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06/27/2009

社民党は実務色を出した方が良い!?(移植法改正に思うこと)

臓器移植法改正案が26日、参議院で審議入りした。

これに関連し、社民党の福島瑞穂党首が、めずらしく(?)感心する指摘をしている。

それは、衆議院を通過した臓器移植法改正案(以下、「A案」という)について、法律として失格であるというのである。

私も、このA案はもちろん、臓器移植法には違和感を感じていたので、福島党首の指摘には、「なるほど、私が感じていた違和感はこれだったのだ。」と思った。

詳細は下記の記事をみてくれれば明らかなのだが、臓器移植法には、6条で、「遺族」や「家族」という文言が使われているのだが、それらについての明確な定義がない。つまり、家族、遺族の範囲が不明確である。

今までは、脳死状態にある本人が臓器移植を望む意思が書面により明確にされている場合に限っていたため、さほど臓器移植の同意をめぐり争いが生じることはなかったかもしれない。

しかし、A案では、遺族の承諾があれば、脳死状態にある本人の事前の意思が明確な場合でなくても、臓器移植が可能となる。

A案の条文

6条1項

  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

6条3項 

臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。

 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。

 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

こうして見ると、A案では、6条の1項では、「遺族」という文言を使い、3項では「家族」という文言を使っているのだが、これらがどうして違うのか、これらの文言が意味する範囲(定義)は何かが全く示されていない。

そうすると、原則として、脳死状態になった本人の同意がなくても、「家族」の同意があれば、臓器移植が可能となってしまうため、この「家族」の範囲がだれなのかを明確に定義しなければ、後に臓器移植をする現場で、家族、遺族が誰なのか、家族、遺族の範囲はどこまでなのかで混乱が生じかねないのではないだろうか。

通常、家族などの文言を使う場合は定義規定を置くのが通常であるし、普通は、親族(民法725条1号~3号)という民法上に定義のある言葉(6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族)を使うのが通常である。

他方で、A案は、6条の2という条文を追加し、「移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。」と定めている。

つまり、明らかに、民法上の親族とは別概念として、家族、遺族という文言を使っているのではないかと思わざるを得ないわけである。

そうすると、仮に「親族」以外の者が、「家族」、「遺族」であると称している場合に、医療現場でそれを判断することができるのか、内縁関係にある場合に、「家族」に含まれるのかなど様々な問題が生じかねないのではないかとの疑問がわいてくる。

福島社民党党首の指摘も、弁護士だけあって、法律家の視点であり、こうした懸念に基づいているのではないかと推察する。いつも、安全保障問題では首をかしげたくなる発言も多い同党首であるが、さすがに弁護士だけあって、鋭い指摘である。

ここで、読者の皆さんに考えてほしい問題は、こうした未熟な法案が現に存在し、かつ、これだけ注目を集めているのに、衆議院を通過してしまっているということである。

少なくとも、この法案に賛成した議員は、こうした混乱を懸念して、定義規定を明確にしようとかいう動きがなく、フリーハンドで、未熟な法案を通してしまっているのである。いかにも立法者として失格ではないだろうか。

臓器移植を容易にしたいという待機患者やその支援者の気持は理解できるが、この未熟な状態で法律化することは、やはり後日の紛争を増やすだけではないかという強い懸念が生じてしまう。

マスコミは、こうしたことを十分に報じない。私が見る限り、これを報じているのはヤフーニュースに情報を提供している「医療介護CBニュース」のみである。

この点、同じく社民党の阿部知子議員らが提出していたC案について、マスコミは、脳死判定を「厳格化」するものとだけ伝えられているが、法案を改めてみる限り、脳死判定を制度化して、透明化したものというのが正しいだろう。

阿部議員は医者出身であるため、実務家としての専門知識があるのでろう。非常に詳細な定義規定や判定のための要件規定を置いており、後の紛争や現場の混乱を防止するという点では、一番優れている法案のように思う。ただ、これも、「家族」や「遺族」という文言の定義をしているわけではないので、不適当だと個人的には考える。

家族や遺族等の法律上の定義についてまとめた資料として、総務省消防庁のホームページにある資料が解りやすいので、興味がある方は、こちらを参照してみてほしい。

こうしてみると、社民党はもう少し実務色を前面に出して、一部の人にしか受けない外交問題や憲法議論をするよりも、質の高い法律案を作る議員政党であるというイメージ戦略の転換を図った方が良いような気もする。

何かと言えば、護憲、護憲というだけでは、こうした法律への取り組みを知らない一般人へは、政党としての存在意義をアピールできないのではないかと思うのである。

いずれにしても、今、国会で議論されているのは、「脳死は人の死」かという単純な問題ではない。

よく、この種の議論では、法律で、「脳死は人の死」と定義するかどうかだけ注目される。

これは、臓器移植法6条1項、2項をどう規定するかという話なのだが、間違ってはいけないのは、およそすべての法律において、「脳死=人の死」とこの法律によって定義されるがごとき話ではないということである。

少し、詳細すぎる議論になるので、もう少し我慢してお付き合いいただきたいのだが、現行法とA案の違いは以下に集約される。

現行法(一部省略)

第6条 医師は....ときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる
 
  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。

A案

第6条 (省略)

前項に規定する「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。

つまり、法律条文を見る限り、一般法の概念として、脳死とは人の死を意味するという定義規定を置いているわけではないことはもちろんのこと、臓器移植法改正の中で、上記のような定義が置かれているにすぎない。

マスメディアが、しきりに、法律で、「脳死は人の死」と定義することになると言っているのはプロパガンダ以外の何物でもないと言っても過言ではないかもしれない。

おそらく、多くの人は、この法案が成立すれば、刑法上の人の死も脳死になると考え、「脳死状態の人に危害を加えても、死体損壊が成立するにすぎず、殺人罪が成立しないのではないか」とか、「脳死状態の人を介護するのは、死体損壊か」なんていう疑問を持ったりするかもしれない。

しかし、改正されているのは、臓器移植法にすぎず、刑法上の「人の終期」の概念に直接影響を与えるものではない。

また、間接的な影響を受けるにしても、従来同様改正案は、「脳死体」という表現は使っておらず、あくまで、「脳死した者の身体」という表現を維持しており、脳死=人の死というのが明確化されているとはいえないだろう。

刑法上は、仮にA案での改正があっても、人の死の判断は三徴候説(自発呼吸の停止、脈の停止、瞳孔反射機能等の停止から心臓死を人の死、終期であるとする考え)が実務上の通説であることに変わりはないと思われる(刑法上、脳死説を主張している人は、この法案により、刑法上も脳死を人の終期と考えることになるという学者はいるだろうが)。

なぜならば、理論的には、脳死説もあり得るとは思うが、やはり、価値判断として、脳死状態の人に危害を加えて、心臓死状態に陥れておきながら、殺人罪が適用できないという事態は、具体的妥当性を欠くのではないかと思うからである。

つまり、脳死状態に至ったとして、人としての刑法上保護する価値が失われたとまでいえるのかという疑問が払拭できないということである。

脳死説の学者は、脳死状態に至れば、脳細胞が破壊され二度と回復しないことを人の死期の論拠として挙げる。

しかし、脳のメカニズムが100%明らかになっているわけではないのであり、かつ、現に、脳死判定を受け臓器移植直前で脳死判定の取消しに至り、普通の生活ができる状態にまで回復した例がアメリカではあることからすれば、依然、刑法上は三徴候説が妥当であろう。

なお、刑法学者の方が三徴候説(心臓死説)の立場から今回の改正法案について考察したブログとして、中山研一元京大教授のブログが参考になる。

また、私と似たような観点から、マスメディアが報じるA案の解釈に疑問を呈している人気ブログとして、企業法務戦士の雑感という方の「臓器移植法『A案』解釈の不思議」という記事もわかりやすい。

この問題は、安易にマスメディアが作る議論のレールに乗っかると、結構問題の本質を見落としてしまう良い例なのかもしれない。

したがって、私は、脳死が人の死かどうかという議論以前に、社民党の福島党首が指摘するように、法律としての未熟な点をどう考えるかの方が、後日の紛争や現場の混乱を考えると優先すべきなのではないかと思う。

結論として、私見は、参議院で提出された修正案(E案)が一番良いと考える。理由は、未熟な国会議員に任せておくと、とんでもないことになりそうだからであるε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…。

残念ながら、この国では、立法者である国会議員に任せるより、1年かけて、実務家、専門家による法案作りをさせる方が、まともな法律になるのではないだろうか(国会議員への皮肉をたっぷりこめて・・・)。

なお、各法案を改めて比較して考えてみたい人は、minajumpという方が管理人をされている「社会学と生命倫理の迷い道」というブログの『臓器移植法改正案について』という記事を読まれると、整理されていてわかりやすいと思う。

参考までに、脳死の問題を深く考えたいという人には以下の本が参考になるだろう。

哲学者、梅原猛氏の本は哲学の立場から、脳死を人の死とすることに反対されているので、著書もその立場から書かれている。

次に、「割と」中立的な立場で、欠かれているのはこの本である。メディアがなかなか報じない臓器提供者の立場にスポットライトを当てている本である。著者は科学の歴史を専門とする学者である。

最後は、脳死を人の死として考えるべきという立場から、著名な移植医の著者が移植現場の状況について書いている本である。著者の相川氏は日本移植学会の広報委員長を務めているので、当たり前かもしれないが、臓器移植を推進する立場から構成されている。ただ、誤解が無いように言っておくと、相川氏は、以前問題になった宇和島徳洲会病院の万波医師のように、病気腎移植まで認めろとか、臓器移植をフリーハンドで認めろというような主張をしている方ではない。現に宇和島徳洲会病院の問題では、厚労省の調査班長として、問題があるという報告をしている。

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「家族」は法律用語でなく、A案に「欠陥」―社民・福島党首
 6月24日23時58分配信 医療介護CBニュース

 臓器移植法改正をめぐる動向が注目を集める中、「『臓器移植法』改悪に反対する市民ネットワーク」は6月24日、参院議員会館で勉強会を開いた。勉強会では、脳神経外科専門医の近藤孝医師が脳死判定の在り方などについて講演。18日に衆院を通過したA案反対派の議員や市民らも、A案の問題点や国会審議の在り方について意見を述べた。この中で、弁護士でもある社民党党首の福島瑞穂参院議員は、A案では「法律用語ではない『家族』や『遺族』などの文言が使われている」と指摘、「A案には、あまりに欠陥がある」と批判した。

 近藤医師は脳死判定基準の「竹内基準」について、脳死を判定する上で「十分ではない」と指摘。また竹内基準では、「脳死状態は絶対に慢性化することはない」と断言しているが、脳死状態の人が5年以上も生きる「長期脳死」などの事例があるとして、「これが誤りであることは長期脳死の症例が示している」と強調した。

 国会審議の在り方を批判する意見も出た。C案提出者の阿部知子衆院議員(社民)は、「4案も出ていたのに、審議時間が短かった」と指摘。さらに18日の本会議中、「必ず、A案に投票してください」「仮にA案が否決された場合、その後の投票では棄権せず、反対票を必ず投じてください」などと記した「メモ」を、A案提出者が回していたと明かし、「本会議場でこのようなメモが回されるのを見たことがない。国会という場をはき違えているのではないか」と述べた。川条志嘉衆院議員(自民)も、「A案(賛成派)の論理展開は強引だった」と批判。市民ネットワーク事務局の川見公子さんも、「(臓器移植法改正に関する)審議をすべて傍聴したが、本当にひどかった。なぜ脳死が人の死なのか、納得のいく説明がなかった」と述べた。
 また、生命倫理の教育や研究に携わる大学教員の集まりである「生命倫理会議」の愼蒼健・東京理科大大学院科学教育研究科准教授は、多くの政党が党議拘束を掛けなかったことに疑問を呈した。愼准教授は、臓器移植の問題は個人の死生観にかかわることで、党議拘束を外すべき問題だとすることで、「あたかも政治問題ではないかのようにしている」と指摘。しかし実際に法律が成立すれば、「われわれはそれに拘束されることになる」と述べ、党議拘束を掛けずに採決に臨んだ政党の対応を批判した。

 A案賛成派が臓器移植に関するWHO(世界保健機関)の「指針」の内容を歪曲しているとの意見も出た。阿部議員は、WHO指針で求めているのは渡航移植の禁止ではなく、正確には、臓器移植のために人を誘拐したり、臓器を売買したりする動きを規制することだと指摘。川条議員や愼准教授も、A案賛成派によるWHOの指針の取り上げ方を批判した。

 A案の「欠陥」を指摘する意見も出た。福島議員は、本人に拒否の意思がない場合、家族の同意で臓器提供ができるとするA案では、「家族」や「遺族」などの文言が入っているが、これは「法律用語ではない」と指摘。こうした文言では、具体的に誰を家族とするのか、家族間で意見が割れた場合にどうするのかなどが明確でなく、「ものすごくトラブルの起きる法案だ」と述べた。また、本人の意思確認の必要性を指摘する意見も相次いだ。

■独自案「E案」への理解求める―川田議員
 子どもの脳死判定基準などについて検討する「臨時子ども脳死・臓器移植調査会」の設置などを盛り込んだ独自案の提出者の一人である川田龍平参院議員(無所属)は、独自案を「E案」とした上で、「多くの議員に賛同してもらえるよう頑張っていきたい」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090624-00000015-cbn-soci

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