新司法試験の実施方法の変更と法曹教育問題
法曹関連の話題を取り上げます。
新司法試験の実施方法についての意見公募手続きがなされています。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=300020007&Mode=0
結論から言えば、従来からの民事系の融合問題を廃止しようというものです。
それが良いのか悪いのかは議論があるところですが、新司法試験の融合問題の関係では、試験委員の側から、問題作成が大変だという声は出ていました。
ただ、そもそも新司法試験にして、融合問題を作るという趣旨は、実務上の問題を意識した実践的な法律の総合的理解を見る点にあったはずです。
従来の司法試験が予備校の論証パターンの吐き捨て状態になっているので、プロセス重視の法曹教育をしようということで、ロースクール制度が誕生し、新司法試験も、プロセス教育を受けた、総合的な法的考察力を見るという趣旨の試験に変わったはずです。
問題形式の変更の前に、その趣旨が変わるのか、変わるのであれば、司法制度改革は成功したのかどうか、失敗しているとすれば何が問題だったのかという総括をすべきではないでしょうか。
にもかかわらず、こうした任意の意見公募手続きによって、制度の根幹の1つを国民の知らないうちに(無関心であることに乗じて)変えていくのはどうかなと思います。
仮に、試験委員の都合や一部の既得権益者の都合で、制度を変えて、ロースクール制度の新たな法曹教育体制が骨抜きになったりするとすれば、本末転倒です。
おそらく、既存の予備校にとっては、民法、民訴法、会社法の融合問題を作ることは不可能でしたから、予備校ビジネスにとっては、この変更は嬉しい限りでしょう。
もっとも、予備校では、融合問題がなくなり、個々の法律ごとの事例問題に変わったとしても、司法試験で出てくるような良質の事例問題に対応できる問題作成能力は無いと思いますが・・・。
既にイメージ図ができているのですから、融合問題を廃止しようという路線は、動かすつもりはなく、意見公募手続きで都合の良い意見があったことを変更の正当化事由にしようという官僚の意図でしょう。
ただ一定の総括もなく、そういった小手先のことをもうすべきではないと思います。
実際、司法試験の実施方法に関心のある人は司法関係者しかいません。
都合の良い意見で、意見公募手続きを終わらせることは容易です。その都合の良い意見のみで、民主的過程を経たという正当化の根拠を作ることができるわけです。
法務大臣があの方ですから期待はできませんが、しっかりと、司法制度改革の趣旨・目的に立ち返って、今後の法曹教育の在り方を議論しなければ、国民に不利益が来るでしょう。
現に、司法アクセスは、未だ一般国民には障害だらけです。
一部の既得権益のために、本質的な改革が骨抜きにならないように、国民は不断の監視の努力をしなければなりません。
民主党が選挙やイメージ戦略ばかりにうつつを抜かし、自民党などが形式的な批判ばかりしている一方で、重要な問題が骨抜きになったり、国民の司法アクセスという観点が欠如した法曹の既得権益保持への後退ということにならないことを願います。
問題形式の変更に過ぎませんが、重大な変更の1つです。この試験方法のあり方が、きちんと議論・総括され、司法制度改革の流れを止めたと後に評されるような象徴的な出来事にならないことを祈るばかりです。
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Comments
実体法と手続法の融合問題は、もともと教養試験と
しての論文試験ではなく、実務試験として二回試験で
問われるべきであって、この件は新司法試験の企画
倒れの一面を露呈したに過ぎないと思います。
また試験運営上の事情を建前として指摘していますが
本音のところは想像以上に点数がとれていないために
最終的に偏差値で補正するにせよ、実際の得点と
合否の相関関係がいびつになってしまうことの反省
から来ているとの穿った見方もできるのでは。
司法試験改革をするならまず、学者を実務家養成
過程から排除することを真っ先に考えるべきだと
思いますね。学者が介入すればするほど現実離れを
起こすのは一連の司法改革からも明らかですし。
Posted by: 戊野五郎 | 06/21/2010 11:30 pm