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06/05/2010

日本の2010年は『1984年』

連日、鳩山総理の退陣とポスト鳩山の報道について触れてきた。

しかし、今後かなり忙しくなるので、このような定期的な記事の投稿が困難になりそうである。

そこで、今日は、参議院選挙を控えた、今の日本社会に対して、私が今一番訴えたいことを記事にしようと思う。

1.民主支持回復にみるビッグ・ブラザーの支配

鳩山首相の辞任後に出た各マスメディアが出した世論調査には驚くと同時に、日本の無責任な"世論"には、絶望に近い感覚を得た。

読売新聞の伝えるところによると、"世論"は、民主党支持が20%から29%に上ったという。

民主支持回復29%、辞任評価69%…読売世論調査

 読売新聞社は、鳩山首相が退陣を表明した2日から3日にかけて、緊急全国世論調査(電話方式)を実施した。

 民主党の支持率は29%で、前回調査(5月29~30日)の20%から9ポイント上昇し、自民党は18%(前回20%)だった。

 今年夏の参院比例選投票先でも民主は25%(同14%)に回復し、自民18%(同19%)を上回った。鳩山首相と民主党の小沢幹事長がそろって辞任することを「評価する」と答えた人は69%に上った。

 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題の混乱や「政治とカネ」で、首相と小沢幹事長が責任を取る形となったことで、民主への支持が戻った格好だ。ただ、民主党の支持率は、下落傾向にあった3月当時(31%)の水準にとどまり、昨年9月の鳩山内閣発足直後に記録した51%には及んでいない。

 首相と小沢幹事長の辞任について個別に聞くと、首相の辞任を「当然だ」と思う人は66%、小沢幹事長の辞任には「当然だ」が87%を占めた。民主支持層に限ってみると、首相の辞任には51%、小沢幹事長の辞任には79%が「当然だ」と答え、2人そろっての辞任を「評価する」は69%だった。

 民主が参院選の結果、参院でも過半数の議席を獲得する方がよいと思う人は40%、「そうは思わない」は48%だった。「獲得する方がよい」は、同じ質問をした今年3月以降で最高の33%(3月)を上回った。鳩山内閣の8か月半の実績については「評価しない」54%が「評価する」37%より多かった。

(2010年6月3日23時39分  読売新聞)

率直な感想として、これほど無責任な世論には本当に驚いた。

メディアやメディアが伝えるところの"世論"は、「次々に首相が変わるのは良くない」、「選挙目当てに表紙を変えただけだ」と批判している一方で、結局、表紙のすげ替えにより民主党が利する結果を与えてしまっている。

政権交代という歴史的な事実を作った民意は、8ヶ月と持たない政権を作った民主党という政党に自らが投票したことへの反省は考えないのであろうか。

無責任であること甚だしい。

私、個人、前回の選挙では、民主党候補と、民主党に投票した。

結果、鳩山政権が普天間の問題で、結局、辺野古案になった時、私は、鳩山民主党政権の十分な努力が見えてこず、このような期待だけさせて裏切る行為に対して、憤りを感じると同時に、自分が投票した政党の政権が下した、「裏切り」という結論に対して、真摯に自分の判断が正しかったのか自問自答をしたし、今も続けている

しかしながら、メディアの伝える"世論"は、フラフラしていた鳩山由紀夫という顔さえ変われば、小沢一郎という"悪そうに見える"政治家さえ変われば、満足らしい

仮に政治とカネが問題だというのであれば、鳩山政権を選んだ民主党議員"全員"の責任は問わないのだろうか

なぜ、鳩山由紀夫と首班指名で投票した民主党議員は、何気ない顔で、マスコミに出て評論家面しているのか。

なぜ、マスコミはそれを許しているのか。

普天間の問題で、統率力が無く、好き勝手なことばかり言っていた政権内部の人間たち(民主党議員を中心とした与党議員)の無責任な姿勢は問わないのだろうか

県外と言いながら、自分の地元に移転しても良いというような発言も、交渉もしない多くの与党議員たちの責任は問わないのだろうか。

これほど未熟な"世論"しか我が国には存在しないのだろうか。

仮に、メディアの報じる"世論"が正確に有権者の意思を反映しているとすれば、日本には将来は無いだろう。こんな"世論"しか構築できないのであれば、およそ成熟した民主主義国家なんて作りえない。

こうした無責任な世論、ひいては有権者の無責任が、政治的混乱を作っていることには、上記のような世論を構築している人々は、一生気がつかないだろう。

こうした事態に対する報道機関の責任は重い。

記者クラブ制度の下、画一的、均一的、同質的な報道しかしない茶番なマスメディアは、まさに、イギリスの作家、ジョージ・オーウェル(George Orwell)が、1949年に出版した作品、「1984年」の中で懸念したあさましい思想統一を着実にこの日本という国で実行しているといっても過言ではない

例えば、オーウェルが描いた「1984年」の世界の権力者、ビッグ・ブラザーが行った「二分間の憎悪(Two Minutes Hate)」は、まさしく、まだ司法判断すら出ておらず、一応の検察の判断は白だったにもかかわらず、既存のマスコミが行った「疑わしい小沢一郎は黒である」という報道と大して変わらないのではないだろうか

さらに、オーウェルの同作品の中に、絶対的権力者、ビッグ・ブラザーと彼が統率する党は、「戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である。(War is Peace, Freedom is Slavery, and Ignorance is Strength.)」 というスローガンで、国民を洗脳している。

我が国のメディア報道を見れば、以下のように置き換えられないだろうか。

「政治とカネの疑惑がある小沢一郎がいなくなれば新しい政治になる。日本の安全にはアメリカ軍への従属が不可欠である。マスコミが報じるのは真実である。」

どれも何の根拠も立証されていない不合理なスローガンである。小沢一郎の問題においては、刑事責任は未だ問える状況にはない。検察は不起訴と再度判断しており、不起訴という事実のみが存在するにすぎず、なんの有罪の立証もない段階で、多くの国民が、小沢は黒と思い込んでいる(思い込まされているのかもしれが、結局は同じことだろう)。

こうして考えてみると、なんとも、オーウェルが描いた世界に、私の住んでいる世界が向かっているように思えてならない。

もっとも、オーウェルの描いた『1984年』の世界のように、全くの監視社会に陥り、希望が無い社会というわけではない。

フリージャーナリストの神保哲生氏岩上安身氏高野孟氏などの方々が一生懸命、政府記者会見の解放を訴え、多角的な価値や情報を提供しようと努力しているのは、インターネットで彼らが配信する情報から伝わってくる。

また、既存のメディアの中にも良識ある、組織の論理に染まっていない記者の方もいて(そう信じたい)、この現状を苦々しく思いながら、現状を変えられないかと日々葛藤している人もいるだろう。

しかし、既存の大手メディアが報じる均一的・同質的な情報以外の情報に聞く耳を持っている有権者はどれだけいるだろうか。かかる情報を知っている有権者はどれだけいるだろうか。

発信者の努力は、真摯に摂取する受け手がいてはじめて実を結ぶ。しかし、残念ながら、上記の"世論"が正しい日本の現状を反映しているとすれば、こうした受け手は一握りしかいない少数者でしかないと思わざるを得ない。

私たちの目の前の現実には、ジョージ・オーウェルが、前述の作品で描いたビッグ・ブラザーによる言論、思想の統制が、多くの国民が知らないうちに、事実上行われており、じわじわと、着実に進んでいるように思えて仕方ない

マスコミの報道が偏向報道であっても、それに踊らされる有権者が最終的、究極的には悪いという自覚がないのは何とも情けないではないか。

2.日本を『1984年』の世界にしてしまわないために

もちろん、良識ある方々は、こうした現状に気が付いており、「そうは言っても、民主党に対する批判の受け皿が無い」と嘆くだろう。

その通りである。社民党は、民主党以上に無責任に政権離脱をした。彼らが本気で鳩山政権の県外を実行すべく責任ある努力した形跡は、私の知る限り見られない。共産党だって同じである。彼らの主張に耳を傾けても、無責任な主張のオンパレードにしか見えない。

自民党、公明、その他の政党も、批判だけはするが、その批判はブーメランのごとく彼らの今までの行動に返ってくる。自分たちの過去の言動に対する反省、新しい行動ある批判をしている政党を私は見かけない。結局、薄っぺらい批判をするばかりで、責任ある野党は存在していない。

だからといって、ここで、無批判に、首相が変わったからといって、我々有権者が、民主党に期待を継続して良いのだろうか。

良識、責任のある有権者として、立ち止まって考えるべきである。

選挙の夏までもうすぐ。

今我々に求められるのは、浅はかで上っ面の報道しかしない大手メディアにも懐疑的な姿勢を持ち、彼らが報じない情報にも耳を傾け、各人が有する社会通念に従って、事実を慎重に吟味し、その真偽を慎重に判断することだろう

ただ、菅内閣という新しい政権が出来たのは事実である。

菅新内閣に対して、いわゆるマスコミの報道に従って、イメージだけで、どうのこうのと軽率には判断すべきではない。

まずは、菅直人という新しい内閣総理大臣がどういう意図を持って、組閣し、どういう政策を推し進め、どういう成果を上げるのかを注視したい。

他方で、選挙まで時間が無いとはいえ、直ぐにできることも多くある。

例えば、記者クラブ制度からオープンな記者会見へということなんて1カ月もあればできるはずである。管直人新総理のライバル(?)の亀井静香議員だって、金融庁において、直ぐにやったことである。

岩上安身氏がツイッターでつぶやいているが、誰が8ヶ月の政権在任中にこの問題に真摯に向き合ったのか、我々、有権者は、今こそしっかり記憶しておくべきである。

最高裁がハッキリ判例で示しているように、報道の自由というのは、国民の知る権利に奉仕するために、憲法上保障されているのである。より多くのマスメディアが生の政治家の発する情報を多角的な観点から報じることこそが報道の自由を憲法上の権利として保障する意義である。

取り組むことができたのに、この問題に真摯に取り組んでこなかった鳩山政権の閣僚経験者に、そもそも国民目線で、国民に「説得のリーダーシップ」を発揮しようなんて姿勢は、最初から期待できないと私は思う

だからこそ、誰が真剣に取り組んでいたかという事実は、その閣僚の政治家としての資質を見る上で重要である。

政治家の聞こえの良い言葉だけに耳を傾けて、安易にだまされるのではなく、過去の行動を我々はしっかり記憶しておかなければならない。

じっくり見るべきことはしっかり猶予を与えて、成果の有無をみる必要があるが、審判を下すべき日(参議院選挙の日)は近付いている。

我々有権者は、ビッグ・ブラザーたる既存の新聞、テレビの報道に支配されること無く、広く情報を集め、今できることをすぐに取り組んでいるかということも監視しなければならない。

同時に、以下のような、ビッグ・ブラザーが報じない、彼らに不都合なニュースにも耳を傾けようではないか。

今日の記事の中に出てきた、ジョージ・オーウェルの『1984年』を読んだことが無い人もいるだろう。ぜひ、図書館などで借りるなどして、読んでもらいたい。この本が描く世界観はぜひとも心にとどめて、自分たちの属する社会を見つめなおしてほしい。

左は和書の最新版で、右が洋書版で、この作品は世界中に長年多くの愛好者がいる。

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Comments

ビッグブラザーは外面的には存在しているのに、核が見つからない。

もう止めようがないのかもしれません。

Posted by: ns | 06/05/2010 at 08:44 AM

>NSさん

おっしゃる通りです。それがオーウェルの描いたビッグブラザーの本質であり、今の日本に怒っているのではないでしょうか。

私も時間を見つけて再度、オーウェルの『1984年』を読み、どうすればいいのかを自問自答を続けてみようと思います。

Posted by: ESQ | 06/05/2010 at 08:55 AM

はじめまして。
オーウェルの『1984』、YouTubeで見られます。
春樹の『1Q84』を読む前にオーウェルの『1984』をお勧めします。
鳩山の辞任演説にあった「クリーンに、とことん・クリーンに・・・」の
フレーズに背筋が凍りました。
このまま行けば日本にも訪れるでしょう。あれだけ力のある小沢氏でさえも落されてしまうのですから。
中央政府には希望はないかと思います。

Posted by: kt | 06/05/2010 at 10:26 AM

現制度下における政府に希望は無いかもしれませんが、アナーキストも褒められたものではないと思います。
希望ある未来を創る為の有権者の責務としては政治の世界における希望の原石を見つけ、その真贋・優劣を見分け、研磨し、輝かせることではないでしょうか。
そこをマスメディアに任せていては只の石ころであってもメディアの望む形に装飾、カットされて店頭に並んでしまいます。
そうならない為にはblog主がおっしゃるような情報公開が必須。またネットにおける政治(選挙)活動の全面解禁も必須でしょう。
さらに言うなれば政治家を目指す方には公の部分だけではなく、プライベートをも全面公開する覚悟を持って信用を得る努力をして頂きたいものです。
(1984ではシステムによる大衆の監視・管理が行われていましたが、大衆がシステムを監視・管理するルール作りを早急に進めていくことが必要だと思われます)
政治家という職は今までのような「お上」という存在ではなく、そこまでの責任と覚悟が求められている時代になったのだと感じます。

Posted by: Public_comment | 06/05/2010 at 12:12 PM

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