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12/17/2009

コメントに対する応答コーナー(16日に頂いたものについて)

昨日に引き続き、今日も訪問者がかなり多く、コメントもいつもより多いです。折角ですので、昨日の質問と回答も合わせて、コメント欄における返答ではなく、ブログ記事内で、皆さんの丁寧なコメントとそれに対する私の見解を紹介する形にしたいと思います。

読者の方から送られたコメントは、不適切と考えるもの以外は、私の見落としがない限り、ここで紹介し、かつ、コメント欄でも公開しておこうとおもいます。

なお、繰り返しになりますが、個々のコメントへの返信をする前に1点注意させていただきたいことがあります。

16日の7時36分頃、「一」というニックネームの方から、特定の政治家に対する殺人予告とも取られかねない表現を含んだコメントが寄せられました。

管理人として、このような公序良俗に反し、刑法上罰すべき行為に当たりかねないコメントは、許し難く、ニフティーに通知の上削除し、公開致しません。

健全かつ法に適った言論活動を行う上でも、自身の御意見を表明したい場合は、法や公序良俗に反しない適切な表現行為で行ったほしいと願います。

それでは、以下、個別のコメントに対し回答いたします。

小沢氏に対する批判としては、そもそも小沢氏が「内閣」ではないというところに起因する意見もあると思いますが、いかがでしょうか。
つまり今回の招聘において内閣の指示は「従」であり、元は、民主党という政党の外交に利用されていると。これは政治利用にあたるのではないかと、個人的には感じています。

この部分についての見解を補足いただければ幸いです。

なお後半部分についてですが、現政権は、官僚とも、(同士であるはずの)閣僚とも圧倒的に意見交換が不足しているように感じますね。

投稿: Rucker | 2009年12月16日 (水) 10時39分

> Ruckerさん

はじめまして。コメント有難うございます。

確かに、小沢氏は内閣の一員ではありませんが、鳩山総理大臣を長とする鳩山内閣の助言と承認またはこれに類する内閣のコントロールに基づいて、天皇の国事行為または公的行為を行うことを決めている以上、私は政治利用という批判は妥当しないと考えます。

鳩山首相が小沢氏に従属しているかどうかという問題と、内閣の助言と承認に基づく天皇陛下の国事行為または公的行為なのかという話は別問題でしょう。

政党外交という点も、我が国は政党政治が定着していますし、鳩山首相は民主党の党首なのですから、政党外交も、外務省の外交もすべてその権限と責任は鳩山内閣の長である内閣総理大臣およびその内閣に依拠しています。

よって、天皇陛下の国事行為として、鳩山内閣の助言と承認を与えているのであれば、これは、法律上何の問題もないという結論に変わりはありません。

もっとも、記事でも示しましたが、小沢氏の政治姿勢などについては、憲法議論とは別に、政治家のあり方として議論の余地はありますが、メディアをはじめ、この種の問題に誤まった憲法議論を持ち出すことに危惧を感じます。

この件に関する報道に対して違和感を持ち続けてきましたが、このブログをみて、やっと確信が持てるようになりました。
私は中国が嫌いです、なぜならこの国は一党独裁国家であり、そのため自由がないからです。しかも、チベット・ウイグルなどで今でも残虐な行為を続けています。
しかし中国が嫌いだからという理由で、我が国の民主主義の精神を踏みにじる訳にはいきません。もしそれをないがしろにした場合、日本が中国よりすばらしい国であるといえるでしょうか?

投稿: 一般学生 | 2009年12月16日 (水) 11時31分

> 一般学生さん

はじめまして。コメント有難うございます。

おっしゃる通りだと思います。私も中国とは一定の距離間をもって外交に臨むべきだと思っています。中国ではまだまだ人権蹂躙が公に行われていますし、あくまで共産党独裁国家であるという事実に変わりはありません。民主主義が根付いているとは到底言えません。

しかし、おっしゃる通り、その問題と日本が民主主義の精神を規定した憲法に従って宮内庁ではなく、内閣が助言と承認を与えることは切り離して考えるべきで、後者の問題についての現在のメディアの理解には誤りがあると思います。

 天皇に対する内閣のコントロールが、積極的なものか消極的なものかの問題だと思います。
 自分は今回の内閣からの要請自体はさして問題はないと思いますが、天皇が拒否権を持たない以上、内閣が積極的に天皇を外交の手段として使うことは、内閣に事実上天皇に対する命令権限があることになり、これはあたかも天皇が内閣あるいは宮内庁の下部機関にすぎないような外形を備えることになるので、天皇の地位として不当だと思います。内閣からの命令を「助言」としてとらえるのには無理があるでしょう。
 ですから「助言」はあくまで文字どおりの助言としてとらえ、公正取引委員会などと同じように、天皇および宮内庁には高度な自主性を認めつつ、正当な理由がないのに助言を無視したり、国事行為や公的行為に政治的恣意性が認められる場合に限り、その作為または不作為を「承認」しないという拒否権が、内閣に認められるべきです。
 このように天皇に対する内閣の「コントロール」は消極的であるべきです。小沢氏の発言の問題点は、内閣は天皇に対する命令権限があり、民意を受けた内閣は天皇をいかようにでも操れるととれるような表現であったからです。我が国の天皇に対する一般的な感情は英国のものとは異なります。憲法で許されているからといって何をやってもいいというのは支持率の低下を招くでしょうが、その民意の反映は最長で4年後になるわけで、総選挙時の民意を盾に今現在の民意を無視してゴリ押しするやり方は、次の総選挙までの間、国民にとって専制に等しく、そのことに対する小沢氏の理解が欠けているという点が問われているのではないでしょうか。

投稿: gase2 | 2009年12月16日 (水) 11時52分

>gase2さん

はじめまして。

天皇陛下の地位についてですが、これはあくまで象徴であって、それ以外の役割は何も持たないことが憲法により明記されていると理解するのが憲法学上の通説です。したがって、統治機構とは切り離されたものです。

天皇の国事行為および公的行為をあくまで内閣のコントロールに服させることが憲法3条の趣旨ですから、天皇や宮内庁に自主性を認めることは、日本国憲法が予定するものではなく、憲法秩序に反します。したがって、私は妥当ではないと考えます。

憲法は最高法規であり、国政を考える上で、憲法により許容されるかどうかが一番重要だと私は考えます。

法的私もマスコミの扇動の仕方には以前から疑問を持っており、危惧しております。
根拠を使って学術論的にこの問題を丁寧に読み解く人が不思議なことに一人もいなかったため、非常に参考になります。

投稿: 通りすがり | 2009年12月16日 (水) 12時48分

>通りすがりさん

初めまして。コメント有難うございます。

参考になったとのこと幸いです。こういった国民の関心の高い話題だからこそ、法律の専門家、とりわけ、通説、有力説に依拠する学者は、積極的に情報発信して、通説的理解の共通認識をきちんと説明すべきなのかもしれませんね。

天皇陛下と習国家副主席との会見に付いての国民の捉え方。憲法上は小沢幹事長の考え方は正しいかと思います。ただ国民の気持ちからすると、VIPが天皇陛下と会見される場合、我々の常識では一ヶ月どころか、半年前に設定されるのではないかと、想像しています。にもかかわらず、急な用件でもないのに、突然会いたいと申し入れてきた中国の常識に私は腹が立ちました。メディアはその点を追究せず、宮内庁と小沢氏の喧嘩と捉え、面白可笑しく発信している様に思えます。ただ想像ですが、小沢党首が国会議員を140人も中国に連れて行き、胡錦涛国家主席と各々握手写真を撮らせて貰える事を条件に、中国の非常識な申し入れに応じたのではないかと国民は類推して、非難の声が上がったのではないかと思いました。私は胡錦涛主席がよく我慢して議員個別に写真を写させてくれたことだと感心しています。今回の多数の国民の非難は1ッカ月ルール云々でなく、写真を撮らせて貰えるという裏の為に、見返りに突然会見設定の負い目を持った事に対してではないかと私は思います。先生の憲法解釈記述とは別ですが、あえて今の気持ちを書かせて頂きました。

投稿: yumeoibitooda | 2009年12月16日 (水) 14時51分

>yumeoibitoodaさん

はじめまして。コメント有難うございます。

私は中国側と小沢幹事長の間のやりとりを知りうる立場にはないので、今回の記事はあくまで純粋な憲法学の視点から書いたものです。

貴殿の御気持ちは理解いたしました。

マスコミ側が、外国元首との会見は公的行為であり内閣の助言・承認は必要としない、と言い返しております。
このエントリーを読んだ私にはマスコミ側の無知がありありと分かるわけですが、しかし公的行為を内閣のコントロール下に置くべきかどうかは(多数派は置くべきとの考えだが)やはり議論もありますし一概に言えることでも無いような気がします。
それに「内閣の助言と承認」にも一定の節度という物が求められるべきであり、節度がなければ天皇は完全に内閣の駒となってしまいます。これは法律で決めてしまうと緊急時に柔軟な対応が出来ませんし、いきなり決めるというのも難しいでしょう。やはりそこはしきたりの様なもの(慣習法と言えるのかはよくわからないですが)で制限されるべきだと思うのです。それが今までの30日ルールなのではないのでしょうか?それは今まで必要であったから自然と確立された物であり、内閣が変わったからといって一瞬で変えることが許されるのでしょうか。たかが副国家主席ですよ。しかもかなりの友好状態にある中国の。

投稿: サテー | 2009年12月16日 (水) 14時54分

>サテ―さん

お久しぶりです。コメント有難うございます。

おっしゃるように、マスコミの報道の仕方には問題がかなりあります。それは先日私が産経新聞の永住外国人への参政権付与の問題についての報道で、判例につき誤まった理解があると指摘したことに代表されるように、法的議論を捻じ曲げて報道する偏向性が著しく、それを読者が正しいと理解してしまうことに危惧をしています。

この種の憲法上の議論には判例が存在しませんから、「誰が何を言ってもよい」と言われればそれまでかもしれませんが、私は少なくとも、通説、また憲法学において有力説と評される学説に対する法律家の共通認識をまず理解したうえで、少数説を紹介すべきだと思います。

自分の独自の憲法解釈をするのは自由にやって良いと思いますが、やはり、通説、有力説といわれるところの共通認識に対する敬意は示したうえでなされなければ、正しい法律議論とはいえません。

しかし、メディアはわけのわからない学者を専門家と称して、非常に偏った、法律界では相手にされないようなマイナー学説を通説かのように報じたり、通説の上っ面な結論(定義)のみを紹介し、その背景にある共通認識を報じません。

私の今回の記事で一番訴えたい点は、こうした誤まった憲法解釈議論をせずに、まずは通説と有力説に対する共通認識を理解すべきということにあります。

なお、御指摘の宮内庁の定めたルールですが、私は、憲法3条に定める内閣の助言と承認の範囲を実質的に制約するもので、民主的コントロールとして内閣の助言と承認に委ねた同条の趣旨に反すると思いますから、これには法規範性はないと考えます。

始めまして!
成る程、切り離して考えれば確かにその通りかも知れませんね。
でも切り離して考えれていないのは宮内庁や批判している側だけでは無いように見受けられます。
それ故の、『政治利用ではない』発言ですし。
なまじ批判側だけが切り離して語るとそれはそれであまり良くないような気がします。

また、政治利用としても相手に媚びていると思われる日程の組み方は、今後の利用のあり方についてもマイナスイメージだよな、と感じます。

投稿: | 2009年12月16日 (水) 15時18分

>最初の無名の方(15時18分ころに投稿された方)

はじめまして。次回からは何でも良いので名前を入れてください。私の返信の対象が不明確になりますから、よろしくお願いします。

「憲法上違憲だ」とか「憲法上許されない」という主張がマスコミに踊っていることに私は違和感を感じます。

もちろん、小沢氏に対する強引な手法への批判について、小沢氏が「憲法上許されているから良い」と反論している点は、憲法解釈としては正しいと思いますが、それが批判に対する応答方法や説明する態様として正しいかは別問題だと考えます。

あまりに、高圧的な態度はイメージ的にも良くないですし、疑問が残るでしょう。

私の記事は、あくまで、憲法という法的観点から、憲法学の通説的理解に基づいて考えればどうなるかということを示したわけです。

この点、上記にも書きましたが、マスコミが引用する専門家は憲法学者として通説的、オーソドックスな方ではない人の意見を引用し、それが通説的理解のように報じているので、「それは違いますよ」という情報を提供しようというのが今回の記事の趣旨です。

法律論的に正しければ、法で規制されていなければ、
何をやっても許されるべきですよね。
批判する方がおかしい。
法で決まっていないないんだから。

投稿: | 2009年12月16日 (水) 16時49分

>二番目の無名の方(16時49分頃投稿された方)

はじめまして。次回からは何でも良いので名前を入れてください。

無名の方が続きますと、私の返信の対象が不明確になりますから、よろしくお願いします。

法で規制されていなければなんでも許されるということですが、そのような考え方もありえるのではないでしょうか。

ただ、法律には民法90条の「公序良俗」とか、「過失」とか規範的要件がありますから、こうした規範的要件に当たるかどうかも含め、法の不知は違法性を阻却しないという刑法の法理に代表されるように、しっかり行動する側が判断しなければならないということにもなりますね。

参考になりました。

ところで、内閣の助言と承認は、閣議決定を経て行われるものだとされています。
宮内庁の官僚が行うことができないのはもとより、内閣総理大臣も内閣官房長官も、単独で助言と承認をすることはできません。
そうすると、小沢幹事長の言うように、今回の習近平副主席の接待を国事行為と捉えると、助言と承認の閣議決定がなされていない鳩山内閣の対応は、憲法違反ということになりますね。
もっとも、今回の件で個人の具体的な権利が侵害されているわけではありませんし、高度に政治的な問題は裁判の対象とはならないらしいですから、違憲を問われるような訴えを提起されることはないのでしょうけれども。

投稿: 難波拓矢 | 2009年12月16日 (水) 17時28分

>難波拓矢さん

はじめまして。コメント有難うございます。

おっしゃる通り、国事行為に対する助言と承認権限は内閣にあります。

仮に、今回の中国副首相との会見が親善外交として国事行為たる7条10号に当たるという説に立てば(高橋p44)、内閣の助言と承認が必要となります。

現段階で、閣議に上程されているのか私は把握していませんが、助言と承認は、通説に従うと、事前か事後のいずれにが閣議でなされれば良いということになります。

したがって、仮に、助言の段階で閣議に上程されていなくても、承認という事後的な上程で足ることになります。よって、現段階で違憲ということはいえません。

他方、公的行為であるという説(学説の多数説)に立てば、必ずしも閣議による必要はなく、内閣の助言と承認に準じて、内閣によるコントロールが及んでいれば良いということになります。

したがって、内閣総理大臣を長とする内閣が何らかの形で、決定し、その決定に従って、象徴たる天皇陛下が会見したのであれば、憲法上違憲の問題は生じないという結論になるのではないでしょうか。

現在の行政実務はおそらく後者の考え方に立ち、閣議決定しなくとも内閣のコントロールが及ばせることで足ると考えていると思います。

つまりは、憲法を改正した方が、より世論や実情に近づくということですね。

象徴天皇制について、憲法を改正しようという動きはないのでしょうか???

投稿: おやぶん | 2009年12月16日 (水) 22時52分

>おやぶんさん

お久しぶりです。コメント有難うございます。
憲法改正が良いかどうかは、私には判断しかねます。
象徴天皇制を変えようという動きは、右翼的な思想の方の中、保守的な思想の方の中にはいるかもしれませんが、それだけの改正のために、硬性憲法たる日本国憲法が改正されることはないと個人的には思います。

お返事ありがとうございます。

一点気になったことがあります。
ものの本(長谷部恭男・『憲法』)によると、助言と承認は、通常は一度の閣議決定であり、事前に行われるようにするのが通例であり、それが通説だと思います。
助言と承認のどちらかが行われればよいと考えるのは、憲法制定直後の政府の説明であり、現在の政府がとっている態度とは異なるはずです。
 
今回の習近平副主席との会見については、助言と承認の閣議決定は、一切なされていませんが、それは、小沢さんの言うような国事行為ではないと考えるのが行政実務なのだから当然だということですよね。
そもそも、閣議の案件となったとはされていませんから、何らの民主的コントロールもなされていないという疑いもあります。
でも、先述の本には、「内閣の直接あるいは間接の補佐が必要」とあるので、宮内庁への指示がこの補佐にあたるといえば、民主的コントロールはなされていると考えられるのでしょう。

ここまで書いてきて、ようやく私が腑に落ちていなかった点がわかりました。
それは、「助言と承認」という憲法上規定された文言をESQ様は広く解していて、公的行為にも助言と承認を行うべきだというように(少なくとも本文を読む限りでは)読めてしまったということです。
本文における「助言と承認」は、憲法の文言とは離れて読めばよかったのですね。
法や政治の議論を生業としているせいか、文言に厳格になってしまい、大変申し訳ありませんでした。

投稿: 難波拓矢 | 2009年12月16日 (水) 22時55分

>難波拓矢さん
再度のコメント有難うございました。
公的行為として国事行為に準じるという場合は、助言と承認という(閣議)形式でなくても、内閣による民主的コントロールに服す必要があるというのが学説の多数説です。

記事中では、助言と承認という文言を、貴殿のおっしゃるように、広い意味で使ってしまったため、厳格に見れば、誤解を生じやすくなっていたかと思います。その点、きちんとかき分けるべきでしたね。訂正しておきます。

おっしゃるように、公的行為説に立てば、内閣のコントロールに服していれば、閣議という形式を経なくても良いことになります。後は貴殿のご理解で正しいと思います。

なお、長谷部先生の御本にあったという閣議の開催時期の点ですが、助言と承認という1つの行為で足り、事前か事後かは問わないのが通説だと認識しております。もちろん、事前が望ましいとは思います。

先ほどの返信で、「いずれかが」と書いてしまったために、助言と承認にいずれかという形で、誤解を生んでしまったようです。正しくは、「事前か事後かのいずれかに」です。この点も、訂正しておきます。
御指摘ありがとうございました。

長谷部先生が事前に行うのが通例というのも、事後的なものが一切許されないという趣旨ではないと思います。その方が望ましいという見解だと認識しております。

芦部先生はこの点につき、「(助言と承認)は1つの行為であり、閣議は一回開けばよいが、天皇の発意を内閣が応諾する形での閣議は認められない(芦部憲法三版p48)」とし、事前でなければならないとはしていません。

はじめまして。

小沢発言(行為?)は違憲だとする意見には懐疑的でしたので憲法論としての見解を興味深く読ませて頂きました。

普段憲法論に触れておりませんものでピンと来ないのですが、憲法における天皇にたいする「助言」というのは実質的に命令であるとされているのでしょうか。

別の点で、内閣法制局について
>これほど非民主的な制度はないでしょう。
とされておりますが、内閣法制局の局長は時の内閣によって任命されていますので、法律設計上は(間接的ではありますが)民主的な制度になっておるかと思いますがいかがでしょうか。

投稿: discon | 2009年12月16日 (水) 23時41分

>disconさん
はじめまして。
コメント有難うございます。

貴殿の言われる命令がどういう意味として使っているかが解りませんが、助言と承認というのは内閣の権限として、1つの行為として、閣議で行われるものと理解しておけばよいのではないでしょうか。

そして、助言と承認という制度の目的は、天皇の国事行為という行動を内閣の意思の下に置くことにあるという理解をしておけば良いと思います。

命令かどうかという議論は私は聞いたことがありませんが、あるのかもしれません。これ以上はわかりません。

憲法学上、天皇が国事行為を拒否した場合どうなるのかという議論はあるようですが、私は憲法学者ではないのでそこまで詰めて理解していません。

天皇は拒否できない、拒否しないことが前提となっていると思います(いわゆる性善説的な立場ですね)。

法制局については、法制局の存在が問題といっているのではなく、政府の憲法解釈をそこが独占し、歴代内閣による変更を許さない状態にあることが非民主的だと言っているわけです。

内閣法制局には、憲法解釈の有権的権限を憲法が認めている規定は一切なく、裁判所にのみ違憲立法審査権が認められますから(憲法81条および最判昭和25年2月1日)、内閣法制局の解釈は単なる意見に過ぎません。

しかし、それがあたかもすべての行政機関を拘束する解釈権限を有する組織として事実上扱われ、歴代内閣による変更を阻むことすらあることが非民主的だと考えるわけです。

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