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03/13/2010

成長しない前原大臣(写真公開にみる法律の留保論)

先日スカイマークの問題を記事にし、私はこの会社の飛行機には、改善が無い限り二度と乗らないとの不搭乗宣言を一人勝手に行いました

その後、副機長による写真撮影報道が流れましたし、「またか」という思いで、スカイマークには腹ただしさを感じました。

しかし、これに対する前原大臣の対応は本質的な対処ではなく、非常に永田メール問題を彷彿とさせる意味のないパフォーマンスのように感じてなりません。

私が、「この大臣、自分の人気取りのパフォーマンスを優先し、顧客の安全を真剣に考えているの?」と感じたのは、ピースサインの操縦士の写真を公開するという手段に疑問があるからです。

本来、スカイマークの経営陣が、安全運航に支障のある機長判断の介入という前代未聞の行為をした段階で、可能な限りの重い「処分」をすべきでした。私は厳重注意などの行政指導では足りないと思います。

例えば、事業停止などまではいかないにしても、少なくとも行政指導ではなく、事業改善命令等の「処分」をすべきではないでしょうか。

にもかかわらず、「処分」という正攻法ではなく、不祥事写真の公開という処分性が認められない、事実行為のような手段で、法の統制を掻い潜り、私企業への懲罰的な意味合いを持たせようとすることに、ある種の危惧を感じざるを得ません。

そもそも、公権力の主体たる国や公共団体が、国民に対し、何らかの権利義務の制約を行う場合は、法律の留保が必要です。法律の留保とは、行政法上は、法律の根拠と言っても良いでしょう。つまり、法律の根拠がなければ、そうした行為はできないわけです。

他方、行政指導や情報公開などの事実行為は、その直接的な法律の効果として、権利・義務を形成し、その範囲を確定するわけではありません。したがって、法律の根拠なく自由に行えるわけです。

もっとも、情報公開というのは、国民の知る権利に資するという点では重要なことですが、これが、公権力により、懲罰的意味を持って行われる場合は、法律の根拠が必要ないわけですから、恣意的な運用(恣意的に重たいだけでなく、軽いということもあります)を招き、場合によっては、不当な侵害を与えることになります。

こうした権力的行為にも法律の留保が必要かという行政法上の議論はひとまず置いておくとして(近年は必要とする藤田先生の権力的行為説が支持を集めているようですが)、私が危惧しているのは前原大臣が「処分」ではなく、懲罰的な意味合いで「事実行為」たる写真の公開に至った点です。

感情論で言えば、「こんな利用者の安全性を犠牲にするような会社なんだから、これくらいやっても良いではないか」とも思います。

しかし、公権力の主体が行う行為としては本当に適切なのかという疑問が生じるわけです。

情報公開については、O-157事件といわれるものがあり、情報の提供という給付行政の側面から法律の根拠は不要であるという結論が裁判例ではありますが、東京高裁により出ています。

しかし、このO-157事件は、懲罰的意図でなされたものではないため、これが今回のような懲罰的意味合いの強い情報開示としての写真公開につき、その射程に入るかは疑問です。

かかる写真を公開すれば、おそらく、国民の自然な反応としては、「なんていう会社だ。客が乗っているのに、ピースして写真を撮るなんて」という感情を掻き立て、こういう会社には乗りたくないという反応を引き起こすかもしれません。そうなると、会社にとっては大打撃ですから、懲罰としての効果も大きいわけです。

しかし、公権力の主体たる国の行為として、妥当ではないと私は思います。

そもそも、国交省および国交大臣は、スカイマークの運行状況について、安全性に問題があると思うのであれば、法律に認められた権限で、可能な限り重たい「処分」をきちんと下すべきです。

にもかかわらず、そうした「処分」をしないで、処分の適否が争われるリスクを回避して、事実行為により与えようとするのは、法律の留保という行政機関の大原則の網を掻い潜るろうとしているような印象を受けてしまいます。

私は、前原大臣は真摯にスカイマークの利用者の生命、身体の安全ということを考えて、今回の公開行為をしたのではなく、ポピュリズム、人気取りのために、国民の感情に乗じて、怒って見せただけではないかとの危惧を感じます。

また、写真が公開されても、国民の知る権利には何も資することはありません。

なぜなら、既に運行中に記念撮影をしたという事実が報じられている以上、ピースサインをしている写真だったという内容を見たところで、感情的に何らかの影響があったとしても、安全性への疑義を生じさせる事実の存否に関わる情報は、会社が公表して報道されているので、既に公に知られており、なんらその点に資することにはならないためです。

むしろ、国交省は写真の公表などではなく、国民の知る権利との関係では、社内の立入り検査の結果、運航への安全性不備がどういう点に置いて存在するのかを公表すべきであはないでしょうか。

そういう情報公開であれば、その目的は給付行政そのものなのですから、O-157事件東京高裁判決と同じ射程に入ってくるので、法律の留保という問題を生じさせません(もちろん、行政法上東京高裁と別の見解から留保を求める意見もありますが、そうした議論には今回は立ち入りません)。

なぜ、そこまで必要のない写真公開は早急にするのに、むしろ国民の安全のために必要な処分をしないのか、私はそちらの方が気になって仕方ありません。

繰り返しになりますが、機長の安全判断への経営陣の介入は、事業改善命令等の「処分」で対応すべきだったのではないでしょうか。

前原大臣の頭の中は、ポスト鳩山のことで頭がいっぱいだから、ポピュリズム的人気につながるようなパフォーマンスを優先して、適切な処分をしないのか、などと邪推してみたくなります。

したがって、先日のようにスカイマークの一連の不祥事は、一利用者として断じて許せませんが、国交大臣の対応にも非常に疑問が残ります。

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操縦室内撮影「言語道断」=国交相

3月12日12時45分配信 時事通信

前原誠司国土交通相が公表した操縦室内の写真(撮影日不明、国交省提供)。スカイマークパイロットらの操縦室内での記念撮影について「顧客が乗っている機内で、こういう状況が起きたのは言語道断」と厳しく批判した

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100312-00000015-jijp-soci.view-000

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Comments

「本来、スカイマークの経営陣が、安全運航に支障のある機長判断の介入という前代未聞の行為をした段階で、
可能な限りの重い【処分】をすべきでした。私は厳重注意などの行政指導では足りないと思います」というコメントですが、まさに「その通り」と思いました(的を得たコメントだと思いました)。

Posted by: 的を得た | 03/13/2010 03:04 pm

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