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12/04/2009

名誉毀損に対する正しい理解(3) ― 評論活動における名誉毀損

さて、既に2回にわたって、「名誉毀損に対する正しい理解」と題して、我が国の判例状況を一般向けに説明してきた。一般向けと言っても、法律用語が多く理解できないという御批判もあるだろうが、あまりに単純化してしまうと、それはそれで誤解を招き不正確知識を与えかねないので、多少の専門用語を使っている点はご容赦願いたい。

さて、今までの2回分を簡単に振り返ると、第1回では、「そもそも名誉権は何か」というサブタイトルを題して、名誉権の法的性格とその重要性を説明してきた。

端的に言えば、名誉権とは、人の社会的評価を保護の対象とする人の人格的生存に不可欠な権利(人格権)であり、憲法上保障された権利と言える。つまり、非常に重要な権利と言うことである。

第2回では、「表現の自由との調整原理についての判例の状況」というサブタイトルで、表現の自由により名誉権が侵害される場合に、憲法21条1項の表現の自由の保障という憲法上の重要な権利との調整をどのように図るべきかについて、判例の状況を刑事責任と民事責任に分けて解説した。

名誉毀損的表現であっても、①公共の利害にかかわる事項について、②専ら公益目的で、③それが真実であるとの立証があれば違法性が阻却されること、および、真実との立証ができなくても、真実であると誤信し、誤信したことに相当の理由があると言える場合には、故意が阻却され、刑事責任も民事責任も負わないという判例法理があることを紹介した。

さらに、①②の要件が緩和されていること、真実であると信じたことにつき相当の理由すら立証できないような表現の自由の行使は、他人の名誉権侵害を許容してまで優先されるべき価値がなく、内在的制約に服するべきであり、判例法理がバランス感覚に優れた法理であると説明した。

第3回は、これらの前提知識を踏まえ、意見・評論活動が名誉毀損に該当する場合はあるのか、どういう場合は判例は想定しているのかについて解説する。

3.評論活動による名誉毀損

事件・事故などのニュースに対して、多くの個人が感想を持ち、様々な意見や評論活動を行う機会は多々あるだろう。例えば、識者として登場するテレビのコメンテーターや、新聞のコラムニスト、さらには、ブログで個人が意見を発信することが容易になっている。

テレビ、新聞、雑誌、書籍上、さらにはインターネット上で、自分の意見と相反する意見がいかに間違っているかを訴える評論活動も無数に行われているわけである。

こうした意見・評論であっても、限度を超えれば名誉毀損に該当するのか、それとも意見・評論活動は、単なる事実の指摘とは異なり、無制限に許されるべきであるのかについて近年は裁判上争われ、判例法理が形成されている。

まず、妻の殺人事件関与が疑われたXについて、疑惑報道がされていたところ、Xが起訴された前日の紙面で、Y社はXと親交のあった女性Aおよび元検事Bの談話と言う形で、それぞれ「Xは極悪人で死刑」、「Xは凶悪犯で、前代未聞の手ごわさ」という題名の記事を掲載したところ、Xが損害賠償請求をした事案がある。

この事案では、「死刑」とか、「凶悪犯」とかいう表現部分が意見・論評の表明であり、事実の摘示による名誉毀損が成立するのか否かが争われた。

これにつき、最判平成9年9月9日(民集51巻8号3804頁)は、以下のように判示する。

ある事実を基礎としてなされた意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、①その行為が公共の利害に関わる事実に係わり、かつ、②その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、③意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないい論評としての域を逸脱したものでない限り、違法性を欠く

そして、前提としての事実が真実であることの証明がないときにも、行為者において事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、故意、過失は否定される

ここで、重要なのは、判例が「ある事実を基礎としてなされた意見・論評の表明による名誉毀損」と限定している点である。

つまり、判例は、名誉毀損の類型として、3つの場合を想定しているわけである。

1つ目は、典型的なケースである、事実の摘示による名誉毀損の場合である。たとえば、「政治家Aは、不倫関係にある」とか、「芸能人Bは暴力団甲組に1億円を払って、芸能活動をしている」というようなことを記事にしたりした場合である。

2つ目は、上記判例の事案のように、意見・論評の表明に事実の摘示が含まれ、その事実の摘示部分の表現が名誉毀損を構成するの場合である。例えば、上記事件で言えば、「Xは極悪人で死刑」等に表現には、Xが犯罪事実を犯したという事実を断定的に主張することで、事実の摘示がなされており、同時に行為の悪性を強調する意見表明がなされたと言え、事実の摘示部分に名誉毀損が存在するわけである。

3つ目は、(事実の摘示部分が含まれる場合でもその事実の摘示には名誉毀損的表現は存在せず)意見・論評の表明による表現が名誉毀損を構成する場合である。たとえば、先日の亀井大臣が述べたように、「事業仕分人に外国人が入っていることは憲法違反だ」という発言は、純粋な意見・論評の表明に過ぎない。これが、名誉毀損を構成する場合について、最判平成16年7月15日(民集58巻5号1615頁)は、「意見ないし論評の表明については、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、不法行為は成立しない」という

ここで、感の良い人は、2つ目の場合と3つ目の場合を具体的にどう区別すべきなのかという疑問を持つのではなかろうか。

この点、判例は、特定の表現について、「証拠等を持ってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項(客観的事実)ということができる場合」か否かによって、事実の摘示なのか意見ないし論評の表明なのかを決するという判断基準を示している。

例えば、「事業仕分人に外国人が入っていることは憲法違反だ」というのは、法的な見解の表明であって、これは証拠によってその存否を決することにはなじまないものであるから、事実の摘示を含んでいないと考えるわけである。

逆に、「Xは極悪人で死刑」という表現に含まれる、Xが犯罪事実を犯したか否かという点は証拠によりその存否を決することができる事項であるから、事実の摘示を含む意見ないし論評の表明と言えるわけである。

上記最判平成16年判決の事案は、次のようなものであった。

ある大学講師Xが出版した書籍に、Yが連載した従軍慰安婦問題の漫画が無断で使用されていたことから、Yが自身の漫画上で、Xによる漫画の無断掲載は「ドロボー」であり、Xの書籍が「ドロボー本」であるという主張を繰り返し、著作権侵害であるとの法的意見が表明された。これに対して、Xが名誉毀損による損害賠償を請求した。

判例は、「ドロボー」という表現には、著作権侵害に当たるという主張であり、この法的見解の表明は、証拠等を持ってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項ということができないのは明らかであるとして、上記分類の3つ目の類型として考え、評論の域を超えたとまでは言えないという判断をしている。

このように、意見ないし論評の表明について、人身攻撃に及ぶなどその域を超えたかどうかという緩い基準で名誉毀損の成否を決する理由について、判例は、「意見ないし論評の表明の自由というのは民主主義社会の根幹を構成する重要な自由であるため」と述べていることから、憲法21条1項が表現の自由を保障していることへの配慮であるといえる。

そこで、今後は、どういう場合に、意見・論評の表明が人身攻撃に及び、その域を超えたものとして違法と評価できるのかという点についての判例、裁判例の集積を待つ必要があるだろう(私の知る限り、現時点で最高裁判例が違法と評価した事案はないと思う)。

もっとも、平成16年判決からも、意見・論評の表明そのものが違法と評価される場合についての基準を抽出することができる。

上記判例の事案は、Xの無断引用の事実につき争いはない事案において、Xの著書での挑発的な言辞に対し、Yが「ドロボー」、「ドロボー本」という表現を用いた漫画を掲載したことにつき、違法性がないという判断をしたものである。

そうであるとすれば、名誉毀損的意見表明が、挑発的言辞がなされたことに対しての反論としてなされたわけではなく、「ドロボー」以上の過激な表現であれば、人身攻撃に至っていると評価され、違法性があると判断される余地があるだろう。

したがって、

①挑発的言辞の応酬の中でなされた表現行為か否か、

②先行する挑発的言辞の過激さの程度、

③それに対する応酬としての当該意見ないし論評の表明における表現の過激さの程度(例えば、無関係な私生活上の暴露を行っているか、「ドロボー」という表現以上に過激な表現であるかなど)

等を考慮要素とし、「人身攻撃に至っていると評価できるか否か」の判断基準をすることになりそうである。(あくまでも判例および調査官解説は該当する事例を例示していないので、本件事案から推測するしかない)。

以下の2つの事例は、私が想定した架空の事案である。

事例1:

Xの法的見解に賛同しないYが、「Xの勤務している団体は、知的レベルが低く、Xもその団体と同じ程度の低い頭脳しか持っていないし、Xの父親Aは禁治産者だったからその遺伝子を受け継ぐXは、法律を理解できる能力がない。だから、Xは間違った法的見解を雑誌甲で披露している。」という意見を雑誌乙の記事で執筆した場合。

このような事例においては、まず、Xの法的見解に賛同しないYが一方的に(Xは何らYに対して挑発的言辞を用いた意見ないし論評を先行して行っていないにもかかわらず)、「父親が禁治産者であった」という法的見解とは無関係な私生活上の暴露を行っているのであり、人身攻撃に至る表現を用いているといえるのではないだろうか。

この場合には、Xとの関係では、意見ないし論評の表明の域を超えたと評価できるのと私は考える(なお父親Aとの関係では事実の摘示による名誉毀損が成立しそうである)。

事例2:

独裁国家N国への人道支援活動をしているXに対し、それを良く思わないYが、インターネット上で、「Xの人道支援活動は売国奴のすることである」という意見に加え、「Xは、低学歴のくせに、ヒトラーの研究をしていたから、頭がおかしくなった。独裁国家N国の政治体制維持に寄与しており、殺人国家を支持している」という書き込みをした場合。

この場合も、Yが一方的に(Xは何らYに対して挑発的言辞を用いた意見ないし論評を先行して行っていないにもかかわらず)、Xの活動に無関係な「低学歴のくせに」などの表現をしており、人身攻撃に至っているのではないかと私は考える。

もっとも、「独裁国家N国の政治体制維持に寄与しており、殺人国家を支持している」という表現部分に限ってみれば、非常に過激な表現ではあるが、Xの人道支援活動そのものに対する意見ないし論評ということができ、「低学歴」などの無関係な事柄を用いているわけではないので、人身攻撃には至っていないと考える。

今回の判例法理についての考え方は、以下の文献に掲載された最高裁解説を参考にしているので、興味がある方は参照してみると良いだろう。

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