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04/16/2009

またも痴漢冤罪事件(最高裁で無罪が確定)

訪問者数も落ち着きを取り戻しつつある。私個人としては、多くの人に注目され、一時的にアクセス数が伸びるより、定期的に私の発信する考えや情報に共感、反論等をしてくれる読者がいるほうが重要だと思っている。

今回の不適切発言事件を取り上げた際に、北野誠氏のラジオ番組のファンが運営するHPやファンの一人である公言されている、公認会計士でミリオン作家の山田真哉先生のブログなどを参照し、熱烈なファンというのは、貴重だと思った。

さて、今回は、話題をがらりと変えて、最高裁判例について取り上げたいと思う。

既に、メディアでも大きく報じられており、ご存じの人も多いだろう。14日に、最高裁で逆転無罪判決が出たようだ。

以前、携帯電話で話していたのを注意されて、逆恨みで痴漢を訴えたのではないかと報道された事件で、最高裁が原原審、原審の判断を覆し、破棄差戻判決をしたという痴漢冤罪の民事判例をご紹介した。

これに引き続き、今度は別の刑事事件で、最高裁が逆転無罪判決を下した。

今回の事件では、被害者は本当に犯人が被告人だと思いこんで証言していたようで、前回紹介したような逆恨みで痴漢を訴えたと思われるような事案ではなかったようである。

今回の事件判決文を読むと、事実認定作業において重要な方針が示されている。

多くのメディアの報道は判決文の精査がなされていないので、この記事でそれを丁寧に説明したいと思う。

まず、多数意見は、この事件において供述のみであり、客観的証拠が無いことを指摘した上で、被告人に前科前歴、犯行を疑う性向が無かったと指摘し、その上で、被害者の供述証拠の信用性の検討に入っている。

なので、今後の痴漢冤罪事件への影響としては、すべての痴漢冤罪事件の立証が厳しくなるのではなく、①客観的証拠(目撃証言、DNA鑑定、触っている手を直接捕まえたなど)が無い事案で、かつ、②被告人に前科前歴はもちろん、痴漢を好むようなビデオやDVDを所持していないなどその種の性向がない事案を前提にしなければならない。

次に、多数意見は、被害者の供述証拠の信用性が低い理由として、

①相当執拗かつ強度の痴漢行為であるのに、被害者が車内で積極的な回避行動をとっていないこと

②①と被害者が、その後、下北沢駅に着いてから初めて、被告人のネクタイをつかみ、降りましょうと言って下車させ、「この人痴漢です」指をさして、駅員に引き渡すまでの行為を行った被告人に対する糾弾行為とがそぐわないこと

③成城学園前駅で、一旦下車しながら、車両を変えずに被告人のそばに再び乗車していることが不自然であること

という3点を指摘し、被害者の供述証拠に疑いをはさむ余地がある以上、これのみで犯罪の存在を認定した下級審判断を是認できないとしている。

さらに、那須裁判官(弁護士出身)の補足意見は、疑わしきは被告人の利益にの原則に言及し、合理的な疑いを超えた証明の程度はどの程度であるべきかという観点から、痴漢訴訟において、被害者の供述だけ決め手となるような事案において、供述が「詳細かつ具体的」、「迫真に迫る」という抽象的な評価だけで、信用性を認めることに警鐘を鳴らしている。

那須裁判官の補足意見は丁寧で説得的で、なぜ「詳細かつ具体的」、「迫真性がある」ということで、その供述証拠のみで事実認定してはいけないかという理由については、

①真実の場合であろうと、虚偽の場合であろうと、詳細かつ具体的な供述は容易にできる一方、こういう抽象的な基準から、真実か虚偽かを裁判官が見分けることは困難である。

②検察官が公判を維持するために、入念な打ち合わせを被害者とするのであり、このこと自体は法に基づくもので正しいんだけど、念入りにやればやるほど、公判での供述は外形上、詳細かつ具体的になるのは自然なんだから、それだけで被害者の供述の信用性を認めることはできない。

③被害者の供述が正しいかどうかを補強する証拠、間接事実に特別な注意を払う必要があるところ、そういう補強証拠がないのに有罪と判断するのは合理的な疑いが残る。

という3点を挙げている。

ちなみに、補足意見というのは、多数意見(判決)と結論を同じにしつつ、判決理由をより細くして説明するというものである。これのほか、最高裁判決には、意見(結論は多数意見と同じだが、判決理由が異なる場合)、反対意見(結論が異なる場合)がある。

那須補足意見で指摘するように、この種の「詳細かつ具体的」という理由づけが使われ、有罪判断をすることが多いわけであるが今後はこうした評価だけで、被害者の供述証拠の信用性を認めてはいけないということになる。

つまり、具体的事実において、被害者の方にも不合理な行動がなかったかを慎重に吟味することが求められると思われる。

痴漢冤罪は、多くの場合(被害者による虚偽申告の場合を除いて)、痴漢の被害者、冤罪の被害者という2人の被害者を生むもので、卑劣な犯罪である。そして、満員電車という状況下においては、男性というだけで、いつ自分が痴漢の冤罪被害者になるかわからない。

痴漢冤罪を減らす一番の手段は、検察官の起訴・不起訴判断において、まずしっかりとした物証があり、公判を維持できる場合のみ起訴をするという原則を徹底すること、第1審、第2審の裁判官が、安易な事実認定をさせることにあると思う。

最高裁の今回の判断は、安易な事実認定に対する再度の警鐘であろう。

なお、近藤補足意見は、今回の事件が、被害者の供述証拠のよってのみ認定が可能であるという事件であり、内容が真実か虚偽かというのは水かけ論になってしまうところ、反面、被告人のこの種の犯行を行う性向、性癖があるという事実もないのであるから、真偽不明であり、疑わしきは被告人の利益にの原則から無罪という論法を使っているので、これも事件を限定していることが読み取れる。

また、近藤補足意見は、刑訴法411条3号の「判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があること」という原判決破棄事由に言及しており、これも重要な指針がしめされている。

近藤補足意見は、公訴事実(言いかえれば、犯罪事実)が真偽不明になったときには、最高裁は原判決の事実認定を維持すれば良いというのではなく、それが経験則に従って合理的なものか判断し、不合理という結論に至れば、原判決を破棄しなければならないということを明確に指摘していることも重要である。

同補足意見は、立証責任の転換(本来は、被告人・弁護人は公訴事実の真偽不明まで立証すればたるにもかかわらず、重大な事実誤認があることまでを証明する必要があるということ)を図るような結論は許されないと指摘していることも、今後の上告理由一般に対する影響力があるように思われる。

なお、田原裁判長の反対意見を読むと、この人本当に最高裁判事にしていて良いのだろうかという疑問を個人的には感じてしまう。

被告人の供述の信用性が低いというところの判断が妥当という理由に被疑者ノートが提出されていないとか、そういう理由を挙げているのだが、それがどう信用性の低下に結びつくのか私には理解できない。また、一貫して否認している事実に対する評価のウエイトも低いようである。

さらに、被害者の供述の信用性に問題が無いとする判断理由として、虚偽申告する動機が無いとしているが、信用性に疑義が生じる原因は積極的な虚偽の動機によるものだけでなく、「勘違い」の場合も多いにあるのであり、うそを言う動機が無いから、信用性があるという判断も乱暴だと思う。

弁護士出身なのにこういう判断をする最高裁裁判官がいるということも勉強になった(なぜなら、多くの場合弁護士裁判官の意見はもう少し柔軟性があるからである)。

ちなみに、田原裁判官は未だ国民審査を受けていないので、次回の総選挙で審査対象になるので、今後の彼の反対意見にも注目である。

以下、今回の判断における最高裁判所裁判官の意見

無罪(多数意見)

藤田宙靖裁判官(行政法学者出身)

那須弘平裁判官(弁護士[東京二弁]出身)・・・補足意見あり

近藤崇晴裁判官(裁判官[民事畑]出身)・・・補足意見あり

有罪(反対意見)

田原睦夫(裁判長)裁判官(弁護士[大阪]出身)

堀籠幸男裁判官(裁判官[刑事畑]出身)

痴漢事件で防衛医大教授に逆転無罪 「被害者の供述は不自然」
4月14日15時42分配信 産経新聞

 電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして強制わいせつ罪に問われ、無罪を主張していた防衛医科大学校教授(63)=休職中=の上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、教授を懲役1年10月の実刑とした1、2審判決を破棄、逆転無罪判決を言い渡した。教授の無罪が確定する。最高裁が痴漢をめぐる事件で逆転無罪判決を言い渡したのは初めて。5人の裁判官のうち、2人が反対意見をつけた。

 同小法廷は「満員電車内の痴漢事件においては、特に慎重な判断が求められる」との初判断を示したうえで、「被害者の供述は不自然で信用性に疑いがある」と指摘した。痴漢事件をめぐる捜査や裁判に影響を与えそうだ。

 教授は平成18年4月18日朝、小田急線成城学園前駅から下北沢駅までの間を走行中の電車内で、女子高生=当時(17)=の下着の中に手を差し入れるなどして逮捕、起訴された。

 1審東京地裁は平成18年、女子高生の供述の信用性を全面的に認め、教授を実刑とした。2審東京高裁は、女子高生が成城学園前駅より前にも痴漢行為を受け、成城学園前駅でいったん電車を降りたにもかかわらず、再び教授と同じ位置関係の場所に立ったことについて、「いささか不自然」と指摘したが、1審判決を支持、教授の控訴を棄却した。

 教授は一貫して無罪を主張。弁護側は「指から下着の繊維が検出されていない」などと主張していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090414-00000561-san-soci

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Comments

この事件の判決の経緯が知りたかったので、とても参考になりました。
いつも有難うございます。

Posted by: りんどう | 04/16/2009 at 01:25 PM

りんどうさん

いつもコメント有難うございます。
参考になれば、良かったです。
今日のサンデープロジェクトでもこのニュースを取り上げてましたね。元被告人だった(適切な言い方かわかりませんが)名倉教授と弁護人の秋山賢三弁護士も出ておられました。

ただ、司会の田原総一郎氏の質問の仕方やミスリーディングな解説には多少疑問を持っています。あまり判決文を精査されていないのでしょうね。

1審、2審の裁判官がおかしいというような乱暴な議論をしたり、裁判官によって判断が変わるのは変だというような稚拙な議論を吹っかけていたのは残念です。
私の見る限り、秋山弁護士も困っていたように思えました。

裁判は人間が行うわけですから、人間が異なれば、みる事実も異なります。だからこそ三審制にして、慎重な判断を促しているのですし、神様ではないのですから、絶対的な真実は裁判官にはわかりません。だから、経験則に基づき判断するしかないのであり、微妙な事件については、裁判官が違えば判断が異なるのは当然です。

また、そのために、終局裁判所である最高裁の裁判官については、国民審査に付して、その適正を国民に判断させているわけです。

したがって、田原氏の批判や主張はどうもこういう根本的な理解を欠いているようで仕方ありません。

もちろん、今回の最高裁判決により、下級審の裁判官がより綿密な事実認定により、有罪無罪の判断をすることになるとは思います。

Posted by: ESQ | 04/19/2009 at 12:45 PM

 別に依頼を受けたわけではないですが、たまたま通りすがってしまったので、田原さん(裁判長の方)を、元同業者のよしみで弁護してあげようと思います。
 田原さんは、別に、Aさんの供述が全面的に信用できるとも、被告人の供述が全面的に信用できないとも言っていません。
 最高裁は事後審で法律審なので、下級審の判決がよっぽど変な場合のみ破棄できるのにもかかわらず、多数意見が挙げる①抵抗が弱い、②抵抗の弱さと捕まえるときの糾弾の強さが不整合、③一度降りてまた乗ってる、という3点だけでは、Aさんも筋の通った言い訳をしているし、著しい論理則、経験則違背の理由としては、しょぼすぎるでしょ、と言っているだけです。
 だから、Aさんの「供述の信用性について,「いささか不自然な点があるといえるものの・・・不合理とまではいえない」とした原判決の認定に,著しい論理法則違背や経験則違背を見出すことはできない」と結論づけています。
 被疑者ノート云々も、被害者の虚偽供述の動機云々も、あくまで、「付言するに」の中で、もっとこのへんの証拠があったらよかったのにないのは残念だね、と言っているだけです。
 ちなみに、多数意見が挙げる①~③の理由付けは全て、ⅰ)被害はあったけど、加害者を間違った、という意味ではなく、ⅱ)被害自体がなかった、という意味でAさんの信用性を弾劾するものです。
 ①抵抗が弱いから、加害者を間違えたに違いない、②抵抗が弱いくせに追求が強固なのは、加害者を間違えたからに違いない、③一度降りてまた乗っているのは、加害者を間違えたに違いない、とつなげてみてください。つながらないでしょう。
 これらは、被害自体がないのに、Aさんが嘘をついているのでは、という意味で、信用性を弾劾しているのです。
 また、弁護人からも特に加害者誤認の可能性の主張もなされていません。
 だから、田原さんが、「Aの痴漢被害の供述」の信用性の話をして、虚偽供述の動機に着目したのは、特に変なところもありません。
 多数意見の理屈は、一般的には受けがいいでしょう。
 多数意見は、若干法律論、今までの判例の考え方を曲げても、現在の痴漢事件に関する捜査実務、検察実務に対する違和感、危機感を表明したかったのだと思いますね。
 それ自体は、個人的には評価すべきことだと思いますが、より刑事訴訟法(すなわち、明文化された国民の意思)に忠実であろうとする田原さんの意見を批判されるのであれば、もう少し、判決文を良く読むべきではないでしょうか。
 特に、国民審査のくだりは、意図されているかされていないかはわかりかねますが、その上の「この人本当に最高裁判事にしていて良いのだろうかという疑問を個人的には感じてしまう。」という箇所と併せると、「田原さんみたいな柔軟な判断ができない裁判官は、国民審査でノーと言おう。」と、ちょっと行間を読める人なら読めそうです。
 ブログもメディアです。多数人がこれを読むのですから、意見を発信される場合には、慎重にも慎重を重ねたほうがよろしいかと思います。
 一応、田原さんが引用する最高裁判決の一部を以下に引用しておきます。
 この判決文と、刑事訴訟法411条、刑事訴訟法の教科書の上告審の法的性格に関する箇所を読まれた後に、再度田原さんの意見を、じっくり一字一句飛ばさずに1時間くらいかけて読まれてみてください。ちょっと印象が変わると思います。
 「事実審たる一、二審と異なり、制度上法律審であることを原則とする上告審が、事実認定に関する原判断の当否に介入するについては、おのずから限界の存することもまたやむを得ないところである。法律が、上告審は原判決の事実誤認が重大であり、かつ、これを看過することが著しく正義に反すると認められる場合に限定して、原判決を破棄することができるとしているのも、書面審査による上告審が、事実認定の当否の判断に深く介入することは、かえつて危険であり、国民の信頼をつなぐ所以でもないからである。また、その介入の方法、限度についても、記録その他の証拠資料を検討して原判決の認定に不合理なところがないか否かの事後審査をするにとどまるのが原則であつて、原判決の認定の当否を判断するために、あらたに事実の認定をするものでないことは、いうまでもない。」

Posted by: 通りすがりの弁護士 | 04/22/2009 at 12:04 AM

通りすがりの弁護士様

こんなブログですのに、長く丁寧なコメントをしていただき、有難うございました。

精読させていただきましたが、結局のところ、貴殿の意見と私の意見の違いは、評価の違い(どっちが論理的だと思うかということ)に過ぎないと思います。

貴殿の言われる、

「最高裁は事後審で法律審なので、下級審の判決がよっぽど変な場合のみ破棄できるのにもかかわらず、多数意見が挙げる抵抗が弱い、抵抗の弱さと捕まえるときの糾弾の強さが不整合、一度降りてまた乗ってる、という3点だけでは、Aさんも筋の通った言い訳をしているし、著しい論理則、経験則違背の理由としては、しょぼすぎるでしょ、と言っているだけです。」という部分ですが、

私は、これら3点で「十分破棄できるほどの変な場合」に当たると考えた多数意見は正しいと考えますし、これら3点の疑義があるにもかかわらず、合理的な疑いの余地はないと判断することは経験則上違背があると考えます。

ですから、田原裁判官が原審を是認した判断はやはりおかしいいう評価をしています。

そして、「よっぽど変」か否かというのは、経験則に従った価値判断なわけです。だとすると、これは経験則の在り方をどう考えるかという評価の違いにすぎません。このことは、那須裁判官の補足意見の4でも、触れられています。

また、法律審の在り方についても、近藤裁判官が十分に説明しており、私もこの考え方で正しいと評価しているわけです。

貴殿は私の刑訴法411条の理解、及び法律審としての上告審に対する理解がおかしいと思われているのかもしれませんが、「上告審は、職権により事実誤認の有無について判断することができ、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認める場合には破棄することになるが、この場合には、例外的に事実審として機能することになる」わけです。

この著しく正義に反するかどうかも、各裁判官の経験則に従って判断されるわけです。そうすると、多数意見の経験則と反対意見の経験則どっちが、納得できるかという評価の問題に集約されるでしょう。

この評価として、私は最高裁の多数意見および那須裁判官の補足意見の方が、より説明として明快であるし、評価すべきであり、他方、反対意見は、私の経験則からすれば、説得性に欠けると評価しているわけです。

虚偽の動機部分ですが、私はそれに触れることがおかしいと言っているのではなく、私はそれだけで信用性があるという判断の理由としては足りないということを指摘しているわけです。また、田原裁判官は4つに類型化していますが、人間の衝動、動機がすべてこの類型で説明がつくわけではないと思うので、この類型化にも疑問を持っています。

繰り返しになりますが、結局のところ、田原裁判官と那須裁判官以下多数意見の大きな違い(貴殿と私の評価の違いにもつながりますが)は、経験則の在り方、さらには消極的司法主義か積極的司法主義かという議論に行きつくのではないでしょうか。そして、これは司法における裁判所の役割をどう考えるかという哲学的な違いになるでしょう。

いずれにしても、貴殿が別の視点で、反対意見が説得的という見解を示してくれたことには感謝します。

ただ、私が貴殿のコメントで、理解できない部分が1つあります。
それは、国民審査部分についてです。

私個人の見解としては、田原裁判官の解釈は判決を是認する上で十分な理由を説明していないと感じるので、そういう裁判官にノーという機会があることを喚起しているとして、何が問題なのかということです。

おっしゃる通り、ブログもメディアです。1つの考え方が正しいということはありません。最終的には、このブログに接した人が、国民審査の場でどう判断するかです。

仮に、国民審査という制度がある以上、①そこで国民一人一人が裁判官の妥当性の判断をすべきである、②この裁判官の判決理由は納得がいかないのであれば、そういう場での自分の投票行動を決めましょうということは明確に示したとしても(貴殿の仰るように行間から読める程度であろうと)、それは何ら問題はないことだと考えますがいかがでしょうか。

国民審査に言及するのがおかしいと仮に考えていらっしゃるなら、どういう意味で問題があるのか教えていただければと思います。

国民審査が導入されて以来、一度も最高裁裁判官に国民がノーといわないことは私は個人的に異常だと考えています。また、このことは国民の司法参加の妨げになっているとも思っています。

仮に、国民それぞれの知見に基づいて、今回の反対意見の結論の妥当性、理由の説得性から、おかしいと思う人は、×をつけたらどうですかとブログで明言して何が問題なのか私にはさっぱり理解できません。

プロフィールのページにもきちんと示していますが、私の意見がすべて正しいわけではありませんし、意見が違うのであれば、それに同調しなければいいだけではないでしょうか。そして、このブログの愛読者の方は、そういう視点で私のブログを見てくれていると信じています。

したがって、「意見を発信される場合には、慎重にも慎重を重ねたほうがよろしいかと思います」という部分について、どうしても違和感を感じてしまいます。何か田原裁判官の審査で×をつけろという意見をしてはいけないという脅しのようにも捉えられかねないわけです。

このブログに情報を発信するにあたり、私なりに十分精査して、発表していますし、明らかな間違いがあれば、きちんと訂正するようにしています(例えば、現在人気になっているスーザン・ボイルさんに関する記事で、毎週彼女がテレビに登場するという誤認をして、その趣旨の情報提供をしてしまいましたが、訂正させていただいています)。

また、名誉毀損等にならないよう、十分な検討をして、必要があれば、特定名は出しません。田原裁判官は公人で、判決に対する批判も公共の利害にかかわる事項に対する公益目的の批判です。

そして、ご存じとは思いますが、最判平成16年7月15日は、意見ないし評論については、その内容の正当性や合理性を特に問うことなく、人身攻撃に及ぶ意見ないし評論としての域を出たものでない限り名誉毀損の不法行為は成立ないとしています。

私の記事はあくまで、田原裁判官の反対理由に対する批判でありますし、こういう意見を書く裁判官の適性を問題にし、国民審査に言及することが、人身攻撃に当たるわけではありませんから、意見ないし評論の範疇にあります。

だとすると、意見ないし評論を表明する自由として、民主主義社会に不可欠な要素の表現の自由を享受して、何か問題があるのでしょうか。これに言及すべきでないといわれるのであれば、私は恐ろしく言論統制になるのではないかと思いますが、いかがでしょう。

今回のご意見については、私の判決の理解に間違いがあるというよりは、評価の違いに過ぎないと思いますから、記事についてはそのままにします。

また、貴殿の意見はとても貴重なご意見ですからこのまま掲載させていただきます。有難うございました。

Posted by: ESQ | 04/22/2009 at 03:23 AM

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