負けたのは制度のせい?(小選挙区批判論は敗者のエゴ)
そろそろ出てくるなと思っていたが、産経新聞が9月7日付の記事で、小選挙区批判論を展開している。
といっても、小選挙区のままでよいという曽根泰教慶大教授のまともな見解も紹介されているので、偏った記事というわけではない。
今回の私の記事では、いかに小選挙区改正論(とりわけ中選挙区制回帰論)がおかしいのかを中心に、この記事に対する批判を展開したいと思う。
1.死票の問題(得票数と議席数のかい離)を指摘するジェラルド・カーティス教授について
まず、記事では、カーディス教授の指摘として、死票の問題が指摘されている。
確かに、死票が生まれることは否定しがたい事実であり、それが小選挙区制度の特徴でもある。
しかし、この批判は、①死票が生まれることが悪であるという価値観を前提にしていること、②欧米諸国の選挙制度に対する解説があたかも小選挙区に否定的と思わせる形で紹介されており、非常にミスリーディングであるという問題があろう。
まず、①についていえば、確かに死票が生まれると、敗北した候補に投票した意思は当落には反映されない。死票を指摘する声を丁寧に説明すると、おそらく、死票になった意見は無視されるという懸念だろう。
しかし、これは選挙である以上当然のことである。選挙は1つの選挙区内での代表者を選ぶのであり、勝利する候補者以外に投票すれば、それ以外の投票は死票となるのは当然であり、これを問題視するのはズレている。
また、候補者が接戦を制した場合、かならずしも、反対候補に投じた票を無視して活動できるかは疑問であり、死票になるとすべて無意味というのは、選挙および民主主義の本質を理解できていない批判である。
そもそも、接戦をギリギリで制した小選挙区の勝利候補は、解散がなければ、その後4年間は安泰かもしれないが、4年後には確実に選挙があるわけで、接戦であればなおさら、いかに次回の選挙で、死票となった票を自分の得票とするか考えるはずである。
もしこれを考えない候補がいるとすれば、政治家として未熟であるか、そもそも4年限りの選挙だと思っているかのどちらかだろう。少なくとも、まともな候補者であれば、死票を完全に無視して、議会活動をするとは思えない。
だとすれば、死票が生まれるとその意見が反映できず、絶対的におかしいという価値観が先行した批判は、意見が反映できないという前提が間違っているのであり、的外れである。
次に、②の点について検討する。記事では、「欧州諸国では、得票率と議席数の差を嫌う傾向が強く、英国を除き、下院において、得票率に応じ議席を配分する比例代表制を採用する国が多い。」との解説を入れているが、これは海外の選挙制度に対する認識不足も良いところで、ミスリーディングである。
まず、欧米諸国とひとくくりにしているが、小選挙区制度を採用していない国がどれだけあるのか1つも説明していないし、それらの採用していない国で健全な民主主義が機能しているのかも説明がない。
イギリスを除いた欧米諸国というのであるから、フランスは当然小選挙区制度を採用していないというのかなと思う読者もいるだろう。しかし、フランスは小選挙区制度を採用している。もっとも、フランスでは、選挙区で過半数の得票者がいない場合には、決選投票ト行うという2回投票制を採用しているが、これも小選挙区を前提にした制度であり、比例代表を採用しているわけではない。
イギリスを旧宗主国とするカナダ、オーストラリアも小選挙区制であり、アメリカも「Winner Takes All」という言葉があるように、小選挙区制度である(大統領選は小選挙区制度をベースに代議員を選ぶ間接選挙)。さらに、ハンガリーは日本と同じ小選挙区比例代表並立制である。
いずれにしても、小選挙区制度は日本を除く、英、米、仏、加のG8のうち4カ国がこの制度を採用しているのであって、少なくともこれらの国は民主主義国家の代表ともいうべき国々なのであって、小選挙区制が欧米で人気がないかのような指摘は誤りである。
さらに、立憲民主主義の最初の国であるイギリスは、長年完全小選挙区制度を導入しているが、健全な政権交代がたびたび起こっており、また政治も安定している。死票の問題を指摘する声もあるが、選挙制度を変えようという動きは広がっていない。
その理由は、勝利した候補者(ないし政党)が必ずしもイデオロギー的な対立に走るのではなく、中道政策を意識し、死票(反対票)に対する配慮がある政策を実行しているからである。選挙制度のせいで、民意の反映ができていない文句をいうのは、少数意見のエゴととらえる向きもある。
また、完全比例代表制度が民主的かは疑問で、ロシアはこれに移行したことで、逆にプーチン勢力以外の政党が勝利するのが難しい形で運用されているということも忘れてはいけないだろう。
したがって、今回の選挙で、小選挙区制度により民主党が大勝したからといって、選挙制度が問題だという話がでてくるのは、少数意見(敗者ないし敗者を支持している者)のエゴでしかないだろう。
2.ジェラルド・カーティス教授の見解は必ずしも欧米の視点を代表していない。
日本では、良く彼の名前が新聞やメディアに出てくることがあるが、彼の日本に対する視点は必ずしも欧米を代表するものではない。しかし、日本のメディアは、彼の視点が日本に対する欧米の見方といわんばかりの報道をする。
これはひとえに、日本メディアの情報収集能力のなさに尽きる。多くのメディアは海外支局を持っているが、基本的にワシントン支局でいえば、CNNやABCなどの流す報道を訳して報道しているのが大半である。
かつてインターネットがない時代においてはその意義もあったのかもしれないが、これだけインターネットが普及し、英語で原文が読める日本人も多い現在においては、その存在意義にすら疑問を持ってしまう。
また、記者の偏ったプライド(海外支局に行くには何年もの下積みが必要なのでその維持課のかもしれないが)のせいかのか、海外支局では現地採用の現地人をあまり重要視して活用しておらず、英語をはじめとする外国語が未熟な記者が幅を利かせている。
したがって、現地の言葉での情報収集能力に問題があるため、結局、海外メディアが文章の形で発進したものを和訳して、かつ、その報道から得た情報に自分の印象を交えて報道するだけであり、独自取材をすることはほとんどない。
こういう状況が、日本の政治を研究しており日本語が話せるという特定の教授に対する過剰な評価につながっているのである。
また、誤解を恐れずにいうと、日本に興味のある外国人の多くがある種その国では変わり者という傾向があることを忘れてはいけない。
私の偏見かもしれないが、いわゆるアメリカなどでオタクの傾向がある人が日本に深い関心を持っていることが多く、そういう人々の見解は必ずしもアメリカなどの社会での主流の見解とはズレていることが多い。
カーティス教授がオタクなのかどうかわからないが、日本に詳しい教授が必ずしもアメリカの主流の見解を持っているとは考えにくいのであり、むしろ新しい日本政府に対するアメリカの本当の見方を知りたいのであれば、アメリカ政治のエキスパート教授に聞くべきであろう。
おそらく彼らの多くが日本にそれほどの関心がないかもしれないが、そうだとすれば、それがアメリカの主流の日本に対する見方なのであって、それを伝えるのがメディアの役割なのではないかと私は思う。
3.小林良彰慶大教授の見解は民主主義の本質を理解できていない
同氏は、「小選挙区制は、多数意見と少数意見、例えば高所得者や低所得者が別々の地域(選挙区)に集まって住み分けている米国のような社会に適している。日本は少数意見を持つ人が社会全体に広く分布しているため、この制度では意見を反映しにくい。」と発言している。
しかし、イギリスやフランス、さらにカナダ、オーストラリアを見ると、日本と同じような社会であり、アメリカほど貧富の差が拡大していない。アメリカという多人種国家の特異な社会状況だけをもって、小選挙区の代表的存在と位置づけるのは、読者への誤導が甚だしい。
さらに、少数意見を反映しにくいと言っているが、民主主義の本質は少数意見の反映までを求めていない。
民主主義の正当性の契機といわれているのは、少数意見に十分な議論の時間を確保し徹底的に議論を行うことであって、少数意見を反映させることまで要請されているわけではないのである。
つまり、わが国の憲法が要請する民主主義は、徹底した議論を確保することで、少数意見の説得力が明らかになればおのずからその意見が反映されるだろうという事実上の反映を認めているに過ぎず、反映させる仕組みまでを要求しているものではない。
したがって、よく共産党や社民党、公明党なども、少数意見を反映させる仕組みにしろと声をあげるが、これは民主主義の正当性が要求する域を超えた少数意見のエゴなのであって、説得力を欠く議論である。
また、小林教授は、「政権を取った民主党は、自公政権がそうだったように今後4年間の任期中、何があっても衆院を解散しないだろう。次の選挙まで民意の調整が行われないことになる。」と発言しているが、これもおかしな話である。
4年の任期の間でたびたび解散されて、政治が空白化することは民主主義ではない。解散し、政局が流動化すれば、政治学を専門とする学者の飯種は尽きることがなく安泰かもしれないが、国民にとってはえらい迷惑である。
民意の調整は、解散によって行われるべきではなく、国会議員が自分の選挙区はもとより日本全体の民意の動きを敏感に感じ取れるかどうかにかかっているはずである。
さらに、参議院の改選が3年ごととなっており、4年の任期より短くなっているのも、民意を反映させるためのものであり、解散がなくても、政治家は参議院の改選選挙や地方の選挙でその民意を十分図っているはずである。
そして、小泉、安部、福田、麻生と続いた自民政権はその調整に失敗して大敗したのであり、私はむしろ、こういう政権交代が起きやすい現在の選挙制度は日本に今後なじんでくるだろうと思う。
与謝野馨氏が以前、「小選挙区では政治家が小者化してしまうので、中選挙区に戻すべき」と主張していたが、自分が小選挙区に勝つのが苦手だから、小者が多くなると右往左往する自分自身を棚に上げて発言している方が小者だとおもうのは私だけだろうか。
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小選挙区制の歪み? 地滑り的勝利・議席再配分
9月7日7時56分配信 産経新聞民主党が圧勝したさきの衆院選と自民党が勝利した平成17年の衆院選は、特定政党が「地滑り的勝利」を収めるなど、小選挙区制度の特徴が顕著に表れた。一方で、少数党の埋没傾向が強まり、制度自体の問題点や矛盾点を指摘する声が出始めている。(田中靖人)
17年9月のいわゆる「郵政選挙」では、自民党が公示前237議席から296議席へ躍進、全480議席に占める割合は61・6%となった。与党の公明党(31議席)との合計は327議席となり、参院が否決した法案を再可決できる3分の2(320議席)を超す巨大与党を生んだ。民主党は177議席から113議席へと減らし、議席占有率は23・5%となった。
だが、小選挙区の得票率は自民47・7%に対し、民主36・4%と差はわずか11・3ポイント。特に民主は前々回(15年11月)から0・2ポイントしか下げておらず、得票率が相対的に多い政党が議席数で過大評価される小選挙区制の特徴が強く表れた。
今回は自民が192議席減らす一方、民主が196議席増やす逆転現象が起きたが、得票率も自民がマイナス9ポイント、民主がプラス11ポイントとほぼ入れ替わっただけで、得票率と議席数の乖離(かいり)は埋まっていない。
欧州諸国では、得票率と議席数の差を嫌う傾向が強く、英国を除き、下院において、得票率に応じ議席を配分する比例代表制を採用する国が多い。
日本も全480議席のうち180議席は比例代表で選出し、緩衝機能を持たせている。民主党はマニフェスト(政権公約)で、「衆院比例定数の80削減」を掲げる一方、公明、社民、共産は小選挙区制の弊害を訴えてきた。
その比例代表だが、今回の衆院選で「勝ち過ぎ」た形の民主党は、近畿ブロックで比例獲得議席に比べ候補の数が足りず、2議席分の資格を失うという“珍現象”が起こった。みんなの党も公職選挙法の規定で東海、近畿両ブロックの各1議席を手放したため、計4議席を公選法に基づき自民2、公明1、民主1と再配分する事態となった。
17年の衆院選では、自民党が東京ブロックで名簿登載者数を超える議席を獲得し、社民党候補に議席が転がり込んだこともあった。
日本の政治に詳しいジェラルド・カーチス米コロンビア大教授は8月31日、都内での講演で、こうした弊害を指摘しつつ、中選挙区制への回帰を提言した。
自民党内にも中選挙区制を望む声が根強く、選挙制度をめぐる議論はやみそうにない。
◇
■国民選挙の本旨に沿う 曽根泰教慶大教授
今回の衆院選で、民主党の候補者は個人名ではなく政党名を掲げたことで当選した。従来の自民党が行ってきた候補者個人の後援会組織を固めるやり方とは異なり、日本が政党本位の政治に変わった転換点だといえる。
得票数の割に当選議席数が多いことを問題視する意見が出るかもしれないが、それは選挙制度の本質を理解していない。そもそも小選挙区制は、多数議席を強制的に製造する制度だ。政権党が失政を重ねれば政権を交代し、新たな政府を作る。それを議会内の政党の合従連衡ではなく国民の直接投票で実現することが最大の特徴だ。
ましてや二大政党の一翼を担う自民党が今回の結果に驚き、少数政党の公明党や共産党と同調して「中選挙区制度に戻そう」と言い出すのであれば、自殺行為に等しい。将来、政権を取り戻す力がないと宣言するのと同じだからだ。
自民党には、もともと「昔は良かった」と中選挙区制を懐かしむ人がいる。だが、それは「自分が頑張れば、党もマニフェスト(政権公約)も関係ない」という考えで、国民に政権の選択を委ねるという選挙の本旨をゆがめることだ。
冷静に考えれば、今回の衆院選で民主は公示前の100議席台から300議席台になり、自民は逆に300議席台から100議席台になった。次回の選挙で立場が逆転することは十分にあり得る。今後は政権交代が当たり前のこととして行われるのが望ましい。(談)
◇
■少数意見反映しにくい 小林良彰慶大教授
今回の衆院選は、自民党に対して有権者が懲罰を加えた選挙だった。与野党のマニフェスト(政権公約)に対する評価に大差はなかった。無党派層だけでなく、自民党支持者が自民党に投票しなかったことが今回の結果を生んだ。
特定の政党が勝ったから負けたから、という理由で選挙制度の良しあしを論じるのは誤りだ。しかし、現行の選挙制度は「政権交代をすればするほど民主的だ」とする英米式の「ウエストミンスター・モデル」を模範にしており、今回、「ダメ元で民主党に政権を任せてみて、それで駄目ならまた代えればよい」という気持ちで投票した有権者が少なくない。
にもかかわらず、政権を取った民主党は、自公政権がそうだったように今後4年間の任期中、何があっても衆院を解散しないだろう。次の選挙まで民意の調整が行われないことになる。
そもそも小選挙区制は、多数意見と少数意見、例えば高所得者や低所得者が別々の地域(選挙区)に集まって住み分けている米国のような社会に適している。日本は少数意見を持つ人が社会全体に広く分布しているため、この制度では意見を反映しにくい。
加えて政党助成法など一連の政治改革で党の中央集権化が進み、各候補者の資質より党のリーダーの人気が影響する傾向が強くなっている。こうした「政党本位の政治」は本当に有権者に有益なのか。選挙制度は、その国の社会に適するかどうかで検討すべきだ。(談)
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Comments
> 海外支局では現地採用の現地人をあまり重要視して活用しておらず、英語をはじめとする外国語が未熟な記者が幅を利かせている。
そうでしたか。これでは、海外に支局を置いても意味がないですね……。
私の選挙区では、自民党の大物議員がゾンビ当選してしまいました。
小選挙区と比例代表の並立制には基本的には賛成できるのですが、重複立候補制度が腹立たしい。大政党の落選ゾンビを見越した優遇制度は、多数の民意を無視してますよね。
Posted by: ginger | 09/10/2009 01:37 am