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12/22/2009

メディアの平和ボケや無知が憲法精神を破壊する

今回も、多くの反響をいただいたので、補足的な意味も込めて、天皇の会見問題について触れようと思う。

最近のメディアの報道の在り方等々を見ていると、憲法の基本的知識が欠如しており、偏った憲法解釈が最高裁の判例だとか報じたり、多数説や通説、有力説を無視したマイナー説をあたかも多数説や通説のごとく報じる現状(法律の話をする場合に全く専門が違う人をあたかも「詳しい」と称して報じることも含めて)に、私は、この国のメディアの平和ボケの怖さを感じてならない。

発端は、天皇の中国副主席との会見について、宮内庁長官の政府批判発言とそれに対する小沢幹事長の発言について、私が、ブログで憲法的観点から考察をしたことにある。

価値観や感情論が織り交ざる問題だけに、様々なコメントがあるだろうことは想定してたが、驚いたのは、形式法治主義と法の支配の考え方がごちゃごちゃになっていたり、憲法の定めた民主主義、自由主義の価値観すら否定する発想なのではないかと思われるものが多々あったことである。

もちろん、一般の方は、法律論というのは難しいかもしれないが、憲法というのは法律論といっても、民法や刑法、民訴法や刑訴法に比べれば、より一般人に思考しやすい国の根本規範である。

また、主権者である国民の一人として、憲法の基本的な思考方法は身につけておくべきであろう。さもなければ、我々は、かつてドイツや我が国の先人が犯した過ちを繰り返してしまう。

とりわけ、私が危惧しているのは、「天皇や宮内庁に自主性を認めるべき」、「形式的には正しいが実質的には間違っている」とか、「ヒットラーやナチも法律的には正しかった」などという反論が寄せられたことや一部のメディアや政治家がこの種の発想に立脚していることである。

これらの見解の裏側には、ある種の国体論(君主国体説の意味)が形を変えて存在しているかのような印象を強く感じる。

そこで、これらがいかに危険な見解で、我が国の憲法秩序に反するかを考察する。

(1)天皇や宮内庁に自主性を認めることは、国民主権の否定

憲法が象徴天皇制(1条)を定め、国政に関する権能がないと明記(4条)し、唯一例外として、明文で定められた国事行為が、内閣の助言と承認を必要とする(3条)とするとした趣旨は、国民が主権者であり、天皇は国民の決定に従う者ということを明確にする点にある(渋谷p151)。

したがって、議会制民主主義が採用される我が国においては、天皇の私的行為以外の行為(多数説である三行為説に従えば、国事行為と公的行為ということになる)は、内閣(ひいては国会)の意思の下に置かれなければならない

これに反して30日ルールに依拠し、内閣の意思から自立した宮内庁の自主的判断を認めるべきという主張は、国民主権の原理に反する。なぜなら、主権者たる国民が選んだ国会議員により信任された内閣の意思は、国民の信託がある一方、宮内庁にはそうした国民の審判を受けるような機会が存在しないためである。

ましてや、天皇に自律的に判断させるべきとするのは、国民主権そのものを否定する現行憲法の根本を否定する危険な発想である。

天皇に統治権の総覧者という極めていた非民主的要素が強い明治憲法下で、天皇制に不都合な見解は一切排除して国体思想を強要し、憲法学者、美濃部達吉を弾圧した天皇機関説事件を彷彿とさせる。

「天皇の公的行為は内閣の助言と承認がいらないので自由に天皇が判断できるはず」とかいう見解が主要のメディアに踊ることは、おそらく同じファシズムに至ったドイツやオーストリアでは、起こりえないだろう。

なぜなら、現在のドイツは戦う民主主義の思想が徹底しており、ヒトラーを崇めるような反民主主義的な思想的行動は一切許されないためである。

実際、ウィーンで2007年頃に、ナチスによるホロコーストを否定した罪で有罪判決を受けた作家がいた。

この戦う民主主義が良いか悪いかという点は別として、ヨーロッパは、戦前に回帰するような非民主的思想に非常にセンシティブである。

日本のメディア*が、内閣の意思によるコントロールを政治利用と批判し、天皇や宮内庁に自主性を尊重すべきというような発想で、報道している現状をみると、日本のメディアの平和ボケもここまで来たかとの危機感を感じずにはいられない

*少なくとも、毎日新聞は法科大学院の教授として憲法を教えていた永井憲一名誉教授のコメントを引用し、時事通信は九州大学で憲法学の教授だった横田耕一教授の見解を引用しており、憲法学のメインストリームの見解を紹介している点で、偏った少数説を通説がごとく引用する産経よりまともであることは触れておくべきだろう。

(2)形式的法治主義の発想の危険

憲法的視点からの考察に対し、「法律論という形式論としては正しいが実質的にはおかしい」という反論があった。法的解釈を形式論と称して、法律論を排除しようとすることも危険な発想である。

特に憲法論をする場合は形式論にはなりにくい。なぜなら、憲法解釈というのは、国家に対する制約原理を定めた基本法なのであるから、その解釈論は実質的な考察に裏付けられなければならないためである。

宮内庁長官の「宮内庁の定めた30日ルールを守れ」という発言と「国事行為なのだから、内閣の助言と承認があれば、それに拘束される必要はない」という小沢幹事長の発言とのどちらが正しいかという議論について、憲法的に考察する上で、少なくとも私はしゃくし定規な解説をしたつもりはない。

私は、「内閣の助言と承認」という3条の趣旨である天皇の私的行為以外を内閣の意思の下に置くという点から、民主的コントロールが及んでいるのはどちらの見解かという問題設定をして、憲法4条1項が、天皇の国政に関する権能否定し、7条各号に列挙された国事行為についてのみ、3条が内閣の助言と承認があれば行えることを明記した趣旨を、多数説や有力説に従って、丁寧に考察した。

そして、鳩山内閣の意思が天皇会見をすべきというものだったのだから、民主的コントロールが及んでおり、問題はないと結論付けたわけである。

しかし、憲法という法律議論だけで、形式論だという批判をするのは、およそ法律解釈がなんたるかを理解できていないのではなかろうか。

むしろ、宮内庁長官の「30日ルールを守れ」という発言やそれを支持する見解は、形式的法治主義のそのものではないだろうか。

形式的法治主義というのは、ルールなのだから従えというものである。これは、いかなる政治体制とも結合しうる思想であり、どんなルールでも、行政や司法をコントロールできることになる。つまり、内容の合理性は問題としない発想である。

天皇が臨時代理等を置かなければいけない程度に現段階で治療を要し、優位性の高い行事が詰まっているなどの特段の事情があるならば格別、宮内庁の定めた30日ルールに反するというだけで、内閣の意思を公の記者会見の場で批判する。

これこそ、形式的法治主義そのものの発想ではなかろうか。

宮内庁の運用する30日ルールの存在という形式的な理由だけで、公の記者会見で宮内庁長官が、国民の信託を受けた内閣の意思を批判することは、国民主権の原理をないがしろにするもので看過できない。

我が国の憲法が、民主主義に立脚している以上、形式的法治主義の発想で官僚は行動すべきではない。

他方で、当初のブログ記事の中で、私は、憲法規定の仕組みや趣旨を憲法学の多数説や有力説にしたがって解釈した上で、主権者たる国民の審判を受けていない宮内庁長官が30日ルールを盾にすることの合理性を検証し、結論として、憲法が予定する秩序に違反する許し難い行為であると指摘した。

これを形式的解釈だと評するのはあまりにも価値先行的な批判だと感じる。

実質的な考察を国民主権と象徴天皇制との関係でしているからこそ、国民主権との関係で、内閣の民主的コントロール、渋谷先生が御著書で指摘するような、国会のコントロールに服させる方が、宮内庁の自律的ルールに服させるより妥当であるとの結論になるのである。

(3)ヒトラーやナチは違法、違憲

一番恐ろしいと感じるのは、「ヒトラーやナチが法的に正しい」などという主張が出てくることである。

当初は、ネオナチの思想を持った人間のコメントなのかと思ったのだが、よく読んでみると、そういう思想ではなく、単に歴史認識を誤っていることに起因する意見のようである。

小泉元首相や小沢幹事長の政治手法を批判するときに、ヒトラーに例えるものを耳にすることがあるが、これは不適切である。

確かに彼らの手腕には強引な部分があるが、それはリーダーシップの強弱問題にすぎず、独裁的なリーダーシップであるという評価はし得ても、ヒトラーのような違法、違憲な行為に支えられて権力を手中にした者とは、まったく異なるわけである。

もちろん、彼らに対し、「衆愚政治を利用した」とか、「独裁的リーダーシップで反対派を威嚇しすぎる」とか、「違う意見を持つ者に寛容ではない」という批判はありえるだろう。

しかし、ヒトラーやナチが合法的に成立したという論法は、誤まった認識に基づき、ヒトラーおよびナチ政権下における独裁政治の本当の恐ろしさに向き合っていないからこそできる無責任な批判ではなかろうか。

例えば、ヒトラーおよびナチは1923年にミュンヘン一揆を行っている。この時から、既にヒトラーおよびナチは違法行為を犯している。実際、この事件で、ナチは非合法化され、ヒトラーも逮捕されて当時の法に照らし、死刑または終身刑が確定すべき行為を行った(Gilbert & Large, p251)。

つまり、この時点において、既に、ヒトラーおよびナチが「法的に正しい」とは評価しえない。

ヒトラーの違憲違法な行為の最たるものは、1933年の全権委任法の制定行為である。この時点で、ワイマール憲法は実質的に、憲法たる存在意義を失い、死文化した。全権委任法の制定行為は、当時のワイマール憲法との関係で、違憲違法なものだったのである。

したがって、ヒトラーおよびナチ政権はその成立過程から、国民の自然権たる言論の自由や財産権等々を侵害する違憲、違法なもので、正当化しえないものであったという理解が正しいだろう。

おそらく、ヒトラーやナチが法的に正しいという評価の背景には、ヒトラー政権が国民の大多数の熱狂的支持を受け、成立したという歴史認識があるのだろう。

しかし、これは、通説的な歴史認識とはズレている。

アラン・ブロック(Alan Bullock)の著書、「Hitler A Study In Tyranny」p137-138は、ヒトラーの首相就任につき、以下のように記述し、当時のドイツ国民の過半数以上の民意がヒトラーの首相就任に反対であったと評している。

Before he came to power Hitler never succeeded in winning more than 37 per cent of the votes in a free election. Had the remaining 63 per cent of the German people been united in their opposition he could never hoped to become Chancellor by legal means; he would have been forced to choose between taking the risks of a seizure of power by force or the continued frustration of his ambition.

ヒトラーは、自由選挙において、37%以上の得票を獲得することは一度もなかった。残りの67%のドイツ国民は、一致してヒトラーが権力の座に就くことを反対していたのであり、このような状況で、ヒトラーが首相に合法的になることを望むことすらできなかった。そこで、ヒトラーは、強制力により権力を得るというリスクを取るのか、それとも野望による葛藤を続けるのかという選択に迫られていた。

すなわち、ヒトラー政権は、国民の熱狂的な支持により誕生したのではなく、むしろ、当時のドイツの右翼政党や保守政党が、自分たちの保身のために、ヒトラーとナチスの危険性を看過して、権力を与えてしまったことにより誕生した(Bullock, p139)。

the heaviest responsibility of all rests on the German Right, who not only failed to combine with the other parties in defence of the Republic but made Hitler their partner in a coalition government.

したがって、ヒトラーやナチは、当時のワイマール憲法下において、ドイツ国民の民意により誕生したというよりは、違憲違法な非合法的手段によって権力を獲得するに至ったというのが通説的な歴史認識となっている。

(4)終わりに

最後に、間違ってほしくないのは、今回の小沢幹事長の見解は論理的に正しいということと、小沢幹事長の政治的手腕が正しいかということは別問題ということである。

これらを混同して、小沢幹事長の政治手法が嫌いだから、宮内庁長官が正しいという発想をしてしまえば、戦前の国体思想の復活を狙う危険な思想に容易く利用されてしまう

小沢幹事長の剛腕な政治手法は、小泉元首相の独裁的なリーダーシップと同様に、別途批判の対象となることはあるが、それと今回の宮内庁長官の発言は全く次元の異なる話である。

この国のメディアが、容易に戦前の国体思想の復活を狙うかのごとき危険な思想を持つ論者の意見に流され、天皇や宮内庁に、国民主権により代表された内閣の意思に反する自律性を認めることが、いかに戦前回帰につながり恐ろしいかを今一度考えてほしい

私たちは、メディアの平和ボケや無知により、国民主権の原理を失わせる「君主国対の復活を求める思想」には断固として反対しなければならない。

明日は天皇誕生日。

クリスマス前に、憲法における象徴天皇制に意味を考えたり、憲法の定める国民主権の原理がいかに等々犠牲の下に達成できたかという歴史を振り返る機会にしてみるのはいかがだろうか。

なお、上記に引用した本は以下のもの。

歴史に関する2つの書籍は洋書だが、バランスのとれた視点でヒトラーとナチドイツ時代をわかりやすく記している本である。

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特例会見問題 「国事行為」ではなく「公的行為」 必要ない内閣の助言
12月16日7時57分配信 産経新聞

 民主党の小沢一郎幹事長が、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との特例会見について、憲法の定める天皇の「国事行為」と断じた発言が注目を集めている。14日の記者会見での「会見は政治利用ではないか」との質問に対し、国事行為をよく把握しないまま「マスコミの理解がおかしい」と決めつけたものだ。護憲派の共産党の志位和夫委員長は15日、記者団に「外国賓客と天皇との会見は国事行為ではない。小沢さんこそ憲法をよく読むべきだ」と小沢氏をさとしてみせた。 

 「陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて」

 小沢氏は14日の記者会見でこう明快に主張した。

 憲法は天皇が行う国事行為として、国会召集や衆院解散などを列挙している。外交文書の認証や外国大使・公使の接受も含まれるが、実は外国賓客との会見は国事行為ではなくもっと天皇の意思を反映した「公的行為」に分類される。

 公的行為は、国事行為ではなく純然たる私的行為でもない国の象徴としての公的な活動と解釈される。(1)国政に影響を及ぼさないこと(2)天皇の意思が大きな意味を持つ-の2点を要点としており、具体的には国際親善活動のほか、全国植樹祭や戦没者追悼式へのご出席などが該当する。

 これは、小沢氏がいう「内閣の助言と承認」は必要としない。また、国事行為の場合は天皇に拒否権はないが、公的行為は憲法上の規定はなく、必ずしもその限りではない。

 皇室関係法令に詳しい大原康男国学院大教授は「小沢氏は国事行為をよく理解せずに質問者を恫喝(どうかつ)しているようだ。天皇は政権のいうことを聞けばいいと言っているようにも聞こえる。いずれにしろ不勉強であり、政治利用そのものの発言だ」と語る。(宮下日出男)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091216-00000060-san-pol

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Comments

小沢幹事長の見解は論理的に正しいということ
小沢幹事長の政治的手腕が正しいかということ
を区別できない人が多すぎる。
宮内庁の独立性を容認することが、
国民の主権を否定する事にも気づかない。
そして、マスコミやネットの世論が民意だと思う人が多い。
政治利用をしないことが戦前の反省だと多くが考えている。
民主的な利用が出来なかったことが問題だったと思っていない。
役人が政治的に利用してしまった事さえ気にならない。
日本には先が無いかもしれないと思わせる論調が多い。

多くの日本人が馬鹿なのでしょうか?

Posted by: 匿名 | 12/22/2009 at 10:57 AM

当然の前提にされていると思うのですが、補足させてください。
(誤っていたらぜひ指摘してください)

「陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて」(小沢氏)・・・は正しいでしょう。

ただ、「内閣の助言と承認があれば、天皇はいかなる行為もできる」ということではないと思います。これは、憲法4条1項は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為『のみ』を行ひ」とあることから導くことができます。

そもそも、憲法の文言から素直によめば、天皇は国事行為だけ許されると解することができます。ただ、私的行為(相撲見物、学問研究等)は、当然許されるはすです。

そうすれば、天皇は、国事行為と私的行為のみ許されると解することができそうです。

しかし、これでは国会開会式に参列し「おことば」を朗読することなどは、国事行為・私的行為にあたらないので、許されないこととなってしまいます。この結論は、合理的ではありません。なぜなら、実際こういった天皇の活動は必要なものであるし、許したからといって特に弊害はないからです。

そこで、憲法の明文にはないけれども、「象徴としての地位に基づく公的行為」という観念を認めて、国事行為に準じて内閣のコントロールが必要と解する見解が最有力となっています。

ただ、公的行為の範囲がどのくらいのものかは、よくわからないところがあります(これがこの見解に対する批判です)。

憲法4条1項が天皇の行為を限定しているあたり、公的行為の範囲も無制限ではないはずです。それは当然の前提だと思います。

公的行為としてよく言われるのが、①国会開会式に参列し「おことば」を朗読すること、②国内巡幸、④外国元首を接受ないし接待し、⑤親書親電を交換する等です(芦部51頁)。

今回の天皇会見は、④外国元首の接受ないし接待に当たります。加えて、内閣のコントロールがあります。したがって、最有力説からすれば、憲法上本件の会見に問題はないこととなります。

とはいえ、公的行為の外延は上記のとおり、不明確であります。これが今回のことで深まることがあれば、それは面白いことと思います。

私個人的には、これまでの学説が前提とした外国元首の接受ないし接待と今回の会見は同列に論じてよいのかどうか、異なる点はないか、その点は重要なものかどうか、議論が深まってもよいのではないかと…思ったりするのですけど。

NVNGさんの記事をこれからも楽しみにしています。

Posted by: mi3caduki | 12/22/2009 at 01:48 PM

>匿名さん
はじめまして。
コメント有難うございます。
御指摘の点、おっしゃる通りだと思います。
両者の区別が重要です。

多くの日本人は馬鹿かという点ですが、少なくとも貴殿は両者の区別の重要性や宮内庁長官の発言の問題点、天皇の自主的意思を認めることの危険性に気が付いていますし、おそらく貴殿のように解っている人もかなりいるのではないかと期待しています。

だからこそ、おかしな反論コメントがあった一方で、熱心に憲法の教科書などを参照してくださったりして質問をしてくださった方も多かったのだと思います。

ただ、メディアやメディアを信じ込んで、自発的な思考をしない人も多くいると思います。

一部メディアの誤った知識の頒布に気が付き、自発的な思考ができる人が一人でも多く増えることが重要ですね。

>mi3cadukiさん
再度のコメント有難うございます。

憲法学の多数的理解については、貴殿の整理された通りで、間違いないと思います。

私の言いたい内容を綺麗にまとめてくださって、有難うございました。

私も、今回の注目が、「小沢幹事長憎し」とか、「反民主」みたいな話ではなく、天皇の公的行為の限界のあり方、そもそも、国事行為以外の公的行為を認めるべきなのかという観点から、この議論が、法律家だけでなく、一般の人々も考える機会になれば良いと思います。

Posted by: ESQ | 12/22/2009 at 07:24 PM

ささやかな反論。
トピ主さんの丁寧な反論、とてもよく解ります。で、私の意見です。
 先ず、小沢発言が正しいことは、先刻承知して居ます。
 デモね、問題の本質は違いますね。
 そもそも、この話は、中国からの申請に対して、いったんは、慣例に基づき拒否していたものを、小沢の指示によって変えさせたというのが発端でしょう。つまり、内閣は単に小沢と意図を連絡したと言うに過ぎないのであって内閣の決定でも何でもないという疑念を国民が持ったことにある。それを居直って、強弁して、憲法の定めるとおり等と恫喝する政治家の不気味さを国民は危惧し、嫌悪しているのです。それが本質です。

 第二のささやかな反論は、宮内庁長官発言を巡る問題点です。
 「あの発言こそ憲法違反で許し難い、一介の役人が内閣に反論するなど何事か」ときって捨てた。だがこれも実情は違います。
 元々30日ルールは内閣と宮内庁が協議して決めたことです。その約束を一方的に、何の断りも無しに突然反故にするとは、約束が違うという抗議だ。それは、天皇の健康上の理由もあろうが、なにより、30日で有れば無条件に受け容れるという前提が崩れることを嫌っての発言に他ならない。それも、上に述べたような経過が有ってのことだとなると、長官の純情に火がついてもおかしな話とは言い切れないのです。
 第三に、小沢民主党の何よりの危惧は、社民党が政権を離脱して、参議院で過半数が取れない捻れが発生することだ。ともかくもどんな無理難題があろうとも、来年の参議院選挙までは、社民党をつなぎ止めて、自民党を再起不能な状態まで徹底的にたたきのめすことが、小沢の最優先課題です。
 だから、普天間を道具にした。アメリカより、社民党が大事な理由がそこにある。参議院で負ければ、全ては水泡に帰す。勝てば、何でも出来る。小沢の最終目標は、改憲して普通の国になり、軍隊を持って暴れ回ることだ。一度政権を取れば、独裁者になれる。小沢はそれを夢見ている。参議院に勝てば、辺野古など一晩できまる。それが小沢の戦略です。

Posted by: 傍観者 | 12/22/2009 at 08:01 PM

いいブログ、読ませていただきました。宮内庁詰め記者がどのように官僚に取り込まれているか、12月22日付毎日新聞「記者の目」欄で強く感じましたので、書いておきます。
1)「ルールを破って内閣が要請した」これが基本トーンです。ルールとは相互に承認しているもののはず。係長が自分で作ったルールを、社長や部長に守らせることができるか、それが妥当か。もうここで記者は係長の立場に立っているんですね。
2)「内閣イコール政治家イコールきたない」 「宮内庁イコール役人イコールきれい」と、その前提が当然だと思い込んでおり、そこまで洗脳されています。憲法もへちまもなく、官の支配が支持されいる。そう考えないと文章が理解できない。
3)戦争の反省から天皇は政治の外がよい、と錯覚している。超然主義や統帥権により実質的に軍部や官僚が天皇を囲んでしまって戦争を始めたことが、忘れられている。その反省からヘンな勢力に取りこまれるより、民主制によるのがよいと決めたのが憲法なのに。
4)外国の元首国王の接遇において、国の大小や政治関係が吟味され、ワインの等級にまで神経を使って差を設けているいる現実があるのに、何と気楽な、何も考えない宮内庁か。記者も同じくボケている。
5)仮に天皇が体調を崩されたら、内閣の指導のもとに会見を制限しなければならないが、その危機感さえない。これ本ボケ。

Posted by: hirochan | 12/22/2009 at 08:56 PM

天皇の「象徴」という立場を「アイドル」と見立てるのは結構聞く話ですが、今回の件で天皇をアイドルに見立てて見ると面白い例え話になると思います。
天皇=アイドル、国民=ファン といった感じです。
民意を天皇の行動に反映する仕組みは・・・ファンがそのアイドル事務所の株主と言う事にしましょうか。
ある日、私はアイドルのライブへ行きました。ライブの後、マネージャー(内閣)からファンへある発表が。「(アイドル)ちゃんは来年グラビアアイドルになります(会見をします。)」これにファンは大激怒。そんなの聞いてない、と。
でもグラビアアイドルになることは契約上全く問題はありませんし、本人も承諾しました。背景には事務所の経営難がありました。売れている(アイドル)ちゃんをグラビアアイドルにして儲けようとしました(特例会見をして関係を深めようとした)。その事務所はアイドル路線一直線で有名でしたが、規定はありませんでした。(30日ルールは法律じゃない。)
このとき、事務所(内閣)は株主(国民)に選ばれた取締役(閣僚)に運営されており、株主のコントロール下です。そして事務所は少しでも多くの利益を上げようと頑張っています。どこを非難できましょうか。
しかしファンは期待を裏切られ、事務所に対する不満で一杯です。

拙いどころではない酷い文章でごめんなさい。簡単にしようと思ったら天皇と国民の関係が特殊で無理矢理になってしまいました。
あと、グラビアアイドル=悪と言う意味で使ったわけではございません。大幅な路線変更、という意味です。

この酷い前置きから何が言いたいかといいますと、↑の例でファンが納得する条件として「ファン全員が株主であること」が必須だということです。株主ではないファンは、事務所の経営に興味を持たず、事務所の人間はアイドルを奪った「悪人」に見えます。これを報じた週刊誌を読んだファンは怒ります。
これを今回の騒動の構図に戻すと、日本の政治に興味を持たない、または持っても表面的なものである人々には、天皇を操る内閣は「悪人」に見えます。彼らは、国会議員を自分たち自身では選んでいませんし、日本国の行く末などには興味がないのです。

Posted by: サテー | 12/23/2009 at 03:59 AM

>傍観者さん

問題の本質がどっちかは各人が考えればよいと思います。
どっちが問題の本質かなんていう結論の出ない下らない議論をしたつもりはありません。私は憲法的な視点からの考察という見解を紹介したまでで、これが正しいから、この問題に対するアプローチは憲法的視点からの私の考えでないといけないという趣旨の論法は取っていません。

この問題は色々な観点から考察されるべきで、すべてをごっちゃにして論じるべきではないというのが私見です。

問題を切り分けて整理して論じなければ、国体思想の復活を願う一部の危険な発想に利用されかねないという危惧を感じたので、補足したまでです。この点は、2回の記事および数多くのコメントに対する回答で十分に示してあるはずです。


>hirochanさん
初めまして。
コメント有難うございます。
貴殿の5つの御意見有難うございました。
なるほどおっしゃる通りと感じるところもありました。

私は毎日新聞の当該記事を読んでいないのですが、メディアの発想というのは、概して、問題を単純化(ある意味整理せず、ごちゃごちゃのままにしておくことも単純化なのかもしれません)しすぎており、浅はかな感じがします。

メディアも、天皇の政治利用を批判するのであれば、国事行為と私的行為以外はすべて違憲で、皇室外交もすべてなくせというような共産党的な見解で批判するなら筋は通ります。

しかし、メディアは、天皇と国民主権原理がどうあるべきかという核となる考え方を持たず、日々の紙面を埋める記事を書くためだけに、一貫性を持たずに場当たり的な姿勢でかかれた内容が多いと私は感じています。

これには、記者である前に、新聞社の社員であるという日本の生ぬるい守られた報道文化があるのかもしれませんね。


>サテ―さん
いつもコメント有難うございます。
正直、私は貴殿のたとえ話はちょっと解りにくかったのですが、非常に面白い話だなと思いました。言いたいことの趣旨は伝わりますし、視点もなるほどと感じました。

国民主権の原理と株主が会社の所有権者であるということ(所有と経営の分離の原則)は非常に似ていますね。

結論部分は私も同感です。
国民主権の原理が官僚によりないがしろにされていること、国民主権の原理に反した天皇制の復活を望む思想を持つ人に利用されていることに気がつき、そうした思想に利用されないためには、政治に興味を持ち、選挙で自分が選んだ政治家だという自覚が必要だと私も思います。

もしかすると、株主による会社のコンプライアンスが働きにくいことと国民主権であっても、おかしな政治家が多く政治が混迷してしまうことは、ともに無責任な株主、無責任な国民という類似性があるのかもしれませんね。

Posted by: ESQ | 12/23/2009 at 04:26 PM

 こんにちは。

 今回も、なかなか参考になり、なるほどとうなずきながら読ませていただきました。

 先にもコメントしましたが、私は心情的に「皇室」を好ましく感じており、心情的に「特別視」したいという想いがどこかにあるようです。

 しかし、その意識が、思わず知らず戦前の軍部のように、「統帥権の干犯」をたてにして「政治」による容喙を排除し、戦争への道を進んだことに繋がりかねない危険を孕んでいることに気付くことができました。

 この辺は、実に興味深いので、また詳しく調べていきたいと思っています。


 話題は変わるのですが・・・

 些事にこだわるようで恐縮ですが、私はヒトラー内閣の成立は、決して違法・違憲なものとは考えておりません。その点だけ、ちょっと言わせてください。

 ESQ様の論旨によると、ヒトラー内閣の成立が違法・違憲だとされる根拠として、

< ヒトラーおよびナチは1923年にミュンヘン一揆を行っている。この時から、既にヒトラーおよびナチは違法行為を犯している。実際、この事件で、ナチは非合法化され、ヒトラーも逮捕されて終身刑が確定した(Gilbert & Large, p251)。

つまり、この時点において、既に、ヒトラーおよびナチが「法的に正しい」とは評価しえない。>

 とされています.

 しかし、確かに一揆のためにヒトラーは逮捕・収監されていますが、この時受けた判決はクリーベル、ベーナー、ウェーバーともども「禁固五年」ではないでしょうか?

 そして、ヒトラーはランズベルク要塞監房に収監され、獄中において有名な「我が闘争」として出版されることになる日記を書きます。


 その後、1924年12月20日に、情勢の変化によってヒトラーは保釈されておりますし、翌年1月4日にはヒトラーの申請に従って、バイエルン州政府首相H・ヘルトはナチス党と党機関紙の解禁をしております。この時点では、ナチス党の「法的な正さ」は復活していると考えます。

 復活を遂げたナチス党は、ヴェルサイユ条約下の不安定なドイツ経済や、米国発の金融恐慌によるの生活苦の中、徐々に党勢を拡大し、1930年9月14日の総選挙で第二党に、そして1932年7月31日の第六回総選挙では37.3%を得票し、230議席を獲得して第一党となりました。

 その後、ヒトラーは首相の座を求めますが、ESQ様が指摘されておりますように1932年11月6日の選挙では、依然として第一党の地位は保ちますが得票率33.1%、196議席へと後退し、ヒンデンブルク大統領との確執もあって、ヒトラー内閣は成立しません。

 しかし、ヒトラーによる大統領子息オスカーと官房長官マイスナーの抱きこみ工作や、シュライヒャー首相の不人気などが奏して、とうとう1933年1月30日にヒトラー内閣が成立します。

 このヒトラー内閣が成立するまでの間には、確かにSAやSSによる有形無形の暴力的な圧力がありました。また、ヒトラー個人にパーペン首相、シュライヒャー首相に対する恫喝もあったようです。しかし、最終的に首相への任命権を有するヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命し、組閣を命じたのですから、それは決して「違憲・違法」なものではなかったのではないでしょうか?


 また、

<ヒトラーの違憲違法な行為の最たるものは、1933年の全権委任法の制定行為である。この時点で、ワイマール憲法は実質的に、憲法たる存在意義を失い、死文化した。全権委任法の制定行為は、当時のワイマール憲法との関係で、違憲違法なものだったのである。>

 こちらの「全権委任法」については、ヒトラー内閣成立後の話ですよね。ですので、

<ヒトラーおよびナチ政権はその成立過程から、国民の自然権たる言論の自由や財産権等々を侵害する違憲、違法なもので、正当化しえないものであったという理解が正しい>

 とは到底思えません。それは、あくまでも「成立後」の話ですので。

 ヒトラー内閣が成立した1933年1月30日時点では、それはあくまでも合法な存在であり、その成立過程を「違法・違憲」と断ずるのに、1933年3月に成立した「全権委任法」をもってするのは不適当ではないかと思います。

 その後の歴史を知る我々からしたら、ヒトラー政権が決して国民や世界に利するものではないと知っておりますが、当時のドイツ国民がどこまでそう考えていたのかは分からないのではないでしょうか。

 現在の我々が、鳩山民主党政権の歴史的な適否を、今すぐに判断できないように。


 ここからは余談です。

 私は、もちろんナチス党の行った施策、政策を正しかったとは決して言いません。ですが、ワイマール憲法48条に大統領緊急令の規定があり、それに従えば「公共の秩序と安全」が危険にさらされ国家が憲法の義務を履行できなくなった時には、大統領は軍隊の援助のもとに強行が可能となることが定められているそうです。その際には、憲法に定められた国民の権利規定のうち第114条「身体の自由」、第115条「住居の不可侵」、第117条「通信の秘密」、第118条「言論の自由」、第123条「集会の自由」、第124条「結社の自由」、第153条「私有財産の保護」の一部、または全部を停止することが認められています。(第二次大戦 ヒトラーの戦い1/児島襄p126)

 ヒトラー内閣による「全権委任法」も、ワイマール憲法のそうした緊急令の規定によって制定されているとしたならば、一概に「違法」と切って捨てることもできないように思いますが、いかがでしょうか?

 戦後ドイツ連邦共和国の憲法典であるボン基本法では、その点を敢えて改められているということです。その事実は、むしろワイマール憲法の方にナチス党の独裁を許す陥穽があったということの証左ではないかと思ったりもします。

Posted by: 連雀 | 12/23/2009 at 08:38 PM

>連雀さん

まず、ヒトラーの刑ですが、当時の法に照らせば、死刑または終身刑の罪が確定すべき罪だったという表現をすべきところを、間違って記載してしまいました。その点訂正しておきます。御指摘ありがとうございました。

その余の部分については、Allan Bullockの著書に基づいた評価によっています。Bullockはヒトラーは合法な手段や当時の民意に基づいた方法により権力を手に入にいれることはできなかったと評しています(p137-171に詳しく記載されています)。

また、私は、ナチ党の活動から全権委任法により独裁政治に移るまでの過程を見て、違法な手段に訴えてきたことを問題にしています。内閣の成立時点までに限定した話をしているわけではありません。これもBullockの著書に記載されていることです。

この全権委任法の成立過程に置いても、ヒトラーは不当に共産党の議席数を排除しています。国会が放火されたのは共産党だという例の事件を利用したわけですね。

私はこれらも含め、当時のワイマール憲法の精神に反した、形式的法治主義の思想で、ヒトラー政権が行った行為を問題にし、法の支配や自然権思想からすれば、ワイマール憲法下でも許容されない違憲、違法な行為をヒトラーとナチは行ったと考えています。

なお、付け加えますと、ワイマール憲法が成立した時代には既に、世界的には法の支配の概念や自然権思想が存在していたはずです。

しかし、当時のドイツは、法律による行政の原理に固執して、法内容の合理性を問わず、法の支配や自然権という概念が軽視されました。

憲法の出発点は、憲法典という成文法がなくても、犯すことのできない自然権が存在するというところから始まりますから、当時の世界的な情勢からすれば、既に、法の支配や自然権思想が定着しつつあったようです(高橋p17-23にそうした法概念の状況が記されています)。

したがって、こうした見地からも、ヒトラーやナチは当時のドイツ国民の自然権すら侵害し、形式的法治主義に基づく違憲・違法な行為を行っていたと考えられるのではないでしょうか。

私は歴史学者ではありませんから、これ以上深い議論はできませんが、先の記事に示したのは、少なくとも、欧米における歴史学上の通説的見解にしたがえば、ドイツ国民が熱狂してヒトラーを選んだとか、ヒトラーが合法、合憲な行為に基づき、独裁に至ったという評価は誤りだと考えます。

Posted by: ESQ | 12/23/2009 at 09:48 PM

 早速レスをいただきまして、ありがとうございます。

> また、私は、ナチ党の活動から全権委任法により独裁政治に移るまでの過程を見て、違法な手段に訴えてきたことを問題にしています。内閣の成立時点までに限定した話をしているわけではありません。これもBullockの著書に記載されていることです。

 すみません、この部分については、敢えて成立時点の問題に限らせていただきました。何故ならば、現在眼前にしている鳩山民主党政権との比較を念頭の置いておりましたので。
 そもそも、ESQ様も、ナチス党の成立の違法性について言及されたのも、民主党との比較においてであったかと思います。

 つまり、現在の民主党政権が合法であっても、いつ何時違法なものに変わるか分からない、との思いからです。

 1933年1月に成立した時点では合法だったナチス党が、2月にはご指摘の「国会議事堂放火事件」を契機に党の支配を強化するために「議院運営規則」を強権的に変更したところから「違法」な政党に変わったと考えていますので。

 これは民主党だから言うわけではないですが、合法的に政権を取った政党でも、何らかの契機で非合法な存在に変わり得る、と言いたいだけなのです。

 ですので、後年になって振り返ったところ、すでにこの時点で違法だった・・・と言うことが、現在進行している事態にはどこまで適用できるのか、明確にはできないのではないかなと、それだけのことなのです。

 もちろん、逆もまた真なりで、かつてのナチス党の事例を引いて、今の民主党政権を批判するのも間違っていると思い、ただ、かつてその事実があったことのみを、念頭の置くべき問題だと考えています。

 この辺については、実に興味深く、これからも資料を当たっていきたいと思いますし、同時に民主党政権の行く末も見て行こうと思っています。


 なお、ナチス党が「法の支配や自然権思想」を犯しつつあったとは、同党の実行力部隊である「SA(突撃隊)」と「SS(親衛隊)」の存在が、実際のところ、どれだけナチス党の選挙活動に寄与したのか、と言う問題かと思います。

 その点については、共産党でも同様の実力部隊を持ち、市街戦を繰り広げていたわけですので、今の基準から判断はできないように思います。

 いずれにせよ、ナチス党が違法で違憲な思想を有する政党であったとしても、その政権奪取は合法的に行われていたのではないかと、思うのです。
 その、ナチス党の有する違法・違憲性をドイツ国民が理解していたかは別として。

 それと同じことが、今日本で起きていないか・・・そこを問題にしております。私自身、まったく判断がつかないもので・・・

 すみません、こんな逃げのような結論で。

Posted by: 連雀 | 12/23/2009 at 11:25 PM

>連雀さん

私は歴史学者ではありませんから、当時のドイツ国民のナチに対する違法性の認識状態を歴史的事実として調べたことはありません。

しかし、Bullockという著名なヒトラー時代のドイツ史に詳しい歴史家の著書に従えば、6割近い国民はヒトラーやナチに対し否定的だったという評価をしていますし、私がアメリカの大学での歴史学の授業においては、ドイツ国民の多くがナチの危険性や違法性に気がついていたという指摘を学びました。

私はこうした海外でのドイツ史に対する通説的な視点をBullockの著書を通してしか紹介するしかできません。それ以上のことは歴史学の専門家の著書等で、御自身で判断していただくしかないと思います。

また、私の知る限り、ヒトラーやナチが全く法的に問題のない形で、合法、合憲に権力を手にしたという見解は、まともな歴史の本を通じては聞いたことがありません。

アメリカで戦争史の博士号を持っている親しい人物がおり、在米中、ナチスドイツについて話をしたことがありますが、彼の見解も、ヒトラー政権の成立過程に種々の違法性があったと評しており、私の見解もそうした意見に同調するものです。

なお、ブリタニア辞典の電子版にも、ヒトラー政権成立過程の違法性を指摘する英語論文がありますので、参照してみると良いと思われます。
http://www.britannica.com/bps/additionalcontent/18/30032051/HITLER-AND-THE-LAW-19201945

1933年1月で合法という貴殿の御意見も、形式的法治主義からすればそういう評価になるかもしれません。

しかし、通常、こうした評価を欧米の歴史家は行いません。なぜなら、当時において、形式的法治主義の視点そのものが間違いであったといえるいう通説的理解があるからです。

法の支配や実質的法治主義の観点からすれば、既にミュンヘン一揆を行った時点で、暴力的手段に訴えており、違法性を有していると結論になわけです(その他にもミュンヘン一揆を契機に種々の違法手段に出ているという指摘がBullockを始め通説的な歴史家の見解により指摘されているようです)。

この題材は、欧米の歴史の授業で良く使われる題材です。ヒトラーやナチがただ悪いと教えるのではなく、彼らの何が具体的に悪いのかを思考させるためです。

結論的なことを言ってしまうと、ナチスは形式的には合法に見える手法を取ろうとしたが、実質的には、ミュンヘン一揆に出た時点から、暴力的な手段に訴える組織となっており、違法違憲であったというのが通説的な理解で、そうした説明を最終的に教授が行うことで、法の支配や実質的法治主義の概念を理解させる意図があるようです。

法の支配と形式的法治主義については、今までに紹介した憲法関連の本でも紹介されていますから、興味があればご参照ください。

なお、私は日本で同じことが起きているとは思いません。

Posted by: ESQ | 12/24/2009 at 12:44 AM

秀逸・緻密な一連の論考に敬意を表します。
 それにしても、今回のマスコミの論調からすると、現憲法が、国民主権派と天皇主権派との血みどろの格闘の結果、前者が勝ち取ったものという歴史的出自を持っていないことを、まざまざと見せつけられましたね。
 ここで、溜息をついていれば単なる評論家もどきなのでしょう。
 問題は、だから現に今貴殿のように論を発して格闘し、現憲法の条文に命を吹き込んで行けばいいのですね。
 この憲法自身が命じるように不断の努力こそが要ですものね。
 今後も注目していきます。よろしくご教授下さい。
 

Posted by: 豊後魂 | 12/24/2009 at 10:20 AM

 おはようございます。

 丁寧な返答をありがとうございます。

> 1933年1月で合法という貴殿の御意見も、形式的法治主義からすればそういう評価になるかもしれません。

> しかし、通常、こうした評価を欧米の歴史家は行いません。なぜなら、当時において、形式的法治主義の視点そのものが間違いであったといえるいう通説的理解があるからです。

 なるほど、欧米の歴史の生の感触ですね。大変参考になります。

 これを機に、手元にあるヒトラーに関係する書籍(通史を扱ったものが数冊しかありませんが)の該当箇所を読み返してみました。だいたい共通しているのは、ミュンヘン一揆に失敗したヒトラーとナチス党は、その後禁止されていた党としての活動が解禁されてからは、合法的に政権の奪取を目指すとなっていますので、そうなのか、とだけ思っておりました。

 6割の国民がナチス党の危険性に気付いていたにせよ、実際に総選挙の結果としてナチス党は第一党になったわけですし、政治工作を行ったとしても、別段銃をつきつけてヒンデンブルク大統領にヒトラーへの首相指名をさせたわけでもないので、ヒトラー内閣の誕生プロセスまで違法だとするわけにはいかないのだと、そう理解してきたわけです。

> この題材は、欧米の歴史の授業で良く使われる題材です。ヒトラーやナチがただ悪いと教えるのではなく、彼らの何が具体的に悪いのかを思考させるためです。

 私も、ナチス党が完全に合法で合憲な存在であったとは思っていません。歴史的な興味で、ナチス党が誕生してから破滅するまでの課程に関心があるだけです。

 ナチス党の目的が「違法・違憲」なものだとしても、憲法に則った選挙によって第一党になってしまえば、「合法」に政権を奪うことができてしまうのだな・・・と言うのが私のこれまでの理解でしたので、「過程も違憲」とされるとちょっと違和感があったものですから。

 ただ、

> 当時のドイツは、法律による行政の原理に固執して、法内容の合理性を問わず、法の支配や自然権という概念が軽視されました。

 この辺が、理解の鍵かなとは思っています。
 「自然権」と言うものについての理解が、まだまだ私には足りていないようですので、これから関心を持って見て行こうと思います。


 そもそも「法の支配と法治主義の違い」「形式的法治主義と実質的法治主義の違い」も、よく理解できていないようですので、そちらも調べてみたいですね。


> なお、私は日本で同じことが起きているとは思いません。

 今現在の私の理解では、まだよく分かっていないのですが、小沢一郎民主党幹事長の決定が、そのまま鳩山由紀夫総理大臣の決定として国政を左右する状態は、「形式的法治主義」なのかな? と思わなくはないです。

 小沢一郎のあたまの中には、議会による監視が届きませんし、小沢一郎の決定であれば、閣僚は「黙示的」に同意してしまうように見えますので。

 ただ、それがそのままナチス党と同じように、憲法の機能を停止させ、民主党による一党独裁を行うことに繋がるとまでは思っていませんが、現時点では今後のことは分からない程度には思っています。

 あくまで私の私見です。失礼しました。

Posted by: 連雀 | 12/24/2009 at 12:09 PM

はけだ長官発言をニュースで聞いた時に感じた違和感も、この場での的確な解説と同様な考え方をしている方が他にも多くいらっしゃることを知り安心しました。
ところが、本日午前放送サンデープロジェクトでの各党の発言を聞いていて、ご指摘の視点からの論議がなされなかったことに少しばかり危機感を持ちました。(家事をしながらでしたが・・)
その席上で与党はもとよりパネラーからもそのような視点からの指摘はなかったように思います。法曹資格を有する与党党首すら的確な議論や説明をされていません。
果たしてこれでよいのでしょうか。
この番組だけでなく、放送業界におけるパネラーやコメンテーターが一部の人たちに集中して寡占状態に陥り、広く意見が開陳される状況ではなくなりつつあることにも疑問を持っています。
また強引な司会者や放送時間の制約に汲々とするアナウンサーによって話が中途半端にされている点にも少々物足りない感を抱いています.
報道業界に現実課題へのまじめな学習とネット等からの反応もチェックしていただきたいと思うのは期待過剰でしょうか。
少なくとも公共の電波を占有して営業する以上、それに伴う責任というか自律性を持って行動していただければと願います。
これからも、鋭い法曹の視点からの意見開陳を期待しています。

Posted by: eleven | 12/27/2009 at 04:01 PM

はじめまして。
ブログの記事を通して通説、判例を正しく理解することの重要性を再認識しました。ありがとうございます。

そこで疑問なのですが、今回の天皇会見は結局、憲法7条10号の「儀式」にあたるのでしょうか。
ブログ主さんはあたると解釈されているようですが、マスコミも憲法については詳しく解説していませんし、当の小沢代表も国事行為ではないと撤回してしまっています。

「儀式」の解釈については、学部時代に高橋説は通説ではないと教えられたのですが、よくわかりません。

ご教授頂けたら幸いです。

Posted by: | 01/04/2010 at 02:37 AM

無記名の方へ

次回から必ず何か名前を入れてください。
会話の対象がわからなくなるのでよろしくお願いします。

御質問への回答ですが、記事をよく読んでいただければわかると思うのですが、高橋説は有力説で、多数説は公的行為説です。

国事行為に当たるか否かなんていう議論は本質的な話ではありません。

いずれの説にたっても、国民主権の原理を定めた現行憲法下では、天皇の私的行為以外の行為が内閣の意思によるコントロールに服しているかどうかが重要であり、その観点からすると小沢幹事長の主張の方が正しいということを言っているわけです。

この点は、他の方への回答でも十分に示していますから、御確認下さい。

Posted by: ESQ | 01/06/2010 at 01:32 AM

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