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01/16/2010

刑事事件に対する未熟な報道 ― 小沢問題からの考察を中心に

諸般の事情により、従前のような頻度でのブログ記事更新が困難となっており、読者の皆様には申し訳なく思っています。

今日は、どうしても、小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法の問題に対する既存の報道とは違った視点から、私見を発信すべきと考え、端的ではありますが、この問題を題材にして、刑事事件における検察および報道機関の問題点を指摘したいと思います。

1.起訴状一本主義、予断排除の原則に反する報道

刑事訴訟法256条6項は、「起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添付し、又はその内容を引用してはならない」と定めており、これを起訴状一本主義(予断排除の原則)といいます。

この趣旨は、公平・公正な裁判の実現のために、裁判官は、捜査官の心証をそのまま引く継ぐことなく、予断を排除して、公判に臨む必要があるという点にあります。

我が国の刑事法制下にあっては、人は起訴され、被告人になって初めて、予断を持っていない裁判所により裁かれ、その公判手続きにおいても、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が貫かれなければなりません。

しかしながら、裁判員制度が始まっても、メディアが検察や警察から出てくる情報を鵜呑みにし、立証されていない事実があたかも、事実として立証されているかのように報道され、すべての報道機関の論調がほぼ同じなのは、非常に違和感を感じずにはいられません。

小沢幹事長の問題に限った話ではありませんが、捜査の早期段階において、本人が自白し、自白の任意性に疑いがないような事件は格別、そうでなければ、メディアはその影響力に鑑み、視聴者たる国民に予断を生じさせないよう慎重な報道をすべきでしょう。

とりわけ、小沢幹事長の政治資金規正法の問題では、同法が問題としていないお金の原資が誰に帰属していたのかという点につき、憶測報道で「ゼネコンからの受託収賄では?」という報道が流れています。

しかし、収賄(刑法197条1項)の構成要件は、「公務員が、職務に関し」と規定されており、一般的職務権限を有する公務員であることを要求しています。

この「一般的職務権限」とは、かなり広い概念ではありますが無制限ではなく、その職務が一般的・抽象的に公務員の職務権限に属する場合を言います。

国会議員は確かに特別公務員として、上記「公務員」には当たりますが、野党の党首にダム受注に関連する一般的職務権限を認めるのはかなり無理があります。小沢幹事長に収賄罪が成立することはおそらくないでしょう。

このように犯罪の成立が非常に微妙なものであることを無視し、あたかも金銭のやり取りの事実から収賄があったという短絡的な憶測報道は、国民に予断を生じさせ、世論をミスリーディングするものではないでしょうか。

それを大手メディアのほとんどすべてがやっている現状は、日本のマスメディアの人権意識の低さを露呈しているように思います。

また、以前にも西松建設の事件の際に指摘したのですが、刑事事件に対する憶測報道、捜査機関の一方的報道といった現状が、裁判員制度に与える影響は非常に大きく、検察に情報開示のあり方、報道における予断排除に関するあり方を徹底的に議論する時期に来ているのではないでしょうか。

メディアに良識的判断を求めることが不可能であることは、今までの刑事事件に対する報道姿勢から既に立証されたように思います。もっとも、「メディアの刑事事件に対する報道を統制しろ」という乱暴な議論をするつもりはなく、私個人の意見としては、米国のように、一定の捜査情報を公式の会見等で開示するなどの措置がメディアスクラムを緩和させるのではないかと期待するところです。

2.逮捕はあくまで相当の嫌疑があるという段階に過ぎない

我が国の報道では、逮捕事実を非常に重視する社会風潮がありますが、逮捕された段階でも未だその被疑者の有罪が確定したわけではありません。

逮捕の要件は、①犯罪に対する相当の嫌疑が存在すること、②逮捕の必要性であり、逮捕段階では、相当の嫌疑があるに過ぎません。

しかしながら、多くの報道は「怪しい」に過ぎないものを、断定的かつ捜査機関の一方的情報ばかりを垂れ流すため、あたかもその事実が相当の嫌疑ではなく、そうした事実が存在するかのような報道に至っています。

「逮捕に踏む切ったのは収賄に関する事実があるからだ。」などというこれも極めて憶測もしくは、妄想に近い意見がメディアを踊っていますが、前述のように、収賄の成立は極めて困難であり、本件はあくまでも政治資金規正法の不記載による逮捕ですから、逮捕されたから問題だというのは、検察、警察という捜査機関の判断に対する絶対の信頼を置くもので、妥当ではありません。

3.説明責任に対する考え方

刑事事件が絡んだ場合の政治家の説明責任のあり方についても、議論の余地があります。メディアにとっては、良いネタ(飯のタネ)ですから、記者は政治家が絡む刑事事件について、ここぞとばかりに「説明責任を!」と主張します。

しかし、政治家であっても、刑事事件の被疑者ないし被告人になる可能性がある場合については、当然、黙秘権をはじめとする憲法および刑事訴訟法が保障する権利を有するわけです。

今回を機に、どういう説明責任の話し方が理想的なのかという議論を深めるべきだと私は思います。

法廷は公開が原則ですから、起訴された場合に、公判廷を通じた立証活動により説明責任を果たすというあり方も私はあり得るし、これはこれで尊重すべきだと私は思います。

メディアが満足する説明をしなければ、説明責任を果たしたことにはならないというのであれば、これは不可能を強いているようにも思います。なぜならば、メディアが格好の飯のタネについて、満足した説明が得られたなどということは、過去の刑事事件報道を見ていれば明らかだからです。

本日付の読売新聞には「小沢幹事長の説明が『義務』になった」との記述がありましたが、これも首をかしげたくなりました。

義務というからには、法的義務があるということを前提としているのでしょうが、果たして秘書が逮捕されただけで法的義務が発生するのでしょうか。

あくまで、政治家という地位から生じる社会的意味に置いての説明責任があるに過ぎず、「義務」などと偉そうにいうのは私は読売新聞の記者の奢りでしかないと思います。

以前、この問題に関し、「小沢氏は合理的な説明を」という見出しも見かけました。しかし、私からすれば、犯罪がないという説明をすることは、「無いこと」の証明というある種の悪魔の証明となってしまう一方、犯罪の嫌疑をかけているのは検察であり、本来は検察官に立証責任があるわけです。

そうだとするならば、小沢氏が政治家たる職責から一定の情報開示をすることは必要ですが(既に小沢氏は関係する書類をすべて公開していると言っていますが)、合理的な説明をすべきは検察なのではないでしょうか。

検察が捜査や公判の影響を理由に公式の情報開示をしないことが認められるならば、小沢氏だって、刑事事件や捜査への影響を理由の説明できないという抗弁も認められてしかるべきでしょう。

本来、第三者的立場で、検察や政治家を監視すべきメディアが、検察からの非公式の情報リークを餌に、御用聞状態になって、一方の側の情報を垂れ流すだけで検証せず、本来の職責を忘れてしまっているのは非常に恐ろしく思います。

こうした報道が死刑も含めた刑事事件においてなされ、予断を国民に生じさせ、予断を抱いた国民が裁判員に選ばれ、その結果、冤罪を作ってしまったらということを考えると、冤罪を作るのは、捜査機関や裁判所だけでなく、他ならないメディアということになると私は思います。

ただ、インターネットメディアには、非常に冷静かつ明快な情報提供をしている元新聞記者の方(リンク先はKyoさんという方の「永田町異聞」というブログ)もおり、日本のメディアの刑事事件に対する報道姿勢が未熟とはいっても、地道に正当なジャーナリズム活動をしている方がいることも忘れてはならないでしょう。

以下、本日の話題に関連するお勧めの書籍です。とくに、右から3番目の書籍の著者である秋山賢三弁護士は、最近では、防衛医大教授の痴漢冤罪事件で、弁護人を務めていた方で、最高裁で無罪判決を勝ち取りました。冤罪事件の活動で著名な方です。

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Comments

いつも本ブログで勉強させていただいております。
今回の論を読んで自分が考えたことを書かせていただきます。

行政府に所属していない国会議員を含む時の政権を構成する国会議員に対する捜査が継続中の状態において、当事者又は関係者とされる者が求められる説明責任は、どの時点で果たされるべきかという議論を行い、コンセンサスを作り上げておくべきではないかと思います。僕の結論はまだ出してません。

時の政権の一翼を担う者が対象となっている捜査に関して、捜査の独立性守る観点から、政権側が行う説明は捜査に影響を与えないよう、若しくは影響を与えていると思われないよう充分に配慮すべきだと思います。したがって、現段階で、小沢さんが具体的な説明を行わないとしたのは、不合理なことではないと思います。

このコメントでは、どのような説明をどういう形で求めるべきかという部分には触れませんが、政治家は説明責任を果たすべきだという一般論のみで、現段階で具体的な説明を行わない小沢さんに対して、説明責任を果たしていないという評価を行うことは妥当ではないと思います。


逆に、検察に対しては、主権者である我々国民が選んだ代表の政治的活動を直接若しくは間接的に阻害し、また、身柄を拘束するという基本的人権を制約する行為を行っている訳ですので、我々国民は断固として、その行動に関する合理的説明を求めるべきだと思います。
なお、本来はこれらの説明については事前になされることが原則であるべきだと思います。
また、それがなされなければ、検察組織を我々がコントロール出来る組織へと変えられるよう、政治の議題に乗せなければならないと思います。

Posted by: toshi | 01/16/2010 at 04:15 PM

いい論説です。その通りと思います。いくらか補足すると――。
<病理>検察と記者クラブの癒着関係が病巣になっています。検察しか取材しない記者がおり、記事を欲しがっています。そこに次席検事がつけこみます。A社、B社、C社、D社などの記者の内どれかを選んで、捜査情報をリークし、記事と紙面の扱いを見ます。それを見てリークを欲しがる次の記者が来ます。同じことを次にもやります。選ばれなかった社の記者は、他紙に記事が出るのに自分には記事がなく、耐えがたい気持ちになります。それでお利口になって悪魔のささやきに乗るのです。 
もし検察の気に入らないに記事を書くと、制裁があります。「出入り禁止」を通告され、庁内に入れないのです。で、検察の別動体のごときマスコミが生まれるのです。戦前の軍と同じですね。
官僚支配をやめるにはこのシステムの解体が必要です。
<奇異な記者会見>15日夜には珍しく記者会見があり、それはよいのですが、逮捕理由に石川議員の「態度」があり、「コメントしない」とのぶっきらぼうな言い方も。つまり国民が視野の外、立法府も見えない閉鎖的集団が完成しているところが病巣ですね。それを切除せねばなりません。
記者会見が内輪ばかりだから、そうなるのです。フリーや外国人を入れないと、国民を見ない検察というおかしな日本が続くのです。共産党社民党にもそういう視点はなく、民主党がそこを改革しなければなりません。

Posted by: hihho21 | 01/16/2010 at 09:07 PM

過去、自民党で不祥事が発生したときは大抵の場合大臣を辞めて責任を取るという形を取っていたし、民主党も代表に何かあると辞めて別の人が代表になっていたと思います。
今回は民主党という自民党に比べると人材が少ない党の要となる人の不祥事ですから、辞めるというわけにはいかないんですかね。

マスコミがやたらと言っている説明責任ですが、言え言えとうるさいマスコミ、捜査中だからの一点張りで国民の納得を得られない小沢さん、どちらも問題があると思います。(どちらが悪質かと言えばマスコミかと思いますが)
今の民主党は(意図的な物なのかもしれませんが)自信過剰な言動が多いです。鳩山さんの普天間問題での「私を信じて」だかもその類でしょう。強力なリーダーシップを発揮するためには驕ることも必要なのかもしれませんが、やはりそれでは長続きしないでしょう。民主党は国民をもっと納得させるべきです。信頼というのはその人の日頃の行い、実績などといったもので産まれる物です。民主党にはそれが無い。だからしっかりと国民と一緒に、国民主導の政治を行って欲しい。(むしろ実績無しの信頼は、盲目の信頼ですから非常に恐ろしい。「自由な政府は信頼ではなく猜疑によって建設される」みたいな言葉をどこかで見たので実績による信頼も良くないのかもしれませんが。)
大分説明責任から逸れましたが、小沢さんはどうやら法廷で真実を明らかにしたいようなので、小沢さんに出来る責任を果たす方法は事件の捜査に出来る限り協力し、一刻も早い解決をする事だと思います。
しかし、検察の事情聴取にも忙しいといって応えていないようですし、説明責任は果たされていないのではないかというのが私の意見です。地方のイベント等はキャンセルしてでも聴取に応じるべきだったと思います。

Posted by: サテー | 01/17/2010 at 08:20 PM

>黙秘権をはじめとする憲法および刑事訴訟法が保障する権利を有する
だれもが黙秘権という権利を有し行使できる世の中が望ましい事は同意いたします。が、国民に選ばれた政治家という立場でその権利を行使することがどのように国民の目に映るかを考えると、黙秘することの政治的ダメージは決して小さくはないと思います。特に小沢幹事長は、この説明が足りない、あるいはそれを軽んじる政治家と受け取られているように思いますので。政治家はやはりメッセージ力という能力が最重要なのではないでしょうか。その意味で悪魔の証明に挑むことも時には必要で、たとえ証明は出来なくとも心に響くものがあれば国民・メディアから指示を得る可能性はあると考えます。どのような状況であろうとも、政治家として窮地に立ったときの行動が「黙秘」では有権者を愚弄していないでしょうか。

Posted by: 愛読者 | 01/19/2010 at 02:31 AM

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