菅直人内閣の顔ぶれと支持率上昇から見える『動物農場』
菅直人新内閣が成立したので、その人事について私の感じた印象と今の日本社会に対する危惧を述べておこうと思います。
1.党内人事にみる印象
一言で言えば、今回の人事は、「自民党時代に横行していた論功行賞人事をベースに選挙目当ての印象操作をしてみました」という印象です。今までの自民党(小泉時代も含め)がやってきた人事とほとんど変わらないということです。
特に、論功行賞については、枝野幹事長や安住選対委員長という人事はこれを如実に表しています。
彼らがなぜその職に就くのが適当なのか、どういう能力があってその職に最適なのかという点が見えてこず、単に、「脱小沢、反小沢」をスローガンにしたマスコミが煽る稚拙な"世論"向けの空虚なパフォーマンスに見えてしまいます。
早速、安住氏は、複数擁立を見直すといっていますが、選挙に勝てないから、一度公認した候補者を見直すというのは、大義名分の無い、政党のエゴだとしか思えません。
候補者に問題があるのであれば格別、そうでないにもかかわらず、選挙のために公認を仮に取り消したりするとするのは、菅新体制はスタートから従来の自民党と同じ、選挙目当てのエゴ政治を継承しているとの印象を隠しきれません。
とくに、安住選対委員長に関しては、阪口弁護士が以前ブログで指摘されていましたが、政治をクリーンにということではなく、自分の懐事情を優先し、企業献金禁止に消極的な動きを見せた人物です。
こういう人物が、脱小沢のパフォーマンス後に就任する選挙の最高責任者になるのですから、およそ、「クリーンな民主党」になったと現段階でいえるのかは疑問です。
安住氏は、小沢氏の政治倫理審査会への出席を促しています。
小沢一郎という政治家の話題がこれだけ注目の的となり、日本全国の話題になっているのですから、、刑事責任は白ですが、政治家として、国民に説得力を発揮して、語りかけることは、説得力のあるリーダーシップとして歓迎すべきです。
そして、その時は、我々、国民も色眼鏡を捨て去って、小沢一郎の発する説明に耳を傾けるべきでしょう。
もっとも、私は、小沢氏に俗にメディアが騒ぐような説明責任があるとは思いません。
実力のある政治家のリーダシップの発揮の仕方として、政治倫理審査会の場で主張するという方法は、自発的にやるとすれば、歓迎すべき方法だと思っています。
いずれにしても、安住氏の政治倫理審査会に関する発言は、あくまで選挙事情との関係で出ていることです。
企業献金の禁止などやるべきことをやらずに、小沢悪と決め付けそれからの脱却を言葉だけで演出する。今までこうした政治家のパフォーマンスに有権者はどれだけ騙されてきたのでしょうか。
また、枝野幹事長は、「今日を機に、いわゆる企業・団体献金は個人としては一切受け取らない」と述べたそうですが、これだけでは、何の意味もない発言です。個人として受け取らなくたって、他人を介して、所属するグループとしての活動費を得ていたり、政党が企業団体献金を受けていれば、同じことです。
ぜひ、枝野幹事長には、政権政党として、企業・団体献金を本気でやる気があるのかは、言葉よりも行動で示してもらいましょう。
そして、メディアも有権者も、そろそろ言葉だけの空虚な政治家か、実行する政治家かを見極めようではありませんか。
政治とカネの問題の第一人者である、阪口先生も6月8日付のブログ記事で指摘されていますが、政治とカネの問題を本気で解決する姿勢があるなら、それは、小沢一郎という政治家一人の問題にするのは間違いです。
政権政党として、①官房機密費の透明化、②企業献金の禁止という2つの問題にケリを付けて初めて、この問題に一定の道筋ができるのではないでしょうか。
民主党の顔が新しくなったからと淡い期待を無批判に継続するのは、問題の本質を見抜いていない愚かな行為だと私は思います(もちろん、私も期待はしています。しかし、成果も何もない段階で、無批判に支持するとは現段階では言えません)。
2.閣僚人事に見る印象
次に、閣僚人事に言及しますと、鳩山内閣辞任の引き金となった普天間問題を本当に反省しているのであれば、責任者であった、岡田氏、北沢氏、前原氏の3大臣は少なくとも、同じポストでの入閣はすべきではなかったのではないでしょうか。
本来、普天間の問題は、担当大臣も含めて責任が問われるべきです。
それぞれの大臣が内閣の統一した意思を形成せずに好き勝手な発言をしたことが鳩山政権崩壊のきっかけを作ったはずです。
しかし、その責任論は、鳩山由紀夫氏、小沢一郎氏の辞任であたかも解決しているようにメディアは報じ、幼稚な民意はそれを受け入れ、政党支持率がV字回復という顛末です。
もっとも、岡田氏は、機密文書問題などで積極的に功績を挙げた面がありますから、再入閣自体は良いとしても、本当に外務大臣としての責任はないのかという点を明らかにしなければ、鳩山前首相が辞任し、政権がたらいまわしになったことへの理解はできません。
また、菅直人氏は仮にも副総理であった人物です。普天間の問題に対する鳩山政権の責任をどう捉えて、どう沖縄の失意に応えるのか、人事を見る限り、全く見えてきません。
さらに、法務大臣の再任にも私は深い不満を持っております。千葉大臣は、何一つ改革をしていません。成果も何も上げていません。法務省は司法改革という重大な問題に直面しています。
取り調べの可視化の問題、法曹人口の問題、法科大学院の問題、検察審査会のあり方、法曹一元化の問題、刑事事件報道を巡るメディアの問題等々です。
しかし、これらの問題に対し、千葉大臣が指導力を発揮している姿を見たことがありません。非常に不適切な再任だと思います。
赤松農水大臣は交代しました。しかし、鳩山民主党政権は、口蹄疫の対応に対し、問題は無いとの立場を主張してきました。
では、なぜ辞めるのでしょうか。選挙目当てに批判をかわす目的でしょうか。
責任の取り方は辞めるだけではないはずです。
政治家として、政府として、政党として、問題が無いと主張した以上、最後までしっかり責任を果たすべきです。私は、刑事責任などの問題で辞任する以外の場面では、自分の責任を果たしてから辞任すべきだと思います。
批判を受けるから辞める、直ぐに退陣を迫るという未熟な責任論から日本はそろそろ脱皮すべきではないでしょうか。
3.今の日本は動物農場
ほとんど全てのメディアが、菅新内閣の人事の総評として、「反小沢色が強い」だとか、「サラリーマンの家庭出身」だからとか、「平均年齢が1歳若返った」とか、下らない批評ばかりしており、それが目につきます。
しかし、これらにより、我々に何の恩恵があるのでしょうか。
反小沢色が強かったり、サラリーマンの家庭出身の政治家だったり、平均年齢が1歳若返れば、鳩山内閣が抱えていた問題を解決できるのでしょうか。
反小沢か脱小沢か知りませんが、私には、鳩山由紀夫と小沢一郎という政治家が抜けただけで、何が変わったのか全くわかりません。
先日の記事、「日本の2010年は『1984年』」でも述べたことですが、表紙を変えるというちっぽけなことで内閣支持率や政党支持率が跳ね上がるのですから、日本の有権者は為政者にとっては非常に都合のよい存在だと思います。
私が為政者なら、このような結果は大喜びでしょう。我が国に健全な民主主義は未だ存在しません。
存在するのは、「魂を売り渡したとの疑惑に説明責任を果たそうとしないマスメディア」、それを巧みに利用する政治家、そして、マスメディアに踊らされる有権者という衆愚政治です。
かつて、小泉純一郎氏がヒーロー役を務める「小泉劇場」というものがありましたが、今の政治はさながら、小沢一郎という悪役が務める「小沢劇場」かもしれません。
スーパーマンなどいわゆる正義の味方的なヒーローものに飽きた国民が、ダースベーダーが重要な役割を演じるスターウォーズに熱狂しているといったようなものでしょうか。
もちろん、今我々がマスメディアにより、見させられている政治劇は、スターウォーズシリーズほど洗練されたシナリオに基づくものでは全くありませんが・・・。
古代ローマの詩人、ユウェナリスは、「パンと見世物(サーカス)」という言葉を残しました。
今の日本国民は、小泉劇場への熱狂への反省も無く、小沢劇場という陳腐な見世物に熱狂し、菅民主党政権に疑うことなく、熱狂しているように見えて仕方ありません。
さながら、有権者との関係では、「『子ども手当』と『脱・反小沢』」、テレビ、新聞等の大手マスコミ・評論家との関係では、「『官房機密費からの毒まんじゅう』と『政局』」というところでしょう。
こうした日本の現状を見ていると、イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが描いた『動物農場』の世界がダブって仕方ありません。もちろん、この作品はソ連をモチーフにした(共産主義への批判)といわれています。
しかし、今の日本の現状は同じ問題を抱えているのではないでしょうか。
『動物農場』の本質にあるのは、無批判に権力者を信じて、衆愚に陥ることの怖さだと私は思います。そして、問題点をいち早く見抜いていたロバのベンジャミンが黙ってしまったことにも、不幸な結果に拍車をかけたと解釈しています。
今、我々の目の前には、各社が連日報じる緊急世論調査で、一瞬にして、民主党政権の支持率が回復しているという事実が存在します。
しかし、民主党政権がこの数日の間に何をしたでしょうか。
権力者が変わっただけで、普天間の問題を解決したわけでもなければ、企業・団体献金禁止法案を成立させたわけでも、官房機密費の透明化を実現したわけでもありません。
にもかかわらず、権力者の顔が変わっただけで、それを無批判に喜ぶ有権者の姿は、オーウェルの描いた『動物農場』の世界で、無批判に豚のナポレオンを支持した動物たちに見えて仕方ありません。
同時に、この状況を考えると、ミュージカル、「エビータ(Evita)」の冒頭で、チェ・ゲバラ役がエビータの死に嘆き悲しむ民衆の軽薄な姿をこけおろす歌、「Oh What A Circus」という歌が頭の中に流れてきます。
もちろん、この現状におかしいと感じている人も多いと思います。ツイッターでのやり取りや日々の日常生活からもそういう声は聞こえてきます。
その人々は、おそらく、このまま、民主党に期待をして良いのかと迷っているはずです。
その迷いを私は大事にしてほしいです。そして、その迷いをきちんとメディアや熱狂している人々にぶつけるべきだと思います。ロバは黙って静観しましたが、我々は黙ってはいけません。
時間は限られていますが、私たち有権者が、本当に、民主党政権に期待を続けて良いのかを選挙までの民主党の"言葉"ではなく"行動"で判断しようではありませんか。
新政権に対する審判のためのテストの一つが、先日お伝えした、阪口弁護士の官房機密費について問うた仙谷官房長官への手紙に対する政権の対応です。
しかし、残念ながら、その問題に対する意気込みを示すべき、最初のチャンスを菅総理は活かすことができなかったと思います。
ほとんどのメディアは報じていないようですが、就任会見の最後の質問で、「官房機密費の使途の透明性の問題、官房機密費により政府によってメディアが買収されているという疑惑に対する政権の対応」という問いがなされたようです。
これに対し、菅総理は、官房機密費と外交機密費・諜報活動の問題を混同し、問いの意図から外れ、のらりくらりと答えるのみ(リンク先の映像における36分11秒以降の部分)で、会見前半に見せた意気込みとは全く違う様相を見せていました。
仮に、菅新総理の回答が、試験であれば、出題意図から外れており、0点といわざるを得ません。
今まさに国民の関心事項となっており、鳩山政権との違いをアピールしなければならない問題に対する回答としてはあまりにお粗末な回答ではないでしょうか。
これを見る限り、菅直人という人物が、政治とカネの問題に、メスを入れる心づもりがあるのか、疑わしさを感じずにはいられません。
この問題に対する対応を含め、菅内閣の行動を選挙まで注視して、民主党やメディアが演出した小沢劇場に乗せられず、冷静に判断していきましょう。
空虚な「批判」ではなく、民主党に厳しい「注文」を付けていきましょう。
そして、本来、注目されるべき最大野党の自民党議員に対し、私は声を大にして、以下のメッセージを送りたい。
自民党議員よ。一体、君たちはこの8ヶ月の間、何をしていたのか。
空虚な批判に専念せずに自浄作用を発揮していれば、今頃、二大政党の芽が日本に発芽しただろうに・・・
二階問題に対して、自民党は、徹底追及をして自浄作用を発揮したのか?
なぜ、君たちは、政治とカネだと民主党を批判する前に、河村官房長官の官房機密費の問題について、自浄作用を発揮して、公表しようと努力しないのか?
本当に情けない。君たちの罪は大きい。
自分たちが抱える問題にまずケリを付けて、初めて、批判する資格が与えられるということを肝に銘じなさい。
さて、今日、記事中で紹介した『動物農場』というのは、先日紹介した『1984年』の作者、ジョージ・オーウェルの別作品です。
これは、今のワイドショー的政治劇に踊らされる有権者にはぜひ見てもらいたいと思う作品です。
『動物農場』は『1984年』に並ぶオーウェルの代表的作で、人間が繰り返す衆愚政治のあり様を動物を通じて訴えている作品で、教育的な観点からも私は政治や社会を学ぶという点ですばらしい作品だと思っています。
左が小説で、右がそれを原作にした三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー提供の作品です。
宮崎駿氏のジブリがこの映画を日本で解禁させたのは2008年12月です。宮崎駿氏はこの作品を日本で公開する意味について、以下のように述べています。
自分が善意であるからといって、自分が善良な存在だとは思ってはいけない。とくべつお金を稼いでいるとか、楽をしているわけじゃないから、自分は無罪だ、とは思ってはいけないんです。しくみのなかでは、自分だってナポレオンなんです。そのしくみの問題はいっぺんには解決できないですけど、だからといって、手をこまねいて、無関心でいられること自体、すでにそれはナポレオンなんだってことなんです。個人的なことだけじゃなくて、社会における位置とか役割によって、自分の存在の本質には、いつも気づいていなくちゃいけません。
半世紀以上も前につくられた「動物農場」をいま公開する意味は、ここにあるんです。社会にはしくみがあるということ。複雑になってはいるけど、でも根源には、労働者がいて収奪者がいるという、そのしくみは変わってないんです。それを知るうえでは、この「動物農場」には意味があると思います。小林多喜二の『蟹工船』と同じように。蟹工船というのは、ひとつの隔絶した世界だから、国家の意味とか社会のしくみということを図式的に描きやすいし、「動物農場」も、世界の縮図として、寓話として描かれているわけですよね。
この動物農場は、ソ連をモデルにした批判作品ですが、これは私たちの住んでいる日本の社会、政治状況にも考えようによっては当てはまるように思えます。ぜひ、自分で今の日本と当てはめたりして、考えながらこの作品を見てもらいたいと思います。
なお、ジョージ・オーウェルの『1984年』ですが、映画化されています。こちらも是非見てみると良いかもしれません。
以下は、原作です。左は和書の最新版で、右が洋書版となっています。
*下記のバーナーをクリックすると、ポイントが入りランキングに反映され、多くの方に閲覧されるチャンスが増えるようです。この記事を読んで、他の人にも広めたいと思った方は、クリックしてみてください。
「 日本の政治」カテゴリの記事
- 虚像が批判され本物が人気となった2020年(2020.12.31)
- 後手後手を先手先手という菅内閣の詭弁と国民の不信(2020.12.30)
- 日本の危機管理能力がいかに乏しいかを世界に知らしめたクルーズ船隔離の失敗(2020.02.21)
- 森友問題の文書改ざんについて思うこと(2018.03.20)
- 選挙における「言葉」の影響力(2017.10.10)
The comments to this entry are closed.
Comments
実質的には、支持率は上がってないと思われます。
この手の世論調査の常として、選択肢に必ず
「とりあえず支持する」
というような消極的支持の項目があり、
支持率60%越えという実質はその消極的支持に因るところが大きいのです。
「とりあえず様子を見ます」とほとんど同義の選択肢が、「支持」の一部となってしまうマスコミのまとめ方に問題があるでしょう。
有権者は冷静に見てるだけなんです。
荒井さんの話は唐突に何を言い出すんだ?って感じですね。
川端文科相も同じ問題を抱えているはずですが、そっちはずーーーっと報道されません。
Posted by: ksy | 06/09/2010 07:21 pm