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07/30/2016

有権者の見る目が試される選挙

先日は6カ月ぶりにブログを更新し,「緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義」という記事で,社会情勢の変化で往年のエンターテイメントが有する意義が時代時代で変わってくるということについて意見を発信した。

今回は,毎日マスコミが騒いで取り上げる話題の1つ,明日の東京都知事選挙について私の意見を表明したい。

1.マスコミの罪

まず,マスコミが3候補に絞って報道をしていることから,この3候補以外に投票するのは死票になるのは明らかであろう。これはマスコミがいかに我が国の政治的意思決定において,有権者の判断する余地を狭めているかを示している。

マスコミからすれば,一応,最後に候補者全員を紹介しているんだから選ぶのは有権者の勝手であるし,"世論調査"での投票先は3候補がほとんどなのだから,俺たちはそれを単に伝えているだけだと反論するかもしれない。

しかし,公示前から既に有名な候補,いわば,今回の3候補に絞った報道がなされている時点で,マスコミの主張は失当である。

つまり,選挙告示前から無責任なマスコミが「注目」すべき候補か否かという恣意的な判断をし,その結果,実質的に死票とならない候補者の絞り込み(フィルタリング)が行われてしまっていると言わざるを得ない。

この点,有権者がマスコミの「注目」に踊らされており,有権者が未熟で,単に馬鹿なだけであるという見解もあるだろう。その見解は私はある意味正しいと思う。

しかし,マスコミが未熟で馬鹿な有権者を煽っているのは明らかであり,私はマスコミによる事前の絞り込み(フィルタリング)問題ということについては今後真剣に考えていかなければならないと思う。

なぜならば,マスコミがこの国の為政者の意向に沿ってのみ報道することになることは,いかに日本が形式的に民主主義の立憲主義国家であるとしても,実態は北朝鮮と同じということになりかえないためである。

マスメディアに自己の意思の決定を委ねないということが我が国の有権者として果たすべき責務であろう。

2.東京都知事選挙の投票

死票にならない3候補を比べた時,まともな人であれば,どの候補もパッとしないと思うだろう。

石原元都知事が色々と揶揄したオバサンは,明らかに権力欲の塊であり,自己の政治資金の疑念にきちんと回答したとはいえないのであって,この姿勢と資質から見ても,舛添と同じ結果になるのは明らかである。

他方,自民や公明に押されている増田というオッサンも何をしたいのか良くわかないし,改革なんか期待できない。

さらに,野党統一候補の高齢者についても,どうも東京都がどうあるべきと考えているのかが伝わってこない。

したがって,多くの有権者は「よりマシな候補」に投票しようとするのではなかろうか。

しかしながら,投票に際して考えてほしいのは,自分に候補者を見極める能力があるのか否かという点である。

私は今回の選挙でこの候補に入れるべきと推せる候補者は正直いない。

ただし,1つ言えることは,前々回の選挙で猪瀬に投票し,かつ,前回の選挙で舛添に投票した有権者は,明らかに見る目がないのは明らかなので,今回の選挙には投票に行くべきではないのではないかということである。

特に舛添については,彼の資質の問題であり,彼の都知事選挙前の言動を見ていれば,あのような問題を起こすような資質があるのは明らかであった。なぜならば,彼の言動に傲慢で,かつ,選民意識が強く,自己顕示欲の塊のような人間であることがよく表れていたからである。

それは彼の当選直後に私が書いた,「ジャーナリスト池上彰の凄さ(池上無双と言われる理由)」や「ジャーナリスト池上彰から敵前逃亡をした新都知事の情けなさ」という記事における池上氏と舛添とのやり取りを見ても明らかであった。

私は,当時の記事で,「舛添新都知事の度量の小ささは、ジャーナリスト、池上彰によって、当選直後に白昼にさらされた言わざるを得ない。」と指摘し,「今後、池上無双から逃げた舛添という誹りを挽回できるチャンスはあるのだろうか。これ以上失望させられないことを祈るばかりである。」と述べたが,私の懸念は的中した

度量が小さいから,あのようなセコイ政治資金の使い方をして都民から総スカンを喰らったわけであるが,それをしそうな資質は当選直後に表れていた

つまり,当時,投票した有権者が本当に見る目がなかったのである。

投票に行くのも行かないのも主権者たる国民,有権者の自由である。

私は投票率が高いことが必ずしも良い選挙だとは思わない。投票に行かない自由というのも保障されるべきであるし,見る目のない有権者は投票にいかないというのも民主主義に資すると思っている。

過去2回の選挙で明らかに問題のある知事を積極的に支持して投票した有権者は,はっきり言ってみる目がないのであるから,そのことを自覚した上で自らの投票行動を決めるべきであろう。

多くのメディアは投票に行こうと呼びかけるが,見る目がない有権者が無責任に投票することこそ,民主主義の弱点であると私は考えている。

自信を持って投票できないのであれば,投票しないというのも選択肢の一つだろうし,投票する以上は,投票した候補者が猪瀬や舛添と同じような政治とカネの問題を起こした時には,自分は本当に見る目がないと真摯に反省すべきであろう。

3.候補者は池上無双の洗礼を投票日前に必ず受ける仕組みを作るべき

前回の参議院選挙でも,池上彰氏の池上無双ぶりは発揮されていた。民進党の岡田党首にも激しく切り込んでいたし,蓮舫議員もいらつくようなそぶりを見せ,彼女の底の浅さを見せつけていた。

さらに公明党にも恒例となった創価学会との関係について単刀直入で突っ込んでいたのは記憶に新しい。

しかし,本来あるべきは,このような池上氏の厳しい質問と候補者の応答を有権者が見極めたうえで,投票行動を決するようなメディアの仕組み作りではなかろうか。

例えば,NHKと民放が協力して,全候補者を集めたテレビディベート大会を2~3時間の枠で,池上彰氏のように単刀直入に候補者の嫌な質問であっても構わず行い,自分の意見などを言いすぎないジャーナリストを司会者にして行うべきである(ちなみに,現在,正直,池上氏以外にそれができるジャーナリストいないと思う。例えば,朝まで生テレビの司会を長く行っている田原総一朗氏は自分の意見を言いすぎるという点からディベートの司会者には向かないだろう)。

嫌な質問にどう候補者が答えるかで,その候補者の人間としての資質が見えると私は思う。

マスコミがそれぞれバラバラに下らない選挙特集をやるよりも,池上無双による候補者のスクリーニングをテレビディベートというような形で行う方が,よっぽど有益だし,候補者を見極める目を養うことに資するだろう。

いずれにしても,明日は投票日。

2度の恥ずかしい都知事を輩出した都民である我々に,有権者として見る目があるか否かが今再び試されている

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