最高裁判事の国民審査コーナーの編集後記
選挙の話題や最高裁判所裁判官の国民審査に関する情報を提供したことで、このブログへのアクセス数が急増し、ついにブログ開設1年を待たずして、ココログブログに移転以降の累計訪問者数が5万人を超えた。
りんどうさん、felicitaさん、 美爾依さん、 tontonさんから、国民審査のコーナーに対する好意的な反響をいただき、ここ数日時間に追われながら、同コーナーを作った甲斐があったと改めて実感した。
コメントありがとうございました。後日、個別に返信コメントをさせていただきます。
今日は投票日前日なので、ある種の国民審査コーナーの編集後記的な感覚で、私が思ったことをとめどなく書いてみようと思う。
まず、 最高裁裁判官の国民審査については、昨日も記事で述べたように、自分の意思をしっかりもって投票行動にでることを私は切に願う。とりわけ、この審査は国民に対する情報提供が不十分なため、形骸化してしまっている。
この形骸化の原因には、知る権利に奉仕すべき機能を有するマスメディアの怠惰が一番に挙げられるのであるが、国民自身もわからないということで、フリーハンドで信任票を投じてしまう傾向がある点も責められざるをえない。
そこで、今回、すこしでも、最高裁の判例というものに興味を持ってもらおうと、私は、最高裁裁判官の国民審査に関する情報提供コーナーをこのブログに設け、関与した判例の概要が法律の素人の方でもわかるように、なるべく要点を絞って掲載しようと思った。
しかし、この作業なかなか難しく、日頃は最高裁の多数意見や主要な補足意見のみを読むことが多い私にとって、すべての補足意見、意見、反対意見を読み、長くなりすぎないように、かつ、雑に編集して意見の理解が困難にならないように、要点を絞って掲載することは、予想以上に時間を要し困難なものであった。
それでも、私がギリギリまで、これを完成させたかった理由は、ただ1つである。
日本には、まともに一般市民が見て、裁判官の是非を検討できるウェブサイトがほとんどなく、国民の司法参加の現状があまりにも後退していると感じたためである。
多くの人は、裁判にかかわらずに、その一生を終えるだろう。裁判、弁護士と言えば、トラブルが生じたときに利用するもので、多くの場合、このような事態は避けたいはずである。
しかし、運悪く、司法にかかわらざるを得ない状況になった場合に、三権の一翼を担う最終裁判所の裁判官がどのような人物で、どのような判断を下しているのか知っていて損はないはずである。
また、それこそ、裁判官を水戸黄門のように崇めるのではなく、本当に適切な判断をしているのか吟味する責任が国民にはあるだろう。
私は、国民審査において、有権者がどのような判断をしてもよいとは思う。ただ、自分の意思表示に自信と責任をもってほしい。
そのため、私の私見だけをみるのではなく、各裁判官の「関与した判例」というコーナーを是非読んでほしい。
私の私見なんてのは、一個人の私見であって、正直どうでもいい。
重要なのは、読者のみなさんが、それぞれの裁判官の関与した判例意見を読んで、どう感じるかである。
ある程度、重要判決の判断理由の要旨を知った上で、罷免相当と考えるか、信任すべきと考えるかが、司法における民主主義を機能させるわけである。
私が、一人一票実現国民会議に対して批判的なのは、有名な法律家が大勢、名を連ねているにもかかわらず、そうした視点が一切抜けており、一般市民の無知や法律に対する抵抗意識を利用し、ある種のマインドコントロールに近い広告戦略をしているためである。
気持ち悪いのは、批判をかわすためなのか、一票の較差に対する衝撃的数字を示したうえで、「合憲判断した裁判官を罷免すべきと思いますか?」と、誘導し、自らは、罷免させようとはっきりした態度を示さない点である。
まるで、なにかのリスクを負わないように(自分たちの手は汚さずに)、法律知識の乏しい人々を扇動しているかのようにも感じてしまう。
インターネット上には、そういう趣旨で、情報提供をしているウェブサイトが非常に多い。
しかし、重要なのは、繰り返しになるが、どういう理由で、どういう判断をしたのかを、自分で調べられるサイトを見つけ、自分でそれぞれの判例意見を評価することだろう。
そういう意味でも、今回のこの一人プロジェクトが、少しでも多くの人の目に止まり、判断の参考にしてもらえればと思うばかりである。
メディアを見ていると既に結果が出ているかのような扇動的な報道が目につくが、これで、自分の一票なんか意味がないと選挙に行かないと判断するのは、愚の骨頂というべきであろう。
ほぼ4年間衆議院議員の選挙はなかったのであり、国民審査も今回信任されれば、もう2度と今の裁判官に国民審査の機会は与えられない(なぜなら、10年ごとの審査であるため、10年後には退官年齢に達するため)。
したがって、8月30日は必ず投票所に行って、自分の意思表示をしっかりしてほしいと切に望む。
私は、ある組織が、組織票を増やすために、意思表示が困難な(事理の弁識能力を欠く状態にあるような)精神病患者や高齢者を投票所に連れて行き、マインドコントロールして、特定の政党に投票させようとしているところを選挙のたびに見かけている。
仮にこのような組織票で選挙の結果が左右されているとすれば、民主主義の根幹を揺るがしていると言わざるを得ない。
そういった組織票に対抗するには、一人ひとりが、投票所に行って、自分の意思表示をしっかり示すこと以外に方法はない。
よって、繰り返しになるが、責任を放棄せずに、選挙には必ず行って、自分の意思を示してほしい。
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Comments
貴重な情報ありがとうございます。
今回の選挙は各政党について調べるのに思ったより時間がかかり、国民審査はどうしようかと悩んでおりました。
色々な状況が今回の選挙をどう動かすか、日本が今後どう動いていくか心配でなりません。
今回の情報は吟味して審査に行きたいと思います。
本当にありがとうございました。
Posted by: yako | 08/29/2009 01:24 pm