« December 2009 | Main | February 2010 »

January 2010

01/19/2010

小沢問題に関する考察 - 検察の捜査方法への疑問

先日の記事はアクセスもかなりあり、皆さんの関心の高さが解りました。特に、記事の趣旨に賛同するコメントをこのブログやツイッター、はてなブックなどでいただき、反響が良く嬉しいです。

多くの方が小沢問題に限らず、刑事事件一般の報道機関の姿勢に問題意識を共有しているということが解りました。前回の記事でも紹介した「永田町異聞」というブログのKyoさんという方が、報道する側の視点からこの問題にさらに切り込んでいるので、興味のある方は読まれることをお勧めします。新聞報道、テレビ報道の裏側が見えてきます。

さて、今日は、反響が大きかったこともあり、より小沢問題に特化した形で、報道機関が伝える情報からでは解らない話(法律の話にウエイトを置いて)を紹介しようと思います。

なお、諸般の事情により、以前よりブログ等に費やす時間がないため、コメントへの回答を未だ行っておりませんが、公開したものに対しては目を通しています。回答がしばらく遅れることをお許しください。

1.あっせん収賄(刑法197条の4)の成立可能性について

一部で、小沢一郎幹事長に「あっせん収賄が成立するのでは?」という話も聞こえてきました。そこで、まず、この成立可能性について解説します。

結論から言いますと、あっせん収賄の成立は難しいでしょう。

あっせん収賄罪の場合、「報酬」が「あっせん行為をすることに対する対価関係としてなされている必要」があり、一般の賄賂の概念である「公務員の職務に関する不正の報酬」とは異なります。

つまり、お金を出す側が事実上期待しているだけでは駄目で、お金を受け取る公務員の側が、あっせん行為(本件で言えばダムの受注工事の権限を有する公務員に贈賄者の要求を取り次ぐこと)をすることの対価としてお金を受け取らなければなりません

ここで特に問題となるのが、故意です。つまり、対価性の認識が必要で、これを立証する必要が検察にはありますが、おそらく、小沢氏側にその認識があったとは認定しづらいように思います。

また、あっせん収賄罪の場合、他の公務員に対し、職務上の「不正な行為」または「相当な行為をさせない」ようにすることが要件となっています。

換言すれば、贈賄者の法を曲げる行為の要求を「取り次ぐ」必要があり、そのような働きかけを小沢氏側が受注担当の公務員に行った事実があるという認定もかなり無理があるでしょう。

よって、仮に報道機関が垂れ流している捜査機関の一方的な情報が真実であるとしても、この犯罪の成立はかなり無理があります。たとえば、仮に、小沢氏側の人物が談合の仕切り役であったとしてダム受注に影響力があったとしても、公務員に対する働きかけの事実は一切報道されておらず、あっせん行為の存在が認定できないのでしょう。

以上のことから、あっせん収賄でも有罪は難しいわけです。

2.検察の意図

一部メディアでは、検察の意図につき、元検察官の弁護士などが、収賄などでの起訴が難しいことを承知の上で、政治資金規正法の虚偽記載の悪質性を立証するために行っているという分析がでています。

おおむね、私もそのように考えるべきなのだろうと思います。

しかし、これが妥当かと問われれば、妥当性を欠く捜査手法と考えます。

なぜならば、原資の違法性を匂わせるだけで、賄賂の罪での起訴を視野に入れたわけでない捜査であるとすれば、かかる情報のリークは世論誘導のためになされていることが明らかで、刑事手続き上の捜査を超えた不適切な行為だからです。

そもそも捜査情報の提供は、公式の記者会見で行われるべきものです。それを、「関係者の話」という形での捜査情報のリークをすること自体許されるべきでないことに加え、仮に、検察が賄賂の罪での起訴が無理であることを承知の上で、その種の疑惑を誘発する情報を漏らすことはあってはならないことでしょう。

次の事例を考えてみてください(極論がもしれませんが、今回の問題構造を考える上で、面白いと思ったので紹介することにしました)。

あなたが免許不携帯で捕まったとします。通常は逮捕・勾留なんてありえない犯罪類型なのに、「悪質だ」という理由で逮捕・勾留されました。

免許不携帯の理由は、半年前にインターネットで知り合い、身元を隠して付き合っている不倫相手に会うためでした。

その不倫相手は、会社の金を数億円横領していたことから、すでに捜査機関の事情聴取を受けており、横領の事実を認めていました。

その不倫相手は、あなたと結婚したいと一方的に思っていたので、お金を貢いでいました。しかし、あなたがお金を要求したことは一度もなく、不倫の関係であることも相手は知っていました。

捜査機関は、あなたを免許不携帯で逮捕・勾留したことにつき、「なぜ免許不携帯だったかという事実が同罪の悪質性立証のために必要なものである」と公式に発表しました。

他方で、捜査機関は、あなたの不倫相手の話として、「横領した金をあなたと結婚することを期待してとんでもない額を貢いでいた。」、「これほどの額を貢ぐのは異常だ。」、「結婚詐欺に当たるのではないか。」などと、あなたが詐欺罪を行ったと匂わす情報をマスコミに流したとします。

しかし、あなたは一度も金銭の要求もしたことがなければ、離婚して結婚することの約束もしていませんでした。

翌日、マスコミには、あなたの実名とともに、結婚詐欺疑惑が全国的に報道されました。

さて、あなたはこの捜査機関の情報のリークは妥当だと思いますか?

この事案は、私が考えたものですが、今回の小沢氏に対する検察の姿勢を考える上で、より身近な事案(身元を隠して不倫関係を持つことが身近かどうかわかりませんが、献金を受けるよりは想像しやすいのではないでしょうか)に引きなおして考えると、違った印象が出てくるのではないでしょうか。

まず、捜査機関は、小沢氏の事件において、形式犯である政治資金規正法違反の悪質性を理由に、通常ならば、逮捕、勾留などに至らない事案で、逮捕、勾留を行いました。これは、上記事例の免許不携帯という形式犯で、通常ならば、逮捕・勾留はされない犯罪類型として再現しました。

次に、西松などの裏金という違法な金が小沢氏に流れていたという問題を、横領による違法な金が流れていたという点で再現しました。

最後に、小沢氏側の賄賂の罪の成立可能性がない点につき、結婚詐欺の成立可能性がないという形で再現しました。

厳密に考えれば、上記事例と小沢氏の事例との間に齟齬があるかもしれませんが、大まかに考えると、この架空の事案と小沢氏の政治資金規正法の検察の姿勢は非常に似ていると思うわけです。

上記事例であっても、捜査機関の捜査手法が妥当であると果たして考えられるでしょうか。

3.罪刑法定主義に反する解釈

一部で、賄賂の罪等での起訴ができないから、政治資金規正法違反で徹底した捜査をすることで、検察は社会的正義を貫こうとしており、これは妥当だという主張がされているとききますが、これは刑事法の原則である罪刑法定主義に反する解釈で、非常に危険です。

いかなる行為が犯罪となり、それに対するいかなる刑罰が科させるかにつき、予め法により規定されなければならず、これは憲法31条の要請するところです。

したがって、賄賂の罪に当たる行為がされていないのであれば、その行為は罰せられません

仮に、検察が、賄賂の罪に当たる行為あるとして起訴できないから、政治資金規正法違反で、行為の悪質性を強調して、賄賂の罪の分も社会的非難にさらして正義を実現しようと本当に信じ込んでいるとすれば、それは非常に恐ろしいことです。

ある行為を罰することが不可能だから、起訴可能な別の軽微な犯罪の方で、悪質性という理由でその分も非難しようというのは、およそ罪刑法定主義が憲法の要請であることを理解した法律家が行うべき解釈ではありません

4.検察陰謀論の拡大解釈には注意を

一部では、冤罪を主張する人々が、今回の事件と自分の事件を同視して、検察の陰謀論を主張していることを見かけます。

その方々の事件については、現在係争中ですから、有罪だとか無罪だかいう点を議論するつもりはなく、その点についてのコメントは差し控えます。

しかしながら、1つ言えること(むしろ、言うべきことなのかもしれませんが)は、小沢幹事長の政治資金規正法の虚偽記載という今回の事案と、上記の方々が受けている嫌疑とは、犯罪の類型や罪質が異なり、同視すべき事案とは違うと私は思います。

この点、ツイッターでは先行してつぶやきましたが、例えば、この問題で検察陰謀論というべき主張をして、自己の事例と同視した批判をしている方として、鈴木宗男衆院議員がおり、先日の民主党党大会でも、熱く検察批判をしていらっしゃいました。

しかし、鈴木議員への起訴事実の1つは、あっせん収賄罪であり、これは実質犯です。つまり、保護法益を侵害する犯罪類型であり、免許不携帯や政治資金規正法の虚偽記載のように、法益侵害のない形式犯とは異なる犯罪類型です。

また、証券取引法違反に問われている堀江貴文氏に対する嫌疑も、証券取引法の風説の流布、偽計取引の罪、有価証券報告書虚偽記載が起訴事実において問疑されている罪名です。

この点、確かに、証券取引法違反は、形式犯であると従来からは理解されてきましたが、市場の公正や一般投資家の財産上の利益を害して、不当な財産上の利益を得る悪質な事例が増えたということから、現在では実質犯化していると評価されています。

そのような理解を前提とすると、堀江氏への起訴事実もやはり実質犯の類型ということになり、今回の小沢氏の政治資金規正法違反とは異なる犯罪類型であるといえます。

これに対しては、政治資金規正法が実質犯として理解すべきという主張もありますが、私はこの主張は乱暴な印象を受けます。

なぜならば、一般的に、賄賂の罪のような公務の公正と国民の信頼という保護法益に匹敵する実質的な法益侵害が無いあるとまでは現時点においては言えるのか非常に疑問が残るためです。

一方、金融商品取引法(この前身が証券取引法)違反は、一般的に、市場の公正、一般株主の財産上の利益を犠牲にし、不当な財産上の利益を上げている事例が多いため、実質犯化していると評価することには抵抗を感じません。

これに対しては、判例について嘘の記事を書いても訂正することをしない産経新聞「政治資金規正法は有権者を欺く実質犯だ」という主張をしていますが、有権者の信頼が犠牲になっても、有権者に財産上の不利益は生じていません。

確かに不実記載があることで、「騙された」と感じる有権者がいたとしても、それは有権者の投票行動の一資料に誤りがあったに過ぎません。

金商法違反は、誠実な一般投資家に対し、"財産上の損失"を与えますから実質犯化しているという評価は法律論として説得力がありますが、政治資金規正法違反は財産上の損失を与えませんし、同法違反における有権者の信頼は、法律上保護されるべき利益にまで高められているとは評価できないと考えるのが多数的見解だと思います。

同新聞の記事は、形式犯と実質犯の違いが保護法益(法律上保護されるに値する利益)侵害の有無であるという点を看過し、不利益の有無を基準としている点で、法律論として説得力がないと私は思います(本来は法律上保護すべき利益にまで高められたという説得ある立論があってしかるべきですが、判例について嘘をつき続ける産経新聞にそれを期待することが間違いなのかもしれません)。

したがって、実質犯と形式犯という明確な違いがあるので、今回の事件を奇貨として、およそ特捜部の取り扱った事件がすべて検察の恣意的捜査だという理解はすべきではないでしょう。

話を陰謀論の問題に戻しますと、陰謀論はおもしろいですが、概して、説得力を欠きます。陰謀論の妄信は時に問題の本質を見誤らせます。

私も今回の小沢氏の事件において、検察の捜査手法に対し批判な意見を述べているわけですが、国策捜査だとか、陰謀だとかとは思いません。

政治資金規正法違反という点を見る限り、虚偽記載は認めているわけですから、有罪の可能性が高く、いわゆる冤罪事件には当たらないことは明白です。

しかし、「ある行為を罰することが不可能だから、起訴可能な別の軽微な犯罪の方で、悪質性という理由でその分も非難しよう」という姿勢が検察官にあるとすれば、それは過剰な必罰主義であり、そこには冤罪を生み出す体質があると言っても過言ではありません。

私は、一連の捜査手法は、こうした理由から妥当性を欠き、自白偏重型の「密室司法」、「人質司法」という実態と相まって、捜査機関の捜査権限の行使に強い疑念を感じているるわけです。

その点で、最初に紹介したKyoさんという方のブログ記事も、陰謀論に組みするものではなく、刑事報道におけるメディアの実態がいかなるものかを適切に紹介しており、法律論とは別の視点からこの問題に対し鋭く迫るもので、貴重な情報だと感じています。

5.特捜部は水戸黄門ではない

地検特捜部が社会的正義を貫く機関という主張がありますが、これもかなり問題のある発想です。国家権力である以上、この機関の行うことは正義であるという妄信は、人類の歴史上、非常に危険であることは十分立証されているでしょう。

私が特捜部関係で違和感を感じるのは、特捜部をいわゆる水戸黄門に例えて、社会的正義を貫く機関であると紹介することです。

この見解は、特捜部の実態、刑事司法制度のあり方、水戸黄門の本質を理解していないと私は思います。

水戸黄門は、予審判事的な色彩と、事実認定を行う裁判担当の裁判官的色彩が一体となった存在であり、職権調査主義、職権探知主義を徹底した存在です。

簡単に言うと、裁判官たる水戸黄門が犯罪事実の物証を自ら調査し、確たる証拠に基づいて、事実認定をしたうえで、悪人を処罰します。

しかし、特捜部はあくまで現行刑訴法の当事者主義における当事者の一人に過ぎず、事実認定権限もなければ、処罰権限もありません。特捜部の検察官に、「自分は水戸黄門と同じだ」という考えがあるとすれば、それは奢り以外の何物でもなく、人権蹂躙につながる危険な発想と言わざるを得ません。

水戸黄門だって、弥七やお銀、飛猿を使って確たる証拠を確保したり、自らがその現場にいって直接五感の作用で覚知したものを証拠資料として、有罪とすることの十分な心証を得たうえで、「助さん、格さん、懲らしめてあげなさい」という展開になるはずです。

決して、「ある行為を罰することが不可能だから、起訴可能な別の軽微な犯罪の方で、悪質性という理由でその分も非難しよう」という発想はありません。

こういう発想をもった検察機構が自らを水戸黄門と紹介したりすることは、非常におこがましいと私はいつも思ってしまいます。

さて、以下、本日の話題に関連するお勧めの書籍です。

まず、先日も紹介したこの本は、裁判員制度開始前の書籍ですが、裁判官の陥りがちな問題点を鋭く指摘しています。この書籍の著者である秋山賢三弁護士は、最近では、防衛医大教授の痴漢冤罪事件で、弁護人を務めていた方で、最高裁で無罪判決を勝ち取りました。冤罪事件の活動で著名な方です。

次の本は、自白のメカニズムについて解説している本です。おそらく多くの人々は自白に迫られるような状態を意識したことはないのではないでしょうか。なぜ虚偽の自白が起こるのかを考える本としては良いと思います。

*下記のバーナーをクリックすると、ポイントが入りランキングに反映され、多くの方に閲覧されるチャンスが増えるようです。この記事を読んで、他の人にも広めたいと思った方は、クリックしてみてください

にほんブログ村 政治ブログ 法律・法学へ
にほんブログ村

| | Comments (6) | TrackBack (1)

01/16/2010

刑事事件に対する未熟な報道 ― 小沢問題からの考察を中心に

諸般の事情により、従前のような頻度でのブログ記事更新が困難となっており、読者の皆様には申し訳なく思っています。

今日は、どうしても、小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法の問題に対する既存の報道とは違った視点から、私見を発信すべきと考え、端的ではありますが、この問題を題材にして、刑事事件における検察および報道機関の問題点を指摘したいと思います。

1.起訴状一本主義、予断排除の原則に反する報道

刑事訴訟法256条6項は、「起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添付し、又はその内容を引用してはならない」と定めており、これを起訴状一本主義(予断排除の原則)といいます。

この趣旨は、公平・公正な裁判の実現のために、裁判官は、捜査官の心証をそのまま引く継ぐことなく、予断を排除して、公判に臨む必要があるという点にあります。

我が国の刑事法制下にあっては、人は起訴され、被告人になって初めて、予断を持っていない裁判所により裁かれ、その公判手続きにおいても、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が貫かれなければなりません。

しかしながら、裁判員制度が始まっても、メディアが検察や警察から出てくる情報を鵜呑みにし、立証されていない事実があたかも、事実として立証されているかのように報道され、すべての報道機関の論調がほぼ同じなのは、非常に違和感を感じずにはいられません。

小沢幹事長の問題に限った話ではありませんが、捜査の早期段階において、本人が自白し、自白の任意性に疑いがないような事件は格別、そうでなければ、メディアはその影響力に鑑み、視聴者たる国民に予断を生じさせないよう慎重な報道をすべきでしょう。

とりわけ、小沢幹事長の政治資金規正法の問題では、同法が問題としていないお金の原資が誰に帰属していたのかという点につき、憶測報道で「ゼネコンからの受託収賄では?」という報道が流れています。

しかし、収賄(刑法197条1項)の構成要件は、「公務員が、職務に関し」と規定されており、一般的職務権限を有する公務員であることを要求しています。

この「一般的職務権限」とは、かなり広い概念ではありますが無制限ではなく、その職務が一般的・抽象的に公務員の職務権限に属する場合を言います。

国会議員は確かに特別公務員として、上記「公務員」には当たりますが、野党の党首にダム受注に関連する一般的職務権限を認めるのはかなり無理があります。小沢幹事長に収賄罪が成立することはおそらくないでしょう。

このように犯罪の成立が非常に微妙なものであることを無視し、あたかも金銭のやり取りの事実から収賄があったという短絡的な憶測報道は、国民に予断を生じさせ、世論をミスリーディングするものではないでしょうか。

それを大手メディアのほとんどすべてがやっている現状は、日本のマスメディアの人権意識の低さを露呈しているように思います。

また、以前にも西松建設の事件の際に指摘したのですが、刑事事件に対する憶測報道、捜査機関の一方的報道といった現状が、裁判員制度に与える影響は非常に大きく、検察に情報開示のあり方、報道における予断排除に関するあり方を徹底的に議論する時期に来ているのではないでしょうか。

メディアに良識的判断を求めることが不可能であることは、今までの刑事事件に対する報道姿勢から既に立証されたように思います。もっとも、「メディアの刑事事件に対する報道を統制しろ」という乱暴な議論をするつもりはなく、私個人の意見としては、米国のように、一定の捜査情報を公式の会見等で開示するなどの措置がメディアスクラムを緩和させるのではないかと期待するところです。

2.逮捕はあくまで相当の嫌疑があるという段階に過ぎない

我が国の報道では、逮捕事実を非常に重視する社会風潮がありますが、逮捕された段階でも未だその被疑者の有罪が確定したわけではありません。

逮捕の要件は、①犯罪に対する相当の嫌疑が存在すること、②逮捕の必要性であり、逮捕段階では、相当の嫌疑があるに過ぎません。

しかしながら、多くの報道は「怪しい」に過ぎないものを、断定的かつ捜査機関の一方的情報ばかりを垂れ流すため、あたかもその事実が相当の嫌疑ではなく、そうした事実が存在するかのような報道に至っています。

「逮捕に踏む切ったのは収賄に関する事実があるからだ。」などというこれも極めて憶測もしくは、妄想に近い意見がメディアを踊っていますが、前述のように、収賄の成立は極めて困難であり、本件はあくまでも政治資金規正法の不記載による逮捕ですから、逮捕されたから問題だというのは、検察、警察という捜査機関の判断に対する絶対の信頼を置くもので、妥当ではありません。

3.説明責任に対する考え方

刑事事件が絡んだ場合の政治家の説明責任のあり方についても、議論の余地があります。メディアにとっては、良いネタ(飯のタネ)ですから、記者は政治家が絡む刑事事件について、ここぞとばかりに「説明責任を!」と主張します。

しかし、政治家であっても、刑事事件の被疑者ないし被告人になる可能性がある場合については、当然、黙秘権をはじめとする憲法および刑事訴訟法が保障する権利を有するわけです。

今回を機に、どういう説明責任の話し方が理想的なのかという議論を深めるべきだと私は思います。

法廷は公開が原則ですから、起訴された場合に、公判廷を通じた立証活動により説明責任を果たすというあり方も私はあり得るし、これはこれで尊重すべきだと私は思います。

メディアが満足する説明をしなければ、説明責任を果たしたことにはならないというのであれば、これは不可能を強いているようにも思います。なぜならば、メディアが格好の飯のタネについて、満足した説明が得られたなどということは、過去の刑事事件報道を見ていれば明らかだからです。

本日付の読売新聞には「小沢幹事長の説明が『義務』になった」との記述がありましたが、これも首をかしげたくなりました。

義務というからには、法的義務があるということを前提としているのでしょうが、果たして秘書が逮捕されただけで法的義務が発生するのでしょうか。

あくまで、政治家という地位から生じる社会的意味に置いての説明責任があるに過ぎず、「義務」などと偉そうにいうのは私は読売新聞の記者の奢りでしかないと思います。

以前、この問題に関し、「小沢氏は合理的な説明を」という見出しも見かけました。しかし、私からすれば、犯罪がないという説明をすることは、「無いこと」の証明というある種の悪魔の証明となってしまう一方、犯罪の嫌疑をかけているのは検察であり、本来は検察官に立証責任があるわけです。

そうだとするならば、小沢氏が政治家たる職責から一定の情報開示をすることは必要ですが(既に小沢氏は関係する書類をすべて公開していると言っていますが)、合理的な説明をすべきは検察なのではないでしょうか。

検察が捜査や公判の影響を理由に公式の情報開示をしないことが認められるならば、小沢氏だって、刑事事件や捜査への影響を理由の説明できないという抗弁も認められてしかるべきでしょう。

本来、第三者的立場で、検察や政治家を監視すべきメディアが、検察からの非公式の情報リークを餌に、御用聞状態になって、一方の側の情報を垂れ流すだけで検証せず、本来の職責を忘れてしまっているのは非常に恐ろしく思います。

こうした報道が死刑も含めた刑事事件においてなされ、予断を国民に生じさせ、予断を抱いた国民が裁判員に選ばれ、その結果、冤罪を作ってしまったらということを考えると、冤罪を作るのは、捜査機関や裁判所だけでなく、他ならないメディアということになると私は思います。

ただ、インターネットメディアには、非常に冷静かつ明快な情報提供をしている元新聞記者の方(リンク先はKyoさんという方の「永田町異聞」というブログ)もおり、日本のメディアの刑事事件に対する報道姿勢が未熟とはいっても、地道に正当なジャーナリズム活動をしている方がいることも忘れてはならないでしょう。

以下、本日の話題に関連するお勧めの書籍です。とくに、右から3番目の書籍の著者である秋山賢三弁護士は、最近では、防衛医大教授の痴漢冤罪事件で、弁護人を務めていた方で、最高裁で無罪判決を勝ち取りました。冤罪事件の活動で著名な方です。

にほんブログ村 政治ブログ 法律・法学へ
にほんブログ村

*上のバーナーをクリックすると、ポイントが入りランキングに反映され、多くの方に閲覧されるチャンスが増えるようです。この記事を読んで、他の人にも広めたいと思った方は、クリックしてみてください。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

01/08/2010

会社はみんなのものだけど… ― 公開会社法法制に対する疑問

年末年始はスーザン・ボイル(Susan Boyle)さんの来日の話題を取り上げ、日本の読者の方はもちろん、世界中の方からのアクセスがあり、コメントをいただけたので、記事として集中的に取り上げた甲斐があった。特に、「日本の技術力のPRになった紅白歌合戦」という記事は、アクセスが最も多く、注目を浴びたようである。

そろそろエンターテイメントの話題から、真面目な話題に移行しようと思う。

既に、政権発足から100日は過ぎたので、心置きなく鳩山政権に対する批評をしようとおもう。といっても、私は先の衆議院選挙で大敗を喫した自民党の議員たちのように、批判のための批判といった薄っぺらい議論はしたくないので、無党派層の一人として、公平な見地から、私見を発していく。

さて、ここ最近、インターネット上で、「公開会社法(仮)」に関する話題が熱を帯びているようである。おそらく、1月5日に報道された、同法案の法制審議会への諮問のニュースがこの話題への注目を高めたのであろう。

ニュースを見てみると、この法案の立法化に携わっているのは、ツイッターの活用で有名な民主党の藤末議員というので、驚いた。

私は過去の記事で藤末議員のツイッター活用を絶賛したが、この法案に対する評価は必ずしも同じではない。日経BPに示された藤末議員の主張には論理の飛躍と現行会社法に対する認識に問題があると私は感じている。

そこで、公開会社法(仮)について簡単に私の疑問を紹介しようと思う。なお、以下の私見は、報道により知る限りの知見に基づくものであり、民主党の素案を精査した上でのものではないことを断っておきたい。


1.会社は誰のものかという問題設定をすることへの疑問

まず、藤末議員は、公開会社法の制定を目指す理由として、以下のことを述べている。

「会社は誰のものか」とは、古典的な命題だ。株式会社の運営においては、保有株式数に応じた議決権が定められており、法律的には「株主のもの」で結論づけられるはずだ。それにもかかわらずこの古典的命題が繰り返し言及されるところに、人々の問題意識があるといってよい。お金を出した人(株主)と返す人(経営陣)とで会社が成立するのなら何も問題はないのだが、従業員・顧客・仕入先といった他のステークホルダー抜きには会社は成立しえない。

そもそも、公開会社法の制定に当たり、このような命題を設定すること自体がおかしいということに私は気がつくべきだと思う。

「会社は誰のものか?」という問いに対しては、私は、「当然みんなのもの」であると答える。株主はもちろん、経営者、労働者、消費者、社会全体といった、個々に企業の活動に対し、事実上の利害関係を持つ者のために会社は存在する。

当り前であろう。営利法人は法人格を有する社会的実在として、人権の享有主体性が判例により認められている。社会的実在として社会的相互依存関係の下で営利活動を行っている以上、そこに事実上の利害関係を持つ他者との関係で、会社は存在するわけである。

しかし、「会社は誰の所有権に属するか?」という設定をすれば、それはもちろん、株式という、いわば分割された所有権を有する者、つまり、株主の所有権に属すると私は答えるだろう。この点、藤末議員も「法律的には株主のもの」と言っていることからも、この点に対する認識は同じであろう。

問題は、前者の「会社は誰のものか?」という非常に抽象的な問題設定と、後者の「会社は誰の所有権に属するのか?」という具体的・法的問題設定とを混同して議論することにある。

少なくとも、私の知る限り、こうしたトンチンカンな議論をするのは我が国だけである。上記の問題設定の混同が、株主至上主義だという良く解らない主張を生み出し、「会社のコンプライアンスや監督是正権の実効性確保」という本質的な問題点からズレた議論を生み出してしまっていると私は考える。

したがって、そもそも、一番重要な公開会社法制定の目的・趣旨の段階において、民主党の主張は迷走してしまっているのである。


2.従業員代表監査役は監督是正権の形骸化につながる

報道によれば、公開会社法素案は「監査役に従業員の代表を選ぶよう義務づけること」を盛り込んでいるという。しかし、私はこの改正は百害あって一利ないし、この改正によりますます監査役の業務は形骸化しかねないと警鐘をならしたい。

会社法335条2項は、「監査役は、株式会社若しくはその子会社の取締役若しくは支配人その他の使用人又は当該子会社の会計参与若しくは執行役を兼ねることができない」と定めている。

つまり、監査役を使用人である従業員が兼業することを禁止しているわけである。

この趣旨は、そもそも監査役の職務が「取締役の業務執行に法令定款違反がなく適正であるかを審査する適法性監査」を行うことであるところ、類型的に取締役から独立性を有しない者による監査は、監督是正機能を果たさなくなるため、兼業を禁止した点にある。

簡単に言えば、監査役というのは、取締役を会社の実質的所有者である株主に代わり、法令や定款に反する行為をしていないか、善管注意義務違反をしていないかを監督する立場にあるのであり、そうであるならば、従業員のように取締役の指揮命令下にあるような使用人を監査役に置くことは不適切ということなのである。

実際に、大企業の労働組合でさえ、最近は御用組合になり下がっているとの批判が多い中で、仮に、公開会社法を制定して、従業員代表を監査役に据えたところで、取締役の言いなりになり、監督是正権を行使することができなくなることは容易に想像がつく。

労働組合の組織率が低下し、数の力でも、取締役等に経営者に対抗できないような従業員が、監査役になり1名から数名が役員として名を連ねたところで、法令順守の適正な経営に魔法がかかったのごとく変化することはあり得ないと私は断言する。

重要なのは、既に多くの法律家が指摘しているように、現行法下であっても、監査役にその自覚を持って、十分な適法性監査を行うインセンティブを設けることであろう。

例えば、まず、監査役としての業務を怠れば、会社法423条による任務懈怠責任が問われ、膨大な損害賠償責任を個人的に負うことになるということの周知徹底が必要であると私は思う。

次に、会社法429条1項は役員等の第三者に対する損害賠償責任を定めている。したがって、取締役や監査役がその職務を怠たったことにより、会社債権者、消費者、労働者、その他の利害関係人に損害を生じさせ、悪意・重大な過失がこれらの役員等にあれば、損害賠償を個人的に負うのであり、この点も周知徹底する方法を考えればよいのではないだろうか。

既に、法律家の多くが指摘しているように、制度を変えればよくなるというのではなく、あるべき姿に向けどういう制度運用をすべきかをまず議論すべきであり、現行制度でおよそ無理だというのであれば、法改正なり、別立法をすればよいだろう。

現状でも、取締役の監視義務について、判例(例えば、最判昭和44年11月26日や昭和48年5月22日)はなかなか厳しい態度を取っており、任務懈怠による423条、および429条の損害賠償責任を果たすように、裁判所かかなり厳しい方向で認定しようという態度があると感じる。

また、監査役の監督義務についても、直接的に認めた判例は未だないように思えるが、下級審判例ではそれに言及しているものが増えている。また、上記2つの判例は、監査役の監督義務の任務懈怠は認めていないが、これらはコンプライアンスや内部統制構築義務が現在のように叫ばれる状況以前の判例であり、現行の会社法下において同様の事案が生じた場合には、監査役の監督義務違反が認定される可能性はかなり高いだろう。

したがって、判例、裁判例を通じて、司法はステークフォルダーへの利害関係への配慮を現行法の下でもかなり行ってきている。

そのような状況の中で、わけのわからない法改正をすることは、企業法務における混乱を招くだけで、セミナーや顧問料などでの弁護士の飯のタネ増やすことはできても、健全な会社運営を実現するのは無理であろう。


3.ネーミングからして法的センスを感じない

あまり法的センスとかいう言葉を使って、批判するのは好きではないのだが、公開会社法というネーミングは、どうしても法的センスを感じない。

報道によれば、別立法により、上場企業を対象にした立法措置であるといわれている。だったら、「上場会社法」にすべきであって、公開会社法なんていうネーミングは、たとえ、素案段階であっても、混乱を招くだけである。

会社法2条5号は、公開会社の定義につき、「その発行する全部又は一部の株式の内容として、譲渡による当該株式の取得について株式会社の承認を要する旨の定款の定めを設けていない株式会社をいう」と定めている。

つまり、譲渡承認を要する以外の会社はすべて公開会社であり、上場していないような小さな会社でも、譲渡承認を要する旨の定款の定めをしていない会社はすべて「公開会社法(仮)」の適用対象になるのではないかという重大な懸念を生じさせているのではないだろうか。

上場企業に限ったことならば、公開会社法なんていうネーミングは絶対避けるべきだっただろう。適用対象にならない中小企業に対し、不要な不安をまき散らすだけである。

仮に公開会社全部をネーミング通り適用対象にするとなれば、中小企業で公開会社に当たる会社にとっては著しい負担になる。

制度の適正な運用は期待できないし、中小企業の負担になるというだけであれば、こんなものは百害あって一利ないし、それこそ、民主党不況、鳩山不況などと揶揄されるだろう。

こういうことへの配慮が回らないのは、同法の策定に関わっている民主党議員の法的センスの欠如と断じても言い過ぎではないのかもしれない。


4.企業不祥事の早期発見や労働者の地位向上は別の法改正で対応すべき

私も十分に公開会社法の立法趣旨がつかめていないので、推測の域をでないのだが、民主党議員の発言や報道を聞いていると、公開会社法の立法趣旨の背景には、「企業経営の法令順守の確保」と、「労働者の地位を向上させ、企業経営にもその意見を反映できるような状況を作りたい」という思いがあるのだろう。

この政治的、経済的な面からの当否は別として、それを実現するのであれば、会社法という基礎法に影響を与え、企業法務に混乱を招く恐れのある公開会社法なる立法をするのではなく、現在存在する公益通報者保護法や労働組合法の改正等によって対応すべきではないかと私は思う。

公益通報者保護法は所管である内閣府のPR不足や人員不足も相まって、十分な機能を果たしていない。内部通報というのはなかなか勇気のいることである。しかし、日本より法整備がしっかりしているアメリカやイギリスでは、かなりの効果をあげているし、企業不祥事の早期発見による影響の最小化にも成功している事例が多々ある。

公益通報者保護法の徹底したPRはもちろん、公益通報者への対応を専門とする窓口(消費者庁の所管にすることも考えられるだろう)を設けたり、英米などの保護法制に見られる徹底した通報者のプライバシー保護を法改正により可能にすることで、企業不祥事の早期発見はかなり実効性あるものとなるのではないだろうか。

下手に御用従業員代表監査役を設けるより、よっぽど有効な手段だと私は思う。

また、労働者の地位向上をするのであれば、これは労組法の問題として扱うのが適当で、やはり、使用者と労働者には一定の緊張関係があって初めて、有効適切な労使関係が保てるということは歴史上明らかではなかろうか。

労働者保護に熱心に向き合わなかった労働組合の組織率の低下による弱体化のツケをごまかすためにこのような立法をするのであれば、最終的に不利益をこうむるのは労働者である。

また、労働者の地位向上を図るのであれば、労組内部や労組間対立などによる労働者不在の主義主張を改め、ストに寛容な社会の構築も重要であろう。

そうした議論は、労働法制の議論として行うべき話であって、会社法などの基本法に影響を与える形ですべき議論ではない


5.終わりに

私はどうも民主党の公開会社法制の動きは、ピントがずれているように感じてならない。労働者の地位向上という点においても、形だけはやっていることを支持母体である労働組合にアピールするだけで、集団的労使関係の本質的な問題に切り込んでいないため、結局、個々の労働者の地位向上には繋がらない無駄な立法をしているように思う。

利益が労働者の給与に十分に反映されていないという点を問題とするならば、これは労働組合が真摯に労働者の地位向上に向き合わず、内部の権力闘争や御用組合化した結果であって、法制度の問題ではない。

支持母体であるならなおさら労働組合の組織率低下、弱体化の本質的な議論をすべきである。少なくとも、イギリスのブレア前首相は、徹底した労働組合批判と労働党の旧来的な労働組合寄りの政策を改め、労働組合のための政党ではなく、労働者のための政党に生まれ変わったというイメージを打ち出すことで、長期政権を実現した。

民主党は、自己満足的な実効性の乏しい立法をして、形式的なアピールをするのではなく、一日も早くブレア前首相の改革の本質を見習った政策を打ち出すべきである。

こうした多くの人々からの批判や不安、懸念を無視し、どうしても法制化してしまうのであれば、少なくとも、企業法務の実務家、例えば、東京地裁民事8部に在籍した経験のある裁判官等が参加した形での議論をしてほしい。

以下の本が本日扱ったテーマを深く理解するのに良いと思います。菅野先生の労働法は法律を学んだことがある人向けです。会社法の神田先生の本は必要十分で、読みやすいと思います。

にほんブログ村 政治ブログ 法律・法学へ
にほんブログ村

*上のバーナーをクリックすると、ポイントが入りランキングに反映され、多くの方に閲覧されるチャンスが増えるようです。この記事を読んで、他の人にも広めたいと思った方は、クリックしてみてください。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

01/06/2010

Susan Boyle will visit Japan again in the Spring.

>>check also other articles on Susan Boyle

Susan Boyle will visit Japan again this coming spring.

According to the Daily Sports, a Japan's tabloid newspaper, Susan Boyle got more than 30 job-offers such as interviewing and singing on the TV program in Japan because of her appearance on the NHK music gala, "Kohaku Utagassen" on the New Year's Eve.

The tabloid newspaper says "'Boyle Sensation' will conquer Japan again."

According to its source, when Susan started her performance on the music gala, the rating of its program increased 6% suddenly. Susan left Japan with showing her great presence to Japan's public.

The Sony entertainment, which is Susan's CD album selling agency got more than 30 offers from TV programs, magazines, and radio stations. She got offers even from news programs. It is literary "Susan Boyle phenomena".

Her album, "I Dreamed A Dream" was sold 300,000 copies already in Japan, which is remarkable number as foreign song CD album.

According to the Sony, it was sold more 50,000 copies around her visit time and they are adjusting her re-visit to Japan now.

Susan only visited the Hikawa Shrine, which is famous as the God of the Entertainment. She left Japan on the New Year's Day. Susan herself also said she wanted to come back to Japan and eat Sushi again. Therefore, Japan seems to have favorable impression on her now.

Right now she has been relaxed in Scotland, so the newspaper said she would show us her more energetic appearance when she revisit Japan this spring.

>>check also other articles on Susan Boyle

| | Comments (6) | TrackBack (0)

Susan Boyle gained 42.2% of rating on the NHK music gala

>>check also other articles on Susan Boyle

Susan Boyle gained 42.2% of ratings on the NHK music gala, "Kohaku Utagassen" in Japan. It is above the average of 40.8%, so it looks like Susan Boyle contributed to pulling up the average rating.

The highest rating was 50.1%, which a Japanese pop singer group called "Dreams Come True" was singing.

You can watch the NHK music gala on the website called "the NHK On Demand" if you pay, but you cannot watch the part of Susan Boyle there. According to the NHK, they cannot get permission from Susan Boyle side.

Plus, the NHK continuously get rid of her performance video clips on the YouTube so far.

Therefore, her performance in Japan can be the rare one that you can hardly watch.

>>check also other articles on Susan Boyle

| | Comments (2) | TrackBack (0)

01/03/2010

日本の技術力のPRになったNHK紅白歌合戦 ― 英語サイトをNHKは作るべき

紅白歌合戦に関する話題を連日伝えてきたので、今日はそれに関連するが、少し真面目な話をしようと思う。

以前、2009年12月5日付の記事で「NHKは収益機会を喪失していると言う話をした。今回はそれに関連する。

現在、紅白歌合戦でのスーザン・ボイルさんの招聘により、YouTubeでその動画を見た世界中の人々がNHKのハイビジョンの美しさに驚嘆する声を残している。

たとえば、

「なんて美しい動画なんだ。日本のテクノロジーはやっぱり世界一をキープしている」、

「ボイルさんの歌声も素晴らしいけど、これほど美しい動画を見たことがない。」、

「日本の技術力、品質は本物だ。」、

「これがまさに水晶のように美しい(クリスタルクリアー)というべき画像だ。音も本当に素晴らしい。今まで見たボイルさんの歌う映像の中で一番の出来だ。」、

「こんなに美しく素晴らしい動画を削除しないでほしい。NHKの担当者お願い!」

等の声が世界中からYouTubeやボイルさんのファンサイトに寄せられているのである。

そこで、私は、NHKが紅白をオンデマンドで配信すると言っていたので、もちろん、海外向けにも英語で見られるようなサイトがあるのかなと思って調べたのだが、残念ならが存在しないようである。

確かに、NHKオンデマンドの英語サイトを作ったところで、海外の人がどれだけ日本に関心を持って視聴し、それが収益につながるかは疑問だろう。おそらく通常はそれほどいないかもしれない。

しかし、今回、ボイルさんで世界的には日本の紅白歌合戦に対する注目がかなり高まっていたし、現在もYouTubeでかなりの人が動画を見て、ボイルさんの歌声とともに、日本の映像技術に驚嘆の声が集まっている。

これはまさに日本の技術力をアピールする有益な機会だったのではなかろうか。

この国際化された時代に、英語対応のサイトがないことがそもそも問題である。

NHKは民放とは違い、公益性の高い放送局である。そうであるならば、目先の利益だけを考えるのではなく、こうした機会に徹底して日本のPRに努めるべきではなかろうか。

いつもNHKが作っている「面白くないが映像は美しい」という番組を世界に配信することで、世界の人々は少なくとも日本の映像技術の高さが世界一位だということを実感してくれるはずである。

しかしながら、現在NHKがやっているのは、美しいと称される動画を著作権に基づいて削除することだけである。

削除するのは正当な権利の行使であり、私は構わないと思う。

だが、折角、日本の美しい映像に興味を持った海外の人々が沢山いるのだから、有料であってもそれが楽しめるように英語サイトを構築すべきである。

例えば、YouTubeなどに部分的に紅白のハイライト映像を入れて、数分間のウェブCMを英語で作り、有料の英語化されたオンデマンドに誘導する。

こんなシンプルなことをするだけで、日本の技術力の高さをかなり世界に周知できるはずである。中国のGDPが日本を超えるなどというニュースを報じるより、日本の技術力をPRすることが重要であろう。

おそらく、この美しいハイビジョンのスーザン・ボイルさんの動画に接した海外の人々は、日本の技術力に驚嘆するだけでなく、日本の製品に対して今後良いイメージを持って接してくれるはずである。

確かに、現在でも、NHK World EnglishとかNHK World Premiumなどのサイトはあるがそこにあるコンテンツは非常に限られているし、映像もハイビジョン映像ではない汚い画像のものが多い。

これでは、日本の技術力のPRにはまったくもってならない。

著作権などいろいろな問題はあるにしても、NHKは、その公益性の使命を再認識して、何とかして日本の映像技術を海外にPRする機会を活かすべきであろうが、やはり、受信料の守られたNHKの経営戦略にそうした視点を求めることが無理なのであろうか。

私はNHKのさらなる変化に期待したい。

にほんブログ村 政治ブログ 法律・法学へ
にほんブログ村

*上のバーナーをクリックすると、ポイントが入りランキングに反映され、多くの方に閲覧されるチャンスが増えるようです。この記事を読んで、他の人にも広めたいと思った方は、クリックしてみてください。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

01/02/2010

The NHK music gala, which Susan Boyle had been invited, got 40.8% as its rating on New Year's Eve

>>check also other articles on Susan Boyle

According to the Video Research, a Japan's dominant rating research company, the NHK music gala on New Year's Eve, "Kouhaku Utagassen", got 40.8% of viewers as average in Tokyo region. In Osaka region, rating was 40.3%.

The music gala was consisted of two parts. Susan Boyle appeared on the latter half part.

The rating of first half part was 37.1% in Tokyo region and 34.0% in Osaka region.

It's slightly declined compared to that of 2009, but it's within the margin of error and it was pretty good job that the NHK music gala hold more than 40% rating for two consecutive years.

The show itself has been criticized that it is getting less music festival and more comedic variety show by using Japanese pop idols who do not have enough voice ability.

It's also been criticized that there were so many old singers who do not make any hit recently and it is getting into a groove.

Therefore, there are many Japanese people who surprisingly think the NHK did pretty much good job on its rating.

However, I should also need to mention that the rating research in Japan has one big problem. The research is dominated by one single company and they only take 600 families as its sample. There is criticism that it does not reflect the real rating accurately.

This is only an average rating during 4 hours of the show and we still do not know the rating of an each individual artist yet.

I also add more information about Susan and Japan's reaction to her on my previous article. Check it out.

>>check also other articles on Susan Boyle

Continue reading "The NHK music gala, which Susan Boyle had been invited, got 40.8% as its rating on New Year's Eve"

| | Comments (5) | TrackBack (0)

01/01/2010

紅白のスーザン・ボイルさんに世界も魅了(日本の大みそかはブリテンズ・ゴット・タレントに制される)

明けましておめでとうございます。

今年最初の記事も、やはり余韻が残る紅白歌合戦の話題。

海外メディアのスーザン・ボイルさんへの注目度は本当にすごい。

既に前回の記事で紹介したように、紅白歌合戦でのボイルさんの歌声が放送された直後に複数の動画がYoutube上にアップされ、現在ではかなりの数の動画がネット上に存在している。

また、英国の大衆紙、ミラーを始めとして、各国のメディアもそれらの動画を電子版で紹介。

オーストラリアのインターネットメディアは、「スーザン・ボイルのチームが紅白歌合戦で敗北」と題して、ボイルさんの紅白出場を伝えている。

記事は、6年連続で白組が優勝したことに言及したうえで、「ボイルさんは紅白歌合戦での紅組の敗北に責任を感じることはない。昨年のBritain's Got Talentで2位だったボイルさんだが、本当に勝利したのは誰だったろうか?」と締めくくり、スーザン・ボイルさんの日本初の生歌が成功したと報じている。

アイルランドのメディアも、紅白歌合戦でのボイルさんの成功を紹介。今年最後のボイルさんのメッセージとして、「私が夢を持つ人々にアドバイスできることは『決してあきらめないで』ということです。私が夢をかなえることができたんですから、誰でも夢をかなえることができます。」と伝えている。

実際、海外のスーザン・ボイルファンは、紅白でのボイルさんの情報に飢えているようで、昨日の21時から、日本だけでなく海外からの当ブログへのアクセスが急増している。

その原因は、海外のスーザン・ボイルさんの有名なファンサイトに当ブログの英語記事が「日本でのボイルさんのパフォーマンスに関する素晴らしいブログ」というコーナーで掲載されたため、日本のボイルさんへの反響が気になるファンがアクセスをしてくれているようである。

同サイトを覗いてみると、世界各国のファンが日本でのボイルさんの「I Dreamed a Dream」について、「今までの生演奏の歌声で一番美しい。」と絶賛する声が多い。

また、「カナダでの12月の公演はキャンセルされてしまった。こんな素晴らしい生演奏を聴けるなんて、日本の視聴者が羨ましい。」と羨む声もある。

さらに、「スーザンが着物を着て歌う姿を見てみたかった」という演出への注文も相次いでいる。確かに、ある意味面白いし、ボイルさんの身長は小柄なので、似合っていたかもしれない。

このブログにも、外国の方がわざわざ、日本語で「明けましておめでとう」と新年のあいさつをしてくださる。

ボイルさんはまさに2009年のエンタメ業界の顔であり、2010年もボイルさん旋風は未だやむ気配がない。

日本のメディアの一部では、ボイルさん来日にNHKが支払った額が1000万円近いことを伝えるものもあるが、これだけ日本が注目され、大みそかに彼女の歌声を生で聴けたことが世界中から羨ましがられていることを考慮すると、その額は決して高すぎたとはいえない。

むしろ、日本の視聴者の多くが最近感じているように、日本国内での視聴率を意識して、三十路を越えた歌唱力のない特定事務所のアイドル芸能人による過剰な演出に高い出演料を払う方がよっぽど受信料を無駄にしていると言えるかもしれない。

インターネットでの紅白についてのコメントを見ていると、「歌の力」という今回の紅白歌合戦のテーマにまさに即していたのが、スーザン・ボイルさんだったと称する声が多い。

年々視聴率が低下する紅白歌合戦だが、ボイルさんの歌声は、紅白歌合戦が歌番組であるという本来の姿を日本の視聴者にも気がつかせ、国内外の素晴らしい歌唱力を持つ真の歌手を紅白の舞台に招へいすることの重要さを教えてくれた気がする。

なお、世界のスーザンボイルファンは、YoutubeのNHKハイビジョンの画像の美しさにも驚いたコメントを寄せていた。NHKは紅白歌合戦にボイルさんを招いたことで、日本のテクノロジーの凄さもPRできたかもしれない。

BARKSによれば、ボイルさんは1月1日帰国の途につき、以下のようなメッセージを残してくれたそうである。

日本の印象について「日本の皆さんはどこでお目にかかっても私にお辞儀しながら会釈をしてくださいました。日本人の『人を敬う気持ち』を体感したような気がします」と語り、「また是非日本に戻って来たいと思います」と笑顔で日本を後にした。

スーザン・ボイルさんという世界が注目するスターを通して、日本の良さが世界に発信できたとすれば、第60回NHK紅白歌合戦は今までにない成功だったのではないだろうか。

ちなみに、フジテレビでは同じ番組で世界的に有名になった元携帯電話のセールスマン、ポール・ポッツさんを招いて、紅白に対抗していた。

名実ともに、2009年の大みそかは、イギリスITVのブリテンズ・ゴット・タレント(Britain's Got Talent)に制されたと言えよう。

今回のスーザン・ボイルさんの「I Dreamed A Dream」の歌声を聞いて、ミュージカル、レ・ミゼラブルに興味を持った人も多いだろう。私は残念ながら、未だ帝国劇場で行っている日本のレ・ミゼラブルのミュージカルは見たことがないが、米国ブロードウェイと英国ロンドンで数回鑑賞したことがある。

レ・ミゼラブルはブロードウェイやロンドンのミュージカルの中でも、非常に洗練された質の高い作品で、私の大好きなミュージカルの1つである。

英語が苦手な人でも、有料だが日本語でのガイダンス機能の音声装置を借りることができるので、ブロードウェイやロンドンに行った時は是非見てほしい。

以下のCDは10周年記念にベストメンバーにより歌われたCDで、数あるレ・ミゼラブルのCDの中でも一番歌手のレベルが高く、お勧めである。ちなみに、日本の鹿賀丈志さんも最後に日本のジャン・バルジャン(主役)の代表として、一節を歌っているのも興味深い。

以前はこのビデオやDVDも販売されていたが、現在は輸入版のみらしい。再度この映像が見れるDVDが日本でも販売されることを望みたい。

にほんブログ村 政治ブログ 法律・法学へ
にほんブログ村

*上のバーナーをクリックすると、ポイントが入りランキングに反映され、多くの方に閲覧されるチャンスが増えるようです。この記事を読んで、他の人にも広めたいと思った方は、クリックしてみてください。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

Susan Boyle conquered Japan's biggest music gala on the NHK

>>check also other articles on Susan Boyle

I am sure that Susan Boyle fans around the world are eager to know how Susan did her first performance in Japan. Did Susan succeed her first performance in Japan on the New Year’s Eve?

The answer is simple. “Yes, she did”.

Susan Boyle showed up on the screen around 21pm in Japan time, which is the golden time for the TV stations because everyone from young to elderly can see it in its time.

As I mentioned in my previous article, Susan seemed to be nervous at first, but a little accident, which Susan cannot understand what a Japanese actor said in English and the audience thought that this actor’s English is too bad to make himself understood, made Susan more relaxed.

Japanese people definitely enjoyed Susan's great performance on the NHK music gala.

For instance, one internet user in Japan says, "Susan's performance was the highest level and she could be the wind-up singer of the NHK music gala". Another user says, "she was the best singer in the music gala". There are also many people who say, "please come back to Japan again and do the music tour".

Some Japanese peole even compared Susan Boyle with other Japanese singers on the gala.

Previously, Akiko Wada, a Japan's established singer, criticized the NHK by making Susan Boyle its gala's highlight.

However, her criticism came back to her as a boomerang. Japanese people severely criticized Akiko Wada through the Internet (like Yahoo Japan News' comment section) by saying, "You are the last person who can critize the NHK and Susan", "You do not have the beautiful voice like Boyle", "You even should appreciate the NHK by letting you on the stage although you do not have the voice", etc.

Besides, almost all Japanese medias evaluate her performances on the NHK music gala very positively.

For example, the Daily Sports, the Japanese tabloid newspaper, said that Susan's beautiful voice swept the entire length of Japan.

The Nikkan Sports, another tabloid newspaper, said, “Susan Boyle fascinated the audiences with her perfectly accurate musical pitch and transparent voice. Her album selling already reached to 8 million around the world. It seems like Susan Boyle will break through as a star in Japan due to her performance on the nation’s biggest music gala in Japan. ”

The Sankei Newspaper, a conservative newspaper in Japan ,also described the applause that Susan got as "waterfall".

According to the Sports Houchi, another Japan’s famous tabloid, Susan visited Hikawa Shrine in Tokyo, which is famous for worshiping the God of an entertainment, right after she arrived in Japan on December 29th. However, she could not sleep well on 30th because she was too nervous after the rehearsal on the music gala. On the NYE, Ms. Boyle also stayed in a hotel all day to focus on her performance on its evening and she was very nervous before the gala.

After her performance, Susan seemed to be satisfied and she was smiling to the media all the time. Although she was even asked a weird question whether she liked the escort of a Japanese actor, Takuya Kimura, by a Japanese media after her performance, she gave the media great smile.

When I checked Japanese people’s comments on an Internet, most of them (maybe 9 out of 10 people) are very satisfied with Boyle’s beautiful voice on the NHK music gala, “Kohaku Utagassen”.

The NHK music gala has been criticized that the program is getting too much like a comedy variety show and not focusing on music anymore by the Japanese people.

These Japanese people now say that they feel Susan Boyle’s performance was amazing wakeup call and Susan’s voice complied with the theme of the NHK music gala, “the power of the song”. There are also comments that they want to see Susan Boyle in the next year’s NHK music gala.

According to the Japanese media, she now left Japan for going back to her home in Scotland. Susan left Japan by leaving a message that Japanese people always bowed her anywhere she met and she felt that she experienced "Japanese sense of respects toward others". She also said that she wanted to come back to Japan definitely with her big smile.

Her comment above also attracts a lot of Japanese people by knowing her great personality as well as her beautiful voice. They are saying on the internet that they are now eager for her possible concert tour in Japan.

As you can see, Susan Boyle literary conquered Japan.

Happy New Year From Japan!

ESQ

A Japanese political and social blogger.

P.S. some people from the world, especially from America, may wonder why I put an picture of LBJ on my blog. The reason I use his picture is that he is one of my favorite U.S. President.

By the way, the Fuji TV, the Japanese commercial TV, actually invited Paul Potts to compete the rating on the New Year's Eve in Japan. Actually, Britain's Got Talent conquered Japan's New Year's Eve.

Paul Potts sang Memory from the musical Cats in Italian.

>>check also other articles on Susan Boyle

Continue reading "Susan Boyle conquered Japan's biggest music gala on the NHK"

| | TrackBack (1)

« December 2009 | Main | February 2010 »