支払わなければならない時間外の割増賃金を圧縮するための法改正以外の何物でもないのである。

法改正推進論者は,専門的労働者は単純な労働者とは違うから,労働時間にとらわれない自由な労働ができるのであって,その方が労働者に利するなどと反論するだろう。

しかしながら,専門的な労働者であっても,労働実態として,使用者の指揮監督下に置かれているという実態があるから,雇用契約を締結しているのである。

雇用契約の本質は,労働者が使用者の指揮監督下において労務を提供し,使用者がその対価として賃金を支払う点にあること(労働契約法2条1項及び同条2項)は言うまでもない

指揮命令下に置かれている労働者にとって,自分で自由に労働時間を調整して勤務できるなどというのは,雇用契約の本質上,極めて困難であって,「No right, no wrong, no rules for me, I'm free!」とはいうわけには当然いかない。

政府は,専門的労働者は独立性が高いので,自由に調整できるなどと言っているが,そのような楽観的なステレオタイプ化は,労働者にサービス残業を強い,雇用契約の本質である労務の提供以上の過大な負担を負わせるのであって,到底容認することはできない

本当に専門的労働者が,独立性が高く労働時間を自らの意思で調整でき,使用者の指揮監督下になく自由に働けるというのであれば,それはもはや労働契約としての本質から逸れているのであって,その法的性質は,請負契約というべきであろう。

成果主義を実現したいのであれば,経営層は,雇用契約で労働者を抱えるのではなく,請負契約を締結し,注文者として,請負人に対し,報酬を支払えば良いのである

しかしながら,それができないのは,勤務実態として,労働者が指揮監督下に置かれており,自らの意思で自由に働くことができるという実態ではなく,労働法による規制を受けてしまうからである

つまり,勤務実態として,使用者により拘束されている立場に置かれていること他ならなず,自由な意思により労働時間の調整をできるような環境にはないことを意味している

私は,この法改正の最大の利点は,時間外労働の割増賃金の削減にあると指摘したとおり,安倍政権と財界の真の目的はここにあることは皆さんお分かりだろう。

ダラダラと無駄に残業をしている職場も多々あることは私は当然把握している。

しかしながら,そのような残業を削減してコストを下げる責務は個々の使用者において果たされるべきものである労働者の責任を転嫁するような法改正は断固としてなされるべきではない

無責任な使用者である経営層が自らの責任を放棄し,安易に人件費を削減するためだけに,「専門的労働者」などという詭弁で,なんちゃって,エリートと錯覚をさせ,サービス残業を強いるだけの法改正は,労働者が「ありのままの自分になる」どころか,百害あって一利ないことは明らかである。

本当に専門性があるのであれば,労働契約ではなく,請負契約や委任契約で独立した一事業者として,経済活動を実現すれば良いのではかなろうか。

そして,使用者である経営層が,各部署の労務時間をしっかりと把握し,無駄な残業はさせないなどの責務を果たせば,時間外労働に対する割増賃金の圧縮は容易に実現可能だろう。

しかし,使用者としてきちんとした労務管理すらすることができない無能な経営層が,中流階級が主流という我が国の実態を把握できない無能な安倍政権を後押しし,さらには,「専門性」などという詭弁で,自らがエリートと誤解して,この法改正に賛成している労働者を見ると,私は滑稽で仕方ないし,我が国が長年培ってきた労働法秩序を一瞬にして破壊されることを危惧してやまない

どうも安倍政権は,我が国の治安や労働保護法制という世界に誇れるものを破壊することに何の抵抗もないようである

もっとも,その姿勢は,ブラック企業として激しい批判を受けている創業者だった人物を自民党の公認候補にして,当選させた時から明らかだったのかもしれない

そもそも,我が国の労働環境は,「社畜」などと言われ,我が国に在留する欧米人も日本の労働環境は劣悪であると指摘することが多々ある。

野党が不在であるとはいえ,我々国民は,目先の経済的利益が優先され,後戻りのための黄金の架け橋を次々にぶち壊す安倍政権に対して,立ち上がらないといけない時期に来ているのではなかろうか

過酷なサービス残業や過労死に追い込まれ,労働者がますます「ありのままで」働くことができなくなることに気が付いた時,「I'm one with full of work but no payment」とか,「My perfect health is gone」という現実に直面し,「We cannot be going back. The past is in the past」ともう手遅れになってしまうだろう

この法改正,「Let it go」(諦める)では済まされない

仮に,このような雇用契約の本質を歪める法改正が行われてしまった場合には,最後の砦として,司法たる裁判所は,現在にもまして労働者保護の観点から実態としてを厳格に評価し,実態として労働時間規制の対象に当たらないかを極めて綿密に審理していかなければならないだろう

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