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12/16/2009

憲法秩序に反しているのは宮内庁 ― 天皇の親善外交について憲法学から考える

今日は、シリーズ化した「名誉毀損に関する正しい理解」の最終回(第5回)を前に、別の話題をひとつ取り上げたいと思います。

この問題を記事にする場合、法律のカテゴリーなのか、政治のカテゴリーなのか迷いましたが、憲法論という法律論的視点から私は意見を発信しようとしていますから、法律のカテゴリ―に入れました。

今日取り上げるテーマは、中国の副首相と天皇の会談をめぐる羽毛田宮内庁長官と小沢幹事長の批判についてです。

中国が嫌いかどうか、民主党政権を支持するかどうか、小沢幹事長が好きか嫌いか、右翼的な思想か左翼的思想かなどは別として、法律論的に言えば、結論として、小沢幹事長の発言が正しいことは明らかです。

これには2つの理由から説明が可能です。

1つは天皇が中国の副主席と会うことなどの親善外交は、憲法7条10号の「儀式を行うこと」に該当し(高橋p44)、これは天皇の国事行為であるところ、憲法3条は「天皇の国事行為に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」と定めているからという理由です。

もう1つは、天皇の親善外交は、象徴としての地位に基づく公的行為であり、公的行為についても、国事行為に準じて内閣によるコントロールが及んでいる以上許容されるという考え方です(学説の多数説)。

いずれの説にたっても、内閣の助言と承認または内閣による民主的コントロールが存在する以上、憲法上の問題はなく、政治利用という批判はおかしな話です。

つまり、宮内庁に助言と承認権限があるのではなく、内閣に助言と承認権限がある以上、それに従うのは憲法の要請するところであって、内閣が助言と承認として、中国副主席との親善外交を天皇陛下が行ったのであれば、問題は法律上一切ありません。

宮内庁長官をはじめとして、無責任に職務を放り投げた元首相やそれ以降も無責任な首相を容認してきた自民党の議員、さらにはメディア等も、憲法の基本中の基礎知識すら欠如して、「政治利用だ」という批判をしていますが、天皇の親善外交は国事行為または公的行為として国事行為に準ずる行為ですから、助言と承認行為を政治的利用と批判するのであれば、あらゆる天皇の国事行為および公的行為が政治利用で不適当ということになってしまいます。

そもそも、国事行為は形式的・儀礼的なものといっても、天皇が象徴たる地位に基づき、内閣の助言と承認を必要とする以上、一定の政治性が帯びてしまうのは不回避的です

例えば、環境問題の水に関わるシンポジウムに参加することでさえ、環境問題は既に政治化してしまいますから、これも政治利用ということになってしまいます。

つまり、公的行為である以上、政治性は帯びるのが当然であって、純粋な政治性のない国事行為なんてありえません

この点、メディアやインターネット上で、国事行為の理解につき、通説である芦部説の定義のみを覚え、誤解している人が散見されます。

芦部説は、天皇の国事行為について、「政治(統治)とは関係しない形式的・儀礼的行為」と定義付けています。

しかし、この定義の重要な部分は、「なぜ、政治性が無くなるのか」という部分です。

多くの人はこの部分を見落として、内閣の助言と承認に基づき、宮内庁のルールが曲げられたから、「政治利用だ!」と批判しています。これは批判として本質を見誤っています。

この点、通説は、もともと国事行為とは、国政に関する行為であり、政治性を有する行為であるが、内閣が助言と承認を行うことにより、その結果として天皇の行う国事行為が形式的・儀礼的なものになると説明します。

したがって、内閣の助言と承認がない国事行為は、そもそも政治性を有する国政に関する行為といえます。

よって、「内閣の助言と承認に基づく、天皇の政治利用を止めろ」というのは、「国事行為そのものを行うな」という話になってしまい天皇の存在意義を否定することにつながりかねません。

また、この問題について小沢幹事長を批判する人々は、国事行為という憲法上の天皇の権能の問題と、対中国外交の是非や小沢氏の強引な政治手法に対する批判とを混同してしまっているのではないでしょうか。

私個人の意見として、小沢氏の対中国外交姿勢や永住外国人の地方参政権付与に対する姿勢、さらには説得のリーダシップを尽くさない粗雑なメディアへの対応には問題があると考えていますし、賛同しかねます。

しかし、その問題と天皇の国事行為に関し内閣が具体的に助言と承認を与えることの是非という憲法議論は、切り離して考えなければなりません。

体調不良を理由に職務を放棄し、責任も取らなかった元総理大臣のように、自分の政治思想に反するとか、自分の気に食わない外交方針であるというだけで、「政治利用だ」と薄っぺらい批判をし、内閣による天皇の国事行為に対する助言と承認の所在を宮内庁に今まで通り許そうとする方が、よっぽど天皇陛下を利己的に利用しています。

また、一官僚に過ぎない宮内庁長官が政府の決定に異議を公に唱えている点もはおかしな話です。

日本は閣僚も含め統一感がなく、バラバラのことを言いたがります。

しかし、日本よりも自由主義が浸透しているアメリカでは、行政府の政治家、官僚は、通常、大統領の決定に反する発言を公にはしません。自分の地位と発言の重みを知っているからです。自分の信念に反する大統領の政策が行われる場合には、辞任するのが通常です。

もっとも、政治家は民意を経てまたは今後経るという立場の下で、意見を言うわけですから、そうしたバラバラな意見を言うことの是非は民意により判断されれば良いでしょう。

しかし、官僚ということになれば話は違います。彼らは民意を経ていない官僚に過ぎません。

上級官僚が公に内閣の方針にあからさまに批判することは、憲法72条の定める内閣総理大臣の行政各部に対する指揮監督権に背くものであり、憲法秩序を乱す許し難い行為です。

今回を機に、内閣の助言と承認のあり方についても、宮内庁任せにせず、しっかりと内閣において、憲法秩序に従った運用をしてほしいと思います。

例えば、「君臨すれども統治せず」の理念の下にあるイギリスでは、女王陛下と首相が週に1回程度、会食をして、社会問題や政治問題、外交問題に対して意見交換します。

これらのことは一切公開されませんが、女王陛下が国民の関心事項や政治問題を把握する上で極めて重要な機会となっています。

ブレア元首相がイラクへの派兵決定をする際にも、エリザベス女王陛下と意見交換したと言われています。

確かに我が国は、象徴天皇制で、英国とは制度が違います。天皇の地位については、エリザベス女王と同じ国家元首なのか、それとも国家元首は首相なのかという議論があるくらいです(この点、学説の多数説は国家元首を首相と考えています)。

しかし、憲法3条が天皇の国事行為に関するすべての行為を内閣の助言と承認を必要と規定した趣旨には、英国型の君主制を1つのモデルとして想定していたことは否定できません。

そうであるならば、天皇の国事行為等を宮内庁に任せきりにするのではなく、天皇陛下に内閣総理大臣が週1回程度など頻繁に会って意見交換をし、国情を把握してもらうことや象徴として首相に対し考えを非公開で伝えてもらうことは、現行憲法3条が規定する内閣の助言と承認を行う上で極めて重要なことではないでしょうか。

今までの自民党が、内閣の助言と承認を事実上宮内庁の官僚に任せきりにして、閉鎖的な皇室像を作ってきたことが問題だったと私は思います。

これは内閣法制局についても同じことが言えます。

9条の解釈について、政府見解を内閣法制局が定め、それに歴代の内閣を拘束させてきています。

しかし、内閣法制局は所詮内閣の下部組織に過ぎず、彼らには一切の有権的憲法解釈権限はありません。

事実上、民意を経ていない内閣法制局の官僚による憲法解釈に歴代の内閣が拘束され、またはそれを望んてきたに過ぎません。

これほど非民主的な制度はないでしょう。

そもそも、憲法解釈の有権的な判断が唯一憲法上許されているのは司法権を司る最高裁を頂点にした裁判官のみです。

裁判官が作った判例、裁判例で示される憲法解釈以外は、政府見解や学者の学説もすべて、単なる意見に過ぎません。

そうであるならば、歴代の内閣がそれぞれ独自の憲法解釈を自由に行い、それを国民が選挙を通じて審判できる制度の方がよっぽど民主主義に即しています。

現にアメリカの政治家は、積極的に憲法判断について自己の意見を表明します。それに基づいて、有権者はその人物が公職に適当かどうか判断が可能なのです。

「政治家が自由な憲法解釈をやれば、国民の憲法上の権利が侵害されやすくなる。だから、官僚による連続性ある解釈が必要なんだ。」という反論を官僚はするでしょう。

しかし、奢りも良いところです。立場をわきまえない馬鹿げた反論です。

憲法上権利侵害が起こった場合に救済するのは裁判所です。司法権が行政権および立法権に対する抑制として存在し、違憲立法審査権が付与されていることの意義は、権利侵害を憲法の番人として救済するためだからです。

官僚の出る幕は憲法上予定されていません。

仮に司法権が、憲法判断を回避し、立法と行政の国民に対する権利侵害を容認し続けるのであれば、有権者がそうした裁判官を指名している最高裁判所の裁判官の国民審査において、彼らにNOを突き付け、失職させればいいのです。

これこそが憲法の予定した制度運用のはずです。

しかしながら、この国のマスコミはそうした憲法秩序等に対する知識を持たなければ、持とうともせずに、間違った情報と批判を垂れ流し、国民を扇動していると言っても過言ではないでしょう。

話を今回の問題に戻しますと、天皇に対する助言と承認権限が内閣にあるにもかかわらず、1カ月ルールという法的規範性のないものに依拠して、民意の審判を受けていない宮内庁の官僚が、助言と承認権限を事実上独占してきたのがおかしな話なのです。

換言すれば、憲法の規定する秩序に違反して、天皇を利用しているのは、宮内庁であると言っても過言ではないでしょう。

なお、この問題について、揚げ足取りが得意な共産党の志位委員長は、「外国の賓客との会見は国事行為ではない」と小沢氏を批判しています。

共産党はそもそも天皇制に極めて批判的ですし、一部の県連ではHP上ではっきりと、天皇制廃止の方向である言っていることからすれば、天皇の親善外交そのものがやるべきではないという発想なのかもしれません。

ただ、国事行為に当たるか、それとも国事行為に準ずる公的行為なのかという論争ははっきり言って何の意味もありません

重要なのは、内閣の助言と承認という民主的コントロールが及んでいるかどうかです。

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小沢幹事長の記者会見発言…天皇会見問題
12月14日21時26分配信 読売新聞

 民主党の小沢幹事長が14日夕の定例記者会見で、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見に関して述べた内容は以下の通り。

 ――皇室外交について、どのような考えを持っているか。

 【小沢氏】どういう意味?

 ――習副主席が来日したが、天皇陛下との会見が30日(1か月)ルールにのっとらない形で行われることになった。

 【小沢氏】30日ルールって誰が作ったの。知らないんだろ、君は。

 ――2005年に。

 【小沢氏】法律で決まっているわけでもなんでもないでしょ、そんなもの。それはそれとして、君は日本国憲法を読んでいるか。天皇の行為は何て書いてある。それはどういう風に書いてある、憲法に。国事行為は、内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ。だから、何とかという宮内庁の役人がどうだこうだ言ったそうだけれども、全く日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。ちょっと私には信じられない。しかも内閣の一部局じゃないですか、政府の。一部局の一役人が内閣の方針、内閣の決定したことについて会見して、方針をどうだこうだと言うのは、日本国憲法の精神、理念を理解していない。民主主義を理解していないと同時に、もしどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。当たり前でしょう。役人だもん。そうでしょう。だからマスコミがそういうところを全然理解せずに、役人の言う通りの発言を報道ばっかりしていてはいけません。ちゃんとよく憲法を読んで。そして、天皇陛下のお体がすぐれないと、体調がすぐれないというのならば、それよりも優位性の低い行事を、お休みになればいいことじゃないですか。そうでしょ、わかった?

 ――天皇陛下の健康上の問題にかかわらなければ、1か月ルールはよろしいとの認識か。

 【小沢氏】1か月ルールというのは、誰が作ったんですか、というんですよ。

 ――なくてもいいものだと。

 【小沢氏】なくてもいいものじゃない。それ、誰が作ったか調べてからもう一度質問しなさい。私は、何でもかんでもいいと言っているんじゃないんだよ。ルールを無視していいと言っているんじゃないよ。宮内庁の役人が作ったから、金科玉条で絶対だなんて、そんなばかな話あるかっていうことなんですよ。天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょうと、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった?

 ――小沢幹事長が平野官房長官に、習副主席と天皇陛下の会見を要請したと報道されている。事実関係はどうか。また、天皇陛下の政治利用だという議論が起こっているが、どう考えるか。

 【小沢氏】君も少し、憲法をもう一度読み直しなさい。今、説明したじゃないですか。天皇陛下の国事行為、行動は、国民の代表である内閣、政府の助言と承認で行うことなんですよ。それじゃ、国事行為は全部、政治利用になっちゃうじゃない。諸君の理解がまったくおかしいんだよ、マスコミの。そうでしょ。何をするにしたって、天皇陛下は内閣の助言と承認でと、それは憲法にちゃんと書いてあるでしょうが。それを政治利用だといわれたら、天皇陛下は何もできないじゃない。じゃあ、内閣に何も助言も承認も求めないで、天皇陛下個人で行うの? そうじゃないでしょう。

 ――平野官房長官に要請したかどうかの事実関係だけ教えてほしい。

 【小沢氏】事実関係だけというなら、先の質問は勉強してから聞きなさい、もう少し。さっきも言ったけど、政府の決めることですから、私が、習副主席と天皇陛下を会見させるべきだとか、させるべきでないとかというようなことを言った事実はありません。

 ――明日予定されていた幹事長と習副主席の会談が中止になったそうだが、この経緯は。

 【小沢氏】予定していたわけではございません。ただ、会いたいという連絡は、あったそうですけれども。非常にお忙しい日程で、3日間で、いろんな方とお会いするでしょう。私は中国に行ってきたばかりですし、お忙しいだろうと思って、ご無理なさらんでもよろしいと。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091214-00000888-yom-pol

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日本の法律」カテゴリの記事

Comments

小沢氏に対する批判としては、そもそも小沢氏が「内閣」ではないというところに起因する意見もあると思いますが、いかがでしょうか。
つまり今回の招聘において内閣の指示は「従」であり、元は、民主党という政党の外交に利用されていると。これは政治利用にあたるのではないかと、個人的には感じています。

この部分についての見解を補足いただければ幸いです。

なお後半部分についてですが、現政権は、官僚とも、(同士であるはずの)閣僚とも圧倒的に意見交換が不足しているように感じますね。

Posted by: Rucker | 12/16/2009 at 10:39 AM

この件に関する報道に対して違和感を持ち続けてきましたが、このブログをみて、やっと確信が持てるようになりました。
私は中国が嫌いです、なぜならこの国は一党独裁国家であり、そのため自由がないからです。しかも、チベット・ウイグルなどで今でも残虐な行為を続けています。
しかし中国が嫌いだからという理由で、我が国の民主主義の精神を踏みにじる訳にはいきません。もしそれをないがしろにした場合、日本が中国よりすばらしい国であるといえるでしょうか?

Posted by: 一般学生 | 12/16/2009 at 11:31 AM

 天皇に対する内閣のコントロールが、積極的なものか消極的なものかの問題だと思います。
 自分は今回の内閣からの要請自体はさして問題はないと思いますが、天皇が拒否権を持たない以上、内閣が積極的に天皇を外交の手段として使うことは、内閣に事実上天皇に対する命令権限があることになり、これはあたかも天皇が内閣あるいは宮内庁の下部機関にすぎないような外形を備えることになるので、天皇の地位として不当だと思います。内閣からの命令を「助言」としてとらえるのには無理があるでしょう。
 ですから「助言」はあくまで文字どおりの助言としてとらえ、公正取引委員会などと同じように、天皇および宮内庁には高度な自主性を認めつつ、正当な理由がないのに助言を無視したり、国事行為や公的行為に政治的恣意性が認められる場合に限り、その作為または不作為を「承認」しないという拒否権が、内閣に認められるべきです。
 このように天皇に対する内閣の「コントロール」は消極的であるべきです。小沢氏の発言の問題点は、内閣は天皇に対する命令権限があり、民意を受けた内閣は天皇をいかようにでも操れるととれるような表現であったからです。我が国の天皇に対する一般的な感情は英国のものとは異なります。憲法で許されているからといって何をやってもいいというのは支持率の低下を招くでしょうが、その民意の反映は最長で4年後になるわけで、総選挙時の民意を盾に今現在の民意を無視してゴリ押しするやり方は、次の総選挙までの間、国民にとって専制に等しく、そのことに対する小沢氏の理解が欠けているという点が問われているのではないでしょうか。

Posted by: gase2 | 12/16/2009 at 11:52 AM

法的私もマスコミの扇動の仕方には以前から疑問を持っており、危惧しております。
根拠を使って学術論的にこの問題を丁寧に読み解く人が不思議なことに一人もいなかったため、非常に参考になります。

Posted by: 通りすがり | 12/16/2009 at 12:48 PM

天皇陛下と習国家副主席との会見に付いての国民の捉え方。憲法上は小沢幹事長の考え方は正しいかと思います。ただ国民の気持ちからすると、VIPが天皇陛下と会見される場合、我々の常識では一ヶ月どころか、半年前に設定されるのではないかと、想像しています。にもかかわらず、急な用件でもないのに、突然会いたいと申し入れてきた中国の常識に私は腹が立ちました。メディアはその点を追究せず、宮内庁と小沢氏の喧嘩と捉え、面白可笑しく発信している様に思えます。ただ想像ですが、小沢党首が国会議員を140人も中国に連れて行き、胡錦涛国家主席と各々握手写真を撮らせて貰える事を条件に、中国の非常識な申し入れに応じたのではないかと国民は類推して、非難の声が上がったのではないかと思いました。私は胡錦涛主席がよく我慢して議員個別に写真を写させてくれたことだと感心しています。今回の多数の国民の非難は1ッカ月ルール云々でなく、写真を撮らせて貰えるという裏の為に、見返りに突然会見設定の負い目を持った事に対してではないかと私は思います。先生の憲法解釈記述とは別ですが、あえて今の気持ちを書かせて頂きました。

Posted by: yumeoibitooda | 12/16/2009 at 02:51 PM

マスコミ側が、外国元首との会見は公的行為であり内閣の助言・承認は必要としない、と言い返しております。
このエントリーを読んだ私にはマスコミ側の無知がありありと分かるわけですが、しかし公的行為を内閣のコントロール下に置くべきかどうかは(多数派は置くべきとの考えだが)やはり議論もありますし一概に言えることでも無いような気がします。
それに「内閣の助言と承認」にも一定の節度という物が求められるべきであり、節度がなければ天皇は完全に内閣の駒となってしまいます。これは法律で決めてしまうと緊急時に柔軟な対応が出来ませんし、いきなり決めるというのも難しいでしょう。やはりそこはしきたりの様なもの(慣習法と言えるのかはよくわからないですが)で制限されるべきだと思うのです。それが今までの30日ルールなのではないのでしょうか?それは今まで必要であったから自然と確立された物であり、内閣が変わったからといって一瞬で変えることが許されるのでしょうか。たかが副国家主席ですよ。しかもかなりの友好状態にある中国の。

Posted by: サテー | 12/16/2009 at 02:54 PM

始めまして!
成る程、切り離して考えれば確かにその通りかも知れませんね。
でも切り離して考えれていないのは宮内庁や批判している側だけでは無いように見受けられます。
それ故の、『政治利用ではない』発言ですし。
なまじ批判側だけが切り離して語るとそれはそれであまり良くないような気がします。

また、政治利用としても相手に媚びていると思われる日程の組み方は、今後の利用のあり方についてもマイナスイメージだよな、と感じます。

Posted by: | 12/16/2009 at 03:18 PM

法律論的に正しければ、法で規制されていなければ、
何をやっても許されるべきですよね。
批判する方がおかしい。
法で決まっていないないんだから。

Posted by: | 12/16/2009 at 04:49 PM

参考になりました。

ところで、内閣の助言と承認は、閣議決定を経て行われるものだとされています。
宮内庁の官僚が行うことができないのはもとより、内閣総理大臣も内閣官房長官も、単独で助言と承認をすることはできません。
そうすると、小沢幹事長の言うように、今回の習近平副主席の接待を国事行為と捉えると、助言と承認の閣議決定がなされていない鳩山内閣の対応は、憲法違反ということになりますね。
もっとも、今回の件で個人の具体的な権利が侵害されているわけではありませんし、高度に政治的な問題は裁判の対象とはならないらしいですから、違憲を問われるような訴えを提起されることはないのでしょうけれども。

Posted by: 難波拓矢 | 12/16/2009 at 05:28 PM

多くのコメント有難うございました。個々のコメントへの返信をする前に1点注意させていただきたいことがあります。

本日の7時36分頃、「一」というニックネームの方から、特定の政治家に対する殺人予告とも取られかねない表現を含んだコメントが寄せられました。

管理人として、このような公序良俗に反し、刑法上罰すべき行為に当たりかねないコメントは、許し難く、そもそも公開致しません。

健全かつ法に適った言論活動を行う上でも、自身の御意見を表明したい場合は、法や公序良俗に反しない適切な表現行為で行ったほしいと願います。

それでは、以下、個別のコメントに対し回答いたします。


> Ruckerさん

はじめまして。コメント有難うございます。

確かに、小沢氏は内閣の一員ではありませんが、鳩山総理大臣を長とする鳩山内閣の助言と承認またはこれに類する内閣のコントロールに基づいて、天皇の国事行為または公的行為を行うことを決めている以上、私は政治利用という批判は妥当しないと考えます。

鳩山首相が小沢氏に従属しているかどうかという問題と、内閣の助言と承認に基づく天皇陛下の国事行為または公的行為なのかという話は別問題でしょう。

政党外交という点も、我が国は政党政治が定着していますし、鳩山首相は民主党の党首なのですから、政党外交も、外務省の外交もすべてその権限と責任は鳩山内閣の長である内閣総理大臣およびその内閣に依拠しています。

よって、天皇陛下の国事行為として、鳩山内閣の助言と承認を与えているのであれば、これは、法律上何の問題もないという結論に変わりはありません。

もっとも、記事でも示しましたが、小沢氏の政治姿勢などについては、憲法議論とは別に、政治家のあり方として議論の余地はありますが、メディアをはじめ、この種の問題に誤まった憲法議論を持ち出すことに危惧を感じます。


> 一般学生さん

はじめまして。コメント有難うございます。

おっしゃる通りだと思います。私も中国とは一定の距離間をもって外交に臨むべきだと思っています。中国ではまだまだ人権蹂躙が公に行われていますし、あくまで共産党独裁国家であるという事実に変わりはありません。民主主義が根付いているとは到底言えません。

しかし、おっしゃる通り、その問題と日本が民主主義の精神を規定した憲法に従って宮内庁ではなく、内閣が助言と承認を与えることは切り離して考えるべきで、後者の問題についての現在のメディアの理解には誤りがあると思います。


>gase2さん

はじめまして。

天皇陛下の地位についてですが、これはあくまで象徴であって、それ以外の役割は何も持たないことが憲法により明記されていると理解するのが憲法学上の通説です。したがって、統治機構とは切り離されたものです。

天皇の国事行為および公的行為はあくまで内閣のコントロールに服することが憲法3条の趣旨ですから、天皇や宮内庁に自主性を認めることは、日本国憲法が予定するものではなく、憲法秩序に反します。したがって、私は妥当ではないと考えます。

憲法は最高法規であり、国政を考える上で、憲法により許容されるかどうかが一番重要だと私は考えます。


>通りすがりさん

初めまして。コメント有難うございます。

参考になったとのこと幸いです。こういった国民の関心の高い話題だからこそ、法律の専門家、とりわけ、通説、有力説に依拠する学者は、積極的に情報発信して、通説的理解の共通認識をきちんと説明すべきなのかもしれませんね。


>yumeoibitoodaさん

はじめまして。コメント有難うございます。

私は中国側と小沢幹事長の間のやりとりを知りうる立場にはないので、今回の記事はあくまで純粋な憲法学の視点から書いたものです。

貴殿の御気持ちは理解いたしました。


>サテ―さん

お久しぶりです。コメント有難うございます。

おっしゃるように、マスコミの報道の仕方には問題がかなりあります。それは先日私が産経新聞の永住外国人への参政権付与の問題についての報道で、判例につき誤まった理解があると指摘したことに代表されるように、法的議論を捻じ曲げて報道する偏向性が著しく、それを読者が正しいと理解してしまうことに危惧をしています。

この種の憲法上の議論には判例が存在しませんから、「誰が何を言ってもよい」と言われればそれまでかもしれませんが、私は少なくとも、通説、また憲法学において有力説と評される学説に対する法律家の共通認識をまず理解したうえで、少数説を紹介すべきだと思います。

自分の独自の憲法解釈をするのは自由にやって良いと思いますが、やはり、通説、有力説といわれるところの共通認識に対する敬意は示したうえでなされなければ、正しい法律議論とはいえません。

しかし、メディアはわけのわからない学者を専門家と称して、非常に偏った、法律界では相手にされないようなマイナー学説を通説かのように報じたり、通説の上っ面な結論(定義)のみを紹介し、その背景にある共通認識を報じません。

私の今回の記事で一番訴えたい点は、こうした誤まった憲法解釈議論をせずに、まずは通説と有力説に対する共通認識を理解すべきということにあります。

なお、御指摘の宮内庁の定めたルールですが、私は、憲法3条に定める内閣の助言と承認の範囲を実質的に制約するもので、民主的コントロールとして内閣の助言と承認に委ねた同条の趣旨に反すると思いますから、これには法規範性はないと考えます。


>最初の無名の方(15時18分ころに投稿された方)

はじめまして。次回からは何でも良いので名前を入れてください。私の返信の対象が不明確になりますから、よろしくお願いします。

「憲法上違憲だ」とか「憲法上許されない」という主張がマスコミに踊っていることに私は違和感を感じます。

もちろん、小沢氏に対する強引な手法への批判について、小沢氏が「憲法上許されているから良い」と反論している点は、憲法解釈としては正しいと思いますが、それが批判に対する応答として正しいかは疑問が残るでしょう。

私の記事は、あくまで、憲法という法的観点から、憲法学の通説的理解に基づいて考えればどうなるかということを示したわけです。

この点、上記にも書きましたが、マスコミが引用する専門家は憲法学者として通説的、オーソドックスな方ではない人の意見を引用し、それが通説的理解のように報じているので、「それは違いますよ」という情報を提供しようというのが今回の記事の趣旨です。


>二番目の無名の方(16時49分頃投稿された方)

はじめまして。次回からは何でも良いので名前を入れてください。

無名の方が続きますと、私の返信の対象が不明確になりますから、よろしくお願いします。

法で規制されていなければなんでも許されるということですが、そのような考え方もありえるのではないでしょうか。

ただ、法律には民法90条の「公序良俗」とか、「過失」とか規範的要件がありますから、こうした規範的要件に当たるかどうかも含め、法の不知は違法性を阻却しないという刑法の法理に代表されるように、しっかり行動する側が判断しなければならないということにもなりますね。


>難波拓矢さん

はじめまして。コメント有難うございます。

おっしゃる通り、国事行為に対する助言と承認権限は内閣にあります。

仮に、今回の中国副首相との会見が親善外交として国事行為たる7条10号に当たるという説に立てば(高橋p44)、内閣の助言と承認が必要となります。

現段階で、閣議に上程されているのか私は把握していませんが、助言と承認は、通説に従うと、事前か事後のいずれにが閣議でなされれば良いということになります。

したがって、仮に、助言の段階で閣議に上程されていなくても、承認という事後的な上程で足ることになります。よって、現段階で違憲ということはいえません。

他方、公的行為であるという説(学説の多数説)に立てば、必ずしも閣議による必要はなく、内閣の助言と承認に準じて、内閣によるコントロールが及んでいれば良いということになります。

したがって、内閣総理大臣を長とする内閣が何らかの形で、決定し、その決定に従って、象徴たる天皇陛下が会見したのであれば、憲法上違憲の問題は生じないという結論になるのではないでしょうか。

現在の行政実務はおそらく後者の考え方に立ち、閣議決定しなくとも内閣のコントロールが及ばせることで足ると考えていると思います。

Posted by: ESQ | 12/16/2009 at 09:53 PM

つまりは、憲法を改正した方が、より世論や実情に近づくということですね。

象徴天皇制について、憲法を改正しようという動きはないのでしょうか???

Posted by: おやぶん | 12/16/2009 at 10:52 PM

お返事ありがとうございます。

一点気になったことがあります。
ものの本(長谷部恭男・『憲法』)によると、助言と承認は、通常は一度の閣議決定であり、事前に行われるようにするのが通例であり、それが通説だと思います。
助言と承認のどちらかが行われればよいと考えるのは、憲法制定直後の政府の説明であり、現在の政府がとっている態度とは異なるはずです。
 
今回の習近平副主席との会見については、助言と承認の閣議決定は、一切なされていませんが、それは、小沢さんの言うような国事行為ではないと考えるのが行政実務なのだから当然だということですよね。
そもそも、閣議の案件となったとはされていませんから、何らの民主的コントロールもなされていないという疑いもあります。
でも、先述の本には、「内閣の直接あるいは間接の補佐が必要」とあるので、宮内庁への指示がこの補佐にあたるといえば、民主的コントロールはなされていると考えられるのでしょう。

ここまで書いてきて、ようやく私が腑に落ちていなかった点がわかりました。
それは、「助言と承認」という憲法上規定された文言をESQ様は広く解していて、公的行為にも助言と承認を行うべきだというように(少なくとも本文を読む限りでは)読めてしまったということです。
本文における「助言と承認」は、憲法の文言とは離れて読めばよかったのですね。
法や政治の議論を生業としているせいか、文言に厳格になってしまい、大変申し訳ありませんでした。

Posted by: 難波拓矢 | 12/16/2009 at 10:55 PM

>おやぶんさん
お久しぶりです。コメント有難うございます。
憲法改正が良いかどうかは、私には判断しかねます。
象徴天皇制を変えようという動きは、右翼的な思想の方の中、保守的な思想の方の中にはいるかもしれませんが、それだけの改正のために、硬性憲法たる日本国憲法が改正されることはないと個人的には思います。


>難波拓矢さん
再度のコメント有難うございました。
公的行為として国事行為に準じるという場合は、助言と承認という(閣議)形式でなくても、内閣による民主的コントロールに服す必要があるというのが学説の多数説です。

記事中では、助言と承認という文言を、貴殿のおっしゃるように、広い意味で使ってしまったため、厳格に見れば、誤解を生じやすくなっていたかと思います。その点、きちんとかき分けるべきでしたね。訂正しておきます。

おっしゃるように、公的行為説に立てば、内閣のコントロールに服していれば、閣議という形式を経なくても良いことになります。後は貴殿のご理解で正しいと思います。

なお、長谷部先生の御本にあったという閣議の開催時期の点ですが、助言と承認という1つの行為で足り、事前か事後かは問わないのが通説だと認識しております。もちろん、事前が望ましいとは思います。

先ほどの返信で、「いずれかが」と書いてしまったために、助言と承認にいずれかという形で、誤解を生んでしまったようです。正しくは、「事前か事後かのいずれかに」です。この点も、訂正しておきます。
御指摘ありがとうございました。

長谷部先生が事前に行うのが通例というのも、事後的なものが一切許されないという趣旨ではないと思います。その方が望ましいという見解だと認識しております。

芦部先生はこの点につき、「(助言と承認)は1つの行為であり、閣議は一回開けばよいが、天皇の発意を内閣が応諾する形での閣議は認められない(芦部憲法三版p48)」とし、事前でなければならないとはしていません。

以上、回答とさせていただきます。

Posted by: ESQ | 12/16/2009 at 11:22 PM

はじめまして。

小沢発言(行為?)は違憲だとする意見には懐疑的でしたので憲法論としての見解を興味深く読ませて頂きました。

普段憲法論に触れておりませんものでピンと来ないのですが、憲法における天皇にたいする「助言」というのは実質的に命令であるとされているのでしょうか。

別の点で、内閣法制局について
>これほど非民主的な制度はないでしょう。
とされておりますが、内閣法制局の局長は時の内閣によって任命されていますので、法律設計上は(間接的ではありますが)民主的な制度になっておるかと思いますがいかがでしょうか。

Posted by: discon | 12/16/2009 at 11:41 PM

>disconさん
はじめまして。
コメント有難うございます。

貴殿の言われる命令がどういう意味として使っているかが解りませんが、助言と承認というのは内閣の権限として、1つの行為として、閣議で行われるものと理解しておけばよいのではないでしょうか。

そして、助言と承認という制度の目的は、天皇の国事行為という行動を内閣の意思の下に置くことにあるという理解をしておけば良いと思います。

命令かどうかという議論は私は聞いたことがありませんが、あるのかもしれません。これ以上はわかりません。

憲法学上、天皇が国事行為を拒否した場合どうなるのかという議論はあるようですが、私は憲法学者ではないのでそこまで詰めて理解していません。

天皇は拒否できない、拒否しないことが前提となっていると思います(いわゆる性善説的な立場ですね)。

法制局については、法制局の存在が問題といっているのではなく、政府の憲法解釈をそこが独占し、歴代内閣による変更を許さない状態にあることが非民主的だと言っているわけです。

内閣法制局には、憲法解釈の有権的権限を憲法が認めている規定は一切なく、裁判所にのみ違憲立法審査権が認められますから(憲法81条および最判昭和25年2月1日)、内閣法制局の解釈は単なる意見に過ぎません。

しかし、それがあたかもすべての行政機関を拘束する解釈権限を有する組織として事実上扱われ、歴代内閣による変更を阻むことすらあることが非民主的だと考えるわけです。

Posted by: ESQ | 12/16/2009 at 11:54 PM

回答ありがとうございます。

>貴殿の言われる命令がどういう意味として使っているかが解りませんが

少し舌足らずで申し訳ありません。
「命令」は拒否権を与えない依頼とでも言いましょうか。

(ESQさんの追認になってしまいますが)憲法を読んでいますと、天皇は「国政に関する権能を有しない」かつ「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と書かれていますので、内閣の「助言と承認」があった場合「国政に関する権能を有しない」が故に天皇に拒否権は無い。

つまり内閣による「助言と承認」は実質的に天皇に対する「命令」(職務命令と言ったほうが近いかも)であると読めるのですが間違っていますでしょうか。

>法制局については、法制局の存在が問題といっているのではなく、政府の憲法解釈をそこが独占し、歴代内閣による変更を許さない状態にあることが非民主的だと言っているわけです。

ちょっとよくわからないのですが、「法制局の局長を時の内閣が任命できる」、かつ、「内閣法制局には憲法解釈の有権的権限を憲法が認めている規定は一切無い」のであれば、「時の内閣に有利な見解を出す法制局長を任命し内閣の見解に沿った法制局見解を出させれば良い」のではないでしょうか。
#制度上そうは出来ないようになっているのでしょうか・・・?

>しかし、それがあたかもすべての行政機関を拘束する解釈権限を有する組織として事実上扱われ、歴代内閣による変更を阻むことすらあることが非民主的だと考えるわけです。

前内閣までの歴代総理大臣を(一部の例外を除き)自民党の総裁が占めていましたので、歴代内閣による変更を「法制局見解を自民党見解としたことによって」阻まれ、さらにその自民党の内閣が行政府の長であったことによって、行政機関が法制局見解に縛られていたことは法制局の職能に帰する問題では無く、自民党による長期政権であったことに帰するべき問題であるかと思いますがいかがでしょうか。

Posted by: discon | 12/17/2009 at 12:38 AM

法律学的見解から「公的行為」が「国事行為に準ずる行為」であることが証明されていませんが、法律学とはそのようなものなのでしょうか?そうだからそうなのだ、というように感じられました。さらに、「国事行為に準ずる行為」が「国事行為」に当たるというようにも読めるところも解せません。
どのあたりが法律学に基づいているのか、法律の素人にも分かるように説明して頂けると助かります。

Posted by: | 12/17/2009 at 02:36 AM

論理的には正しいと思います。ヒットラーやスターリン、古くはジャコバンの政治が法的に正しいのと同じくらいに。
しかし、多分、「法匪の論理」としか働かないと思います。

Posted by: KU | 12/17/2009 at 06:52 AM

法律論はともかく、今回の状況として。
百数十名の自派の国会議員を引き連れて彼の国の元首に拝謁し、記念写真を撮る栄に浴し、膝を折って友好親善を要請してきた身としては、例えそれが慣例に反する以来であったとしても、受けざるを得なかったというのが今回の事件の有様ですね。
 だから、俺のメンツを潰すかと恫喝して、強行を迫る。
 それは明らかに、内閣の助言と承認という原理とは遙かにかけ離れて逸脱していると言わざるを得ません。
 形式論で考えると誤ります。

Posted by: 傍観者 | 12/17/2009 at 08:24 AM

こんにちわ
とあるブログからこちらのブログを知り、今回の記事を読んで、明快な分析に非常に感銘を受けました。

さて先日以下のような事件が起きました。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-424.html

事件のくわしい背景や状況は以下のブログがくわしいようです。

http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20091215
http://d.hatena.ne.jp/kiimiki/20091208/1260279562

もしよろしければ、お暇なときにでもこちらで、朝鮮学校が公園を授業に使用していたことの違法性を分析していただけないでしょうか?
在特会という団体が、朝鮮学校が公園に設置したゴールポストを動かしたり、利用する子どもの安全のために設置されたスピーカーの線を切り、朝礼台と一緒に校門前に投げつける行為は法的に許されるのでしょうか?

Posted by: とるねーど | 12/17/2009 at 09:18 AM

日本人は過去の戦争を反省しているのです。だから、今回の件には感覚的に反対できるのです。多分、それを理解できないのは、その感覚が無いかわからない人だと思います。そして、いくら理論的に説明してもその感覚は動かないと思います。

今回の件について言えば、会った相手が重要かどうかだったということは基本的に関係ありません。法律ではないとはいえ、政権がルールを破ったことが問題と感じるわけです。反対している人は、こういう行為から過去の戦争につながったことを知っているからです。宮内庁長官が直接国民に訴えた理由も多分そういう感覚から生まれているのではないでしょうか。

憲法論等からはずれた内容になってしまっていますが、天皇制は非常にデリケートなものと言われているように、こういう感覚を大事に思っているかどうかで最終的に判断されているのではないかと思います。それこそ法律的には問題無い等の杓子定規で運用されることも同様に問題と思う人も多いはずですので、理論的に説明する場合でも、この観点は重要になるはずです。

Posted by: bb | 12/17/2009 at 04:30 PM

 はじめまして。リンクをたどってきたところ、丁寧な文章と明確な論理で書かれており、興味深く拝見させていただきました。読んでいるなかで疑問が生じましたので、1点質問させていただきたく存じます。
 自主的に行うのではなく、内閣の助言と承認を経るから天皇の国事行為・公的行為が形式的・儀式的なものになるというのは理解できます。しかし、この結論から、形式的・儀式的な公的行為を内閣が政治的に利用できないと直ちにいえるのでしょうか。助言と承認は天皇側からの政治関与を防ぐものですが、内閣の側が天皇を政治の世界に引き込んでよいのかというのは別問題とも考えられます。見る限り、大方の批判がこの点からでてきているように思われるからです。
 あるいは、助言と承認を経る以上純粋に政治性のない国事行為・公的行為は存在しないと考えた場合でも、憲法の趣旨から考えて上限は存在しないかが問題になりそうな気がします。どうも私自身が論理誤謬に陥っているように思えますので、ご指摘頂ければ幸いです。

Posted by: しげ | 12/17/2009 at 05:14 PM

形式的な判断ならそうかもしれません。「形式的」には。その内閣を実際に動かしてるのがいち政党の幹事長だ、ってことに目をつぶれば。小沢幹事長のあの逆ギレ会見を見れば、誰の指示だったかなんて一目瞭然でしょう。そういうところを考慮しないで形式だけに注目するというのは、現実を見てないんじゃないでしょうか。

与党とはいえ大臣でもない、ただの幹事長のごり押しで天皇陛下の行動が左右されて、それをマスコミが擁護する。30日ルールが憲法に則しているかどうか、なんて事よりはるかに「法治国家」としてのシステムを揺るがす事態だと思いますが。それでも「形式的には」整っているからいいんだ、というならもう何も言うことはないです。

Posted by: aro | 12/18/2009 at 03:13 AM

国事行為での会見は、大使や公使との接受でしょ。
彼は要人でしかない。
だから会見でなく引見というべき。
小沢が主導したのは明らか。
内閣としては、中国政府にルール上不可能であることも、体調不良から不可能であることも伝えてあった。
ごり押ししたのは小沢だ。
小沢は内閣の人間ではない。
民主党議員でしかない。
30日ルールは、1995年自社さ政権で当時の外務省と宮内庁で作ったものだ。
宮内庁法第2条に基づきルールを作った。
法的根拠がないとするのはおかしい。
「形式的」であっても小沢の発言は、破綻してるんだよ。

Posted by: にし | 12/20/2009 at 04:31 AM

>にしさん

はじめまして。
既に貴殿のコメントにある御意見に対する私見は、他の方のコメントに対する回答の中で十分示してあると考えます。
そちらの方を御覧いただくことで、回答に代えさせていただきます。

Posted by: ESQ | 12/20/2009 at 03:12 PM

はじめまして。

ESQさんのブログを最近知りまして、
名誉権・プライバシー権と表現の自由との調和の記事など、
記憶の整理に大いに役立たせていただいています。

ところで小沢発言についてですが、
象徴としての行為には憲法上の制約はないのでしょうか。
たとえば、「象徴」としての地位を逸脱する行為はたとえ内閣による民主的コントロールを受けていたとしても認められないのではないかということです。

象徴としての行為は、たとえば式典における天皇のおことばが憲法上認められるかという点を説明するために用いられる概念だと理解しているのですが、これとは異なり、中国の副主席との会見は明らかに政治生を帯びるものであるから、両者を同様に論じることはできないのではないでしょうか。
また、民主的コントロールを及ぼせば象徴としての行為が全て認められるとすることは、憲法7条を相対化することにはなりませんか。

Posted by: 受験生 | 12/21/2009 at 05:10 AM

>受験生さん

はじめまして。

象徴としての地位に基づく公的行為に限界はないのかという点ですが、当然限界はあります。ただ、他の方のコメントに対する回答で既に回答してますが、具体的にどこまでを公的行為として許容するかについて学説が一致した状況にはありません。

もっとも、例えば、「天皇に、特定の政党に投票しないように呼び掛けさせた」などの直接的に国政に影響を与えるような行為はどんな学説も許されないと考えていると思います。

公的行為は、「おことば」だけでなく、皇室外交(親善外交や外国元首との接受・接待など)においても問題になります。芦部先生の教科書などこのブログで紹介している本をみれば、これらを説明する概念として、公的行為を持ち出しているはずです。

気になるようでしたら、高橋和之p44や渋谷秀樹p150以下、芦部p51を御参照ください。

なお、政治性の点ですが、これも他のコメントの関係でお答えしましたが、天皇に国事行為や公的行為を認める以上、政治性を有してしまうのは不回避です。

したがって、政治性が帯びるから、すべて違憲という見解を取るなら格別、そうでない以上は、一定の政治性が帯びるような皇室外交についても、内閣によるコントロールに服している以上、許容すると考えるのが通説的見解の三行為説です。

政治性が帯びて許されないということになれば、水のシンポジウムも環境問題は政治問題化しているので、参加もできないということになりますし、それこそ原爆の追悼式についても、核問題が政治化しているので、参加すべきでないということにすらなりかねません。

結局のところ、この問題の本質は、渋谷先生の本にも触れられていますが、公的行為が国民主権等の現行憲法の制度に反しないように、内閣ひいては国会のコントロール下にあるかどうかという点が重要になってくるわけです。

Posted by: ESQ | 12/22/2009 at 12:16 AM

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