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12/02/2009

名誉毀損に対する正しい理解(2) ― 表現の自由との調整原理についての判例の状況

2.表現の自由と名誉権保護の調整原理

第2回目は多少判例が多いので、法律になじみのない人には辛いかもしれないがなるべく平易に説明できるように心がけたい。

第1回の「そもそも名誉権とは何か」でも説明したように、名誉権とは、憲法上も保護される人格権という性質を持っている権利であり、その内容は人の社会的評価である。

他方、表現の自由も、憲法21条1項で保護される重要な権利である。

しかしながら、表現の自由の行使により、他人の名誉権が毀損される場合があることは想像に難くない。この調整原理をどのように我が国の法は取り扱っているのかを以下で説明する。

(1)刑事責任と名誉毀損

まず、刑事上、刑法には名誉毀損罪が規定され、以下のような形で、表現の自由との調整を図ることが明らかにされている。

第34章 名誉に対する罪

(名誉毀損)

第230条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

(公共の利害に関する場合の特例)

第230条の2 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。

3 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

つまり、不特定、または多数が知りうる状態(伝播性がある状態で)において、人の社会的評価低下させるに足りる具体的事実を告げる行為を行えば、名誉毀損行為には該当するわけである。

しかし、これでは、①事実が公共の利害に関わるものであって、②専ら公益を図る目的で摘示され、③その事実が真実であるとの証明があるときまで、名誉棄損として、刑法上罰せられるとすれば、表現の自由という憲法上きわめて重要な権利を国家が刑法と言う法により侵害していることになってしまう。

そこで、刑法230条の2は、3つの要件が満たされた場合には、違法性が阻却されるとして、表現の自由との調整を図っている。

さらに、犯罪事実の場合や公務員等に関する事実の場合においては、前者につき230条の2第2項において①の要件を不要とし、後者につき同条第3項において、①②の要件を共に不要と規定している。

つまり、これらの場合は、公共の利害にかかわる事実であること、公益性が担保されているので要件を緩和しているのである。

もっとも、③の要件である真実であることの証明ができる場合に限定して、厳格に適用した場合にのみ表現の自由が許されるとすれば、表現の自由に対する萎縮効果は絶大なのであって、判例はこれらの要件を緩和している。

まず、夕刊和歌山事件(最判昭和44年6月25日刑集23巻7号975頁)は、③の要件について、以下のように述べている。

刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法二一条による正当な言論の保障との調和をはかったものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解する。

つまり、判例は、真実であると誤信し、誤信したことに相当の理由があれば、違法性阻却事由を基礎づける事実に錯誤があるため、責任故意が阻却されると考えていると言える。

より平易にいえば、表現者が自身の主張した具体的事実が真実だと信じ、そう信じたことに相当の理由があるという証明ができれば、刑法上の責任は問えないという法理を生み出して、表現の自由の保護を図っているわけである。

考えてみてほしい。

例えば、ある新聞社の記者Yが、政治家の不倫問題を記事にする際に、その記者自身が、「これは胡散臭い話だな」と思いながら、好き勝手に書いて許されるとすれば、これは表現の自由という権利を濫用、悪用している。

政治家であっても、どのような立場の人間であっても、表現者自身が真実と信じていないような妄想で好き勝手書かれてしまい、社会的名誉を低下させられてはたまったものではない。

少なくとも、記者が十分な取材を尽くし、「この話は真実だ」と信じ込んでおり、「そう信じることに相当の理由がある」と言える場合に限って、当該表現の自由を保護することとすることは、正当な表現の自由の行使までをも害しているとはいえないだろう。

この規範では、表現の自由に対する萎縮効果が大きいと主張する一部の学者もいるが、他人の人権を害するような表現には一定の制約が当然内在しているのであって、こうした批判は妥当ではない(後の回で説明するが、アメリカ最高裁の法理に現実の悪意と言う法理があるが、アメリカでは懲罰的損害賠償が認められるなど、我が国の訴訟体系とは明らかな違いがあるので、アメリカの法理が我が国でも妥当すると考えることはできないと考える)。

さらに、判例・通説は、①の要件については、広く公衆の批判にさらすことが公益を図る上で妥当かどうかという緩やかな判断をしている。

例えば、宗教法人S会のI会長(当時)の女性関係に関する私的な行動についての記事が名誉毀損罪の①の要件に該当するのかが争われた最判昭和56年4月16日では、「私人の私生活の行状であっても、...その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、公共の利害に関する事実に当たる場合がある」と述べている。

また、②の要件との関係では、主たる動機が公益目的であればよいと理解されている。

このように違法性阻却事由の要件が緩和されていること、および法定刑に選択刑として罰金刑が設けられていることからすれば、我が国の名誉毀損的表現に対する刑事上の制裁はさほど重たいものではない。

(2)民事責任と名誉棄損

民事上は、刑法230条に当たる条文は、民法709条の不法行為責任の範疇となる。しかしながら、民法上は違法性阻却事由を明文で定めた、刑法230条の2のような規定は存在しない。

この点、新聞社の衆議院議員(当時)に対する記事が民事上の不法行為としての名誉毀損行為に当たるとして争われた、最判昭和41年6月23日(民集20巻5号1118頁)は以下のように判示する。

民事上の不法行為たる名誉棄損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である(このことは、刑法二三〇条の二の規定の趣旨からも十分窺うことができる。)。

つまり、判例法理は、刑法上の違法性阻却事由の考え方が民事上も妥当することを明らかにしている

一般になじみのある事件としては、ロス疑惑の報道に関し、共同通信社が配信した記事に基づいて、記事を掲載した新聞社Yに対して、当時被告人であったXが提訴した不法行為に基づく損害賠償請求事件である最判平成14年1月29日(民集56巻1号185頁)が挙げられる。

この事件では、新聞社は定評のある通信社の記事を掲載したのだから、相当の理由があるという配信サービスの抗弁を主張した。

それに対し、この判決は、現在の報道機関および記者のあり方を厳しく律し、以下のような判決理由を述べている。

本件各記事は,通信社が配信した記事を,Yらにおいて裏付け取材をすることなく,そのまま紙面に掲載したものである。そうすると,このような事情のみで,他に特段の事情もないのに,直ちにYらに上記相当の理由があるといい得るかについて検討すべきところ,今日までの我が国の現状に照らすと,少なくとも,本件配信記事のように,社会の関心と興味をひく私人の犯罪行為やスキャンダルないしこれに関連する事実を内容とする分野における報道については,通信社からの配信記事を含めて,報道が加熱する余り,取材に慎重さを欠いた真実でない内容の報道がまま見られるのであって,取材のための人的物的体制が整備され,一般的にはその報道内容に一定の信頼性を有しているとされる通信社からの配信記事であっても,我が国においては当該配信記事に摘示された事実の真実性について高い信頼性が確立しているということはできないのである。

(中略)

仮に,報道機関が定評ある通信社から配信された記事を実質的な変更を加えずに掲載した場合に,その掲載記事が他人の名誉を毀損するものであったとしても,配信記事の文面上一見してその内容が真実でないと分かる場合や掲載紙自身が誤報であることを知っている等の事情がある場合を除き,当該他人に対する損害賠償義務を負わないとする法理を採用し得る余地があるとしても,私人の犯罪行為等に関する報道分野における記事については,そのような法理を認め得るための,配信記事の信頼性に関する定評という一つの重要な前提が欠けているといわなければならない

つまり、最高裁は、通信社を含め日本の報道機関が十分な裏付け取材もせずに、どこかから出てきた一方的な情報のみを垂れ流すだけの報道を行っており、報道機関の報道には信頼性を確保する努力がなされた痕跡が無く、報道機関の報道には信頼性が確保されているという前提がそもそも欠けていると考えているのであろう。

こうしたスクープ至上主義、行け行けドンドンの節度のない報道は、今も沢山の事件報道で続いている。

結局のところ、十分な裏付け取材もせずに報じる表現活動は、他人の名誉権という人格権への侵害を許容してまで保護に値するだけの価値がないと言えるのではなかろうか。

換言すれば、表現する側が、伝播性のある空間において、他人の社会的評価を下げる具体的事実を告げるのであれば、その事実が真実だと信じることができる程度の取材を尽くせば、保護されるわけであり、その程度の努力は可能であるし、尽くしてしかるべきである。

したがって、最高裁が示している、名誉毀損的表現の違法性阻却事由および責任故意の阻却という表現の自由との調整法理は、非常にバランス感覚に優れた法理であると言える。

さて、今回の刑事責任の解説には、以下の本を参照されると良いだろう。

また、民事分野の解説としては、以下の本がお勧めである。

次回は、名誉毀損的表現が、論争の中での意見および評論として行われた場合に、どういう場合に民事責任が発生するのかという話をしたい。

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