刑事訴訟の全体像と裁判員の心得
久しぶりに更新します(楽しみにしている方、しばらく更新期間が空いてしまい申し訳ないです)。
今日、5月21日は、裁判員法がいよいよ施行されます。既に御存じの方も多いと思いますが、本日以降に起訴された事件について、この裁判員法が適用されるわけです。
裁判員制度は、今マスコミが急に取り上げ出して、多々説明がなされていますが、意外にも、裁判員がかかわる前の話は説明が省略されてしまっているので、刑事訴訟がどういうシステムか全体像がつかめていない人も多いのではないでしょうか。
そこで、裁判員がかかわる前の流れを、簡単に説明します。
まず、以下のような事件の流れをイメージしてください。
①4月10日、午後1時34分、被害者V(31歳)が自宅で殺害されるという事件が発生。
②4月28日、午後8時58分、警部補Xらが、近所に住む、会社員30歳の男、甲がV恋愛のもつれから、たびたび口論していたという聞き込み情報を得た。そこで、警部補Xは、東京地方裁判所の裁判官Jに逮捕状を請求。裁判官Jが発付した、逮捕状に基づき、V殺害の容疑で、甲を逮捕。
- 司法警察員(警察官のうち、巡査部長以上の者が通常これに当たる)による逮捕に基づく身柄拘束時間として、許されるのは、この場合48時間。
③4月30日、午後6時52分、司法警察員Xが被疑者甲を検察官Pに送致(いわゆる、身柄付送検)。
- 検察官Pに逮捕に基づく身柄拘束として許されるのは、この場合24時間。
④5月1日、午後4時45分、検察官Pが、被疑者甲の勾留請求をし、午後7時01分、東京地方裁判所のJ判事が勾留状を発付。
- 裁判官Jは、甲を拘置所から呼び出して、甲にどういう殺人事件の疑いで勾留されることになりうるのかを説明し、甲に事件についての認否を含め、弁解の機会を与える。
- そして、甲の供述や検察官から提出されている勾留のための資料に基づき、甲に殺人の疑いがあることについて、一応確からしいという心証を得れば、勾留状を発付する。
- 今回、逮捕状と勾留状を発付した、裁判官Jは、起訴された後に、甲の被告事件の公判手続きに後述する受訴裁判所(起訴状を受け取って、事件を担当する裁判所)の一員として参加することはできません。これは、起訴される前の事情をしっていることから、予断を排除して、公平な裁判を実現するための制度的要請で、捜査段階に関わる裁判官と公判で審理する裁判官を分離しています。
⑤5月21日、午後1時、検察官Pが、被疑者甲を殺人容疑で起訴。
- 起訴されたことにより、被疑者甲の被疑者勾留は、自動的に被告人勾留へと変わります。まず、起訴があった日から2か月の勾留が認められ、その後は必要性がある場合に限り、1か月毎に更新されることになります。
ここまでが捜査段階の話で、これにより初めて、甲のV殺害被告事件について裁判員法の適用があります。
裁判員法の適用は対象が、(a)死刑または無期懲役の重大犯罪、(b)合議体(裁判官が3人による審判)で、裁判をしなければならないもので、かつ、故意に人を死亡させるに至った事件となります。
この後者の合議体で裁判しなければならないものとは、通常、地方裁判所においては、死刑、無期、または短期1年以上の懲役・禁固にあたる罪が対象とされています(裁判所法25条2項2号)。
さて、これで、甲の事件に裁判員法が適用になるということがわかりました。しかし、裁判員の出番はまだまだ先です。
⑥6月15日、甲のV殺人被告事件が、公判整理手続きに付されることになり、弁護人Aと検察官Pが参加して、東京地方裁判所刑事第1部の裁判官らで構成する受訴裁判所により行われた。
- この公判整理手続きとは、裁判所が主催して、検察官、弁護人(もちろん被告人も参加)の参加の下で、争点の整理をして、迅速な裁判を実施するというものである。
- 例えば、本件で、甲がVを刺したことは認めているが、殺意を争っていたり、別れ話をしたところ、Vが逆上して刃物を持って向かってきたので、身を守るために、もみ合っているうちに刺さってしまった等正当防衛を主張している場合は、その有無が主要な争点となる。
- このように当事者に争いのある事実に争点を絞り込むことで、長期にわたる裁判により被告人の身柄を過度に拘束しないのと同時に、裁判員への負担を軽減することを制度として確保しようという趣旨である。
⑦7月21日、第1回公判期日の開催が決まり、それに向けて、裁判所が裁判員を選定する手続きに入った。
これ以降の具体的な裁判員選任手続きやその後の公判については、ニュースなどで多々説明されているので、割愛しますが、いくつか重要な点だけ説明します。
まず、弁護人は、裁判員の選任において、50人の裁判員候補の中から、通常、4人まで理由を示さずに排除を求めることができます。これはアメリカの陪審員制度と似ているところなのですが、弁護人が、裁判員の見た目や年齢などから、被告人に不利になると思われる印象のある裁判員を無条件に排除する権利を与えたものです。無制限に認めると、濫用されるのは明らかなので、4名までに限定されています。
次に、裁判員選任手続きの通知が来ているにもかかわらず行かないと、その裁判員候補には、10万円以下の過料に処せられます。
裁判員には守秘義務が課されます。これは、全て話すなという意味ではありません。裁判員しか知りえないことを公開してはいけないということで、例えば、評議の様子なのです。傍聴人が知りえるようなことは、守秘義務の対象になりません。
さて、これ以降の手続きについては、法務省のHPやマスメディアなどでも説明されているので、そういうものを参照してもらえればと思います。
ここで、感の良い読者なら気がついたかもしれませんが、裁判員制度の一つの問題として、予断排除と裁判員候補へのマスメディアによる情報と思いこみをどうするかという最大の課題があるわけです。
上記にもあるように、刑事訴訟法は、予断排除を制度的に要請されており、公判前と公判後に関わる裁判官を分離していますし、職業裁判官は職務上、事前のメディア等による雑音を遮断して、審理に臨むことはできるでしょう。しかし、一般の国民がそれをどれだけ意識して裁判員として審理に臨むかは未知数です。
もし裁判員に選任された場合は、被告人を公判廷で初めて目撃し、「人相が悪い」とか、「やってそうだな」とか、そういう印象で臨まないでください。痴漢冤罪をテーマにした『それでも僕はやってない』という周防正義監督の映画があります。ぜひ、裁判員に選ばれた方は、その映画を見てみてください。
何が真実かはわかりません。裁判官にもわかりません。わかるとすれば、神様だけでしょう(無神論者の方からすれば、誰一人真実をわかる人はいないことになるかもしれませんが)。
「真実はわからない。本当に被告人甲がやったのだろうか。」 このような持ちで臨むのが重要なのです。
周防監督の映画の最後に、「自分が被告人席に立っているつもりで、どうか私を裁いてください」というような一節が出てきます。これは本当に重要なことです。マスコミであんなに報道されてたから被告人は有罪だという意識が仮にあれば、捨ててください。
マスコミの報道の大半は、検察側の情報だけに基づいたものを垂れ流しているにすぎません。マスコミの最大の目標は視聴率の確保と、特ダネを早くスクープしようということになり下がっています。
もし、自分が疑われ、被告人席に立ったときに、裁判員が予断を排除する意識なく裁かれることになったら、あなたは、どう思うでしょうか。
今まで、多くの人が刑事裁判には関わらないと思っていたかもしれません。まして、被告人なんかにはならないと思っているでしょう。しかし、いつ被告人の席に立たされてしまうかはわかりません。疑われることなんて自分ではどうしようもできません。
「もし冤罪があれば。」「もし自分がその冤罪の対象になってしまったら。」
特に、否認事件では、こういう意識を持って、審理を見届けてほしいとおもいます。
上記事例は私が作った架空の事例ですが、おそらく「甲が犯人なんだな」と思い込んでいる人は多いでしょう。しかし、記載された文言を丁寧に見てもらえるとわかるのですが、私は、上記事例で甲が犯人とは断定していません。甲は被害者で彼女であるVと別れ話のもつれがあり口論が絶えないという第三者の証言があるだけです。その殺害の当日に口論していたという目撃情報ですらありません。しかし、「逮捕された」という事実をもって、犯人だと決めつけてしまう深層心理があるわけです。
もし、決めつけていた方がいれば(ほとんどの方が犯人だと思ったと思いますが)、実際、裁判員に選ばれたときは、意識的に予断を排除するような努力をしてほしいです。
そして、裁判員になったあなたが「合理的な疑いをはさむ余地がなく、有罪だ」との確信を持てたときには、堂々と有罪に投じてください。そうでなければ、「疑わしきは被告人の利益に」の原則にしたがって、堂々と無罪と判断してください。
一般国民であれば、皆、自分の意見を表明する自由と責任があります。
「私にはわからない」という一言で逃げるのではなく、私は素人的感覚からすると、「証拠を見る限り、有罪だと思う。反省もしていないし、今後反省する可能性もないのだから、極刑の死刑にすべきだと思う」とか、「有罪だと思う。だけど、被告人は反省しているし人の命を国家によって奪う死刑とまでは言えないと思う」とか、または「無罪だと思う。」とはっきり言って良いのです。
なにもはばかることはありません。ぜひ、裁判員になられた読者がいれば、自分の意見を表明できる貴重な機会だとくらい思って、あなたの常識を司法に反映してください。
裁判員制度、きょう始動 初の審理、7月下旬にも
5月21日7時57分配信 産経新聞裁判員法が21日に施行され、国民が刑事裁判に参加する裁判員制度がスタートする。司法に国民の視点を反映して信頼性を高め、刑事裁判を分かりやすくすることが狙い。この日以降に起訴された事件のうち、もっとも重い刑で死刑や無期懲役が定められている殺人や強盗致死傷などを対象にした1審で、被告が有罪か無罪か、有罪なら刑の重さについて、6人の裁判員が職業裁判官3人とともに審理し、判決を出す。裁判員裁判の第1号は、7月下旬にも開かれる見通し。
対象事件が起訴されたあと、裁判官と検察官、弁護人は「公判前整理手続き」を開き、争点を絞るとともに、証拠を厳選する。調書など書類を重くみてきたこれまでの「精密司法」から脱却し、法廷でのやり取りを中心とした裁判になる。
公判前整理手続きでは綿密な審理計画も立てられる。日程が決まれば各地裁は、初公判の6週間前までに、裁判員候補者に「呼出状」を送る。呼び出される候補者はひとつの事件について50~100人。この中から、裁判官の質問などを経て、6人が選任される。
裁判員裁判は原則として連日開廷され、最高裁は9割の事件が5日以内に終了するとしている。裁判員の役目は判決を宣告したところで終わるが、裁判官とともに議論した「評議」の中身などについては、守秘義務が課せられる。
裁判員法の付則では法施行後3年で施行状況を検討し、必要があれば見直すと規定されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090521-00000130-san-soci
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Comments
久しぶりの更新、ありがとうございました!
裁判員制度が始動となるのでそろそろかなと思っておりました(゚ー゚)
冤罪事件が多い中、もし自分が選ばれたなら・・と考えたりもします。
ひとりの人間の人生、その人に関わる人の人生がかかっているわけですから本当に重責です。
今回の記事を参考に勉強させていただきます。
Posted by: りんどう | 05/23/2009 11:32 am
りんどうさん
いつもコメント有難うございます。
確かに、裁判員に選任されれば、重責だと思います。御指摘の通り、冤罪の可能性は、否認事件では常にあるわけですから、慎重な判断が必要です。
もっとも、あまり気がまえる必要もないと思っています。自分ならどう思うかという自分の常識にしたがった判断を評議ではぶつければ良く、裁判官や他の裁判員がどう思うかは最初の意見表明段階では関係ありません。
そして、議論をし、自分の常識の下に、被告を有罪とするだけの証拠がある、つまり、合理的疑いをはさむ余地がないと言える場合には、有罪判断に最終的な票を投じればいいのだと思います。この最後の原則だけを胸に臨んでもらえると、国民の常識の司法的反映という制度目的が達成できることでしょう。
よく法律の知識はないので・・・という声を聞きます。なくて良いのです。裁判員法が裁判員に求めているのは、皆さんの様々な考え方の反映です。法律部分は裁判官が補います。裁判官は運転免許がないや運転をしない人も多いと言われています。そういう裁判官よりも、車をよく使う一般人の人の方が、自動車運転における過失(注意義務違反)とか、危険運転に当たるとか言う点では、常識的な判断ができるのではないでしょうか。
例えば、ブレーキが遅すぎるという点にしても、運転しない裁判官より、運転を日ごろする一般人の方の方が、その判断をする上での経験に優れています。
ですので、裁判員に選ばれた方には、臆せずに自分の常識に従って、どう思うかをぶつけてほしいと思います。
最近の陪審員の映画で、「12人の怒れる男」というロシアの映画があります。
http://www.12-movie.com/
2008年度のアカデミー賞にもノミネートされました。裁判員制度になりタイミングも良いのですが、この映画は昔の映画、「十二人の怒れる男」という1957年のハリウッド映画のロシア版リメイクのようです。
もし、興味があれば見てみるといかがでしょうか、1957年の方は、有名なので見たことがある人も多いかもしれません。
ぜひ裁判員にならない方も、裁判の在り方、司法の在り方を国民の一人としてこの機会に考えてみてほしいです。いつ候補になり参加するかわかりませんし。
Posted by: ESQ | 05/23/2009 07:37 pm