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January 2011

01/23/2011

BBCの二重被爆者嘲笑問題に対する反響について

先日、ブログで「イギリスBBCの二重被爆者嘲笑問題について」と取り上げ、それがライブドアニュースのサイトに転載されたこともあり、この問題に対して色々な反響があり、正直驚いている。

いろいろな見解があるのは良いのだが、中には賛同できないものもあるので、この問題を取り上げた以上、すでに、ツイッターでは、述べているが、このブログでも、反響に対する私の率直な意見についても、言及していこうと思う。

まず、私が賛同できない見解は2つある。

1つは、この問題が笑いに対する感覚の違いであるとし、文化の違いによるものという形で説明をつけてしまおうとするものである。

こうした見解は、一見合理的な理由を述べているようであるが、なにも述べていないに等しいと私は思う。異なる国同士の意見が違えば、文化の違いであるとして理解するアプローチは、問題の本質を矮小化しており、思考停止に陥っているのではないだろうか。

私がこの問題をやはり取り上げるべきで、もっとBBCは真摯に反省すべきだと感じた最大の理由は、この番組の二重被爆者である山口さんの取り上げ方が、笑いに対する感覚の違いがあるのは当然としても、製作者側の無知に起因し、ブラック・ジョークとしては成立しないほどに至っていると判断したからである。

つまり、笑いに対する感覚の違いがあるのは当然としても、この笑いの取り方は、ブラック・ジョークとして許される範疇を超えているということである。

私が思うところ、欧米のブラックジョークにも、それが成立するには、いくつかの暗黙の条件があり、この条件を逸脱してしまうと、いくら欧米社会でも、ブラック・ジョークとしては許されなくなる。

実際に、私が欧米に留学していた際、ブラックジョークやサーカシズム(sarcasm)な笑いの取り方が原因で、最初は一緒になって笑っていた欧米人のルームメイトやフロアーメイト同士が喧嘩するような光景を何度も目撃している。

しかしこれも、ブラックジョークが成立する暗黙の条件を逸脱したような場合であり、ブラックジョークだからなんでも許されると考えるのは、欧米の社会でも受け入れられないのである。

したがって、今回のBBCの番組を、笑いに対する文化の違いと説明してしまおうというのは、問題の本質を探究することを放棄しており、私は賛同できない。

さて、暗黙の条件といったが、これには以下のようなものがあると私は考えている。

①個別具体的な人物を笑いのネタの対象とする場合には、その人物が政治家等のPublic Figureであること。
②①に当たらないとしても、自虐的なものであること。
③そのネタをした場合に、相手方憤慨しない程度であることの暗黙の了解が取れていること。

①②は容易に想像がつくとして、③は非常に抽象的な話なので、少しエピソードを入れて解説しようと思う。

私のルームメートに、ユダヤ系アメリカ人の友人とドイツ系アメリカ人の友人がおり、ブラックジョークが好きで、アジア人の英語の発音について話しており、私が「アジア人の英語の発音は聞き取りにくい時がある」といった時に、「日本はナチスと同盟を結んでいて、日本人はレイシストだから、アジア人の発音を聞きたくないんだろう」と笑いながらジョークを飛ばしてきた。

それに対し、そこにいた別のドイツ系アメリカ人は笑いながら、私に向かって、「じゃあ、今度、俺と一緒にあいつをガス室に連れていこうぜ。」と応じ、3人で爆笑しあったことがある。

これは、普通では受け入れられないジョークである。

しかし、相手方との信頼関係に基づき、相手方が憤慨しないことの暗黙の了解が、ユダヤ系アメリカ人の友人、ドイツ系アメリカ人の友人、私との間で取れていたという特段の事情がある状況が存在したので、成立するブラックジョークなのである。

他方で、大したことのないブラックジョークが憤慨に至るケースもある。

私が寮の談話室みたいなところで、テレビを観ていたら、数人の女性が入ってきて、楽しそうの会話をしていた。
しかし、突然、その楽しそうな会話が一転した。

ショッピングで同じものを買ったという会話をしていた一人の中国系アメリカ人の女性に対し、黒人女性が、「やっぱり人の真似をするのは上手ね」と中国の海賊版文化をネタにジョークを飛ばしたところ、中国系アメリカ人の女性が、「どういう意味よ」と怒りだし、しまいには、アメリカで黒人とアジア人のどちらが差別されてきたかという議論にまで発展し、激しい口論にまでなっていた。

おそらく、この女性たちの友人関係は、相手の属性をネタにしてブラックジョークを飛ばすほどには成熟しておらず、相手方が憤慨しない程度のものであるとの暗黙の了解がなかったために、ジョークでは済まない口論に至ってしまったのであろう。

つまり、上記の①②に当たらないようなジョークは、かなり巧みに、その状況や聞いている者、タイミングを考えながら、やらないといけないのであり、それに失敗すると、ブラック・ジョークでは済まないことになるのは、欧米でも同じなのである。

今回のBBCの番組内容を観る限り、二重に被爆した不運と、にもかかわらず90歳を超えて長生きしたことに対するサーカシズムすら込められた笑いであり、被爆の後遺症等々にはまったく無知識で、軽薄にブラックジョークを飛ばしているように思える。

イギリスの鉄道事情をネタにしているという説明があるが、これは非常に後付け的な釈明であり、これにより、簡単に、被害者及び被害者遺族や在英邦人が納得できるとは到底言い難いであろう。

あの番組を見て被爆者がネタの対象になっていないと思う人は、英語力がないか、よっぽどのお人好しではないだろうか。私には、非常に「筋の悪い」釈明や擁護的意見に思えてならない

私はイギリスのコメディが好きだし、日本のやらせ的な馬鹿馬鹿しいお笑いなんかより面白いと思うが、どう好意的に見ても、あの番組の取り上げ方は、不適切であるといわざるを得ない。

たとえば、私が好きなイギリスのテレビ司会者のAnt and Decなんかも、英国流のジョークをかなり飛ばしているが、彼らのジョークは、まさに、政治家や有名人などのPublic Figureを対象にしていたり、自虐的なネタだったり、私人をネタにする場合でも相手方が憤慨しないことの暗黙の了解を取った上でネタにするので、今回のような問題を起こさないのである。

なお、私の知る限り、昨晩の時点で、日本人が関与していないニュースサイトとして、インドのニュースサイト、オーストラリアのニュースサイト、ロシアのニュースサイトでそれぞれ今回のBBCの問題は取り上げられているようである。

Japan-protests-BBC-jokes-about-atomic-bomb-survivor」- The Times of India

BBC sorry for jokes about atom bomb survivor | The Australian

BBC apologizes over gag - The Voice of Russia

前者2つではかなり詳細に説明しており、これを文化の違いとか、笑いに対する取り上げ方の違いというような矮小化した意見は載っていない。

さらに、スコットランドのメディアや、AFP通信も「BBCが謝罪した」として、この問題を取り上げており、BBCも今回の番組内容について、やっと報道を始めたようである。

やはり、ジョークとしては済まされない程度に至っていると見るのが私は妥当だと思う。

次に、2つ目の賛同できない見解についてであるが、それは、今回の問題をきわめて短絡的に理解し、白人社会によるアジア蔑視思想によるものだとか、国粋主義的な主張である。

こういう話題が出ると、思考が停止してしまい、「鬼畜米英」とかおよそ現代の民主主義国家で生きる合理的判断能力を有する通常人であれば、到底発想しないような陳腐な主張が平然と出てくることには、たとえインターネットという少数者が叫びやすい環境であるといっても、本当に驚くし、怖さすら感じる。

やはり、こういう問題が起こった時には、先のブログ記事でも指摘したが、なぜ日本の原爆に対する価値が伝わっていないのかという自問自答がまず先に来るべきではないだろうか。

この問題はそもそも原爆に対し、我々日本人が自己満足的な内弁慶の議論に終始し、国際社会の場で、積極的に原爆の負の側面を効果的に訴えて来なかったことに起因しているのであり、アジア人蔑視とか、国粋主義的、愛国主義な議論にすり替えてる意見を見ると、どうも「筋の悪さ」を通り越し、恐ろしさを感じてしまう

いずれにしても、日本人が黙っているのではなく、声を上げるようになったことは良いことだし、在英邦人が「冷静に」番組の問題点を指摘し、在英日本大使館がその在英邦人の声に耳を傾け、確固たる抗議をしたことは、非常に有益なことだったのではないだろうか。

きちんと声をあげて、二重被爆者や原爆の恐怖を世界に発信する機会を作ってくれたといっても過言ではないだろう。

ただ、一方で、声の上げ方を間違えている少数者の国粋的で頓珍漢な意見がネット上で氾濫してしまい、日本の民度が低くとらえられることがないことを祈りたい

最後に、これを機会に、私たち日本人も二重被爆者の経験に再度目を向けることも重要であろう。


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01/22/2011

イギリスBBCの二重被爆者嘲笑問題について

日本の報道を見ていると、やはり重要な問題がしっかりと伝えられないと感じます。

すでに多くの人がこのニュースを読んでいるのではないでしょうか。
イギリスのテレビ番組「QI(Quite Interesting)」の不適切な放送内容とそれに対する抗議です。

読売新聞 「二重被爆者笑いのタネに、長崎の関係者『許せない』」

 【ロンドン=大内佐紀】英BBC放送が昨年12月放映した人気お笑いクイズ番組で、日本の被爆者が笑いのタネにされ、在英日本大使館が抗議していたことが20日、わかった。

 金曜夜の人気番組「QI」で12月17日、「世界一運が悪い男」として、広島と長崎で二重に被爆し、昨年1月に93歳で亡くなった長崎市出身の山口彊(つとむ)さんを取り上げた。

 司会者が「出張先の広島で被爆し、列車に乗って戻った長崎でまた被爆した」と説明すると、ゲストらが「でも、93歳まで長生きしたなら、それほど不運じゃない」「原爆が落ちた次の日に列車が走っているなんて、英国じゃ考えられないな」などとコメント、会場から笑い声が上がった。

 この間、スタジオには山口さんの写真やきのこ雲が掲げられた。

 番組を見た在留邦人から連絡を受けた在英日本大使館は今月7日、「原爆投下の問題をコメディー番組で取り上げるのは極めて不適切で日本人の国民感情を無視している」と抗議の書簡をBBCと製作会社に送った。

 17日になって製作会社から「配慮に欠けていた」などとする返答があったが、BBCからは回答がないという。

 ◆「被爆者を愚弄」

 BBCの番組には、被爆地・長崎から憤りの声が上がった。

 山口さんの長女、山崎年子さん(62)は「核保有国に被爆を『運』と片付けられたくない。父だけでなく、被爆者のみなさんを愚弄している」と怒りをあらわにし、「おわびの代わりに、番組で二重被爆者の記録映画を放送してほしい」と求めた。日本原水爆被害者団体協議会の谷口稜曄
すみてる
代表委員(81)は「原爆の被害を笑いものにするとは許せない。日本政府は被爆の実相が知られていない現実を受け止め、被爆者とともに伝える努力をしなければ」と訴えた。

(2011年1月22日 読売新聞)

時事通信  「日本の二重被爆者を嘲笑=BBCテレビ、謝罪-英」

 【ロンドン時事】英BBCテレビのお笑いクイズ番組で、広島と長崎で被爆した「二重被爆者」の故山口彊さんを「世界一運が悪い男」などと笑いの種にしていたことが21日までに分かった。BBCは在英日本大使館の抗議を受け、謝罪した。  この番組は昨年12月に放映された。山口さんが出張先の広島で被爆し、長崎に戻るとまた原爆が投下されたと司会者が述べると、スタジオの芸能人や観客が爆笑したという。  番組を見た在英邦人が日本大使館に連絡し、大使館が抗議した。番組プロデューサーから、山口さんを笑いものにする意図はなかったなどと釈明、おわびする手紙が届いた。(2011/01/22-08:55)

朝日新聞 「英BBCお笑い番組、二重被爆者を『世界一運が悪い男』」
 

【ロンドン=伊東和貴】広島と長崎で二重被爆し、昨年93歳で亡くなった山口彊(つとむ)さんについて、英BBCが昨年12月に放映したテレビのお笑いクイズ番組で、「世界一運が悪い男」などと紹介していたことが20日、分かった。在英日本大使館はBBC側に書面で抗議し、番組プロデューサーは謝罪した。

 問題となったのは、昨年12月17日に放映された人気の番組「QI」。司会者が、長崎出身の山口さんが広島に出張して原爆で大やけどを負った後に鉄道で長崎に戻ったことに触れ、「英国なら電車は止まっている」と英鉄道の不備を自虐的にとらえる内容だった。だが、ゲストのコメディアンが「長崎で入院したのか」とつっこむと、スタジオから笑いが漏れる一幕があった。

 さらに、司会者が「山口さんが長崎に戻ると、また原爆が投下された」と述べると、観衆は爆笑。司会者は「二重被爆をして生き残ったのは、最も幸運か最も不運か」などと締めくくった。スタジオにはきのこ雲や山口さんの顔写真が掲げられた。

 在英邦人から指摘を受けた大使館は、今月7日、BBCと番組制作会社に「山口さんの経験をこういう形で取り上げるのは、不適切で無神経だ」と広報文化担当の公使名で書簡を送った。

 番組プロデューサーは今月17日、大使館への手紙で「(山口さんを)バカにする趣旨の番組ではなく、驚くべき経験を正確に伝えようとしたつもりだ。日本人の強さを真に称賛している」などと釈明しつつ、「(日本人)視聴者の気分を害してしまったことを非常に遺憾に思う」と謝罪の意を示した。抗議をした在英邦人にも非を認める内容のメールを送ったという。

まず、この記事を読むと、BBC及び番組の制作会社は反省しているように思えます。私も当初、「反省しているんなら、特に過大に取り上げる必要もないだろうな」という程度の認識でいたのですが、どういう内容の番組だったのか気になり、調べることにしました。

結果、私は、未だにBBC及び制作会社が事の重大さを理解しておらず、全く反省していないのではないかと思っています。

というのも、未だに番組の当該部分がBBCの公式ホームページで公開されており、そこにはなんの日本政府や在英邦人からの抗議に対する謝罪やコメントすら掲載されておらず、平然と問題が何もないかのように視聴できる状態が続いているのです。

BBC ONE 「The Unluckiest Man in the World」

まず、冒頭、司会者は「世界で一番ラッキーでかつアンラッキーな男は誰でしょう」と紹介しています。
司会者の意図は、不幸に2回も被爆したのに、幸運にも生き残ったということを言っていますが、そもそもこういう取り上げ方に問題がある以上、やはり不適切です。

その後、45秒から1分17秒あたりまで、「山口さんはどこの国の人か」という問いに、明らかに日本人の名前であるにもかかわらず、まじめな顔で「オランダ」と珍解答をしたゲストに対し、会場が爆笑しているので、その部分は大目にみたとしても、問題は、司会者が、山口さんの経緯を紹介している途中の1分18秒あたりから、「長崎の病院に入院したのか」と二重被爆をまさに笑いのネタにしていることと、その後の番組の進行です。

まず、司会者が二重被爆者であることを紹介した直後に会場から笑いが出ており、司会者も誰も笑うネタではないなどと特に注意するなどをしていません。

次に、その後も、被爆の事実を軽視し、笑いのネタとして終始、取り上げています。

上記日本メディアの報道を見ると、BBCや製作会社は、「二重被爆者である山口さんを馬鹿にするつもりはない」とか、「笑いにする意図はなかった」などの釈明があるようですが、これは全く受け入れられません。

そもそも、この番組に出演していた人々および、番組製作者は、原爆の資料をみたことがないのでしょう。
被爆の恐ろしさを全く知らない無知な人間が、まさに、無知なままに取り上げ、遺族や同様の被爆者はもちろん在英邦人、さらには原爆の資料に接してきた日本国民の感情を逆なでしています。

私が特に問題だと思うのは、釈明が詭弁であり、真摯に反省しているようには思えない点です。公式HPで未だに何の説明がなく視聴ができてしまっていることも看過しがたい重大な問題のように思えます。

ただ、われわれ日本人がひとつ肝に銘じておかなければならないのは、この問題をイギリスメディアがどれだけ取り上げているのかという点です。

日本の報道機関は、すぐに海外の抗議等に対し、敏感に報道しますが、私が知る限り、この問題をイギリスのメディアが取り上げているようには思えません。

今現在、私はイギリスに住んでいないので、正確なことはわかりませんが、あくまでインターネット上で、この日本政府の抗議やメディアの反応を伝えるような、イギリスの報道メディアはほとんど見当たりませんでした。

つまり、日本の怒りの声は、イギリスには我々が思っているほど伝わっておらず、公衆の知らないところで処理されているにすぎないのではないでしょうか。この事実を私は見逃してはいけないと思います。

ネット上では、この問題に対し、笑いや悲劇的な事件に対する文化の違いとの説明をし、擁護的意見もあるようですが、私自身、アメリカやイギリスに長期間住んでいたことがありますが、この説明は合理的であるとは思えません。

そもそも、9・11やそれに関連するテロやホロコーストなどイギリスにとって関わり合いの深い事件の被害者を同様な形で笑いのネタにするでしょうか。

私には、そのようなことは想像しがたいです。

今回の事件を通じ、日本がいくら友好国に便宜を図っていても、世界全体から軽視されてしまっているという事実を再認識させられたように思います。日本に対し、関心が低く、日本の声が全然伝わっていないのではないでしょうか。

ただ、同時に、この問題を通じ、私は、現代の日本人が内向きに声を上げる自己満足的で内弁慶な姿勢から変化しているようにも感じます。

この番組の放送に接し、抗議文を送ったり、日本大使館に対応を促した、在英邦人の確固たる姿勢と御尽力には、ある種の敬意を表したいと思います。

なぜなら、彼らの行動がなければ、必ずしも日本大使館がこの番組内容に気が付き、抗議文を送るチャンスがあったかは疑わしいからです。最近は、外務省もだいぶ変わってきており、日本の国益、在外邦人の声を意識しています。しかし、在外邦人が声をあげなければ、外務省や在外公館が問題を必ずしもすべて把握できるわけではありません。

こうしたニュースに接すると、「日本人は意見が言えない、主張がない」という評された時代からの脱却が進んでいるのではないでしょうか。

いずれにしても、言語の壁はありますが、ぜひ日本のメディアの報道を契機に、この問題を知った方には、番組の放送内容を観てもらい、実際に、どういう取り上げ方をしているのか、釈明が受け入れられるものかを自身で考えていただきたいです。

また、これを機会に、私たち日本人も二重被爆者の経験に再度目を向けることも重要でしょう。

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01/10/2011

外国人受け入れ政策に対する関心を持とう

今日は成人の日。日本は20歳で成人となり、選挙権が付与される。

選挙権といえば、以前、外国人選挙権付与の議論が世間では騒がれたが、最近この問題への関心は薄れている。

おそらく、この政策の旗振り役の一人であった小沢一郎前民主党幹事長が力を失い、この問題を進める場合ではなくなったという政治状況の変化によるものだろう。

しかし、私は、選挙権付与の問題にかかわらず、日本のマスメディアはもちろん、国民は、外国人の受け入れ政策に対する関心をもっと持ち、この問題について、議論を深めなければならないと考えている。

選挙権付与の問題に関しては、私の意見はすでに述べているので、そちら(「外国人の地方選挙権付与について」)を参照してほしいが、今回は、選挙権付与の問題ではなく、もっと広い意味での外国人の受け入れ政策を国民としてどう考えるべきかという観点からの一意見を紹介させてもらおうと思う。

1.日本にいる"外国人"はどのような国出身なのか。

そもそも、外国人というと、欧米の白系外国人を想定する人が、未だに多くいると思うが、日本に入ってくる外国人の多くは、アジア系の外国人が圧倒的に多い。

平成21年度に入国した外国人のうち、65%がアジアからの外国人である。その順は、韓国(24.2%)、中国(16.3%)、中国台湾(14.1%)となっている。

そして、国別の不法滞在者数は、法務省入国管理局の発表によれば、以下のようになっている。
① 韓    国 21,660人 〈構成比 23.6%〉
② 中    国 12,933人 〈 〃  14.1%〉
③ フィリピン 12,842人 〈 〃  14.0%〉
④ 中国(台湾) 4,889人 〈 〃   5.3%〉
⑤ タ    イ 4,836人 〈 〃   5.3%〉
⑥ マレーシア 2,661人 〈 〃   2.9%〉
⑦ ペ  ル  ー 2,402人 〈 〃   2.6%〉
⑧ シンガポール 2,107人 〈 〃   2.3%〉
⑨ スリランカ 1,952人 〈 〃   2.1%〉
⑩ インドネシア 1,820人 〈 〃   2.0%〉

不法滞在とは、在留期間を超えて、我が国に在留している者である。したがって、これら数は、摘発を受けた者の数ではなく、出入国記録上、在留期間を超えていることが明らかな者の数である。

そして、実際に摘発され、我が国にとって好ましくない者として、本国に強制的に送り返された、退去強制手続によった者の国別もやはり、アジア系の外国人がその大半である。

法務省によれば、「国籍(地域)別では,7年連続して中国(台湾,香港・その他を除く。以下同じ。)が最も多く,9,522人で,入管法違反者全体の29.2パーセントを占めた。国籍別では,中国に次いでフィリピン,韓国,タイ,インドネシアの順となっており,これら5か国で全体の71.3パーセントを占めている。」ということである。

ここまでを整理すると以下のことが、明らかであろう。
1.中国を中心とするアジア系外国人が日本には多く入ってきているということ。
2.我が国にとって好ましくない者として、退去強制された者の7割が、中国、フィリピン、韓国、タイ、インドネシア出身のもので、中国出身の者が全体の約3割と飛びぬけて多いということ。


最近は、「チャイナマネーを獲得せよ」との動きから、中国人観光客の受け入れやビザのさらなる緩和の議論も出ているが、上記実態を把握したうえで、果たして、その動きが日本にとって、利益になるのか、経済的利益だけでなく、治安や生活環境への影響といった点も踏まえて、きちんと議論されなければいけないが、全く十分な議論はされていないのではないだろうか。

国民規模で、まず、広く、外国人の受け入れをどうすべきかについて、国別の不法滞在や退去強制対象者数を把握したうえで、議論される必要があると思う。

2.既存とは違った観点からの永住要件の厳格化が必要ではないか

次に、外国人の選挙権付与問題にも関連する話ではあるが、日本には、「特別永住者」と「永住者」という者がいる。前者は、第二次世界大戦に関連し、認められている在留資格であり、「昭和20年9月2日以前から日本に在留する朝鮮半島および台湾出身者である者、その直系卑属として日本で出生し引き続き在留している者」がそれに該当する。

他方、後者は、法務大臣に対する永住許可により認められた者であり、永住許可は、法律上明確に定められている要件は、①素行が善良であること、②独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有すること、③その者の永住が日本国の利益に合すると認められることとなっている。

そして、③につき、法務省がそれを具体化し、公表している審査基準として、以下4つが存在する。

(ア)原則として引き続き10年以上本邦に在留していること。ただし,この期間のうち,就労資格又は居住資格をもって引き続き5年以上在留していることを要する。

(イ)罰金刑や懲役刑などを受けていないこと。納税義務等公的義務を履行していること。

(ウ)現に有している在留資格について,出入国管理及び難民認定法施行規則別表第2に規定されている最長の在留期間をもって在留していること。

(エ)公衆衛生上の観点から有害となるおそれがないこと。

もっとも、(ア)の基準は、以下の場合には、緩和されている。
(a)日本人,永住者及び特別永住者の配偶者の場合,実態を伴った婚姻生活が3年以上継続し,かつ,引き続き1年以上本邦に在留していること。その実子等の場合は1年以上本邦に継続して在留していること

(b)「定住者」の在留資格で5年以上継続して本邦に在留していること

(c)難民の認定を受けた者の場合,認定後5年以上継続して本邦に在留していること

(d)外交,社会,経済,文化等の分野において我が国への貢献があると認められる者で,5年以上本邦に在留していること。

なお、以上は、あくまで行政庁たる法務大臣が定める裁量要件であり、これらが法律上明確な根拠を有するわけではない。

したがって、この審査基準に反して、許可や不許可の処分をしても、それが直ちに法律上、処分の違法を構成するわけではない。

法律上は、あくまで、①素行が善良であること、②独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有すること、③その者の永住が日本国の利益に合すると認められることの3要件が定まっているにすぎないのであり、上記裁量要件に違反することが、裁量の逸脱・濫用に当たると評価されて初めて、処分が違法となる。

さて、法律論はこのくらいにして、ここからが、私の指摘したいことの核心部分であるが、このように審査基準を見てみると、確かに、10年継続して在留という基準は厳しいように思えるが、私はこの基準の中に、我が国の言語、文化に適合するという観点からの基準がないことについて、強い疑問を感じる

欧米の国では、一定の言語能力試験を課すなどして、永住という特別の身分を与える以上、社会適合性を判断する要件として、その国の母国語を運用できる能力を要件の一つとして課している

当然であろう。その国の母国語を十分に運用できないような人間が、永住者として、他の外国人とは違い特別の取り扱いを受ける特権的地位を付与するのであるから、そこには、利益基準として、言語や文化、社会適合性の要件が必要である

たとえば、市民権を与える上で、ポイント制を採用するカナダでは、移民局が実施する言語テストに合格することが1つの要件となっている。

100点満点中67点を取らなければならないが、そのうち、言語には、24点が配点されており、1/4の比重を与えているのである

しかしながら、現在の我が国の永住許可のガイドライン上は、そのような日本語運用能力に関する基準は存在せず、日本語がままならなくても、永住資格を有する者は現に存在するのである。

特に、日本人の配偶者としての在留資格があれば、大幅に年数は軽減されるのであり、最近ニュースで頻繁に報じられている中国人による偽装婚のケース(その1その2)が増えているのも、言語能力が要件になっておらず、単なる年数という安易な要件としていることが起因するのではないだろうか。

そうであるとすれば、日本語能力が十分でなかったり、我が国の文化、社会に対する適合性を十分に有しない永住資格を有する者が、選挙権をもち、住民自治に影響を行使するようになれば、これは必ずしも、その地方自治体にいる日本国民、ひいては日本国にとって、好ましくない影響があるのではないだろうか

年数というのは、客観的のようであって客観的ではない。

たとえ、何年もの間、日本に居たとしても、外国人コミュニティーの中だけで生活し、日本社会への溶け込みを拒否している人物であれば、本来、日本国の利益に適合するかには疑義が生じるはずである。

しかしながら、上記基準からは、「その者の永住が日本国の利益に適合する」という不合理な帰結を生み出してしまっている

外国人への地方参政権付与の議論の前提として、永住者としてどのようなものを認めるべきかという国民規模の議論をしなければ、やはり、国民主権の原理がある以上、国民の理解を得ている政策にはなりえないだろう。

この問題は、ある程度時間をかけて議論しなければならない問題であるが、マスコミの一時的な取り上げで終わってしまっている現状には、危機感を感じる。

私見を言えば、カナダの制度等を参考にし、むしろ年数による制限よりは、共通の言語能力試験を課し、一定の日本語能力が認められない外国人に関しては、永住許可は認めないという明確な基準を法律に定めるべきだと思うが、なかなかそうした議論すならされていないのが日本の外国人受け入れ政策の現状であろう

治安、社会、文化、経済という様々な要素を考えたうえで、どういう外国人を積極的に受け入れ、どういう外国人の永住者という特権的地位を付与するのか、という議論をもっと日本国民は真剣に考えなければならないように思う

最近は内向きで海外に関心を持たない若者が増えているとの指摘があるが、ぜひとも、今日成人式を迎え、其々の二十歳の誕生日には選挙権が付与される新成人の方には、日本の国の在り方として、外国人の受け入れ政策に対する関心を持ってもらい、日本の国際化の在り方を考える機会を持ってほしい。

さて、今日紹介する本も、外国人受け入れ政策関係の本。

外国人受け入れ政策を語る記事を見たときに、そのほとんどが、排他的な議論に終始し、現状を十分に見ていないものが多いと私は感じる。

ただ単に、外国人を敵視して、排他的になれば日本の利益が守れるというわけではない。

外国人の受け入れ制度全般を見渡し、それぞれの問題に対し、柔軟なアプローチと手続保障をして初めて、我が国の利益に適う結果がもたらされるはずである。

上記以外の問題として、外国人実習生の問題についても、我々日本人は目を向けて、日本の経済構造の問題とともに、人権問題でもあるこの問題について考えていかなければならない時期に来ているのではないだろうか。

現状として、日本の農業等の第一次産業が、外国人実習生頼みになり、この本がいうような外国人の奴隷化による搾取の構造がそこに存在しているのも事実である。

外国人受け入れ政策を考えていく上で、こういった事実上、安価な労働者として、受け入れが進み、それ頼みになっている第一次産業の問題をどう考えていくのかも、我々日本人が早急に解決すべき事柄であろう。

これらの本では、外国人実習生が、奴隷のごとく安価な労働力として、第一次産業において使われている現状が描かれている。

実習生と称し、実際は日本人が嫌がる仕事を押し付けて、最低賃金にもはるかに及ばない金銭の支払いで済ませている日本人による受け入れ機関の存在にも我々は厳しい目を向けなければならない。

責任感のない日本人による受け入れ機関が不法就労を助長し、そして、不法滞在や治安の悪化の原因、人権蹂躙による国際問題化という日本にとって不利益な行為を行っていることを知っている日本国民はどれだけいるだろうか。

外国人労働者を排斥せよという思考が停止した議論ではなく、どういう外国人労働者を受け入れるべきなのか、そのための法整備はどうあるべきなのか、成熟した国家に住む日本人として、ぜひ外国人受け入れ政策を考える際には、この実習生の奴隷化という現状にも目を向けてもらいたい。

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01/03/2011

年末に映画「トロン:レガシー」を観て

昨年は、さまざまな社会的な出来事に対する主張にお付き合いいただき、ありがとうございました。

なかなか更新ができませんが、2011年もお付き合いいただければと思います。

さて、2011年のお正月を皆さんはいかがお過ごしですか?

私は、昨年末頃から、再び映画にはまり、お正月も映画を見て過ごしいます。

もともと映画が好きだったこともあり、映画館で、スクリーンの迫力を楽しみながら観ることも多いのですが、最近は、テレビ番組等が面白くないと感じることが多く、家でも映画を観ることが多くなりました。

映画の良いところは、どんな映画もそれを制作する上で、時間がかかっているため、何かを学ぶことができることです。特に、洋画は、B級以下の作品でも、その国の、その時代の文化が反映されていたり、今では有名な俳優や女優の無名時代の演技などを楽しむことができたり、単純なストーリー以外の点でも、楽しむことができます。

また、映画を見ていると、ついつい、主役級ばかりに目が行ってしまいますが、脇役やちょっとしか登場しない人物の演技が意外と良い味を出していて、それを発見することも、映画の楽しみであると私は感じています。

そこで、年末年始に観た映画を紹介しようと思います。

といっても、今日は1作品のみ。

その他の作品については、適宜、このブログで映画評論として、紹介していこうと思っています。

今日評論する映画は、今まさに公開中の「トロン(Tron: Legacy)」です。

この映画、撮影そのものは64日間で終了したのですが、撮影後の映像技術に費やされた時間は、68週間といいますから、映像にかけた制作者の意気込みはこの数字からも伝わってきます。

ただ、ストーリーの概要や映像の良さは、他のサイトでも取り上げられていると思いますので、このブログでは、別の角度からこの映画について、取り上げてみます。

さて、この映画で、脇役ながら存在感があるのが、Zuseというキャラクターを演じるマイケル・シーン(Michael Sheen)という俳優です。


どことなく異様で、エキセントリックな雰囲気で登場し、登場シーンが終わる最後まで、そのキャラクターの印象が残る演技をするマイケル・シーンですが、2006年に公開され、ヘレン・ミレン(Helen Mirren)が2007年のアカデミー賞の最優秀主演女優賞を獲得した映画、「The Queen」では、トニー・ブレア首相(当時)の役を見事に演じています。


2007年の英国アカデミー賞(BAFTA Awards)では、最優秀助演男優賞にもノミネートされており、まじめで、かつ、当時のトニー・ブレア首相そっくりの演技は、トロンで見せる奇妙な演技とはまったく違う重厚な演技で、この俳優の演技力のすごさを感じました。

トロンで、彼が演じるZuseのシーンは、一見の価値があると思います。

マイケル・シーンは、2010年公開の作品「The Special Relationship」でも、「The Queen」のシェリー・ブレア夫人役を演じたヘレン・マックローリー(Helen McCrory)と共に、三度目のブレア首相役を演じているようです。ぜひ観てみたいものですね。ちなみに、ヘレン・マックローリーは、ハリーポッターシリーズで、ハリーポッターと同級生でライバル寮のドラコ・マルフォイの母親、ナルシッサ・マルフォイ役も演じており、この人もキャラクターを自在に演じ分ける実力のある女優です。

*この商品はリージョン1(アメリカ、カナダ向け)のDVDでしか再生できません。


しかし、残念ながら、アマゾンでは、日本のDVDでは再生できない輸入盤しか取り扱っていないようです(配給会社の方、ぜひ日本でもこの作品を観れるようにしてください)。

さて、話をトロンに戻しますが、主役のギャレット・ヘドランド(Garret Hedlund)もなかなか良い演技をしています。

この俳優の良さは、どこにでもいそうなアメリカの青年を演じきっている点です。特に個性のある演技をしていないため、突然、わけのわからない空間に入り込んでしまい戸惑う、サム・フリン役を見事に演じているといえます。多少、主役としては、物足りなさを感じるような気もしましたが、逆にそうしたアマチュア感のある役柄を演じきっているようにも思えました。

この俳優のデビュー作は、2004年に公開されたブラット・ピットが主演した「トロイ」で、ブラット・ピットが演じるアキレスの身代りとなって戦うパトロクラスの役を演じているのですが、彼が俳優になる決意をして、カリフォルニアに引っ越して、1か月でこの役を獲得しており、なかなか実力のある俳優です。

さて、この映画、もちろん映像も良いのですが、私は劇中で使われている音楽が、この世界に観客を引き込むうえで、非常に重要な役割を果たしているように感じました。臨場感ある音楽が、自然とトロンのコンピューターの中の世界という非現実的な空間に違和感なく、入り込めるような効果をもたらしているのではないでしょうか。

*この商品は劇場版のCDで、DVDではありません。

最後に、厳しいコメントも言いますと、この映画、3D上映なのですが、実際のところ、3Dにしたことの良さはあまり感じませんでした。

むしろ、3Dグラスをつけることで、グラスの暗さから、全体的に暗い印象となってしまうため、劇場での臨場感を半減させてしまったような気がします。

最近は、多くの映画で3D化を押していますが、なんでもかんでも3D化すれば、臨場感を味わえるというわけではないように感じます。3D化をする意義をもう少し考えた方が良かったような気がします。

ランキング等をみていると、日本では、アメリカでの盛り上がりをこの映画は見せていませんが、劇場で楽しむ映画としては、鑑賞の価値があるように思います。

この映画の最後に、サムの父親で、コンピューターと現実の世界を行き来できる装置を作ったケビン・フリンが、完璧さを追求することの過ちを認めるシーンがあります。これは、特に私たち日本人の多くが知らず知らずのうちに犯してしまっている過ちのように思います。様々なシステムが安全であるということに過信してしまったり、それ以外の場面でも、正しい答えというものを常に求めてしまい、思考錯誤する過程の重要さが過小評価されてしまっているように思います。

この映画には、「絶対的な完璧というものは、存在せず、むしろ、未熟だからこそ、人間である」という基本的なメッセージが込められており、高度に発達し、それに疑問を持たずに進んでいく技術社会の功罪も考える上で、非常に良い機会になるのではないでしょうか。


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