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07/26/2016

緊迫する社会情勢とある往年のミュージカル(ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート)の社会的意義

暫くブログを休止していたが,書きたい話があるので約半年ぶりにブログ記事を更新しようと思う。

最近は,中東におけるテロやイスラム原理主義に傾倒したテロリストによる犯罪行為のニュースを聞かない日はないと言っても過言ではないだろう。

テロは中東からヨーロッパ,北米だけでなく,オリンピックが行われるリオでもその計画が明るみになり,もはや世界中で安全な地域はないとも思えるような暗いニュースが多い。

そのような情勢の中,我が国では,幸いにしてイスラム原理主義によるテロ犯罪は起こっていないが,我々の中東やイスラムに対するイメージは過去を見てもないほど日々悪化しているというのが実情であろう。

ところで,私は以前から何度か映画や演劇,オペラ,ミュージカルなどのエンターテイメントが社会や個人に与える力,その社会的意義,いわば,エンターテイメントの大儀について,様々な記事(例えば,「ディズニー(Disney)映画に見るセクシズムと限界」など)を書いてきた。

そこで,日本で公演されているある世界的なミュージカル作品についての私見を紹介し,今このタイミングで公演が行われた社会的意義について考えてみたいと思う。

1.30年以上前に作られたミュージカルの現代的意義

その作品は,邦題:「ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート」(原題:「Joseph and Amazing Techinicolor Dreamcoat」)(以下「Joseph」という。)である。

7月13日から渋谷ヒカリエの東急シアターオーブ(BUNKAMURA)で公演されて,7月24日(日曜日)で千秋楽を迎えたブロードウェイミュージカルである。

この作品については,スーザンボイル現象が起こった2009年頃に,「チャンス・ステグリッチ(Chance Steglich)君の歌唱力にも注目」という記事で,当時高校生であったチャンス君の高校生とは思えぬ高校での公演の動画を紹介したことがあったが,当時チャンス君が出演した作品がこのJosephなのである。

<参考:チャンス君の動画>

※以前紹介した記事の動画が見れなくなっているので今回新たに次の動画を掲載する。

ちなみに,当時高校生にして素晴らしい歌唱力を持っているチャンス君は,現在ユタ州のディクシー州立大学の劇場で俳優として活動しているようである。

さて,話を本題に戻すが,このJosephは,オペラ座の怪人,キャッツ,エビータなどを輩出した作曲家,アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)と美女と野獣,チェス,ライオンキングなどを輩出した作詞家,ティム・ライス(Tim Rice)が初めて1967年頃に生み出した作品で,トニー賞を1982年に受賞して以来,様々な演出が加えられエンターテイメントととして進化し続けており,アメリカやイギリスなどの欧米では知らない人はいないと言っても過言ではない。

アメリカの多くの人々が高校などで公演などをした際に参加したり,鑑賞したことがあるという経験を持っているだろう。

また,イギリスでは2007年にBBCが「Any Dream Will Do」という番組を放映した。

この番組では,Josephの主役を一般公募のオーディションをして勝ち上がったファイナリストから毎週番組で電話投票をして,最後に残った俳優が主役を演じることができるという番組を放映しているが,かなり好評だった。

いかにこの作品が英語圏で人気の作品か良く分かる。

そこで,今日の記事の本題である「この作品がなぜ今日本で公演されたことに意義があるのか」であるが,それはこの作品が扱うテーマである。

そもそも,この作品はキリスト教の旧約聖書,ユダヤ教の聖典,イスラム教の啓典の「創世記」をテーマにしたもので,まさに各宗教に共通の物語をミュージカル化したものであるが,宗教対立,宗教に名を借りたテロという殺戮,犯罪行為が横行する現代だからこそ,これらの宗教に共通して存在する物語をテーマにしたこの作品が今まさに時代に適っている

また,この作品の舞台は,カナン(古代パレスチナ)とエジプトである。

今まさに極めて情勢が不安定な地域を舞台に,それとは対極的な演出で,激しい歌と踊りで,楽しく,明るく,「ザ・エンターテイメント」といえる作品であることからも,社会に対する普遍的なメッセージを感じる作品である。

そして,作中で披露されるテーマ曲の1つも,混沌とした時代に忘れかけている大事なことを観客に喚起してくれる。

それが「Any Dream Will Do」である。

これはJosephのテーマ曲の1つでるが,この歌詞の中には次のような歌詞がある(和訳は私が仮訳としてリズムに合わせて付したものである)。

Far far away, (遠くで)

someone was weeping. (涙する人)

But the world was sleeping. (気にしない世界)

Any dream will do.(夢をみよう)

【中略】

And in the east, (東の空で)

the dawn was breaking (夜が明ける)

And the world was waking (世界が変わる)

Any dream will do(夢をみよう)

【中略】

The world and I, (世界と私)

we are still waiting (いつまでも待つ)

Still hesitating, (ためらい続ける)

any dream will do(夢をみよう)

我々日本人はバブル期に経済的な利益を追い求め,未だに物欲主義のバブル再興という夢を見ている人間もまた少なくない。

また,それを望んでいなくても,日々の仕事に忙殺され,精神的な安定と自己実現の価値についてなかなか向き合える環境ではないという現実も存在する。

そのような日本において,Josephは,夢をみること(夢を持つこと)の大切さという強いメッセージを送ってくれるのである。

私は,夢をみることというのは,思想の自由という精神的自由の根本的価値の1つの体現であり,私たちが人間として享受できる人権の最も根幹な部分と考えている。

つまり,個人がいかなる夢をもつことができるという自由なのであって,それは人間としての個々が存在し,自己実現をするためのもっとも重要な自由である。

この作品の冒頭で,ストーリーテラーのナレーターが歌う次の歌詞がある。

Now I don't say who is wrong, who is right (誰が正しいとか,間違っているとはいいません)

But if by chance you are here for the night (でも今夜,皆さんは偶然にもここに集まりました)

Then all I need is an hour or two (ほんの1,2時間を下さい)

To tell the tale of a dreamer like you(あなたのように夢を見る人の話をさせて下さい)

We all dream a lot -- some are lucky, some are not (私たちはたくさんの夢を見ます。幸運な人もいれば,不幸な人もいます)

But if you think it, want it, dream it, then it's real (でも,思い,欲し,夢を見れば,現実になるのです)

You are what you feel(感じていることそのものがあなた自身なのです)

非常に詩的な内容なので,仮訳も非常に難しいが,私はこの最後の部分にこそ,夢を見ることによる自己実現の重大さというメッセージを感じる

今の日本では,憲法が何たるかを全く理解していない為政者が,憲法を改正する力を手に入れてしまったという現実がある。

しかし,この自己実現という価値はまさに,憲法が保障する精神的自由の根幹部分であり,この価値が制限されるような世の中には我々は絶対してはいけない

また,世界では毎日テロという無意味な殺戮という犯罪行為による多くの市民が殺されている。フランスに続き,ドイツでも子どもをターゲットにしたテロが発生してしまった。こうした犯罪行為を絶対に許さないという強いメッセージを宗教リーダーは力強く発する必要があると感じるがイスラム教のリーダーからの強いメッセージはあまり聞こえてこない

この点,この作品では兄弟に殺されかけたJosephがその兄弟たちが危機に直面した時にどう対応するかというシーンがある。

この作品は他人に不寛容になり,宗教やその他の薄っぺらい形式のみの大儀の名の下で,他者を否定し排除するという世界の風潮に対し一石を投じており,30年以上前に作られた作品ではあるが,むしろ現在の社会情勢に鑑みて,改めて評価されるべきである。

ショーが終わった後,会場から出る際に,ある年配の観客の方が,「最近テロの話が多くて怖いけど,こういう物語のベースになるエジプトってやっぱりすごいわね。こういう作品が世界でもっと広がって,偏見や争い事が少しでも減るといいのにね。」と話していたのは大変印象的だった。

2.今回の作品の評価

前述でも触れたが今回の作品では,アレンジが加えられている。

1999年頃に映像化されたDonny Osmondが主演の作品はより子供を対象にした演出であったが,渋谷で公演した作品は,現代の大人に向けた演出が強かった

この点は,演出を担当したAndy Blankenbuehler氏が,冒頭のプロローグ部分で,汽車の音などを取り入れるなど1999年のDVD版とは異なるアレンジを加えた理由について,パンフレットの中で,「大人は進むべき道は(敷かれたれーつの上を走るように)ひとつしかないと思い込みがちだということも表したかった」と述べていることからも明らかである。

なお,Andy Blankenbuehler氏は今年のトニー賞を席巻したハミルトン米国大統領の生涯を描いたミュージカル「Hamilton」で振り付けを担当し,トニー賞を受賞している。

これは英語を母国語にしない日本人には当たりだったように思われる。

私は,最終日の前日の最後の夜のショーを見たのであるが,会場には子どももちらほらいたものの,観客の多くは大人であり,年配の観客もかなり多くいた。

そして,驚いたのは,この大人の観客達が一体となって始まりから最後まで続くアンドリューロイドウェバーの「繰り返しのリズム」にまんまと取り込まれ,所々で大きな歓声を上げながら,最後は全員総立ちでスタンディングオベージョンをするほど熱狂した状態であった

特に,高齢の男性客が高いテンションで楽しんでいた姿は,大変印象的であった。

日本にはJosephのように観客を一瞬にして別世界に引き込む夢のあるエンターテイメントが非常に少ないことも起因しているのかもしれない。

特に印象に残ったのは,主役のJosephを演じたJC McCannさんの歌唱力,代役(Understudy)ではあったものの作中で主演女優というべきナレーター役のShea Gomezさん,コミカルでプレスリーのようなファラオ役を演じたJoe Ventricellさん,そして,脇役ではあるものの,ジョゼフの兄弟の一人であるBenjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんの4名である。

主役のJC McCannさんは,アンドリューロイドウェバーがこの作品でよく使いたがるようなポップなアイドル的な俳優ではなく(そのようなキャスティングのせいでこの作品は子供向けと思われがちな傾向がある),どちらかというとクラシカルな「Oklahoma!」やLes MiserablesのEnjouras役などを演じてきた実力のあるミュージカル俳優というだけあり,きちんとした歌唱力に裏付けされており,Josephの役にはぴったりだっただろう。

主役級が印象に残るのは当然と言えば当然だが,Shea Gomezさんは代役であったものの凄く強い歌唱力であったし,おそらく多くの観客は彼女が代役とは気が付いていないかもしれない。

また,ファラオ役を演じたJoe Ventricellさんの演技も英語という障壁を多くの観客が抱えているにもかかわらず,プレスリーのような声で,絶妙な間合いとボディーランゲージによる演技で笑いを何度も取っていたのは素晴らしいと感じた。

そして,私が一番評価したいのは,あまり目立つキャラではあったものの,Josephの末の弟,Benjamin役を演じたMatthew J. Varvarさんである。

彼はバク転宙返りなどアクロバティックな演技もしていたが,私はそこではなく,彼が「One More Angel in Heaven」という歌のシーン(ジョゼフがいなくなり悲しんだり喜んだりしているシーン)で行った細かい演技に感銘を受けた

Benjaminというキャラクターは,Jacobの12番目の息子で,Josephの同じ母親から生まれた弟であり,もっともJosephと仲が良い存在であったとされている。

そのBenjaminを演じたMatthewさんは,上記シーンで,他の兄弟とは一線を画し,悲しんだり,後悔したりした姿を演じていたのである。

これは1999年に映像化されたシーンでも描けていなかった。それを今回の渋谷の舞台で細かく演じていたのは作品に対する高度なプロの仕事を感じたのである。

歌と踊り一辺倒となってしまいがちなアンドリューロイドウェバーの作品において,脇役ながらキャラクターの細かな心情の違いを演じきっていたのには驚くと同時に大変感心した。ぜひ今後も様々なミュージカルで成功してほしい俳優である。

他方で,作品をある程度批判的に考察することも必要であるからあえて厳しい評論もしようと思う。

まず,個人的にあまりしっくりこなかったのは,Judahの役のKyle Freemanさんが歌った「Benjamin Calypso 」とSimeon役のPeter Suraceさんが歌った「Those Canaan Days」の部分である。

前者は,演出のライトニングが暗く,Calypsoというカリビアン的な雰囲気が十分に出ていなかった。

そういう意味ではどうしても1999年のこのシーンのイメージを打ち破るだけのパンチが少なかったということだろう。このシーンでは,直前の緊張感のあるシーンから一気に開放され,愉快で南国の雰囲気が出てこないといけないと思うが,それも少し中途半端な感じで,歌もどこかあか抜けない感じだったのが残念であった。

後者は,好みの問題なのかもしれないが,このシーンでは「Those Canaan days we used to know. Where have they gone, where did they go?」という歌詞があり,where didというところで,かなり長く伸ばすシーンがあるのであるが,ここが最も俳優たちの歌唱力の強さを感じることができるシーンなのであるが,渋谷のショーでは,この部分をコミカルに笑いをとるだけにしてしまっており,もっと歌唱力の強さを感じたかったように思う。

例えば,トニー賞を受賞した時は,以下の動画の1:18辺りのシーンのように息継ぎなく長ーく伸ばしながら歌唱力を見せつけるような演出が見たかった。

このように物足りないと感じる部分も全くなかったわけではないが,今回の渋谷ヒカリエで上演されたミュージカルは総じて素晴らしいものであった。

さらに,前記の動画のとおり,渋谷ヒカリエでの「Go go go Joseph」のシーンは白い衣装で統一されていたが,やはりこのシーンはもっとカラフルで近未来的な演出をもっと過激かつ会場全体を巻き込む形でやった方が日頃大人しい日本人にとっては絶大のインパクトを与えることができたように思う。

この点,今回はUS Tourのキャストによる公演だったが,イギリスの公演の演出は,より華やかな印象を受け,また違うようである。例えば,イギリスでは,X Factorで有名になったLloyd Danielsさんが主役になったりしている。

次回はイギリスのキャストによる公演があると比較できて面白いかもしれない。

いずれにしても,残念ながら,Josephは,7月24日(日)の12時30分が日本での最終公演になる。

私が見た7月23日(土)の夜の回では,リピーターチケットということで,最終日のチケットも販売していたが,座席はほとんど埋まっており,この公演を見て感激し,2日連続で見ようとしている人もかなりいたようで,列ができていた。

この作品を見逃した人もそう落胆することはない。なぜならば,この作品は映画化も検討されているといわれている。

またYoutube上でもJoseph事態は様々な高校などのレベルでも演じられており,それを見ることができる。また,1999年のDVDバージョンもお奨めである。

ぜひ興味がある人は,このJoseph and Amazing Techinicolor Dreamcoatという作品を見て,現代におけるこのミュージカルの社会的意義を再評価して,この作品を楽しんでもらいたい。

なお,最後に,次の動画を紹介して,約6カ月ぶりの記事を締めたいと思う。

これは上述で触れた今年のトニー賞を席巻したミュージカル「Hamilton」の歌を披露するJoseph and Amazing Techinicolor DreamcoatのUS National Tourのキャストの動画である。

このメンバーが渋谷のヒカリエで公演したのであるが,この動画も必見である。

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