政権交代を実感 ― 民主党議員を近く感じる
先日、「国会議員による事業仕分は国会法に抵触? ― 河上発言の意図を探る」という記事を書いている際に、民主党政権が行う事業仕分人の法的地位が解らないという話をしたのを覚えているだろうか。
これは、「外国人の地方参政権付与について」という記事の中でも、外国人の公務就任権の問題との関係で、重要なことであり、どういう立場の人間なんだろうかとかねてより気になっていた。
そこで、事業仕分そのものを評価する記事をそのうち書こうと思い、その情報収集も兼ねて、ツイッターで、「①事業仕分に関する公式の目的・趣旨を記載したものがあるのか、②事業仕分人の法的地位はどういう位置づけなのか」の2点について、知っている人はいるかつぶやき質問をしてみた。
当初は、駄目で元々という感覚で、あまり期待せずにつぶやいたところ、ツイッター上の民主党関連の情報を扱う方がそのつぶやきを他の方にも広めてくださり、数分もしないうちに、事業仕分に関心を持ってツイッターを利用していた方々から返信をいただき、①の質問に関しては、非常に有益な情報をいただくことができた。
他方、②の質問に関しては特殊な質問であったこともあり、ある利用者の方が、「民主党の藤末健三参議院議員がツイッターを利用しているので、質問してみてはどうか」というアドバイスをくれたので、私は、相手にしてもらえないのではないかと思いつつ、質問を試みることにした。
ちなみに、失礼ながら、私はこの時初めて、藤末健三(ふじすえけんぞう)という人物がおり、民主党所属の参院議員であるということを知った。
初めて話しかける人に不躾に質問するのはどうなのかと戸惑ったが、藤末議員のアカウント宛てに質問をしたところ、一時間もしなううちに、すぐに返信をいただき、「明日調べてみます」という回答をいただけた。
そして、翌日のお昼ころには、以下のような回答を下さった。
事業仕分け人の法的地位は、行政刷新会議議長(=総理大臣)からの「委嘱」という扱いで、国家公務員のような法的地位は付与されていないとのことです。
これに伴う、事業仕分人の前述した2つの問題に対する私見は別の機会に発信するとして、今日は、この回答をいただいた時に私が痛感したことを紹介したい。
それは、私が、この藤末議員の反応から、「政権交代による変化を実感」したということである。
藤末議員をはじめ、民主党の議員には、逢坂誠司衆院議員などツイッターにアカウントをもって、情報発信をしている方が多いのだが、単に一方的に情報発信にとどまらず、丁寧に質問に答えてくれる。
藤末議員は今回、別の方の質問である「事業仕分人の報酬」についての質問にも、丁寧に答えておられた。
つまり、"与党"の議員に対して、誰もが身元を明かさずに気軽に質問をすることができ、それに答えてくれる土壌がインターネットを通じて存在している。
このことは、従来の自公政権下では考えられなかったことではなかろうか。
他方、自民党にも、小池百合子衆院議員(比例復活)のように、衆議院選後の最近になってツイッターをやられている方もいるが、そのつぶやきを見る限り、有権者の質問に答えたり、丁寧な対話をしているとは、感じ取れない。
一方的な、自己の情報発信のみの宣伝という感じである(ツイッターを登録されて日が浅く、使いこなせていないのかもしれない)。
行政刷新会議の事業仕分という注目と批判が渦巻いている現状において、明らかに批判される得る可能性の高い情報である「仕分人の日当報酬」や、国会議員の兼職禁止規定(国会法39条)や外国人の公務就任権との関係で問題となりうる、「仕分人の法的地位の情報」を、ツイッター上でのつぶやきという極めてフランクな形での情報請求をして、1日も経たないうちに調べて、丁寧に答えてくれている。
このような与党議員が自公政権時代にいたであろうか。
少なくとも、私は、近年の自民党議員の姿勢から、大臣などの経歴を振りかざして宣伝したり、テレビなどで顔を売るだけの者は多くいたが、ツイッターに限らず、一般人との「対話」を重視しているという姿勢を感じ取れなかった。
※公平を期すために言及すると、自民党議員にも、田村耕太郎参議院議員のように、ツイッターで対話をしようと試みている議員もいる中にはいるようである。
例えば、自民党の広報というツイッターアカウントの過去のつぶやきを見ても、単なる情報発信であり、そこに一般人と政治家の対話は存在しているようには思えない。
これでは、ツイッターがブログとチャットの中間といわれている特性を全く活かせてないのであって、ホームページ上の情報発信と何ら違いはなく、ツイッターでつぶやくだけ無駄である。
従来の自公政権では、我々は、与党議員に対し、憲法16条の請願権を行使する場合、身元を明かし、地方議員に申し入れをしたり、国会議員と直接面会を求めて、行う場合がほとんどであった。
場合によっては、陳情により請願権を行使しようとしても、会ってすらもらえないということも多々あったのではないだろうか。
その1つが薬害問題であり、被害者が判決を受けて強く求めた薬害問題の陳情に対し、当時の川崎厚生大臣や柳沢厚生大臣が面会すら拒否し続けたのは記憶に新しい。
しかし、今やツイッターでつぶやくことにより、与党議員に対して、何人も気軽に声を届けることができる土壌が存在する。
政権交代で実績を作らなければならない忙しい時期であるにもかかわらず、有権者の声に耳を傾け、時間がある限り対話してくれる与党議員がツイッターにはいる。
このことは、私にとって政権交代を実感させてくれる大きな出来事であった。
この点、先の予算委員会では、自民党の町村信孝衆院議員(比例復活)が、民主党党内で一元管理する陳情方法について、「(民主党政権は)市町村長を(政務三役に)なかなか会わせない。いじめをやっている」という薄っぺらい批判をしていたようである。
しかし、一元化する制度において問題が顕在化もしていない段階で、そうした下らない批判をすることに何の意味があるのだろうか。
今の自民党に必要なのは、そうした下らない与党批判ではなく、どうやって自己改革をし、民主党に対抗できる政権政党として復活するかを模索することのはずではないか。
そのためには、まず、与党という「のれん」の上に胡坐をかいていた自分たちへの自己批判を徹底し、ライバルである民主党の藤末議員のような一般人と対話する姿勢をもつことを学ぶべきであろう。
自民党が若返るかどうかが良く議論されるが、それは本質的な問題ではない。
自民党が支持を失ったのは、国民との対話の姿勢が欠けていたことが原因である。
自民党が従来行ってきた既得権益ほしさに群がる"支持者"とのみとの対話では、この高度に発達した情報化社会において、国民の総意を吸収し、それには対応することができないのは明白である。
誰もが気軽に質問や陳情、意見をいうことができ、そこに耳を傾けることのできる政治家への転身を図ることが、今の野党自民党に求められているのではないだろうか。
もしかすると、野党時代に民主党の個々の議員が有権者と対話するためにしてきた努力が民主党議員を身近に感じさせ、有権者の政権交代という判断につながったのかもしれない。
そして、藤末議員のツイッターでの対応はそうした個々の民主党議員の努力の一例であろう。
与党になった民主党議員には、注目と批判が渦巻いている種々の政策に対し、拙速のイメージをもたれるパフォーマンス活動ではなく、対話の努力を惜しまず、十分な検証と丁寧な「説得のリーダーシップ」(リンク先の最後にこの説明あり)を発揮して、本当の意味での国民目線の政治を実行することを国民は望んでいると私は考える。
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