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February 2013

02/22/2013

想像を超えるオスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の刑事事件

「何かスッキリしない。」、「何かがおかしい。」

これは、私が、南アフリカ出身のパラリンピック金メダリストのオスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件が報道された時に直観的に感じた感情である。

今日、世界が注目するこの刑事事件につき、私が感じ取っていた違和感(詳しくは、「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題」参照)は、あながち間違いではなさそうである。

この事件に関連し、信じ難いニュースが流れ始めた(太字は筆者によるもの)。

恋人を射殺した罪に問われている南アフリカの義足ランナー、オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)被告の自宅から見つかった薬物について、同国の検察当局は20日夜、テストステロンであるかどうかはまだ分からないと述べた。

首都プレトリア(Pretoria)の裁判所で同日開かれた被告の保釈請求の審問では、検察側の証人として出廷した捜査官がピストリウス被告の自宅から「テストステロン2箱と複数の針と注射器」が見つかったと証言し、これに対して被告の弁護人は見つかった薬物は「合法な薬草」だと主張していた。  

しかしその数時間後、検察当局のスポークスマンはこの薬物について「何かは分からない」、「科学捜査の結果が出るまでは、(テストステロンであるという証言を)否定も肯定もできない」と述べ、検察側は法廷での主張から後退した形になった。  

国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee、IPC)によると、ピストリウス被告は2012年ロンドン(London)パラリンピックで薬物検査を2度受け、いずれも結果は陰性だった。【翻訳編集】 AFPBB News

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130221-00000013-jij_afp-int

そもそも、不確かな情報を断定的に法廷において証言すること自体、極めて非常識である。口が滑ったとかいうレベルの話ではない。捜査機関の憶測、見込み捜査といったことの表れといえるし、こんな捜査機関に対して、どうして裁判所が信頼を置けるだろうか。

これが単なるメディアへのリーク情報であれば、"疑惑"で済んだ話なのかもしれないが、公判廷において、事件の担当捜査官が、このようなデタラメな証言をしているということ一事をもってしても、この事件の捜査状況が異常であることは、明白である

しかし、これだけで済まないのが、犯罪大国、南アフリカの実情を物語っている。

【AFP=時事】(一部更新)南アフリカの義足ランナー、オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)被告が自宅で恋人を射殺した罪に問われている事件で、捜査を主導した刑事が7件の殺人未遂容疑で捜査対象となっていることが21日、明らかになった。  

南ア警察当局のネビル・マリラ(Neville Malila)報道官によると、ヒルトン・ボタ(Hilton Botha)刑事は2009年に走行中の乗り合いタクシーを止めようとこのタクシーに向かって発砲し、殺人未遂容疑で起訴された。その後、起訴は取り下げられたが、マリラ報道官によると20日になって、ボタ刑事に対する殺人未遂容疑の捜査が再開されていたことが判明したという。  

地元メディアは21日、南ア検察当局がボタ刑事をピストリウス被告の事件の担当から外したと報じたが、マリラ報道官はAFPの取材に対し、「警察当局としてはまだ何も決定していない。ボタ刑事は現在も事件を担当している」と報道を否定した。  

20日の審問では、ボタ刑事の提出した証拠に対し、ピストリウス被告の弁護団から信頼性に欠けるとの指摘があり、最終的にボタ刑事は捜査上で複数の過ちを犯していたことを認めている。その中には、ボタ刑事が現場に最初に到着した際に現場の保存を怠ったことや、現場の状況に関してピストリウス被告の主張に矛盾を見出せないなど、殺害は計画的だったとする検察側の主張を弱めるものも含まれている。【翻訳編集】 AFPBB News

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130221-00000032-jij_afp-int

ここまでくると、まるで、サーカス(見世物)である。

そもそも、南アフリカの刑事訴訟手続を詳しくは知らないので、その当・不当の議論は置くとしても、7件の殺人容疑が掛けられ起訴され、その後取り下げられ、さらに捜査が再開されたという事情を持つ人間が、殺人事件の捜査を未だに担当しているということそのものが、あり得ない話と断罪せざるを得ない

さらに、この主任刑事(lead detective)は、捜査の基本である現場保存を怠ったことを保釈審理の場で認めているというのである。

そうすると、そもそも、犯行現場の生の状況につき、かかる捜査官が提示する、いわゆる"客観的"であるはずの証拠につき、その信用性が揺らいでしまうことは、法律のプロでなくても、誰もが感じるのではないだろうか

すなわち、かかる杜撰な捜査官が主任刑事として、初動捜査に深く関わっていたという事実は、本件を検討する上で、警察ないし検察が証拠として示す証拠について、「本当にいじられていない証拠なのか」という不審を前提として構築し、裁判所は審理を行っていくことになるはずである(すくなくとも、南アフリカの司法機関が、司法機関としての常識を兼ね備えているとするならばだが。)。

私は、当初より、殺意の事実認定には、①凶器の種類、形状、用法、創傷の部位、程度といった犯行の態様、②犯行の背景、経過、動機、③犯行中または犯行後の被告人の言動(例えば、犯行中に殺してやるという発言があったか否かとか、犯行後に平然としていたかどうかなど)等の状況証拠を総合的に考慮して認定するということを説明してきたが、本件では、そもそも、②及び③につき、被疑者に有利である旨は、前回の記事「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題(2)」で説明したとおりであるので、参照してほしい。

そして、今回の報道内容は、検察官にとって、もっとも殺人罪で起訴するための根拠となるはずであった、①の立証につき、その証拠資料の信用性を大幅に揺るがす補助事実(要証事実の存在を立証する実質証拠の証明力に影響を及ぼす事実)が示されてしまったことになる。

また、この刑事が提示した目撃供述には300メートル離れていたところから"口論が見えたないし聞こえた"とする証言もある。300メートルといえば、徒歩4分くらいであるが、いかにアフリカの人の視力が良いとしたとしても、果たしてそのような距離において、正確な状況を知覚し、記憶し、叙述できるのであろうか。

このような状況で、果たして、検察官が、公判の維持がそもそもできるのかと私は思うのであるが、南アフリカの検察は、動機の立証ができず、客観的な犯行状況に関わる証拠にも大きな不安があるこの事件を単なる殺人罪ではなく、より重い計画殺人として起訴し、公判を維持するつもりであったというのだから、これも私の理解を超えている

ところで、注目される刑事事件が発生すると、法律に明るくない人が、法律家に対して、「犯人だと思いますか?」とか、「有罪の可能性は?」とか聞くことが結構あるだろう。

しかしながら、訴訟法を学んだことのある人間であれば、当然のこととして理解しているはずだが、法律家が、ある事実を認定するためには、証拠に基づき、その事実の存在が十中八九間違いないという確信を持たなければ、事実の認定に関わることを軽々しく語れない。

そうすると、特に、否認事件では、有罪だと思うとは到底答えられるものではないから、せいぜい、「可能性はあるか」という部分を利用して、可能性あると答えるに留め、言及から逃げるだろう。何故なら、あらゆる可能性は存在するからである。

事実認定というのは、世間一般が考えるほど簡単な作業ではない。

裁判員経験者が口を揃えて大変だったというのは、事実を認定することの難しさに直面し、何をもって、十中八九間違いないという確信とするかに思い悩み、苦悩して、結論を出さないといけないからだろう。

この点、高裁の所長まで勤めた事実認定の分野で有名なある裁判官は、事実認定には、直感的なものも重要であるという。もちろん、それは直感的に有罪の事実認定をするということではない。むしろ、その逆である。

ある事実を認定する上では、「なんかおかしい。」、「なんか違和感を感じる」といった直感的なものを切り捨てず、「違和感は何か。」、「それを合理的に考えて解消できたか。」を常に意識することが必要である。

もっとも、私はすべてを疑えとか、陰謀だとかいう立場には組しない。ただ、否認事件においては捜査機関からの情報を鵜呑みにせず、違和感を感じたら、その直感的なものはある程度大切にして、事件に関する報道に向き合う必要があると言いたいのである。

今回のピストリウス選手の事件は、いかにそうした直感的な違和感が重要かを再認識させてくれた点でも、重大な事件である。

この事件についてはまだまだ語りたいことがあるし、最近この事件について交わした、アメリカ連邦裁で働く友人との議論の内容も面白いので紹介したいが、今日はここまでとしたい。

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02/20/2013

オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題(2)

昨日の「オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題」という記事はライブドアのBLOGOSというウェブサイトにおいて、「メディア」セクションの一面に取り上げられたことも相まってか、かなりの読者の方に、問題意識を持ってもらえたのではないかと思っている。

新たに弁護人による保釈請求に係る審理における主張内容や弁護団等の結成に関する情報が報道されたことを受けて、私は、現時点において、この事件は、冤罪の可能性がある程度見込まれる事件ではないかとの心証を持ちつつある

もっとも、かかる心証も、現段階で報道されている情報を前提として、警察がリークする情報内容の矛盾等や弁護人の主張内容を一見してのものであるから、今後の展開次第では、当然変わることが前提である。

ただ、この事件は、捜査機関の情報管理のあり方、捜査機関による一方的なリーク情報の検証のあり方、マスメディアの報道のあり方、事実認定のあり方等を考える上で非常に参考となる事件であるから、なぜ私がこの事件につい冤罪の可能性もある程度見込まれると現段階で思うようになっているのか補足的に説明したい

今まで具体的な犯行状況に関する情報はほとんど明確には報じられていなかったが、保釈審理における弁護人の主張と検察官の主張から、その概要が多少見えてきた。

その記事内容は次のとおりである。気になる部分は太字に筆者がしている。

14日の事件後、2回目の出廷となる保釈査問会にピストリウス被告は、黒のスーツ、ブルーのシャツ、グレーのネクタイといった服装で現れた。スティンカンプさんの名前が挙がるたびに泣き崩れ、前科はないかという質問に答える際には声が震え、裁判官に大きな声でと言われ、答え直す場面もあった。  

審理では、ピストリウス被告の恋人だったモデルのスティンカンプさんが殺された経緯について、検察側と弁護側の主張に強烈な食い違いがみられた。  

検察側は、プレトリアにある自邸で被告が銃をとり、義足を着用して7メートルほど歩き、鍵のかかったバスルームの扉の反対側からスティンカンプさんへ向けて4発発砲し、うち3発がおびえたスティンカンプさんに当たり、致死傷を負わせたと述べた。ゲリー・ネル(Gerrie Nel)検事は「彼女はどこへも行き場がなかった。何の武器も持たない無実の女性を被告は撃ち殺した」とし、バレンタインデーに起きた殺人は「計画的だった」と主張した。    

また被告がスティンカンプさんを侵入者と誤ったという弁護側の主張に反論するため、スティンカンプさんは13日の夜に宿泊するための荷物を持ってピストリウス邸に来ていたと述べた。  

一方、著名弁護士らが集まるピストリウス被告の弁護団は、殺害は計画的だったとする検察側の主張を否定した。

弁護団の1人、バリー・ルー(Barry Roux)氏は「この件は殺人でさえないと我々は申し立てた。一切の譲歩はない」と述べた。  ルー弁護士は、被告がバスルームにいた人物を侵入者だと思ったと述べ、計画された殺人とは言えないと主張した。さらに被告はスティンカンプさんを助けようとしてバスルームの扉を壊したとも語った。  

弁護団は、ピストリウス被告の保釈を求めるとみられているが、当局はこれを却下すると明言している。  

すでにピストリウス被告は3月から5月に行われるオーストラリア、ブラジル、英国、米国での競技会出場を取りやめている。  

同日、スティンカンプさんの故郷、ポートエリザベス(Port Elizabeth)では、身内だけでスティンカンプさんの葬儀が行われた。棺は白い花で覆われ、悲しむ参列者に見送られながら火葬場の礼拝堂に運び込まれた。  

スティンカンプさんの遺族は、ピストリウス被告に対する恨みはなく、ただ死の真相をはっきり知りたいと述べた。叔父のマイケル・スティンカンプ(Michael Steenkamp)さんはAFPの取材に対し「私たち家族に敵意とか憎しみのようなものはないが疑問があり、それは解決していくと思っている」と語った。  

競技以外の面では軽はずみな行動で時に私生活に問題もあったピストリウス被告を支援するチームは、有名弁護士らによる強力な弁護団の他に、医療専門家、広報専門家から構成されている。  

英大衆紙サン(The Sun)の元編集者で、顧客には英航空大手ブリティッシュ・エアウェイズ(British Airways、BA)やサッカークラブのチェルシーFC(Chelsea FC)、マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)といった錚々たる名前が並ぶPR専門家スチュアート・ヒギンズ(Stuart Higgins)氏が、ピストリウス被告の広報を引き継いでいる。  また弁護人の1人、ケニー・オールドウェージ(Kenny Oldwage)氏は2010年にネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領のひ孫が死亡した交通事故で運転者の弁護を請け負い、無罪を勝ち取った経歴がある。【翻訳編集】 AFPBB News

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130219-00000044-jij_afp-int

さて、このニュース報道から、いくつかの事実が分かり始めた。

1つ目は、被害者が浴室において、ドアの外側から発砲を受け、4発中3発が被弾し、それが死因となっている可能性が強いということである。

2つ目は、浴室のドアが壊れていたということである。

3つ目は、被害者遺族は現時点で、被告人であるピストリアス選手に対する強い処罰感情を示しておらず、むしろ、殺人だとした場合に、被害者が殺されなければならなかった理由について何らかの確信を持っていなさそうだということである。

この他の点については、弁護人と検察官との主張の間に争いがありそうで、確定的な情報がないので、現時点では、言及を避けておく。

そこで、これらの事実を前提として考えると、報道されていた血のついたバットの存在はどういう理解になるのであろうか

おそらく、ピストリウス選手及びその弁護人は、「血のついたバットが存在する理由について、浴室の物音に気付き強盗だと誤認して、発砲した後、被告人が、誤射の可能性に気がつき、被告人は浴室のドアを壊して、被害者救出するために、バットを使用した。救出の措置をするために無我夢中だったところ、バットは血の流れた床に落とし、そこで大量の血液が付着したという主張を展開していくのではなかろうか。

仮にかかる主張をした場合、この主張それ自体は、ある程度合理性がある主張のように思える

他方、捜査機関側は、バットについては、犯行に使われた可能性や被害者が防御に使用した可能性に言及するリークをしてきた。

しかしながら、前者については、審理においては3発の被弾が死因であるということを前提とした議論がなされていたようであるから、その立証は難しくなっているのではないだろうか。

また、後者についてみると、そもそも、銃口を向けられて被害者が防御にバットを使用するという主張には、とっさの行動だったとしても疑問を挟む余地があると感じる。

つまり、銃口を向けられてとっさにバットを被害者が持ったということはありえなくはないが、浴室にバットがあるのであるから、バットを持ちつつ、被害者が浴室に逃げ込むという行動をとったことになるが、果たして、被告人が被害者の姿を見えない状態で撃ち、強盗と間違えたとの言い逃れができる都合の良い状況を被害者自信がが作るように計画性をもって仕向けることを、被告人が実行しえたのかという強い疑問が生じるのである。

また、現時点の報道では、被告人にバットによる防御傷があったという話も出ていない

結局のところ、検察官が計画殺人という罪状で起訴している以上、検察官にとっての決め手となるものは、被告人が計画性があると言えるような強い動機の立証である。

しかしながら、この動機が現時点でも判然としていないということは重大な点であろう。

この点、驚いてしまうのは、一部報道が事実だとすれば、検察官は、動機につき、「動機については『(女性を)殺したい。それだけだ』と述べた。」というのである。

これが本当だとすると、検察官には、動機の立証手段を持ち合わせていないことになる

そして、捜査機関が開示しているのは、ピストリウス選手があたかも危険人物だったかのような情報ばかりで、何ら犯意を推認可能とする間接事実も報じられてないのである。

私は、ここに、本件における捜査機関側の筋の悪さがあると感じるし、この点は重大であるから、捜査機関側から報じられる情報に接する上では、見落としてはいけない点であると思うのである

ところで、検察官は、被害者であるスティンカンプさんが13日の夜に宿泊するための荷物を持ってピストリウス邸に来ていたと主張し、誤認のはずがないと主張しているようであるが、これも、決め手を欠く。

宿泊するために来ていたというだけでは、誤認の主張を覆すことにはならない。

立証責任を有する検察官としては、宿泊準備をして被害者が来ていたことを被告人が認識しており、被告人において、被害者を強盗と間違える余地がないことを立証しなければならないのであるから、今後の報道では、その立証ができるのかも注視していかなければならない。

さらに、被害者の遺族の反応も重要である。

被害者遺族が、被告人の犯行動機に何らかの察しがついていれば、処罰感情を示すのが自然であるが、被害者遺族が、現時点でも、そうした感情を示さないのは、やはり、犯行動機に察しが付いておらず、戸惑っていることの表れとみるのが自然であろう。

ところで、先日の記事で私は、殺意の認定における重要な客観的な要素として、3つ目に、「犯行中又は犯行後の被告人の言動」ということを紹介した。

この点も、本件では、ピストリウス選手に有利と思われる情報もちらほら見受けられる

例えば、一部報道では、被告人は、犯行直後友人に、電話をしており、その状況が報じられている。

英紙「サン」は、射殺後にピストリウス被告が友人に「俺のババ(ベイビー)を殺してしまった」と泣きながら電話してきたと報じた。  

親友のジャスティン・ディバリスさんに連絡があったとされるのは、救急サービスに連絡が来る前の14日午前3時55分ごろ。警察到着後も泣き続けており、「彼は『事故だった。僕はリーバを撃ってしまった』と話していた」と明かしている

これは極めて重要な犯行直後の被告人の言動である。

かかる言動は、被告人が被害者を強盗と誤信し、撃ってしまったという趣旨に捉えることができる言動であるから、殺意の認定においては消極的な事情、つまり、被告人に有利な事情となる可能性がある

そして、その後も、被告人は、警察に協力的な姿勢をしてしており、アルコールや薬物テストも受けているというのであり、さらには、公判廷で、被告人が終始、泣きじゃくっているという言動も、演技として切り捨てるだけの動機が認められない現時点においては、計画殺人犯が取りうる行動とはなかなか捉えにくいのである。

さらに、被害者との二股交際が噂され、被告人の動機に成りえるとして報じられた人物は、被告人が被害者を殺意を持って殺害したとすることに、否定的なコメントを次のようにしているようである。

また地元紙ではラグビー南ア代表SHフランソワ・ホーハート(24)と、スティンカンプさんが「親密だった」とも伝えている。

数年来、2人の共通の友人だったというホーハートは、過去にも有名スポーツ選手の前妻との熱愛でゴシップ誌をにぎわすなど、名うてのプレーボーイ。過去には2人の交際が報じられたこともあるが、こうした関係を否定したうえで「痛ましい。(スティンカンプさんの死は)彼のせいではない」とコメントしているという。

以上のような状況からすると、私は、現時点では、ピストリウス選手に対する計画殺人の起訴事実は、冤罪となる可能性がある程度あるのではないかという心証を抱きつつある

そして、無罪請負人といえるような優秀な弁護士や専門家が支援をしているのは、単に金銭的報酬を得る目的というよりは、彼らがある程度の強い無罪の勝算を見込んでいるからではないだろうか

今後も公判廷の状況を注視していきたい。

なお、本件を我が国の刑法に当てはめて考えると、誤想過剰防衛の論点も出てくるなかなか勉強には良い題材になるかもしれないが、果たして、南アフリカの刑法にもそういう綿密な議論があるのか気になるところでもある。

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02/19/2013

オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手の事件報道に見る捜査機関のリーク問題

前回の記事「マスメディアのお門違いな権力批判と未熟な国民主権」は、少し、抽象論となったので、今日は、より具体的な問題を取り上げ、メディアと権力との不適切な関係について、論じてみたい。

皆さんは既に、義足のブレード・ランナー(Blade Runner)こと、南アフリカの義足の陸上間距離走選手、オスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)選手が、恋人に対する殺人容疑で逮捕され、計画的殺人との罪状で起訴されたという報道に接しているだろう。

この事件、当初は、侵入者と間違った誤射として報道されたが、捜査機関の記者会見後は、計画的殺人だったかと思わせるような情報を各国メディアが報じており、現段階では、2つの情報が出ており、依然、詳細が分かっていない事件である。

しかしながら、この報道を通して、私は捜査機関というのは、どこの国も同じ問題を抱えていると感じた。

その問題というのは、否認事件における被疑者段階での意図的リークとマスメディアを利用した印象操作である。

日本のメディアや欧米の英字メディアが報じるところでは、南アフリカの警察は、当初、誤射の可能性があるとして報じられると、未だ事件から、1日、2日しか経っていないにもかかわらず、ピストリウス選手が攻撃的な人物であるかの如き、事件とは直接的な結びつきが薄い、いわゆる、"予断を生じさせる被疑者に不利な情報"を積極的に発表する一方、過失か故意かの判断に重要な犯行現場の状況や犯行動機などの情報は一切開示していないし、未だにその状況は謎である。

さらに、捜査機関が開示した予断を生じさせる被疑者に不利な情報には、被害者である恋人とのトラブルにより計画殺人に発展したとするには、直接的には関係のない情報が多々見受けられた

例えば、ピストリウス選手には、女性に対する暴行、いわゆるドメスティック・バイオレンスをした過去を示唆する情報 である。

英米のメディアはこれを「Domestic Incident」と報じていたが、示唆するのは、いわゆるDVといった暴行等である。

しかし、問題は、被害者との間での「Domestic Incident」なのか、別の女性に対するものなのかが判然しない形で報じられ、結局、これは、過去に付き合っていた、別の女性から通報があったが、嫌疑不十分で立件されなかったという話だということが判明しているが、そもそも、このような話は、今回の事件が故意による殺人なのか、過失による過失致死ないし重過失致死事案なのかという判断においては、関連性が極めて希薄であって、動機や犯行そのものを裏付けるような重要な証拠とはいえない事実である。

むしろ、この話は、別の女性に対する話であることに加え、嫌疑不十分で何ら起訴すらされなかったのであるから、この情報が事件直後に警察から流れること自体が、異常ではなかろうか

捜査機関である警察が、事件の核心部分である情報は証拠がないのかわからないが、そのような情報は一切発表せず、他方で、過去の不確かな嫌疑については、積極的にメディアに漏えいするという姿と目の当たりにすると、南アフリカの警察は、故意の立証が難しいがために、このような過去の不確かな嫌疑を開示し、被疑者であるピストリウス選手の性格が、凶暴であるという一定の方向に印象づけようとしているのではないかと思えて仕方ない

繰り返しになるが、この過去のDV疑惑は、警察自らが嫌疑不十分と判断していた以上、何ら根拠のないものなのであって、そのような根拠がないにもかかわらず、予断を生じさせる極めて危険かつ不適切な情報をあえて発表する理由何なのであろうか

この点には、南アフリカの捜査機関に対する強い違和感を感じざるを得ないのである。

しかし、これは、遠い南アフリカの警察の問題に限られる話ではない。

過去に前科があるという情報も、今回のピストリウス選手のDV疑惑と比べれば、一応、前科として確定した事実であるから、その事実そのものの真実性には、一応の根拠があるものの、前科はあくまで過去の事実なのであって、前科があるからといって、犯罪傾向があるから、当該犯行を行ったに違いないとする事実認定は、到底許されない。

わが国でも、最近世間を騒がしている遠隔操作ウィルス事件の真犯人逮捕のニュースにおいては、捜査機関が真犯人と目している被疑者、片山氏について、日本の警察は類似行動をし、マスメディアもそのリーク情報に乗っかって、逮捕前の映像を隠し撮りし、片山氏があたかもコンピューターオタクっぽいとの印象を与える報道をしている一方、警察が本来握るべき決定的な証拠については、逮捕当初ほとんど報じられなかった

さらには、弁護士の矢部先生が指摘しているとおり、逮捕報道が逮捕の着手をする1,2時間前に流れるなどの罪証隠滅の機会を自ら提供するがの如き事態は、警察の極めて重大な失態が露呈しているにもかかわらず、それを追及する声は、インターネット以外では何ら聞こえてこないのである。

刑事裁判は、英米法の影響を受けている国においては、とりわけ当事者主義の構造上、公判廷という公の場で、それぞれが証拠を開示し、被告人及び弁護人と検察が、対峙していくのが本来的な姿である

その前提となる証拠収集段階で、情報を警察が漏えいすること自体そもそもおかしな話なのではあるが、本件は、警察が自白偏重による冤罪を生んでしまったことと深く結び付いている事件なのであって、そのことへの反省を踏まえて慎重な捜査をしているのであれば、このような失態は生じないはずであろう。

こうしてみると、日本の警察も、南アフリカの警察も、証拠収集過程である捜査段階において、意図的なのか、被疑者に不利な情報(特に、決定的な証拠とはいえない部類の質の悪い情報)を漏えいし、あたかも、自分たちが逮捕した被疑者が、かかる犯行をしかねない人物だという印象を世間一般に与えてしまう情報漏洩を行っているのであって、このこと自体極めて恐ろしいことである。

私は南アフリカの刑事裁判制度につき明るくないが、陪審員制度や裁判員制度が採用されて、捜査段階の警察リーク情報に触れる可能性が極めて高い一般市民が裁判に参画するという制度を採用している国においては、尚更、予断排除に対する強い意識が捜査機関に強く要求されているのではなかろうか。

さて、話をピストリウス選手の事件に戻すが、警察のリークに基づく報道内容を見ていると、どうも不可解な点が多く、故意の立証、ましてや、計画殺人としての、計画性の立証をできるだけの証拠資料を警察が抑えているのか疑問に思えてくる。

まず、近時、新たに報道されている内容としては、①ステロイド剤が被疑者宅で発見されたということと、②血のついたクリケットのバットが発見されたということである。

まず、①についてみると、事件直後にピストリウス選手は、既にアルール等の量を調べる血液成分のテストを受けたと報道されていたところ、その結果は何ら発表されない一方で、ステロイド剤の所持のみが報道されている。

確かに、ステロイド剤には、興奮作用等があるため、南アフリカの警察は、これで凶暴になり抑えが利かなくなったという見立てなのかもしれないが、ステロイド剤の所持や服用の事実が、仮に立証されたとしても、それだけで、故意の立証があるとはいえない

仮に、ピストリウス選手が、犯行当時ステロイド剤を過剰に摂取していたとしても、過剰服用の事実は、何らかの動機が立証された後に初めて、その動機に基づいて犯行をするうえで、ステロイド剤の服用が自己自制作用を減退させ、犯行につながったという間接事実としての意味合いを持つ事実である。

そうすると、犯行動機について、二人の間にトラブルがあったのではないかという憶測の域を出ない情報しか報じられていない段階で、それ単独では意味を持たないステロイド剤の所持という情報がリークされることには違和感を感じるのである。

そして、ステロイド剤の所持という事実そのものは、陸上の選手というピストリウス選手のイメージを低下させることには、極めて有効な情報であることに鑑みれば、本来、捜査機関としては、被疑者が否認している以上、最大限の注意を持って、慎重に情報を扱うべきであるにもかかわらず、未だ重要な意味を持たない情報をこの段階でリークすることに、私は、南アフリカの警察は、動機の立証が困難であるか、それを立証する証拠が乏しいから、わざわざ、こうした印象操作ともとれるリークを次々にしているのではないかと考えてしまうのである。

次に、②の血のついたクリケットバットであるが、この血が誰のものであるか、また、被害者の死因が拳銃に撃たれたものなのか、バットで殴られたものなのか、全く判然としない中で、このような物が発見されたという報道が先行することにも、何か違和感を感じざるを得ない

さらに、仮にピストリウス選手が警察の見立て通り、粗暴な側面を有している人物であったとした場合、彼の交友関係からの情報が出てしかるべきであるが、マスメディアが報じているのは、酔っぱらっていた状態で川でスピードボートで衝突し、スピードボートを破壊したとか、過去に付き合っていた女性を巡ってお金持ちの男性と激しい口論をしたことがあるとかいう、粗暴な姿として報じられる情報のほとんどが、確たる証拠を伴っていなかったり、警察からのリークに基づいていたりすることも、この事件の報道を見ていて、何か釈然としないものを感じるのである。

ところで、殺意の認定は、一般的にどのように認定するかご存じであろうか。

一般的に、殺意の有無は、①凶器の種類、形状、用法、創傷の部位、程度といった犯行の態様、②犯行の背景、経過、動機、③犯行中または犯行後の被告人の言動(例えば、犯行中に殺してやるという発言があったか否かとか、犯行後に平然としていたかどうかなど)等の状況証拠を総合的に考慮して認定する。

もっとも、ピストリウス選手の事件においては、これらについても、多少考慮の仕方が変わってくるだろう。

争点は、ピストリウス選手が、被害者を被害者として認識した上で撃ったのか、被害者を強盗と誤認した余地があったのかという点となる。

つまり、仮に強盗と誤認していた場合、ピストリウス選手本人は、正当防衛が成立するという違法性阻却事由を基礎づける事実につき、誤認しているのであるから、事実の錯誤の問題として、責任故意が阻却される余地がある

例えば、よくネット上では、「4発も撃っていて誤認はないだろ」などという短絡的な意見があるが、これもどちらにも転がる事実なので、慎重な認定が必要となる。

まず、「4発撃って命中した」という事実だけ取り出せば当然、上記の①からしても、殺意の認定はできるだろうが、だからといって、この事実をもって、誤認はないという結論には直結しない

すなわち、特に、南アフリカの治安は極めて劣悪であり、拳銃等を護身用として持ち歩き、「やられる前にやる」ということが許容されているような社会においては、「4発撃って命中」したとしても、「相手が知らない強盗で、夜中ないし明け方に侵入してきたため、無我夢中で撃ち続けた。命中したのは日頃から護身用に備えて射撃場で訓練していた」と弁明されてしまえば、誤認という主張を覆すことは難しいのではなかろうか。

したがって、この誤認の主張を覆すためには、犯行状況や被害者の死因、また、ピストリウス選手が誤認していない場合にどういう経緯ないし動機をもって犯行に及んだと立証するのかが極めて重要なポイントになるが、これらを決定づける情報は未だ警察からは発表されず、これ以外の証拠価値の低い情報が積極的に警察から開示されるというのが、違和感の根源である。

そして、私個人の最大の疑問(おそらく多くの人も同じ疑問を持っていると思うが)は、仮にピストリウス選手が誤認をしていなかったとした場合、なぜ金メダルを獲得し、世界的な名声を既に手に入れ、これからも選手として将来のある人物であり、かつ、同じような境遇の子供たちに対し、義足を与えるための財団設立にも尽力していたと思われる人物が、バレンタインデーの前日にバレンタインデーで何かすることを楽しみにするツイートをしていた恋人を殺すに至らなければならなかったのかということである。

いずれにしても、本件は否認事件であり、世界的な注目を集めている事件だけに、リークによる印象操作と思われるようなことはせず、事実の解明が適切になされることを切に願う

なお、この事件につき、アメリカ連邦地方裁判所に勤務する留学時代の友人に見解を聞いたところ、南アフリカは、人種差別も根強く、白人の成功者に対する妬みや嫉妬というものも少なからずあり、現在では白人に対する逆差別ということもあるから、かかるリークにもそういったことが影響している可能性はあるし、そもそも南アフリカの警察機構は、アメリカや日本に比べ腐敗しているとの見解を示したいた。

このピストリウス選手の事件が、人種間の問題による過剰な反応により、第2のOJ.シンプソン事件のようになる余地もあるかもしれない。

上記アメリカ人の友人に、日本でも検察官による証拠改ざん事件があったことを説明したところ、大変驚いていたが、証拠の改ざん等は、全ての事実を見誤らせる点において、極めて恐ろしいものであると述べており、その怖さを再認識したところである。

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02/16/2013

マスメディアのお門違いな権力批判と未熟な国民主権

前回のブログ記事、「映画、『レ・ミゼラブル(Les Miserables)』の評価 ― 映画から読み取る政治、社会問題に関するメッセージの一考察」から約1カ月の更新になるところ、映画「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」のランキングは、Yahooの映画サイトによれば、公開8週目になるにもかかわらず、相変わらず、5位と好調である。

この映画は政治の根本を考える上で非常に良い教材となることは、前々回のブログ記事「政治、社会問題を考える上で観るべき最新映画、『レ・ミゼラブル(Les Miserables)』」で、紹介したとおりである。

そこで、今日は、この国の「マスメディアのお門違いな権力批判と未熟な国民主権」について、論じてみたい。

まず、結論からいうが、この国のメディアが未熟であり、民主主義の根幹を理解できていない、いわば、国民の知る権利の担い手として、不十分な役割しか果たしていないと思う最大の理由は、彼らの権力批判の対象が、官僚や公務員という属性批判、つまり、カテゴリーとして叩きやすい対象を叩くのみであって、民主主義政治の最大の責任者である政治家個人の責任は、一切追及してこなかった点にある。

「公務員の給与が高い」とか、「公務員の無駄遣いが多い」という上っ面の批判は、いわば、国民に対するサーカス(見世物)としては、非常に有効なのであろう。

しかしながら、我が国の国民は、他国とは比べ物にならない高度な公共サービスに慣れており、それが当たり前のものととらえ、「公務員の削減」と「公共サービスの向上」という矛盾する要求を突き付け、メディアもその矛盾を無視して、国民へのサーカスの提供に勤しむ

彼らの姿勢は、何ら本質的な権力批判を行うものではない。

今のメディアの権力批判姿勢は、権力批判としては程遠いものであって、彼らは、我が国がここまで疲弊するに至った責任の所在をより一層不明確にし、ただ単に、公務員という属性に、全体責任としての批判を加え、優秀な人材が集まりにくい環境を創出し、更なる公共サービスの低下を招いているに過ぎない。

本来、メディアが本腰を入れて批判し続けなければならないのは、公務員任せにして、自らは何もせず、選挙の時だけ土下座するという、数多くの国会議員や地方議員の個人責任ではなかろうか

税金泥棒の最たるものは国会や地方議員である。

無能なオヤジや時に乗じた未熟なおこちゃまが多いから官僚が答弁を作るという無駄な時間がかかる。

地方に至っては、地方議会そのものが何ら機能していないことがほとんどである。

しかし、そんな無駄人材を排出してるのは、他でもない、我々有権者というのもまた事実だろう。

そろそろ、日本国民はこの本質を自覚し、地方議員を含めて議員そのものの削減を進め、ナイーブな投票行動を改めないといけない

以前、私は、いかに無駄な議員が多いかを論じたことがあるので、この点については興味のある方は、「日本の政治家の数は多すぎる」という記事を読んでもらいたい。

ところで、民主党政権の最大の成果は、我が国の国民主権がいかに未熟であるかを気がつかせてくれたことでろう。

当初は、国民の期待にこたえるかに見えた事業仕分けも、結局、中身のないパフォーマンスで、民主党の議員もそのほとんどが、自民党の議員と変わらない旧態依然とした議員か、実力がないのにパフォーマンスばかりしたがるおこちゃまな議員ばかりで、結局、答弁は官僚任せにせざるを得ず、霞が関の無賃金の違法かつ無駄な国会待機という残業が減ったという話は全く耳にしなかった

むしろ、センスのない馬鹿大臣が増えたせいで、官僚の仕事が大幅に増加し、自民党時代よりも、質の悪い大臣が多かったという評価もできるだろう。

政治家は、我々国民の代表であり、我々日本人の投影である。

政治家が未熟ということは、日本人が未熟であるということになってしまう

例えば、日本のメディアは、よくねじれ国会では何も物事が決まらないと批判的に報道するが、欧米のメディアは、むしろ、ねじれの生じている議会を肯定的な評価をする。

これは、権力が一つの政権政党に集中することにより、チェック機能が働かないことへの恐れである。

アメリカでは、大統領と上院が民主党が占めても、下院だけは共和党を多数者とすることが好ましいする政治評論家が多い。

それは、政権党である民主党が暴走するのを共和党がチェックし、両者の対立を経て、結果的に、よりよい修正案が提示されるのではないかという期待があるからである。

この期待は日本のような議院内閣制国家においても妥当することだし、むしろ、我が国の国会制度においては、立法府から行政の長が選ばれ、立法府に対して内閣が連帯責任を負うという構造なのであるから、議会を無視した政策を行政府は取れないはずであって、議員が優秀であれば、このねじれ状態はアメリカよりも良い結果が期待できるはずだろう

しかし、肝心の議員がいつも同じような顔ぶれか、パフォーマンスにしか興味のない扇動政治家ばかりで、我が国のマスコミも本質的な権力批判ができない人々により運営されているから、ねじれ状態といういう事象に対して、お門違いな批判するしかないのである。

問題はねじれではなく、未熟な議員や扇動政治家とそれを煽るメディア、そして、結果的には、そんな無駄な議員を選んでしまっている我々国民であることをまず自覚しなければならない

私は、この問題を解決するには、国民、特に40代、30代、20代の若い層がより政治に対する意識と知識を身につけていくしかないと思っている。

自分の将来が不安だとか若者は嘆くばかりでなく、自分たちで切り開いていかなければならないという強い政治に対する意識を持ってほしい。

そして、特にこれからの日本を背負う世代は、自分たちがこの国の政治をなんとかしないといけないという関心を強く持ち、家庭や友人と政治談議ができるようなより成熟した社会を目指してほしいし、私もそうしなければいけないと最近強く感じる

欧米の若者は、世間話として、政治や社会問題について語るし、未熟な意見であってもそれを切り捨てたりはせず、議論して楽しんでいるのを私は留学時代から見てきた。

冒頭で話した、レ・ミゼラブルという映画もそういう意識を再度思い起こさせてくれる映画だった。

ぜひとも多くの一般国民が政治に対する考えを世間話として色々語れる社会に日本がなってもらいたいところである。

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