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12/20/2009

コメントに対する応答コーナー(19日に頂いたものについて)

コメントに関する回答です。

憲法に定める正当な手続きで選ばれた者の発言こそが正しいというのなら、ヒトラ。ーのナチ政権も、戦前の我が軍国政権も皆正当な手続きによって行われた政治です。
 今回の事件も、問題は、単に手続きが正当と言う外見上の問題ではなくその発言の発端が、個人の政治家の思惑によって為されたという本質にあります。
 政治の場に於いて、外見が正当で真っ当な手続き等という者は当然にして当たり前のこととしてあります。
 独裁者は、常に、熱狂的に迎えられます。そして常に、定められた正当な手続きによって独裁者の意図は具現化してきました。
 憲法の定めがどう有れ、今回の発言の法的根拠がどう有れ、小沢独裁政治が露呈した最初の瞬間です。
 手続きが正しいかどうか出はなく、その実相が如何なるものかを見極めることこそ必要なことです。

投稿: 傍観者 | 2009年12月19日 (土) 09時55分

>傍観者さん

まず、「ヒトラーとナチ政権も、正当な手続きによって行われた」という認識には著しい事実誤認があると考え、私は賛同しかねます。

ヒトラーおよびナチは1923年にミュンヘン一揆を行っています。この時から、ヒトラーおよびナチは違法行為による政治手法に訴え始めます。実際、この事件で、ナチは非合法化されましたし、ヒトラーも逮捕され、終身刑が確定しました(Gilbert & Large, p251)。この時点において、既に、ヒトラーおよびナチが正当な手続きによっているとは評価できません。

そして、1933年には全権委任法が制定されました。この時点で、ワイマール憲法は実質的に、憲法たる存在意義を失い、死んでしまったわけです。つまり、全権委任法の制定行為も、当時のワイマール憲法との関係では、違憲な法だったといえます。

したがって、ヒトラーおよびナチ政権はその成立過程から、国民の自然権たる言論の自由や財産権等々を侵害する違憲なものでした。

さらに、貴殿はヒトラーが国民の大多数の熱狂的支持を受け、その首相(Chancellor)の地位についたと思われているようですが、これも歴史的事実と反します。

アラン・ブロック(Alan Bullock)の著書、「Hitler A Study In Tyranny」p137-138は、ヒトラーの首相就任につき、以下のように記述し、当時のドイツ国民の過半数以上の民意がヒトラーの首相就任に反対であったと評しています。

Before he came to power Hitler never succeeded in winning more than 37 per cent of the votes in a free election. Had the remaining 63 per cent of the German people been united in their opposition he could never hoped to become Chancellor by legal means; he would have been forced to choose between taking the risks of a seizure of power by force or the continued frustration of his ambition.

概略しますと、以下のようになるでしょう。

ヒトラーは、自由選挙において、37%以上の得票を獲得することは一度もなかった。残りの67%のドイツ国民は、一致してヒトラーが権力の座に就くことを反対していたのであり、このような状況で、ヒトラーが首相に合法的になることを望むことすらできなかった。そこで、ヒトラーは、強制力により権力を得るというリスクを取るのか、それとも野望による葛藤を続けるのかという選択に迫られていた。

また、私は、他のコメントに対しても述べましたが、形式的法治主義は危険であり、法の支配の理念こそが重要であると答えてきました。

これの意味するところは、ヒトラーおよびナチ政権が行ったような、違憲な法律、国民の有する自然権を侵害する法律を作り、それらの違憲な法律に従っていることのみで、政府の行為を正当化する考え方である形式的法治主義は許されないということです。

素晴らしい人権規定が謳われていたワイマール憲法があったにもかかわらず、ナチスの台頭を許してしまったのは、当時のドイツ国民の貧困等による無知が、その憲法の精神を理解せず、法の支配ではなく、形式的法治主義を容認してしまった、または容認せざるを得ない状況と作ってしまったことにあります。

このような考察からすれば、むしろ、「我が国の憲法が意味する象徴天皇制は何か」、「国事行為を内閣の助言と承認を必要とすると定めた精神は何なのか」、「天皇に国政に関する一切の権能を認めないと定めた精神は何か」を探求し、憲法学説の多数説が、天皇の国事行為および公的行為について、内閣の意思の下に置くべきとし、その観点から今回の政治問題を考察することは、法の支配の理念に即したあるべき姿なのではないでしょうか。

私は、宮内庁長官という一官僚に過ぎない立場の者が、形式的な30日ルールを盾にし、内閣のコントロールに反するような行為を行うこと、および、それに賛同する方が形式的法治主義の最たるものであり、不適切だと思います。

小沢幹事長も、小泉元首相もそうですが、彼らのリーダーシップは従来の日本の政治家に比べると、強いものであり、それを独裁的と評したくなるのは理解できますし、そういう批判は妥当なものだと思います。

しかし、ヒトラーが行ってきた違憲、違法な独裁政治状況と、小沢幹事長や小泉元首相の実践している独裁的リーダーシップによる政治状況とは、本質が違います。

後者は基本的に、ミュンヘン一揆のような違法性もなければ、全権委任法を制定するような違憲性もありません。これらを引き合いに出すことも、私は不適当であると考えます。

貴殿の「憲法の定めがどうであれ」という発言部分は、形式的法治主義のような思考であり、法の支配という現代憲法の根本原理に反する危険な考え方であると私は思います。

なお、上記に引用した本は以下のものです。英語ですが、バランスのとれた視点でヒトラーとナチドイツ時代をわかりやすく記している本です。

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Comments

はじめまして。

 今回の「特例会見」についてあちこち見ているうちに、こちらのブログを知りました。

 論旨も明快で、文章も分かりやすく、大変ためになりました。正直、私も、ずいぶんと「小沢憎し」の一念で事実誤認があったのだと気付くことができました。ありがとうございます。

 ところで、若干疑問があり、申し訳ないのですが質問をさせていただきたいと思います。ご回答いただけたら幸いです。

 12月16日「難波拓矢 様」とのやり取りの中で、

> 内閣総理大臣を長とする内閣が何らかの形で、決定し、その決定に従って、象徴たる天皇陛下が会見したのであれば、憲法上違憲の問題は生じないという結論になるのではないでしょうか。

 とESQ様はされておりますが、その「何らかの形」には、今回のように(真相は分かりませんが)民主党の幹事長にすぎない小沢一郎議員の意向によって、総理大臣が単独で決定することも是認されるということでしょうか?

 もちろん、この「単独で」と言うことも、マスコミの印象操作によって私が誤認をしているのかもしれませんが、直後の閣僚のインタビューを見る限りでは、総理大臣と官房長官以外は内閣の意思決定に参加していないように思えましたので。

 「閣議決定」によらない「内閣の決定」とは、いったい具体的には誰がする「決定」なのか、とても疑問に感じております。付け焼刃で憲法に目を通している浅学な私には、そこに「民主的な決定プロセス」が働いていないのではないかと思われてならないのです。

 また、ESQ様は、16日の記事の冒頭で今回の会見は「親善外交」であるとされ、「親善外交」は「国事行為」であるとされています。

 ならば、やはり内閣は、「事前」にはしておりませんので、「事後」でも「閣議」により「承認」をしなければ憲法違反になるのではないですか?

 内閣が、今回の会見を「公的行為」だと見ているから「閣議決定」をしない、と言う見解でも良いのですが、その場合は内閣の判断が「憲法違反」にはならないのでしょうか?

 どういうプロセスにせよ、内閣からの「助言」により会見が実現した以上は、その行為が「国事行為」なのか「公的行為」なのかを明確に示す義務はないのでしょうか?

 どんどん分からなくなっていきます。

 また、もちろん私は「事後」に開かれた「閣議」でされる「承認」と言うものが存在することすら知りませんでしたので、これがいつごろまでにされるべきものなのかも、併せて教えていただけると嬉しいです。


 もしかしたら、あの「事業仕分け」のように、質問自体があまりにも素人すぎて、質疑に値しない内容かもしれないと思い、汗顔の至りなのですが、憲法の条文を読んでもそのあたりがグルグル回っていて、一向に納得できる結論が出ず、助けを求めた次第です。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。

Posted by: 連雀 | 12/21/2009 at 09:36 PM

>連雀さん

はじめまして。
御質問に答えさせていただきます。

まず、天皇の公的行為に対する内閣のコントロールの形式ですが、閣議による必要はないというのが、実務であり、多数説も閣議でなければならないとは考えていません。

天皇の公的行為が内閣の意思の下にあれば良いと考えるわけで、例えば、閣僚が反対しているのに押し切ったなどという事情があれば別途問題になる余地はあるかもしれませんが、少なくとも黙示的に同意していると今回の場合は言えると思います。

つまり、形式がどうこうということは問題にならず、内閣の意思に基づいて天皇の公的行為がなされているかを多数説は問題にしているわけです。

次に、国事行為についての御質問ですが、私は記事の冒頭で、憲法学上、多数説と有力説の2つの説を紹介しました。

親善外交を国事行為と捉える見解は、有力説で、高橋和之先生の「立憲主義と日本国憲法」p44が詳しいです。

この説によれば、国事行為である以上、内閣の助言と承認として事前または事後に1つの閣議決定が必要ということになるでしょう。

しかし、実務や多数説は、国事行為は7条各号に列挙された者に限ると考え、親善外交を天皇の象徴的地位に基づく公的行為ととらえます。

したがって、閣議という形式は不要となる一方、憲法の基本原理である国民主権の反映から、内閣の意思に下で、天皇の公的行為が行われなければならず、また、行われれば足ると考えています。

最後に、国事行為に対する「内閣の助言と承認」という1つの閣議決定の時期の問題ですが、これはできるかぎり事前になされるべきだと思います。しかし、憲法学上は事前でも事後でも良いと考えられています。

厳密に期間が決まっているわけではありませんが、社会通念上相当の期間内に行われる必要があるでしょう。

以上、回答とさせていただきます。

Posted by: ESQ | 12/22/2009 at 12:41 AM

 ご回答をいただき、誠にありがとうございます。

 「黙示的な同意」と言うものが、果たして「民主的」なのかどうかなど、若干の疑問が残りますし、小沢議員は「国事行為」であると断言されているのですから、宮内庁を批判するように、「憲法の精神」若しくは「内閣法第4条」に則り、閣議による決定に従って「助言」を行わない内閣に対しても批判すべきではないか・・・などとも思いますが、このあたりについてはESQ様が示された資料などを紐解き、自分で考えていきたいと思います。

 それよりも、今回は「天皇制」について、漠然と好ましい存在であるとしか認識しておりませんでしたが、これを契機にして、もう少し深く考えてみたいと思いました。

 ありがとうございました。

 また訪問したいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

Posted by: 連雀 | 12/23/2009 at 06:26 PM

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