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June 2010

06/23/2010

私が民主党を支持できなくなった理由

明日、参議院議員選挙が公示されますね。

菅政権が発足以後、様子を見てきましたが、現在までのところ私は菅・民主党政権を支持できないという結論に達しつつあります。

理由は以下の通りです。

1.マニフェストの変更、修正に対し、国民、有権者に対して、なぜ修正するのかを十分説得しておらず、自民党時代の御都合主義と全く変わらない。

2.取り調べの可視化が取りざたされて久しいにもかかわらず、一律実施を見送るだけでなく一部実施についても今後検討ということだけで、何一つ改善する意欲が感じられない。また、その先頭に立つ法務大臣が不適格である。

3.鳩山政権の総括を国民に対しておらず、沖縄問題に対する、沖縄県民への裏切りに対する反省を一切していない。また、国内の県外移転の可能性を模索して、負担軽減を図る具体的な姿勢も見て取れない。

4.増税の前に、国会議員の無駄をなくす努力が一切ない。

5.官房機密費に対する動きが一切ない。

6.パフォーマンスばかりで、本質的な政権交代の意義を解っていない行動が目につく。

7.自民党の議員と同様に、憲法知識が極めて乏しいにもかかわらず、現行憲法の範囲での議論もないまま、改憲という結論を先行させようとしており、極めて従来の自民党的色彩が強くなっている(ちなみに、阪口弁護士も憲法改正には反対のようです。)。

8.公務員の早期退職推奨を禁止すると言っていたにもかかわらず、何の説明もなく、直ぐにマニフェスト等で訴えてきた内容を変更しており、有権者を裏切っている。

9.従来の鳩山政権同様、閣僚の重みが無い。好き勝手なことを言っており、内閣としての意思決定に疑問がある。

以上の理由から、私は、今のところ、菅民主党を支持できません。

したがって、私は、おそらく、参議院選には民主党にも、今までの期間に問題を解決せず棚上げにしてきた自民党、公明党にも投票しないでしょう。

ただ、これだけ民主党に対する不満があるにもかかわらず、批判票のまともな受け皿になる政党が存在しないのは残念でなりません。

とにかく、まともな候補者を立てる、まともな政党がないというのが今日本の一番の問題点ではないでしょうか。

ここは、いっそのこと、悪魔に魂を売り渡すような気持ちで、共産党に投票することで、不満の意思表示を示すことも考えるべきなのかとも、自問自答しています。

共産党が議席を増やして、参議院において、キャスティングボードを握れば、参議院の過半数確保のために、政治は混乱するでしょう。下手な政策が過半数という数の前にドンドン実行されるより、ましかもしれません。

また、民主党や自民党および自民党系新党など不甲斐ない政治家に対して喝を入れることになるのかもしれません。

ただ、共産党について、私は、党是はもちろんのこと、エリート主義等々の固有の問題点があると感じており、どうにも自分が支持しない理念を持っている政党に、既存大政党への批判票として投票するというこの結論は、悪魔に魂を売り渡しているような気持ちになってしまいます。

そうであるならば、選挙に行かないという判断もあるべきなのかもしれません。

私は、投票日まで、投票すべき政党、候補者がいるのか、選挙に行かないという結論にすべきかじっくり悩んで結論を出そうと思います。

今回選ぶ参議院議員は、6年間も、税金から報酬を受け、法案、予算、条約等々の是非に対する意思表示を行う人間です。辞任しない限り、6年間もそのような重責を担うわけです

思考停止せず、自分の意思で考えて、投票行動を起こすこと(選挙に行かないことも含めて)が、権利であり、公務であるという性格の選挙権の行使として、憲法が国民に期待することなのかもしれません。

さて、図書の紹介ですが、改憲を主張する、立法者を目指す候補者の方には、ぜひとも、高橋先生などのスタンダードな憲法の基本書で、基本的知識を入れ、憲法解釈がなんたるかを考えてほしいものです。

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06/21/2010

新司法試験の実施方法の変更と法曹教育問題

法曹関連の話題を取り上げます。

新司法試験の実施方法についての意見公募手続きがなされています。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=300020007&Mode=0

結論から言えば、従来からの民事系の融合問題を廃止しようというものです。

それが良いのか悪いのかは議論があるところですが、新司法試験の融合問題の関係では、試験委員の側から、問題作成が大変だという声は出ていました。

ただ、そもそも新司法試験にして、融合問題を作るという趣旨は、実務上の問題を意識した実践的な法律の総合的理解を見る点にあったはずです。

従来の司法試験が予備校の論証パターンの吐き捨て状態になっているので、プロセス重視の法曹教育をしようということで、ロースクール制度が誕生し、新司法試験も、プロセス教育を受けた、総合的な法的考察力を見るという趣旨の試験に変わったはずです。

問題形式の変更の前に、その趣旨が変わるのか、変わるのであれば、司法制度改革は成功したのかどうか、失敗しているとすれば何が問題だったのかという総括をすべきではないでしょうか。

にもかかわらず、こうした任意の意見公募手続きによって、制度の根幹の1つを国民の知らないうちに(無関心であることに乗じて)変えていくのはどうかなと思います。

仮に、試験委員の都合や一部の既得権益者の都合で、制度を変えて、ロースクール制度の新たな法曹教育体制が骨抜きになったりするとすれば、本末転倒です。

おそらく、既存の予備校にとっては、民法、民訴法、会社法の融合問題を作ることは不可能でしたから、予備校ビジネスにとっては、この変更は嬉しい限りでしょう。

もっとも、予備校では、融合問題がなくなり、個々の法律ごとの事例問題に変わったとしても、司法試験で出てくるような良質の事例問題に対応できる問題作成能力は無いと思いますが・・・。

既にイメージ図ができているのですから、融合問題を廃止しようという路線は、動かすつもりはなく、意見公募手続きで都合の良い意見があったことを変更の正当化事由にしようという官僚の意図でしょう。

ただ一定の総括もなく、そういった小手先のことをもうすべきではないと思います。

実際、司法試験の実施方法に関心のある人は司法関係者しかいません。

都合の良い意見で、意見公募手続きを終わらせることは容易です。その都合の良い意見のみで、民主的過程を経たという正当化の根拠を作ることができるわけです。

法務大臣があの方ですから期待はできませんが、しっかりと、司法制度改革の趣旨・目的に立ち返って、今後の法曹教育の在り方を議論しなければ、国民に不利益が来るでしょう。

現に、司法アクセスは、未だ一般国民には障害だらけです。

一部の既得権益のために、本質的な改革が骨抜きにならないように、国民は不断の監視の努力をしなければなりません。

民主党が選挙やイメージ戦略ばかりにうつつを抜かし、自民党などが形式的な批判ばかりしている一方で、重要な問題が骨抜きになったり、国民の司法アクセスという観点が欠如した法曹の既得権益保持への後退ということにならないことを願います。

問題形式の変更に過ぎませんが、重大な変更の1つです。この試験方法のあり方が、きちんと議論・総括され、司法制度改革の流れを止めたと後に評されるような象徴的な出来事にならないことを祈るばかりです。

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06/20/2010

低俗なCMを垂れ流すのは誰?

ワールドカップのオランダ戦を見てて、この記事を思い出したので一言。

結論から言うと、こんなくだらない事にいちいち目くじら立てる民放のテレビ局は、本当に器が小さいですね。

<NHK>南アW杯で配慮欠く発言、謝罪

6月19日0時5分配信 毎日新聞

NHKは、サッカー・ワールドカップ日本戦中継を告知する際、配慮に欠いた発言があったとして18日、放送の中で謝罪した。

 NHKによると、17日の韓国-アルゼンチン戦の放送中、NHKアナウンサーが19日の日本戦の中継について告知する際「BS1でたっぷり放送、コマーシャルありませんからね」と発言したという。これについてNHKと協力して中継を担当している日本民間放送連盟から指摘があり、18日のドイツ-セルビア戦の放送後、謝罪した。NHK広報部は「改めてNHKの公共性と民間放送の商業性を互いに尊重し、協力して中継を盛り上げていきたい」と話した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100619-00000001-mai-soci

民放各局も、コマーシャルが視聴者にとって目障りだと思われていると感じるなら、コマーシャルがあっても視聴者がその番組を選ぶような番組作りをすれば良いのではないでしょうか。

スポーツ中継では、コマーシャルは邪魔以外の何物でもないでしょうから、コマーシャルを集中的にハーフタイムに流すなどしてスポンサーの了解を得れば良いのではないでしょうか。

また、「コマーシャルを入れないのは、スポンサー企業が視聴者の皆さんにゲームを楽しんでほしいからです」というメッセージを入れるような、民放の状況を逆手にとって、スポンサー企業のイメージを向上させる形でのCMもできると思います。

結局、色々民放が、視聴者の民放離れを止めるために試行錯誤すればいいだけの話です。

多くの視聴者がコマーシャルを目障りと感じるのは、某PR会社任せの、下らない、レベルの低い、うるさい、見苦しい、知性のかけらもないテレビコマーシャルが溢れかえっているからです。

また、今日のオランダ戦でも、民放の中継では、スタジオに集まっている人々にニッポンコールをさせたり、どうも過剰な演出が目につきます。

純粋に試合だけを見たい視聴者にとっては、ああいう熱狂状況を人工的に作る姿は、逆に白けさせられるのではないでしょうか。

サッカー中継だけではないのですが、スポーツ中継で、解説者があまりにも冷静さを失った解説が多いのも私は好きではありません(フィギアスケートの八木沼さんと、名前が解らないのですが、柔道の女性の解説者の2人は、常に冷静で、解説者の鏡だと思います。)。

特に、高齢者からは、サッカー中継に限らず、民放を見ているとCMがうるさすぎて、頭が痛くなるのでNHKしか見ないという声も良く耳にします。

高齢化社会や時代の変化に対応できずに、下らない低俗なコマーシャルや過剰な演出を溢れかえらせている民放は、NHKのアナウンサーのジョークで済むような発言に目くじらを立てる前に、自分たちの視聴者からかけ離れた独自の社会通念を反省してほしいものです。

NHKも謝罪までする必要あるのでしょうか。

こんなくだらないことで謝罪するくらいなら、官房機密費から番記者が金銭や便宜供与を時の政権から受けてこなかったのかくらい調べてほしいものです。

日本の放送業界は本当に異常です。

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最近、メールなどで、「既存のメディア批判をするのは、このブログを配信しているライブドアニュースから報酬をもらっているからでは?」という趣旨のメッセージを受けることがありますが、残念ながら、配信されても、一切報酬はもらえません。

ライブドア社がブログに奨学金を出すそうですが、ブロゴスへの配信には一切奨学金はないはずです。少なくとも、私はもらってません。

現に、ブログを毎日更新できないのは片手間にやっているからです。

したがって、既存のメディア批判は、単に私がおかしいと感じるからするだけの話です。

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06/19/2010

不倫は相手方配偶者に対する不法行為

ゴシップ記事ですが、折角ですから、法的観点から取り上げたいと思います。

相手に妻がいることを知りながら、不倫をした女性が、自分が被害者だという類いの主張を見ることがあると思います。この記事もそうした観点からの主張があるようにも思います。

しかし、相手に配偶者がいることを知りながら不倫関係に及んだ場合は、不倫をされた配偶者との関係では、故意に、「婚姻共同生活の平和の維持という利益」(身分権としての一種の人格権と通説は説明)を侵害していますから、民事上、不法行為責任が生じる完全な加害者です。

もっとも、相手に配偶者がいることを知らずに不倫関係を持った場合は、不法行為の故意・過失の要件を欠くので、不法行為の加害者にはならないのが一般的です。

本件の場合、どうでしょうか。

あくまで、記事に表れている情報から考えてみましょう。

記事中には、「離婚調停中という言葉を信じた」というのがあります。

そこで、①既に婚姻関係は破綻していたという反論や、②言葉を信じたので、平穏な婚姻関係の侵害につき、故意・過失の要件を欠き、不法行為責任は生じないのではないかという反論の余地は法的にはありえるでしょう。

しかしながら、①は本件記事の事情からはそのような事実があったとは判断できませんから、ここでは検討しません。

もっとも、本件とは離れ、一般論としては、客観的に婚姻関係の破綻が存在すれば、被侵害利益である「婚姻共同生活の平和の維持」という法律上保護すべき利益が存在しないので、不法行為責任は成立しないと考えるのが判例です。

では、②の反論はどうでしょうか。

相手の言葉を信じただけで、過失が否定されるという主張は、よっぽど相当の理由がない限り難しいでしょう。

記事によると、本件では、4年間にも不倫関係が及んでいたといわれています。相手の言葉を信じていたと主張しても、自身の不倫行為が婚姻関係の破綻を招くという結果に対し予見可能性があり、その結果回避義務が認められると思われますから、過失が肯定されるように思います。

民法では常識ですが、まだ一般社会では不倫に対する認識が甘いように思います。

よく、「不倫する男が悪い」とか、「不倫と知りつつ、関係を続けておきながら、私は被害者です」などという主張を見かけますが、不貞行為だと解って、それを行う方も同様に悪いのです。

不倫というのは、相手方配偶者との関係で、不法行為を構成するということは、十分理解しておく必要があるでしょう。

法律を学んでいなくても、常識として、不倫をすれば民事上の不法行為の加害者になるという意識は常に持っていてほしいものです。

以下の本は法律の基礎的な思考を学ぶのにお勧めです。

特に、不倫しておきながら自分は被害者だというような思考をされる方には、この本を読んで、法的思考の基礎知識を付けてもらいたいです。

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06/18/2010

責任を果たさないが批判はする

マスコミの記事というのは本当に主観的な価値判断先行の記事が多い。

にもかかわらず、公平報道や中立報道を自称しているあたりがなんとも悪質で根深い問題があると感じることが多い。

また、最近特に顕著なのが、「批判のための報道」という印象が強くなっていることである。

「とにかく、叩けば良い」といったメディアの風潮は、低俗なパパラッチメディアとでも言うべきだろうか。ネタに群がるハイエナ状態である。

この記事もその一例に感じた。

更生計画認可後に賞与=日航グループ会社、銀行反発も
6月17日3時0分配信 時事通信

 会社更生手続き中の日本航空で、2010年度のボーナスについて、一部のグループ会社が、今秋を見込む更生計画認可後に夏冬分の一括支給を検討していることが16日、明らかになった。日航本体は夏冬賞与をはじめ各種手当の支給見送りを決めており、ちぐはぐな対応が露呈した形。リストラ徹底を求める主力取引銀行の反発を招く可能性がある。
 賞与の夏冬一括支給を検討しているのはJALグランドサービス(本社東京)。新千歳、成田、羽田、伊丹、関西、福岡の各空港で手荷物や貨物の取り扱い、航空機の誘導を担っている。
 関係者によると11日の労使協議で、経営側が今夏の賞与支給を見送る見返りとして「更生計画が認可された場合、夏冬まとめて今年度末までに支給する」と説明。労組側が企業再生支援機構や銀行など利害関係者の理解が得られているか質問したところ、経営側は「直接確認していないが、努力している」と答えたという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100617-00000015-jij-bus_all

おそらく、「公的資金導入するのに、ボーナスとはなんていうことだ!」という価値観があることがハッキリ見えてとれる記事なのだが、私が引っ掛かるのは、上記赤字部分。

日本航空の親会社と子会社の対応が違うことを「ちぐはぐな対応が露呈」とさもグループ全体の問題のように扱って、イメージを低下させているように思えてならない。

この子会社のボーナス支給を問題にすることは、一つありうる批判で、それ自体に問題は無いし、良いと思う。

しかし、批判のあり方として、グループ全体でちぐはぐでおかしいというのは、会社の意思決定というものの性質上、どうも腑に落ちない批判に感じる。

親会社と子会社は、別会社なのであるから、その意思決定に違いがあるのは当然である。

会社法上、親会社の対応に直ちに子会社が従わなければならないという規定はない。

ただ、親会社の場合には、総株式の過半数を有しているので、会社の実質的所有者である株主として、親会社が影響力を行使して、意思統一が図られるに過ぎない。

つまり、親会社がAと決定したから、直にすべてのグループ会社がAと決定するという仕組みに会社法はなっていないということである。

にもかかわらず、賞与の支給という個別労働事案に対する対応が違うだけで、ここまで、「ちぐはぐだ!」と大げさに表現し、グループ全体を批判することの価値があるのだろうか。

「仮に公的資金を導入しているのに、賞与とはなんだ!」と言いたいのであれば、この子会社1つの対応を批判すれば足るのではないだろうか。

公的資金導入で話題となったからといって、「叩ける事情があればとにかく叩け」というマスコミの姿勢は、どうも醜悪に感じてならない。

自分たちの番記者が政治家に官房機密費等々で買収されていたのではないかという嫌疑には応えようとせず、自ら大好きな”説明責任”は果たす気配すらないのに、他は、重箱の隅をつつくように、とことん叩く。

本当に下らないし低俗である。これでジャーナリズムと標榜するのであるから、どうにも筋が通らない。

マスメディアには、国民の知る権利に奉仕するとして、報道の自由が憲法上保障されているのである。

だとすれば、メディアの社会的意義は大きい。自らの廉潔性は自らでしっかり確保してほしいものである。

これでは、自らのでたらめな政治に反省せずに、批判だけして、民主党への批判票の受け皿になれない不甲斐ない自民党の政治家と一緒である。

既存の大手メディアに、政治家や他の企業を批判する資格は本当にあるのだろうか。

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06/09/2010

菅直人内閣の顔ぶれと支持率上昇から見える『動物農場』

菅直人新内閣が成立したので、その人事について私の感じた印象と今の日本社会に対する危惧を述べておこうと思います。

1.党内人事にみる印象

一言で言えば、今回の人事は、「自民党時代に横行していた論功行賞人事をベースに選挙目当ての印象操作をしてみました」という印象です。今までの自民党(小泉時代も含め)がやってきた人事とほとんど変わらないということです。

特に、論功行賞については、枝野幹事長や安住選対委員長という人事はこれを如実に表しています。

彼らがなぜその職に就くのが適当なのか、どういう能力があってその職に最適なのかという点が見えてこず、単に、「脱小沢、反小沢」をスローガンにしたマスコミが煽る稚拙な"世論"向けの空虚なパフォーマンスに見えてしまいます。

早速、安住氏は、複数擁立を見直すといっていますが、選挙に勝てないから、一度公認した候補者を見直すというのは、大義名分の無い、政党のエゴだとしか思えません。

候補者に問題があるのであれば格別、そうでないにもかかわらず、選挙のために公認を仮に取り消したりするとするのは、菅新体制はスタートから従来の自民党と同じ、選挙目当てのエゴ政治を継承しているとの印象を隠しきれません。

とくに、安住選対委員長に関しては、阪口弁護士が以前ブログで指摘されていましたが、政治をクリーンにということではなく、自分の懐事情を優先し、企業献金禁止に消極的な動きを見せた人物です。

こういう人物が、脱小沢のパフォーマンス後に就任する選挙の最高責任者になるのですから、およそ、「クリーンな民主党」になったと現段階でいえるのかは疑問です。

安住氏は、小沢氏の政治倫理審査会への出席を促しています。

小沢一郎という政治家の話題がこれだけ注目の的となり、日本全国の話題になっているのですから、、刑事責任は白ですが、政治家として、国民に説得力を発揮して、語りかけることは、説得力のあるリーダーシップとして歓迎すべきです。

そして、その時は、我々、国民も色眼鏡を捨て去って、小沢一郎の発する説明に耳を傾けるべきでしょう。

もっとも、私は、小沢氏に俗にメディアが騒ぐような説明責任があるとは思いません。

実力のある政治家のリーダシップの発揮の仕方として、政治倫理審査会の場で主張するという方法は、自発的にやるとすれば、歓迎すべき方法だと思っています。

いずれにしても、安住氏の政治倫理審査会に関する発言は、あくまで選挙事情との関係で出ていることです。

企業献金の禁止などやるべきことをやらずに、小沢悪と決め付けそれからの脱却を言葉だけで演出する。今までこうした政治家のパフォーマンスに有権者はどれだけ騙されてきたのでしょうか。

また、枝野幹事長は、「今日を機に、いわゆる企業・団体献金は個人としては一切受け取らない」と述べたそうですが、これだけでは、何の意味もない発言です。個人として受け取らなくたって、他人を介して、所属するグループとしての活動費を得ていたり、政党が企業団体献金を受けていれば、同じことです。

ぜひ、枝野幹事長には、政権政党として、企業・団体献金を本気でやる気があるのかは、言葉よりも行動で示してもらいましょう

そして、メディアも有権者も、そろそろ言葉だけの空虚な政治家か、実行する政治家かを見極めようではありませんか。

政治とカネの問題の第一人者である、阪口先生も6月8日付のブログ記事で指摘されていますが、政治とカネの問題を本気で解決する姿勢があるなら、それは、小沢一郎という政治家一人の問題にするのは間違いです

政権政党として、①官房機密費の透明化、②企業献金の禁止という2つの問題にケリを付けて初めて、この問題に一定の道筋ができるのではないでしょうか。

民主党の顔が新しくなったからと淡い期待を無批判に継続するのは、問題の本質を見抜いていない愚かな行為だと私は思います(もちろん、私も期待はしています。しかし、成果も何もない段階で、無批判に支持するとは現段階では言えません)。

2.閣僚人事に見る印象

次に、閣僚人事に言及しますと、鳩山内閣辞任の引き金となった普天間問題を本当に反省しているのであれば、責任者であった、岡田氏、北沢氏、前原氏の3大臣は少なくとも、同じポストでの入閣はすべきではなかったのではないでしょうか。

本来、普天間の問題は、担当大臣も含めて責任が問われるべきです

それぞれの大臣が内閣の統一した意思を形成せずに好き勝手な発言をしたことが鳩山政権崩壊のきっかけを作ったはずです。

しかし、その責任論は、鳩山由紀夫氏、小沢一郎氏の辞任であたかも解決しているようにメディアは報じ、幼稚な民意はそれを受け入れ、政党支持率がV字回復という顛末です

もっとも、岡田氏は、機密文書問題などで積極的に功績を挙げた面がありますから、再入閣自体は良いとしても、本当に外務大臣としての責任はないのかという点を明らかにしなければ、鳩山前首相が辞任し、政権がたらいまわしになったことへの理解はできません。

また、菅直人氏は仮にも副総理であった人物です。普天間の問題に対する鳩山政権の責任をどう捉えて、どう沖縄の失意に応えるのか、人事を見る限り、全く見えてきません。

さらに、法務大臣の再任にも私は深い不満を持っております。千葉大臣は、何一つ改革をしていません。成果も何も上げていません。法務省は司法改革という重大な問題に直面しています。

取り調べの可視化の問題、法曹人口の問題、法科大学院の問題、検察審査会のあり方、法曹一元化の問題、刑事事件報道を巡るメディアの問題等々です。

しかし、これらの問題に対し、千葉大臣が指導力を発揮している姿を見たことがありません。非常に不適切な再任だと思います。

赤松農水大臣は交代しました。しかし、鳩山民主党政権は、口蹄疫の対応に対し、問題は無いとの立場を主張してきました。

では、なぜ辞めるのでしょうか。選挙目当てに批判をかわす目的でしょうか。

責任の取り方は辞めるだけではないはずです。

政治家として、政府として、政党として、問題が無いと主張した以上、最後までしっかり責任を果たすべきです。私は、刑事責任などの問題で辞任する以外の場面では、自分の責任を果たしてから辞任すべきだと思います。

批判を受けるから辞める、直ぐに退陣を迫るという未熟な責任論から日本はそろそろ脱皮すべきではないでしょうか

3.今の日本は動物農場

ほとんど全てのメディアが、菅新内閣の人事の総評として、「反小沢色が強い」だとか、「サラリーマンの家庭出身」だからとか、「平均年齢が1歳若返った」とか、下らない批評ばかりしており、それが目につきます。

しかし、これらにより、我々に何の恩恵があるのでしょうか。

反小沢色が強かったり、サラリーマンの家庭出身の政治家だったり、平均年齢が1歳若返れば、鳩山内閣が抱えていた問題を解決できるのでしょうか。

反小沢か脱小沢か知りませんが、私には、鳩山由紀夫と小沢一郎という政治家が抜けただけで、何が変わったのか全くわかりません。

先日の記事、「日本の2010年は『1984年』」でも述べたことですが、表紙を変えるというちっぽけなことで内閣支持率や政党支持率が跳ね上がるのですから、日本の有権者は為政者にとっては非常に都合のよい存在だと思います。

私が為政者なら、このような結果は大喜びでしょう。我が国に健全な民主主義は未だ存在しません。

存在するのは、「魂を売り渡したとの疑惑説明責任を果たそうとしないマスメディア」、それを巧みに利用する政治家、そして、マスメディアに踊らされる有権者という衆愚政治です。

かつて、小泉純一郎氏がヒーロー役を務める「小泉劇場」というものがありましたが、今の政治はさながら、小沢一郎という悪役が務める「小沢劇場」かもしれません。

スーパーマンなどいわゆる正義の味方的なヒーローものに飽きた国民が、ダースベーダーが重要な役割を演じるスターウォーズに熱狂しているといったようなものでしょうか。

もちろん、今我々がマスメディアにより、見させられている政治劇は、スターウォーズシリーズほど洗練されたシナリオに基づくものでは全くありませんが・・・。

古代ローマの詩人、ユウェナリスは「パンと見世物(サーカス)」という言葉を残しました。

今の日本国民は、小泉劇場への熱狂への反省も無く、小沢劇場という陳腐な見世物に熱狂し、菅民主党政権に疑うことなく、熱狂しているように見えて仕方ありません

さながら、有権者との関係では、「『子ども手当』と『脱・反小沢』」、テレビ、新聞等の大手マスコミ・評論家との関係では、「『官房機密費からの毒まんじゅう』と『政局』」というところでしょう。

こうした日本の現状を見ていると、イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが描いた『動物農場』の世界がダブって仕方ありません。もちろん、この作品はソ連をモチーフにした(共産主義への批判)といわれています。

しかし、今の日本の現状は同じ問題を抱えているのではないでしょうか。

『動物農場』の本質にあるのは、無批判に権力者を信じて、衆愚に陥ることの怖さだと私は思います。そして、問題点をいち早く見抜いていたロバのベンジャミンが黙ってしまったことにも、不幸な結果に拍車をかけたと解釈しています。

今、我々の目の前には、各社が連日報じる緊急世論調査で、一瞬にして、民主党政権の支持率が回復しているという事実が存在します。

しかし、民主党政権がこの数日の間に何をしたでしょうか。

権力者が変わっただけで、普天間の問題を解決したわけでもなければ、企業・団体献金禁止法案を成立させたわけでも、官房機密費の透明化を実現したわけでもありません。

にもかかわらず、権力者の顔が変わっただけで、それを無批判に喜ぶ有権者の姿は、オーウェルの描いた『動物農場』の世界で、無批判に豚のナポレオンを支持した動物たちに見えて仕方ありません

同時に、この状況を考えると、ミュージカル、「エビータ(Evita)」の冒頭で、チェ・ゲバラ役がエビータの死に嘆き悲しむ民衆の軽薄な姿をこけおろす歌、「Oh What A Circus」という歌が頭の中に流れてきます。

もちろん、この現状におかしいと感じている人も多いと思います。ツイッターでのやり取りや日々の日常生活からもそういう声は聞こえてきます。

その人々は、おそらく、このまま、民主党に期待をして良いのかと迷っているはずです。

その迷いを私は大事にしてほしいです。そして、その迷いをきちんとメディアや熱狂している人々にぶつけるべきだと思います。ロバは黙って静観しましたが、我々は黙ってはいけません

時間は限られていますが、私たち有権者が、本当に、民主党政権に期待を続けて良いのかを選挙までの民主党の"言葉"ではなく"行動"で判断しようではありませんか。

新政権に対する審判のためのテストの一つが、先日お伝えした、阪口弁護士の官房機密費について問うた仙谷官房長官への手紙に対する政権の対応です。

しかし、残念ながら、その問題に対する意気込みを示すべき、最初のチャンスを菅総理は活かすことができなかったと思います。

ほとんどのメディアは報じていないようですが、就任会見の最後の質問で、「官房機密費の使途の透明性の問題、官房機密費により政府によってメディアが買収されているという疑惑に対する政権の対応」という問いがなされたようです。

これに対し、菅総理は、官房機密費と外交機密費・諜報活動の問題を混同し、問いの意図から外れ、のらりくらりと答えるのみ(リンク先の映像における36分11秒以降の部分)で、会見前半に見せた意気込みとは全く違う様相を見せていました。

仮に、菅新総理の回答が、試験であれば、出題意図から外れており、0点といわざるを得ません。

今まさに国民の関心事項となっており、鳩山政権との違いをアピールしなければならない問題に対する回答としてはあまりにお粗末な回答ではないでしょうか。

これを見る限り、菅直人という人物が、政治とカネの問題に、メスを入れる心づもりがあるのか、疑わしさを感じずにはいられません。

この問題に対する対応を含め、菅内閣の行動を選挙まで注視して、民主党やメディアが演出した小沢劇場に乗せられず、冷静に判断していきましょう。

空虚な「批判」ではなく、民主党に厳しい「注文」を付けていきましょう。

そして、本来、注目されるべき最大野党の自民党議員に対し、私は声を大にして、以下のメッセージを送りたい。

自民党議員よ。一体、君たちはこの8ヶ月の間、何をしていたのか。

空虚な批判に専念せずに自浄作用を発揮していれば、今頃、二大政党の芽が日本に発芽しただろうに・・・

二階問題に対して、自民党は、徹底追及をして自浄作用を発揮したのか?

なぜ、君たちは、政治とカネだと民主党を批判する前に、河村官房長官の官房機密費の問題について、自浄作用を発揮して、公表しようと努力しないのか?

本当に情けない。君たちの罪は大きい。

自分たちが抱える問題にまずケリを付けて、初めて、批判する資格が与えられるということを肝に銘じなさい。

さて、今日、記事中で紹介した『動物農場』というのは、先日紹介した『1984年』の作者、ジョージ・オーウェルの別作品です。

これは、今のワイドショー的政治劇に踊らされる有権者にはぜひ見てもらいたいと思う作品です。

『動物農場』は『1984年』に並ぶオーウェルの代表的作で、人間が繰り返す衆愚政治のあり様を動物を通じて訴えている作品で、教育的な観点からも私は政治や社会を学ぶという点ですばらしい作品だと思っています。

左が小説で、右がそれを原作にした三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー提供の作品です。

宮崎駿氏のジブリがこの映画を日本で解禁させたのは2008年12月です。宮崎駿氏はこの作品を日本で公開する意味について、以下のように述べています。

 自分が善意であるからといって、自分が善良な存在だとは思ってはいけない。とくべつお金を稼いでいるとか、楽をしているわけじゃないから、自分は無罪だ、とは思ってはいけないんです。しくみのなかでは、自分だってナポレオンなんです。そのしくみの問題はいっぺんには解決できないですけど、だからといって、手をこまねいて、無関心でいられること自体、すでにそれはナポレオンなんだってことなんです。個人的なことだけじゃなくて、社会における位置とか役割によって、自分の存在の本質には、いつも気づいていなくちゃいけません。

 半世紀以上も前につくられた「動物農場」をいま公開する意味は、ここにあるんです。社会にはしくみがあるということ。複雑になってはいるけど、でも根源には、労働者がいて収奪者がいるという、そのしくみは変わってないんです。それを知るうえでは、この「動物農場」には意味があると思います。小林多喜二の『蟹工船』と同じように。蟹工船というのは、ひとつの隔絶した世界だから、国家の意味とか社会のしくみということを図式的に描きやすいし、「動物農場」も、世界の縮図として、寓話として描かれているわけですよね。

この動物農場は、ソ連をモデルにした批判作品ですが、これは私たちの住んでいる日本の社会、政治状況にも考えようによっては当てはまるように思えます。ぜひ、自分で今の日本と当てはめたりして、考えながらこの作品を見てもらいたいと思います。

なお、ジョージ・オーウェルの『1984年』ですが、映画化されています。こちらも是非見てみると良いかもしれません。

以下は、原作です。左は和書の最新版で、右が洋書版となっています。

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06/06/2010

阪口弁護士が提起した菅直人新内閣に対する試験

先ほど、ツイッターでもつぶやきましたが、重要な活動であり、是非とも多くの方に知ってもらいたいと感じたため、ブログにも書きます。

このブログの読者の皆さんは、弁護士の阪口徳雄先生が、「政治とカネ」、「刑事報道に対するメディアの問題」を公平な観点から徹底的に追及されていることを御存知かもしれません。

その阪口先生が、仙谷新官房長官に手紙を出したそうです。その内容も御自身のブログで昨日20時40分頃に更新されていました。

昨日のブログ記事「日本の2010年は『1984年』」の中で、私は、有権者の一人として、多くの読者のみなさんに対し、鳩山首相、小沢幹事長が辞任したというだけで、本当にこのまま有権者として、期待を継続して良いのかということを問いました。

この阪口先生の仙谷新内閣官房長官に対する手紙への新政権の対応如何は、民主党にこのまま期待すべきかを判断する一つのテストになると思います。

ぜひ阪口先生の手紙を読んで、これに対する新政権の対応に注視してください。

仙谷新内閣官房長官への手紙(官房機密費29)

http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/61648708.html

なお、昨日の記事の中に出てきた、ジョージ・オーウェルの『1984年』ですが、読んだことが無い人のために本日も紹介しておきます。ぜひ、図書館などで借りるなどして、読んでほしいです。

左は和書の最新版で、右が洋書版となっています。

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06/05/2010

日本の2010年は『1984年』

連日、鳩山総理の退陣とポスト鳩山の報道について触れてきた。

しかし、今後かなり忙しくなるので、このような定期的な記事の投稿が困難になりそうである。

そこで、今日は、参議院選挙を控えた、今の日本社会に対して、私が今一番訴えたいことを記事にしようと思う。

1.民主支持回復にみるビッグ・ブラザーの支配

鳩山首相の辞任後に出た各マスメディアが出した世論調査には驚くと同時に、日本の無責任な"世論"には、絶望に近い感覚を得た。

読売新聞の伝えるところによると、"世論"は、民主党支持が20%から29%に上ったという。

民主支持回復29%、辞任評価69%…読売世論調査

 読売新聞社は、鳩山首相が退陣を表明した2日から3日にかけて、緊急全国世論調査(電話方式)を実施した。

 民主党の支持率は29%で、前回調査(5月29~30日)の20%から9ポイント上昇し、自民党は18%(前回20%)だった。

 今年夏の参院比例選投票先でも民主は25%(同14%)に回復し、自民18%(同19%)を上回った。鳩山首相と民主党の小沢幹事長がそろって辞任することを「評価する」と答えた人は69%に上った。

 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題の混乱や「政治とカネ」で、首相と小沢幹事長が責任を取る形となったことで、民主への支持が戻った格好だ。ただ、民主党の支持率は、下落傾向にあった3月当時(31%)の水準にとどまり、昨年9月の鳩山内閣発足直後に記録した51%には及んでいない。

 首相と小沢幹事長の辞任について個別に聞くと、首相の辞任を「当然だ」と思う人は66%、小沢幹事長の辞任には「当然だ」が87%を占めた。民主支持層に限ってみると、首相の辞任には51%、小沢幹事長の辞任には79%が「当然だ」と答え、2人そろっての辞任を「評価する」は69%だった。

 民主が参院選の結果、参院でも過半数の議席を獲得する方がよいと思う人は40%、「そうは思わない」は48%だった。「獲得する方がよい」は、同じ質問をした今年3月以降で最高の33%(3月)を上回った。鳩山内閣の8か月半の実績については「評価しない」54%が「評価する」37%より多かった。

(2010年6月3日23時39分  読売新聞)

率直な感想として、これほど無責任な世論には本当に驚いた。

メディアやメディアが伝えるところの"世論"は、「次々に首相が変わるのは良くない」、「選挙目当てに表紙を変えただけだ」と批判している一方で、結局、表紙のすげ替えにより民主党が利する結果を与えてしまっている。

政権交代という歴史的な事実を作った民意は、8ヶ月と持たない政権を作った民主党という政党に自らが投票したことへの反省は考えないのであろうか。

無責任であること甚だしい。

私、個人、前回の選挙では、民主党候補と、民主党に投票した。

結果、鳩山政権が普天間の問題で、結局、辺野古案になった時、私は、鳩山民主党政権の十分な努力が見えてこず、このような期待だけさせて裏切る行為に対して、憤りを感じると同時に、自分が投票した政党の政権が下した、「裏切り」という結論に対して、真摯に自分の判断が正しかったのか自問自答をしたし、今も続けている

しかしながら、メディアの伝える"世論"は、フラフラしていた鳩山由紀夫という顔さえ変われば、小沢一郎という"悪そうに見える"政治家さえ変われば、満足らしい

仮に政治とカネが問題だというのであれば、鳩山政権を選んだ民主党議員"全員"の責任は問わないのだろうか

なぜ、鳩山由紀夫と首班指名で投票した民主党議員は、何気ない顔で、マスコミに出て評論家面しているのか。

なぜ、マスコミはそれを許しているのか。

普天間の問題で、統率力が無く、好き勝手なことばかり言っていた政権内部の人間たち(民主党議員を中心とした与党議員)の無責任な姿勢は問わないのだろうか

県外と言いながら、自分の地元に移転しても良いというような発言も、交渉もしない多くの与党議員たちの責任は問わないのだろうか。

これほど未熟な"世論"しか我が国には存在しないのだろうか。

仮に、メディアの報じる"世論"が正確に有権者の意思を反映しているとすれば、日本には将来は無いだろう。こんな"世論"しか構築できないのであれば、およそ成熟した民主主義国家なんて作りえない。

こうした無責任な世論、ひいては有権者の無責任が、政治的混乱を作っていることには、上記のような世論を構築している人々は、一生気がつかないだろう。

こうした事態に対する報道機関の責任は重い。

記者クラブ制度の下、画一的、均一的、同質的な報道しかしない茶番なマスメディアは、まさに、イギリスの作家、ジョージ・オーウェル(George Orwell)が、1949年に出版した作品、「1984年」の中で懸念したあさましい思想統一を着実にこの日本という国で実行しているといっても過言ではない

例えば、オーウェルが描いた「1984年」の世界の権力者、ビッグ・ブラザーが行った「二分間の憎悪(Two Minutes Hate)」は、まさしく、まだ司法判断すら出ておらず、一応の検察の判断は白だったにもかかわらず、既存のマスコミが行った「疑わしい小沢一郎は黒である」という報道と大して変わらないのではないだろうか

さらに、オーウェルの同作品の中に、絶対的権力者、ビッグ・ブラザーと彼が統率する党は、「戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である。(War is Peace, Freedom is Slavery, and Ignorance is Strength.)」 というスローガンで、国民を洗脳している。

我が国のメディア報道を見れば、以下のように置き換えられないだろうか。

「政治とカネの疑惑がある小沢一郎がいなくなれば新しい政治になる。日本の安全にはアメリカ軍への従属が不可欠である。マスコミが報じるのは真実である。」

どれも何の根拠も立証されていない不合理なスローガンである。小沢一郎の問題においては、刑事責任は未だ問える状況にはない。検察は不起訴と再度判断しており、不起訴という事実のみが存在するにすぎず、なんの有罪の立証もない段階で、多くの国民が、小沢は黒と思い込んでいる(思い込まされているのかもしれが、結局は同じことだろう)。

こうして考えてみると、なんとも、オーウェルが描いた世界に、私の住んでいる世界が向かっているように思えてならない。

もっとも、オーウェルの描いた『1984年』の世界のように、全くの監視社会に陥り、希望が無い社会というわけではない。

フリージャーナリストの神保哲生氏岩上安身氏高野孟氏などの方々が一生懸命、政府記者会見の解放を訴え、多角的な価値や情報を提供しようと努力しているのは、インターネットで彼らが配信する情報から伝わってくる。

また、既存のメディアの中にも良識ある、組織の論理に染まっていない記者の方もいて(そう信じたい)、この現状を苦々しく思いながら、現状を変えられないかと日々葛藤している人もいるだろう。

しかし、既存の大手メディアが報じる均一的・同質的な情報以外の情報に聞く耳を持っている有権者はどれだけいるだろうか。かかる情報を知っている有権者はどれだけいるだろうか。

発信者の努力は、真摯に摂取する受け手がいてはじめて実を結ぶ。しかし、残念ながら、上記の"世論"が正しい日本の現状を反映しているとすれば、こうした受け手は一握りしかいない少数者でしかないと思わざるを得ない。

私たちの目の前の現実には、ジョージ・オーウェルが、前述の作品で描いたビッグ・ブラザーによる言論、思想の統制が、多くの国民が知らないうちに、事実上行われており、じわじわと、着実に進んでいるように思えて仕方ない

マスコミの報道が偏向報道であっても、それに踊らされる有権者が最終的、究極的には悪いという自覚がないのは何とも情けないではないか。

2.日本を『1984年』の世界にしてしまわないために

もちろん、良識ある方々は、こうした現状に気が付いており、「そうは言っても、民主党に対する批判の受け皿が無い」と嘆くだろう。

その通りである。社民党は、民主党以上に無責任に政権離脱をした。彼らが本気で鳩山政権の県外を実行すべく責任ある努力した形跡は、私の知る限り見られない。共産党だって同じである。彼らの主張に耳を傾けても、無責任な主張のオンパレードにしか見えない。

自民党、公明、その他の政党も、批判だけはするが、その批判はブーメランのごとく彼らの今までの行動に返ってくる。自分たちの過去の言動に対する反省、新しい行動ある批判をしている政党を私は見かけない。結局、薄っぺらい批判をするばかりで、責任ある野党は存在していない。

だからといって、ここで、無批判に、首相が変わったからといって、我々有権者が、民主党に期待を継続して良いのだろうか。

良識、責任のある有権者として、立ち止まって考えるべきである。

選挙の夏までもうすぐ。

今我々に求められるのは、浅はかで上っ面の報道しかしない大手メディアにも懐疑的な姿勢を持ち、彼らが報じない情報にも耳を傾け、各人が有する社会通念に従って、事実を慎重に吟味し、その真偽を慎重に判断することだろう

ただ、菅内閣という新しい政権が出来たのは事実である。

菅新内閣に対して、いわゆるマスコミの報道に従って、イメージだけで、どうのこうのと軽率には判断すべきではない。

まずは、菅直人という新しい内閣総理大臣がどういう意図を持って、組閣し、どういう政策を推し進め、どういう成果を上げるのかを注視したい。

他方で、選挙まで時間が無いとはいえ、直ぐにできることも多くある。

例えば、記者クラブ制度からオープンな記者会見へということなんて1カ月もあればできるはずである。管直人新総理のライバル(?)の亀井静香議員だって、金融庁において、直ぐにやったことである。

岩上安身氏がツイッターでつぶやいているが、誰が8ヶ月の政権在任中にこの問題に真摯に向き合ったのか、我々、有権者は、今こそしっかり記憶しておくべきである。

最高裁がハッキリ判例で示しているように、報道の自由というのは、国民の知る権利に奉仕するために、憲法上保障されているのである。より多くのマスメディアが生の政治家の発する情報を多角的な観点から報じることこそが報道の自由を憲法上の権利として保障する意義である。

取り組むことができたのに、この問題に真摯に取り組んでこなかった鳩山政権の閣僚経験者に、そもそも国民目線で、国民に「説得のリーダーシップ」を発揮しようなんて姿勢は、最初から期待できないと私は思う

だからこそ、誰が真剣に取り組んでいたかという事実は、その閣僚の政治家としての資質を見る上で重要である。

政治家の聞こえの良い言葉だけに耳を傾けて、安易にだまされるのではなく、過去の行動を我々はしっかり記憶しておかなければならない。

じっくり見るべきことはしっかり猶予を与えて、成果の有無をみる必要があるが、審判を下すべき日(参議院選挙の日)は近付いている。

我々有権者は、ビッグ・ブラザーたる既存の新聞、テレビの報道に支配されること無く、広く情報を集め、今できることをすぐに取り組んでいるかということも監視しなければならない。

同時に、以下のような、ビッグ・ブラザーが報じない、彼らに不都合なニュースにも耳を傾けようではないか。

今日の記事の中に出てきた、ジョージ・オーウェルの『1984年』を読んだことが無い人もいるだろう。ぜひ、図書館などで借りるなどして、読んでもらいたい。この本が描く世界観はぜひとも心にとどめて、自分たちの属する社会を見つめなおしてほしい。

左は和書の最新版で、右が洋書版で、この作品は世界中に長年多くの愛好者がいる。

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06/04/2010

ポスト鳩山報道に関する考察

昨日は、ブログ上のカウンターで800人以上、ニフティーの解析にあるカウンターで1,000人以上の訪問者数を記録し、驚いた。

気になったので、ニフティーブログのアクセス解析を見てみたところ、当初はライブドアのBLOGOSでトップ記事になったためかとも思っていたが、BLOGOSからのアクセスは他の方々の記事にまぎれており、さほど多くなかった。

原因は、Yahoo Japanの「みんなの政治」というコーナーの『鳩山政権8ヶ月半を振り返る』という特集ページのトップにブログのリンクが貼られたためだったようである。

ヤフーの特集ページにリンクを貼られるのであれば、何か連絡でもあるのかと思っていたが、何の連絡もなかった。

もちろん、このブログはリンクフリーなので、連絡は無くて構わない。

過去にも、読者のみなさんでリンクを貼りたいという問い合わせが何度かあったが、連絡はしなくても自由に引用して問題はないので、一応言っておこうと思う。

ただ、久しぶりの更新であるにもかかわらず、アクセス数がここまで急増したこと、及び、Yahoo Japanの集客力(閲覧者数)の圧倒的強さには驚いた。

やはり、Yahoo Japanの影響力を見ると、ソフトバンクは情報化社会における白い巨人であるということを痛感する。

1.ポスト鳩山に関する報道

さて、今日もこの話題に一言だけ触れておこうと思う。

どんな憶測、妄想報道が今日一日ながれるのか気になったため、有名な"報道"番組をいくつか各局、冒頭の数分程度録画しておいた。

それを見てみると、ポスト鳩山を何とか飯のタネとしたいというテレビメディアの馬脚がその数分程度の録画に如実に現れていた。

昨日も指摘したが、自分が選んだ鳩山首相という自覚が欠けている自称"黄門"様(時代劇が好きな私は、渡部恒三氏が黄門様と評されるたびに、黄門役を務めてきた東野英治郎さんや西村晃さんを愚弄していると思うので、一日も早くそういう評し方をマスコミには止めてもらいたいのであるが・・・)を始め、浅はかで無責任は発言をメディアで平気に繰り返す民主党議員にはある種の失望感すら感じた(中には、真面目に回答しており浮かれているわけではない議員もいた)。

私が録画で確認した限り、テレビメディアの論調は、1つの例外を除いて(この例外については、この記事の最後に触れる)、おおむね同じであった。

それは、日本テレビ系列の番組でたびたび登場して、すべての政界の動きを把握しているかのように話す、政治部の青山和弘記者に代表されるような、報道局政治部による自慰的な妄想・推測報道である。

なんとか、反小沢VS親小沢の対立代表選挙に見せたいという印象操作丸出しである。民放だけでなく、NHKも一見、品のよさそうなアナウンサーが出ているが、論調はほとんど同じである。

面白いのは、

「~ではないかと思われる」、

「~可能性も十分考えられる」、

「~なのではないかとみられている」、

「~という背景がありそうだ」、

等々の無責任な表現をテレビメディアの記者が多様していること。

証拠の少ない冤罪事件の判決文でさえ使わないような曖昧な表現、事実を伝えるという観点からはおよそ不向きな表現のオンパレードである。

菅直人副総理をめぐっては、「反小沢に近寄っている」、「小沢氏と距離を置いている」などの報道がされているが、それを裏付ける客観的な事情が全く見えてこず、まさに、「キー局の記者はこのように妄想しております」という報道である。

これを真に受けてしまう人もおそらくいるのであろうが、そういった人々はもう少し彼らの表現を注意深く見て、事実の存否の判断をすべく努力してほしい。

2.ポスト鳩山について同じように妄想する

ところで、これだけテレビマスコミが自慰的な妄想・憶測報道を貴重な電波資源を使って垂れ流しており、その妄想報道も、信憑性が無い、およそ論理的な妄想とはいえないものが多い。

そこで、今日は、私も、初めてであるが、事実を指摘することなく、ポスト鳩山について、妄想的考察を独自の視点から試してみようと思う。

もっとも、既存のメディアと同じ視点で妄想していたらこのブログの存在意義は無い。

そこで、今断ったように、独自の観点からの妄想をして、既存のメディアの報道とはちょっと異なる憶測を示してみようと思う。

以下、あくまで、私の妄想なので、真に受けず、エンターテイメント感覚で読んでほしい。

まず、私は、「反小沢VS親小沢」という対立軸で報道され、菅直人財務大臣が小沢幹事長と距離を置いているという構図は、浅はかな思考しかできない大手マスコミがまんまと小沢一郎という政治家の術中にハマったのではないかと妄想する。

私が小沢一郎という政治家の立場であれば、鳩山総理に引導を渡し、自分も責任を取る形を演出して、参議院議員選挙での巻き返しを図るのが、至上命題だと考える。

つまり、自分の影響力を保持するのであれば、どうしても参議院選挙では、民主、国民新、社民の3党合わせて、過半数維持を図り、さすが選挙に精通した人物だと思わせる必要があるためである。

小沢幹事長は今まで自民の支持基盤を破壊し、民主党の支持基盤へと組織票を奪取してきた。その最大の例が郵政票であり、医師会票等々である。組織票は十分固めた。

では、私が小沢一郎の立場なら、民主政権の基盤を固めるために、どういう判断をするだろうか。

それは、不安要因である浮動票、無党派層をどうするかという問題につながる。

つまり、マスメディアに煽られて、マスメディアの誘導に安易に乗ってしまう浮動票保持者が、わざわざ民主党への批判票を投じるために、積極的に投票所に来て、野党に投票されては困ると考えるだろう。

私が小沢一郎氏であれば、もう選挙には行かないという有権者が多数出る場合を想定した組織票固めは十分にやり終えたと判断するだろう。

そして、残された仕事は、過熱する選挙報道が今後ますます強まることが予測される中、鳩山総理の未熟な判断と無責任なメディアが起こした逆風をどうはねのけるかを考えるであろう。この逆風さえ止めることができれば、惨敗することはない。

それを回避する最大の方法は、鳩山に引導を渡し、自分も身を引いて、反小沢を煽るマスメディアの逆手をとって、「次の総理大臣は小沢と距離を置いている」という印象を演出することである。

本当に責任を取って、鳩山総理のいうようなクリーンな政党にしようと思っているのであれば、こんな急速な日程を組まない。しかし、選挙に勝つことを考えるならば、私なら、詰まった日程にすることで、菅直人副総理以外に有力な候補者は出て来られない状況を作るであろう。

一方で、私が小沢一郎の立場なら、一番困るのは、密室的に菅直人を選んだという印象をもたれる報道をメディアが行うことである。

この点、マスメディアは、昨日の段階で、菅直人副総理が小沢一郎幹事長と輿石東参議院議員会長と会えなかったことを殊更取り上げ、「管直人と小沢一郎の関係に距離感が出てきた」とか、「ひびが入った」と報じている。

浅はかなマスコミ思考では、これを小沢一郎が描いて演出しているシナリオとは読めないだろう。

私が小沢幹事長の立場なら、この報道の論調は願ったりかなったりである。

昨日、菅直人副総理と小沢一郎幹事長が面会していれば、小沢の傀儡政権だとマスコミは一気に報じたに違いない。

それを回避する方法として、菅・小沢面会が実現しないというのは最高の演出ではないだろうか。

そして、私が小沢なら、菅と通じた上で、側近に、弱小の対立候補を立てるように支持するだろう。

それが樽床議員である。

とりあえず、名前を世間に広めるだけの利益は樽床議員にもある。私が小沢一郎ならば、自分が育てた原口氏や細野氏などをかませ犬には使いたくない。ここで名前を売りたい樽床議員の存在は願ったり、かなったりであって、便利な"対抗馬"になるだろう。

小沢グループが担ぎあげた候補VS菅直人という構図をなんとなくマスコミに報じさせることで、菅直人のイメージがますます良くなる。

菅直人にとっても、前原、岡田、枝野という厄介者が対抗馬に出てくるより、支持を得ることで、事実上の無投票再選の状況を作り出したいであろう。

下手に、空気の読めない前原、岡田、枝野などの議員と対立した代表選にすると、後々人事などで厄介である。

弱小候補との表面的対立の後は、挙党体制を訴え、選挙に負けない布陣にする。

ここで重要なのが小沢グループと呼ばれている議員たちが、小沢の描いたシナリオに反して勝手な動きをして、管直人が疑心暗鬼に陥ってしまうことへの警戒である。

連絡は取り合っているとはいえ、小沢に対する政界やマスコミの妄想的恐怖心が与える影響は本人だって嫌というほど熟知しているはずである。

だからこそ、一旦、一部の幹部が暴走して、小沢グループは樽床を支持するの動きに対し、事実上のタイムリミットである今晩21時以降に、正式に自主投票にすることになったのではないだろうか。

小沢にとっては、子分にどういうポストが来るかよりも、次の選挙で負けない状況を作ることの方がはるかに重要なはずである。少なくとも、私が小沢の立場ならそう考えるだろう。

だからこそ、菅直人という無難なリーダーを選ぶ土壌を作り、政府人事にもさほど介入せず、小沢色がそれほど強くない布陣か、従来の鳩山内閣を引き継がせる。

そして、社民との連立を壊した原因である、北沢、岡田、平野などの閣僚を小幅に変更することで、選挙協力への影響を最小限にとどめようとするのではないだろうか。

つまり、社民党と選挙協力は何とか維持できる大義名分を作るのである。

現に、メディアの伝える情報によれば、管直人副総理は、日米合意を重視するとは言いつつも、樽床議員のような遵守との明言を避け、沖縄普天間の問題に含みを持たしている。

以上が、私の妄想である。

これを立証する客観的事情なんて一つもない。単に、私ならどうするかという妄想的考察をしてみた。

小沢一郎は、かつて論理的一貫性が重要である司法試験を志したことがあり、政界で実力者としてメディアに恐れられる人物である。

これくらいの論理的な判断はしているのではないだろうか。おそらく、私が上記で述べた以上に色々な考えは持っているはずである。

もちろん、こんなことを全く考えていないかもしれない。こういう妄想を聞いて笑っているかもしれない。

ただ、いずれにしても、マスメディアを含め多くの国民は色々な妄想をするだろう。

そして、そこには小沢一郎が常にメインとして注目されていることは否定できない。

好き嫌いという感情論や小沢一郎が良い政治家かどうかは別として、これだけの注目を浴び続ける小沢一郎という実力のある政治家が他にはいないことは確かである。

解っていないのは大手メディアだけで、まともな自律的な思考能力がある人々は、私が上記で転換したような妄想について、「小沢一郎の立場ならこれくらいのことは考えているのかも」と既に想像していたかもしれない。

既存のメディアの報道は、小沢VS反小沢の構図を描いて妄想しているが、これは政治を監視するメディアの妄想としては、浅はか過ぎる。

妄想をするなら徹底的に、行動の裏を論理的に妄想してほしいものである。

以上、私の妄想政界劇につきあってくださった皆さんも、ニュースが報じる妄想を真実と信じるのではなく、自分の頭で妄想してみると違った視点が見えてくるので、妄想を楽しんでみるのも良いかもしれない。

ただ、あくまで妄想と事実とを混同しないことが重要であろう。妄想ばかりしていると陰謀論に簡単にだまされてしまうので気を付けてほしい。

3.まともな司会者もいた

なお、前述の中で、マスメディアの報道姿勢において、一部例外があると指摘した。

それは、「とくだね」の小倉智明氏の司会である。

局アナや田崎記者が、いろいろ薄っぺらい民主党批判をしている要所要所で、マスメディアの矛盾や自民党の責任を公平に指摘するなど、精一杯、既存の報道とは違う視点を提供すべく努力しているようにも思えた。

番組全体としてみれば、あまり変わらないが、他の局の情報報道番組よりはマシだったように感じた。

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06/03/2010

鳩山総理の辞任を受けて

ここ1,2ヵ月間、非常に忙しい状況であるため、ブログの更新が全くできておらず、楽しみにされている読者の皆さんには非常に申し訳ないと思っております。

政治や法律、社会問題を取り上げるブログとして立ち上げている以上、昨日のような大きな政治上の出来事には何らかの考察を示す必要があると思い、簡単ではありますが、メディアが報じる報道の視点とは違った角度で発信をしたいと思います。

1.鳩山総理の辞任に対する率直な感想

さて、辞任についてですが、普天間問題をめぐる日米共同声明で、辺野古案に戻った時点で、この内閣に対する私の評価は著しく低下しました。

多くのまともな感覚を持つ有権者は既にお気づきでしょうが、最大の問題は、沖縄県民に期待だけさせて結局辺野古という自民党時代と同じ判断をしたことです。

本来、日本の防衛は、日本の自衛隊が第一義的に行うべき時代に来ているはずです。メディアの論調を見ると、米軍が抑止力になるという幻想にとりつかれており、これ自体いかがなものかとは思います。

しかし、県外移転を約束した鳩山内閣は、自国自衛という根本的な議論もしないまま、沖縄に負担を押し付けておけという従来型、旧来型の判断をしました。

これは、裏切りであり、本土の人間の傲慢さ極まりない判断です。

日米安保のあり方という根本的な議論が何も国会でなされず、県外の引受先も十分交渉せず、さらには、アメリカに対して「領土の一部を貸してあげているのだぞ」という強気の交渉姿勢(少なくともドイツはこうした姿勢で強くアメリカに対しても臨んでました)もできない鳩山政権の判断に、私は、少なくとも評価できないとの結論に至りました。

「野党から政権につけば、マニフェストを修正しても良いのだ」という極めて政治家の無責任な発言とそれを煽るマスメディアの論調には、非常に苛立たしさを感じてきましたが、マニフェストや公約というのは、有権者に対する約束です。

青いことを言うと思われるかもしれませんが、約束を反故にしても良いという社会風潮が政治の世界を始め、何か安易に広まってしまっているような気がしてなりません。

そんな中、有権者、とりわけ沖縄県民との約束を反故した以上、鳩山総理の辞任は、その不履行として責めを負うという観点からは、当然の帰結であり、約束を守れないということは、どういう結末が待っているかを示したという点では、辞任自体は評価したいと思います。

ただ、総理の辞任発言の中で、1点看過しがたい箇所がありました。それはいうまでもなく、「国民が聞く耳を持たなくなってしまった」という部分です。

これは非常に国民をばかにしている発言です。国民はむしろ総理の発言に耳を傾け、それに期待したからこそ、その反動で落胆したのであって、聞く耳を持たなくなった状況などは存在しなかったはずです。

総理自身が国民の声に耳を傾けず、期待を裏切ったのであって、本末転倒の発言です。

「去る鳥、あとを濁さず」という言葉がありますが、鳩山総理の最後の辞任発言のこの個所に限っては不適切極まりなく、「去る鳩、あとを滅茶苦茶にする」と評すべきではないでしょうか。この発言は鳩山政権の成果の部分すら覆い隠してしまう極めて不適切なものだったと私は考えています。

もちろん、マスコミが、意図的に十分な鳩山政権の功績の部分を報じなかったこと、意図的な編集による批判的報道に満ちていたことは事実です。

しかしながら、それは自民党時代のマスメディアの無節操かつ無責任な報道の繰り返しを見ていれば、当然想定し得たことです。

それに屈することのない、トニー・ブレアのような強い「説得のリーダーシップ」を発揮できなかったのは、ひとえに鳩山総理の能力不足と努力不足なのであって、それを「国民が聞く耳を持たない」などという有権者を愚弄するような発言は非常に残念でした。

最近も、イギリスで、鳩山首相のように説得のリーダーシップを発揮する能力が欠如しているブラウン首相が、辞任に追い込まれたことを併せて考察しますと、益々、民主主義社会では、説得力を発揮できるリーダーの存在が必要だと感じます。

2.辞任をめぐる報道について

いくつかのテレビ番組の報道や論調を見ましたが、メディアのはしゃぎっぷりには、ドン引きです。

「小沢幹事長と差し違えたのでは?」など、ほとんどが憶測報道である(一見して十分な根拠が無いことが明らかである)にも関わらず、それがあたかも真実であるかのように語るメディア、"自称"評論家、そして、ゲストとしてここぞとばかりに登場する浮ついた政治家たちの発言には、与野党含め、政治不信を一層深めると思いました。

とりわけ、無責任なのは、渡部恒三議員や生方議員など与党の民主党議員が、ここぞとばかりに満面の笑みを見せて、テレビを"はしご"していることです。出す方も出す方ですが、出る方も出る方です。

反省の色が全くなく、評論家気取り。

自分たち(国会議員)が選んだ首相であるという自覚、自分たちが与党の一員であるという自覚が全く感じ取れませんでした。こういう政治家は本当に必要なのかでしょうか。我々はメディアで無責任な発言をしている政治家をしっかりと監視していく必要があると痛感しました。

また、一部の報道を見ていると、未だに小沢幹事長を悪の根源というような印象で捉え、「鳩山総理の最大の功績は、W辞任を選んだことだ」という話があります。

これについても、私は批判的に見ています。小沢幹事長と輿石参院会長との会談の内容はハッキリ言ってわかり得ません。

逆に、民主党の山岡国対委員長は、小沢幹事長が自分が辞めることを切り出して総理に辞任を促したなどという発言もあります。

結局のところ真相は知りえないのであり、「反小沢の議員、小沢憎しのマスメディア」と「小沢幹事長に近い議員」による互いの印象操作に過ぎません

印象操作のマスメディアの動きを見ていると、メディアという節操のない社会的勢力に対して、不気味さを感じるとともに、従来から指摘していることですが、小沢幹事長の不起訴事案に対する刑事法の基本的理解が欠如した無責任報道を含め、いよいよメディアの無責任さが日本社会を堕落させるに至っていると強く感じております。

また、選挙も経ていないマスメディアに連日登場する人たちが、偉そうに有権者の心情を知っているかのように語る姿にも嫌気がさします。

これらの番組の視聴者の中には、彼ら、マスコミのアナウンサーやジャーナリストと名乗っている人々を特別な存在と捉える方もいるかもしれませんが、こういう方々はほとんど全て同じような目線、観点、価値観でしか話をしません。

テレビや新聞メディアを通して流れているのは非常に均一化した、同質的な発想に基づく一方通行の情報で、多様な観点からの考察が欠如しています。こういう方々は本当に識者なのでしょうか?

こうした自称"識者"の方々は、ただ単に、大衆に迎合、むしろ、テレビメディアに迎合しているだけではないでしょうか。

本質的問題は何かを思考しようという人物は、既存の自称"識者"の中には、極めて少ないように思えてしかたありません(居ないわけではありませんがそういう方を押し切って一方的かつ十分な考慮の無い報道が多すぎるわけです)。

確かに、一見、何も考えずに、こうした自称"識者"の発言を見ていると、もっともらしい発言をしているかのようにも見えます。

しかし、よく彼らの発言を聞いていると非常に憶測に満ちてたり、一定の方向に誘導している意図が見え見えであったり、論理矛盾を起こしていたりと極めて無責任かつ稚拙です。

こうした報道に接して、なし崩し的に印象操作踊らされることの無いように、我々有権者は一人一人が自分の頭で考え、思考することが重要だと痛感しています。

自分の頭で思考するための有効な手段は、メディアが報じない情報にも接する機会を持つことです。

例えば、弁護士の阪口先生が「盆暮れに30万ずつ貰った番記者は誰だ(官房機密費27) 」という記事をブログで紹介されています。

テレビや新聞は、ポスト鳩山ばかりを繰り返し報道し、無責任な批判だけをしますが、そのマスコミが何をやってきたのかということも同時に我々国民は考える必要があるのではないでしょうか。この問題からも目を離してはいけません。

また、憲法学者の上脇神戸学院大学法科大学院教授(憲法学)が「内閣官房機密費情報公開訴訟で現役のキーマン官僚が証言台に!」という記事もブログで紹介しています。

これも重大な問題であるにもかかわらず、一切テレビや新聞は報じません。同じ論調の既存メディア報道にはウンザリしている方々も多いと信じたいので、是非そういう方々はこれらの記事も参照してほしいと思います。

3.首相の短期辞任が相次ぐことは我々にも責任がある

さらに、1年弱や未満での内閣総理大臣の辞任が相次ぐ事態について、マスメディアが民主党政権の批判の材料に挙げており、報道バラエティーの司会者たちは、偉そうな顔で、もっともらしく批判して現状に対して、私は違和感を感じます。

なぜならば、安倍政権以降、福田、麻生、鳩山とこういった短期政権としてしまっている最大の原因が、マスメディア、ひいては有権者である我々にあることを自覚すべきと考えるからです。

安倍、福田、麻生、鳩山に対し、我々は十分な時間と猶予を与え、それぞれの政権の行った成果の部分を正当に評価してきたでしょうか。

鳩山政権を例に挙げれば、国賠訴訟をめぐる対応はもっと評価されるべきでした。自民党時代が全く解決してこなかった問題に道筋を付けた分野もあります。

これを十分報道せずに、負の面ばかり指摘し、うつろぎで無責任な世論を構築してしまっているマスコミの罪は大きいとはいえ、我々有権者にも責任があります。

結局のところ、我々有権者は、良くも悪くも自分たちが選んだ政権だ」という意識が非常に薄弱です。

メディアの報じる世間の声などがどこまで正確に反映されているかわかりませんが、メディアの報じる一般人の反応というものを見ていると、8ヶ月しか続かないような政権を選んだということへの反省をする声はほとんど聞かれません。

「がっかりした。」「やめるのは当然だ。」等々、非常に他人事のコメントばかりが目につきました。

しかし、この政権を選んだのは他ならない、我々、有権者です。このことに対する自覚と反省をしなければ、健全な民主主義を醸成し、成熟した社会を日本が築くことは不可能でしょう。

4.ポスト鳩山と今後の政治に対して

副総理制度を活用している民主党政権下では、おそらく管副総理が引き継ぐのが筋でしょうし、そうなることだと推測しています。

また、ここ1,2日はメディアの節操のない憶測報道と、メディアの格好の敵である反小沢を煽るような意図的報道が続くでしょう。

私は、小沢一郎や管直人という人物を個人的には知りませんし、ほとんどすべての有権者もこの人物像はメディアから伝えられる情報でのみ判断しているはずです。

こういう何の根拠もない印象報道を見て知った気になるのではなく、「残り3年できちんと山積する問題に切り込み、先の選挙で約束したことを実行してくれる人物が総理になるのか」、「次の首相が選ぶ人材は果たしてそういう人物の布陣なのか」、さらに言えば、「有力候補とされる管直人は果たしてそういう人物なのか」という視点で、個々の有権者が自分自身の頭で考えることが重要でしょう。

ハッキリ言って、マスコミの報道を見ていると、同じ論調、均一化した視点ばかりで、頭が痛くなりますし、馬鹿になってしまうと思います。

責任ある有権者になるためには、次の総理が発する発言一つ一つを自分の耳と目で見聞きし、残りの衆議院の任期中にきちんとした成果を出してくれる人物なのかを自分の頭で考えることが必要だと思います。

さて、再度、物事の筋道を考えることが我々有権者も必要かもしれません。以下の本を私は再度読み直してみたいと感じています。

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