国会議員の定数削減について(コメントへの返信として)
今回は、先日紹介した記事に対して、読者の方から頂いたコメントが非常に問題提起として良いと考えたので、そのコメントに対する返信の意味も込めて、国会議員の削減の是非について私見を紹介します。
まず、いただいたコメントは以下のようなものでした。
地方議員の削減とありますが、国会議員の削減も同様にお考えでしょうか?
私は民主党や自民党の掲げる国会議員の削減、しかも比例での削減という案には反対です。
民意を汲み取る仕組みを逆に縮小させて、大政党のみ優位になるのが必然だからです。
議員を減らして今以上に官僚に頼らなければ仕事をできなくするよりも、選挙制度を改革して議員の質を高める、このことの方が重要ではないでしょうか。
他にも人件費抑制をいうなら政党助成金を廃止するべきだと思います。
また、比例削減は昨今評判の悪い世襲議員の割合を今以上に増やす可能性も十分ですね。
一件、国民の利益と見える、議員も痛みを伴う、という話は口当たりが良いですが、安易な削減はちょっと待った方が良いかと思われます。
私は、国会議員も削減して良いと考えています。ただ、削減方法(選挙区制をどう考えるか)は慎重にすべきです。
個人的には、適切な国会議員の定数として、衆議院議員は400名、参議院議員は100名で十分と考えています。
コメントしていただいた方のお考えにある「議員削減が官僚主導につながる」という考えには根本的に同意しかねます。なぜなら、そのような因果関係は諸外国を見ても存在しないと思うからです。
まず、アメリカでは、上院が100名、下院が435名+6名の投票権のない議員で構成されています。アメリカは日本の人口の2倍ですし、人種の構成も日本以上に複雑です。
しかし、官僚に支配されている形跡または政治が主導力を発揮できないという痕跡はありません。むしろ、議員の人数が少ないので、有権者は自分の選挙区出身の議員が十分な活動をしているか監視しやすく、かつ議員もそれを意識した議員活動を常に行っています。
また、アメリカ議会は開会中、原則として24時間審議できる状態にあります。憲法上、例外である夏季休会を除いて、3日以上休会できません(合衆国憲法第Ⅰ条第5節)。C-Spanなどのケーブルテレビ局が夜中も議会の審議状況を放映しているのを見たことがある方も多いのではないでしょうか。
実際、大統領の教書により促された立法よりも、各議員により主体的に提案された議員立法が数多く存在します。
とりわけ、上院議員は各州2名が定員ですから、その州の代表者としての顔です。州の有権者に対する情報の提供はもちろん、自らが主体的に有権者の懸念事項への活動に取り組む姿勢が日本とは比べ物になりません。
具体的に言えば、連邦議会議員の各ホームページを比べればわかります。
日本の国会議員のホームページは、自民党から共産党までほとんどすべて、スローガンや抽象的な情報のみで、何も情報発信していないに等しいです。
例えば、自民党で政策通として知られる与謝野馨氏のホームページには、政策集というコーナーがあるのですが、彼が具体的にどういう主張に基づいて、どういう政策を実現してきたのかという実績が一目でわかるようにはなっていません。
最近国民受けが良い民主党の岡田克也氏のホームページもアメリカの政治家との比較では落第点です。ブログでかなり情報発信しているのはわかりますが、ホームページを見て、どの分野の問題においてどういう主張をし、どういう実績があるのか、つまり、どういう法案を提出し、どういう法案にどういう理由で反対しているのかが一目でわかるようにはなっていないのです。
ブログのすべての記事を読んで彼の政治活動を評価するほど暇な国民はあまりいないでしょうから、有権者が「この人、どういう考えて●●分野について活動しているんだろう」と疑問に思ってホームページにアクセスしたときに、一目でその分野の考え、法案提出・賛成実績等がわかるようになっていなければ、意味がありません。
共産党の志位和夫委員長のホームページも、色々な主張があることがわかるのですが、問題点、争点、分野ごとに、どういう考えに基づいて、国会ではどういう成果を上げているのかが全くもってわかり得ません。国会でどういう質問をしたかなどを載せているのですが、有権者にとっては、どういう法案を提出しているのかという政治的成果(実績)を知りたいのであって、「これに反対しました。」「こんな質問をしたら、こんな回答が返ってきました」というような情報は成熟した政治家のアピール方法としては不十分です。
社民党の福島瑞穂党首のホームページも、共産党の志位委員長と同じ問題点を抱えています。自身の主義主張を色々のせているのはわかるのですが、分野ごとに一見してわかりやすい状態にはありません。共産党よりましだと思えるのは、「議員立法」というセクションで、自分の提出した(もしくは関わった)法案を紹介している点で、実績のアピールをしようという姿勢はわかりますが、全くもって少なすぎます。
日本の抱える社会問題はかなり多いのですから、分野別に詳細な考えや実績をまとめなければ、有権者に何を考えて活動しているのかわかり得ません。マニフェストと称するセクションでも、抽象的なことしか言っておらず、実践能力があるのか判別がつきません。
このように、日本の政治家のHPの多くは、スローガンであったり、キャッチフレーズであったり、抽象的な主張のみを掲載しており、自己満足的であって、有権者に優しい情報提供にはなっていません。
しかし、アメリカの政治家のHPは違います。
例えば、ヒラリークリントン氏が上院議員のときのHPは、農業、外交、消費者問題、経済問題、中絶、環境問題など幅広い分野についての同氏の考えが詳細に示されていました。
現職を例に挙げれば、2000年の大統領選挙で、民主党の副大統領候補だったジョー・リーバマン上院議員のホームページでは、イラク問題から、環境問題、教育問題についての同氏の考え、法案・活動実績が詳細に示されており、日本の議員のHPなどに多いキャッチフレーズのみや一部の問題に対する情報提供とは違います。
これはリーバマン上院議員だけが行っているのではありません。
オバマ大統領と争った共和党のマケイン上院議員も同じように上院議員としてのホームページに幅広い問題について、問題ごとに整理された、同議員の立場を示す情報が数多くアップされています。
さらに、大統領選には関与しておらず、日本では有名ではない上院議員も、上記の有名な上院議員と同じように、争点ごとに詳細な自身の見解を上院議員としてのホームページに掲載しており、情報発信能力が日本の議員とは格段に違います。
例えば、カリフォルニア州選出の上院議員、バーバラ・ボクサー(Barbara Boxer)議員のホームページを見てみると、それがよくわかります。
アメリカの有権者だって、日本の有権者と同じように、議員のブログをすべてチェックしたり、候補者のホームページを何時間もかけて分析するほど暇ではありません。有権者としての判断能力だって、大して差はないはずです。
では、なぜこのような違いがあるのでしょう。それは、上記にもあるように、議員数が少ないため、有権者にとって、誰が自分の州の代表者か、自分の州の代表者はきちんと仕事をしているのか、一目瞭然でだからです。
だからこそ、アメリカの連邦議会議員は、忙しい有権者に一目で、活動実績、主張がわかるように、懸案事項ごとに整理して、工夫しながら具体的な法案実績や具体的な主張を詳細に乗せ、情報発信しています。
つまり、無駄な議員を減らすというのは、人件費の削減という問題以上に、適切な情報提供の発信能力がある、民意に敏感で自覚ある議員のみを残らせることにつながるのではないでしょうか。
これに対し、インターネット等を見ていると、議員定数維持論者は、「議員定数については、アメリカのマネをすべきではない。イギリスを見てみろ」という主張をしています。
確かに、イギリスは、完全小選挙区制で、下院議員は646名で、貴族院は738名です。これをみると、日本より多いと思いますが、イギリスの貴族院は選挙を得ておらず、現在でも廃止論が根強くあります。ちなみに、トニーブレアは、貴族院の廃止に近づける措置として、世襲制の貴族院議員の投票権を廃止する改革をしました。
そこで、選挙を受けている下院議員の646名が問題になるわけですが、現に共産党の議員や関係者の中には、この事実をもって、民主党の議員削減案に反対という論法をしています。
しかし、これは非常にミスリーディングです。この主張は、「イギリスの議員定数に問題が無い」、「イギリスは官僚の肥大化の問題が無い」という間違った認識を前提にしている主張だからです。
近年、イギリスでも下院議員は多すぎるので、減らすべきという世論がかなり高まっています。例えば、2009年4月11日付けのテレグラフ紙電子版は「私たちは本当に646名の下院議員が必要なのか?(Do we really need 646 members of parliament?)」と題した記事を掲載しています。
記事は、「この疑問への答えはNOに違いない。」と述べ、諸外国の人口と議員数の比較を行った上で、いかにイギリスの下院議員数が多すぎるか、それにかかる人件費やその他の補助費が無駄に使われていることを批判し、少なくとも10%削減すべきとの見解を示しています。
イギリスの議員数の多さは他国と比べても突出しており、現地ですら見直し議論が起こっている状況で、議員定数について言えば、イギリスは目指すべきモデルとして不適切です。
さらに、イギリスは日本に比べれば、官僚支配が無いように思われますが、アメリカと比較すると、官僚機構はかなり肥大しています。つまり、議員数が多いからと言って、政治家主導につながるとは言えない悪い例と言えそうです。
例えば、現状でいえば、ブラウン政権が官僚的であるという批判が野党保守党からなされています。というのも、元々ブラウン首相の政治的な主張は、前任のブレア前首相と異なり、より左派的なもので、経済学的にもケインズ主義の立場で、いわゆるオールド・レイバー(Old Labour)に近いわけですが、ブラウン首相になって以降、悪しき労働党の伝統である公共部門の肥大化が再度問題になり始めています。
ブラウン首相が就任して3か月後の2007年9月28日には、ガーディアン紙の電子版が「官僚的な大惨事(A Bureaucratic disaster)」と題した記事を書いており、その記事では、英国法務省の組織である犯罪者管理局(National Offender Management Service)について、2004年に議会による審議すら経ずに設立され、組織が肥大化し、予算規模も2年間で555%にも拡大していることや十分なサービスが提供されていないことが指摘されています。
つまり、設立に際して、議会での審議を得ていないわけですから、あれだけ議員がいても官僚が暴走する行為を止められない例の1つと言えます。
さらに、米国のシティー・ジャーナル2007年冬号で、英国政治が専門のマンハッタン・インスティチュートのフェローであるセオドア・ダリンプル(Theodore Dalrymple)博士は、「英国は今や教員よりも教育官僚(日本でいう文科省)が支配している。病院のベットの数より、保険・医療サービスに携わる行政官の数の方が多い」と、イギリスが官僚の肥大化に陥っていることを批判しています。
また、日本と同じで、官僚がポストを渡り歩くため、問題が起こった場合に、責任を持つ人間がいないという指摘もなされています。
さらに、イギリスの官僚機構の弊害は民間の文化交流にも生じています。今年5月9日付のガーディアン紙電子版は、イランの映画監督アッバス・キアロスタミ(Abbas Kiarostami)氏は、イギリス・ナショナル・オペラのモーツアルトのオペラ、「コシ・ファン・トゥッテ」の監督のため、イギリスに訪問予定でしたが、英国外務省のビザ取得における対応があまりにも官僚的で、バカにしていると怒りを表し、監督を降りて訪英をキャンセルするというニュースを報じています。
この中で、同監督は、「すべての書類を提出し、私の指紋も提出したが、その2時間後に再度同じ書類を提出するように言われた。それに従い、書類を再度提出したが、在テヘラン英国大使館はさらに、私の再度提出するように言ってきた。一度提出しており、指紋が変わるはずがないというと、この指紋採取は世界中にいる5000人の犯罪者と照合するために必要だという説明をしてきた。人を馬鹿にするのも甚だしく、今回訪英をキャンセルしたのはすべて英国外務省の官僚的な対応によるものである。」という発言をしています。
このように、イギリス政府の官僚体質は世界的に有名です。一説によれば、イギリスの官僚は日本の官僚をモデルにして、いかに既得権益を守るかを真似ているという話があるくらいです。
公共政策学などの分野でよく出てくる概念に、Private Financial Initiative(PFT)というものがあり、日本ではイギリスをモデルに民間主導の経済原理を入れる方法論として、注目を浴びていましたが、これもイギリスの官僚が天下り先を確保するために日本から学んだ方法の1つであると評価する学者も現にいます。
したがって、繰り返しになりますが、イギリスのように政治家が多ければ、官僚主導にならないとか、官僚の既得権益を打破できると考えるのは間違いです。
確かに、マーガレット・サッチャー元首相やブレア前首相は、政治主導による改革を行い、サッチャーは労働党のキャラハン元首相から、ブレアは保守党のメージャー元首相から政権を奪取しました。
これら2人は、ブレア政権に関する著書で有名なアンソニー・セルダン(Anthony Seldon)氏に言わせれば、「開拓者型リーダー(Pathfinders)」であり、彼ら独自の強いリーダーシップがあったので、官僚機構を押さえつけることができ、官僚の肥大化を抑止できていたと言っても良いでしょう。
したがって、リーダーシップをモデルにするのはやるべきだと思いますが、制度的に、イギリスのように政治家が多ければ、官僚主導から政治主導に代わるという安易なものではありません。
次に、議員定数の削減、とりわけ比例代表区の削減が少数政党に不利になるという主張も賛同しかねるところがあります。
というのも、イギリスは完全小選挙区制ですが、選挙制度による不満は第三政党で、少数政党である英国自由民主党(UK Liberal Democrats、以下、Lib Demという)からは聞こえてきません。
Lib Demは1992年の政党として初めての選挙で20議席を獲得して以降着実に中央政治において、議席数を伸ばしてきました。
確かに、現在でも、Lib Demは、646議席中、63議席しかないのですが、近年は地方議会選挙やEU議会選挙で議席数を伸ばしており、最新の英国世論調査では、次の選挙で労働党を超え、第二政党になるとまで世論調査で支持を受けていると報じられています。
さらに、BBC2の報道番組が2008年9月に、無党派層を集めて、それぞれのリーダーの評価を行った世論調査において、現在のLib Dem党首であるニック・クレッグ(Nick Clegg)議員は、労働党のブラウン首相や保守党のキャメロン党首よりリーダーとしてふさわしいという結果も出ています。ちなみに、英語が得意な人は上記リンクをクリックしてぜひこの番組を見てほしいです。
つまり、近時のLib Demに対する評価は、少数政党であっても、小選挙区制度であっても、政策や主張、そして党首のリーダシップが支持されるような内容であれば、必要な得票を得て、議席を確保できるのではないでしょうか。
以前から指摘していますが、私は、日本の少数政党が、自分たちの議席が伸びないのを選挙制度のせいにして、自らの政策の在り方を顧みなかったり、国民に広く受け入れられる主張をする努力をしない現状に危惧を抱いています。
したがって、国会議員を削減するという上で、比例代表を廃止するという手法には賛同しなけますが、他方で、少数政党が主張するように、比例代表には手をつけるなという主張にも賛同しかねるわけです。
以上から、私は、①政治家の数が多ければ、官僚主導を打破できるという因果関係は認められず、むしろ議員数が減った方が自覚ある議員を残すことにつながるでしょうし、②比例代表を削れば少数政党が不利になるというのも、少数政党の努力次第でいかにでも生き残る道はあるはずと考えています。
なお、政党助成金の問題は別の機会に私見はどう見ているか紹介できればと思います。
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Comments
こんにちは。
アメリカは人口に対しての政治家が少なく、それでも官僚主導ではないとの意見ですが、
「アメリカの政治任用は、大統領の政策課題推進のために、各省長官などの高級管理職をはじめとする中核ポストなどに多くの人材(政治任用者の数は約3,000人(高級管理職(ES)約1,050名、上級管理職(SES)約650名、スケジュールC(長官室のスタッフ等)約1,290名など)を任用していくシステムであり、人材供給源は外部人材中心である」
という部分を見逃されているのではないでしょうか?
対して、
「議院内閣制・二大政党制の下、イギリスの行政運営は、多数の与党議員が行政府の役職に就く形で行われ、職業公務員は、専門性と政治的中立性に基づいて時々の政権を忠実に補佐する役割に立つ。政治家は、公務員の中立性を尊重し、幹部を含めた公務員の人事への介入を自制する伝統がある」
とイギリスは日本の政策運営システムに近い面があり、人数が多くなるのは偶然の一致とは思えません(イギリスのシステムを評価しているわけではありません)。
アメリカを例にとり、日本の政治家削減を正当化するのは少し無理があるような気がします。
また、世界的には日本の議員定数は多くないかと。
http://ameblo.jp/kablogsan/entry-10104262364.html
議員の仕事ぶりを客観的に評価できるシステムが必要という件については大賛成です。
私は人数を減らさなくても評価システムを構築することによって対応できると考えます。
政党助成金に関しては愚樵さんの
政治家助成金というのも面白いですね。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-250.html
私はどうしても議員定数の削減よりも、選挙システムの改革、一票の格差の是正を先決するべきだと思います。
また、
「私は、日本の少数政党が、自分たちの議席が伸びないのを選挙制度のせいにして、自らの政策の在り方を顧みなかったり、国民に広く受け入れられる主張をする努力をしない現状に危惧を抱いています」
という意見は理解できるのです。
ただ、
「比例区定数が100に削減された場合の衆院選比例区シミュレーション
http://kaze.fm/wordpress/?p=229
自民と民主は、定数が180から100に削減されるに伴い、両党合わせると、4.2ポイント議席獲得率が上昇します。その一方で、公明は2.9ポイント減少し、共産、社民、国民新党、新党日本も、合わせて1.3ポイント減少します。
小選挙区の定数はそのままで、比例区定数だけ削減された場合、小政党の小選挙区と比例区合わせた議席獲得率が減少することは明らかです。ところが、比例区だけに限定してみても、比例区定数削減は、小政党に不利であることが分かります」
現状のマイノリティがより不利になる事実は見逃せません。
Posted by: 山本 | 06/20/2009 12:02 am
山本さん。
コメント有難うございます。
まず、政治任用制についてですが、触れなかったのですが見逃しているわけではありません。
これの導入について、民主党も提案しているようですが、私は大いに導入すべきだと思います。
もちろん、これにより従来の公務員の中立性に影響はでますが、憲法上要求される公務員の中立性というのは、行政の運営において党派色がでることの禁止ということです。
例えば、共産党支持者や公明党支持者にのみ特別の行政サービスをしたり、その逆であったりという弊害を防止するために公務員の中立性は要求されています。
なぜ憲法上公務員の中立性が要求されるかというと、これが保たれてはじめて政策が忠実に実行され、行政の継続、安定性が維持されるためです。
このことについてはアメリカも同じです。政治任用制がアメリカで導入されている趣旨は、政策決定後にスムーズにその実行を図るために採用されているのであり、この点、日本憲法で要求される公務員の中立性と趣旨は同じです。
したがって、政治任用制度を日本で採用したとしても、今までどおり公務員の中立性が問題になることはありません。
よって、私見としては、政治任用制度の導入もすべきと考えています。
もっとも、「政治任用制を採用しない以上、政治家が多く必要だ」という主張にはやはり何の説得力もないし、官僚制度と政治家の数との間には因果関係はないと私見は考えます。
よく日本の政治家は、「政治家が公務員に対し、指導力を発揮できないのは、政治任用制度がないためだ」という弁解をします。民主党の議員もこれをしきりに言っている人がいます。
しかし、どのような制度にしようが運用する人間が不適切であれば、うまくいくはずがありません。
そのことは歴史を見れば明らかです。
戦前のドイツはワイマール憲法という素晴らしい人権規定のある憲法を持っていましたし、ソビエト時代の憲法も素晴らしい人権保障が謳われていました。ですが、ご存じのように、ヒトラーやスターリンが台頭し人権を蹂躙する結果になったのであって、制度が問題ではなく、運用する人間の資質が問題なのです。
私は上記日本の政治家の発言は言い訳にすぎず、本質的な問題は政治家の能力不足、つまり、政治家としての能力がない人が大量に政治家という職にすがりついていることに官僚への指導力を発揮できない原因があると思っています。
なぜなら、政治任用制度を採用しているアメリカでも、政治家が官僚をコントロールできない事態に陥った例が多々あり、それはすべてその政治家の指導力不足によるものでした。
たとえば、日本では良いイメージで語られているケネディー大統領ですが、彼はアメリカの政治学の中では、指導力不足を露呈した政治家の一人として良く例に挙げられます。
ケネディーは当時国務省に対して、いろいろな指示をだしたのですが、一切無視され、官僚が暴走する事態に至りました(Larry J Sabato, 324)。ピッグス湾事件において、ケネディーに正しい情報が十分に入ってこなかったために無謀な作戦をしてしまったのもケネディー政権の官僚に対するコントロール不足が原因であったと指摘されています。
また、ケネディー以降、多くの大統領が官僚のコントロールをするために、大統領命令(大統領が発する行政規則)の発動を行うことがあり、これらも制度改革というよりは、公務員の数の削減を行政規則で命じるのもが多く、財政再建、無駄削減の一環として、指導力を発揮して行っているものばかりです。ちなみに、日本でも行政規則は、法律による委任なくして、内閣府令などで制定することが可能です。
このように、アメリカの政治家が官僚に対し、指導力を発揮できる理由としては、法律家をスタッフとして多く採用し、官僚のレクチャーや説明を受けなくても、自前のスタッフで法案作成が可能であること、政治家自身の知識が豊富で、法律に明るいことなどが挙げられます。
結局のどころ、官僚のコントロールができるかどうかは、制度が問題なのではなく、政治家およびその周辺スタッフの能力の問題だと思います。
日本の場合、国政の政治家は通常立法者(Law Maker)なのですから、本来的には少なくとも法律に明るい人間でなければ、務まりません。しかし、一切知識がない人が棚ぼた的に当選したり、政治のことが解らないのに当選してから勉強すると公言している政治家が多いのが現状です。
したがって、官僚に対して指導力を発揮できない無能な政治家を多く抱えるよりは、削減して、有権者への発信能力と実績のある政治家、候補者を有権者自身が賢くなって選ぶことが必要ですし、そのためには、有権者が自分の数少ない代表者だという自覚を高める必要があると思います。
以上のことから、「制度が違うからアメリカの例は参考にならない、イギリスを真似るべき」というのはあまりにも乱暴だと思います。
また、重ね重ねですが、私は「小選挙区を削減するな」とは思いませんが、「比例代表には手をつけるな」というのもおかしな話だと思います。
もちろん、どの部分をどの程度削減すべきかは国民代表を選定する上で適切な制度にする必要があるので、慎重さが求められます。
ただ、結論として、私見は、議員定数は、衆議院400名、参議院100名で官僚をコントロールできる充分な活動が可能だと考えます。
なお、一票の格差は、人口比の多い東京の有権者の一票の価値が低く、人口の少ない例えば、島根などの有権者の価値が高くなっていることを指すわけですが、これを是正するなら、比例代表を廃止して、その分の定数を人口比の多い東京に割りふるという話に論理的にはなるのではないでしょうか。
シュミレーションは面白いと思いますし、マイノリティーの意見が無視されるのはもちろん問題です。
しかし、なぜ少数政党の意見が小選挙区では受け入れてもらえず、勝利できないのかを考える方が先のような気がします。なぜなら、イギリスでは完全小選挙区制度ですが、少数政党である英国自由民主党は確実に議席数を増やしているという良い例があるからです。
Posted by: ESQ | 06/20/2009 05:16 am