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06/28/2009

フジの「妻よ!松本サリン事件」を見て

26日(金)にフジテレビ系列で放映された、ドキュメンタリードラマ、「妻よ!松本サリン事件 犯人と呼ばれて・・・家族を守りぬいた15年」を見て、改めて、人間の思いこみに対する罪の大きさと冤罪に苦しむ家族の実情、さらには、家族を犯罪行為により失う辛さ、そして、被害者と加害者の関係など色々なことを考えさせられた。

当時、私を含め日本中の人が、地下鉄サリン事件がオウム真理教の犯行だとわかるまで、河野義行さんが犯人であるとの思い込みを持っていたと思う。

事件に直接関係ない者にとっては、どうしても事件の印象が風化し、当時の過ちを忘れがちになってしまうが、このドラマは15年目という節目に、松本サリン事件と言う重大な冤罪事件を思い起こしてくれたように感じる。

このドラマは単にドラマ化されたというよりも、節々に河野さん家族のインタビューが交えてあり、事件を再度検証するドキュメンタリーとしての要素も強かった。

既存の報道では伝わってこない家族の葛藤や警察の見込み捜査、自白強要の問題点をわかりやすく、描いており、久しぶりの良質なドラマだったと思う。

河野義行さんを演じられていた石黒賢さん、妻・澄子さん役の松下由樹さん、長男・仁志さんを演じていた浅利陽介さんの演技もなかなか素晴らしいものだった。同番組の制作レポートはこちらで参照できる。

番組で流された当時の映像を見て、衝撃だったのが、当時、子供たちは15歳前後で事件に遭遇しており、重たい症状だった両親に代わって、メディア等に答えるシーンである。その姿は痛々しく、メディアや警察、さらには世間の冷酷さを痛感させられた。

やはり、頭ではこの事件を理解しているつもりであったが、河野義行さんや家族のコメント、さらにはドラマで描かれているシーンを映像として見ると、事件の傷跡の深さと家族の奮闘を改めて思い知らされた。思わず涙してしまうことも多々あった。

今回見逃した方はぜひ再放送等で見てほしい番組である。

27日(土)で、この事件は、15年目に突入したわけだが、私たちはこの事件から教訓として何を学び、その教訓を生かしているのであろうか。このドラマをみて、私はふとそのような疑問を自問自答した。

まず、警察は果たして変わったであろうか。

番組でも描かれていたように、当時の長野県警は、毒ガスの残留物のレベルが強いということだけを持って、河野義行と妻の澄子さんを事件の容疑者として断定し、毒ガスが何であったのかという最も重要な結果が出る前から、「刑事のカン」ともいうべき信用性のない根拠で、断定的な見込み捜査をしていたわけである。

そして、虚偽や信用性のないポリグラフ検査の結果をもって、さらに河野義行さんが犯人であるとの嫌疑を強め、本人はもちろん、15歳前後の未成年の家族に対しても、自白の強要を行っているのである。

2003年に起った冤罪事件である志布志事件は、1994年の松本サリン事件より9年後の事件であるが、松本サリン事件の河野義行さんに対する長野県警の姿勢同様、鹿児島県警は、被疑者に対し、断定的な捜査を行い、自白を強要していることが明らかになっている。

まさに、長野県警と同じ過ちを鹿児島県警は9年後に犯しているのである。初動捜査において、無実の人の嫌疑を誤って掛けてしまうことがあったとしても、自白の強要に至るのは、絶対に犯してはいけない一線であると松本サリン事件から学んだはずの警察が、全く同じ過ちを犯してしまったといえよう。

また、名倉正博防衛大教授の痴漢冤罪事件でも、警察は科学捜査や目撃者の捜索等の裏付け捜査を十分にせずに、被害者の供述のみの断定した見込み捜査をしているのであって、ここでも松本サリン事件の教訓は全く活かせていないのである。

そして、依然として、警察は取り調べの全面可視化には、捜査の支障があるといって、応じようとしない。これでは、今でも自白の強要を捜査の一環として行っていますと言っているようなものである。

なぜなら、アメリカでは、ミランダ・ルールというものが採用され、逮捕時に被疑者に権利の告知をしなければ、その後一切の被疑者の供述は証拠能力を欠くものとして、公判証拠から排除される厳格なルールを採用し、かつ、弁護士が取り調べにおいて立ち会う権利が認められているが、そのアメリカでは、これが捜査の支障であるという主張は通らず、可視化を否定する動きはほとんど存在しないためである。

にもかかわらず、警察は一部可視化に留めようとしている。一部可視化では、自白に至る経緯が十分に覚知できず、映像等が捻じ曲げて利用される高度の蓋然性があり、百害あって一利ない。

「疑わしきは被告人の利益に」という大原則は、捜査機関にとって、空虚な言葉でしかないというのが、日本の捜査機関の現状なのかもしれない。

次に、果たして、メディアは変わったのであろうか。

河野さんの長男、仁志さん(30)が番組内のインタビューで、「もう少し私の心が弱ければ自白していたかもしれない。」という趣旨の発言がすごく印象に残っている。当時、仁志さんは15歳であった。そのような未成年がメディアはもちろん、警察への対応をしていたと思うと、心が痛む。

また、番組内では、当時もっとも幼かった14歳の次女に対し、事件直後メディアが両親の様子などを聞き出そうとしている取材シーンも映しているのであるが、両親が重体であるという不安と悲しみに耐えつつ、答えている姿が何とも痛々しい。

この事件を契機に、マスメディアは、メディアスクラムという言葉を使い、メディアの暴走、過熱報道の問題を痛感したはずである。警察が流す情報をそのまま垂れ流し、真実とは異なる事実が独り歩きし、河野義行さんを犯人へと仕立て上げていくプロセスを身を持って体験したはずである。そして、多くのメディアが事件後、訂正報道と公式謝罪をした。

しかし、この反省を今のメディアが活かせているかは甚だ疑問である。もしかすると、この事件のことすら、忘れ去っている報道関係者も多いのではないだろうか。

最近の事件で、同様の問題が生じたものとしては、香川県坂出市での祖母と孫が殺害された事件で、父親を犯人であるかと思わせるような報道が問題になったのは記憶に新しい。とりわけ、「報道のTBS」を自称するTBSの朝の番組の司会者、みのもんた氏は、この事件で、あたかも父親が犯人であるといわんばかりの発言をし、父親に謝罪した。

これだけではない。小沢一郎氏の秘書逮捕のときも、一部のメディアが、小沢氏の秘書が一貫して否認しているにもかかわらず、自白したという誤報をしていた。

つまり、メディアの警察の垂れ流す情報をそのまま検証や裏付なく垂れ流すという性質は、松本サリン事件以降、一向に変わった兆しは認められないのである。

最後に、我々、視聴者である国民はどう変わったのであろうか。

松本サリン事件では、河野義行さんを犯人と決め付け、本人と家族に対し、執拗な嫌がらせがあったことが明らかになっている。15歳前後の子供に対し、電話で人殺し呼ばわりしたり、想像を絶する嫌がらせが当時なされたいたと思うと、いかに視聴者が、野次馬的無責任な姿勢で事件を見聞きしているかということを痛感させられる。

前述の香川坂出殺人事件では、インターネット上で、メディアの論調に煽られ、あたかも刑事気取りで、被害者の父親を犯人と断定し、醜悪な書き込みが多数散見されたことを思い出す。

また、あらゆる否認事件に対して、慎重に事件報道を考えるという人はごく少数であり、多くの人は、逮捕・起訴が決まれば、犯人であると断定してしまい、「疑わしきは被告人の利益に」なんていう刑事の大原則を意識して事件報道に接する一般人はごく希であろう。

私たち視聴者も松本サリン事件の教訓を活かしているとは到底言えない状況だろう。

しかしながら、被害者である河野義行さんは、警察、メディア、我々視聴者より一歩も、二歩も先を歩いているように感じる。

番組の中で、河野さんは、オウム真理教の元信者でサリン事件の噴射機製造に関与し、殺人幇助罪で刑期に服した藤沢元受刑者と今では「友達」といえる関係にあるという。

河野さんは、「人間と人間という関係に被害者と加害者というのがなくなって良いのではないか。これからどう生きるかを考えるべきではないか。」という趣旨の発言をし、反省して謝罪に訪れた人には、加害者であっても等しく接しようとしている。

そんな河野さんについて、長男の仁志さんは、加害者との関わりに釈然としない気持ちを持ちつつも、「(加害者とそうでない者とを)等しく接することのできる父を尊敬している」というコメントをしていた。

私が被害者の立場になったときに、河野さんのようなことが果たして言えるのか。おそらく、言えないだろう。

河野さんは、被害者でありながら加害者扱いされるという意味で、二重の被害者の立場を味わった人である。それにもかかわらず、こうした発言をできることに私は驚くと同時に、人間としての凄さを感じずにはいられなかった。

フジテレビのドラマを視聴し、私は、松本サリン事件から15年目という節目において、事件の教訓を再認識し、これを活かさなければならない義務があると強く思った。

河野さん、河野さんの家族、そして、弁護を担当された永田恒治弁護士の苦労には、他人ながら、本当に頭が下がる思いである。そして、昨年亡くなられた澄子さんの存在がいかに家族を支え続けたかを痛感した。

冤罪を作り出そうとした警察、マスコミが反省し再発防止をすることはもちろん、その情報の受け手である我々、国民こそがこれを機会に、マスメディア報道への懐疑的姿勢を持ちつつ正しい判断ができるように心がける必要があるだろう。

こうしたドラマが再放送され、DVD化され、多くの人が接することができることを切に願う。

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なお、河野さんが事件から14年を振り返る著書があるので、紹介しておく。

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