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04/27/2009

最高裁判例にみるセコイ主張と正当な権利の行使

最高裁判例というのは、法源(Source of Law)の1つである。日本の法体系は、大陸法系の法典をベースにした条文を重視しつつ、英米法系の判例法主義も取り入れるというもので、最高裁判例は下級審を拘束する(裁判所法4条)ことから、事実上の法源とされている。

このような教科書的な話は言いとして、判例、とくに民事判例を見ていて思うことがあるのだが、最高裁まで行く事件の多くは、変わった事件が多いように思われる。こういうと不謹慎なのかもしれないが、セコイ事件だなと思うことも多々ある。

私が当事者としてかかわっている事件ではないので、その事件の当事者からすれば、セコイなんて言われたくないと思うかもしれないし、私の第三者的立場からみた感想にすぎないのだが、結構そういう事件もあるのであり、最高裁判例となる事件がいつも崇高な事実関係から出てくるわけではない。

その事件の1つが、最判昭和42年11月17日民集21巻9号2448頁である。

どういう事件かと言うと、会社法上の基本的な判例で、Y会社が株式を発行するときに、税金対策のために、その従業員だったXさんの承諾を得て、名前を借り、Xさんを名義人として株式を発行したが、実際にはY会社の代表取締役であるAさんがY社の金をつかって、株式を取得するために、引受・払込(取得するために必要な行為)をした。その後、名義を貸したXさんが自分が株主だとその確認を求める訴えを起こしたというものである。

何がセコイとおもったかというと、Xさんは株式を取得するのに、金銭を一切支払っていないわけである。さらに、名義を貸すことについても同意していたわけである。にもかかわらず、自分が株主だと確認を求め、最高裁まで争ったのはちょっとセコイなと思ってしまう。ただ、当時は、名義人が株主だという下級審判断もあった時代なので、そこまでおかしい訴訟というわけではないが、セコイなと感じはしないだろうか。

もう一つ、セコイなと感じる判例がある。最判昭和61年9月11日判時1215号125頁である。

Y会社設立中の発起人甲さんが、X会社から事業譲渡契約を結んで、甲さんが実際にその事業を行い、X会社に代金を支払っていたが、事業がうまくいかなくなった。

そこで、X会社から残代金の請求をされた際に、甲さんは、

①会社法上、設立中の会社において、事業譲渡を受けることは財産引受に当たり、有効な財産引受となるには、定款にその記載が必要なことから、定款への記載が無いことを理由に、契約締結から9年後に、財産の引き受けは無効だと主張

②会社法上、X会社が事業譲渡するには、X会社において株主総会決議が必要なところ、それを欠いているので、契約締結から20年後に初めて事業譲渡契約は無効であるとの主張

をしたという事案である。

もちろん最高裁は、このような無効主張は信義則に反して認められないという妥当な判断をしているのだが、なんとも原告の主張はセコイと思ってしまう。

譲り受けた事業がうまく行かず、失敗したから、代金を払いたくないということであって、失敗したのは自分のせいなんだから、代金を支払ないなさいよというのが常識的な価値判断だろうし、最高裁もそれに沿う判断をしているのだが、こうやって最高裁まで争っているのがなんかセコイと感じてしまうわけである。

まあ、最高裁まで争うこと自体のは正当な権利の行使であるが、何十年もこうした訴訟に振り回されるかと思うと、相手方からしても多大な訴訟費用の負担にもなるし、あまり好ましくはないだろう。

よく弁護士が増えて訴訟社会になるとこういうことになるという主張が聞かれるが、私はむしろ、今だってこういう訴訟はあるんだし、法曹が増えることが必ずしも訴訟社会になりマイナス面が増えるとは思わない。

むしろ、訴訟社会になれば、弁護士に「先生」なんかつけずに、気軽に相談できるようになるのであるから、国民全体の順法精神が養われると思われる。

また、法曹三者にいわば独占されていた司法への国民参加が加速されることは間違いない。日本の司法の問題は、国民が意見することに消極的になりすぎることである。この点、アメリカは、かなり活発に法曹資格のない一般人も積極的に判例の当否や結論の妥当性、さらには、憲法上の権利関係について議論をする。

正直、日本の法律家というのは、今までは先生と呼ばれ、昔は華やかなイメージもあったかもしれないが、多くは、通常の社会人とは異なる人生経験を歩んだ人が多く、ある意味変人の集まりである(Geek)。そういう人間だけの意見で法律の解釈がなされるのはやはり異常なのであり、一般国民の司法参加が成熟した社会には必要であろう。

また、訴訟社会の懸念について言えば、優秀な弁護士であれば、依頼人の利益を優先するわけであるから、時間がかかる訴訟より、和解で済ませたり、ADR(Alternative Dispute Resolution)のような紛争解決の主体としての役割を担うことになるのであって、むしろ健全な世の中になると思うわけである。

もっとも、セコイ主張とは逆に、内定取消の問題だってそうだが、泣き寝入りが違法行為をする者をつけあがらせるのであって、正当な権利行使としての主張は、最高裁まで争ってでも、主張する価値はあると思う。

したがって、裁判員制度が始まる以上、どうあがいても国民の司法参加が活発化する。この機会に、国民一人一人の順法精神の向上を期待したいと同時に、素人的感覚が一定限度で、司法制度に吹き込まれることを望むばかりである。

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