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04/03/2009

有識者会議の問題(もっと本質的な議論を)

規制改革会議というのをご存じだろうか。内閣府に設置されている機関で、小泉政権下での規制改革路線を引き継ぐというものなのだが、ここれ交わされている議論を見ると、官僚もそして規制改革会議のメンバーもどっちもアンポンタンではないかと思ってしまう。

私が見た議論というのは、規制改革会議の教育・資格グループが担当している司法改革および法科大学院制度に関する会議の議事録なのだが、とにかく会議内容を見ると著しくレベルが低い。

この議事録を見る限り、主に発言しているのが、福井秀夫委員と法務省の大臣官房の官僚である山口久枝氏なのだが、両者のやり取りを見ていると日本の法曹の将来に不安を持ってしまう。

というのも、法科大学院や新司法試験の在り方には様々な人が色々な意見があるとはおもうのだが、これらの賛否以前に、ここで交わされているのは、「出てきたデータが悪い」とか、「仕事が遅い」とか、「前の大臣はこう発言した」とか、「人件費はどこからでているのか」とか、そういう類の話で時間を要していて、本質的な議論・質疑が一切されていない。

もちろん、担当している官僚の応答にも問題はあるように思うが、この議事録を見る限り、私は議論をリードしている規制改革会議の福井秀夫委員の根本的な資質に問題がある気がする。

同氏は出身官僚で、国立の政策研究大学院大学教授をしている人のようなのだが、法曹教育がどうあるべきか、とか、そういう本質的な議論もせず、また示されているデータど自分はどう分析するのかなどの議論もせず、ただ、上記のような『イチャモン』を官僚につけ、しまいには、「真面目に考えてください。(そういう発言は)法務省をやめてから言ってください」などと逆切れしているわけである。

不適切極まりないだろう。

官僚が適切なデータや情報を開示しないというのは、ありえることだろう。しかし、「なぜ情報が開示できないのか」、「権限として官僚ができる範囲を超えた注文なのか」、それはいやしくも行政法を専門である名乗っている教授であれば、わかるはずだろう。

官僚だって、やる気が無くて情報を出さない場合だけではない。与えられている権限の範囲、現実的な制約の存在それぞれ色々な理由があって情報を出せない場合があるわけである。

それは、およそ行政法を学んでいる人間であればわかる話で、行政行為については、法律の根拠なくしてできないというのが通説である。もちろん、行政行為にも侵害行為のみに法律の留保が必要だと考え、情報開示や事実行為には要らないという従来の見解もあるが、現在の通説的な立場は、権力的行為にはすべて法律の根拠が必要という考えが定着しており、官僚である以上、そういう法律の根拠を重視して行動してくるのは当然分かっているはずである。

それを官僚と同じレベルになって、「なぜこんなデータしか収集できないのか?」とかまさに子供の喧嘩のようなやりとりを規制改革会議という我が国の将来を左右する場においてやっているわけである。

行政法学者だと自認しているのであれば(同氏の経歴を見ると工学博士であり、法律のエキスパートなのかは多少疑念を持ってしまうわけではあるが)、もう少し、官僚を使いこなすような上からの視点で、「こういう法令の権限に基づいて調査してください」とか、「私はこの情報からはこう判断するが、別の情報が最終的には必要になるのではないか」とか、「事実上不可能な具体的理由は何か」とか建設的なやり取りをすべきだと思うわけである。

官僚悪だから、それを叩く人が善。小泉改革により疲弊した国民からすれば、もうそんな子供だましには乗らない。むしろ叩く人の叩く根拠は何なのかそれを慎重にみている。

19ページに及ぶ議事録なのだが、そのほとんどが内容も、実りもないもない下らない時間つぶしのようなもので、ただ単に官僚と喧嘩するためだけに出席しているようなもので、およそ委員としての資質が無いのではないかと思ってしまう。

私がこの委員のレベルが特に低いと感じたのは次の場面である。

同委員は、出てきているデータの集計方法等について、法務省などの官僚組織が集計してきたものと当初誤解した上で、出ているデータの示し方が悪いと官僚を責め続けた。

それに対し、官僚がデータの集計は自分たちがやっているわけでなく、法科大学院協会という政府の組織とは、全くの別の私的団体の協力であるため、なんともできないと反論した。

これに対し、同委員は、でも法務省官僚も携わっているなら人件費が発生しているはずで、これが公金により出ている以上、データのだし方を変えろと言いだしているわけである。

これは無理難題ではないだろうか。自分の知りたいデータが無いなら、自ら調べようと動くくらいの姿勢を示すならともかく、重箱の隅をつつくような万年野党のような姿勢で、こういう議論を延々としていると思うと、「あんたに委員として支払われている報酬の方が無駄だ」と私は一国民として言いたくなるわけである。

まず、出ているデータ分析が足りないと批判するのではなく、出ている資料からはどう判断できるのか、どういう評価ができるのか、これを先にやるべきではないだろうか。その上で、より深い議論をするにはこういう情報が必要だとか、そういう話になるべきなのに、議事録の大半は子供の喧嘩である。

裁判所において、当事者主張する事実・証拠を差し置いて、裁判官が「あんたのだしてくる情報は意味が無い」などと暴言を吐いていることを想像すると、これは明らかに当事者主義の裁判手続きに反するし、司法に対する信頼は失われる。

規制改革会議は裁判手続きとは違うのは当たり前であるが、審議機関という位置づけはあるのであるから、官僚などの事務方の主張、情報を無視して、何も実質的・本質的な議論せずに、出してくる情報が悪いと偉そうにしている姿を想像すると、この場合も国民の規制改革会議に対する信頼は失われるのではないだろうか。

パフォーマンスは良いから、実益ある議論をしろよ!と言いたくなってしまうわけである。

なお、余談であるが、こういう大学教授を有識者として招聘することが多いが、有識者としては不適切な気もする。むしろ、法曹教育というのであれば、退官した裁判官や弁護士、企業の法務担当者など実務家をこういう責任ある地位につけるべきであると思う。

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福井秀夫委員の行政法に関する過去講演内容を見つけたので、一応残しておく。私個人は、この方の行政法のとらえ方、判例のとらえ方には疑問を感じることは付言しておく。

同氏は、以下のような発言をされている。

 原告適格、処分性、訴えの利益の議論は非常に大事なことで、知的遊戯としては非常に面白い議論だと思いますが、原告適格と処分性を拡大せよ、という議論が行政法学界や、日弁連の中の議論でも多いというのはよく承知しています。私は、そこはもちろん拡大の余地はあると思いますが、余り重要な論点ではないと思っています。
 何故ならば、今の原告適格や処分性は、究極は行訴法の「法律上の利益を有する者」や「処分」という、本当に不明確な、一言の不確定概念の解釈に全部依存しています。法律上の利益を有する者とは誰か、処分とは何かについて、行政法学者や裁判所がひねり出した理屈があるわけですが、私の理解では、究極は権利侵害を受けた者がその行為を争えるのだと素直に考えるべきです。
 要するに、自分の権利を侵害された、何らかの権利なり、ある人にとって効用だと感じるものについて毀損があった、こういう状態が本来訴えを提起させて然るべき場面だろうと思うのです。

しかし、全くと言って検討違いではないかと思う。つまり、行政法9条1項の「法律上の利益」という解釈(原告適格の議論)は、「自分の権利が侵害された」と評価できるのかどうかという議論なのであって、だからこそ重要な判例がたくさん集積されている分野のはずである。

法曹界も学会も、この権利侵害という評価を狭く解し過ぎると、原告を門前払いすることになり、不利になるから、ここは柔軟に判断しようということで、拡大論があるのであって、これが重要ではないという理解そのものがなんとも皮肉れたとらえ方だなと思う。

また、彼は事情判決の存在意義そのものについても疑問を呈している。

一般論として言えば、違法なら本体で取り消すべきであって、事情判決は変な制度だと思います。時間が経って困るというのは、違法か適法かを審査するという筋とは別の次元の問題で、そういう問題であれば、例えば仮の差止めを認めておいた上で、一定期限内に判決を下すということを訴訟手続上の原則とするというようなことで回避すべきであって、違法なら本来、本体を取り消して全部撤去せよ、というのでないとおかしいと思います。

事情判決は、社会全体の利益と個人の個別的利益の調和を図ったもので、これを認めないと、主観訴訟を原則とする我が国の司法体系からすれば、原状回復が困難な場合などには、逆に訴えの利益がないということで、門前払いの却下判決が出かねない。

これでは、それこそ阿部教授の主張する、作為的持ち込み論(訴訟係属中にもかかわらず、事実上、工事や事業を完成させてしまって、訴えの利益を消滅させようと行政庁が行う作為的行為)が妥当してしまい、違法かどうかの本案判決を国民の側は得られない事態になる。

最高裁の判例を批判する前に、どうしてそういう判断なのかもう少し慎重な発言をすべきだと個人的には思うわけである。

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Comments

管理人さんのおっしゃるように、確かに酷い内容ですね。「あんたに委員として支払われている報酬の方が無駄だ」のご指摘には笑ってしまいました。

なお、福井委員については、実務家サイドからもかなり批判的な見方が多いようですね。以下等参照。
http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-3dec.html
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/11/post-4e71.html
私も、これから「規制改革会議に対するご意見・ご感想のフォーム」にて、彼の解任を求める意見書を書こうと思います。

Posted by: mita | 04/03/2009 at 07:14 AM

>mitaさん
コメントありがとうございます。
リンク見させてもらいました。

福井委員の発言は確かに今回私が紹介したものに限らず問題があるようですね。

ただ、個人的な見解ですが、リンク先にある弁護士の方々の反応には、全面的に同意しかねるところもあります。

というのは、自分の仕事が馬鹿にされたという感情的な反応が目立つからです。

私個人としては、福井委員の発言が問題というよりも、この方の規制改革会議における職務に対する姿勢の方が問題だと思っています。

弁護士も医者もそうですが、他の職業に比べると、「先生」と呼ばれたりするなど専門職としてその暖簾に胡坐をかいている人が多い気もします。また、弁護士の場合は、懲戒制度が弁護士自治の観点から同業者に委ねられていますから、裁判官の場合のように弾劾裁判所が国会に設置されるような公開性は低いように思われます。

あまり、自分たちの利益にかかわる主張をし過ぎるのは、日弁連が既得権益保護団体であると国民に思われかねないので、感情的な反応はどうなのかなと思ったりもします。

Posted by: ESQ | 04/11/2009 at 01:32 AM

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