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02/16/2013

マスメディアのお門違いな権力批判と未熟な国民主権

前回のブログ記事、「映画、『レ・ミゼラブル(Les Miserables)』の評価 ― 映画から読み取る政治、社会問題に関するメッセージの一考察」から約1カ月の更新になるところ、映画「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」のランキングは、Yahooの映画サイトによれば、公開8週目になるにもかかわらず、相変わらず、5位と好調である。

この映画は政治の根本を考える上で非常に良い教材となることは、前々回のブログ記事「政治、社会問題を考える上で観るべき最新映画、『レ・ミゼラブル(Les Miserables)』」で、紹介したとおりである。

そこで、今日は、この国の「マスメディアのお門違いな権力批判と未熟な国民主権」について、論じてみたい。

まず、結論からいうが、この国のメディアが未熟であり、民主主義の根幹を理解できていない、いわば、国民の知る権利の担い手として、不十分な役割しか果たしていないと思う最大の理由は、彼らの権力批判の対象が、官僚や公務員という属性批判、つまり、カテゴリーとして叩きやすい対象を叩くのみであって、民主主義政治の最大の責任者である政治家個人の責任は、一切追及してこなかった点にある。

「公務員の給与が高い」とか、「公務員の無駄遣いが多い」という上っ面の批判は、いわば、国民に対するサーカス(見世物)としては、非常に有効なのであろう。

しかしながら、我が国の国民は、他国とは比べ物にならない高度な公共サービスに慣れており、それが当たり前のものととらえ、「公務員の削減」と「公共サービスの向上」という矛盾する要求を突き付け、メディアもその矛盾を無視して、国民へのサーカスの提供に勤しむ

彼らの姿勢は、何ら本質的な権力批判を行うものではない。

今のメディアの権力批判姿勢は、権力批判としては程遠いものであって、彼らは、我が国がここまで疲弊するに至った責任の所在をより一層不明確にし、ただ単に、公務員という属性に、全体責任としての批判を加え、優秀な人材が集まりにくい環境を創出し、更なる公共サービスの低下を招いているに過ぎない。

本来、メディアが本腰を入れて批判し続けなければならないのは、公務員任せにして、自らは何もせず、選挙の時だけ土下座するという、数多くの国会議員や地方議員の個人責任ではなかろうか

税金泥棒の最たるものは国会や地方議員である。

無能なオヤジや時に乗じた未熟なおこちゃまが多いから官僚が答弁を作るという無駄な時間がかかる。

地方に至っては、地方議会そのものが何ら機能していないことがほとんどである。

しかし、そんな無駄人材を排出してるのは、他でもない、我々有権者というのもまた事実だろう。

そろそろ、日本国民はこの本質を自覚し、地方議員を含めて議員そのものの削減を進め、ナイーブな投票行動を改めないといけない

以前、私は、いかに無駄な議員が多いかを論じたことがあるので、この点については興味のある方は、「日本の政治家の数は多すぎる」という記事を読んでもらいたい。

ところで、民主党政権の最大の成果は、我が国の国民主権がいかに未熟であるかを気がつかせてくれたことでろう。

当初は、国民の期待にこたえるかに見えた事業仕分けも、結局、中身のないパフォーマンスで、民主党の議員もそのほとんどが、自民党の議員と変わらない旧態依然とした議員か、実力がないのにパフォーマンスばかりしたがるおこちゃまな議員ばかりで、結局、答弁は官僚任せにせざるを得ず、霞が関の無賃金の違法かつ無駄な国会待機という残業が減ったという話は全く耳にしなかった

むしろ、センスのない馬鹿大臣が増えたせいで、官僚の仕事が大幅に増加し、自民党時代よりも、質の悪い大臣が多かったという評価もできるだろう。

政治家は、我々国民の代表であり、我々日本人の投影である。

政治家が未熟ということは、日本人が未熟であるということになってしまう

例えば、日本のメディアは、よくねじれ国会では何も物事が決まらないと批判的に報道するが、欧米のメディアは、むしろ、ねじれの生じている議会を肯定的な評価をする。

これは、権力が一つの政権政党に集中することにより、チェック機能が働かないことへの恐れである。

アメリカでは、大統領と上院が民主党が占めても、下院だけは共和党を多数者とすることが好ましいする政治評論家が多い。

それは、政権党である民主党が暴走するのを共和党がチェックし、両者の対立を経て、結果的に、よりよい修正案が提示されるのではないかという期待があるからである。

この期待は日本のような議院内閣制国家においても妥当することだし、むしろ、我が国の国会制度においては、立法府から行政の長が選ばれ、立法府に対して内閣が連帯責任を負うという構造なのであるから、議会を無視した政策を行政府は取れないはずであって、議員が優秀であれば、このねじれ状態はアメリカよりも良い結果が期待できるはずだろう

しかし、肝心の議員がいつも同じような顔ぶれか、パフォーマンスにしか興味のない扇動政治家ばかりで、我が国のマスコミも本質的な権力批判ができない人々により運営されているから、ねじれ状態といういう事象に対して、お門違いな批判するしかないのである。

問題はねじれではなく、未熟な議員や扇動政治家とそれを煽るメディア、そして、結果的には、そんな無駄な議員を選んでしまっている我々国民であることをまず自覚しなければならない

私は、この問題を解決するには、国民、特に40代、30代、20代の若い層がより政治に対する意識と知識を身につけていくしかないと思っている。

自分の将来が不安だとか若者は嘆くばかりでなく、自分たちで切り開いていかなければならないという強い政治に対する意識を持ってほしい。

そして、特にこれからの日本を背負う世代は、自分たちがこの国の政治をなんとかしないといけないという関心を強く持ち、家庭や友人と政治談議ができるようなより成熟した社会を目指してほしいし、私もそうしなければいけないと最近強く感じる

欧米の若者は、世間話として、政治や社会問題について語るし、未熟な意見であってもそれを切り捨てたりはせず、議論して楽しんでいるのを私は留学時代から見てきた。

冒頭で話した、レ・ミゼラブルという映画もそういう意識を再度思い起こさせてくれる映画だった。

ぜひとも多くの一般国民が政治に対する考えを世間話として色々語れる社会に日本がなってもらいたいところである。

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