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06/24/2009

足利事件に関与した下級審裁判長への誹謗中傷は筋違い

最近知ったのですが、ネット上で、足利事件に関与した裁判官の実名を挙げ、批判する書き込みが多いようです。

その多くが評論の域を超えた誹謗中傷になっており、私が以前の記事で懸念した事態に至っています。

私のブログにも、そうした書き込みがいくつか散見されたのですが、ブログの方針上、公開はしません。

とりわけ、書き込みの多くは、足利事件に関与した裁判長裁判官を批判するものが多いのですが、多くの人は批判されて当然と思うかもしれませんが、1つ注意すべきことがあります。

それは、最高裁以外の裁判官については、その裁判長裁判官が事件において、有罪または再審請求棄却という判断を個人的にしたか否かはわからないということです。

裁判所法11条は、最高裁について、「裁判書には各裁判官の意見を表示しなければならない」と規定しています。つまり、最高裁では、法廷意見(多数)、補足意見、意見、反対意見が付され、どの裁判官がどう考えて判断したのか明らかになります。

これに対し、下級裁判所の合議事件についてはこうした規定は存在せず、判決で示される判断は、合議において決まった過半数の意見に基づき作成されます。

これも裁判所法に規定があります。

(評議の秘密)

第75条 合議体でする裁判の評議は、これを公行しない。但し、司法修習生の傍聴を許すことができる。

 評議は、裁判長が、これを開き、且つこれを整理する。その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定がない限り、秘密を守らなければならない。

(評決)

第77条 裁判は、最高裁判所の裁判について最高裁判所が特別の定をした場合を除いて、過半数の意見による。

 過半数の意見によつて裁判をする場合において、左の事項について意見が三説以上に分れ、その説が各〃過半数にならないときは、裁判は、左の意見による。

  1.数額については、過半数になるまで最も多額の意見の数を順次少額 の意見の数に加え、その中で最も少額の意見

  2.刑事については、過半数になるまで被告人に最も不利な意見の数を順次利益な意見の数に加え、その中で最も利益な意見

つまり、下級審の合議では通常裁判官3人により、受訴裁判所が構成されるので、陪席裁判官2名が有罪・死刑判断をして、裁判長裁判官が無罪判断をする場合もあり、この場合は、裁判長裁判官の意見に関わらず、過半数の有罪判断に基づいて判決が下されます。

これを朗読するのは、裁判長裁判官ですが、必ずしも判決と同じ判断をその裁判長が個人的に信じて行ったかは知り得ません。なぜなら、前記の裁判所法75条1項により、評議は公行されず、2項によりその内容について、秘密を守る義務があるためです。

たしかに、足利事件の裁判所の判断が誤っていたことが明らかになったのですから、どうしてそういう判断の誤りが生じたか冷静かつ深く分析する必要があります。

しかし、各裁判官がどういう判断を個人的にしたかは下級審においてはわかりえません。

にもかかわらず、関与した裁判長裁判官が有罪・死刑判決を下したとして、実名を挙げ誹謗中傷するのは、社会的制裁における冤罪の可能性すらあると私は考え懸念しています。

つまり、裁判長裁判官一人が無罪と信じていても、陪席2人が有罪・死刑と評議で決すれば、裁判長裁判官は有罪・死刑判決を朗読せねばならず、いかんともし難いわけです。

もし、そういう事情があって、有罪判決を朗読しているにもかかわらず、実名を挙げ裁判官を攻撃しているとすれば、これは立派な社会的制裁における冤罪に加担することになるでしょう。

もちろん、私自身、菅家さんの17年間の苦しみを思うと、なぜ鑑定結果を信じ過ぎたのかという疑問も感じますし、振り返ると、下級審、最高裁の判断は理解しがたい面が多々あります。菅家さんが謝罪してほしいと思う気持ちは当然でしょう。

有罪判断をした裁判官が個人の意思に基づいて、謝罪するというのであれば、大いにしたらよいと思いますが、国民が事件に関与した裁判官を悪と決め付け、誹謗中傷している風潮には著しい危惧を感じてしまいます。

もっとも、当時の最高裁の裁判官については、誹謗中傷に至らない程度で、その個人的意見を批判することは可能ですし、大いにすべきと思います。

なぜなら、最高裁については、そうした批判を制度として担保するために、裁判所法11条で意見の表示が定められ、憲法上国民審査が制定されているためです。

しかし、下級審の裁判官に対して、国民がすべきことは関与した裁判官に対する誹謗中傷ではなく、どうしてそういう判断になったのかという検証ではないでしょうか。

もちろん、裁判官は権力そのものですから、こうした批判に耐えなければいけませんし、それを覚悟で職務を執行しているとは思います。

ただ、今回、あまりにも、「裁判長=判決と同じ意見を個人的に持っている」という誤った理解をした誹謗中傷が多いので、その危惧を込めて記事にしました。

なぜ私がこれだけこのことを問題視したかというと、袴田事件という死刑判決が出た事件(リンク先は松山大学の田村教授のホームページ)があったのですが、このときに一審の裁判官だった熊本典道先生が判決を書くことおよび守秘義務との関係で悩み続けたという話があるからです。

熊本先生は、陪席裁判官だったと記憶していますが、無罪との心証を持っていたにもかかわらず、過半数で有罪判決となったため、この事件の判決書きの担当だった熊本先生が個人の信念に反して死刑判決を書かなければなりませんでした。

その後、賛否はありますが、熊本先生は、裁判官をやめ、守秘義務も破り、袴田被告の無罪を信じて今も再審請求などの弁護活動をしています。

こうした裁判官が現にいること、裁判所法に規定の存在を考えると、足利事件の下級審裁判官について、単純に誹謗中傷に走ることには強い疑問を感じざるを得ません。

したがって、私見をまとめると次のようになります。

①事件に関与した下級審の裁判長裁判官が有罪判断をしたかどうかはわからないので、特定の裁判官を悪と決め付けて批判すること、さらには、誹謗中傷に走るべきではない。

②もっとも、下級審判断の問題点を検証することは大いにやるべきである。

③最高裁裁判官は全員一致で有罪判断をしているので、その判断を批判することは言論の自由として大いにやるべきである。ただ、誹謗中傷は許されない。

④当時の捜査関係者(警察関係者、検察官)について、誹謗中傷は許されないが、批判することは当然である。

ちなみに、当時の捜査担当者のブログが炎上したという話も聞きました。その捜査担当者は、産経新聞の取材に対し、再鑑定の決定が出たときも、自分たちがした捜査に間違いはないと言っていたそうです。

私は、誹謗中傷には賛成しませんが、警察および検察も権力そのものであり、冤罪を作り出した機関そのものですから、④に示したように社会的批判にさらされるのはやむを得ないことだと思います。

この捜査関係者はブログを削除したそうですが、退職しても自分の行ったことへの責任は付きまとうでしょうから、DNA鑑定の誤りがはっきりした以上、個人的には、菅家さん本人に直接謝罪することをした方が良いと思います。

なお、当時の捜査関係者が表彰を返納したそうですが、冤罪を犯しておきながら表彰されるなんてのはおかしな話ですから、これも当然でしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090622-00000948-yom-soci

以下リンクにある記事と松山大学の田村譲教授のホームページが袴田事件について詳しく書いてあるのでぜひ興味がある方は読んでみてください。

http://www.news.janjan.jp/living/0711/0711075288/1.php

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hakamada.htm

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Comments

誹謗中傷はしてませんが、批判してきました。
下級審判事に対して一律に批判するのは確かに
間違えのようです。もっと勉強して、今後は当時の最高裁判事などに対しての批判や国民審査、裁判官訴追委員会への訴追などを通して司法を変えたいです。

Posted by: 田の田 | 06/24/2009 at 03:23 AM

田の田さん

はじめまして。コメント有難うございます。
私の記事に賛同していただけ、非常に嬉しく思います。
また、司法を変えたいというお気持ちがあることをお聞きし、これについても大変うれしく思いました。

当初、この記事を書いた際には、裁判官を擁護していると非難されることも覚悟したのですが、やはり、国民の意思を司法に反映する上で、正しい知識に基づいて、司法に対する批評をしていただきたいと思い、この記事を書くことに決めました。

貴殿のようなコメントをいただけて、充足感すら感じます。
おっしゃるように、最高裁判官の国民審査等を通じた司法改革を国民が意識を高く持って行うことが重要だと考えます。

ただ、足利事件について言えば、残念ながら足利事件最高裁判決に関与した裁判官はすでに国民審査を経ており、制度上10年ごとに再審査なのですが、就任が60歳以降の裁判官は、定年が70歳なので、国民審査ではこの責任を問う前に辞めてしまい、結局責任追及ができません。

就任の際に60前の裁判官を指名、任命すべきでしょうし、定年についても裁判所法の改正を求める動きがあっても良いのかもしれません。

また、ご指摘の訴追委員会についても、「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき」という罷免事由に当たるかと言う問題もあり、事実上難しいのも確かです。

ただ、今後再審無罪が確定する過程や国民審査前のマスコミの取材に対し、新たに国民審査を受ける判事が足利事件についてどう考えているのかということが問われてくるはずです。

そうしたことも踏まえ、来る衆議院選挙では、未だに司法制度に国民の意思を反映しにくいという問題点について、法改正等を行おうとする良識ある候補者を選ぶ必要があるとともに、最高裁判事の足利事件等の冤罪事件に対する見解を踏まえた上で、国民審査に参加すべきと思います。

Posted by: ESQ | 06/24/2009 at 07:16 AM

ESQさん、

貴重な情報をありがとうございました。いつも勉強させていただいております。

これだけ理路整然とていねいに説明していたら、非難する人なんているはずないですよ。

私も、初めの方を読みながら、え?と思いましたが、最後まで読んで納得できました。

こういったことは、実際に法務経験がないとわからないことであり、ネットではそういった経験のない人がほとんどで、判決は、裁判長裁判官が下すものと信じている人が多いのだと思います。実際私もその一人でした。


Posted by: 美爾依 | 06/24/2009 at 04:05 PM

heart法律的には、あなたの見解は正しいでしょうが、現実的には裁判長の意見、心証は判決に重要な意味を持ちます。それは、官僚的な判決の多くを見るばかりではなく、元判事の発言にも見られます。
裁判は職業ですから、下級審といえども十分に批判の対象とすべきです。裁判は特殊な国家事業ではありますが、一般の省庁と同様に、その長たる者が批判の対象となるのは当然と思います。職業として責任を持つのに、批判されないなどということはありえません。今回の件は、最高裁まで判決が出ていることですから、下級審の判決について、その裁判官を批判するのは間違いでしょう。最高裁判事の誤った対応が冤罪を産んだのは明らかです。
裁判官は権力者ですから、あなたが擁護する必要などまるでなく、表現の自由によって批判される十分な対象であるべきです。誹謗中傷に当たるようなことをされたのであるなら、民事訴訟によって己の名誉を回復すべきです。その点は一個人に対する誹謗中傷とは分けて考えてよいと思います。

Posted by: 昭和竜 | 06/24/2009 at 08:07 PM

>美爾依さん

いつもコメント有難うございます。
私の記事の趣旨を理解していただけたようで嬉しい限りです。今までの司法は、閉鎖的であったのも事実ですが、国民の無関心、マスメディアの不正確な報道も相まって、専門家集団のみが分かっていればよいというような風潮がありました。

例えば、テレビや新聞では、必ず「東京地裁の○○裁判長は・・・・と判決を述べた」などと報道します。これでは、裁判長裁判官の判断が判決に常に直結していると考えるのも無理はないはずです。

裁判員制度もはじまり、国民の意思を反映した風通しの良い司法に変わるためにも、正しい知識を持った上での批判が重要だと感じています。

私は、国民の関心の高い事件は、一般の方に正確な知識を持ってもらうためのチャンスと考えており、ブログでも極力丁寧に今後も説明できるように尽力したいと思います。

いつも長い文章であるにもかかわらず、最後まで読んでくださり有難うございます。


>昭和竜さん
はじめまして。コメント有難うございます。
残念ながら、どうも私の記事の意図を十分御理解いただけて無いように感じました。

私がこの問題を特に取り上げたのは、記事にあります通り、「裁判長裁判官の判断が判決そのものだ」という間違った知識に基づいた誹謗中傷および批判があることを懸念したのであって、「下級審裁判を批判するな」というものでもなければ、関与した裁判官を擁護する意図でもありません。

下級審の判決内容はもちろん、当該裁判長裁判官の訴訟指揮、受訴裁判所(合議事件においては合議体のこと)の証拠採否決定などの訴訟手続きに問題があるかどうかは十分検証して、おかしな点は批判の対象になるべきと考えています。

しかし、そうした検証をせずに、冤罪判決を書いた受訴裁判所の裁判長裁判官だからといって、誹謗中傷や批判するのはいかがなものかと思うわけです。

もちろん、誹謗中傷に当たらない範囲で、下級審の裁判官を批判するのは表現の自由として許されるでしょう。しかし、批判の仕方によっては、誹謗中傷にあたり、誹謗中傷は民事上も刑事上も名誉毀損罪を構成します。

有名な判例として、最決昭和46年10月22日・刑集25巻7号838頁があります。この決定は、松川事件の第一審裁判官に対する名誉毀損・脅迫事件で、有罪・死刑判決を書いた裁判長裁判官に対し、無罪を知りながら、外国権力に屈服して裁判の独立を放棄し、故意に死刑を含む有罪判決をした旨の名誉毀損の摘示事実について、違法性阻却事由を認めなかった(名誉毀損による有罪を支持した)最高裁決定です。

この事件で、被告は、第一審の裁判長裁判官に対し『人殺し裁判長』あるいは『売国奴』とののしるビラ配布を行いました。

足利事件を受けて、現在私が見た限りでも、インターネット上では同様またはそれ以上の表現による書き込みが多く散見され、これらは名誉毀損の「事実の指摘」に当たります。如何に批判の対象が裁判官であっても、人の名誉を低下させるような事実の指摘をすれば、名誉毀損を構成します。

また、違法性阻却事由として、「当該裁判長裁判官が故意に冤罪を作った」、「権力に屈伏して裁判の独立を放棄した」等、真実であると信じるに足る相当の証拠がないにもかかわらず、そのような行為をすれば、名誉毀損罪が成立してしまいます。

おそらく、こうした知識を持っている一般の方は少ないでしょう。しかし、知らないからと言っても、法の不知は犯罪の成立を妨げません。

また、言論に基づく健全な批判が行われなければ、健全な司法機能の確保はできないでしょう。

したがって、実際に訴えられるかどうかではなく、違法行為である以上、如何に攻撃の対象が司法権力そのものである裁判官であっても、コンプライアンスが叫ばれる中、誹謗中傷(名誉毀損に当たる事実の摘示)は、それが真実であると信じるに足りる相当な証拠に基づいていない限り、行われるべきではありません。

したがって、貴殿のお考えには賛同しかねます。

Posted by: ESQ | 06/24/2009 at 09:08 PM

軽い気持ちでコメントして、不愉快にさせたのであればすいません。
法律に詳しい方にありがちなのですが、法律的に正しいことが、正しいことと考えがちなのでコメントしてしまいました。
法の不知は犯罪の成立を妨げないのは事実ですが、一般常識の中で生活していれば、広義の刑法を全て理解しなくとも犯罪者にならないのも事実です。
誹謗中傷などはいいことではありませんが、権力に対する批判は何よりも優先的に表現の自由として認められるべきことです。そして、当然表現したことに責任は求められます。
一個人が権力者を批判する場合に、それが一般的第三者が誹謗中傷に当たると感じるかどうかを厳密に検討して、批判するかどうかを決める必要はないでしょう。特に裁判官は人の命、人生を左右する職業ですから、批判したい人は自由に自分の言葉で批判すればよいと思います。その表現が誹謗中傷に、国が当たると判断すれば、刑事的責任を国が追求すればいいでしょうし、本人が名誉毀損だと思えば、民事的責任を訴訟によって追及すればよいだけです。それが日本の社会のはずです。
法律的にあなたが名誉毀損の犯罪に当たると判断する必要はまるでありません。構成要件該当性はあなたの主観によって判断できるかもしれませんが、有責性は捜査権のないあなたに判断できはずもなく、犯罪の既遂であるかのごとき指摘は行き過ぎのように感じます。
あなたのご指摘のように、裁判長個人に対する批判は的外れかもしれません。しかし、一審の裁判長も冤罪に加担したと誤解して批判していても全く問題ないと私は思います。名誉を毀損された側に十分に対応する手段があるからです。
そう感じる私ですが、例えば犯罪者、容疑者をこれでもかと悪者のように報じる報道などには、名誉毀損の疑いを感じます。
あなたと私の違いは、批判の健全性をあなたの主観で考えるか、批判された人(民事)及び国家(刑事)が考えればいいと考えるかの違いのように思います。
つい、また、コメントしてしまいました。すいません。
このブログはとてもすばらしいブログだと感心しています。批判めいたコメントになってすいませんが、意見の合わない場合のある人も、応援しているとご理解ください。

Posted by: 昭和竜 | 06/25/2009 at 02:48 PM

初めてコメントします。
確か美爾依さんのところでこちらのブログを知り購読させてもらっています。

まあ難しい話ではないのですしょうが、これだけひどい冤罪事件ということで感情のフックに掛かりやすかったとは思います。
電波芸者・田原総一郎も菅谷氏が出演したサンプロで「こんなの(再審請求を棄却した地裁裁判長)は逮捕だ」と必死に煽っていました。
「冤罪File」などを購読している者でも所詮一般人で許せないという感情がこみ上げましたが、一呼吸置けばわかるものです。
ESQさんならどの事件の裁判長かわかるでしょうが、この裁判とは関係ない割と出世街道を歩いてきたある高裁裁判長が、最高裁を意識していてなおかつそれなりにキャリアのある高裁の左陪席、右陪席に既に出ていたと思われる結論で押し切られてしまい、本人らしくない判決を出しその後すぐ退官してしまったそうですね。
嫌気が差してしまったとの話もあるようです。
地裁でもいくらまともな判決でも検察の面目を潰すような判決を出して地方に飛ばされるような裁判官はたくさんいるようです。
所詮今の日本の裁判所は役所の出先機関としての役割が大きく組織も個人に求められている仕事も極めて官僚的なのでそのあり方自体を根本から見直すことが重要であって、誰がどういった意見を出したかわからない下級審の裁判官個人を中傷しても何も変わらないのでしょう。
日本の官僚のことですから、変わらないどころかそれを逆手にとって裁判員制度導入のように馬鹿な政治家を利用し、更に審理のプロセスを隠蔽し自己の正当性を高めようとするかもしれません。
他にも理由はたくさんあるでしょうが、問題点を検証、整理していくことにとって誹謗中傷はプラスどころかマイナスにしかならないと思います。
菅谷氏と弁護人が再三求めているようにすぐに再審無罪判決を出すのではなく、なぜこのような違法な取り調べが行われ本人が供述するよう追い詰めその内容を裁判所がほとんど精査しないで判決が出たのか、再鑑定を求めても散々吊された挙げ句に却下され、またなぜ高裁では突然それが認められたのか(認めた裁判長のことを考えるとこの辺は政治的な話も含むかと思いますが・・・)といったことを検証しなければ同じようなことは永遠に続くものと考えます。
飯塚事件についても同様です。
あくまでも法、制度の瑕疵を問うことはできても判断する材料もなく個人を叩くことはできないという単純なことですね。
法の専門知識がない者から見ると、こういったことは映画「それでもボクはやってない」で割と簡潔に淡々とまとめられているので、いきなり本を読んでもイメージできない方には理解の助けになるかと思います。

党首討論のエントリも非常に面白かったです。
もう少し自分でも深く調べ理解を深めたいと思います。
これからも購読させていただきます。

Posted by: Jay-Jay | 06/25/2009 at 05:06 PM

>昭和竜さん

コメント有難うございます。
反論や異なった意見であっても真面目にコメントしてくださる以上、不愉快になることはありませんので、ご心配なさらなくて大丈夫ですよ。

私は法的に正しいから、すべて正しいという主張はしていません。現に、この記事の前に投稿した「足利事件の再審開始決定に関する問題点について」という記事では、法的には東京高裁が弁護団の求めている証人尋問を排除したことは正しいですが、再審制度の名誉回復機能や菅家さんの苦しみを考えると本当にそれで妥当なのかという趣旨の議論を展開しています。

よって、そういう視点でブログ記事を書いているつもりはありません。

貴殿のご意見とは違うようですが、私はあくまで違法な行為は違法であると指摘することが重要だと思っています。訴訟にならなければ問題ないという価値観にはやはり賛同できません。

なぜなら、法律、特に刑法には犯罪の一般予防機能(人を犯罪から遠ざける機能)があるためです。

また、権力者であっても、権利の享有主体であることに変わりありません。公人であってもプライバシー権が否定されるわけではないことと同じことです。

そして、私が一番重要だと思うのは、健全な批判をするには、正しい知識を持った上で批判をすべき(またはそうした努力をすべき)と言う点です。

無知識に批判するのと、正しい知識に触れた上で批判を展開するのとでは、言論の質に違いがあります。

この話題でいえば、「裁判長裁判官の意見=判決」ではないということを理解した上で、批判をするのとそうでないのとは質的にも違いがあるでしょう。

おそらく、貴殿は表現の自由の本質として、権力に対する抑制機能を重視し、権力者個人の名誉感情等の法益より優先させるべきという価値判断をされているのだと思います。

しかし、私は、通説といわれるところの、権力者であっても、個人の名誉感情等に対する法益の価値そのものは一般人のそれと変わりなく、表現の自由に対する保障は、違法性阻却事由の3要件(①公共の利害、②もっぱら公益目的、③真実と信じるに足る相当な理由)の中で十分調整すべきと考えているので、結論的に違いが出るのだと思います。

必ずしも毎回丁寧にコメント欄で回答できるかはわかりませんが、真面目な意見には、極力回答していくつもりです。
ブログへの賛辞と応援してくださっているとのこと有難うございます。


>Jay-Jayさん

はじめまして。
コメント有難うございます。
この問題について感情的な反応になりやすいという御指摘もっともだと思います。

裁判官が官僚的だという批判はおっしゃるとおり、映画「それでもボクはやってない」などでもその問題は十分に描かれていますね。俳優の大和田伸也さんが演じている裁判官のシーンなどはそういう批判を込めたシーンだと思います。

アメリカは連邦裁判所の裁判官については、すべて上院において承認が必要な制度になっています。日本は、最高裁が10年ごとの再任に際して指名し、指名された者の中から内閣が任命するわけですから(憲法80条1項)、行政寄りになってしまう傾向があるのかもしれません。

この点、司法制度改革として、既存の裁判官の改革をどうすべきか、最高裁の判事の定数は14人でいいのか、国民審査との関係で定年制をどうすべきかなど国民レベルで議論すべき課題はたくさんあるように思います。ちなみに、これらの制度改革は、すべて、法改正で可能な話です。

再任については憲法の問題になりますが、これも内閣の国会に対する責任という観点から、説明責任を十分に追求できる国会議員が増え、それを果たせる知識と能力のある総理大臣が選ばれるのであれば、憲法改正と言う難しい手続きを取らずとも、司法制度改革は進めることができるでしょう。

あまりステレオタイプ化すべきではないのかもしれませんが、裁判官は他の業種の人と比べ、①素晴らしい人格者と②人を見下した言動が多い人という2つのタイプに分けやすい印象があります。あくまで個人的な印象ですので、あまりまともには取らないでください。

話を足利事件に戻しますと、私個人も再審の中で、どうして過大に鑑定結果に対する証拠価値のウエイトが高くなりすぎたのか、鑑定方法そのものにミスを招く点はなかったのか、自白の強要がどのようになされたのか、なぜ裁判所(とりわけ、最高裁までも)が自白について任意性を欠くと言えない判断してしまったのかなどの点を検証すべきではないかという気持ちです。

ただ、法的には難しいでしょうから、宇都宮地裁がどこまで無罪論告がなされている再審でこれらを検証できるのか、どこまで冤罪の名誉回復機能が重視されるか注目しているところです。

ちなみに、もし再審でこれらの検証ができない場合は、民事訴訟(厳密には、行政訴訟ですが)として国賠請求を通じて明らかにすることになるでしょうが、費用面や菅家さんの負担を考えると、こういう問題にこそ、菅家さんや弁護団に対する寄付活動が国民レベルで起こっても良いように思います。

今後も一般のメディアとは違った視点から色々な問題について言及して行きたいと思いますので、気軽にコメントなど頂ければ嬉しいです。

なお、党首討論の記事への賛辞有難うございました。

Posted by: ESQ | 06/25/2009 at 08:40 PM

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