6月17日の党首討論について(後半)
昨日取り上げた党首討論の評価だが、思った以上に労力がかかり、途中で投げ出したい気持ちでいっぱいなのだが、読者がいる以上、一旦始めたので最後までやろうと思う。
4.鳩山氏の再質問(医療問題と財源)と麻生総理の回答(19分31秒~27分51秒)
さて、鳩山代表の絶好の見せ場となったのがこの場面である。
「私は今お話をうかがって、人の命より財源の方が大事かなと。やはり私は人の命をまず大事にする政治というものを作る。」
この発言は、切り返しとしては、そこそこの高得点を与えるべき反応だと私は評価している。麻生総理が、医師不足問題に適切な説明をせずに、財源論で誤魔化そうとしたのを鋭く突いた一言であろう。
しかし、私の合格点には達していない。まず、絶好の攻撃のチャンスなのに、鳩山氏の発言には気迫が無い。イギリスやアメリカでこのような場面があれば、発言者は語気を強め、政府の見識のなさを痛烈に批判する。国民に対し、怒りを共有しているという姿勢を示すわけである。
しかし、鳩山氏の場合、味気が無い。どことなくお坊ちゃんの反応で、「総理の見識の甘さ、問題に対するリーダーシップの欠如を追求するぞ」という気迫が見ている側には伝わって来ないのである。
以下の動画はイギリスのクエッションタイムで、今年の5月9日に行われたものだが、野党第2党のニック・クレッグ(Nick Clegg)党首が、教育問題を追及している姿である。
クレッグ党首が労働党政権下での教育水準が低いことについて質問した際に、ブラウン首相は「10年間で2倍以上の支出をしている。これだけの支出をするのは保守党や自由民主党の政権下ではありえなかったはずだ。」と自らの実績を強調し、教育水準が十分な状態に達していると反論している。
日本と違うのは次である。
クレッグ党首は、ブラウン首相の回答を受けて、真っ先に、「(教育水準が十分な状態にあるとの考えに固執するブラウン首相の)頑固な姿勢は、リーダシップではありません。愚行です。」と攻撃し、その後与党議員から飛んできたヤジに次のように応酬した。
私は少なくとも、ブラウン首相に面と向かって言った。あなた方は陰で悪口をいうだけではないか。
ヤジに対する鋭い仕返しであり、見ている国民は労働党内で「ブラウンおろし」の動きがあるのを知っているので、「なるほど、皆が言いたいことを代弁してくれた」という感想を持つのではないだろうか。
この辺が、ディベート文化が根付いているイギリスと日本の違いであろう。
せっかくのチャンスを無駄にして、鳩山代表は、医療体制の不備の問題をさらに追及して、具体策のない政府には任せておけないという主張をすることなく、麻生総理の言った財政論に乗ってしまうという大きなミスを犯したと言ってもよいだろう。
これは結局、鳩山代表の側の準備不足が原因であろう。
というのは、政府のどの政策を批判するのかというターゲットを絞り込まずに、漠然とこの分野について追及するという程度の戦略で臨んでいるため、麻生総理の誤魔化しの議論に乗ってしまい、結局何を追及しているのかわからなくなっているのである。
このあと、鳩山氏は財政論に移っていく。
そして、「官僚任せ」、「消費税の前に無駄を省く」という抽象論に陥ってしまうため、国民からすれば、白けてしまうのではないだろうか。何億円だとか、何兆円だという財政論は、国民からすれば、わかりにくく、身近な問題でないため、これにより支持率が変わることはないだろうし、抽象論に終始すれば、保守系メディアが「抽象論。具体策なし。やっぱり任せられない。」と批判をする。
民主党からすれば、「無駄をなくせ」という主張は国民受けが良いと思っているのかもしれないが、国民は当然のことであって、それをどうやるかを聞きたいのであり、それを示せない以上、こういう議論に乗らずに、具体的問題に対応した政府の政策に代わる対案を示すような議論をすべきだったと考える。
したがって、医師不足問題の追求をあっさり辞めてしまったのは大きな失点である。
次に、麻生総理の答弁を見てみよう。
細かい金額を挙げて議論しているが、こうした財源論に当たってこのような金額を挙げても、一般の国民は何について話しているのかわからない。
鳩山代表は「無駄をなくせば増税議論はしなくてもよい」という主張をしたのであるから、麻生総理としては、いかに自民党政権が無駄の削減に努めているかを示す事実を提示したりして、無駄遣いを抑止してきた具体策を示して、政府としての説明責任を果たすべきだった。
しかし、民主党の掲げる数値目標らしき数字を批判するだけで、政府としての実績を一つも説明できていない。
これでは議論がかみ合わないし、説明責任を果たしていないことになる。
民主党の主張を批判するのであれば、まず、「我々はこれだけ無駄を省いて削減してきた。」という実績を強調した上で、「民主党は数字遊びしているだけで、必要なものと不要なものの区別すらできておらず、具体的に削減すべきものを示しきれていない。」などの批判をすればよかったのに、そうした議論は全くされていないのは残念である。
5.鳩山代表の再質問(財源論)と麻生総理の回答(27分52秒~36分15秒)
冒頭麻生総理の認識を正し、官僚の用意した文章が棒読みだという威勢のいい批判は良いと思う。こういう指摘は国民の印象に残りやすい。
しかし、鳩山代表はまた余計な話をダラダラとしてしまう。
冒頭の批判の後、直に、「無駄を省くために、民主党のいう項目別での試算検討を政府としてやらないのか」などのジャブを繰り広げ、無駄削減への政府の姿勢を追及すべきだったのだが、「細田幹事長が公開質問したのが失礼」とか余計な話を持ち出しているのである。
ここは、麻生総理が民主党の示した試算方法を理解した上で批判しているのかを問いただして、「自民党は無駄を省くための試算も官僚任せで、野党との議論に真剣に向き合おうとしていない」という痛烈な批判ができる絶好のチャンスだったはずである。
しかし、自らそのチャンスをどぶに捨てており、ディベート戦術の甘さが伺える。
ただ、その後は鳩山代表も挽回している。
話を政府の無駄削減の努力という点に戻して、そこをターゲットにして攻撃を仕掛けているのは、明確でわかりやすい。
また、与党自民党内での無駄使いの指摘の例(河野太郎議員の話)を持ち出し、政府としてそういう与党内の声にすら応える姿勢があるのかという追及は、見ている方も「なるほど、気になるところだ」と思ったはずである。
具体例を挙げて攻撃し、ターゲットを絞ることを初めてここにきてできていると言えよう。
では、麻生総理の回答はどうであろうか。
随意契約に対する説明、民主党の試算がどんぶり勘定という趣旨の指摘は良いのであるが、もう少し端的かつ明確に話をすべきであって、何について説明しているのかが解りづらい。不明瞭な説明をすると、誤魔化しているという印象を与えてしまう。
麻生総理は、説明の仕方、話し方を根本的に考え直さなければ、いつまでたっても誤魔化しているという受け取られ方をされてしまいかねない。
さらに、無駄削減の努力についても、抽象論に終始している。努力しているということは誰でも言えるのであり、国民はどういう努力をしているのかという実績を知りたいはずである。
ここでも、具体的な削減の実績例を1つも示すことができておらず、説明責任は一切果たしていない。野党の財源試算を抽象的と批判するのであれば、政府の無駄を省いてきたという実績は少なくとも具体的に説明すべきであった。
また、アニメの殿堂についても、自分が企画したわけではないと責任逃れのような主張をしており、これはやってはいけない論法である。なぜなら、その案を少なくとも補正予算に乗せているのは麻生政権だからである。
「それが無駄なのかどうか」、「無駄なものとして削減すべきという政府与党内の声をどう受け止めているのか」を丁寧に説明することが求められているにもかかわらず、説明をしていない。
麻生総理は、「運営等々は、民間に基本的にやってもらうのが筋だということを申し上げてきておりますので、思いつきで、何もやっているというわけでは全くないことだけは、私としては、誤解を招かれるような話になりすぎていると思っております。」と回答している。
しかし、争点は「民間が運営すべきかどうか」ではなく、あくまで、「そういう箱ものが無駄であるのかどうか」、「与党内の無駄だとする声にどう政府として認識しているのか」である。
これもトンチンカンな回答をしているのであり、ここで議論がかみ合っていないのは、麻生総理自身が回答に際して、争点を理解しきれていないためであろう。
6.鳩山代表の再質問(無駄使いと生活保障)と麻生総理の回答(36分16秒~46分30秒)
鳩山代表は冒頭次のように述べている。
私は、アニメの殿堂のことは、申し上げたのは、(自民党の)河野太郎先生がそれは不要だということで申し上げた。自民党の中から不要だという話が出たということで、そのことを政府としてどう考えているのかということを申しあげた話であります。
そこに117億円かける。今、安倍(晋三元)首相の時からという話がありましたけれども、補正予算ですよ。
補正予算で組むのは、緊急的に本予算が終わった後、緊急的に必要になるところに組まれる予算でなければならないのに、なんで安倍首相の時からの問題が起きて、考えられていたものが突然、補正予算に組まれるのかということが、どう考えたっておかしいでしょ。
この部分の鳩山氏の批判はかなり良い。
当初の質問に対して、麻生総理が答えておらず、誤魔化していると言う点や、この計画を補正予算でやるべきことなのか(今やるものとしては無駄のなのではないか)という鋭い指摘で、かなり説得力がある。
残念なのは、この発言をした後に、すぐに着席して、麻生総理の弁明を聞くべきだったのに、その後、色々なことを言いすぎて、「話がまた逸れた」、「ターゲットを絞り込めていない」という印象を与えてしまっている点である。
次に、鳩山代表は、若年層の自殺問題を取り上げている。
自殺率などの話を出すのは国民にショッキングな情報を与えることで、政府の対応を批判するものとして有効ではある。
しかし、若者の自殺の話を持ち出すのであれば、もっと怒りすら見せて強く、威勢良く批判すべきであり、本当に国民の痛みや怒りを共有しているのか疑念が生じてしまう。とりわけ、「お坊ちゃん」というイメージがついているのだから、感情の出し方を工夫しなければ、視聴者へのアピールは十分な効果が挙げられない。
もっとも、この問題を持ち出して麻生総理の認識を問うたこと自体はかなり良い姿勢だと思う。
では、麻生総理の回答はどうか。
ここにきて最後に気が抜けたのがひどい回答をしていると言わざるを得ない。
「生活困窮者が現に出ている」、「自殺率が異常に高い」という指摘に対して、政府として、その問題に対し、今どう取り組もうとしているのかという姿勢を全く示しきれていない。
2万円等の現状の給付では、不十分と言う指摘がされているのだがら、ここで現状の実績を主張しても意味がない。
今やっている現状の施策で十分というデータを示すか、今後どうのような施策で取り組んでいく覚悟なのかを国民に訴えなければ、「麻生総理はやっぱり金持ちのボンボンだから国民の痛みがわからない」という趣旨の批判を受けかねないのではないだろうか。
この問題については、とりわけ慎重に回答すべきだっただろう。しかし、麻生総理は、総理大臣として、現状の問題に対する具体策も示すことができていないのである。
さらに、時間が無いと言いつつ、鳩山氏の質問に回答するどころか、話題にも上がっていない防衛の問題を持ち出している。これでは、生活保障に対する批判から逃げて、論点をすり替えたと思われても仕方がない。
次回、防衛分野の話をしようとかいう類の話は、限られた時間内ですべき問題ではないはずである。
最後の最後で、争点から逃げたとの印象を与える大失態をしているといっても過言ではない。
これに対し、鳩山氏が、「なにか突然に安全保障の話を最後にふられて、聞いておられる国民の皆さんもあぜんとされたんではないかと思いますが。」という指摘は相手のミスを逃さず、かなり有効な指摘である。
この指摘をあえてしたことにより、「なんで防衛の話が出てきたんだ?」と思っていた視聴者に、「そうそう、その通りだ」という共感する間を与えており、鳩山代表に好意的な評価をする人が増えるという効果があるだろう。
しかし、ここで、もう少し「説明責任を果たそうとしていない。」、「政府は具体策を持っていない。」等強く批判して終わるべきであったと思う。なぜなら、上記指摘だけだと、「皮肉屋だな」というだけの印象で終わってしまいかねず、かえってマイナスの効果を生じかねないためである。
さらに、その後、淡々と選挙演説みたいな主張をしているのはなんとも尻つぼみで終わっている印象を残してしまっているのは残念だ。
これは以前にも紹介したトニー・ブレア英国前首相が野党時代のクエッションタイムでの攻撃スタイルである。
鳩山氏はなかなか皮肉を込めた発言は得意なようだが、批判に際してもっと語気を強めて、国民の不満を代弁しているという強い批判スタイルを持つ必要があるかもしれない。
7.結論(私見による最終評価)
以上のように、丁寧に見てきたわけであるが、鳩山代表はせっかくのチャンスを生かしきれない場面が多々あり、また争点や攻撃となるターゲットを絞り込めない質問が多い。
これでは国民の政府に対する不満や疑問を代弁する野党党首としての役割を十分に果たしているとは言えない。
他方で、麻生総理は鳩山氏の質問がぼやっとしている点を除いて考えても、あまりにも回答が雑であり、国民に向けて説明しているという意識がかなり低い。
また、問われていることに答えないため、「誤魔化している」、「議論がかみ合わない」、「議論から逃げている」という印象ばかりが目立ってしまう。
以上のディベートスタイルを中心に評価すれば、それぞれ100点満点中、麻生総理32点、鳩山代表、50点と言ったところであろう。
麻生総理について言えば、最後の防衛の話を唐突に持ってくることがなければ、40点くらいは評価しても良いかなと思ったが、最後の発言は完全に逃げの印象を与えてしまっており、30点台という低い評価をした。
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最近、「ディベートに興味があるのだがどうしたら上手くなれるか?」とか、「社会問題に関して、英語で議論できるようになりたい。」という声を聞くことがある。ディベートの本質は英語でも日本語でも変わらない。
私見は、表現能力の育成が最も重要であると考える。このことは実践的な英語力を身につける上でも同じく必要で、「どういう言い回しをすべきなのか」、「どういう表現が自然で相手にわかりやすいのか」というのは良い表現から真似ることで身についていくものだと考えている。
そこで、英語で社会問題を議論できる程度になりたいと考えている人には以下のテキストを紹介しようと思う。
たまたま昔手に入れて読んだテキストなのだが、お勧めの理由は2つ。①コンパクトで読みやすいこと、②幅広いトピックを扱っており、英語の表現力を身につけやすいことである。私が持っているのは、2002年度に出版された以下のものである。
しかし、2009年1月に最新版が出ているので、もし買うなら、それをお買いになる方がより最新の問題提起がなされているので良いと思うが、アマゾンでは、定価1995円なのに、5000円近くで売られているので、セブンアンドワイなどでお買いになることをお勧めする。
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32187973
「日本語でのディベート力を上げたい」、「そういう能力が欲しいという方に良い本があるか」と聞かれることがあるのですが、私のディベートに対する理解は、大学時代の友人で、全米ディベート大会2位のアメリカ人の友人から学んだもので、いわゆる指南書みたいなものは読んだことが無いので、紹介すべき本は今のところ思いつきません。
ただ、ディベートだけでなく、仕事での会議・交渉や就職活動での面接で優位に立つためには、自分の言いたいことをいうのではなく、相手が問うていることが何かを把握して、説得的に話せる表現力を身につけることが重要だと思います。これはディベートで要求される基本的能力です。
したがって、日々の生活で、表現方法や表現力を意識していると、自分の能力が上がると同時に、相手の表現力に騙されない力も身につくような気がしています。もっとも、ディベートは説得力を競う戦いですが、会議や交渉、面接は違うので、くれぐれもディベートの姿勢でこれらには望まないように(笑)。
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Comments
ESQさま、
前半、後半ともに、TBありがとうございました。
これだけ詳しく書いていたら、途中で投げ出したくなるお気持ちもよくわかります(笑)。とにかく、お疲れさまでした。
麻生、鳩山両者にはもちろんのこと、これから、国会で議論する議員にとってもかなり参考になったと思われます。
かなり手厳しい評価ですが、英国の党首討論の動画と共に紹介されているので説得力があり、貴重なご意見ありがとうございました。さっそく後半もブログで紹介させていただきます。
Posted by: 美爾依 | 06/20/2009 01:43 am
美爾依さん
優しいお言葉有難うございます。
疲れましたが、ディベートやクエッションタイムの本質を理解してくれる国民や政治家が増えれば、その努力も報われるかもしれません。
また、いつもブログで紹介してくださり、本当にありがとうございます。少しでも多くの人に意見を読んでもらえるのは嬉しい限りです。
今回は初めて党首討論を真剣に見たため、相対的に厳しい評価になったと思います。また、私自身、英語ではあるのですが、学生時代にディベートコンテストなどで優勝した経験もあり、また全米大会準優勝者の友人がいるので、ディベートに関しては厳しい見方をしてしまいます。
もっと沢山海外のディベート映像があれば、いろいろ紹介できて面白いのですが、なかなかいい場面を見つけるのは難しいですね。
今後も色々な視点から私見を紹介できればと思っています。よろしくお願いします。
Posted by: ESQ | 06/20/2009 05:33 am