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02/10/2010

なぜ著名ジャーナリストがここまで騒ぐのか(検察捜査と報道の問題点)

最近忙しい状況が続いており、読者のみなさんにおかれましては、ブログの更新がまだ頻繁にできないこと、申し訳なく思っております。

何曜日に更新なんていうことを書ければいいのですが、ブログは義務になってしまうと続かないというのが持論で、時間があり、気が向いたときでなければ、良い記事も書けないので、ご理解よろしくお願いします。

またコメント等についても、肯定的なもの、否定的なものを含め、それらにきちんと回答している時間がありません。申し訳ありませんが、回答が遅れていますことお許しください。

さて、今日は簡単ではありますが、なぜ、多くのフリージャーナリストや既存の報道メディアのサラリーマン記者とは一線を画した人々が、小沢問題を報じるメディアに対し厳しい視線を持っているのかにつき、私がどう考えているのかを紹介しようと思います。

まず、オウム真理教の問題で一躍有名になり、リベラルな視点から鋭い論説が多い江川紹子さんは、非常に厳しく検察の捜査および報道機関の姿勢を「新聞の『説明』を問う」と題した記事の中で論じています。

ぜひとも時間がある方は全部読んでいただければと思いますが、とりわけ私が共感する部分は以下の指摘です。

検察も国会議員を逮捕したり失脚させるほどの強い権力を持つ機関だ。その捜査のあり方にも監視の目を光らせる必要があるはず。そういうバランス感覚が、”クビ取りゲーム”に熱中する中で吹き飛んでしまった。

おっしゃる通りで、検察というのは、原則として、起訴権限を独占している機関ですから、これは小沢氏の問題に限らず、人一人の人生、さらには命をも危険にさらす強大な権力です。

したがって、常に冤罪に可能性を念頭に置きながら、メディア、ひいては、国民が権力の監視という不断の努力をしなければなりません。

そして、刑事法の原則である立証責任は検察にあるということも併せて理解しておかなければなりません。

以前の記事でも指摘しましたが、嫌疑をかけるのは捜査機関なのですから、嫌疑を立証できなければ、嫌疑は、「あらぬ疑い」であり、その被疑者は不起訴の判断以降は、「白」として扱われなければなりません。

にもかかわらず、メディアはこうした刑事司法の基礎知識を知らないのか、知っていながらもその重大性から目をそむけて、低俗なワイドショー化しているのか、メディアが検察権力に果たすべき社会的責務を放棄してしまっています。

江川さんは以下のような指摘もしています。

検察が石川議員ら2人の起訴と小沢氏の不起訴を発表した記者会見に出席できたのは、朝日新聞など大マスコミで作る司法記者会(記者クラブ)だけ。しかもカメラを入れたいという要請も断られている。カメラの前で堂々と語ることができない検察をなぜ、批判しないのだろう。しかも、匿名で検察幹部が「心証は真っ黒」などと語るのを無批判に載せる。これはいいかがなものか。

やはり、既存メディアにより組織された記者クラブの弊害が影響しているのでしょう。

さらに、私が、安心して見ていられるジャーナリストの一人である岩上安身さんは検察と報道メディアの関係について、自身のツイッターで以下のような指摘をしています。

記者クラブの動きを見ていればわかる。各紙・各局とも、社会部は、小沢問題、ひと段落、どころか、全国の小沢がらみの土地取引や資産の洗い直しに大忙し。狙いは脱税。まったく別件で、小沢をあげようとしている地検特捜部の動きをフォローしているのだ。与党は、司法改革を粛々と進めるべき。

私がジャーナリストとして一目置いているに人々が、司法制度改革を急げと言及していることを目の当たりにすると、私は司法界が国民の民主的コントロールに服する過渡期に来ているように感じてなりません。

つまり、今まで、情報も少なかったので、司法試験に受かった"頭の良い"方々に司法は任せていれば、間違いを起こすことはないだろうという誤解とともに、司法の側の人間も、長年実務を経験しているから、"見ればわかる"という過信があったわけです。

しかし、地道な活動を通じた冤罪事件が明らかになるにつれ、情報がインターネットで広がったり、裁判員制度が始まり、国民が司法を身近に感じることができるようになった結果、法律を学んでいない一般の人々も、「頭が良いから間違った判断をしないとは限らない」、「勉強はできるけど、一般的な感覚とはズレていないか?」、「司法関係者は自分たちを過信して目が曇っていないか?」という疑問を持つようになってきたのだと思うわけです。

そして、その代表がいわゆる上記の有名フリージャーナリストの方々なのではないかと私は感じています。なぜならば、彼らは既存のメディアによる内輪の論理に拘束されない反面、一般の人々の良識的な論理的思考に近い考え方をする人たちなではないかと思うからです。

こうした風潮は非常に良いことだと思います。多くの人々が刑事司法や捜査の在り方に関心を持ち、監視をすることが、冤罪を防ぐもっとも効果的かつ唯一の方法です。

故に、現在の密室司法、人質司法と呼ばれる日本の捜査の在り方は、国民の監視の目からは程遠いところにありますから、潜在的に多数の冤罪事件を生む土壌となってしまっています。

取り調べの可視化は確かに捜査機関にとっては厄介かもしれません。

現在までのところ判例は、自白と補強証拠につき、「真実性の担保するものであれば、犯罪事実のごく一部でも補強証拠があれば足る」とし、その程度も自白と補強証拠が相まって有罪の心証形成ができる程度であれば良いと緩く解釈してきました。

したがって、自白さえ取ってしまえば、捜査機関は恐れることはなかったわけです。自白の任意性もよほどのことがなければ否定しないことも多かったように思います。

可視化されれば、任意性への判断が厳しくなることは明らかです。被疑者を圧迫する取り調べは、任意性への疑問を当然生じさせるでしょう。

最近、ある警察関係者と話をした時に、「可視化というが、犯人を逃がして構わないというならやればいい」という発言をされました。

そこで、私は、「では、犯人を逃すのと、冤罪を生み出すのとではどちらが問題でしょう。私は冤罪を生み出すことは何百人の犯人を逃がすことよりも恐ろしいことだと思いますよ。だって、無実の人の人生を滅茶苦茶にするんですから。」と答えましたが、不満そうな顔をして黙ってしまいました。

その方は「弁護士は被疑者や被告人を無罪にするためにいつも働く」という偏った価値観も同時に話していたので、完全に公平の観点が抜け落ち、捜査機関の論理で発想する方だったので、私の問題意識を御理解していただけなかったのかもしれません。

しかし、私は、何百人の犯人を取り逃してしまうのは捜査機関の捜査能力を引き上げることで何とか対応できるはず(現に可視化している先進国は沢山あるわけですし)だが、1つの冤罪を回復するのは、数十年かかるし、一旦間違えると取り返しがつかない許されない問題なのだという意識を持たずして、権力的作用に関わるべきではないと思います。

捜査機関には、少なからず、"証拠がなくてもあいつが黒だと俺にはわかる"という根拠のない自信に裏付けされた「選民意識」があるのではないでしょうか。

昨年より裁判員制度が始まりました。

裁判員制度は裁判所にとっても、従来より手間がかかります。なんせ法律の素人たる裁判員とともに評議するわけですから、的外れな議論になる恐れはあります。

しかし、実際の裁判員制度の状況を見てみると、裁判員は非常に優秀で、"慣れてしまった"裁判官では発想できない問題点を次々に指摘するという報告があり、担当裁判長の訴訟指揮にもよりますが、おおむね良好な運用ができているようです。

手間はかかりますが、慣れてしまったことによる気の緩みから冤罪を生まないためにも、外部の裁判員が入ることは非常に有益かつ効果的な印象を受けます。

結局のところ、検察も、裁判所も、"自分たちは優秀だから、慣れているから、経験があるから、見れば犯人だとわかる"という根拠のない自信に裏付けられた「一種の選民思想」が冤罪の温床になっているのではないかと私は思います。

検察や裁判所、ひいては司法界に対し、民主的コントロールを及ぼすことで、選民思想を根絶して、冤罪のタネをつぶすことが重要なのではないでしょうか。

そのためにも、著名ジャーナリストが司法の問題に注目をしてくださることは、司法界全体を良くする上で非常に貴重なことであると考えます。

なお、小沢氏の事件に対する具体的な検察の捜査や報道機関の問題点に対する私見は以下の記事に示してありますので、興味のある方は御参照ください。

小沢問題に関する考察 - 検察の捜査方法への疑問

刑事事件に対する未熟な報道 ― 小沢問題からの考察を中心に

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以前紹介した本ですが、この問題を考える上で非常に有益なものなので再度紹介いたします。

まず、秋山先生の下の本は、裁判員制度開始前の書籍ですが、裁判官の陥りがちな問題点を鋭く指摘しています。この書籍の著者である秋山賢三弁護士は、最近では、防衛医大教授の痴漢冤罪事件で、弁護人を務めていた方で、最高裁で無罪判決を勝ち取りました。冤罪事件の活動で著名な方です。

次の本は、自白のメカニズムについて解説している本です。おそらく多くの人々は自白に迫られるような状態を意識したことはないのではないでしょうか。なぜ虚偽の自白が起こるのかを考える本としては良いと思います。

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Comments

いつも「なるほど」と頷きながら拝読させていただいております。
以前から疑問に感じておったのですが
検察・警察等が取り調べの可視化を拒絶する理由とは何なのでしょうか?

今回のエントリー中に「犯人を逃してもいいのであれば・・・」というくだりがありましたが可視化への抵抗理由としてはそれだけでしょうか?

少しググってみたところ元検事だという方のブログに問題点として
・供述内容の秘密保護
・録画・録音データそのものの信憑性
・データの流出
をあげられておられました。
ただ上記のどれもが現行のシステムに組みこむ事で克服できそうな問題ですし、捜査当局・被疑者側双方のメリットを覆い隠すだけのものではないように思われるのです。

それ以外にクリティカルな問題点というのはあるのでしょうか?お手すきの際にでもご教授願えると幸いです。

Posted by: 通りすがり | 02/10/2010 12:07 pm

はじめまして。私は取り調べ可視化が実現するまで、死刑執行を停止すべきだと思います。裁判員制度で一般国民が死刑を求めることが出来るようになりました。85%が死刑はやむを得ないと思っている国民が捜査機関を完全に信頼出来ないままに死刑を求める怖さを感じます。今後、死刑判決は増えはしても減りはしないと思います。厳罰指向も進んでいると感じています。確かに捜査官のスキルアップには時間がかかるかもしれませんが、その努力によって信頼性も上がるのではないでしょうか。99人の真犯人を捕まえ有罪にする為に1人の冤罪者を出しても仕方ないという姿勢は恐ろしいです。

Posted by: 都民 | 02/10/2010 08:11 pm

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