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June 2014

06/25/2014

ヤジ問題拡大の最大の責任は誰か - 裁判長の法廷秩序維持権等からの考察

連日取り上げられている東京都議会におけるヤジ問題であるが,与党自民党は,鈴木章浩都議の謝罪で幕引きをしようとし,自民党の国会議員もこの都議に対する批判と”自民党の謝罪”という陳腐な行為で終わらせようとしているようである。

しかしながら,「謝って済むのであれば,警察は要らない」といわれるように,政治家の謝罪ほど陳腐なものはないし,過去に我々,日本国民は何度,同じような政治家の不適切発言を目の当たりにし,単なる陳腐かつ形式的な謝罪で騙されれば気が済むのであろうか。

最近は,どこの企業も不祥事があった場合には,謝罪と共に具体的な再発防止策を発表することが定着している。

東京都議会の全議員が今回の問題を真摯に受け止め,再発防止策を示すくらいのことは最低限してもらいたいものである。

そして,我々,有権者である日本国民は,我々が選んでしまった薄っぺらい政治家の不適切な行為に対して,しっかりと,「落選」という報復的な懲罰を与えるべきであろう。

もっとも,今回のセクハラヤジ問題がここまで拡大した最大の責任は誰にあるだろうか

この点について,十分な検討が必要であると考えることから,ヤジ問題拡大の最大の原因がどこにあり,誰がその責めを負うべきであるのかについて検討してみようと思う。

結論からいえば,当該極めて下劣かつ低俗なヤジを発した人間が一番責めに問われるべき立場にあることは格別,私は,この極めて下劣であり,低俗なヤジ問題が世界中に発信され,日本の品位を著しく傷つけた原因は,当該ヤジを許容してしまった議長にあると考える

東京都のHPによれば,そもそも,議長の職務とは,議場の秩序を保持し、議事を整理し、議会の事務を統理するなど議会活動を主宰するとともに、外部に対して都議会の意志を表明することにあると説明されている。

つまり,議場の秩序保持と議事の整理が議長の職務なのであるから,議場において,本件のような極めて下劣かつ低俗な発言がなされれば,議長の職務内容として,議場の秩序を保持しなければならなかったのである。

別の言葉で言えば,議場の秩序を破壊するような下劣かつ低俗な発言に対して,議長の権限及び義務として,その場において発言者を特定し,注意し,制止しなければならなかったといえる。

その根拠は,東京都議会会議規則からも明らかである。

(議事進行の発言) 第五十一条 議事進行の発言が、その趣旨に反すると認めるときは、議長は直ちにこれを制止しなければならない。

(議事妨害禁止) 第百八条 何人も会議中は、みだりに発言し、騒ぎその他議事の妨害となる言動をしてはならない

(議長の秩序保持権) 第百十一条 法又はこの規則に定めるもののほか、紀律に関する問題は議長が決める。ただし、議長が必要があると認めるときは、討論を用いないで会議に諮つて決めることができる。

かかる規程にもあるとおり,そもそも,ヤジは,その性質上,登壇して発言している議員の質問等を邪魔する行為であって,その程度及び内容によっては,議事妨害に当たることは明らかである。

また,本件のような極めて下劣かつ低俗なヤジは,議場の秩序を害していることは明らかであって,紀律を著しく害する問題であることから,議長の秩序保持権を発動して,発言者を特定し,注意し,発言の制止をする必要があったはずであろう。

しかしながら,現在の議長である三鷹市選出の吉野利明議員は一切このような議長の職務を怠ったのであって,この一事からして,その職務遂行能力には著しい疑問があると断じざるを得ない

これを司法における裁判長の法廷秩序維持権との対比でみれば,尚更,職務を執行する能力も意思もないお飾りでしかない地方議会及び国会における議長の存在がいかに無駄な存在であるかより見えてくると思う。

裁判所法71条は1項で「法廷における秩序の維持は、裁判長又は開廷をした一人の裁判官がこれを行う」とし,2項で,「裁判長又は開廷をした一人の裁判官は、法廷における裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対し、退廷を命じ、その他法廷における秩序を維持するのに必要な事項を命じ、又は処置を執ることができる」と規定する。

実際,裁判長の性格にもよるが,訴訟当事者であれ,傍聴人であれ,期日中に,不規則発言や秩序を乱す行為をする者に対して,裁判長等は毅然たる処置をとる場合が多い

例えば,傍聴席で居眠りをする者,傍聴席で足を前の座席に乗せるなど見苦しい態度に出ている者,傍聴席で不規則発言をする者に対しては,即座に裁判長は注意するし,当該注意に従わない場合は,躊躇することなく退廷を命じる

これは訴訟当事者の場合も同じである。

裁判長の矜持として,法廷秩序を害する人物に対しては毅然とした態度でそれを排除し,適切な訴訟指揮を行うことこそが自らの職務であって,義務であるという自覚があると考える。

また,論難により訴訟の遅滞を招くような当事者に対しても,瞬時に裁定を下し,必要な根拠を示して反駁する訴訟指揮権の発動が期待されているのであり,それを行うことがその職務そのものといえる。

一方,立法機能の地方議会や国会の議長の言動及び議事進行の態度を見た時,私は,大多数の議長が自らの権能に対して,極めて薄弱な意識でその職務遂行をしているとしか思えないのである。

欧米の議会における議長権限は絶大である。

ヤジの多いイギリス議会においても,議長の権限は絶大であり,議長が積極的に介入し,秩序を維持する。

例えば,John Bercow(ジョン・バーコウ)議長の次の動画は議長が議場の秩序を担っていることに対する矜持が表れている。

バーコウ議長は,子どものように,「ブー」「ブー」とブーイングを続ける議員に対して,繰り返し,「静粛に(Order!)」,「静かにしなさい(Order!)」と述べた後,その後もブーイングを続ける議場に対し,「大人として振る舞いなさい。そうできないのであれば,直ちに議場から退出しなさい。」と述べている。

そして,さらに騒がしい議場において,指名された発言者が発言できない状況に介入し,「これは公の場において,許容し得ない態度です。(笑っている議員に対し)いいえ。まったく可笑しい話ではありません。可笑しいと思っているのはあなただけです。ローングトン議員。みっともない。(This is intolerable behaviour as far as the public. No, it is not funny. Only in your mind, Mr Loughton, is it funny. It is not funny at all; it is disgraceful.)」と積極的に秩序維持権を行使していることがわかる。

この議事進行については,イギリスでも賞賛する声が多い。

このような議事をする議長は彼だけではない。2010年6月8日から2013年9月10日の間下院副議長をしていたナイジェル・エバンス(Nigel Evans)議員も次の動画のように,「静粛に(Order!)」,「静かにしなさい(Order!)」などと注意をした後,それでも止めない議員に対して,「これは大切な討論です。議場で叫ぶような発言は不要です。」などと窘め,それでもヤジを続ける議員に指を指して,「静かにしなさい。理解しましたか。分かったのかと聞いているんです。黙りなさい。」などと極めて強い口調で秩序維持権を発動し,適切な議事をしようとしている

さらに,エバンス副議長の後任である女性副議長のエレノア・レイン議員の「静粛に!(Order!)」という姿も迫力があり,秩序維持権を行使できるか否かがまさに議長たる者の気迫にかかっているかがよくわかる

イギリス議会も極めてヤジが多いが,我が国のそれとの大きな違いは,議長の秩序維持権の行使方法に尽きるのではなかろうか。

つまり,議長が適切に秩序維持権を発動することこそが,下劣かつ低俗なヤジを防ぎ,適切な議論の場を生むのであって,それができない議長は,一見して明らかに職務怠慢というほかない

以上の考察から,今回のヤジ問題拡大の最大の責任者は,私は議長であったと考えるのである。

私は,冒頭,都議会は再発防止策を考えろといったがおそらくまともな案は出てこないだろう。

私は,積極的に議長としての職責を果たせる人物が議長としての矜持を持ち,積極的な秩序維持権を発動することこそが,レベルの低い議員達を適正な民主主義の展開へと導ける唯一の方法ではなかろうか

ぜひ,地方議会の議長や国会の議長は,裁判所でも傍聴して,裁判長の訴訟指揮権や法廷秩序維持権から,議会における秩序維持権のあり方を学んでもらいたい

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06/02/2014

「ありのままで」は働けない労働法改正の動き

以前,「侵害排除ではなく機会を逃さずに侵害を活用する柔軟な発信力が重要 」という記事で紹介した映画「アナと雪の女王」は,日本でも爆発的なヒットとなっており,ついにはNHKが興行収入200億円突破のニュースを報じている。

Youtube上では,前回の記事でも紹介したとおり,様々なカバー動画などがいまだに次々登場しており,世界的なEpicと称すべきヒットはそれだけで元気を与えてくれるニュースである。

この映画が日本だけでなく,世界的なヒットとなった背景については色々なメディアが取り上げているところであるが,私は,多くの人間が何かしらのコンプレックスを抱えている中で,特に,劇中の「Let it go」(日本語翻訳版では,「ありのままで」)という歌の歌詞が人々に共感を与え,耳に残るキャッチーなメロディーが人々の心に入り込んだのであろうと考えている。

ところで,政府は,今,労働法改正を進めようとしており,その中で,時間に拘束されない働き方を可能にするとして,いわゆる,ホワイトカラーエグゼンプションの導入をまさに進めようとしている。

しかしながら,私は,国民はこの改正には断固として反対すべきであるし,このような改正を認めた労働契約法や労働基準法は,稀代の悪法になると危惧してやまない。

そこで,今日は,労働者が「ありのままで」働こうとすることを妨げるこの法改正について,取り上げてみたい

既に,弁護士ドットコムなどの記事においても,多くの弁護士がこの法改正の問題点を指摘しているとおり,この法改正は,雇用契約における労務の提供という労働者の義務の核心的な部分である労働者に対する時間的拘束という要素に対する安倍政権の無理解と経団連等の経営層の無責任な労務管理を追認する点において,私は問題があると考える。

端的にいえば,雇用契約の本質は,労働者を指揮命令下に置く拘束という点にあるところ,その本質を安倍政権及び当該法改正を推し進めようとしている人々はまったく理解していないのである。

そして,たちが悪いのは,この法改正の推進論者は,詭弁を用いて,「労働時間に拘束されない成果主義による労働者の自由なワークスタイルが実現できる」など聞こえはいいが,我が国の労働実態を全く理解していない主張をしていることである。

この法改正は,ブラック企業の追認のための法改正と言っても過言ではない単に,労働時間規制により,使用者が支払わなければならない時間外の割増賃金を圧縮するための法改正以外の何物でもないのである。

法改正推進論者は,専門的労働者は単純な労働者とは違うから,労働時間にとらわれない自由な労働ができるのであって,その方が労働者に利するなどと反論するだろう。

しかしながら,専門的な労働者であっても,労働実態として,使用者の指揮監督下に置かれているという実態があるから,雇用契約を締結しているのである。

雇用契約の本質は,労働者が使用者の指揮監督下において労務を提供し,使用者がその対価として賃金を支払う点にあること(労働契約法2条1項及び同条2項)は言うまでもない

指揮命令下に置かれている労働者にとって,自分で自由に労働時間を調整して勤務できるなどというのは,雇用契約の本質上,極めて困難であって,「No right, no wrong, no rules for me, I'm free!」とはいうわけには当然いかない。

政府は,専門的労働者は独立性が高いので,自由に調整できるなどと言っているが,そのような楽観的なステレオタイプ化は,労働者にサービス残業を強い,雇用契約の本質である労務の提供以上の過大な負担を負わせるのであって,到底容認することはできない

本当に専門的労働者が,独立性が高く労働時間を自らの意思で調整でき,使用者の指揮監督下になく自由に働けるというのであれば,それはもはや労働契約としての本質から逸れているのであって,その法的性質は,請負契約というべきであろう。

成果主義を実現したいのであれば,経営層は,雇用契約で労働者を抱えるのではなく,請負契約を締結し,注文者として,請負人に対し,報酬を支払えば良いのである

しかしながら,それができないのは,勤務実態として,労働者が指揮監督下に置かれており,自らの意思で自由に働くことができるという実態ではなく,労働法による規制を受けてしまうからである

つまり,勤務実態として,使用者により拘束されている立場に置かれていること他ならなず,自由な意思により労働時間の調整をできるような環境にはないことを意味している

私は,この法改正の最大の利点は,時間外労働の割増賃金の削減にあると指摘したとおり,安倍政権と財界の真の目的はここにあることは皆さんお分かりだろう。

ダラダラと無駄に残業をしている職場も多々あることは私は当然把握している。

しかしながら,そのような残業を削減してコストを下げる責務は個々の使用者において果たされるべきものである労働者の責任を転嫁するような法改正は断固としてなされるべきではない

無責任な使用者である経営層が自らの責任を放棄し,安易に人件費を削減するためだけに,「専門的労働者」などという詭弁で,なんちゃって,エリートと錯覚をさせ,サービス残業を強いるだけの法改正は,労働者が「ありのままの自分になる」どころか,百害あって一利ないことは明らかである。

本当に専門性があるのであれば,労働契約ではなく,請負契約や委任契約で独立した一事業者として,経済活動を実現すれば良いのではかなろうか。

そして,使用者である経営層が,各部署の労務時間をしっかりと把握し,無駄な残業はさせないなどの責務を果たせば,時間外労働に対する割増賃金の圧縮は容易に実現可能だろう。

しかし,使用者としてきちんとした労務管理すらすることができない無能な経営層が,中流階級が主流という我が国の実態を把握できない無能な安倍政権を後押しし,さらには,「専門性」などという詭弁で,自らがエリートと誤解して,この法改正に賛成している労働者を見ると,私は滑稽で仕方ないし,我が国が長年培ってきた労働法秩序を一瞬にして破壊されることを危惧してやまない

どうも安倍政権は,我が国の治安や労働保護法制という世界に誇れるものを破壊することに何の抵抗もないようである

もっとも,その姿勢は,ブラック企業として激しい批判を受けている創業者だった人物を自民党の公認候補にして,当選させた時から明らかだったのかもしれない

そもそも,我が国の労働環境は,「社畜」などと言われ,我が国に在留する欧米人も日本の労働環境は劣悪であると指摘することが多々ある。

野党が不在であるとはいえ,我々国民は,目先の経済的利益が優先され,後戻りのための黄金の架け橋を次々にぶち壊す安倍政権に対して,立ち上がらないといけない時期に来ているのではなかろうか

過酷なサービス残業や過労死に追い込まれ,労働者がますます「ありのままで」働くことができなくなることに気が付いた時,「I'm one with full of work but no payment」とか,「My perfect health is gone」という現実に直面し,「We cannot be going back. The past is in the past」ともう手遅れになってしまうだろう

この法改正,「Let it go」(諦める)では済まされない

仮に,このような雇用契約の本質を歪める法改正が行われてしまった場合には,最後の砦として,司法たる裁判所は,現在にもまして労働者保護の観点から実態としてを厳格に評価し,実態として労働時間規制の対象に当たらないかを極めて綿密に審理していかなければならないだろう

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