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11/01/2009

節度のない報道メディア(1) ― 政治に対する未熟さ

最近、日本の報道メディア(とりわけテレビ報道)を見ていて、本当に「節度がない」と感じることが多い。

そもそも、「節度」とは、「言行などが度を超さず、適度であること。ちょうどよい程度。ほど。(Goo辞書より引用)」をいう。

もっとも、今のメディアの現状で視聴率が維持できているわけだから(維持できていないにもかかわらず、そういう報道が続けられている訳ないはずだから)、風が吹けば桶屋が儲かる方式で考えると、結果的には、現代の日本人に節度がないという結論に至ってしまうのかもしれない。

もちろん、この無制限の因果関係的思考そのものには問題があるのであって、日本人の節度が無くなったという帰結には至らないと信じたいところではある。

しかし、メディアによる視聴者への影響の大きさを考えると、少なくとも、メディアの節度のなさについて危惧せざるを得ない状態にあることは間違いないだろう(私はどこかで日本人全体を見たときに節度のない社会になっているのではないかという危惧も多少もっている)。

そこで、「節度のない報道メディア」というタイトルで、シリーズ的に何回か不定期の形で、様々なニュースや社会問題を題材にして、私見を発していこうと思う。

もっとも、いつもの記事のメディアに対する危惧は触れているので、いつもと変わらないという感想を持つ読者もいるかもしれない。

しかし、いつもは個々のニュースや事件をベースにして、私がどう思うかという視点(あえていうなら帰納法的視点)で発しているのに対し、このシリーズ化しようと思っている記事は、テーマごとに様々な例を挙げ、テーマに掲げた結論が正しいという形で私見を発していきたいと思っている(あえて言うなら演繹法的視点)。

むろん、科学的実証ではないし、私自身理系の人間ではないので、正確な帰納法や演繹法を実践できるわけではない。

したがって、帰納法や演繹法になっていないという御批判はご容赦いただきたい。

さて、第一回目は「政治に対する未熟さ」と題したわけであるが、私が現在の日本の報道メディアに節度がないと考える理由の1つとして、「政治的な未熟さ」が挙げられる。

「政治に対して未熟」というテーマに掲げた表現を私はどういう定義で使っているのかまずはじめに明らかにしておくべきだろう。

私は、「政治に対して未熟」というのは、「政治制度や民主主義、自由主義という理念を理解できていない(理解しようとしていない)人間が、政治を知ったかぶりしている様」と考る。

これを報道メディアとの関係に換言すれば、政治制度や諸原則を理解できていない(若しくは理解しようとしていない)報道内部の人間が、どのようなニュースを報道すべきか否かを判断しているため、その基準が不適切であり、結果として、不必要な情報ばかりが氾濫し、重要な報道が抜け落ちているという状況を意味する。

そこで、まず、私がなぜ現在のメディアが政治に対して未熟と感じるのかを以下説明していこう。


1.なぜメディアが政治的に未熟と感じるのか

8月末に本格的政権交代を行い、やっと成熟した民主主義社会になったかと思った人も多いのではないだろうか。

確かに日本が今までの思考停止した自民党妄信社会から脱皮できたという点で、成熟した政治的判断が日本人によってなされた例であるといえる。

しかし、問題はその後のメディアの姿勢とそれに影響を受けていると思われる世論の動向である。

政権発足から1カ月半弱しか経っていないのに、既存のマスメディアやそこに登場して"識者"を自称している人々は、揚げ足取り的報道や今になってマニフェストの中身を批判するという前代未聞の節度の無さを露呈している。

私はこのブログで、不祥事は格別、100日間は「政権の実績に対する」批判や不安をぶつけたりはしないつもりである。なぜなら、それが成熟した民主主義社会におけるルールだからである。

もちろん、政治に対する意見を表明しないというわけではない。あくまで、「新政権の実績に対する」批判は100日後までしないと言っているだけである。

どうして批判しないと決めているのか。

それは批判の対象である実績は、およそ政権発足後から100日間は存在しえず、建設的な批判ができないからである。

従前の政権と考え方が異なる政権が権力の座に就いた場合、どうしても一定の混乱が生じるのであり、また、前政権による積み残しの問題の解決が迫られてしまう。

また、手続き的な問題もある。行政行為には法律の留保(法律の根拠なくして行うことはできない)が要求されるという原則があるため、安易な権力の行使は許されない。

本格的に政策を実行し、実績ができるのが政権発足からおよそ100日程度経過した時点であるというのが、民主主義が最も早く実現した欧米社会の経験則により明らかになっているのである。

しかしながら、現在の日本の報道メディアには、こうした経験則を一切無視し、建設的な批判をしようという考えはなく、いかに視聴率が取れるか、いかに面白おかしく報道できるかという観点から、新政権に実績を要求し、新政権が手こずっているというイメージを与える報道が目立つ。


2.政治的に未熟な報道の具体例その1 ― 国家戦略室に対する批評

例えば、国家戦略局(現在は室)が機能していない、管副総理が他の閣僚と権力争いをしていて指導力が発揮できていないなどという批判を耳にする人も多いだろう。

しかし、このような批判をまともに聞いて、そうなのだと信じ込んでいるようでは政治的に未熟といわざるを得ない。

そもそも、この国家戦略室は行政規則として、以下の目的で設置されている。

内閣官房に、税財政の骨格、経済運営の基本方針その他内閣の重要政策に関する基本的な方針等のうち内閣総理大臣から特に命ぜられたものに関する企画及び立案並びに総合調整を行うため、当分の間、国家戦略室を置く(国家戦略室の設立に関する規則第1条)。

この条文からも明らかなのように、現在のところ、内部的にも他の行政機関に対し、何ら権限を有する機関ではあることは読み取れない。

また、国家戦略室は、行政規則によってその設置が定まっているに過ぎないため、内部法にすぎず、何らかの対外的な権限を持つこともない。

したがって、機能していないも何も、あくまで国家戦略室は企画・立案・総合調整を行うだけであり、対外的、対内的には何の権限もない以上、現段階で「予算の骨格や重要政策、国家ビジョンを策定」は無理なのである。

行政機関内部においても上記行政規則上何も権限が見いだせない形になっていることに対する批判は置いておき、対外的に何らかの権限を持たせるためには、法律による個別の授権が必要となる。

すなわち、国家戦略室が対外的に権限を行使できるようになるためには、国会の法律によりその設置がなされなければならず、国会が開かれるまで、機能できないのは当然である。

もっとも、私が前述の部分で、「置いておき」と述べたように、内閣総理大臣決定という行政規則を出す段階で、対内的な権限の付与し、もう少し臨時国会前に活動させることができたのではないかという行政組織法的上の議論は別途できるのであるが、そういう議論をマスメディアがしている形跡はない。

メディアは単に、国家戦略室が機能していないというのみである。

そもそも国家戦略室設置時点で、国家戦略室には対内的にも対外的にも権限がないことは明らかなのであって、私は、「それを機能していないと改まって批判することなのか?」と思ってしまうわけである。

さらに言えば、現時点で別の行政機関が有している権限を国家戦略室に移行するには、法律上の処分権限の移行となるため、法律の根拠が必要となる。

したがって、臨時国会が開かれるまで、国家戦略室は内閣総理大臣に対するアドバイスなどを行う補助機関としての意味合いしかないのであって、そこにリーダーシップを発揮させ、予算編成の骨格を主導させようということ自体無理なのである。

もちろん、予算の策定権限は憲法上内閣にあるわけだから、内閣の一員として閣議において担当大臣が主導するという方法もあるが、それは国家戦略室として活動しているとはいえないだろう。

このように、国家戦略室および局の報道1つを取り上げても、報道は上記のような解説を一切しない。

にもかかわらず、鳩山内閣の目玉が既に機能不全という薄っぺらい批評ばかりが溢れている。

この例からも明らかなように、既存マスメディアのほとんどが政治問題の本質を理解せずに、無知な批判を繰り返しているのであり、これは政治に対して未熟であると言わざるを得ない(古代哲学者、ソクラテスの言葉を借りれば、無知の知を知らずに批判しているというべきかもしれない)。

したがって、私は、こうした無知かつ大衆迎合的批判を公共の電波に垂れ流してでも視聴率を稼ごうとする現在のマスメディアの姿勢に対して、節度がないと感じているのである。


3.政治的に未熟な報道の具体例その2 - マニフェストの中身批判と世論操作

私は今更になって選挙中に掲げたマニフェストを批判することもおかしいと思う。

なぜならば、選挙という制度上、選挙中に十分有権者が吟味したという前提で投票され、民主政権が300議席以上確保したのであるから、そのマニフェストを今更になって批判し出すのは筋違いだからである。

しかし、マスメディアや自称"識者"は、実績に対する上記のような批判に加え、マニフェストの中身の基本的部分に対する批判ばかり繰り広げ、さながら稚拙な政治ショーを毎日のように多くのメディアが行っている。

週末くらいゆっくり物事を考えられる契機になる番組に触れたいのだが、週末も、およそ下らないバラエティーとしかいえないような報道番組が溢れかえっている。

もちろん、そういう番組を見ている視聴者がすべてその番組の趣旨などに賛同して楽しんでみている人ばかりではないと思う。

私のように不満がたまっている視聴者もかなりいるだろう。

しかし、問題なのはどの程度の人がテレビ番組を批判的に見ているのかという点である。

あくまで推測の域を出ないが、半数近くは番組の編成内容に乗せられ、思考が停止した状態でテレビを見ているのではないだろうか。

私はよく、「思考停止するな」という表現をブログの記事で書くことが多い。この思考停止というのは、頭が悪いとか良いとかいう話ではない。

思考停止というのはどんな賢い人、頭の良い人でも起こりうるし、どんなに頭が悪いと自分で思っている人でも思考停止はしていない人もたくさんいる。

つまり、「思考停止」というのは、「偏ったの情報を鵜呑みにし、自分の物差しで考える力がない人の状態をいう」と私は定義している。

しかし、実際これを実践するのは難しいことであり、意識的に実践しなければ、思考停止はすぐ生じる。

この思考停止の良い例が、八ッ場ダム問題である。

私は以前よりこのブログで、八ッ場ダムの中止反対派住民や利益団体の抵抗が非民主的であり、話し合いの場を自ら放棄するような彼らの意見は聞くに値しないということを指摘しているが、既存メディアは、当初このダム推進派住民の意見のみに沿った感情的な報道ばかりをして、世論への影響力を行使してきた。

政権発足直後、八ッ場ダム問題をあまり国民が知らず、反対派住民の声ばかりが報道されていた時期の世論調査を見ると、

まず、JNNの9月19日、20日付世論調査では、建設中止に賛成が36%、建設中止に反対が41%と中止反対派が上回っていた。

また、同じ時期のテレビ朝日の報道ステーションの世論調査では、建設中止に賛成が33%、反対が34%という数字で、建設推進が1ポイントリードしていた。

ところが、それ以降メディアの報じるダム推進派住民の声に疑問を持つ声や、進捗状況が予算の7割であって工事の7割でないという指摘、さらには、中止した場合と継続した場合のかかる費用算定が恣意的であるという指摘など、ダム推進派にとって不利な情報が出てくるに至り、一部のマスメディアが取り上げ始めると、状況が一変し始める。

10月19日付で毎日新聞が発表した世論調査では、「前原国交相は八ッ場ダムの建設中止を表明しました。民主党が衆院選で公約していた政策ですが、地元には建設を求める声もあります。建設を中止すべきだと思いますか。」という質問の下で、中止すべきが58%、中止反対が36%である。

他方で、同日付の産経新聞を見ると、「前原誠司国土交通相が民主党のマニフェスト(政権公約)に基づき就任直後に宣言した八ツ場(やんば)ダム建設中止については「賛成」が45・4%で、「反対」の32・2%を上回った。」とある。民主政権に批判的な保守系新聞の調査でさえ、ダム建設中止派が10ポイント以上のリードをつけている。

さらに、日本テレビが10月16~18日に行った調査では、前原大臣のダム計画見直し支持が63.8%で、不支持の22.3%を大きく上回る結果が出ているのである。

つまり、マスメディアの報道次第で、世論が大きく変化しているのである。

当初、感情論が先走った既存メディアのダム推進派住民への肩入れ報道により、かなりに数の人が、いわばこの問題を「知った気」になり、前原大臣のダムの見直しの姿勢に反対するかのごとき世論が形成されてしまった。

しかし、その後はインターネットなどで、上述のようなダム推進派の主張がおかしいという指摘がなされ、既存メディアもそれを無視できなくなり、そういった情報に接した視聴者が、今度は、ダム見直しに賛成する世論を形成し、1か月でここまで変化するに至った。

結果としては、正しい情報に接した結果、健全な世論になってきているわけであるが、私がこの例で指摘したいのは、

①マスメディアの流す情報というのは、マスメディア自身が思考停止した状態で、情報の真偽を十分に精査せず、先走って報道されるため、中立性が保持されていない場合が多いということ、

②世論というのはそれだけマスメディアに影響を受けてしまうもろいものであり、その原因が国民の思考停止にあるということ、

の2点である。

まず、①については、既存メディアの政治に対する未熟さそのものが原因である。

利害関係人から出てくる情報を精査せずに、何らかの意図がその情報の裏にあるのではないかという検証をせずに、右から左へと情報を垂れ流す。

出てきた情報や数字がダム建設推進派の人間によって操作されているのではないかという疑問を持たずに、「ダム建設の7割が終了している」などという不正確な情報と住民の「泣き」の感情論に揺さぶられ、正確な報道は全くできていないかった。

そして、こういう報道に接した結果、②の状況が相まって、国民の真意とは食い違った世論形成が9月の段階で出来てしまったのではないだろうか。

八ッ場ダムの建設中止はマニフェストに明記されていたものである。

そもそもマニフェストとは、選挙中の争点になるべきものであって、選挙後にゼロベースで再吟味すべきものではない。

それを、産経新聞やフジテレビなどの一部メディアはマニフェスト至上主義への疑問などともっともらしいタイトルで批判を展開し、ダム推進派は中止ありきでは話し合いには応じないと民主主義の結果を無視して、強行突破しようとしている。

しかし、私からすれば、こんな批判は自分たちの無能さをさらけ出すに等しい無責任な批判であると思えてならない。

なぜならば、選挙中に検証できたのに検証しなかったのはマスメディアの責任だし、ひいては有権者の責任だからである。


4.本来あるべき選挙後の報道の姿

私自身、以前も述べたように、子ども手当など民主党のいくつかの政策については基本的に反対である。

しかし、8月の選挙では、総合的な考慮により、民主党に一票を投じた。

そうである以上、私はマニフェストに掲げた中身の基本的部分についての批判は、すべきでないと自戒している。

マスメディアであっても、同じことが言えるのではないだろうか。

民意として民主党が300議席以上を確保するということが示された以上、選挙中の争点たるマニフェストの中身の基本的部分を批判するのは、やはり控えるべきではなかろうか。

なぜなら、そうしたマニフェストの中身の基本的部分に対する批判は、民意が示されたことを再度蒸し返すという行為そのものであって、非民主主義的行為といえるためである。

今、メディアがすべきことは、こうした節度のない政権批判ではなく、もっと建設的な検証及び批判であろう。

例えば、マニフェストには示されなかった政策で、鳩山政権が行おうとしている外国人への地方選挙権の付与の問題や、夫婦別姓の問題などをもっと報じるべきである。

なぜなら、これらについては十分な民意による審査を受けていないためである。

また、マニフェストに言葉はあるが、具体的な中身を示していないもの、例えば、東アジア共同体構想については、「東アジア共同体の構築を目指し」としか書かれていないし、そもそも東アジア共同体とは何なのかすらはっきりとしない。

こうした部分については大いに検証・批判を加えるべきであると私は考える。

しかし、外交問題では、「緊密で対等な日米関係を築く」というマニフェストの部分を検証したがるメディア報道が多い。

正直、こんなものは今までの日米同盟のあり方、日米の関係からすれば、何を民主党が目指しているのか明らかなのであって(例えば、マニフェストにも掲げられている日米地位協定の見直しなど)、それほど報道すべき価値があるとは思えない。

実際の報道も、「アメリカを怒らせては困る」というような視点からの報道が多く、日本の国益は中国だろうがアメリカだろうがはっきりと主張するという視点からの報道は少ない。

こういう消極的姿勢の報道を好むのは一部の外交問題を「知った気になっている」軍事外交オタクのような自称"識者"や、従来の同盟関係を維持してアメリカの国益を優先したいアメリカ合衆国だけである。

むしろ、報道が少ないという点で恐ろしく感じるのは、東アジア共同体構想の方である。

「東アジア共同体」という話を鳩山首相はあらゆる外交場面でしているようであるが、この構想の具体像が国民に共有されておらず、民意を反映しているとはいえない。マニフェストでも中身が全く説明されていない。

このような状況で、どれだけ多くの人がこの東アジア共同体構想を具体的に説明できるだろうか。少なくとも、私は東アジア共同体構想について何一つ理解できていないし具体的なイメージが沸かない。

にもかかわらず、鳩山首相は日本国の代表として外交舞台でこの構想を提唱しているのである。外交政策の具体的中身が明らかになっておらず、国民の審判を受けていないものを、国の代表として、海外の首脳に提唱しまくっているわけだかだから、これこそ民主主義の観点からは恐ろしいことではないだろうか。

このように見て来たように、国民の民意が十分に示されていない問題について、マスメディアは、鳩山政権がやろうとしていることは正しいことなのかどうかを十分検証して、そこにプライオリティーをつけて報道すべきであり、それこそが社会的権力として、国民の知る権利に資するために存在する既存マスメディアの使命であろう。

そうした姿が、本来の民主主義社会におけるメディアの役割ではないかと私は思う。

しかしながら、現在の既存メディアは視聴率が稼げるかどうかという観点のみで、ニュースを扱っているのであって、政治に対して未熟であり、節度がないと言わざるを得ない。

そして、こうしたマスメディアの現状に疑問を持たず、満足している視聴者も、政治に対して未熟であり、節度がないマスメディアを妄信するという極めて恥かしい状態にあるといえるのではなかろうか。

次回は、裁判報道に見るメディアの節度の無さを評論したい(次回がいつになるかは言えませんが・・・不定期になるかもしれません)。

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日本の政治」カテゴリの記事

Comments

お久しぶりでございます。

ストレス発散には持って来いと言わんばかりの今テーマのシリーズ化、嬉しいかぎりです!

最近は報道番組の薄っぺらさに、めっきりテレビも見なくなっていましたので…。

楽しみにしています!

Posted by: りんどう | 11/04/2009 at 12:44 AM

>りんどうさん
お久しぶりです。
コメント有難うございます。

このテーマのシリーズ化は、記事を書くのに結構時間がかかるので、次回がいつになるかわかりませんが、ご期待にこたえれるようにします。

なお、今日別の記事だったことは、このシリーズの継続を辞めたというわけではないので、ご安心ください。

Posted by: ESQ | 11/04/2009 at 07:47 PM

通りすがりの者で貴殿になんの何の恨みもないが
貴殿の主張の看過しがたく、ゆえにあえて指摘申し上げる

貴殿は以下を「主張」と称するが「独善」の間違いではないか?

1.なぜ政治を未熟と感じるか(答え:100日間批判をしてはいけないのにガンガン批判しているから。なぜ100日間批判をしていけないのかって?欧米がそうしているから)

私の意見:単なる欧米至上主義では?建設的な批判と建設的でない批判の区別とは何?仮に、何か民主党の政策に大変な誤りがあったら指摘をするのは当然メディアの責務と思いますが?

4.本来あるべき選挙後の報道の姿

>そうである以上、私はマニフェストに掲げた中身の基本的部分についての批判は、すべきでないと自戒している。
マスメディアであっても、同じことが言えるのではないだろうか。
民意として民主党が300議席以上を確保するということが示された以上、選挙中の争点たるマニフェストの中身の基本的部分を批判するのは、やはり控えるべきではなかろうか。

私の意見:貴殿の独善がフルパワー発揮された一文と思う。メディアの役割は多様な意見を提示すること。
マニフェストの批判だろうと何だろうと多様な意見を提示しえないメディアなど糞の役にもたたんよ。
メディアは政策批判でも擁護でもどっちでもいいがとにかく両論併記で具体的事例を示せばそれでいい。100日以内かなど関係ない。国民はそれを期待している。国民はそれによって自分で判断する。そうした国民の不断の監視によって政治は進化するんだよ。

ひとつあなたに同調できるの事は日本のマスメディアの低質。ただあなたは低い中の特に低質な地上波テレビのみに固執しておられる。しかし言っていることがめちゃくちゃだなぁと思う次第だ。

ちなみに私は何の利益の代弁者ではないです。
ただあなたのブログが長文の割りにあまりに
噴飯ものなのであえて指摘しました

Posted by: | 11/11/2009 at 08:33 PM

>無名の方

はじめまして。

貴殿のコメントに御回答いたします。


>貴殿は以下を「主張」と称するが「独善」の間違い>ではないか?

独善というのは、形容詞であり、主張は名詞です。
独善と主張は相入れる言葉ですね。例えば、独善的主張というように。
したがって、主張と称したことに間違いがあるとは思いません。

読者の方が、私の主張を「独善的だ」と評価されるのであれば、それは仕方ないことだと思います。私は一つの物の見方を示しているのであって、私の主張のような考え方でなければならないとは考えていません。

よって、独善的だという評価をいただくのであれば、貴殿との関係ではそういう評価だったのだなとしか言いようがありません。

>1.なぜ政治を未熟と感じるか(答え:100日間>批判をしてはいけないのにガ
>ンガン批判しているから。なぜ100日間批判をし>ていけないのかって?欧米が
>そうしているから)
>私の意見:単なる欧米至上主義では?建設的な批判>と建設的でない批判の区別と
>は何?仮に、何か民主党の政策に大変な誤りがあっ>たら指摘をするのは当然メデ
>ィアの責務と思いますが?

残念ながら私の記事の趣旨を御理解いただけなかったようですね。

端的に申し上げますと、100日間批判すべきでないという私の理由は貴殿の上記御指摘部分ではありません。

私の考える理由は、①100日間は前政権の積み残し課題があるため、新政権による実績がないため、批判の対象となるべき実績が存在しえないこと、②選挙中政権公約と題したマニフェストが示されそこで十分議論されて、民意がそのマニフェストを掲げる政党に過半数以上の議席を与えた以上、マニフェストの基本的部分を蒸し返した批判は民主主義の否定につながり、妥当性を欠くことです。

もっとも、記事中でも丁寧に示したつもりですが、マニフェストの基本的部分を蒸し返すのはおかしいというのであって、抽象的な文言との関係で、具体的方法論を批判することは問題ないと考えます

しかし、例えば、八ッ場ダムについては明確に中止と言っている以上、中止の判断そのものを蒸し返す議論は選挙と言う民主的過程を経た民意を覆す行為で妥当ではないと考えています。

したがって、欧米がこうだから見習えと根拠なくいっているのではため、欧米至上主義という批判は当たらないと考えています。欧米は一例にすぎません。

つまり、マニフェストの基本的部分に問題があるのであれば、選挙中に有権者に分かるように報道すべきで、その後に報道するのはやはりメディアとして国民の知る権利に資するというの責任を放棄した無責任な報道であると考えます。

なぜなら、①選挙中に報道されなければ、国民に判断の材料が存在しえなくなってしまうこと、②例えば、八ッ場ダムの問題は今に始まった問題ではなく、選挙中の報道によりマニフェストの問題点を指摘することも容易であったことの2点によります。

>4.本来あるべき選挙後の報道の姿

>私の意見:貴殿の独善がフルパワー発揮された一文>と思う。メディアの役割は多
>様な意見を提示すること。
>マニフェストの批判だろうと何だろうと多様な意見>を提示しえないメディアなど
>糞の役にもたたんよ。
>メディアは政策批判でも擁護でもどっちでもいいが>とにかく両論併記で具体的事
>例を示せばそれでいい。100日以内かなど関係な>い。国民はそれを期待してい
>る。国民はそれによって自分で判断する。そうした>国民の不断の監視によって政
>治は進化するんだよ。

これも私の記事の趣旨を御理解いただけていないのだと思います。

私の記事では、多様な意見を配信するななどと一言も言っておりません。

私は、マニフェストの基本的部分の批判は妥当ではないと言っています。つまり、核心部分です。例えば、農家の個別補償制度や子ども手当の支給、八ッ場ダム中止。これは具体的に明記されていますから、この政策それ自体を批判するのは選挙で示された民意の否定につながるので妥当ではないと思います。

マニフェストの核心的部分は民意を経ているわけですから、そこについて問題提起するならば、やはり選挙中にやるべきだったはずです。

ただ、方法論として、上記政策において、所得制限をすべきなのではとか、中止にした上での住民補償の在り方という議論はありえるでしょう。

そういう議論ではなく、選挙後になって初めて、八ッ場ダムの建設推進派の住民の声や主張のみを感情論で報道し、民意を経たマニフェストの核心部分を覆すような報道をしてきたメディアの姿勢はおかしいと考えているわけです。

また、なんでも批判するのがメディアの仕事という考えには賛同しません。


>ひとつあなたに同調できるの事は日本のマスメディ>アの低質。ただあなたは低い
>中の特に低質な地上波テレビのみに固執しておられ>る。しかし言っていることが
>めちゃくちゃだなぁと思う次第だ。

おっしゃる通り。この記事は、既存メディアと言っており、おもに大手メディアである地上波や新聞報道を前提に批判しています。

めちゃくちゃということですが、貴殿が何を具体的に指して言われているのか解りませんので、この点につきましては、御回答することができません。

>ちなみに私は何の利益の代弁者ではないです。
>ただあなたのブログが長文の割りにあまりに
>噴飯ものなのであえて指摘しました

噴飯という言葉は私は使ったことがなかったのですが、「思わずふき出して笑うこと」という意味のようですね。

読むのに長い時間を割いてくださり、少なくとも笑っていただけたなら書いた価値があったと思っています。

最後に、貴殿のアクセス履歴から察しますと、かなりの時間を割いていただき、私のこれ以外の様々な記事にも目を通していただけたようで、感謝いたします。

今後も限られた時間の中で、頑張って私見を発していきたいと思います。

なお、今後は無名の方のコメントは公開しませんので、必ずお名前を入れていただければと思います。「匿名希望」でも「太郎」、「花子」でも何でもよいので、公開を望むのであれば、お名前を入れてください。

Posted by: ESQ | 11/11/2009 at 11:45 PM

長文であっても複雑な問題をできるだけ正確に述べようとされているのだということが伝わってきます。細かく改行されているのも読みやすいと感じました。

日頃、営業至上主義の報道メディアがたれ流すおそらく意図的でさえない無見識な世論誘導にうんざりし、めっきりテレビを見なくなった者として「正論を簡略に説明」して下さる方がおられるのはとてもありがたいことです。

楽観的に考えれば、国民の大多数は自分が民主党のマニフェストを支持したことや、これまでの政策や行政のあり方を覆すようなマニフェストの実現には時間がかかることを理解していると思います。また、沖縄県民や名護市民が辺野古基地建設を望んでいないこともわかっていると思います。

しかし、全メディアを挙げての「鳩山理想主義」批判にはあきれます。前政府が約束したことを反故にしようとしているのですからアメリカ政府が怒るのは当たり前です。かつて石原慎太郎氏の「ノーと言える日本」を賛美し、米軍基地問題でアメリカを非難し、米軍基地の危険性と地域経済とのはざまで苦悩する沖縄県民に理解を示していた報道メディアはどこへ行ってしまったのでしょうか? 辺野古への海兵隊基地移設は沖縄県民の新たな苦悩のはじまりだという視点からの報道はとんと見あたりません。

アメリカ政府に愛される日本政府である限り対米追随外交は変わりません。憎まれてはいけませんが嫌われて疎まれてお互いにひどいことを言い合ってこその外交交渉だと思います。日米関係の全体から見れば辺野古基地建設の可否が同盟関係の亀裂を招くようなものとは思えません。むしろグァム移転および辺野古移設にまつわる利権の実態を明らかにすることが報道メディアの使命だと感じています。

ライブドア→読むべきブログ→を経てこのブログを拝見しています。これからもいろいろと学ばせて頂きたいと思います。論理的かつ一般人にもわかりやすく噛み砕いた文章に敬服いたします。

Posted by: もうすぐ還暦 | 12/21/2009 at 01:44 AM

>もうすぐ還暦さん

はじめまして。丁寧なコメント有難うございました。
私も貴殿のおっしゃる通りだと思います。

特に日本のメディアは、社員である記者が保護されすぎていますから、欧米のコラムニストや記者のように、個人名が全面に出てきて、その記事の責任について記者個人も責任を持っている状況とは違うこともこうした安易な報道につながっているのかもしれません。

また、日本の報道メディアは身内に対して非常に甘いです。有名人や公務員などの不祥事は実名を挙げて、批判しますが、自分たちの社員が痴漢や横領等々の犯罪行為を行った場合には、追及の手を緩めます。メディアとして、社会正義を振りかざす割に、自浄作用はない場合が多いですね。

アメリカに関する報道も、非常に短絡的です。政府や大学等にいるアメリカ人の友人から色々な情報を交換しますが、日本に対してアメリカが怒っているという話ほとんど聞きません。実際、アメリカは今に始まったことではありませんが、経済分野以外でのライバルという以外に関心がないのが実情だと思います。

今後も、貴殿の期待にこたえられるように、主要メディアとは異なる観点から私見を発していきたいと思います。御声援有難うございました。

Posted by: ESQ | 12/21/2009 at 06:47 PM

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