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08/10/2009

原爆投下をめぐる議論について

昨日は長崎で原爆が投下された日でした。

今日は、原爆投下の是非という議論について、批判・反論はあるでしょうが、あえて大衆に迎合するのではなく、独自の観点からの私見を紹介したいと思います。

私は、長崎の方は行ったことがないのですが、広島の原爆ドーム、平和記念公園にある資料館には何度も訪問して、被爆者の方の実体験の講演も聞いたことがあり、胸が痛くなったこともあります。

ただ、原爆投下の問題が8月にクローズアップされるたびに、違和感を持つこともあります。

それは、日本のマスメディアの報道の仕方です。

毎日新聞のツイッターは以下のような発信をしました。

mainichijpedit長崎平和祈念式典が始まりました。今なお「正しかった」の声が米国人の6割に上ります   http://bit.ly/bT0nT

この毎日新聞のツイッターにある記事は以下のようなものです。

原爆投下:米の6割「正しかった」 高年齢ほど支持 
 米キニピアック大(コネティカット州)は4日、第二次大戦末期の米軍による広島、長崎への原爆投下について、米国内で61%が「正しかった」と回答し「間違っていた」は22%だったとの世論調査結果を発表した。

 それによると、党派別では「正しかった」は共和党支持者の74%で、民主党支持者の49%を大きく上回った。「間違っていた」は、共和党13%、民主党29%だった。

 年齢別に見ると「正しかった」は55歳以上が73%だったが、35~54歳が60%、18~34歳が50%と、年齢が下がるほど原爆投下への支持は低下。男女別では「正しかった」は男性72%、女性51%だった。

 同大のピーター・ブラウン氏は「第二次大戦の恐怖を記憶している有権者は(原爆投下の決定を)圧倒的に支持するが、冷戦時代に核の恐怖の中で育った世代など、若くなるにつれて支持が落ちている」と分析している。

 調査は7月27日~8月3日、全米の有権者2409人を対象に実施した。(共同)

もちろん被害国の日本人としては、原爆投下の被害を訴えるべきですし、原爆の怖さを体験した唯一の国ですから、その悲惨さを訴えるのは正しい行為だと思います。

そして、核兵器の利用をさせないように外交努力をすることは正しいでしょう。

しかし、私は、原爆の日が近づくたびに、アメリカの世論が原爆投下を正当化することを日本のメディアが責めたり、疑問視する論調に強い違和感を感じますし、むしろ、そういう議論はすべきではないとも思っています。

つまり、「それをやったら中国と同じじゃない」と思う面があるわけです。

はっきり言って、原爆投下が正しかったか正しくなかったかっていう議論は、非建設的なんです。

中国の人が、何かあれば、「日本は中国を侵略して多くの中国人を殺した。日本人は反省すべきだ。」という思考パターンと同じではないでしょうか。

結局、歴史的事実は1つですが、それに対する評価は様々であってしかるべきです。

原爆投下が正しかったかどうかも、国情が違えば、評価も違うのであって、それを被害国の日本が批判するのは、どうも中国の非建設的な議論に困惑する経験がある日本人として、「同じ行動をとってどうする」と思うわけです。

私は決して好きな政治家ではありませんが、久間元防衛庁長官が「原爆投下は仕方なかった。」とある種アメリカの世論の大勢を占める評価に、同調する意見を行った際に、日本のマスコミ、世論は袋叩きにしました。

しかし、言葉足らずかもしれませんが、私は、「原爆投下によって、日本政府に早期の終戦を決断させることができた」とするアメリカでの評価も、それに賛同するかは別として、聞くに値するものだと思いますし、その趣旨で久間元防衛長官が発言されていたとすれば、そこまで責めるべきことだとは思わないわけです。

戦争において、何が悪い、どの国が悪い、などという種類の議論は私は好きではありません。

この種の議論は、感情論で話すことができ、深く考えなくてよいため、単純明快かもしれませんが、非常に非生産的で、何も生み出さないためです。

むしろ、どういう状況下で戦争が起こり、どういう状況下で侵略戦争に発展し、どういう状況下で原爆投下を決断したのかという事実を冷静に探求する方が、将来の戦争、核兵器使用抑止の観点からも妥当でしょう。

つまり、原爆投下をめぐる議論をするのであれば、当時の大統領、ハリー・トルーマンが、どういう内政状況で、どういう戦場状況の認識で、原爆の威力についてどの程度の認識で、また日本を終戦に踏み切らせるには何が必要と考えていたのかなどを分析する議論は重要ですが、「原爆投下は間違いだった」とか、「原爆投下は正しかった」という価値判断先行の議論は、無駄かつ非生産的だと思うのです。

これに対しては、唯一の被害国として原爆使用を正当化することは許すべきではないという反論などもあるでしょう。

しかし、当時の戦争状況において、どっちが絶対的に悪だとはいえない事情があったのも事実なのですから、過去の原爆使用の正当性の是非は別として、日本の原爆の恐ろしさを訴えれば十分なのではないかと思うわけです。

現に、国際司法裁判所は1996年に、「核による威嚇やその使用は国際法上違反であり、いかなる分野における核軍縮を誠実に行い完了させる義務が存在するが、国家存亡の極限の状況での核兵器の威嚇、使用については確定的な結論を出すことができない」という勧告的意見を出しており、原爆の使用は、一般的に違法という評価を受けています。

日本国民にとっては、この国際司法裁判所の勧告的意見とともに、核兵器使用の惨事を訴え続けることが、将来の平和構築にとって重要なのであって、過去の使用の妥当性を被害国が、被害国の立場で主張するのは、侵略戦争の被害国である中国が、反日教育の一環として、日本軍の蛮行を政治的に利用していることに対し日本人が抱く印象と、結果的に同じ印象をアメリカ国民が抱くことになり、私はそういう議論は単に日米間の国民感情の衝突を招くだけで、非生産的だと思うわけです。

私の祖父母も戦争を経験したので、色々な話を聞きました。

祖父は海軍で3度も乗り組んでいた船が米軍の飛行機に沈められ、そのたびに甲板から海に飛び込んで、生き残ったという奇跡的な経験もしており、戦争の悲惨さについては幼いころから聞いてきました。

また、祖母は、グラマンという飛行機の機銃掃射で狙われ、地上を逃げ回っていたところ、たまたま飛び出した犬が、祖母と間違われて打たれ、命が助かったという経験をしたと聞きました。祖母がいうには、その兵士の顔がはっきり見えたと言います。

私は祖父母を尊敬しているのは、それだけ自分の命を脅かした敵であるアメリカに対し、一切の嫌悪を持っておらず、むしろ私がアメリカに留学すると決めたときには、率先して応援してくれたことです。

かつて、祖父母に、アメリカを憎んだりしたことはないのかと聞きましたが、彼らは、「結局日本だって同じことをしたわけだから、仕方なかったでしょう。戦争だもの。」と言ったのを良く覚えています。ちなみに、広島の平和公園に一緒に行った際も、原爆投下についてもアメリカを責めるような考えは聞いたことがありませんでした。

私はこの時、戦争を経験し、命を失いかけた当事者でありながら、冷静に分析し建設的な意見を持っていることに非常に感銘を受けました。

そういった日本の建設的な戦争経験世代の想いを無駄にしないためにも、原爆投下の是非や、太平洋戦争の是非など過去の行為が間違いだったかどうかという非生産的な議論ではなく、今後繰り返さないために何が必要かという建設的な視点からの議論が私は必要だと思うわけです。

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