05/04/2012

テレビ局は公共性に対する自覚を持て - 塩谷報道に見るメディアの低俗性

ここ最近のテレビの情報番組では、この話題に相当の時間を費やしているのは皆さんご存じだろう。
私は、この報道により塩谷瞬さんという俳優を初めて知った。

知らない人のために簡単にいうと、塩谷瞬さんという俳優が富永愛さんというモデルと付き合っていた他にも、付き合っていた女性が複数いたとかいう類の下らない報道である。

何が下らないかというと、タブロイド新聞や低俗なゴシップ雑誌なら格別、公共性が全くないこの話を限られた公共の電波を割当たられているテレビ局が、連日、長時間を割いて報道しているからである

私は、芸能ニュースすべてが下らないという立場ではない。芸能ニュースでも公共性のある報道というのはあるだろう。そういう話であれば、ある程度テレビ局が報道する価値はあるだろう。

たとえば、つい最近まで話題となっていた「オセロ中島さんに対する占い師の洗脳報道」とか、一昔前でいえば、「暴力団との関係が指摘されて引退した島田紳助の報道」とかである。

前者は、昨今の霊感商法に通じるような一般人にも危険が及びかねない話であり、霊感とか、占いとか、いわゆる、オカルトに属するものが社会に与える影響ということに鑑みれば、公共性がない話ではない。特に、金銭が絡んでおり、詐欺行為の可能性すらある話であれば、それは犯罪の疑いがある話であって、公共性及び公益性は極めて強いだろう。

後者についても同様である。反社会的勢力である暴力団との関係があるという話であれば、それには公共性が当然生じる。特に、島田紳助自身が「暴力団とは全く関係がない。」と会見で断言した数日後には、たとえ過去のものであっても、暴力団員との写真が週刊誌に出てくるなど、その報道の公共性及び公益性は極めて強いものがあった。

しかし、今回の報道はどうであろうか。

結婚詐欺をして、金銭をだまし取ったという話であれば格別、今報道されているのは、独身の俳優が結婚を前提に複数の知名度のある独身女性と付き合っていたという程度の話である。

複数の人と付き合っていたとして、感情論や道徳論は別として、婚約すらしていないのであるから、何が悪いのか私にはさっぱりわからない

それをテレビでは連日、「二股俳優」とか名付けて、人格攻撃をするかのごとき報道はいかがなものであろうか。

私には、叩きやすい者は徹底的に叩くが責任は取らないというマスメディアの無責任な姿勢が如実に表れているように思えて仕方がない。

同時期に美女数名と付き合っていることが許せないのであろうか。
報道の仕方を見ているとモテない男の嫉妬にしか見えないし、そんなことを限られた公共の電波を使って長時間報道する話なのかと思われてならない。

「こんな俳優を見ていると、女性は気分が悪い」という話なのだろうか。

複数の独身女性と関係を持つ独身男の話を聞いて、感情が害されたとでもいうのだろうか。

そんな感情は保護に全く値しないと私は思う。

ハッキリ言って、当事者間でやればいい話なのであって、いつまでも、「二股俳優」と銘打って報道するメディアの姿勢は、叩きやすい者を徹底的に叩くという集団リンチ以外の何物でもない。

こんな下らない報道しか続けられないのであれば、放送権の付与という特許的立場を与えられたテレビ局は、今すぐ放送権を返すべきである。

我が国に山積している問題はたくさんある。
しかし、その本質をえぐるような報道はあるだろうか。

陸山会事件における検察官の虚偽の調書作成の問題に対する厳しい報道姿勢は、その事件のインパクトに比べ、はるかに弱く感じる。

それを報道する能力がないのであれば、少なくともメディアは、小沢無罪判決の判決内容の誤報を見直すくらいのことはすべきではなかろうか。

それすらテレビメディアには期待できないということが、塩谷瞬さんに対する下劣な報道姿勢に表れているのかもしれない。


さて、連日の紹介。


法律を勉強したいまでは思わなくとも、司法のあり方に興味がある人はぜひこの映画を。

裁判所の事実認定に興味がある人はこの本を。

 

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05/03/2012

憲法記念日に改めて理解してほしい議論 - 憲法9条について

今日は、憲法記念日です。

憲法と言えば、どうしても、国民の関心事項は憲法9条で、改憲論者は9条問題を真っ先にこれを指摘してくるでしょう。

しかしながら、果たして、どれだけの国民が憲法9条の正確な議論を理解しているでしょうか

私は、2009年5月3日に、「憲法記念日なので」と題した記事を書いたことがあります。

そこで、憲法記念日である今日は、この記事を再度編集して、憲法9条議論の正確な理解を図るための記事を書いてみようと思います。

1.憲法9条1項は何を放棄しているのか。

まず、憲法9条1項ですが、解釈上重要な部分は、「『国際紛争を解決する手段としては』、永久にこれを放棄する」と定めている部分です。

まず、この部分で、何を放棄しているのかが問題となります。

1つの見解(憲法学上の通説)は、『国際紛争を解決する手段』という部分につき、国際法上の用例でいう、「国家の政策上の手段としての戦争」を意味しており、これは侵略戦争の放棄であると考えます。この見解に従うと、自衛権は放棄していないということになります。

もう1つの見解は、あらゆる戦争の放棄をしたと考えます。ただ、これは現実的ではありませんし、支持はあまり得られない見解ではないでしょうか。

2.憲法9条2項は自衛のための戦争も放棄したのか。

次に問題となるのが、9条2項です。2項は「前項の目的を達するため」と定めています。

まず、憲法が九条の通説的な見解は、前項の目的とは、1項のいう「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求すること」と捉え、この為にはあらゆる戦争を放棄したと考え、自衛の戦争も放棄したと考えます。

これに対し、政府見解をはじめとする現実的な見解は、前項の目的とは、侵略戦争の放棄のためと理解し、自衛の戦争は許されると考えます。

3.戦力とは何か。

さらに、解釈上の3つ目の問題点は、「戦力を保持しない」としている部分です。何が戦力なのかという議論があり、通説は警察力以上の力はすべて戦力と捉えます。

これに対し、政府見解は、自衛力を超える力が戦力であると説明します。

いずれにしても、これらの見解はあくまで、何の拘束力もありません。

我が国で唯一権力をもって判断できる機関は、違憲立法審査権を有する裁判所であり、その判断が判例としての法源性を有する最高裁の判例です。

最高裁が、9条をどのように判断しているかが重要であり、以上の議論は机上の空論でしかないといっても過言ではないかもしれません。

4.最高裁の判例はどう判示しているか。

そこで、最高裁の判断を見るわけですが、砂川事件(最判昭和34年12月16日)が最高裁判例の中でも一番、9条に踏み込んだ判断をしています。

まず、最高裁は、9条により、我が国が主権国としてもつ固有の自衛権は否定されたものではなく、憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないと判示しています。

これは、自衛権の放棄はしていないということを明確にしています

次に、憲法9条は我が国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることをなんら禁じるものではないと判示し、2項は、我が国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となり、指揮権・管理権を行使して、侵略戦争を引き起こすことが無いようにするための規定という考え方をしています。

そうすると、判例は、9条で禁止される戦争および行為は、①侵略戦争、②侵略戦争のために我が国が主体となって指揮権・管理権を行使し得る戦力と考えているであろうことがわかります。

他方で、最高裁は、③自衛のための戦力を禁じたかどうかについては判断せず、④一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所の司法審査権の範囲外にあるという統治行為論にも言及しています。

結局のところ、最高裁判決から明らかなのは、(1)侵略戦争は憲法上禁止されるということ、(2)自衛権は我が国に存在するということのみです。

また、本判例の事件は、日米安保を扱った事件の中で判断されており、特に、否定する文言が無いことから、最高裁は、自衛権の中の集団的自衛権についても、憲法が否定するものであるとは考えていないように思われます

5.私見

以上のことを前提に、私の私見を紹介します。

通常、政府見解や学説の多くは、現行法上、集団的自衛権は行使できないと説明しますが、少なくとも我が国で憲法の有権的解釈ができる最高裁がそれに言及したことはありません

したがって、勝手に言っているにすぎません。

政治家などが議論している9条改正議論ですが、改正しなくても、集団的自衛権の行使は可能でしょう。

問題なのは、政治家にそれをする器量がないだけです。であるならば、改憲してもそれらの政治家が適切な運用ができるかには疑問が生じます。

砂川事件で、最高裁は統治行為論を援用していますから、集団的自衛権の行使が侵略戦争に当たるような方法によりなされない限り、裁判所が一見極めて明白に違憲無効であると判断する可能性は低いと思います。

以上のような理解からすると、憲法改正をする必要性があるのかは疑問ですし、しなくても、海賊船対策やPKO等において、武器使用の規制を解除することは十分対応できるのではないかと思っています。

むしろ、私は、改正という名の下に、憲法の別の部分が国民の知らない間に改正され、権利利益を制限を認める余地ができる方が恐ろしいと感じます。

憲法改憲護憲の前に、最高裁の判断に対する検討や議論がなされ、国民に周知されるべきと私は思います。

今回は憲法学における正統な本を紹介しようと思う。

そもそも、憲法というのはどうしても価値判断が先行してしまうため、学者の色が出てしまう。

ただ、我が国の憲法が故・芦部信喜博士の通説的理解を中心に発達してきたのは紛れもない事実であろう。したがって、芦部憲法が未だに通説的理解の根底にあることはだれも否定できない。

もっとも、近年は最高裁判例が芦部憲法とは違う理解をしているという批判が多くなっているという。また、芦部博士が亡くなって久しく、取り扱っている判例も古くなっている。

そこで、 憲法判例の理解に当たっては、芦部憲法に加え、以下の本もお勧めである。

まず、この高橋先生は芦部博士の一番弟子といわれており、芦部憲法を前提に最近の議論が説明されていることは憲法学における通説的な理解をするのに良い本である。

最近の判例の理解を深めるという観点からは、戸松先生のこの本は訴訟的観点から判例を丁寧に分析しているので解りやすい。

なお、これらは法律家向けの専門的なものであることは否めない。

そこで、一般向けの本としては、渋谷先生の書かれた本がオーソドックスでよいのではないかと思う(渋谷先生は、基本的には独自説を通説がごとく記載する方ではないし、憲法学者としても実績がある方で、その方が一般向けに書いた文庫本であり、お勧めできる)。

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05/02/2012

小沢判決の解説・評価(最後)

数日にわたり、小沢無罪判決の解説・評価と題して記事を書いてきました。

○ 「小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア」 - ブロゴス転載版

○ 「小沢判決の解説・評価(補足)」 - ブロゴス転載版

○ 「小沢判決の解説・評価(それでも「小沢は黒」という人たちへ)」 - ブロゴス転載版 


このブログがライブドアが運営するブロゴスというサイトに記事が転載されることになっているのはご存じだと思います。

そのブロゴスのコメント欄を読むと、私の記事の趣旨を理解され、判決の正確な理解をしてくれている方々が多く、メディアに踊らされないしっかりした人が結構いることに嬉しく思います。

しかしながら、メディアや小沢嫌いの政治家、メディアに踊らされている人たちや陰謀論を主張して判決内容を批判する人たちは、判決を独解する日本語能力がないことをさらけ出しているという自覚がないままに、「小沢は無罪だったが黒だ。」とか、「判決は裁判所と検察を守るために仕組まれた」とか声高らかに主張しているのですから、滑稽なものです。

そこで、今日は、そういう主張がいかに荒唐無稽かをさらに分かってもらうために、取り上げてみようと思います。

ただ、あまり長々と判決を引用しても、横着な「真っ黒論者」や「陰謀論者」は読解できないでしょうから、なるべく端的に書くように努力しますが、正確な判決の理解をするうえで必要な限度での引用はご容赦ください。


1.小沢は無罪だが黒だと判決が言っているという根拠

まず、一般的に、「小沢は無罪だったが黒」という判決だといわれている根拠をいくつか挙げてみます。

(1)判決は、小沢が秘書から報告を受け了承をしたと認定した。

(2)判決は、小沢の供述は信用できないと指摘した。

(3)判決は、指定弁護士の共謀の主張に相応の根拠があると言っている。

大方、「小沢は無罪判決だが、判決は真っ黒と認定している」という荒唐無稽な主張をする人々はこのようなことを言っているのではないでしょうか。


2.判決要旨に基づく反論

そこで、判決要旨からこれらの理解が間違いであることを説明します。


<(1)の主張について>

4月29日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価(補足)」(ブロゴス版記事へ)でも説明していますので、そちらを参照してください。

判決が「報告・了承があった」認定しているとされているのは、2か所あります。

1つ目は、要旨80ページにあるとおり、

①本件土地の取得や取得費の支出を平成16年分の収支報告書には計上せず、平成17年分の収支報告書に計上することとし、

②そのために、本件売買契約の内容を変更する等の本件土地公表の先送りをする方針についても、報告を受けて了承したものと認められる。


という部分です。

しかしながら、これのみでは、何ら違法性を構成しません。

ここで判決が言っているのは、小沢氏が秘書から、①取引については平成17年分の収支報告書に計上するということと、②契約内容を変えて、公表を16年中ではなく17年中に先送りするという方針について、報告を受け、了承したという事実です。

つまり、この報告のとおり、契約内容が変更できていれば、秘書の行為すら虚偽記入には当たらなかったといえます。

判決は、この事実を重視して、要旨86ページにおいて、

以上のとおり、被告人は、本件土地公表の先送りのための交渉は不成功に終わり、所有権移転登記手続の時期のみを先送りする旨の本件合意書が作成され、本件土地の取得費が平成16年10月5日及び同月29日に支出され、同日、本件土地の所有権を陸山会が取得したこと等については、報告を受けず、これを認識していなかった可能性があり、かえって、本件売買契約の決済全体を先送りしようとしていた当初の方針どおり、本件土地の取得や取得費の支出が、実際にも平成17年に先送りされたと認識していた可能性がある

したがって、被告人は、本件土地取得及び取得費の支出を平成16年分の収支報告書に計上する必要があり、平成17年分の収支報告書には計上すべきでないことを、認識していなかった可能性がある。


と指摘し、この可能性が排除できていない以上、共謀なんて成立しえないと判断しています。

2つ目の「報告・了承」は、同じく要旨80ページにある

りそな4億円は、陸山会の被告人に対する借入金となること、本件4億円は本件預金担保貸し付けの担保として本件定期預金の原資にすることについて、認識し、了承した上で、本件預金担保貸付の目的が、本件4億円を収支報告書等で対外的には公表しない簿外処理にあることも承知していたものと認められる。

という部分です。

簿外処理という表現があるので、一見すると、それだけで違法との印象を持つ人がいると思いますが、それは間違いで、本件においては、簿外処理自体が違法性を構成するわけではありません

ここで、判決が重視しているのは、当初、本件4億円は、担保目的で、本件定期預金の原資とする認識と了承があったということです。

つまり、担保目的で定期預金の原資としたということであれば、いわば保証人となったようなものですから、陸山会に貸し付けたという行為ではありません。当然、これを記載しなくても、良いということになります。

そこで、判決は、要旨91ページで、

被告人には、本件4億円の簿外処理の方針を了承する動機があると認められるが、他方で、被告人は、本件4億円の公表を望まないにせよ、政治資金規正法に抵触する収支報告書の虚偽記入ないしは記載すべき事項の不記載をすることまでは想定しておらず、本件4億円の簿外処理を適法に実現することを前提として了承していたという可能性もある。

と指摘し、91ページないし92ページでは、

以上のとおり、被告人は、本件預金担保貸付についての石川の説明により、本件4億円の代わりに、りそな4億円が本件取りの購入資金等として借入金になり、本件4億円を原資として設定された本件定期預金は、本件4億円の返済原資として被告人のために確保されるものと認識した可能性があり、逆に、本件4億円が陸山会の一般財産に混入し、本件売買契約の決済等で費消されたことや、本件定期預金が実際には陸山会に帰属する資産であり、被告人のために確保されるとは限らず、いずれ解約されて陸山会の資金繰りに費消される可能性があることについては、石川から説明されず、これを認識しなかった可能性がある
と判示しています。

そして、判決は、要旨92ページで、

被告人において、本件4億円を借入金として収入計上する必要性を認識するためには、これらの事情の認識は、重要な契機となるはずのものであり、これらの事情の認識を欠いた結果、被告人は、平成16年分の収支報告書において、借入金収入として、りそな4億円が計上される代わりに、本件4億円は計上される必要がないと認識した可能性があり、したがって、本件4億円を借入金収入として計上する必要性を認識しなかった可能性がある。

と述べています。

以上から明らかなとおり、マスメディアのいう「報告・了承」は、何ら違法性を構成するような話の類ではないのであり、その「報告・了承」があったからといって、何が「黒」となるのか全く判然としませんから、メディアの批判は失当であること著しいといえるでしょう。


<(2)の主張について>

確かに、裁判所が小沢氏の供述につき、信用できないと判示した部分は存在しますが、重要なのは、どういう内容につき、どういう趣旨で、「信用できない」と評価したかです。

まず、裁判所が問題にした点ですが、要旨92ページで、判決は、

被告人は、本件売買契約の締結、本件売買の決済、本件土地の所有権移転登記手続といった取引や、本件土地公表の先送り、本件4億円の簿外処理といった方針について、秘書との間で、指示したことも、報告を受けたこともなく、虚偽の記入ないし記載すべき事項の不記載がされた平成16年分及び平成17年分の収支報告書の提出について、報告を受けたこともない旨公判で供述している。

としています。

つまり、小沢氏のいわば「すべては秘書任せにしていて自分は何も知らない」といった趣旨の供述について、検討しているわけです。

これにつき、裁判所は、要旨93ページにおいて、

このように、被告人の供述には、変遷や不自然な点が認められ、特に、本件が問題になった後も、「収支報告書は一度も見ていない」とする点などは、およそ措信できるものではない。

被告人が、石川や池田ら秘書から、本件各取引等や収支報告書の作成提出に際して報告を受けたことは一切ない旨の供述については、一般的に信用性が乏しいといわなければならない

と指摘した上で、続けて、

しかしながら、被告人は、公職や政党の役職を歴任した国会議員として、多忙であることに加え、平成16年10月当時から7年余りを経て被告人質問に及んでいることをも考慮すると、本件土地の取引に関する事柄や秘書からの報告内容についても、現段階において、具体的な記憶が薄れ、実際に確かな記憶がないこともあり得るといえる。
と判示しています。

つまり、裁判所は、小沢氏の供述は信用性が乏しいけれども、それは7年余りも経過している話だから、記憶が薄れて不正確になっていることもあり得るでしょうと述べているのであって、この後半部分の裁判所の評価を省略したマスメディアによる批判は失当です。


<(3)の主張について>

これについては、4月29日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価(補足)」(ブロゴス版記事へ)で説明したとおりです。

「小沢は黒と判決は言った」と主張する人は、意図的かそうでないかは不明ですが、裁判所は、指定弁護士の共謀の主張につき、「相応の根拠がある」と言ったと主張します。

しかしながら、これは不正確です。

正確には、裁判所は、「相応の根拠があると考えられなくはない。」と要旨81ページで述べています

裁判所が、「相当の根拠がある」と言ったのではなく、「考えられなくはない」という否定することを前提とする表現を用いていることに注意しなければなりません。

「考えられなくはない」という表現は、一応、その主張は検討するに値するが、採用はできないという場合によく使います。

したがって、マスメディアがこの表現のニュアンスを書き換えて報道することは極めて悪質です。

以上のとおり、メディアの「判決は小沢は黒だが無罪とせざるを得なかった」という類の報道は、誤報ともいうべきものであって、事実の歪曲です。このような報道は、事実に基づいていませんから、場合によっては名誉毀損すら成立するのではないかと思います。謝罪広告ものですね。


3.陰謀論

さて、マスメディアの報道の対局にある看過できないものとして、いわゆる陰謀論があります。

この判決は検察を守るために行われたとか、登石郁朗裁判長を守る判決だとか、最高裁が陰謀を仕組んだとかいう類のものです。ツイッターやコメントを見ているとどうしても目に入ってくるので、気になります。

陰謀論というのは、ハッキリ言って、思考停止を招くだけです。百害あって一利ありません。現に、これまで見てきたように、今回の判決は極めてまっとうなものであり、私は練りに練られた質の良い判決だと思います。

また、4月30日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価(それでも「小沢は黒」という人たちへ)」(ブロゴス版記事へ)で説明したとおり、今回の東京地裁刑事第11部の判決は、東京地裁刑事第17部(当時登石郁朗裁判長)が下した秘書の有罪判決において認定された本件4億円の原資の一部が水谷からの1億円の献金であるという部分には全く触れず、違法な原資を前提とした偽装工作の主張を排斥しているのであり、これだけ見ても、検察を守るとか、登石郁朗裁判長を守っているとの批判は失当ではないでしょうか。

いずれにしても、この判決は私は非常に優れた判決であったと思います。

以上、数日にわたった判決解説と評価はいかがでしたか。少しでも読者の方の理解の助けになっていれば嬉しい限りです。

連日紹介していますが、刑事訴訟法に興味があり勉強をしたいという人はこの本を読んでください。
一番オーソドックスな刑事訴訟法の基本書です。

法律を勉強したいまでは思わなくとも、司法のあり方に興味がある人はぜひこの映画を見てください。

また、裁判所の事実認定に興味がある人はこの本を読んでみてください。定番ですが、わりと薄いです。

 

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05/01/2012

世論調査って不思議

タイトルどおりの話だが、世論調査っていかに信用できないかってことがこの数字の違いに表れていると思う。

小沢氏党員資格停止処分「見直すべき」5割

< 2012年4月28日 2:41 >

 
 民主党・小沢一郎元代表が政治資金規正法違反の罪に問われた裁判で無罪判決が出されたことを受け、日本テレビと読売新聞は共同で緊急の世論調査を行った。それによると、小沢元代表の党員資格停止処分を「見直すべきだ」と答えた人が51%、「見直す必要はない」と答えた人は36%だった。

 小沢元代表が、自らの資金管理団体をめぐる「政治とカネ」の問題で、国民に説明責任を「果たしている」と答えた人は7%、「果たしていない」と答えた人は87%だった。

 また、政治資金収支報告書にウソの記載があった場合に、政治団体の会計責任者だけでなく、政治家本人の責任を厳しく問えるよう政治資金規正法を「改正すべきだ」と答えた人は86%、「改正の必要はない」と答えた人は6%だった。


 日本テレビ・読売新聞 電話世論調査
 【26~27日に調査】
 【全国有権者】1666世帯
 【回答率】56%

他方で、産経新聞の調査だと、数字が逆転する。

小沢氏の党員資格復活、6割が不要 内閣支持率は最低22%

産経新聞 4月30日(月)12時1分配信
 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が28、29両日に実施した合同世論調査で、野田佳彦内閣の支持率が10・5ポイント減の22・0%に急落し、政権発足以来、過去最低を記録した。一方、不支持率は過去最高の60・8%。菅直人政権の末期だった昨年6月下旬の調査結果(支持率23・0%、不支持率64・8%)に近く、政権運営に黄信号がともり始めた。

 野田内閣の支持率が急落した背景には、北朝鮮のミサイル発射に対する政府の対応のまずさや参院で問責決議を受けた田中直紀防衛相らの資質、さらに消費税増税などをめぐる党内対立の激化などがあるとみられる。

 北朝鮮のミサイル発射に対する政府の情報提供では、84・3%が「万全ではない」と回答。また、82・9%が田中防衛相の資質を疑問視した。

 参院で問責決議が可決された田中防衛相と前田武志国土交通相の交代を求める回答は計75・3%。「閣僚・党役員の交代は必要ない」(20・0%)を大きく上回った。

 一方、東京地裁で無罪判決を言い渡された小沢一郎民主党元代表の党員資格停止処分の解除については、57・6%が「すべきではない」と答え、「すべきだ」(35・9%)を20ポイント強も上回った。小沢氏の要職起用も76・2%が「すべきではない」と回答しており、小沢氏復帰に対する国民の厳しい視線も浮き彫りになった。

 消費税増税関連法案に関しては、今国会の法案成立を求める声が51・0%と半数を超す一方で、82・0%が食料品や生活必需品の税率を抑える低減税率を導入するよう求めた。野田首相が法案成立と引き換えに衆院を解散する「話し合い解散」は賛成が48・3%で、ほぼ半数。反対を約10ポイント上回った。

 石原慎太郎東京都知事が表明した尖閣諸島購入方針は71・3%が「評価できる」とした。尖閣諸島を「国有化すべきだ」とする回答は84・5%に達した。

 憲法改正については57・6%が「必要がある」とし、「必要はない」(30・4%)とする回答の2倍弱を占めた。

こういう大きな齟齬を見ると、世論調査ってメディアが自分たちの主張を正当化したいがための都合のいい数字の作出以外の何物でもないと思う。

26日~27日と28日~29日のこれだけ逆転しているのだから、「小沢は無罪だが黒と判決が言っている」というメディアの虚偽報道が成功したのか、それとも、そもそも世論調査の数字が信用できないのか。

まだアメリカのように調査会社が入る世論調査の方が信用できる気がする(私の知る限り、メディアのいうことを鵜呑みにする日本とは違い、アメリカでは世論調査会社に対する批判などの議論も活発であった)。

メディアの本質的な改革が必要だと痛感する。


今日もこのDVDの紹介。司法のあり方に興味がある人にはぜひこの映画を見てもらいたい。

 

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04/30/2012

小沢判決の解説・評価(それでも「小沢は黒」という人たちへ)

さて、連日この話題を取り上げてきたが、そろそろこれを最後にしたいところである。

無罪判決の意義と挙証責任の問題を混同して議論するなということは、「疑わしきは被告人の利益にという挙証責任の問題があることと、判決が出た段階における無罪判決の意義を、同一に論じられるべきではない」と述べたとおりであり、4月28日付ブログ記事「小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア」の最後の方において、記載した。

通常人の通常の日本語能力をもって東京地裁判決を読めば、「真っ黒」とか、「限りなく黒」だが無罪なんていう理解にはならないと思うが、要職に就いている人やマスメディアの人々は、本当に判決を読んだのかどうかしらないが、本当に判決要旨を読んだとすれば、通常人の通常の日本語能力を持っていないのではないかとすら思ってしまう。

判決要旨が民主党の議員により公開されている現在においては、判決が小沢を黒と言っているというのであれば、少なくとも95ページの判決要旨を読んだ上でいうべきであろう。

さて、それでも「小沢は黒」という人たちのために、小沢の4億の原資について、東京地裁刑事第11部はどのように判断しているのか紹介したい。

判決要旨の29ページないし30ページは次のように判示する

((3)アの結論部分)したがって、石川が、本件4億円の簿外処理を意図した動機は、本件4億円を被告人からの借入金として公表することで、マスメディア等から追及的な取材や批判的な報道を招く等(原文ママ)して、被告人が政治的に不利益を被る可能性を避けるためであったと認められる。

更に進んで、指定弁護士は、石川が①平成17年3月頃から5月2日にかけて、被告人の指示を受けて、被告人の知人が運営する政治団体である改革国民会議の4億円の資金を分散して入金するなどして本件口座に集約したり、払い戻したりしたことなどから、本件4億円の原資の形成過程について、公にできないものであるとの危惧感を抱いたこと、②本件4億円は、無利息で返済の期限の定めのない借入金であることから、寄付金と解されるなどして、政治資金規正法上の制限に違反するとの疑惑を招くおそれがあると考えるに至ったこと等の事情がある旨主張している。

これらの指定弁護士の主張は、いずれも一定の合理性があると考えられなくはないが、この点について、石川は、公判においては、本件4億円の簿外処理の意図について否定しており、指定弁護士の主張に沿う直接証拠はない

また、①に関して指定弁護士が主張する事実は、石川において、本件4億円の原資が何らかの違法性のある資金であるとの具体的な認識を有していたことを推認できるほどの事情とはいえない

さらに、同人の供述からうかがわれる同人の政治資金規正法における寄付等に関する知識の程度等によれば、前記②の認定も困難である。

その他、指定弁護士の主張を裏付ける証拠はないから、前記アの限度で認定するのが相当である。

この判決から明らかなとおり、石川の簿外処理の動機について、判決は原資が違法なものであったためそれを隠すことを意図としたとは全くもって認定していないのである。

現に判決は、本件土地の公表先送りについても、要旨35ページないし36ページにおいて、

石川が、本件土地公表の先送りを意図した動機には、(省略)石川が供述するとおり、先輩秘書の示唆を受けるなどして、本件土地の取得が収支報告で公表され、マスメディアの追及的な取材、批判的な報道の対象とされるなどして、被告人が政治的に不利益を被る可能性を避けるためであったと認められる。

と改めて認定し、要旨37ページで、

指定弁護士は、本件土地公表の先送りは、収支報告書の記載を複雑化して、その内容を分かりにくくする隠ぺい、偽装工作としての意味もある旨主張しているが、そのような効果があるかには疑問があり、そこまではいえない

しており、原資の違法性を隠す偽装工作という指定弁護士の主張を排斥している。

そして、判決要旨38ページで判決は、

指定弁護士は、29日の送金は、分散入金や28日の送金と一連のものであり、本件土地購入代金等や本件定期預金の原資が、陸山会の資産からかき集められたものであるとの外観を作出し、本件4億円を分かりにくくするために行われたものである旨主張している。

しかし、28日の送金のそのものは、同じ陸山会が有する口座間の資金移動に過ぎず、収支報告書等での公表は予定されていないから、金をかき集めた外観を作出するための隠ぺい行為としての実効性には、疑問がある

また、29日の送金は、関連団体からの資金移動ではあるが、関係証拠によれば、これは、平成16年分の収支報告書において、関連団体から陸山会に対する寄付として記載されていないことが認められ、本件土地の取得費や本件定期預金の原資として対外的な説明に利用されていないから、収支報告書を意識した計画的な隠ぺい工作と認めるには、疑問がある

したがって、指定弁護士の前記主張は採用できず、28日の送金、29日の送金の目的は、前記2及び前記5(1)で認定した趣旨にとどまるものと認められる。

として、違法な原資を隠す隠ぺい工作というマスメディアの報道にも多くあった部分は、明確に否定しているのである。

以上みてきたとおり、マスメディアが騒いだ4億円の原資が違法な献金によるものだという"疑惑"部分については、裁判所は一切採用していないし、それを前提として隠ぺい工作があったとする指定弁護士の主張を採用できないとしているのである。

このように、判決が原資の違法性に何ら言及しておらず、原資が違法なものであることを前提とした指定弁護士の主張を明確に排斥しているにもかかわらず、未だに「小沢は黒」という人々はどう判決を読んでいるのであろうか。

ぜひともその通常人を超えた(?)理解の過程を教えてほしいものである。

なお、ここで面白いのは、秘書の有罪判決で、別の裁判体(当時の東京地裁刑事第17部)は水谷からの1億円を認定したわけであるが、東京地裁刑事第11部はこの認定には触れず、違法な原資を前提とした偽装工作の主張を排斥している点である。

ここは私の個人的な感想なので、異論があるかもしれないが、小沢一郎の判決を下した東京地裁刑事第11部は、秘書たちの有罪判決を下した東京地裁刑事第17部の事実認定方法(少なくとも原資についての水谷建設からの1億円の認定部分)に問題があると感じて、その認定を前提とせず、違法な原資を前提とした偽装工作の主張を排斥しているのではないかと思う。

この水谷からの1億円認定については、オーソドックスな裁判官であれば、問題があると感じていたであろう(この点については、阪口弁護士のブログ記事の説明が参考になる)。

以上のとおり、マスメディアが「小沢は黒だが無罪」とする論拠は判決要旨からは見出せない。

他方で、インターネットを見ていると、「この判決は当初は有罪だったが無罪に直前で変わった」とか、「東京地裁は検察のプライドを守るために報告と了承を認めた」とか、しまいには「最高裁の陰謀だ」とか、極めて陳腐な陰謀論が結構あることに驚いてしまう。

いずれも一見して失当な見解であることは明白であるが、歪曲報道や陰謀論を行うにしても、もう少し判決要旨を読んでほしい。

なお、私はこれで小沢氏が非の打ちどころのない立派な人物であるとは考えていない。
当然、秘書の虚偽記入に対する責任というのは別途、検証されるべきであろうが、小沢氏の秘書が控訴していることからすれば、今これを議論すべき時ではないし、これを理由とする証人喚問等を要求する政治パフォーマンスは、極めてくだらないの考えている。

本件で小沢氏に説明責任があると主張している政治家たちは、なぜ政治資金規正法を改正して、今後、秘書の虚偽記入でも、政治団体の代表にも連座制が適用されるような法制度に改正しなかったのであろうか。

今まで約3年間という長期間、それをしてこなかった政治家の無責任さを棚に上げて、「小沢氏は政治家としての責任を果たせ」というのは、滑稽としか言いようがない

さて、連日紹介しているが、刑事訴訟法に興味がある人にはこの本を読んでもらいたい。
一番オーソドックスなものである。

法律を勉強したいまでは思わないが、司法のあり方に興味がある人にはぜひこの映画を見てもらいたい。

 

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04/29/2012

小沢判決の解説・評価(補足)

民主党の議員がHP上で、小沢一郎氏に対する東京地裁判決を公表している。
公表した方が良いと前回の記事で述べたが、きちんと公表する姿勢は評価されるべきである。

http://shina.jp/a/wp-content/uploads/2012/04/ozawa.pdf

公表されているので、早速、目を通してみたので、前回の記事「小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア」の補足的なものを記載しておこうと思う。


1.共謀の部分について

95ページもある内容だが、共謀の認定にかかわる重要な部分は80ページあたりからなので、実際に読んでみると良いかもしれない。

まず、この判決の80ページで、判決は、

被告人は、陸山会において、本件土地を建設費を含めて4億円程度で取得することを了承し、本件売買契約が平成16年10月5日に締結され、その決済日が同月29日であることを認識していたと認められる。

その上で、本件土地の取得や取得費の支出を平成16年分の収支報告書には計上せず、平成17年分の収支報告書に計上することとし、そのために、本件売買契約の内容を変更する等の本件土地公表の先送りをする方針についても、報告を受けて了承したものと認められる。

と認定している。

この部分が裁判所が最も重視している点である。

つまり、判決は、平成17年の報告書に記載するために、契約自体を変更するなどの動きがあったという事実を重視し、これも小沢氏は知っていたはずであると認定したのである。

ここで重要なのは、小沢氏がこの契約の変更により、取引自体が平成17年に行われたとの認識をしている可能性があることである。

後に判決が無罪と判断する理由として指摘しているが、この認識通りに、土地取引が変更されていれば、虚偽の記入にはそもそも当たらないのである。

したがって、この認識の他に、指定弁護士は、小沢氏が、①契約変更が失敗し、取引が平成16年中に行われたままになっていることを認識していたこと、②平成16年中の取引であるから平成17年中の報告書に記載することは虚偽記入に当たることを認識・認容していたことを立証しなければならないのである。

次に、判決は、

りそな4億円は、陸山会の被告人に対する借入金となること、本件4億円は本件預金担保貸し付けの担保として本件定期預金の原資にすることについて、認識し、了承した上で、本件預金担保貸付の目的が、本件4億円を収支報告書等で対外的には公表しない簿外処理にあることも承知していたものと認められる。

としている。

つまり、小沢氏は、自分の4億の金が担保目的の定期預金にされることへの認識はあったと認定しているのである。

ここも判決が後に指摘するが、判決は、指定弁護士が、この認識の他に、③小沢氏の自分の4億円が一般財産に混入して消費されており、定期預金として残らず、陸山会の借入金になってしまっていることへの認識が小沢氏にあったこと、②だからこそ、平成16年中の取引であるから平成17年中の報告書に記載することは虚偽記入に当たることを認識・認容していたことを立証しなければならないと考えているのである。

この立証について、指定弁護士は、最高裁決定である平成15年5月1日(スワット事件)を用いて、当然知っていたはずだという主張をしたのであろうが、裁判所は、「相応の根拠があると考えられなくはない。」というこの考え方の否定を前提とした表現を用いて、排斥したのである。

ちなみに、「考えられなくはない」という表現は、法律関係者では良く使う表現である。一応、その主張は検討するに値するが、採用はできないという場合に使うことが多いように思われる。

したがって、裁判所が理解を示したというものではない。理解を示していれば、その主張を採用するはずである。

現に、判決も、

しかしながら、当裁判所は、被告人には、本件土地の取得及び取得費支出時期の認識並びに本件4億円の収入計上の必要性の認識について、これらを認めることができないことから、被告人の故意、共謀を肯定することができないと判断した

と判示しているように、指定弁護士の主張を明確に排斥している。

したがって、私見としては、今回の東京地裁の判決は、控訴が極めてしにくい形で、綿密な事実認定をしているから、これを控訴するのは難しいし、これを控訴しても、私は無理筋の主張以外の何物でもないと思う。

仮に、万が一、東京高裁が状況証拠による推認(私見はこの種の推認は、経験則に反した「憶測」になると思うが)により、東京地裁の指摘する可能性を排除して、逆転有罪を出したとしても、昨今の最高裁の綿密な事実認定を要求する姿勢に変わりはないから、最高裁で差し戻されるのがオチであろう。

なお、裁判所の判決における表現であるが、裁判所は、その主張に賛同するときはもっとストレートな表現をする。たとえば、「一理ある。」とか、「考えられるところである。」とかである。


2.弥永教授の意見書に対する裁判所の評価

会社法や企業会計法の大家である弥永先生の意見書に対する裁判所の評価も面白い。

さすがに、弥永先生レベルだと一学者の意見で取るに足らないとはいえず、裁判所も丁寧な検証が必要になるようである。

判決は、判決要旨45ページにおいて、

なお、弥永意見書には、本件土地について、平成17年1月1日以降に所有権が移転したと私法上評価されるのであれば、平成17年分の収支報告書に計上する必要があり、平成16年分の収支報告書に計上する必要はない旨や、司法書士に対する委任状の記載を根拠に、平成16年10月29日に本件土地の所有権を移転する旨の合意を認定することが不自然と思われる旨の記載があるが、弥永教授は、本件土地の取引に関する証拠書類や関係者の供述を踏まえて検討したものではない旨公判で供述している上、そもそも、本件土地の所有権の移転時期について法的判断を述べたものではなく、本件売買契約が売買予約契約に変更されたとの法的判断を前提とした会計上の処理方法について意見を示した趣旨である旨も公判で供述しているから、弥永意見書の前記記載は、前記結論を左右するものとはいえない

と指摘している。

つまり、ここは弁護人の反証不足であり、本件所有権の移転時期が平成17年1月1日以降に変更されたというところの反証がないから、弥永意見を前提にしても、虚偽記入に当たるとの結論を左右しないと判断しているのである。

結局のところ、裁判所は、石川が所有権の移転時期を平成17年1月1日以降に変更することに失敗し、移転時期は平成16年中であったという認定ができる以上、弥永意見が結論を左右しないとしたのであり、この裁判所の理解は当然の帰結だろう。


3.検察に対する部分

今回の判断でやはり注目すべきは、検察に対する苦言である。

判決は、要旨6ページにおいて、

このように、検察官が、公判において証人となる可能性の高い重要な人物に対し、任意性に疑いのある方法で取り調べて供述調書を作成し、その取調状況について事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、これらを検察審査会に送付するなどということは、あってはならないことである

と指摘している。

判決は、違法な証拠を検察審査会に送りつけたということを認めた上で、「あってはならないこと」と断じている。

先の同裁判所の2月17日付決定も「違法・不当」などとかなり踏み込んだ指摘をしているが、今回も裁判所がこうした強い指摘をしていることは、検察庁は重く見なければならないだろう。

なお、昨日のブログ記事でも指摘したが、裁判所は、証拠内容の瑕疵と手続の瑕疵を峻別し、手続的瑕疵がない以上、公訴提起の有効性に影響を与えないというオーソドックスな判断をしているのである。

これは、検察審査会員の職責の重さを改めて認識させるものであり、検察審査会のあり方は今後大幅に見直さなければならないだろう。

個人的には、裁判員裁判のように、審査会員の中に法曹の数を増やし、法曹の過半数がその判断に同意しなければならないとか、予審制度を参考にして審査会専門の判事などに会議を指揮させるとか、大幅な修正が必要だと感じている。

私も判決を読んで驚いたが、判決は要旨7ページにおいて、次のような指摘までしているのである。

検察官が、任意性に疑いのある方法で取調べを行って供述調書を作成し、また、事実に反する内容の捜査報告書を作成し、これらを送付して、検察審査会の判断を誤らせるようなことは、決して許されないことである。

本件の証拠調べによれば、本件の捜査において、特捜部で、事件の見立てを立て、取調べ担当検察官は、その見立てに沿う供述を獲得することに力を注いでいた状況をうかがうことができ、このような捜査状況がその背景になっているとも考えられるところである。

ここで注目すべきは、裁判所の表現である。

「考えられるところである。」というのであるから、これこそ、裁判所は、賛同しているのであって、「考えられなくはない。」という先の表現とは全く異なるのである。

さらに、判決は、次のように指摘する。

しかし、本件の審理経過等に照らせば、本件においては、事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分、調査等の上で、対応がなされることが相当であるというべきである。

ここまで、明確に裁判所が検察庁に注文を付けているのは本当に異例である。

個人的には、この判決が「十分」と念を押すような表現を入れていることが引っかかる。というのも、この部分からは、虚偽報告書等については、当裁判所ではこれ追求以上しないが、検察庁がその威信にかけて、担当検事ら関与した人物の起訴をも前提として、捜査を徹底的に行えという裁判所の黙示の意思が表れているようにすら感じるためである。

法務省、検察庁、及びその他の捜査機関は、この警鐘を真摯に受け止めなければ、裁判所の国に対する信頼は失われるだろう。

昨日も紹介したが、刑事訴訟法に興味がある人にはこの本を読んでもらいたい。
一番オーソドックスなものである。

法律を勉強したいまでは思わないが、司法のあり方に興味がある人にはぜひこの映画を見てもらいたい。

 

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04/28/2012

小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア

既に多くのメディアが取り上げているが、東京地裁の小沢一郎氏に対する無罪判決について、取り上げたいと思う。小沢判決の全文は公開されていないので、NHKの判決骨子に従い、小沢判決の評価とそれを報道するマスメディアの姿勢を検証してみたい。

まず、小沢判決に対する評価であるが、他のメディアの引用は判決理由の原文から遠ざかった意図的なものが多く、判決理由を検証する上では不適切であるため、少なくとも他のメディアよりはマシに思える以下、引用はNHKのHPの判決骨子より行うこととする。
もっとも、小沢氏は判決全文を公表して、歪んだ形で判決内容が伝わらないようにした方が良いと個人的には思う(つまり、公開するということは小沢氏にとっても判決内容を歪めて有利な解釈ができないことを意味するが、無罪判決であることを考えれば、公開するする方がはるかに小沢氏の政治活動において有益であると思うが)。

1.公訴棄却の主張についての判断

まず、公訴棄却の主張に関する部分の判断につき、私見を述べたい。

公訴棄却の申立てに対する判断

〔公訴事実全部に係る公訴棄却の申立てについて〕
弁護人は、東京地検特捜部の検察官が、起訴相当議決を受けての再捜査において、石川を取り調べ、威迫と利益誘導によって、被告人の関与を認める旨の供述調書を作成した上、内容虚偽の捜査報告書を作成し、特捜部は、同供述調書と同捜査報告書を併せて検察審査会に送付し、このような偽計行為により、検察審査員をして、錯誤に陥らせ、本件起訴議決をさせたこと等を理由として、起訴議決が無効であり、公訴棄却事由がある旨主張している。
しかし、検察官が任意性に疑いのある供述調書や事実に反する内容の捜査報告書を作成し、送付したとしても、検察審査会における審査手続きに違法があるとはいえず、また、起訴議決が無効であるとする法的根拠にも欠ける。
また、検察審査員の錯誤等を審理、判断の対象とすることは、会議の秘密に照らして相当でなく、実行可能性にも疑問がある。
したがって、本件公訴提起の手続がその規定に違反して無効であると解することはできないから、検察官の意図等弁護人が主張している事実の存否について判断するまでもなく、公訴棄却の申立ては、理由がない。

ここで、判決が指摘しているのは、「任意性に疑いのある供述証拠」や「事実に反する内容の捜査報告書」といった違法証拠があり、それが検察審査会に送付されて、判断の基礎となったとしても、それが直ちに、検察審査会における手続違反に当たらないということである。

つまり、①検察審査会がたとえ、素人である一般市民により構成されているとしても、そこに出された証拠の違法性や信用力についても当然検討がなされるべきなのであって、それを踏まえて、検察審査会は検察の不起訴判断が相当であるのか、不相当であるのか、それとも起訴すべきとする起訴相当と判断するのかを職責とするのであるから、検察審査会の手続そのものに瑕疵があった場合は別として、そうでなければ、判断そのものが違法ということにはならないと理解しているようである。

そして、判決は、②審査員が適法な証拠だという誤解をした上で判断していたとしても、誤解をしていたかどうかについては、審査会における審議内容が秘密にされているのであるから、判断はできないと述べている。

この点、①の指摘は、まさにその通りというべきであろう。
逆を言えば、検察審査会の審査員に選任された場合には、検察が不起訴とした事案であるだけに、審査員も、証拠が違法である可能性も含めて証拠の評価し、審議することが要求されているということである。

公訴の提起については、検察官に独占させるという起訴独占主義の例外である強制起訴という制度からすれば、検察審査会員の職責がそれほど重いものであるという理解をするのは当然であろう。この制度が妥当であるか否かという立法論は置いておくとして、東京地裁の判決の理解は極めて妥当なものといえる。

次に、②の部分であるが、ここは賛否分かれるのではなかろうか。

起訴の判断における会議の秘密性ということを重視すれば、判決の通りの結論になろう。
しかし、会議の秘密ということのみを重視してしまうと、検察審査会の判断そのものを争う方法は実質的に無くなってしまうことを意味するのではなかろうか。

つまり、強制起訴された被告としては、自身の有罪・無罪を争う他なく、検察審査会の判断の適法性を争う手段としては、無罪判決を受けた上で、国賠請求をするくらいしかできないように思われる(最決22年11月25日民集64・8・1951により、行政訴訟による処分の取消訴訟及び執行停止の申し立てについては、仮に申し立てたとしても、不適法却下されることが示されているから、行訴による争いもできない。)。

もちろん、国賠については、処分の違法が国賠違法というイコールの関係ではないから、審査会員が、職務上の注意義務に違反して、違法な判断をしたという立証を原告が負担しなければならなくなる。

したがって、強制起訴された者は、無罪判決を目指す以外の方法はないことを意味する。

ただ、これは検察官の起訴の判断についても同じことがいえるのであって、特段今までとかわらないといえばそうであろうが、検察審査会が法律のプロにより構成されるものではない、いわば、素人集団であることにかんがみれば、その判断の違法性を争う手段が刑事での無罪獲得にしかないとするのは、強制起訴された者にとって酷な気がする。

〔公訴事実第1の1に係る公訴棄却の申立てについて〕 弁護人は、公訴事実第1の1の事実について、起訴相当議決がされておらず、検察官の不起訴処分もされていないのに、起訴議決の段階に至って、突然、起訴すべき事実として取り上げられていることを理由として、同事実に係る起訴議決には重大な瑕疵があり、公訴棄却事由がある旨主張している。 しかし、公訴事実第1の1の事実は、同第1の2及び3の事実と同一性を有するから、起訴相当議決や不起訴処分の対象にされていたと解することができる上、実質的にみても、捜査又は審査及び判断の対象にされていたと認められるから、起訴議決に瑕疵があるとはいえず、本件公訴提起がその規定に違反して無効であるということもできない。 公訴事実第1の1に係る公訴棄却の申立ては、理由がない。

次に、この判示部分であるが、この部分は、公訴事実の同一性を根拠にする判断である。弁護人としては、公訴事実第1の1の事実と同第1の2及び3の事実とは、同一性がないという前提の主張をしたのであろうが、それを裁判所は認めなかったということである。
ただ、この判決は、同一性を欠く場合には起訴決議が無効になりえることを認めている。

 

2.借入金に当たるかという点の判断

争点に対する判断 〔収支報告書の記載内容〕 平成16年分の収支報告書には、本件4億円は記載されておらず、りそな4億円のみが記載されている。 本件土地の取得及び取得費の支出は、平成16年分の収支報告書には計上されず、平成17年分の収支報告書に計上されている。

〔本件預金担保貸付、りそな4億円の転貸の目的〕
石川が、本件4億円を本件売買の決済に充てず、本件預金担保貸付を受け、りそな4億円の転貸を受けた目的は、本件4億円が本件土地の取得原資として被告人の個人資産から陸山会に提供された事実が、収支報告書等の公表によって対外的に明らかとなることを避けるため、本件土地の取得原資は金融機関から調達したりそな4億円であるとの対外的な説明を可能とする外形作りをすることにあった(このような本件預金担保貸付の目的を「本件4億円の簿外処理」という)。
石川が、本件4億円の簿外処理を意図した主な動機は、本件土地の取得原資が被告人の個人資産から提供された事実が対外的に明らかになることで、マスメディア等から追求的な取材や批判的な報道を招く等して、被告人が政治的に不利益を被る可能性を避けるためであった。

〔本件合意書の目的〕
石川が、本件売買契約の内容を変更し、所有権移転登記について本登記を平成17年1月7日に遅らせる旨の本件合意書を作成した目的は、陸山会が本件土地を取得し、その購入代金等の取得費を支出したことを、平成16年分の収支報告書には計上せず、1年間遅らせた平成17年分の収支報告書に計上して公表するための口実を作ることにあった(このような本件合意書の目的を、「本件土地公表の先送り」という)。
石川が、本件土地公表の先送りを意図した主な動機は、本件土地の取得が収支報告書で公表され、マスメディア等から追求的な取材や批判的な報道を招く等して、被告人が政治的に不利益を被る可能性を避けるためであり、これに加え、本件4億円の簿外処理から生じる収支報告書上のつじつま合わせの時間を確保することも背景にあった。

〔本件土地の所有権移転時期及び収支報告書における計上時期〕
本件土地の所有権は、本件売買契約に従い、平成16年10月29日、陸山会に移転した。
石川は、本件土地公表の先送りを実現するために、本件土地の売主と交渉したが、不成功に終わり、本件土地の所有権の移転時期を遅らせるという石川らの意図は、実現しなかったというべきである。
本件合意書は、所有権移転登記について本登記の時期を平成17年1月7日に遅らせただけであり、本件売買契約を売買予約に変更するものとは認められない。
陸山会は、平成16年10月29日に本件土地を取得した旨を、平成16年分の収支報告書に計上すべきであり、この計上を欠く平成16年分の収支報告書の記載は、記載すべき事項の不記載に当たり、平成17年1月7日に取得した旨の平成17年分の収支報告書の記載は、虚偽の記入に当たる。

〔収支報告書における本件土地の取得費等の計上時期〕
平成16年10月5日および同月29日、本件土地の売買に関して陸山会から支出された合計3億5261万6788円は、本件土地の取得費として、平成16年分の収支報告書において、事務所費に区分される支出として、計上すべきである。
これを計上しない平成16年分の収支報告書の記載及びこれを平成17年の支出として計上した平成17年分の収支報告書の記載は、いずれも虚偽の記入に当たる。

〔本件4億円の収入計上の要否〕
被告人が、平成16年10月12日、本件4億円を石川に交付した際、被告人は、陸山会において、本件4億円を本件土地の購入資金等として、費消することを許容しており、石川も本件4億円を本件土地の購入資金等に充てるつもりであった。
本件4億円は、陸山会の一般財産に混入している上、資金の流れを実質的に評価しても、その相当部分は本件土地の取得費として費消されたと認められる。
また、本件定期預金は、被告人ではなく、陸山会に帰属するものと認められるから、本件4億円が、被告人に帰属する本件定期預金の原資とされたことを理由に、借入金にならない旨の弁護人の主張は、採用できない。
本件4億円は、本件土地の取得費等に費消されたものと認められ、りそな4億円は、陸山会の資金繰り等に費消されているから、このいずれも被告人からの借入金として計上する必要がある。
したがって、本件4億円は、陸山会の被告人からの借入金であり、収入として計上する必要があるから、本件4億円を収入として計上していない平成16年分の収支報告書の記載は、虚偽の記入に当たる。

判決は、秘書の行為が虚偽記入行為に当たるとの認定をしている。
判決が陸山回の一般財産に混入していることなど客観的な事情から、帰属先を認定しているのは妥当であって、そこから、帰属先が陸山会であり、小沢ではないから、借入金に当たるという事実認定の結論も特段おかしいものではない。

 

3.小沢氏の認識と共謀の成否について

〔被告人の故意・共謀〕 関係5団体における経理事務や日常的、定型的な取引の処理を含め、社会一般の組織関係や雇用関係であれば、部下や被用者が上司や雇用者に報告し、了承を受けて実行するはずの事柄であっても、石川ら秘書と被告人の間では、このような報告、了承がされないことがあり得る。

しかし、被告人の政治的立場や、金額の大きい経済的利害に関わるような事柄については、石川ら秘書は、自ら判断できるはずがなく、被告人に無断で決定し、実行することはできないはずであるから、このような事柄については、石川ら秘書は、被告人に報告し、了承の下で実行したのでなければ、不自然といえる。

本件土地公表の先送りや本件4億円の簿外処理について、石川ら秘書が、被告人に無断でこれを行うはずはなく、具体的な謀議を認定するに足りる直接証拠がなくても、被告人が、これらの方針について報告を受け、あるいは、詳細な説明を受けるまでもなく、当然のことと認識した上で、了承していたことは、状況証拠に照らして、認定することができる。

この判決理由の注目されている部分の1つである。
判決は、4億円という大金が動いていること、土地の購入という経済的利害にかかわることからすれば、小沢氏が何らかの形で、土地購入を先送りするということ、及び簿外処理をするということについて、知っていたことは推認できるという判断をしている。

ここは小沢氏の主張とは相いれない部分ではあるが、どのような大物政治家であっても、4億円の大金が動き、不動産の購入をするというときに、それに全く関知しないというのは、常識的に考えられないことである。

4億円という大金を動かす以上、小沢氏が全くこれに関知しておらず、すべて秘書に任せており何も知らないということは、経験則に照らして、到底受け入れられない。

そうであるとすれば、少なくとも、判決が認定するような認識及び了承はあったと推認できるのであって、この判断は社会通念に照らして正当な事実認定であるといえる。

さらに、被告人は、平成16年分の収支報告書において、本件4億円が借入金として収入に計上されず、本件土地の取得及び取得費の支出が計上されないこと、平成17年分の収支報告書において、本件土地の取得及び取得費の支出が計上されることも、石川や池田から報告を受け、了承していたと認定することができる。

しかし、①被告人は、本件合意書の内容や交渉経緯、本件売買契約の決済日を変更できず、そのまま決済されて、平成16年中に本件土地の所有権が陸山会に移転し、取得費の支出等もされたこと等を認識せず、本件土地の取得及び取得費の支出が平成17年に先送りされたと認識していた可能性があり、したがって、本件土地の取得及び取得費の支出を平成16年分の収支報告書に計上すべきであり、平成17年分の収支報告書には計上すべきでなかったことを認識していなかった可能性がある

また、②被告人は、本件4億円の代わりにりそな4億円が本件土地の購入資金に充てられて借入金になり、本件4億円を原資として設定された本件定期預金は、被告人のために費消されずに確保されると認識した可能性があり、かえって、本件4億円が、陸山会の一般財産に混入し、本件売買の決済等で費消されたことや、本件定期預金が実際には陸山会に帰属する資産であり、被告人のために確保されるとは限らず、いずれ解約されて陸山会の資金繰りに費消される可能性があること等の事情は認識せず、したがって、本件4億円を借入金として収支報告書に計上する必要性を認識しなかった可能性がある

これらの認識は、被告人に対し、本件土地公表の先送りや本件4億円の簿外処理に関し、収支報告書における虚偽記入ないし記載すべき事項の不記載の共謀共同正犯として、故意責任を問うために必要な要件である。
このような被告人の故意について、十分な立証がされたと認められることはできず、合理的な疑いが残る。
本件公訴事実について被告人の故意及び石川ら実行行為者との共謀を認めることはできない。

上記2点の判断がこの判決で最も重要であることは、言うまでもない。

まず、①についてだが、「被告人は、本件合意書の内容や交渉経緯、本件売買契約の決済日を変更できず、そのまま決済されて、平成16年中に本件土地の所有権が陸山会に移転し、取得費の支出等もされたこと等を認識せず、本件土地の取得及び取得費の支出が平成17年に先送りされたと認識していた可能性があり」と指摘している。

小沢氏としては、土地の取引がそもそも、平成16年中に行われたのではなく、平成17年に先送りされたと理解していた可能性があって、その理解に基づけば、平成16年分の報告書に記載せず、平成17年の報告書に記載することで問題ないと理解していた可能性があるということである。

そういう理解であれば、そもそも、小沢氏に虚偽記入の故意といえる認識・認容があったとは到底いえない。

つまり、判決は、4億円の大金を動かす話であったから、小沢氏が4億円について、平成16年の報告書ではなく平成17年の報告書に記載するということ、及び、そのために、土地の売買契約の内容を変更する方針であることについては、秘書から聞いており、それを了承していたことは認められるけれども、その報告書の記載方法が、実際の取引と合致しているものだとの認識をしていた可能性があると指摘しているのである。

そうであるとすると、共謀の成立以前に、小沢氏は、本件虚偽記入行為が、違法な虚偽記載行為であるとの認識を持っていないということになるのであるから、共謀の成立なんて到底認められないということになる。

直接証拠がすべて任意性なしで排除されている状況からすると、状況証拠からこの可能性を排除するのは「推認」という作業を超えた、「憶測」でしかなくなってしまうのであり、東京地裁がその「憶測」に踏み込まず、あくまで「推認」の作業を綿密に行っていることは高く評価すべきである。そして、この事実認定の手法を覆すのは無理であろう(控訴で仮に東京高裁が逆転有罪として、この可能性を排除した推認をしたとしても、近年の綿密な事実認定を求める最高裁判断からすれば、最高裁が差し戻すと思う)。

次に、②の部分についてだが、判決は、小沢氏が、りそなからの4億円が土地購入に使われたのであって、自分の4億円は自分のために未だ残っていると考えていた可能性があることを指摘している。

そうすると、小沢氏からの4億円は、陸山会への借入金だという認識がなく、これを記載しなければならないという認識がないから、そもそも、記載方法が法に反するものだとは認識していなかったのではないかということである。指定弁護士は、この可能性を排除することができなかったのであるから、共謀が成立するなんて到底無理である。

以上から明らかなように、共謀共同正犯に問われた小沢一郎氏に対する裁判の結果は、無罪であり、その理由も単純明快である。犯罪の共謀の事実が認められないという一言に尽きる。

判決が指摘する可能性が排除できていないということは、共謀の立証が全くと言っていいほどできていないことを意味する。

今回の東京地裁の判決内容は、事実認定の手法としては秀逸というべきものである。憶測による事実認定を回避し、あくまで、状況証拠から認定できる推認の限界を意識しながら、行われた事実認定であることが判決骨子からも読み取れる。

以上が私の判決理由の評価である。

そもそも、この事件については、強制捜査を行われた当初から、このブログで再三指摘してきたとおり、無理筋の事件なのであって、強制起訴をした市民感覚と称する審査会の判断こそが、歪んでおり、ズレていたと言っても過言ではない。

その結果、税金を使って刑事裁判を行い、無罪判決を得たのであるから、審査会の在り方は別途議論していかなければらないであろう。

なお、このブログでは、事件当初から、報道の問題も含め、この事件について、何度も取り上げてきた。
参考までに、これまでの記事を掲載しておきたい。

刑事事件に対する未熟な報道 ― 小沢問題からの考察を中心に

小沢問題に関する考察 - 検察の捜査方法への疑問

なぜ著名ジャーナリストがここまで騒ぐのか(検察捜査と報道の問題点)

小沢問題と検察審査会制度とそれに関するお薦めブログの紹介

 

4.マスメディアの報道と往生際の悪さ

さて、東京地裁の判決は極めてまともで妥当な判断なのであるが、マスメディアの見出しや報道からは判決内容を歪曲するようなものが多く、私は、依然として、この国の法律意識の欠如に危機感を覚える。

たとえば、毎日新聞のこの記事である。

<小沢元代表無罪>指定弁護士「ほとんど有罪」

毎日新聞 4月27日(金)1時18分配信
政界の実力者に下された無罪判決。「完全な無罪」と評価する小沢一郎・民主党元代表の弁護団に対し、検察官役の指定弁護士は「ほとんど有罪」と悔しさをにじませた。「市民感覚」を反映した検察審査会の判断に結果的に「ノー」を突き付けた東京地裁の判決は、関係者に大きな波紋を広げた。【伊藤一郎、鈴木一生、山本将克】

【虚偽記載事件】小沢一郎元代表に無罪判決…東京地裁

 ●笑顔の元代表 「そうか、そうか。ありがとう」。判決言い渡し後の104号法廷別室。判決内容を詳しく説明する弁護団の弘中惇一郎弁護士の言葉に、元代表は緊張が解けた様子で笑顔を浮かべた。公判を毎回傍聴し、同席した民主党の辻恵衆院議員が「おめでとうございます」と声をかけると、「ありがとう」と右手を差し出し強い握手を交わした。

 これから記者会見に臨むことを告げる弁護団。元代表はコメントだけで対応する意向を示し、関係者が運転する黒いワンボックスカーに乗り込み、東京地裁を後にした。その後、「裁判所の良識と公正さを示していただいたことに敬意を表する」とのコメントを出し、自宅に閉じこもった。

 ●弁護団けん制 弁護団の会見。弘中弁護士は「完全な無罪と受け止めている」と断じた。元代表が「政治的抹殺が目的」とまで批判した検察の捜査手法にほとんど触れない判決内容には「物足りなさが残る」と不満を見せたが、すぐに笑みを浮かべ、「要は結論」と言い切った。

 秘書らとの間に虚偽記載の「報告・了承」があったと認定した上での無罪判決だが、喜田村洋一弁護士は「一昔前なら『可能性』があれば有罪だった。(今回の判決は)『可能性』があっても故意や共謀を認定できないという刑事裁判の本道に立ち戻った判断だ」と強調した。

 判決が批判した、元東京地検特捜部の田代政弘検事の捜査報告書問題については「(検察が)きちんと起訴して、裁判所の判断を仰ぐ方向でやっていただきたい」と注文。指定弁護士に対しては「控訴は思いとどまるという結論をしていただくことを強く期待する」と、けん制した。

 ●控訴明言避け 弁護側に続いて会見した指定弁護士の大室俊三弁護士は「結論として主張が受け入れられなかったが、私どもが指摘した個々の点はほとんど否定されていない」と無罪判決に疑問を呈した。山本健一弁護士も「争点は、ほぼ我々の主張が認められているが、結論は逆方向」と不満をあらわにした。

 弁護士同士が相対する異例の裁判に、指定弁護士には疲労の色もうかがえた。村本道夫弁護士は「無罪でも有罪でも(指定弁護士としての任務は)今日で終わりかなと思っていた。控訴については3人で話さなければならないが、これからとなると、ちょっとつらい」と明かした。

 裁判では捜査報告書問題で強制起訴の有効性が争点になり、指定弁護士を苦しめた。それでも大室弁護士は「判決を聞く限り、検察審が起訴すべきだとした議決は、不合理な決断ではなかった」と、公訴棄却という最悪の判断が示されなかったことを評価した。

 焦点の控訴について、山本弁護士は「無罪理由を検討し、納得できなければ、控訴する」と説明。大室弁護士は「(控訴しても、しなくても)政治的影響はある。そうした影響を考えて判断したくはないので、司法の問題として考える」と述べるにとどめ、明言を避けた。

 ●関係者の困惑 検察審の補助役を務めた吉田繁実弁護士は「ほぼ事実関係を認め、重要な争点だった秘書の報告、了承を認めながら、無罪としたのは、全く予想外。ここまで詳細な認識が要求されるのなら、政治家本人が政治資金規正法違反で有罪になることはない」と非難するコメントを出した。

 今回の判決で自身の違法行為を再び認定された元秘書の石川知裕衆院議員は、複雑な表情を浮かべた。今年2月の結婚披露宴で「私のことで大きな荷物を背負わせてしまった」とスピーチしてくれた元代表。その無罪判決には「ほっとした」と素直に喜んだ。一方、「2度目の有罪判決」を受けたことについては「罪を犯そうと思ってやったわけじゃないが、結果として小沢さんが無罪になったことで、判決は良しとしなければ」と言い聞かせるように話した。

 ◇控訴、指定弁護士側「これから検討」

 控訴について、指定弁護士側は「これから検討したい」とし、通常の刑事裁判と同様に2週間以内に控訴できる。初の強制起訴裁判となった那覇地裁の無罪判決(3月)でも指定弁護士が控訴した。ただ、検察審査会法は指定弁護士の職務について「公訴を提起し、公訴の維持をするため検察官の職務を行う」と定めるだけで、控訴審の指定弁護士の人選などについて規定はない。制度づくりに関わった法務省幹部も「明確には言えない」という。

 一方、指定弁護士の報酬は政令が「審級ごとに19万~120万円」と定めており、1審、2審、上告審でそれぞれ120万円を上限に支払われる。【坂本高志】

共謀の前提となる、犯罪行為に対する認識・認容について、その認識がない可能性が明確に指摘されているにもかかわらず、「ほとんど有罪」とはどういう判決の読み方をしているのか驚いてしまう。

判決文全文を私は見れる立場にないので、この指摘が正当かはわからないが、指定弁護士は、判決が検察審査会の判断が不合理でないと判断したと理解しているように、この記事からは読めるが、上記の判決骨子からすれば、裁判所は審査会の判断について、不合理かどうかの審理すらしていないように思われる。

したがって、無罪判決が出ている以上、審査会の判断が不合理だったというのが裁判所の判断なのであって、公訴棄却というのは、あくまで公訴提起の手続に違法があり無効となる場合の話なのであるから、公訴棄却にならなかったから、審査会の判断が不合理でないと裁判所が判断したと理解しているのであれば、刑訴法338条を読みなおすべきである。

この他にも、石原都知事は「まあ無罪といっても、灰色。それも限りなく黒に近い判決でしょ? 国民だって、そっぽ向きますよ。何を勘違いしているか、知らないけどね」と評したり、産経新聞は、「小沢元代表、無罪 『全面勝利とはいえない』『検察へ重いメッセージ』」と題した記事や「小沢元代表無罪 自民・茂木氏「依然、グレー変わりない」 証人喚問求める」といった記事で報道している。

グレーだという評価だが、そもそも、刑事の無罪判決が出た段階において、グレーの概念はない。判決が出た段階では、白(無罪)か黒(有罪)しかないのである。

やったという証拠はないけど、グレーで怪しいから、執行猶予付き有罪判決なんて裁判官がやるとすれば、それは司法の崩壊である。

この点、刑事訴訟法の「疑わしきは被告人の利益に」という大原則があることをあげて、「無罪判決でもグレー」と主張する人がいるのかもしれないが、これは挙証責任の問題と判決の意義を混同しており、かかる見解は失当というべきである。

判決を出す過程の問題として、疑わしきは被告人の利益にという挙証責任の問題があることと、判決が出た段階における無罪判決の意義を、同一に論じられるべきではない

基本的に、判決が出た段階においては、無罪判決は白であり、有罪判決は黒である。

この根本が理解できていない立法者たる政治家やマスメディアが多いことは本当に恐ろしいと言わざるを得ない。

仮に、グレー判決というのがあるとすれば、無罪判決を受けた冤罪の被害者は、一生、「無罪だがグレーだ。」、「限りなく黒だ。」とのそしりを受けて生活しなければならないのであろうか。

そんな主張は到底受け入れるべき見解ではないし、このような発言をする人間が東京都の都知事であることについて、都民は恥ずかしいと感じなければならない。

「無罪でもグレー」とか、「無罪でお限りなくクロ」とかいう主張を平然とする人々は、足利事件の被害者である菅谷さんに対しても同じことをいうのであろうか。

菅谷さんと小沢の無罪判決との差は何で、どういう事件であれば、「無罪でもグレー」と評価できるのか、その合理的根拠は何であるのか。

他の無罪判決への影響などこういったとも考えず、「無罪でも、怪しい」という議論をする人間は、極めて底が浅い。

「無罪でもグレー」なんていう主張を認めだしたら、司法は終わりである。
挙証責任の問題と無罪判決の意義を混同し、司法が何たるかを理解してない人々が要職に就いている我が国の現状は極めて恐ろしいと言わざるを得ない。

今回の事件を機に、捜査のあり方はもちろん、司法に対する国民の意識を高めることは重要であろう。

また、虚偽の報告書を作成した検事への公訴提起の有無についても、裁判所が極めて強い姿勢で、検証を要求している以上、法務省及び検察庁は徹底した姿勢で臨まなければ、信頼は地に落ち、回復困難な状況になるだろう。

我々国民も含め、法務省、検察庁、マスメディアは、今回の裁判の過程及び判決で示された裁判所からの忠告を真摯に受け止めることが必要である。

刑事訴訟法に興味がある人にはこの本を読んでもらいたい。
一番オーソドックスなものである。

法律を勉強したいまでは思わないが、司法のあり方に興味がある人にはぜひこの映画を見てもらいたい。

 

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04/08/2012

外務省の中国人に対する数次ビザ政策に異議

外務省というのは、昔から、日本の国益を害することをする方が多いと思ってきたが、日本の外交官の選定方法そのものを変えないと、外務省が日本の利益を見ず、外交官個人及びその者が所属するスクール(外務省の語学派閥)の利益のみを追求するという体質は変わらないのだろう。

このニュースについて、主要メディアはその弊害をあまり取り上げておらず、この種の話題には、どうしてかわからないが、非論理的な極論に立脚するコメントが多いので、久しぶりに、このブログを再開し、きちんとした主張を組み立てて、取り上げてみたい。

<中国人観光客>被災3県訪問に数次ビザ発給へ 7月から 毎日新聞 4月8日(日)0時44分配信

 【寧波(中国浙江省)隅俊之】玄葉光一郎外相は7日、中国の楊潔※外相との会談で、東日本大震災で大きな被害が出た岩手、宮城、福島3県を訪問する中国人観光客を対象に、有効期間内であれば何回でも日本に出入国できる数次ビザ(査証)の発給を7月をめどに始める考えを伝えた。

 中国人観光客への数次ビザは、沖縄県を訪れる観光客を対象に昨年7月に発給が始まっている。被災3県でも実施されれば、中国人観光客の増加が見込まれ、被災地の復興につながることが期待される。

※は竹かんむりに褫のつくり
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120408-00000000-mai-bus_all

1.被災地域の観光目的であれば、数次は不要
数次査証を発給するということは、おそらく、1~5年程度の有効期間を設けることになるだろうが、果たして、数次の査証があるからといって、被災地域の観光につながるのであろうか。私はそのような思考をすることは極めて短絡的であると思う。

そもそも、1年の間に、複数回の観光目的での海外旅行をする中国人がどれだけいるのであろうか。そのような潜在的な人数の規模も示されないままに、何の論拠もなく、復興につながるという短絡的発想で、数次ビザを発行しようというのであるから、真の目的が復興であるのかと疑いたくなる。

3年や5年の数次ビザであれば、複数回、観光目的で入国する中国人が増えるという反論があるかもしれない。
しかしながら、現在の査証発給制度上も、短期滞在での査証発給は、一定の富裕層に対しては、かなり容易に行われているのであり、数次ビザのメリットは、せいぜい面倒な手続きを省いて、1年間に何度も日本に入国できるという程度の利益しかないだろう。

とすれば、やはり、数次ビザの最大の活用法としては、1年間の間に何回も入国が可能という点にあるわけだが、そもそも、1年間のうちに海外観光を頻繁にするという中国人のニーズがどれくらいあるのか不明であるし、そのニーズが被災地域の復興に繋がるとする帰結にどのように至るのか、その因果関係が私は疑問に思えて仕方ない。

被災地域を観光したいと思う中国人がいるとして、それは、1回限りの最大90日とされる観光ビザの範囲内で、十分満たされるのではないだろうか。

2.中国人の高い不法滞在率及び来日中国人犯罪率との矛盾

法務省の発表によれば、不法残留者数を出身国別にみると、韓国に次ぎ、中国出身者が第2位である。

国籍(出身地)別に見ると,不法残留者が多いものは次のとおりである。
1  韓国      19,271人 〈構成比 24.6%〉
2  中国      10,337人 〈 〃  13.2%〉
3  フィリピン    9,329人 〈 〃  11.9%〉
4  中国(台湾)   4,774人 〈 〃   6.1%〉
5  タイ       4,264人 〈 〃   5.4%〉

この数字を見る上で重要なのは、韓国は査証免除国、つまり、短期観光でのビザが不要な状況にあるため、不法残留目的での入国者を塞き止める第一の関門がない状態での第1位であり、24%を占めているという点である。

つまり、中国は、現在、ある程度の富裕層のみに対して、短期ビザを発給するという極めて制限的な入国政策を取っているにもかかわらず、第2位であり、1万人以上が、我が国で不法に残留しているのである。

さらに、重要なのは、次の統計からもわかるように、不法残留者の約7割が短期ビザの者であり、短期のビザが、不法残留の温床になっているという点である。

不法残留者数を不法残留となった時点での在留資格別に見ると,次のとおりである。
 1「短期滞在」    54,220人 〈構成比 69.1%〉
 2「留学」        4,322人 〈 〃    5.5%〉
 3「興行」        3,425人 〈 〃    4.4%〉
 4「研修」        1,192人 〈 〃    1.5%〉
  その他       15,329人 〈 〃   19.5%〉
    計         78,488人

つまり、査証を数次にし、中国人の入国要件を緩和すればするほど、それだけ、不法残留者を生むリスクが高くなるという点について、外務省はどのように考えているのか全く国内には説明せず、国内での議論も十分経ないまま、安易かつ極めて短絡的な発想で、中国と約束をしてしまっているのであるから、外務省は国益をおろそかにし、外務省内のチャイナスクールの利益を最優先していると思えて仕方ない。

外国人といえば、未だに、多くの人が欧米人を連想するのではないだろうか。
しかしながら、実情としては、欧米人の来日は極めて少数である。

近年、外国人の来日による観光による立国など色々な施策が議論されるが、我々は、どういう国の人がどういう目的で日本に来日するのかということをしっかり分析した上で進めていかなければならないのであって、「外国人観光」と、すべてを一緒くたにした、日本政府の稚拙な政策は、百害あって一理ない(馬鹿馬鹿しくて取り上げる気にもならなかったが、観光庁が外国人の来日費用をばらまくといった極めて馬鹿げた政策を世に発表したという事実も我々は忘れてはならないだろう。)。

日本人がバブル期に海外でお金を落とし、日本人の不法就労が他国で社会問題化することがなかったという過去は、あくまで日本人の傾向に過ぎず、中国人が同じ目的のみで、日本にお金を落とすとはいえないし、さらにいえば、中国内の貧富の格差による不法就労目的での入国者の抜け道にされるのではなかろうか。

さらに、入管法違反事件として公になった不法就労者数の国別比較を見ると、平成21年度以降のみ取り上げても、不法就労者は、中国人が抜きんでて多く、35%を占めている。つまり、不法就労者の4人に1人以上は中国人であるから相当な数といえる。

そして、平成23年上半期の来日外国人犯罪者数を見てみると、検挙数及び検挙された人数の国別比較の第一位は、ともに中国で、それぞれ、46.7%と39.6%ある(2ページ参照)。アメリカやロシアが1%程度であることからしても、その差は歴然たるものがある。

かかる中国人による法違反の傾向や状況も踏まえれば、私の懸念が一定の現実的なものであることは理解していただけるのであろう。

3.イランの反省が活かされていない(違法薬物の密売人としての根深い弊害)
日本になぜかイラン人が多いと思う人も多いのではないだろうか。

その理由は、日本とイランは1974年の査証免除協定の調印以降、1992年まで査証免除でイラン人が入国できたことにある。後に述べる来日イラン人の薬物密売状況を考えると、「査証免除なんてとんでもないことをやった当時の担当者はどこのどいつだ。」と言いたくなるのだが、日本は石油を確保するためには友好関係を維持したいなどの理由から査証免除を行ったのである。

その結果、日本にもたらされたのは何か。

それは、1992年に停止する理由となった、査証免除により大量に入国したイラン人による違法行為である。

短期ビザで入国し、不法残留したイラン人による犯罪は社会問題化した。平成15年度の警察白書は、「昭和60年代以降の我が国の景気拡大を背景に,多数の来日外国人が我が国に流入したが,その後の景気後退により来日イラン人労働者の就労機会が減少し,その一部が不良化したことなどがイラン人薬物密売組織の成立の背景にある。いわゆるバブル経済の崩壊以降,東京都内の代々木公園や上野公園でのイラン人のい集とそのイラン人による変造テレホンカード密売等が社会問題化したが,こうした一部の不良イラン人は変造テレホンカードの密売等に加え,次第に,より利益があがる薬物密売を組織的に敢行するようになったものとみられる。」と指摘する。

そして、現在でも、イラン人による営利目的での違法薬物の譲渡の問題は根深く残っている。

警察庁発表の資料(平成22年度中の薬物・銃器情勢)は次のように指摘する。

薬物事犯に おける密 売関連 事犯(営利犯のうち、所持、譲渡及び譲受を いう。以下同じ。)の検挙 人員は 618 人(前年比-90 人、-12.7%)で、そ のうち暴力団構成員等は370 人(59.9%、来日外国人は62 人(10.0%)であり、そのうちイラン人は 35 人 (5.7%)であった。
来日外国人のうちイラン人は 34 人(6.7%)であり、暴力団構成員等とイラン人で71.4%を占めている。また、密売関連の麻薬特 例 法第5条違反の検挙人員 16 人のうち、暴力団構成員等が7人、イラン人が9人であり、暴力団組織及びイラン人が国内での薬物密売に組織的に深く関与し、薬物密売による収益が暴力団及びイラン人薬物密売組織の有力な資金源となっている状況がうかがえる。これまでのイラン人の検挙状況を見ると、首都圏及びその周辺の関東地区、愛知県を中心とした東海地区における検挙が多く、イラン人が、これらの特定の地域において、覚醒剤を中心とした薬物の組織的な密売を敢行している状況にある。

このような問題が継続する背景には、査証免除時代に日本は楽して儲かると味をしめたイラン人が、偽造旅券を使って、他人になりすまし、再び入国するケースや短期ビザで入り、不法残留となった後、日本人と結婚するなどして、入管法違反を帳消しにしてもらったイラン人が、このような違法行為に手を染めているケースが多い(具体例として、裁判例等を参照。なお、上記裁判例のような訴訟事件は、裁判所の行政部にはかなり多く提起されており、ほとんどのケースが請求棄却により、国が勝訴しているのであるが、勝訴率や請求棄却事案の概要等を法務省はインターネット上では公開していないようなので、興味がある人はぜひ傍聴をお勧めしたい。)。

つまり、1974年に行った失政が、査証免除協定を停止した1992年から20年もの月日が経つにもかかわらず、未だ日本社会の重大な問題として、後を引いているのである。

外務省の外交方針は、とにかく稚拙であって、国内への影響ということを全く考えていない。彼らの専らの目標は、自分たちが所属するスクール言語圏の国とのいわゆる"友好関係"を維持することであり、国益をどのように形成するかという思考が決定的に欠けている。

在外公館に勤務したことのある経産省の官僚の友人は、「外務省職員はどちらの味方かわからない。後ろから鉄砲で撃ってくる。」と嘆いていたことがあったが、これは外務省の体質を正確に表現したものだと思う。

たとえば、農水省ではれば、日本の農業のため、経産省であれば、日本の産業のためと明確な利益目標があるが、外務省には、それがない。さらに外務省がたちが悪いのは、世間知らずなお坊ちゃんたちが、ナイーブな"友好関係"の維持と考えているからである。

これは戦略家の集まりであるアメリカの国務省の職員とは月とすっぽんと言っていいほどの違いであろう。

外務省のイランの査証免除というナイーブな政策は、どれほど原油の安定供給に寄与したのだろうか。
私は、日本の地域別原油輸入割合の推移からは、この政策が寄与したとは全く思えないのである。

ただ、私は原油政策には精通していないので、私の知らない利益があったのかもしれないが、少なくとも、政情不安定で、世界から制裁措置を受けるようなイランとの"友好関係"が、日本に、違法薬物の蔓延と助長という害悪をも凌駕する利益を日本が享受できていたのかは疑問であると言わざるを得ないのではなかろうか。

イランに対して行った失政がどのような結果をもたらしたのか真に省みれば、中国人への数次ビザ等の発行が日本社会に対して、どのような害悪をもたらし、新たな社会問題を引き起こすかは一見して明らかだと思うが、外務省の官僚は、それを承知の上で、チャイナスクールの利益を優先させているように思えて仕方ないのである。

外務省の将来的には国益を著しく損ないかねないこのような動きに、明確な異議を唱える政治家やメディアが存在しないことは日本にとって極めて不幸なことである。

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10/04/2011

テレビ局は徹底した暴力団排除とお得意の説明責任を果たせ

10月1日より、暴力団排除条例が全国で施行されたのは、もうご存じであろう。

これを機に、ぜひともテレビ業界には暴力団に対する徹底した排除を期待したいところであるが、10月1日に放映された暴力団との親密交際が原因で引退した元タレントの島田紳助が司会を務めていたTBSのテレビ番組では、暴力団との関係が噂される"芸能人"が平然と多数出演していた。

TBSだけではない。10月2日に放映された別の局の番組にも、同様の"芸能人"が平然と出演していた。
これらの芸能人については、インターネット上で、暴力団の組長の誕生日等に参加している動画は多数存在する。それこそ、GoogleやYouTubeで、「暴力団」、「芸能人」などのキーワードで検索すれば容易に動画は発見できる。

過去の交際であり、現在は付き合いがないということなのかもしれないが、それであれば、そういう人物をあえて起用するテレビ局は徹底した説明責任を果たすべきではなかろうか。

先に、小沢一郎の元秘書3名の有罪判決(控訴中)が出た際に、テレビ局や新聞は、小沢一郎に説明責任が求められるとの論調一色であった。かかる指摘をするのであれば、ぜひとも、マスコミには、自分たちが起用する芸能人の中に、暴力団との結びつきが噂される者がいる場合には、それをあえて起用することに対する"説明責任"を果たしてほしいものである。

当然、芸能人と政治家には、立場上違いがあるだろう。後者は公的色彩が強いのであり、同視することはできない。しかしながら、私は何も芸能人本人に説明責任を求めているわけではない。

マスメディアは説明責任を掲げ、社会的正義を標榜しているのであるから、暴力団排除条例が施行された今、そのマスメディアのうち「テレビ局」という極めて公共の利害に関わり合いのある一般企業とはその公的色彩に違いのある社会的存在が、あえて、暴力団との関わり合いが噂される芸能人を起用するのであれば、その説明をする"社会的責任"を果たすべきだとと思うのである。

島田紳助の騒動は、暴力団という存在が社会的に徹底した悪であるということを改めて認識させ、社会全体で排除していく機運を高めてくれた点において、私は極めて有意義なものであると感じている。ぜひとも毎日新聞の「暴力団排除:「黒い交際」決別求められる芸能界」と題した記事のとおり、テレビ局やマスコミには、この機運と意義を持続して、忘れないようにしてもらいたい。そして、我々もこの機運を時が経つつ共に忘れ、「これを熱しやすく冷めやすい」の一例にしてはならない。

暴力団排除条例は、施行されたばかりで、その適用範囲を巡っては、これから色々な法的問題も生じてくるだろう。しかしながら、せっかくこのような条例ができたのであるから、この条例を積極的に活用し、暴力団という反社会的存在を認めないという断固たる姿勢を我々は示していかなければならないであろう。

暴力団の幹部が、産経新聞の取材()に対し、次のような発言をしていた。

今、解散すれば、うんと治安は悪くなるだろう。なぜかというと、一握りの幹部はある程度蓄えもあるし、生活を案じなくてもいいだろうが、3万、4万人といわれている組員、さらに50万人から60万人になるその家族や親戚はどうなるのか目に見えている。若い者は路頭に迷い、結局は他の組に身を寄せるか、ギャングになるしかない。それでは解散する意味がない。ちりやほこりは風が吹けば隅に集まるのと一緒で、必ずどんな世界でも落後者というと語弊があるが、落ちこぼれ、世間になじめない人間もいる。われわれの組織はそういう人のよりどころになっている。
社会から落ちこぼれた若者たちが無軌道になって、かたぎに迷惑をかけないように目を光らせることもわれわれの務めだと思っている。
不良外国人たちは今、日本のやくざが行き過ぎだと思える法令、条例が施行されて以降、われわれが自粛している間に東京の池袋や新宿、渋谷、あるいは名古屋、大阪などのたくさんの中核都市に組織拠点をつくり、麻薬、強盗などあらゆる犯罪を行っている。

今後、暴力団擁護派からこの手の詭弁を掲げ、暴力団排除条例そのものの批判も出てくるだろう。しかしながら、我々は、かかる虚偽の反論には一切耳を傾けるべきではない。

「落ちこぼれ、世間になじめない」人間を使い、治安の悪化を招いているのは、他でもない暴力団であるという根本を我々は忘れてはならない。また、「不良外国人」を巧みに使って覚せい剤密売等の違法行為の追求を免れるように画策し、トカゲのしっぽ切りで「不良外国人」を悪用して違法な収益を上げているのも暴力団である。

真実から目をそむけさせ、あたかも暴力団に存在意義があるような主張に対して、我々は断固とした姿勢で対峙していかなければ、我々の生活の平穏は虚構のものとなってしまうであろう。

多くの一般市民は、暴力団との関わり合いはないのであるから、こうした暴力団排除ということは、あまり身近な問題として感じてはいないかもしれない。しかし、既に、暴力団は様々な形で、市民生活に忍び寄っているのであり、この排除の機運を維持することが、我々、一市民に求められている。

そして、"民意"を標榜するマスコミこそ、徹底した暴力団排除の機運を高め、維持し、自らを積極的に律して、お得意の説明責任を果たし、自らの背負う社会的責任を果たしてほしい。

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07/19/2011

一つの歴史が終わった

今年1月にブログを更新して以降、全く何も言わずに、ブログを放置してしまい、読者の皆さんには申し訳ないと思っています。

ブログをしばらく更新しなかった理由ですが、色々なことがあり過ぎ、また日本の将来、とりわけ、日本の政治に対してあまりにも希望が持てず、ブログを更新しようという気にはなれなかったというのが正直なところです。

さて、今日は前回の更新から半年ぶりの記事です。政治ネタなどを期待していた方には申し訳ないのですが、今回は、映画ネタです。

しかも、今話題の「ハリー・ポッターと死の秘宝パート2 (Harry Potter and the Deathly Hallows part2)」です。

15日に公開されて以来、公開3日間で興行収入17億6000万円をあげているそうで、私もこの週末に映画を見て、初めて「映画館で2度以上みたい映画」だと感じました。

私は、ハリーポッターの原作を読まずして、10年間、Chris Columbus監督(現プロデューサー)やDavid Yates監督の映画により描かれたハリー・ポッターの世界を見てきましたがですが、今回の映画は最終章にふさわしい、とにかく素晴らしい映画でした。

私のように、映画でストーリーを知り、この最終章を楽しみにしている方がまだいると思いますので、ネタバレになるようなことは書かずに、この映画を見た感想(絶賛に近い内容となってしまいますが・・・)を書こうと思います。

そもそも、10年間かけて見てきた映画の結末がわかるわけですから、それだけでも期待は自然に膨れ上がります。多くのシリーズ物の映画は、こうした期待に応えることができず、続編に進むにつれ、映画の面白みがなくなっていくものですが、「ハリー・ポッターと死の秘宝パート2」は見事にこの期待に応えてくれました。

ハリーと友人たちとの友情や教授たちの愛情といったところがこの映画の醍醐味であり、原作を読まずに、映画のみを見てきた方にとって、一番気になっているのが、セルブス・スネイプ教授は裏切り者なのか、ドラコ・マルフォイはどうなるのか、そして、ハリーの運命はどうなるのかということではないでしょうか。

特に、Alan Rickman演じるセルブス・スネイプ教授は、MTVが主催したハリーポッターワールドカップで、人気1位のキャラクターに選ばれました

ワーナーも今回のストーリーを「スネイプのストーリー」と題してPRをしており、この重要なキャラクターがどういう結末に、どのようにかかわっていくのかという点がこの映画の最大の見せ場の1つです。


映画では、そのあたりの答えを明確に描いており、かつ、同シリーズを見てきたファンに、前作や前々作のシーンを瞬間的に振り返させて、「あ、あそこの不自然な点はこうだったからなんだ。」と深い納得ともいうべき感情を与えてくれます。

また、私のように原作のストーリーを知らない視聴者にとっては、映画の最中、涙があふれるようなシーンもいくつかあり、予想のできない展開に、130分間、一瞬もつまらないと感じるシーンはないはずです。むしろ、私の場合、130分があっという間に過ぎてしまい、見終わって何とも言えない満足感と疲労感に襲われました。もっと、長くても良かったとすら感じます。

息をつく暇がないというのはこのことで、世にサイエンティフィック・フィクションの映画はたくさんありますが、このハリーポッターは、最終章において、従来の映像技術のみに頼っていたSFとは全く違う、俳優たちの演技力に支えられた素晴らしい映画であったと評しても言い過ぎではないでしょう。

「ハリー・ポッターと死の秘宝パート2」を見て、私は1つの歴史の終わりを見たような気にさえなりました。それは、10年間にわたるシリーズが終わったというだけの意味合いではなく、これを超えるようなSF映画は今後しばらくの間は現れないのではないか、つまり、このハリーポッターがSF映画の1つの区切りになるのではないかと感じました。


スターウォーズシリーズは確かに壮大な世界観で、視聴者を圧倒したSF映画です。このシリーズもSF映画の歴史においては貴重なものであったと思います。しかしながら、スターウォーズシリーズはやはり映像技術一辺倒なところがあり、俳優の演技力がものをいうシーンは少なかったように感じます。

これから公開されるトランスフォーマーなどもその意味では、より映像頼みであり、インディペンデンスデイ以来のSF映画の域を出ていないように感じます。

他方で、「ハリーポッターと死の秘宝Part2」では、敵、味方の主要なキャラクターはもちろん、それ以外の脇役などそれぞれのキャラクターの複雑な感情が映画の一瞬、一瞬で現れ、絶妙に描かれています。こうしたそれぞれのキャラクターの複雑な感情の演技力からは、イギリス人俳優たちの力強さと演技力の奥深さを感じました。

また、10年間の総決算である今回の映画では、シリーズすべてを見てきた視聴者がしっかりと映画を見れば、気がつくことがあります。それは、今までのシリーズに登場したキャラクターが一瞬ですが多数登場することです。

たとえば、シリーズの最初の作品である「ハリーポッターと賢者の石(Harry Potter and the Philosopher's Stone)」のクィディッチのリーダーであったSean Biggerstaffが演じるオリバー・ウッド(Oliver Wood)がちょっと映っていたり、シリーズ1,2,3作と5作目に登場したChris Rankinが演じるパーシー・ウィーズリー(Percy Weasley)なども登場し、シリーズの総決算であることを感じられる瞬間が多々あります。

これから見る方はぜひ、そういった1つ1つのシーンをしっかり見るとより一層この映画の面白さが増すのではないでしょうか。

また、グリフィンドールの寮生であるシェーマスやMatthew Lewisが演じるネビル・ロングボトムなど旧来からの仲間がどうのような姿を見せるのかもこの映画の注目すべき点でしょう。

そして、映画の後半で、ある人物がハリーに対して残す「言葉」の持つ力についての発言は、映画の中だけにとどまらず、私たちにある種の教訓的な発言として、なにか感じるものがあります。

とにかく、この映画は予想を裏切り、期待にこたえてくれる素晴らしい映画です。

まだ見ていない方は、ぜひ、今までのシリーズを見た上で、この映画を存分に堪能してほしいと思います。


以下はロンドン・プレミアの映像です。

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01/23/2011

BBCの二重被爆者嘲笑問題に対する反響について

先日、ブログで「イギリスBBCの二重被爆者嘲笑問題について」と取り上げ、それがライブドアニュースのサイトに転載されたこともあり、この問題に対して色々な反響があり、正直驚いている。

いろいろな見解があるのは良いのだが、中には賛同できないものもあるので、この問題を取り上げた以上、すでに、ツイッターでは、述べているが、このブログでも、反響に対する私の率直な意見についても、言及していこうと思う。

まず、私が賛同できない見解は2つある。

1つは、この問題が笑いに対する感覚の違いであるとし、文化の違いによるものという形で説明をつけてしまおうとするものである。

こうした見解は、一見合理的な理由を述べているようであるが、なにも述べていないに等しいと私は思う。異なる国同士の意見が違えば、文化の違いであるとして理解するアプローチは、問題の本質を矮小化しており、思考停止に陥っているのではないだろうか。

私がこの問題をやはり取り上げるべきで、もっとBBCは真摯に反省すべきだと感じた最大の理由は、この番組の二重被爆者である山口さんの取り上げ方が、笑いに対する感覚の違いがあるのは当然としても、製作者側の無知に起因し、ブラック・ジョークとしては成立しないほどに至っていると判断したからである。

つまり、笑いに対する感覚の違いがあるのは当然としても、この笑いの取り方は、ブラック・ジョークとして許される範疇を超えているということである。

私が思うところ、欧米のブラックジョークにも、それが成立するには、いくつかの暗黙の条件があり、この条件を逸脱してしまうと、いくら欧米社会でも、ブラック・ジョークとしては許されなくなる。

実際に、私が欧米に留学していた際、ブラックジョークやサーカシズム(sarcasm)な笑いの取り方が原因で、最初は一緒になって笑っていた欧米人のルームメイトやフロアーメイト同士が喧嘩するような光景を何度も目撃している。

しかしこれも、ブラックジョークが成立する暗黙の条件を逸脱したような場合であり、ブラックジョークだからなんでも許されると考えるのは、欧米の社会でも受け入れられないのである。

したがって、今回のBBCの番組を、笑いに対する文化の違いと説明してしまおうというのは、問題の本質を探究することを放棄しており、私は賛同できない。

さて、暗黙の条件といったが、これには以下のようなものがあると私は考えている。

①個別具体的な人物を笑いのネタの対象とする場合には、その人物が政治家等のPublic Figureであること。
②①に当たらないとしても、自虐的なものであること。
③そのネタをした場合に、相手方憤慨しない程度であることの暗黙の了解が取れていること。

①②は容易に想像がつくとして、③は非常に抽象的な話なので、少しエピソードを入れて解説しようと思う。

私のルームメートに、ユダヤ系アメリカ人の友人とドイツ系アメリカ人の友人がおり、ブラックジョークが好きで、アジア人の英語の発音について話しており、私が「アジア人の英語の発音は聞き取りにくい時がある」といった時に、「日本はナチスと同盟を結んでいて、日本人はレイシストだから、アジア人の発音を聞きたくないんだろう」と笑いながらジョークを飛ばしてきた。

それに対し、そこにいた別のドイツ系アメリカ人は笑いながら、私に向かって、「じゃあ、今度、俺と一緒にあいつをガス室に連れていこうぜ。」と応じ、3人で爆笑しあったことがある。

これは、普通では受け入れられないジョークである。

しかし、相手方との信頼関係に基づき、相手方が憤慨しないことの暗黙の了解が、ユダヤ系アメリカ人の友人、ドイツ系アメリカ人の友人、私との間で取れていたという特段の事情がある状況が存在したので、成立するブラックジョークなのである。

他方で、大したことのないブラックジョークが憤慨に至るケースもある。

私が寮の談話室みたいなところで、テレビを観ていたら、数人の女性が入ってきて、楽しそうの会話をしていた。
しかし、突然、その楽しそうな会話が一転した。

ショッピングで同じものを買ったという会話をしていた一人の中国系アメリカ人の女性に対し、黒人女性が、「やっぱり人の真似をするのは上手ね」と中国の海賊版文化をネタにジョークを飛ばしたところ、中国系アメリカ人の女性が、「どういう意味よ」と怒りだし、しまいには、アメリカで黒人とアジア人のどちらが差別されてきたかという議論にまで発展し、激しい口論にまでなっていた。

おそらく、この女性たちの友人関係は、相手の属性をネタにしてブラックジョークを飛ばすほどには成熟しておらず、相手方が憤慨しない程度のものであるとの暗黙の了解がなかったために、ジョークでは済まない口論に至ってしまったのであろう。

つまり、上記の①②に当たらないようなジョークは、かなり巧みに、その状況や聞いている者、タイミングを考えながら、やらないといけないのであり、それに失敗すると、ブラック・ジョークでは済まないことになるのは、欧米でも同じなのである。

今回のBBCの番組内容を観る限り、二重に被爆した不運と、にもかかわらず90歳を超えて長生きしたことに対するサーカシズムすら込められた笑いであり、被爆の後遺症等々にはまったく無知識で、軽薄にブラックジョークを飛ばしているように思える。

イギリスの鉄道事情をネタにしているという説明があるが、これは非常に後付け的な釈明であり、これにより、簡単に、被害者及び被害者遺族や在英邦人が納得できるとは到底言い難いであろう。

あの番組を見て被爆者がネタの対象になっていないと思う人は、英語力がないか、よっぽどのお人好しではないだろうか。私には、非常に「筋の悪い」釈明や擁護的意見に思えてならない

私はイギリスのコメディが好きだし、日本のやらせ的な馬鹿馬鹿しいお笑いなんかより面白いと思うが、どう好意的に見ても、あの番組の取り上げ方は、不適切であるといわざるを得ない。

たとえば、私が好きなイギリスのテレビ司会者のAnt and Decなんかも、英国流のジョークをかなり飛ばしているが、彼らのジョークは、まさに、政治家や有名人などのPublic Figureを対象にしていたり、自虐的なネタだったり、私人をネタにする場合でも相手方が憤慨しないことの暗黙の了解を取った上でネタにするので、今回のような問題を起こさないのである。

なお、私の知る限り、昨晩の時点で、日本人が関与していないニュースサイトとして、インドのニュースサイト、オーストラリアのニュースサイト、ロシアのニュースサイトでそれぞれ今回のBBCの問題は取り上げられているようである。

Japan-protests-BBC-jokes-about-atomic-bomb-survivor」- The Times of India

BBC sorry for jokes about atom bomb survivor | The Australian

BBC apologizes over gag - The Voice of Russia

前者2つではかなり詳細に説明しており、これを文化の違いとか、笑いに対する取り上げ方の違いというような矮小化した意見は載っていない。

さらに、スコットランドのメディアや、AFP通信も「BBCが謝罪した」として、この問題を取り上げており、BBCも今回の番組内容について、やっと報道を始めたようである。

やはり、ジョークとしては済まされない程度に至っていると見るのが私は妥当だと思う。

次に、2つ目の賛同できない見解についてであるが、それは、今回の問題をきわめて短絡的に理解し、白人社会によるアジア蔑視思想によるものだとか、国粋主義的な主張である。

こういう話題が出ると、思考が停止してしまい、「鬼畜米英」とかおよそ現代の民主主義国家で生きる合理的判断能力を有する通常人であれば、到底発想しないような陳腐な主張が平然と出てくることには、たとえインターネットという少数者が叫びやすい環境であるといっても、本当に驚くし、怖さすら感じる。

やはり、こういう問題が起こった時には、先のブログ記事でも指摘したが、なぜ日本の原爆に対する価値が伝わっていないのかという自問自答がまず先に来るべきではないだろうか。

この問題はそもそも原爆に対し、我々日本人が自己満足的な内弁慶の議論に終始し、国際社会の場で、積極的に原爆の負の側面を効果的に訴えて来なかったことに起因しているのであり、アジア人蔑視とか、国粋主義的、愛国主義な議論にすり替えてる意見を見ると、どうも「筋の悪さ」を通り越し、恐ろしさを感じてしまう

いずれにしても、日本人が黙っているのではなく、声を上げるようになったことは良いことだし、在英邦人が「冷静に」番組の問題点を指摘し、在英日本大使館がその在英邦人の声に耳を傾け、確固たる抗議をしたことは、非常に有益なことだったのではないだろうか。

きちんと声をあげて、二重被爆者や原爆の恐怖を世界に発信する機会を作ってくれたといっても過言ではないだろう。

ただ、一方で、声の上げ方を間違えている少数者の国粋的で頓珍漢な意見がネット上で氾濫してしまい、日本の民度が低くとらえられることがないことを祈りたい

最後に、これを機会に、私たち日本人も二重被爆者の経験に再度目を向けることも重要であろう。


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01/22/2011

イギリスBBCの二重被爆者嘲笑問題について

日本の報道を見ていると、やはり重要な問題がしっかりと伝えられないと感じます。

すでに多くの人がこのニュースを読んでいるのではないでしょうか。
イギリスのテレビ番組「QI(Quite Interesting)」の不適切な放送内容とそれに対する抗議です。

読売新聞 「二重被爆者笑いのタネに、長崎の関係者『許せない』」

 【ロンドン=大内佐紀】英BBC放送が昨年12月放映した人気お笑いクイズ番組で、日本の被爆者が笑いのタネにされ、在英日本大使館が抗議していたことが20日、わかった。

 金曜夜の人気番組「QI」で12月17日、「世界一運が悪い男」として、広島と長崎で二重に被爆し、昨年1月に93歳で亡くなった長崎市出身の山口彊(つとむ)さんを取り上げた。

 司会者が「出張先の広島で被爆し、列車に乗って戻った長崎でまた被爆した」と説明すると、ゲストらが「でも、93歳まで長生きしたなら、それほど不運じゃない」「原爆が落ちた次の日に列車が走っているなんて、英国じゃ考えられないな」などとコメント、会場から笑い声が上がった。

 この間、スタジオには山口さんの写真やきのこ雲が掲げられた。

 番組を見た在留邦人から連絡を受けた在英日本大使館は今月7日、「原爆投下の問題をコメディー番組で取り上げるのは極めて不適切で日本人の国民感情を無視している」と抗議の書簡をBBCと製作会社に送った。

 17日になって製作会社から「配慮に欠けていた」などとする返答があったが、BBCからは回答がないという。

 ◆「被爆者を愚弄」

 BBCの番組には、被爆地・長崎から憤りの声が上がった。

 山口さんの長女、山崎年子さん(62)は「核保有国に被爆を『運』と片付けられたくない。父だけでなく、被爆者のみなさんを愚弄している」と怒りをあらわにし、「おわびの代わりに、番組で二重被爆者の記録映画を放送してほしい」と求めた。日本原水爆被害者団体協議会の谷口稜曄
すみてる
代表委員(81)は「原爆の被害を笑いものにするとは許せない。日本政府は被爆の実相が知られていない現実を受け止め、被爆者とともに伝える努力をしなければ」と訴えた。

(2011年1月22日 読売新聞)

時事通信  「日本の二重被爆者を嘲笑=BBCテレビ、謝罪-英」

 【ロンドン時事】英BBCテレビのお笑いクイズ番組で、広島と長崎で被爆した「二重被爆者」の故山口彊さんを「世界一運が悪い男」などと笑いの種にしていたことが21日までに分かった。BBCは在英日本大使館の抗議を受け、謝罪した。  この番組は昨年12月に放映された。山口さんが出張先の広島で被爆し、長崎に戻るとまた原爆が投下されたと司会者が述べると、スタジオの芸能人や観客が爆笑したという。  番組を見た在英邦人が日本大使館に連絡し、大使館が抗議した。番組プロデューサーから、山口さんを笑いものにする意図はなかったなどと釈明、おわびする手紙が届いた。(2011/01/22-08:55)

朝日新聞 「英BBCお笑い番組、二重被爆者を『世界一運が悪い男』」
 

【ロンドン=伊東和貴】広島と長崎で二重被爆し、昨年93歳で亡くなった山口彊(つとむ)さんについて、英BBCが昨年12月に放映したテレビのお笑いクイズ番組で、「世界一運が悪い男」などと紹介していたことが20日、分かった。在英日本大使館はBBC側に書面で抗議し、番組プロデューサーは謝罪した。

 問題となったのは、昨年12月17日に放映された人気の番組「QI」。司会者が、長崎出身の山口さんが広島に出張して原爆で大やけどを負った後に鉄道で長崎に戻ったことに触れ、「英国なら電車は止まっている」と英鉄道の不備を自虐的にとらえる内容だった。だが、ゲストのコメディアンが「長崎で入院したのか」とつっこむと、スタジオから笑いが漏れる一幕があった。

 さらに、司会者が「山口さんが長崎に戻ると、また原爆が投下された」と述べると、観衆は爆笑。司会者は「二重被爆をして生き残ったのは、最も幸運か最も不運か」などと締めくくった。スタジオにはきのこ雲や山口さんの顔写真が掲げられた。

 在英邦人から指摘を受けた大使館は、今月7日、BBCと番組制作会社に「山口さんの経験をこういう形で取り上げるのは、不適切で無神経だ」と広報文化担当の公使名で書簡を送った。

 番組プロデューサーは今月17日、大使館への手紙で「(山口さんを)バカにする趣旨の番組ではなく、驚くべき経験を正確に伝えようとしたつもりだ。日本人の強さを真に称賛している」などと釈明しつつ、「(日本人)視聴者の気分を害してしまったことを非常に遺憾に思う」と謝罪の意を示した。抗議をした在英邦人にも非を認める内容のメールを送ったという。

まず、この記事を読むと、BBC及び番組の制作会社は反省しているように思えます。私も当初、「反省しているんなら、特に過大に取り上げる必要もないだろうな」という程度の認識でいたのですが、どういう内容の番組だったのか気になり、調べることにしました。

結果、私は、未だにBBC及び制作会社が事の重大さを理解しておらず、全く反省していないのではないかと思っています。

というのも、未だに番組の当該部分がBBCの公式ホームページで公開されており、そこにはなんの日本政府や在英邦人からの抗議に対する謝罪やコメントすら掲載されておらず、平然と問題が何もないかのように視聴できる状態が続いているのです。

BBC ONE 「The Unluckiest Man in the World」

まず、冒頭、司会者は「世界で一番ラッキーでかつアンラッキーな男は誰でしょう」と紹介しています。
司会者の意図は、不幸に2回も被爆したのに、幸運にも生き残ったということを言っていますが、そもそもこういう取り上げ方に問題がある以上、やはり不適切です。

その後、45秒から1分17秒あたりまで、「山口さんはどこの国の人か」という問いに、明らかに日本人の名前であるにもかかわらず、まじめな顔で「オランダ」と珍解答をしたゲストに対し、会場が爆笑しているので、その部分は大目にみたとしても、問題は、司会者が、山口さんの経緯を紹介している途中の1分18秒あたりから、「長崎の病院に入院したのか」と二重被爆をまさに笑いのネタにしていることと、その後の番組の進行です。

まず、司会者が二重被爆者であることを紹介した直後に会場から笑いが出ており、司会者も誰も笑うネタではないなどと特に注意するなどをしていません。

次に、その後も、被爆の事実を軽視し、笑いのネタとして終始、取り上げています。

上記日本メディアの報道を見ると、BBCや製作会社は、「二重被爆者である山口さんを馬鹿にするつもりはない」とか、「笑いにする意図はなかった」などの釈明があるようですが、これは全く受け入れられません。

そもそも、この番組に出演していた人々および、番組製作者は、原爆の資料をみたことがないのでしょう。
被爆の恐ろしさを全く知らない無知な人間が、まさに、無知なままに取り上げ、遺族や同様の被爆者はもちろん在英邦人、さらには原爆の資料に接してきた日本国民の感情を逆なでしています。

私が特に問題だと思うのは、釈明が詭弁であり、真摯に反省しているようには思えない点です。公式HPで未だに何の説明がなく視聴ができてしまっていることも看過しがたい重大な問題のように思えます。

ただ、われわれ日本人がひとつ肝に銘じておかなければならないのは、この問題をイギリスメディアがどれだけ取り上げているのかという点です。

日本の報道機関は、すぐに海外の抗議等に対し、敏感に報道しますが、私が知る限り、この問題をイギリスのメディアが取り上げているようには思えません。

今現在、私はイギリスに住んでいないので、正確なことはわかりませんが、あくまでインターネット上で、この日本政府の抗議やメディアの反応を伝えるような、イギリスの報道メディアはほとんど見当たりませんでした。

つまり、日本の怒りの声は、イギリスには我々が思っているほど伝わっておらず、公衆の知らないところで処理されているにすぎないのではないでしょうか。この事実を私は見逃してはいけないと思います。

ネット上では、この問題に対し、笑いや悲劇的な事件に対する文化の違いとの説明をし、擁護的意見もあるようですが、私自身、アメリカやイギリスに長期間住んでいたことがありますが、この説明は合理的であるとは思えません。

そもそも、9・11やそれに関連するテロやホロコーストなどイギリスにとって関わり合いの深い事件の被害者を同様な形で笑いのネタにするでしょうか。

私には、そのようなことは想像しがたいです。

今回の事件を通じ、日本がいくら友好国に便宜を図っていても、世界全体から軽視されてしまっているという事実を再認識させられたように思います。日本に対し、関心が低く、日本の声が全然伝わっていないのではないでしょうか。

ただ、同時に、この問題を通じ、私は、現代の日本人が内向きに声を上げる自己満足的で内弁慶な姿勢から変化しているようにも感じます。

この番組の放送に接し、抗議文を送ったり、日本大使館に対応を促した、在英邦人の確固たる姿勢と御尽力には、ある種の敬意を表したいと思います。

なぜなら、彼らの行動がなければ、必ずしも日本大使館がこの番組内容に気が付き、抗議文を送るチャンスがあったかは疑わしいからです。最近は、外務省もだいぶ変わってきており、日本の国益、在外邦人の声を意識しています。しかし、在外邦人が声をあげなければ、外務省や在外公館が問題を必ずしもすべて把握できるわけではありません。

こうしたニュースに接すると、「日本人は意見が言えない、主張がない」という評された時代からの脱却が進んでいるのではないでしょうか。

いずれにしても、言語の壁はありますが、ぜひ日本のメディアの報道を契機に、この問題を知った方には、番組の放送内容を観てもらい、実際に、どういう取り上げ方をしているのか、釈明が受け入れられるものかを自身で考えていただきたいです。

また、これを機会に、私たち日本人も二重被爆者の経験に再度目を向けることも重要でしょう。

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01/10/2011

外国人受け入れ政策に対する関心を持とう

今日は成人の日。日本は20歳で成人となり、選挙権が付与される。

選挙権といえば、以前、外国人選挙権付与の議論が世間では騒がれたが、最近この問題への関心は薄れている。

おそらく、この政策の旗振り役の一人であった小沢一郎前民主党幹事長が力を失い、この問題を進める場合ではなくなったという政治状況の変化によるものだろう。

しかし、私は、選挙権付与の問題にかかわらず、日本のマスメディアはもちろん、国民は、外国人の受け入れ政策に対する関心をもっと持ち、この問題について、議論を深めなければならないと考えている。

選挙権付与の問題に関しては、私の意見はすでに述べているので、そちら(「外国人の地方選挙権付与について」)を参照してほしいが、今回は、選挙権付与の問題ではなく、もっと広い意味での外国人の受け入れ政策を国民としてどう考えるべきかという観点からの一意見を紹介させてもらおうと思う。

1.日本にいる"外国人"はどのような国出身なのか。

そもそも、外国人というと、欧米の白系外国人を想定する人が、未だに多くいると思うが、日本に入ってくる外国人の多くは、アジア系の外国人が圧倒的に多い。

平成21年度に入国した外国人のうち、65%がアジアからの外国人である。その順は、韓国(24.2%)、中国(16.3%)、中国台湾(14.1%)となっている。

そして、国別の不法滞在者数は、法務省入国管理局の発表によれば、以下のようになっている。
① 韓    国 21,660人 〈構成比 23.6%〉
② 中    国 12,933人 〈 〃  14.1%〉
③ フィリピン 12,842人 〈 〃  14.0%〉
④ 中国(台湾) 4,889人 〈 〃   5.3%〉
⑤ タ    イ 4,836人 〈 〃   5.3%〉
⑥ マレーシア 2,661人 〈 〃   2.9%〉
⑦ ペ  ル  ー 2,402人 〈 〃   2.6%〉
⑧ シンガポール 2,107人 〈 〃   2.3%〉
⑨ スリランカ 1,952人 〈 〃   2.1%〉
⑩ インドネシア 1,820人 〈 〃   2.0%〉

不法滞在とは、在留期間を超えて、我が国に在留している者である。したがって、これら数は、摘発を受けた者の数ではなく、出入国記録上、在留期間を超えていることが明らかな者の数である。

そして、実際に摘発され、我が国にとって好ましくない者として、本国に強制的に送り返された、退去強制手続によった者の国別もやはり、アジア系の外国人がその大半である。

法務省によれば、「国籍(地域)別では,7年連続して中国(台湾,香港・その他を除く。以下同じ。)が最も多く,9,522人で,入管法違反者全体の29.2パーセントを占めた。国籍別では,中国に次いでフィリピン,韓国,タイ,インドネシアの順となっており,これら5か国で全体の71.3パーセントを占めている。」ということである。

ここまでを整理すると以下のことが、明らかであろう。
1.中国を中心とするアジア系外国人が日本には多く入ってきているということ。
2.我が国にとって好ましくない者として、退去強制された者の7割が、中国、フィリピン、韓国、タイ、インドネシア出身のもので、中国出身の者が全体の約3割と飛びぬけて多いということ。


最近は、「チャイナマネーを獲得せよ」との動きから、中国人観光客の受け入れやビザのさらなる緩和の議論も出ているが、上記実態を把握したうえで、果たして、その動きが日本にとって、利益になるのか、経済的利益だけでなく、治安や生活環境への影響といった点も踏まえて、きちんと議論されなければいけないが、全く十分な議論はされていないのではないだろうか。

国民規模で、まず、広く、外国人の受け入れをどうすべきかについて、国別の不法滞在や退去強制対象者数を把握したうえで、議論される必要があると思う。

2.既存とは違った観点からの永住要件の厳格化が必要ではないか

次に、外国人の選挙権付与問題にも関連する話ではあるが、日本には、「特別永住者」と「永住者」という者がいる。前者は、第二次世界大戦に関連し、認められている在留資格であり、「昭和20年9月2日以前から日本に在留する朝鮮半島および台湾出身者である者、その直系卑属として日本で出生し引き続き在留している者」がそれに該当する。

他方、後者は、法務大臣に対する永住許可により認められた者であり、永住許可は、法律上明確に定められている要件は、①素行が善良であること、②独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有すること、③その者の永住が日本国の利益に合すると認められることとなっている。

そして、③につき、法務省がそれを具体化し、公表している審査基準として、以下4つが存在する。

(ア)原則として引き続き10年以上本邦に在留していること。ただし,この期間のうち,就労資格又は居住資格をもって引き続き5年以上在留していることを要する。

(イ)罰金刑や懲役刑などを受けていないこと。納税義務等公的義務を履行していること。

(ウ)現に有している在留資格について,出入国管理及び難民認定法施行規則別表第2に規定されている最長の在留期間をもって在留していること。

(エ)公衆衛生上の観点から有害となるおそれがないこと。

もっとも、(ア)の基準は、以下の場合には、緩和されている。
(a)日本人,永住者及び特別永住者の配偶者の場合,実態を伴った婚姻生活が3年以上継続し,かつ,引き続き1年以上本邦に在留していること。その実子等の場合は1年以上本邦に継続して在留していること

(b)「定住者」の在留資格で5年以上継続して本邦に在留していること

(c)難民の認定を受けた者の場合,認定後5年以上継続して本邦に在留していること

(d)外交,社会,経済,文化等の分野において我が国への貢献があると認められる者で,5年以上本邦に在留していること。

なお、以上は、あくまで行政庁たる法務大臣が定める裁量要件であり、これらが法律上明確な根拠を有するわけではない。

したがって、この審査基準に反して、許可や不許可の処分をしても、それが直ちに法律上、処分の違法を構成するわけではない。

法律上は、あくまで、①素行が善良であること、②独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有すること、③その者の永住が日本国の利益に合すると認められることの3要件が定まっているにすぎないのであり、上記裁量要件に違反することが、裁量の逸脱・濫用に当たると評価されて初めて、処分が違法となる。

さて、法律論はこのくらいにして、ここからが、私の指摘したいことの核心部分であるが、このように審査基準を見てみると、確かに、10年継続して在留という基準は厳しいように思えるが、私はこの基準の中に、我が国の言語、文化に適合するという観点からの基準がないことについて、強い疑問を感じる

欧米の国では、一定の言語能力試験を課すなどして、永住という特別の身分を与える以上、社会適合性を判断する要件として、その国の母国語を運用できる能力を要件の一つとして課している

当然であろう。その国の母国語を十分に運用できないような人間が、永住者として、他の外国人とは違い特別の取り扱いを受ける特権的地位を付与するのであるから、そこには、利益基準として、言語や文化、社会適合性の要件が必要である

たとえば、市民権を与える上で、ポイント制を採用するカナダでは、移民局が実施する言語テストに合格することが1つの要件となっている。

100点満点中67点を取らなければならないが、そのうち、言語には、24点が配点されており、1/4の比重を与えているのである

しかしながら、現在の我が国の永住許可のガイドライン上は、そのような日本語運用能力に関する基準は存在せず、日本語がままならなくても、永住資格を有する者は現に存在するのである。

特に、日本人の配偶者としての在留資格があれば、大幅に年数は軽減されるのであり、最近ニュースで頻繁に報じられている中国人による偽装婚のケース(その1その2)が増えているのも、言語能力が要件になっておらず、単なる年数という安易な要件としていることが起因するのではないだろうか。

そうであるとすれば、日本語能力が十分でなかったり、我が国の文化、社会に対する適合性を十分に有しない永住資格を有する者が、選挙権をもち、住民自治に影響を行使するようになれば、これは必ずしも、その地方自治体にいる日本国民、ひいては日本国にとって、好ましくない影響があるのではないだろうか

年数というのは、客観的のようであって客観的ではない。

たとえ、何年もの間、日本に居たとしても、外国人コミュニティーの中だけで生活し、日本社会への溶け込みを拒否している人物であれば、本来、日本国の利益に適合するかには疑義が生じるはずである。

しかしながら、上記基準からは、「その者の永住が日本国の利益に適合する」という不合理な帰結を生み出してしまっている

外国人への地方参政権付与の議論の前提として、永住者としてどのようなものを認めるべきかという国民規模の議論をしなければ、やはり、国民主権の原理がある以上、国民の理解を得ている政策にはなりえないだろう。

この問題は、ある程度時間をかけて議論しなければならない問題であるが、マスコミの一時的な取り上げで終わってしまっている現状には、危機感を感じる。

私見を言えば、カナダの制度等を参考にし、むしろ年数による制限よりは、共通の言語能力試験を課し、一定の日本語能力が認められない外国人に関しては、永住許可は認めないという明確な基準を法律に定めるべきだと思うが、なかなかそうした議論すならされていないのが日本の外国人受け入れ政策の現状であろう

治安、社会、文化、経済という様々な要素を考えたうえで、どういう外国人を積極的に受け入れ、どういう外国人の永住者という特権的地位を付与するのか、という議論をもっと日本国民は真剣に考えなければならないように思う

最近は内向きで海外に関心を持たない若者が増えているとの指摘があるが、ぜひとも、今日成人式を迎え、其々の二十歳の誕生日には選挙権が付与される新成人の方には、日本の国の在り方として、外国人の受け入れ政策に対する関心を持ってもらい、日本の国際化の在り方を考える機会を持ってほしい。

さて、今日紹介する本も、外国人受け入れ政策関係の本。

外国人受け入れ政策を語る記事を見たときに、そのほとんどが、排他的な議論に終始し、現状を十分に見ていないものが多いと私は感じる。

ただ単に、外国人を敵視して、排他的になれば日本の利益が守れるというわけではない。

外国人の受け入れ制度全般を見渡し、それぞれの問題に対し、柔軟なアプローチと手続保障をして初めて、我が国の利益に適う結果がもたらされるはずである。

上記以外の問題として、外国人実習生の問題についても、我々日本人は目を向けて、日本の経済構造の問題とともに、人権問題でもあるこの問題について考えていかなければならない時期に来ているのではないだろうか。

現状として、日本の農業等の第一次産業が、外国人実習生頼みになり、この本がいうような外国人の奴隷化による搾取の構造がそこに存在しているのも事実である。

外国人受け入れ政策を考えていく上で、こういった事実上、安価な労働者として、受け入れが進み、それ頼みになっている第一次産業の問題をどう考えていくのかも、我々日本人が早急に解決すべき事柄であろう。

これらの本では、外国人実習生が、奴隷のごとく安価な労働力として、第一次産業において使われている現状が描かれている。

実習生と称し、実際は日本人が嫌がる仕事を押し付けて、最低賃金にもはるかに及ばない金銭の支払いで済ませている日本人による受け入れ機関の存在にも我々は厳しい目を向けなければならない。

責任感のない日本人による受け入れ機関が不法就労を助長し、そして、不法滞在や治安の悪化の原因、人権蹂躙による国際問題化という日本にとって不利益な行為を行っていることを知っている日本国民はどれだけいるだろうか。

外国人労働者を排斥せよという思考が停止した議論ではなく、どういう外国人労働者を受け入れるべきなのか、そのための法整備はどうあるべきなのか、成熟した国家に住む日本人として、ぜひ外国人受け入れ政策を考える際には、この実習生の奴隷化という現状にも目を向けてもらいたい。

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01/03/2011

年末に映画「トロン:レガシー」を観て

昨年は、さまざまな社会的な出来事に対する主張にお付き合いいただき、ありがとうございました。

なかなか更新ができませんが、2011年もお付き合いいただければと思います。

さて、2011年のお正月を皆さんはいかがお過ごしですか?

私は、昨年末頃から、再び映画にはまり、お正月も映画を見て過ごしいます。

もともと映画が好きだったこともあり、映画館で、スクリーンの迫力を楽しみながら観ることも多いのですが、最近は、テレビ番組等が面白くないと感じることが多く、家でも映画を観ることが多くなりました。

映画の良いところは、どんな映画もそれを制作する上で、時間がかかっているため、何かを学ぶことができることです。特に、洋画は、B級以下の作品でも、その国の、その時代の文化が反映されていたり、今では有名な俳優や女優の無名時代の演技などを楽しむことができたり、単純なストーリー以外の点でも、楽しむことができます。

また、映画を見ていると、ついつい、主役級ばかりに目が行ってしまいますが、脇役やちょっとしか登場しない人物の演技が意外と良い味を出していて、それを発見することも、映画の楽しみであると私は感じています。

そこで、年末年始に観た映画を紹介しようと思います。

といっても、今日は1作品のみ。

その他の作品については、適宜、このブログで映画評論として、紹介していこうと思っています。

今日評論する映画は、今まさに公開中の「トロン(Tron: Legacy)」です。

この映画、撮影そのものは64日間で終了したのですが、撮影後の映像技術に費やされた時間は、68週間といいますから、映像にかけた制作者の意気込みはこの数字からも伝わってきます。

ただ、ストーリーの概要や映像の良さは、他のサイトでも取り上げられていると思いますので、このブログでは、別の角度からこの映画について、取り上げてみます。

さて、この映画で、脇役ながら存在感があるのが、Zuseというキャラクターを演じるマイケル・シーン(Michael Sheen)という俳優です。


どことなく異様で、エキセントリックな雰囲気で登場し、登場シーンが終わる最後まで、そのキャラクターの印象が残る演技をするマイケル・シーンですが、2006年に公開され、ヘレン・ミレン(Helen Mirren)が2007年のアカデミー賞の最優秀主演女優賞を獲得した映画、「The Queen」では、トニー・ブレア首相(当時)の役を見事に演じています。


2007年の英国アカデミー賞(BAFTA Awards)では、最優秀助演男優賞にもノミネートされており、まじめで、かつ、当時のトニー・ブレア首相そっくりの演技は、トロンで見せる奇妙な演技とはまったく違う重厚な演技で、この俳優の演技力のすごさを感じました。

トロンで、彼が演じるZuseのシーンは、一見の価値があると思います。

マイケル・シーンは、2010年公開の作品「The Special Relationship」でも、「The Queen」のシェリー・ブレア夫人役を演じたヘレン・マックローリー(Helen McCrory)と共に、三度目のブレア首相役を演じているようです。ぜひ観てみたいものですね。ちなみに、ヘレン・マックローリーは、ハリーポッターシリーズで、ハリーポッターと同級生でライバル寮のドラコ・マルフォイの母親、ナルシッサ・マルフォイ役も演じており、この人もキャラクターを自在に演じ分ける実力のある女優です。

*この商品はリージョン1(アメリカ、カナダ向け)のDVDでしか再生できません。


しかし、残念ながら、アマゾンでは、日本のDVDでは再生できない輸入盤しか取り扱っていないようです(配給会社の方、ぜひ日本でもこの作品を観れるようにしてください)。

さて、話をトロンに戻しますが、主役のギャレット・ヘドランド(Garret Hedlund)もなかなか良い演技をしています。

この俳優の良さは、どこにでもいそうなアメリカの青年を演じきっている点です。特に個性のある演技をしていないため、突然、わけのわからない空間に入り込んでしまい戸惑う、サム・フリン役を見事に演じているといえます。多少、主役としては、物足りなさを感じるような気もしましたが、逆にそうしたアマチュア感のある役柄を演じきっているようにも思えました。

この俳優のデビュー作は、2004年に公開されたブラット・ピットが主演した「トロイ」で、ブラット・ピットが演じるアキレスの身代りとなって戦うパトロクラスの役を演じているのですが、彼が俳優になる決意をして、カリフォルニアに引っ越して、1か月でこの役を獲得しており、なかなか実力のある俳優です。

さて、この映画、もちろん映像も良いのですが、私は劇中で使われている音楽が、この世界に観客を引き込むうえで、非常に重要な役割を果たしているように感じました。臨場感ある音楽が、自然とトロンのコンピューターの中の世界という非現実的な空間に違和感なく、入り込めるような効果をもたらしているのではないでしょうか。

*この商品は劇場版のCDで、DVDではありません。

最後に、厳しいコメントも言いますと、この映画、3D上映なのですが、実際のところ、3Dにしたことの良さはあまり感じませんでした。

むしろ、3Dグラスをつけることで、グラスの暗さから、全体的に暗い印象となってしまうため、劇場での臨場感を半減させてしまったような気がします。

最近は、多くの映画で3D化を押していますが、なんでもかんでも3D化すれば、臨場感を味わえるというわけではないように感じます。3D化をする意義をもう少し考えた方が良かったような気がします。

ランキング等をみていると、日本では、アメリカでの盛り上がりをこの映画は見せていませんが、劇場で楽しむ映画としては、鑑賞の価値があるように思います。

この映画の最後に、サムの父親で、コンピューターと現実の世界を行き来できる装置を作ったケビン・フリンが、完璧さを追求することの過ちを認めるシーンがあります。これは、特に私たち日本人の多くが知らず知らずのうちに犯してしまっている過ちのように思います。様々なシステムが安全であるということに過信してしまったり、それ以外の場面でも、正しい答えというものを常に求めてしまい、思考錯誤する過程の重要さが過小評価されてしまっているように思います。

この映画には、「絶対的な完璧というものは、存在せず、むしろ、未熟だからこそ、人間である」という基本的なメッセージが込められており、高度に発達し、それに疑問を持たずに進んでいく技術社会の功罪も考える上で、非常に良い機会になるのではないでしょうか。


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11/20/2010

それにしても質が悪い柳田法相の失言

昨日、14日に三日月章元法相がお亡くなりになったという話を聞き、時代の移り変わりを感じた。

民訴法において、新訴訟物理論の基礎を築くなど法律家としては大変な功績を残された人物である。新訴訟物理論は実務上は受け入れられるものではないが、三日月先生やその後の新堂先生の主張は、紛争の一回的解決という要請の重大さを再認識させ、現在の実務でもその観点は非常に重要な価値を有しているといえる。

そうした三日月章元法相のご逝去のニュースを聞き、私は現在の法相の失言について、一つの意見を表したいと思った。


今や柳田法相の失言の話は毎日のように取り上げられている。

一部では、揚げ足取りの議論とか、無意味な議論という話も出ているが、私はこの法相の失言は、過去の失言とは比にならないほど看過しがたい重大な失言であると考えている。

それにしても、法務大臣という要職の在り方について、与野党問わずもっと真剣に考えてもらいたいものである。

法務大臣の職責は非常に専門的かつ広範囲なものであり、生半可な人物がなるべきポストではない。自民党政権下でもたびたび単なる派閥の割り振りポストという色彩が強かったが、これは民主党政権になっても変わらないようである。

もっとも、私は最近は千葉景子前大臣に対する評価を改めつつある。他の法相と比較すれば、マシなほうだったように思うからである。この点、千葉大臣に対する見解はかなり分かれるところがあるかもしれないが、少なくとも多くの読者は、千葉大臣が柳田大臣よりはマシだったという点には賛同してくれるのではないかと考えている。

では、なぜ私が柳田大臣の失言が過去の大臣の失言とは比にならないと考えるのかを説明しよう。

まず、柳田大臣の発言は、11月18日付読売新聞の電子版が要約するところによれば、以下の2つである。

「9月17日(の内閣改造の際)新幹線の中に電話があって、『おい、やれ』と。何をやるんですかといったら、法相といって、『えーっ』ていったんですが、何で俺がと。皆さんも、『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので多くのみなさんから激励と心配をいただいた」

 「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」

まず、最初の発言であるが、自分が法相として不適格である、少なくとも、経験不足であるという認識があるにもかかわらず、それを受けるという、エゴイスティックな姿勢である。本気で日本の抱える課題の解決を図らないといけないと考えているのであれば、少なくとも自分にそのポストをこなすだけの経験と実績がないのであれば、かたくなに断るのが、政治家としてあるべき姿ではなかろうか。

この第一発言は、就任当初から、法相として何をやるかという確固たる意思もなく、ポスト欲しさのために受けたということを明らかにしているようなものである。

次に、これが最も質の悪い、看過しがたい部分なのであるが、第二の失言部分である。
これは、本当に許しがたい発言である。なぜかといえば、職責を放棄していることを告白している発言だからである。2つのことだけ覚えておけばいいとして、あらゆる国会での質疑に対して、法務官僚に言われたのかどうかは知らないが、まともに思考せずに回答をしていることを言っているのだから、これを職責の放棄と評さずして、なんと評すべきであろう

仮に、法務省の組織である、法務局の職員などが、窓口で、国民からの問い合わせに対し、「個別の事案にはお答えできません。」とか、「法と証拠により適切に処理しています」しか回答せず、その後、ニヤニヤしながら、職員同士で、「法務局の仕事って楽だよなー。2つのことだけ言っていれば良いんだから」なんて言ってるとすれば、これは、懲戒ものであろう。

自民党時代には、過去に、「友達の友達はアルカイダ」とか、「私の宗教上の観念から死刑執行にはサインしない」等の発言があったが、いずれも、柳田法相の職務放棄ほどの低俗なレベルではない。

後者の杉浦法相の発言は、ある種、自己の信念と法相の職責との対立の末にでた発言であり、葛藤の現れなのであって、職務放棄とも評価できなくはないが、柳田発言のように、自己の職責に向き合わずしてなされたような、懈怠による失言ではないのであって、そこに大きな質の差がある。

こうして考えると、私は、柳田失言の質は非常に悪く、即刻罷免に値する看過しがたい重大な発言だと思うのである。

法務大臣の職務は、非常に重大である。死刑執行はもとより、国相手の訟務、刑事事件にかかわる問題、外国人の受け入れ管理に関する入管難民法の問題など人々の人権そのものにかかわる重大な分野の事件を扱っている。

一歩間違えれば、国内問題では済まず、国際的な非難を浴びるような重大な事務を取り扱っている省庁のトップが、こんな懈怠そのものと言える発言を平然としてしまい、これがおそらく本音であろうと誰しもが感じてしまうのであるから、非常に質が悪いとしか言いようがない。

民主党も自民党時代と何も変わらず、この発言の重大さを認識せずして、いまだに罷免をしない。これでは、変化に期待した有権者はますます政治不信と民主党への怒りを感じるのではないだろうか。

懈怠からくる職責放棄という失言は前代未聞である。

三日月先生は14日にご逝去されたので、現在の法務大臣の失言にまつわる問題は目にされずに亡くなったのだと思うが、この法務大臣のありさまをどのように思われるのであろうか。非常に恥ずかしい話である。

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09/22/2010

刑事司法の根底(廉潔性)が崩壊したニュース

記事のタイトルから何を語りたいかは解るであろう。

もちろん、大阪地検特捜部の前田恒彦主任検事による証拠隠滅事件についてである。

この事件の概要をまだ知らない方は、ぜひ、朝日新聞のWebニュースをご覧いただきたい。

さて、この事件既に報道されているように、前代未聞の事件である。

どう前代未聞かというと、これまで刑事訴訟法が想定していない事件が起こったためである。

従来、警察による捜索・差押手続きに違法がある違法収集証拠の話はよくあった。

具体的には、令状に基づく逮捕をすべきところを、要件が充足しないにもかかわらず、緊急逮捕や現行犯逮捕をしてしまい、その過程で入手した証拠物の証拠能力が争われるというものである。

つまり、逮捕等の手続きに違法があった事例(証拠の収集過程における違法の問題)であって、証拠そのものを加工するという事例では無かった。

しかしながら、今回の事件は、準司法作用を営む検察官、しかも、主任検事というベテランが、客観的証拠そのものに故意に手を加えたか否かが問題となっている

刑事司法においては、客観的な証拠(特に、物証)に関しては、それが領置や差押えされた時点の物そのものであって、捜査機関に加工される事態は想定していない

客観的な証拠そのものをいじられてしまうと、裁判官がその虚偽まで見抜くことはかなり困難である。

元裁判官の安原浩弁護士が、朝日新聞の記事で述べておられるように、「裁判官としては、供述調書は信用性を慎重に吟味するが、物証や鑑定結果などの客観的証拠は基本的に信用できるというのが前提。その客観的証拠に手が加えられる事態は想定を超えている」のである。

つまり、準司法作用の機能を営む検察官が、よもや、証拠を有罪にするために改ざんするとは、裁判所も、刑事訴訟法も、想定していなかった。

読者の中には、電子データの改ざんということの重要性がいまいちピンとこない人もいるかもしれない。

解りやすく言えば、凶器に被疑者や被告人の指紋が無かったにもかかわらず、指紋を事後的に検察官が有罪にするために、指紋をつけたのと同じくらい悪質な行為を行ったことが問題となっている。

真実だとすれば、刑事司法の廉潔性という根本的価値が崩壊する忌々しき事態である。

これは、一人の検察官の犯罪であると同時に、こういうことが起こってしまった検察組織そのものの問題点をえぐりださないと、刑事司法の廉潔性は回復できない

とりわけ、司法権力の担い手である、裁判所は、今回の事件を契機に、客観的な証拠のそれ自体の証明力(証拠価値)への考え方を根本的に見直していかなければならないかもしれない

前述の安原弁護士が指摘するように、「客観証拠自体の信用性も慎重に吟味していく姿勢が裁判所には求められる」のである。

このような事態に対し、最高検は異例の速さで対応し、直ぐに被疑者である前田主任検事の逮捕をしている。

様々な推察があるであろうが、私は、この素早い対応の背景には、検察機構の危機感と焦りがあると思う。つまり、あってはいけない事件があったことへの危機感と焦りであろう。

朝日新聞の報道によれば、大阪地検はこの改ざんについて、事前に把握していたという疑惑も上がっている。

故に、大阪地検の内部調査等を待たずして、いち早く、被疑者の身柄を確保し、最高検が捜査に乗り出したのであろう。

今回の報道は朝日新聞がスクープしたから事件が明るみに出たが、朝日新聞の記者による発見がなければ、この証拠隠滅事件は明るみになることが無かったかもしれない。それを考えると、本当に恐ろしい事件である。

なお、私は、推定無罪の原則に基づき、検察の情報を鵜呑みにするのではなく、独自に事実を検証する記者が本当のジャーナリストであると思う

また、多くの人が抱いている疑問は、この主任検事が関わった他の事件においても、同様の証拠隠滅が無かったのかという点であろう。

NHKのニュースによれば、この主任検察官は、守屋元事務次官の事件や、小沢氏の政治資金規正法違反事件で公設秘書の取り調べなども担当していたようである。

同主任検事による証拠の改ざん行為がどこまで波及するかわからないのであり、これに対しても、最高検は、相当の危機感を強めていると推察できる。

さらに、この問題は、たちが悪く、最近議論されている取り調べの可視化では、防ぐことができない性質を有する。

取り調べの可視化は、取り調べ段階の自白の任意性の判断や調書等の特信性の判断等には役立つが、客観的証拠の信憑性そのものを担保する働きは無い。なぜならば、客観的証拠が差押後に検察により加工されることは刑事訴訟法が想定していないためである。

刑事訴訟法が想定していない事件であるだけに、どのようにして、再発を防ぐかは非常に解決が困難な重大な問題である。

そのように考えると、法律に関し知識が疑わしい素人のような新しい法務大臣の指揮の下、検察の組織的問題をえぐり出せるか否かは甚だ疑問である。

私は、以前、民主党政権下での改革の成果として、岡部喜代子最高裁判事の任命を挙げた。

従来の最高裁判事人事においては、裁判所経験者ルートは下級審の長官経験者を、学者ルートでは東大や京大など出身の生粋の学者を任命する慣例が存在した。

そうした慣例を打ち破り、裁判官と学者という2つの経歴にもかかわらず、人格的にも優れた岡部喜代子氏が判事になったのは、政権交代による変化の兆しとして高く評価したのである。

このような大胆な人事を法務大臣のポストにも期待していたのであるが、結果は、柳田氏という法務問題に関する経験がほとんどない人物が法務大臣となった。

国民の基本的人権に関わる重大な問題を抱えている法務省の改革を素人同然の新大臣に期待できるであろうか。いや、できるはずがない。

今からでも遅くないので、菅直人総理大臣には、この問題を真摯に受け止めてもらい、民間からもっと適性のある人物を法務大臣にしてほしい

それこそ冤罪の恐ろしさを体験された村木氏には、個人的には、従来検察官の出世の通り道になっていたにすぎない法務省の事務次官になっていただき、徹底した司法改革への狼煙を上げてもらいたいが、こうした大胆な人事を菅政権には期待するだけ無駄だろう。

さて、村木さんですが、2000年に慶應大学の犬伏由子法学部教授とともに、女性問題に関する本を出版されているのですね。この機会に、村木さんが女性としてどう社会の壁と向き合ってきたのかを知るのは良いかもしれません。

また、今回の冤罪事件をテーマにした本が出版されているようです。どのような経緯で逮捕・勾留、起訴、そして、無罪判決に至ったのかを再度勉強しなおすのに良いかもしれません。

引き続き今回も紹介します。

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09/20/2010

人事院、ちょっと待った! ― 国家公務員採用試験制度変更への疑問

先週、アクセス数がいつもより多いと感じていたのであるが、その理由が解った。

ライブドアニュースに配信された記事を「Yahoo!みんなの政治」でも取り上げられていたからのようである。

以下がそのリンクである。興味がある方がいれば、私の記事と関連する情報もまとめられているので、参照してみてほしい。

「鈴木宗男議員の上告棄却」を考える」

http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/131/detail.html

「菅改造内閣 きょう発足へ」

http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/100/detail.html

さて、今日の本題。

国家公務員の試験制度が変更になるのはご存じだろうか。

人事院は、平成24年度、つまり、再来年の試験から今までの、Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種という区別の試験から、総合職、一般職という区分での採用を実施しようとしている。

しかし、よくよく見てみると、この制度変更が本当に国家公務員としての有能な人材の発掘につながるかは疑問に思えてくる。

むしろ、改悪ではないかとの疑問すら抱いてしまう。

そこで、今日は、従来の制度と比較して、新制度の問題点と矛盾を指摘しよう。

1.受験年齢に対する疑問

現在の国家公務員Ⅰ種試験(いわゆるキャリア組の選考試験)の年齢制限は、受験をする年の4月1日における年齢が、21歳以上33歳未満の者としている。

それに対し、新試験制度下では、人事院は、30歳未満の者に限定しようとしており、年齢制限を一層厳しくしている。

しかも、新試験では、院卒者も30歳未満としており、一定の社会人経験を有した後で大学院へ進んだような人材の採用を困難にするだろう。

人事院が想定しているのは、大学から直接大学院に進学したような人々であり、多様な経験を持つ人材の確保という観点が乏しいといえるだろう。

そもそも、厚生労働省をはじめとして、年齢制限の撤廃、つまり、年齢差別の解消をしようというのが流れである。

例えば、雇用対策法7条は、募集・採用において、長期勤続によるキャリア形成の場合という例外があるものの、年齢に関わりなく機会を付与しなければならないことを定め、努力義務を強化している。

また、高齢者雇用安定法18条の2は65歳以下の年齢制限を付するときは、事業主は求人者に理由を示すべき義務を定めている

にもかかわらず、33歳未満の現行制度から30歳未満に受験年齢を引き下げることは、採用における年齢差別撤廃の流れに逆行するものではなかろうか

もちろん、若い人材を活用することは重要であるが、今、国家公務員に求められているのは、創造力の豊かな人材の発掘である。

確かに、新試験制度下でも、社会人試験、経験者試験があり、一定の人材確保はその試験が機能を果たすという反論もあるだろう。

しかしながら、現在でも、中途採用試験を行っているが、平成22年度の各官庁の募集人数を見ると、非常に狭き門であり、民間の優秀な人材を活用するに至っているとは到底言えない

現行制度下では、実質的に、Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種試験が国家公務員への門戸であり、これが総合職試験や一般職試験に変わったとしても、国家公務員のメインストリームを採用する試験であることに変わりはない。

中途採用制度が多様な人材確保という機能を果たしていない以上、受験資格年齢は、従来のⅠ種制度のように、ある程度余裕を持たせて、幅広い人物に試験の門戸を開いて、多様な人物を採用すべきではなかろうか

どうも人事院は、既存のキャリアシステムとノンキャリアシステムの温存し、終身雇用制度を前提として公務員の身分保障を厚くしたいだけなのではないかと思ってしまう。

新試験制度のメリットが私には理解できない。

2.法科大学院や公共政策大学院卒業生の受け皿にもならない

これは前述の年齢制限に関わる問題であるが、人事院の説明によれば、試験制度見直しの経緯として、「法科大学院や公共政策大学院などの設置やその後の定着の状況」を挙げている

しかしながら、これについても、必ずしも法科大学院や公共政策大学院などの専門的教育を受けた者の受け皿にはなりえない。

30歳未満という受験制限は、つまり、試験受験年において29歳以下であることを意味する。

法科大学院や公共政策大学院の設立においては、アメリカのロースクール制度などを参考にし、多様な社会人経験者の進学を確保することが目的であった。

現在は、新司法試験の合格率の低下や不況、雇用情勢の悪化などが起因し、社会人経験者の進学率が著しく低迷する傾向が強まっているが、本来は、大学時代に法律のみを勉強してきたような学生ではなく、社会人経験等から、幅広い視野を持てる法曹の育成や国家公務員の育成を目指し、これらの専門職大学院が設置されたはずである。

にもかかわらず、29歳以下しか受験できないということになれば、新司法試験の合格者数の低迷も相まって、これらの専門職大学院への社会人経験者の進学はさらに、低下するであろう。

そうなると、多様な人材を確保しようとした上記専門職大学院そのものの存在意義が疑われるし、専門職大学院の存在を理由の1つとしている以上、今回の国家公務員採用試験制度の改正の意義も乏しいということに論理的になるのではなかろうか。

3.試験科目はほとんど同じ

1次試験の試験科目は従来とほとんど変更がない

2次試験において、グループ討論などを設けているが、この程度の変更では、多様な人材の確保は無理である。

そもそも、国家公務員試験そのものには、官庁訪問システムと人事院面接システムの2重採用システムが存在してきた。

国家公務員試験に最終合格しても、官庁訪問を通じた各官庁による採用がなされないと、候補者になるだけで、就職はできない。

官庁訪問では、各官庁の採用担当者がいわゆる面接試験を実施するのであって、人事院面接そのものの存在意義は、実はあまりないといえる。

学閥、学歴偏重という批判を受けてか、人事院面接に際しては、学歴などを面接官が解らないようにして実施するものの、官庁訪問では、出身大学はもちろん、民間企業と全く同じような面接試験を受けるのである。

つまり、人事院面接は、形式的に、学歴偏重などの批判を回避するためになされているに過ぎない

こうした矛盾点を改善していないのであるから、例え、2次試験において、人事院によるグループディスカッションを導入しても、それは受験生にとって単に負担になるに過ぎず、根本的な採用の改善に至ることは無いだろう。

4.結論

どうもこの試験制度の変更は、国家公務員受験者数の負担を増やすだけで、多様な人材の確保とは程遠い内容に感じてならない。

従来のⅠ種試験やⅡ種試験では、一度民間に就職した者が、公共サービスへの意欲を持ち、働きながら公務員試験の勉強をして、受験するという者がかなりおり、優秀な人材も集まっていたように思う。

しかしながら、このような年齢制限の厳格化と無駄な受験生への負担の増加は、民間経験のある多様で、優秀な人材を門前払いし、安定志向の学生のみが受験するような制度になってしまうのではないかと私は危機感を感じている。

優秀な人物はドンドン海外に流れ、外資系企業に行き、国家公務員、とりわけキャリア組の志望者の質が低下しているという話はよく聞く。

形式だけの制度変更では、有能な人物を確保するのは無理である。

試験制度、採用後の昇格制度の改革を徹底的にして、やりがいを感じ、労働意欲を高める人事制度設計を急がねば、創造力のある優秀な人材の確保をすることができず、日本政府の国際社会における存在感も失墜する日も近いかもしれない。

引き続き今回も紹介します。

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09/17/2010

仙谷官房長官の失言への重要な批判と法務大臣のポストについて

1.仙谷官房長官の失言に対する責任を追及せよ

昨日の記事「代表選から読む"民意"と円高と仙谷官房長官の失言 」で示したように、やはり仙谷官房長官の「防衛ライン82円発言」は重大な失言であるとの批判がちらほら出始めている。

この問題、一部の経済メディアと一部の野党議員しか重大視していないので、今日も引き続き取り上げ、この失言の重大さを読者の皆さんと再認識しようと思う。

まず、ブルームバーグのコラムニスト、ウイリアム・ペセック氏は、「円売り介入は『ソロスたち』への招待状、投機シーズン解禁」と題し、以下のように、仙谷官房長官の発言を厳しく批判している。

ジョージ・ソロス氏や同類の投資家たちが円高を見込むべき理由が2つある。

1.日本の円売り介入は単独行動で、主要7カ国(G7)による協調介入ではなかった。

2.日本の高官が介入の引き金となる水準を投機家に教えるという失敗をしてしまった

(省略)

また、政府は何がおころうと決して、防衛ラインの水準をトレーダーに教えてはいけなかった。

この鉄則を破った仙谷由人官房長官に眉をひそめた人は多かった。仙谷氏は財務省は1ドル=82円を攻撃に出るべき水準と考えていると発言したばかりか、政府は介入について米欧の理解を得ようとしているとまで喋ってしまった。

つまり、FRBとECBが協力していないばかりでなく、米欧当局は介入が必要とも、奏功するとも確信していないということだ。円投機のシーズン解禁だ。

(省略)

ソロス氏がこの機会を利用しないとしたら、ついに焼きが回ったとしか思えない。同氏は1992年に、ポンド防衛を図るイングランド銀行(英中央銀行)を相手に売り勝ち、10億ドルをもうけた。日銀に買い向かえば今回も恐らく、巨額利益を上げられるだろう。日本の当局者らは無意識に、投機家たちに招待状を送ったも同然だ

さらに、ブルームバーグが伝えるところによれば、JPモルガン・チェースが「防衛線の水準に言及したことは大きな過ちだ」と指摘したことを伝えている。

JPモルガン・チェース銀行為替資金本部の佐々木融チーフFXストラテジストは、最終的に円が再び上昇に転じるのは不可避だとした上で、その際に82円が、当局の再介入の水準として投機の焦点になるだろうと指摘した。

(省略)

佐々木氏はさらに、「円が82円台を割れると、一気に79円75銭が見えてくる」との見通しを明らかにした。

こうした金融関係者の厳しい批判が出始めているが、野党や日本のメディアの批判の動きは鈍い。

唯一、明確な批判を開始した国会議員は、みんなの党の渡辺喜美氏のみである。

時事通信の記事によると、野党、みんなの党の渡辺氏も、「わたしが投機筋なら『82円までは大丈夫だ』と必ず狙う。本当にばかだ。国家経営をやったことのない人たちに国家経営任せると日本が滅ぶということだ」と批判したいう。

私にとって、みんなの党は格別、渡辺喜美氏は、野党に転じてから薄っぺらい批判をすることが多いと感じていたので、あまり好きなタイプの政治家ではなくなっていたが、この批判は非常に正しい批判だと感じる。

日銀のホームページでも解りやすく説明されているが、今回の為替介入に使われているお金は、税金である。これは日銀が政府の代理で実務を執行しているが、決定そのものは財務省の権限である。そして、税金を使っている以上、最大の効果を挙げるべきことは明白である。

にもかかわらず、官房長官が、わざわざ不用意な発言をして、介入の効果を減殺する危険を高めてくれるのだから、渡辺氏がハッキリ言うように、仙谷官房長官の発言は、本当に馬鹿げた発言である。

国家の危機的状況において、こうも発言が軽く、失言をしてしまう人物が、官房長官の要職にあるということ自体本当におかしい

自民党ももっとこの失言問題を批判すべきだし、マスメディアも、下らない「脱小沢」か否かとか、ポスト予測をするくらいであれば、こうした失言をする仙谷官房長官の留任がどれだけ日本社会にとって有害なのかに目を向けて、まともな報道をしてほしい

仙谷官房長官を即刻更迭しなければ、第二次菅内閣はさらに日本社会を混迷に追い込み、政治による社会不安を引き起こすのではないだろうか。

しかし、報道されている閣僚人事のニュースに耳を傾けると、以前くだらない「脱小沢か否か」ばかりが注目され、日本の危機的状況に対する認識が欠如している。

我が国においては、発言に重みがあり、自分の立場をわきまえた人物を閣僚にしてほしいと望むことすらできないのかもしれない

2.注目されていない法務大臣のポストこそ民間からの起用を!

なお、個人的には、法務大臣のポストが気になることである。菅直人内閣総理大臣への切実なお願いとしては、ぜひともまともな人物を国会議員以外から登用してほしい

法務大臣の職は、現国会議員を見る限り、まともにこなせる人物は皆無である。

かつて、三ケ月章教授(民訴法)が民間から登用されたように、まともな人物を民間から登用してほしい。

今、司法制度改革は過渡期に来ている。実務と司法の抱える問題を熟知している人物でなければ、この難問への十分な対応は困難であろう。

具体的な名前を言えば、池田修福岡高裁長官や川出敏裕東大教授、渡辺咲子明治大学院教授など、刑事訴訟法に精通している方々が望ましいと考える。

引き続き今回も紹介します。

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09/16/2010

代表選から読む"民意"と円高と仙谷官房長官の失言

民主党代表選挙の結果は、既に御存じであろう。

今日はこれに関連し様々な動きがあった。

まず、菅政権に対する嫌気から、小沢氏が個人的には総理にふさわしいと思っていた私にとっては、菅政権が続くことにはウンザリするのであるが、そういう個人的感情は別として、今回の代表選の結果について簡単に私見を発したい。

マスコミや野党議員の一部は、党員サポータ票のポイント差と国会議員票のポイント差を比較し、「民主党の国会議員は、民意とこれだけかい離している」との指摘をしているが、これは民意を読み取る能力の乏しい発言である。少なくとも、こういう発言をしている議員やマスコミに国民の声を読み取る力は無い。

一部のジャーナリストが等が指摘するように、"民意"、つまり、"民主党員・サポーターの声"を判断する上で、ポイント数だけを考慮すると、多くの死票を無視することになる。

つまり、今回の選挙制度で、党員・サポーター票は、Winner Takes All、「勝者総取り方式」なのであって、この制度下で生まれる死票を無視してしまうと、正しい"民意"の読み取りはできない。

THE-JOURNAL編集部のツイートによれば、党員・サポーター票の総得票数は小沢:90,194、菅:137,998。比率では小沢39.5%、菅60.5%」という結果だったという。

この結果からすれば、党員・サポーターの4割は小沢氏に投票しており、5割が小沢氏を支持をした国会議員票と1割しか違いがない

したがって、1割の違いをもって、民意とかい離しているという評価は妥当でないし、むしろ、死票を無視する評価であって、これこそ民意軽視の評価であろう。

マスコミや野党議員だから、政府与党を批判するのがある意味、役割という側面もないではないが、あまりにも薄っぺらい、形式的批判は、自らの信用力を毀損すると思うので、もっと深い視点で、批判を繰り広げてもらいたいものである。

さて、問題は、4割近くが発足3カ月の菅政権に対し、Noを突き付けたわけである。

当初、党員・サポーター票のポイント数だけが発表された時は、「やはり、小沢氏は嫌われているな」と思ったが、総得票数を見て、「マスコミで言われているほど、一般人への小沢氏への嫌悪感は和らぎ始めているか、むしろそれ以上の危機感を菅政権に対して感じているのかもしれない」と感じた。

さらに言えば、脱小沢をメディアが争点とした今回の選挙で、民主党内は党員・サポーター、地方議員、国会議員を含め、4~5割近くが脱小沢に必ずしも好意的ではないという結果が出たと読める。

菅直人首相は、今までのような幼稚な人気取りの発言、パフォーマンスでは、身内の党員・サポーターからも支持を取り付けることはできないところまで追い込まれているのである。

他方で、菅直人首相は脱小沢を掲げて、当選した。5~6割はそれを支持したといえる。ここで、方向転換をすれば、「やっぱり、口先だけだ」という誹りを受けるだろう。

脱小沢を争点としてしまった(マスコミが争点にすることを許してしまった)菅直人首相は、自分自身をジレンマに追い込んでしまったといえる。

しかし、党内バランスやポスト争いに時間を費やしている暇はない。

問題は山積している。市場は素直であり、代表選で菅首相の当選が決まって、円高は一時82円台まで進んだ。

政府は介入を決定し、85円台まで円安が進み、ロンドンやニューヨーク市場でも介入を継続しているようである。

しかし、私はこれに対しても、介入失敗するのではないかとの懸念している。

ブルームバーグによれば、仙谷官房長官は、「82円台が防衛線かとの質問に対しては、『財務相の方でそう考えていると思う』」との不用意な発言をしたようである。

当然この発言はCNNニュースでも取り上げられており、世界中に82円が防衛線であることが伝わったと言える。

Yoshito Sengoku, chief cabinet secretary, suggested to reporters that the finance ministry saw levels of Y82 as a line of defense for the economy.

経済、為替が素人の私でも、このような手の打ちを明かすような発言が百害あって一利ないと感じる

なぜならば、暗に82円台まで落ち込んでも介入しないと言っているようなもので、介入による円安効果を減殺する発言と言えるからである。

自民党時代であれば、マスメディアがこぞって取り上げ、批判したであろうが、なぜかほとんどのメディアが取り上げていない

私は、今回の仙谷発言は、漢字の読み間違いとは比べ物にならない大失言だと思うのであるが、なぜ批判の声が聞こえてこないのであろうか

どういう意図を持ってかわからないが、このような不用意な発言をしてしまう官房長官が留任するというのであるから、介入は税金の無駄遣いに終わり、今後も円高は続くのではないかと感じている。

今後、この介入を市場がどう判断するのであろうか。

最新の日経新聞の報道では、過去最大の2兆円超での介入であるという。

私は経済には素人なので詳しいことは解らないが、スイスの失敗という事実を考えると、これだけの金額を投入したにもかかわらず、日本政府の円安誘導戦略には、「大した効果がない」とさらに円高の加速に弾みをつけ、結局今まで以上に国益を失う結果になるのではないかと危惧してしまう。そうならないことを祈るばかりである。

既に同じような懸念を示す経済記事も散見される。

 為替介入には副作用が多いことも認識する必要がある。今回介入を行った午前10時35分の水準は1ドル=83円ちょうど近辺。市場では83円ちょうどが日本の当局の「介入ライン」とみなされることになる。今後、再びドル・円が下落して83円割れが迫った際に介入が行われなければ、「当局は円高容認」と受け止められて投機的な円買いが一気に強まるリスクが伴う。直近では、スイス中銀がスイスフラン売り介入の実施を宣言しつつも、対ユーロでのフラン安誘導に失敗した例がある。

 民主党代表選を勝ち抜き、「第2次菅政権」の樹立に動きだした菅直人首相。その出発にあわせて円売り介入に踏み切ったものの、円安誘導はままならず、日本経済のデフレからの脱却も容易には行かない。

個人で外国為替取引をする人が増えているという話を聞くが、マネーゲームに利用されて、大損をしないように気を付けてもらいたい。

いずれにしても、私が菅首相の立場であれば、真っ先に、防衛ラインという手の打ちを明かしてしまうような誤まったメッセージを送る仙谷官房長官の更迭をし、その理由として、発言が軽いことを挙げ、民主党議員の自覚と引き締めを図るであろう。

しかし、菅首相にそのようなことができるか否かは、彼のリーダーシップなき言動を見ていれば明らかであろう。

今の民主党政権に「自覚と引き締め」を期待するだけ無駄なのかもしれない。

なお、要の財務大臣には民間からあの人を登用するというくらいの行動があれば面白いと思うが、財務省のポストもおそらく論功行賞で留任となり、日本経済が一層弱まるのではないかと思う。

引き続き今回も紹介します。

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09/13/2010

私は小沢一郎氏が次期内閣総理大臣になること支持します。

民主党の代表選挙ですが、私は小沢一郎氏を支持したいと思います。

といっても、投票権はありませんから、私の支持も単なる意見表明にすぎません。

支持する理由ですが、これは消極的支持に近い面があります。

つまり、菅直人現首相があまりにも終わっているからです。

今後3年間も菅直人氏が首相となる日本を見てはいられません。菅首相が続けば続くほど、日本社会は混迷すると思ったからです。

その最大の理由は、彼には信念が無い、もしくは、その信念が伝わってこないのです。発言内容と実行内容があまりにもかけ離れており、政策を実行する行政の長でわるにもかかわらず、最近立ち上げた会議の名前を連呼するだけで、実行する政策の具体的内容が全く伝わってきません

そもそも、菅首相の経済を回復しながら税負担を求めるという発想に、私は経済の素人ながら無理があると思います。

経済行動は心理学的要素があります。

日本人の消費者の傾向として、増税が決まると消費がぴったりと止まり、落ち込むことは、消費税導入以降、明白ではないでしょうか。他方で、エコカー減税や家電のエコポイントなど得をするということになれば、お金を出し惜しみしないように思います。

そして、その最大の一例が、菅直人氏の消費税10%発言です。これで支持率は急落し、参議院選挙は惨敗です。

つまり、国民は税負担を肌で感じることを嫌がり、その心理を明確に消費行動で表すわけです。

円高が解消される兆しは無く、内需拡大が叫ばれる中で、税負担などはもってのほかではないでしょうか。

円高、消費税増税という中で、いくら社会保障費を充実させても、日本は疲弊するだけですし、若い優秀な人材は、どんどん日本から流出するでしょう。

さらに、菅直人氏は雇用を最重要課題と主張しますが、具体策が見えてきません。新卒大学生の苦しい就職事情、既卒となって採用レールに乗れない若い世代の苦悩を理解しているようには全く見えないのです。

このような人物が現内閣総理大臣の職にあることは、この国にとって非常に不幸であると思います。

他方、チャレンジャーの立場である小沢一郎氏は、例えば、消費税関係の税などを地方に移管するなど、地方分権を進め、地方が自立した経済を運営できる支援する政策を代表選の期間中訴えていました。このような具体的な政策を力強く語る姿は少なくとも菅直人現内閣総理大臣よりもリーダーシップを感じられました

特に、官僚との関係について、小沢氏は、現内閣総理大臣の菅氏のように、無責任な官僚批判をしません。官僚は政策を忠実に実行するという本来の姿を理解しており、官僚を使いこなせていないという問題は、民主党の政治家自身の問題であるという認識をしているように、発言内容から感じられた点は、支持する理由としてかなり重要な考慮要素でした

また、マニフェストという原点回帰を主張しています。

私は、民主党のマニフェストすべてには賛同していませんし、こども手当なんか今すぐにでも止めるべきではないかとの立場です。

しかし、それ以上に、マニフェストを軽視しても良いという風潮が続くことへの危惧があります。これは必ず政治不信を招き、政治的無関心者が増え、さらなる国家の疲弊につながると私は思います。

次の衆院銀選挙では、民主党政権がマニフェストの何を実行できたかが問われる選挙です。それが健全な二大政党制です。

それを目指す小沢一郎氏の方が、菅直人現総理大臣よりも、行政の長にふさわしいと私は思います。

また、メディアの不公正な批判などはかねてからこのブログで指摘してきている通りです。この国の大手メディアはペンの暴力を牛耳り、一定の価値観を先行させて、思考停止している大勢の国民を誤まった知識に基づいて、誤った方向に誘導していると感じてなりません。

特に、テレビは限られた資源である電波を利用しているにもかかわらず、同じ意見しか報道せず、自律的に思考できる情報の提供がありません。

これは今回の代表戦に限られたことではありません。

刑事事件では、被疑者として身柄拘束された者はもちろん、疑わしいというだけで、犯人扱いの報道が続いています。小沢氏の事件もそうですし、最近のもので印象深いのは香川県坂出市の女児と祖母が殺害された事件の報道が記憶に残っています。

小沢氏の政治資金規正法違反事件について、果たして、小沢氏の検察審議会で審議されている事案を的確に説明し、どういう罪で何が問題になっているかを説明できる国民はいるでしょうか。メディア関係者でもどれだけの人間ができるでしょうか。

私は、感覚的な印象でしかありませんが、疑わしきは被告人の利益にが徹底される刑事事件であるにもかかわらず、8割以上の方々が説明できないにもかかわらず、「怪しいから」、「やっているに違いないから」という無知で無責任な意見を持っていると感じています。

小沢氏は民主党が約束して未だなしえていない記者会見のオープン化、記者クラブの独占状態の解消を実行すると言っています。これは多様かつ多角的な情報提供を可能にするのではないかという期待が持てる点で支持できます

衆愚政治に陥っている日本社会からの脱却をするためには、衆愚が支持するとメディアが伝える菅直人氏ではなく、マスメディアからの批判を受けつつも、それに向かっていく小沢一郎氏が内閣総理大臣となる方が私は望ましいと思います。

そして、残りの一定期間の中でその力量を発揮し、結果について、唯一正当な民意の反映されるべき選挙において、国民の審判を仰いでほしいと思います。

それでも成果が出ずに、有権者の支持を失うのであれば、そこで、野に下るのが選挙というものであり、正しい民主主義だと思うわけです。

したがって、私は小沢一郎氏が次の内閣総理大臣になることを支持します

もっとも、私が既に民主党政権に期待をしていないという気持ちは変わっていません。しかし、菅直人総理以外の人物、小沢一郎氏による新しい政権が発足した場合は、その動向は注視し、従来の評価を含めて、民主党政権の再評価を行うつもりです。

引き続き今回も紹介します。

マスメディア、特に、新聞の記事の下らなさに落胆し、購読を辞めようかと考えている方には朗報です。

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«鈴木宗男氏の刑事事件に対する最高裁決定をめぐる議論