ディズニー(Disney)映画に見るセクシズムと限界
4月25日(土)から公開されたDisneyの最新映画,「シンデレラ(Cinderella)」がいくつかのメディアで紹介されている。
Disney映画と言えば,近年,「アナと雪の女王(Frozen)」での成功が記憶にいたらしい。
この「アナと雪の女王」以降,ディズニー映画は,眠れる森の美女をベースに話を作り替えた「マレフィセント」などを公開し,アニメの実写化を進めており,映画「シンデレラ」も実写化の1つである。
ディズニー映画については,従来から,セクシズムを助長するなどといった指摘もされてきた。
私がアメリカに留学していた頃から,ディズニー映画とセクシズムというテーマをよく講義の場などでも取り上げられることが多かったが,近年のディズニー映画が描く主人公像は,従来の描かれ方とは多少変わってきているようにも思われる。
先日,私は,あるYouTube上の動画を見たのであるが,それはディズニー映画におけるセクシズムとは何なのかについて考える良い契機となった。
そこで,今日は,ゴールデンウィークに映画「シンデレラ」を見る人も多いと思われることから,ディズニー映画に見るセクシズムを検討してみようと思う。
1.従来のディズニー映画に対するフェミニズムの批判
まず,従来からフェミニズム的思考の人々は,ディズニー映画で描かれる主人公のプリンセスが,男性的目線のプリンセス像であるとして批判をしてきたことは皆さんも聞いたことがあるのではないだろうか。
フェミニズムからの批判は,実にシンプルなものである。
シンデレラ,白雪姫,眠れる森の美女などのプリンセスは実に,伝統的な女性らしく慎ましやかであり,かよわく,白馬の王子様に助けられるという設定が男性的な視点で,女性のあるべき姿をステレオタイプ化しているという主張である。
そして,私は,映画「マレフィセント」こそが,従来のフェミニズム的批判を顕著に反映したディズニー映画であったと考えている。
しかしながら,この試みはあまり成功したとは思えない。
現に,「マレフィセント」を見た人の中には,従来の眠れる森の美女の世界観とはかけ離れていたため,違和感を覚えた人も多かったのではないだろうか。
つまり,「マレフィセント」は,多くの人に愛された眠れる森の美女という愛らしい作品を根底から覆して,強い女性像を描くとともに,男性(ステファン王)の野心を悪として,フェミニズム的視点から,話を作り替えたのである。
実際にフェミニズム的視点で描かれていることをワシントンポストの記事なども指摘しているし,マレフィセントの中で描かれているフェミニズム(女性が力をもち男性から力を奪えというようなフェミニズム的視点)に対して批判的な記事も存在する。
このマレフィセントという作品は,歴史の修正主義だと批判される安倍首相もびっくりするような歴史の修正(従来の悪役の女性キャラクターを良いキャラクターのように描き,男性キャラクターを「悪」に仕立てるフェミニズム的修正)をディズニーが行った作品であったように思えて仕方がない。
もっとも,マレフィセントに関わらず,近時のディズニー映画は,女性主人公をより強く,独立心のあるキャラクターとして描くものが多い。
すなわち,男性に守られるプリンセスといった描かれ方に批判的なフェミニズム的思考が影響し,男に頼らない強いプリンセスや,悪役の魔女を良いキャラクターとして描くある種の修正主義が近年の映画には見られるのである。
しかしながら,果たして,従来のディズニー映画で描かれた主人公のプリンセス像は,男性が求める女性像なのであろうか。本当に,シンデレラ,白雪姫,オーロラ姫,アリエルなどのキャラクタ―は,男性優位社会の中で描かれてきたプリンセス像なのであろうか。
2.YouTube動画から得た新たなディズニー映画に対する視点
私は,そもそも,上記のようなディズニーキャラクターに対するフェミニズム的視点は,根底から誤っていると考える。
その考え方をうまく表現してくれたのが,この動画である。
この動画では,もともとはブロードウェイミュージカルを映画化したディズニー映画のイントゥー・ザ・ウッズに登場する王子の兄弟(プリンス・チャーミングとラプンツェルの王子)に扮したPayson LewisさんとChris Villainさんが,同映画の歌「Agony」の替え歌で,ディズニー映画のプリンスの苦悩と不満を歌っているものである。
一見すると,単なる面白い又は上手いミュージカル的な動画なのであるが,このプリンスの苦悩がディズニー映画の本質的なスタンスをうまく描いているように思われる。
すなわち,ディズニー映画は,女性の客層を従来から中心的な客層に位置づけ,そうした女性客のために女性客が好むキャラクターをその時代時代で描いているのであって,男性優位社会が望む女性像として生まれたわけではないという点である。
ディズニー映画の中で描かれているプリンセスは,その時代,時代における女性が好む女性像に過ぎないのではないだろうか。
現に,この動画が歌の中で指摘しているとおり,ディズニー映画のプリンス像は,極めて抽象的なキャラクター設定が多い。
例えば,シンデレラの王子の名前は,プリンス「チャーミング」というだけでまともな名前すら与えられていないし,白雪姫の王子は名前すら与えられていない。
ディズニー映画のプリンスに名前が付きだしたのは,眠れる森の美女のプリンス・フィリップ以降ではないだろうか。
ディズニー映画は,むしろ,プリンスのキャラ設定において,名前や性格の設定などは,どうでもよいと考えており,むしろ男性に対して,あるべき姿として,イケメンかつ紳士的であることを押し付けているとは考えられないだろうか。
さらに言えば,プリンスは,女性の成功のお飾りという位置づけであると言っても過言ではない。
プリンセス像は,その時代時代の女性達が憧れる姿を反映していたのに過ぎないのであって,男性優位社会で描かれたプリンセス像というフェミニズム的批判は,全く持って失当というべきであろう。
このYouTube動画が歌の中で指摘するとおり,ディズニー映画は,むしろ,プリンスの姿を極めてどうでもよいサブキャラクター的存在として描いており,プリンスの姿に男性の視点はまるっきり欠如しているのである。
ディズニーの描く,プリンセスにまつわる映画は,あくまで女性のための,女性が憧れるキャラクターを常に提供しようとしているのであって,男性優位社会から描かれているキャラクターでは全くない。
3.ディズニー映画の限界
私は,男性の視点の欠如がディズニー映画の限界であり,ディズニーエンターテイメントの限界であると感じている。
男の子も小さい頃はディズニー映画を見て育っている。しかしながら,大人になると,男性が女性ほどディズニーのエンターテイメントに心酔しないのは,ディズニーが描くキャラクターには,男性を熱狂させるような男性目線が欠如している点に原因があるのではないかろうか。
つまり,ディズニーキャラクターの限界は,伝統的に男性層の取り込みができないという点にあるのである。
他方で,私は,ディズニーも自らの弱点をわかっているからこそ,テーマパーク内には,インディアナジョーンズやStar Warsといった元々はディズニー映画ではないキャラクターのテーマを取り込み,男性客を飽きさせないための工夫をしていると考える。
4.YouTube動画により拡大するディズニーの世界
YouTubeでは,良くも悪くもディズニーキャラクターはに関する色々なパロディーが存在する。
また,以前も紹介したが,「Let it go」のように映画では女性キャラクターが歌っていた歌を男性がうまく歌詞を変えて歌っている動画も多数存在する。
例えば,次の動画は,先程のChris Villainさんが歌うリトル・マーメイド(Little Mermaid)のPart of Your Worldである。
男性の人魚というのはなかなか斬新である。
確かに,アリエルの世界観においても,キング・トリトンがいるのだから,男性の人魚がいてもおかしくないだろう。
しかし,リトルマーメイドは,愛するプリンス・エリックにすべてを捧げてPart of Your Worldになろうとするアリエルの健気さが女性に受けているのではないだろうか。そのような世界観に,若い男性の人魚というキャラクターは存在する必要はないわけである。
他方で,より辛辣なDisneyのパロディーも存在する。
この動画は,Jon Cozartさんが作成した動画である。
現代の問題などを皮肉的に盛り込んだディズニーソングはなかなか面白い。
このように,ディズニー映画は,様々な形でパロディー化されている。
しかし,これはまさに,ディズニー映画が多くの人に影響を与える作品であるからこそ生じる現象なのであろう。
このように多くの人に影響を与えるディズニー映画であるが,最新の映画「シンデレラ」は,我々が長年慣れ親しんできたおとぎ話の世界をどのように実写化しているのであろうか。
前評判などでは,アニメの世界観を大切にしつつ強い女性としてのシンデレラ像を描いているという話を聞く。
大人がこの映画を見る際には,セクシズムというものがこの映画の中ではどのように反映されているか考えながら見るのも面白いのではないだろうか。
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