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07/15/2012

大津市の事件から考える公務員の責任論

ここ数日、世間での注目は大津市のいじめ自殺事件ではないだろうか。

私もこの問題をやっと把握し始めたが、把握する情報が増えるたびに、大津市教育委員会及び被害生徒が通っていた中学校の対応の悪さに驚愕すると同時に、加害生徒の行為の悪質性と残忍性に恐ろしさを感じる。

インターネットでは、既に加害生徒をはじめとする関係者の写真や住所等の個人情報が氾濫しており、日々新たな情報が飛び交い、その検証がされている。

行政の対応が極めて不適当な事案であったためにここまで問題が拡大しているのではなかろうか。

しかし、こういう問題が起こると、公務員は市場の原理が働かないからなどと安易かつ陳腐な公務員批判だけで問題の本質を見ない「もっともらしい」批判で終わらせてしまう評論家が多いが、私は今回の事件がここまで拡大している根本的な第一義的原因は、公務員社会の昇進制度、いわば、任命制度の問題であり、その問題に対する責任の所在は、首長、政治家、ひいては、有権者である国民にあることの認識を強く持たなければならないと思っている。

そもそも、これだけ問題が拡大した時点で、大津市の教育長や学校長の対応が不適切であることは一見して明白なのであるから、任命権者は直ちにこれらの現場責任者の職務を停止させ、事実関係が明らかになるまで、別の職付とし、事実関係を明らかにさせるためにも、弁護士をはじめとする外部の専門家を教育長を任命すべきである。

そして、学校長についても、当該地域や職員とは利害関係の薄い人物等を選別し、新たな学校長を任命して、事実関係を明らかにすべきではなかろうか。

事実関係を隠して責任を取ることができないような人間をいつまでもその職に留めているから、問題が拡大し続けているのである。

つまり、大津市の事件をはじめとする公務員による不適切な対応の本質的問題は、公務員に市場原理が働かないとかそんな的外れなところにあるのではなく、公務員の任免における責任の所在を明確にできない任命権者にあると思う。

公務員批判をする際に、公務員全体が腐敗しているかのような批判があるが、これは空虚な批判に過ぎず、問題の解決には全くならない無責任な批判である。

公務員に責任を取らせることができるのは、任命権者であり、究極的には、任命権者を選任するのは有権者たる国民である

大津市の教育長や校長に対し、いじめ事件を知った多くの国民は、怒りや強い嫌悪感を抱いているのではなかろうか。

本件の現市長は事情を把握していなかったものと思われ、事情を把握した後は、この問題に対し、適切な対応を取ろうとする姿勢は一応見られるが、それでも任命権者である以上、「教育長を3時間も説得をする」のではなく、速やかに任を解いた上で、第三者を任命すべきではなかろうか。

少なくとも、本件では、当該教育長の今までの対応がその職責上極めて不適切であることが明らかであるから、当該人物に事実関係を明らかにさせることは不可能だと思われる。そうであるならば、かかる人物を一日でも長くその要職においておくこと自体が問題なのであって、処分は別途考えるにしても、教育長の職から解き、別の職付にすることは速やかになされるべきである。

公務員に責任を取らせることができるのは、任命権者であり、任命権者を選ぶのは我々国民だという意識を強く持たなければ、第2、第3の大津市教育長のような不適切な対応により、問題を拡大させる公務員は後を絶たないだろう

そもそも、私は、公務員たるもの、ある種の武士気質をもって、刺し違える覚悟で職務に当たるべきであると考えている。とりわけ、公権力の主体たる国又は公共団体の行為のうち、直接国民の権利義務を形成し、その範囲を確定することが法律上認められているものである処分行為を司る公務員は、このことを強く意識して職務に当たるべきである。

なぜならば、彼らが扱っている行政事務は、それほど重大で重要なものだからであって、そのような覚悟のない人物がかかる重大な職務を適切に遂行できるとは思えないからである。

しかしながら、行政内部においては、悪しき稟議制度の悪用により、責任の所在に対する意識をうやむやにし、「責任を取る」という意識ではなく、「責任を回避する」ためにどうすべきかという思考しかできない公務員を大量生産してしまっている現実がある(日本社会では行政以外でも稟議制度があるので、個人的には稟議制度の悪しき運用により、責任を取るという意識と覚悟のない日本人が多くなっているのではないかとすら危惧しているが)。

稟議制度の趣旨は、単独で判断することなく、数名の上級職の者の目に触れることでより慎重な判断を促し、その相当性を担保しようとする点にあるところ、この趣旨は極めて妥当であるのだが、実際には、上級職の公務員の多くが、責任を取るという覚悟を持ち合わせた人物でいないため、いかにして責任を回避すべきかという思考の者が多く、その稟議のトップの職に就く者であっても、稟議制度を悪用して、自己の責任において押印しているとの意識がなく、問題が明らかになると、きちんと把握していなかったとして、単なる不注意で済ませようと当事者意識が薄弱なのである

公務員の職務は、一般の私企業の職務よりも、重責を伴うものであることが多いのであり、その任免には、私企業における年功序列型での運用は本質的になじまない。

その職責の重さと責任を取る覚悟と能力がない者がその職に就けば、今回の大津市教育委員会のような隠ぺいとも考えられる極めて不適切な対応となってしまい、問題が拡大してしまうのである。

任命権者はそのことを深く意識すべきであるし、任命権者を選ぶ我々有権者たる国民も、誰がその公務員を任命したのかにつき関心を持つことが重要であろう。

大津市長が速やかに、任命権者としての対応を取り、事実関係を一刻も早く明らかにすべく対応しなければ、亡くなった生徒やその遺族はもちろん、あのような無能な対応しかできない教育長の下で、今も大津市の学校に通う児童・生徒が不憫である



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私は、1970年2月生まれで、大阪府池田市在住です。

私も、 池田市立○○中学校に通っていた時、 小柄だというだけで 、担任のEと、複数の部落民であるK(地名)の奴らに、いじめられていました。

Eからのいじめは、毎月、席替えがあったのですが、私だけが、教卓の前の席と、決められていて、席替えに、参加させてもらえませんでした。

部落民の奴らからは、毎日、「 小児麻痺 」と言われ続け、筆箱を、何回も壊されました。

私は、小柄ですが、勿論、小児麻痺ではなく、身体にも知的にもなんの障害もありませんし、私の母も、障害児を産む様な、卑劣で冷酷な女性ではありません。

Eも、 部落民の奴らに 遠慮し、「 小柄なあんたが 悪い 」と言い、全く 、注意もしてくれませんでした。

部落差別とかいうけど、池田市は、全く逆です。

今思えば、私の筆箱を壊した部落民の奴らを、器物破損罪で、刑事告訴して、少年院にぶち込んでいればよかったと、後悔しています。

私を、いじめた部落民の奴らと、席替え差別をして 私を、いじめた部落民の奴らを、全く注意をしなかった、Eを、一生許せない。

私は、部落民の奴らにいじめられた為、埼玉県S市で、女子高生を誘拐して殺した、人殺しの部落民のIを、一生、真犯人だと、信じることにしました。

私は、一生、部落民を嫌うことで、復讐する。

Posted by: 大阪府池田市在住の女性 | 07/16/2012 at 01:56 AM

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