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11/12/2009

外国人の地方参政権付与について

先日私は、「嘘を平気でついてしまう産経新聞」と題し、永住外国人への地方選挙権付与については、判例は許容説に立っているという解説をした。

その後、私のブログに反論が寄せられ、それは判決が「①傍論で言ったに過ぎず、②傍論には拘束力がない、③そして判例は外国人の参政権を否定しているので、違憲だと言った」というものだった。

「なぜこんな間違った理解をしているのか?」と不思議に思ったのだが、その理由は、またまた最近の(11月10付)産経新聞の不正確な報道にあったようである。

こちらの記事をみると、

 在日韓国人ら永住外国人に地方参政権を与えようという動きは、この問題が「国の立法政策に委ねられている」とした平成7年2月の最高裁判決を機に強まったといわれる。だが、判決のその部分は拘束力のない傍論の中で述べられたものにすぎず、本論部分では、憲法93条で地方参政権を持つと定められた「住民」は「日本国民」を意味するとして、外国人の参政権を否定している。

という記述がある。

不正確な理解をあたかも法律家の共通認識かのように新聞社が報じるのはいかがなものであろうか。

この点、①参政権付与について、傍論で述べられたという理解をしているようだが、これは「なお書き」、「念のため」という傍論で述べたものではない。

このことは判決の原文を見れば明らかである。どう見たってまともな法的センスがある人間であれば、これを傍論であるとは読まないであろう(少なくとも、この判決の当該部分について傍論と言っている"まともな"憲法学者および実務家を私は知らない)。

②の点について、「念のため」にいうと、そもそも傍論という制度は我が国では制度化されておらず、一部の判例において、「念のため」とか「なお書き」で付加されている部分を勝手に、法律家が傍論だと解釈しているに過ぎない。

どこまでが傍論なのかということも明確ではないし、判決理由中の判断であることに変わりはなく、最高裁の先例としての価値が変わるものではない。

この点は、朝日訴訟(最判昭和42年5月24日民集21巻5号1043頁)の「なお書き」部分が先例的価値を有するものとして扱われていることからも明らかなのである。

したがって、百歩譲って、傍論だという理解をしたとしても、判例としての「拘束力がない」なんていう話にはなりえない。

そして、上記産経新聞のいう③の部分であるが、正確には、「外国人の参政権を否定している」のではなく、「外国人の参政権の保障が及ぶことを否定している」のである。

つまり、外国人の地方参政権は憲法上保障されていないと言ったに過ぎず、憲法上禁止したとは言っていないので、付与そのものが違憲と判例が言ったという理解は成立し得ない

新聞の言うことは正しいと思い込んでいる人はまだまだいるのであるから、産経新聞社は、最高裁判例について新聞購読者に紹介するのであれば、もう少し正確な報道をしてほしい。

お金を出してねじ曲がった解釈を吹き込まれるのであれば、購読者はたまったものではないだろう。

外国人への参政権付与につき、禁止説を主張するのは一向に構わない。

しかし、最高裁がその立場だという嘘は止めてほしいと望むことは、価値判断先行の新聞社に対しては、許されない願いなのであろうか。

さて、ここからが本日の本題。

ここまでの私の主張を見ていると、私の考えが地方参政権付与につき賛成する立場の人間だと思っている人も多いかもしれない。

しかし、私は、「新聞社とあろうものが、成立しえない解釈をして、あたかも最高裁判例が違憲と言ったなんていうトリックを使うな」と言っているに過ぎない。

私自身が、現段階における立法による地方参政権付与について賛成しているかどうかは別問題である。

そこで、今日はこの問題について、マニフェストに明記された政策ではなく、国民の審判を経ていないため、政権発足から100日間は批判しないという紳士的ルールの例外として、厳しく批評していきたい。

端的に答えると、現時点において、私はこの政策には、反対であり、もし法案化をするのであれば、来年の参議院選挙の争点の1つとして、マニフェストに示したうえで、その結果を持って判断すべきであると考える。

なぜ、今国会での永住外国人への地方選挙権付与について、反対の立場なのかについては、以下のような理由によります。


1.まずは国民を巻き込んだ十分な議論を

永住外国人への地方参政権付与(以下、私は意識的に、「地方参政権」という言葉と「地方選挙権」という言葉を使い分ける。なぜなら、最高裁判決で、明示的に示されているのは、地方選挙権の付与について憲法上の許容されているとしているに過ぎず、被選挙権に対する判断は示されていないためである。)の問題は、国民主権の原理に密接にかかわる問題であり、国民レベルの議論が十分に進み、国民によるこの問題への認識が十分に図られ、国民による選挙を通じた十分な信託を受けていない現状での、法案化は百害あって一利ない。

にもかかわらず、選挙を通じて訴えて来た政策の実現すらされていない現状で、この問題の立法化を行う理由が私には理解できない。

この問題は、参政権という、いわば憲法15条の公務就任権の問題である。

国民主権の原理から、憲法15条の保障は、日本国民に限られるという現在の最高裁判例や通説的理解を前提にすれば、たとえ、憲法上地方選挙権の付与が憲法上禁止されていないとしても、国民主権の担い手である日本国民の明確な意思表示がなければ、立法化すべきではない

明確な意思表示というのは何も国民投票のような直接的意思表示を求めろというわけではない。

しかし、少なくとも、選挙中の争点の1つとして、与党議員と政権政党を政治的に拘束するマニフェストに掲げた上で、国民の審判を受けた政策でなければ、ならないという基本的なことを言っているにすぎない

これを無視した法案化は、国民主権の原理を軽視する政治家の暴挙と言っても良いだろう。

私は、かねてから主張しているように、民主党政権のマニフェストに掲げた政策については、少なくとも政権発足から100日間非難すべきではない、その後であってもマニフェストの基本的部分に反対するような行為はメディアも慎むべきだと思っている。

なぜなら、マニフェストを掲げた政党が勝利した以上、国民の民意が示され、その基本的部分に反対したり、実績が作れない段階である100日間に批判をするのは、無責任かつ民主主義を否定する暴挙だからである。

そして、これが少なくとも英米政治における共通認識である。

しかし、この永住外国人への地方選挙権付与の問題は未だ選挙の重要な争点として、マニフェストに掲げられ、国民の信託を仰いでいない。

さらに、雇用問題、社会保障問題、景気対策、行政のスリム化など今すべき重要課題に優先させてこの問題を扱う必要性も許容性も私には見いだせない。

国民の審判を仰ぐのを避けるかのような法案化は、政治家のエゴであり、民主主義の原則にもとるのではないだろうか。


2.参政権の内容が未だ不明確

前述で触れたように、最高裁は、永住外国人への地方選挙権の付与は憲法上禁止されるものではないと言っている(最判平成7年2月28日)。

しかしながら、参政権の付与といった場合、そこには被選挙権の付与も含まれると考えられる。

仮に、永住外国人への地方被選挙権の付与も立法化するとすれば、そこにはひとつクリアーしなければならない問題がある。

それが、「外国人が『公権力行使等地方公務員』に就任することは、本来我が国の法体系が想定するところではない」と判断した最高裁判例最判平成17年1月26日民集59巻1号128頁)との関係である。

この判例は、地方公務員のうち、住民の権利義務を直接形成し、その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行うなどの公務員を「公権力行使等地方公務員」と定義したうえで、憲法の国民主権の原理から、地方公共団体の統治のあり方については、国民がその最終的な責任を負うとの考え方から、上記のように、、「外国人が『公権力行使等地方公務員』に就任することは、本来我が国の法体系が想定するところではない」との判断をしている。

ただ、最高裁はこの判例において、明示的に外国人の公務就任権を否定(禁止)しているわけではない。「想定するところではない」と言うに過ぎず、ここから導かれるのは、「保障はされていない」ということだろうという解釈である。

つまり、藤田裁判官の補足意見にもあるように、この事案の解決において、外国人の公務就任権の存否については、これが禁止されているのか、許容されているのか、最高裁は判断する必要がないとして回避しているのである。

なぜこのような判断になったのか。

それは、この事案では、永住外国人の東京都の管理職への登用が問題になったのであって、管理職=公権力行使等地方公務員ではないため、公権力行使等地方公務員への就任それ自体が問題になったわけではないためである。

そうすると、未だ、永住外国人が公権力行使等地方公務員への就任が憲法上禁止されているのか否かを含め、未だ最高裁の判断は出ていないのである。

したがって、まとめると、

①最高裁は、地方公共団体の長および議会議員の選挙権の付与につき、許容する立場を明確にしている。

②最高裁は、地方公共団体の長および議会議員の被選挙権の付与については、明確な判断を一切していない

③もっとも、最高裁は、公権力行使等地方公務員への外国人の就任につき、「我が国の法体系が想定するところではない」と言っており、保障していないことは読み取れるが、禁止なのか許容なのかは不明である

④そして、地方議員になることは、公権力行使等地方公務員に就任することそれ自体といえる。

以上が、憲法の番人たる最高裁判所の見解であると考えられるのである(もっとも、③の部分は、判例の不明確な文言をどう解釈するか問題であるため、許容していると理解している学者も多いだろうし、そういう解釈を展開する余地はあるが、私としては禁止説と考える余地も十分にあり、どちらともいえないと考えている)。

こうした司法判断の存在を踏まえて、民主党が想定する「参政権付与」の内容をまずは具体化し、その上で、上記判例法理との矛盾・抵触がないかを国民レベルで検証しなければならないのではないだろうか。

しかし、そういった最高裁判例の検証を現在の立法府が行っているというニュースは聞こえてこない。

もし、これらの判例の存在を十分考慮しない形で議員立法化するとすれば、それは、国民主権の原則を軽視するだけでなく、最高裁に違憲審査権を与え、三権分立を図った憲法の精神すら没却する恐ろしい行為ではなかろうか。

この法案の議員立法化を現時点で進めようとしている国会議員にはまず、国会議員には憲法99条による尊重擁護義務があることを再認識してほしいと切に望む。

3.適切な民意の審判を経れば、地方参政権付与も許容

私は、

①次の国政選挙である来年の参議院改選においてマニフェストに掲げて争点化し国民の審判を仰ぐこと

②それまでの間に上記2つの最高裁判例の存在と射程の問題を十分議論し国民に十分な情報抵抗を行うこと

という2つの条件をクリアーすれば、外国人への地方選挙権(および被選挙権)の付与は問題ないと考えている。

この問題をメディアで取り上げると、大抵の場合、イデオロギー対決となったり、根拠のない誹謗中傷合戦や不正確な知識に基づくうそつき合戦に発展することが多い。

しかし、少なくとも政治家やメディア、そして、”識者”を自称する人々は、そうやって政治劇のように煽って面白おかしく取り扱うのではなく、重大な問題であるという認識を新たにして、冷静に司法権が示した解釈を踏まえ、国民への適切な情報提供を行い、国民の判断に委ねるべきではなかろうか。

さて、外国人の参政権という論点を扱う本は数多くあるが、どうもこの論点を一般向けに分かりやすく、正当な憲法学の理解に基づいて、解説している本と言うのは少ないように思う。

例えば、アマゾンなどで、「外国人の参政権」というキーワードで検索しても、あまり耳にしない著者(私の無知のせいかもしれないが、法学者としてあまり実績を聞かず、有名でない方)の本が多い。

こうした外国人への参政権付与という憲法上の問題を理解する上で妥当な一般向けの本を紹介するのは非常に難しいため、今回は憲法学における正統な本を紹介しようと思う。

そもそも、憲法というのはどうしても価値判断が先行してしまうため、学者の色が出てしまう。

ただ、我が国の憲法が故・芦部信喜博士の通説的理解を中心に発達してきたのは紛れもない事実であろう。したがって、芦部憲法が未だに通説的理解の根底にあることはだれも否定できない。

もっとも、近年は最高裁判例が芦部憲法とは違う理解をしているという批判が多くなっているという。また、芦部博士が亡くなって久しく、取り扱っている判例も古くなっている。

そこで、 憲法判例の理解に当たっては、芦部憲法に加え、以下の本もお勧めである。

まず、この高橋先生は芦部博士の一番弟子といわれており、芦部憲法を前提に最近の議論が説明されていることは憲法学における通説的な理解をするのに良い本である。

最近の判例の理解を深めるという観点からは、戸松先生のこの本は訴訟的観点から判例を丁寧に分析しているので解りやすい。

なお、これらは法律家向けの専門的なものであることは否めない。

そこで、私自身は読んだことがないが、一般向けの本としては、渋谷先生の書かれた以下の本がオーソドックスでよいのではないかと思う(中身は読んだことがないが、渋谷先生の他の著作物からすると、基本的には独自説を通説がごとく記載する方ではないし、憲法学者としても実績がある方で、その方が一般向けに書いた文庫本なのだから、お勧めして問題はないという判断)。

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【主張】外国人参政権 「違憲」の疑い論議尽くせ
2009.11.10 02:49

 民主党内で、永住外国人への地方参政権付与法案を議員立法で今国会に提出しようとする動きが起きている。同党の山岡賢次国対委員長が自民党の川崎二郎国対委員長にこれを伝え、「場合によっては、党議拘束なしで(採決を)行いたい」とも述べた。

 しかし、この法案は選挙権を国民固有の権利と定めた憲法15条に違反する恐れがある。国民の主権を脅かしかねない法案であるにもかかわらず、それを党議拘束なしに採決しようというのは、あまりにも乱暴である。

 しかも、民主党は今夏の衆院選に向け、永住外国人への地方参政権付与を党の政策集に掲げていながら、マニフェスト(政権公約)から外した。マニフェストにないものをなぜ急ぐのかも疑問だ。

 この問題で、民主党内には、小沢一郎幹事長ら推進派の議員が執行部に多いが、中堅・若手議員を中心に慎重論も根強い。法案提出の前に、まず党内で憲法問題などの議論を尽くすべきだ。

 連立与党の中でも意見が分かれている。社民党は外国人参政権付与に賛成の立場だが、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は「在日外国人の比率が非常に高い地域がある」などと慎重論だ。

 推進派の鳩山由紀夫首相も先の衆院予算委員会で「強引に押し通そうとは思っていない」と答えた。平野博文官房長官も9日の会見で、党内論議の必要性を強調した。当然である。

 在日韓国人ら永住外国人に地方参政権を与えようという動きは、この問題が「国の立法政策に委ねられている」とした平成7年2月の最高裁判決を機に強まったといわれる。だが、判決のその部分は拘束力のない傍論の中で述べられたものにすぎず、本論部分では、憲法93条で地方参政権を持つと定められた「住民」は「日本国民」を意味するとして、外国人の参政権を否定している。

 韓国で今年2月、公選法が改正され、2012年以降、在外韓国人が韓国の国政選挙権を持てるようになる。もし、日本で外国人に参政権が与えられれば、在日韓国人らは二重の選挙権を持つことになる。この点からも、外国人への参政権付与は問題である。

 外国人が参政権を得るためには、やはり日本国籍を取得すべきだ。国政選挙であろうと地方選挙であろうと、参政権は国民にのみ与えられた権利なのである。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091110/plc0911100249002-n1.htm

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Comments

情けないことに、普通のことを普通に述べているブログを探すのが困難となっています。上脇先生とブログ主さん位でしょう。ネット上では、既に、禁止説が通説・判例というデマがまかり通っているようです。

Posted by: リンゴミカン大好き | 02/03/2010 at 04:00 PM

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