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December 2015

12/23/2015

金融庁の怒りとそれに対する危機意識が組織的に欠如している新日本監査法人

先日は6か月ぶりのブログ記事で東芝の会計監査人であった新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)について,断固たる姿勢での厳しい処分が必要である旨主張したが,既に報道されているとおり,昨日の2015年12月22日付で金融庁は新日本に対し,①業務改善命令,②契約の新規の締結に関する業務の停止「3月」(以下「一部業務停止命令」という),③約21億円の課徴金納付命令に係る審判手続開始を決定という処分が発せられた

当初は上記の一部業務停止命令の期間が「6月」という報道があったのが,直前になって「3月」との報道に変わったことから,私は,結局のところ金融庁による処分は,一部業務停止命令もその対象を監査業務に限定するなどして,新日本の会計士の論理が優先され,甘い処分になることを危惧したが,今回の処分内容は,新日本の責任との対比において極めて妥当な線であり,金融庁の処分内容と処分理由の報道資料を読むと,金融庁の怒りが相当程度に達して本気で処分したことがよくわかる内容となっている。

他方で,この金融庁の処分を受けて,同日に新日本が発表した改革案責任の明確化という資料は,極めて陳腐な内容となっており,金融庁が相当な怒りを持って処分をしていることに対する自覚が残念ながら全く感じ取れないのである。

そこで,今日は①なぜ金融庁の怒りが報道資料から読み取れるのかということと②新日本の対応からいかに危機意識が組織的に欠如しているかということについて論じてみたい。

1.金融庁のによる怒りのメガトンパンチ

まず,金融庁の報道資料には,処分理由として,次の2つを挙げている。

ア 新日本有限責任監査法人(以下「当監査法人」という。)は、株式会社東芝(以下「東芝」という。)の平成22年3月期、平成24年3月期及び平成25年3月期における財務書類の監査において、下記7名の公認会計士が、相当の注意を怠り、重大な虚偽のある財務書類を重大な虚偽のないものとして証明した。

イ 当監査法人の運営が著しく不当と認められた。

金融庁は,相当の注意を怠っていたと認定していることから,つまりは,必要な注意義務を果たすことなく漫然とした節穴監査であったということを行政庁として認定していることを意味する。

そして,東芝の監査チームだけでなく,東芝の監査を担当した事業部だけでなく,新日本が組織全体としてその運営が著しく不当であると認定している。

処分をする上では当然の認定ではあるが,目を見張るものがあるのは事案の概要部分である。

(1)東芝の監査部分に関する指摘

  • 監査の担当者は、(中略)異常値を認識するとともに、その理由を東芝に確認し、「部品メーカーからの多額のキャッシュバック」があったためとの回答を受けていたが、監査調書に記載するのみで、それ以上にチーム内で情報共有をしていなかった。監査チーム内において不正の兆候を把握した場合の報告義務を課すなどの適切な指示、指導及び監督を十分に行っていなかった結果、必要な監査手続が実施されず、自己の意見を形成するに足る基礎を持たずに監査意見を表明していた。

まず,この指摘であるが,要はホウレンソウができていないとの指摘がされてしまっているわけである。

特に気になるのは,「監査調書に記載するのみ」という部分である。

「とりあえず責任問題にならないために,監査調書に残しておけば良い」という「ためにする監査」ともいうべき悪しき形式主義の風土がこの指摘部分に如実に表れているように思われて仕方ない。

  • 監査チームは、前工程における原価差額の減額が行われていたことを監査手続において認識しながら、後工程における原価差額の増額が行われているかを、十分かつ適切な監査証拠を入手し裏付けをもって確認する必要があるにもかかわらず、後工程における原価差額の増額は当然に行われていると勝手に思い込み、その確認を怠った

この部分の指摘もやはり専門職とは思えない稚拙なレベルでの指摘となっている。「勝手に思い込んだ」というのであるから,漫然とした監査であったと言われても仕方ないのではなかろうか。

仮に弁護士が依頼人の重要な主張部分に関わる事実を確認せずに勝手に思い込んで事実誤認の主張をしたという事案があれば,懲戒ものである。

  • 監査チームは、臨時的なTOV改訂が行われれば、当然に東芝から報告や相談があるものと思い込み、また、前後工程のTOVは整合しているという勝手な思い込みのもと、これらの確認を怠った

これはもはや任務懈怠レベルではなかろうか。職務放棄といっても過言ではない。当然に依頼人から話があるだろうから,確認しないといういうのは仕事をしていないのとまったく同じであろう。

そして,このことは会計監査人としての職務上の確認義務を依頼人に押し付けていたということを意味するのであるから,ボッタクリ監査も甚だしい

このような稚拙なレベルに金融庁が立腹するのは当然である。

  • 特別な検討を必要とするリスクとして識別したにもかかわらず、東芝の説明を鵜呑みにし、また、東芝から提出された発番票などの資料を確認するにとどまり、見積工事原価総額の内訳などについて、詳細な説明や資料の提出を受けておらず、経営者が使用した重要な仮定の合理性や見積りの不確実性の検討過程を評価していないなど、当然行うべき、特別な検討を必要とするリスクに対応した十分かつ適切な監査証拠の入手ができていなかった

この指摘にも金融庁の怒りが表れている。

つまり,「リスクとして識別した」というのであるから,新日本の東芝監査チームは,特別な検討が必要なリスクの高い問題があるという認識を有していたことを意味する。その上で「当然行うべき」必要な証拠の入手をしなかったと指摘されているのである。

すなわち,「これは問題がありそうだから検討しないといけないね」と思っていたのに,やるべきことをやらなかったというのであるから,ある意味,未必の故意に近いレベルでの過失を認定していると言っても過言ではないだろう。

(2)新日本の運営に関する部分の指摘

さらに金融庁のフラストレーションが見て取れるのが,法人の運営に関する指摘事項である。

品質管理本部及び各事業部等においては、原因分析を踏まえた改善策の周知徹底を図っていないことに加え、改善状況の適切性や実効性を検証する態勢を構築していない

(中略)

これまでの審査会検査等で繰り返し指摘されたリスク・アプローチに基づく監査計画の立案、会計上の見積りの監査、分析的実証手続等について、今回の審査会検査でも同一又は同様の不備が認められており、当監査法人の改善に向けた取組は有効に機能していないなど、地区事務所も含めた組織全体としての十分な改善ができていない

ここでの指摘からは,金融庁の「今まで散々指摘を受けたことをどう改善したのか自分たちで何も検証できていないじゃないか。その結果,改善そのものが組織全体としてできていない。いい加減にしろ」という怒りを感じてしまう

定期的な検証において、監査手続の不備として指摘すべき事項を監査調書上の形式的な不備として指摘している。そのため、監査チームは指摘の趣旨を理解しておらず、審査会検査等で繰り返し指摘されている分析的実証手続等の不備について、改善対応ができていない

(中略)

監査での品質改善業務を担っている各事業部等は、品質管理本部の方針を踏まえて監査チームに監査の品質を改善させるための取組を徹底させていない。また、一部の業務執行社員は、深度ある査閲を実施しておらず、監査調書の査閲を通じた監査補助者に対する監督及び指導を十分に行っていない

このように、当監査法人においては、実効性ある改善を確保するための態勢を構築できていないことから、監査手続の不備の改善が図られない状況が継続しており、当監査法人の品質管理態勢は著しく不十分である。

この部分の指摘もなかなか秀逸である。

まず,「監査手続の不備」を「監査調書の不備」にすり替えた指導の部分であるが,これは,監査手続においてやっていないことがあり,それが指摘されなければならないのに,監査調書と呼ばれる証拠化した文書の不備として指摘しているからまったく意味がないということである。

すなわち,指導する側の品質管理業務担当部署が適切な指導ができていないから,監査チームも指導を理解できておらず,何ら改善できていないという呆れにも近い怒りの指摘ではなかろうか。

悪しき形式主義を是正すべき品質管理業務担当部署こそが悪しき形式主義を容認しそれを実践してしまっていたということなのかもしれない

次に,一部の業務執行社員の査閲の問題であるが,これは,本来であれば全責任を負う業務執行社員が査閲,いわば,上司としての確認,を表面的に浅はかなレベルで終わらしているから,下の者への指導もできていないという意味である。専門職に求められる仕事の水準とは程遠いことへの金融庁の怒りが伝わってくる。

そして,監査法人,専門職としての仕事をする上での核心的部分ともいうべき「品質管理態勢は,著しく不十分」との指摘に至っているというのであるから,新日本の業務の質がいかに散々たるものであったのかがひしひしと感じ取れる金融庁の発表資料ではなかろうか。

審査担当社員が、監査チームから提出された審査資料に基づき審査を実施するのみで、監査チームが行った重要な判断を客観的に評価していない。また、監査チームが不正リスクを識別している工事進行基準に係る収益認識について、監査調書を確認せず、監査チームが経営者の偏向が存在する可能性を検討していないことを見落としているなど、今回の審査会検査で認められた監査実施上の問題点を発見・抑制できていない

このように、当監査法人の審査態勢は、監査チームが行った監査上の重要な判断を客観的に評価できておらず十分に機能していない

この指摘も驚かされる。

つまり,審査担当のパートナーが「審査」とは名ばかりで,監査チームが出してきたものだけ見て,監査チームと一体化したような形で形骸化した審査しかしていないのであるから,法人全体として今回の東芝で指摘された問題点が抑止できない体制になっていると言っているわけである。

こうなってくると,金融庁は,怒りもさることながら,法人の構造的に第2,第3の東芝事案が発生することを憂いていることが感じ取れてくるのである。

以上の考察のとおり,金融庁の指摘は相当深く入り込んで審査した結果が厳しく表現されており,厳格かつ厳正な審査がなされたことが良く伝わってくる内容というべきである。

2.業務改善命令において重い十字架を背負わすことで,バランスに配慮

私は当初,一部業務停止命令の内容が「3月」との報道が流れたことで,金融庁はなあなあな処分で済ませようとしているのではないかと懸念したが,今回の処分を見ると,金融庁は会計監査そのものに対する危機意識を持っていることが伝わってくる。

そして,金融庁は,新日本に対し業務改善命令において,最後通牒ともいえる抜本的な見直しを早急に行うように重い十字架を背負わしている

(1)今回、東芝に対する監査において虚偽証明が行われたことに加え、これまでの審査会の検査等での指摘事項に係る改善策が有効に機能してこなかったこと等を踏まえ経営に関与する責任者たる社員を含め、責任を明確化すること。

(2)その上で、外部の第三者の意見も踏まえ、改めて抜本的な業務改善計画を策定すること。また、改善策を実施するにあたり、その実効性につき、経営レベルの適切な指導力の発揮の下、組織的に検証する態勢を構築するとともに、不十分な対策が認められた場合には、必要に応じて追加的な改善策を策定・実行すること。

(3)品質管理本部に加え、監査の品質改善業務を担っている各事業部の責任者等は、監査チームに対し、業務改善策が浸透・定着するよう、より主体性と責任を持って取り組むこと。

(4)審査体制の機能を強化することに加え、監査実施者が、監査チーム内で十分な情報共有・連携を確保するとともに、求められる職業的懐疑心を保持し、深度ある分析・検討を行う態勢を構築する観点から、監査法人内の人事管理や研修態勢を含め、組織の態勢を見直すこと

(5)今回の事案の発生及び審査会から行政処分の勧告が行われるに至った背景として、監査法人の風土及びガバナンス体制等の面でいかなる問題があったのかを検証し、上記業務改善計画の中で改善に取り組むこと

(6)上記(1)から(5)に関する業務の改善計画を、平成28年1月31日までに提出し、直ちに実行すること。

(7)上記(6)の実行後、当該業務の改善計画の実施完了までの間、平成28年6月末日を第1回目とし、以後、6か月ごとに計画の進捗・実施及び改善状況を取りまとめ、翌月15日までに報告すること

特に,上記の赤字の部分に金融庁の危機感がよく表れている。

先日,新日本の英理事長が退任という話があったが,(1)は暗に現在の新日本の理事会等を含めた執行部やパートナーの退任を含めた「責任」を求めているのであり,相当程度踏み込んだ業務改善命令といえる。

そして,その「責任」は,これまで改善できなかったことに起因しているのであるから,今までの歴代理事長や理事等の過去の執行部やパートナーにおいても,その責任を追及されるべき立場にあるという考えがあるのではないだろうか。

また,会計士の論理では改善できないと判断したのか,外部の第三者による検証と「抜本的な」改善を強く求めている点も危機感の表れであろう。

なお,金融庁は監査法人の行う監査業務以外の業務(いわゆるアドバイザリー業務など)についても,一部業務停止の対象としている(監査業務に限定していないことからの反対解釈)。

監査業務ではないとはいえ,監査法人の名の下で行われている業務である以上,監査業務において生じた問題は,それ以外のサービス提供業務にも当然当てはまるという判断があると思われる。

現に今回の処分において,業務停止「1月」となった上村会計士は,不正対策のアドバイザリー業務を提供していたこともあったようであるが,そのような人物が業務執行社員として関与していたにもかかわらず東芝の問題は発生したわけである。この問題は新日本の監査業務に限定されず,あらゆるサービスに巣食う相当根深い問題と言わざるを得ない

3.危機感を感じられない新日本の対応

新日本は,同日付で,「金融庁による処分について」と題しHP上で対応について説明している。

この中で,新日本は,「弊法人の改革(案) 」と「弊法人の責任の明確化について」という文書を公表しているが,その内容を見ると,一見極めて明白に陳腐であって,このような内容を公表するくらいであったらしない方がマシなのではないかというレベルなのである。

まず,前者であるが,私が驚愕してしまったのはそこに並ぶ文言の極めて抽象的な表現である。

例えば,監査品質監督会議なる新組織を作るのは良いが,「モニタリングと改善指示を行います。」とあるものの,具体的にどのようにモニタリングをして,具体的にどのように改善指導を行うのかといった話が一切ない

審査会の立入調査等を通じて,これくらいの処分が出ることはわかっていたはずであるからもっともう少しマシな具体性のある改革案を示せなかったのであろうか。

こんな陳腐な抽象的な "改革案" を示すくらいであれば示さない方がマシである。

これでは,金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき処分に対し,馬の耳に念仏と言わんばかりの回答ではなかろうか。

同様に,「監査品質に関する問題が発見されたパートナーへの対応を厳格にします」などという宣言があるが,逆に今まで監査品質に問題があってもパートナーは何ら厳格な責任を問われない極めて温い環境にあったのかと思ってしまう。新日本が行っている各社の監査の信用性の低下を促進することにすらなってしまうだろう

このような上っ面の宣言をされると,逆に「今まで監査品質はおろそかにしていたの?」と不安が増大するのが通常人の合理的な思考であろう。

危機感のない頓珍漢な "改革案" はこれだけで終わらないから呆れてしまう。

例えば,人事制度改革においても,「パートナーの評価及びパートナーへの昇格において監査品質を最大限に重視することを明確にします。」とあるが,これにも開いた口が塞がらない

つまり,業務執行社員たるパートナーが意見表明を行う主体を構成するわけであるから,このようなことは当然に従来から行われいるべきレベルの話である。

にもかかわらず,今更この程度のことを "改革案" などと躊躇なく公表することが,新日本の問題の根深さを感じてやまない

この "改革案" で挙げている項目のすべてが万事このように突っ込みどころ満載なのであるが,最も驚愕するのは,次の点である。

改革の実を上げるための周知徹底(平成28年2月末まで)

(1)パートナーの決意書

全パートナーが一丸となってこの改革を着実に実行する決意を示すための決意書を全パートナーから取得します。

これには暫く開いた口が塞がらなかった。

時代錯誤も甚だしい。血判状のつもりなのか。こんなことをないと改革の実を上げられない組織とはどんな組織なのであろうか。

これが「改革の実を上げるための周知徹底」の3本柱の1つとして挙げられていることの一事をもって,いかに新日本が危機感を有していないか,いかに一般社会の社会通念と乖離した感覚の中で組織されているかが一見して明白なのである。

このようなことを平気で,恥ずかしげもなく,処分と同日に発表する監査法人の監査業務を受けたり,アドバイザリー業務の提供を受けるクライアントは,よっぽどお人よしと言わざるを得ないのではなかろうか。

中央青山監査法人の解散という前例があるにもかかわらず,新日本はその痛い前例を教訓にはできないようであり,極めて残念と言わざるを得ない。

4.辞退を申し出るおこがましさ

新日本には,東芝に騙されたという被害者意識があるのかもしれないが,金融庁に徹底的に監査体制等の杜撰さを指摘されたにもかかわらず,それでもあえて次のような公表を「弊法人の責任の明確化について」という文書で行う感覚が私には理解し難い。

株式会社東芝の次年度監査契約を辞退いたします。

この点,東芝の第三者委員会の報告書では,その職責の違い及び調査範囲の違いから,会計監査人の責任については,言及されていなかったことや東芝における粉飾行為の悪質性から,当初は,新日本に対する同情の声も少なくなかったと記憶している。

しかしながら,今回の金融庁の公表した処分に係る説明からすれば,新日本は決して「被害者」ではない

上記でも指摘してきたとおり,所管官庁である金融庁は,再三の審査会等による改善の指摘を受けてきたにもかかわらず,基本中の基本となる行為が行われておらず,法人全体として組織に問題があるという結論を突き付けたのである。

杜撰な監査を行ったとの厳しい批判の渦中にある監査法人が「辞退します」とわざわぜ宣言すること自体がおこがましいとの批判を受けると思うのは私だけではないだろう。

現に東芝が会計監査人の交代の検討をしているという報道が数週間前に報道が流れていることからすれば,このような無意味な「宣言」は,金融庁による断罪を受けた今,一般社会の社会通念からすれば,「契約を打ち切られる立場にあるのに何を上から目線で言っているんだ?」という無用な批判を招くのは目に見えている

ここにも,危機意識の欠如と危機管理対応に対する社会通念とのズレが表れていると言っても過言ではない。

5.結語

これまで見てきたとおり,金融庁は今回の処分に当たって極めて厳しい論調で新日本に対する指摘しており,その文面から金融庁の怒りのメガトンパンチともいうべき新日本への最後通牒的処分であることが読み取れる。

他方で,金融庁は無用な市場の混乱を避けるべく,一部業務停止の期間も「3月」とし,中央青山監査法人の時のような業務の全部停止を避けるため,日本経済や市場に与える影響に一定の配慮をしている。

しかしながら,当の新日本の対応を見てみると,金融庁の処分の趣旨が十分に理解できているのか既に疑問符すらついてしまう。

これでは,自らメガンテ(ドラゴンクエストシリーズに出てくる自爆の呪文)を唱えているようなものである。

依頼人たる企業が不信感により離れることの危機意識を強くしなければ,中央青山監査法人の二の舞は目前であろう。

平成28年1月31日までに提出が求められている業務の改善計画がどのように具体性と実効性を持ったものになるかが運命の分かれ道になる。

新日本のパートナーは今一度エンロン事件を描いたアメリカの映画でも見て危機意識を感じてはいかがでろうか。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,金融庁にやるべきことをやっていないと指摘された新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか。

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12/21/2015

新日本有限責任監査法人への処分の妥当性

久しぶりのブログ更新である。

ブログの読者だった方には本当に申し訳ないと思うが,ブログを5月に書いて以来,暫く多忙でブログ記事を書くことができなかった。

半年前に書いた東芝担当に監査法人に関する記事につき,その後がだいぶ追及が進んできたので,半年ぶりにブログを更新するにあたり,今回は新日本有限責任監査法人に対する金融庁の処分の妥当性についての記事を書いてみようと思う。

なお,既に弁護士の郷原先生がこの問題について所見を述べられており,私も郷原先生のご意見には概ね同意するものの,若干,記事の流れから,コンプライアンスの第一人者である自分を関与させれば良かった的な先生自身の売り込みに読めてしまう点に読者としては違和感を感じてしまったことから,違う視点で今回の問題を取り上げてみようと思う。

1.当初は甘い処分との報道が流れていた

金融庁をはじめとする規制当局は,当初,東芝や東芝の監査を担当していた新日本有限責任監査法人(以下「新日本」という)に対して責任を追及するつもりはあまりなかったように思われる。

しかしながら,内部告発等々により,東芝のあまりにも悪質な粉飾決算の実態が明らかになるにつれ,世論は東芝及びその監査を担当していた新日本に対して極めて厳しい眼差しを送ることになった。

そして,既に報じられているとおり,規制当局は現在東芝の旧経営陣等々に対する刑事事件での立件に向け検討に入っている。

監査法人については,一連の報道を見ていると,金融庁は当初は第三者委員会の報告書などから,会社が虚偽の情報を提供したのを見破るのは困難だったというような,いわば,士業の内輪の論理に立脚し,新日本に対してもさほど厳しくない「業務改善命令」が出る程度だろうという論調が多かったように思われる。

しかしながら,そのような甘い処分に留めることができなくなった背景にはいくつかの要因があると考えている。

まず,世論は当初から消極的な規制当局に対し批判的であったことが挙げられる。

ライブドア事件では50億の粉飾で刑事事件となり,堀江らは実刑に処せられた。多くの一般人は,東芝はそれをはるかに超える2248億円の粉飾であるにもかかわらず,刑事事件がやっと検討されるに過ぎない状況について,証券等監視委員会をはじめとする規制当局に対して強い不信感を持ち続けてきている。

当然,その犯行の悪質性というのも考慮されるべきであるが,東芝の旧経営陣らの行為は一連の報道を見ていると,市場を騙す意図で数々の粉飾行為を継続的に行ってきたことは明らかなのであって,これが刑事事件化されないことは,通常人の合理的な思考からは理解できないというべきであろう。

そして,通常人の合理的な思考からすれば,2000億を超える粉飾額を見抜けなかった士業たる監査法人に対しては,「専門家としてどんな仕事をしているんだ」,「こんなの見抜けなかったら会計士なんて不要」という意見が出てくるのは当然なのであって,新日本に対しては,その職務遂行のあり方に対して,当然根深い不信感と批判が向けられることになった。

この点,私も以前のブログ記事で指摘したが,東芝の監査では,業務執行社員として,新日本の品質管理部長が関与していたのある。

つまり,最も職業的懐疑心をもって他の監査チームを指導する立場にあった人物が関与していたにもかかわらず,2000億を超える粉飾を数年にわたって漫然と(故意なのか過失なのかは別として)見過ごしてきたと言ってもよいだろう。

こうした世間の厳しい視線は,金融庁も無視できなかったと思われる。

また,7月には金融庁は検査局担当の審議官,兼,公認会計士・監査審査会の事務局長に天谷知子氏を起用した。このことも,会計士の内輪の論理でナアナアな処分をできなかった要因であろう。

天谷氏については,監査法人に対して厳しい姿勢を持っているという噂は他の方も述べられているところである。

現に,今回の報道では,審査会のメンバーをある意味差し置いて,事務局長である天谷氏の発言が前面にでている。

例えば,次のような報道を見ると,天谷氏がいかに公認会計士という専門職に対し,その自覚をきちんと持つように規制当局の責任者として強い発信をしているかが顕れているといえるのではなかろうか。

新日本監査法人勧告 繰り返す甘い監査に「自浄能力欠如」 毎日新聞

東芝の不正会計問題で金融庁の公認会計士・監査審査会

 東芝の不正会計問題で、金融庁の公認会計士・監査審査会が新日本監査法人への行政処分を勧告したのは、同法人が甘い監査を繰り返し自浄能力が欠如していると判断したためだ。監査法人はこれまでも相次ぐ不正会計を見逃してきた経緯があり、監査への信頼が改めて問われている。

 審査会は今回、新日本の監査の不備に加えて、改善が徹底されない体質を問題視した。公認会計士3500人を擁する国内最大手の新日本は、隔年で審査会の定期検査を受けており、審査会はこれまで、新日本の批判的な視点の乏しさや、監査対象の企業の会計処理に疑念を抱いても徹底追及しない姿勢などについて再三、改善を求めてきたという。審査会の天谷知子事務局長は15日、「改善策の徹底が不十分で甘い」と新日本を強く批判した。

 東芝への一連の監査でも、東芝側から新日本への「不当な圧力は認められなかった」(天谷氏)といい、審査会は新日本の監査姿勢の甘さに問題があったと判断している。

 新日本に対しては業界でも「前例を踏襲し踏み込んだ監査を欠いたのでは」(公認会計士)との指摘がある。新日本は問題点の内部検証を行うなど再発防止に努める構えだが、信頼回復は簡単ではない。東芝も監査法人の交代を検討中だ。

 不正会計が相次ぐたび監査法人の責任が問われ、当局も対応を迫られてきた。米エンロンの巨額粉飾決算事件を受けて2004年に公認会計士・監査審査会を設置。カネボウの粉飾事件は08年の公認会計士法改正につながり、課徴金制度が導入された。新日本も処分されたオリンパスの損失隠し事件後の13年には、不正会計が疑われる場合の監査手続きの基準も策定し、監査機能の強化を促したはずだった。

 金融庁は10月、有識者会議を設置して監査制度の見直しを開始。監査法人への立ち入り検査の頻度を増やすなど監督強化も図る方針だが、不正根絶への道筋は描けていないのが現実だ。【和田憲二、片平知宏】

新日本監査法人への主な指摘事項

組織全体の問題点

・過去に金融庁側から指摘を受けた事項の改善策が組織全体で不徹底

東芝など個別企業に対する監査業務

・会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分

・会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底

・経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分

監査の質のチェック

・部下の行った監査内容に対する上司のチェックが不十分

・法人内の担当部門が個別監査の事後評価を十分行わず

2.金融庁が考えている処分は妥当なのか

もっとも,新日本への主な指摘事項を見ると,天谷氏が厳しい姿勢の持ち主か否かに関わらず,新日本の会計士は,根本的に士業としての資質を欠如しているというべきではなかろうか。

弁護士であれ,会計士であれ,士業は,専門職として,その高度な知識や経験という目に見えない価値を提供する職業である。

そのような士業にとって,上記指摘は,その資質がないという烙印を押されているに他ならない

特に会計士は,独立した立場での職務執行が強く求められている職業である。

にもかかわらず,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」,「会計に虚偽の疑いがある場合でも、証拠収集が不徹底」,「経営者が不正に関与している可能性の検討が不十分」などというのは,極めて稚拙なことで指摘されているというべきであろう。

このような流れの中で,現在,金融庁は,①業務改善命令,②課徴金20億円~30億円,③業務の一部停止命令を併せて行うことを検討しているという。

果たしてこの処分は,新日本の負うべき職責に比して,十分に重い処分といえるのであろうか

まず,課徴金については初適用ということで騒がれている。

確かに初適用ということで,インパクトはある。また,監査法人というのは,あまり利益を内部留保せず,利益はパートナーと呼ばれる人たちを中心に配分される傾向にあるから,20~30億円という課徴金は十分重たいという声も聞こえてくる。

しかしながら,果たして本当にそうなのであろうか。

というのも,士業は弁護士もそうであるが,保険に入っているのが通常である。

まして,大手監査法人で,アーンスト・アンド・ヤング(EY)というグローバルのアカウンティングファームに所属しているのであるから,当然に,このような事態に備えて損害賠償保険等に加入しているのが当然の義務となっていると考えられる

そうであるとすれば,20~30億円の課徴金は痛くも痒くもないのではなかろうか。

そうすると課徴金そのものはさほど重い処分とは言えない。

そこで,もっとも,重い処分といえるのが,業務停止命令であろう。

既に報道されているとおり,新日本は監査クライアントの規模で言えば,国内最大の監査法人であるから,いわゆる,業務停止命令を食らってしまえば,監査難民が出て,市場が混乱するというのはよく言われている話である。

実際にそのような混乱の懸念はあるため,金融庁も,そこまでは考えておらず,業務の一部停止命令を検討しているようである。

この「一部」というのは,いわゆる,新規受注の禁止というものである。

具体的な内容については,①監査業務に限るのか否か,②期間は3月とするのか6月とすべきなのかという検討がなされているようである。

この点,新日本の指摘事項からすれば,これはそもそも,士業として,専門職としての根本的な素養に問題点がついているのであって,過去の指摘事項が全く改善されていないというのであれば,法人全体の姿勢と仕組みの問題なのであるから,監査業務に限定せず,当法人のあらゆるサービス提供業務をこの機に見直すべきなのであって,監査業務に限定する理由はないというべきである。

また,期間についても,指摘事項が極めて根本的な点において不十分とされていることからすれば,6月程度の長期の処分が妥当ではなかろうか。

いやしくも,士業として,専門職として,高度の倫理観と職業意識をもって職務に当たらないといけない会計士等を抱える監査法人なのであるから,それに反した場合には,通常の企業よりも厳しい処分を持って対処するのが妥当である。

むしろ,そのような厳しい自己批判がなければ,専門職に対する社会的責任や社会の期待に応えているとは言えないのではなかろうか。

3.それでも危機意識のない一部の新日本の会計士達

このような事態を受けて,新日本の英理事長は辞任することになったという。もしかしたら,郷原先生の「トップの無為無策によって窮地に追い込まれた新日本監査法人」という批判がある種の一押しになったのかもしれない。

しかしながら,郷原先生の指摘とはこの点については違った見方としていおり,私は,必ずしも新日本の問題はトップの問題ではないと考えている。

むしろ,東芝の監査の問題は,現在の英理事長が就任する前から脈々と継続してきた問題だったのであって,トップが責任を取れば済むという安易な問題ではないと考えるのが論理的である。

私の知り合いなどには新日本の会計士も複数おり,東芝の問題が出て以降,彼らと話す機会があったが,その会話の中で私は多々驚くことがあった。

彼らは東芝の事件が今年の3月頃に報道され始めた頃から,「どうせあんなのは大したことないよ」といった発言があり,その額が巨大な粉飾額になることが次第に明らかになっても,「会計士では会社が嘘をついたらもう見抜けない」などとあからさまに職務放棄と言えるような発言を平然と言っていた。

更に唖然とするのは,なぜ会計士では見抜けないのかと聞くと,「会社が嘘をつくとは思っていない」とか,「会社の出された資料を見ているから見抜けるはずがない」とか,さらには「10億円程度の報酬だったら,そこまでやっている人員等のリソースがない」などというのである。

しまいには,「監査というのは,性善説に立って,これだけチェックしたからおかしなことはないという書類の作成業務だ」などという声もあった。

私は彼らのこうした発言を聞くたびに,「おいおい。会計士の仕事って何なんだよ。」と思ったものである。

これは職業的懐疑心という以前のレベルの問題だろう。

私の知り合いの会計士がすべてとは言わないが,少なくともこのような発言が複数名からあったのは誠に残念であった。

さらに,東芝の第三者委員会のレポートが公表された7月頃に,私がある会計士に,「新日本も相当の処分が下るだろうね。業務の一部停止は既定路線なんじゃないか。いくら見抜けなかったといっても,一般人の感覚からは到底受け入れられない話だろう」といったところ,「いやー,所詮あったとしても,業務改善命令程度だよ。監査チームはある意味騙されて被害者なんだから。」などと極めて呑気な発言をしていた。

このような発言をみるに,今回の東芝の問題は氷山の一角に過ぎないのであって,会計士の職業的倫理の根本的な姿勢に関わる問題というべきであり,その闇はより根深いものがある

おそらく,審査会も,こうした会計士の会計士による会計士のための論理を検査を通じて如実に感じ取ったのではなかろうか。

そして,金融庁も,そのような論理が昔は通用していても,透明化を求めるグローバルな現代の市場では一切受け入れられないという強い姿勢を示し,インパクトのある処分をある程度は課さないといけない

仮に金融庁がこのような論理を許すのであれば,第二の東芝事件はすぐに起こるといえよう。まさに今日本の金融市場を所管する金融庁の職責が問われているのである。

さて,今回もこのテーマに関連しぜひ次の映画を見てもらいたい。

それはエンロン事件を描いたアメリカの映画である。

この映画の中で描かれているエンロン社の会計監査人であったアーサーアンダーセンの会計士たちの姿は,まさに,「会社側の見積もりや計画をうのみにし、分析が不十分」との指摘をされた新日本の会計士にも当てはまるのではないだろうか

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