国際的PR力のある人材の発掘を(東京オリンピック誘致問題を題材に)
今日は、鳩山首相がコペンハーゲンに出発したというニュースがあったので、2016年の夏季オリンピックを題材に日本の国際的PR力の欠如という問題を取り扱ってみたい。
そもそも、東京でのオリンピック招致につき、一部賛否があるようではあるが、今日はその妥当性の問題は置いておき、日本の国際的PR力、とりわけ政治的発信力の弱さについて、私見を紹介しよう。
今回、鳩山首相が誘致に赴くことになった以上、国家元首クラスが登場するIOCの舞台で、国家の代表が自国での開催に自信を持って誘致を行うわけであるから、誘致が成功することにこしたことはない。
しかし、鳩山首相を含め、日本の政治的リーダーには、国際的なPR力が著しく欠如していると言わざるを得ず、東京オリンピックの実現は難しいだろう。
これは英語ができるか、英語が上手いかといった話だけではない。
国際的PR力とは、国際的に広く認知されている共通言語を駆使して、聞いている人に訴えかける能力だと私は定義する。
つまり、英語など世界中で一番多くの人が認知できる共通言語を話せることはもちろん、それを使ったスピーチ力、プレゼンテーション能力が求められるのである。
しかしながら、日本の政治的リーダーのほとんどが非常に内弁慶的な性格が強く、日本国内でしか通用しない手法や思考で、国際的な交渉を行っている点に問題がある。
例えば、オリンピックの誘致の旗振り役である石原都知事である。
東京という世界有数の大都市のリーダーであるが、同じ世界的都市のニューヨークの治安を安定させ、テロで混乱するNY市の早期復興で脚光を浴びたジュリアーニ前NY市長に比べると、彼には、国際的舞台で通用する品位もなければ、能力もない。東京という潜在的能力の高い地域を十分に発展させ、治安を維持するだけのリーダーシップもなければ、カリスマ性もない。
彼は単に団塊の世代に人気だった芸人、石原裕次郎という弟の知名度と、小説家としての知名度で、政治家をしているのであって、決して政治的リーダーとしての資質を備えているから、東京という巨大都市の長の座に君臨しているわけではない。
なぜ、私がここまで、石原都知事を低く評価するのか。
それは彼が典型的な内弁慶的で、明確なヴィジョンのない政治家であり、東京という資源豊富な潜在能力の高い都市を有効活用できていないためである。
まず、内弁慶ということであるが、これはより分かりやすく言うと、根拠のない自信に満ち溢れており、高慢で、日本国内では威張り散らしている一方で、海外の政治的リーダーと渡り合えるだけの度胸もなければ器量もないこととここでは定義しておこう。
石原都知事は、以前に「Noといえる日本」という時代錯誤も甚だしい、エッセイを書いていたことがある。
彼は、それに代表されるように、事あるごとに、「日本は素晴らしい」と根拠のない自信を振りかざし、「アメリカはろくでもない」とか「フランス語は数を数えられないから国際語失格」とか意味不明の高慢な主張をしている。
しかし、我々は、石原都知事が自ら「フランス語は国際語失格」と言い切れるほどの優れた外国語能力を駆使して、東京の素晴らしさを国際的にアピールしている姿を一度でも見たことがあるであろうか。
この問いに対し、おそらく彼ならば、日本人なら日本語でアピールすれば、十分と反応するだろうし、彼を支持する人々にもそういう非常に短絡的かつ内向きな思考をする人が多いだろう。
しかし、東京という世界有数の国際都市の長である人間が、英語すらろくに話せないというのでは情けないし、国際的政治舞台では、英語の話せない人間ははっきり言って蚊帳の外である。
今回のIOC総会のロビー活動にも、通訳をつけて臨んでおり、海外メディアには通訳を通して回答していたが、これではIOCの理事に「熱意」が伝わるはずがない。
従来型の金権体質から脱却を目指しているIOC総会においては、日本の古い接待の手法は今や通用しない。
投票権のある理事がが認識できる言語で、立候補をしている国や都市の政治的リーダーが熱いメッセージをただ読みあげるのではなく、スピーチ力とプレゼンテーション能力を駆使して、訴えなければ、誘致合戦に勝利することは、およそ無理な話である。
石原都知事も、これだけ東京オリンピックの誘致に税金と力を入れているのであろうから、ただニコニコと自己満足的な握手をするだけで終わったり、通訳なんか使ったりせず、少なくとも本番のごく短い数分間のプレゼンテーションでは、立派な英語力はもちろん、それを超えたスピーチ力を世界中に見せてくれるのだろう(皮肉をこめて)。
次に、今回期待が集まっている鳩山首相についても言及しておこう。
鳩山総理も、前任の麻生総理も、英語能力は既存の他の政治家に比べればある。
しかし、以前にも指摘したが、彼らには、英語で訴えかけるというスピーチ力やプレゼンテーション能力が十分に備わっているかは、国際基準からするといまいちである。
以下の動画はトニー・ブレア英国前首相が、環境問題を語っている姿であるが、使っている言葉が非常にダイレクトであり、かつ、表情やジェスチャー、言葉と言葉の間の間合いなどあらゆる表現力を適切に使っている。
この訴えかける姿は、その言葉と相まって非常に説得的であるし、惹きつける力がある。
また、以下の動画では、より迫力のある演説力で訴えかけており、なるほど、これが政治的リーダーのアピール力だと思わされる。
政治的リーダーにとっては、英語をはじめとする外国語はただ話せるだけではだめで、このように、訴えかる表現力が必要である。
私はこのブレア前首相のスピーチの上手さは、単に、ネイティブだからではないと思う。彼の類い稀な弁論能力の高さによるものである。
日本にはこういった弁論能力やスピーチ、プレゼン力の高い政治的リーダーが極度にすくない。世界の顔になれるリーダーがいない。
今回のIOC総会を機に、日本の政治的リーダーと海外の政治的リーダーのスピーチ力の違いなどに着目して、日本の国際的PR力の欠如という問題を考えてみてはどうであろうか。
最後に、国際的PR力の欠如の例として、海外では無名の日本の芸能人ばかりを招致大使に起用していることにも言及しておこう。萩本欽一や間寛平などを知っている外国人はほとんどいないだろう。
オリンピック招致そのものが失敗しても日本の国際的PRになれば、立候補した意義はあるだろうが、このような内向きな有名人起用では、それすら期待できない。
そもそも、国際的に通じる有名人(スポーツ界ではイチローくらいのものだが野球はオリンピック種目から除外されてしまったし出る幕はなさそうだが・・・)を含めて日本は人材発掘が遅れているのかもしれない。
テレビでは、北野武氏を使うべきという声などがあったが、これも見当違いだろう。
彼はフランスやイタリアなどでは映画監督として賞を受賞しているが、局地的な知名度でしかない。以前イギリスが起用したベッカム選手や、スピルバーグ監督、ジョージルーカス監督、ティムバートン監督など他の有名映画監督と比べると、まだまだその知名度は日本人が思っているほど低くい(おそらく、渡辺兼の方が知名度は高いかもしれない)。
そう考えると、国際的に通じる人材というのは日本では非常に限られている。
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16年夏季五輪 「必ず勝てる」招致へ意気込み…石原知事
10月1日21時50分配信 毎日新聞【コペンハーゲン江畑佳明】16年夏季五輪開催都市決定を前日に控え、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会は1日、決定前最後となる記者会見を行った。石原慎太郎・東京都知事は「選手にとって一番好ましい環境が東京だと自負している。国際オリンピック委員会(IOC)委員が冷静な判断をしてくれれば、東京は必ず勝てる」と意気込みを語った。
会見で石原知事は「いよいよ明日は決戦の日。我々は一生懸命努力してきた」とこれまでの招致活動を総括。「エモーション(情熱)が足りないと言われるが、子どもや孫にいい環境を残したいという思いが一番のエモーションだ」とも語り、改めて環境を重視する東京の開催計画をアピールした。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091001-00000019-maip-soci
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