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August 2010

08/27/2010

小沢氏の出馬表明を冷静に受け止められないメディアと踊らされる国民

今日の話題はメディアの飯のタネとしては、格好のネタである小沢氏の代表選出馬表明について、メディアのようなドンチャン騒ぎとは一線を画して、つとめて冷静な視点で、これを評価してみようと思う。

次の首相を選ぶことに直結する民主党代表選挙の舞台は整ったようである。

そうであっても、私の民主党に対する根深い不信感は消えないし、民主党が失格であるという烙印も消すことはできない

もっとも、小沢氏の出馬により、今後3年間の日本の国のあり方、昨年の衆議院選挙で掲げたマニフェストの実行という点が再度議論され、マニフェストを反故にしたことへの反省と政権交代の原点回帰がなされるとするならば、これは歓迎すべきことである。

そもそも、私は何度もこのブログを通じていってきているように、民主党のマニフェストについて、賛同しているわけではない。

しかし、民主党は、「公約→政権公約・マニフェスト」と言い変えて、さらに、長妻厚生労働大臣の言葉を借りれば、「マニフェストは民主党議員と有権者との契約である」とまで言い放ったという事実を我々は忘れてはいけない。

そのマニフェストの実行がなされず、普天間問題では、沖縄の有権者との約束を反故にし、期待を裏切った姿を見て、全国の有権者は、鳩山由紀夫氏が率いる民主党政権に愛想を尽かした。

そこで、鳩山路線の継承を掲げた菅直人率いる政権が誕生するも、この政権は何を勘違いしたことか、マニフェストは説明なく反故にするし、しまいには有権者の半分近くが批判的な消費税の増加議論を軽々しく口にし、しかも、今まで散々批判してきた自民党の消費税10%案を飲み込むような発言を選挙期間中にしてしまうのである。

これでは、去年夏の民主党支持者にとっては、「言っていたことが違うだろ?」、「もう無駄は無いと思って増税議論しようという認識か?」、「財務官僚に抱き込まれてるだけだろ!」、「バカなのは官僚じゃなくて菅だろ」と感じたのではないだろうか。

案の定、有権者の支持を失い、参議院議員選挙は民主党の大敗ともいうべき議席数で終わったが、この結果の責任をだれも取ろうとしなかったのが、菅直人率いる現執行部である。

それをごまかすかのように、菅政権は、直ぐに9月の代表選に争点を移し、全く生産性のない反小沢を旗印掲げた権力エゴの現実化に終始して、円高や若い人々の就職難という日本の直面する問題に全く時間を割いていない。

ここにきて、小沢一郎という政治家が代表選に出馬すること自体は、私は大いに歓迎すべきであると考える。

ただし、間違って理解してほしくないのは、私は小沢一郎が代表になれば民主党に希望が持てると言っているわけではないし、私もそうは思っていない

この出馬表明により、菅直人率いる子ども内閣、子ども執行部の下らない好き嫌いというような幼稚な「脱小沢」の議論から、政策議論に移ると考えられ、ここで改めて、マニフェストへの回帰が検討されることは好ましいと思っているに過ぎない。

この点は、冷静に肯定的に評価すべき点である。

また、小沢氏の出馬について、ここぞとばかりに検察審査会の件を背景として、「違法なことをしたのに首相にするのはおかしい」という見解をもっともらしく主張している人々がいるが、法律的な思考に照らして考えれば、これは全く説得力の無い無知な方の見解であるといわざるをえない

起訴すらされておらず、有罪の確定もない段階では、刑事責任の関係では、完全な白として扱うべきとするのがルールである。

にもかかわらず、「小沢は疑わしい、説明をしないから黒だ」という前提は、バカなマスメディアの受け売りの主張しかできない人間が、自らが、法律知識において、無知であることを告白する以外の何物でもない

これに対し、憲法上の規定を理由にそのような人物が首相になるのはふさわしくないという主張がある。既に、ニュース番組や新聞記事などで散々このような論調の主張が公平であるはずのメディアから飛び交っている。

これも、主観的な価値観が先行しており、憲法上の規定の存在意義を解っていない非常にレベルの低い議論である。

憲法75条は、「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」と規定する。

この趣旨を、「検察行政は、内閣の統括下にあるとはいえ、職務の性質上、ある程度独立性が保障され、政治から中立に職務を遂行すべきものであるため、このことが結果的に内閣の職務遂行を阻害することがありうることに注目しておかれた規定」と通説は解し、他方、多数説は「検察機構の政治的圧迫から内閣を保護するためのもの」と解している(野中、中村、高橋、高見、「憲法Ⅱ」p176-177)。

いずれにしても、検察審査会で起訴相当決議がでるような人物が総理大臣になるとしても、それ自体を妨げる規定はないし、むしろ、憲法はそうした事態に対応した規定を置いているのであって、ふさわしいかどうかというのは、個々人の主観的価値判断の先行に過ぎず、憲法に照らして考えれば、全く説得力の無い空虚な主張といわざるをえない

また、「小沢氏は起訴を免れるために、首相になろうとしており、この規定を悪用して、刑事責任を逃れようとしている」という主張も、まったくもって説得力に欠ける

既に、法的センスのある方はお気づきであろう。

注目すべきすべきは、憲法75条の但書部分である。

「これがため、訴追の権利は害されない。」

日本国憲法が極めて優秀なのは、こうした但書を設けていることで、75条本文の悪用を防ぐことを想定していたのである。

つまり、国務大臣の職から離れれば、起訴されるのである。

通説(前掲野中他 p177)は、「(訴追)のための準備として証拠の保全等必要な措置は、大臣の職務遂行を阻害しない限り、行いうるし、最も重要な点として、公訴時効は停止すると解される」と考えている。

このように、小沢一郎が仮に総理大臣になって、憲法75条の規定を使い、訴追の不同意をしたとしても、国務大臣の職から離れれば、起訴されうるし、有罪が確定すれば、刑に服することになるのであって、刑事責任の回避のために、憲法75条を悪用することは不可能である。

しかし、浅はかなマスメディアはもちろん、小沢一郎に対し、有罪のイメージを植え付けようとしている人々は、憲法75条本文には言及するものの、但書の存在とその意味については全く説明していない

これは立派な印象操作であるし、いわゆる、洗脳に近いメディアによる事実の歪曲である

そして、メディアの論調を聞いて知ったかぶりをしたい人々は、ろくに憲法の規定を見ることもなく、「小沢はこの規定を悪用して、刑事責任を逃れようとしている」などと法的センスゼロの主張を恥かしげもなくしてしまうのであろう。

また、こうした主張が民主党執行部の議員、つまり、法律を作る立法者からすら出てくるのであるから、本当に法律のセンスがない無能な立法者が多くの税金を無駄にしていることが良く解る。

以上の理由から、私は小沢一郎が代表選に出馬したこと自体は、政策議論がやっと始まるという点で、肯定的に評価したいし、彼が次の総理大臣にふさわしいか否かは代表選までの彼の言動に注目して、改めてゼロベースで菅首相よりふさわしい人物なのか評価したいと思っている。

私は、扇動政治家や扇動マスメディアに乗せられないように、有権者である個々人が、広く情報を集め、その真偽を常に確かめながら検証することが、主権者としての非常に重要な責務であると改めて感じる

なお、上記で引用した文献は以下のものです。

さて、マスメディア、特に、新聞の記事の下らなさに落胆し、購読を辞めようかと考えている方には朗報です。

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08/26/2010

エゴの塊の菅政権は支持できない。

以下の毎日新聞の記事によれば、これだけ経済的な危機感が充満していても、首相は、9月まで「脱小沢」という意味のない、生産性の無い姿勢を貫くようです。

民主代表選 首相「脱小沢」を継続 挙党態勢に難色
8月25日22時4分配信 毎日新聞

 9月の民主党代表選(1日告示、14日投開票)で再選を目指す菅直人首相は25日夕、鳩山由紀夫前首相と首相官邸で会談した。鳩山氏は小沢一郎前幹事長を含む「挙党態勢」の構築を求めたが、首相は「脱小沢」路線を維持する姿勢を示した。小沢氏は同日夕、衆院議員会館の自室で山岡賢次副代表ら「反菅」派から出馬要請を受け「できるだけ早い時期に結論を出したい」と検討する考えを表明したが、党内に小沢氏支持は広がっていない。小沢氏は「過分な推薦をいただいた。自問自答するところもまだ残っている」と苦しい心境も漏らした。26日午前にも鳩山、小沢両氏が再会談する動きもあり、小沢氏に残された時間は少なくなってきている。 

 「脱小沢といわれるシフトを小沢さん本人は快く思っていない。小沢氏としては『はい、分かりました。挙党態勢でいきましょう』とはならない」。鳩山氏によると、菅首相との会談では小沢氏の心境をこう伝え、真剣に小沢氏に協力を求めるよう説いた。しかし、首相は「参院選後、謝罪も含めてお会いしたいと申し入れたが、なかなかお会いできなかった」と反論し、「小沢さんにどう協力を求めるかということもなかなか難しい話だ」と難色を示したという。

 鳩山氏は24日夜、小沢氏と会談。激突回避には「脱小沢」路線の修正を首相に求める必要があると判断し25日の会談に臨んだが、首相はこれを拒んだ。

 首相が小沢氏の出馬圧力に屈して「挙党」へ動けば、続投を支持する前原誠司国土交通相や野田佳彦財務相のグループが反発するのは必至。両グループには小沢氏と戦った上での再選を望む声が強く、グループの一人は「小沢さんが出なくても分裂含み。代表選をやった方がいい」と語る。

 首相が対決姿勢を強める中、小沢氏サイドでも主戦論が高まっている。25日夕、山岡氏らが国会内で開いた会合には新人議員を中心に約70人が参加。そのメンバーから出馬要請を受けた小沢氏は「今の政治状況を見ると立ち向かわなければならないと思っている。私にも考えるところがある。少し時間をいただきたい」と出馬を検討する考えを表明。「国民の生活が第一という思いで政権交代を成し遂げた思いはかわっていない」と意欲をにじませた。小沢氏はこれまで首相の政権運営を厳しく批判してきたが、出馬の可能性を公言したのは初めてだ。

 ただ、小沢グループが出馬の前提として支持を期待していた鳩山グループでは小沢氏出馬への慎重論が強まり、中山義活前首相補佐官が25日、小沢氏への出馬要請に同調しない考えを山岡氏に伝えた。旧社会党系グループも同日夜、約20人が東京都内で会合を開き、8割が首相支持を主張したという。

 支持が広がらない中であえて出馬の動きを強めた背景には、首相が「脱小沢」の看板を下ろさないまま無投票再選となれば、小沢氏の影響力低下を決定づけるとの危機感がある。出馬要請に訪れた議員らが「総理大臣を目指して頑張ろう」と三唱すると、頭を下げて謝意を示したという。

 鳩山氏は26日から29日までロシアを訪問する予定。首相は「小沢氏と会う予定はあるか」との質問には答えず、「鳩山さんがロシアから帰ってこられたところで、また相談に乗っていただける」と帰国を待つ考えを示した。党分裂含みの対決を避けたい鳩山氏は仲介を続ける意向だが、首相が仲介を受け入れる保証はない。首相が脱小沢路線を修正し激突回避となるのか、小沢氏が立候補し激突となるのかギリギリの調整が続いている。【須藤孝9】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000035-maip-pol

もう、はっきりいって、どうしようもありません。

今の民主党政治は、昨年の段階で有権者が期待した方向とは真逆の下劣な自民党政治を継承しているといっても過言ではないでしょう。

自民党時代も、「小泉VS反小泉ないし抵抗勢力」という下らない構図で政治劇が演出されましたが、当時はまだマシだったと私は思います。

なぜならば、「小泉=小さな政府、規制緩和」であり、「抵抗勢力=中規模の政府、規制はある程度必要」といえるような主義主張の対立要素が少なからずあったからです。

しかし、どうでしょう。

今の菅民主党執行部がやっているのは、あまりにもお粗末です。

自民党の派閥政治より、主義主張の対立が無く、特定の人物の好き嫌いの対立、露骨なポスト、権力維持の対立ということが露呈しており、対立軸がこうした稚拙な事情に収斂されている点において、悪質かもしれません。

今まさに経済の危機だと叫ばれ、円高に対する懸念が連日報道されている中で、私が一番政治がやってはいけないと思うのは、国民の懸念を煽るような行動です(煽ることのみが使命だと勘違いしているマスコミの思うつぼの行動は避けるべきということです)。

この点、菅内閣は、円高に対して無策であることを露呈しています。

まだ、無策というのであれば良いでしょう。なぜならば、考えた上で打つ手がないのであり、少なくとも一生懸命考えた結果の無策という状態だからです。

しかし、菅政権の動きは、私利私欲のエゴに走り、代表選挙のための謀略、反小沢の連呼をし、国民にはまったくもって利益にならない下らない党内対立の激化させることに多大な時間を費やし、円高対策にはほとんど時間を費やしていないように見えてしまいます

これでは、1ドル70円台突入は不回避でしょう。

この国の政治家は、こうした行為を国民が見透かして、失望している現実を不思議なことにわからないのか、無視し続けています。

我々が選挙を通じて選んでいる政治家は、自分たちが批判してきた私利私欲優先の政治を平然とやってのけるし、自分たちが批判されてきたことを棚に上げて、他党のことになると批判できるのです。

現代の政治家は、「恥」という言葉をしらないのかもしれません。 

仮に反小沢を掲げることで、国民の人気が回復すると本気で思っているとすれば、およそ、民主党議員やその取り巻きの方々は、菅総理の御言葉を借りれば、「バカ」なのでしょう。

もし、頭が良い方がいるのであれば、多くの有権者が、民主党を見限っているという現実を直視できるはずであり、反小沢、親小沢などの下らないメディアの飯のタネにしかならない行動をするはずがありません。

さらに、一年生議員を囲い込むなんて、首相としての力量も無さ過ぎです。

本当に菅氏に首相の器があったのならば、円高等への懸念に対しもっと真剣に向き合って、熱烈なメッセージを国民に対して送ってしかるべきです

死んだ魚のような目をして、頭の中は代表選のことでいっぱいという状況が国民には分からないと思っているのであれば、本当にお粗末な人物を内閣総理大臣にしてしまったものです。

しかも、野党自民党も自分たちの反省がなく、変革の兆しもない酷いありさまです。

もっとも、忘れてはいけないのは、私を含め、この国の国民がこうした情けない政治家しかいない国にしてしまったという責任の重さです。

主権者は国民であり、国政選挙の有権者は、20歳以上の国民です。

おそらく、今後3年間(総理は解散しないつもりですから)、日本は本当に落ちるところまで落ちて疲弊するでしょう。貧富の差も拡大するし、犯罪も増えるでしょう。若者は将来に不安と失望を抱き、日本から優秀な人材が流出するでしょう。それに対し、政府のまま時間だけが過ぎていくでしょう

これは、我々有権者がそうした政治家しか育ててこなかったツケなのです。

極論を言えば、我々は、日本が本当に崩壊していく姿を主権者かつ有権者として、責任を持って見届けなければならないのかもしれません

さて、先日も紹介しましたが、ブレア元首相の回顧録が出版されます。是非、現在政治家のバッジを付けている方、その秘書などの方には読んでいただき、なぜブレア氏が人気を博し、人気を失い、そして、今、ブレア氏を再評価する声があるのかを考えていただきたいです。

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08/21/2010

まともな政党が存在しない日本

【注意】:私になりすましたような形で、他の方のブログやウェブサイトにこのブログを紹介している方がいます。ブログ記事は、リンクフリーですが、なりすますような形での紹介は御遠慮していただきたいと思います。一部には内容を歪めているものもあるようで、誤解を招きます。きちんと自己の責任において紹介してください。なお、私自身がこのブログのリンクを他の方のブログに紹介する時は、トラックバック機能などを使います。

先日、「民主党『子ども内閣』への失望と怒り」という記事の中で、この題名の通り、民主党には期待できないということ、二大政党制の意義のために自民党の再生が望まれることを指摘したが、日本人が不幸なのは、自民党の再生もまた期待できないのではないかと思われる点である。

一連の民主党代表選挙の動きに対する自民党議員の反応を見ていると、どれも薄っぺらい批判を繰り広げており、自分たちの失政、国民の失望に対する反省が一切見られない

一部の自民党議員の主張を見ていると、国民が「やっぱり自民党だ」とフリーハンドで支持が戻ってきていると、とんでもない勘違いをしているようである

これでは、自民党の本格的復活は無理だし、自民党が政権政党に返り咲いたとしても、日本はますます疲弊して、混沌とした世の中になるという危惧感を私は感じてしまう。

日本が不幸なのは、既存の国会議員や地方議員に不都合な党内民主主義の徹底している政党が皆無という現実である。つまり、まともな政党が戦後存在してこなかったということである。

先日の記事でも指摘したが、政党は、政党所属の議員で成り立っているわけではない

特定の思想、良心、信条を同じくする個々人の集合体で成り立っていなければならない。そうであるならば、議員以外の一般党員の意思というのが反映される政党の仕組みが、本来的な民主主義国家における政党のあり方ということになる。

この点、小泉元総理が党員・サポーター票を重視した総裁選挙を推し進めたのは、政党民主主義という観点からは、評価すべきことだと思う。

しかし、それ以後、民主党も自民党も、社民も共産もその他の政党も、民主主義的政党という仕組みが担保されない制度を維持しており、これがまともな政党が日本に存在せず、政治が混沌とする原因ではないかと私は分析している。

より具体的に言えば、候補者選定手続きにおいて、党員・サポーターによる(地方幹部を優遇したりした形ではない本当に党員による平等な選挙)予備選挙や集団評議などを行うなど、党員・サポーターの意思を反映し、候補者が選定される仕組みにはなっていないということである。

自分たちの政党の最大の支持者の意見に耳を傾けないのであるから、およそ、国民の声に耳を傾ける政治家なんているはずがない

党員の意思すら十分に反映できない制度を維持しているからこそ、選挙の前に、傲慢だったり、嫌味だったり、プライドの高いといった自分の性格をひたすら押し隠し、ニコニコして、有権者に取り入るだけしか考えていない政治家が何年もその政党の公認候補者になってしまうのである。

そうであるからこそ、自民党にはこの1年間の間にどれだけ本質的な変革がみられるのか注視してきたが、およそ、自己反省すらしていると感じることはできない

薄っぺらい、形式的批判を野党時代の民主党がやっていたように、ただ繰り返しているだけだし、自己改革なんて微塵もする気が無いようにすら感じてしまう。

先の参議院選挙の結果は、自民党への期待ではない。そのように考えているとすれば、勘違い甚だしいし、現状認識能力が著しく欠如している無能な政治家の集まりだとしか言いようがない

参議院選挙で、そこそこの議席を自民党が確保できたのは、菅政権、現民主党執行部の消費税発言とマニフェストを無責任に国民への説明もなく一方的に反故にしようとする国民の失望と怒りの現れである。

したがって、今自民党がすべきことは、徹底した自己改革であり、マスメディアやインターネットを通じて、民主党の代表選挙にウダウダいうことではないのである。

にもかかわらず、そうした気骨ある自民党の政治家の存在が見られないのは、甚だ残念であり、日本に国民主権を基本とする政党民主主義が本質的に定着していないという現状を思い知らされる。

みんなの党や社民党、公明党や共産党も同様である。

社民党に至っては、あれだけ注目を浴びる政治行動をしたのに、国民に支持されないという現状に対して、真摯に向き合うどころか、人権派弁護士出身だった党首は、党首の椅子にしがみつき、権力を維持することしか考えていないようである。

公明党や共産党のように、候補者選定手続きがまったくもって不透明な政党は、ゴクゴク限られた内輪の組織票政党として今後存在しても、日本のまともな政党にはなりえないだろう。

みんなの党は、まだ新しい。この点において、民主主義的政党運営がどの程度なされるのか、党員・サポーターの意思反映はどの程度されるのかは評価できない。しかし、一般的に見れば、渡辺善美と江田けんじの政党というイメージしかなく、党員・サポーターの意思反映がなされる余地があるのかは、現時点では疑問符がつく。

現に、彼らの官僚批判は民主党の無責任なそれと同じ範疇にあるもので、その監督者として、ましてや与党の一員だった政治家としての反省の声を私は、みんなの党の議員から聞いたことはない

自分に責任が無いという姿勢そのものが既存の政治家と全く変わらないのである。

このように検証してくると、日本にまともな政党が存在しないことがつくづく情けないし、日本の将来に希望や夢を見いだせと言うだけ、野暮な気がしてくる。

日本に、気骨ある政治家により、徹底した自己改革、党員・サポーターの意思が反映される民主主義的政党が誕生し、本当の意味での政党政治が定着する日が来るのはいつになるのであろうか

私は、あと十数年かかるのではないかとの失望感で一杯である。

さて、本の紹介であるが、菅首相も、気軽に財政再建と景気回復を両立する第三の道のようなことをいうのであれば、第三の道を提唱して、イギリス労働党の長期政権を作ったトニー・ブレア元首相の政治を勉強してほしいものである。

近日、ブレア元首相の回顧録が出版される。その出版日まで菅首相が在籍しているか私は解らないが、仮に小沢首相が誕生するのであるとしても、小沢氏には是非読んでいただきたい。

英語の文献が読めないのであれば、少なくとも菅首相や小沢氏には以下のブレア政権の理念となった本は読んでおいてほしい。

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08/18/2010

民主党「子ども内閣」への失望と怒り

最近ブログの更新ができていません。

忙しいということもあるのですが、政治ネタを取り上げる意欲が全く起きないのです。

これは、政治、とりわけ、先の衆議院選で民主党に投票した有権者への「裏切り」に対する認識が甘い民主党議員に対する落胆、失望、怒りに起因するところが大きいのかもしれません。

結局、政権交代をしても、威勢の良いことを言っていた民主党議員も旧来の自民党議員と同じ穴のむじなであると私は感じています。

今の民主党政権に理念なんてありません。権力欲のみです。

自分たちの権力を維持したいためだけの政治です。

それが如実に表れているのが、以下の記事です。

首相交代なら解散が筋=「反菅」の動きけん制―蓮舫氏 8月18日11時8分配信 時事通信

 民主党の蓮舫行政刷新担当相は18日午前、神奈川県小田原市内で開かれた野田佳彦財務相を支持するグループの研修会であいさつし、「9月に代表選があること自体は歓迎したいが、もしここでまた代表・首相が代わるなら、(解散)総選挙が筋だ」と述べ、菅直人首相の再選阻止を目指す党内の動きをけん制した。 蓮舫氏は「総選挙になった場合は10月末に予定されている特別会計の事業仕分けにも大きな影響が出る」と指摘。「その影響を最小限に抑えるためにも、菅首相を支持したい」と強調した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100818-00000049-jij-pol

先の参議院選挙での敗北の意味が解っておらず、解散権を盾に、主流派の地位にしがみつこうとするこの動きは、今までの自民党執行部が反対派のけん制するために内輪の政治に時間を費やしてきた行為そのものではないでしょうか。

ポピュリズムや衆愚政治のシンボルであり、マスコミにちやほやされている蓮舫大臣も、所詮、主導権争いしか眼中にないのです。

私を含め去年の夏は多くの人が政権交代により、政治理念が明確な政治に期待したのではないでしょうか。

しかしながら、結果を見てみれば、初めての本格的政権交代とはいえ、民主党議員にその能力は無かったように思います。理念なんてなく、指導力も発揮できず、官僚を口先だけで叩くだけの無責任政治(官僚に任せ切っている従来型政治と同じ)です。

そもそも、私は官僚や国家公務員を批判のやり玉にあげるだけのポピュリズム政治には危惧を感じていました。

もちろん、官僚の問題のある行動も多々ありますが、官僚の統率は、本来、国会議員、ひいては選挙を通じた主権者が行う責務です。

それを国会議員はもちろんのこと、国民もそれを放棄してきたと私は感じています。

これに対しては、知らなかったし、やっと明るみになったからという反論もあるでしょうが、それでも、知らなかったこと自体が主権者としての罪だったように思えて仕方ありません。

行政に属する職員は、法律による行政の原則が徹底されています。立法者である国会議員が、法律で、様々な問題を規制しておけば、官僚にまつわる問題の大多数が早期に解決できたはずです

しかし、国会議員の大半は立法者でありながら、法案政策能力がありません。ゼロです。なぜならば、法律センスゼロで政治家になるのですから、そもそも、立法者の役割を果たし得ないからです。

菅総理は、「官僚は馬鹿」と発言しましたが、本当にバカだったのは、長年国会議員であり、無策だった野党議員を長年やってきて、与党になっても、何一つ有効な法律を出すことのできない菅総理自身ではないでしょうか。

菅総理が休暇中にどんな本を読んでいたか私は解りませんが、下らない本を読むくらいなら、きちんと立法者としての能力を身につけるだけの法律理解能力を養ってほしいものです。

菅総理や次の総理大臣候補には、以下の本でも読んで、行政の長としての最低限の知識を身につけてほしいです。

民主党の議員が、無責任な官僚批判をし、自分たちの無責任なマニフェストへの反省もなく、また、マニフェストの何も実行できていない現実は失望と怒りを通り越し、笑うしかない状態にあります。既存の政治家には全く期待できないと言わざるを得ません。

私は、自民党の本格的な再生を心から願っています。

さもなければ、二大政党制を実現した先の衆議院選挙の意義が無くなってしまうからです。

そのためには、自民党の悪しき無能な大物政治家を追い出すための施策をぜひとも実行してほしいと思っています。具体的には、予備選挙などを導入して、候補者を公平に選定するなど、自民党の候補者が本当に選挙区民の方を向いていると認識できるような抜本的改革が必要だと思うわけです。

予備選挙など民主主義的政党が誕生し、国民とかい離している政治家を候補者段階で排除する仕組みがなければ、日本の将来には希望が持てないように思います。

他方、民主党には、もう何の期待もできません。

唯一いうならば、民主党議員がした国民への裏切りは歴史的な汚点であるということでしょう。

仙谷官房長官、枝野幹事長をはじめとする現執行部は、ハッキリ言って、「子ども内閣」であり、「子ども執行部」です

以前、小沢一郎氏が民主党は未熟という発言をしていたことを記憶していますが、その指摘は正しく、本当に未熟でした。

見た目は良いおっさん、おばさんの集団ですが、中身は「子ども」です(純粋さが無く、権力欲ばかり考えていますから、「子ども」よりたちが悪いかもしれませんね)。

官僚をリードする指導力が無いのです。そして、もっとひどいのは、日本をどういう社会にしたいという理念が無いからです。

では、第三政党に期待ができるかといえば、これも私はできません。

みんなの党も、同じです。おそらく政権政党になれば、民主党と同じように旧来の自民党と同じことをするでしょう。

官僚批判をしていますが、「自分たち政治家の指導力不足」と「理念が無い」官僚批判は、無責任であり、何も生み出しません

官僚を使いこなす能力が無い人間が政治家になって、自分の指導力不足を反省せず、単に批判する。それに熱狂する国民という構図が今後も続くのであれば、日本に希望はありません。

そんな国に優秀な人材はとどまるでしょうか。

多くの優秀な若者が海外に出ていくと思います。資源の無い日本にとって、人材の流出が一番恐ろしいことです。

民主党の政治家が有権者の期待を侵害したことへの罪は非常に大きいと思います。日本の適正な民主主義の実現がまた数十年遠のいたと歴史的に評される日もくるかもしれません。

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